【徳川家総合】 徳川家康 公スレ その12
レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。
0001家臣団の話題も可です
2011/02/18(金) 09:46:30ID:HlJow5mC重荷を負いて遠き道を行くが如し 急ぐべからず
不自由を常と思えば不足なし
人はただ 身の程を知れ 草の葉の
露も重きは 落つるものかな
※下賎の者(百姓)は過疎時のみ構って当て馬にしましょう!
0002家臣団の話題も可です
2011/02/18(金) 09:47:39ID:HlJow5mC幼少期の人質時代の屈辱。信長との同盟を守りきった律儀さ。
武田信玄との対戦。小牧・長久手での熟練した軍略。
豊臣政権下での着実な勢力伸張。そして文句なしの関が原での勝利。
天領400万石の圧倒的な徳川幕府。天下泰平250年。江戸は世界最大
の都市の一つとなった。
東京が首都となったのも、家康が始原。
死ぬまで階段をかけ上がった人生の達人。
前スレ http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1288795951/l15
0003人間七七四年
2011/02/18(金) 14:19:32ID:rNG0QeHN0004人間七七四年
2011/02/18(金) 18:27:27ID:CJLZusj10005人間七七四年
2011/02/18(金) 20:09:33ID:Ml0Udm4sこっちのスレに来るなよ
0006人間七七四年
2011/02/18(金) 21:56:19ID:zcSELiTU稀代の謀反人だろ。
0007人間七七四年
2011/02/18(金) 22:00:49ID:CJLZusj10008人間七七四年
2011/02/18(金) 22:02:38ID:zcSELiTUたしかに成功者ではある。豊臣公儀を乗っ取ったからな。
だが謀反人、狸親父のそしりはまぬがれんよw
0009人間七七四年
2011/02/18(金) 23:15:01ID:xdmDdecv世界史だと、もっとスゴイやつ存在するかな?
0010人間七七四年
2011/02/18(金) 23:53:33ID:exXos4//0011人間七七四年
2011/02/19(土) 12:06:51ID:hQTeN1cK政権簒奪には該当すると思うけどね。
0012人間七七四年
2011/02/19(土) 12:15:36ID:t0YQNKcU成功して結果が残れば正当化される。
0013人間七七四年
2011/02/19(土) 12:46:29ID:PCF4duHs0014人間七七四年
2011/02/19(土) 13:02:37ID:hQTeN1cK0018仙台藩百姓
2011/02/19(土) 13:24:00ID:8bHoVIEt単に権力で隠蔽しやすくなると言うだけで汚名は永遠に付いてまわるお( ^ω^)
むしろその政権が潰れた時、隠蔽の罪も加わって更に汚名は膨れ上がるものだお( ^ω^)
現代の家康の評価はまさにそれだお( ^ω^)
0019人間七七四年
2011/02/19(土) 13:25:34ID:t0YQNKcU「〜が謀反人って聞いた事が無い」て言ってる事に対して、
謀反も成功して時の権力者になれば後世でそう扱われなくなる事が多いって言ってんの。
そもそもお前がそんな問題提示してるわけねーだろ。どんだけ頭悪いんだw
0020人間七七四年
2011/02/19(土) 13:26:56ID:PCF4duHsその人を正当化しようとすれば政権を打倒しようとした(した)人で、
貶めたければ謀反人と呼ぶわけか。すると家康を謀反人と呼ぶ人は家康が
嫌いなだけってことか。もしくは家康を肯定すると困る立場の人?
0021人間七七四年
2011/02/19(土) 13:31:15ID:hQTeN1cKそもそも、オメーの>>12が>>11の回答になってないんだよ、バーカ。
家康を『謀反人』扱いしている資料やら文献やら出せればいいんだよ。
江戸期ならいざ知らず、現代においても『勝てば官軍』ルールに従ってるんですか?ww
頭わりーのは、お前だ。バーカww
0022人間七七四年
2011/02/19(土) 15:43:26ID:BzCThR/E貶めるもなにも、事実として法慣習に「謀反」という規定があるわけで
動機や理由が何であっても、「正当」というものを設定するのなら、
それに反する行為は全て謀反や反逆になる
要するに、謀反というのは行為であって、それがどんな意味を持っているのか
という評価とは別の事象を指す言葉なんだよ
家康が豊臣を滅ぼして日本を統治したことは偉大と評していいことだけど、
その行為自体はどう取り繕っても「謀反」という表現からは避けられない
それでいいと思うのだけどね
0023人間七七四年
2011/02/19(土) 16:08:38ID:3anCkBnfそんなこと言ったら、家康が政権を奪った行為は正当そのものだから、
謀反人呼ばわりできなくなるじゃないか
0024人間七七四年
2011/02/19(土) 19:15:09ID:dahkB4+s0025人間七七四年
2011/02/19(土) 19:35:02ID:qf0bfMi40026人間七七四年
2011/02/19(土) 20:33:33.33ID:HU/RjDTJ「絶対的な権力は絶対的に腐敗する」だから、
世の中はどんどん腐敗していくことになるわけだ
0028人間七七四年
2011/02/19(土) 21:47:38.10ID:ikW+KAAq0029仙台藩百姓
2011/02/19(土) 22:50:49.16ID:8bHoVIEtそれはないお( ^ω^)
少なくとも日本では( ^ω^)
この国には謀叛をせずに政権を潰せるシステムが存在していたもの( ^ω^)
0030人間七七四年
2011/02/20(日) 00:18:53.57ID:fkTbzT1r0032人間七七四年
2011/02/20(日) 07:26:14.66ID:1moZBIBb0033人間七七四年
2011/02/20(日) 10:01:02.22ID:QVI21cFw秀吉死後に豊臣家に臣従する理由って何になるんだろ。家康に至っては位まで上だし。
0034人間七七四年
2011/02/20(日) 13:51:05.73ID:fs6nt/bl実力者の動向しだい
0035人間七七四年
2011/02/20(日) 13:55:52.12ID:fkTbzT1rと関白になっていた。朝廷は明らかに親豊臣であったからな。関白になってしまうと、征
夷大将軍よりもずっと格上になってしまうので、諸大名が自分に従わなくなるおそれがある。
まして自分はもう寿命が近い。そうなる前に難癖つけて滅ぼしたって事でしょ。
征夷大将軍は武士の頂点だが、関白は武士を含めた全ての臣下の頂点だからな。
0036人間七七四年
2011/02/20(日) 16:09:15.42ID:3LOpb9kZ政権交代が悪なら薩長はどうなの?
0037人間七七四年
2011/02/20(日) 18:04:31.00ID:IN8iTMg9スレ変わったのにまだ同じことやってるの?
0038人間七七四年
2011/02/20(日) 18:53:37.07ID:EYLknXXs後の評価なんてその時点での史観でいくらでも変わってくるし
行為がなされた時点の評価と言うのは語る価値があるかもしれない。
豊臣は織田に引き立てられた家臣では合ったが
徳川は臣従したとはいえそれ以前は豊臣と対等以上の関係ではあった。
このあたりの関係を整理しておかないとはいけないだろな。
0039人間七七四年
2011/02/20(日) 19:03:44.88ID:lzc0R2jM0040人間七七四年
2011/02/20(日) 21:14:20.27ID:fkTbzT1r征夷大将軍では関白には劣るから、格下である幕府が豊臣公儀を謀反で
潰したような印象を与える。
0041人間七七四年
2011/02/20(日) 22:07:15.23ID:HwNVjsD00042人間七七四年
2011/02/20(日) 22:27:12.31ID:fkTbzT1rないんだったら秀頼の存在そのものがタブー扱いされた江戸時代は
なんだったんだ?
主家を滅ぼした事を説明できんからだろうがw
0043人間七七四年
2011/02/20(日) 23:35:30.51ID:HwNVjsD0只今現在、家康を謀反人扱いにしてるのなんて、空想小説くらいじゃねw
つか、全国の大名が一つ残らず、主家ではなく謀反人とやらに味方してるんだから、
不思議なもんですな〜w
0044人間七七四年
2011/02/20(日) 23:46:36.47ID:fkTbzT1rあ、今の話?
なら謀反人扱いされてるじゃんwアンチの中では。
それだけで十分だよ。
アンチの評価も後世の評価そのものだから
簒奪するってことは謀反なんだよ。
だから謀反人。
0045人間七七四年
2011/02/20(日) 23:49:31.53ID:fs6nt/bl0046人間七七四年
2011/02/21(月) 01:04:02.56ID:zS8LFjqF0047人間七七四年
2011/02/21(月) 01:18:41.02ID:x3iTNekO0048人間七七四年
2011/02/21(月) 01:32:28.23ID:jg0m4itV一般的に国民は国家に忠誠を誓うように求められてはいるが、それは国家そのもので
あって国の政治体制じゃないからなぁ。
まぁ独裁国家は往々にして国家と独裁者を同一にしているもんだが。
そういう意味ではたしかに謀反か。
0049人間七七四年
2011/02/21(月) 01:44:23.27ID:x3iTNekO0050人間七七四年
2011/02/21(月) 01:51:26.70ID:nE4NxXiI0051人間七七四年
2011/02/21(月) 05:29:29.22ID:nCRK6nxC伊賀越えで思ったのが。
堺にいたなら船で直接行けばよかったんじゃないの。徳川さん
または、無理して三河に帰らずに四国攻めのために摂津にいた。
織田軍に助けてもらえばよかったのでは
なぜ無理して伊賀越えをしたのですか
0052人間七七四年
2011/02/21(月) 06:02:38.33ID:x3iTNekO・船はいつ出発できるかわからない
・摂津の軍勢の動向がわからない
0053仙台藩百姓
2011/02/21(月) 09:18:22.57ID:vy6qBu9A正解だお( ^ω^)
家康の敗因は朝廷を取り込めきれなかった事だお( ^ω^)
>>36
薩摩は道義的には家康並に卑劣だけれども
法的には薩摩は官軍だし徳川氏は自ら政権を返上していて公的な支配権も失っていたから何ら問題はないお( ^ω^)
>>48
あれらは革命と呼ばれるものだお( ^ω^)
被支配階級が国体そのものを変えてしまおうという運動であって
家康の謀叛とは全く違うものだお( ^ω^)
0054人間七七四年
2011/02/21(月) 09:53:50.20ID:hwlKDNQTどうしてだろ。
0055人間七七四年
2011/02/21(月) 10:42:23.79ID:/UWmtW//元の政権が正しくなかったり、より偉大な政権を打ち立てた場合はイメージに合わなくなる
0056人間七七四年
2011/02/21(月) 11:20:29.55ID:CThmwxvbあの状況では、親殺しと考えるのが普通じゃないか?
ところで、家康公は三河のどの城へ逃げ込んだのだろうか?
0057人間七七四年
2011/02/21(月) 11:28:55.04ID:U3OmDl+M0058人間七七四年
2011/02/21(月) 11:41:29.52ID:hwlKDNQT清洲同盟によってるのかな。
0060人間七七四年
2011/02/21(月) 13:17:25.12ID:r/2AMIiA謀反したのは大阪で乱を起こした秀頼でしょ
0061人間七七四年
2011/02/21(月) 15:42:56.30ID:bgSJX3K/0062人間七七四年
2011/02/21(月) 16:31:46.23ID:1Kf+Wsc+0063人間七七四年
2011/02/21(月) 16:59:02.09ID:Tf6pGmR1に侵攻した行動についてです。
家康が織田政権から甲斐の国を簒奪したという説が有力説としてあるようですが。
本当の所どうなのか。個人的には織田家の臣下では無いものの「織田配下大名」
だった家康がそんな行動に出たとは到底思えないのですが…
0064人間七七四年
2011/02/21(月) 17:12:35.00ID:nCRK6nxC本能寺後は、国人一揆に取られました。ので織田領では、ないよ。
甲斐の守護は、河尻さんですが殺されたからね。
空白地帯をてに入れた状態です。
0065人間七七四年
2011/02/21(月) 17:21:24.25ID:1Kf+Wsc+当時、織田政権は機能していなかった
武田旧臣が煽った反抗で統治者が屠られてしまい、織田軍閥所属の部下は逃亡、無政府状態に陥っていた
国主不在状態の甲州を併呑したものであり、織田政権から奪ったというような性質のものは皆無
家康が甲州で吸収した豪族・武将は武田と関係があった者たちであって、織田旧臣ではない
(甲州事情とは無関係に尾張三河境界地域の武将が、信長横死後に家康を頼って鞍替えした例はある)
甲州侵攻といっても派手な戦は無く、硬軟併せて従属させる工作(軟派が主流だが)に励んでいる
早い段階で岡部正綱という旧知の人物に話をつけ、武田旧臣への調略を仲立ちしてもらっている
0066人間七七四年
2011/02/21(月) 18:45:43.42ID:udtWVpV4秀吉は関白に任命されたから「豊臣政権」でもいいと思うが、
信長は官職に就いていない。
一部の研究者は「織田権力」と呼んでいるが、このほうが妥当と思う。
0067人間七七四年
2011/02/21(月) 19:14:30.34ID:Biy9vf8i0068人間七七四年
2011/02/21(月) 19:27:15.75ID:hwlKDNQT0069人間七七四年
2011/02/21(月) 19:31:31.89ID:udtWVpV4アレは電波の類。
だいたい「幕府」って言葉自体江戸時代末期にできたものだし、
信長は征夷大将軍になっていない。
0070人間七七四年
2011/02/21(月) 19:50:20.58ID:jg0m4itV当時の豊家は摂関家以上の扱いで、関白は豊家が優先する事に
なっていた。むろん歳相応の人物がいた場合だが。
当然、その扱いでは征夷大将軍の徳川家よりもずっと上になるから
明らかに家康の謀反。
なお、年齢が若い秀頼が秀吉の重臣よりも官位が低いのは当たり前だよ。
そんな事例はは江戸時代でもよくある。
0071人間七七四年
2011/02/21(月) 19:50:35.47ID:1Kf+Wsc+0072人間七七四年
2011/02/21(月) 20:49:07.71ID:Tf6pGmR1なるほど織田政権は機能不全を起こしており、空白状態の所を取ったなら家康の
の行動も織田家への反逆にはなりませんね。
信長逝去後とはいえ、織田家と不和になるような行動を家康が取るだろうか?という
疑問があったのですが、スッキリしました。
0073人間七七四年
2011/02/21(月) 21:03:03.33ID:jRkQ7A0V家康の甲信略取を好意的に評価する内容を丹羽長秀宛の書状中で書いてるよ
中央で覇権を争う織田家臣にとっても、
去就定かならぬ北条が旧武田領に勢力を伸ばすよりは
既知である家康が同地を押さえてくれた方が良かったんだと思う
0074人間七七四年
2011/02/21(月) 21:29:16.14ID:Tf6pGmR1そういった内容の手紙があるんですね!
柴田、丹羽、羽柴といった織田家重臣達にとっては、家康は信長体制下
においての同僚(という言い方が適切かは分からないが)といった感じで
親近感があったんですかね。
織田重臣からも好意的に受け止められていたとなると、甲斐の国簒奪説など
どうしてそんな珍説が出てきたのか不思議です。
0075人間七七四年
2011/02/21(月) 21:31:51.02ID:y5YtIVyu滝川もボコられてるんだろ北条に
0076人間七七四年
2011/02/21(月) 21:58:47.09ID:1M8DCZEf関白は豊家が優先する事になっていたって初耳なんだけどそう言う取り決めがあったの?
あと征夷大将軍が関白に従わないといけないってのも初耳なんだけど。
だったら鎌倉時代から江戸時代までの各将軍って当時の関白に従ってたの?
当時の関白って既に空気だったと思うんだけど。あくまで秀吉が統治の理由付けに
就任しただけでしょ。実際に支配できたのは軍事力の後ろ盾があったからで。
そーじゃないとしたら家康が将軍になった頃って関白は九条兼孝だったけど
兼孝の命令に家康従わないといけなかったの?
0077人間七七四年
2011/02/21(月) 22:09:37.08ID:jRkQ7A0Vどうしても何も、甲斐の領主である河尻秀隆が、
家康のことを信用できない男と見なしてたからじゃね
家康から便利屋として遣わされた本多信俊を
「こは謀をもて我をうしなはせ給ふならん」(『徳川実紀』より)
と言って斬って捨ててるわけで
まあこれは河尻の邪推だったのかもしれないが、
その後の旧武田領接収の異常なくらいの手際の良さを見たら
事前に何らかの根回しがあったんじゃないか、
というのが家康陰謀説の根拠でしょ
自分は陰謀説に積極的に与しようとは思わないが、
だからと言って珍説と言って切り捨てようとも思わないな
0078人間七七四年
2011/02/21(月) 22:22:04.71ID:Tf6pGmR1珍説は言い過ぎだったかもしれませんね。
当時は甲斐の国も混乱状態とすると真偽のほどは永久に分からないのかもしれません。
ただほぼ信長配下に組み込まれていた家康が、織田家の不興を買うような行動を
積極的に取ったのかとなると、個人的にはそれは無いんではとは思います。
0079人間七七四年
2011/02/21(月) 22:29:24.71ID:hwlKDNQTどさくさに乗じたというのはあるだろうけど織田側から見て
徳川は同盟相手だしそんなに不愉快というほどのことはないと思うし
逆に早期の混乱鎮圧と言う意味では勝家のいうことも問題ないんじゃないかな。
0080人間七七四年
2011/02/21(月) 22:30:42.21ID:xHBT/7H40081人間七七四年
2011/02/21(月) 22:37:33.41ID:jRkQ7A0V河尻と同じ居残り組の滝川も後北条との戦に敗れはしたものの、
関東諸侯との関係は始終良好だったと言われてるからね
時勢を見る目がなく、在地領主と信頼関係を築くのにも失敗した河尻は
(旧武田家臣撫で斬りが信長の命令だったとはいえ)
評価低くならざるをえないだろうね>河尻秀隆
家康の陰謀であろうがなかろうが、一国を保てる器量の人間じゃなかったのは明白
0082人間七七四年
2011/02/21(月) 22:44:44.41ID:xHBT/7H40084人間七七四年
2011/02/21(月) 22:55:29.95ID:x3iTNekO0085人間七七四年
2011/02/21(月) 22:56:45.82ID:xHBT/7H40086人間七七四年
2011/02/21(月) 23:04:13.81ID:jg0m4itV秀吉が関白につけたのも、当時の関白のありかたに関する混乱に乗じて
だが、その際に秀吉は関白職は一時的なものですぐに返すような事を
示唆したが、秀次につがせる事で反故にし、豊家で世襲していくものとした。
それと現実はどうにせよ、朝廷の官職の順位上、征夷大将軍は関白の下につくものだろ。
関白の命令は天皇の命令なんだぜ。どう考えても征夷大将軍が上回る事はない。
(まぁそれも軍事力の背景がないとたしかに形式論にすぎんがな)
豊家は天皇の代理人であり、公家、武家等、全ての臣下の頂点を出せる家。徳川家は武
家の頂点をだせる家。どちらが格上かはわかるだろう。まして徳川家は豊家に臣下の礼を
取っている。だから徳川家が豊家を滅ぼしたのは謀反
1615年以前までは豊家は奥州や西国大名の家政に干渉したり、領地安堵をしたりした
二重公儀制ではあったけれど、家康が欲をだして難癖つけて汚名をかぶってでも滅ぼした
ってのが現実だろう。
0087人間七七四年
2011/02/21(月) 23:11:01.09ID:pVcZK2fg0089人間七七四年
2011/02/21(月) 23:19:31.70ID:ydpig5yk0090人間七七四年
2011/02/21(月) 23:20:10.11ID:76ISbdSkまして当時は武士が統治していた軍事政権とも呼べるわけで。
0091人間七七四年
2011/02/21(月) 23:27:54.36ID:jg0m4itVそうでもなければあんな恥ずかしすぎる難癖つけんだろう。
たぶん1615年間近になるまで滅ぼすつもりは毛頭なかったんだろうと思う。
幕府が諸大名に大坂への伺候を勧めていたんだぞ、それまではな。
秀頼が諸大名率いて滅ぼしに来る事を恐れたのかはわからないが、なにか
心変わりがあって慌ててああいうことをしたのだろう。
0092人間七七四年
2011/02/21(月) 23:42:56.40ID:hwlKDNQTずっと機会を伺ってて丁度旧家臣がいなくなったから
満を持してってとこじゃないかな。
それまでにまず自分とこの政権安定のためにやることはいっぱいあったし
中途半端に仕掛けても自分の死後磐石の体制が出来なかったら意味がない。
恥ずかしいナンクセも子孫のために最後の大仕掛けってとこだと思う。
それと秀頼は満足に外にも出られないような人間だから
諸大名率いるとかそういう心配はまずしてなかったんじゃないかね。
もちろん想定はしてたろうがやってきてくれるならかえって助かるぐらいでね。
0093人間七七四年
2011/02/21(月) 23:43:09.36ID:8o4E8fNA0094人間七七四年
2011/02/22(火) 00:03:06.29ID:7d7nujMd豊臣政権下の織田家みたいに
そうすれば豊臣家は存続できたし家康もタヌキと言われなかったのに
0095人間七七四年
2011/02/22(火) 00:24:16.24ID:IUJiOZqT在地領主との関係を築けなかったという意味では、川尻だけでなく森も滝川も変わらない
というか、勝利者として入って三ヶ月で本能寺では、関係を築くも何もない
どこもまだ戦後処理の途中、これから新たな体制を構築していこうという矢先のことだったのだろうから
本能寺(のようなイベント)が、せめて一年後くらいにおきていたら、その後の展開もまた変わっていたと思うよ
極端な話、家康だって北条征伐のあと、関東入府して三ヵ月後に上方で異変勃発、
中央政府が消滅して戦乱再開なんて状況に直面していたらさあどうなっていたか
0096人間七七四年
2011/02/22(火) 04:35:11.24ID:FzBv38QZ0097人間七七四年
2011/02/22(火) 08:00:01.07ID:02LVVuGa滝川は築いてるよ>在地領主との関係
与力の関東諸侯と茶会を開いたりしてるし、神流川の戦いで
後北条に敗れた後も諸侯は滝川との別離を泣いて惜しんだとされる
だから領地を失ってもとりあえず生きて上方に帰れたわけで
ここらへんの流れは斎藤慎一氏の『戦国時代の終焉』を参照してね
河尻と同じく武田狩りに参加して恨みを買った森は、
危険な新領に執着せずに即座に帰国するという見切りの早さを見せている
後世の立場から気楽な論評を加えることを
許していただけるなら、河尻は愚直過ぎる
信長に旧武田家臣を虐殺しろと言われれば素直に従うし、
戦後甲斐一国を宛てがわれたら幾ら危険でもそこに居座って命を失う
信長に忠実である分信長から見れば信頼できる男であったろうが、結局は裏目に出た
家康は旧武田家臣を適当に保護してその後の領国経営に役立ててるし、
秀吉だって延暦寺焼き討ちのときは撫で斬りの指示に従わず慈悲を見せてる
そういう柔軟なところが河尻にはなかった
0098人間七七四年
2011/02/22(火) 09:05:52.77ID:7d7nujMd0099人間七七四年
2011/02/22(火) 09:23:48.52ID:IUJiOZqTそういった傾向がなかったとは言わないが
信長も川尻も、少なくとも降伏や帰順を求めたものを殺すようなことは例外(小山田)を除いてしていない
あくまでも未だ抗戦しているものを捕らえて処分しているだけ(逃亡中というのは降伏していない以上追跡するのは当然)
そもそもね、川尻に対して旧臣が蜂起したとか、徳川が入国したら従ったという時点で、
甲斐国内にそれだけの数の旧臣が虐殺も弾圧もされず残されていたという証拠なんだがな
少なくとも、期間が短すぎるので一概には言えないが、残されている川尻の甲斐における文書をみると、
逃亡して捕獲した者の処刑を命じる書類や、あるいは甲斐豪族の所領安堵の書状はみつかるが、
わざわざ無抵抗のものを虐殺した、命じた一次資料はない
残された書状から伺えるのは、抵抗を続ける者は討伐し、降伏帰順したものには所領を認める
通常の戦後処理の活動しかない
そもそも本気で一国の勢力を虐殺しつくすつもりが織田にあったのなら、川尻とその手勢だけを残すなんてしない
伊賀や越前のように、大軍を導入して一万二万と殺しつくして、大勢の武将を駐留させて押さえつけるだろう
あと、秀吉の叡山について慈悲とか柔軟とか言っているけど、仮に叡山ではそうやって慈悲を見せたかもしれないが、
その後の越前一揆根切りでは光秀と協調して虐殺におおいに行っているし、播磨でも見せしめでやっている
0100人間七七四年
2011/02/22(火) 10:12:18.80ID:6Pdx0oXm0101人間七七四年
2011/02/22(火) 10:59:51.11ID:cBU11ePX0102人間七七四年
2011/02/22(火) 11:14:54.86ID:IDJgWofi正しく地盤固めという言葉がぴったりです。上記の各意見を参考にさせてもらうと
家康はそれを織田家の意向に適する形で行っているということになるのですね。
しばし後の信雄の対秀吉出兵要請に応じたのを見ても、この当時の家康はあくまで
織田体制内の所属大名として振る舞っているように見えます。
信雄が仮に織田家督に就いたとして、家康は本能寺前の信長に対してと同じように
「配下大名」として接し続けたのでは?と本気で思えてきます。
この頃の家康の目標はあくまで「東海地方の太守」であり、後のような
「天下人」を目指す意思は全く無かったように思えます。
0103人間七七四年
2011/02/22(火) 11:17:00.59ID:Ct/6pVdr0104人間七七四年
2011/02/22(火) 11:29:34.81ID:7d7nujMdあの時点っていうか家康には「天下人」を目指す意図は後々もなかったような気する
あくまで自家の安泰が第一
関が原も大阪の陣も「やらないと滅ぼされるかもしれない」という強迫観念に突き動かされて
0105人間七七四年
2011/02/22(火) 11:29:52.07ID:JS8lf3gF0106人間七七四年
2011/02/22(火) 14:08:49.69ID:+JFfiCrKダメなら独立して今川同様織田に牙を向いて攻め取ることもしたかもしれない
実際には織田家臣が仇討ちに成功したものの家中は内ゲバ三昧の混沌
はたから見てたらこいつらは一体何がしたいんだって迷うのはわかる
同盟してた織田という組織が生きているのか死んだのか審議中だった家康
0107人間七七四年
2011/02/22(火) 15:37:56.65ID:qFuGpqdW甲斐信濃:川尻
北陸:柴田
尾張伊勢:織田
近江:サル くらいしか思いつかないから
美濃と近畿と中国四国地方や信長光秀領は、無法状態?
0108仙台藩百姓
2011/02/22(火) 17:48:48.60ID:5O48GOX7討って出ようとしたけど出来なかったのだお( ^ω^)
明智討伐の為に鳴海まで出て来て尾張、美濃、伊勢辺りの諸将に
「明智討つから協力してお( ^ω^)」と交渉してたら
秀吉の使いが来て「もう終わったから帰っていいお( ^ω^)」と言われてしまったからすごすごと帰るしかなかったのだお
家康が出兵の準備して協力者探している間に
秀吉は毛利と休戦して清水宗治に腹を切らせ
例の大返しで上方まで取って返しつつ諸将を次々取り込んで明智を討ち
更に尾張に出て来た家康を牽制して追い払ったわけだお( ^ω^)
それで家康は逆方向に進むしかなかったのだお( ^ω^)
この時点で家康は早々と中央の争奪戦から脱落したわけだけど
まあ、家康が無能というより秀吉が異常過ぎたのだお( ^ω^)
0109人間七七四年
2011/02/22(火) 21:51:46.75ID:R/GNsBa6あの時点ではもはや同盟じゃないだろ。
織田家中ほどでなくても、支配されていた関係が正しいと思う。
家康は信長に加増されているからなぁ。
それが家康が信長に事実上臣従していた事にほかならないでしょ。
0110人間七七四年
2011/02/22(火) 22:13:23.57ID:17OSaXx/いろいろとごっちゃにしているところがあってアレだが…
甲斐:河尻(織田臣下)が踏みとどまるが、結局討死
北信濃:森(織田臣下)が放棄したことでゴチャつく。隙を突いて真田(旧武田傘下豪族だが、主家滅亡で織田傘下に)が若干食い込む
中信濃:木曾(旧武田傘下豪族だが、能動的に織田傘下へと鞍替えしていた)が踏みとどまるものの、内乱で勢力後退
南信濃:毛利(織田臣下)が放棄、逃亡。後に徳川が接収
上野:滝川(織田臣下)が北条(独立勢力)と対決、敗北して逃亡。現地の有力豪族・真田とは良好な関係だった
真田は滝川逃亡後、独立勢力化
伊勢:織田信雄の基盤があるが、滝川の本拠もここ。後に秀吉と戦うことになる
美濃:織田傘下に入っていた領主同士が争うカオスも発生
東中国:羽柴(織田臣下)が掌握
西中国:毛利(独立勢力)領有で、織田には従えないと態度を硬化させていた(足利義昭を保護していた都合?)が、
信長死後は一転して秀吉に従属。秀吉の大きな味方となる
四国:最大勢力は長宗我部(独立勢力で、織田に攻められる直前だった。信長横死によって四国侵攻が流れたため、四国完全制圧に乗り出す
0112人間七七四年
2011/02/22(火) 22:31:41.01ID:02LVVuGa決戦前から近畿の諸侯に信長生存の書状を送って味方に付け、
山崎の戦いが終わって数ヵ月後には山城で検地したりしてる
家康も遅くはないが、ここらへんの秀吉とは比較にならない
0113人間七七四年
2011/02/22(火) 23:37:39.90ID:W+grz21Kそれでおしまいだったんじゃないの?
スムースに行ってたら、サルが幼児操りレースに勝っただけか。
0114人間七七四年
2011/02/22(火) 23:51:56.45ID:wQjO0JnSそれができりゃ苦労しなかったんじゃないかな?
主君の敵を討った筑前は名声を高め、
その勢いは留まるところを知らなかった。
もはや信長の子という肩書きだけで抗うことなど
できないところまできていた、という感じかと思う
0115人間七七四年
2011/02/23(水) 00:03:20.95ID:/QqntYp10116人間七七四年
2011/02/23(水) 00:12:40.82ID:rLXri9Yy大差ないな。
大義名分は殿下の御前で不埒な言動があったとかいって。
0117人間七七四年
2011/02/23(水) 01:05:49.97ID:gzx6xsVr0118人間七七四年
2011/02/23(水) 01:17:45.47ID:OYBDPVhx0119仙台藩百姓
2011/02/23(水) 08:41:05.49ID:1y/lzSpl協力して織田家を復興させれば秀吉も付け入る隙がなくて難儀したものを
つまらない色気出して潰し合い始めるから羽柴、柴田、徳川といった連中が
織田家を差し置いて勢力広げる口実を作ってしまったお┐ (´ω`) ┌
無能なのに欲だけ人一倍な駄目駄目パターンだお┐ (´ω`) ┌
0120人間七七四年
2011/02/23(水) 11:39:32.27ID:GJglO8VJ最大のライバルが消せるじゃん。
秀長と黒官と三成が死に物狂いで弔い合戦するか?
0121人間七七四年
2011/02/23(水) 12:04:46.01ID:ziyw2Sdlじみてるとするなら単純に叔父2人のアホな跡目争いというより
秀吉がうまくそそのかした&介入したみたいなほうがわかりやすい。
信孝切腹をあれは信雄の命で秀吉は関係ないみたいにいうのも多いが
秀吉ぐらいのレベルだと普通に信雄あたりをうまく利用したというほうが
その後も一貫してる。
結局三法師に譲らなかったし。
叔父たちがおろかなのはそうだろうが秀吉に目をつけられた時点で
相手が悪かったというのもあるだろかな。
信孝はすぐに秀吉の悪意?に気づいてるようでもあって
このあたりはそう凡庸とか愚かとも思えない形跡もあるが。
0122人間七七四年
2011/02/23(水) 13:08:02.64ID:QCW6C//5強権発動して徳川を移封させながら、過大な封土をあてがうとは。
逆に過大な封土を餌に移封させたというべきか。
上杉も過分な加増で会津に移封させたが、現状維持での移封では了承得られなかったというべきか。
朝鮮侵攻の大失敗といい、秀次粛清といい、
家康は秀吉の失政のお陰で天下を取れたといっても過言ではない。
0123人間七七四年
2011/02/23(水) 14:39:01.14ID:/QqntYp10125人間七七四年
2011/02/23(水) 16:47:42.86ID:/QqntYp10126人間七七四年
2011/02/23(水) 17:12:44.49ID:4BEyYvUL0127人間七七四年
2011/02/23(水) 17:13:59.24ID:/QqntYp1最後まで戦って自害?
武田には勝てないと降伏?
0128人間七七四年
2011/02/23(水) 19:33:11.01ID:2nniHNQL秀吉は光秀のお陰で天下を取れた。こんなの小一でも知ってるレベル。
では光秀が命令通り備中に向かってたという設定で、秀吉が天下を取れる手段をシュミレートしてくれないか。
0130人間七七四年
2011/02/23(水) 20:12:23.51ID:/QqntYp10131人間七七四年
2011/02/23(水) 20:17:55.57ID:2nniHNQL何故そうなるのか、順序たてて説明してみてくれ。
できなければ単なる小一レベルの空論。
0132仙台藩百姓
2011/02/23(水) 20:29:05.38ID:1y/lzSplギネスに申請するべきだお( ^ω^)
0133人間七七四年
2011/02/23(水) 20:38:34.91ID:2nniHNQL0134人間七七四年
2011/02/23(水) 21:34:09.44ID:fiDA7dWn家康は秀吉の失政のお陰で天下を取れたってのは小一レベルかどうかは知らないけど
少なくともこのスレにくるくらいの人なら当然知ってるレベルの話。
つまりそちらの言い方を借りるとご高説を垂れてるように見えて実はそれ小一レベルのことを
言ってるだけだよってこと。
歴史上の成功者なんざ運が強かったのは当たり前でその上でその運を生かせたから
すごいって話でしょ。秀吉の失政の恩恵?を得られたのは家康だけじゃないんだから
じゃあなんで他の大名は天下取れなかったんだよってなっちゃうよ。
0136人間七七四年
2011/02/23(水) 21:38:42.67ID:LxqQAL4z自滅しそうで良かったんだろうなw >清洲会議
0137人間七七四年
2011/02/23(水) 21:46:25.67ID:rLXri9Yyただの狸じゃん
逆臣だしな。
0138人間七七四年
2011/02/23(水) 22:07:53.32ID:IZLYWdbE少なくとも、反体制の動きを示した大名はいないよね?
そこに家康を謀反人やら逆臣呼ばわりする事に違和感があるんだよねぇ。
実際、史家の間でその呼称を使用している人はいるの?
要求されてもいないのに、やたら資料を持ち出す秀吉信者の人がいるけど、
是非聞きたい。
いやマジで。
0139人間七七四年
2011/02/23(水) 22:18:32.06ID:/QqntYp10140人間七七四年
2011/02/23(水) 22:20:29.72ID:rLXri9Yy>そこに家康を謀反人やら逆臣呼ばわりする事に違和感があるんだよねぇ。
そりゃたんに贔屓だろ。
事実、家康は誓紙をだしていたし、出奔したわけでも追放されたわけでもないので
家康の主家は豊家であった事には変わりはない。その主家を滅ぼした。だから謀反。
簡単な理屈じゃないか。
まぁ家康の選択も理解できんわけでもないがな。
最近の研究じゃ大坂の役まで二重公儀体制であった事がわかってきており、通説の
ような徳川絶対有利とはいえない状況だった。
大坂の役は一歩間違えれば「江戸の役」になっていたんだから、やられる前にやる
ってことだったんだろう。
0141人間七七四年
2011/02/23(水) 22:22:53.32ID:OfXqSk7S福本日南がその著作(例えば『大阪陣』)で
「野心の権現」「老賊家康」と散々家康の所業を非難してますね
ま、日南は近代的な歴史研究者じゃなくて
頼山陽とかその流れに居る「史論家」だけど
これで満足ですか?
0142人間七七四年
2011/02/23(水) 22:23:39.22ID:icZwA7nc0143人間七七四年
2011/02/23(水) 22:30:42.99ID:OfXqSk7S戦前の歴史家ならともかく、現代の研究者が地の文で
歴史上の人物を逆臣とか謀反人呼ばわりはまずないわな
まあそういう人も居ないではないが、逆にマトモな研究者扱いはされてない
0144仙台藩百姓
2011/02/23(水) 22:36:06.45ID:1y/lzSpl関ヶ原で反家康派を殲滅して成立した政権なのだから反対派なんか居るわけないじゃんお( ^ω^)
残った連中は「共犯者」なのだから家康を非難したらブーメラン状態になるし
むしろその話題に触れないようにするのは当たり前だお( ^ω^)
それにしても家康が謀反人なのは当たり前過ぎてあまり関心持たれていないけど
よく考えると家康は生涯に3度も反乱起こしているのだおね( ^ω^)
何気に松永や宇喜多等に匹敵する謀反家だったりするお( ^ω^)
0145人間七七四年
2011/02/23(水) 22:43:14.99ID:LxqQAL4z0146人間七七四年
2011/02/23(水) 22:43:34.34ID:/QqntYp10147人間七七四年
2011/02/23(水) 22:44:40.43ID:IZLYWdbEいずれも、背信的な意味合いを持つ表現ではないですね。
>>144
『親家康』と『反豊臣』は同義ではないでしょ。
所謂恩顧連中なんかは、反対したって良い立場だよね。
0148人間七七四年
2011/02/23(水) 22:56:32.04ID:OfXqSk7Sいや、読めば分かるけど太閤秀吉との誓約を破って
政権を簒奪し、挙句の果てに秀頼を弑逆した家康のことを
口汚く罵ってますよ?
>後に権現とは如何にもふさはしい称号を贈られた。
>彼野心の権現たる家康は陽に謙譲を装うて(以下略)
>彼老賊家康が簒奪の野心は、太閤の薨去後一日も息む時なく(以下略)
ずっとこんな感じで引用するのも嫌になるくらい
完全に謀反人呼ばわりです
>>144
さすがに百姓閣下は良いこと言うね
ただ家康の反乱は2回じゃないかな
今川と豊臣を滅ぼしたので計2回
足利将軍家に背いたのは信長の尻尾に付いていったからだから、
むしろその「忠臣」振りは道義的に賞賛されるものだしね
その旧主信長の嫡孫秀信を虐め殺したのも
一応豊臣家の為に仕置をするという建前があったし
0149人間七七四年
2011/02/23(水) 23:02:55.43ID:/QqntYp10150人間七七四年
2011/02/23(水) 23:22:28.64ID:sihBS1Kl晩年、家康は信長の事を語った事がないので嫌いだったと言われているが。
0151人間七七四年
2011/02/23(水) 23:27:49.12ID:RLnjtbT+読んでないから断言出来ないんだけど。
歴史研究の書ではなかったような気が・・・
0152人間七七四年
2011/02/24(木) 00:05:01.29ID:bwxrYyv30153人間七七四年
2011/02/24(木) 00:07:08.96ID:Xn/095IT五大老の四人は親豊臣で、天下に野心持ってたのは家康ただ一人。
日本一の大封土を有し、秀吉没後は政権中枢で政務掌握。
しかも豊臣恩顧の大名は朝鮮の役で修復不可能な内部分裂で、政権後継者は未だ幼児。
よって秀吉失政の恩恵を得られたのは家康ただ一人。
この程度、少なくともこのスレにくるくらいの人なら当然知ってるレベルの話。
じゃあなんで他の大名は天下取れなかったんだよって疑問は、
実はそれ小一レベルのことを言ってるだけだよってこと。
0154人間七七四年
2011/02/24(木) 00:25:19.98ID:Xn/095IT本能寺の変後の甲斐信濃併合で一目瞭然。
秀吉と同じ穴のムジナ。
0155人間七七四年
2011/02/24(木) 00:48:25.60ID:/VQjbXiiどう見ても徳川一人を巨大化させた秀吉は馬鹿としか思えん。
同意だな。あれだけ頭の良い人間だったのに失策だわ。
対人関係では秀吉は信長を反面教師にした部分があると思うから懐柔のつもりだったんかもしれんが。
家康に野心とその機会をわざわざ与えたようなもん。
0156人間七七四年
2011/02/24(木) 00:49:15.61ID:CEsY1/pD0157人間七七四年
2011/02/24(木) 01:02:21.72ID:bwxrYyv3佐々成正方式みたいに
0158人間七七四年
2011/02/24(木) 01:09:16.46ID:QODCOKOr0159人間七七四年
2011/02/24(木) 01:22:00.80ID:vzeQVJ8T>豊臣恩顧の大名は朝鮮の役で修復不可能な内部分裂で、政権後継者は未だ幼児
なんだ軽く臣従してただけの家康公が
織田家に100%持ち上げてもらったサルと同じ事しただけじゃんw
0160人間七七四年
2011/02/24(木) 02:00:40.57ID:bwxrYyv3100万石もらっていた家康が軽くってw
豊臣恩顧の典型じゃないか
0161人間七七四年
2011/02/24(木) 02:07:20.06ID:vzeQVJ8T物価半分以下で実質昇給なんだからありがたく思えよ( ´,_ゝ`)
0162人間七七四年
2011/02/24(木) 03:55:58.37ID:r8ik/6DO秀吉末期はちょっとおかしくなってたからあれだけど
本気で家康を頼ってたんだろかと思うとちとウルウルくる。
幼子を案じるのは親として当然だしね。
だからそれを聞いてた家康が実際にどう思ってたかが重要だろな。
100万石もらったのを恩とか忠誠を誓ったとかいうけど
死後にいきなり豹変するどころはもしかしたら小牧以後
メチャ腹に据えかねててマジ復讐モードだったかもしれん。
長い人生思えば10年ぐらい辛抱するのはよくありそうなことだし。
だから秀吉最後の懇願を「おませあれ」と言っておいていけしゃあしゃあと
裏切るところはタヌキオヤジどころかそのしつこさしぶとさすら感じる。
あれだけの人間なんだから普通のお花畑的に長生きしたらたまたまチャンスが
きただけみたいな考え方はどうもしっくりこないな。
これは悪口じゃなくて偉人と言うのは常識じゃ理解不能なものだろうという
家康への反語的褒め言葉ではあるんだが。
0163人間七七四年
2011/02/24(木) 05:52:41.58ID:Xwgt6pEa0164人間七七四年
2011/02/24(木) 07:48:40.27ID:BmXu6cq1著者が歴史に対して批評を行う「史談」というジャンルの作品
まあ今でいう歴史エッセイみたいなものかな
歴史書ではあるが、実証的歴史研究の書ではないね
小説ではない
>>161
秀吉が度量衡を統一したおかげで
日本全国どこでも一石は一石ですよ?
3割減俸でも物価半分以下だから実質昇給とかギャグですか
何というかこのスレって頭悪い例えが多いね
0165人間七七四年
2011/02/24(木) 08:16:52.24ID:dTj/Ke1eもっと客観的に見れば良いのに。基本どんな大名でも功罪どちらもあるだろ。
あと現代人の感覚で当時の人を悪者認定する奴多すぎ。
0166人間七七四年
2011/02/24(木) 09:35:35.84ID:2v96ulqA形ばかりの加増→名目減俸実質昇給
に置換えただけなんだが、おバカちゃんには理解出来ないかw
0167人間七七四年
2011/02/24(木) 09:42:37.63ID:Kay9KJiT山岡荘八や、司馬遼太郎が歴史に対し主観で論評をしても史談だね。
歴史書の位置付けはかなり強引だな。
0169仙台藩百姓
2011/02/24(木) 10:15:16.38ID:4TopYcTZ有史以来、主殺しや反乱が悪ではないとされた時代など存在しないお( ^ω^)
0170人間七七四年
2011/02/24(木) 10:30:35.55ID:Kay9KJiT古今東西を問わず。
0171人間七七四年
2011/02/24(木) 10:52:41.15ID:2v96ulqA理解できないと思うw
0172人間七七四年
2011/02/24(木) 11:04:47.89ID:prUsXaeEそれは湯武は謀反にあたらないからなんじゃないのかと
0173人間七七四年
2011/02/24(木) 11:09:39.09ID:CEsY1/pDそれが家康
0174人間七七四年
2011/02/24(木) 11:17:42.06ID:YDWpQFOt0175人間七七四年
2011/02/24(木) 12:43:09.73ID:Xwgt6pEaぼくちんの大好きな武将を
滅ぼした・減封した・百万石のお墨付き反故(笑)にした家康ユルサナイ!
じゃね?
0176人間七七四年
2011/02/24(木) 14:29:43.56ID:sarzlXuX大谷形部?
0177人間七七四年
2011/02/24(木) 15:09:57.52ID:HHXKSYik生き残ったとしても処刑にはせず、切腹を申し付ける展開にもならなかっただろうな
惜しんだということなら、高天神城奪回に伴う処遇か
高天神城は徳川勢に加担していた時期があり(遠州小笠原氏所有)、重鎮は顔見知りだった
勝頼がガムシャラに高天神城を攻めたときは、信長の意向もあって見殺し
結果、城ごと降伏したんだけど、解放されて徳川領に帰還した者もいれば、
見捨てられたことで不信感を抱き、武田勢に従うことにした者もいる
城主の小笠原氏は後方へ移住させられたけど、代わりに高天神城へ入ったのは、
またしても家康の知り合い(今川傘下当時の同僚)
長篠合戦後、急速に武田勢が衰えた事態に乗じて高天神城奪回戦を起こしたけど、
ここにも信長の意向があったのか、捕虜は取るなという方針で攻めた
それで守備勢の降伏を認めず、元同僚を討ち取る
0178人間七七四年
2011/02/24(木) 19:10:36.15ID:BmXu6cq1後北条五代が治績を積んだ肥沃な関東平野が中東?
名目減俸実質昇給って関東移封は名実ともに100万石の大加増だけど?
頭悪い例えをするだけじゃなくて本当に頭悪いんだね、君は
>>167
上で言ったように質的には現代の作家が記す
歴史エッセイと大して変わらんよ(量的にはだいぶ違うが)
当時は日南含め、山路愛山や徳富蘇峰の
軍記や説話集に大きく依拠した史談が歴史書扱いされてたわけで、
まあそういう時代があったとしか今となっては言えない
0179人間七七四年
2011/02/24(木) 19:29:25.14ID:/VQjbXiiそれならどうして同じ事が家康にもありうる事が想定出来なかったんだろう。
幾ら恩があっても天下が手に届く位置にあればそんなもの鼻紙に出来るというのは
自身が一番よく知っているのに。
0180人間七七四年
2011/02/24(木) 20:37:45.74ID:dZYYj3IQならば考えないようにするだけ
秀頼は自分の子ではないんじゃないか、ということも考えないようにしていた
0181人間七七四年
2011/02/24(木) 20:41:32.77ID:CEsY1/pD0182人間七七四年
2011/02/24(木) 21:00:08.43ID:BmXu6cq1その家康に秀頼=千姫の縁組を命じたりと
豊臣家存続のために色々と考えて実行はしている
ただ最後は病床で有力大名の慈悲に縋るしかなかったのが現実なんだよね
0183人間七七四年
2011/02/24(木) 21:07:47.85ID:/VQjbXii信長はケチだったらしいから自分は奮発とたのかもしれんが。。。。
0184人間七七四年
2011/02/24(木) 21:18:56.15ID:RbY0wy1k秀頼が生まれて大慌てでシステム作りを始めたが、時既に遅し。
豊臣政権の基本法とも言える御掟・御掟追加を有力大名である五(六)人
に豊臣政権の代表者として発布させ、そのトップである家康と利家には
決定事項に際し、お互いの承認に加え奉行の承認も必要とさせた。
短期間で作ったにしては大したものだが、時間が足りなかった。
0185人間七七四年
2011/02/24(木) 21:39:52.71ID:CEsY1/pD0186人間七七四年
2011/02/24(木) 22:22:25.41ID:rsIjj//T一番損してるのは信長かな。
0187人間七七四年
2011/02/24(木) 22:22:38.61ID:mLAdOJ6v0189人間七七四年
2011/02/24(木) 22:34:24.15ID:qyzEC6lm0190人間七七四年
2011/02/24(木) 23:02:16.21ID:CEsY1/pD0191人間七七四年
2011/02/24(木) 23:24:22.29ID:qtbFicKB堺、博多の商人は、武器を扱う死の商人も兼ねてるやつが多いから大半はアウト
百姓は、落ち武者狩りと小荷駄隊の役得である乱取りをやりまくってるからアウト
0192人間七七四年
2011/02/24(木) 23:26:57.66ID:bwxrYyv3快楽、私利私欲のためはアウトだろう
0193人間七七四年
2011/02/24(木) 23:58:43.12ID:pN+KLSrc中東が嫌なら現代の中韓でも良いぞ。
どちらも関東より早い何時間かで行けるけどなw
0195人間七七四年
2011/02/25(金) 01:07:46.47ID:+NwLQc9C10000を500で食い止めたってのは流石に信じてないけど
0196人間七七四年
2011/02/25(金) 19:48:49.94ID:3+8qHJoL信長包囲網が築かれた時彼の味方は徳川家康1人状態。
武田家の脅威があるにしろ信長と手を切って武田と同盟を結ぶ手もあった。
最終的には信長はその包囲網を破って天下統一へ驀進するが、それは結果論で普通に
包囲網が作られた時あれだけ敵に囲まれた信長と同盟を維持し続けたのが不思議で、不思議で。
0197人間七七四年
2011/02/25(金) 20:05:53.86ID:PBhje8bX尾張から攻められるとあっさり終わりだから
0199人間七七四年
2011/02/25(金) 20:23:45.06ID:MnZpgjc1包囲網も我々が思ってるより織田をピンチに出来てなかったとか。
というか包囲網って言っても実際に連携取ってるわけじゃないから網じゃないよね。
0200人間七七四年
2011/02/25(金) 21:47:47.66ID:5wpP3lwM豊臣に対しては例外
だからこそ効果絶大だったわけだ
0201人間七七四年
2011/02/25(金) 21:55:32.44ID:zJ+Uav/A0202人間七七四年
2011/02/25(金) 22:14:47.23ID:lCcEZZIc裏切らなかったら滅びてた
0203人間七七四年
2011/02/25(金) 22:19:11.73ID:VxpavJiq0204人間七七四年
2011/02/25(金) 22:36:03.92ID:PC5b0AChまあ合戦のあった年すらはっきりしない時点で、何となく胡散臭い感じはするね
この時期の松平って江戸時代に入ってからの資料に拠るところが大きいが、
『武徳大成記』(とそれを採用した『徳川実紀』や『改正三河後風土記』)
では永正三年(1506年)八月二十日としているのに対し、
『柳営秘鑑』では文亀元年(1501年)九月と徳川家の資料でもバラバラ
松平長親の今川氏親撃退を記した、おそらく最古の資料
(そして上記の資料のネタ元)である『三河物語』では年月日不明、
ただその合戦描写で「岩津之城へ押寄、四方鉄砲ハナチカケ」という、
長親と氏親が現役の時代から考えるとおかしな記述がある
鉄砲の日本伝来は近年の研究で通説である1543年より遡る可能性が指摘されてるとはいえ、
16世紀初頭の東国で鉄砲の組織的運営がされてたとはちょっと信じ難いからね
まあ結局は眉に唾をつけて聞いとくのが一番じゃね
0205人間七七四年
2011/02/25(金) 22:53:07.64ID:PC5b0ACh高天神城攻防戦で小笠原長忠を見殺しにしたりしてるね>家康
後北条との同盟も豊臣政権に臣従すると同時に反故、
それはまあ良いとしても小田原征伐で北条氏直が徳川の陣地に
太田氏房と二人きりで降伏の交渉に来たときに、
縁戚だと疑われると言うので滝川雄利の陣地に追い出したりしてる
家康の経歴で言うとむしろ信長相手にあれだけ忠勤に励んだほうが異例だね
実際は律義者どころか冷徹な合理主義者だと思うよ
0206人間七七四年
2011/02/25(金) 22:58:35.15ID:PBhje8bX0207人間七七四年
2011/02/25(金) 23:08:11.09ID:lCcEZZIc0208人間七七四年
2011/02/26(土) 00:25:05.26ID:dB2y0LmB家康の信長への忠勤振りはある意味奇異というかなんでそこまで忠犬だったのだろうと。
戦国時代なのに。
それ以外は彼は割りと合理主義者な行動をしているので余計に異質に感じるんです。
0209人間七七四年
2011/02/26(土) 00:30:34.15ID:o4CzJ7e8よく言えば、自分より上と認めた存在には逆らわない
0210人間七七四年
2011/02/26(土) 00:49:37.45ID:B5hhfIBCそりゃ逆らえば滅亡が待つのみだからだろ
0211人間七七四年
2011/02/26(土) 04:38:52.03ID:3Bou3gwbだから不人気
0212人間七七四年
2011/02/26(土) 04:46:44.24ID:tMoJnSI+切り捨てなかったことを美談にするのは構わないが切り捨てることを非難するのはどうなんだって思うわ
0213人間七七四年
2011/02/26(土) 04:48:23.66ID:z+ywQMg+0215人間七七四年
2011/02/26(土) 10:44:11.08ID:dB2y0LmB秀吉は豊臣秀吉になるまではそんなに弱いものいじめはしてないような気はするが。
晩年はな。。。
0216人間七七四年
2011/02/26(土) 11:01:58.34ID:BdQgtVdF0217人間七七四年
2011/02/26(土) 11:45:39.84ID:ZZYIeJeU当たり前じゃないの?何をそんな奇麗事をって感じがするが。
つーか強い相手に逆らいまくって大成した大名って誰だよ。
信長だって必要とあればいくらでもへりくだってただろ、初期の対武田外交みたく。
家臣抱える身で危ないことして家滅ぼしちゃったらただの馬鹿だろ。
0218人間七七四年
2011/02/26(土) 12:08:48.12ID:ubJhAwLr0219人間七七四年
2011/02/26(土) 13:19:47.20ID:wEbLrppS俺は快心の一撃を3連発食らってもへっちゃらな敵
だけが出て来るエリアでしか戦わないなw
もちろん初めは薬草持って城?の隣をウロウロw
死なない?かも知れないが、痛いの嫌い(´・ω・`)
0220仙台藩百姓
2011/02/26(土) 14:21:25.17ID:uRrJzG7G0221人間七七四年
2011/02/26(土) 15:33:27.49ID:5Ewfv5G6氏真に「織田と戦ってくれ」とせっつくのがふてぶてしい
他力本願でもあるな
つか、当時の今川が一矢報いることが可能な状態になかったことを
把握してなかったんだろうな
0222人間七七四年
2011/02/26(土) 15:46:12.61ID:g6X5SQso強いほうにつかないと生き残れないし織田より今川のほうが組しやすいと思ったんでしょ>>信長vs氏真
0223人間七七四年
2011/02/26(土) 16:27:37.11ID:ZZYIeJeUいやー、当時の人で今川が一矢報いることが可能な状態になかったことを
把握出来てた人なんて想像つかないんだけど。というかせっついて反応が
鈍かったから「あ、こりゃだめだ」と思って鞍替えしたんでは?
それに岡崎はちゃんと家康の領地だったんだから織田への押さえも兼ねて
駐留するの問題なくないか?逆に駿府まで付いていって信長が三河に
攻めてきたら誰が守るの?自分の領地奪われるくらいなら独断で動くでしょ。
領地を持たずに扶持を貰ってる身だったらまだしも土地持ちだったら
自分の領地保全>主君の命令じゃない?
0224人間七七四年
2011/02/26(土) 16:58:40.29ID:iV4OGmDI史家もいるけどなあ
0225人間七七四年
2011/02/26(土) 17:05:52.41ID:6YwmV5FN0226人間七七四年
2011/02/26(土) 17:40:45.71ID:ZZYIeJeU言い訳だろうけど前線拠点になっちゃってる身としては兵出してくれよってのは
間違ってなくね?それで兵を出してくれない→領地を守ってくれない→従うメリットない
って論理じゃないのかね。経営不振に陥った会社から他の会社に転職するのは
裏切りかなあ?まあ会社の経営者とかから見れば裏切りだろうけど。
でもおまんま食べる為には仕方ないじゃない。
0227人間七七四年
2011/02/26(土) 17:58:03.80ID:iV4OGmDIおこなわれている。
0228人間七七四年
2011/02/26(土) 18:24:45.77ID:VGxK2qNc拘束された立場から解放されてやっと自分の意思で動けるようになっただけだろ
自由意志で織田に就くか今川に就くか決めていいなら今川に就くバカはいない
0229人間七七四年
2011/02/26(土) 18:26:16.90ID:wEbLrppSおかしく成っちゃうじゃない。
0230人間七七四年
2011/02/26(土) 18:35:49.62ID:6YwmV5FN拘束とか馬鹿?
0231人間七七四年
2011/02/26(土) 18:37:06.90ID:z+ywQMg+わかってたんじゃないかに
後継がしっかりしてるならもうちと慎重になるだろ
0232人間七七四年
2011/02/26(土) 19:03:02.04ID:VGxK2qNc家臣たちは、戦のときは危険にさらされ、松平の家臣ということでひどい扱いをうけた
ここは織田と組むべき、と進言した
家康は、戦のときに自分を使ってくれたのは自分を買ってくれたのだからかまわない
家臣の扱いは自分も恨みに思っている
と言って織田と組んだような・・・
0233仙台藩百姓
2011/02/26(土) 20:34:47.19ID:uRrJzG7G忠誠を確かめるのと同時に手柄を立てさせて家中での地位を確立させる意味もあるお( ^ω^)
そもそも先鋒は名誉だし、それを酷い扱いだなんてかなり悪質な捏造だお( ^ω^)
0234仙台藩百姓
2011/02/26(土) 20:39:01.30ID:uRrJzG7G勝手に岡崎に居座っておきながら織田方の攻撃に耐え切れず氏真に泣き付いただけの話しじゃんお( ^ω^)
盗っ人猛々しいとはこの事だお( ^ω^)
0235人間七七四年
2011/02/26(土) 21:17:59.14ID:OGneR5Q3あんたの主の親父殺し弟殺しの戦国売国奴王”伊達政宗”にとっては非常識でもよ。
部下が助けてくれってって泣きついてきたら助けなきゃ、主とは言えんのよ。
嘘でも「敵討ちしましょうよ」って言われたのに腰上げなかった氏真が悪いんだな。
掛川あたりまで出張って、家康に織田攻めの先鋒を命ずれば家康も裏切れなかったろうに
0236人間七七四年
2011/02/26(土) 21:20:05.92ID:6YwmV5FN0237人間七七四年
2011/02/26(土) 21:37:17.12ID:Jt9S8F5h0238人間七七四年
2011/02/27(日) 00:17:41.50ID:rVFze9Zkこの前久能山に行ったら「源元康」名義の書状が公開されていたんだ
これ本当か?つまり独立して早々源姓使い始めたってことだよな?
0239人間七七四年
2011/02/27(日) 00:24:52.16ID:9HCAP1+x0240人間七七四年
2011/02/27(日) 00:29:09.87ID:j+1QyWiA0241人間七七四年
2011/02/27(日) 00:52:11.58ID:GtTpC/gB何から何まで信長頼み。
信長という「核の傘」の下でしか伸張できなかった凡人。
唯一のこいつの取り得は、一貫して信長の犬に徹しきったこと。
つまり、こいつ自身信長の下でなければ、戦国の世で生き残っていけないと自覚していた証拠。
0242人間七七四年
2011/02/27(日) 01:49:15.29ID:iUHwhuzYそれで最終的に勝ったんだから別によくね?それいったら前田とか織田系大名も
同じだし。というかその凡人に天下取られたんだから他の大名は凡人以下の無能なの?
0243人間七七四年
2011/02/27(日) 02:05:06.93ID:GtTpC/gBこいつが唯一見せた凄さは、長久手での神技的移動。
本陣から池田親子を討ち取ったのと、小幡城からの脱出。
これがこいつのその後の栄達を決定した全て。
関ヶ原でも勝利も運だけ。
小早川が9割、広家が1割の貢献度。
はっきり言って全て小早川頼み。
他に戦術無し。
0244人間七七四年
2011/02/27(日) 02:12:41.38ID:/lpSRlxGゲーム攻略本レベル。
0245人間七七四年
2011/02/27(日) 02:15:15.42ID:GtTpC/gB0246人間七七四年
2011/02/27(日) 02:23:30.34ID:/lpSRlxG>小早川が9割、広家が1割の貢献度。
>はっきり言って全て小早川頼み。
この辺とか、アンチでも恥ずかしくて言わないレベル。
0247人間七七四年
2011/02/27(日) 02:29:08.59ID:GtTpC/gBどうせ稚拙すぎる書き込みしかできん分際で一丁前に反論すんな
0248人間七七四年
2011/02/27(日) 09:10:01.48ID:UlTcXq+k0249人間七七四年
2011/02/27(日) 09:13:09.59ID:HybcqfvM0250人間七七四年
2011/02/27(日) 10:06:20.35ID:/lpSRlxG反論てw
>>241>>243は、論じてないもの。
話は全て抽象的で、9割だの1割だの根拠のない数値。
『徳川は運が良い』という結論ありきの妄想並べてるだけ。
戦国小説を読み始めた子供が、最初に持つ認識レベルじゃないか?
子供だったら、ゴメンね。
0251人間七七四年
2011/02/27(日) 10:28:37.43ID:UlTcXq+kこれらの言葉の意味を知りたければ
家康公の生き方を学べ
0252人間七七四年
2011/02/27(日) 10:48:04.33ID:UlTcXq+k馬印を隠し蜘蛛の子を散らすように逃げ回る徳川家康w
0253人間七七四年
2011/02/27(日) 10:51:28.46ID:arg+2gd20254人間七七四年
2011/02/27(日) 12:10:41.16ID:uuyu4HsUワンマンの信長大嫌いだから、片付けたい気持ちは分かるがw
0256人間七七四年
2011/02/27(日) 13:06:14.39ID:HybcqfvM0258人間七七四年
2011/02/27(日) 16:53:54.93ID:3ScDUqX8奴は、豊臣家の生き残りではなく、個人的名誉を満足させるため家康の本陣に乱入しただけの屑
しかも、その本陣は、すでに毛利勝永に突入されていたので自棄になって斬死しただけ。
結城宰相の嫡子松平武勇絶倫公は、ソレを見抜いたから、わざと中央突破させてやり、自分は本来の
目的。不義の子、秀頼を産み、天下騒乱の種を撒いた淀君の腹を裂き、偉大なる豊太閤殿下の名誉を
穢した不義の子秀頼の首で髑髏杯を作って花見酒を飲むために大阪城に進撃した。
しかし、毛利忠誠公勝永殿は、これを予期していたため、麾下の軍組織を維持しつつ、武勇絶倫公の鋭鋒を
挫いて、大坂城に帰還した。
忠誠公にとっては、出自がどうであれ、忠誠を誓った主君秀頼公と母の淀君に安らかな死を迎えさせるのが
自分の最後の務めだと覚悟していたのだ。
嗚呼、偉大なる忠義の烈士”毛利勝永2公の事績が、平成の世になっても、自殺志願者の真田の功績とされて
いるのは、まさに国の恥と言うべき哉
0259人間七七四年
2011/02/27(日) 16:56:26.92ID:3ScDUqX80260人間七七四年
2011/02/27(日) 16:58:18.18ID:uuyu4HsU信繁が自殺志願者集めて、死に華咲かせに突撃したのは同意。
0261人間七七四年
2011/02/28(月) 11:33:08.51ID:Gdc0dAHH過疎るのは暇潰せないからもっと嫌だな(´・ω・`)
0262176
2011/02/28(月) 18:38:40.96ID:Oigjs8Jf三河武士が共鳴できる惜しい敵将って誰?
大谷刑部と義に熱い上杉家以外で!
0263人間七七四年
2011/02/28(月) 18:52:40.64ID:0YZ21wcC突っ込んで悪いが大谷も上杉家も三河武士から共感はされてないと思うが
0264人間七七四年
2011/02/28(月) 19:55:33.29ID:6UiuCtAiやり過ぎだろう。ノブはケチだったからその反面教師かもしれんがそれにしても
なあ。。。
0265人間七七四年
2011/02/28(月) 20:08:18.00ID:4sJJ2nLv共感は思いつかないな
0266人間七七四年
2011/02/28(月) 20:58:09.30ID:PYwWl9mnみたいな武将居ないの?
0267仙台藩百姓
2011/02/28(月) 21:12:12.00ID:DGJSKc/K同じ徳川家中でさえ今川系や武田系などには敵対心剥き出しだというのに┐ (´ω`) ┌
0268人間七七四年
2011/02/28(月) 22:49:57.68ID:QFs2nvwzまぁ結果は豊家の宗家は滅亡してしまったな。
秀吉の血縁者の秀次と秀勝の子孫が残っているし、その子孫は42万石の大名
あるいは皇室だから最悪の事態は避けられたか。
0269人間七七四年
2011/03/01(火) 02:22:31.18ID:3c8IkCynまるで血液型性格判断みたいにまとめて言うのかね若い子は。
どっちが強いやら気質がどうやら歴史じゃなくて
ゲームのデータなんとかが身についてるんかいのぉ。
0270人間七七四年
2011/03/01(火) 07:29:30.66ID:alANgu7zだから二元論に走ったり現実に即してないない枠組みを考えたり○○はこうだと決め付けたりする。
まあ、相手を煽って遊んでるだけの人もいるだろうから実際にそこまでおバカな人は少ないだろうけど。
0271人間七七四年
2011/03/01(火) 08:30:48.64ID:smO8fzNIゲーム、小説、マンガ、ネットで情報を得ることを歴史を学ぶことと思い込んでいる
人は結構多そうだ
そんな当方もネット世代なので、真に歴史を学んだ経験は乏しい
0272人間七七四年
2011/03/01(火) 09:43:52.86ID:zDa6itwd近い区で聞きたかっただけなのに、、、
0273仙台藩百姓
2011/03/01(火) 10:28:52.17ID:iciU2JVoそれは軍記や家譜のみをソースとした書籍やTV番組が非常に多いのが原因だけれども
読み手も何も考えず鵜呑みにしているのも問題だお┐ (´ω`) ┌
0274人間七七四年
2011/03/01(火) 10:44:48.21ID:smO8fzNIご指摘の通りだとは思うが素人の立場からすると書籍・テレビ番組からしか
情報を得る所が無いんだよね
小中学校の授業から歴史好きになる人ってむしろ少数派では
私も歴史漫画から情報を取り込んだクチ
0275人間七七四年
2011/03/01(火) 11:43:24.33ID:alANgu7zあー、それはあるなあ。書かれた年代とか書いた人の立場とか書かれた経緯とか無視して
「これにこう書いてあるから」「この人がこういってるから」正しいんだ!!って
言っちゃう人いるしね。
>>274
別に知識の量で差別されるわけではないんだから構わないのでは?
問題になるのは自分の考えと違う人を頭ごなしに否定することと、
大した裏づけもないくせに断定することだと思うよ。
第一誰も当時を見てきた人はいないんだから状況証拠による推論にしかならんわけで。
荒らしとかは流しつつ自分と違う意見の人の理由付けを聞きながら少しずつ情報を増やして
いけば良いんじゃないかなあ。
0276人間七七四年
2011/03/01(火) 12:04:31.66ID:AE0xE213無知を自覚してないのが困る
0277人間七七四年
2011/03/01(火) 14:04:46.29ID:AHsfvcBO真田昌幸が近いかもしれないな
棟梁たる家康はストレスを溜め込むばかりだったかもしれないが、
幹部連中からは敵ながら天晴れという評価が出た
まあ戦闘に負けた側が、自分の同僚を負かした相手を評価するのに、
「敵ながら天晴れ」というのも違和感があるが
0278人間七七四年
2011/03/01(火) 17:05:02.12ID:wMkG6K2s考えるのも若い人特有じゃないかな。
レキジョっぽいカキコはとにかくレベルがどうとか
そんな話ばっかり。
そういうのに限って読んだ本と言うのは司馬さんだから始末に
おえん。
知識の量で差別するというのは困ったもんだよな。
あんたが一番詳しいんかいと言ってやりたいわ。
0279人間七七四年
2011/03/01(火) 20:37:47.13ID:Azqxmbodそれってタダ強かっただけじゃ無くて?
義を貫いて散ったとかが欲しい。
0280人間七七四年
2011/03/01(火) 21:39:55.20ID:AE0xE2130281人間七七四年
2011/03/01(火) 22:26:45.52ID:/pDUUNLx0282人間七七四年
2011/03/01(火) 23:04:19.96ID:/2YO2nMq「敵ながら天晴」ですらない
0283仙台藩百姓
2011/03/02(水) 09:01:28.08ID:bsx5kLCv義とは体制から見た正しい行いであり、己の名誉を守るものだお
それは人道から見ては必ずしも正しい行いではないお( ^ω^)
上杉(長尾)などは義に固執するあまり人道を失った端的な例だお( ^ω^)
0284人間七七四年
2011/03/02(水) 09:53:06.81ID:0sDvv03Z0285人間七七四年
2011/03/02(水) 21:52:52.07ID:MFPhcqhP関東以前の領地にしたって信長に加増されたり、火事場泥棒しただけで実力でとったといえるのは
数えるほどしかないでしょ。
その上、利用した他人、仮にも主人を騙して攻め殺したんだから印象悪すぎだよ。
0286人間七七四年
2011/03/02(水) 22:06:15.30ID:/f7Vzpfj0288人間七七四年
2011/03/02(水) 22:54:47.49ID:8MiB+WMjその手の論理だとどんな大名でも運が良かったとか相手が弱かったとかいくらでも
貶められちゃうから意味ないよ。
そもそもスポーツじゃないんだから負けたほう、騙されたほうが悪いよ。
家康が印象悪いってのならそれに負けた、従った大名は馬鹿って印象で良いのかな。
0289人間七七四年
2011/03/02(水) 23:02:30.22ID:MFPhcqhP>そもそもスポーツじゃないんだから負けたほう、騙されたほうが悪いよ。
戦国時代をカオスかなにかと勘違いしちゃいないか?
家康にしたって主人を攻め潰す事の是非を識者にとうてるし、そもそも大義名分をたてるというのは
負けたほうが悪い、騙されたほうが悪い、なんて理屈は通らんからやっている事わかってる?
おれがむかついたから戦争ふっかけます、では民心は離れるんだよ、当時でもね。
0290人間七七四年
2011/03/02(水) 23:07:38.64ID:MFPhcqhPそれと、別に運だけの戦国大名がいてもいいと思うぞ。
そうだ、基本的に家康は大半が運の男だと思う。
でも戦国時代では結構それがおおきいわけで。
家康に実力があったのかは疑問符はつくが、運は確実にあったろう。
0291人間七七四年
2011/03/02(水) 23:11:56.37ID:2adm7nMu民心が離れても「勝てば官軍」で通った時代でもあるけどな
強引に豊臣家を滅ぼした後も徳川政権つぶれなかった
>>290
運も実力の内だろw
0292人間七七四年
2011/03/02(水) 23:15:14.78ID:2adm7nMu実力なかったら幸運を生かせない
0293人間七七四年
2011/03/02(水) 23:15:36.05ID:oKqmtzRP良いも悪いも、今川氏真や豊臣秀頼みたいな家康が
滅ぼした大名は江戸時代から馬鹿殿呼ばわりだったからねえ
関ヶ原の三成も勢力の割に健闘したほうだけど、彼も貶められてきたし
信長や秀吉と比べるとやっぱちょっとね
0294人間七七四年
2011/03/02(水) 23:20:06.85ID:/f7Vzpfj別に一般的な評価でしょ
それに徳川家は露骨な世論誘導はしていない
0295人間七七四年
2011/03/02(水) 23:22:42.99ID:MFPhcqhP運も実力のうちってのは全く関係のない第三者が当人を評価する時に
使う言葉でしょw 信者が使うのはみっともないわな。
>>293
今川はしらんが、秀頼は江戸時代は触れるのはタブーだったはず。
秀吉はまぁ偉業からすると幕府も仕方がない、と黙認したが、秀頼は存在そのものを
ない事にされていたでしょ。知られたら、主従の道を推奨した幕府の親玉が滅ぼした
事がバレてしまうしね。
0296人間七七四年
2011/03/02(水) 23:28:35.09ID:2adm7nMu0298人間七七四年
2011/03/03(木) 00:15:37.54ID:AmsspRQ8キチガイじゃない限り家康は幸運だったと思うだろ
幸運じゃないと天下は取れないしな
0299人間七七四年
2011/03/03(木) 00:25:08.72ID:GpMCM2XFキチガイの可能性あるけど。
0300人間七七四年
2011/03/03(木) 00:25:41.42ID:gR8z8s9U従来の説と違って、最近では豊臣は65万石の一大名ではなく、公儀の立場を依然維持し、1615年の
大阪の役直前までは豊臣・徳川の二重公儀制で、かつ形式的には関白家である豊臣が若干上で
徳川絶対有利とはいえない状況だったというからね。
家康が神経症になって難癖つけたというのが落ちじゃないの。
0301人間七七四年
2011/03/03(木) 00:38:22.02ID:1Lt5wR0y人生の最終ステージに最大の栄華を残しておくなんてすごすぎる
0302人間七七四年
2011/03/03(木) 02:02:15.21ID:UZPvGRuW失敗者で、運が良いという評価を与えられる奴なんている?
でもって、成功者ほど下準備は万全。
真の意味で、運任せな成功者なんていないよ。
つか、現実の世界でそんな奴見たことないから、
運だけで天下人になったとか、100%有り得ないと思うよ。
0303人間七七四年
2011/03/03(木) 04:22:29.18ID:aKNpL9FNなのに家康は運だけで天下を取った結果で一流武将扱いで、小大名の昌幸は三流扱い。
両者の違いは、ただ生まれた場所の位置関係だけ。
人間、実力より運が勝るという典型事例。
関ヶ原の小早川の寝返りも物凄い幸運。
家康の恫喝射撃で下手すりゃ秀秋の攻撃の矛先が東軍に向かってても不思議ではなかったのに、
愚人の気まぐれの丁半博打に勝利した家康は、運だけで天下人。
常識で考えたら、関白の方が宇喜田の後釜より遥かに魅力的。
なのに、戦が始まってもぐずぐず攻撃対象を決められず、
東軍から射撃されて怒るどころか、戦後の恩賞の優劣や裏切りによる世間の評判も忘れて西軍攻撃の愚行。
常軌を逸脱した阿呆のお陰で天下人になれたのだから、日本一の幸運の糞垂れデブ。
0304人間七七四年
2011/03/03(木) 05:09:18.48ID:ZWwEfryX0305人間七七四年
2011/03/03(木) 05:25:30.50ID:4DthQvzd0307仙台藩百姓
2011/03/03(木) 09:24:28.50ID:y5Fy7LF1家康の場合は幸運に僅かな実力が付随しているという点で他とは大きく異なるのだお( ^ω^)
0308人間七七四年
2011/03/03(木) 09:31:58.78ID:GpMCM2XFそれって言い換えると他の大名は家康の運に勝てない程度の実力しかない
へっぽこってことにならないか?
0309人間七七四年
2011/03/03(木) 09:46:12.90ID:AmsspRQ80311人間七七四年
2011/03/03(木) 10:01:19.99ID:6gyWTf+a0312仙台藩百姓
2011/03/03(木) 16:35:53.67ID:y5Fy7LF1いや、家康が人知の及ばぬ神懸かり的幸運を有していたのだお( ^ω^)
それと不幸を背負っていた武将が多かったのも幸いしたお( ^ω^)
0313人間七七四年
2011/03/03(木) 20:05:08.86ID:6boBWy0O何もかも図星なので全く反論できず、
そんな低俗低級な書き込みしかできないお前に一生運がないのは間違いない
0315人間七七四年
2011/03/03(木) 20:15:23.49ID:GpMCM2XFそこまで行くと家康って神の祝福を受け、戦国の世を終わらせる為に遣わされた
救世主って感じなのかえ?そんな家康やだなあw
0316人間七七四年
2011/03/03(木) 20:36:47.08ID:AmsspRQ80317人間七七四年
2011/03/03(木) 21:27:09.99ID:uemIq9Swその三億円で事業に成功するのは運じゃない、実力だ。
判断や行動に当事者の意思が入った時点で、もう運じゃないよ。
失敗したらそれは判断ミス。
0319人間七七四年
2011/03/03(木) 21:31:59.21ID:AmsspRQ8当時は司馬のイメージで固まってたからトンでもなくショックだったわw
この人キチガイじゃないかとすら思った
0320人間七七四年
2011/03/03(木) 22:02:53.64ID:gR8z8s9U家康にしろ、信長にしろ秀吉にしろ世のため人のためと思っていた所は必ずあるだろうから。
だが、世のためとはいえ、人を苦しめすぎたから、地獄に落ちてはいるだろうがな。
だから東照宮に参拝するって事は地獄を拝むようなものでご利益はないだろうが。
0322人間七七四年
2011/03/03(木) 22:34:53.67ID:AmsspRQ80323人間七七四年
2011/03/04(金) 02:05:29.22ID:FBgXjAW80324人間七七四年
2011/03/04(金) 07:51:49.42ID:Iy6t4H2Nいざ戦闘となると命知らずの勇猛ぶり
秀吉死後の大阪勢力に見せた詐欺師まがいの狡猾さぶり
どれが真実の顔なのかものすごい多重人格&役者っぷり
家康なら閻魔大王すらだまして、ちゃっかり極楽とか行ってそうな気がする
まあそういう人物でないと、あの混乱期の天下を治めるのは難しかったか
0325仙台藩百姓
2011/03/04(金) 10:44:43.49ID:AWyieXmUとなる発想が不可思議だお┐ (´ω`) ┌
聖人君子たるかは人格とその行いによるものなのに
運だけで聖人君子とかどれだけ御都合思考なのだお┐ (´ω`) ┌
>>324
家康の行動は極単純
「強きを助け弱きを挫く」を徹底しただけの話しだお( ^ω^)
現代でもこれを徹底すれば容易に出世できるお( ^ω^)
0326人間七七四年
2011/03/04(金) 11:02:53.42ID:4ZWqzVIq0327人間七七四年
2011/03/04(金) 11:12:33.91ID:Ng3uo/OO天下人を、その程度の組織で論じるのはナンセンス過ぎる。
0328人間七七四年
2011/03/04(金) 11:18:55.61ID:zY6UukF9ニートってなんで偉そうに社会や政治を語るの?
オマエ経験ないだろうって思う
0329人間七七四年
2011/03/04(金) 11:42:02.90ID:kSbbjR670330人間七七四年
2011/03/04(金) 15:24:10.00ID:wv30uOD6>家康の行動は極単純
>「強きを助け弱きを挫く」を徹底しただけの話しだお( ^ω^)
そんなに単純なら信玄に立ち向かったりしないだろうし、
織田信雄を助けて秀吉に敵対することもないだろう
お前の家康像が脳内で如何にデフォルメされているかという証拠
0331人間七七四年
2011/03/04(金) 16:04:05.43ID:xXAcwvvSいや、こいつはカンニング予備校生だよ。
自信満々に日本史で受験して、毎回落ちてる( ´,_ゝ`)
0332仙台藩百姓
2011/03/04(金) 21:24:56.08ID:AWyieXmUこの世の中は恐ろしく無能で欲だけは人一倍というような人間が中枢で権力を持っているのだお┐ (´ω`) ┌
権力を得る事は必ずしも能力に依存するわけではないのだお┐ (´ω`) ┌
むしろ能力が邪魔をする事もあるのだお( ^ω^)
まあ、知らない方が幸せな事もあるお( ^ω^)
>>330
信玄より信長の方が怖かっただけの話しだお( ^ω^)
それに信雄を助けたのではなく秀吉を甘く見て信雄担いで政権取ろうと欲かいただけだお( ^ω^)
0333人間七七四年
2011/03/04(金) 21:38:42.15ID:PAZfQjMY普遍性を持たせるのは強引過ぎ。
家康が無能である事の証明にはならんよ。
0335人間七七四年
2011/03/04(金) 22:12:11.64ID:sbZXQD0o実際に己はあまり動かず、他人の天下を奪った感のある家康は少なくとも
信長や秀吉よりは数段劣るだろうよ・・・・
家康が何をしたかといえば関が原でバクチうったくらい。
そのバクチが外れたら、家康がさらし首になっいたというリスクがあることは
認めるがな。
0336人間七七四年
2011/03/04(金) 22:12:27.71ID:UNsS7fqCていうかそんな無能が作った政権がなんで260年とか持つんだよw
部下が優秀だったとかだとしてもそいつらを使いこなせてる時点で無能じゃないぞ。
つーか前から思うんだけど最終的な勝利者を貶しても敗者側が余計惨めになるだけじゃね?
0337人間七七四年
2011/03/04(金) 22:14:51.61ID:sbZXQD0o敗者って・・・
その敗者の働きがないと最終的な勝利者は存在すらしませんが?
ブーメランしてどうすんだよw
0338人間七七四年
2011/03/04(金) 22:21:19.84ID:sbZXQD0o残す事ができなかったな。一時期だけ成功したがすぐに断絶。
0340人間七七四年
2011/03/04(金) 22:26:14.98ID:sbZXQD0oそんなこといいだせば全ての織豊系武将は協力はしているだろう。
0341人間七七四年
2011/03/04(金) 22:26:43.02ID:XeU2gBBv大政治家を直に知る事すら出来ないド田舎モンの妄想だよ。
無能な政治家なんてほとんど居ない。
タレント議員とは話した事無いから知らんがw
0342人間七七四年
2011/03/04(金) 22:43:47.22ID:UNsS7fqCん?敗者がいないと勝利者もいないってこと?ごめん、良く分かんない。
私が言ってるのは家康馬鹿にしてるけどそれだと家康に負けた大名とか
従う羽目になった大名とかをもっと馬鹿にすることになっちゃうんじゃないの?ってこと。
家康のダメなところとかはそりゃ色々あるだろうけど無能とか言っちゃうと
他の大名は無能以下じゃないと辻褄合わないでしょ。なんで負けたんだよってなっちゃう。
百姓さんは運が良かっただけって言ってるけど運だけで天下取っちゃうとなると
逆にすごい人になっちゃうよ。それこそ神の化身だよそれ。
>>338
皇室に血を入れるのが勝利なの?そしたら一番勝ったのは藤原氏ってこと?
流石に無理ないかそれ。テストの成績で総合評価ではボロ負けだけど保健体育だけは
勝ったから俺の勝ちって言ってるレベルだぞ。
というか勘違いされるとあれなんで言うけど別に秀吉より家康が優れてたとか言ってないよ。
少なくとも天下取りレースに関しては間違いなく秀吉の勝利だし。
0343人間七七四年
2011/03/04(金) 22:50:30.63ID:PAZfQjMY優れたマネジメントほど、自分では汗をかかないものだよ。
でもって、関ヶ原でバクチをうったのは三成だよ。
現実的な政権内の力関係、蟄居の立場を考えれば当然。
家康はただ応じて、美味しく頂いただけ。
0344人間七七四年
2011/03/04(金) 22:51:49.49ID:Iy6t4H2N信長に対してはもちろんそうだったが、次男で家督継承者ですらない信雄に対してでさえ
同盟配下大名として、あくまで信雄を上に立てた
豊臣政権については…、律儀一徹とはいいきれないかもしらんが一応配慮はしてる
狡猾な面はあったと思うが、実績も計り知れない。彼に取り連続的な幸運が続いたことを差し引いても
日本史上に残る有能人物の一人であるといえる
あることは間違いない
0346人間七七四年
2011/03/04(金) 22:59:53.48ID:pb/LYHtq一度見切った勢力についてはとことん冷淡だよ、この人
0347人間七七四年
2011/03/04(金) 23:06:46.06ID:sbZXQD0o>優れたマネジメントほど、自分では汗をかかないものだよ。
日本語間違えているよ。そんなのは優れているとは言わない。寄生しただけ。
関が原って単純な陣形配置から考えたら家康が討ち取られてもおかしくない
んだがなぁ。まさか楽勝とか思っていたの?
秀秋が裏切らなかったら負けてたでしょ
0348人間七七四年
2011/03/04(金) 23:07:52.79ID:4ZWqzVIq0349人間七七四年
2011/03/04(金) 23:09:40.87ID:pb/LYHtqそう
本当は切腹させるつもりだったのに、
東軍主力の福島正則が自分の軍功と引換に助命を嘆願したから
「仕方なく」高野山送りで許したんだよね
0350人間七七四年
2011/03/04(金) 23:23:29.24ID:UNsS7fqCお前さん会社の上役は寄生だと思うタイプか。若くていいな。
関ヶ原の布陣だけを見れば確かに西軍が勝ちそうには見えるな。討ち取れるかは知らんが。
だけどあれ秀秋が裏切らないと思う方が変だぞ。その辺は関ヶ原スレとか三成スレとかの
ログ漁ってみたら?
0352人間七七四年
2011/03/04(金) 23:32:35.60ID:sbZXQD0o時は戦国時代だぞ。
大将が戦にでなくてなんとするんだ?
で、家康がいつ天下統一をはたしたんだ?
天下統一をしない事が「優れたマネジメント」とは恐れ入る。
秀秋の件は鉄砲を撃ちかける時点で掛けなんだよ。
あれは攻撃とも思われかねないのだから、裏切りどころか
家康陣に襲い掛かられる可能性も普通にあるだろ。
0353人間七七四年
2011/03/04(金) 23:33:02.80ID:PAZfQjMYあぁ、ゴメンゴメン。つい、職場のクセがw
職階で求められる資質は違うんだな。君も社会人になればわかる。
優れた大将は自ら汗をかかない。周りに汗をかかせるんだよ。
ちなみに、関ヶ原の陣形配置について。
あれは、吉川が動かないのを踏まえてるから。
でなきゃ、南宮山をスルーして自ら袋のネズミになる布陣を敷かない。
この程度はゲーム厨でも理解出来る話だと思うが?
0354人間七七四年
2011/03/04(金) 23:35:42.95ID:pb/LYHtq秀秋が最後まで去就に迷ってたのは事実だよ
家康と何度も書状のやり取りをし、自軍内に徳川の軍監を入れときながら、
関ヶ原では裏切りを促す黒田長政の使者を無視して高みの見物
『黒田家譜』によれば離反の動きを見せない秀秋に動揺した家康が
長政に督促の使者を出して追い返されてるくらいだから、
家康自身も「本当は裏切る気ないかも」と思ってたんじゃね?
西軍を圧倒する兵力を戦場に持ってきながら、
結局は十代の少年の去就に頼らざるを得なかったのが関ヶ原の家康
まあ後の小早川家に対する家康の行動を鑑みるに、
余程このときのことが腹に据えかねてたと見えるね
0355人間七七四年
2011/03/04(金) 23:42:07.81ID:sbZXQD0o上から目線で乙。
現在の会社組織と当時の戦国時代の大名を同一視
する事自体がバカらしいけどなぁ。
優れた大将は自ら汗をかかないとかバカも休み休みいえw
0356人間七七四年
2011/03/04(金) 23:42:17.64ID:PAZfQjMY何か勘違いしてない?
最終目標は、天下を牛耳ることでしょ。
日本縦断北から南まで、戦国大名トーナメントを戦い、
勝ち残る事じゃないんだからさ。
出来るだけコストを抑えて、天下人になるのがベスト。
関ヶ原の一戦で天下がなびくんだから、これほど効率的なことはないじゃない。
0357人間七七四年
2011/03/04(金) 23:42:32.81ID:pb/LYHtq関ヶ原の家康は割とその敵相手にも寛容だよ
関ヶ原で反徳川勢力を一掃したとはいえまだまだ不安定な情勢だったから、
思い切った処分が取れなかったとも言えるが
一部の西軍首脳を除けば命までは取ってないし、
通常の処分で改易減封、当主の蟄居謹慎程度で済んだ家も多い
それを旧主の嫡孫を因縁のある高野山に送るとかどう考えても
通常の戦後処理の範疇を超えた意趣返しでしょ
織田家に対して一片でも好意があったらこんなことはしないと思うよ
0358人間七七四年
2011/03/04(金) 23:42:49.50ID:4ZWqzVIq0359人間七七四年
2011/03/04(金) 23:50:35.63ID:sbZXQD0oそうだよ、そのコストを抑えられたのは誰のおかげかってこと。
家康は信長、秀吉の存在がないと天下人になっていないだろう
し、その点で数段劣るんだよ。
信長、秀吉にとって家康はなくてはならない存在ではないが、
家康にとってふたりはなくてはならない存在。
この違いは大きいよ。
0361人間七七四年
2011/03/04(金) 23:56:54.37ID:sbZXQD0o無理だわさ。
家康ってほとんど自力で領土増やしたわけじゃないから今川家の
下で信長、秀吉が家康に与えた待遇がないと同じ事になるのは
なかなかむつかしぃだろう。
0362人間七七四年
2011/03/04(金) 23:57:54.93ID:UNsS7fqC秀頼を倒した時が天下統一なんじゃね?マネジメントの件は私に言われてもねえ。
でも組織のあり方なんぞ昔から対して変わってないぞ。
それに実際関ヶ原で家康の本軍は最後以外戦ってなくないか?戦場に居るだけで汗かくの?
あと鉄砲を撃ちかけたとか言ってる時点でおかしいことに気付こうよ。
届くわけないだろ。いいからログ漁ってきなされ。
>>359
結局その二人安定した政権作れてないじゃん。
そもそも秀吉だって信長ありきだし、信長だって信秀が先に頑張って
くれてなかったら無理だろ。
0363人間七七四年
2011/03/05(土) 00:02:37.89ID:MrtclNNk君の理屈で言わせてもらうと、
信長は中央を抑えただけで、天下人には全くなっていない。
道半ば、油断して足元を掬われるあたり、家康の比較対象外だね。
秀吉については、家康以上に信長がいなければ天下人になれなかった人間。論外。
勿論、本気でこんな事は思っていない。
つまり、君の理屈で家康が劣るとは絶対に言えない、という事だよ。
0364人間七七四年
2011/03/05(土) 00:04:17.74ID:Ujq0wguY秀吉も信長が居ないと無理だろうし、信長もたしかにそうだろう。
でも、家康が二人が居ないと何にもできなかった事実は変わらんよ。
だから数段二人よりは劣るんだよ。
0366人間七七四年
2011/03/05(土) 00:18:53.10ID:cypJp4Zhつうのが信長に対する最大の恩であって、
後の織田家における立身出世は別に信長に依怙贔屓されたわけでもない、
完全に秀吉自身の実力と功績によるものだしねえ
もちろんそれを正当に評価する君主であったのは秀吉にとって幸運ではあったろうが
そんなに信長ありき、って印象は個人的にしないな
つうか信長横死後はその信長を上回るスピードで日本全国を征服してるし
政権内の権力闘争でイニシアチブを取った家康とはちょっと違うよね
0367人間七七四年
2011/03/05(土) 00:27:36.81ID:/d0NIvaU0368人間七七四年
2011/03/05(土) 00:40:20.70ID:cypJp4Zh本能寺の変時点での秀吉自前の勢力って家督相続後の信長以下だしね
家康の例で言うなら今川の配下から独立できたのは信長のおかげ、
遠江を獲得できたのは信玄のおかげ、駿河を拝領できたのは信長のおかげ、
関東移封は秀吉のおかげでしょ
自分で切り取った領土といえば甲信くらい
比較にならないと思うよ
0369人間七七四年
2011/03/05(土) 01:01:49.03ID:MrtclNNk秀吉の場合は、その最初の『0から1』が全て。
信長がいない天下人・秀吉は存在し得ない。
どんなに実力があろうとね。
政権闘争で天下を取った家康の方が、信長不在のケースを
まだイメージ出来る。
0370人間七七四年
2011/03/05(土) 01:12:29.07ID:f8GDn/rJ秩序を壊さず天下に号令して
守護大名がそれに従って
やっぱりNO2に成ってたんじゃないか?
今川家なら宗教勢力とも上手くやって行きそうな気がするw
0371人間七七四年
2011/03/05(土) 01:12:38.20ID:cypJp4Zh信長不在のケースをどうイメージするの?
義元が上洛に成功して天下統一、その後今川一門を皆殺しにして天下人になるとでも言うの?
つうか単純に自分の采配で切り取った領土で
比較すれば良いと言ってるだけなんだけどね
秀吉にとっての信長は、信長にとっての信秀と
同じかそれ以下の「〜のおかげ」に過ぎないよ
家康が信長や秀吉から受けたプラスの方が遥かに大きい
0372人間七七四年
2011/03/05(土) 01:25:43.06ID:MrtclNNkあとは、家主の混乱に乗ずるなり、政争に勝利するなり。
秀吉の場合は、信長の位置に入れる器がいない。
信長にとっての信秀と同じなわけがないでしょ。
自分の采配で切り取った領土で、能力比較出来るの?
環境も違うし、それって余りに単純じゃない?
言いたくないけど、それってゲームの世界。
0373人間七七四年
2011/03/05(土) 01:36:40.95ID:cypJp4Zh武田なら高坂昌信、上杉なら河田長親というように低い身分から成り上がった武将は多くいる
秀吉ほどの才覚の持ち主なら他の大名に取り立てられても可笑しくはない
>自分の采配で切り取った領土で、能力比較出来るの?
>環境も違うし、それって余りに単純じゃない?
その環境も秀吉の方が家康よりも悪かったんだけどね
君は他人についてゲーム云々言う前に歴史を勉強したほうが良いね
0374人間七七四年
2011/03/05(土) 01:46:53.80ID:MrtclNNk高坂らの身分が低くても、秀吉ほどの卑賎ではない。
其れ秀吉なるは野人の子、だ。
事実、今川では不遇を囲っていたわな。
イキナリ信玄や謙信に直接採用されるとでも?
秀吉、家康のいずれの環境が悪かろうと、単純比較出来んと言っている。
ちなみに、こちらは秀吉を否定しているわけではない。
その理屈では、家康が劣るという説明にはならない、という事だよ。
0375人間七七四年
2011/03/05(土) 01:59:39.13ID:cypJp4Zh高坂や河田の家柄が秀吉より上だったという根拠はあるの?
結果的に天下人となって一族類縁の者も世に出た秀吉と違って、
この人達は親すら不明なんだけどね
まあ「不明」であることからその程度の家柄の
出身だということは見当がつくとは言えそうだけど
今川では朋輩の嫉妬はあったが仕官を許されて能力自体は認められてたよ
>その理屈では、家康が劣るという説明にはならない、という事だよ。
理屈も何も、客観的に比較可能な事実を述べてるだけ
そういう比較そのものが嫌だと仰るのなら、敢えてはやらないよ
0376人間七七四年
2011/03/05(土) 08:09:45.88ID:OJJpmVpG取り立てられないって意味だろ。
0378人間七七四年
2011/03/05(土) 08:44:26.39ID:eyIbV17R戦争中に流れ弾に当たって死んでた可能性だって出てきちゃうし。
秀吉だって他の大名に仕えたら馬が合わなくて切り殺されたかもしれんぞ?
そんな可能性いちいち全部考慮するのか?条件を一つでも変えたらそれは
ただの仮想小説の部類にしかならんよ。正しいシミュレートなんぞ出来ん。
あと自分の采配で切り取った領土で能力比較しちゃったら大田道灌とか
北条早雲とかかなりへっぽこだな。もっと言うのなら家康よりも恵まれた
環境でスタートできた大名なんぞわんさかいるけど、それなのに滅びたり
領地減らした連中は無能以下のゴミクズってことか。ひどい話だな。
秀吉がやったことは実力で家康がやったことは他の人のお陰とかいう論理って
贔屓の引き倒しにしかならんぞ。
0379人間七七四年
2011/03/05(土) 08:46:12.33ID:eyIbV17R0380仙台藩百姓
2011/03/05(土) 09:09:39.55ID:2vSdV/M5信長の配下であろうといかに困難であったか分かるはずだお( ^ω^)
秀吉が大名格になるまでの行程でも家康が1000回天下取るよりも難しいお( ^ω^)
秀吉の幸運は信長が横死して主君という重しが緩んだ事だけど
この混乱で秀吉が得たのは北近江と播磨周辺の土地であり
しかも切り取ったばかりの土地で、先祖伝来の地盤を持つ大名とは比較にならない程不安定であるお( ^ω^)
そして残りの国は秀吉の実力のみで切り従えたものだお( ^ω^)
家康の天下取りと同列に扱うのは大きな間違いだお( ^ω^)
言うなれば秀吉は国家を創設したけれど家康は派閥争いで政権を握ったに過ぎないお( ^ω^)
0381人間七七四年
2011/03/05(土) 09:12:41.91ID:AaK5/D4U政治家=馬鹿はかえって足元を掬われる
0382人間七七四年
2011/03/05(土) 10:19:36.68ID:eyIbV17R秀吉より光秀の方が出世してないか?滝川もかなりだし。
あと>>368の人の論理だと光秀に勝てたのも四国征伐軍のおかげで、
勝家に勝てたのも利家のおかげって感じになるみたいだぞ。
秀吉なにもしてないよね!運が良かったんだね!!
0383人間七七四年
2011/03/05(土) 11:10:50.96ID:O4HRRf0V>そういう比較そのものが嫌だと仰るのなら、敢えてはやらないよ
えっ?
「家康は秀吉より数段劣る」がメインテーマじゃなかったのか?
0384人間七七四年
2011/03/05(土) 11:16:16.95ID:Ujq0wguYやむを得まいよ。
0385人間七七四年
2011/03/05(土) 11:25:31.55ID:/d0NIvaU結論ありきのお子様論理
0386人間七七四年
2011/03/05(土) 11:41:42.91ID:AF5ozlA/今川なら自国領を本願寺門徒王国として乗っ取られても上手くやっていけるってか。
つまり石山本願寺に隷属するってことか。
隷属どころか一揆勢に始末されるだろうよ。
0387人間七七四年
2011/03/05(土) 11:54:19.91ID:AF5ozlA/日本本土中央部から遥かに版図を膨張させた信長に、もはや国内に対抗できる敵はゼロ。
天下統一は時間の問題。
朝廷は信長に譲歩しまくりで、関白か太政大臣か征夷大将軍かお好きな官職どうぞ、とヘイコラ。
これで天下人の条件でないなら、
天正十三年時点で、未だ九州や関東以東手付かずで関白になった秀吉も、
天下人ではなかったことになるな。
が、この時点で世間は秀吉の天下はもはや動かずと認知していた。
要するに、全国統一の有無ではなく天下の趨勢が決まってたか否かの問題。
信長以前に足利流れ公方を擁立して中央に居座った輩は、諸国の軍事バランスには全く手を付けられず、
ただ在京してただけ。
0388人間七七四年
2011/03/05(土) 12:18:55.21ID:pmsuMnT7常識、当たり前の認識でしょ。
もっかい>>363を読んだら?
>君の理屈で言わせてもらうと
>勿論、本気でこんな事は思っていない。
0389人間七七四年
2011/03/05(土) 12:30:36.18ID:AF5ozlA/ならこんな書き込みすんなって話。
突っ込まれる駄文書き込んどいて、その欠陥修正されたら正論で開き直るな。
0390人間七七四年
2011/03/05(土) 12:35:37.02ID:pmsuMnT7>君の理屈で言わせてもらうと
>>359を受けての話だ。
まずは、話の流れを見極められるようになってから書き込みなよ。
恥の上塗り。
0391人間七七四年
2011/03/05(土) 12:45:41.80ID:Ujq0wguY彼らよりは下にならざるを得ない罠
0392人間七七四年
2011/03/05(土) 12:46:42.99ID:AF5ozlA/>>359をよく読め。
どこにも
>信長は中央を抑えただけで、天下人には全くなっていない
という趣旨の書き込みなんぞ無い。
まずは、小一レベルの日本語の読解力を身につけてから書き込みなよ。
恥の上塗り。
0393人間七七四年
2011/03/05(土) 12:57:59.97ID:pmsuMnT7これ最後ね。バカに同じ事を言うのは3回までが主義なんで。
>>359にもアンカが付いてるでしょ?
さらにその上にも。話の流れをわかってから書き込めって。
読解力が何なのか、もう一度勉強しようね。
0394人間七七四年
2011/03/05(土) 13:03:25.07ID:/d0NIvaUメインは、秀吉・家康の優劣
枝葉の話に噛みついてるバカ
0395人間七七四年
2011/03/05(土) 13:06:26.11ID:AF5ozlA/>信長は中央を抑えただけで、天下人には全くなっていない
この書き込みは>>359に対応していて、それより上からの話の流れとは関係ない。
自分に都合の悪い事実を突きつけられたからって、妄想の世界に逃げ込むなよ。
0396人間七七四年
2011/03/05(土) 13:09:54.45ID:AF5ozlA/家康は秀吉に臣従し、その後全く逆らえなかったのだから、
二人の優劣は決着がついてるだろ。
測りきってる論題を議論しても何の意味も無い。
0397人間七七四年
2011/03/05(土) 13:52:06.90ID:aq8xiqDgどっちが上とか、運だとかそんなの語ってもしょうがないんじゃない?
0398人間七七四年
2011/03/05(土) 13:59:23.21ID:/d0NIvaU0399人間七七四年
2011/03/05(土) 14:00:27.28ID:eyIbV17Rそもそも
>臣従し、その後全く逆らえなかったのだから、
>二人の優劣は決着がついてるだろ。
っていうのが強引なんだけどなあ。
それだとすると信長>秀吉で大内義隆>毛利元就で武田勝頼>真田昌幸ってなるの?
なんか変な感じしないか?つーか人によって優れてる分野違うんだからそんなに
単純に評価できなくね?
例えば秀吉は天下をとりあえず一つに纏めるのはすごかったけど政権安定って意味じゃ
いまいちだった気がするよ。
0400人間七七四年
2011/03/05(土) 14:00:54.68ID:Ujq0wguYお前の事か?
0401人間七七四年
2011/03/05(土) 14:07:58.22ID:AF5ozlA/個別分野での優劣を競っても意味は無い。
要は戦に勝ったか負けたか、臣従したかしないかの問題。
例えば長篠の戦い。
ガチンコの白兵戦なら武田の勝ちだったが、
信長は敢えて兵の直接戦闘を避けた遠隔射撃を選択。
0402人間七七四年
2011/03/05(土) 14:08:53.13ID:/d0NIvaUおかげで自演も判明した
0403人間七七四年
2011/03/05(土) 14:11:24.11ID:/d0NIvaU0404人間七七四年
2011/03/05(土) 17:31:38.26ID:C/jFqoT2だが、その運の強さは、やばすぎる。
なにせグローバルな世界観を持ち、大スペイン帝国の日本総督になろうと支倉をイスパニアに派遣した
世界的大英雄独眼竜”伊達政宗”公うを太鼓持ちにさせたくらいだからな。
関羽、項羽をはるかに凌駕する武勇の士”片倉小十郎を従えた東北の大覇王”伊達政宗”
諸葛孔明も裸足で逃げ出す智謀があり、司馬仲達が土下座する狡猾さ+曹操もかくやと思わせる冷徹さを
もっていた大英雄も、運だけは持っていなかったなw
父親を殺し、弟を殺し、母親を追放し、愛妻である愛姫にDV三昧しなければ、現実逃避できない惨めさには笑えるわ
なにせ120万石から70万石、故郷を追われて56万石、100万石のお墨付きの報酬が2万石とはね。
運のないやつは、とことん運がないんだな。
0406人間七七四年
2011/03/05(土) 18:07:30.82ID:C/jFqoT2そりゃ、家康が路上コメディアン政宗に払ったギャラ。
一揆扇動しました→連戦連敗、 松川で大敗北しました(笑
正宗の運の悪さを看破した家康が、お情けで小銭を空き缶に投げ入れてやっただけ。
アンチの言う運だけ男”家康”からみたら、正宗は”運のない安牌”な自称大陰謀家にすぎない。
だからキチガイじみた言動しても「運のないやつが吠えてるだけ」って家康も秀忠も家光も
生暖かく見守っていたんだろう。
0407人間七七四年
2011/03/05(土) 19:31:25.13ID:iSVgVG+L0408仙台藩百姓
2011/03/05(土) 22:04:36.76ID:2vSdV/M5あの世代は生まれた時点で天下取りの資格を失っていると言う事だお( ^ω^)
実質家督を継承した時期には既に秀吉が関白になっているし初めから終わってるお( ^ω^)
逆に言うと天文年間ぐらいまでに生まれた人物はそれだけでも運が良いお( ^ω^)
時だけは天才でも聖人でもどうする事も出来ないもの( ^ω^)
0409人間七七四年
2011/03/05(土) 22:33:46.27ID:5BwrCrW+それは言いすぎだろw
0410人間七七四年
2011/03/05(土) 22:40:26.31ID:Ujq0wguY仕える人間によれば大名になれるからじゃね?
だいたい万石以上になる事ができれば十分勝ち組でしょ。
0411人間七七四年
2011/03/05(土) 23:28:40.44ID:cypJp4Zh自分の主張してることは要するにそういうことだけど、ここは家康スレだからね
たとえ事実であろうが、ここで家康と他の武将を比較して
家康を殊更劣っているというのは、スレの多数派を占めるであろう
家康シンパに対してやはり一抹の罪悪感を拭えないのよね
0413人間七七四年
2011/03/05(土) 23:56:51.61ID:Ujq0wguYあってのこと。
苦労して土台を作る事と、その土台を掠め取る事とは同義じゃないし。
まぁ家康は家康は優れている所は絶対にあるがな。
たとえば人に身に覚えのない難癖つけてケンカふっかけたりする術は
天下一品だと思うよ。
0414人間七七四年
2011/03/05(土) 23:59:31.69ID:cypJp4Zh自分も別にアンチってわけじゃないしね
各々の天下取りのときに見せた武略知略政略において、
秀吉の方が家康を上回ってる、って言ってるだけだし
たまたまスレでそういう話題が出てたから自分の意見を述べたに過ぎない
0415人間七七四年
2011/03/06(日) 00:42:47.41ID:HzoAz23e信長も秀吉もギャンブルをして短期的に勝っただけ。
信長も秀吉もギャンブルをして短期的に勝っただけ。
手堅く行って遅れをとっておきながら
ちゃっかり超長期政権を作った家康公のが数段上だろ。
0416人間七七四年
2011/03/06(日) 00:48:41.58ID:CUmROvg/人のふんどしで相撲をとっていた人がふんどしの持ち主を
超えられる道理がないと思うけどなぁ。
だってそのふんどしがなけりゃなんにもできなかったって事だし。
0419人間七七四年
2011/03/06(日) 02:23:14.06ID:eG55568Yこの程度を延々と続けてるレベルの低さ
具体的な比較、検証一切なし
どこの小学生かとw
0420人間七七四年
2011/03/06(日) 04:01:49.38ID:zCRP9H8L例えば、城門→3の丸→2の丸→本丸までは
猛烈な勢いで攻上ったA隊が、疲れちゃって退却
その後ろから地味に付いてったB隊が天守を獲ったら
B隊が城落とした事にならんのか?
一発屋ってあんまり評価すべきじゃないと思うけどな。
0421人間七七四年
2011/03/06(日) 05:28:43.61ID:qIfGS8Lf影武者説が多いな
0422人間七七四年
2011/03/06(日) 08:26:26.52ID:tiLKKbz60424人間七七四年
2011/03/06(日) 11:27:58.14ID:bzQ/luXG0426人間七七四年
2011/03/06(日) 11:55:42.93ID:z9KZRQUt当時の政治経済の中心は大阪だったからな。
まさか秀吉も関東に追いやったのに天下を取られるとは
夢にも思わなかっただろう。
0427人間七七四年
2011/03/06(日) 13:00:08.90ID:U8BJCXfW安土桃山時代に陸前という国はありません。
そもそも東北に飛ばそうと思ったら陸奥・出羽両国の全域を
与えるくらいじゃないと石高的に合わない。
奥州藤原氏ならぬ奥州徳川氏の完成だな。
0428人間七七四年
2011/03/06(日) 13:33:50.26ID:525D/YI4「奥州の北畠顕家に倣い、風林火山の陣旗を立てます」とか言ってしめしめだ
0429人間七七四年
2011/03/06(日) 17:39:07.05ID:5C66flPHスレ頭と同じことまだやってんの?
いや厳密には前スレ
もういいだろうと思って北ら・・・
0430人間七七四年
2011/03/07(月) 20:33:53.12ID:DanggxXKそこで大軍を養って上洛し天下を取る、と豪語した逸話が収録されてるね>家康
つうかどんなに領国が遠国でも、豊臣政権では京畿に屋敷を持って
そこで公儀と遣り取りしてたわけだから、政治面に限っては特にハンデないかんね
現に家康も秀吉の健康が悪くなってからは、関東に帰らず殆ど畿内に常駐してる
0431人間七七四年
2011/03/07(月) 20:38:37.66ID:a4A2dxTe国元任せっぱなしも可能だしね
0432人間七七四年
2011/03/07(月) 21:14:36.51ID:kWSE3/e80433仙台藩百姓
2011/03/08(火) 10:53:37.36ID:fa1P9gANまあ、実際は管領的な地位にあったけど( ^ω^)
関東(西部)は武家にとって東海甲信など比較にならない程政治的に重要な土地であるから
ここに移されるという事は非常に重い意味を持つお( ^ω^)
実際徳川にどれだけプラスになったか計り知れないお( ^ω^)
だが、秀吉がどこまでそれを理解していたかは謎
幕府に興味なかった秀吉としては大して深い考えがなかったのかもしれないお
だとすると秀吉最大の失策といえるお( ^ω^)
0434人間七七四年
2011/03/08(火) 11:18:44.84ID:ONRryVGN0435人間七七四年
2011/03/08(火) 16:16:17.55ID:wsst+3i1傍にいた家臣に「この世でもっとも堅い物は何かな?」といった趣旨のことを訊き、
「それならごろた石(そこらに転がっている石)にございましょう」と答えられ、
”ごろた”を連想させる幼名を付けた、という話を聞いた
そんな名前をつけられたのは誰?
0436人間七七四年
2011/03/08(火) 17:29:42.20ID:IPEvYypr0437人間七七四年
2011/03/08(火) 18:12:35.29ID:WOy+J9Xmギリギリ百万都市の分際で、何中心に考えてんだ(-_-メ)
0439隠密!
2011/03/09(水) 12:12:44.12ID:FHj8S08D0440人間七七四年
2011/03/09(水) 13:31:51.96ID:oLkYr3Rqそれから尾張の家の長男(長男とは限らないが)には代々五郎太か、
それに類する幼名が授けられるようになったらしい
0441人間七七四年
2011/03/09(水) 23:09:24.22ID:vja7aIecあのような者に仕えていた自分がバカだったのなんだの言われたい放題だったみたいだな。
大坂城から抜け出して家臣を見捨てたりした事が一番の汚点かもしれないが、あのまま大坂城
に居座り続けると、第二次大坂の陣が起こりかねん状況だっけどな。
でも何を根拠に家康の再来だの言われたんだろう?
0442人間七七四年
2011/03/09(水) 23:24:18.13ID:ooUtB+snそこら辺の「目的のためなら手段を選ばない」ところが家康と似てる
0443人間七七四年
2011/03/10(木) 00:04:10.73ID:UbnDjnkW普通にしてるだけで十分水準以上の名君と言える>慶喜
幕府の権威がひたすら落ちてる状況でマトモな将軍候補というだけで
過分に持ち上げられた印象が強い
0444人間七七四年
2011/03/10(木) 09:09:11.28ID:yAqL6YTT0445仙台藩百姓
2011/03/10(木) 09:23:22.47ID:4t9gkIrNどちらかと言うと信長に近いお( ^ω^)
0446仙台藩百姓
2011/03/10(木) 10:03:29.06ID:4t9gkIrN当時會津藩を始めとする好戦派が半ば将軍を拘束する形で戦闘に踏み切ろうとしていたのだお( ^ω^)
トップを傀儡化して軍部が暴走する典型的な滅亡パターンだお( ^ω^)
まして薩長は官軍となり次々諸藩を吸収し力を強め戦勝により士気も上がっているお
徳川はここで戦争を継続しても軍事的にも政治的にも全く旨味がないお┐ (´ω`) ┌
その中で素早く状況を判断し好戦派の暴走を往なして留めた機知は並ならぬものだお( ^ω^)
江戸へ引き上げる際も自分だけではなく主要人物を連れ去って
残った兵が勝手な動きを出来ないようにする布石を打つ事も忘れていないお( ^ω^)
家康のように単に命惜しさから一人で逃げ回ったのとは訳が違うお( ^ω^)
確かに何故「家康」の再来なのか謎だお┐ (´ω`) ┌
0447人間七七四年
2011/03/10(木) 10:14:21.61ID:DBRk+2X5幕末とか、本来は三国志並に興味無いけどw
0448人間七七四年
2011/03/10(木) 11:14:42.64ID:v4waINY30449人間七七四年
2011/03/10(木) 21:45:32.38ID:UbnDjnkWただその優秀さを発揮すると同時に、これまで大した根拠もなく
「神君の再来」なんて讃えてきた譜代旗本御家人から裏切り者扱いされたのは皮肉としか言いようがない
0450人間七七四年
2011/03/10(木) 23:00:55.55ID:oPdowfch「神君」なんて言っても実際には会った事もない人間だし、将軍職なんてウゼーって思っていた
フシがあるしな。
0451人間七七四年
2011/03/10(木) 23:02:19.33ID:oPdowfch×迷惑千番
○迷惑千万
0452人間七七四年
2011/03/12(土) 13:20:20.70ID:OoFDgK5N何故家康は信長包囲網で圧倒的不利の信長に包囲する側にもまわれたのに信長を支持したの?
武田信玄死んでなかったらどうするだったんだろう?
0453人間七七四年
2011/03/12(土) 14:39:53.57ID:1/oOIp4bおそらくこのラインが途切れた時が徳川家屈服の時と思われる
0454人間七七四年
2011/03/12(土) 15:58:05.10ID:dvrd+fQsお互い連携を取って信長を牽制し続けるみたいなこと全然してないし。
結局個々に勝手に動いてるだけだしね。つーか前にも包囲網でピンチにとか
書いてた人いるけど対一向宗以外苦戦してなくね?
どちらかと言うと滅亡間近の大名が包囲網に参加して何とか生き延びてるって構図のような。
0455人間七七四年
2011/03/12(土) 22:29:58.80ID:ymvGvxeM0456人間七七四年
2011/03/12(土) 22:46:17.47ID:ecv9phfC利害が一致したから信雄と組んだだけ
0457人間七七四年
2011/03/12(土) 22:59:49.51ID:3vFNNWAQなんの問題もないなw
0458人間七七四年
2011/03/12(土) 23:15:35.61ID:DVTRl7Nn0459人間七七四年
2011/03/13(日) 00:33:28.67ID:f615+cIS0460人間七七四年
2011/03/13(日) 12:05:00.32ID:2xX/4aBL当初家康って関が原の戦いのイメージが強く策略家の狸爺という感じだったのですが
歴史を知ると信長と清洲同盟結んでいる時は変な話信長に惚れていたのかと思う位従順なのが
驚きでした。
後の歴史を知っている人間から見たら清洲同盟の維持は大成功なのはわかるのですが
当時の状況でよくもまあ破棄しなかったもんだと思いました。
0461人間七七四年
2011/03/13(日) 12:18:40.70ID:UzouauKe君>>208と同一人物なの?
もしそうなら大して日数も置かずに同じスレで同じ話題を繰り返すメリットって何?
どういう答えを我々に期待してるの?
0462人間七七四年
2011/03/13(日) 13:09:02.76ID:Y0O6Si1G書き込みが無いのが大丈夫じゃない便り
中の人の安否はともかく、ネットを使える状況にないことが推定される
0463人間七七四年
2011/03/13(日) 15:40:04.03ID:Q5O4BSBh0465人間七七四年
2011/03/13(日) 16:14:52.18ID:axd2pvC8元々、家康は他者についてあまり批評をしない
問われれば話すが、他の人が話し出すと止めてしまう(慶長記)
信長と家康は色々と性格は違うが、だからこそウマが合ったと思う
0466人間七七四年
2011/03/13(日) 16:39:05.25ID:tWRbsXfb信長のことは嫌いだったと思うぞ? ウマも合わないけど折り合いつけて
重荷を背負うが如く我慢我慢
0467人間七七四年
2011/03/13(日) 22:14:29.74ID:xS9zoZHw信長や秀吉のような自分と違うタイプの人間は積極的に肯定も否定もしない
同盟を守り続けたのは、破棄すれば敵からも味方からも軽く扱われるから
0468人間七七四年
2011/03/13(日) 23:33:48.75ID:rZGn4g3a地震で日本(経済)がどうなると思ってるか教えて欲しい。
0469人間七七四年
2011/03/14(月) 04:18:53.25ID:2VzoLUa+まともな識者なら当然過ぎる結論。
結果論から家康の勝利は開戦当初から決まっていたとする輩とは一線を画する賢人の一人。
0470人間七七四年
2011/03/14(月) 11:16:15.66ID:pJrDrzFa0471人間七七四年
2011/03/14(月) 21:32:58.10ID:83tK/kV30472人間七七四年
2011/03/14(月) 21:39:07.48ID:wLJYpzxp0473人間七七四年
2011/03/14(月) 21:44:50.94ID:YMQaQmX/0474人間七七四年
2011/03/14(月) 22:02:53.29ID:uaJTPfCpそれが2chの素敵なところ
0475人間七七四年
2011/03/14(月) 23:05:10.09ID:uONZPtp1人事を尽くして天命を待つと言う言葉通り確かに最終的には運が絡んでくるけど
先に努力しないと運は回って来すらしないというのに。
家康だって色々と根回しとかしてその結果運を掴んだというのに。
0476人間七七四年
2011/03/15(火) 01:15:04.00ID:rNsePxzU大人になって世の中を知り、家康の凄さを知る。
除くニート。
0477人間七七四年
2011/03/15(火) 13:23:06.60ID:JG2l2+Td理解できるかどうかは、能力の問題
0478人間七七四年
2011/03/15(火) 23:00:15.26ID:RaW6dGzyこの手の書き込みって家康信者にしか見られない顕著な特徴だよね
「家康の素晴らしさは大人になればわかる」みたいな妄言何度見たことか
その思考パターン自体が既に成熟した「大人」のものじゃないよね
見苦しいから止めたほうが良い
0479人間七七四年
2011/03/15(火) 23:53:58.28ID:9bPs+4rM家康は桶狭間の後、岡崎城を奪った後も今川に従属していた
この時期、信長は静観せず三河に攻めこみ、家康を含む今川方と激しく戦ってる
今川方の主な指揮官は名将・小原鎮実。氏真も積極的に将兵や物資を前線に送って支援したため、しばらく拮抗状態
この均衡が崩れたのは、もちろん家康が今川家から離反してから
その原因は伊勢長島が今川家から離れ、織田家と手を結んだこと
これによって、和泉・河内・大和・伊賀・北伊勢・尾張・三河の交易ラインが確立した
後に殺し合う信長と長島願証寺・伊賀国人衆・松永久秀はこの頃は商売仲間だったらしい
伊勢湾から追い出された今川家は、長島の商売相手ではなくなっていた
清洲同盟は織田・徳川の交易協定を取り決めた場でもあり、信長の家臣も務めていた尾張商人たちと家康は会っている
交易に参加したことで徳川家は豊富な軍資金を手に入れて、勢力拡大に成功して織田家と肩を並べる
祖父清康の頃もこの交易ラインに参加していたが織田信秀に潰され、それで広忠は今川家を頼り今川―伊勢―伊賀の交易を仲介している
0480人間七七四年
2011/03/16(水) 00:06:16.64ID:eDpSAIuV信長と足利義昭が相談して、織田軍の京都滞在費を稼ぐために近江の門前町を将軍の命令という形で織田家が奪ったのがきっかけという説がある
近江の門前町はほとんど延暦寺系列で、その延暦寺と本願寺は加賀越前の信徒獲得と商売の利権を巡り激しく争う敵だった
けど寺社から商売の利権を奪う行為は、他の寺社の反感も買った
当時の大きな寺社は原料生産・加工出荷・販売、銀行業・金融業、市役所の仕事まで行う巨大資本だった
外交や地域の治安維持なども、寺社資本の支配下にある大名や国人衆を通じて行っていた
朝倉・浅井・六角も延暦寺資本を頼り国を動かしていた。冗談ではなく本当の話
反織田では延暦寺と本願寺の利害が一致、この二大財閥と堺商人たちの出資で反織田同盟が結成される
ただし織田領内の寺社の大半は、延暦寺や本願寺系列の寺でも織田家に味方した
この時点ではまだ伊勢長島も反織田ではなかった。織田家との取引で成長した財閥だから当然ではある
一説として徳川家が朝倉攻めに参加したのは、織田家の繁栄が交易ラインを安定させ徳川家を栄えさせると判断した、というものがある
0481人間七七四年
2011/03/16(水) 00:21:33.63ID:eDpSAIuV織田軍が越前から逃げ帰ると、反織田勢力が一斉に決起
伊勢長島も便乗して反織田陣営に加わった
同時に松永久秀・伊賀衆・紀伊衆もほぼ同時期に織田家と敵対する。いずれも伊勢長島の取引相手だった
信長はすぐに南北伊勢の水軍衆を調略して味方につけ、交易ラインを確保した
だが徳川家から見れば取引相手が織田家に従う勢力ばかりになってしまい、徳川家の立場が弱くなってしまった
しかも徳川家が携わる交易の流通量は大幅に減ってしまった
徳川家としては反織田勢力に鞍替えする手もあったが、織田方の水軍衆を何とかしないと伊勢長島と取引ができない
また駿河を巡る争いに介入した徳川家は武田家と敵対していて、それどころではなかった
徳川家と北条家は海上交易の取引相手で、そこに駿河を攻め取った武田家が割って入る
武田家は北条家と和睦し、さらに徳川家を味方につけてかつての三国同盟を再現しようとする
ところがその頃にはもう、徳川家は織田家との取引なしでは保たないほど弱体化してしまっていた
織田家は度々徳川家に金銀や兵糧を送って助け、これが織田・徳川の絆の美談にされることもあるが、実態は全く違う
徳川家は織田家の援助を受けなければどうにもならない。英国病に罹っていた頃のアメリカとイギリスのような関係(かもしれない)
この経緯を見るだけでも、家康が信長を嫌うことはあっても、慕うことはありえないと思う
0482人間七七四年
2011/03/16(水) 00:41:32.55ID:eDpSAIuVただし信長の命令で家康が信康を殺したのではなく、
家康が自分の意志で信康粛清を決めて、信康の舅の信長を説得して了承させた
まず信康は信長の娘婿で、婚姻関係を抜きにしても信長・信忠と仲が良かった
頻繁に使者の行き来があっただけでなく、信康は何度も織田領に遊びに行っている
側室が入った後でも信康と織田家父子の交流は変わらず続いていた
家康の命令で信康が岡崎城で三河の統治を始めると、信康派の派閥ができた
この派閥には榊原康政の兄・清政なども参加している。徳川家臣の親兄弟がニ派に分かれていた
家康の指示で信康が殺害された時、信康派は大量粛清された
清政など記録に残っている人物でも良くて長期放浪で、彼らは随分後に復帰を認められたので歴史に残った
当然、記録にも残らず殺された家臣は大勢いたと思われる。記録のある人物でも殺された人の方が多いくらいだから
もちろん信長は、信康だけでなくその派閥まで粛清しろなどとは頼んでいない
そもそも信康派=親織田派なので、存続してくれれば織田家は彼らを通じて徳川家をコントロールしやすい
何で徳川家の中で派閥抗争が起きたのかは諸説あるが、この時期の派閥争いがあったのは事実
つまりこの事件で家康が信長を恨むとしたら、
☓信康殺害を命じた信長を憎んだ
◯信康を篭絡して徳川家を支配しようとした信長を憎んだ
だと思われる
家康は傀儡になるよりも先手を打ち、(三河物語で貶された)家康派筆頭の忠臣・酒井忠次に信長を説得させた
家康は信康の死をいつまでも悲しんだという記録が幾つもあるので親子仲は良かったのかもしれないけど、
その信康に仕えていた家臣たちを、家康は長い間迫害した事実がある
0483人間七七四年
2011/03/16(水) 01:01:54.32ID:eDpSAIuV信長に追従したり保身に走るどころか、どんな相手にも臆さず物を言う性格で、
皮肉なことに大久保彦左衛門が三河物語で描いた理想の三河武士の典型だった
また、信康事件の後も家康が忠次を冷遇する処置を取ったことは一度もない
関東転封でも酒井忠次の家は3万石を貰っていて、他の家臣よりも多い
本多・榊原・井伊とよく比較されるが、この三人は里見家や真田家などへの対策と、秀吉の内政干渉の結果だった
井伊直政を引き立てたのは忠次だし、関東移封した後も忠次が三将を馬鹿にしたという信頼できる資料はない
この忠次が家康に味方して信長と交渉したと思われる
そして家康は信康派を粛清
もちろん信長の方も家康を憎んだはずで、それと関係あるかは分からないが、
信康事件の後、信長は家康の救援要請にほとんど応じていない
それ以前は無駄でも少数の部隊を応援に寄越していたが、それも止めてしまう
結果、延命した武田勝頼は勢力挽回してしまい、また徳川家を圧迫する
御館の乱の後、家康は北条家と組んで武田家を挟撃し、高天神城を奪回
ところが北条家の駿河・甲斐への侵攻作戦が中止になり、また徳川と武田家は拮抗状態に逆戻り
最終的に武田家を倒したのは、家康の頑張りでも織田家に対する応援要請でもなく、
木曽義昌の寝返りと信忠の決断で、徳川家とは全く関係ないところで決められた
しかも信忠は家康にまともな連絡もしない内に武田攻めを始めてしまい、慌てた信長が送った使者に引き止められた記録が残っている
信忠と信康の仲が良かったことと関係あるかは分からないけど、徳川家は馬鹿にされたようなもの
0484人間七七四年
2011/03/16(水) 01:25:43.00ID:CESrdlv90485人間七七四年
2011/03/16(水) 01:33:23.98ID:eDpSAIuVまず家康の三河帰りは記録されたほど危険なものではなかったという説がある
家康が通ったルートは、徳川家が以前に使っていた交易ライン。道中で護衛についた伊賀衆はかつての取引相手で、
信長の介入で取引ができなくなった後も、伊賀衆の三河亡命という形で交流は続いていた
亡命した伊賀衆は反織田派だったので、彼らを匿った家康に対する信長の心境はどんなものだったのか気になる
領地に戻った家康は、旧武田領に配属された織田家臣たちの支援要請を無視
しかも信長の粛清から逃げて家康に匿われていた武田家旧臣を使って、河尻秀隆だけでなく多くの織田家武将を殺害させている
家康が武田家旧臣を匿ったのを知った時、信長・信忠がどんな気持ちだったか気になる
少なくとも家康は徳川家を守るために遜るどころか、織田家に反抗しまくってる
0486人間七七四年
2011/03/16(水) 01:34:31.23ID:eDpSAIuV駿河時代って家康が一番楽しかった時期なのかなー、と思ったり
0487人間七七四年
2011/03/16(水) 02:08:21.56ID:7bzG2bbL0488人間七七四年
2011/03/16(水) 09:53:45.09ID:+EG2k5M0物語として見る分には流れは悪くはないと思うけどね。
0489人間七七四年
2011/03/16(水) 13:53:20.20ID:r4O9FSps0490人間七七四年
2011/03/16(水) 18:35:58.03ID:M6+91Pagおつかれ。
信長が信康を使って徳川家を篭絡しようとした、というあたりを
少し検討する必要があるかな。
例えそうでも、信康を説得すればいいわけで信康はどうしてそんなに
親織田になってしまったのか、とか。
家康としては織田との関係は微妙なところで跡継ぎである信康が
親織田なのは特に困るわけではない。同盟強化という意味でも。
問題は徳川を裏切るような行動を取られることなんだけどそういう行動が
確実にあったということなのかどうか。もちろん恥だし公にはならないだろうけど。
だとしたら、信長を恨むよりは信康に責任があるとは思うけど
逆恨みみたいな感じがあったのかな、家康に。
信康派の粛清と言うのは、親織田というのもあったかもしれないし
信康切腹させた時点でいわば危険分子だし、ここも結果と原因を混同すると
危険かもしれない。
本能寺の話で子孫が面白い説を出してるけど、信長ー家康の間に複雑な
関係が発生していたとすると、信長の家康暗殺、それを聞いた家康の明智への同調
というのにまである程度の根拠が生じて、こういう意味からも興味はあるな。
0491人間七七四年
2011/03/16(水) 19:00:59.51ID:NleA/Zqv0492人間七七四年
2011/03/16(水) 21:25:23.80ID:xbABC3bw0493人間七七四年
2011/03/16(水) 23:00:43.07ID:ukiatFuWおかしい人を亡くしたw
0494人間七七四年
2011/03/16(水) 23:35:55.75ID:2bTOXTj50495人間七七四年
2011/03/17(木) 07:39:38.58ID:h8xPBvSw0496人間七七四年
2011/03/17(木) 07:42:06.46ID:AcUStnxI0497人間七七四年
2011/03/17(木) 07:47:10.15ID:lDOWOuui0498人間七七四年
2011/03/17(木) 10:29:07.05ID:jxRsDMl7忠次と信康は周知の犬猿の仲。
なのにライバルの石川数正は信康と昵懇の間柄。
信康が徳川の次期当主となれば数正は一層取り立てられ、
一方忠次は確実に追い落とされ失脚する。
忠次は保身上、どうしても信康を始末せねばならなかった。
家康の命綱は信長との同盟。
なのに家中に嫌信長の築山殿と今川の血を引く信康がいる。
家康も信長に不信の目を向けられないための用心として、この母子をどうしても始末しておく必要があった。
信康と妻五徳の不仲も動機の一つ。
信長との同盟上、夫婦仲はもはや政治問題で、
五徳を離縁して織田家に送り返せば、信長との同盟関係に齟齬が出かねない。
加えて家康と信康の年齢差。
三十八歳の家康にとって二十一歳の信康は自分の地位を脅かす危険なライバルになりかねない。
信康は築山殿の影響を深く受けて育ち、実母の唆されてクーデターでも起こされては、家康の面目丸つぶれ。
家康が酒井忠次を安土への使者にしたのも確信犯。
反信康の忠次を信長に対面させれば、何を喋るか容易に察しがつく。
信長から詰問された信康築山母子の武田内通を、忠次が知っているのに家康が知らないなんて有り得ない。
それに忠次が知っていたのに、そのまま放置していたというのも有り得ない。
同年、後に二代将軍となる秀忠が既に生まれており、
信康を始末しても徳川の後継には後顧の憂いがなかったのも一因。
つまり家康と忠次の利害は完全に一致しており、
両者の謀略によって二人は消されたわけで、それを正当化したいが為、信長の威光を利用しただけ。
この事件は、後年信長死後の謀略や秀吉死後の悪行専横の一端を覗かせる一駒。
家康の本性は偽善の皮を被った卑劣漢。
0499人間七七四年
2011/03/17(木) 17:18:16.82ID:Wd2wfaL+0500人間七七四年
2011/03/17(木) 18:37:58.12ID:u83kF0uG0501人間七七四年
2011/03/17(木) 18:52:41.48ID:lDOWOuui0502人間七七四年
2011/03/17(木) 19:28:40.15ID:4+hp4RTH>>498ではないが、秀忠の母は家康がもっとも愛したといわれる西郷局。
不仲の正室とのあいだの子より、そっちを後継ぎにしたいと考えても不思議はない。
0503人間七七四年
2011/03/17(木) 19:46:07.17ID:lDOWOuui当時は乳幼児の死亡率が高いんじゃなかったっけ?
0504人間七七四年
2011/03/17(木) 19:47:36.48ID:7fsrz99j0505人間七七四年
2011/03/17(木) 20:19:59.75ID:Mgiwb2OL0506人間七七四年
2011/03/18(金) 22:10:27.59ID:fwmea6p0信長を忌み嫌ってる築山は当然娘の五徳に冷たい対応したろうし、そんな扱いは五徳から父信長に伝えられる。
当然信長としてもいい気分にはならん。
家康としても織田家との同盟の手前、
夫婦仲が修復不可能なくらい悪化してたとしても、五徳を実家に送り返すこともできないし。
信長との同盟に亀裂が入るからな。だったら信康に消えてもらうしかない。
信康と五徳の不仲は、息子を五徳から引き離したい築山の介入も影響大。
母に言いくるめられて、
五徳との政略結婚の重要性を考えずに関係を修復しようとしなかった信康も愚か。
家康もそんな政治オンチの信康には失望してたろうて。
そんな信康だから、母築山の入れ知恵で家康や信長に反旗を翻すことも有り得ない話ではない。
そんな事態になれば、家中統制さえできない家康への信長の信頼は失墜するのは必定。
下手したら家康は信長の不興をかって失脚しかねない。
家康にとって信康・築山母子は、徳川の安全保障や自分の地位を脅かす獅子身中の虫だった筈。
実子の確信ある秀忠が生まれたことで、家康は二人を始末する踏ん切りがついたんだろう。
そこで信康嫌いの忠次に二人を抹殺する謀略をもちかけた。
当然忠次は二つ返事で乗ってくる。
0507人間七七四年
2011/03/18(金) 23:30:56.65ID:ZZu8bAarhttp://ninja.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1300448877/l50
0508人間七七四年
2011/03/19(土) 02:31:56.36ID:uHGapZTKそういう怨恨は大して影響しないんでは無いか?
0509人間七七四年
2011/03/19(土) 08:58:26.81ID:sbhp4jqV消極的とは言えどもそれまで豊臣政権に加担したことがあるという大罪が清算されたと思っているのか
秀吉が主犯なら、家康は従犯というやつだ
何気ない顔で新政権をうち立てたように見えても、中身は汚れきった、偽善者なんだよな
0510人間七七四年
2011/03/19(土) 09:38:45.39ID:NOjxUR190511人間七七四年
2011/03/19(土) 17:51:08.38ID:Ra1+3YLG豊臣が暴政ってどんな論理なんだか、源頼朝や足利義満の方が遥かに酷いだろ
天皇になろうとするわ、法皇を武力で恫喝するわ、徳川家康も主家から政権を奪い滅ぼした謀反人だろうが
0512人間七七四年
2011/03/19(土) 19:15:06.30ID:V1fX3hyu0513人間七七四年
2011/03/19(土) 20:03:44.96ID:Vtt8EJZx全国諸大名のほぼ100%の支持を得てる謀反人て、むしろプラス材料じゃね?
皆に嫌われてるのに空気が読めない豊臣、の構図にしか見えないよ。
小説で脚色されたお涙頂戴の影響が大きいんだろうなぁ、って思う。
0514人間七七四年
2011/03/19(土) 21:05:56.95ID:wFjOjekA実際は天罰どころか260年徳川幕府が続く結果となった
0515人間七七四年
2011/03/19(土) 21:26:50.96ID:742+ExQP徳川幕府が260年も続いたのは優秀な幕閣が土台をしっかりと固めたから
家康の血を引く将軍家を見たら若死ばっか、例え成長しても異常者である確率が飛び抜けて高い
権現様も明治を過ぎたら逆臣扱い、これこそ天が家康に下した運命という他ない
0516人間七七四年
2011/03/19(土) 21:48:50.11ID:gdTaQl5U260年後に逆臣扱いされても、痛くも痒くもないと思うよ。
自分が死んだ後の260年後を想像してみ?
0517人間七七四年
2011/03/19(土) 22:23:17.23ID:V1fX3hyu0518人間七七四年
2011/03/19(土) 22:25:13.82ID:vZUDLNUIつーか明治になっても逆賊扱いされてないじゃん。
逆賊扱いされたのならなんで廟(東照宮)がそのままだったり
子孫が華族になってたり貴族院議長になったりしてるの?
それともおまいさんが言う逆賊扱いって相当緩いの?
0519人間七七四年
2011/03/20(日) 02:27:29.04ID:IamQEXDb0520人間七七四年
2011/03/20(日) 07:30:18.61ID:yAEZj4sq0521人間七七四年
2011/03/20(日) 07:36:46.25ID:kmGPpdsv臣下としてあるまじき行為って意味で逆臣になってるんだろう、薩長も攘夷がブーメランになりかねないと自覚してたか
0522人間七七四年
2011/03/20(日) 10:24:43.15ID:Zp+V8a6K魂まで悪魔に売っていたわけではなかったため、
正道に立ち帰ったと言ったところか
0523人間七七四年
2011/03/20(日) 23:56:23.39ID:4VVk/nPl0524人間七七四年
2011/03/21(月) 06:20:07.02ID:YpNIKAct彼我の差を受け入れ、耐えて降伏したわけでしょ。
その相手が弱体化してる以上、チャンスと思うのは普通の感覚。
0525人間七七四年
2011/03/21(月) 06:25:02.47ID:jqQZ/Vkd0526人間七七四年
2011/03/21(月) 11:52:08.29ID:gWae3Mfqどれを読めばいいですか?
0527人間七七四年
2011/03/21(月) 12:12:23.69ID:ovXKsCbX0528人間七七四年
2011/03/21(月) 12:33:42.61ID:gWae3Mfq豊臣家の統治機構を家康が乗っ取った、つまりは簒奪したという、
史実にはない過程を記述したフィクションがあるなら読んでみたいので
0529人間七七四年
2011/03/21(月) 12:45:42.21ID:ckO62/5v0530人間七七四年
2011/03/21(月) 13:00:14.93ID:ovXKsCbX豊臣政権の奉行衆に代わって、取次に徳川家譜代の臣を付けることで
東国の一地方政権だった徳川家の日本全国に対する支配を確立することができたわけ
例を挙げると長崎奉行を寺沢広高→小笠原一庵、京都所司代を前田玄以→奥平信昌、
上杉家や島津家の取次を石田三成→本多正信&井伊直政という風にね
上記の人事変更については征夷大将軍の名目ではなく、
あくまで豊臣政権の政権執行者家康として行われている(豊臣政権の人事だから当然ではあるが)
要するに既に存在した豊臣政権の政治システムを徳川家の人間に
代えていくことが家康の政権樹立の第一歩だったわけ
豊臣政権の官僚機構を家康が乗っ取っていく
過程については山本博文氏の研究を読めば良い
「豊臣家とは無関係に徳川家が統治機構を創り上げていった」とか無知丸出しでちょっと恥ずかしいよ
0531人間七七四年
2011/03/21(月) 13:30:23.97ID:gWae3Mfq前者は平清盛一族の政権の類に似、後者は鎌倉に建てた源氏政権に似る
作る前に乗っ取りの過程があることと、新たに作ることを混同しちゃってるわけだね
こういうトンチンカンなことを言い出す輩がいる板だから、馴れていないわけでもないけど、
やっぱ相手にするのは疲れるわ
0532人間七七四年
2011/03/21(月) 13:35:28.85ID:ovXKsCbXだから別だよ?
統一政権樹立に当たって家康がしたことは
豊臣政権に息のかかった人材をねじ込んでいくことで、
一から新たなシステムを作ったわけじゃない
つうか家康の頃の初期江戸幕府の統治システムがまんま
豊臣政権なのは研究者の間で常識だからね
このスレはレベルが低い人が多いから毎度のことながら疲れるわ
0533人間七七四年
2011/03/21(月) 13:39:59.31ID:/o8oeIJ70534人間七七四年
2011/03/21(月) 13:48:52.37ID:ls3gkJNzたしかにID:ovXKsCbXが存在するのだから、レベルが低いスレなんだろう
別だと判ってるんなら、そもそも反論にならんのに、
反論する書き方してんだもんな
0535人間七七四年
2011/03/21(月) 13:55:03.62ID:ovXKsCbXもう一回>>528からのレス読みなおせば良いよ
「豊臣家とは無関係に徳川家が統治機構を創り上げていった」つうレスに対して
ソース付きで反論したのが>>530と>>532なんだけど
反論する書き方、というより相手の稚拙な理屈逆手にとって皮肉を書いたっつう方が正しい、
つうかここまで言わせんなよ恥ずかしい
0536人間七七四年
2011/03/21(月) 14:07:47.88ID:i9bwrfsY更に反対勢力を駆逐し、政権を私物化した訳で、この時点完全な乗っ取りだわな。
その上で同じようなシステムの中にその家臣を丸々いただいたんだから
これで乗っ取りじゃないって言ったら何でもありだな。
0537人間七七四年
2011/03/21(月) 14:17:26.63ID:a3EK7/1W今の時代で言うならハゲカタが買収し、企業をバラ売りし後には何も残らないのと一緒だな
0538人間七七四年
2011/03/21(月) 18:51:21.98ID:YpNIKAct0539人間七七四年
2011/03/21(月) 19:59:25.12ID:FOVXGdkj富士ハウスを破綻させた責任者を排除しつつ、
真っ当な従業員の一部を引き継いでらいずほーむを立て、負債処理に当たったら、
乗っ取り以外の何物でもなかったとしか言い様がないわけだ
ついでに本末転倒な論理展開をして、あいつに乗っ取られたから破綻したんだと、
責任をなすり付ければ完璧だ
0540人間七七四年
2011/03/21(月) 20:42:54.54ID:i9bwrfsY0541人間七七四年
2011/03/21(月) 20:51:11.35ID:Py/NdTep時期に地震で死ぬだろ。ヤツみたいにw
0542人間七七四年
2011/03/22(火) 02:29:13.65ID:pQEpqLt20543人間七七四年
2011/03/23(水) 12:14:53.58ID:VqOGfEUa裏切るから敵もろとも始末しろって意味でよろしいですか?
0544人間七七四年
2011/03/24(木) 22:21:36.38ID:Ckx/EIns0546人間七七四年
2011/03/26(土) 18:31:05.46ID:lxYhzMaK藤堂は秀吉健在の頃から親徳川だろ
0547人間七七四年
2011/03/27(日) 13:23:45.80ID:krstTaR/でも相手が死ぬとちゃっかりとお家の為に踏み台にする。
相手が亡くなる度に着実に身代を大きくしていくのが見事。
0549人間七七四年
2011/03/27(日) 20:15:07.64ID:Q4UF1Lcn0550人間七七四年
2011/03/27(日) 20:45:37.73ID:UpG9rS/i0551人間七七四年
2011/03/28(月) 02:34:22.22ID:oWToG9/0百姓討ち死に! 今ごろ土砂の下w
0552人間七七四年
2011/03/28(月) 08:19:32.91ID:saIWZRgs0553人間七七四年
2011/03/28(月) 09:19:55.07ID:1wuaucOM0555人間七七四年
2011/03/28(月) 09:52:43.23ID:rE7PSYym上手く逃げられたとでも思うのか?
状況把握能力 判断力が著しく欠如してるんだぞw
0556人間七七四年
2011/03/28(月) 15:38:08.02ID:LeaMB46gちゃんと戻ってきてから悪く言えばいいよ
0557人間七七四年
2011/03/28(月) 21:56:49.49ID:J0QY0Klh0558人間七七四年
2011/03/28(月) 22:15:31.18ID:MJzP8x0/史実ではこれくらいあるだろ 統率98 武勇80 知略100 政治110
本能寺の変以降は謙信以上の統率があってもおかしくないつまり120以上
0559人間七七四年
2011/03/28(月) 22:22:10.92ID:cZ6AhxoL0560人間七七四年
2011/03/28(月) 22:36:46.13ID:f1cU1rHpやっと大軍を指揮できただけだから
裏切りに遭わなかったのが不思議なくらいだ。
0561人間七七四年
2011/03/28(月) 22:53:23.35ID:k+chqw+w0562人間七七四年
2011/03/31(木) 15:30:08.84ID:ZisTQXih0563人間七七四年
2011/03/31(木) 18:45:02.03ID:Ntv9dNfZ毎晩家康たんをおかずに抜いてる
昨日は家康たんのたわわに実ったおっぱいでパイズリしてもらう妄想でイッた
0564人間七七四年
2011/03/31(木) 19:03:32.51ID:Ntv9dNfZまさか四百年前に理想の人がいたとはね…
これは運命にちがいない
きっと俺は前世であの時代の家康たんとらぶらぶで…そして今、長い時を経てまた巡り逢えたんだよ
家康たん家康たん家康たんもう離さないよはあはあ
0565人間七七四年
2011/04/02(土) 12:11:23.25ID:nG/ckTGu「おっぱいでパイズリしてもらう」とか言って近寄ったら
ねじ伏せられて逆に菊門破られるぞ
0566人間七七四年
2011/04/04(月) 21:14:17.71ID:CEVcRYYc変なのが沸いて盛上るかしか無いのか(´・ω・`)
0567名無しさん@お腹いっぱい。
2011/04/05(火) 00:00:57.69ID:BGPQQAcE0568人間七七四年
2011/04/05(火) 00:13:27.85ID:BQgpBYbZリアルでは・・・まああまり詮索しないほうがよかろう
0569人間七七四年
2011/04/05(火) 03:17:10.22ID:DNz6rSq0それは戦国の世だけでなく現代でも同じ。
松永久秀と秀吉・家康は、同類の悪党。
彼らの明暗を分けたのは、己の悪事を偽善の装飾で偽装したかしなかったかの違い。
剥き出しで露骨な悪事をした松永は、世間からも他の武将からも信を得られず、
悪名高さのみ世に知られ、計算のみで動いて結局自滅。
よって東北関東大震災の被災者に対し、何の感慨も抱かなくても、
演技として哀悼の意を示すのが良識ある大人というもの。
間違っても、日テレのスッキリのリポーター大竹真のような失態を演じては駄目。
それは小者を意味する愚行。
0570人間七七四年
2011/04/05(火) 05:57:09.35ID:sI6s2cXl0571人間七七四年
2011/04/05(火) 09:07:29.90ID:MNgIzc/H体裁整えるのは当然だろうに、
そんな事も分からんバカが多過ぎる。
会社に不満があって転職活動始めたばかりで
わざわざ宣言するバカ居ないだろうに。
普通は内定出てから。
俺なら有印書類で内定もらわなきゃ、辞めない。
0572人間七七四年
2011/04/05(火) 09:22:40.09ID:t+efJJ3d自民党のための民主党
http://s1.shard.jp/deer/0204/41/276.html
源氏のための平家、
徳川のための豊臣、
明治政府のための薩摩・西南戦争
日本政府のための米国駐留軍。
「逆転の陰謀」は、日本の伝統だ。
国家を支配するには、必ず敵を排除せねばならない。
すると、恨み・つらみが残り、赤穂浪士の世界になる。
これを巧妙に切り抜けるために、
「敵の排除」と「現実の支配」の役割を分担させた。
敵を排除したものは、しばらくして自滅し、静かに、
「現実の支配」に権力を譲る。
すると、周りには、恨みをもつ者は一人もいない、
極めて安全で極楽な支配体制が出来上がる。
世界中が、このトリックにだまされ、
日本の「闇将軍」を許してきた。
「万世一系」が日本だけなのは、決して偶然ではない。
0573人間七七四年
2011/04/05(火) 15:59:50.97ID:s7kkoYzq0574人間七七四年
2011/04/06(水) 09:29:32.03ID:nO+lwc+2武士に二言は無いから、例え土砂の中でも変えない。
0575人間七七四年
2011/04/08(金) 23:37:16.67ID:seS/pQyK「どちらも正しい」とかいうことかも知れないが。
0576人間七七四年
2011/04/10(日) 22:53:55.31ID:8oCZV1vf0577人間七七四年
2011/04/11(月) 17:55:35.72ID:o+TjW5kS0578人間七七四年
2011/04/11(月) 19:17:03.05ID:IeuminPFアンチやる人、ますますいなくなるな
0579人間七七四年
2011/04/11(月) 20:35:02.09ID:FKPVjcuxなぜか信者よりアンチの方が勢いあるスレだったからね
今くらい過疎ってる方がむしろ正常
0580576
2011/04/11(月) 22:47:20.03ID:XmrIZFJ5リアルに後ろの部屋からは、大学生カップルの喘ぎ声が聞こえてきます…
0581人間七七四年
2011/04/12(火) 00:14:12.68ID:j9GiHc1Oそれにひきかえアンチときたらエロゲーしかすることがないときたもんだ
0582人間七七四年
2011/04/12(火) 08:21:35.43ID:speQkXVF0583人間七七四年
2011/04/13(水) 19:30:11.29ID:V3SDKJgWハアハア…腹肉とおっぱいの間でしこしこしたいよ
家康たんたまらん
0584人間七七四年
2011/04/13(水) 19:56:02.45ID:U3OfnCtA0585人間七七四年
2011/04/14(木) 11:42:38.06ID:IBC0OLpg0586人間七七四年
2011/04/14(木) 12:52:12.73ID:eDlpqc4Bでも家康アンチがこうも多いのは解せないな
家康のやったことって、結局信長や秀吉がやったことと変わらないのに
それなのに、家康がやったことは悪いことで、他の人がやれば偉大なこととされる傾向があるな
まさかと思うが、昨今あふれる西軍側をたくさん殺したから家康嫌いとか言うゲーム好きな人が増えたから?
0587人間七七四年
2011/04/14(木) 12:56:15.83ID:XdypXB1x0588人間七七四年
2011/04/14(木) 13:01:18.26ID:eDlpqc4Bなんか無茶なことを言い出す→作左に叱られる→反省する
って可愛いテンプレもあるのにな
0589人間七七四年
2011/04/14(木) 13:55:50.69ID:IBC0OLpg周りがどう思おうと家康たんのエロ可愛さは揺るがないもんねぶちゅ〜
0590人間七七四年
2011/04/14(木) 13:56:25.51ID:IBC0OLpg0591人間七七四年
2011/04/14(木) 14:35:36.01ID:AZfkqhWp0592人間七七四年
2011/04/14(木) 16:17:16.43ID:rVDykZV0桶狭間の時に城落とされた地域だがw
0593人間七七四年
2011/04/14(木) 16:52:18.49ID:IaskqxaL0594人間七七四年
2011/04/14(木) 22:46:01.41ID:r611Lr970595人間七七四年
2011/04/15(金) 00:34:53.98ID:2SzSkYnK汗とチンカスのちょっとしょっぱい風味が効いてて最高に美味だった
0596人間七七四年
2011/04/15(金) 20:53:58.39ID:WFHdeYJpあまりしゃべらないタイプ
0597人間七七四年
2011/04/15(金) 21:43:10.01ID:ZmhSCp3Q0598人間七七四年
2011/04/15(金) 21:43:16.58ID:TFt7mAt2家康の胸のうちを知ることが出来る人物は限りなく少ない という話を聞いた
そんな家康を理解できる正信さんてすげぇな
0599人間七七四年
2011/04/15(金) 22:50:49.62ID:2SzSkYnKおぬしの前でだけは自然体でいられるんだって、はにかみながら言ってくれた
可愛すぎてプルプルした…
0600人間七七四年
2011/04/15(金) 23:29:40.76ID:DOeMLEQJ0601人間七七四年
2011/04/15(金) 23:52:38.35ID:mVxYQhI2もって行きたがる人たちに囲まれてるから・・・
0602人間七七四年
2011/04/16(土) 00:08:16.06ID:VfYLkoc8三河武士はスパッとする所と、グダグダとする所と両極端だよね
0603人間七七四年
2011/04/16(土) 02:20:00.06ID:ih9DiPmg1日中家康たんのこと考えてるよ
0604人間七七四年
2011/04/16(土) 02:46:26.12ID:efuWgYClネタ無くなりそうだけどね
まあ誤ったイメージ広めることはないのでその点は安心
0605人間七七四年
2011/04/16(土) 03:54:48.30ID:ih9DiPmgでもそんな家康たんも可愛いよ気持ちが昂って眠れないよ家康たん…
家康たん家康たん家康たん家康たん
別に俺はスレを盛り上げるつもりはないよ
でも、定期的に書き込んで絶対過疎ったり落ちたりしないようにするから
できればお前らもも協力してくれな
家康たんのかわゆいエピソードとか書き込んでくれればもっとよし
0606人間七七四年
2011/04/16(土) 17:21:47.31ID:ih9DiPmg0607人間七七四年
2011/04/17(日) 00:02:10.83ID:3m/HAHoJ0608人間七七四年
2011/04/17(日) 00:22:21.51ID:i4+0IWPM夕方の再放送を録画して見るんだよなー。
0609人間七七四年
2011/04/17(日) 01:24:39.86ID:xsh008eV0610人間七七四年
2011/04/17(日) 01:49:02.14ID:Y52mgQ+I0611人間七七四年
2011/04/17(日) 02:16:29.74ID:xsh008eVアニキはゴリラくさいタチというイメージしかないからむちぽよ家康たんにはそぐわないし
0612人間七七四年
2011/04/17(日) 20:39:30.84ID:pjCCGFKtバカじゃないの?
0613人間七七四年
2011/04/17(日) 20:56:18.94ID:2ODNUDRa0614人間七七四年
2011/04/17(日) 21:48:26.40ID:xOh8wH6f秀吉の圧勝だったのに
0615人間七七四年
2011/04/17(日) 21:52:22.16ID:eAs07KmH0616人間七七四年
2011/04/18(月) 01:10:32.65ID:GJr03dfS最新の本すら、家康sageが多いような気がする
昔が過大評価だったんだろうけど、それでなくともここまでsageなくてもいいと思うんだけどな
そんな酷い人物なら、あの徳川幕府250年はなんだったんだよと
正直あの豊臣家がそんな長いこと治世の世を築けたとは思えないから
覇権は家康が握って良かったと思うよ
0617人間七七四年
2011/04/18(月) 01:39:01.67ID:4N3o/IRr0618人間七七四年
2011/04/18(月) 01:42:02.32ID:VMsJu3ZB0619人間七七四年
2011/04/18(月) 01:48:57.98ID:4N3o/IRrむちぽよで、大きくて、コッペパンみたいな手なのに爪は桜貝みたいに可憐なんだぞ…
0620人間七七四年
2011/04/18(月) 03:43:16.03ID:QG8hj06V余計な事したのは秀次じゃなくて秀吉な
初陣の少年に中入りという高度な作戦指揮させること自体が間違ってた
0622人間七七四年
2011/04/18(月) 20:12:27.61ID:icYtsYbg強敵相手に若輩って時点で無いだろw
0623人間七七四年
2011/04/20(水) 21:57:15.18ID:lTT7goqu0624人間七七四年
2011/04/20(水) 22:05:04.75ID:s6xzv6Fd0626人間七七四年
2011/04/20(水) 22:43:04.73ID:+eWf2bQ/0627人間七七四年
2011/04/20(水) 22:47:30.32ID:S0vehsgL0628人間七七四年
2011/04/20(水) 23:15:48.93ID:OcaZcLB4知っててあたりまえのことを一体何回放送しとんのじゃ
大河もくだらねぇ三ケツとかマンネリズムの局地ばかりやりやがって
0629人間七七四年
2011/04/20(水) 23:31:06.61ID:s6xzv6Fd0630人間七七四年
2011/04/20(水) 23:49:16.61ID:XMjT1617ライトな家康ファンが増えれば、喜ばしい限りだよ。
マニアックなことを公共放送で放映しても受けないのが今のご時世だよ。
伝統ある大河で、秀吉が”猿”という名前で呼ばれ、「猿の正体」とかいう歴女垂涎の題名が
まかり通るんだから、通史どおりのきれいな家康像が放映されたことを喜ぶべきだろう。
0631人間七七四年
2011/04/21(木) 15:01:57.63ID:k4fHLKif俺も最近はたぬきオヤジの家康ばっかだったから
若い頃の話メインでよかったよ
桶狭間後の岡崎入城までがメインのほうがもっとよかったけど
0632人間七七四年
2011/04/21(木) 15:55:39.46ID:3XXnNPQMhttp://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1303368850/
スレの流れが早いので、松平徳川氏一族のスレを立てました
0633人間七七四年
2011/04/21(木) 19:06:23.56ID:UKX0aFe00634人間七七四年
2011/04/22(金) 07:39:23.61ID:rD0VAA/c特集番組の前後でも数書込みなスレの流れが速いとは、、、
0635人間七七四年
2011/04/22(金) 23:05:01.68ID:WGBwrt86むしろ腹黒い家康像のほうが大衆向けだろう
録画したのを見直したが、特に美化して捏造したというほどのものではなかった
信康事件はあれだが、信長信者の側から異論が提出されているというだけの話
0636人間七七四年
2011/04/24(日) 11:41:32.24ID:tHMSU9OLやってることは戦国武将のテンプレみたいなもんじゃないか
なんで家康がやったことは全て外道 みたいに言われるんだろうか
0637人間七七四年
2011/04/24(日) 12:03:54.45ID:Gf56a39Kそりゃあしっと団もたくさん湧くさ
0638人間七七四年
2011/04/24(日) 12:08:26.28ID:eI0rNnJHhttp://s1.shard.jp/rabbit1/0204/46/302.html
徳川宗家嫡男の誕生日に、それがみえてきた。
0639人間七七四年
2011/04/24(日) 12:11:52.08ID:aiMjI1VR江戸の長期安定政権が無ければ
国民の教育水準・勤勉性が低いままで
今ごろ植民地になってたろうに、、、
0640人間七七四年
2011/04/24(日) 12:21:09.87ID:fHix7Sa9信長信者?
信者ならむしろ信長の命令のほうが都合がいいはずだが。
「信長の威勢は同盟者の正妻と嫡男を殺させるほど強かったんだ!」と
いうことになるから。
0641人間七七四年
2011/04/24(日) 12:24:15.64ID:tHMSU9OL徳川幕府で戦のない治世の世になったから良かったんじゃないかね
豊臣政権は全くダメ とは言わないけど
正直秀吉がどういう国づくりしたかったのか、よく分からないんだよね
国の安定よりも外国に目を向けちゃうし、日本を制覇したらもうどうでもよくなったのかと思わんでもない
0642人間七七四年
2011/04/24(日) 12:47:40.26ID:RlCKswgw秀吉は日本統一戦争と大陸侵略と並行して国内改革を成し遂げてる
家康の政策も基本的に秀吉のそれの延長線上にある
義務教育受けたなら知ってるはずでは?
0643人間七七四年
2011/04/24(日) 13:19:35.52ID:aiMjI1VR0644人間七七四年
2011/04/24(日) 14:45:10.28ID:cTKxyjnAそれぞれ日本をどうしたいってのはあったと思うけど
自分の後継者につなげていけなかった
織田は信忠が同時に死んじゃったし
秀吉は秀頼が生まれるのが遅すぎたね
もう10年早く秀頼が生まれてたらどうだったか
0645人間七七四年
2011/04/24(日) 16:02:33.89ID:aiMjI1VR敵だらけの信長みたいに
無防備な状態って無いでしょう?
やっぱり信長は一発屋&バカだったんだよw
0646人間七七四年
2011/04/24(日) 16:10:37.12ID:tHMSU9OLしかし秀吉から家康への以降政策は、やはり徳川色が強いと思うんだよ
そういや秀吉は何がなんでも秀頼を跡継ぎに! と秀次事件起こしちゃうけど
家康は死ぬ間際まで、秀忠が天下の器じゃないと判断した時は容赦なく下ろせよ みたいに最後まで厳しいね
天下は天下の天下なり とはうまい言葉だなと思った
0647人間七七四年
2011/04/24(日) 17:34:04.98ID:tGSbBuyq0648人間七七四年
2011/04/24(日) 19:32:54.56ID:aiMjI1VR良い制度を踏襲したのが気に食わないんだよな。
使い回すに決まってるのに、、、
0649人間七七四年
2011/04/24(日) 20:10:25.58ID:0kXFZ5cj江戸幕府は開幕してから十年程度で年寄(老中)・留守居・老中(若年寄)・町奉行を
中心とした制度が整備されているので、言い訳に過ぎないんだよね
0650人間七七四年
2011/04/24(日) 20:34:23.88ID:Hnif4k250651人間七七四年
2011/04/24(日) 20:36:43.37ID:Gf56a39K0652人間七七四年
2011/04/24(日) 20:45:13.26ID:0kXFZ5cj0653人間七七四年
2011/04/24(日) 20:54:03.21ID:s0QZ5+/n0654人間七七四年
2011/04/24(日) 20:59:12.80ID:0kXFZ5cj0655人間七七四年
2011/04/24(日) 21:20:18.89ID:tHMSU9OLそんな不吉だとされている時代に、しかみ像書かせた家康の心境はどんなだったんだろう
0656人間七七四年
2011/04/24(日) 21:23:28.58ID:RlCKswgw>秀忠が天下の器じゃないと判断した時は容赦なく下ろせよ
それって『駿河土産』のような江戸時代中期以降の逸話集が初出なんだよね
個人的には後世の創作だと思う
「徳川の天下を脅かす西国の外様大名に備えるために、西に向けて埋葬せよ」
と家康が命じたという正反対の逸話も残ってるわけだし
ちなみに臨終の際に述べたとされる「天下は天下の天下なり」は、
家康のオリジナルではなく中国の古典『呂氏春秋』が大元
家康が大変な勉強家で四書五経を尊んだのは事実だが、
『呂氏春秋』まで学んでいたとは寡聞にして知らない
後世の学者が自身の思想を家康に仮託したものだと考えるほうが自然では?
桑田忠親氏も「家康の遺訓とされるものは全部創作」と言い切ってるし
>>649
>年寄(老中)・留守居・老中(若年寄)・町奉行
年寄衆と呼ばれる家老制度、城代制度や奉行制度も
徳川の独創ではなく戦国期の主な大名の殆どに見られたもの
後世江戸幕府の政権運営機構が巨大化するに連れて
単なる大名の家老や城代、奉行という役割から
中央政権を統率する官僚という性質が強くなってくるが、
何れにせよそれは幕府が成立してから数十年、
具体的には家光になってからの話
0657人間七七四年
2011/04/24(日) 21:31:44.46ID:0kXFZ5cjそういうくくりなら、家光以降と区切る必要もなく江戸幕府は
戦国大名の家政制度の延長となってしまうが
0658人間七七四年
2011/04/24(日) 21:45:06.78ID:tHMSU9OL遺訓もそうだけど、人生とは重い荷を背負い、坂道を行くようなものだ
という言葉も家康の言葉ではないんだよね?
でも自分の主観だが、家康らしい言葉だなーと思ってる
しかし遺訓や遺言くらい、正式な史料として残ってないのかな それとも火事で焼けちゃったのか
0659人間七七四年
2011/04/24(日) 21:45:08.81ID:Jw9xN0az>桑田忠親氏も「家康の遺訓とされるものは全部創作」と言い切ってるし
どちらにしても>>1 みたいなのは
家康公の人生観を分かりやすく言葉にしただけで、
言葉にした人物も凄いと思うが、参考にされた家康公も偉人なのだ。
0660人間七七四年
2011/04/24(日) 21:51:47.45ID:LJezGFavみんな描いてるじゃん?
0661人間七七四年
2011/04/24(日) 22:14:34.04ID:x3ixBioi>桑田忠親氏も「家康の遺訓とされるものは全部創作」と言い切ってるし
桑田忠親著「徳川家康名言集」なる本を持ってるが、この本は笑えた。
何がって、頓珍漢な解説が。
家康の言葉の1/10も理解できていないことがわかる。
0662人間七七四年
2011/04/24(日) 23:43:22.43ID:Jw9xN0az買ったら負けw
0663人間七七四年
2011/04/25(月) 00:14:31.27ID:8LgFqCC7そんな内容なのか…買うの思いとどまって良かった
それ買うのなら、名将言行録買った方がマシかな?
0664人間七七四年
2011/04/25(月) 00:28:12.62ID:4Yy9elWW家康の言葉を自分で受け止め斟酌できる人には特薦する
名将言行録よりは深い内容がある
0665人間七七四年
2011/04/25(月) 00:35:00.89ID:8LgFqCC7どういうこと言っていたのか、という情報がほしいだけでも買った方がいいかもしれんね
0666人間七七四年
2011/04/25(月) 00:38:54.96ID:YcN2hSvG0667人間七七四年
2011/04/25(月) 00:41:02.70ID:Fx+WJoIT0668人間七七四年
2011/04/25(月) 00:45:21.81ID:8LgFqCC7自分は気に入った武将の関連本はひとまず買って読みたい
0669人間七七四年
2011/04/25(月) 00:55:40.17ID:74EtNBbOhttp://s1.shard.jp/deer/0203/36/246B.html
有名人を調べると、ことごとく徳川一族の証拠が出てくる。
おそらく、芸能人、スポーツ選手から吉本興業に至るまで、
テレビに出演しているのは、全て徳川一族なのだろう。
何故なら、それ以外の無知な農民・町民などを表に出すと、
いつか、厄介な問題が起こることは必然だからだ。
0670人間七七四年
2011/04/25(月) 08:11:15.78ID:PfR9Hw2H「正式な史料」といえば徳川実紀だろうけど、これも後世の編纂資料からの孫引きだしなあ
家康の遺言は彼の逝去直後から政争の道具になってるくらいだから、そういう遠慮もあったのかもしれない
本多正純・以心崇伝・林羅山・梵舜と天海が家康の埋葬方法について議論したりしてるし
正純らを一人で論破する天海も凄いけど
>>661
大学教授の10倍も家康の言葉を理解してるとは、君は凄いね
このスレは時々こういう逸材が出てくるから侮れない
0671人間七七四年
2011/04/25(月) 10:20:21.17ID:tP4kvfbz>正純らを一人で論破する天海も凄いけど
自家の墓について考えたいから、
参考までにどう考えられたのか是非教えて欲しい。
0672人間七七四年
2011/04/25(月) 11:19:56.98ID:1EwRJByEそりゃ違うだろ。
信長のああいう最期を知ってたから、秀吉や家康は天下人が
無防備な状態になるのを避けたというだけ。
後からなら結果だけを見てなんとでも言える。
0673sage
2011/04/25(月) 15:04:13.38ID:Hxfak8OV人の言葉を理解する事について、大学教授が優れてるとは思わんね。
寧ろ世の中には、社会経験の乏しい教授よりも優れた人は多いんじゃないか?
教授が優れているとすれば、その言葉が史実か否かの判断だけだと思うぞ。
0674人間七七四年
2011/04/25(月) 16:24:04.92ID:NAEuJLuH>>672
って事は、暗殺された武将がたくさん居るって事か?
もちろん上意討ちは除けよ(;¬_¬)
0675人間七七四年
2011/04/25(月) 22:56:41.58ID:ncFS3cNi数千、数万の従業員を統べる経営者の方が近しい気がする。
0676人間七七四年
2011/04/25(月) 23:21:31.08ID:ChHEJeLw0677人間七七四年
2011/04/25(月) 23:35:59.22ID:8LgFqCC7家康って和歌や舞踊系は苦手だと聞いたけどそうなの?
0678人間七七四年
2011/04/25(月) 23:47:37.70ID:KZ2RDnxU舞踊は義経が全然義経に見えない逸話とか?
0679人間七七四年
2011/04/25(月) 23:58:41.68ID:D8zszO3lよく研究者が「世間知らず」「常識がない」みたいなことをのたまう人は多いが、
他の業界のことを知らんのは他業種の人もそれほど大差無いと思うが。
職種を問わず常識の無い奴はいるし、ろくでもないのは多々いる。
>>675
ただ、そういう戦国武将気取りの経営者にはロクな奴がいない。
とくに信長気取りの経営者などを戴く従業員は不幸といっていいと思うがw
0680人間七七四年
2011/04/25(月) 23:59:38.51ID:8LgFqCC7そういえば、氏真と和歌について語っていて
氏真が「和歌って言葉選びが難しくて奥が深いよね」と言ったら
「あまり色々考えず、のびのびと作ればいいんじゃないですかね」と家康が返した話思い出した
とりあえずやるけど、あまりいい作品は作れなかったのかな
0682人間七七四年
2011/04/26(火) 04:36:55.66ID:Io7SKrKf信長と違って家康って部下を追放したと聞かないけど誰かいる?
0683人間七七四年
2011/04/26(火) 08:00:46.10ID:xYpR/Xqh0684人間七七四年
2011/04/26(火) 08:09:12.96ID:dRIPAGbc久能山から日光山への改葬とか、家康の神号を権現にするか明神にするかの議論ね
特に後者は二代将軍秀忠に
「豊国大明神の最後を考えれば明神は不吉である」
と天海が説いた逸話は有名
どちらも普通の人にはまず関係ないと思うな
>>673
過去の人物の言動を理解するにはその人物が置かれた状況や
当時の社会通念、もっと言えば古文の文法を知っていなければならないわけで
逆に研究者を皆象牙の塔に籠った世間知らずという
認識をしてる人の方が自分には偏った見方に思えるがどうだろうか
少なくとも桑田氏はそういうタイプの学者じゃないしね
0685人間七七四年
2011/04/26(火) 09:22:27.59ID:UqA0v6YK0686人間七七四年
2011/04/26(火) 10:37:37.81ID:E5PNqQuT0687人間七七四年
2011/04/26(火) 11:50:17.23ID:JjpDOMoK新暦だと5月22日だから!
0688人間七七四年
2011/04/26(火) 12:29:44.87ID:Msjy8sER組織に属し、対外交渉はもちろん、社内軋轢を山ほど経験してるって事だろ。
戦国大名気取りとか、そんな経営者見たことないから。
そんなレベルの低い話してない事くらいわかれやw
0689人間七七四年
2011/04/26(火) 13:26:57.03ID:E5PNqQuT俺はグッドウィルみたいな胡散臭い急成長企業に上手く入り込んで、
言いたい事言って気に入られて、組織固めの助言を幾つかするも
大半が入れられないから、嫌になって辞めた後
雰囲気が暗くなって社員流出→倒産へ が多い。
家康公を目指したいが、努力嫌いだから秀吉みたいな人生に成ってしまう(´・ω・`)
0691人間七七四年
2011/04/26(火) 22:20:42.10ID:YVm+nxhm最晩年に生まれた子供達はともかく結構ひどい扱いしている息子達が多い。
反対に信長は冷酷なイメージだけど残されたエピソードから子供に甘い感じがする。
0692人間七七四年
2011/04/26(火) 22:34:28.13ID:dRIPAGbc>家康公を目指したいが、努力嫌いだから秀吉みたいな人生に成ってしまう(´・ω・`)
独立独歩の起業家が戦国大名気取るなら兎も角、
平日の昼間から2chしてる人が自分のことを秀吉とか正直キツイもんがあるね
0693人間七七四年
2011/04/26(火) 23:20:50.38ID:UXGvFG2s普通に職場で2ちゃんし放題だったぞ。
もちろん業務に絡んだ情報収集がメインで
遊んでる時間分以上は気楽なサビ残してたけどな。
0694人間七七四年
2011/04/26(火) 23:59:27.40ID:myEH6FQc0695人間七七四年
2011/04/27(水) 00:38:20.22ID:fRVjpLoM命日が過ぎたね家康たん
でもね、家康たんには実は命日なんて存在しないの
何故なら家康たんの魂は俺の部屋に永久保存されてるから
0696人間七七四年
2011/04/27(水) 10:51:55.07ID:g2JKuQMk超画期的なエコ商品の開発成功させた、町工場オヤジの同族会社
で総務システム担当とでも言えばご理解頂けるだろうか?
全国の支店・代理店との協業を手助けする仕組とか作って実績あって
気に入られてたから何してても文句言われなかった。
創価大卒の逝かれ上司が来るまではな(-_-メ)
0697人間七七四年
2011/04/27(水) 11:18:37.97ID:FTI0uHYI0698人間七七四年
2011/04/27(水) 16:26:33.53ID:3s5ALyq0みたいに正論が通りやすい理論をぶち上げるのは
大抵が素人故の新発見をする門外漢ではなく
専門の学者なんだから、認めるべき所は認めるべきだ。
お前らがやってる事は、長期政権の基礎を作った家康公を叩く
織田サルの負け組信者と同じ事だ。敵ながら天晴れって言葉があるだろ。
0699人間七七四年
2011/04/27(水) 16:29:42.61ID:3s5ALyq0「常時接続を徹底普及させた功労者」
として10年近く前から評価してるぞ。
競合他社に在籍してる時だけは、立場上ビジネスが下品で嫌うけどなw
0700人間七七四年
2011/04/27(水) 21:57:36.18ID:Mm/V1fI3あのな、本当にそんな訳の分からない会社があるかどうかは知らんが、
まともな会社でそんな事が許される所はまず有り得ない。
気に入られてるとか気に入られてないだとかそんな問題じゃない。
社員が仕事中に2chやってるなんて企業の信用問題になる。
その会社がお前の妄想の産物か、どうしようもない糞会社のどちらかでしかない。
0701人間七七四年
2011/04/27(水) 22:33:01.34ID:XhKp/Cepあたかも自分で編み出した提案とかして実績上げてたんだから
それで良いだろ。TVCMすらしてる3千人会社だがクソ会社は同意。
銀行やいま話題の原安委とかでも働いてるから
社外で取引先の言うのすら問題なのは分かってるぞ。
原安委は緩々だったがw
0702人間七七四年
2011/04/27(水) 23:03:45.35ID:Mm/V1fI3あのね、情報収集だからだとかそういう問題じゃないの。
会社でゲームやってたとか居眠りしてたとかってのとは違って
企業倫理やコンプライアンスが重視されてる時代に2chなんて絶対にご法度なんだよ。
ちなみに総務のシステムなんだよね?社員3千人いるんだから、当然ERP使ってる
と思うけど、APのMWって何使ってる?
0703人間七七四年
2011/04/28(木) 01:17:01.54ID:lw+k0HUV0704人間七七四年
2011/04/28(木) 06:12:38.72ID:KeRuumzB趣味で見ることもあれば仕事の情報収集で見ることもある。
0705人間七七四年
2011/04/28(木) 07:23:07.28ID:v/0cU9yu0706人間七七四年
2011/04/28(木) 10:07:28.80ID:6QkiE7I3超大手勤務中の2ちゃんなんてたくさん居そうだが
業務PCからはシステム的に不可能だろう?
ヤフーの実況天気か何かが見れなくて困った事すらあるw
0707人間七七四年
2011/04/28(木) 10:45:45.14ID:S2Q4GiEA家康は信康を甘やかしたばかりに、親の言う事聞かない子になってなあ…
とお江に言っていたからなあ(手紙でだけど)
だからそれを反省して、身内だからと甘えを許さない厳しい教育をしたみたいよ
0708人間七七四年
2011/04/28(木) 12:53:11.01ID:6QkiE7I3むしろ贔屓しなかったのでは?
道理に適ってると思う。
尊敬してた頼朝もそんな感じだったっけか。
0709人間七七四年
2011/04/28(木) 13:06:53.96ID:ve2aJ5Jh信長は家臣には厳しいが、子には甘いので死んだとも言える
0710人間七七四年
2011/04/28(木) 19:06:14.57ID:wFQAv3j3信長みたいに冷酷じゃなく温情も付いてたけど。
0711人間七七四年
2011/04/28(木) 21:54:24.00ID:lFowg+LS忠勝は、祖父、父、叔父と一族を失っていて、部下のほとんどを家康から与力という形で
付けられてるから独立しようがない。榊原康政も陪臣上がりで、家臣構成も忠勝と同じ
井伊直政も家康の寵童上がりで甲州者を赤備えとして与えられてるから、これも同じ。
三河武士や遠州の寵童の実態を知らなかった秀吉にしてみれば、お得意の主と重臣を
離間させる策を施したつもりだったんだろうな
0712人間七七四年
2011/04/28(木) 22:26:25.70ID:6Z9nBjALむしろ「冷たい」という方がしっくりくるね
家康の息子に対する冷遇といえば秀康や忠輝が有名だが、
晩年に生まれた御三家の当主たちも実際はさして変わらない
将軍家を支える藩屏としての役割を期待し
さしたる功績もないのに外様大名から
恨みを買うくらいの大封を与える一方、
彼らに対する率直な愛情を伝える逸話や
書状といったものが極端に少ない
まあ信康のように権力争いの末に
殺されないだけマシだったとも言えるかも知れないけど
0713人間七七四年
2011/04/28(木) 22:30:11.38ID:de2y5SRM新・徳川家康のドラマを作るべきだと思うんだ
0714人間七七四年
2011/04/28(木) 22:40:42.22ID:0hhdzAK4その後は肩身の狭い人質生活
こういう境遇で育った奴がアットホームなパパになるのは戦国時代といえど厳しいものがあるだろう
0715人間七七四年
2011/04/28(木) 22:51:01.56ID:wFQAv3j3>>711 も素晴しい組織構築と思うが、前例はいくらでもあるのだろうか?
0716人間七七四年
2011/04/28(木) 23:35:27.96ID:rrX6crUI>>712
家康の場合、それでも親族へ宛てた書状が残っているので、ある程度はそこらへんの感情を察することが出来るんじゃないか?
0717人間七七四年
2011/04/28(木) 23:44:38.83ID:lFowg+LS祖父は、他の男の嫁を寝取る
生みの母親は離婚させられ、生き別れ
祖父も父も親も部下に殺される
義母の父親(「義理の祖父)により、尾張に
売り飛ばされる。
実家の権勢を盾に、上から目線の2歳上の
妻を娶る。
0718人間七七四年
2011/04/29(金) 01:58:11.13ID:Ik1jdwBq秀忠を種付けしたのかな?
それとも偶々か
0719人間七七四年
2011/04/29(金) 11:51:38.27ID:/WVkbDZX関東周辺に10万石くらいの不穏な国が無きゃ
長続きできない気がするのだが、、、
0720人間七七四年
2011/04/29(金) 12:16:13.22ID:NRVl1g+dそうなんだよ「厳しい」ではなく「冷たい」という印象。
次男の結城秀康とか忠輝のエピソードを知るとこの人って根っこの所は冷たいだろうなあと思った。
0721人間七七四年
2011/04/29(金) 12:51:43.98ID:lF2TLPNu0722人間七七四年
2011/04/29(金) 13:10:49.57ID:js9okayu0723人間七七四年
2011/04/29(金) 16:54:10.87ID:py/YOt5G0724人間七七四年
2011/04/29(金) 18:18:54.15ID:1ItE25mC長男 信康 家康が粛清 教育を間違えた俺が悪かった。神君大反省の長男
次男 秀康 俺の子じゃない? 好きじゃない子1号
三男 秀忠 愛妾西郷ちゃんの子 お気に入り1号、俺の跡継ぎ!
四男 忠吉 愛妾西郷ちゃんの子 お気に入り2号(先立つなよ))
五男 信吉 於都摩ちゃんの子 お気に入り3号(先立つなよ))
六男 忠輝 茶阿の子 好きじゃない子2号
七男 松千代 茶阿の子 6歳で死んだ。可愛がったんじゃない?
八男 千千代 お亀ちゃんの子 6歳で死んだ。可愛がったんじゃない?
九男 義直 お亀ちゃんの子 お気に入り4号(忠吉の領土上げるよ)
十男 頼宜 お万ちゃんの子 お気に入り5号(信康にしてやれなかったじきじきの教育してあげる)
十一男 頼房 お万ちゃんの子 お気に入り6号(信吉の生まれ変わりだ、水戸をあげる)
どう見ても、冷たい父親って感じがしないのだが?
信康の件は、俺が悪かったって後悔してるし、秀康は実子疑惑があるし、忠輝は行状が問題ありすぎだろう。
0725人間七七四年
2011/04/29(金) 19:17:34.49ID:f4trRrdV領土を沢山挙げた、っつうだけなら秀康や忠輝も功績以上のものを貰ってるんだけど
つーか君にとって父親の愛情とは物質的恩恵オンリーなのかな
0726人間七七四年
2011/04/29(金) 19:35:57.39ID:B3VhSyy9そうじゃなかったのか
0727人間七七四年
2011/04/29(金) 19:51:13.70ID:1ItE25mCまず、秀忠と忠吉は実の兄弟で、お母さんは家康が最も愛した女性ですよ。
秀忠は、跡継ぎなんで厳しく教育したでしょうが、愛情がなきゃ、駿府城での侍女デリヘルなんかしないでしょう。
忠吉の奥さんは、自分の一番の腹心井伊直政の娘、どう見ても身内人事でしょうが、政略的結婚の意味がない。
信吉にしても、愛情がなきゃ、武田再興のために、わざわざ名跡を継がせないでしょう。
もし武田再興だけが目的なら忠輝に継がせても良かったわけで、それをしなかったのは忠輝に愛情がなかった証拠では?
義直が生まれたときに、徳川の礎になってくれて期待を込めて五郎太丸って名前を付けたのに愛情がないとは思えませんが
頼宜、頼房は自ら手元で育てましたが、そしてその思い出を頼宜が愛情を込めて育てられたと息子に語ってますが?
0728人間七七四年
2011/04/29(金) 20:15:31.65ID:f4trRrdVあやふやな根拠に基づく推測ばかりだね
政略的要素で身内を優遇しても、それって父親の愛情の証左にはならないと思うよ
既に述べた通り領土や官位におけるネポティズムの恩恵は、秀康や忠輝でさえ受けている
資料に基づいて自分が家康の息子に対する好き嫌いを判断するなら以下の通り
長男 信康 実父である家康が殺害、好き嫌いとかそういう次元じゃない
次男 秀康 自分の子供じゃないと疑い冷遇、この辺りの逸話は多いので割愛、明確に好きじゃない
三男 秀忠 二代将軍、厳しく叱責されることもあったが、多分お気に入り
四男 忠吉 秀忠の同母弟、『慶長日記』に忠吉を治癒した医師に褒賞を与える記事がある、明確にお気に入り
五男 信吉 特に家康との逸話はないが、『藩翰譜』に拠れば死亡時に諸大名が家康の顔色を伺いに参上してる、判断保留
六男 忠輝 容貌が醜かったため冷遇し、その後不良化、明確に好きじゃない
七男 松千代 家康の詳細な一代記である『東照宮御実紀』『東照宮御実紀附録』に記述なし、完全に無関心
八男 千千代 同上、養子に出したとは言え息子が夭折してるのにその嘆きを伝える資料が一つもないのは異常と言える
九男 義直
十男 頼宜 晩年の息子たちで、それまでの子供と違いある程度の年齢になるまで手元で養育、これが普通なんだけどね
十一男 頼房
西郷局の二人の息子と晩年の庶子を除けば明らかに父親失格レベルだと思うね
0729人間七七四年
2011/04/29(金) 20:16:40.52ID:/WVkbDZX愛情云々言い始めたら、子孫繁栄の為の経産婦ばかりじゃん。
0730人間七七四年
2011/04/29(金) 20:32:30.54ID:ri7t+M1h扱いに差がでて当たり前じゃね
0731人間七七四年
2011/04/29(金) 20:38:17.36ID:B3VhSyy9名前ないけど更にいっぱいいたと聞くけどそうなの?
0732人間七七四年
2011/04/29(金) 20:57:14.81ID:1ItE25mC七男と八男については資料に記述がないので愛情がないって言うのはどうかな?
若くして死んだ子に対する記述がないから、無関心=愛情がないっていうのは乱暴すぎると思いますよ。
母親との関係でみれば、茶阿の局の子供(忠輝)を嫌ってる家康なら七男を好きではないかもしれない。
しかし八男は、九男の義直を生んだお亀の方の子供、義直に対する家康のコメントから推測するに、
嫌っていたとは考えにくい。養子先も人質時代からの腹心、平岩親吉だし
あと信康の件は、明確に自分の子育て失敗だと反省してるから親としての愛情はあったでしょう。
秀忠、忠吉、御三家は父親合格レベル
信吉 実母死亡後、見性院(穴山の正室)に養育を依頼、この配慮を見れば父親合格レベルだと思いますよ。
秀康、忠輝は父親失格レベル
松千代は母親から類推して、失格レベルかも、しかし仙千代は母親から類推して失格レベルかは判断保留かな。
家康と息子たちの件は、私としてはこれで終わりにします。
家康と娘たちの関係はどうだったか?父親失格レベルだったのか合格レベルだったのか?
あほかw 大名の娘は、政略結婚の道具なんだよというテンプレのコメントはご勘弁を
0733人間七七四年
2011/04/29(金) 21:55:11.16ID:f4trRrdV当時は正式な婚姻関係にあった正室&側室の他に、
大名がその女性に仕える侍女と肉体関係を結ぶ例が多かったと言われてる
秀康の母親である長勝院もその例
そういう「お手付き」の女性の数となるとこれは不明だね
ただ正式に側室扱いされた女性ならちゃんと記録に残ってるはず
無類の漁色家であったとされる秀吉でさえ、『伊達世臣家譜』によれば
特別に愛情を注いだ女性は16人だったとされているわけで
>>732
家康の嫡男として大過なく戦功を積み上げてきた信康を保身のため処断しておきながら、
後になってから「自分の子育て失敗だと反省」つうのは何かおかしいと自分は思いますよ
一見謙虚に自分の過失を認めてるようでありながら、実はそうではない
松千代と仙千代に関しては「資料に記述がないのでわからない」じゃなくて
「資料に残ってないこと自体が異常」だと思ってますので
まあお互い言いたいことはあるだろうけど、こちらからはこの辺で
娘についてはよく解らないが、孫娘である千姫には素朴な愛情を持っていたらしい痕跡がある
『大坂御陣覚書』や『老人雑話』といった資料には、大坂の陣で
秀頼の助命嘆願を行う千姫に心を動かされる話が記録されている
娘に対し「(武家の娘なんだから)夫の秀頼と一緒に死んでこい」と突き放した秀忠と対照的
0734人間七七四年
2011/04/29(金) 22:57:45.45ID:B3VhSyy9武勇に富んではいただろうけど、自己が強すぎたので
「小さい頃からちゃんとしつけていなかったから、親の言うことを聞かない子になってしまった…」
みたいな内容を言っていたような
信康は小さい頃は虚弱だったから、無事成長すればそれでいい、と思ってちょっと甘やかしてしまったらしいよ
0735人間七七四年
2011/04/30(土) 00:25:24.28ID:fLq5qIEA信康は家康にしてみれば初めての我が子。
一人っ子で早くから父母と引き離された家族縁の薄い彼からしてみれば
本当に無事育ってくれればと願ってただろうにね。。。。。
0736人間七七四年
2011/04/30(土) 11:12:05.27ID:8xddMQwR0737人間七七四年
2011/04/30(土) 11:24:59.86ID:+yhe2C95決して望んで殺したわけではないと思う
口うるさい酒井忠次へのあてつけのために言ってるだけ…ってこともないよね
0738人間七七四年
2011/04/30(土) 12:16:14.21ID:nLP3uy7t晩年の家康が信康の死を悼んだからといって、若い頃の家康の決断選択がどうこうとは言えない
0739人間七七四年
2011/04/30(土) 13:33:18.05ID:fLq5qIEA0740人間七七四年
2011/04/30(土) 15:12:24.75ID:vXHk5IPu0741人間七七四年
2011/04/30(土) 21:30:32.20ID:AdA6Giy6自分は、福島正則の部下達についての逸話が好きだなー
歴戦の武士として有名な部下達を家康の小姓が見たとき
それぞれが戦の激しさに目や腕を欠損したりと、障害が酷くて
あれでは禄に戦えまい、と影で小姓が笑っていたら
「笑うな! あの者たちは勇者だ あれを見てお前たちにはそれが分からんのか!」
と叱責した話が家康らしくて好き
0742人間七七四年
2011/04/30(土) 21:51:07.41ID:fLq5qIEA人質生活が長かったから自分を押し込める術でコントロールしてたんだろうけど。
0743人間七七四年
2011/04/30(土) 21:58:41.30ID:Q/0Ta5XC0744人間七七四年
2011/05/01(日) 01:49:21.69ID:S48UF4G20745人間七七四年
2011/05/01(日) 02:44:12.27ID:dKIcplzSその千姫ネタがあったから
加熱具大河でのやりとりにすげー違和感があった
まるで家康のせいで千姫が秀頼とまとめて殺されるような書かれ方だったから
0746人間七七四年
2011/05/01(日) 03:14:19.42ID:dKIcplzS信玄・義信親子と同じと思えばべつに徳川にかぎった騒動ではないと思うけどね
あそこだって実質殺しちゃってるし
他の武家ではどこかあるのかな、よく知らないんで
>>742
家康は短気というのは決定事項
短気と我慢は両立できるし
>>744
2カンベエって何か分からんけど鳥居元忠は戦の怪我で足が悪くてちゃんと座れなかったけど
それを家康は功臣の証として自分の前で足を投げ出してもいいと許したという泣ける逸話も
・・・が、確認のため情報源を探そうとしたら見つからなかったwww
別の主従の話と勘違いしてるのかな俺・・・
0747人間七七四年
2011/05/01(日) 14:32:23.94ID:KGeeRxkF0748人間七七四年
2011/05/01(日) 18:21:28.61ID:zaJSUqbjハンベエは病弱?
0749人間七七四年
2011/05/01(日) 19:31:43.42ID:XiGikRxu勇気秀康かだれか梅毒で鼻もげてるとか、山岡壮八の小説にあったな
名前が残るような武将は指揮官で、前線で獲物振り回す機会もそうないんじゃないか
0750人間七七四年
2011/05/01(日) 19:39:00.26ID:zaJSUqbjwiki見たら、本当に不随だったのか分からないって文もあったけど、実際どうだったんだろう
結城秀康は、絆創膏みたいなの鼻に当てたら、家康に怒られたんだっけ
そんなの一々隠すんじゃねえ って
0751人間七七四年
2011/05/01(日) 20:20:45.66ID:Kq4F5Kdc鳥居元忠であってる
確か諏訪原城の戦いの時、乗馬偵察してて鉄砲で腰の辺り撃たれてから >歩行不自由
京都の血天井で、元忠の場所と説明されるものも、片足投げ出してる
程度はどうあれ、戦傷てのは戦わせた者が誉れとしてやらんと、
傷つくことが無意味になっちまうからなぁ
若い?頃の家康は、見舞って遺言聞いたり、手ずから薬塗ってやったりと、
家臣に対してマメだなぁと思うわ
0753人間七七四年
2011/05/01(日) 22:36:19.38ID:zPbJKnv9大谷は症状をよく見るとハンセン病でなく梅毒が当てはまるという人もいるね
諏訪原城は静岡空港見に行った帰りに寄ったなあ
城の中が茶畑、場所が場所だけにwww
それと下の方から大井川鉄道のSLの汽笛が聞こえてきた
夕方でいい感じだった
0754人間七七四年
2011/05/01(日) 23:04:53.61ID:/q+sVW1Rだからおかしな話なんだよなぁ。
重臣が格闘はおかしいから、
その辺の武将が酷い戦傷を負ってまでの名誉の負傷で
たまたま重臣に成れたとかしか無い気がする、、、
0755人間七七四年
2011/05/01(日) 23:10:20.25ID:mUjgM7Cq通信機もなく、声の届く範囲で戦闘する必要があるので斬り合いになって
負傷する場合はある
後、指揮官になる前に負傷したとか
0756人間七七四年
2011/05/02(月) 00:00:34.00ID:/bRBG1Kg一向一揆との戦いで銃弾受けたんじゃなかった?
0757人間七七四年
2011/05/02(月) 00:39:30.48ID:JpeAfSXr天下人に目通り出来るのは、万石陪臣クラスか。
0758人間七七四年
2011/05/03(火) 01:20:16.41ID:kAWLERVs徳川幕藩体制を磐石にしたのも天下泰平を願ったからではなく、単に徳川の世を永続させたかっただけ。
が、それが結果的に二百六十年の太平の世になったのだから、個人の欲得や野心も、世の流れに沿えば偉業となるわけだ。
つまり悪事はでっかければでっかいほど成就した暁には偉業として称えられ英雄扱いされるわけだな。
ちんけな殺人や強盗では所詮小者の犯罪者止まり。
これは織田家を簒奪した秀吉にも言えることだがさ。
0759人間七七四年
2011/05/03(火) 02:42:25.38ID:4FH+/JwL秀吉と家康はどちらが悪者か? その3
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1208595761/
0760人間七七四年
2011/05/03(火) 09:03:17.76ID:B3b/p1db大声で主張することでもないやねw
周の武王、戦国の五覇、秦の始皇帝、漢の高祖、後漢の光武帝、チンギス:ハーン、フビライ
明の朱元璋、永楽帝、清のヌルハチ、ローマのカエサル、カール大帝、ナポレオンなど
皆、私利私欲、権力欲で動いて偉業を達成したんであって、私利私欲や権力欲云々で英雄の
評価はできないぜ。
0761人間七七四年
2011/05/03(火) 09:24:23.55ID:BO4gHPeKその理屈よく聞くんだけどね。
ではキミのいう偉大な英雄、って例えば誰?
まず、権力欲に寄らないのが大前提か。
0763人間七七四年
2011/05/03(火) 14:52:56.62ID:fLep68j1織田から豊臣への移行は移譲って理屈みたけど
どっちもやってること一緒だよね
0764人間七七四年
2011/05/03(火) 16:41:04.35ID:T+13ZdEN百姓が天下人ってのがそもそも間違いw
0765人間七七四年
2011/05/04(水) 00:08:04.60ID:Kowjo90Fシバリョの作品を何となく避けて未だに一冊も読んでいないんだが
実際はどんな風に書かれているんだろう
0766人間七七四年
2011/05/04(水) 00:47:31.37ID:NIqDIeCj俺は「覇王の家」「関ヶ原」を読んで家康が好きになったけどな。
覇王は評価が分かれてるけど、俺はかなり好きで、3回は読んだ。
司馬遼太郎も家康の特徴をつかみかねてる感じで、自問自答しながら進んでいくようなところがすごくいい。
0767人間七七四年
2011/05/04(水) 01:00:51.47ID:Kowjo90Fで、家康は悪役も悪役で、それはそれで魅力的だという感想もあったけど
でもシバリョだから、単なる秀吉ageの家康sageなんてしないだろうから
そろそろ読んでみようかな とりあえずその二つを購入してみる
0768人間七七四年
2011/05/04(水) 01:30:00.34ID:sb4zy5BZ家康と彼が創始した江戸幕府については否定的言説が目立つね>司馬遼
晩年はエッセイとか読むに割と肯定的に評価してたみたいだよ
『関ヶ原』も『覇王の家』も歴史小説としては間違いなく傑作なので読んで損はない筈
0769人間七七四年
2011/05/04(水) 01:35:06.31ID:Kowjo90Fそういう経緯があるんだな 年月が経つと考え方も変わってきたんだろうか
他の作家の話になるが、星新一の「城の中の人」を読んで
なんかこの人も徳川否定派なんだろうかと感じた
表題作は秀頼主人公だからともかくとして
他の話も「幕府が出来てからおかしくなってしまった」と何の脈絡もなくこんな台詞も出てきて
所々に、幕府批判的な印象を受けて何だかもやもやしてしまった
0770人間七七四年
2011/05/04(水) 01:39:24.26ID:1blOhPJM鷹狩と薬以外趣味が無い人間だとか
0771人間七七四年
2011/05/04(水) 06:34:50.57ID:sC0lN67l0772人間七七四年
2011/05/04(水) 08:05:44.43ID:hTVj/cwP0774人間七七四年
2011/05/04(水) 11:05:04.66ID:hTVj/cwP0775人間七七四年
2011/05/04(水) 11:20:17.94ID:1blOhPJM将棋は指したんだろうか
0776人間七七四年
2011/05/04(水) 11:39:46.48ID:GbrBLP/L剣術、水練、馬術、射撃、吾妻鏡などの実学的文献研究
香道、囲碁、薬学、医学、栄養学、房中術、写経など多趣味
0777人間七七四年
2011/05/04(水) 16:00:51.71ID:X4B2dpp1どれも趣味らしい趣味じゃないな
武芸は学問は今で言えば義務教育みたいなものでどの大名でもやってる事だし
健康法は・・・まあ、趣味かな?
0779人間七七四年
2011/05/04(水) 16:54:46.49ID:FLj+/Jgk0780人間七七四年
2011/05/04(水) 17:12:12.91ID:GbrBLP/Lそんな仕事は、お抱えの医者がやる仕事で、大名がやることじゃない。
家康の恐ろしさは、法印クラスの医者しか入手できない中国渡りの本草学の本や
医学書を入手してきっちり学んだってこと。晩年は幕府お抱えの医者が、自分の仕事は
大御所様の薬箱持ちだって嘆いたくらいの腕利きの医者になっていた。
薬にしても自作しては、病気の部下に飲ませて、経過観察してるほど。栄養学にしても
木食上人や長生きした幻術家の食生活を、直接対話で聞き出して記録させているほど。
おそらく解剖学に関しては、戦国時代の人だから、死体を扱うのは日常茶飯事のはず
なので、かなりのレベルだたっと思われる。
0781人間七七四年
2011/05/04(水) 18:04:11.83ID:UHVtSGFJ0782人間七七四年
2011/05/04(水) 18:51:41.97ID:XViv1lqR奥州仙台おもてなし集団【伊達武将隊】
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1303050305/l15
ってスレ行ったんだけど、合戦や家臣団の話題とか皆無で
ワケ分からん流れなんだけど、あのスレってどういうスレなの?
板違いな歴史ゲームみたいな雰囲気で会話が成立たない(′・_・`)
0783人間七七四年
2011/05/04(水) 18:54:53.12ID:XViv1lqR繁栄の花 で興味あるから、もっと詳しく!
0784人間七七四年
2011/05/04(水) 19:39:46.15ID:Kowjo90F星新一的なショートショートな話ではなく、普通に時代劇
でもやっぱり星新一テイストが滲み出る話ばかりだったので、説明が難しいわw
SFショートショートで馴染みがあるので、こういう時代劇も書くんだーと意外な印象を受けたけど
「城の中の人」は豊臣秀頼が主役で、家康が秀頼の世界の悪の象徴扱いされてて
まあそれは仕方ないよね、と思ったけど、なんかもやもやしてしまったんだ
これはもう実際読んだ方がいいと思います
0785人間七七四年
2011/05/04(水) 21:00:10.08ID:X4B2dpp1何がと言うより動機の問題だね
趣味というのは基本的に本人が楽しくてやるものだけど家康の場合は利益の為にやってる感が強い
鷹狩りだけは本気で好きだったのは間違いないけど
0786人間七七四年
2011/05/04(水) 21:13:13.17ID:GbrBLP/Lはあ?利益のためにやってる=本人が楽しくてやるものって場合もあるんだが
貴殿の価値観が普遍的なもののように語るのは如何なものか?
趣味が利益を生み出して商売化した例など、目の前で貴殿がキーボードで
文字を打ち込んでいる箱の創世記には、ごく当たり前に起きてたことだぞ。
林檎とかが典型的な例だろう。
0787人間七七四年
2011/05/04(水) 21:15:21.28ID:Kowjo90F囲碁は浅野長政と楽しんで交流深めたような雰囲気だけど
0788人間七七四年
2011/05/04(水) 21:43:43.85ID:sC0lN67l多分>>785の中にある家康のイメージを守りたいんじゃね?
家康は無趣味であるべしという
だからそんな頓珍漢なことを言ってんだろ
0789人間七七四年
2011/05/04(水) 21:55:45.81ID:1blOhPJM司馬の作った設定が歴史だと信じる奴がいるから
0790人間七七四年
2011/05/04(水) 22:00:14.37ID:Kowjo90F医学を扱うものは、穢れに触れるから普通の人からは忌み嫌われている職業であり
家康が好んで医学に触れている為に、周りの人は影で失笑していたと書いてあったんだが
戦国時代の医学ってそんな認識だったっけ?
0791人間七七四年
2011/05/04(水) 22:10:25.54ID:Ecx+lVzG文武両道で免許皆伝多数、芸事にも通じて多趣味、そして最大の敵は 司 馬 遼 太 郎
0792人間七七四年
2011/05/04(水) 22:11:19.93ID:hTVj/cwP0793人間七七四年
2011/05/04(水) 22:14:38.93ID:lxyapBZ1(そもそも和歌や連歌なんかも当時の社会では充分実用的だったけど)
0795人間七七四年
2011/05/04(水) 22:28:50.66ID:sb4zy5BZ別に大筋では同意なんだけどさ
「剣術、水練、馬術、射撃」というのは上手下手こそあれ
当時の武家がすべからく身につけておくべき基本スキルだし、
「吾妻鏡などの実学的文献研究」をしていたのは
林羅山で家康は彼の研究を耳学問で聞いていただけ、
「薬学、医学、栄養学、房中術」っつうのは
現代のように学問が高度に専門化された時代における
実証的科学とは異なり、養生を目的とした素朴な「本草学」でしょ
何か無理くり羅列してるような気がするんだよね
家康の趣味といえば香道囲碁写経の他に能楽があるね
あと、自ら研究するまでは行かなかったが、向学の志は高く、
天海羅山梵舜ら文化人に儒仏神道の講義を受けていたのも
まあ趣味と言えるかもね
0796人間七七四年
2011/05/04(水) 22:29:52.24ID:GbrBLP/L家康が自分で医学を研究し始めたのは、当時の医者のレベルがかなり低くて、
いいかげんな治療で死ぬ人間が多かったかららしい。
だから家康が医学を学び始めたとき、周りの人間が、役に立たない道楽を始めたと
陰で笑っていたのは事実かもしれない。
しかし、本場の中国から医書を取り寄せたり、漢方薬の材料を入手して薬を調合
したりするうちに、法印クラスの知識を得たのも事実。
穢れ云々で笑われていたのではないと思う。
0797人間七七四年
2011/05/04(水) 22:30:41.00ID:hTVj/cwP吾妻鏡の再構成は家康の指示だったはず
0798人間七七四年
2011/05/04(水) 22:32:35.10ID:sb4zy5BZ島津義弘が金創の術(現代で言う外科)を学んでいたと聞いたことはある
他に古河公方の重臣である豊前山城守も医術を修め、
後北条の一族を診察した記録が残っている
あと如水の父親である黒田重隆も薬売りをやってたそうな
まあちょっと考えないと出てこないくらい珍しいのは間違いない
0799人間七七四年
2011/05/04(水) 22:34:49.66ID:sb4zy5BZ家康の指示で羅山がしたのは事実
本人は当然ながら研究の内容にはノータッチ
この辺りの流れは八代国治氏の『吾妻鏡の研究』 に詳しい
まあ学問的なパトロンといった感じじゃね
0800人間七七四年
2011/05/04(水) 22:38:35.54ID:Kowjo90Fd なるほど 医学自体がまだ未熟でみなもあまり関心無い分野に
積極的になっているのが異様に見られてしまったのか
家康はある意味医療の最先端を行っていたのかね
そういや小牧長久手の逸話で、背中に出来物が出来て死にかけているのに
異国の薬を勧めた時「異国の薬なんて使うくらいなら死んだほうがマシ」とダダこねて
作左に怒られたって話があるけど
中国から医療を積極的に学ぶ家康じゃ、むしろありえない話だなこれ(異国がどこかによるけど)
0801人間七七四年
2011/05/04(水) 22:41:34.35ID:Kowjo90F割と医学に関わった大名も多いんだね 勉強になった
義弘は唐入り後だろうか 島津の戦法が酷すぎるから、治療というのに違和感があるわ イメージだけど
後北条なら、北条の歴史書にも載ってるだろうか
北条五代記を今度読んでみようと思ってるが、それも念頭に入れてみるわ
0802人間七七四年
2011/05/04(水) 22:45:20.56ID:GbrBLP/L当時の大名が学問に興味を示さなかった中、論語の説話を聴くだけでも物好き=趣味と
思われていた時代に学者の研究内容を聴くだけでも、物好きを通り越した趣味人と言ってもよいだろう。
本草学を趣味とした戦国大名って家康以外に知らないのだが、もしかすると松永久秀や宇喜多直家
が実益を兼ねて学んでいたのかな?
0803人間七七四年
2011/05/04(水) 22:50:50.57ID:Kowjo90Fあれ曲直瀬先生だった
0804人間七七四年
2011/05/04(水) 22:58:26.05ID:sb4zy5BZ『北条五代記』には豊前山城守の記載はないよ
『豊前氏古文書』という文書群に、北条氏政が
豊前に対して氏照に対する診察の礼を述べる書状が残ってたりするくらい
高い地位にある武士だったことは事実だが、少なくとも大名ではないだろうね
この時期の後北条に骨抜きにされた古河公方の家臣とか、殆ど文化人扱いっぽい
>>802
偉い学者先生による古典の講義は、例えば秀吉なんかも聞いてたり
もちろんその古典教養レベルで比較するなら、晩年まで積極的に学問を修め、
伏見版の編集を命じたりなど文化事業でも功績を残した家康には遠く及ばない
ただ「家康の特異な趣味」とまで言われれば微妙だとは思う
本草学に耽溺した戦国大名というなら家康以外には思いつかない
これは否定していないが、「薬学、医学、栄養学を身につけた」なんて書いたら
まるで異なった学問をそれぞれ別に学んだみたいじゃね?
そうじゃなくて長生きをするために色々試してみた、つうのが実際のところでは
現代の卑近な言葉で言うなら「健康オタク」というのが近いと思う
0805人間七七四年
2011/05/04(水) 23:14:20.62ID:GbrBLP/Lおお、健康オタクという言葉がありましたね。
その伝でいくと射撃マニアという言葉が家康にはぴったりかも
普通の人が持てない狭間筒を構えて城の櫓に止まっていた
鳥を撃ち落としたりしているしな。
0806人間七七四年
2011/05/04(水) 23:16:34.19ID:Kowjo90F載ってないのか 残念 載ってても良さそうなのに
それでも北条五代記は読んでみようと思います
>>805
家康は本当に何でもできるなあ…
秀忠も鉄砲の名手と言われていたというけど、やはり父親の方が凄かった
0807人間七七四年
2011/05/04(水) 23:20:17.20ID:sb4zy5BZ武士の基本スキルである武術を爺さんになってからも
好き好んでやっていたのも家康の特徴で、
ここまでくれば「趣味」と呼んでもそう可笑しくはないと思う
このスレでは評判の悪い司馬遼だが、その小説(たしか『城塞』だと思うが)の中で
「運動が健康に良い影響を及ぼすことを認識し実践した初めての日本人は家康だろう」
という意味のことを書いてた
初めては言い過ぎだろうが(根拠のない断定は司馬遼の悪癖)、けだし卓見と言うべき
0808人間七七四年
2011/05/05(木) 00:55:14.69ID:e9F8wGwJ歴史書を研究して、どう役に立つのか分からん (´・ω・`)
0809人間七七四年
2011/05/05(木) 02:07:16.81ID:IQdJ6y8T本当に好きでやってた人達は自分の流派起こしたり名作を残したりしてるけど家康はそういうの何もないし殿様の手習いの域を出てない
医学に関しても自分の健康の為にやっていただけで医学その物に興味があったとは思えないし
接待ゴルフとか血圧下げる薬を飲んでるのが趣味って言ってるのと同じレベル
0810人間七七四年
2011/05/05(木) 03:36:29.08ID:RxCz8rirその切り口で天下人の評価が下がるなら、ある意味新しいかもしれない。
0812人間七七四年
2011/05/05(木) 09:21:38.61ID:URn3FpNRまあ、>>809のように家康を落としたいだけの人に何を言っても無駄だろう。
彼の理論によると、幕府の医師(もち専門医だな)が裸足で逃げ出す知識と
技術を有する家康の医薬に関するレベルが、
「接待ゴルフとか血圧下げる薬を飲んでるのが趣味って言ってるのと同じレベル」
と決めつけるとは笑止の限りだな。
0813人間七七四年
2011/05/05(木) 09:59:04.39ID:qoJtPYYP0814人間七七四年
2011/05/05(木) 11:17:05.88ID:IeEThfrA歌道、茶道、書道でそれぞれ高い評価を受けた秀吉とは対照的
趣味が実益を兼ねてる人
0815人間七七四年
2011/05/05(木) 15:33:58.00ID:RxCz8rir0816人間七七四年
2011/05/05(木) 16:41:43.55ID:C0IDlwJ00817人間七七四年
2011/05/05(木) 18:50:57.59ID:IQdJ6y8Tじゃあ家康の医学は具体的にどう凄いの?
薬学面では何か効果的な薬品を開発したわけ?
何の根拠もなく凄い凄い繰り返すばかりの方がよほど笑止だわw
0818人間七七四年
2011/05/05(木) 18:58:48.38ID:PiDs9JZ3つまり医学会長と日弁連会頭まで実力で登りつめてからならともかく
医師免許持った弁護士が総理大臣になったくらいでは
大した事ではないと言う事か?
織田有楽クラスの実績がある大大名なんて居たっけ?
>歌道、茶道、書道でそれぞれ高い評価を受けた秀吉とは対照的
評価されてたっけ?
0821人間七七四年
2011/05/05(木) 20:11:43.56ID:URn3FpNR徳川家康の薬「烏犀圓」でググレ、己の無知を恥じたまえ。
更に八味地黄丸の変方、海狗腎・麝香・霊猫香
更にさらに銀液丹
その上に和中散の命名者でもある。
貴殿の目の前の電子箱は、何のためにあるのかね?
0822人間七七四年
2011/05/05(木) 21:31:38.90ID:Kcc5SFHS0823人間七七四年
2011/05/05(木) 23:52:57.95ID:PiDs9JZ3趣味:弁護士か医師免許
各界での功績:メジャー組織のボスか受賞
もちろん上記を実力で。
で考えたらどれだけ無茶な要求してるか分かりそうなものだ。
0824人間七七四年
2011/05/06(金) 01:07:54.61ID:lbxxKkDh秀吉の遺した和歌や書は評価高いよ
「露と落ち〜」は戦国武将の辞世としては出色の出来で、
他の和歌も優れていたことから、後世の逸話集である『老人雑話』では
「側近である大村由己が代筆したものに違いない」なんて書かれちゃうくらいだった
書は北大路魯山人が一休宗純や良寛和尚と並べてべた褒めしてる
茶道においても「侘寂の真髄を理解できずに利休を殺した派手好き独裁者」
という従来のイメージから、武家茶道の大成者まで評価を上げている
養生のために武術の鍛錬や漢方薬の調剤に励んだり、
『吾妻鏡』や『貞観政要』を読みながら
政道のあるべき姿を探求したストイックな家康と異なり、
秀吉の趣味は享楽的で如何にも数奇者という感じ
共通の趣味といえば囲碁と能楽くらいかね
どっちも実力は兎も角、秀吉のほうが熱心だったっぽい
0825人間七七四年
2011/05/06(金) 02:07:21.42ID:F3sdSTaZ0829人間七七四年
2011/05/06(金) 10:37:13.40ID:HluBAl5z平和賞以外のノーベル賞「候補者」の中から
先進国の大臣クラス探されたら
居るかも知れないから、あんまり虐めないで!
0830人間七七四年
2011/05/06(金) 14:42:12.87ID:GMfaQu2k何がしたいんだよお前は
家康は多趣味じゃないと言う話しをしてるんだからスレ違いな質問は質問スレで聞けよ
0831人間七七四年
2011/05/06(金) 15:29:49.36ID:zM6fGw1c家康はあまり趣味が無い
↓
じゃあ誰が多趣味なんだよ(と何度も尋ねる)
↓
質問スレで質問しろ
0832人間七七四年
2011/05/06(金) 18:27:58.92ID:D/+s84G0「家康公は二流」なんて事を一流な人物も出せないのに
言い放つヤツだけが、圧倒的にバカなだけだw
自らは地震津波対策始めても居ないくせに、政府の対応を批判してる
どっかのバカ国民よりも劣るw
0833人間七七四年
2011/05/06(金) 19:25:53.12ID:GMfaQu2k家康が多趣味かどうかを話してるのに何で他の人物が関係あるんだよ
他に多趣味な人がいると家康の趣味が減ったり増えたりするのか?
お前頭おかしいぞ
病院いけ
0836人間七七四年
2011/05/06(金) 20:56:41.18ID:GMfaQu2kだからこれって何だよw
結局、本当に趣味と言える根拠が1つも挙がってないじゃないか
俺が知る限りでは家康の趣味は鷹狩りぐらいしかないし
1つでは多趣味とは言えない
>>835
いや、趣味人はいるだろ
多趣味の戦国武将は知らんが
0837人間七七四年
2011/05/06(金) 21:03:24.09ID:Brn1msOd0838人間七七四年
2011/05/06(金) 21:24:04.85ID:t8h+GftVじゃああんたの思う趣味人は誰なの?
例を上げてくれないとあんたの趣味の基準がわからんわ
はっきり言って議論にならない
0839人間七七四年
2011/05/06(金) 21:34:43.24ID:lbxxKkDh心から楽しんでやっていたかといえばむしろ使命感でやってたような印象はあるね
自身の健康を保ち、天下を無事に治めるための責務というか
そもそも同時代の武将が好んで行っていた歌会や茶会を敬遠してたなんて逸話もあるし、
本業のためにならない気晴らしに淫することは性格的に避けてたように思える
普通の気晴らしになるような余暇の潰し方って鷹狩と香道、そして囲碁くらい
0840人間七七四年
2011/05/06(金) 21:36:52.55ID:M7/jByxR0841人間七七四年
2011/05/06(金) 21:37:58.36ID:lbxxKkDhそう秀吉に諭されて茶会に参加するようになったという逸話があるね
密室で貴人が何時間も一緒に過ごして可笑しくないのが茶会だから
0842人間七七四年
2011/05/06(金) 21:46:53.62ID:mZ0kSBKu坂口安吾の「二流の人」で、茶会めんどくせぇ…けど秀吉様から言われたからなあと
嫌々行くクロカンさん思い出した
0843人間七七四年
2011/05/06(金) 21:56:36.77ID:5hNF6EI8外様大名が幕府高官と会談すると目立ち警戒されるが
利休十哲が茶会すると誰からもとがめられないふしぎ!
細川さんは便利だなぁ
0844人間七七四年
2011/05/06(金) 21:57:11.92ID:OBas8WvEどうでもいいというか、誰かキレイにまとめてくれ。
0845人間七七四年
2011/05/06(金) 22:02:26.31ID:lbxxKkDh個人が楽しんでいるかどうかは当人でないと分からない
0846人間七七四年
2011/05/06(金) 22:04:43.33ID:D/+s84G0史上最長?の長期政権樹立という抜群の功労者の趣味に対して、
高い功績まで求めたのはお前だろう?
だからその素晴しい文化功績とやらがある
大大名を数人で良いから挙げろと言ってるのだろうが。
0848人間七七四年
2011/05/06(金) 22:15:34.97ID:D/+s84G0「歴史に名を刻めるほどの文化功績が無いと
趣味じゃない」って言い出すバカが居たから
教科書塗り替えるくらいの新説(文化功績)発表した
総理大臣(天下人)でも出せよバカって遊んでやってるw
細かい歴史に付いて行けない俺には、百姓よりも貴重なバカだw
0849人間七七四年
2011/05/06(金) 22:19:28.09ID:D/+s84G0千利休に国持ち大名を求めるくらい無理があるw
千利休に国持ち大名を求めるくらい無理があるw
0850人間七七四年
2011/05/06(金) 22:32:43.26ID:lbxxKkDhマジレスすると秀吉が該当する
歌道と茶道では当代屈指の名人、書道においては
黒木欽堂や北大路魯山人が賛辞を惜しまない絶世の能筆家
家康も当時の銃火器のレベルを考えると信じられないくらいの鉄砲の名手だし、
乱世を統べるような英雄は余芸でもその世界で名を残したりする
0851人間七七四年
2011/05/06(金) 22:47:17.33ID:GMfaQu2kこの時代なら古田織部や小堀遠州、宮本武蔵なども一流の趣味人と言えるだろう
秀吉も歌や茶の造詣に深い
能も自から作能して演じ、何より多数の書状から伺えるように能が好きで好きで堪らなかった
その点家康はどれも取り立てて優れた技量に達するほど熱中していた形跡がない
鷹狩りに関しては例の逸話で知られるように幼少の頃から続けていたようだし
狩場や鷹の管理に落ち度のあった家臣を何人も処罰したり殺したりしてるぐらいだから余程好きだったようだが
0852人間七七四年
2011/05/06(金) 22:47:34.28ID:8gOi8zGR0853人間七七四年
2011/05/06(金) 22:50:51.75ID:8gOi8zGR連レスになるけど、プロレベルまで熱中しなきゃ趣味にならないのかよ
世の中の才能が無くてもやってる人すべてにいますぐ謝ってこい
0854人間七七四年
2011/05/06(金) 23:00:10.58ID:iwmtWX0j貴殿の家康の趣味に対する印象論を適用するなら、いずれも使命感に燃えてやってると説明することができるぞ。
まず、鷹狩りだが、健康維持のためのスポーツ兼軍事演習兼領内の実情把握のために、気晴らしのふりをして、
しばしば行っていたと説明できる。
と言うか「鷹狩りは、軍事演習の意味合いが強いのだがご存じないのかな?
次に香道だが、この趣味は茶道と違って、基本的に貴族趣味で公家に愛好者が多い。朝廷工作を行う際に、公家に
根回しを行う際の隠れ蓑に使っていたとも説明できる。
最後に、浅野長政とのほほえましいエピソードが伝えられている囲碁の話だが、当時、五奉行において関東、東北
方面の取り次ぎを担当していた浅野長政に取り入るために長政の趣味である囲碁を利用したとも説明できる。
個人の印象論から、家康の”本当”の趣味が云々言うのは全くの無意味ではないかね?
0855人間七七四年
2011/05/06(金) 23:03:35.00ID:5hNF6EI80856人間七七四年
2011/05/06(金) 23:07:22.28ID:iwmtWX0j文化的功績がないと趣味じゃないとは、どういう了見だ!
素人のカラオケ愛好家とか、釣り人とか、日曜大工とか、園芸家とか
ネットで小説やブログをやってる連中は趣味陣じゃないのかね?
貴殿は不思議な脳みそをしてるな。
0857人間七七四年
2011/05/06(金) 23:12:36.33ID:mZ0kSBKuそんなこと言ってたら、みんなの趣味が
やりたくないけど軍事的・政治的にやらなければいけないから
やっていた ということになっちゃうよ
ちょっと穿ち過ぎじゃないか?
0858人間七七四年
2011/05/06(金) 23:19:32.50ID:lbxxKkDh>貴殿の家康の趣味に対する印象論を適用するなら、
>いずれも使命感に燃えてやってると説明することができるぞ
鷹狩は実際に軍事訓練も兼ねてたかもね
香道については、茶道で名物に拘らなかったとされる家康が暹羅から香木を輸入して
個人的に楽しんでいたくらいだから、まあ純粋に好きだったんでしょう
囲碁については自分で対戦するだけじゃなく、本因坊算砂のパトロンになったりしてる
囲碁の保護振興については長政死後も積極的に行なっているから、
何らかの実益があったとしても五奉行に近づくためだったというのはどうだろうか
>個人の印象論から、家康の”本当”の趣味が云々言うのは全くの無意味ではないかね?
それは単に見解の相違だと思うな
「趣味」という言葉の定義自体が上述のように主観的要素を多分に含む以上、
「趣味について語ること」が主観的な観念論に陥るのはごく自然なことだと自分は思う
そのことが無意味だと仰るのなら、まあ無意味なんでしょう
0859人間七七四年
2011/05/06(金) 23:22:40.75ID:D/+s84G0んでその一流の趣味人は、
家康公より数段劣る何十万石くらいの大大名だったのだ?
小大名じゃあ同じ土俵ですら無いから、
天下を取った片手間の趣味が低レベルとか言えないぞ。
0860人間七七四年
2011/05/06(金) 23:23:21.65ID:iwmtWX0j>>839の印象論を弄れば、こうも言えると鷹狩り、香道、囲碁に関して説明しただけ。
健康で長生きしたいって誰もが持ってる願望だろう。それを家康に限って使命感とか
武芸の鍛錬や古典の研究、薬剤の調合を天下を治める責務とか言い出してるから
そりゃ違うんじゃないかなと思って、こうも言えるぞと書いただけなので気にしないように
0861人間七七四年
2011/05/06(金) 23:26:27.64ID:D/+s84G0家康公は現代で言うとこの、医師レベルじゃないのか?
ガーデニングや日曜大工、カラオケよりもずっと高度だろう?
0863人間七七四年
2011/05/06(金) 23:29:38.21ID:D/+s84G0健康オタクで長生きしつつ、
萌えない後家ばかりの側室に子供生ませたのだから
充分責務と考えていただろう?
0864人間七七四年
2011/05/06(金) 23:32:49.23ID:D/+s84G0趣味で医師免許まで持ってる国王を
低レベルな趣味と言うバカを諭してるんだから、
大事な事だろう?
0865人間七七四年
2011/05/06(金) 23:39:15.45ID:GMfaQu2kいや、彼らはあくまで最後まで武士を生業としていた
後世に文化財として評価される程レベルが高かっただけに過ぎない
>>859
何で大名の規模が関係あるんだ
勝手な設定後付けするな
秀吉も意図的に外してるし話にならん
0866人間七七四年
2011/05/06(金) 23:47:25.12ID:GMfaQu2kだからその医学はどの程度なんだよ
「〇〇の木を煮出して飲むと痛風に効くらしい」とか
家庭の医学読んで治療を施すような民間療法と何が違うんだ?
0867人間七七四年
2011/05/06(金) 23:50:38.47ID:mZ0kSBKu0868人間七七四年
2011/05/06(金) 23:56:47.87ID:8gOi8zGR0869人間七七四年
2011/05/07(土) 00:09:47.86ID:U88CB2Ns>勝手な設定後付けするな
>秀吉も意図的に外してるし話にならん
サルに悪趣味以外があるのなら、凄いかもな。
俺は知らんがw
>家庭の医学読んで治療を施すような民間療法と何が違うんだ?
そのレベルじゃないから言い伝えられてるんじゃないのか?
0871人間七七四年
2011/05/07(土) 00:22:00.48ID:7Gs8qqiG悲しいことに、当時の医学レベルは、漢方治療がメインだから
それを高度にしたくらいかな?
漢方薬を売ってる店に行ったことあるかな?
基本的には、問診で顔色、皮膚の色、舌や爪の状態、脈拍、
触診、睡眠時間、食事の内容などの生活習慣まで聞き取って、
相手の体調に合わせた漢方薬を調合する。
それと同じ事を、当時の名医曲直瀬が行っている。
家康の医学の趣味レベルは、この域に達している。
ただ臨床例が足りないので、曲直瀬には、及ばないのは言うまでもない。
0872人間七七四年
2011/05/07(土) 00:31:33.26ID:WiCZGTOR「歳だからうっかりしてた」とかあからさまなこと言って煙に巻くけど
某所で「でもそれだと大名家の縁談て誰がしてくれるんだろう
大名家の婚姻がダメだとみんな断絶しちゃうじゃん」と言われてて、それもそうかなあとも思った
秀吉死後、こういう取締ってのは実質誰が担当になってたんだろうか
0873人間七七四年
2011/05/07(土) 00:33:35.98ID:D+oXq0j7秀吉死後の豊臣政権は何をするにも基本五大老五奉行の合議制
家康の婚姻政策が問題になったのは、他の首脳に諮ることなく
独断で大名同士を結びつけたから
0874人間七七四年
2011/05/07(土) 00:34:42.39ID:WiCZGTORああなるほど、独断でやったから批難されたのか 納得できた
でもその10人だと、小田原評定並に一致しなさそうな気がする…
0875人間七七四年
2011/05/07(土) 00:50:06.42ID:7Gs8qqiGそもそも、家康の婚姻政策開始のきっかけは、亀井前琉球守の強談判だ。
「うちの娘が適齢期なんで婿さん世話してくれ」
「大名間の私的婚姻は禁止だよ」
「だから、大老筆頭のあんたに婿の世話をしてくれと公式に頼んでるんだが?」
「ええと、公式って?」
「あんた政務を太閤さんから委任されただろう。だから公的な”うちの娘に婿さん世話して
くれ”って申請を政務の代行者にしてるんだが?」
というわけで亀井は、娘を家康の家来の嫁にできたわけで。これが第一のきっかけだな。
次に加藤清正が、水野勝成の妹との結婚を届け出たわけだが、これに対して五大老、五奉行
が審議して許可した形跡がないというか黙認している。
つまり、婚姻に関しては、二つも前例があるので、他の大老や奉行が家康をどうこう言う正当性
がないと考えられるな。
0876人間七七四年
2011/05/07(土) 01:11:21.27ID:D+oXq0j7>他の大老や奉行が家康をどうこう言う正当性がないと考えられるな
大名の私婚禁止は文禄四年の家康も連署した『御掟』で明言されてるし、
後に江戸幕府の『武家諸法度』でも厳禁されてる
家康の弾劾状である『内府ちかいの条々』に家康の勝手な縁組を非難する条項がある
封建社会において大名同士の婚姻は即同盟に通じるものである以上、
内々の婚姻は即反逆に繋がるものだと認識された
以上、笠谷和比古氏『関ヶ原合戦』より引用
現に伊達福島蜂須賀の婚姻の際は家康に対し三中老が詰問の使者として訪れ
親家康派と反家康派を二分する大事件となっている
亀井と加藤のケースは根回しがあったから
文句を言われなかったと解釈する方が妥当だろう
0877人間七七四年
2011/05/07(土) 01:12:18.27ID:q2Ti0Q3I自分の養女を大名家に嫁に出したってーだけじゃねーか。
前例も糞もないだろw
0878人間七七四年
2011/05/07(土) 01:27:34.62ID:7Gs8qqiG根回しがあったのかな?加藤は反石田の急先鋒だが前田派の人間だから根回しはありそうだが
亀井はどうなんだろう?1万石程度の小大名だからスルーされたのかもしれないな。
ただ事前の根回しがあったのなら、家康の「歳だから(耄碌して)忘れた」って言い訳は、蜂須賀、福島、
伊達に関して根回しを忘れたって意味にもとれるな。
0879人間七七四年
2011/05/07(土) 01:37:44.44ID:D+oXq0j7婚姻を行う大名家相手ではなく、審議権を有する他の大老、
奉行衆への事前の「意見調整」のことね
陰で有力大名と結びつくため、彼らとの婚姻を「根回し」したのが
バレて騒動になったのが上述の伊達福島蜂須賀のケース
正直言うと亀井茲矩のケースはよく知らないが、君の書き込みから判断するに
何ら隠し立てすることなく正々堂々と「五大老筆頭」である家康に
結婚の世話をするように申し込んでるわけでしょ
これでは問題になりようがない
0880人間七七四年
2011/05/07(土) 11:19:22.11ID:/IJx4eSG1.多数決
2.最終的に五大老筆頭の意思に従う
3.合議としての意思決定を行わず、ゴタゴタもめている間は五奉行が独断で必要な政務を行う
0882人間七七四年
2011/05/07(土) 13:16:21.08ID:/0FEk8vX0883人間七七四年
2011/05/07(土) 14:49:22.14ID:uSae6YFD法を根拠にするには、随分稚拙な制度だこと。
0884人間七七四年
2011/05/07(土) 15:08:45.44ID:mcvazMtJ0885人間七七四年
2011/05/07(土) 15:19:04.39ID:OzaHpK8s0886人間七七四年
2011/05/07(土) 15:27:48.49ID:OzaHpK8s話が拗れて妥協も行われなかったときは、将軍の決済を仰ぐという形
こういう場合は基本的には多数意見を将軍は採用したようです
0887人間七七四年
2011/05/07(土) 15:33:31.39ID:q2Ti0Q3I家康(秀忠)から提出された案件を利家(利長)及び五奉行が承認して決定する。
同様に
利家(利長)から提出された案件を家康(秀忠)及び五奉行が承認して決定する。
となっている。
大老・奉行の合議で決定というのは秀吉死後に決められた物。
つーか、合議ってーのは本来全会一致が原則。
多数決が用いられたのは明治に入ってからだし、
現代の日本だって本来は合意形成型民主主義。
0888人間七七四年
2011/05/07(土) 16:25:38.77ID:7Gs8qqiG秀吉の遺言も、そのままとれば、秀頼が十五歳になるまで政務をとりしきれということだから
制度的不備がある五大老五奉行制を超越して政権を安定的に運営するためには、
家康自身が発言力を強化するしかない。
そのために婚姻政策を通じて、発言力拡大を図ったとも言えるかな?
0889人間七七四年
2011/05/07(土) 16:47:06.08ID:q2Ti0Q3I0890人間七七四年
2011/05/07(土) 16:56:17.67ID:mVqyxc600891人間七七四年
2011/05/07(土) 17:52:00.61ID:/0FEk8vXサルが死ねば次は家康公なのは当然の成行だ。
0892人間七七四年
2011/05/07(土) 17:56:22.36ID:D+oXq0j7家康には公儀の政務を、利家には秀頼の後見を、というのは秀吉の遺言にあるよ
様々な資料にそのことは記されてるし、実際に家康の婚姻政策が顕在化し問題になったとき、
遺命違反を理由に大老職を辞すように迫った奉行衆に対して家康は
「太閤殿下に秀頼様成人まで政務を任された私を追い出すことこそ遺命違反である」
と逆切れし、最終的には奉行衆を謝罪させてる(『朝野旧聞ホウ藁』より)
やや信憑性には乏しいが、意見が割れたときの仲裁役として
三中老というのも設置されてるし、何か問題が起こったときにリーダーシップをとって
政権を安定化させるということが五大老筆頭である家康の本来の役目
それを家康本人が自身の覇権を狙って他の大老、
奉行衆との衝突を繰り返したのが秀吉薨去→関ヶ原までの権力闘争の背景
制度が不備だったというが、首班に政権を安定させる意思がないのに
安定的に機能する制度なんて存在しないと思うよ
0893人間七七四年
2011/05/07(土) 18:07:30.55ID:q2Ti0Q3I秀吉が家康に命じたのは伏見での「諸職御肝煎」。
これは伏見で日常行われていた庶務を統括するといった程度の内容で
自分に代わって政務を執る様に命じたような物じゃない。
> 「太閤殿下に秀頼様成人まで政務を任された私を追い出すことこそ遺命違反である」
これも太閤が決めた大老職を解く事が遺命違反だと言っているわけで、
政務を任された私を〜なんて話じゃない。
秀吉は飽く迄家康と利家の二頭体制を敷いたのであって
家康個人に特別な権限を与えたわけじゃないよ。
0894人間七七四年
2011/05/07(土) 18:17:21.44ID:D+oXq0j7自分と君は大体同じことを言ってると思うんだけどどうかな
「公儀の政務」ってのは五大老五奉行制度の合意を重視するという
原則を乱さない範囲での政務の統括という話で、
生前の秀吉のような超法規的な存在ではないのは当然
0895人間七七四年
2011/05/07(土) 18:21:30.05ID:7Gs8qqiG秀吉が家康に命じたのは伏見での「諸職御肝煎」。
これは伏見で日常行われていた庶務を統括するといった程度の内容
具体的には、どういうことか教えてくれないかな?
利家の役目は、秀頼の養育係だから天下の政治を担うわけじゃないし
君の言い方じゃ家康は、伏見近辺の奉行的な役割をやらされるだけのようにとれる。
そうすると天下の政治は、残る三大老と五奉行が仕切ることになるのか?
具体的に、三大老と五奉行が天下の諸政を仕切るって文献でも残ってるのかな?
浅学なので、教えていただけると助かりますので、よろしくお願いいたします。
0896人間七七四年
2011/05/07(土) 19:13:10.27ID:WiCZGTOR秀忠が亡くなった後、家光が全員の意見を聞いてから決めろ ということにしたので
案件が即パンク状態になって困った とか書いてあったな
0897人間七七四年
2011/05/07(土) 19:49:29.51ID:OzaHpK8sその辺はいわゆる輪番制という奴ではないかと
家光の指示は二元政治の解消するための行為なんでしょうな
0898人間七七四年
2011/05/08(日) 14:33:39.93ID:Jrb29DDz天下人と比較する>>851 とかの根性も理解出来ないが
対津波・地震の家に引越しても居ないくせに
政府の震災対応がどうとか文句垂れてる国民性って、
武士道の精神には反して居ないの?
0899人間七七四年
2011/05/08(日) 15:16:53.79ID:mZNtN90sつうか東日本大震災における政府の対応と家康がどう関係するの?
0900人間七七四年
2011/05/08(日) 15:45:26.73ID:Jrb29DDz武芸にでも秀でていたのか?
無理やり関白になってるくらいだから
権力無しに認められる功績があるとは思わん。
0901人間七七四年
2011/05/08(日) 15:49:57.35ID:mZNtN90s「こんなの利休の目指した茶道じゃねー」という評価は、
偽書である『南方録』によって清貧の思想が極端に強調された結果生まれたもの
つうか上で秀吉の文化的功績については詳しく書いてるじゃん
豊臣家も江戸幕府も全て滅び去った現代でもその芸術について高く評価されてますよ
0902人間七七四年
2011/05/08(日) 16:54:55.69ID:Jrb29DDzお前みたいなバカは、マトモに相手したくないが
暇だからサルの多趣味とやらのキーワードを教えてくれれば
どんなもんか見てやるって言ってんだよ( ´,_ゝ`)
0903人間七七四年
2011/05/08(日) 17:06:10.73ID:mZNtN90s「辞世」「大村由己」「北大路魯山人」「武家茶道」「能筆」「作能」
以上のキーワードと「秀吉」を合わせて検索してみれば君のような人間でも理解できると思うよ
貴殿の目の前にある四角い箱を是非有効活用することを強くお勧めする
家康との比較から離れた秀吉の趣味の話はいい加減スレ違いだから繰り返さない
つうか君の一連の書き込みってぶっちゃけこのスレのレベルだけじゃなくて
家康ファンそのものの印象まで悪化させてるから、
いい加減消えた方が君のためだけじゃなくてこのスレのためにも良いと思うけどどうかな?
震災や原発問題について並々ならぬ興味が有るようだから、
それ関連の政治スレにでも行けば幸せになれるんじゃないかな
0904人間七七四年
2011/05/08(日) 17:15:51.81ID:xij9//6m0905人間七七四年
2011/05/08(日) 17:22:41.99ID:MPhRhWabまあ、家康ファンの俺ですら、秀吉の多趣味なのはJk的に考えてデフォなのだから
家康オタを装った家康アンチの工作はスルーした方が良いと思うぞ。
秀吉の和歌の巧さ、当意即妙さは、柿泥棒幽斎との和歌の掛け合いとか辞世の名句
で有名だし、利休の侘び寂びvs秀吉の黄金趣味茶道、明智討ちに代表される創作能
とか、文化的趣味に関しては、かなりのレベルに達している。
芸術趣味の秀吉vs実学趣味の家康と両英傑の趣味は好対照をなしているな。
0906人間七七四年
2011/05/08(日) 17:26:37.50ID:CJbO1ndcくどいんだよ、いつまで続けるつもりだよ…
0907人間七七四年
2011/05/08(日) 17:45:30.30ID:Jrb29DDz>>家康ファンの俺ですら、秀吉の多趣味なのはJk的に考えてデフォなのだから
>「辞世」「大村由己」「北大路魯山人」「武家茶道」「能筆」「作能」
>以上のキーワードと「秀吉」を合わせて検索してみれば君のような人間でも理解できると思うよ
からしても、優秀なブレーンが居て、
そいつらに文化活動を奨励したくらいしか分からんのだけど
サル自身が字や能をプロ級に上手かったの?
0908人間七七四年
2011/05/08(日) 17:50:48.38ID:MPhRhWab家康の女の趣味に関する話は、次スレでやりたいので、今は封印している。
残りのスレは、家康と部下の話で埋めるのも良いかもしれない。
自分的には、めんどくさい三河武士、ややこしい甲州武士、小難しい北条武士
と影の薄い遠州武士、意外に地味な駿河武士、小理屈で意固地な信州武士という
ように家康の部下を分類している。
0909人間七七四年
2011/05/08(日) 18:18:35.64ID:VWeUP5rN0910人間七七四年
2011/05/08(日) 18:20:13.31ID:CJbO1ndcなにその面白そうな話題
めんどくさい三河武士はよく話を目にするけど、他はどういう本をあたったらいいかな
ややこしい甲州武士他の所以が気になるw
0913人間七七四年
2011/05/08(日) 19:45:13.07ID:Rm114Ly/サルって、大河ドラマの見過ぎか?
だいたい信長は秀吉を「はげねずみ」と呼んでたんじゃなかったか?
0914人間七七四年
2011/05/08(日) 20:13:57.18ID:gntc+Sfd「諸職御肝煎」って、日常の庶務統括程度の職務なのかいな?
0915人間七七四年
2011/05/08(日) 20:18:53.66ID:L3jw0ddhなんでかな?
けど、スレを見ちゃう…
なんでかな?
0919人間七七四年
2011/05/08(日) 23:51:54.10ID:MPhRhWab>>893 のIDq2Ti0Q3I さん、お早めのご返答をお待ちしております。
こちらは、ややこしい甲州侍の二大巨頭
モンスタークレーマー曲淵庄右衛門老人と生還率だけは100%の横田甚五郎殿
をモスボールしてお待ちしております。
0920人間七七四年
2011/05/09(月) 07:19:31.61ID:R+SuqivG>>893の言葉尻だけとれば、国政とは関係ない事務総責任者みたいな感じ?
俄かに信じがたいのだが・・・。史料でもあんのかね?
0921人間七七四年
2011/05/09(月) 07:46:35.60ID:JLHJ97/Zその次の条の諸職と書かれた家康一人に付与された政務権限のレベルが
彼がいうところの庶務レベルのものであるという推論も秀吉の名代権が与えられた
かのような解釈よりは妥当とおもうけど
0922人間七七四年
2011/05/09(月) 10:25:00.18ID:FI8daPcE名代権はないでしょうな、しかし家康と利家が表記される場合に先ず、
家康を先に記すのは家康を上位とするという意味である
0923人間七七四年
2011/05/09(月) 10:38:02.36ID:WASzczzC真面目な話、「担当する部署のない業務」
0924人間七七四年
2011/05/09(月) 10:53:22.30ID:FI8daPcE0925人間七七四年
2011/05/09(月) 11:43:23.02ID:U5hgefulここで求められてるのは、推論じゃないでしょ。
推論でいいのならば、
名実ともに筆頭大老である家康に、
庶務程度の責任者をわざわざ任ずる方に違和感がある。
0926人間七七四年
2011/05/09(月) 17:55:01.39ID:02cWnWaw村正嫌いじゃなかった ってどの程度信憑性あるの?
0927人間七七四年
2011/05/09(月) 21:10:06.48ID:eOd/q4Cg家康に与えられた権限の範囲次第で、
「家康の婚姻政策」は、それ自体が違法なのか、
単なる手続違反なのかって話になるよねぇ。
0928人間七七四年
2011/05/09(月) 21:14:31.86ID:pgzJjUDp空席になって内大臣の家康がその時点の最上位になった上に大臣任官要件を満たす
公卿が居なくなってしまい、朝廷人事が麻痺してしまうので家康が内大臣として主導して
菊亭晴季の右大臣還任してもらったりして立て直しに奔走していた。
0929人間七七四年
2011/05/09(月) 21:22:51.88ID:FI8daPcE秀吉死亡前の誓詞条目には記載がなかったりする
0930人間七七四年
2011/05/09(月) 22:59:36.83ID:QO/9gt6g妹や母も政治の具として利用するし、
秀頼を後継者にするためならどんな虐殺も厭わない
秀吉にとって政治とコネは分かち難く結びついてる
0931人間七七四年
2011/05/09(月) 23:46:17.40ID:57vZ7gf5スレ立てるまでもない質問スレに答えらしきものがあったぞ。
なんでも朝廷との折衝役だそうだ。
職務内容は、転載すると
1,官職の推薦権(家康が窓口になって朝廷に奏上、認可を得る)
2,朝廷の諸儀式における費用の負担を豊臣家が担う際の折衝
3,朝廷の要求を豊臣公儀に伝達し、討議した回答を朝廷に伝える。
というものらしい。
で、家康が何で、そんな役を割り振られたかというと
5大老のうち利家には秀頼の傳役任せ大阪城の西の丸に入らせた
もう1人の家康には大阪城から遠ざけるために伏見に入る必要の有る朝廷との折衝を任せた
というのが理由だそうだ。
0932奇矯屋onぷらっと ◆a..l..g..o
2011/05/09(月) 23:49:21.22ID:4ezNrsZR0933人間七七四年
2011/05/10(火) 00:14:00.28ID:AZnTWg6i家康しか適任が居なくね?
0934人間七七四年
2011/05/10(火) 00:22:29.96ID:D9Ktmtar0935人間七七四年
2011/05/10(火) 01:45:49.65ID:aucSNe64>428 名前: 人間七七四年 投稿日: 2011/05/08(日) 23:56:12.21 ID:MPhRhWab
>秀吉が資に際して家康に命じたのは伏見での「諸職御肝煎」とは
>どういう仕事なのでしょうか?
>431 名前: 人間七七四年 [sage] 投稿日: 2011/05/09(月) 00:17:25.37 ID:57vZ7gf5
>>430
> ありがとうございます。つまり豊臣公儀における朝廷との折衝を一任されたわけですね。
> 具体的には、浅学なので、このような例しか浮かばないのですが、これ以外にもありますでしょうか?
>1,官職の推薦権(家康が窓口になって朝廷に奏上、認可を得る)
>2,朝廷の諸儀式における費用の負担を豊臣家が担う際の折衝
>3,朝廷の要求を豊臣公儀に伝達し、討議した回答を朝廷に伝える。
なんで聞いてきたといわないのか不思議だし、当初の庶務程度という認識は誤ってたってことになるな
0936人間七七四年
2011/05/10(火) 21:40:59.01ID:lPyt/aCohttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%91%E6%AD%A3#.E5.A6.96.E5.88.80.E4.BC.9D.E8.AA.AC.E3.81.AE.E6.B5.81.E5.B8.83
0937人間七七四年
2011/05/10(火) 21:41:50.65ID:H8X3yLIt何となくもうその時から豊臣政権内はボロボロなイメージがあって
徳川寄りでなくとも、もう無理だろ…と思ってしまうんだよな
0938人間七七四年
2011/05/10(火) 21:59:43.39ID:ATQMmuLL全国の蔵入地を管理する豊臣公儀最強の人間計算機、長束正家処刑済み
豊臣公儀における土木行政担当兼裁判担当、増田長盛を関東に幽閉
五奉行一の切れ者、オールラウンダー石田三成処刑済み
五奉行のトップ浅野長政、徳川内府に取り込まれ、手下も同然
残る前田は、京都担当で影響力無しというか潜在的反豊臣
豊臣公儀に政権運営の能力無し!
0939人間七七四年
2011/05/11(水) 09:58:12.62ID:7OVGn1F4そうなのか?
0940人間七七四年
2011/05/11(水) 23:02:39.81ID:hcv3c/8Q三法師君(織田の秀信くん)に石田陣営に行くなと秀信の家老を通じて忠告した。
西軍側の内部情報を増田と同じように家康に漏洩した。
京都奉行の職をあっさりと徳川の武将に引き継いだ。
何故か、奉行集の内で、一人だけ中立扱いを受けて本領安堵。
0941人間七七四年
2011/05/12(木) 00:47:49.81ID:6Mg7bPnp数十万石程度で飛び地にしとけば、安全なのに、、、
0943人間七七四年
2011/05/12(木) 09:00:24.16ID:67TInmPcどうも家康の略歴があまりに完璧すぎて釈然としないのだが・・
やはり時の人ともなると自身を神格化したがるのかねぇ
所々に無様な部分を垣間見せて苦労人を強調させるところなんて
いかにも昔話が好きな家康らしくてさ
人生の後半なんていかにも聖人君子て感じで好きになれんし
ぶっちゃけ作ってる感いっぱいだよ
俺的には武光誠や池宮彰一郎の説のほうが、むしろしっくりくるな
0944人間七七四年
2011/05/12(木) 10:18:28.64ID:nlnFwdvm大奥が暴走しない様にするのだけ
忘れたのが残念だが、、、
0945人間七七四年
2011/05/12(木) 10:25:04.52ID:hWxhaqV10946人間七七四年
2011/05/12(木) 10:39:32.33ID:hxVnHIOS織田信長には「信長公記」があるが、
家康に関する史料はほとんどが死後に書かれている。
神格化したのは本人ではなく幕府の関係者、御用学者たちだろう。
0947人間七七四年
2011/05/12(木) 10:59:38.93ID:hWxhaqV10948人間七七四年
2011/05/12(木) 11:48:28.61ID:GYsr9nRc失敗を受け入れて学んだ人だからこそ天下取れた訳で
0949人間七七四年
2011/05/12(木) 12:01:48.41ID:nlnFwdvm冷静に反省したんだろうな。
信康の斬った侍女って「小侍従」じゃないの?
古い偉人としてしか説明が無い(′・_・`)
0950人間七七四年
2011/05/12(木) 13:08:31.29ID:EAF5bWIt完璧すぎるのが気に入らないのか、
聖人君子らしく作ってるのが気に入らないのか、どっちなんだろうね
家康が嫌いというアンチはたくさんいるし、
そういう言い方のほうが「しっくりくる」
0951人間七七四年
2011/05/12(木) 20:24:05.15ID:LjVPgILA0952人間七七四年
2011/05/12(木) 20:54:14.33ID:z2Pc6rxo失敗して反省して我慢して、時には卑怯な手も使ったけど
天下泰平の世を築いた偉大なる江戸幕府創立者さ
0953人間七七四年
2011/05/13(金) 01:42:30.55ID:xQWM9XL3頼朝と尊氏と信長と秀吉の失敗を繰り返さないよう、その原因を分析して
綿密に対策を練ったのだと思う
もっとも、それには本多正信も相当貢献してると思うけど
0954人間七七四年
2011/05/13(金) 17:52:40.13ID:JfAf5EyN0956人間七七四年
2011/05/13(金) 20:38:16.17ID:OiogjCeu0957人間七七四年
2011/05/14(土) 00:06:09.71ID:ZVX2v86p0958人間七七四年
2011/05/14(土) 00:31:01.92ID:95UJj3zn0959奇矯屋onぷらっと ◆a..l..g..o
2011/05/14(土) 00:36:54.60ID:gNbEjd4Y0961人間七七四年
2011/05/14(土) 08:59:01.32ID:H700TRSy大ざっぱに言ってそうだと思うけど?
関ヶ原は政権を取るためだけど、大坂の陣は将来の不安要素を除くため。
秀吉なんかは自家保存のためというより、生涯自分自身のギャンブルに酔っていた印象。
人生は夢だとか言ってる。
子供ができるまで、自分の死後のことはあまり考えていなかった感じがする。
0962人間七七四年
2011/05/14(土) 09:06:04.89ID:FmVwrXWd0963人間七七四年
2011/05/14(土) 15:36:00.53ID:h2Ho87qe神君によって天罰を受けたのは当然の報い
0964人間七七四年
2011/05/14(土) 17:24:14.61ID:go50jlu7これには語弊あり。
秀吉存命中は正直ブルってたと思われる
0965人間七七四年
2011/05/14(土) 18:25:19.96ID:D66rRqeL0966人間七七四年
2011/05/14(土) 19:19:17.65ID:HKKjRoj/0967人間七七四年
2011/05/14(土) 19:28:24.83ID:go50jlu70968人間七七四年
2011/05/14(土) 19:41:44.55ID:QtOdy5rKhttp://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1239431163/
このスレへゴー
0969人間七七四年
2011/05/14(土) 19:48:44.69ID:b2tWcX+P12. 山内一豊
13. 直江兼続
14. 江←New!
大河ドラマで戦国時代ものをやるたびに1人ずつ増えていきます
0970人間七七四年
2011/05/14(土) 20:13:53.46ID:EorTEIF7戦国の最終覇者「家康が」最も恐れた男っていうのは
あくまでも家康を第一として考えているんだよな
0971人間七七四年
2011/05/14(土) 20:17:51.93ID:H700TRSy言われてみればその通りだけど、秀頼ができたら殺しちゃったよね。
印象だけだけど、権力の承継に執着というか工夫を感じないんだよな>子供が出来るまでの秀吉
0972人間七七四年
2011/05/14(土) 20:49:31.35ID:BQj+4eSz0973人間七七四年
2011/05/14(土) 21:00:14.30ID:HKKjRoj/0974人間七七四年
2011/05/14(土) 21:06:14.78ID:95UJj3zn0975人間七七四年
2011/05/14(土) 21:20:41.27ID:N6958XPg0976人間七七四年
2011/05/14(土) 21:27:24.02ID:EorTEIF7功名が辻では目立っていたらしいが
0977人間七七四年
2011/05/15(日) 02:08:59.38ID:Krvfb3gO三方が原の敗戦の時なんて、家康がいくら制止しても家臣たちは
全く言うこと聞かず、勝手に武田軍に突っかかっていって惨敗、
家康自身も恐怖に脱糞して逃げるほどの戦いだったのに、城では
先に逃げ帰った家臣たちが「家康は死んだ」と触れて回っていて、
命からがら家康が帰ってきても「おーいクソもらしの大将が生きて
帰ってきやがったぞ、いようクソ大将」とみなで笑っていたらしい。
こんな家臣に囲まれて育ったから、幕府開府後は家臣たちを徹底的に
統制・調教することに力を注いだんだよな。
三河に残ったままで家臣団がいつまでも独立領主の気分でいたら
家康の転化はなかった、秀吉が家康を関東に移封したのは最大の失策、
という人までいるくらいで。
0978人間七七四年
2011/05/15(日) 02:30:48.40ID:CJ2ObO0D0979人間七七四年
2011/05/15(日) 03:27:17.61ID:iu+A3z+1>みなで笑っていたらしい
本人も家臣と戯れていたのだからニュアンスが違うぞ
すぐ糞もらしの話をしたがるヤシだろうが
自分も糞を漏らしたことがあるだろw
0980人間七七四年
2011/05/15(日) 08:43:18.10ID:mN+WIFNM独立領主気分wないっちゃないだろうが(作左とか忠次とか大久保とか)
そんな連中ばかりだったら、
1,鳥井忠吉の裏金作りが今川に筒抜けになるぞ
2,三河の一向一揆で、家康の首なんぞとうに飛んでる
3、三方原の敗戦で、浜松に入城できても、信玄公に縄付きで差し出されるわ
4,信康事件で、岡崎衆がおとなしく処分を受け入れるわけがない
5、小牧長久手で石川が離反したときに、三河の連中が大量に離脱するはず(豊臣家は高給だよ)
6、そして関東入府が、あんなにスムーズに行くものかね。
織田政権における典型的な転勤族だった秀吉が驚くほどスムーズに行ったわけだからな。
0982人間七七四年
2011/05/15(日) 10:35:37.45ID:wVY0LgZx0983人間七七四年
2011/05/15(日) 10:40:51.27ID:IOXHnKAK0984人間七七四年
2011/05/15(日) 10:48:33.30ID:8TK1m2+00985人間七七四年
2011/05/15(日) 11:30:07.73ID:WD0PJN6Vエビ……忠次の話ですねわかります
レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。