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天正10年の武田攻めを語るスレ 2

■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
0001人間七七四年2011/02/05(土) 19:59:36ID:iuppRP33
信玄が30年かけて築いた領国が戦わずして崩壊した2ヶ月を語ろう。
0002人間七七四年2011/02/06(日) 08:56:03ID:GYLw/rhX
>>1
0003人間七七四年2011/02/06(日) 09:58:43ID:8D/87n7G
信玄もあの世で激怒
0004人間七七四年2011/02/06(日) 11:47:11ID:1uxYShFZ
いやいや、こうなったのは信玄のせいだから
でも勝頼は何も言わないだろうね
0005人間七七四年2011/02/06(日) 12:51:36ID:FEC6BEuy
>1
乙です。

>4
とあるブログで家が滅ぶ時はその前代にもその責はあるとあったがこれは同意。

0006人間七七四年2011/02/06(日) 13:05:04ID:iry4hZcj
まあ、子が馬鹿なのは親の責任が大きいし
0007人間七七四年2011/02/06(日) 16:20:36ID:daAnBx9n
天正10年の武田攻めを語るスレ
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1192166319/
0008人間七七四年2011/02/06(日) 17:17:48ID:UifI6fpC
武田って奥州藤原氏と似てるよね
先代が中央大勢力に喧嘩売るだけ売ってポックリいっちゃうあたりが
攻められたらほぼ無抵抗で、家臣の城に逃げようとして裏切られるのも同じだし
先代が実行困難な遺言残すところも同じ
0009人間七七四年2011/02/06(日) 19:32:14ID:daAnBx9n
さすがに手紙で命乞いする奴と一緒にされたくはないわな。
0010人間七七四年2011/02/06(日) 19:51:45ID:K/ugLLNT
塩尻峠の戦い
上田原の戦い
川中島の戦い
・・・

信玄による信濃統一の日本史における意義って何よ?
信玄と勝頼を合わせて見ると長曾我部元親と変わらん気がする。
0011人間七七四年2011/02/06(日) 19:54:00ID:K/ugLLNT
膨張しすぎた織田に喧嘩売った信玄が悪い・・・

という意見をよく聞くけど、織田と武田の差が決定的に開き始めたのは
勝頼が信長の謀略に釣られて鉄砲に特攻してからなわけだが。
0012人間七七四年2011/02/06(日) 20:03:53ID:UifI6fpC
>>10
四国ほぼ統一>>>信濃ほぼ攻略でしょ、普通に考えて

>>11
信玄が西進した時点で単独ではとても勝てないくらいの差はあったよ だから包囲網敷いた
長篠の時点で、やるならラストチャンスといっても過言ではなかったのじゃないかな
0013人間七七四年2011/02/06(日) 22:12:19ID:FEC6BEuy
高天神城を見捨てたのが急落の始まりだったな。
それ故国人衆の信頼を失った。
「裏切り」の場合裏切る側が非難されがちだけど、相次ぐ出兵にとんでも税率
の為に人民の心を離れさせてしまった勝頼も悪いからな。
0014人間七七四年2011/02/06(日) 23:16:18ID:wdVMhEnq
所詮一定季節しか動けない田舎大名だからなあ…

決戦主義で行くしかないのが辛い
0015人間七七四年2011/02/07(月) 03:48:39ID:Q88DSBDt
勝頼は北条夫人に関するエピソードや長篠の時に側室を見舞った手紙を読む限り
はきっと私人としては優しい人だったんだろうなあと思う。
でも公人としてはあんまり良いエピソードって聞かないな。
高遠城の領民は領主が盛信の時は慕ったけど、勝頼の時は評判良くなかったらしいし。
0016人間七七四年2011/02/07(月) 04:34:22ID:qk//xV55
織田の物量戦に付き合って疲弊した挙げ句自壊って織田軍相手にしたどの家も一緒だよね。
0017人間七七四年2011/02/07(月) 06:50:17ID:vYGEqAMi
そんだけ兵農分離が重要って事だろ
0018人間七七四年2011/02/07(月) 08:40:51ID:soT7o94g
@ 御館の乱の時に景虎に味方していれば・・・
>とても冬季の越後に出陣する余裕はなし、
それと勝頼は別に景勝を支持したのではなく景勝・景虎を和睦させようとした。

A 小山田ではなく真田を頼っていれば・・・
>真田が小山田と同じことをしないとは限らない、第二に真田の元にたどり着くのが困難。
それと真田を頼った所でいずれは織田の物量にやられる。上杉に期待したとこで上杉も滅亡寸前。

B あと2ヶ月粘ってれば本能寺の変・・・
>武田が滅ばないとタイムスケジュールが大きく変わるので本能寺の変は起こらないか仮に起こっても時期はズレる。
ましてや信長・信忠が同時に討たれるようなことは考えにくい。

C 新府城に篭っていれば・・・
>勝頼の兵は四散状態で、城を守る人員が不足しすぎ。

D 鳥井峠で勝ってれば・・・
>負けたんだから仕方ない。勝頼自ら出陣してればもう少し滅亡までの時間が稼げたかもしれない。
0019人間七七四年2011/02/07(月) 10:14:52ID:DXCDcfR6
>>15
諏訪の血を引くとはいえ信玄の子
勝頼在城時はまだ反発も多かったろう
0020人間七七四年2011/02/07(月) 10:25:53ID:mQz/GNlN
>>18
やっぱDだけが望みあるよな
あそこで木曽を蹴散らしてれば日和見な豪族もあそこまで崩れなかっただろうに
0021人間七七四年2011/02/07(月) 10:34:48ID:DXCDcfR6
AとCは滅亡必死の中でいかにマシに死ぬかだよね
本拠地で死にたいならC、少しでも籠城戦やりたいならA
信忠軍団は秀吉みたいに干殺し戦法はしないだろうから、生け捕りにされない限り史実よりはマシな死に方できるだろ

@もう少し外交手腕があれば、景虎を甲斐に引き取るとかやりようもあったろうに

新たな選択肢
E甲斐に引かずに諏訪で徹底抗戦
0022人間七七四年2011/02/07(月) 11:01:13ID:X2aOtjD7
俺としては自分で語れるほど詳しくないせいもあるので、長篠での敗戦以降から
滅亡までの期間を詳しくとりあげてもらえると嬉しいというか
特に北条と断交してからの東海道筋での諸々の戦役みたいな世間ではさほど
メジャーでもない部分とか、軍政とか内政事情とか
0023人間七七四年2011/02/07(月) 18:41:28ID:f1iP1lWI
長篠〜滅亡はあまりトピックがないね。
岩村、二俣、高天神落城と御館くらいか。
勝頼の治世は長篠、高天神、滅亡のイメージしかない人が多いのでは。
0024人間七七四年2011/02/07(月) 23:15:09ID:Q88DSBDt
凄いつまらん話だけど勝頼の息子の信勝って凄い美少年だったんだな。
信長公記でえらい褒められていた。
0025人間七七四年2011/02/08(火) 00:49:12ID:LW2GDFww
膳城素肌攻めは滅亡の前年だったかな。
0026人間七七四年2011/02/08(火) 01:49:46ID:in9XOq7Q
新たな選択肢
F 織田家に降伏する。難しいようなら勝長を武田家の跡取りにするよう申し出る。
0027人間七七四年2011/02/08(火) 02:19:36ID:NCiiT6aZ
そんなの無理。

勝頼出家、信勝監禁織田一族武田家養子入り。これくらいは当たり前に覚悟すべき。

長篠後、直ぐに和睦すれば状況違うんだろうけど本願寺降伏後じゃもうどうしようもない。
0028人間七七四年2011/02/08(火) 03:53:39ID:gHg6CctZ
勝家切腹で何とかならないかな?
0029人間七七四年2011/02/08(火) 07:12:51ID:7nv9AkXN
何故無関係な柴田勝家が切腹をw
0030人間七七四年2011/02/08(火) 09:18:29ID:gfY+FBLC
木曽をとりあえず撃破→でも織田本隊が進出してきて新府に撤退→織田軍高遠城包囲
→後詰めで勝頼出陣し決戦

これで負けても勝っても勝頼も本望だったろうに
0031人間七七四年2011/02/08(火) 09:38:52ID:KIseMcjz
長篠で勝つにはどうすれば良かったか
0032人間七七四年2011/02/08(火) 09:56:37ID:gfY+FBLC
>>31
織田徳川連合軍の夜戦築城完了前に突撃
0033人間七七四年2011/02/08(火) 10:24:28ID:w7g/hQcW
>>32
雨降ってて川は増水、地面はぬかるんだ状態だよ

対徳川だけ考えれば、さっさと長篠城を落として織田軍にはお帰りいただくのがベターかもね
ここで打撃を与えておかないと最終的に史実通り強大化した織田軍に潰されるかもしれんが、史実みたいに家康に圧されまくるってことにはならない
もしくは小牧の家康みたいに、別働隊の動きを察知して瞬殺する
0034人間七七四年2011/02/08(火) 10:26:24ID:gfY+FBLC
>>33
シュンサツって・・・
5000で鉄砲隊まで居るんだぜ・・・
0035人間七七四年2011/02/08(火) 12:54:19ID:K0DmK4Jo
だがさんが暴れてるのかと思ったら意外と良スレだった
0036人間七七四年2011/02/08(火) 18:00:13ID:3SibmvOE
>>34
長久手の別動隊は徳川軍より多い2万だったのだが
酒井の別動隊が3000、武田の鳶ヶ巣山部隊も3000
たとえ同数でも奇襲されたら脆い
0037人間七七四年2011/02/08(火) 18:43:35ID:TnCpUap1
>>36
信実の武田軍は確か1000程度だったはず
武田信実って親類衆にしては勝頼に忠誠心あったらしいね
だからこそ任せたんだろうけどさ
長篠で頼りに出来る臣を失いすぎ・・・
秋山と高坂、武藤に曽根は生き残ってたが・・・
秋山を召還して立て直すことは出来なかったのかなぁ
0038人間七七四年2011/02/08(火) 19:16:01ID:JVkjPnKF
真田は体よくとんずらw
0039人間七七四年2011/02/08(火) 20:39:00ID:Vu4iIvC7
そもそも昌幸自体が武田崩れの際に甲斐にいなかったみたいだけどなあ
0040人間七七四年2011/02/08(火) 21:09:45ID:JIPu81qS
別スレで見たけど信之が初代藩主となった松代藩はだいだい藩をあげて武田家縁のお墓を
お世話していたみたい。
やはり真田家にとって武田家は思い入れがあるのだろう。
真田昌幸が絶対に裏切らなかったとは思わないけど(篭城してもさすがに信長の物量作戦に対抗
するのは厳しかったと思う)あの最後よりはマシだったろうなとは思う。
0041人間七七四年2011/02/08(火) 22:17:21ID:JVkjPnKF
真田昌幸は勝頼を言いくるめて妻子を連れて逃亡
0042人間七七四年2011/02/09(水) 02:34:26ID:h3GtsANo
実際真田の元までいけるかが問題。

信濃衆は信用出来ないし不満の高まっている民や落ち武者狩が恐ろしすぎる。
0043人間七七四年2011/02/09(水) 08:27:58ID:hrdoWJ7j
北条夫人の夫に尽くす気持ちとか素晴しいと思うんだが
やっぱり離縁しとくべきだったな
言い方は悪いが足手まといになって逃げ切れなかった
0044人間七七四年2011/02/09(水) 10:14:32ID:s9by5/j2
信長なら側近のみ連れて駆けただろうね
それができないなら勝頼自身が妻・女衆もろとも新府籠城で敵を引きつけてる間に信勝だけでも逃がすべきだった
信長の最期もそうだが、当主が嫡男と行動を共にするってのは危機管理的には愚策
0045人間七七四年2011/02/09(水) 12:15:05ID:Atmlff/p
344 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/27(水) 04:14:49 ID:qAGFGYZQ
1582(天正10)年3月11日
天目山にて武田勝頼自刃、武田家滅亡。

そして3月12日、真田昌幸のもとに1通の書状が届いている。
差出人は武蔵国鉢形城城主北条氏邦で北条氏への帰属を勧めている。
気になるのはこの書状は「真田家からの申し出への返事」であることである。
つまりこれ以前に昌幸は北条氏への帰属を申し出ているのだ。

新府城で昌幸が勝頼に岩櫃城行きを勧めたのが3月3日
それから2週間ほどの間にこれらのやり取りは行われていたのか?
それとも昌幸は3月3日以前に武田家に見切りをつけていたのか?
だとしたら勝頼が岩櫃城行きを選んでいた場合どうなっていたのか?謎は尽きない。

なお昌幸は3月15日に織田信忠に服従を申し出ている。
他の信濃諸氏族の多くが3月20日に鷲峰山法華寺で信長へ服従を申し出ていることから考えると
素早い動きはやはり昌幸の腹は初めから織田への降伏にあった故とも考えられるが…

表裏比興の者の2週間の話。


勝頼自刃の報を受けた昌幸が
「小山田めを信じたためにあのような事になったのだ!!我が岩櫃城を頼られておれば!!」と
勝頼を救えなかったことに号泣したなんて話もあったりする。
感情と理性は別ということだろうか。



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345 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/27(水) 08:12:55 ID:9RR9luVr
まさに昌幸らしい行動。
仮に勝頼の身柄を押さえたら織田、北条、上杉の何処が高く買ってくれるか?

346 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/27(水) 08:22:55 ID:9w/PQdVH
主君ともども岩櫃に数年篭城だろうな
周りの勢力がどう動くかはわからんが
0046人間七七四年2011/02/09(水) 17:50:30ID:BhjVtOqc
逃げる話じゃなくてどうやったら決戦できたか考えないか?
とりあえず信忠軍を撃破すれば内戦作戦で各個撃破も夢ではない
0047人間七七四年2011/02/09(水) 18:41:04ID:wz1259UR
決戦戦力はどっから持ってくるんだ
0048人間七七四年2011/02/09(水) 18:56:36ID:tCNR4iYH
>>47
誇張かもしれんが諏訪に2万で出陣したらしいから、そいつでやるしかないだろ
たられば言えば木曽の謀反をもっと早くに掴んでいればってことになる
0049人間七七四年2011/02/09(水) 19:14:50ID:Novh0b91
>>46
それよりも、新府城が完成していたら、を仮定した方がまだいくらかの望みは
ありそうな気もする
0050人間七七四年2011/02/09(水) 19:43:05ID:aMOOKXq1
武田の末期では年寄りやら無理やり還俗させた坊主やらを兵士にしてたそうだし、
数だけ揃えてもとても決戦を挑めるレベルになかったのでは。
0051人間七七四年2011/02/09(水) 21:15:52ID:BhjVtOqc
2万もかき集めるより5000位を勝頼が直卒して突っ込んだ方が面白かったかもね
高遠の信頼できる兵力3000もあわせて8000で
0052人間七七四年2011/02/09(水) 21:42:45ID:UWthzgn8
>>43
物悲しいけどそれは一理あるわな。小山田を選んだ一つの理由に
北条夫人を出来れば逃がしたかったのもあるかも。
0053人間七七四年2011/02/09(水) 23:37:03ID:V4kENKy0
小山田の暗愚さは氏真に匹敵するレベルだな
0054人間七七四年2011/02/10(木) 01:04:18ID:o9TCWnWl
小山田の戦歴は半端ないからそれは言いすぎ。最期で全てを台無しにしてしまったけど。
0055人間七七四年2011/02/10(木) 01:12:09ID:5nO5QsH2
小山田は信長を甘く見すぎた
0056人間七七四年2011/02/10(木) 03:21:18ID:KebDXuRN
計画的に裏切るならまだしも完全に趨勢が喫して後、虫の息の主君を裏切。

攻手側もありがたくないし(裏切者分の恩賞が減るし)
完全に寝返るタイミングを間違えた。
0057人間七七四年2011/02/10(木) 03:33:18ID:KebDXuRN
>>46
信忠の撃退なんて無意味に近い。1582年の織田家の余剰戦力は半端無い。

おまけに穴山が裏切り道案内。これじゃゲリラ戦さえも厳しい。

結局多方面から攻められて決戦どころじゃない。
0058人間七七四年2011/02/10(木) 04:03:53ID:KebDXuRN
勝頼には酷な話しだけど信玄の死から9年、徳川領を微弱しか占拠出来ない時点で
打倒織田家を第一目的にしている以上戦略的にも戦術的にも完全に落第点。

更に本願寺勢降伏後ではもうどう頑張っても巻き返しは無理。
0059人間七七四年2011/02/10(木) 11:03:16ID:DSLhjlQ5
>>57
最終的には信長の本隊がいるからね
でも信忠の精鋭を撃破するだけでも武田の武門の意地は見せることが出来る
項羽のように「戦に弱くて負けたわけではない!」と叫びながら自刃する勝頼・・・
0060人間七七四年2011/02/10(木) 15:00:38ID:+rnKOcM1
>>59
大内義弘乙
0061人間七七四年2011/02/10(木) 21:16:29ID:/IzKyH5Z
アツモリを舞って新府城を出発、風雨の中を信長本陣へ突入
0062人間七七四年2011/02/10(木) 21:58:14ID:uVduKb9w
>>54
小山田は止むに止まれず裏切ったんじゃないかな。
家臣の反対や領民の事を考えて汚名を被る覚悟で。
0063人間七七四年2011/02/10(木) 22:44:24ID:N4Z4pQnP
>>61
で討ち死に
まーそれはそれで画になるわな
少なくとも空腹で動けずに討ち取られるよりは余程良い
0064人間七七四年2011/02/11(金) 01:20:09ID:xrQU0hWN
濃信国境すら超えてない信長本陣に突入するのは無理・・・・・
0065人間七七四年2011/02/11(金) 06:08:40ID:K+5L9LHM
信玄死んでもそのまま徳川攻め落としたら良かったのにな
やっぱ兵の動揺考えると無理なんかね
0066人間七七四年2011/02/11(金) 12:07:42ID:l0t+Q/N+
岩殿へ行くため新府を出発するとき輿をかつぐ者が逃げたため、19歳の北条夫人が馬にまたがったらしい、、、
0067人間七七四年2011/02/11(金) 20:00:45ID:SkGiqa2j
三角木馬にか…哀れだな
0068人間七七四年2011/02/11(金) 20:22:33ID:LHVbWMiV
武田の三角木馬隊
0069人間七七四年2011/02/11(金) 20:44:28ID:DpuGc/i7
真田昌幸は、本当に勝頼が群馬の山奥に落ち延びてくるなんて思ってなかったはず。
上州に来いなんていうのは人質を連れ出すための口実w
0070人間七七四年2011/02/11(金) 22:09:49ID:snQE7Ghr
>>66
哀れやね。。。。
そこまでして付き添うのは凄いわな。
0071人間七七四年2011/02/11(金) 23:57:34ID:GBHAOF/f
楽オクに出てるこの歴史誕生の1巻の長篠の合戦は中々興味深かったよ

http://auction.item.rakuten.co.jp/11037262/a/10000489
0072人間七七四年2011/02/12(土) 02:00:45ID:cDSImwPg
側室(美和、お福)も田野で自害。

気になるのは、逃避行中の勝頼と正室、側室はどこで夜を明かして
いたのだろうか。まさか野宿?
0073人間七七四年2011/02/13(日) 09:47:11ID:sqzr8cVy
甲斐一国を河尻程度の武将に与えられたのは武田旧臣には屈辱的だったのか
0074人間七七四年2011/02/13(日) 12:14:43ID:Fnbsr+Fl
勝頼の人望のなさは日本史上屈指のレベルだな
0075人間七七四年2011/02/13(日) 12:28:22ID:2vFxlbxn
諏訪の人間には人望厚いだろw
0076人間七七四年2011/02/13(日) 12:28:29ID:mi6EQelW
武田征伐時の新田次郎さん曰く「人間なだれ現象」(だったかな?)はある種の集団
ヒステリーのようなものだと思う。
思わぬ親族の裏切り大量の敵(もっと前の高天神の見殺しもあるかも)
予想以上の敵軍の進行の早さという要素が絡みあってそういう現象が起きたんじゃないかな。
あの史上稀に見る離反は勝頼の人望云々だけのレベルで語るには大規模過ぎる。
0077人間七七四年2011/02/13(日) 13:04:12ID:NpciCdkl
穴山も木曾も小山田も結局はお家断絶してるな。
0078人間七七四年2011/02/13(日) 13:08:35ID:sqzr8cVy
勝頼は長嶋一茂と同じ大変さを味わったのだろう。父親に大きく劣る実績。信忠も信長死後、反乱が続出して滅んだかもしれない。
0079人間七七四年2011/02/13(日) 13:16:39ID:sqzr8cVy
木曽義昌と穴山梅雪は本能寺で運命が狂ったね。
義昌にいたっては今の千葉県の小領主となり、失意の最期だった。
0080人間七七四年2011/02/13(日) 13:34:34ID:mi6EQelW
木曽だけは他の裏切りメンバーズとは違って家族を犠牲にしてんだよね。
余程の決意だったのだろう。家名を守るのもあったけどそれ以上に木曽という地を守りたかったんだろうな。
移転後は家臣団分裂、昌義は失意のあまり亡くなった位だし。
0081人間七七四年2011/02/13(日) 20:37:29ID:4Q+/fDRq
武田滅亡の後は上杉が攻められたわけだが、武田のように醜態は晒してないな
0082人間七七四年2011/02/13(日) 21:02:27ID:XQ3aB9Wy
>>80
上野から滝川、信濃から森が加われば崩壊してたんじゃね?
0083人間七七四年2011/02/13(日) 21:09:36ID:3OQ7jQ+D
>>82
そうなる前に本能寺で大事件が起きたから助かったんだな。
本能寺の変が起きなければ上杉も降伏していただろうな。
ただ上杉の武将たちは武田の武将みたいに簡単に寝返ったりはしなかった。
0084人間七七四年2011/02/13(日) 21:16:32ID:mi6EQelW
「武田家は豪族達の連合集団であって決して主従関係でないから」

過去スレにあった書き込みだけどああなるほどなと思った。
だから滅亡時はあんな風になったんだろう。
0085人間七七四年2011/02/13(日) 21:24:07ID:sqzr8cVy
景勝は養子だから側室の子である勝頼よりさらに立場が弱かった。
そこで景勝と勝頼の人望の違いという疑問が出てくると。勝頼の人物像についての研究が少ない。
0086人間七七四年2011/02/13(日) 21:33:00ID:pHwY5VOZ
でも家臣の結束では上杉も大したことないんじゃないの?
謙信の頃から常に内乱ばっかだったじゃん。
0087人間七七四年2011/02/13(日) 21:34:42ID:CLervy79
人物像なんか資料からではマトモに研究できないだろうなあ。
勝頼に限らず、ほとんどすべての武将で。
0088人間七七四年2011/02/13(日) 23:45:36ID:3KK3GhmI
まず新発田の内乱、芦名最上の関係で北越後の連中はまず援軍にこない。

っとまぁこれだけでもう相当きついわな。
主戦力は斉藤、直江、山浦、上条、甘粕か。
0089人間七七四年2011/02/13(日) 23:47:03ID:XQ3aB9Wy
>>88
戦ベタが何人か混じってるね
0090人間七七四年2011/02/14(月) 18:40:33ID:mRrcWg05
信玄が1582年まで生きてたとしたら、武田が滅んだとは到底思えないんだよな。
0091人間七七四年2011/02/14(月) 18:44:12ID:Oh4mDd4y
武田が滅んでなくても本能寺が起こらなければいずれにしろやばくない?
0092人間七七四年2011/02/14(月) 22:16:18ID:MTIaVVMk
>>88
むしろ揚北の連中は積極的に寝返って北から春日山を攻めてくるだろう
本庄あたりまで攻めてきたら悪夢以外の何ものでもない
0093人間七七四年2011/02/14(月) 22:45:19ID:fpmY9+QK
>>92
北越後の連中は新発田を仲介として裏切ると思う。

後は春日山城内での裏切りが無ければ普通に死ねるんじゃないかな。
0094人間七七四年2011/02/15(火) 01:20:53ID:aNG0Bx/Z
武田滅亡で四面楚歌の中、越中を死守しようとした上杉。信玄の血と汗の結晶である信濃、義信を殺してまで取った駿河を戦わずして放棄した武田。
両者の埋めがたい差はいかに。
0095人間七七四年2011/02/15(火) 01:48:58ID:u46SlF/t
駿河の大将格と対織田最前線の要害地の武将がそろって寝返ったらなあ
この二人の重要性と比べたら小山田の裏切りなんてチンカスみたいなもんだ

上杉も本能寺が半年遅れてれば春日山を包囲されてただろうね
0096人間七七四年2011/02/15(火) 02:20:57ID:Xsdisie4
やはり親族の裏切りはでかいだろう。
0097人間七七四年2011/02/15(火) 15:42:01ID:ET372IJO
>>94
それはどちらも当然の行動だろう。
上杉にとって越中は織田本隊の進路なわけだから死守するのが当たり前。
武田にしてみれば劣勢な兵力差を少しでも縮めるために戦線を縮小する手段として
駿河を放棄するのは有効な手段。
0098人間七七四年2011/02/16(水) 19:04:10ID:CIqA8atI
穴山を解任して真田あたりを駿河探題にしとけばよかったね
0099人間七七四年2011/02/16(水) 19:11:01ID:CIqA8atI
新田「勝頼」では、穴山は長篠で突撃を主張し、真っ先に撤退したり、新府築城を進言して武田滅亡を図ったとなってるが本当なんだろうか
0100人間七七四年2011/02/16(水) 20:33:18ID:DHqEp1KB
>>98
真田がやったとしても裏切られるかもしれないし裏切らないとしても
どっちにしろ攻めつぶされるだけだろ
一度や二度撃退出来てもだから何だってレベルだからな
あの時の織田、徳川連合と武田の実力の差は
0101人間七七四年2011/02/16(水) 21:07:35ID:kz8QjKnh
真田を駿河に回すと上野攻略が頓挫する可能性が・・・
やっぱ秋山を織田の反攻前に召還し駿河に回すかご家来衆の束ね役として重く用いるかしておけばなぁ
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