長篠は決戦を挑んだ勝頼がバカ
信玄なら撤退を装い、
追撃してきた織田を迎撃撃破してる。
そもそも織田厨は背後を抑えられて撤退出来ないなどとでっち上げしてるバカ。
長篠後には翌年に、武田の命運をかけた一戦を織田とやると書いてるので、
まだまだ信玄の遺産は充分にあり余力があったのだろう。
いよいよ勝頼独自色を出し、
軍政、軍制改革を開始したつもりか、
織田へ復讐する為に手段を選ばず抜擢宣言し、
どんなに身分が低くても、前代には不遇だった者の経緯にはこだわらず
依怙贔屓無しに
武勇のある者は抜擢するとか、
鉄砲の鍛錬の奨励をくどいまでに強調し、
鉄砲手には頬あてまでも用意するように言っている。
かなり入念に砲撃戦を念頭においた指示をしている。
武田領内では火薬臭が漂うような大掛かりな鉄砲鍛錬が行われていたのだろう。
対北条戦で勝頼が暴れてるのも、
佐竹義重が関東一の大鉄砲隊を持っていたのも、
勝頼との協調作戦から学んだ結果だろう。
さらに手取川の戦いの年には、
信長は武田と和議を提案していたのに勝頼は拒否して、
あくまで義昭や本願寺や毛利との協調を選んでいる。
まあ謙信が翌春前に死去したのは想定外か。
毛利も丹波の赤鬼が同時期に死去したのは想定外だろう。
やはり謙信死去と、
朝廷による交渉で本願寺が織田と和睦を受け入れたことが大きい。
武田に取り領土拡大を狙うには北条を侵略する他なく、
この頃になると織田との和睦を働きかけてるのだから。
信長は武田と和睦する匂いをかけて、
織田勝長を返却させるや豹変して武田征伐を開始。
不幸にも浅間山が噴火したために領内混乱し、
後詰めの勝頼が諏訪から甲斐に撤退するハメ
になる。
有史以来、京で浅間山噴火が観測されたのは、今回がわずか二度目の大噴火で、
京では武田滅亡の前兆と見られた。
ただ鉄砲鍛錬にこだわり過ぎているのが勝頼。
本来は城や陣地における防衛戦に重要な鉄砲だが、
重量があり過ぎて、
なおかつ天候に左右されやすいものであり、
運用は限られている。
機を見て目まぐるしく離合集散する同盟関係や傭兵術や重臣調略を軽視し過ぎていたように思われる。