天正10年の武田攻めを語るスレ 2
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0001人間七七四年
2011/02/05(土) 19:59:36ID:iuppRP330003人間七七四年
2011/02/06(日) 09:58:43ID:8D/87n7G0004人間七七四年
2011/02/06(日) 11:47:11ID:1uxYShFZでも勝頼は何も言わないだろうね
0005人間七七四年
2011/02/06(日) 12:51:36ID:FEC6BEuy乙です。
>4
とあるブログで家が滅ぶ時はその前代にもその責はあるとあったがこれは同意。
0006人間七七四年
2011/02/06(日) 13:05:04ID:iry4hZcj0007人間七七四年
2011/02/06(日) 16:20:36ID:daAnBx9nhttp://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1192166319/
0008人間七七四年
2011/02/06(日) 17:17:48ID:UifI6fpC先代が中央大勢力に喧嘩売るだけ売ってポックリいっちゃうあたりが
攻められたらほぼ無抵抗で、家臣の城に逃げようとして裏切られるのも同じだし
先代が実行困難な遺言残すところも同じ
0009人間七七四年
2011/02/06(日) 19:32:14ID:daAnBx9n0010人間七七四年
2011/02/06(日) 19:51:45ID:K/ugLLNT上田原の戦い
川中島の戦い
・・・
信玄による信濃統一の日本史における意義って何よ?
信玄と勝頼を合わせて見ると長曾我部元親と変わらん気がする。
0011人間七七四年
2011/02/06(日) 19:54:00ID:K/ugLLNTという意見をよく聞くけど、織田と武田の差が決定的に開き始めたのは
勝頼が信長の謀略に釣られて鉄砲に特攻してからなわけだが。
0012人間七七四年
2011/02/06(日) 20:03:53ID:UifI6fpC四国ほぼ統一>>>信濃ほぼ攻略でしょ、普通に考えて
>>11
信玄が西進した時点で単独ではとても勝てないくらいの差はあったよ だから包囲網敷いた
長篠の時点で、やるならラストチャンスといっても過言ではなかったのじゃないかな
0013人間七七四年
2011/02/06(日) 22:12:19ID:FEC6BEuyそれ故国人衆の信頼を失った。
「裏切り」の場合裏切る側が非難されがちだけど、相次ぐ出兵にとんでも税率
の為に人民の心を離れさせてしまった勝頼も悪いからな。
0014人間七七四年
2011/02/06(日) 23:16:18ID:wdVMhEnq決戦主義で行くしかないのが辛い
0015人間七七四年
2011/02/07(月) 03:48:39ID:Q88DSBDtはきっと私人としては優しい人だったんだろうなあと思う。
でも公人としてはあんまり良いエピソードって聞かないな。
高遠城の領民は領主が盛信の時は慕ったけど、勝頼の時は評判良くなかったらしいし。
0016人間七七四年
2011/02/07(月) 04:34:22ID:qk//xV550017人間七七四年
2011/02/07(月) 06:50:17ID:vYGEqAMi0018人間七七四年
2011/02/07(月) 08:40:51ID:soT7o94g>とても冬季の越後に出陣する余裕はなし、
それと勝頼は別に景勝を支持したのではなく景勝・景虎を和睦させようとした。
A 小山田ではなく真田を頼っていれば・・・
>真田が小山田と同じことをしないとは限らない、第二に真田の元にたどり着くのが困難。
それと真田を頼った所でいずれは織田の物量にやられる。上杉に期待したとこで上杉も滅亡寸前。
B あと2ヶ月粘ってれば本能寺の変・・・
>武田が滅ばないとタイムスケジュールが大きく変わるので本能寺の変は起こらないか仮に起こっても時期はズレる。
ましてや信長・信忠が同時に討たれるようなことは考えにくい。
C 新府城に篭っていれば・・・
>勝頼の兵は四散状態で、城を守る人員が不足しすぎ。
D 鳥井峠で勝ってれば・・・
>負けたんだから仕方ない。勝頼自ら出陣してればもう少し滅亡までの時間が稼げたかもしれない。
0021人間七七四年
2011/02/07(月) 10:34:48ID:DXCDcfR6本拠地で死にたいならC、少しでも籠城戦やりたいならA
信忠軍団は秀吉みたいに干殺し戦法はしないだろうから、生け捕りにされない限り史実よりはマシな死に方できるだろ
@もう少し外交手腕があれば、景虎を甲斐に引き取るとかやりようもあったろうに
新たな選択肢
E甲斐に引かずに諏訪で徹底抗戦
0022人間七七四年
2011/02/07(月) 11:01:13ID:X2aOtjD7滅亡までの期間を詳しくとりあげてもらえると嬉しいというか
特に北条と断交してからの東海道筋での諸々の戦役みたいな世間ではさほど
メジャーでもない部分とか、軍政とか内政事情とか
0023人間七七四年
2011/02/07(月) 18:41:28ID:f1iP1lWI岩村、二俣、高天神落城と御館くらいか。
勝頼の治世は長篠、高天神、滅亡のイメージしかない人が多いのでは。
0024人間七七四年
2011/02/07(月) 23:15:09ID:Q88DSBDt信長公記でえらい褒められていた。
0025人間七七四年
2011/02/08(火) 00:49:12ID:LW2GDFww0026人間七七四年
2011/02/08(火) 01:49:46ID:in9XOq7QF 織田家に降伏する。難しいようなら勝長を武田家の跡取りにするよう申し出る。
0027人間七七四年
2011/02/08(火) 02:19:36ID:NCiiT6aZ勝頼出家、信勝監禁織田一族武田家養子入り。これくらいは当たり前に覚悟すべき。
長篠後、直ぐに和睦すれば状況違うんだろうけど本願寺降伏後じゃもうどうしようもない。
0028人間七七四年
2011/02/08(火) 03:53:39ID:gHg6CctZ0029人間七七四年
2011/02/08(火) 07:12:51ID:7nv9AkXN0030人間七七四年
2011/02/08(火) 09:18:29ID:gfY+FBLC→後詰めで勝頼出陣し決戦
これで負けても勝っても勝頼も本望だったろうに
0031人間七七四年
2011/02/08(火) 09:38:52ID:KIseMcjz0033人間七七四年
2011/02/08(火) 10:24:28ID:w7g/hQcW雨降ってて川は増水、地面はぬかるんだ状態だよ
対徳川だけ考えれば、さっさと長篠城を落として織田軍にはお帰りいただくのがベターかもね
ここで打撃を与えておかないと最終的に史実通り強大化した織田軍に潰されるかもしれんが、史実みたいに家康に圧されまくるってことにはならない
もしくは小牧の家康みたいに、別働隊の動きを察知して瞬殺する
0035人間七七四年
2011/02/08(火) 12:54:19ID:K0DmK4Jo0036人間七七四年
2011/02/08(火) 18:00:13ID:3SibmvOE長久手の別動隊は徳川軍より多い2万だったのだが
酒井の別動隊が3000、武田の鳶ヶ巣山部隊も3000
たとえ同数でも奇襲されたら脆い
0037人間七七四年
2011/02/08(火) 18:43:35ID:TnCpUap1信実の武田軍は確か1000程度だったはず
武田信実って親類衆にしては勝頼に忠誠心あったらしいね
だからこそ任せたんだろうけどさ
長篠で頼りに出来る臣を失いすぎ・・・
秋山と高坂、武藤に曽根は生き残ってたが・・・
秋山を召還して立て直すことは出来なかったのかなぁ
0038人間七七四年
2011/02/08(火) 19:16:01ID:JVkjPnKF0039人間七七四年
2011/02/08(火) 20:39:00ID:Vu4iIvC70040人間七七四年
2011/02/08(火) 21:09:45ID:JIPu81qSお世話していたみたい。
やはり真田家にとって武田家は思い入れがあるのだろう。
真田昌幸が絶対に裏切らなかったとは思わないけど(篭城してもさすがに信長の物量作戦に対抗
するのは厳しかったと思う)あの最後よりはマシだったろうなとは思う。
0041人間七七四年
2011/02/08(火) 22:17:21ID:JVkjPnKF0042人間七七四年
2011/02/09(水) 02:34:26ID:h3GtsANo信濃衆は信用出来ないし不満の高まっている民や落ち武者狩が恐ろしすぎる。
0043人間七七四年
2011/02/09(水) 08:27:58ID:hrdoWJ7jやっぱり離縁しとくべきだったな
言い方は悪いが足手まといになって逃げ切れなかった
0044人間七七四年
2011/02/09(水) 10:14:32ID:s9by5/j2それができないなら勝頼自身が妻・女衆もろとも新府籠城で敵を引きつけてる間に信勝だけでも逃がすべきだった
信長の最期もそうだが、当主が嫡男と行動を共にするってのは危機管理的には愚策
0045人間七七四年
2011/02/09(水) 12:15:05ID:Atmlff/p1582(天正10)年3月11日
天目山にて武田勝頼自刃、武田家滅亡。
そして3月12日、真田昌幸のもとに1通の書状が届いている。
差出人は武蔵国鉢形城城主北条氏邦で北条氏への帰属を勧めている。
気になるのはこの書状は「真田家からの申し出への返事」であることである。
つまりこれ以前に昌幸は北条氏への帰属を申し出ているのだ。
新府城で昌幸が勝頼に岩櫃城行きを勧めたのが3月3日
それから2週間ほどの間にこれらのやり取りは行われていたのか?
それとも昌幸は3月3日以前に武田家に見切りをつけていたのか?
だとしたら勝頼が岩櫃城行きを選んでいた場合どうなっていたのか?謎は尽きない。
なお昌幸は3月15日に織田信忠に服従を申し出ている。
他の信濃諸氏族の多くが3月20日に鷲峰山法華寺で信長へ服従を申し出ていることから考えると
素早い動きはやはり昌幸の腹は初めから織田への降伏にあった故とも考えられるが…
表裏比興の者の2週間の話。
勝頼自刃の報を受けた昌幸が
「小山田めを信じたためにあのような事になったのだ!!我が岩櫃城を頼られておれば!!」と
勝頼を救えなかったことに号泣したなんて話もあったりする。
感情と理性は別ということだろうか。
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345 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/27(水) 08:12:55 ID:9RR9luVr
まさに昌幸らしい行動。
仮に勝頼の身柄を押さえたら織田、北条、上杉の何処が高く買ってくれるか?
346 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/27(水) 08:22:55 ID:9w/PQdVH
主君ともども岩櫃に数年篭城だろうな
周りの勢力がどう動くかはわからんが
0046人間七七四年
2011/02/09(水) 17:50:30ID:BhjVtOqcとりあえず信忠軍を撃破すれば内戦作戦で各個撃破も夢ではない
0047人間七七四年
2011/02/09(水) 18:41:04ID:wz1259UR0048人間七七四年
2011/02/09(水) 18:56:36ID:tCNR4iYH誇張かもしれんが諏訪に2万で出陣したらしいから、そいつでやるしかないだろ
たられば言えば木曽の謀反をもっと早くに掴んでいればってことになる
0050人間七七四年
2011/02/09(水) 19:43:05ID:aMOOKXq1数だけ揃えてもとても決戦を挑めるレベルになかったのでは。
0051人間七七四年
2011/02/09(水) 21:15:52ID:BhjVtOqc高遠の信頼できる兵力3000もあわせて8000で
0052人間七七四年
2011/02/09(水) 21:42:45ID:UWthzgn8物悲しいけどそれは一理あるわな。小山田を選んだ一つの理由に
北条夫人を出来れば逃がしたかったのもあるかも。
0053人間七七四年
2011/02/09(水) 23:37:03ID:V4kENKy00054人間七七四年
2011/02/10(木) 01:04:18ID:o9TCWnWl0055人間七七四年
2011/02/10(木) 01:12:09ID:5nO5QsH20056人間七七四年
2011/02/10(木) 03:21:18ID:KebDXuRN攻手側もありがたくないし(裏切者分の恩賞が減るし)
完全に寝返るタイミングを間違えた。
0057人間七七四年
2011/02/10(木) 03:33:18ID:KebDXuRN信忠の撃退なんて無意味に近い。1582年の織田家の余剰戦力は半端無い。
おまけに穴山が裏切り道案内。これじゃゲリラ戦さえも厳しい。
結局多方面から攻められて決戦どころじゃない。
0058人間七七四年
2011/02/10(木) 04:03:53ID:KebDXuRN打倒織田家を第一目的にしている以上戦略的にも戦術的にも完全に落第点。
更に本願寺勢降伏後ではもうどう頑張っても巻き返しは無理。
0059人間七七四年
2011/02/10(木) 11:03:16ID:DSLhjlQ5最終的には信長の本隊がいるからね
でも信忠の精鋭を撃破するだけでも武田の武門の意地は見せることが出来る
項羽のように「戦に弱くて負けたわけではない!」と叫びながら自刃する勝頼・・・
0060人間七七四年
2011/02/10(木) 15:00:38ID:+rnKOcM1大内義弘乙
0061人間七七四年
2011/02/10(木) 21:16:29ID:/IzKyH5Z0064人間七七四年
2011/02/11(金) 01:20:09ID:xrQU0hWN0065人間七七四年
2011/02/11(金) 06:08:40ID:K+5L9LHMやっぱ兵の動揺考えると無理なんかね
0066人間七七四年
2011/02/11(金) 12:07:42ID:l0t+Q/N+0067人間七七四年
2011/02/11(金) 20:00:45ID:SkGiqa2j0068人間七七四年
2011/02/11(金) 20:22:33ID:LHVbWMiV0069人間七七四年
2011/02/11(金) 20:44:28ID:DpuGc/i7上州に来いなんていうのは人質を連れ出すための口実w
0071人間七七四年
2011/02/11(金) 23:57:34ID:GBHAOF/fhttp://auction.item.rakuten.co.jp/11037262/a/10000489
0072人間七七四年
2011/02/12(土) 02:00:45ID:cDSImwPg気になるのは、逃避行中の勝頼と正室、側室はどこで夜を明かして
いたのだろうか。まさか野宿?
0073人間七七四年
2011/02/13(日) 09:47:11ID:sqzr8cVy0074人間七七四年
2011/02/13(日) 12:14:43ID:Fnbsr+Fl0075人間七七四年
2011/02/13(日) 12:28:22ID:2vFxlbxn0076人間七七四年
2011/02/13(日) 12:28:29ID:mi6EQelWヒステリーのようなものだと思う。
思わぬ親族の裏切り大量の敵(もっと前の高天神の見殺しもあるかも)
予想以上の敵軍の進行の早さという要素が絡みあってそういう現象が起きたんじゃないかな。
あの史上稀に見る離反は勝頼の人望云々だけのレベルで語るには大規模過ぎる。
0077人間七七四年
2011/02/13(日) 13:04:12ID:NpciCdkl0078人間七七四年
2011/02/13(日) 13:08:35ID:sqzr8cVy0079人間七七四年
2011/02/13(日) 13:16:39ID:sqzr8cVy義昌にいたっては今の千葉県の小領主となり、失意の最期だった。
0080人間七七四年
2011/02/13(日) 13:34:34ID:mi6EQelW余程の決意だったのだろう。家名を守るのもあったけどそれ以上に木曽という地を守りたかったんだろうな。
移転後は家臣団分裂、昌義は失意のあまり亡くなった位だし。
0081人間七七四年
2011/02/13(日) 20:37:29ID:4Q+/fDRq0083人間七七四年
2011/02/13(日) 21:09:36ID:3OQ7jQ+Dそうなる前に本能寺で大事件が起きたから助かったんだな。
本能寺の変が起きなければ上杉も降伏していただろうな。
ただ上杉の武将たちは武田の武将みたいに簡単に寝返ったりはしなかった。
0084人間七七四年
2011/02/13(日) 21:16:32ID:mi6EQelW過去スレにあった書き込みだけどああなるほどなと思った。
だから滅亡時はあんな風になったんだろう。
0085人間七七四年
2011/02/13(日) 21:24:07ID:sqzr8cVyそこで景勝と勝頼の人望の違いという疑問が出てくると。勝頼の人物像についての研究が少ない。
0086人間七七四年
2011/02/13(日) 21:33:00ID:pHwY5VOZ謙信の頃から常に内乱ばっかだったじゃん。
0087人間七七四年
2011/02/13(日) 21:34:42ID:CLervy79勝頼に限らず、ほとんどすべての武将で。
0088人間七七四年
2011/02/13(日) 23:45:36ID:3KK3GhmIっとまぁこれだけでもう相当きついわな。
主戦力は斉藤、直江、山浦、上条、甘粕か。
0090人間七七四年
2011/02/14(月) 18:40:33ID:mRrcWg050091人間七七四年
2011/02/14(月) 18:44:12ID:Oh4mDd4y0092人間七七四年
2011/02/14(月) 22:16:18ID:MTIaVVMkむしろ揚北の連中は積極的に寝返って北から春日山を攻めてくるだろう
本庄あたりまで攻めてきたら悪夢以外の何ものでもない
0093人間七七四年
2011/02/14(月) 22:45:19ID:fpmY9+QK北越後の連中は新発田を仲介として裏切ると思う。
後は春日山城内での裏切りが無ければ普通に死ねるんじゃないかな。
0094人間七七四年
2011/02/15(火) 01:20:53ID:aNG0Bx/Z両者の埋めがたい差はいかに。
0095人間七七四年
2011/02/15(火) 01:48:58ID:u46SlF/tこの二人の重要性と比べたら小山田の裏切りなんてチンカスみたいなもんだ
上杉も本能寺が半年遅れてれば春日山を包囲されてただろうね
0096人間七七四年
2011/02/15(火) 02:20:57ID:Xsdisie40097人間七七四年
2011/02/15(火) 15:42:01ID:ET372IJOそれはどちらも当然の行動だろう。
上杉にとって越中は織田本隊の進路なわけだから死守するのが当たり前。
武田にしてみれば劣勢な兵力差を少しでも縮めるために戦線を縮小する手段として
駿河を放棄するのは有効な手段。
0098人間七七四年
2011/02/16(水) 19:04:10ID:CIqA8atI0099人間七七四年
2011/02/16(水) 19:11:01ID:CIqA8atI0100人間七七四年
2011/02/16(水) 20:33:18ID:DHqEp1KB真田がやったとしても裏切られるかもしれないし裏切らないとしても
どっちにしろ攻めつぶされるだけだろ
一度や二度撃退出来てもだから何だってレベルだからな
あの時の織田、徳川連合と武田の実力の差は
0101人間七七四年
2011/02/16(水) 21:07:35ID:kz8QjKnhやっぱ秋山を織田の反攻前に召還し駿河に回すかご家来衆の束ね役として重く用いるかしておけばなぁ
0102人間七七四年
2011/02/16(水) 22:31:43ID:IXTqiOD0そんな簡単なものじゃないぞ。
穴山は元々、駿河に地盤があったし、
真田は元々、上野に地盤があった。
そんな簡単に転換ができると思うのはゲーム脳だ。
0103人間七七四年
2011/02/16(水) 23:03:01ID:5nOXzlOz美濃完全放棄で良かったと思う
0104人間七七四年
2011/02/16(水) 23:24:25ID:kz8QjKnhあの時代一度手に入れた城を放棄するのは至難の業だけどね・・・
高天神の依田とかはもうちょっと使い道無かったのかな?
0105人間七七四年
2011/02/16(水) 23:28:24ID:zet10GOR駿河・上野まで撤退はやりすぎかもしれんが、東濃と遠州の城に拘ったのは失策だった
特に高天神にこだわって軍費が重なり最終的に見殺しになったのが致命傷になったんだし
そもそも本来は高天神救援は駿河探題の仕事なんだが
0106人間七七四年
2011/02/16(水) 23:34:39ID:zet10GOR依田は高天神じゃなくて二俣
彼は二俣開城・退去して田中城代になってるから、城を放棄して戦力温存するという良い例なんだがな
0107人間七七四年
2011/02/16(水) 23:36:21ID:KBEq/cbU逆に織田が武田攻略に本腰を入れた時点で武田は滅亡を免れ得ないと思う。
0108人間七七四年
2011/02/16(水) 23:37:07ID:zet10GOR0109人間七七四年
2011/02/16(水) 23:41:31ID:zet10GOR大きな決戦無しで徐々に圧されてた毛利・上杉と同じくだろうな
武田を含めた三家とも、織田の殲滅部隊10万が来たら同じ結果だろう
毛利は旧尼子・大内国人衆がいるし上杉も御館の乱以降不穏分子がいてとうてい一枚岩で抗戦できるとは思えない
0110人間七七四年
2011/02/16(水) 23:45:44ID:5nOXzlOz仮にも一門衆の筆頭に位置する武将がこれでは・・・
家に殉じようとする姿勢がとにかく見えない
0111人間七七四年
2011/02/17(木) 00:29:35ID:pbRqE6dm穴山は勝頼と同格かそれ以上という自負があったんだろう
民主党で首相を差し置いて小沢がやりたい放題してるような感じじゃないかな
0112人間七七四年
2011/02/17(木) 04:45:08ID:F7Sl/jCm柵を作って待ってるところに注文通り突撃してくるってどういうことよ。
0114人間七七四年
2011/02/17(木) 14:13:49ID:amTTTXBrまぁ当時としては大損害だし御家来衆の有力どころが軒並み討ち死にしてるのはデカイけどさ
やっぱ高天神あたりで後詰め決戦しなかったのが崩れの原因じゃないか?
なんか勝頼は長島といい高天神といい他で軍事行動を取る一方で見捨ててるってのが引っかかるな
0116人間七七四年
2011/02/17(木) 22:31:05ID:aKruPpDwそれまで一国滅ぼすのに数年かかってたのをたった1週間とかで浅井朝倉ぶっ潰したり
甲州崩れもそれに近いわな
信玄なら武田征伐の時にどう戦っただろうね
とりあえず他の戦線は持久で信忠を討つことに専念したとは思うが
0117人間七七四年
2011/02/17(木) 23:08:11ID:hZQoZvRd本当かね?
「負傷者は死者の三倍」という軍事法則から言えば
もしも、三千も死んでたら負傷者は九千という壊滅的なことになる。
そして、現代の発達した医学水準ですら負傷者が兵員として再起できないことも多いのに、
当時の稚拙な医学水準では負傷者の多くがもう二度と戦場に立てなくなるだろう。
腱とか切断したらもう当時では処置しようがないわけだしさ。
仮に戦場に戻ってこれたとしても回復期間は現代よりはるかに正気に及ぶわけだし。
0118人間七七四年
2011/02/17(木) 23:15:34ID:hZQoZvRdもう一つ言うと当時の衛生状態や殺菌技術では
負傷部分の衛生管理が相当に難しかったと思われ。
せっかく戦場から逃げ帰れた武士も破傷風などの傷口感染で
のちに死んでいった連中の方が多かったのではないか?
実際、井伊直正など負傷の経過が思わしくなく、死んでいった人物の例も多い。
0119人間七七四年
2011/02/17(木) 23:44:15ID:dlODZRnL昔は負傷した部分に酒をぶっ掛けて焼くなどして
感染症を防いでいたらしい。
使い物にならない場合は切り落として傷口を焼いてたらしいし、
それなりの感染症対策はあった。
0120人間七七四年
2011/02/18(金) 02:52:41ID:o4FGuh/Vっか長篠以降全く徳川領を奪えていない以上お先真っ暗なのは明確。
0121人間七七四年
2011/02/18(金) 04:07:01ID:YFZ1VFFS圧倒してた徳川にすら分が悪くなったのは、勝頼の手腕が問われるところだろう。
0122人間七七四年
2011/02/18(金) 09:47:57ID:XePl8G0e0123人間七七四年
2011/02/18(金) 13:45:48ID:SUoHoNWl0124人間七七四年
2011/02/18(金) 14:26:30ID:E52tkvba長篠以降の織田って岩村攻め以外はほとんど西と北に集中してて武田放置状態だったじゃん?
それなのに徳川単独にジワジワ押される武田ってどういう状態だったの?
多数の兵力と幹部を一気に失って軽い麻痺状態みたいな感じだったの?
0125人間七七四年
2011/02/18(金) 16:42:53ID:RMJl9uAZ数はいても還俗兵や少年兵ばかりとかいう記述もあったし。
0126人間七七四年
2011/02/18(金) 21:54:28ID:PVklOCbl現代なら負傷部分の消毒と新しい包帯への交換は1〜2日で行うが、
それだけ緻密な医療が当時にできたかが問題。
できたとしてもそんな当時としては高度な医療を受けられる武士がどれだけいたかも問題だ。
武将クラスならまだしも足軽クラスが回復に長期かかり緻密で金のかかる治療できたとも考えにくい。
やはり当時は「負傷兵」という要素は現代よりはるかに深刻な要素だろう。
実際、長篠の後の武田を見る限りでは、熟練した兵員の多くを失い
相当なダメージを負っていたとしか思えない。
戦闘で負傷した人物は死ななくても負傷で身体が弱って一線から身を引き、
弟とか子供とか替わりの戦闘に不慣れな人物で補充したのではないか。
0127人間七七四年
2011/02/18(金) 22:27:13ID:VIlLrxav長島見捨てたのは信玄の遺言のせいもあるけどな
>>122
近所を散歩する感覚で城を攻めれる家康と、甲府から長期遠征してくる勝頼との差は大きいなw
>>124
信玄以来の威光で武田よりだった遠州国人衆が長篠を境に徳川寄りになったのが大きいかと
もともと本拠地浜松のある徳川の地元だし
0128人間七七四年
2011/02/18(金) 23:14:41ID:wQd/hjZ/0129人間七七四年
2011/02/18(金) 23:37:25ID:2vzHrM25確か殺した輩が穴山が埋蔵した信玄の埋蔵金を示した地図を奪い、そこから
掘り当てた。話は有名だよな?場所は棒道の辻だった気がする。
0130人間七七四年
2011/02/18(金) 23:41:01ID:PVklOCbl遠州国人衆が信玄存命中は「家康と信玄なら信玄の方が上」って思ったんだろうけど、
本当に信玄死後も「家康と勝頼なら家康の方が上」と思ったのか?
「家康と勝頼なら同じようなもんだが、家康の後ろには信長がいる」ってのが本音じゃないのか?
0131人間七七四年
2011/02/19(土) 00:57:35ID:AhMQ3R8D現代人は後の家康を知ってるけど、当時の人間からしたら徳川なぞ弱小新興勢力にすぎんぞ
武田軍の強さは信玄抜きで恐れられてただろうし
0132人間七七四年
2011/02/19(土) 01:26:16ID:7OjKeZ3c徳川は1ヶ月で滅亡、家康は自害。
信長は三河に武田を控え美濃に進めない。
氏真がつまらんプライドを見せたために身を滅ぼしてしまった。
0133人間七七四年
2011/02/19(土) 01:31:50ID:sC3Dt8vwその場合も武田が強大になって今度は織田に
「今川邪魔なう。やらないか?」
っと提案して今川攻めそうw
0134人間七七四年
2011/02/19(土) 02:43:11ID:xIAe8MPs武田の天下もあったかもね氏真さんが無能でよかった
0135人間七七四年
2011/02/19(土) 12:48:52ID:mdS1DauJ0136人間七七四年
2011/02/20(日) 00:42:18.73ID:w2s4gGHsそもそも長篠以降の勝頼は何がしたかったのかと。
末期になると織田と和睦まで試みようとしたり完全に戦略破綻しとる。
0137人間七七四年
2011/02/20(日) 01:17:09.41ID:ktCjRQbqそりゃ、軍の再建や織田、徳川への反攻とかしたかったんだろうけど何もできなかったんだろう。
一応、駿河で北条と小競り合いして勝ったりしてるぜ。
0138人間七七四年
2011/02/20(日) 08:32:49.17ID:0VTGhgfkそれまでイケイケで無茶な決戦したあげく大敗
その後は消極的な作戦の連続で勝機を逃す
0139人間七七四年
2011/02/20(日) 10:04:21.34ID:Kxd458wY0140人間七七四年
2011/02/20(日) 11:36:56.84ID:ktCjRQbqまあ五十六は勝てる見込みが無いの解ってて戦争大反対だったけど決まったことだから
仕方なく最善の策として兵力が優位な序盤に全力攻撃を続けたんだけどね。
まあ岩村攻められてる頃の勝頼としては甲斐一国を安堵と引き換えにそれ以外を全て織田に明け渡して
許してもらえたら御の字という感じじゃないかな?
かなりの屈辱感を味わうのは間違いないが。
0141人間七七四年
2011/02/20(日) 13:01:54.00ID:0VTGhgfkあの時期にいきなりそれはないだろw
一度大敗しただけだぞ
遠州での戦闘見ても分かるけど武田の限界は本拠が甲府だったことだなぁ
まぁ高天神とか救援するのは穴山の管轄だったはずだがあいつマジで使えないな
戦で戦功立てた話もないし
0142人間七七四年
2011/02/20(日) 13:04:45.41ID:Kxd458wY0143人間七七四年
2011/02/20(日) 14:11:17.56ID:Kxd458wY0144人間七七四年
2011/02/20(日) 14:35:54.52ID:w2s4gGHs北条が扇動するから無理><
って言われるのがオチ。
徳川でさえ攻撃拠点を移してるのに甲斐にヒッキーはないわ
0145人間七七四年
2011/02/20(日) 14:50:13.50ID:ktCjRQbqまあさすがにそんなことしたら領内で一斉に内乱が起きて勝頼殺されるかもしれないけどね。
だけど、甲府から拠点を変更するといってもどこにすればいいのかってことになるよね。
飽くまで織田、徳川と戦うというのなら駿河か信濃南西部のどこかの直轄地?
それも苦しそうだな。
0146人間七七四年
2011/02/20(日) 16:25:04.67ID:INRNwNnE0147人間七七四年
2011/02/20(日) 17:52:11.22ID:8bq4LKvX結果論にはなるけどまあそうだわな。
木曽の離反も新府城作るための増税が理由だと言われているし。
0148人間七七四年
2011/02/20(日) 18:11:25.86ID:FTzjbznz北条の対応の是非とかおいて、純粋に政治軍事の面で言えば、
勝頼のあの判断と選択は失敗だった
0149人間七七四年
2011/02/20(日) 19:28:47.22ID:OYmKktnCほんと新府は無駄だったな
0150人間七七四年
2011/02/20(日) 19:34:08.49ID:Kxd458wYゴボウ丸返還といい、勝頼は意外と優柔不断で右往左往するタイプだったのかも。
0152人間七七四年
2011/02/20(日) 21:24:56.15ID:2SN7+C5g上野方面を治めることで中山道を押さえてるのは重要だし
佐竹らとの対北条軍事行動にも甲斐は便利。
駿河方面なら伊那高遠が拠点化してるし
高地から下地への移動は補給面でも負担かからないでしょ河川流通が使えるし。
今川館へ拠点移動する動機が乏しい。
長篠の敗走で放棄した物資なんかも莫大だったと思うから景勝からの和睦はどうしても必要だったと思うし。
0153人間七七四年
2011/02/20(日) 21:45:20.83ID:8bq4LKvX0155人間七七四年
2011/02/20(日) 21:58:15.73ID:INRNwNnEでも武田は上方勢力への盾だからね
後に徳川がその役目に移行するけど
景虎を本腰入れて救援しなかったのも、北陸での織田との抗争を嫌った面もあるだろうし
0156人間七七四年
2011/02/20(日) 22:14:55.43ID:ktCjRQbq武田のことよりも今後織田とどう接するかということのほうに関心があったんじゃないの?
武田については半分見限ってたかもしれない。
0157人間七七四年
2011/02/21(月) 00:26:05.53ID:8o4E8fNA御館で上杉大減退で将来織田に苦戦する未来も見え見えで対上杉で武田に頼る必要性が0に近い
そしてもはや武田の国力では北条領深く入るのは不可能
関東に積極的に兵を進めるかつてないチャンス到来
逆に武田との同盟は上方の争いに巻き込まれるだけの疫病神
だがこの疫病神は織田に近寄る為だけになら有効に使える
0158人間七七四年
2011/02/21(月) 00:41:38.79ID:8o4E8fNA・相互不可侵
・上杉に対する防協
まず御館で上杉の驚異は消える。
相互不可侵もかつての武田軍の姿は見る影もなく全く驚異でない。
同盟は北条側にとってメリットが余りにも薄く、リスクだけがやたら高い意味の無い物になってしまった。
それなら武田領をむしれるだけむしった方が良い。
万が一武田に局地戦で負けても織田・徳川と連絡とってれば、
武田が北条領内に深入りする事は不可能という保険つき。
おまけに上方の印象も良くできて一石三鳥。
0159人間七七四年
2011/02/21(月) 01:24:30.90ID:urQ0ObmZ0160人間七七四年
2011/02/21(月) 02:49:20.55ID:AGaGzUmN0161人間七七四年
2011/02/21(月) 14:10:39.05ID:PxjLT39u甲相同盟が破綻しなければどうなっていたかは分からない
0162人間七七四年
2011/02/21(月) 21:21:55.14ID:0vK4NRmPこの差はでかい
0163人間七七四年
2011/02/21(月) 22:09:59.58ID:fq5lGlCw0164人間七七四年
2011/02/21(月) 22:29:14.98ID:0vK4NRmP謙信が生きてる間は同盟は必要。
しかも妹が嫁ぐ翌年には上杉が関東に大軍率いてくる噂もあった。
この時期の北条家にとって武田は必要不可欠。
武田も北条も相互に対等な同盟関係を結べる立場にあった。
ただ妹が嫁いですぐに謙信が死んで上杉の脅威が無くなった。
0165人間七七四年
2011/02/21(月) 23:48:32.78ID:AGaGzUmN晩年の時点でもやはり北条を潰そうと考えてたってことになるの?
まあそれは関東管領ということで理解できるとして、その前に能登征服や
加賀に進出して織田と衝突したのは何だったの?
誰かから西進の要請があったから? それともただの領土拡大?
0166人間七七四年
2011/02/22(火) 00:57:04.91ID:IUJiOZqTただ、越中や能登遠征については、越後の青苧交易の流通路確保という目的があった
謙信ははやい時期から能登の騒乱に関与しているけど、その理由が日本海交易路の安全確保のため
七尾城攻略も、能登畠山氏が反上杉派の長氏によって抑えられたため
ただ、おかげでこのあたりの外交関係がややこしいんだよな
武田は反織田という点で上杉と友好は結んだが、同盟相手の北条とは敵対中
仮に、謙信が倒れず関東に討ち入っていたら、武田はどうなるか?
北条としては当然対上杉に参戦要請をするだろうし(そのための婚姻)
0167人間七七四年
2011/02/22(火) 07:57:16.29ID:442ah4j2海を通じた事実上の隣国。
0168人間七七四年
2011/02/22(火) 08:24:21.73ID:+5hi4gV8武田の駿河侵攻に激怒した北条が同盟を提案してくるとそれに応じたりしてよく解らん人だな。
本来敵のはずの相手でも下手に出られたらコロッとなっちゃうタイプなんだろうか?
0169人間七七四年
2011/02/22(火) 11:21:19.77ID:lsvcNPhC能登の七尾攻めは、足利義昭からの要請で織田包囲網のいっかんだと思う。
後は、能登守護・畠山氏を保護してる近江の六角氏からの書状が頻繁に来てるので、畠山氏の為にも七尾城の奪還はしたかっただろうね。
畠山氏の子息・上条政繁は養子にしてるね。
0170人間七七四年
2011/02/22(火) 11:41:16.87ID:8+5TQdzH古河御所の問題でない?
北条氏が推す血縁の足利義氏を追い出し、本来の摘男・藤氏を古河御所に入れる、というのが対北条との理由。
しかし、藤氏が拉致されて行方不明になり、もはや北条血縁の義氏を古河公方として認めざるを得ないとなって、北条と和睦したのだと思う。
あくまで謙信の主君は、幕府であり朝廷であるから。
0171人間七七四年
2011/02/22(火) 11:44:29.33ID:q5S763Nc・外敵全てに対してお互いに援助協力の義務を負う同盟
・上杉に対してののみの同盟と相互不可侵
のどっち?
0172人間七七四年
2011/02/22(火) 12:28:01.01ID:+5hi4gV8それ以後は年代が下るにつれてだんだんグダグダというか良く解らなくなってくるよね。
駿河で武田と北条が戦争したり謙信は関東出兵を企図してたりするけど
長篠以降の武田と上杉ってどんな関係だったの?
なんかほとんど戦争してないような印象があるんだけど。
0173人間七七四年
2011/02/22(火) 13:02:11.14ID:ptZRuymO1575年 長篠の戦い
1576年 織田包囲網
この織田包囲網の時は、謙信も勝頼も参加してると思う。
『甲陽軍艦』の信玄の遺言や、勝頼を攻めなかったという謙信の定説を信じると、上記の間に戦はなかったとなるけど。
0174人間七七四年
2011/02/22(火) 14:27:58.27ID:K9cfbxxC六角氏から書状きてんだ?知らなかった。
六角氏は近江国南東の甲賀を拠点に信長にゲリラやってたんだっけ?
まだ織田の伊賀攻めも開始されてないよね。
>>168
越相同盟も足利義昭からの前々からの催促だよ。
甲越和与も足利義昭がやってて、これ以来は武田とも直接戦闘は無くなる。
0175人間七七四年
2011/02/22(火) 15:30:39.25ID:IUJiOZqT0176人間七七四年
2011/02/22(火) 16:46:55.01ID:/iG/PMH40177人間七七四年
2011/02/23(水) 16:58:17.09ID:LAP1Pnrdこれしかないわ
0178人間七七四年
2011/02/24(木) 00:20:02.21ID:3Qs5FfKk0179人間七七四年
2011/02/24(木) 00:22:41.62ID:6x2nzunV後継のいない謙信と違って、正統後継者の信勝がいるし
0180人間七七四年
2011/02/24(木) 00:25:07.05ID:6x2nzunV彼らが参戦してなかったら、勝頼批判をしまくっただろうし
もちろん敵前逃亡した彼らがいなければ勝てたというなら、それにこしたことはないが
0181人間七七四年
2011/02/24(木) 00:30:39.77ID:KH9OHe4c信豊や一条信龍はしっかり戦っているんだよな。(なのに高坂さんには信豊もセットで切腹しろとかいう話に
なってたりするんだけどw)
0182人間七七四年
2011/02/24(木) 05:35:29.41ID:jRXPDfJm0183人間七七四年
2011/02/24(木) 14:49:13.68ID:97kndm6F0186人間七七四年
2011/02/24(木) 23:57:20.12ID:3Qs5FfKkなんたる因果か
0187人間七七四年
2011/02/25(金) 00:17:45.34ID:TDAkbb7u思うように活用できなかったな。
遠江への攻勢が頓挫して以降は既に重荷になっていたのであれば、
早めに放棄して戦線を整理した方がマシだったかも知れん。
0188人間七七四年
2011/02/25(金) 11:25:15.70ID:WTSdQwMw0189人間七七四年
2011/02/25(金) 18:18:04.79ID:gAlU2iIIそれにしても高坂がそんな「親族衆に切腹させろ」というほど偉そうなのは
やはり信玄の愛人だったからか?
0190人間七七四年
2011/02/25(金) 20:23:12.25ID:uU0jy16sそれはそれで家中の動揺がひどそうだな
0192人間七七四年
2011/02/25(金) 21:08:32.40ID:/AywbaYA0193人間七七四年
2011/02/25(金) 22:26:58.76ID:eFN+gVaA甲陽軍鑑を信用しすぎるのはどうかってのと、当時の高坂は対上杉担当で家中でも結構な兵を持ってたからな
>>190
騙し討ちで短期間に穴山一族を殲滅出来れば中央集権化できたやもしれん
信君を打ち漏らしたり事前に露見するのは論外だが、勝千代擁して抵抗されても駄目
0194人間七七四年
2011/02/25(金) 22:43:01.37ID:ggJQO+Xu劣勢時にそれをやると急速に人心が離反していくんだろうな。
いや、晴久も勝頼も一個人としては優秀だったと思うけど。
0195人間七七四年
2011/02/25(金) 22:49:57.74ID:PAP7hdRy0196人間七七四年
2011/02/25(金) 22:55:26.37ID:eFN+gVaA月山富田城の堅さがなかったら大内の出兵で滅ぼされてたかも
0197人間七七四年
2011/02/25(金) 23:58:35.40ID:oIl8yKRC勢力は伸ばしている方じゃ
0198人間七七四年
2011/02/26(土) 01:26:39.49ID:rufZ0ZZg尼子晴久ってもし郡山攻めで大敗せずに長生きしてれば陶を倒して大内領併合した毛利と
互角に戦えてたかな?
0199人間七七四年
2011/02/26(土) 01:36:19.15ID:J9LASN6O郡山攻めで大敗しなかったら、大内の出雲出兵は無くなる
大内義隆はやる気を失わず尼子・大内で拮抗したやもしれん
晴久がどうのっていうより毛利が史実ほど伸びないと思う
互角に戦うだけなら晴久存命時は毛利と戦えてたわけだし
0200人間七七四年
2011/02/26(土) 02:25:48.02ID:rufZ0ZZg0201人間七七四年
2011/02/26(土) 09:51:29.05ID:YK+Sq/xU信濃と駿河と甲斐を失った勝頼の評価が低いのはわかるが。
0202人間七七四年
2011/02/26(土) 18:00:19.60ID:ZJwb7tJE攻められたら一たまりもない躑躅が崎でもやっていけた。
その躑躅が崎を信長の本陣にしてしまったのが勝頼。
0203人間七七四年
2011/02/26(土) 20:11:50.48ID:V4HvCNih信濃方面は弱小勢力ばかりで
今川北条との友好中立関係も信玄のおかげとするのは難しいし
0204人間七七四年
2011/02/26(土) 21:03:41.08ID:LhvpLzzo0205人間七七四年
2011/02/27(日) 03:59:47.79ID:d2XuLvfrそれなのに苦戦した信玄の立場がないなあ。
真田や長野のといった小粒でも精強な大名がいたように
信濃の大名たちは小粒でも侮れない。
つーか、小笠原や村上はそもそも小粒とすらいえない。
逆に甲斐は国力が弱く20万石くらいでしかも
独立性の強い諸勢力の豪族連合だしな。
0206人間七七四年
2011/02/27(日) 08:16:13.11ID:ZDEvUvXB0207人間七七四年
2011/02/27(日) 14:59:09.30ID:XPNOVKwq0208人間七七四年
2011/02/27(日) 16:40:47.60ID:j+1QyWiAルート上で守りやすかったってのはあるんじゃないかな
0209人間七七四年
2011/02/27(日) 17:47:15.23ID:YTjmV3bAんなわけねーだろw
0210人間七七四年
2011/02/27(日) 19:32:17.87ID:XXoDl8ZC0211人間七七四年
2011/02/27(日) 23:17:26.11ID:f9fvwEBH美濃の斉藤や越前の朝倉みたいにとりあえず信濃全域がひとつの勢力にまとまってたら
信玄もやばかっただろう。
0212人間七七四年
2011/02/28(月) 01:47:24.06ID:o66bk3AW逆に国人が天嶮を頼って自立割拠し強勢を誇ってたのが信濃。
0213人間七七四年
2011/02/28(月) 01:55:36.49ID:L6V18igv特産品があったり、栄えてる門前町があったりするけど
甲斐には物の見事に何も無い。現代もry
金山があるから他の国より有利とは言えず
金山を使ってやっとこさ人並みくらいに思ったほうがいい
0214人間七七四年
2011/02/28(月) 02:29:58.46ID:xy8kMkhn0215人間七七四年
2011/02/28(月) 08:46:23.33ID:jX6gG0mC0216人間七七四年
2011/02/28(月) 09:08:56.92ID:9tTzAlJB0217人間七七四年
2011/02/28(月) 09:22:52.73ID:gtjeYbja0219人間七七四年
2011/02/28(月) 18:41:44.66ID:0pUpnrMk内応だらけだったけどな…
0220人間七七四年
2011/02/28(月) 20:28:43.26ID:FNwFOi0r甲斐VS信濃になると単純計算で国力が倍だからな。
信濃側家臣の状況によっていくらでも変化はするだろうけどとりあえず信濃に統一勢力がいたら
信長ほど楽には行かないだろう。
0221人間七七四年
2011/02/28(月) 20:50:27.38ID:0pUpnrMkその国土の長さからも信濃国は実質的には2ヶ国と言っても問題ない。
越後守護上杉氏は一時的に北信濃守護も兼ねていたし、
その山々に隔てられた山地の要害に立てこもり割拠していた国人たちは小笠原氏の入部にも頑強に抵抗している。
甲斐でも将軍が甲斐へ行けと命じられた武田が甲斐の国人豪族の圧迫を嫌って戻るの嫌だと泣きを入れてるなど
信濃や甲斐の統治の難易度は非常に高い。
0222人間七七四年
2011/02/28(月) 22:23:58.74ID:gtjeYbja両方メリットデメリットがある
0223人間七七四年
2011/02/28(月) 23:21:45.14ID:FNwFOi0r福島の芦名なんて山ばっかりでかなり広域な場所で長いこと君臨してたじゃん。
0224人間七七四年
2011/02/28(月) 23:54:43.67ID:90ZvQijn因果が逆だよ。
龍興は、信長の侵略を阻止できなくて人望を失った。
だから織田からの調略に乗る豪族に食い止められなかった。
0225人間七七四年
2011/03/01(火) 01:10:53.72ID:P34mX2ciそれだと信濃攻めで信玄が調略出来なかったみたいに聞こえるぞ。
諏訪攻めも小笠原攻めも村上攻めも家臣団の国人達は各個に調略されまくり、
内応だらけ切り崩しもスムーズと信玄の調略が冴えわたっているのに。
0226人間七七四年
2011/03/01(火) 01:50:13.03ID:qvdN4o7e山城から平城へ移行したのは
籠城して戦う城から地域での行政をやる為の城に移行したから。
山々の峰に連なって作った山城と砦群に潜み割拠されては支配なんてできない。
遠くまで見通しが利き交通や通信などがし易い平地の方が遥かに支配し易い。
>>223
葦名が会津を平定したのは盛氏が伊達親子が抗争している時にやっとできたが、
盛氏晩年には北会津は伊達、西南会津は上杉との両属家臣化が進んでしまった。
>>224
稲葉山城まで国人に乗っ取られたバカな未成年当主だったからだろ。
0227人間七七四年
2011/03/01(火) 01:50:16.16ID:HPGltlayだって信玄が調略していったのは信濃に割拠する小勢力をひとつづつターゲットするやりかたでしょ。
それなら甲斐一国を納める信玄の方が優勢なわけだから調略は楽だろう。
村上みたいなのが信濃一国支配してたら逆に信玄のほうがやばいじゃん?
0228人間七七四年
2011/03/01(火) 02:15:32.52ID:qvdN4o7eならなんで真田は調略されて家康につぶされなかったの?
0229人間七七四年
2011/03/01(火) 02:22:43.84ID:HPGltlay0230人間七七四年
2011/03/01(火) 04:22:27.16ID:RzNyh9pt織田厨の恣意的解釈はいつも破綻してる。
0231人間七七四年
2011/03/01(火) 07:51:13.66ID:ceJ3l7z8ちっとは自重しろ
0232人間七七四年
2011/03/01(火) 10:22:57.18ID:h696kesk真田は実際家臣を何人か調略されてるじゃん(´・ω・)
ただ昌幸が調略に迅速に対応してるってだけの話しで…。
>>230
言いたい事は解るが意味不明な煽りはやめろ。
0233人間七七四年
2011/03/01(火) 10:35:51.97ID:smO8fzNIしづらい状況だったてことか
天正10年の織田軍侵攻の時は一時的に信長傘下に下るも、本能寺後はすぐにカオス状態に
圧倒的な武力やら政治的権威やらが無いと統治しづらい国だったんだな
0234人間七七四年
2011/03/01(火) 13:21:56.67ID:DUrfdNWyこれって大多数の国に対して言えるんじゃないか?
ただ大名の現在の人気というか評判によって
統治しづらい国と治めている大名の能力がって評されているだけだと思う
0235人間七七四年
2011/03/01(火) 13:41:54.22ID:qvdN4o7e美濃は手強く、信濃はヘタレだと
誘導しようとしてデタラメ理論で
話を曲げてるからおかしなことになる。
大身だろうが小身だろうが地の利や当主の統率力や指揮力や外国勢力からの介入拒否の意志によって左右される。
0236人間七七四年
2011/03/02(水) 00:48:32.00ID:nQaUC8pA0237人間七七四年
2011/03/02(水) 01:00:34.15ID:ViQknw6o木曽義仲が上洛に成功してるだろ?
0238人間七七四年
2011/03/02(水) 01:41:38.89ID:dh+r2HnT0239人間七七四年
2011/03/02(水) 01:49:57.05ID:rIh/7EOdでも小笠原も本来は信濃に侵入した口で村上に勝てなかった派か
そういや小笠原は甲斐に侵入したこともあったな
0240人間七七四年
2011/03/02(水) 03:48:41.11ID:jzypWzhCまともに動かせるのは、一門+諏訪衆くらいでいわゆる兵力で言えば5000あれば良いほうでは?
大半の部下は自領が心配で動かない
これじゃ、山中荒らしに行くだけで、何も得ず帰宅
まぁ、最終的に甲斐、信濃、駿河を得た信玄は、良い選択肢を選び抜けた結果かなと思う
逆に言えば、それだけの人物
天下には程遠い田舎の努力家
0241人間七七四年
2011/03/02(水) 17:42:37.54ID:MMud4DU9その国力に依存しあちこちにケンカを売って回り災いを撒き散らし怨みを買いまくり
末路は天寿を全うできず家臣に嫡子ともども暗殺されて家自体も家臣に乗っ取られる。
逆に言えばそれだけの人物。
0242人間七七四年
2011/03/02(水) 17:51:35.35ID:eP4jhuvl織田家とモロに衝突し、北条・上杉の盾に使われることもなかったろう
信長公は武田とは平和路線で行こうと思った時期がなんどもあった
うまくやれば必ず生き残れたはず
0243人間七七四年
2011/03/02(水) 17:58:12.55ID:ViQknw6oそんなお前は桶狭間どころか稲生ですら勝てないだろう。
0244人間七七四年
2011/03/02(水) 18:08:56.51ID:icNPVkEIあと1年や2年長くいきてれば滅亡は防げたでしょうに
0245人間七七四年
2011/03/02(水) 18:56:41.69ID:nQaUC8pA0246人間七七四年
2011/03/02(水) 19:03:33.87ID:iwbUyHuE朝倉が日和らなきゃ面白いかもな。
美濃での決戦ってとこだろうけどはてさて。
信玄の場合そこで織田と講話して徳川切り取り自由ゲットしそうだけどw
0247人間七七四年
2011/03/02(水) 19:55:11.91ID:G9GHIPiT0248人間七七四年
2011/03/02(水) 23:59:25.39ID:+uiFNxKu和平の時間的制限は二次包囲網前まで。これまでには絶対にまとめるべきだった。
あと織田家を圧迫するなら長島が全滅する前に長篠まで出るしかない。
どの道甲斐から行ったり来たりを繰り返す方法じゃジリ貧すぎるけど…('A`)
結局信玄時代にまで戻って条件良くしていかないといけないから救いようがないわ
0249人間七七四年
2011/03/03(木) 00:43:26.67ID:U1+smOSq0250人間七七四年
2011/03/03(木) 05:33:05.73ID:OwTKirJr義信に早く子供が生まれていれば元亀年間には十代になっていたかな?
0251人間七七四年
2011/03/03(木) 07:21:39.78ID:Gdym+D7Pもし美濃で窮地に陥ったら退却もままならず殲滅されかねないんじゃない?
0252人間七七四年
2011/03/03(木) 07:40:03.90ID:ZWwEfryXしかも見返りはほとんど期待できない
0253人間七七四年
2011/03/03(木) 09:35:05.63ID:OwTKirJr0254人間七七四年
2011/03/03(木) 11:57:58.89ID:HILa2FNl織田は親武田路線だし北条と連携して対上杉に集中するだけでいい
0255人間七七四年
2011/03/03(木) 12:22:55.82ID:YC57mdEd娘はいたような気がする。
>>254
1566年に三河統一した後は、その年のうちに引間を攻撃、1567年には見附にまで攻め込んだりしている。
今すぐ今川が滅ぶということはないにせよ、五分五分とはいかない可能性が高い。
0256人間七七四年
2011/03/03(木) 12:34:09.81ID:pKAZcEps義元が死んで無くて織田とにらみ合いしてもらうのがベスト。
出来れば上杉ともなんとか講話して道三消えた後の美濃をゲット出来れば面白い。
織田吸収した今川との死闘がまってる気もするが
0257人間七七四年
2011/03/03(木) 12:44:15.93ID:n7j1RRSpどっちが攻め取れる可能性が高いんだろうな
0258人間七七四年
2011/03/03(木) 13:08:53.70ID:Gdym+D7P信濃中南部だけ攻め取って美濃に行くのがベストなの?
0259人間七七四年
2011/03/03(木) 13:26:21.36ID:pKAZcEps河越前なら普通に勝てそうではあるが・・・
村上とか上杉とやりやうよりはマシかもしれん。
勝てた時の実入りは大きいし。
0260人間七七四年
2011/03/03(木) 15:31:46.79ID:YC57mdEd伊奈木曽は小笠原との関係も深い、そこを取ることは小笠原との関係に影響する可能性が高い。
また仮に取ったとしてもそれだけの国力では斉藤に勝つのは難しい。
0262人間七七四年
2011/03/03(木) 19:41:29.92ID:U1+smOSq三河一向衆を煽りつつ氏真が遠江から、信玄が信濃から乱入すれば徳川降伏、インテリア家康は駿府に護送され再び人質生活。
北三河を武田が、南三河を今川が分割統治。
その後、武田、今川連合軍4万が尾張侵入、生け捕った信長は桶狭間で磔に。
0263人間七七四年
2011/03/03(木) 20:04:25.22ID:tL4jFhDRあとは遠江や三河を切り取るの余裕だったろうが
それは勝算のないバクチだしな・・・
0264人間七七四年
2011/03/03(木) 20:07:02.64ID:Gdym+D7P初めは徳川と組んで今川を潰し、その後は徳川を潰す。
つまり駿河〜三河まで全部欲しかったんだ。
0265人間七七四年
2011/03/03(木) 20:07:11.95ID:ZWwEfryX0266人間七七四年
2011/03/03(木) 20:25:28.36ID:cgxJZo3cまあ普通にやるなら自分より弱い諏訪ってのは妥当な選択だしな。
北条、今川とどっちも武田より強いもんな。北条攻めのがまだ可能性ありそうだが。
没落しつつあるとは言え嫁の実家だし上杉と共闘して今川も静観するならあるいは。
0267人間七七四年
2011/03/03(木) 20:49:39.30ID:uOCxEjuPじゃあ仲良くしましょうかと締結したもんだし
0268人間七七四年
2011/03/03(木) 20:50:00.26ID:Gdym+D7P厨房臭い質問で申し訳ないけど、大まかな感じで。
3:2:2くらい?
0269人間七七四年
2011/03/03(木) 20:55:09.99ID:cgxJZo3c0270人間七七四年
2011/03/04(金) 00:28:52.78ID:c26jMOXu突然、攻め込んで義兄でもある当主を捕らえて切腹させるというやり方は卑怯すぎる。
こういうことを考えると武田が将来的に滅ぶのは必然だったのかも。
我々は武田サイドで考えてしまい、武田の滅亡を悲劇と捉えるが、
実際は信玄はそうやって中傷の豪族を卑劣なやり方で次々と屠ってきたわけだし。
無残な武田の滅亡に快哉を叫んだ連中は多かったろう。
0271人間七七四年
2011/03/04(金) 00:58:27.25ID:+cMbzjqV0272人間七七四年
2011/03/04(金) 01:34:28.93ID:FBgXjAW80273人間七七四年
2011/03/04(金) 03:07:49.65ID:aHJIlc70国力で言えば
武田は甲斐に信濃の大半北信濃の2郡除いてほぼすべてに、
木曽や美濃恵那飛騨の一部にも影響力を行使できる。
石高では50万石、影響力を行使できる範囲も含めると60万石ほど。
今川は駿河遠江に三河の大半
更に尾張のうち北尾張や沿岸部、知多半島なども影響下に。
石高では65万石ほど、勢力圏では75〜80万石ほど。
北条は伊豆相模に武蔵の大半、上野下総上総の極一部を支配し、
武蔵に下総上総上野の大半を影響下に。
石高では75万石ほど、勢力圏では200万石近いのでは?
>>270
宇喜多さんとかと比べれば大したことないでしょ。
0274人間七七四年
2011/03/04(金) 03:09:12.85ID:aBGc7Bll車も高速もないから統治は大変だろうな。
少し遠くを見渡すこともできないから、
勢力が分散しやすいと思う。
甲斐は真ん中の盆地を押さえた奴が自動的に最大勢力、そう言う国とはまとめやすさや、攻め取りやすさが違うだろうな
0275人間七七四年
2011/03/04(金) 03:23:14.19ID:aHJIlc70攻め取りやすくはあるだろうが、統治は面倒だろうな。
0276人間七七四年
2011/03/04(金) 05:40:00.88ID:8c48sjiT信虎の決めた外交政策は
家臣団が晴信を祭り上げてのクーデターでリセット
0277人間七七四年
2011/03/04(金) 08:53:08.08ID:HqYN5hzf0278人間七七四年
2011/03/04(金) 10:28:51.81ID:0616pNDv0279人間七七四年
2011/03/04(金) 10:57:03.58ID:IoEf6Bfx武田には金山があったし、今川には経済力とか政治的権威があったと思う
逆に北条は石高の高さばかりが目立ち、見掛け倒しだったかもしれない
家康が国替えされたとき、石高が100万石以上加増されたのに大損したと
みなされてたのも気になる
0280人間七七四年
2011/03/04(金) 11:13:58.91ID:K7EaNEwg関東管領上杉が逃亡して古河公方が北条についているから取りあえず北条家に従っているみたいな感じで
謙信が関東に侵入すると一斉に離反している
元亀の朝倉征伐前の織田は一応は畿内を支配しているし兵も動員出来るが
実質畿内は点と線と権威による支配でしかなく領土とは言い難いみたいというのと同様だろう
0281人間七七四年
2011/03/04(金) 15:36:42.61ID:uGRGPH4N金山開発で成り上がったのであって、江戸時代の石高なんてこの時代に
たいした意味は無い。
川中島合戦だって、善光寺の経済圏の争奪と、直悦貿易港の確保の争い。
米を取るための土地を争ってたという発想で戦国時代を見たら結論だって
狂ったものにしかならないよ。
ただし北条の誇りは石高じゃなくて社会・経済のシステム。
関東に移封された徳川(それも駿府派じゃなく江戸派)が栄えたのは、
織田型でも豊臣型でもない最先端の北条のシステムを採用できたことも
大きい。織田よりもずっと先を行っていた統治をしていたから国人の
離反やらに関係なく安定した経営ができていた。
伊勢盛時が京都で作られた最新の政治理論を関東で実験し成功した結果が
江戸幕府の長い支配に結びついてる。
0282人間七七四年
2011/03/04(金) 16:12:58.37ID:q2uw36ZN畿内の人口って商業力で持ってたとかいうんかよ。
石高だけで計るのも問題だけど大事な要素だろ。
動員兵力の多さって結局石高ベースの人口に依るんだし。
大坂の陣とかは経済の中心地で全国から米が集まる蔵屋敷があればこそ。
加えて改易された浪人がゴロゴロして、
持ってた富が桁違い。
確かに領内で養いきれない数の兵士を抱えてたとおぼしき上杉は関東で越冬したりしてるけどさ。
0283人間七七四年
2011/03/04(金) 16:28:01.81ID:8c48sjiT豊臣時代になってから竿を入れて石高を確定する前なんてロクに国人や豪族の領地さえ治外法権で把握してないし
戦乱で火をつけて田畑を荒らし狼藉するわ、
大規模土木工事による治水さえやらずに氾濫だらけ
水争いもしょっちゅうだし
おまけに天候は寒冷期。
豊臣政権による安定と領内開発が始まるまで石高なんてほとんど関係ない。
0284人間七七四年
2011/03/04(金) 16:41:09.95ID:WlQJCCZG荒れ狂ってガチで撫で斬り大会村消滅の消滅戦による
戦乱と軍事動員だらけの織田領なんて荒れ果ててたと思う。
0285人間七七四年
2011/03/04(金) 17:34:18.92ID:2CObMYeX0286人間七七四年
2011/03/04(金) 19:09:20.91ID:jS6luIkkそれ自体が一つの価値基準でもあり、金銀と並ぶ重要な商品。
価値の安定しない銭なんかよりもよっぽど重要、だからこそ石高なんて基準が出来たわけだし。
ただ検地による石高=米の生産量ではないが。
0287人間七七四年
2011/03/04(金) 21:10:46.53ID:Gw7Z1YX3石高より
残念ながらデータが少ないが
0288人間七七四年
2011/03/04(金) 21:11:20.46ID:cQCz2/8M0289人間七七四年
2011/03/04(金) 21:31:37.78ID:ufeXd3cxこれはもちろん他の大名家にもいえることで、太閤検地で隠田を徹底的に摘発して帳簿に載せたのがあの数字なんだから
0290人間七七四年
2011/03/04(金) 21:34:26.51ID:q2uw36ZN三方原だって織田が全力で来れたら信玄がうんこちびってるはずだし。
0291人間七七四年
2011/03/04(金) 22:18:07.68ID:L1cZSNUP0292人間七七四年
2011/03/04(金) 23:40:05.20ID:298YFd+g0293人間七七四年
2011/03/04(金) 23:46:40.04ID:6YamFvgk武田も上杉の備えつぎ込めればあそこまで惨敗はしなかったはず。
0294人間七七四年
2011/03/04(金) 23:47:56.16ID:cQCz2/8Mまあ何を持って全力と判断するかにもよるな。
織田は西部戦線に必要な兵力を残した上での残り全力で長篠に臨んだと言うべきか。
信玄も西上作戦の折は5千くらいを対上杉防衛軍として北信濃に残してるし。
0295人間七七四年
2011/03/05(土) 00:25:36.69ID:/JfN4q6l外交戦略でいかに相手兵力を分散させつつ
自軍兵力を集中させて各個撃破。
敵と長期対陣しつつ敵はるか後方に友軍による第2戦線を構築し脅かす。
敵指導者への不信を煽り調略し敵の弱体化を誘う。
出来うる限り主力決戦を避けつつ戦わずして敵地での支配を達成させること。
戦略目標を隠蔽しつつ敵領内深く襲撃し、目標とはまったく別な地点への敵軍の集結を誘導しつつ本命を襲撃する。
兵法軍略の要諦を知るものにはかなわない。
0296人間七七四年
2011/03/05(土) 00:37:40.19ID:QeVEdNw1願わくば行動がそれに劣後せぬことを祈るばかりですな。
0297人間七七四年
2011/03/05(土) 00:42:42.07ID:Kalm266D朝倉浅井は仕方ないにしても長島を殲滅されたら信長は圧倒的に戦略的に有利に立つし。
信玄の遺言がそもそも見当違いすぎるし出来るはずもない。
これで勝頼が軍事行動縛られてたなら余りにも悲運。
0298人間七七四年
2011/03/05(土) 00:53:37.73ID:pqX2xHOQ0299人間七七四年
2011/03/05(土) 00:59:58.78ID:MspAivBg意図したというより他に道が無くなって強要されたってのが正しいかと。
背後に別働隊が来て退却不能に陥ってるから正面の主力叩いてから逃げるしか無くなった。
その前の高天神城攻めでは三万近い大軍で後詰めの織田軍と戦うつもりだったんだろうけど信長が来るのが遅くて(ワザと?)戦えず。
武田の支城網もあったし此処で戦ってたら兵数も含めて結果は逆だったかも分からない。
0300人間七七四年
2011/03/05(土) 01:06:12.52ID:eQlbGBlg高天神は信長が決戦を避けたんだろうね。
長篠は一万五千と見て勝負挑んだ。
もっとも武田は一回敗戦すれば終わりに近い状態になるが、
織田は負けてもなんとかなるからね。
アメリカと日本の太平洋戦争みたいなもんだ。
0301人間七七四年
2011/03/05(土) 01:12:29.37ID:pqX2xHOQそれはおいらも思った 物量が違う
武田は地図上の面積がやたら大きいからなんか信長軍団に対抗できそうに思われてるけど、
人口やGNPではケタが違うほどの国力の差があったような気がする
0302人間七七四年
2011/03/05(土) 01:21:26.52ID:vWdLUPRO他の多くの戦いでは、まさにその通りなんだが、
対武田戦においては十分な兵力を時間をかけて必ず集めた。
援軍が間に合ったのが長篠の戦いであり、
間に合わなかったのが明智城、高天神城、甲州攻め。
0303人間七七四年
2011/03/05(土) 01:32:10.76ID:MspAivBg終わりまでは言い過ぎかと。
上杉に織田がやられたり毛利とか参加した包囲網も出来てる。
後日高天神城救援も兼ねて何度も大軍で攻め寄せたりも出来たんだし。
もっとも決戦挑んでも家康は奪ったり造営した支城群に篭って出てこないしそれを攻める兵力と時間は無くなってたが。
0304人間七七四年
2011/03/05(土) 01:58:24.34ID:QeVEdNw1実際に武田は長篠の一戦で織田に対抗する力を喪失したじゃん。
徳川や北条とは何度も小競り合いしたけど長篠以降、織田に対しては
大規模な反抗作戦は一切行ってないことを考えると織田に勝てる見込みが立たなくなったということだろう。
0305人間七七四年
2011/03/05(土) 02:35:07.74ID:MspAivBg元々単独で対抗してないし、
徳川、北条と戦ってるからそんな余裕が無いってだけでしょうに。
加えて和睦したかったから手を出してないのもある。
謙信が健在で近江を脅かすような状況なら北条とも戦争して無いだろうから美濃で反攻なんてのもあり得たかと。
0306人間七七四年
2011/03/05(土) 02:48:57.81ID:rHPCf4IGほんといろいろやってるんだね。謙信対策でほんとに時間を費やしてる
川中島終わったらすぐ南進すればいいのに・・とか思ってたんだけど
結局上洛の時も越中に何度も反乱起こさせて、
謙信が越中を離れられないようにしたままの上洛だったとは。蘆名とかも使ってるし
北条氏康が遺言で信玄と結べといってくれなかったらもうチャンスはなかったね
0307人間七七四年
2011/03/05(土) 02:53:16.11ID:rHPCf4IG東とは一切戦わないというスタンスになったし、
信長は京に近く将軍が来たというのがやはり転換期だね
0308人間七七四年
2011/03/05(土) 03:00:28.69ID:MspAivBg上洛はブラフで勢力拡大が目的でしょうに。
徳川攻めで織田がロクに後詰め出せないようにした上でボコボコにしたからな。
思いがけず徳川の主力叩けたし東美濃が味方したから美濃に向かおうとした?矢先に死んでしまったけど。
0309人間七七四年
2011/03/05(土) 04:19:48.94ID:hq/GZUDy明確どころかデタラメじゃんよ。
アチコチで戦端をひらきまくって
兵力を各地に分散して
負けまくってる。
0311人間七七四年
2011/03/05(土) 05:04:24.45ID:MspAivBg上杉の援軍とか言うけど火事場泥棒でしか無いし織田の大軍みたらさっさと逃げやがったし。
おまけに調略されまくるとか無理ゲーにも程がある。
0312人間七七四年
2011/03/05(土) 06:43:54.75ID:eQlbGBlgいまどき、手取川の戦いを信じてるのか?
あれは上杉が七尾白を落としたから、織田が撤退しただけだが。
>>306
ゲームでもあるまいし、信玄がそんな早くから天下を目指してはいなかったろ。
信玄の目的はまず勢力拡大であり信濃の確保ね。
0314人間七七四年
2011/03/05(土) 07:04:09.33ID:2LFnB9EI正面からぶつかって勝ったんじゃないのはそうだけど、敵情不明で退却中に襲われたのは確かだろ。
七尾救援も失敗だから戦略的にも敗北だし。
まあ謙信がすぐ死んで全部パーになったけど。
0315人間七七四年
2011/03/05(土) 10:11:03.97ID:QagMwVeg浅井朝倉は結局、史実と同じ時期に滅亡したと思う。
0316人間七七四年
2011/03/05(土) 10:24:27.54ID:QeVEdNw1一番いいのは東美濃や遠江を織田徳川にさっさと返還して従属同盟で織田に頭を下げるしかない。
信長が認めてくれればの話だが。
しかし毛利といい、上杉といい戦国大名って勝ち目の無い絶望的な戦いになっても
なぜか最後まで戦おうとするよな。
現代人とはまるで考えが違うんだな。
0317人間七七四年
2011/03/05(土) 10:28:25.61ID:QagMwVeg0318人間七七四年
2011/03/05(土) 10:40:33.18ID:QeVEdNw1って考えないのが戦国大名なのかな?
0319人間七七四年
2011/03/05(土) 11:09:10.19ID:QagMwVeg良かったね(はあと
0320人間七七四年
2011/03/05(土) 11:12:16.49ID:Kalm266D0321人間七七四年
2011/03/05(土) 11:19:05.15ID:QagMwVeg0322人間七七四年
2011/03/05(土) 11:24:49.52ID:efUhHweV信玄存命時すら浅井は磯野投降、目下の虎御前山城に手も足も出ない
朝倉は若狭支配後退、前波吉継ら投降、一門筆頭景鏡との確執
両家の滅亡が信玄死去により早まった要因になったとはいえ
幾ら信玄でも能登畠山家に比べ状況が悪すぎて、特に浅井存続なんて非現実じゃないか
0323人間七七四年
2011/03/05(土) 11:29:31.26ID:2LFnB9EI0324人間七七四年
2011/03/05(土) 11:31:00.26ID:mH6dlgXl氏真レベルになるぐらいだったら、死ぬか出家・遁世の方がマシだと現代人の俺でも思うけど。
現代でいうと鳩山みたいな感じか。
0325人間七七四年
2011/03/05(土) 11:40:32.88ID:eF1ioXIc0326人間七七四年
2011/03/05(土) 11:49:55.79ID:mH6dlgXl信長は城主レベルの降伏は認めて、その後も統治させてるけど
大名の降伏は認めても北畠・神戸が乗っ取られたり、最悪の場合は波多野兄弟になる。
武田の場合、一武将の秋山ですら惨殺されたんだから
勝頼の方から降伏を願い出ても、それこそ小山田の最期状態になるだろ。
0327人間七七四年
2011/03/05(土) 11:59:19.07ID:2LFnB9EI秋山はちょっと特殊でしょ。
信長の叔母かなんかと婚姻してるから。
一門の木曽とか穴山は臣従認めてるし。
0328人間七七四年
2011/03/05(土) 12:06:46.52ID:mH6dlgXl勝長を返還しても征伐は開始された。
信豊その他一族は処刑されてるし、降伏しても勝頼が生かされる望みは無い
0329人間七七四年
2011/03/05(土) 12:12:28.77ID:0fry7TjM勝頼擁護論は、「滅びるしかなかった。降伏するしかなかった。」という運命論に走りがちだが、もう一度、勝頼の手腕を検証すべきだろう。
0330人間七七四年
2011/03/05(土) 12:17:43.16ID:QeVEdNw1だって勝頼が手腕を発揮するほど織田を怒らせて武田を危なくするじゃん。
0331人間七七四年
2011/03/05(土) 13:01:34.03ID:pqX2xHOQ0334人間七七四年
2011/03/05(土) 18:28:36.67ID:2LFnB9EI上杉、毛利、長宗我部も本能寺無ければ滅ぼされたろうし、北条辺りもどうなった事やら。
長篠までの流れはそう変えられないから負けた後どう振る舞うかって考えない?
0335人間七七四年
2011/03/05(土) 18:36:37.57ID:2LFnB9EI0336人間七七四年
2011/03/05(土) 19:19:11.00ID:cUYfPjZu俺にはチャンスには思えん。
あのタイミングで不識庵さんが死んだこと自体が武田にとって投了モノかも知れん。
0337人間七七四年
2011/03/05(土) 19:57:09.46ID:2LFnB9EI御館の乱で景虎が勝った場合実質的にそれに近い状況になるけど。
対徳川に専念出来る上に織田が主力差し向けても北条の後詰めが期待できる。
0338人間七七四年
2011/03/05(土) 20:27:32.39ID:NLeEZ1RB0339人間七七四年
2011/03/05(土) 20:34:23.07ID:vWdLUPRO北条との格差がそれほど無い以上配下は簡単には納得しないだろう
また武田が一元支配を放棄すれば国人達も独自にに今後の行動を考えねばならず
織田北条両者に割れと考えられる
0340人間七七四年
2011/03/05(土) 21:23:08.73ID:2LFnB9EIともあれ北条、上杉と同盟関係ならあんな末路にはなってないでしょ。
0341人間七七四年
2011/03/05(土) 21:32:22.92ID:o1+aMPC2逃げ道の選択肢が増えただけじゃないか。
0342人間七七四年
2011/03/05(土) 21:42:45.80ID:cUYfPjZu0344人間七七四年
2011/03/05(土) 22:14:05.51ID:2LFnB9EIどっちにせよ史実でもやった関東遠征で北条が太るなら織田戦の時に状況が全然違うだろ。
佐竹滅亡まではいけなくても史実の最盛期並の北条家になってれば
後詰めで5万単位の兵士が出せるから滅亡まではいかない。
0345人間七七四年
2011/03/05(土) 22:38:46.98ID:QeVEdNw10346人間七七四年
2011/03/05(土) 22:47:33.19ID:2LFnB9EIだから?元主君筋で親戚の今川家と抗争したり不倶戴天の敵だった里見と縁組みして従属させたりしてるんだけど。
織田との和睦で甲信割譲して勝頼は佐竹滅亡後の常陸に移動とかはありそうだけど。
0347人間七七四年
2011/03/05(土) 22:50:06.61ID:vWdLUPRO5万の軍勢を北条が出してくれるってのが甘い、根拠が無い
甲州崩れの時は織田の属国になってもいいのでとりあえず
関東だけは制覇させてくださいおねがい神様と願書出しちゃう北条だぞ
0348人間七七四年
2011/03/05(土) 22:56:08.70ID:2LFnB9EIそれは末期の武田に包囲網作られて劣勢だったからじゃんか。
直前に武田に寝返ったKYな武将も居たし。
上杉とも同盟という前提だから必然的に北条家は織田と敵対関係になる。
0349人間七七四年
2011/03/05(土) 23:10:42.38ID:7g7YjutV徹底抗戦してもいずれはまとめて滅亡じゃないか
北条が武田上杉を見捨てて、または敵対して織田と組んで自領の安堵を狙う可能性だってあるし
0350人間七七四年
2011/03/05(土) 23:41:09.10ID:Zoa3tawA毛利と戦うために大友が中央と結びついたように
0351人間七七四年
2011/03/05(土) 23:45:30.08ID:2LFnB9EI豊臣でもその構図になったけど結局東関東勢負けてるじゃん。
上の方にあった朝倉浅井じゃないけど直接援軍出せない上に間に武田上杉まであったら
どうにも出来ないでしょ。
大友さんにしても同じく豊臣に臣従したけど滅亡寸前までいったし。
0352人間七七四年
2011/03/05(土) 23:48:07.43ID:QeVEdNw1バカの勝頼の方から北条の機嫌を損ねるようなことばかりしてるんだから都合のいい時だけ
北条の支援を期待すな。
0353人間七七四年
2011/03/05(土) 23:51:00.02ID:2LFnB9EIそれをしない前提だと言うに・・・
まあ史実通りに始まった武田攻めはもうどう死ぬか逃げるかの議論にしかならないし。
0354人間七七四年
2011/03/05(土) 23:59:59.00ID:IsAWMFSz0355人間七七四年
2011/03/06(日) 00:05:28.22ID:dVb3zjb+まあ武田が北条に従属を申し出てきたら駿河くらいは寄こして誠意を見せろと言われてもおかしくは無いな。
それでも織田が武田攻めに本腰を入れだしたら北条はすぐに織田に協力をするだろう。
水に落ちた犬は叩けという言葉があるけど、長篠で武田は水に落ちたんだよ。
0356人間七七四年
2011/03/06(日) 00:09:57.69ID:wHsYteyK御館の乱の時も長久手の時の徳川北条同盟の時もその他ことごとく関東を優先し
終わりかけにに援軍用意する北条が武田を助けるために全力出動する根拠が無い
勝頼景虎氏政が轡を並べて織田と決戦するなど夢物語、
つかゲーム脳か
0357人間七七四年
2011/03/06(日) 00:24:37.45ID:HbJp+iAZとか言われても、
「じゃあ拠点必要なんでちょっと貸してね^^わざわざ送ってやったんだからそのくらい最低限だよね?^^」
とかなんとか、どんな無茶言われるか分かったもんじゃねえしな
0358人間七七四年
2011/03/06(日) 00:37:52.58ID:kdyjryW/終わりにかけてでも構わんよ。
史実みたいな雪崩現象でも無ければ新府捨てた後でも北条軍と甲斐に篭って抵抗出来る。
そのまま北条の臣下扱いだけど家は残る。
逆に北条倒す為に信長が臣従認めるなら北条攻めの先鋒にでも成れば良い。
0359人間七七四年
2011/03/06(日) 00:53:04.18ID:j3/9Lpgg弟分になるっていうのは 3国まとまればかなりの戦力になるし、負けそうになれば
逆に織田家に寝返ってしまえばいい ずいぶんケチになった信長公でもこのケースなら
甲斐・信濃を安堵してくれそうだ
意地張って独立してたから滅びたのかもしれないな
0360人間七七四年
2011/03/06(日) 01:57:53.05ID:FbYDSoZw第二次包囲網結成時以降は余程遠方(九州奥州)の地以外は、
織田家にとって臣従してもらうメリットがないから許されないだろうね。勝頼が織田につきますって言っても苦笑いされるだかと。
そして反織田連合が本願寺を救えない場合織田が動員出来る兵力は
信長軍・信忠軍・信孝軍・明智軍・徳川軍を主力にせめてくる。
信雄を畿内に(予備兵)残しても総勢は10〜13万くらいか…。
対する反織田は上杉北条武田で上杉は柴田に割かれ北条は関東に割かれ集まって4〜5万くらいか。
0361人間七七四年
2011/03/06(日) 02:03:36.56ID:j3/9Lpggずいぶんしぶってたからな〜 あのときの宇喜多は20〜30万石ってとこか
武田勝頼は少なく見積もっても100万石は超えてるからなあ〜
0362人間七七四年
2011/03/06(日) 07:20:50.90ID:kF9EPZJu武田の金山な中山道からの収入や上杉の青芋売却益や湊の運上金に対抗して
北条は永楽銭を大量密造してたよ。
0363人間七七四年
2011/03/06(日) 07:52:00.19ID:z9KZRQUt関東の国人衆は日和見主義者が多いから
北条と上杉が同盟したとなると北条に降るとこが多いんじゃないか?
彼らは基本的に上杉、武田、北条の軍門を転々としてたから
甲越相同盟が成立したら北条しか行き場が無くなるかと。
0364人間七七四年
2011/03/06(日) 08:31:18.14ID:p1LM5AR5史実における景勝も苦心していた問題を地盤が脆弱な景虎がより早いスケジュールでそれを達成する
というのは難易度が高い。
0365人間七七四年
2011/03/06(日) 09:20:05.50ID:3Q5GXCqjそれでも、北条の動きをけん制する勢力にはなる
具体的には、北条による武田援助を止めてくれれば織田にはそれで充分
0366人間七七四年
2011/03/06(日) 12:59:28.60ID:dzPp0T280367人間七七四年
2011/03/06(日) 15:07:24.97ID:z9KZRQUt如何に武田攻めをさせないかが重要。
0368人間七七四年
2011/03/06(日) 16:37:06.62ID:kdyjryW/自衛隊でも呼んで来ないと無理。
全ての城が高遠並に戦っても時間の問題だしな・・・
前衛の信忠軍だけなら辛うじて撃退出来るかも分からんが、
信長本軍まで後に続くからな。
0369人間七七四年
2011/03/06(日) 16:52:30.95ID:j3/9Lpggけっこうもつよね? なんであんなにバタバタ落ちちゃったかな
ほとんどの兵士が敵前逃亡しちゃってない?
0370人間七七四年
2011/03/06(日) 17:16:01.07ID:kdyjryW/力攻め出来る兵力差もあったし森さんとか森さんとか相手の武将が悪すぎたよな。
信忠も信長が止めるぐらい爆走するし。
慎重に攻めてくれたらまともに戦えたんだろうけど。
守ってた武田の一門の信廉とかも賢い?からこれは防げないって後退しちゃうしな。
踏みとどまったのが高遠だけでその高遠も持久する気ないってのがね。
0371人間七七四年
2011/03/06(日) 18:24:58.07ID:1XRfhqby0372人間七七四年
2011/03/06(日) 18:46:01.39ID:dVb3zjb+一旦は2万もが集まったのに甲斐と信濃を一往復しただけで数百人になったんだからな。
武田軍も最後は消え去ること霧の如しだな。
0373人間七七四年
2011/03/06(日) 18:48:48.33ID:vVNoEJsQ0374人間七七四年
2011/03/06(日) 19:05:54.72ID:hf7BLqxj部下が優秀で優秀とは言え雑賀攻めやら信貴山城攻めやら総大将として綺麗に成功させてるし
甲州攻めは信長が手放しで喜んだぐらいだし、力押しとは言え相当綺麗に攻めたんじゃないのかな?
0375人間七七四年
2011/03/06(日) 20:04:13.79ID:8vRtAaNkこの人が成功させられなかったのって
上月城の後詰くらいだろうけどあれは普通に考えたら消耗を避けるための戦しかしないわな
0376人間七七四年
2011/03/06(日) 22:07:44.01ID:FbYDSoZw運良く信忠倒して士気を高めて運良く家康穴山を倒して
運良く北条軍に大勝し撃退して迫る信長本隊を討ち取る
出来るかなo(`▽´)o?
0377人間七七四年
2011/03/06(日) 22:23:03.99ID:71Ob+Qelただこの同盟なら北条の後詰め次第では駿河を守りきれる可能性出てくるからかなりマシだと思う。ちゃんと岡部元信を守るように戦えば離反も出なかったろうし
金庫番かつ駿河統治の穴山とか駿河国人衆とか粗末にするからあんな悲惨な最後になるんだよ・・・
0378人間七七四年
2011/03/06(日) 22:33:05.29ID:kdyjryW/本能寺なければ毛利、上杉は正に次の武田状態だったし。
0379人間七七四年
2011/03/06(日) 22:38:59.48ID:71Ob+Qel武田が崩壊した時点で侵攻ルートが増えるから無理げー、信長に対抗するには越前駿河を防波堤にしないとなあ
0380人間七七四年
2011/03/06(日) 22:46:20.50ID:dzPp0T280381人間七七四年
2011/03/06(日) 22:56:37.74ID:xpMM2xEU信忠も割と自身が前に出てくる武将みたいだから偶然と奇跡が重ねれば
討ち取る機会も出てくるだろう
0382人間七七四年
2011/03/06(日) 23:01:16.33ID:j3/9Lpgg力攻めは無理かとあきらめさせたもんな その後は必死で抵抗の意志はないと外交交渉して、
うまいこと面目を保ったまま秀吉傘下に入った
0383人間七七四年
2011/03/06(日) 23:02:38.70ID:xJwbZE1X並の大名なら、どこかで折れてた
0384人間七七四年
2011/03/06(日) 23:03:17.56ID:vVNoEJsQ0385人間七七四年
2011/03/06(日) 23:06:25.76ID:8vRtAaNk北越後の揚北衆と越中からと北信濃から攻められたら基本守れないだろうな
支城を全部落とされて丸裸になった春日山城で籠城なんていう悲惨な状況が
起きたかもしれん
0386人間七七四年
2011/03/06(日) 23:07:38.46ID:fAmx9wma0387人間七七四年
2011/03/06(日) 23:07:57.83ID:xpMM2xEU0388人間七七四年
2011/03/06(日) 23:10:07.85ID:dzPp0T280389人間七七四年
2011/03/06(日) 23:18:59.46ID:71Ob+Qelあれは大将級にろくな人材いなかったし・・・
中入りの秀次の攻撃部隊とか堀以外まともな将が居ない。森や池田は攻勢には強いが猪だし
>>386
粗末っていうか勝頼が御しきれてない感丸出しだな・・・
0390人間七七四年
2011/03/06(日) 23:24:05.33ID:yTphIJTt信長は長島一向一揆で兄弟殺された後の結果が大殲滅で、
勝長を甲斐に持っていかれたら秋山があの有様だし、
信忠を倒したらとんでもないことになりそうだ。
0391人間七七四年
2011/03/06(日) 23:25:41.61ID:K8K/fcKi老練さが違う
0392人間七七四年
2011/03/07(月) 00:47:44.72ID:3VE7aCsc残念、佐渡は反上杉状態。
後日景勝にぶっ殺されるけど。
>>382
それは買い被り過ぎでしょ。
織田家中の内紛に首突っ込んだのに肝心の信雄の所領は毟られるてあげく梯子外されてるじゃん。
重臣が出奔したり取り舵間違えたら勝頼二号だったろ。
0393人間七七四年
2011/03/07(月) 04:02:41.82ID:ERKDDGJJ信忠殺されたら信長が大激怒なのは反論しないけど、
伊勢長島で一向一揆が皆殺しにされたのは
別に信広兄貴が殺されたからではないと思うけど・・・
0394人間七七四年
2011/03/07(月) 08:12:53.03ID:4HY6UdhZ0395人間七七四年
2011/03/07(月) 08:20:00.11ID:Az+oAhBz嫡男は既に形だけでも織田家の家督を相続しているので、買いかぶりもへったくれもないんではないか
信忠が亡くなっているからこそ、織田家の今後を決める清洲会議があったのであって、
柴田、丹羽、滝川の重鎮や森や前田を始めとした中堅はみんな信忠につくよ
信孝も津田信澄を殺すこともしなかっただろうし
0396人間七七四年
2011/03/07(月) 15:35:28.76ID:qPa6Je0Eそういう話の方がおもしろそうに思うんだが
0397人間七七四年
2011/03/07(月) 15:37:06.37ID:PswEvpXb秋の本願寺本格攻撃に向けて周辺を攻略してた織田を牽制する必要があり長篠の戦いもその一環。
織田軍を東西に奔走させて疲弊させるのが目的のはずなのに
なぜ長期対陣して本願寺の再挙兵を待たずに暴発して決戦してんだよ勝頼…
実際、毛利が海戦で大敗し補給が難しくなってしまった本願寺の大坂退去が武田滅亡フラグそのものなんだよな。
本願寺さえ支えて、決戦回避し対陣と朝廷経由の和睦を繰り返してれば織田との抗争で敗北は無い。
0398人間七七四年
2011/03/07(月) 16:59:31.09ID:WfcloP0Cあっちは寿命、信長や信忠は不意を打たれた戦死で生き延びれる可能性が少しでもあるし、後者はまだ若いので想像の範囲が広い
俺的には信玄や謙信の長生きよりも信忠や徳川信康や武田義信の方が色々考えれて楽しいんだが
0399人間七七四年
2011/03/07(月) 17:29:15.53ID:wAsk4rDZ信玄の頃ならまだしも長篠の頃は織田との決戦回避で出兵を繰り返して
織田軍を疲弊させるより国力的に武田などの包囲網の方が疲弊するのが先だろう
0400人間七七四年
2011/03/07(月) 20:01:07.29ID:8wXhm24iすぐ国力を持ち出してくるが、織田はアチコチで火種を抱えてて
強行軍で軍を各地に派遣しては破綻戦線への集結で移動しまくりであり
内実では織田の方が兵が疲弊してし軍事的負担も大きい。
信玄の死と長島一向衆の壊滅で一息つく暇もなく織田は石山本願寺により危機的状態に追い込まれている。
実際に織田はかなりの苦戦続きで好転してきたきっかけは
1578年3月謙信死去・4月赤井直正死去でわずか9歳の直義が継ぐと言うラッキーパンチがあったから。
この事態の急変は非常に大きい。
謙信死去は北陸戦線において越前一向衆への上杉の後援が後継者争いのため期待できず壊滅。
(長篠の敗戦により織田が越前一揆に攻勢に出て屈服→北陸一向衆が謙信との同盟に進んでいた)
それでも教如が指令しての加賀一向一揆衆が1582年3月の吉野谷の一揆あたりまで
織田相手に暴れて柴田らを北陸に釘付けにしてる。
赤井直正死去は越前一向衆を屈服させた後に丹波へ侵攻した明智が大敗していた
丹波丹後戦線での調略が一気に進展し1579年の中ごろになってくると
丹波の波多野兄弟・赤井直義や丹後の一色義道らが破滅し
丹波丹後が一応の安定を得て宇喜多が毛利を見捨てて秀吉側に付くことを決意させる。
この事態の推移は秀吉の自由自在の活躍を約束し、
山陰方面で秀吉による山名攻略が一気に進み但馬・因幡の占領に成功する。
1580年の別所長治(波多野兄弟と婚姻関係あり)や荒木村重の破滅へ繋がり
本願寺が朝廷を介して織田と和睦し石山退去となる。
謙信が死去しなければ加賀一向宗と共に増援される越前一向衆が息を吹き返す可能性が高く
そうなると明智や細川らの丹波丹後攻略への増援が不可能になり秀吉の行動が大きく制約され
毛利も息を吹き返して播磨への再侵攻により、別所や荒木や本願寺の籠城継続が約束されてしまう。
織田は各地へ兵力の分散を強いられ謙信と北陸一向衆同盟軍に越前が破られ下記の者達も呼応するだろう。
武田元明(丹羽に実権を奪われ本能寺の変では明智と結んで丹羽を若狭から追い出す)
京極高次(妹の竜子が元明に嫁ぎ本能寺の変では明智と結んで長浜城を落す)
0401人間七七四年
2011/03/07(月) 20:09:15.28ID:byAcwyVJ0402人間七七四年
2011/03/07(月) 20:12:32.61ID:FoNFXRFY光秀にとっては他には秀吉くらいだったりするんじゃないか
まさに丹波の赤鬼だな
0403人間七七四年
2011/03/07(月) 20:12:49.55ID:3VE7aCsc御館の乱の取り扱いは致命傷だったって事になるよな。
勝頼は名将とは呼べないけど、愚将と呼ぶには優秀過ぎて
武田家も弱小勢力では無いけど強大国とも呼べないのが不幸の始まりだったよな。
0404人間七七四年
2011/03/07(月) 20:16:22.61ID:uzjENZEl結局どこも自分の利益が優先されるから、よそに苦労させて自分は楽をしようと
思っちゃう チームスポーツじゃないけど個々が全体の利益のために戦わないと
最後の勝者にはなれない それは他人同士のあつまりじゃ絶対無理
0405人間七七四年
2011/03/07(月) 20:23:13.56ID:3VE7aCsc確率低いのは確かだけど成功例全く無いってのは言い過ぎだろ。
何を持って成功とするかもあるけど。
ナポレオン包囲網とか。まあ時代もスケールも違うけど。
ついでに何度目の正直だってのも。
0406人間七七四年
2011/03/07(月) 21:53:53.68ID:ERKDDGJJ別にそういうのは珍しいことではない。
偉大な武将でもあるいはスポーツ選手とか格闘家とか将棋棋士とかでも
生涯に勝てなかった奴の一人や二人はいる。
ただ、そういう人物を評価しすぎるのは買いかぶりすぎってもんだ。
武将や選手の評価は総合的な仙籍成果で決めるもんだ。
偉大な武将が一回や二回の戦であるいは状況も限定された中、
たまたまか勝てなかったからといって、そういう人物が最強とは限らない。
落合とか松井とかイチローと数回対戦して全て打ちとって引退した投手を最高の投手というようなもんだろ。
高校野球の時、松井秀喜が2試合ほどノーヒットに抑えられた試合があったが、
その試合で松井を打ち取った投手たちはプロにすらなれてない。
0407人間七七四年
2011/03/07(月) 21:59:35.72ID:ERKDDGJJなんだか、レスになってないぞ。
>>392は家康について言っているんだが。
ただ、家康についても過大評価は反対かな。
小牧長久手は確かに見事だけど
限定された条件の一つだしな。
あの状況では秀吉も無理できなかったし。
0408人間七七四年
2011/03/07(月) 22:05:55.75ID:PswEvpXb人心を得て国人衆を結束させる核になる人物は真田氏や秋月氏などを見てもやはり手強いよ。
兵法でも天の時が熟するまでは遠交近攻策で敵を囲んで疲弊させつつ待ち、
敵の鋭鋒を避け、敵が撤退するや進出し戦わずして勝ちを得るのは常識だし。
0409人間七七四年
2011/03/07(月) 22:11:34.65ID:ERKDDGJJいや、勿論、真田や秋月や長野や赤井が優れてないとは言わないけどさ。
だからといって彼らを最強みたいに言うのが何だかなあと思うだけ。
そういや島津義弘も赤池長任に何度も撃退されたんだっけ。
0410人間七七四年
2011/03/07(月) 22:58:39.49ID:byAcwyVJ信長の命令で波多野と一緒に攻城し
明智担当以外の三方を攻めてた波多野が裏切ったから退却した戦いだろ
波多野と同陣も信長の命令で、明智に別段非はなく、
赤井直正は城に篭ってただけだし、赤井が明智を破ったと誇れるような戦いでもないだろ
0411人間七七四年
2011/03/08(火) 00:19:06.86ID:nWQ7WIul信玄が暫く生きてても、朝倉がヘタレて撤退した時点で徳川攻略すら無理ですから。
足利三好朝倉浅井本願寺が西で織田軍の大半を引き付けてくれる事、
織田の大軍が徳川の援軍に来ない事を前提にしたのが武田の徳川侵攻だから。
武田が総動員できない翌年の夏場に本願寺以外は一掃された。
0412人間七七四年
2011/03/08(火) 03:22:07.68ID:PKUwEbx6両者とも領内は不和不平が渦巻いてどうしようもない。
信玄の上洛時期が悪い。朝倉に文句言うなら冬場前までにちゃんとでるとこまででろと。
0413人間七七四年
2011/03/08(火) 04:40:33.19ID:Cr0RUdFiそんなザコ相手に野田城・福島城の戦い〜志賀の陣で信長土下座してるんだけどな。
信玄が死んで東部第二戦線が崩壊したから兵力拘置の必要も無くなった為に確かに朝倉は不利になった。
でも大嶽砦の陥落による撤退失敗である刀根坂の戦いがあったから浅井・朝倉滅亡が確定したに過ぎない。
信玄が生存してれば戦況不利を悟ってそもそも「疲労で出陣できない」と出陣拒否する朝倉家臣も出てこない。
信玄の死が発覚というのは大きな士気の喪失であったのは間違いない。
それらの事態により山陽方面でも浦上宗景が織田に臣従することになり
一見すると西部戦線も一時的な安定を見たかのように見える。
しかしそもそもこの間、丹波から但馬への赤井直正の攻勢&山陰からの吉川元春の東進もあり
因幡山名豊国と但馬山名祐豊がさかんに信長への援軍要請をしていたが
各地で戦闘を繰り返していた織田にはもはや余剰戦力がなく見事に元春に奪い取られている。
さらに浦上を攻撃していた宇喜多は毛利(大友と和睦した)の支援を受けて
浦上を圧迫していたが信長は援軍すら出せないので敗亡してしまい毛利の播磨進出への道を開いてしまった。
長島一向衆は相変わらず猛威を振るっており、越前一向衆は守護代の前波吉継を討って一揆の国となり
同時に東美濃の明知城が勝頼により落城させられ岐阜へ撤退するなどと再び武田の脅威を感じてる。
信玄が生きて三河方面への戦線へ備えなどしていたら石山本願寺を滅亡させない限り
次々と織田は侵蝕されていくだけなのは間違いない。
0414人間七七四年
2011/03/08(火) 07:10:58.39ID:vKyYqJPp春にまた朝倉もやってきて対陣開始だし、
信長は朝廷を動かして志賀の陣の時と同じように
朝倉が撤退したい降雪時期に合わせて本願寺との和睦に持ち込むしか打開策は無かっただろね。
もちろん武田相手には三河譲渡くらいはするだろう。
ちょうど河内国の三好義継も織田方の畠山や細川を破って河内支配を確定させ大和方面で暴れてたし
1573年に信玄が死んだことで山城国から義昭が追放され、
それを受け入れた義継が若江三人衆に裏切られて敗北する流れも無くなる。
大和国人の蜂起は相変わらずだだったが義継滅亡による河内平定に伴い1574年に入り信長が興福寺に入り
東大寺で蘭邪侍を切り取るデモンストレーションをやることで
大和国人達への支配を強めていく流れも無くなってしまう。
信長は信玄の死・勝頼が長篠決戦してしまった・謙信の死の3つにむちゃくちゃ助けられてる。
0415人間七七四年
2011/03/08(火) 07:19:08.52ID:/S5ndLzaしかし、武田の兵糧ってそんなに持つのか?
ましてや武田が上洛目的ではなく東海に領土を増やす目的なら、
そこまで長期の兵糧持ってるのかなあ。
あと、謙信の死はともかく、長篠はかなり計算どおりだし、
信玄の健康状態くらいは信長にも伝わってたんじゃないの?
0416人間七七四年
2011/03/08(火) 07:22:36.82ID:/S5ndLza勝頼が退いたとしたら、織田・徳川軍のすざまじい追撃戦が始まるぞ。
それはそれでとてつもない損害が出そうだ。
0417人間七七四年
2011/03/08(火) 07:55:55.85ID:YVbrPjwd謙信玄に夢見すぎ
0418人間七七四年
2011/03/08(火) 09:03:35.62ID:W1LPPFIN朝廷の和睦斡旋は、あくまで双方が望んだ場合にしか成立しない
例えば本願寺が決起したとき、朝廷は依頼されたわけでもなく
自発的に本願寺に勅使を下し
「今回の将軍と信長の戦は天下静謐のためのものなのに
その邪魔をするとは何事か、直ちに矛を収めよ」
と停戦勧告したにもかかわらず、本願寺はガン無視して戦い続けた
朝廷の和睦斡旋なんて、その程度の実効力しかないんだよ
0420人間七七四年
2011/03/08(火) 09:44:38.03ID:OhKTwfFS史実では準備万端の相手と戦って負けた後に追撃されてるわけだから
普通に考えてそれ以上の損害が出るとも思えんがなあ
つか制御下での撤退戦なら武田の将帥には幾らでも経験があるだろうに
0422人間七七四年
2011/03/08(火) 10:53:46.91ID:PKUwEbx6時系列が崩壊しとるよ
0423人間七七四年
2011/03/08(火) 13:54:22.52ID:JnaSYjFF武田の織田攻撃が始まるのとほぼ同時に起こっている
設楽ヶ原前哨戦の寒狭川対陣では、武田が川の向こうにいる限り手の出しようがないと織田側は言ってる
酒井の鳶ヶ巣迂回攻撃はおそらくその状況打開の一策で、武田が渡河決戦を挑んでくれたおかげで結果的に退路を塞ぐ形になった
武田が寒狭川を渡らずに備えつつ、酒井を各個撃破、長篠城攻撃を継続してたら、それまでのパターンなら織田は退いたんじゃなかろうか
0424人間七七四年
2011/03/08(火) 14:03:25.18ID:W1LPPFINわざわざ畿内の諸将から鉄砲隊をかき集めたのもその一環
信長の方も、決戦とまではいかなくてもなんらかの決着をつけるつもりでいることは伺える
「それまでのパターン」は期待できないと思うよ
0425人間七七四年
2011/03/08(火) 15:36:39.88ID:PKUwEbx60426人間七七四年
2011/03/08(火) 16:04:59.41ID:yQ4ylL4g>鳶ヶ巣砦攻撃は武田の寒狭川渡河後
>武田の織田攻撃が始まるのとほぼ同時に起こっている
武田の寒狭川渡河はおそらく18日で長篠合戦の数日前、
鳶ヶ巣砦攻撃とほぼ同時なのは連子川渡河。
なので
>酒井の鳶ヶ巣迂回攻撃はおそらくその状況打開の一策
これは前提が間違っている。
>設楽ヶ原前哨戦の寒狭川対陣では、武田が川の向こうにいる限り手の出しようがないと織田側は言ってる
この部分はあっているが。
0427人間七七四年
2011/03/08(火) 16:56:41.24ID:89L9Wfcb勝頼からすれば、山の向こうの信長本陣は見えないし、土塁や柵で
固めた狭い河原は「いつものように撤退するための殿の備え」にしか
見えなかったんだろうなあ。
何倍の相手だといっても、逃亡する相手の尻をつつくにはこっちが
一万もいれば十分という考えも「それまでのパターン」からすれば
無理はないというか。閉じこもって殿を守っている舞台をつついて
いるつもりが、何時間たっても「抵抗」がやまないんでおかしいなと
いったん兵を引いてみたらワッと三倍の大軍が出てきたと。
0428人間七七四年
2011/03/08(火) 18:39:51.02ID:kj5q71bZ0429人間七七四年
2011/03/08(火) 18:42:42.21ID:W3wQN5O8問題は失敗が許されない状況というか。
0430人間七七四年
2011/03/08(火) 18:53:00.64ID:kj5q71bZ0431人間七七四年
2011/03/08(火) 19:04:02.07ID:W3wQN5O8いやいや、劣勢で包囲されてる上に野戦陣地に攻撃とか前代未聞じゃねーの?
大敗北だと桶狭間の戦いやら沖田畷の戦いとか耳川の戦いなんかあるけど、
どれも相手が城攻めしてる隙なんかを突いて破ってる戦いだし。
0432人間七七四年
2011/03/08(火) 19:18:10.96ID:/S5ndLzaそれは武田家の伝統だな。
武将が異常なまでに合戦で死傷しやすい。
上田原の板垣、甘利。
川中島の信繁、勘介。
とんでもない大物武将が死んでる。
他に原虎胤も戦で重傷になって引退してるしな。
そして長篠だ。
他の勢力は負け戦でも、ここまで武将は死なないぞ。
武田の戦のやり方ってのは武将が前に立ちすぎなのではないのか?
その方法は勝ち戦なら有効だが、負け戦だと武将がボロボロ死ぬ欠点があるんだろう。
0433人間七七四年
2011/03/08(火) 19:56:34.92ID:sZC/B0u5鉄砲戦なら別よ 地獄の信長軍団も鉄砲兵の多い本願寺相手に
ものすごい戦死者を出してる 織田一門衆もたくさん死んだ
勝頼の家臣も信長軍団の鉄砲でいっぱい死んだ 鉄砲オソロシス
0434人間七七四年
2011/03/08(火) 20:09:56.57ID:SMWRkIp5矢や投石での死傷率も高いわ
0435人間七七四年
2011/03/08(火) 20:17:47.03ID:W3wQN5O8鉄砲の方が金さえあれば揃うから移行してくけど。
0436人間七七四年
2011/03/08(火) 20:19:52.91ID:/S5ndLza確かにな。
近代戦では上位の指揮官は後方の都市で後方指揮と作戦立案に専念というのがセオリーだしな。
なぜなら、近代の戦争ではどんな有利な戦闘でも前線は銃撃や砲撃で死ぬ可能性があるからだ。
鉄砲以前の戦は確かに飛び道具として弓矢があったとはいえ、
武将が前線に出ても孤立したりしない限りは
足軽とかはには手の出ない高価で堅固な鎧兜と精鋭の近習たちと一緒に戦ってれば
そう簡単に死傷はしなかったのではないかな?
0437人間七七四年
2011/03/08(火) 21:24:07.30ID:zJ2rXISpもうちょっと何とかならなかったのか?
戦乱の世の習いとは言え信友がスケベ心を出した結果があれだよ!
0438人間七七四年
2011/03/08(火) 21:50:29.23ID:UlYaPVSI0439人間七七四年
2011/03/08(火) 22:29:27.13ID:2t7Jpcgf勝ち戦の三増峠でも浅利信種とかが討ち死にしているしな。
山県なんかもそうだけど、政権運営にも関与していたり、多数の軍役を負担している
クラスの有力な重臣が割合ころころ死んでいる印象を受けるんだよね
0440人間七七四年
2011/03/08(火) 23:13:32.04ID:lLz91JDy残った邪魔な譜代家老は飯富虎昌だけで、こいつも消した
この3重臣は信玄にとっては邪魔な存在
家柄も高く、経済力は武田本家にも匹敵する勢力
発言力も高く、信玄が家督と継いだ当初は操り人形だった
この3家が束になると主君の武田家も文句が言えなくなる
信虎追放も、この3人が主犯でしょ
0441人間七七四年
2011/03/08(火) 23:56:05.51ID:89L9Wfcb「武田甲斐軍団」じゃなく「武将の手勢の功名争い」が強さの秘密でもあり
戦闘のたびに大将格がバタバタ討ち死にする理由でもある、と。
長篠もやっぱり「おいしい戦い」だと思った連中が我先に襲いかかった側面は
あったろうね。鉄砲の一斉射撃で死んだなんてのはヨタだけど。
0442人間七七四年
2011/03/09(水) 00:18:40.10ID:WeMLHIau武田本陣が後詰めをしていたら戦況は変わっていたかもね
0443人間七七四年
2011/03/09(水) 00:40:56.67ID:OzSJ28JT後詰めしても兵力差が有り過ぎていずれは崩壊でしょ。
対上杉部隊も参陣してれば川中島みたいな消耗戦で終わったかも分からんが。
0444人間七七四年
2011/03/09(水) 01:33:26.95ID:9/M1TO1qそれにしても家老クラスがこうもバンバン死ぬのは多すぎか
他の大名家でも武将が戦死していたりとかは結構ある話だけど
家老クラスがこうも戦死している家はそう多くはないはず
0445人間七七四年
2011/03/09(水) 01:55:23.05ID:qqddxjmT重臣クラスまでが功名を焦って突撃したのかそれとも部下に示しをつけるために先陣切ったのか、どっちかな?
0446人間七七四年
2011/03/09(水) 02:04:43.95ID:hM66NkNF武田はどうでもいいクラス武将まで有名だから多く感じるかもだが
長篠はさすがに桶狭間とかと並んで異常だが
0447人間七七四年
2011/03/09(水) 02:16:51.84ID:9/M1TO1qでも今川竜造寺みたいな(負の)一発屋を除いて他にとなると・・・
0448人間七七四年
2011/03/09(水) 02:30:06.14ID:IXYy5xts信玄も村上に敗北後だけど謙信強いから決選避けて引いてたりしてるのに
長篠は全然兵力違うじゃんなあ。
でもどうせじり貧で負けるの見えてるしな
信長だって桶狭間うまくいったから良いが、一歩間違えれはあれも同じかな?、、
やぱ能力が違うか。
0449人間七七四年
2011/03/09(水) 08:15:22.31ID:ooUtB+sn0450人間七七四年
2011/03/09(水) 09:44:37.41ID:2omLzecx戦法部隊にダメージを与えたらさっと逃げろみたいな命令を
下してたわけだし。
一度勝ってしまえば、後世の歴史好きがやれ休憩中を裏道から奇襲したの
諜報戦の勝利だのとありもしないことを捏造して賞賛してくれるw
0451人間七七四年
2011/03/09(水) 09:46:23.60ID:2omLzecxなにしろ織田軍は武田と戦うたびに敗走してる。さもなきゃ
敵前逃亡。10分の1以下の武田兵相手にさえ逃げ回ってる。
ところが武田が不敗でいるあいだに京で織田の政治的地位が
どんどん上がっちゃう。勝頼としてはなんとしてもどこかで直接
戦闘で土をつけ、「信長弱兵」と全国に宣伝したい。
とすると敵前逃亡しようとする織田軍を急追して、逃げるお尻を
突付きまわして被害を与えるしかない。
長篠でノコノコ信長が出てきたのは千載一遇のラッキーチャンスと
思ったんだろうなあ。よく言われるけど、野戦築城も「逃げるのを
追っかけて来にくくするためのしんがり軍の仕事」だと思って、
いい気になって「俺の手柄だ!」と競って攻め懸けてたんだろう。
0452人間七七四年
2011/03/09(水) 11:13:42.41ID:7KFGOoqA長篠後も相手にされなかったけど徳川に決戦挑んでる。
北条相手にも同じく回避されちゃうけど挑んでる。
まあチマチマ城落とす時間も金も無いって事情もあるんだろうけど。
親父の信玄って後年は決戦らしい決戦した覚えが無いのに。
運悪く遭遇しちゃった川中島とか帰り道待ち伏せされた三増峠、
まさかの徳川出撃の三方原みたいに戦わざるを得ない時ぐらいじゃん?
0453人間七七四年
2011/03/09(水) 11:54:57.59ID:+xgOSUF8勝頼は後見役だとかいうぐらいなんで家臣の支持率はすごく低かったんだろう
それをなんとかしようと外征に走った感じがする まあ、滅亡するパターンだね
0454人間七七四年
2011/03/09(水) 12:10:48.57ID:FHj8S08D0455人間七七四年
2011/03/09(水) 12:25:33.31ID:Yp7t3OY90456人間七七四年
2011/03/09(水) 12:45:09.34ID:x46oRGEm今川本陣を「疲れている先鋒だから打ち破れ」という誤認はあったけどね
ただ、本陣を見つけたのは運でも、突撃に成功してかつ義元本陣だと気付いてからは
命令を撤回して義元を討ち取るまでそのまま戦闘続行させたのは信長の能力だろう
付け足せば、今川の別部隊が本陣襲撃に気付いて救援にくるまでのわずかな時間で
山上に陣取る自軍の数倍の敵本隊を突き崩して大将首を上げたのも、
信長軍の強さと信長の戦術能力の優秀さに他ならない
彼らにその能力と優秀さがなければ、本陣奇襲には成功しても、
本隊が立て直せば返り討ちにあうか、防がれている間に他部隊が救援に駆けつけて袋叩きだった
0457人間七七四年
2011/03/09(水) 12:53:32.49ID:7KFGOoqA山の上で逆に逃げ場が無かったみたいだが。
見晴らしは良いけど高地はそこで戦うにはあまり向いてないんじゃなかった?
出入り口塞がれると包囲された状態になるし。
付け砦攻めした後で一休み中だったって説もある事だし。
0458人間七七四年
2011/03/09(水) 17:04:44.82ID:v5G0hY8s家康が尾張を奪い、勝頼が美濃を奪えたかな?
0459人間七七四年
2011/03/09(水) 17:17:20.14ID:ooUtB+sn0460人間七七四年
2011/03/09(水) 17:27:37.66ID:qqddxjmT一応の武田家の最大版図を築いたんだろうな。
今の男は車の運転とSEXが下手だと言われるのを死ぬほど嫌がるというが
勝頼の頃は戦と子供が出来ないというのが最大のコンプレックスだったんだろうな。
0461人間七七四年
2011/03/09(水) 17:35:24.36ID:x46oRGEm逃げ場が無いなら逆に窮鼠で奮戦することになる
数の多い山上側が、数の少ない山裾側に猛攻、うん、どうして負けたのか理解できないね
0462人間七七四年
2011/03/09(水) 18:33:39.35ID:uFOpOKmYお前さんは妄想ばかりしてないで史料を見ることをお勧めするよ
なぜ信長の突撃が成功したか、義元の動向、状況がわかるから。
0463人間七七四年
2011/03/09(水) 18:38:39.58ID:7KFGOoqAあくまで本陣の話。
麓の味方は混乱するか潰走かいずれにしても戦力としてはあてにならない状況。
戦場に居た絶対数では今川側が多いけど本陣周辺は拮抗してて血路開いて逃げる途中にやられたって説。
0464人間七七四年
2011/03/09(水) 21:10:33.71ID:SiwRdxz2少人数ならそっちの方に逃げればいい。
もっとも山で遭難しないか不安だがな。
0465人間七七四年
2011/03/09(水) 21:25:32.97ID:7KFGOoqA鎧甲着てそんな所行くのかよ。
磁石も正確な地図も無い時代に自殺行為だろ。
長篠で撤退中の武田勢がやられたのにしても、
山に逃げ込めば助かったの?
0466人間七七四年
2011/03/09(水) 22:05:10.96ID:hM66NkNF0467人間七七四年
2011/03/09(水) 22:20:59.67ID:hM66NkNFたとえば北条なんかも江戸城代遠山綱景・富永直勝とか
蒲原城では家中最大知行の幻庵の息子兄弟他
二俣城での大藤政信とか結構重臣が討ち死にしてる
ガチってる所は大変なのよ、
かわいそうなのは重臣なのに討ち死にしてもだれそれな家の人たち
0468人間七七四年
2011/03/09(水) 22:41:46.79ID:v5G0hY8s0469人間七七四年
2011/03/09(水) 22:59:52.24ID:donPPvb+0470人間七七四年
2011/03/09(水) 23:15:06.29ID:7KFGOoqA100%死亡じゃないかも分からんが。
0471人間七七四年
2011/03/10(木) 04:41:58.07ID:Z1ZCdtlU0472人間七七四年
2011/03/10(木) 07:27:59.24ID:LZ3PQmiaいや、殺されるよりマシだろう。
たとえ自殺行為でも山の林に逃げた奴はたくさんいたと思うよ。
生還できるかどうかは別問題だが、
あと、鎧兜や武器は打ち捨てるのが普通。退却戦ではよくある事。
長篠で勝頼が数人の近習と逃亡してたときに家宝の兜が重すぎて捨てた逸話もある。
ただ、その兜はあとで逃げてきた別の武士が拾って帰ったそうだが。
0473人間七七四年
2011/03/10(木) 09:08:32.69ID:PI2zDtYs桶狭間の場合は味方が多勢で近くに拠点もあって、ここさえ抜ければという状況でいきなり山入りは無いよ。
結果知ってる後世の人間だから山入りの選択なんてのが出てくる。一兵卒ならともかく大将なんだし。
0474人間七七四年
2011/03/10(木) 12:04:55.55ID:91mpiNti川に流されたり、包囲されて降伏を許されず虐殺されたりが多くて、
武田軍の死者の大半はそんな落ち武者だったとよく言われていたね。
鎧を脱いでも田舎じゃあヨソモノはすぐ見つかる。
関係ないけど素人がミステリとかを書くと、山添いで育った人間は
犯人が死体を隠すときに海に投げ込み、海で育った人間は山の中に
捨てる、というシーンをよく描くそうだ。
なんでかといったら、山で育って人間にとっては都会者のはいりこめる
領域なんて自分の庭みたいなもので、そんなとこに死体が埋めてあって
気づかない人間はいないからだそうだ。海の人間にしても「なんか変な
ことがあって気づかない馬鹿はいない」という態度だからだそうで、
都会に住んでる暢気な奴らだけが
「死体は山や海に隠せば、無関心な田舎者は何年たっても気づかないだろう」
という甘い夢を見ているということらしい。
0475人間七七四年
2011/03/10(木) 12:13:08.76ID:KvOw5opa現在の林とは違って本当の原生林だから下藪とかが酷くてあまり中には入っていけないような林だったのだろうか
それだと林を突き抜けて逃げることは出来なくても隠れることは出来そうだな
0476人間七七四年
2011/03/10(木) 14:45:41.45ID:9dZNNA+Vいや、当時は整備された道やトンネルも無い時代だから山の中も
獣道みたいな林道が至る事に張り巡らされてたと考えるのが自然。
0477人間七七四年
2011/03/10(木) 15:11:23.71ID:91mpiNti迂回して背後から奇襲したので、少数の兵でも大軍に勝てた」という
妄想を信じ込まされていたので、すぐに裏手のジャングルから迂回
しようとしていい加減な地図で森林に入り込んでは立ち往生していた
そうで。ガダルカナルなんか突撃開始予定時間までに現地にたどりつく
ことさえできずに森林の中をうろついていたとか。
我々は「昔の人なら山野を平気で駆け巡れるんじゃないか」と甘い夢を
みちゃうものだけど、山を知っている人ほど、あらかじめ整備された
場所でないと入り込まないものらしい。
川中島の妻女山なんていうのも、当時は山城化されていなかったから
上杉謙信が登ったはずはないというのが常識化しているけど、昔は
キツツキ戦法が成立するかなんていうのでTV局が実験して、登山に
なれた人たちに裏山を登ってもらって「確実に遭難します」と言わせて
いたりしたものだったなあ。
0478人間七七四年
2011/03/10(木) 15:21:02.46ID:09KX0lgs予定戦場を詳細に調査したり地元の案内人地侍や国人に嘘を教えられない限りは大丈夫だろ。
伊賀越えや佐々成政のアルプス走破とかあるんだし。
旧軍のやつらは補給無視で精神力依存の作戦を立てる机上の空論インテリ馬鹿だからね…ジンギスカン作戦とかw
0480人間七七四年
2011/03/10(木) 17:07:24.19ID:Ktzf77+yごめん、後半が書いてる意味がちょっと分からないんだけど。
興味がある話だけに分かりやすく教えてもらえまいか。
0482人間七七四年
2011/03/10(木) 19:05:12.53ID:+K06OOCqhttp://hato.2ch.net/test/read.cgi/news/1299722312/
0483人間七七四年
2011/03/10(木) 22:35:16.46ID:YjvfT3nAうまいww
じっさい海沿いの人なんかだと「あんなとこにもの流すと、潮の加減で
半日後にはあそこの浦に流れ着いてくるよ」なんて言われるとか。
>>482
時代の差だろ。信虎も優秀だったけど甲斐一国。
トーナメントと同じで時代が下るほど領地は一気に増える。
地方予選を7連勝しても圏内だけど甲子園で4連勝すれば全国の大半を
制したみたいになるのと同じ。
だいたい日本地図で甲府盆地の狭さを見てみろ。
よくこれで濃尾平野や関東平野出身の人間と互角に戦えたものだと
心底感心してしまうよ。
まあそれを言ったら駿河国の平野部の狭さも印象的なんだが。
0485人間七七四年
2011/03/11(金) 01:07:09.45ID:9oPpeWs/この頃の関東は沼とかおおくて見た目程は使えないみたいだけどね。
土質も稲作向きじゃ無いし。
今でも駅名に鷺沼やら田無みたいな名残りが有ったり。
まあ甲府にせよ駿府にせよ武田が押さえた土地は平野じゃなくて盆地ばかりなのは偶然なのか必然なのか。
0486人間七七四年
2011/03/11(金) 02:17:59.18ID:3LkQ/CPw開発の余地はメチャクチャあって数百年後には日本どころか世界有数の発展地帯になれるポテンシャルがあるけど
戦国まではほとんどその力を引き出せてないという。
0487人間七七四年
2011/03/11(金) 03:35:26.89ID:3joD6m+K祭りじゃ全員同陣するんだろうか。
0488人間七七四年
2011/03/11(金) 08:53:51.20ID:fOB+8INz0489人間七七四年
2011/03/11(金) 10:04:42.51ID:KfTS2kEi0490人間七七四年
2011/03/11(金) 10:52:18.35ID:wqFoKtifってか家康って天下獲ろうって気はなかったかもしれない
ど田舎の江戸を本気で大開発してたもの 天下獲って都に戻るって感じじゃない
0491人間七七四年
2011/03/11(金) 11:17:50.94ID:9oPpeWs/戦前も経済の中心は大坂だったし。
戦後になってようやく江戸こと東京の天下が始まったんだよな。
甲府もまあなんだかんだでギリギリ東京の圏内だから救われては居るよな。
武田がこんなに注目浴びるのも家康が居ればこそだし。
0492人間七七四年
2011/03/11(金) 11:49:26.88ID:V4ftWVvq0493人間七七四年
2011/03/11(金) 12:42:48.77ID:AofI0U4E家康が武田の旧臣を取り立てなければここまで評価されなかったかもしれん
0494人間七七四年
2011/03/11(金) 15:10:50.10ID:APSby5iI後の歴史的に見ればだけど
こいつと浅井長政は得してるよなあ
0495人間七七四年
2011/03/11(金) 20:49:36.30ID:fOB+8INz家康みたいに
0496人間七七四年
2011/03/11(金) 23:55:24.83ID:PEgyYOdX家康を関東に封じたのが秀吉最大の失敗だったという説もあるくらいで、
うざい三河の譜代が家中でのさばっていたら、家康は天下なんか絶対に
取れなかったかもしれない。
思えば家康がくすねていく土地は、今川の駿河、武田の甲斐と、統治治世の
実に優れたところばかりで、北条の巻頭が決定打、それが徳川(特に駿府派では
なく江戸派)が力を付けた大きな要因になっていると思う。
0497人間七七四年
2011/03/12(土) 00:04:07.36ID:je30nJdt>うざい三河の譜代が家中でのさばっていたら、家康は天下なんか絶対に
取れなかったかもしれない。
いや、譜代が命懸けで頑張ったおかげで助かった部分の方が多いだろう。
0498人間七七四年
2011/03/12(土) 00:47:37.51ID:hVc8QcI8いや、江戸が家康がくるまで草ぼうぼうだったという説は否定されてるぞ。
家康以前から、江戸はそれなりの経済・交通の中心地だったよ。
0499人間七七四年
2011/03/12(土) 00:57:09.89ID:hVc8QcI8という有名な著作があるから読んでおいてね。
0500人間七七四年
2011/03/12(土) 09:29:15.88ID:je30nJdtそりゃ街道の交差する場所はそれなりの町が形成されてたろうけど武蔵の大半は
やはり草ぼうぼうだったろう。
0501人間七七四年
2011/03/12(土) 09:35:04.37ID:M+Qj79lH0502人間七七四年
2011/03/12(土) 11:27:03.74ID:S6ksssn5御館の乱で影虎を支援、北条と引き続き結んで背後の不安を除去
駿河、遠江で攻勢に転移
織田の援軍を引っ張り出して決戦
これで負ければ仕方ない
0503人間七七四年
2011/03/12(土) 11:27:42.57ID:S6ksssn5謙信死後の間違い
0504人間七七四年
2011/03/12(土) 13:42:24.48ID:gIzLl8bI北条の最先端統治システムって臨時徴税を繰り返してるだけだし
金融政策は単なる鬼高利貸し。
北条自身は公共事業を一切やらずに
民間や領主が公共事業やるのも申請させての許可制だろ。
0505人間七七四年
2011/03/12(土) 14:40:47.48ID:3I5rkx6x西武蔵は古代から開発が進められてきた土地
東は河川を通じて関東各地への水路が発達した、津の栄えた土地
北条領国の統治は確かに優れた部分もあったが、問題もまたあった
どうも過大評価が広まっているようにみえるな
0506人間七七四年
2011/03/12(土) 14:51:09.85ID:je30nJdt北条って公共事業全然しなかったの? モンゴル帝国と同レベルじゃないか。
でも税率は低かったんだろう?
0507人間七七四年
2011/03/12(土) 18:16:40.34ID:hVc8QcI8そうとは言い切れない。
北条の税率は「四公六民」とは言うが
それが北条領で税率が低かったという証拠にはなりきれない。
問題は税率より補足率だしな。
厳しい四公六民もあれば緩い八公二民もある。
農民が表高の数倍の隠した地はを持ってれば八公でも楽だろう。
0508人間七七四年
2011/03/12(土) 18:29:58.95ID:hMZRx5soそれが実際の土地生産量とどれだけ乖離しているかわからんからな
他にも
○○役○○銭なんかの徴収額も○○文と言っても
銭の価値やどの銭を基準にするかが国地域ごとに異なるため
これまた額が安いからと言って実際に安いとは限らない
これはあくまで一説だが
甲斐は市価が悪銭基準であるため関東と比べて、税や米の値段が数倍高いという説もある
0509人間七七四年
2011/03/12(土) 19:01:38.23ID:bMIPwb9i補足率は戦国最高レベル
実質的な税率も戦国最高レベルかもね
0510人間七七四年
2011/03/12(土) 19:59:36.01ID:je30nJdt家中の誰かの動員兵の内訳見ると3割くらいが騎兵だったんだろ?
それだけで全軍を推し量ることは出来ないかもしれないけど、それにしても騎兵が多くない?
どうやってそれほどの馬を手に入れたのかな?
0511人間七七四年
2011/03/12(土) 22:46:11.93ID:Y1EvHATb0512人間七七四年
2011/03/12(土) 22:49:46.55ID:M+Qj79lHまあ八王子の方だと今でも馬肉食べるしね。
0513人間七七四年
2011/03/12(土) 22:54:47.80ID:Y1EvHATb武田は兵科を平均的に割り当てるが北条は騎馬多目や鉄砲だけとか偏りがある
現存する軍役状を押しなべてみれば武田より若干高いくらいの十数%になる。
0514人間七七四年
2011/03/12(土) 22:54:49.39ID:hMZRx5so0516人間七七四年
2011/03/13(日) 01:22:08.85ID:n0QK2Qyc自衛しろって言って小田原引きこもって焼き払われまくるのを傍観してただけじゃん。
おまけに永楽銭の大規模密造してた疑惑があるんだよな。
どう考えても経済893だろ…
0517人間七七四年
2011/03/13(日) 01:42:33.12ID:kJeq2jn4ぜーーんぶ歩兵だって じゃあ馬はなんなのかっていうと、武士であるという身分の
証明アイテムみたいなものだったらしい 当然戦闘の際は降りて戦う
ってか、行軍中や負けて逃げるときだけつかい、陣をひいたら全員馬を降りるらしい
まあ、連絡将校とかは乗るけど きっと
武田かどっかの軍を描いた絵でそういうのがあるらしい これから戦闘開始って陣を描いた絵で、
馬はぜんぶまとめてつないでおかれてて、武将は偉い人をふくめて全員足で立ってるって
0518人間七七四年
2011/03/13(日) 01:56:08.71ID:WMDKV88H騎兵いなかったとかもう無理。
だって騎馬武者の密集突撃はどう見てもかっこいいもんな。
0519人間七七四年
2011/03/13(日) 02:09:05.49ID:P4HOYisi騎兵が無いってのは言い過ぎかと。
状況次第では騎乗戦闘もあり得たろうし。
0521人間七七四年
2011/03/13(日) 11:34:11.54ID:lTV6Cycd>勝頼「あれっ?俺来る場所間違えた?」
今いいところなのでもうしばらくお待ちくださいww
0522人間七七四年
2011/03/13(日) 12:34:18.50ID:aB/GBOS5叩いたんだっけ。
0523人間七七四年
2011/03/13(日) 16:32:31.91ID:azpg//+R大半の屏風絵をみたらサラブに近いんだけどな
0524人間七七四年
2011/03/13(日) 17:50:52.58ID:uc5899aH0526人間七七四年
2011/03/13(日) 19:03:59.29ID:vP95rKxY騎馬戦闘に関する記述は一次資料でも多数ある
騎馬兵による徒歩戦闘の描写もそれなりにあるが、
騎乗戦闘に不利な場所では徒歩で戦うという、柔軟な運用をしているということ
また、軍馬、代え馬、馬鎧と一般武士の年収以上の装備を戦闘部隊の十数%揃えるという
膨大な経費を身分の証明だけのために掛けるほど武士は馬鹿じゃないしその余裕もない
0527人間七七四年
2011/03/13(日) 19:07:36.78ID:P4HOYisi大陸の騎馬軍団みたいに決定打足りうる戦力では無いぐらいが良いとこだよね。
大陸の騎馬が花形じゃなくなるのは銃の威力が馬の足を砕くまでになってからだし。
秀吉の賤ヶ岳の馬の潰し方みるにやっぱり人を乗せて運用するには能力が不足してたみたいだし。
0528人間七七四年
2011/03/13(日) 19:15:11.57ID:vP95rKxY徒歩武者とともに侍部隊(精鋭攻撃部隊)を編成し突撃するのが主任務だから
長距離移動でどうのこうの言うのはお門違い
0529人間七七四年
2011/03/13(日) 19:25:25.01ID:aDDdBP5/武田という巨大勢力をあっさり崩壊させるくらいそれまでとは戦いの様相が変わっちゃったもんなぁ
秀吉の時代になるともっと凄まじくなるけど
もう城一個落として本拠地に帰ってまた来年城一個みたいな古い戦いが通用しないというか
甲斐信濃の場合峠を上手く利用して信忠軍を撃破くらいはして欲しかった
一応2万の兵力を揃えて勝頼自ら出陣できたんだから
0530人間七七四年
2011/03/13(日) 19:41:48.65ID:kJeq2jn4上杉家の内乱の問題で北条氏政に本気で憎まれたのが大きかったか
いや、実は武田家って当時は人気なかったのかも 武田が勝ち組だと思ってついてた雑兵たちが、
こりゃ負けるぞと思ったらみんなすぐ逃げちゃった 忠誠心なんかなかったのね
むしろえげつないことばかりする嫌な奴と思ってたのかも
現代だと三本の指に入る人気戦国大名なのにね
0531人間七七四年
2011/03/13(日) 19:42:27.20ID:ZkYLMGji0532人間七七四年
2011/03/13(日) 19:54:48.18ID:ELGrHUR7などとは絶対言われなかったろうな。
長篠だって「逃げる織田軍の尻を追撃する」つもりだった勝頼はじめ武田勢の
カン違いが生んだラッキー勝利だし、毛利も本願寺も一向に落とせなかった。
戦いは数なんだから、もっと簡単に勝っていいのに結局は相手の内部崩壊を
待っていたわけだし。
ただ伝統的に甲斐は負けると見たらすぐ離反し逃げ出す国人の集合体。
武田だって応仁の乱の時代から勝頼まで、常に国を二分してる。
0533人間七七四年
2011/03/13(日) 19:59:15.82ID:ELGrHUR7デフォの国。そんなところの守護になったら誰でも振り回される。
信昌派vs跡部派
→守護代・跡部の専横に対して非主流派が信昌を担いでクーデターに成功
信縄派vs信昌派
→跡部の孫として粛清しようとした信縄の一派が窮鼠猫を噛むクーデター
信虎派vs信恵派
→信縄の息子信虎と信昌の息子信恵を立てての争いも、旗頭の信恵が殺され決着
晴信派vs信虎派
→反信虎派が信虎の義理の息子・今川義元の力を借りてクーデターに成功
信玄派vs義信派
→非主流派が信玄の息子義信を立てた争いも、旗頭の義信が殺され決着
0534人間七七四年
2011/03/13(日) 20:15:04.29ID:vP95rKxY穴山の離反で詰み
0535人間七七四年
2011/03/13(日) 20:22:26.78ID:JqVOX4b5事前の信長の行動みてると、敵が決戦を選択するよう気を使っていることが判る
ただのラッキーで済ませられることではないね
0536人間七七四年
2011/03/13(日) 20:51:53.29ID:ELGrHUR7でも「勝頼側から川を越えてくれなかったら何ら打つ手もない」状況で
あったのも事実だからね。
だいたい決戦を選択しては本願寺や雑賀党にはボコボコにされている。
うまく行った結果だけを見て法則と思い込んでるみたいな発言が多いから
信長信者は嫌われてるって言われるのも分かる気がするよ。まあ分母が
大きいからそういうのも多いんだろうけど、いまじゃあ本気で信長は
南蛮鎧にマントつけてワイン飲んで鉄砲隊を指揮していたいたとかいう
トンチキなイメージを信じている人間もいそうだからな。
0537人間七七四年
2011/03/13(日) 21:11:58.78ID:JqVOX4b5それ以外は基本的に小競り合いと擂り潰し合いで、大規模な野戦決戦なんてそれこそ一度二度ほど
>でも「勝頼側から川を越えてくれなかったら何ら打つ手もない」状況
その状況を覆すためにいろいろと動いた、そしたら勝頼と武田軍はそれに乗ってしまった
信長の事前準備と用意周到な作戦をほめるところだろここは
逆に言うと、勝頼はあくまでも決戦を避けるか、川を渡らず織田軍が長篠城救援をしに
攻撃してきたところを迎え撃つつまり史実と立場を交替するようにできていれば、
最終的には数の問題で負けたとしても、史実ほどの大損害は避けれたかもしれないし、
織田軍も史実よりも大損害を受けただろうとは想像できる
しかし、史実の勝頼には、自軍の有利さを認識していた形跡がなく、
有利さを活かそうと動いた形跡もない
自軍の不利を正確に認識してそれを覆そうと積極的に動いた信長と、
自軍に都合のいい情報を信じて己の有利さに気づかずに捨ててしまった勝頼
勝敗は必然だったな
0539人間七七四年
2011/03/13(日) 23:07:28.90ID:azpg//+Rあれだよなw
尾張で言うところ織田家なんて守護代の家老でしかなかったんだよなw
これを甲斐でやると跡部氏の家老が織田w
初期の四天王、板垣信甘利飯富小山田は小山田以外は名門なんだよね
小山田の国力経済力は武田家と同等で、家臣の関係より武田家と同盟関係だったとみた方がいい
だから最後、小山田は裏切るが、これは同盟破棄という見方をすれば納得する
0540人間七七四年
2011/03/13(日) 23:09:56.06ID:B4cf9CJ30541人間七七四年
2011/03/14(月) 00:10:26.78ID:BptbqNN/「勝頼、信勝、長坂釣閑、典厩、小山田をはじめ、家老の者どもを残らず討ち果たした」と信長が書状に書いている。
あと、武田氏は小山田氏の上位権力といっていいし、独自性は認められるものの、同盟関係とは言いがたいかと。
とはいえ、穴山氏の河内領なんかもある程度独自の支配を行っていたようだし、これらをクセのある有力国人を纏め上げることが
できなくなったとき、一気に領国が瓦解してしまったのも道理ではあると思う。
0542人間七七四年
2011/03/14(月) 00:14:16.62ID:cCCmuNVE拡大した分のどれくらいを直轄化できたんだろう。
武田最大期の役120万石のうち武田直轄領って何割くらい?
0543人間七七四年
2011/03/14(月) 02:23:57.07ID:TQbs5bo/0544人間七七四年
2011/03/14(月) 05:44:32.61ID:xuQK3XEWどうやったらそんな考えになるんだよ。
北条との窓口ではあっても両属では無い。
0545人間七七四年
2011/03/14(月) 10:27:48.39ID:XUI6Exze>それ以外は基本的に小競り合いと擂り潰し合いで、大規模な野戦決戦なんてそれこそ一度二度ほど
織田厨の歴史認識ってホントにこま程度なんだw
そりゃ歴史板で笑いものになるわけだわ。
「小競り合い」で一体何人親族が殺されてるんだよw
0546人間七七四年
2011/03/14(月) 12:31:50.13ID:iz93lqoQ「小競り合いしかなかった」なんてどこにも書かれていないけど、文章もまともに読めないの?
それとも、自分に都合のいい部分しか目に入らない都合のいい解釈しかできない脳しか持ち合わせていないの?
0547人間七七四年
2011/03/14(月) 12:40:55.50ID:PGED3CvP同盟国上杉家ってあんまり手を貸してくれなかったよね
ま、そのせいで武田滅亡後あとを追うように滅亡しかかったけど
景勝め・・ 運が良かったな・・・
0548人間七七四年
2011/03/14(月) 12:51:32.18ID:/MtGzXbhむしろ武田に援軍してもらいたいぐらい。
西に柴田東に新発田。
0549人間七七四年
2011/03/14(月) 12:56:22.15ID:vwYysATB0550人間七七四年
2011/03/14(月) 13:27:16.66ID:cCCmuNVE武田は一族全滅したの?
0551人間七七四年
2011/03/14(月) 13:35:56.74ID:6Kme30he0552人間七七四年
2011/03/14(月) 13:44:35.85ID:PGED3CvP0553人間七七四年
2011/03/14(月) 13:57:38.89ID:3d+NjP86その後も無碍な扱われ方はされなかったみたいだし
0554人間七七四年
2011/03/14(月) 15:07:27.80ID:d7gBE4by0555人間七七四年
2011/03/14(月) 16:37:59.54ID:cCCmuNVE0556人間七七四年
2011/03/14(月) 16:47:53.14ID:MwIy0UNc0557人間七七四年
2011/03/14(月) 18:04:30.14ID:qfJiSJsh0558人間七七四年
2011/03/14(月) 18:44:36.77ID:ViSX/DgY北条家末裔の方おられるんだよね。
スレチだけど、小田原祭りとかやっぱり子孫として参加されてんの?
0559人間七七四年
2011/03/14(月) 19:23:15.66ID:DwitpOQ8なんせアレだし
0560人間七七四年
2011/03/14(月) 19:52:13.71ID:qfJiSJsh0561人間七七四年
2011/03/14(月) 22:53:54.25ID:5ZWV7jnv0562人間七七四年
2011/03/14(月) 23:26:42.82ID:6Kme30he0563人間七七四年
2011/03/14(月) 23:28:46.85ID:zwqi7UQV0564人間七七四年
2011/03/15(火) 00:09:16.09ID:sgrPFsJj北条(狭山藩主家)の子孫というと、最後の藩主に明治天皇の侍従を長く勤めた人もいたりするが
世間的にはあっちのネタが有名なんだよな・・・。
以前狭山で狭山藩北条氏の企画展がやってたけど、そのときに北条家所蔵の
史料が展示されてた。
>>561
兵力は不足してないが、といいうつつもその後二千でも三千でも出してくれるとありがたいと言っている。
0565人間七七四年
2011/03/15(火) 00:10:53.51ID:OGypgdAJ0566人間七七四年
2011/03/15(火) 00:43:23.17ID:vxflZ4Y1いや北条は笑えるが伊達はまったく笑えない。
あれは正確に言えば北条子孫じゃなく伊達子孫だから。
0567人間七七四年
2011/03/15(火) 00:53:30.31ID:JReuotU60568人間七七四年
2011/03/15(火) 01:54:26.03ID:Pc0ftrNi今の武田家直系の人も元柳沢(武田一族だけど)だけど、
信玄公の末裔だという矜持を持って行動されてる
北条家末裔の方だって自分が伊達だとは思っていないのでは
信仰的な理由で高野山の北条家菩提寺供養がどうなってるのかは知らないけど
0570人間七七四年
2011/03/15(火) 02:22:59.37ID:AcAAzmo/0571人間七七四年
2011/03/15(火) 02:36:12.01ID:OGypgdAJこの時の信忠ってかなり功を焦ってから付け入る隙がありそうだけど
地の利は武田にあるんだし戦の経験では勝頼の方が上手でしょ
最終的に滅亡は避けられないとは思うけど
0572人間七七四年
2011/03/15(火) 06:16:20.08ID:4KIWeeYo焦ってるけど如何せん武田フルボッコタイムだからな。
織田は互角以上の力持ってたから包囲網耐えたけど武田は単独で何とかなるのは徳川だけだし、それも穴山が裏切ったらもはや駿河方面では勝てない。
勝頼が助かるには信忠撃破、徳川穴山撃破、北条撃破、信長撃破と四回も短期決戦で勝たなきゃならない。
睨み合いで長期滞陣すら敗北とか無理ゲーにも程がある。
勝ったとしても北条と和平ぐらいで領土は殆ど増えないからやがては詰む
まあ豊臣、徳川みたいに織田への降伏が許されるかも知れないが。
0573人間七七四年
2011/03/15(火) 07:05:06.29ID:892aUShW無能ってほど酷い相手でもないみたいだし<信忠
0574人間七七四年
2011/03/15(火) 07:22:44.12ID:w/BPVH9+0575人間七七四年
2011/03/15(火) 08:46:13.15ID:4KIWeeYo出来たとしても睨み合いは死亡フラグだろ。
駿河から穴山と徳川、多分裏切る真田他上野衆と北条。
目の前の敵を潰して他にも当たらないとならない。
0576人間七七四年
2011/03/15(火) 09:14:43.75ID:pnLLjw4e0577人間七七四年
2011/03/15(火) 09:32:45.39ID:fEBGGjdw信忠大敗を聞いて急進してきた信長本隊を撃破
ここまで出来れば駿河、相模からの侵攻は一時的に低調になりそうだが
0578人間七七四年
2011/03/15(火) 11:44:38.87ID:dIC51zPn信忠撃破自体起こりえないんだけどな。
0579人間七七四年
2011/03/15(火) 12:09:22.41ID:fEBGGjdwやっぱり家族も捨てて越後に逃げるのが一番マシか
途中で狩られそうだけど
0580人間七七四年
2011/03/15(火) 12:10:35.78ID:mmzcPY+P木曽攻めは諦めて木曽方面の峠を固めることで飛騨方面と信忠別働隊を足止めして
飯田城方面で戦わないとならないな2月20日辺りまでに決戦して勝たないと穴山離反が確実化する
0581人間七七四年
2011/03/15(火) 13:13:35.08ID:pnLLjw4e0582人間七七四年
2011/03/15(火) 13:31:38.65ID:892aUShWあれ以上にムリゲーだろ
太平洋戦争は奇襲とは言え序盤は優勢だったじゃないか
武田攻めは序盤から劣勢だからもっとヒドイ
0583人間七七四年
2011/03/15(火) 13:38:16.86ID:QzV+L82J例え越後に逃げれたとしても、勝頼が生きてれば信長が引くとも思えず
結果的に本能寺フラグへし折られて上杉諸共滅ぼされそうだ゙
0585人間七七四年
2011/03/15(火) 15:07:01.64ID:4PoQiH7o確かに信長本隊出てたら本能寺フラグなさそうですな
>>584
勝頼の気位からしてそれは…
討ち死にしたほうが彼らしい
0586人間七七四年
2011/03/15(火) 15:45:21.87ID:c4pCvA91仁科が勝頼の信頼できる部下だったとか、ウマがあったとかは怪しい。
仁科は自分の覚悟と考えで奮戦して死んだだけだし。
そもそも、仁科の役目は「少しでも多くの織田兵を道連れにすること」ではない。
兵力の差からそれはあまり意味がない。
「少しでも時間を稼ぐこと」だろう。
一説には仁科が織田相手に奇襲攻撃をかけようと攻撃したために、結果的に早期に場内に織田勢を入れる羽目になった。
とも言われてて、それなら貝のように城門を閉じて時間稼ぎすれば良かったはず。
0587人間七七四年
2011/03/15(火) 17:25:39.50ID:dIC51zPn新府城で徹底抗戦すればよかったな。
信忠だから力攻めするだろうし織田にも大きな犠牲を与えれただろう。
真田の上田城もいいけど真田裏切るかもしれないしな。
0588人間七七四年
2011/03/15(火) 17:33:51.48ID:iLg2Ji/50589人間七七四年
2011/03/15(火) 18:13:48.52ID:aa5o0ccg大規模城郭たる新府城では逆に人手が足りなくて防御できない
あと新府の場合、援軍が期待できない
0592人間七七四年
2011/03/15(火) 18:32:34.64ID:UlOdQByF上田城はまだない。
0593人間七七四年
2011/03/15(火) 19:00:49.08ID:E8XNNmAP0595人間七七四年
2011/03/15(火) 19:05:36.74ID:UOD+zCcw新府籠城って時点で信濃や駿河が抜かれてることは決定的なわけで、最初から無理な構想なんだよな
有効性があるとしたら、北条に急襲された時くらいじゃないのか
0596人間七七四年
2011/03/15(火) 19:18:29.19ID:JReuotU6さらに媚びて誰かしらと政略結婚でもしてもらえばよかったのに
0597人間七七四年
2011/03/15(火) 19:23:48.94ID:UlOdQByF資金力もそうだけど
徳川、北条、上杉に囲まれた状態で
それだけに必要になったとはいえ
よく出来たものです。
0598人間七七四年
2011/03/15(火) 19:36:07.97ID:5+80DW5oそうでもないよ
新府城篭城だと諏訪は当然敵方の手に落ちることは想定済みなのは間違いない
ただ北信はどうか。上野はどうか。駿河はどうか。甲斐と北信を結ぶ佐久往還はどうか。
海津
諏訪
新府
攻める側からすれば諏訪を抜いても新府城篭城をされるといつ後方遮断されるかわからない
上野の兵が海津から信濃府中に押し出して中山道から木曾に向かうとこれは怖い
かと言って諏訪に来られてもやばい
または上野の兵が佐久往還を通って甲斐に出てくると横腹を突かれる危険性が高くなる
駿河の兵が新府の後詰に北上してきても危険
0599人間七七四年
2011/03/15(火) 19:42:09.01ID:50/LGUZv0600人間七七四年
2011/03/15(火) 19:49:47.41ID:n8z7XY4Y岩村城攻めも信貴山攻めも総大将としての成功を治めてるよね。
上月城の救援は後詰軍の総大将だから成功せずともそんなに貶められるようなものではない
信忠は攻めに出ると強いなあ
守りの戦はどうなのかなという気がするが
0601人間七七四年
2011/03/15(火) 20:49:17.21ID:dIC51zPn秀吉さえもが無謀な救援に突っ走る中で信忠は冷静に上月城を見捨てて最重要目標の攻略を
最優先してるとこを見ると攻守のバランスが取れた人だったのかもしれない。
0602人間七七四年
2011/03/15(火) 21:10:25.49ID:JReuotU6ぼっちゃん育ちだし、5万の大軍の指揮なんてとれるわけがない
参謀長の滝川一益、部隊長の池田恒興、河尻秀隆、森長可あたりのいうことを
ふんふんさようか、ではそうせいとか言ってただけだろ
0603人間七七四年
2011/03/15(火) 21:12:46.03ID:DEVv0PJC生け捕りにしたわけじゃないだろ。それに、人質同然の勝長を返却したことで
武田の弱体化を確信して武田征伐に踏み切ったという話もあるし、今さら媚びて
も無理だろう。
0604人間七七四年
2011/03/15(火) 21:12:53.64ID:g3Z4ifXC0605人間七七四年
2011/03/15(火) 21:16:40.97ID:YO1ydyBd武田の馬場美濃、800余りの兵を率いて東美濃侵攻。
焼き討ちを行って織田を挑発。
信長は一万余りの兵を率いて進出するが、馬場美濃は手勢を率いて
織田勢を急襲し、織田勢敗走。信長は後ろも見ないで岐阜に逃げ込んだらしい。
0607人間七七四年
2011/03/15(火) 21:23:48.62ID:LQohGSXc若くても軍歴は豊富だぞ
初陣より既に10年近い経験えて、政務も普通にこなしているし
大軍指揮もこれが初めてではない
現代人の20代とは違うだろうしさ。
まあ現代人の20代でもそれまでに10年も経験積めばそれ相応な行動は出来るだろうけど。
0608人間七七四年
2011/03/15(火) 21:23:50.45ID:c4pCvA91>だって死んだときだって信忠、24とか5とかそのへんだぜ?
本能寺の変は武田滅亡の酢か月後だ。
現代では大卒してから社会に出るのが一般的だが、
当時は14歳で元服。24、5なんて当時としてはすでにベテランだ。
その歳で「坊っちゃん」とか「若造」ということはない。
それに多くの名将と言われる人物は若いうちから目覚しい功績を挙げてる。
信忠もそうだったかもしれない。
勿論、滝川や河尻の補佐は受けたろうが、大まかなとこは自分で決めてた。
高遠城の戦いでは自ら、道具を持って城門を壊すなどして味方を鼓舞している。
0609人間七七四年
2011/03/15(火) 21:45:05.84ID:BkHcsUbi金がない俺は献血に行くっ!!!
0610人間七七四年
2011/03/15(火) 22:31:34.31ID:n8z7XY4Yその2年後長篠の戦いと岩村城の戦いで重臣を根こそぎ奪われるとは
あとは逃げ弾正と一門衆くらいしか残ってないレベルだよな・・・
0611人間七七四年
2011/03/16(水) 01:00:04.33ID:UWUsKfJN集団のトップというものは優秀な配下がいるときはそいつらに任せとけばいいんじゃない?
上が変な口を挟むと下が優秀でもグダグダになる。
0612人間七七四年
2011/03/16(水) 02:39:53.43ID:pDQPQWfj気を見るに敏だった。
0613人間七七四年
2011/03/16(水) 06:47:09.01ID:77ei1Sxdひたすら無謀な追撃を続けていただけに見えるが…。
0614人間七七四年
2011/03/16(水) 07:31:52.80ID:TyhN/xMF0615人間七七四年
2011/03/16(水) 08:02:03.97ID:qYHnyq3k0616人間七七四年
2011/03/16(水) 08:25:45.41ID:KZKKfXxY先発隊だけで潰したんだから二代目としては充分優秀だろ
それよりも武田の延命策を考えるんだ
無茶な勝頼突撃で信長本隊撃破wwwとか、
上杉や北条の援軍がきっと何とかしてくれる…とか無しで
0617人間七七四年
2011/03/16(水) 08:49:05.50ID:3Ci52GRI信忠の暴走
この辺りはつけ込む隙有りでしょ
勝頼は戦に関しては無能じゃないし
0618人間七七四年
2011/03/16(水) 08:54:21.61ID:OQAOGw700619人間七七四年
2011/03/16(水) 08:54:35.21ID:TyhN/xMFそもそも延命とか信玄の時代までさかのぼって織田の同盟国になるぐらいしか俺には思い浮かばん
更に遡って今川裏切らないという手もあるけど、そんなレベルだろ、コレ
0620人間七七四年
2011/03/16(水) 08:56:45.58ID:jsWq2gXU0621人間七七四年
2011/03/16(水) 09:20:45.17ID:77ei1Sxd信忠無視して暴走しても後で激怒を買うはずがないと思ってただろうし。
先陣武功争いの収拾がつかなかったのが真実だろう
0622人間七七四年
2011/03/16(水) 09:52:12.41ID:Xu2ZxZpT戦慣れしてるし信豊の敗北がなくて整然と合流後に野戦なら
森の突出、信忠と滝川の意見の激突による陣営の動揺
勝頼がその場にいればほくそ笑んだだろうね
0623人間七七四年
2011/03/16(水) 10:06:42.72ID:HM9MkqDG0624人間七七四年
2011/03/16(水) 10:08:51.38ID:qYHnyq3k0625人間七七四年
2011/03/16(水) 10:29:23.67ID:Xu2ZxZpT0626人間七七四年
2011/03/16(水) 11:25:44.32ID:pDQPQWfj信忠「親父アホかと。武田めっちゃ弱ってるじゃないかと」
河尻「御館様の命令は絶対でございますぞ」
滝川「御館様が来るまで陣を動かしてはなりませんぞ」
信忠「このオッサン共マジ指示待ち人間」
信忠「親父とかオッサンの意見なんざ知らないし。現場の意見が大事だし」
長可「ヒャッハー!流石若様だぜ!」
信忠「オラ、俺達だけで武田ヌッコロスぞ!!」
忠正「武田は消毒だー!」
信長「パパが行く前に武田滅ぼしちゃったの? 信くん凄いナー」
0628人間七七四年
2011/03/16(水) 12:52:32.85ID:KXR1s6wE>このオッサン共マジ指示待ち人間
こんな感じだったと思う
0629人間七七四年
2011/03/16(水) 15:13:17.60ID:UWUsKfJN滝川あたりにしてみれば当然の考えだろうね。
0630人間七七四年
2011/03/16(水) 17:02:49.82ID:OQAOGw70天正10年までくると諏訪辺りの野戦で華々しく散るか本拠地の新府城で城を枕に討ち死にが一番マシな死に方に思える。
0631人間七七四年
2011/03/16(水) 18:02:06.89ID:7bzG2bbL地の利と疲労度は勝頼有利、数と軍の錬度は信忠有利。後は条件的に織田圧倒的有利(負けなければいい)で、見物な好勝負になったかな?
信忠が低く見られる理由の一つに、華々しい野外決戦での勝利がないってのがあるからな。
0632人間七七四年
2011/03/16(水) 19:40:29.84ID:3hcE+j1jああ、でもその場合は相越同盟が破綻しないかもなのか・・・
0633人間七七四年
2011/03/16(水) 19:45:41.15ID:oI8Ex1fX信玄の病状考えれば、駿河で北条と争ったのが時間の無駄
それで今川から手を切ってきたらその時の話
0634人間七七四年
2011/03/16(水) 20:29:59.21ID:/GDuAds1勝頼が勝利を手に入れるには
1 信忠を撃破(出来れば信忠を討ち取る)
2 信忠敗北を受けて急進してきた信長本隊を撃破(信長を討ち取る)
この二つが必要だからねぇ
信長本隊さえ撃破して追い返せば徳川、北条の侵攻は止まるだろうし
どっちにしろ史実通りに出陣してそのまま信忠と激突しないと話が始まらない
0635人間七七四年
2011/03/16(水) 20:35:25.39ID:UWUsKfJN防衛線を甲斐一国まで後退させて信濃国境の八ヶ岳山麓と相模国境の岩殿と駿河国境の万沢あたりの
険阻な山道で防げないだろうか? これなら穴山のことも考えなくて済むし戦線を維持してれば
小山田も見捨てないだろう。
でも八ヶ岳山麓の甲信ルートって意外と平地が広いんだっけ? やっぱ無理だな。
0636人間七七四年
2011/03/16(水) 20:48:10.64ID:PRriECQ40637人間七七四年
2011/03/16(水) 20:58:39.29ID:r1hk4F2q0638人間七七四年
2011/03/16(水) 21:10:07.81ID:KfTEjwI30639人間七七四年
2011/03/16(水) 21:23:06.05ID:/b+EVJSE岩村城の戦いで秋山まで失ったの痛すぎる
0640人間七七四年
2011/03/16(水) 21:36:02.04ID:FlyfqCvQ滅びゆく名家の中でも一二を争うほど酷い滅びかた
人は石垣人は城
情けは味方仇は敵なり
0642人間七七四年
2011/03/16(水) 22:32:01.85ID:dn+Jlfgp0643人間七七四年
2011/03/16(水) 23:00:22.98ID:7bzG2bbL一番なのは謙信が生きて織田と敵対したら、だな
謙信が死んで上杉が内乱になったら信長はもう東に脅威を感じなくなった
次善は、信長にとって西の脅威が残っている時期に土下座する
本願寺が降伏交渉に入るまでに先に、だな
あと織田家との交渉ルートがなくなっているのがつらいな
0645人間七七四年
2011/03/16(水) 23:07:04.90ID:UWUsKfJN配下の部将も妻子や縁者全部人質に取ってる場合だけだな。
これで領民に対し徹底的に織田の残虐性を植え付けるプロパガンダ工作をしたなら軍役対象者以外にも
領民が兵糧持参で続々と志願兵になり4〜5万が死兵となって戦うかもしれない。
つまりこれくらい有り得ない事が積み重ならないと武田が持ち堪えるのは無理ということかな。
0646人間七七四年
2011/03/17(木) 00:13:30.15ID:0N06I3OQ0647人間七七四年
2011/03/17(木) 00:20:25.56ID:sf6NkkE8北条が三万の援軍だして徳川が一万五千
武田が全力動員して三万か。
これだけやっても兵力数では負ける。
まあ守備側だからなんとかなるとは思うが。
0648人間七七四年
2011/03/17(木) 00:31:45.80ID:IHuNQed4まあ小田原城とは言わないけどさ、ある程度の設備がありゃどんな大軍が
相手でも半年ぐらいはもたねーか?
0649人間七七四年
2011/03/17(木) 00:53:18.81ID:0uA2bmpd0650人間七七四年
2011/03/17(木) 02:03:19.35ID:qlt/2DFi0651人間七七四年
2011/03/17(木) 02:24:24.41ID:DQg3uV+o『負けないかも』
って思えるものがないと一戦するのも無理…。
『援軍がくる』とか『後方攪乱がある』とか『一戦後講和の可能性がある』とか。
武田はどれも当てはまらない。
必ず死ぬ戦に一族以外付き合う奴の方が稀だろ。
っか武田家の面々も織田家に相当後ろめたさがあったんだろうなー
0652人間七七四年
2011/03/17(木) 04:27:35.30ID:+Zrm62hC兵糧の心配なんかしなくても鉄砲玉の森の方から突っ込んできてくれるってもんだよな。
0653人間七七四年
2011/03/17(木) 04:38:37.96ID:wRAsIVoW0654人間七七四年
2011/03/17(木) 07:22:55.81ID:eH3nJgEhそういうの考えると結局、勝頼を見捨てて四散した武田の武士たちの
判断が正しかったということだな。
0655人間七七四年
2011/03/17(木) 09:35:26.84ID:ekHNvsZXといった外交革命を実現させるくらいの(良い意味での)厨二脳が必要だった。
武田と上杉とでは本願寺との関係に隔たりが大きいけどな!
0657人間七七四年
2011/03/17(木) 13:03:38.28ID:0N06I3OQそれ、華々しく討ち死にどころかただの虐殺劇になるぞ。
まあ史実とさして変わらん気がしないでもないが
0659人間七七四年
2011/03/17(木) 13:31:29.95ID:qlt/2DFi少なくとも、抵抗する余力もなくただ雑兵に殺されるのを待つだけなんて死に様は避けられたかも
清水宗治みたいに自身の死と引き換えに妻を実家に帰してくれとか
あるいは残された遺臣たちの処遇についてもなんらかの約束を引き出すとか
戦後の残党狩りが激しかった理由の一つが、整然と降伏する主体が消滅してしまったからというのもある
0660人間七七四年
2011/03/17(木) 14:25:15.12ID:tPIf97fR信長以外に味方いない、とか泣きついたことさえあるのに。
信玄はいい時に死んだのかもしれん。負債が帰ってくる前にそうなったから、後世過大評価される下地になった。
0661人間七七四年
2011/03/17(木) 17:26:49.53ID:BRqulltq織田包囲網とかちゃちゃいなもんじゃない
その最前線の木曽穴山小山田の動きをみりゃわかる
攻められる弱さを一番理解していたのが信玄、自身も侵略し続け攻める立場を
貫いたから攻められる立場もわかっていた
また、武田独特のモロさ、武田の地盤の弱さ、これは国人勢力が根付きすぎた甲斐信濃は弱点であると
この辺を理解していた家臣は勝頼周辺にいなかっただろう
0662人間七七四年
2011/03/17(木) 18:06:01.80ID:sf6NkkE8盆地ばっかりで独立心強い国人多かったろうしな。
北条にせよ徳川にせよ織田にせよ広い平野が根拠地だったのに対して
武田は領国が全て山地の中の盆地だけ。
今でも長野は地域別で一体感無いし。
0663人間七七四年
2011/03/17(木) 18:45:28.57ID:oEpw5lhs0664人間七七四年
2011/03/17(木) 18:48:01.43ID:0uA2bmpdこの意味わかるな?ってレベルだからなぁ。
0665人間七七四年
2011/03/17(木) 19:23:57.73ID:DVFm6q4R0666人間七七四年
2011/03/17(木) 19:27:55.52ID:RE1Ww4Uaでも信玄ってなんであのタイミングで織田を裏切ったんだ?
徳川のみならず東美濃まで軍勢進ませてるし、勝てる腹積もりにでもあったのかね
0667人間七七四年
2011/03/17(木) 19:28:49.75ID:eH3nJgEhすべての大空・すべての大陸・すべての大海・すべての帝国・すべての時・すべての宇宙を支配し
すべてを創造し・すべてを破壊し・蒼き光・蒼き氷・蒼き炎・蒼き雷を操り・すべてを越えた翼で無限を支配し・すべてをこえた数式ですべての存在を計算し・すべての形とひとつになる
すべてを存在を吸収し・すべての時をつかさどり・蒼く輝く髪をしたすべての二十代の若男の顔をもち永遠の背丈があり片腕だけですべての空間をつつむことができる
大蒼二対長角兜と大蒼完全鎧を身にまとい・究極の蒼く輝く大長剣ですべての存在を斬り裂き・すべての存在を飲み込む
すべての大空・大陸・大海を操り・すべての大外空間・大異次元・大宇宙を支配し・すべての蒼き星を身にまとい・究極の蒼大二対角鳥・蒼大二対角竜・蒼大二対角獣・蒼大二対角魚・蒼大二対角植物の大悪魔を滅ぼし
すべてを凍らせ・すべてを焼き払い・すべてを打ち砕く・北南東西をすべてつかさどり・大善悪正邪強弱すべてをこえし存在
究極の大蒼翼無限女顔巨尻天使として蒼角眼竜、蒼顔鳥、蒼千頭獣、蒼人喰蛇、蒼死魚、蒼殻蟲、蒼植花、蒼菌種と交わり肛門から無限の究極の大悪魔の卵を産卵して産む
すべての神をこえし神・無限の偽りの神・姿なき神・無限の偶像神すべてを操り宇宙を滅ぼす・究極の大霊体のみが存在しすべての世界をこえた大永久千年帝国を築く
蓁空蒼二対角二千顔刺翼帝竜・蒼異二千角食神栽鳥・蒼暗黒犠癌角殺戮山羊・蒼死凍水霊夜異呪魚を食べ続ける
大蒼空神・大北方神・大暗黒神・大蒼頭神・大蒼雷神・大蒼氷神・大蒼炎神・大戦闘機神・大戦車神・大戦艦神すべての神を支配する
すべての空を突き抜ける全宇宙無限をみおろす究極の大二対角蒼色体塔・すべての都市をこえた究極の蒼き都を支配する
蒼く逆立った輝く髪がはえ後頭部に二対の角をもつ若い男・巨大な腫瘍を後頭部にもつ若い男の顔・人間の次元には存在しない無限の若い男の顔をもつ存在
が信玄の味方になったから。
0669人間七七四年
2011/03/17(木) 19:36:42.17ID:sf6NkkE8どっかで手打ちのつもりだと思うが。
北条相手とか正にそんな感じだし。
昨日の敵は明日の友を地で行ってる人だよな。
※ただし上杉はry
0671人間七七四年
2011/03/17(木) 19:59:20.45ID:RE1Ww4Uaまあ勝算ないのに織田裏切ったら甲斐国内でリンチだよ
でも途中でおっちんだせで手打ちにしろ上洛にしろおジャンなわけだ
0672人間七七四年
2011/03/17(木) 20:04:01.55ID:akKiSgaW0673人間七七四年
2011/03/17(木) 20:17:07.52ID:OzBK8RUi信玄は生涯で百万石ぐらい切り取ったが、信長はそれより短い期間で数倍領土広げているもの。
嫉妬心か、将来飲み込まれるという危機感か。
0674人間七七四年
2011/03/17(木) 20:27:32.81ID:v3TXlMMU信長はそれでも徳川に援軍出してたんだろうか
0675人間七七四年
2011/03/17(木) 20:34:05.66ID:OzBK8RUi地力じゃ織田が上だが、武田も隙を狙って仕掛けた上決して小さな勢力じゃない。
持久戦になるだろうが、大勢は変わらん気もする。
最後は朝倉らのように各個撃破されて終わり。
信長包囲網というが、所詮は織田の膨張を恐れて野合した連中だから連携ばらばらだし。
0676人間七七四年
2011/03/17(木) 21:20:53.38ID:BRqulltq尾張と美濃だけで120万ぐらいあるからスタート地点で段違い
しかも、経済都市の津島や熱田があるから織田は最初から大国なんだよね
今川が織田と対抗するために三国同盟までしたのがいい証拠でしょう
信秀が道三と今川に挟まれてながらも余裕だったのをみても
尾張の国力の凄さが分かる
0677人間七七四年
2011/03/17(木) 21:28:06.87ID:sf6NkkE8桶狭間も上洛とか尾張制圧どころか、解包の為の後詰め出兵みたいだしね。
高天神の包囲網崩そうと勝頼も出兵してたけどあんな感じ。
少なくとも今川の方には決戦する気は無かったっけど出会い頭に本陣が戦う羽目に。
じわりじわりと尾張を浸食しようとしてたのは確かだけども。
0678人間七七四年
2011/03/17(木) 21:56:09.75ID:ESn2XlGn信玄が病死した時に家臣らとかたらって、信長に土下座をする。その時の土産として父信玄の首。
これで親父の不義理は帳消しにならんだろうか。
0679人間七七四年
2011/03/17(木) 21:59:15.54ID:wxbV+1Dyまああれが西上だったとして信玄死後もそのまま尾張に侵攻するってのが最も生き残れる可能性がありそうだが
長島一向宗と直接手を組めるし
0680人間七七四年
2011/03/17(木) 21:59:49.92ID:sf6NkkE8勝頼攻めてるうちに信玄病死。
後は信勝が穴山辺りに担がれて内乱とかか。
0681人間七七四年
2011/03/17(木) 22:00:23.97ID:0N06I3OQ>信玄が病死した時に家臣らとかたらって、信長に土下座をする。
これも相当無理があるが
>その時の土産として父信玄の首。
多分これ自分が首になるか、即刻寺に押し込められる
0682人間七七四年
2011/03/17(木) 22:02:17.82ID:wxbV+1Dy信玄は氏康や信長みたいに早めに家督譲る気はなかったんだろうか
全ての元凶はそこにありそうな気がするが
0683人間七七四年
2011/03/17(木) 22:08:09.58ID:BRqulltq美濃と徳川に圧力を掛けて織田徳川と有利な同盟を結ぶ
そして上野を制圧して越後攻略を進める
と同時に佐竹の関係を利用して北条を抑える
0684人間七七四年
2011/03/17(木) 22:11:33.73ID:0N06I3OQ0685人間七七四年
2011/03/17(木) 22:40:19.91ID:qlt/2DFiする意思はあったんだろうけど、勝頼に完全に家督を譲る前に出陣しちゃったからなー
時間の余裕があったら、今川義元のように家督を譲ってからにしたんだろうが
あるいは、死別したとはいえ、正妻で嫡男の母が信長の養女というのがひっかかったんだろうか?
0686人間七七四年
2011/03/17(木) 23:55:32.12ID:IHuNQed4不戦協定から平和条約、軍事同盟、さらに信長公の家来にしてもらうには
どれほどの貢献をしなければならないか・・・ コキ使われただろうな
勝頼は家臣にたいしてずいぶん偉そうにしたがる人だったようだから、
信長公みたいな難しい人とうまくやっていけただろうか
こうして見ると家康は天才ではないにしても相当な努力家と言えるかも
0687人間七七四年
2011/03/18(金) 00:57:38.48ID:LwpQsXwF政治の一部で駆け引き、外交の延長なのね
だから、戦争をしたところで始める前から勝敗は決している
情報戦や戦略が優れていた武将が強い
たまに桶狭間とか河越夜戦で覆ることはあるけど
信長や氏康はここが優れていた
元就信玄もね
謙信は経済力と地理的要素と名声を利用した政治活動が凄かった
戦国時代、優れ武将は、みな優れた政治家なんだな
特に情報戦を得意にした武将は強い
宣伝活動これは自国をアピールして権威を示す
忍者を使うスパイ活動、嘘の情報を流して混乱させたり自国を強く見せる流布活動
これは今の戦争と同じで、イラク湾岸戦争も米国の情報戦略で勝利した
日本や世界に本当の情報を流さず、米国が作った情報が真実で歴史になる
これが勝てば官軍の情報戦ってやつだ
0688人間七七四年
2011/03/18(金) 01:39:39.18ID:y2B7w3Se信玄の責任だよなこれ。
0689人間七七四年
2011/03/18(金) 02:58:46.97ID:rgxbPomN武田は徳川も突破出来ないし(むしろ三河から駆逐され)
美濃まで規模ある動員も出来ない
戦略的にも戦術的にも死体同然。生きた屍。
0690人間七七四年
2011/03/18(金) 03:40:47.28ID:VvG3Ycgj広い平地でつながってる大勢力の織田に勝つのは至難だよね。
なんとなく三国志の北伐の時の蜀と魏を連想した。
0691人間七七四年
2011/03/18(金) 08:43:06.49ID:EdhUo5kd0692人間七七四年
2011/03/18(金) 09:58:44.76ID:0W7H13jiつかそもそも周囲とまともな外交関係結べてないのが諸悪の根源のような
0693人間七七四年
2011/03/18(金) 10:09:30.58ID:DlBc5Oci謙信は関東遠征準備中に死んだけどw
この時に信長に同盟持ちかけてれば可能性もあったのでは?
上杉謙信と武田勝頼の川中島決戦胸熱だな
0694人間七七四年
2011/03/18(金) 12:56:53.14ID:vRYOnrdA領国疲弊、悪化しが外交戦略状況、家臣団の不和。
路線転換もできなかったし。
織田の弱味に付け込んで多少領土切り取っても、不利益のほうが大きすぎたな。
0696人間七七四年
2011/03/18(金) 15:13:40.88ID:/vc2O7cFウマウマ
なわけねーよw
0697人間七七四年
2011/03/18(金) 15:22:41.69ID:tS3n9Y3v秀吉みたいにぽんぽん全所領安堵なんかしてくれなかっただろうなあ〜
0698人間七七四年
2011/03/18(金) 15:42:11.60ID:LwpQsXwF次は上杉北条毛利の番よ
長宗我部の対応をみりゃ分かる信長の天下には外様大名は存在しない
徳川も難癖付けられて潰されるよ
だから織田と同盟して武田を攻めた北条がアホなんだと
どのみち秀吉に滅ぼされるが
0699人間七七四年
2011/03/18(金) 17:11:35.54ID:L5SJhbEhわざわざ信長が人質を出すとは思えない。
上杉滅亡後までに滝川の北条侵攻準備完了ってところだろう。
まあ信長は毛利に苦戦し、信忠は北条の籠城作戦の前に大敗するだろうが。
0700人間七七四年
2011/03/18(金) 17:12:24.56ID:EhDiz7Bq当時の尾張の国力を過大評価してないか
そんなに経済力あるなら桶狭間で1万以上の軍勢集めるわ
現実には三方ヶ原の徳川軍(約8000 当時40万石くらい?)の半分にも満たないわけで
0701人間七七四年
2011/03/18(金) 17:16:04.02ID:L5SJhbEhつかそもそも信秀からして1万5000とか動員してたんだから
信長の動員兵力は明らかに過小に記述してると思うがな
0702人間七七四年
2011/03/18(金) 17:17:59.10ID:tS3n9Y3vだからこそひたすら義元の首を狙うという戦法がとれた
0703人間七七四年
2011/03/18(金) 17:18:05.43ID:EhDiz7Bq甲州崩れの武田軍だって、おそらく甲斐・南信濃だけで公称2万
甲信60万石と考えると破格の数字
無理して狩り出したゆえに戦にならなかったという見方もできるけど
案外1万くらいのほうが決戦して散れたかも
0704人間七七四年
2011/03/18(金) 17:21:52.40ID:dh7fG0bTまだ完全に統一出来てない。
信長直轄の馬周りとかだけで戦ったからあの人数なんでしょ。
当時の今川相手だし様子見する国人多いだろうし。
武田北条に兵力割かれない今川はほぼ総動員出来るのにね。
0705人間七七四年
2011/03/18(金) 17:23:38.63ID:L5SJhbEh一度混乱して撤退する軍が生じると雪崩現象になる。
兵力差は軍事決戦ではあまりアテにならない。
0706人間七七四年
2011/03/18(金) 17:37:33.36ID:LwpQsXwF実際の桶狭間の戦いは、今川の先鋒隊駿河7000の兵が先に攻めて威圧の顔見せをした
すぐに引き返して家康を届けた感じ
なぜすぐに引き返したかは、当時の今川領は食糧難、兵糧不足で大軍を維持できる状況じゃなかった
駿河兵と入れ替わりに本体の義元が合流
だから桶狭間時の今川兵力は1万程度で、さらに兵を分割して織田の砦を攻めていたから
義元本陣は2,3千程度で信長は2千の兵で義元強襲
つーか織田も支城や砦に兵を裂いた状態の2千だから
合計する桶狭間時の織田の総動員は一万を超えていた
つまり兵力はほぼ互角だったのね
0707人間七七四年
2011/03/18(金) 18:49:05.73ID:/vc2O7cF信長の軍勢も実際より少なくした方が宣伝になるわな
織田、豊臣、徳川政権にとって織田を悪く書く理由もないし
0708人間七七四年
2011/03/18(金) 19:00:20.60ID:emwri8roあと天候も味方した。
信玄は逆に村上義清に優勢なのに伏兵食らって殺されかけているが、逃げ延びて逆襲した。
やっぱり運がいいな、名将と呼ばれる類は。
0709人間七七四年
2011/03/18(金) 20:03:24.37ID:VvG3Ycgj軍の配置を前後に長く伸ばし過ぎだよな。
0710人間七七四年
2011/03/18(金) 20:16:18.32ID:tS3n9Y3vちゃんと兵力あったし、小高いところで索敵範囲も広かった
義元公が首をとられたのはまさに武運が尽きたとしかいいようがない
もちろん悪鬼のごとく、ほかには目もくれず義元公の命のみを狙って
突っ込んで行った信長親衛隊の根性もすさまじかったけど
0712人間七七四年
2011/03/18(金) 20:35:30.32ID:VvG3Ycgj義元は前線総司令部じゃなく大本営の駿府から指示出してたほうがよかったのかな。
0713人間七七四年
2011/03/18(金) 20:47:42.00ID:y2B7w3Se0714人間七七四年
2011/03/18(金) 21:00:25.30ID:Cb6zdFDb大阪夏の陣の家康は馬に乗れたから久宝寺まで逃げ延びたんだしなぁ
義元さんも馬に乗れてれば・・・
0715人間七七四年
2011/03/18(金) 21:28:15.16ID:VvG3Ycgj頑張っても早歩き位のスピードしか出ない上に目立ちまくるよね。
立花道雪や大谷吉継くらいの指揮能力を身に着けてから来いって思うね。
0716人間七七四年
2011/03/18(金) 21:30:29.56ID:VfuNFCAH0717人間七七四年
2011/03/18(金) 21:41:28.71ID:L5SJhbEh輿に乗れるのは
身分を表すステータスなんだが。
言ってみれば輿は超高級車。
0718人間七七四年
2011/03/18(金) 21:43:31.87ID:dh7fG0bTというよりも最悪のタイミングで遭遇したみたいだが。
今川出兵は高天神囲まれた武田みたいに付城の排除が目的でしょう。
飢饉に伴う乱取り目当てもあったようだけど
付城潰して帰還中義元自身は山の上で休んでたら織田の精鋭部隊が強襲してきて、
初手の対応間違えた結果義元本隊は山に取り残されて血路開いて逃げようとしたけどやられた。
織田の救援が出てくると思われた大高城とかへの進出路は押さえて万全を期してたんだけどね〜。
信長的には付城つぶして疲弊してる今川先鋒を叩いて撤退に追い込もうとしてたらラッキーパンチになったと。
0719人間七七四年
2011/03/18(金) 21:48:27.94ID:EdhUo5kdソースは大河「信長」。
0721人間七七四年
2011/03/18(金) 22:37:04.83ID:Cb6zdFDb0724人間七七四年
2011/03/18(金) 23:03:50.72ID:0EliEvWo甲相越の和与がならないにせよ、謙信が死んだというのが痛い。
景虎と景勝、どちらに与しても勝頼にとってはどの道貧乏くじな感がある。
>>706
当時の信長に一万も動員できたとは思えんけどなあ。
尾張平定したといわれるけど、「尾張国半国は御進退たるべきことに候えども」海西郡は服部左京進が
横領し、知多郡には今川が乱入し、残り2郡も掌握できていないといわれているし、尾張国内にも今川氏が
侵食してきてる
>>712-714
義元って馬に乗って逃げてなかったっけ?
0725人間七七四年
2011/03/18(金) 23:30:16.65ID:LncC91fO>724 へのそういった周辺の押さえの兵も必要だし、そもそも鳴海城を包囲している兵力もあるし、
なにより資料的に確認できる桶狭間の兵力は信長の直属兵と熱田関係の兵力で、
林氏など他の豪族の兵力が参加していない
0726人間七七四年
2011/03/18(金) 23:30:28.68ID:dh7fG0bT馬に乗って逃げたに決まってるだろ。
もっとも山降る羽目になったから敵陣突破せにゃならなくて終わった。
平野に居たら馬で逃げれだろうな〜。
0727人間七七四年
2011/03/18(金) 23:46:03.92ID:Chfj6PY5>「尾張国半国は御進退たるべきことに候えども」
これは岩倉が健在の頃の話でその後岩倉領手に入れて
信清と春日井郡東部除いた北尾張を手に入れている
まあそれでも今川とは動員兵力に2倍以上の差があるだろうけど
0728人間七七四年
2011/03/19(土) 00:11:07.49ID:Vo5JK+pi0731人間七七四年
2011/03/19(土) 01:09:17.45ID:V/H7pDaAこのひとは鷲津砦にいたし
他にも佐久間一族が砦に配備されていた
丸根砦 鷲津砦 善照寺砦 丹下砦 中島砦に各千の兵を配置したとして
信長本体2〜3千で8千で、他の後方の拠点も空に出来ないから合わせて一万程度じゃね
0733人間七七四年
2011/03/19(土) 02:11:48.60ID:2BK7WyVoそういや武田水軍で長島援軍って現実的に出来るの?
0734人間七七四年
2011/03/19(土) 02:22:38.61ID:BIO7lNgrどの信長公記だよカス
0735人間七七四年
2011/03/19(土) 02:33:39.12ID:oa6Kt3TLそれこそ、当時の山ほどある「桶狭間の時の織田と今川は大きな兵力差があった」という
様々な史書を無視して、太閤検地の石高比較だけで妄想したり、
「それは信長の功績を高めるためのプロパガンダ」とか言って切り捨てるのは感心できない。
そんなに「桶狭間の今川と織田に兵力差がなかった」というんなら、
ちゃんと、そう書いてある資料を提示しろと言いたい。
思うに本当に石高と兵力ってそんなに関係あるのか?
本当はその土地をいかに把握し強い権力で治めてるかという要素がデカイんじゃないのか?
今川は駿河、遠江、三河を強大かつ安定した権力で掌握してたから大軍を派遣できて、
信長が信秀を継いだ頃は信長の尾張の支配力が弱かったから五千程度しか用意できなかったってだけじゃないのか?
0736人間七七四年
2011/03/19(土) 02:54:25.93ID:Fc79dLMVその結果桶狭間では兵力差が無くなったって話じゃないのか?
大名としての織田と今川に差がなかったとか無理があるだろw
0737人間七七四年
2011/03/19(土) 04:26:00.31ID:eHJhF6hYしかもこれは一次史料ではありません。
0738人間七七四年
2011/03/19(土) 07:00:31.98ID:oa6Kt3TLまあそうだな。しかし、そうとらない奴がいるんだ。
>>737
だから、それなら、
今川と織田の戦力差がなかったという史料を出してみろと。
石高からくる妄想と信長公記では比べ物にならんだろ。
あと、確か武田の史料でも
桶狭間の今川の兵力は二万余と書いてあった筈。
0740人間七七四年
2011/03/19(土) 09:10:23.47ID:/vIW+DHj一応いっておくと、桶狭間って信長が後ついでから十年は経っていて
信秀の頃には間接や上位同盟者だった土地や豪族のほとんどを
信長が直接支配掌握するようになっていたのが現状
あと、兵数に関しては、当時は公式記録でもサバ読みまくりだし
当時の一次資料でも伝聞情報となればさらに不正確になる
だからこそ石高(国力)で兵数を推測してみよう、ということが行われて
それが一定の説得力を持たれ続けてきた
0741人間七七四年
2011/03/19(土) 09:40:51.25ID:TV00KrlNそれなら三国同盟成立時点ですぐに尾張に攻め込めば圧勝だし。
0742人間七七四年
2011/03/19(土) 10:06:29.65ID:UhekeweJ尾張は石高高いから、石高でいえば三十万石超えて兵力も一万ほどになる。
>>735
>いや、俺には最近の「今川と織田にたいした力の差がなかった」とかいう説は疑問だな。
それ学説じゃなくて2chのデマ。
学者が言っているのは昔ほど圧倒的なほど国力差があったわけじゃないって程度。
>>738
二万余だっけ二万五千じゃなかったか?
>>741
>三国同盟成立時点ですぐに
この時点では三河は不安定、奥三河の平定が1557年のはず。
0743人間七七四年
2011/03/19(土) 10:39:58.33ID:s8mAXfk40745人間七七四年
2011/03/19(土) 12:45:07.07ID:YVWJP3b4ただたんに最前線の今川方の拠点があやういからたすけに行っただけかもしれんなあ〜〜
三国同盟の相手、武田・北条にくらべるとずいぶん手が進んでないかんじがする
ひょっとして義元公がずっと生きててもそのうち武田に攻め滅ぼされてたんじゃねーか?
0746人間七七四年
2011/03/19(土) 12:45:23.45ID:8jXQkLDD0747人間七七四年
2011/03/19(土) 13:16:56.79ID:Vo5JK+piよく解らないのばっかりだぞ。
兵力にしたって400年以上昔の社会システムとか正確なことが不明な部分が多いのに
石高だけで算出したところでどれほど信用できるものかわからない。
俺のオヤジが大学生の頃は桶狭間の今川軍は4万5千というのが通説だったらしいし。
0748人間七七四年
2011/03/19(土) 15:50:48.91ID:8g21T6ey信玄みたいに一国の主から始まったわけじゃなくて、親族や割拠勢力をひとつひとつ潰して傘下に入れてた時期。
敵対勢力への抑えを考えると、二千でも目いっぱい動員じゃないのかね。
たいして当時の今川は後背に不安がなく、全力を尾張に指向できたわけで。
0749人間七七四年
2011/03/19(土) 15:52:01.66ID:8jXQkLDD0750人間七七四年
2011/03/19(土) 16:11:02.03ID:YVWJP3b4あちこちの砦を一斉に攻撃させたため、本隊自体の兵力は万以下になっちゃったのかもしれない
それでも突撃してきた信長隊の10倍はあったと思うけど
0751人間七七四年
2011/03/19(土) 16:35:11.79ID:/vIW+DHjいえいえ、信長は桶狭間の前年に、国内勢力は服属させるか滅ぼすかした
今川と比べて安定していなかったというのはその通りだが、半分しかってのはない
0752人間七七四年
2011/03/19(土) 16:38:54.01ID:Vo5JK+piオヤジが読んでた山岡荘八の織田信長の記述がもう無茶苦茶なんだよ。
駿河80万石、遠江60万石とか、大嘘を平気で書いてる。
山岡って本当に信用できないよな。
徳川家康もえこひいきし過ぎな感じだし。
0753人間七七四年
2011/03/19(土) 17:07:08.29ID:V/H7pDaA事実として砦が5つあり、今川軍は同時にその砦を攻める戦をしている
織田も砦に兵を裂かないといけない状況での2000程度
だから2千VS2万5千とかありえないのよ
後、駿河国、遠江国、三河国の3カ国でも60万石程度、これは後の計算だから
当時はもっと少ない
信秀死の直後、今川は織田に対して攻勢に出ている
1554年に3国同盟を結だわけだから、この勢いで一気に叩きに行かなかったのが疑問だ
0755人間七七四年
2011/03/19(土) 18:19:00.12ID:BIO7lNgr信秀が信長に残したのは外交では美濃の義父道三の後ろ盾と三河の家康母の水野との同盟
尾張一国と大垣城を引き継がせている。
尾張が混乱してきたのは道三が家督を息子義龍に譲ったことで後ろ盾が消え
それまでの信長の遊興放蕩の行状に憤りを感じていた柴田と林のたった2家が弟信勝を擁立し義龍の後ろ盾にクーデターを起こそうとしたから。
そして義龍の介入前に信長が柴田を破っただけ。
ちゃんと家督を相続させたのに信長は尾張一国を満足に治められず失敗しそうになって混乱したに過ぎない。
兵力に関してもこの柴田戦や義元戦の信長の兵力は明らかに過小に書かれている。
0756人間七七四年
2011/03/19(土) 18:46:47.87ID:/wmbu6DN清洲織田氏と岩倉織田氏はどこへ行ったw
0757人間七七四年
2011/03/19(土) 18:49:35.17ID:VtsYe2L/0758人間七七四年
2011/03/19(土) 18:55:25.68ID:Vu1A9pV80759人間七七四年
2011/03/19(土) 18:57:34.86ID:TV00KrlN武田ではよくある事件だし。
0760人間七七四年
2011/03/19(土) 19:37:55.30ID:VtsYe2L/0761人間七七四年
2011/03/19(土) 20:00:11.95ID:BIO7lNgrんなザコは信秀にかなわなかったやつらばっかじゃん(笑)
0763人間七七四年
2011/03/19(土) 20:06:04.02ID:TV00KrlN0764人間七七四年
2011/03/19(土) 21:00:57.45ID:V/H7pDaAこの時点でどれだけ力があったから分かる
0765人間七七四年
2011/03/19(土) 21:07:04.72ID:uT/jnhTW0766人間七七四年
2011/03/19(土) 21:34:42.95ID:StCrywVj0768人間七七四年
2011/03/19(土) 22:04:48.22ID:YVWJP3b4でもそれで生き残ってりゃ武田の家督を継いでただろうから、
明智軍に捕まってぶっ殺されたのは勝頼の怨念だろうか
0769人間七七四年
2011/03/19(土) 22:06:14.55ID:V1fX3hyu0770人間七七四年
2011/03/19(土) 22:14:59.80ID:oa6Kt3TLそれはあまりに斯波が形骸化しすぎてたからだろう。
「どれだけ力があったかわかる」なんて事にならない。
0771人間七七四年
2011/03/19(土) 22:22:52.14ID:V/H7pDaA穴山信君
母親は武田信虎の娘で信玄の姉
嫁は信玄の娘
つまり、信君は勝頼を認めていなかった、諏訪の人間より自身の方が武田家に近いと
そして息子は勝頼の子信勝より、武田の跡目に相応しいと
勝頼と信君の間に争いがあったのは確かだろう
0772人間七七四年
2011/03/19(土) 23:42:15.85ID:uT/jnhTW信虎が叔父を殺し、信玄が父を追放し息子を殺したように
穴山を粛清すべきだった。
0773人間七七四年
2011/03/20(日) 00:02:35.48ID:+YBl9deW大体20万石くらいかね?尾張全域って57万石だったっけ?とすると残り
37万石。
信玄スタート時で甲斐一国で20万石。信濃40万石だけど2万石くらいは
最後まで上杉領だったからやっぱり信玄の
信濃制圧スピードって信長と比較しても遅すぎるような気がするんだけど
0775人間七七四年
2011/03/20(日) 00:35:16.62ID:+YBl9deW前まで盛り上がってた桶狭間の解釈を巡る論争だけど何で誰も指摘
しないか不思議でしょうがないんだが桶狭間って1560年だよな。
信長が岩倉織田家を完全に滅ぼして尾張を大体掌握したのが1559年。
ちなみに例の三国同盟1554年。もう1つ言うと信長が本格的に尾張統一に
動き出したのは大体その前年くらいなわけで、何で義元は5年も内戦状態の
尾張を放置してわざわざ統一勢力が現れてから尾張侵略に動くんだよ。
この時点で義元に尾張侵略の意志が無い事なんて明らかだろ。
0776人間七七四年
2011/03/20(日) 00:45:14.54ID:fYscj1sX出兵も後詰めでしょ。
付城の排除がメイン。
同盟したとは言っても武田北条ともに油断ならない相手だしね。
本拠地が近すぎるから隙あらばってのもあるだろうし。
0777人間七七四年
2011/03/20(日) 00:51:47.94ID:JbIu/tq1氏親依頼、今川氏が遠江や三河に侵攻したのは、三河が足利氏にとって大きな意味を持つ土地だったことの他に
三河が東国交易の大きな拠点で、東海道を押さえれば機内−伊勢から関東への海上交易路を支配できるから
そして三河まで抑えて伊勢の勢力と結べば尾張は伊勢湾に封じ込められるからそこまで必要なかったと
しかし永禄飢饉と呼ばれる大寒波の襲来で拡大を要求されたこと、また逆に理屈になるが尾張の統一勢力が
同じく飢饉からの脱却を狙って伊勢湾交易路に手を出すようになったことなどから、今川の尾張侵攻が選択されたのだ、と
0778人間七七四年
2011/03/20(日) 01:05:07.17ID:ysHrRI2f普通に三方ヶ原の時の徳川の兵力は8千程度
遠江を完全支配しても9千程度、駿河の最大動員は7千程度
今川の最大動員は一万六千動かせたらいい方
本国を空にすることはできないし
今川家は過大評価だと思うね、実力はたかが知れていた
義元と太原雪斎が政治家として優れていただけかなと
0779人間七七四年
2011/03/20(日) 01:09:31.86ID:Upf4IoX5言ってたけど、今川義元もそうかもしれない
すごく位の高い家だから室町将軍になりたいとは思ってたかもしれないけど、
地道に領土を広げて行こうという執念がなかったのかもしれない
もしそれが正しいなら餓狼の如く領土を広げてた武田にそのうちやられるかもしれない
0780人間七七四年
2011/03/20(日) 02:31:12.29ID:FCCHlZuT0781人間七七四年
2011/03/20(日) 02:53:59.36ID:rrbd8840信濃国の場合、それぞれの地域に諏訪、村上、木曾などの大小様々な有力国人がいて
しかも独立性が高い(今の長野県の気風にも通じる感がある)上に山がちで地理的にも
非常に治めづらい土地でもあるのが痛いな。上のほうでも指摘されているように初めて
信濃国を一元的にほぼ掌握できたのは信玄・勝頼が史上初めてという状況。
甲斐についても、武田氏は長らく支配してきたとはいえ、有力な庶家がいくつもあり、そいつらが
また一筋縄ではいかない連中ぞろいであり、信虎や信玄、勝頼はこいつらをなんとか纏め上げていかなきゃ
ならなかった(集権化に失敗した結果が信虎追放)わけで。
まあ、前提として土俵も状況も違う両者のスタート時点から序盤にかけての勢力拡大の差を単純には
比較はできないだろうな。
0782人間七七四年
2011/03/20(日) 03:01:12.37ID:fYscj1sX偉大な親父とあまりにも強大な敵、ライバルですら後の天下人。
北条さんも中央除けば最大勢力。
上杉も親父ですら倒せなかった強敵。
無理ゲー過ぎてちょっと気の毒ではあるよね。
東北辺りの大名なら活躍したと思うんだよな。
逆に勝頼ポジを誰なら凌げそう?
0783人間七七四年
2011/03/20(日) 03:26:28.49ID:FDU9AvR2そんなこと言ったって、現にあちこちの史料に
「二万五千」と書いてあるんだから仕方ないだろうが。
推定や妄想よりも史料のほうが優先されるのは言うまでもない。
0784人間七七四年
2011/03/20(日) 03:31:32.96ID:FDU9AvR2あと、三方が原でと魔側が八千程度しか動因できなかったってのは
全ての兵力を家康の手元の浜松城におくわけにはいかない。
それこそ、桶狭間の時の織田と同じく、あちこちの城や砦に配置しなくてはいかんし。
あと、遠江の支配も完全支配に程遠かったし、なにしろ武田進軍で領内が混乱してた。
その点、今川は少なくとも駿河・遠江は磐石、三河もそれに近い、尾張も一部支配してたしな。
安定して大量に動因できたんじゃないのか。
0785人間七七四年
2011/03/20(日) 03:32:14.69ID:FDU9AvR20786人間七七四年
2011/03/20(日) 04:14:43.64ID:0QJ+kmhW駿河に攻め込んだら今川一瞬で瓦解してたんじゃない?
0787人間七七四年
2011/03/20(日) 06:24:34.66ID:FDU9AvR2今川氏真も留守居してたし、ある程度の兵は残してた。
それと当時は三国同盟が磐石な状態だった。
背後に謙信などがいて後顧に憂いがあった信玄の西上戦とは違う。
0788人間七七四年
2011/03/20(日) 08:45:35.94ID:JbIu/tq1尾張の一部っても実質は鳴海城とその周辺のごくわずか
逆に三河では水野氏という大豪族が織田方だったり
0789人間七七四年
2011/03/20(日) 09:10:46.98ID:0sqrgLdk0790人間七七四年
2011/03/20(日) 09:25:36.72ID:GgWWvGzj本願寺が謙信を引き付けて、信玄の軍事行動を助けてる
あの時の謙信は越中で攻勢に出る一向衆相手に忙しくて信濃どころじゃない
0791人間七七四年
2011/03/20(日) 09:51:38.81ID:JbIu/tq1たとえそうであっても、同盟結んでもいない敵性勢力との境界を無防備にはできない。
さらに、史実では一向一揆は謙信に大打撃を受けて、本願寺は信玄に
「越後に兵を出してくれ」
と救援要請をしている。信玄は西上戦の途上でガン無視したけどね。
ちなみに越中の一向一揆はこのときの謙信の攻撃で弱体化し、以後謙信の枷にならなくなった。
もしifで信玄が病に倒れず遠征を続けていたら、フリーになった謙信が信濃か関東に出兵もありえた。
そのときに兵がなかったらどうしようもない。兵を出されてから慌てて遠征軍から兵を割いて帰国させて
防衛にあてようとしてもとても間に合わないのだから。
0792人間七七四年
2011/03/20(日) 10:11:00.16ID:+YBl9deW駿河侵略後北条領を侵略して関東を支配する気はなかったのか?
0793人間七七四年
2011/03/20(日) 10:11:31.69ID:+YBl9deW0794人間七七四年
2011/03/20(日) 10:11:45.87ID:0sqrgLdk0795人間七七四年
2011/03/20(日) 10:12:37.64ID:9dtaDXX10796人間七七四年
2011/03/20(日) 11:08:37.32ID:Upf4IoX50797人間七七四年
2011/03/20(日) 11:41:59.84ID:fu850naL0798人間七七四年
2011/03/20(日) 12:07:00.39ID:lHT5r6O2てな話題にすると「勝頼」が使えませんw
0799人間七七四年
2011/03/20(日) 12:10:51.91ID:mHFuvK5E発揮できそうだし立場的にも幸せだった、という声も昔から根強いよね。
0800人間七七四年
2011/03/20(日) 12:35:28.35ID:7khfeFf60802人間七七四年
2011/03/20(日) 12:54:58.76ID:9dtaDXX10805人間七七四年
2011/03/20(日) 16:11:34.29ID:FCCHlZuT0806人間七七四年
2011/03/20(日) 16:21:45.25ID:pQUf5JbRあとで無謀な突撃とか言われてるけどあの時退却してればしてたでチキン扱いだろうし
0807人間七七四年
2011/03/20(日) 16:35:38.51ID:ysHrRI2f五男の仁科盛信を武田においておくべきだった母親も油川夫人で武田の縁族
あとその下に葛山信貞いたが信玄死の時は10代、その下の武田信清は問題外
意外と信清は上杉家臣として天寿をまっとうしてるし仁科の息子も生き残っている徳川で旗本になっている
0809人間七七四年
2011/03/20(日) 16:45:33.22ID:pQUf5JbRその辺りは生き残りの運の良さだね
徳川が天下取ると三方原の武田軍が強すぎて負けたっていう流れになったから
武田系の家臣は優遇された感があるし
0810人間七七四年
2011/03/20(日) 16:48:13.13ID:lHL41evB織田厨が必死に自演してるから
0811人間七七四年
2011/03/20(日) 16:51:01.33ID:vOW18fm+流れ込んで来てねーか?
0812人間七七四年
2011/03/20(日) 19:43:10.12ID:0sqrgLdk0813人間七七四年
2011/03/20(日) 19:45:29.75ID:f+XMHBzI0814人間七七四年
2011/03/20(日) 19:59:02.66ID:FDU9AvR2それは違う。木曾は強固に抵抗などしてない。
>>812
それだけ「木曾義仲の子孫」というインパクトが強かったということ。
名族好みだったわけ。
もっとも木曾家が木曾義仲の子孫という可能性は極めて低いが。
あと、諏訪家は放逐なんてしてない。勝頼に家督継がせてる。
小笠原は名家だがシナの守護なので放逐はやむおえなかった。
村上は抵抗が激しすぎたのと降伏しなかったから当然。
というか、そもそも村上は信濃四郡と越後一郡を支配した大名で
信濃の領地を全て失っても越後の領地で上杉(長尾)の配下になればいいだけだったし。
0815人間七七四年
2011/03/20(日) 20:00:14.59ID:FDU9AvR20816人間七七四年
2011/03/20(日) 20:09:16.67ID:FDU9AvR2そして、村上は長尾に泣きついて徹底抗戦。
そのため武田は上杉に10年も付き合わされたり、
川中島で弟の信繁や山本勘介を失ったのだが。
これって、全部、村上のせいだろう。
信玄は村上に恨み骨髄、即座に捕らえて八つ裂きにしたいくらいだろう。
こんな奴をどうやって配下にしろと?
0817人間七七四年
2011/03/20(日) 20:17:20.69ID:t0MvLoPM信玄25000で上洛可能かどうかのスレだったら不可能でFA出てたからこっちで語ろうってなってるんじゃね?
武田の生き残りかけるんだったら義信クーデターぐらいまで遡らないと実質的に不可能じゃね?
0818人間七七四年
2011/03/20(日) 20:47:22.43ID:0QJ+kmhW村上より北に高梨ってのがいてそれが長尾家と親戚で村上と仲が悪かったのが原因らしいけど。
0819人間七七四年
2011/03/20(日) 20:49:03.27ID:Xovbyn6O木曽に勝つにはどうしたらいいかとか考えようぜ
0821人間七七四年
2011/03/20(日) 21:08:34.36ID:vOW18fm+ちょっとスレチだけど1から読み進めて思った事が1つ。
よく信玄が長生きしたら信長はヤバかったと言われるがそれは例の信玄上洛
スレで否定されたが氏康が長生きしていたらどうなったんだろう?
これ考えると面白いよね。別に氏政が無能ってわけでもないが氏康存命で
北条がもっと積極的に越後に介入して謙信の後継に景虎が就任したら
北条の国力は軽く他国を圧倒する。そうなったら北関東の大名や里見
なんかも北条に下る可能性十分あるし、武田北条の同盟は決裂しない
から関東甲信越+今の静岡と富山一帯にとんでもない大勢力ができたかもよ?
0822人間七七四年
2011/03/20(日) 21:10:29.31ID:r5/eKeNN簡単に言えば遠いから
木曽は費用と時間を掛けて完全征服するほどの要地ではない。
おとなしく言うことを聞いているのなら半独立でもokだった
0825人間七七四年
2011/03/20(日) 21:16:57.05ID:JbIu/tq1氏康が健康で長生きしたら、まず武田との和解が延長した可能性がある
そうなると、信玄最後の遠征のなかった可能性すらありうる
0826人間七七四年
2011/03/20(日) 23:46:57.23ID:ysHrRI2f領国拡大のスピードは遅いよね
信玄包囲網で上杉と同盟したけど、ただの不戦協定でしかなかった
この辺の戦略は信玄の方が上
0827人間七七四年
2011/03/21(月) 00:01:30.80ID:Qjcg5mp1氏康は武田に駿河を切り取られて面子を潰された訳だから
武田が駿河を返還しない限り、まず和解しないだろうね。
もちろん武田が駿河を手放す訳もなし。
背後に敵を抱えたまま織田と戦端は開くほど信玄は馬鹿じゃないから
美濃方面の軋轢は織田に譲歩して同盟強化。
その後は織田と親密な関係を保ったまま北条と何年も争い続けることになる。
このルートだと武田は勢力を保ったまま生き残れそう。
逆に北条は武田に足を引っ張られて関東制覇が儘ならなくなるね。
0828人間七七四年
2011/03/21(月) 00:03:39.63ID:rWfDWCWS東国20万石くらいの大名の生まれだったらどういう戦略で膨張してったと
思う?
0829人間七七四年
2011/03/21(月) 00:06:38.66ID:QiwQxwrY0830人間七七四年
2011/03/21(月) 00:16:32.88ID:cxuFmlyB0831人間七七四年
2011/03/21(月) 00:20:11.94ID:b9ulwgA6氏康が脂肪するまで数年間は
ボケてまともに喋れる状態じゃなかった
その間ボケた氏康を利用して、武田をけん制していたと見るべき
0832人間七七四年
2011/03/21(月) 00:26:14.68ID:chjnty1Yその場合隣接国が同盟国ばかりで行き場を失う徳川はどうなったのかな?
領地を治めながら織田や武田の援軍要請に応えるだけになるのだろうか
0833人間七七四年
2011/03/21(月) 00:32:04.65ID:Qjcg5mp1織田や武田の援軍として史実以上に酷使されそう。
0834人間七七四年
2011/03/21(月) 00:39:30.13ID:6tgcD9jc信玄に屈した信濃諸豪が織田と結んで対武田調略に参加してたらしい。
一気に信濃前線が崩壊したのも失地回復を狙う旧勢力の動きがあったようだ。
0836人間七七四年
2011/03/21(月) 02:26:59.65ID:aa+YH4EW単純な話あのまま上洛は難しいだろうけど、まあ信長も楽観できない、危うい状況は続いたと思うけどな。
>>826
ゲームとかあるまいし、領国拡大の速度云々とか過大評価とか一概には言えんだろ。
あと越相同盟については、単純な不戦同盟ではなくて謙信の越山も視野に入っている。三郎景虎が
謙信の養子として越後に送られたというのは、謙信の武田領出兵を期待してという面もあった。
(まあ実際にはうまく機能せず、互いに不信感を募らせた末に甲相同盟が復活するわけだが)
>>831
氏康は耄碌してしまったというよりは、病状が悪化してしまったという感じだろう。
しゃべることもままならなくなり、食事も粥と飯両方を出し、氏康が食べたいほうを指差していた
というのも晩年一年くらいの話で、少なくとも景虎が謙信の養子になるあたりまでは前面へ出ていた。
0837人間七七四年
2011/03/21(月) 10:43:23.02ID:CZKm3Ovz0838人間七七四年
2011/03/21(月) 19:37:47.87ID:EUx4xgBK信長はかなり調略してたようだ。
高天神にこもってた岡部が徳川に降伏を許されなかったのも国人の武田への不信感を増大させるため
0839人間七七四年
2011/03/21(月) 20:09:00.19ID:lpf4k8yR0840人間七七四年
2011/03/21(月) 20:12:47.60ID:cxuFmlyB0841人間七七四年
2011/03/21(月) 20:14:17.91ID:tnKbzmb0つくづくその後に恵まれなかったなぁ。
その元信討ち取った大久保氏もあんまり……だし。
0842人間七七四年
2011/03/21(月) 21:01:00.76ID:bUWkrP1F普通にプレイすれば徳川家臣団使えるから問題無いだろ。
そういや信虎も居たか。
逆説的だけど、信虎が信長の配下になってたらどうだろう?
長篠前に死んでるけど側室との子供は居たみたいだしちょっと面白そうではある。
信濃の豪族みたいに返り咲いたりしないかな?
0843人間七七四年
2011/03/21(月) 23:13:34.08ID:RN3Gn2ky最大最後の好機だと見たのだろうけど、織田との外交関係を壊さないまま
対北条戦を継続する道もあったんじゃねーかな。
そりゃあ北条の地力を考えると簡単には滅ぼせないだろうが、史実より
武田に優位な関係に持ち込む講和も強要できたかも知れないぜ。
0844人間七七四年
2011/03/21(月) 23:48:11.39ID:q2s74hF/一歩も進出できないだろう。
北条も一番領土を広げたいのは東方だから駿河や上野取られても大して痛くない。
0845人間七七四年
2011/03/22(火) 00:32:34.45ID:upxt+4Q8スンナリいく家の方が少ない、家臣の勢力争いや一門の争いが起きたり他家からの介入もある
織田上杉伊達今川毛利元就大友、そして信玄もクーデターで担がれた主君だ
信玄は相当悩んでいたわけよ
自分が死ぬことと、諏訪勝頼に後を継がせることにね
で結果、親類衆は分からんが、家臣が団の分裂、反乱は起きなかった
それだけ家臣団が信玄を崇拝していたからだし
西上作戦は結果、大成功で武田家にとっては最高の状態だった
その最中での信玄の死、信玄は自分の死までも将棋の駒にしたと思うね
諏訪の人間が武田家を継ぐとか普通は荒れる
その荒れるのを見越して、戦のどさくさと自らの死の緊急事態でうやむやにした
0846人間七七四年
2011/03/22(火) 00:37:12.27ID:mXF0TWhC勝頼ですら上杉の邪魔が無いとはいえ、上野国ほぼ掌握出来たしね。
まだ里見も健在だし北条包囲網しければいけそうな気がしないでも。
って謙信が邪魔だな。
0848人間七七四年
2011/03/22(火) 02:57:55.49ID:JUTjZRnt代わりに弟を差し出す氏政を見ると兄弟仲が良いとは思えない
0849人間七七四年
2011/03/22(火) 04:08:03.88ID:aJpkUcvj氏政もその辺を自覚してるから御館じゃ消極的だったのかもしれん。
こいつが上杉を継いでも素直に従ってはくれんだろうなって感じ。
0850人間七七四年
2011/03/22(火) 07:37:46.62ID:IPV//5jQ最新の研究では信長公記は70種類。
織田厨にはどの信長記を出典にしてレスを書いてるのか
常に表記してもらわないと落書きレベルの扱いにしか思えないな。
0851人間七七四年
2011/03/22(火) 12:22:01.21ID:GudcPIQl最新の研究のソースだせよ。じゃないとこれも落書き同然。
0853人間七七四年
2011/03/22(火) 13:05:18.42ID:g8B1dVKmそれをやろうとしたら泥沼にハマって終わってただろう
信玄は落とし所よく分かってた
よくわからずにそれをやろうとして滅亡一直線が勝頼
0854人間七七四年
2011/03/22(火) 13:14:27.90ID:jIBgJF++0855人間七七四年
2011/03/22(火) 13:33:24.59ID:9sO7eBg7秀吉の時代ほど小田原城の防衛力高くないし、謙信の詰めが甘かった
だけで織田と同盟組んで背後に敵がいない状態の信玄が総力戦を
挑めば結果は変わってくるだろ?
0856人間七七四年
2011/03/22(火) 13:50:04.50ID:iLIDGtOU謙信もそれで難儀したし。
0857人間七七四年
2011/03/22(火) 14:26:03.23ID:Hg9ieTVBそうそう。 北条の怖いところは一見守り一辺倒に見えていつの間にか
蜘蛛の巣のような支城ネットワークの網に取り込んで敵を雁字搦めにしてしまうとこなんだよ。
謙信も信玄もそのシステムの前に退けられた。
もっと後期だと秀吉みたいに圧倒的な兵力で飽和攻撃を仕掛けてようやく勝てるような感じ。
それでも秀吉側も補給線がやばかったと言う説があるくらい。
0858人間七七四年
2011/03/22(火) 14:47:19.88ID:vkfXPYxX0859人間七七四年
2011/03/22(火) 16:03:56.13ID:IcoXmZnZそもそも謙信は関東管領就任するために来ただけから
川越城や江戸城も落としてない。
信玄も同様に滝山城などを落とさず小田原城へ向かってる。
補給線を無視して敵中深く侵攻してるのは小田原城を本気で落とそうと考えてないから。
0860人間七七四年
2011/03/22(火) 16:21:24.63ID:vbkJYuKn謙信は諸城を囲んで合戦に及んでいるが。大槻合戦のように、支戦で不利だったので結果として就任式がメインになっただけ。
信玄もまた滝山城等を攻撃して、落とせずに小田原いって相手を挑発して決戦を望んだが相手が長期戦の構えだったので引いた。
そもそもなんで織田厨扱いになるんだ。
史実を言う=織田厨ってことか? お前の中だけではw
0861人間七七四年
2011/03/22(火) 16:28:39.50ID:IcoXmZnZ武田にしたって滝山城なんて落城寸前にして追撃能力を喪失させてから小田原へ南下したに過ぎない。
信玄の前に滝山城が使いものにならんから八王子城の築城が始まったわけだが。
0862人間七七四年
2011/03/22(火) 16:34:39.73ID:vbkJYuKn実際に戦ったり攻めたりした城をあげたのに、何をボケてるんだ。
そして結局、信玄が滝山を攻めたりしたことは認めざるを得ないとwww
無知が他人を罵倒しての恥をかくだけだぞ。
0863人間七七四年
2011/03/22(火) 16:36:44.24ID:rfGAvn9D囲みながら落としたのが正しいだろ。
それだけの兵力もあったし。
後は北条側が小田原に兵力を割きすぎて有効な防御を支城が出来なかったのもある。
0864人間七七四年
2011/03/22(火) 16:39:48.27ID:/W7rgrmZ佐竹などが嫌がったから撤退に追い込まれただけで
0865人間七七四年
2011/03/22(火) 16:52:49.94ID:IcoXmZnZ指摘されて火病発病してやんの。
江戸城や川越城を落とさずに小田原城落としたところでどうやって維持するつもりだったのか教えてくれよ。
0866人間七七四年
2011/03/22(火) 17:01:13.60ID:93EItKS2単体ならどんな堅城も持ちこたえるのには限界がある。
最低でも封鎖を続けられるだけの支戦力がないと辛いだろうな。
0867人間七七四年
2011/03/22(火) 17:07:06.71ID:IcoXmZnZ本気で小田原城を攻略する気持ちなんてさらさらない。
0868人間七七四年
2011/03/22(火) 17:08:21.52ID:Hg9ieTVB>指摘されて火病発病してやんの。
子供のケンカみたいなバカな書き方するな。 どうせいい歳だろう?
0869人間七七四年
2011/03/22(火) 17:37:06.55ID:upxt+4Q8無謀もいい所
0870人間七七四年
2011/03/22(火) 17:45:31.80ID:IUD+PBt/あるらしいね
0871人間七七四年
2011/03/22(火) 18:04:00.31ID:/nObPhCZそれに対する反論がさらに信憑性のない史料を持ち出したり、
そらにひどくなると自分の推測とか妄想を語りだすんだよな。
0872人間七七四年
2011/03/22(火) 19:22:41.02ID:qXhmsxjcその信玄の行動にたいして最低限の基礎知識もなくほざき、指摘されると織田厨とか逆切れ。
普通に無様だし邪魔なんだが。
0873人間七七四年
2011/03/22(火) 19:27:03.44ID:xACFkYe2小山田や内藤からの支援が得られるからな
謙信と違い信玄は佐竹、里見ら関東勢の協力が得られなかったのは誤算だろう
結局は津久井の武田勢が北条に靡いてしまった
八王子城築城、改築は時期的にも対武田防衛、津久井の支配権を高める賦役じゃないか
0874人間七七四年
2011/03/22(火) 19:33:10.03ID:/W7rgrmZ0875人間七七四年
2011/03/22(火) 19:47:07.46ID:JUTjZRnt駿河攻略の牽制以外にも、武田と争うのは高く付くと言う事を北条に思い知らせる意味があったと思う。
そのために北条領を広く浅く荒らして回る必要があったのだろう。
それと落城寸前の滝山をあえて落とさなかった所を観ると、
この時点で信玄は駿河攻略後の最同盟まで視野に入れていたのかも知れない。
城を落として自領化しちゃうと和平交渉が面倒になるからね。
0876人間七七四年
2011/03/22(火) 19:50:11.47ID:xACFkYe2軍勢を率いて抗戦できたのは玉砕した信豊ぐらい
0877人間七七四年
2011/03/22(火) 19:51:02.20ID:qXhmsxjc北条を屈服させるつもりでやったが、支城さえ思ったより手ごわかったので途中で方針転換したんじゃないかね。
何よりあの状況じゃ兵糧が続かない。
0878人間七七四年
2011/03/22(火) 20:09:17.31ID:xACFkYe2北条の援軍として信濃や関東に謙信が侵入して来ても迅速に対応出来る
示威行為なら落とせる城は落とした方が効果的
和平時に破却なり返還すれば貸しが増えるし、なにより小田原に進む危険を避けられる
0879人間七七四年
2011/03/22(火) 20:25:15.69ID:JUTjZRnt短期間の牽制のつもりが予想以上にうまく行ったため、つい深入りしてしまったんじゃないの。
北条を屈服させるつもりなら、それこそ甲斐から直接小田原に行くでしょ。滝山から小田原は無駄の多すぎるルート。
>>878
負けたわけでもないのに落とした城を返却したら血を流した家臣は納得しないし、
北条側も借りと思うよりは武田が弱気になってると思うんじゃない?
0882人間七七四年
2011/03/22(火) 21:07:55.82ID:/W7rgrmZ0883人間七七四年
2011/03/22(火) 21:13:11.59ID:v38HEXZt小田原にかかずりあっている間にこれが背後からきたらかなり危険だっただろうな。
信玄の意図がどうあれ、どうにもならん。
同時に、早いうちにそれだけの兵力を集中しきれない北条方の戦術的な対処能力も微妙だな。
0884人間七七四年
2011/03/22(火) 21:13:14.36ID:sG4wo2S6ここで10日とか稼げたら勝頼もうちょい逃げれたろうに
落城はやむなしとしても伏見城の戦いみたいな抗戦や
第二次上田合戦みたいな時間稼ぎは難しいのか
0886人間七七四年
2011/03/22(火) 21:30:10.78ID:JUTjZRnt0887人間七七四年
2011/03/22(火) 21:31:44.00ID:v38HEXZt0888人間七七四年
2011/03/22(火) 21:37:05.62ID:xACFkYe2主追放して織田に降るのは雪崩現象にしても最後は寂しい
>>879
長尾に北信濃の城を明け渡してるんだし和睦の条件として良くある事
労せず駿河を割譲や分割を引き出せるかもしれない
下手に出て実を取れるなら信玄は何でも利用してるし
0889人間七七四年
2011/03/22(火) 21:40:22.47ID:xACFkYe20890人間七七四年
2011/03/22(火) 21:59:49.67ID:JUTjZRnt北信濃の小城と滝山と駿河じゃ価値が違いすぎない?
それと滝山を落としても維持する兵力が惜しいというのもあったと思う。
このあと駿河進攻が控えており一兵でも多くそっちに回したいからね。
0891人間七七四年
2011/03/22(火) 22:11:51.96ID:v38HEXZt0892人間七七四年
2011/03/22(火) 22:28:39.92ID:/nObPhCZおせじにも善戦したなんて言えないじゃん。
一方的に織田兵に攻め込まれて半日で陥落しただけ。
確かに城兵は全滅したかもしれないが、
それが戦略的に全く役に立ってないのはどういうこと?
むしろ、信忠に手柄を立てさせただけじゃん。
長篠城とか岩屋城とか伏見城とかとは全く違う。
0893人間七七四年
2011/03/22(火) 22:34:19.24ID:xACFkYe2北信濃は無償で返還してるし滝山の対価として駿河割譲、分割できるなら悪くない
対徳川にその分早く取り掛かれる
謙信が北条の援軍を送らないのが確認できた以上そのまま北条と戦えば
徳川、佐竹、里見と連絡を取り合って利用するのは信玄ならお手の物
織田と敵対しないから勝頼の代の負担も減る
滝山より岩村の方が地理的にも維持が難しいのに落としてるし
示威行動(広く浅く荒らす)と駿河侵攻が控えてるなら
小山田や信玄の書状まで執拗に攻撃し小田原まで進軍なんて
危険を犯す必要性を感じないし矛盾すら感じる
0895人間七七四年
2011/03/22(火) 22:57:01.32ID:aJpkUcvj慎重な信玄がそんな事を考えるとは思えん。
辛い見方をすれば滝山の時点では駿河への再進攻すら考えて無かったかもしれん。
駿河進攻を北条に阻まれたまま諦めたのでは面目丸潰れだから手薄な武蔵で乱捕りして最低限の威信回復を狙っただけ、
当初は後詰がきたらさっさと撤退する予定だったが北条の対応がヘボ過ぎたため欲を掻いて小田原まで深入りし、
本来なら前後から挟撃されて大敗のはずの三増峠の勝利で北条のヘボさを確信して駿河への再進攻を決めたのかもしれんのだ。
ぶっちゃけ信玄がすごいのでなく北条がヘボすぎただけということだ。
0896人間七七四年
2011/03/22(火) 23:00:30.92ID:xACFkYe2勝頼が木曽を攻撃せずに諏訪に本隊を温存してるならまだしも
盛信はあそこで玉砕しなければ信豊と同じ運命じゃないか
本隊が崩壊して勝頼は諏訪から逃亡、上杉も苦境で
南から徳川、北条にも攻められ後詰めが期待できない
個人の資質で善戦し戦況を維持、挽回するのは不可能に近くもう詰んでる
0897人間七七四年
2011/03/22(火) 23:59:53.45ID:JUTjZRnt>北信濃は無償で返還してるし〜
北信濃の小城と滝山じゃ状況が違いすぎる。同列には語れないよ。
滝山と交換で得られる領地など高が知れてる。駿河割譲など有り得ない。
>謙信が北条の援軍を送らないのが〜
謙信の動きを警戒してというのは否定しないけど、その時点で謙信が来ないからといって
その後も来ないと思うのは能天気すぎる。っていうかなにが言いたいのかよくわからない。
信玄は失敗したけどうまくやれば北条を潰せたと言いたいのかな?
>滝山より岩村の方が〜
岩村は対織田戦では重要拠点、岩村を落として滝山を落とさなかったという事は
北条の屈服は考えてなかったということじゃないかな?
>小田原まで進軍
国力で劣る武田が本気で北条を威嚇するなら国境の乱捕りでは不十分、小田原焼き討ちも有り得ると思う。
とはいえ実際にそこまでできたのは状況に恵まれたからで
北条の抵抗が激しければ途中での撤退も有り得たんじゃないかな。
0898人間七七四年
2011/03/23(水) 00:53:59.56ID:BNr+sIwO常に城同士で緊密な連絡体制を取ってる北条も思った通りには行かなかった。
信玄も北条も思われてるほど優秀でもなく現実は結構グダグダな奴等だったんだよ、たぶん。
0900人間七七四年
2011/03/23(水) 01:48:37.03ID:BNr+sIwO0901人間七七四年
2011/03/23(水) 01:51:07.16ID:gOjabvBIぶっちゃけどっちが価値高いだろうな
第二次川中島で武田が引き渡した支城群と滝山じゃ
北信濃の小城なんていってるけど実際には善光寺周辺の重要拠点だろ
0902人間七七四年
2011/03/23(水) 03:56:13.61ID:7XHTswWH滝山城を落とし返還の条件で駿河割譲、分割案の講和案
氏康が今川との講和に河東割譲、上杉には上野と武蔵一部割譲案を提案した例から
外交上優位な信玄が越相同盟が機能しない孤立状態の氏康から譲歩を引き出すのは難しくなく
氏政から駿河を奪って講和した例から滝山城攻略が障害には成り得ない
信玄は万が一滝山城を返還してまで和睦できない場合
北条より国力が上の織田をも裏切ってまで敵対しないので友好関係が勝頼に引き継がれると周辺状況が楽になる
さらに武田に織田が付いてる以上、北条が上杉を引き入れる外交窓口は制限され非常に難しくなり
能天気と言う指摘は謙信が北条に付かない外交と北方守備を同時に放棄した場合になる
武田軍は岩村城や北条領内を荒らす余力があっても滝山城を落とす国力がなかったと考えるのが妥当と思ってる
四方に敵を抱え謙信の援軍を期待できない北条との和睦を念頭に置き滝山城を包囲もせず放置したまま
状況が恵まれ抵抗が少ないからといい非常に危険な小田原城に深入りし武威を示す必要性や緊急な事態でもない
0904人間七七四年
2011/03/23(水) 06:39:33.59ID:cAayVo8o重要拠点にしては合戦後あっさり破却してるなあ
>>902
>外交上優位な信玄が越相同盟が機能しない孤立状態の氏康から譲歩を引き出すのは難しくなく
この時点で越相同盟が機能しないかどうかは信玄には知る由も無いじゃないの?
この議論は武田軍(信玄)の小田原遠征の動機に対する考察だと思ってたんだけど・・・
あなたは違うのかな?
>氏政から駿河を奪って講和した例から滝山城攻略が障害には成り得ない
これもこの時点の信玄には知る由も無いなあ。
>能天気と言う指摘は謙信が北条に付かない外交と北方守備を同時に放棄した場合になる
何が言いたいのか解からない。放棄しない(と武田が判断する)理由は何?
>〜滝山城を落とす国力がなかったと考えるのが妥当と思ってる
>滝山城を包囲もせず放置したまま〜非常に危険な小田原城に深入りし武威を示す必要性や緊急な事態でもない
滝山城を落とす国力も無いのに非常に危険な小田原城に深入りできる(と武田が判断する)のはおかしくない?
武田軍は滝山城を落城寸前にまで追い込んだ段階でまだ2万の兵と小田原まで行き三増峠で戦う余力があるのに
滝山城を落とす国力がなかったと考えるのは不可解極まると思う。
0905人間七七四年
2011/03/23(水) 08:38:00.27ID:BNr+sIwOすぐに取り返されるからだろう。
0906人間七七四年
2011/03/23(水) 12:45:55.08ID:Rj2ekmET攻めきるとなると自信がなかったのかもしれん。
時間と兵糧の問題で。小田原周辺放火も、切れかけた食料集めだったのかも。
0907人間七七四年
2011/03/23(水) 12:58:07.33ID:8qcar0Zsそれやったらあとが無いとは言わないが長期的には不利
そういった意味じゃ滝山城を落とす国力がなかったと考えるのは自然じゃね
ただこの考え方だと信玄の関東遠征の戦略目標は城を落とすことには無かったとなるがな
0908人間七七四年
2011/03/23(水) 13:13:05.79ID:Rj2ekmET大名は絶対君主じゃなくて、領主らの同意を得て第一人者になっている存在。
最初からそんな捨て鉢な態度だってばれたら求心力が低下する。
その場その場の判断だろう。
0909人間七七四年
2011/03/23(水) 13:22:10.71ID:V7My29t60910人間七七四年
2011/03/23(水) 14:41:39.70ID:fCTs2zsg頭悪すぎる。本当に病気か?
0911人間七七四年
2011/03/23(水) 15:02:24.42ID:BMqMUfriスレの空気が悪くなるからいちいち関わるなよ
0912人間七七四年
2011/03/23(水) 16:12:47.61ID:NimVdwFs0913人間七七四年
2011/03/23(水) 17:05:34.36ID:BNr+sIwO0914人間七七四年
2011/03/23(水) 17:47:43.30ID:WyOT2dKA信玄時代から重用されてた武田譜代なのに。
0915人間七七四年
2011/03/23(水) 20:24:14.26ID:C8sB/wjy武田と織田なら武田のほうが優れていたが織田に滅亡させられたし集権化はどうしても
粛清とか必要になるから離反や謀反がつき物。
勝頼は国人への負担を負わせられたのは集権化のおかげだが
鉄砲や新府城等であまりにも過酷すぎた。
0916人間七七四年
2011/03/23(水) 20:27:59.75ID:C8sB/wjyそれでも武田を潜在的に恐れる織田に放置されてきたが徹底して調略をされていた。
もう死は79年の時点で勝頼も予想してたんだから切腹を引き換えに武田家の存続を測ればよかった。
松がいるから邪険にはされん
0917人間七七四年
2011/03/23(水) 21:23:16.09ID:x6qiSKv5時代的な中世から近世へ、という流れは誰が天下取ろうと程度の差こそあれ動かなかったんだろうがさ。
0918人間七七四年
2011/03/23(水) 21:56:04.49ID:cAayVo8o>>907
滝山城は甲府から約70km、攻略目標を駿河から武蔵に切り替えるなら維持は可能じゃないかな。
武田が武蔵を切り取るつもりなら多少の損害は無視しても欲しい前線拠点だと思う。
ただ滝山城はこのあと廃城にされている。
再建が無理なほどダメージを受たなら確かに維持できる見込みも落とすメリットもないよね。
>>906
この時点で時間と兵糧が問題になるなら小田原まで行かずに撤退すると思う。
>>908
>>909
後詰決戦を強いるのが目的なら有り得ない話じゃないし、最盛期の信玄の権威なら多少の無理は通るんじゃないかな。
恩賞は駿河を取れば問題ない。
0919人間七七四年
2011/03/23(水) 22:01:52.68ID:x6qiSKv5信玄も略奪自体が目的で出て行った可能性はあるか。
0920人間七七四年
2011/03/23(水) 22:05:28.20ID:cAayVo8o0921人間七七四年
2011/03/23(水) 22:11:23.70ID:C8sB/wjyやっぱり結構不義理なところがあった大名だと思うんだ
0922人間七七四年
2011/03/23(水) 22:15:20.54ID:C8sB/wjy0923人間七七四年
2011/03/23(水) 22:39:04.00ID:iUecyEw8まあ、普通は後詰決戦だよな。
氏照の滝山城を攻めれば氏政が後詰めを率いて出てくるはずで
それを撃破して力の差を見せつけ駿河での譲歩を引き出すプランだったのだろう。
ところが北条の動員が遅々として進まず、気がつけば滝山は落城寸前。
近くまで来ているはずだと敵をもとめて兵を進めてたら小田原に着いてしまったというのが真相ではないか?
ところで滝山を落とさなかった理由は氏照ではないか?
うっかり城を枕に討ち死にでもされたら
北条で打倒武田の機運が盛り上がって和平どころではなくなるかもしれん。
0924人間七七四年
2011/03/23(水) 22:41:22.79ID:x6qiSKv5結果から逆算することは、当事者には無理。
0925人間七七四年
2011/03/23(水) 22:51:21.94ID:iUecyEw8実際に駿河や関東で戦火を広げた後で駿河領有と再同盟という譲歩を引き出してるではないか。
0927人間七七四年
2011/03/23(水) 22:57:29.42ID:C8sB/wjyただ駿東くらいは譲ったほうが早めに譲歩できたと思う。
0928人間七七四年
2011/03/23(水) 23:01:55.15ID:C8sB/wjy0929人間七七四年
2011/03/23(水) 23:18:45.61ID:cAayVo8o滝山云々は信玄の目的が武蔵攻略だったらという仮定のもとで話してます。
>>923がどうかは知りませんが。
0930人間七七四年
2011/03/23(水) 23:20:36.10ID:BNr+sIwO敵に回すと厄介だが味方に付けてもこれほど役立たずはいない。
ここぞと言う時にだけ正論を振りかざして相手を攻める。
戦争や書き込みという形で無闇に土地やスレを荒らす。
0931人間七七四年
2011/03/24(木) 00:19:54.14ID:on6mU9ZT0932人間七七四年
2011/03/24(木) 00:55:22.12ID:XQL4M2u4ツッコミどころ満載だし。
つうか将軍義昭が甲越和与を斡旋したから謙信が武田攻めをしなかっただけなのにそれすら知らんとは。
0933人間七七四年
2011/03/24(木) 01:07:49.80ID:v7uBMBfaっていうかとっくに結論出てるようなもんじゃん。
勝頼の代では手遅れであり遅かれ早かれ大勢力の維持は不可能になるよ。
0934人間七七四年
2011/03/24(木) 02:03:20.90ID:psN3XW+h0935人間七七四年
2011/03/24(木) 02:22:18.00ID:MGYqpeNO0936人間七七四年
2011/03/24(木) 02:31:02.50ID:BeB1zbxn>うっかり城を枕に討ち死にでもされたら
北条で打倒武田の機運が盛り上がって和平どころではなくなるかもしれん。
史実で北条の一族や重臣殺しているのにそれはないだろ
0937人間七七四年
2011/03/24(木) 02:33:21.90ID:BeB1zbxn次は66スレだな
0938人間七七四年
2011/03/24(木) 04:03:40.50ID:bLN38icH他のスレとくらべて毎日
異常にレス数が多いなワロタw
0939人間七七四年
2011/03/24(木) 05:40:26.05ID:XQL4M2u40941人間七七四年
2011/03/24(木) 16:21:33.79ID:V2+LNDVN0942人間七七四年
2011/03/24(木) 17:27:39.21ID:XQL4M2u4鉢形城も攻めたことも知らないらしい。
信玄の目的は西進であり滝山城を手に入れるつもりはない。
関東へ2ヶ月近くにわたり出陣していたのは
駿河方面を固めていた北条兵を関東の守備のために兵力移動するのを待って時を費やしていたから。
その為に信玄は御嶽や鉢形城の氏邦や滝山城の氏照を攻め荒らして威圧し、
小田原城まで南下し武田の恐ろしさを北条首脳陣に見せつけただけで
あくまで駿河攻略の意図を隠蔽した関東縦断であり武蔵国の城を奪うことが目的じゃない。
双方が大兵力を集中して全力で正面から殴り合う後詰決戦なんてのは
バカみたいに被害ばかりが増えるだけなのでそんなの北条も武田もやる気もない。
そんなことになったら川を挟んで長対陣から和睦の流れになるだけ。
そんなのやりたがるのは調略による城攻めが苦手だが野戦に異常に強い越軍だけ。
背後を見せて移動する敵軍の尻を噛みつくことが軍事的チャンスと狙う北条と
それを予見して備えている武田と言う様式美は三増峠の後に三方が原でも再現されている。
0943人間七七四年
2011/03/24(木) 17:44:35.63ID:V2+LNDVNゲームと勘違いしてないか?
0944人間七七四年
2011/03/24(木) 18:31:35.16ID:v7uBMBfaだからハイリスクノーリターンの北条攻めをやったり、最後は自分がいつ死んでもおかしくない状態なのに
暴挙としか言いようのない全力遠征やっちまったんだよ。
だいたいあの時代、50歳過ぎて体調悪いと人は普通にすぐ死んでた。
そんな時代に自分が死んだ時、その後のことを全く考えずに国家の総力を投じて
大遠征を始めるなど頭脳明晰な人間が考えることではない。
0945人間七七四年
2011/03/24(木) 19:30:53.08ID:NxFMWlYe0946人間七七四年
2011/03/24(木) 19:42:42.96ID:t5KM5H5y勝つ方法考えるスレじゃないぞ
武田攻め時の織田徳川側の話でもいいだろう
別に勝頼の話をする必要は無い
0947人間七七四年
2011/03/24(木) 19:51:44.27ID:XPgO45Og五重過ぎて跡継ぎの交替なんてして渦中に混乱が起こっていのに
家督継承も正式に行わずに全力出撃なんてちとフォローはできんわな
0948人間七七四年
2011/03/24(木) 20:06:11.39ID:o2zK94Zp勝頼には作戦を知らせておきゃいい。
0950人間七七四年
2011/03/24(木) 21:15:22.10ID:psN3XW+h0951人間七七四年
2011/03/24(木) 21:43:03.81ID:NGJpbwca自ら出陣していない戦が多かったとか
0952人間七七四年
2011/03/25(金) 01:26:54.31ID:HjXwUhn9戦費浪費?
そもそも信玄は里見や佐竹まで呼応させてリスクが少ない状況を対北条包囲同盟を成立させておいてから戦ってた。
のちの対織田包囲同盟といい信玄は相手を外交力で囲み兵力分散させて敵を疲れさせて背後を襲う戦略が常套手段だ。
さらにこの軍事的作戦による北条兵の関東への兵力移動を利用して駿河を電撃侵略してる戦費回収してんじゃん。
そして三増峠で敗北し九死に一生を得た氏邦や氏照は完全にビビり氏政と共に甲相同盟へ動いて信玄の背後は固まった。
北条氏直と今川氏真を養子にしてまで今川の領地継承を主張してたのも完全に断念したどころか北条軍も信玄の西上への援軍として参加させることに成功した。
こういう外交で敵を囲んで攻め込み敵が来たら引くを繰り返していつの間にか政治力で敵地を奪う芸当は信長にはできない。
0953人間七七四年
2011/03/25(金) 01:33:06.90ID:zWD+BF8gそれが無ければどうなっていたことか
あとスレタイ
0954人間七七四年
2011/03/25(金) 01:38:21.81ID:+s3ej5+dボコられはしたが、北条にとってもいい機会ではあった。
信長は力でねじ伏せるからなぁ、信玄とはまた方向性が違う。
0955人間七七四年
2011/03/25(金) 04:44:12.28ID:Rp6ODWxr氏康は将軍義昭が甲越和与を斡旋したことも知らなかったアホ。
そもそも越相同盟自体が義昭の斡旋からスタートしたもので
別に北条を助けるためのものではなく謙信と氏康の上洛を促すためのもの。
氏康には関東に固執して上洛する意思がないと義昭に判断され甲越和与の流れになっただけ。
しかも信玄は西上を前に保険をかけて越中一向宗を蜂起させて謙信が武田領を窺わないように外交を駆使していた。
信長のようにアチコチで同時に敵を作りまくって軍を分派するような迷走した破綻戦略は取らない。
0956人間七七四年
2011/03/25(金) 04:54:34.29ID:1GkGmPTh武田は前半上杉との戦いに力と時間を使い過ぎたが後半は着実に逐次領土を拡大してる。
だが地勢的に拡大のスピードは遅くはないが次第に四方を大勢力に囲まれ拡大は行き詰りつつあった。
上杉は領土拡大には積極的ではなかったとも言われ関東出兵も結果が得られず無駄な軍事行動は多かったが
北陸方面経略に関しては後期は非常に短時間で急激に拡大していることから貪欲にいけば
200万石弱くらいまでいけたのではないかと思われる。
北条は川越夜戦以後は有数の大勢力と言える力を持ち、また甲信越に比べれば遥かに豊かな
関東平野に勢力を広げることができるため将来性はあったものの武田上杉との激闘、そしてそれらと
巧みに外交を展開する本来のターゲットである里見や佐竹を中心とする東関東中小勢力に手こずり
本能寺まではイマイチ関東無双に持っていけなかった感があるがその後は名実共に関東の覇者になった。
結論的には小勢力から大きく拡大し、最終的に一時はは中央の新興巨大勢力を脅かす存在になり
戦国大名として十分な存在感を示した武田上杉と、飽くまで花よりも実を取り
最終的に中央の統一勢力を除いては最大の戦国大名の座を得ることにより
戦国の最後を飾る役割を果たした北条というべきだろうか。
0957人間七七四年
2011/03/25(金) 07:38:00.65ID:9HDB98sO軍を分けたからこその侵略スピードが織田家のウリでないの
武田みたく一極集中では統一までえらい時間かかるで
0958人間七七四年
2011/03/25(金) 08:09:16.45ID:HjXwUhn9尾張、美濃、南近江、山城の圧倒的国力と収入を背景にもっと早く統一を果たしていたわな。
どう考えても織田より圧倒的に国力が無い相手達に長期に渡り苦戦し過ぎ。
0959人間七七四年
2011/03/25(金) 09:00:22.90ID:N2sr6Kyc戦略性を持っていたがそれらに比べて外交能力が拙かったというだけだろ。
0960人間七七四年
2011/03/25(金) 09:15:03.65ID:HjXwUhn90961人間七七四年
2011/03/25(金) 12:14:50.74ID:rgCi1fnr史料から判る氏康の不調は1570年の半ばからで、その頃は既に駿河の殆どが武田の占領下。
氏康が倒れたから武田が勝ったというより格下の武田に負けたショックで氏康が倒れたと観るべき。
>>956
信玄・謙信一代の業績と北条五代の業績を同列に語るのはおかしい。
0962人間七七四年
2011/03/25(金) 12:35:59.97ID:HjXwUhn90963人間七七四年
2011/03/25(金) 12:44:00.25ID:yIrrFbaN氏康は越相同盟などという非現実的な物に拘るあたり、随分前からボケてたんじゃなかろうか?
信玄が第一次駿河侵攻で北条の出方を読み違えたのも氏康のボケまでは慮外の事だったのかも
北条は五代で信玄・謙信一代並という事じゃねw
0964人間七七四年
2011/03/25(金) 12:51:23.95ID:ykndMbsu上野でも沼田辺りまで北条の勢力圏になっていたというのに
それを捨ててまで武田と争うってのはなー
0965人間七七四年
2011/03/25(金) 13:08:46.51ID:puDT7HQ6特に下克上をはたした新興の家は、侮辱されて放置すると威信や権威に関わる
大名だからって、政治や戦略だけで行動できるような人間はいない
というより、面子ってのも重要な政治の一要素だってことだな
0966人間七七四年
2011/03/25(金) 19:00:32.75ID:OlV2LSlL武田の嫁は突き返したし。
本気でブチ切れた漢字だよね。
0967人間七七四年
2011/03/25(金) 19:05:39.10ID:xpVXnob30968人間七七四年
2011/03/25(金) 19:52:51.08ID:EmoM5w+j氏政氏直親子にしてみれば
理解不可能な行動だったかもしれん。
0969人間七七四年
2011/03/25(金) 20:06:42.84ID:HjXwUhn9氏康が上杉と武田を同時に敵に回して今川救援やったら確実に北条滅亡だったけどな。
0970人間七七四年
2011/03/25(金) 20:12:52.70ID:TXHLH7vv0971人間七七四年
2011/03/25(金) 20:40:16.16ID:yIrrFbaN氏政からすれば「嫁を奪い息子を人質とかおまえは鬼か」って感じだよな
息子の人質をゴネまくるわけだ
氏康・氏政親子の間が相当ギスギスしたものだったのは想像に難くない
対武田戦で北条の動きが異常に鈍いのはこの辺の事情も考慮する必要があるのではなかろうか?
ついでに例の二度汁のエピソードも
0972人間七七四年
2011/03/25(金) 21:01:04.60ID:HjXwUhn9正気を取り戻してきたのを
武田と再同盟を図ろうとしてた氏政が困って暗殺したって説もあるからな…
0973人間七七四年
2011/03/25(金) 21:05:45.51ID:1GkGmPTh川越夜戦が史実かどうかはどうでもいい。
重要なのは、戦いがあったとされる時期を境に上杉憲政の勢力が急激に衰え、代わりに北条の
関東での基盤がより磐石になったということだ。
信玄、謙信一代でやったことを北条は五代かかったというのは冗談にしても下手すぎる。
北条は五代に渡って拡大を続けられたが武田上杉は自力での勢力拡大に関しては二代目で詰んでしまったというのが正確な言い方だろう。
0974人間七七四年
2011/03/25(金) 21:12:21.66ID:xpVXnob30975人間七七四年
2011/03/25(金) 21:22:25.73ID:HjXwUhn9北条早雲や氏綱は辺境で火事場泥棒してただけなんだが…
0976人間七七四年
2011/03/25(金) 21:23:21.93ID:xpVXnob30977人間七七四年
2011/03/25(金) 21:27:31.54ID:HjXwUhn9為景に贈った絵は気に入らねーと言われてたり
信虎にはこないだジャイアンして2匹のうち1匹没収した鷹が気にいらないから、やっぱ返してやった方と交換しろやって言われてるし
0978人間七七四年
2011/03/25(金) 21:53:12.91ID:1GkGmPTh0979人間七七四年
2011/03/25(金) 22:25:22.70ID:nD/1ZRwZすべき時に土下座外交できずに滅びたからこのスレがある
0980人間七七四年
2011/03/25(金) 22:32:23.10ID:rgCi1fnrボケた氏康は武田の駿河進攻に面子を潰されたとブチ切れ
越相同盟などという非現実的な戦略を頼り全面戦争に突入するなど
氏政氏直親子にしてみれば理解不可能な行動を取ったせいで
ギスギスする親子関係に足を引っ張られた腹いせに
息子の食事作法にケチを付け、逃げ田信玄と寒いギャグを言ってる内に
駿河上野と面子を失ってショックで倒れたと観るべきで
その後しばらくして正気を取り戻すも
武田と再同盟を図ろうとしてた氏政に暗殺されたという説もある・・・
0982人間七七四年
2011/03/26(土) 19:09:08.06ID:Mzzq9vfvExcellent!wwwwww
0983人間七七四年
2011/03/27(日) 02:36:28.03ID:AxLckAmd田野で包囲される信玄は見たくないなあ。
0984人間七七四年
2011/03/27(日) 04:05:35.20ID:rr95PNX2山陰山陽の中国戦線は完全に見捨てたからね。
信長を頼った山名を見捨てたことで吉川元春に但馬まで進出されたし、
信長を頼ってた浦上も見捨てたから毛利が後援してた宇喜多の播磨侵攻を防ぐことが不可能になっていた。
信玄が生きてたら北近江浅井や南近江六角や越前朝倉や河内三好や大和松永や山城義昭の滅亡もなく摂津本願寺や北伊勢長島一向衆も落とせず、
おまけに丹波の赤鬼に光秀が大敗するなどフルボッコだろうね。
そういや朝倉軍には斎藤龍興が客将になって在陣してたから
信玄が尾張侵攻したら親武田の飛騨国人&加賀一向衆の助力を得て
美濃へ入国してゲリラ活動で武田別動隊の東美濃侵略に呼応するだろうね。
0985人間七七四年
2011/03/27(日) 04:55:18.91ID:DP+eJ+QT織田方の勢力が雪崩を打つように離反するのか否かだからなぁ。
0986人間七七四年
2011/03/27(日) 05:46:27.65ID:rr95PNX2特に謙信配下の本庄繁長に謀反を起こさせたのは神過ぎる。
0987人間七七四年
2011/03/27(日) 06:30:43.42ID:EymfGLZs>今川をあっという間に崩壊させて
は???
なんのことだ?
一体、なにを基準にして「あっという間」とか言ってんだ?
桶狭間から9年。それからも、今川の娘を妻とする義信とのいさかい、
さらには織田・徳川との書状のやりとり。
今川家臣の長暦も「あっという間」などではなく、それなりに長期にわたるものだろうが。
信玄が突然、思いつきで今川を滅ぼしたとでも思ってるのか?
0988人間七七四年
2011/03/27(日) 06:42:41.89ID:DP+eJ+QTだけど、別に江戸幕府時代の甲州軍学の影響云々ではなく、当時でも武田は
戦に圧倒的に強いと思われており、事実三方原で佐久間信盛なんていう
当時の織田家中のNo2的の存在だった武将が出陣していたのに打ち破られた
というのはかなり大きい。東美濃からの馬場美濃守のゲリラ的攻撃も
純軍事的にはともかく精神的ゆさぶりにはなっていたし。
0989人間七七四年
2011/03/27(日) 06:51:57.01ID:rr95PNX2駿河侵攻してから今川家臣21人を寝返らせて
1週間で駿府入城する芸当をやってみせたんだからあっという間だろ。
0990人間七七四年
2011/03/27(日) 06:55:41.45ID:rr95PNX2いやいや上洛スレは自演織田厨がキチガイ過ぎて
マトモな人間はみんな引きまくって消えていっただけじゃん(笑)
あれで論破宣言とか厨房ですね。
0992人間七七四年
2011/03/27(日) 07:03:32.23ID:rr95PNX2いくらでも遡れるし、そもそもいきなり隣人が引っ越してくるのと違って
どんな大名家だって祖父や父の代から
水面下において四方八方に唾つけまくっていろいろ謀略外交をやってるだろ…アホかよ
0993人間七七四年
2011/03/27(日) 07:13:29.65ID:rr95PNX2信長が浦上の下に同じ赤松被官だった別所や小寺を位置付けたから
織田に対して別所や小寺は爆発寸前だったから毛利後援の宇喜多による播磨攻略は確実視されるところだし
元春が丹波国人に呼応したらそのまま上洛可能になっちゃうんだけど
信長はどうやって毛利と本願寺を抑えこむ気だったの?
0994人間七七四年
2011/03/27(日) 07:26:59.85ID:rr95PNX2それでも用心して越中一向衆に蜂起させて謙信を釘付けにしてたし
西上する武田軍は北条からも援軍をもらってる。
対越後への備えの軍を東美濃攻撃に転用可能だし
北条からのさらなる援軍も可能。
織田とは違い信玄の背後は安定してるから気兼ねなく進軍できるからね。
三河攻略が進み春過ぎになれば朝倉軍も2万以上もまたやってくるしな
0995人間七七四年
2011/03/27(日) 07:29:29.24ID:1EKIKuSGそうなった場合、甲斐と信濃と西上野しか治めてない武田にとっては短期間の軍事行動で
今川を降すのはかなりの周到な根回しが必要だったということなんだろうな。
要するにそれだけ武田の国力、動員力はなかなか増えなかったということになるのかな。
信玄の才能と勢力拡大への努力は信長に引けを取らないと思うけど、
いかんせん信玄が攻め取った領土はことごとく信長が切り取った濃尾や近畿に比べると貧し過ぎる。
信長が万札をガンガン集めてるのに信玄は小銭集めるのに必死な状態なのが辛いよな。
0996人間七七四年
2011/03/27(日) 07:37:39.10ID:rr95PNX2ぶっちゃけ今川が謙信と結ぼうとしたのを察知したから信玄は駿河侵攻を決めただけの話だけどな。
0997人間七七四年
2011/03/27(日) 07:44:45.67ID:rr95PNX2信長を取り巻く情勢はまだまだマシだけどね。
0999人間七七四年
2011/03/27(日) 10:04:24.16ID:rr95PNX2はっ?信玄が生きていたらと言う話なんだが。
当然、歴史の流れでいけばこうなるわけなんだがw
1000人間七七四年
2011/03/27(日) 10:05:48.58ID:rr95PNX210011001
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