天正10年の武田攻めを語るスレ 2
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0001人間七七四年
2011/02/05(土) 19:59:36ID:iuppRP330003人間七七四年
2011/02/06(日) 09:58:43ID:8D/87n7G0004人間七七四年
2011/02/06(日) 11:47:11ID:1uxYShFZでも勝頼は何も言わないだろうね
0005人間七七四年
2011/02/06(日) 12:51:36ID:FEC6BEuy乙です。
>4
とあるブログで家が滅ぶ時はその前代にもその責はあるとあったがこれは同意。
0006人間七七四年
2011/02/06(日) 13:05:04ID:iry4hZcj0007人間七七四年
2011/02/06(日) 16:20:36ID:daAnBx9nhttp://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1192166319/
0008人間七七四年
2011/02/06(日) 17:17:48ID:UifI6fpC先代が中央大勢力に喧嘩売るだけ売ってポックリいっちゃうあたりが
攻められたらほぼ無抵抗で、家臣の城に逃げようとして裏切られるのも同じだし
先代が実行困難な遺言残すところも同じ
0009人間七七四年
2011/02/06(日) 19:32:14ID:daAnBx9n0010人間七七四年
2011/02/06(日) 19:51:45ID:K/ugLLNT上田原の戦い
川中島の戦い
・・・
信玄による信濃統一の日本史における意義って何よ?
信玄と勝頼を合わせて見ると長曾我部元親と変わらん気がする。
0011人間七七四年
2011/02/06(日) 19:54:00ID:K/ugLLNTという意見をよく聞くけど、織田と武田の差が決定的に開き始めたのは
勝頼が信長の謀略に釣られて鉄砲に特攻してからなわけだが。
0012人間七七四年
2011/02/06(日) 20:03:53ID:UifI6fpC四国ほぼ統一>>>信濃ほぼ攻略でしょ、普通に考えて
>>11
信玄が西進した時点で単独ではとても勝てないくらいの差はあったよ だから包囲網敷いた
長篠の時点で、やるならラストチャンスといっても過言ではなかったのじゃないかな
0013人間七七四年
2011/02/06(日) 22:12:19ID:FEC6BEuyそれ故国人衆の信頼を失った。
「裏切り」の場合裏切る側が非難されがちだけど、相次ぐ出兵にとんでも税率
の為に人民の心を離れさせてしまった勝頼も悪いからな。
0014人間七七四年
2011/02/06(日) 23:16:18ID:wdVMhEnq決戦主義で行くしかないのが辛い
0015人間七七四年
2011/02/07(月) 03:48:39ID:Q88DSBDtはきっと私人としては優しい人だったんだろうなあと思う。
でも公人としてはあんまり良いエピソードって聞かないな。
高遠城の領民は領主が盛信の時は慕ったけど、勝頼の時は評判良くなかったらしいし。
0016人間七七四年
2011/02/07(月) 04:34:22ID:qk//xV550017人間七七四年
2011/02/07(月) 06:50:17ID:vYGEqAMi0018人間七七四年
2011/02/07(月) 08:40:51ID:soT7o94g>とても冬季の越後に出陣する余裕はなし、
それと勝頼は別に景勝を支持したのではなく景勝・景虎を和睦させようとした。
A 小山田ではなく真田を頼っていれば・・・
>真田が小山田と同じことをしないとは限らない、第二に真田の元にたどり着くのが困難。
それと真田を頼った所でいずれは織田の物量にやられる。上杉に期待したとこで上杉も滅亡寸前。
B あと2ヶ月粘ってれば本能寺の変・・・
>武田が滅ばないとタイムスケジュールが大きく変わるので本能寺の変は起こらないか仮に起こっても時期はズレる。
ましてや信長・信忠が同時に討たれるようなことは考えにくい。
C 新府城に篭っていれば・・・
>勝頼の兵は四散状態で、城を守る人員が不足しすぎ。
D 鳥井峠で勝ってれば・・・
>負けたんだから仕方ない。勝頼自ら出陣してればもう少し滅亡までの時間が稼げたかもしれない。
0021人間七七四年
2011/02/07(月) 10:34:48ID:DXCDcfR6本拠地で死にたいならC、少しでも籠城戦やりたいならA
信忠軍団は秀吉みたいに干殺し戦法はしないだろうから、生け捕りにされない限り史実よりはマシな死に方できるだろ
@もう少し外交手腕があれば、景虎を甲斐に引き取るとかやりようもあったろうに
新たな選択肢
E甲斐に引かずに諏訪で徹底抗戦
0022人間七七四年
2011/02/07(月) 11:01:13ID:X2aOtjD7滅亡までの期間を詳しくとりあげてもらえると嬉しいというか
特に北条と断交してからの東海道筋での諸々の戦役みたいな世間ではさほど
メジャーでもない部分とか、軍政とか内政事情とか
0023人間七七四年
2011/02/07(月) 18:41:28ID:f1iP1lWI岩村、二俣、高天神落城と御館くらいか。
勝頼の治世は長篠、高天神、滅亡のイメージしかない人が多いのでは。
0024人間七七四年
2011/02/07(月) 23:15:09ID:Q88DSBDt信長公記でえらい褒められていた。
0025人間七七四年
2011/02/08(火) 00:49:12ID:LW2GDFww0026人間七七四年
2011/02/08(火) 01:49:46ID:in9XOq7QF 織田家に降伏する。難しいようなら勝長を武田家の跡取りにするよう申し出る。
0027人間七七四年
2011/02/08(火) 02:19:36ID:NCiiT6aZ勝頼出家、信勝監禁織田一族武田家養子入り。これくらいは当たり前に覚悟すべき。
長篠後、直ぐに和睦すれば状況違うんだろうけど本願寺降伏後じゃもうどうしようもない。
0028人間七七四年
2011/02/08(火) 03:53:39ID:gHg6CctZ0029人間七七四年
2011/02/08(火) 07:12:51ID:7nv9AkXN0030人間七七四年
2011/02/08(火) 09:18:29ID:gfY+FBLC→後詰めで勝頼出陣し決戦
これで負けても勝っても勝頼も本望だったろうに
0031人間七七四年
2011/02/08(火) 09:38:52ID:KIseMcjz0033人間七七四年
2011/02/08(火) 10:24:28ID:w7g/hQcW雨降ってて川は増水、地面はぬかるんだ状態だよ
対徳川だけ考えれば、さっさと長篠城を落として織田軍にはお帰りいただくのがベターかもね
ここで打撃を与えておかないと最終的に史実通り強大化した織田軍に潰されるかもしれんが、史実みたいに家康に圧されまくるってことにはならない
もしくは小牧の家康みたいに、別働隊の動きを察知して瞬殺する
0035人間七七四年
2011/02/08(火) 12:54:19ID:K0DmK4Jo0036人間七七四年
2011/02/08(火) 18:00:13ID:3SibmvOE長久手の別動隊は徳川軍より多い2万だったのだが
酒井の別動隊が3000、武田の鳶ヶ巣山部隊も3000
たとえ同数でも奇襲されたら脆い
0037人間七七四年
2011/02/08(火) 18:43:35ID:TnCpUap1信実の武田軍は確か1000程度だったはず
武田信実って親類衆にしては勝頼に忠誠心あったらしいね
だからこそ任せたんだろうけどさ
長篠で頼りに出来る臣を失いすぎ・・・
秋山と高坂、武藤に曽根は生き残ってたが・・・
秋山を召還して立て直すことは出来なかったのかなぁ
0038人間七七四年
2011/02/08(火) 19:16:01ID:JVkjPnKF0039人間七七四年
2011/02/08(火) 20:39:00ID:Vu4iIvC70040人間七七四年
2011/02/08(火) 21:09:45ID:JIPu81qSお世話していたみたい。
やはり真田家にとって武田家は思い入れがあるのだろう。
真田昌幸が絶対に裏切らなかったとは思わないけど(篭城してもさすがに信長の物量作戦に対抗
するのは厳しかったと思う)あの最後よりはマシだったろうなとは思う。
0041人間七七四年
2011/02/08(火) 22:17:21ID:JVkjPnKF0042人間七七四年
2011/02/09(水) 02:34:26ID:h3GtsANo信濃衆は信用出来ないし不満の高まっている民や落ち武者狩が恐ろしすぎる。
0043人間七七四年
2011/02/09(水) 08:27:58ID:hrdoWJ7jやっぱり離縁しとくべきだったな
言い方は悪いが足手まといになって逃げ切れなかった
0044人間七七四年
2011/02/09(水) 10:14:32ID:s9by5/j2それができないなら勝頼自身が妻・女衆もろとも新府籠城で敵を引きつけてる間に信勝だけでも逃がすべきだった
信長の最期もそうだが、当主が嫡男と行動を共にするってのは危機管理的には愚策
0045人間七七四年
2011/02/09(水) 12:15:05ID:Atmlff/p1582(天正10)年3月11日
天目山にて武田勝頼自刃、武田家滅亡。
そして3月12日、真田昌幸のもとに1通の書状が届いている。
差出人は武蔵国鉢形城城主北条氏邦で北条氏への帰属を勧めている。
気になるのはこの書状は「真田家からの申し出への返事」であることである。
つまりこれ以前に昌幸は北条氏への帰属を申し出ているのだ。
新府城で昌幸が勝頼に岩櫃城行きを勧めたのが3月3日
それから2週間ほどの間にこれらのやり取りは行われていたのか?
それとも昌幸は3月3日以前に武田家に見切りをつけていたのか?
だとしたら勝頼が岩櫃城行きを選んでいた場合どうなっていたのか?謎は尽きない。
なお昌幸は3月15日に織田信忠に服従を申し出ている。
他の信濃諸氏族の多くが3月20日に鷲峰山法華寺で信長へ服従を申し出ていることから考えると
素早い動きはやはり昌幸の腹は初めから織田への降伏にあった故とも考えられるが…
表裏比興の者の2週間の話。
勝頼自刃の報を受けた昌幸が
「小山田めを信じたためにあのような事になったのだ!!我が岩櫃城を頼られておれば!!」と
勝頼を救えなかったことに号泣したなんて話もあったりする。
感情と理性は別ということだろうか。
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345 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/27(水) 08:12:55 ID:9RR9luVr
まさに昌幸らしい行動。
仮に勝頼の身柄を押さえたら織田、北条、上杉の何処が高く買ってくれるか?
346 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/27(水) 08:22:55 ID:9w/PQdVH
主君ともども岩櫃に数年篭城だろうな
周りの勢力がどう動くかはわからんが
0046人間七七四年
2011/02/09(水) 17:50:30ID:BhjVtOqcとりあえず信忠軍を撃破すれば内戦作戦で各個撃破も夢ではない
0047人間七七四年
2011/02/09(水) 18:41:04ID:wz1259UR0048人間七七四年
2011/02/09(水) 18:56:36ID:tCNR4iYH誇張かもしれんが諏訪に2万で出陣したらしいから、そいつでやるしかないだろ
たられば言えば木曽の謀反をもっと早くに掴んでいればってことになる
0050人間七七四年
2011/02/09(水) 19:43:05ID:aMOOKXq1数だけ揃えてもとても決戦を挑めるレベルになかったのでは。
0051人間七七四年
2011/02/09(水) 21:15:52ID:BhjVtOqc高遠の信頼できる兵力3000もあわせて8000で
0052人間七七四年
2011/02/09(水) 21:42:45ID:UWthzgn8物悲しいけどそれは一理あるわな。小山田を選んだ一つの理由に
北条夫人を出来れば逃がしたかったのもあるかも。
0053人間七七四年
2011/02/09(水) 23:37:03ID:V4kENKy00054人間七七四年
2011/02/10(木) 01:04:18ID:o9TCWnWl0055人間七七四年
2011/02/10(木) 01:12:09ID:5nO5QsH20056人間七七四年
2011/02/10(木) 03:21:18ID:KebDXuRN攻手側もありがたくないし(裏切者分の恩賞が減るし)
完全に寝返るタイミングを間違えた。
0057人間七七四年
2011/02/10(木) 03:33:18ID:KebDXuRN信忠の撃退なんて無意味に近い。1582年の織田家の余剰戦力は半端無い。
おまけに穴山が裏切り道案内。これじゃゲリラ戦さえも厳しい。
結局多方面から攻められて決戦どころじゃない。
0058人間七七四年
2011/02/10(木) 04:03:53ID:KebDXuRN打倒織田家を第一目的にしている以上戦略的にも戦術的にも完全に落第点。
更に本願寺勢降伏後ではもうどう頑張っても巻き返しは無理。
0059人間七七四年
2011/02/10(木) 11:03:16ID:DSLhjlQ5最終的には信長の本隊がいるからね
でも信忠の精鋭を撃破するだけでも武田の武門の意地は見せることが出来る
項羽のように「戦に弱くて負けたわけではない!」と叫びながら自刃する勝頼・・・
0060人間七七四年
2011/02/10(木) 15:00:38ID:+rnKOcM1大内義弘乙
0061人間七七四年
2011/02/10(木) 21:16:29ID:/IzKyH5Z0064人間七七四年
2011/02/11(金) 01:20:09ID:xrQU0hWN0065人間七七四年
2011/02/11(金) 06:08:40ID:K+5L9LHMやっぱ兵の動揺考えると無理なんかね
0066人間七七四年
2011/02/11(金) 12:07:42ID:l0t+Q/N+0067人間七七四年
2011/02/11(金) 20:00:45ID:SkGiqa2j0068人間七七四年
2011/02/11(金) 20:22:33ID:LHVbWMiV0069人間七七四年
2011/02/11(金) 20:44:28ID:DpuGc/i7上州に来いなんていうのは人質を連れ出すための口実w
0071人間七七四年
2011/02/11(金) 23:57:34ID:GBHAOF/fhttp://auction.item.rakuten.co.jp/11037262/a/10000489
0072人間七七四年
2011/02/12(土) 02:00:45ID:cDSImwPg気になるのは、逃避行中の勝頼と正室、側室はどこで夜を明かして
いたのだろうか。まさか野宿?
0073人間七七四年
2011/02/13(日) 09:47:11ID:sqzr8cVy0074人間七七四年
2011/02/13(日) 12:14:43ID:Fnbsr+Fl0075人間七七四年
2011/02/13(日) 12:28:22ID:2vFxlbxn0076人間七七四年
2011/02/13(日) 12:28:29ID:mi6EQelWヒステリーのようなものだと思う。
思わぬ親族の裏切り大量の敵(もっと前の高天神の見殺しもあるかも)
予想以上の敵軍の進行の早さという要素が絡みあってそういう現象が起きたんじゃないかな。
あの史上稀に見る離反は勝頼の人望云々だけのレベルで語るには大規模過ぎる。
0077人間七七四年
2011/02/13(日) 13:04:12ID:NpciCdkl0078人間七七四年
2011/02/13(日) 13:08:35ID:sqzr8cVy0079人間七七四年
2011/02/13(日) 13:16:39ID:sqzr8cVy義昌にいたっては今の千葉県の小領主となり、失意の最期だった。
0080人間七七四年
2011/02/13(日) 13:34:34ID:mi6EQelW余程の決意だったのだろう。家名を守るのもあったけどそれ以上に木曽という地を守りたかったんだろうな。
移転後は家臣団分裂、昌義は失意のあまり亡くなった位だし。
0081人間七七四年
2011/02/13(日) 20:37:29ID:4Q+/fDRq0083人間七七四年
2011/02/13(日) 21:09:36ID:3OQ7jQ+Dそうなる前に本能寺で大事件が起きたから助かったんだな。
本能寺の変が起きなければ上杉も降伏していただろうな。
ただ上杉の武将たちは武田の武将みたいに簡単に寝返ったりはしなかった。
0084人間七七四年
2011/02/13(日) 21:16:32ID:mi6EQelW過去スレにあった書き込みだけどああなるほどなと思った。
だから滅亡時はあんな風になったんだろう。
0085人間七七四年
2011/02/13(日) 21:24:07ID:sqzr8cVyそこで景勝と勝頼の人望の違いという疑問が出てくると。勝頼の人物像についての研究が少ない。
0086人間七七四年
2011/02/13(日) 21:33:00ID:pHwY5VOZ謙信の頃から常に内乱ばっかだったじゃん。
0087人間七七四年
2011/02/13(日) 21:34:42ID:CLervy79勝頼に限らず、ほとんどすべての武将で。
0088人間七七四年
2011/02/13(日) 23:45:36ID:3KK3GhmIっとまぁこれだけでもう相当きついわな。
主戦力は斉藤、直江、山浦、上条、甘粕か。
0090人間七七四年
2011/02/14(月) 18:40:33ID:mRrcWg050091人間七七四年
2011/02/14(月) 18:44:12ID:Oh4mDd4y0092人間七七四年
2011/02/14(月) 22:16:18ID:MTIaVVMkむしろ揚北の連中は積極的に寝返って北から春日山を攻めてくるだろう
本庄あたりまで攻めてきたら悪夢以外の何ものでもない
0093人間七七四年
2011/02/14(月) 22:45:19ID:fpmY9+QK北越後の連中は新発田を仲介として裏切ると思う。
後は春日山城内での裏切りが無ければ普通に死ねるんじゃないかな。
0094人間七七四年
2011/02/15(火) 01:20:53ID:aNG0Bx/Z両者の埋めがたい差はいかに。
0095人間七七四年
2011/02/15(火) 01:48:58ID:u46SlF/tこの二人の重要性と比べたら小山田の裏切りなんてチンカスみたいなもんだ
上杉も本能寺が半年遅れてれば春日山を包囲されてただろうね
0096人間七七四年
2011/02/15(火) 02:20:57ID:Xsdisie40097人間七七四年
2011/02/15(火) 15:42:01ID:ET372IJOそれはどちらも当然の行動だろう。
上杉にとって越中は織田本隊の進路なわけだから死守するのが当たり前。
武田にしてみれば劣勢な兵力差を少しでも縮めるために戦線を縮小する手段として
駿河を放棄するのは有効な手段。
0098人間七七四年
2011/02/16(水) 19:04:10ID:CIqA8atI0099人間七七四年
2011/02/16(水) 19:11:01ID:CIqA8atI0100人間七七四年
2011/02/16(水) 20:33:18ID:DHqEp1KB真田がやったとしても裏切られるかもしれないし裏切らないとしても
どっちにしろ攻めつぶされるだけだろ
一度や二度撃退出来てもだから何だってレベルだからな
あの時の織田、徳川連合と武田の実力の差は
0101人間七七四年
2011/02/16(水) 21:07:35ID:kz8QjKnhやっぱ秋山を織田の反攻前に召還し駿河に回すかご家来衆の束ね役として重く用いるかしておけばなぁ
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