【治部】石田三成総合スレ 8【佐吉】
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0001人間七七四年
2011/01/15(土) 18:09:41ID:YE8OmAJD■過去ログ
(1)http://hobby10.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1150512127/
(2)http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1193273145/
(3)http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1228834086/
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(6)http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1265876956/
(7)http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1285739170/
■関連スレ
石田三成そろそろ大河いいんじゃないの 2挙兵目
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1227887458/
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0006人間七七四年
2011/01/16(日) 08:32:43ID:rPujSmwV上から1、3番目以外は仲がいい大名のスレを挙げているだけで、
関連スレとは言えないと思う。
0007人間七七四年
2011/01/16(日) 19:45:14ID:1e9zquuj関が原、義と秀吉亡き後の豊臣の力を信じすぎた
ため、手違いをおこしてなかったら、ワーヘテルローの
ウェリントン将軍か、カルタゴのハンニバル将軍のような
英雄になるはずだった。という、関が原のもっと細部に
わたって石田三成が苦悩して、やむなく、家康と戦った
という面を誇張してドラマにすれば、きっと視聴者の
心を打つだろう。
0008人間七七四年
2011/01/16(日) 20:27:04ID:Ac8iWW4m準えた方が人気でないかな。主君亡き後幼君を支えようと奮闘したみたいな。
個人的には三成って空気読めない孔明のイメージ。
0009人間七七四年
2011/01/16(日) 21:23:54ID:R+xoLVn3法正でも褒めすぎだと思うが、孔明とか有り得なさ過ぎる。
三成を軽く一蹴した家康は誰になってしまのかね?
0010人間七七四年
2011/01/16(日) 21:40:15ID:Ac8iWW4m法正は軍略家って感じが。あとドラマにするのなら主役は
善玉キャラにしないと人気でなくない?
直江兼続でさえあんなのになったわけだし。
0011人間七七四年
2011/01/16(日) 21:41:01ID:2PRCveWj小早川と毛利秀元の出方次第でどうなってたかわからないのにね
0012人間七七四年
2011/01/16(日) 21:47:52ID:rHFoOZAR0013人間七七四年
2011/01/16(日) 21:55:13ID:IQuHruHe石田がいない世の中など意味がない
とまで言わした三成
男冥利に尽きるよな実際そんなこと言われたら
0015人間七七四年
2011/01/16(日) 22:28:12ID:63Z4C1cs0016人間七七四年
2011/01/16(日) 22:33:21ID:IQuHruHe文治派武断派の対立説明するのに必須でしょ
0020人間七七四年
2011/01/17(月) 18:11:48ID:dnbQJQAd0021人間七七四年
2011/01/17(月) 18:29:48ID:HUy3Skhz0022人間七七四年
2011/01/17(月) 20:22:18ID:L8vt4LVP佐竹は加藤らの襲撃から三成を助けたものの関ヶ原では徳川支持
ていうか徳川自体が上杉征伐の正規軍なので選択肢はなかった
石田挙兵は想定外?だったし
ただ関ヶ原の結果次第では上杉と連携の可能性もあり徳川には油断ならない存在
最初から徳川支持なのに東北に追いやられたのは不本意だろうが仕方ないかも知れない
明治維新の時、東北諸藩で唯一、新政府についたのは当然の成り行き
ちなみに佐竹領の秋田では石田三成をかくまった伝説が残る
じゃあの福島を罵倒した三成は誰という話になるが
0023人間七七四年
2011/01/17(月) 20:28:26ID:UYaHW+1U0024人間七七四年
2011/01/17(月) 21:15:55ID:L8vt4LVP磔で死んだのは弟のイスキリで本人は逃亡、日本でぬくぬく暮らしたとさ、、、
記念館行ってきたよ
0025人間七七四年
2011/01/17(月) 23:37:35ID:iwavWGG/そもそもの話は>>13でしょ。
>佐竹に
>石田がいない世の中など意味がない
>とまで言わした三成
このセリフで三成の評価を上げる程、そんなに佐竹義宣は凄い奴なのか、と。
その説明は全くされてないね。
>徳川自体が上杉征伐の正規軍なので選択肢はなかった
>石田挙兵は想定外?だったし
これって、東軍諸将の大半が当てはまるんじゃないの?
勿論、福島等の恩顧も含めて。
佐竹だけ仕方ない、ってのはご都合主義すぎるなぁ。
0026人間七七四年
2011/01/18(火) 02:06:27ID:/B3JLo8v石田三成公は佐竹にとって大恩人だもの。
だって、当時、佐竹の領地は反乱が多く、
佐竹に従わなかったのを『地方の豪族を
宴会と称し、酒の席に一同豪族を呼び、
その酒の席ですべての氾濫豪族を
すべて斬って反乱の目をつみ、佐竹の領地で
佐竹に従うよう、見せ付けたんだから。
この奇策は石田三成が考え、佐竹に伝授。
秀吉に認めさせた。三成ってすごい
男ぞ。だのに家康は用心深く、三成の
手にはまるような男ではなかった。
0028人間七七四年
2011/01/18(火) 06:01:25ID:egsa1H5t徳川も本来は三成の策謀にあい細分化される運命だったのに加藤、福島らときたら、、、、
ある意味、三成が佐和山に隠居された時点で勝負はついたな
ば加藤、福島は結果的に自分で自分の首を絞めたようなもの(豊臣政権存続ならおとり潰しはさすがに有り得なかったはずなのにな)
家康がたぬきなら三成はキツネだからな
それにしても佐竹のエピソード、山内の一領具足を相撲大会で騙し討ちしたエピソードにくりそつだけど井伊が山内に提案したが石田のアイデアをぱくったのかな
0029人間七七四年
2011/01/18(火) 07:07:36ID:7lgMdK0Hお前さ、その加藤・福島の話は今までさんざん論破されてきたじゃん。
それに対して一言の反論も、史料の提示も出来なかったよな。
スレが更新された途端、それがなかったかのように繰り返すのは、真性のキ○ガイなのか?
つか、今時そんな小説をなぞったような事言ってて恥ずかしくない?ww
0031人間七七四年
2011/01/18(火) 11:27:17ID:SGAZgxwg三成を倒し徳川政権に切り替えたから単なる取り潰し程度で済んだとも考えているかもしれない
誤解とはいえどそれくらい彼らは三成を冷酷無慈悲な存在と恐れていたんだよ
0032人間七七四年
2011/01/18(火) 17:56:42ID:egsa1H5t三成黒幕とまだ信じてるんかい
近江八幡市民じゃあるまいし
0034人間七七四年
2011/01/18(火) 18:38:59ID:egsa1H5tただもし生きていたとして大阪の陣に豊臣に加わらなかったのは豊臣の石田三成への仕打ちに怒ったからに他ならない
彼にとって三成に対する忠義であって豊臣には何の思い入れなんぞない
0035人間七七四年
2011/01/18(火) 20:35:33ID:Z+RE9wgf0036人間七七四年
2011/01/18(火) 22:02:57ID:egsa1H5tこんなのばっかり
説明する気も無いわ
自分で調べな
0037人間七七四年
2011/01/18(火) 23:25:55ID:y4owNe9q素人の俺にはわからん
0039人間七七四年
2011/01/19(水) 00:15:22ID:0t48tIw+0040人間七七四年
2011/01/19(水) 02:20:51ID:HsCU2rLs石田三成らを支援しないのであれば大阪城を明け渡す必要性がないし石田三成らを支援するのなら軍資金を思う存分渡すべきだった
中途半端な対応したのは如何かな
そもそも石田らが挙兵したのは100%あやまり、石田らが挙兵しなければ徳川は天下を取れないと言う意見があるが天下を牛耳った家康の事、上杉滅亡後、お次は毛利を潰しにかかるだろ
挙げ句佐渡島などの金山銀山を秀頼では幼すぎるから預かるわとか言うて自分の直轄にするだろうしどっちみち家康の天下は揺るぎないわ
政権を握ればなんだってできるわけ
もちろん自分の支持者のば加藤や福島黒田らには恩賞を与えそうでない大名に対しては難癖つけておとりつぶししまくり
戦もしないでみすみす天下を奪われるなんて武士にとって苦痛以外何者でもないわな
一か八かにかけた石田三成の決断は100%否定できるものでは無い
いずれにしてもば加藤、福島の家康へのごますりは評価できるものでは無い(一部の連中が資料は資料はとかぼざいてるけど)
一般的な評価は三成の評価も高いとは言えないがば加藤福島はそれ以上に評価されていないわい(熊本市民や名古屋市民除けば)
天下太平を願って家康についた黒田藤堂は評価できるがな
0042人間七七四年
2011/01/19(水) 07:44:32ID:0t48tIw+言ってる事、無茶苦茶ダナw
加藤福島がごますりなら、伊奈事件や、参勤交代時に大坂城へ
立ち寄る必要はないよな。
0044人間七七四年
2011/01/19(水) 10:04:58ID:N4EeK6Fiいない、只のひとりも。
豊臣家は何もしなかったのではなく、何も出来なかった。
0045人間七七四年
2011/01/19(水) 10:48:07ID:7CNDJzqn東軍の上杉討伐に同行してたの?
0047人間七七四年
2011/01/19(水) 11:18:06ID:HsCU2rLs葵三代では三成らの軍資金提供の要請を拒否してたシーンがあった
史実はどうか知らないがおそらく徳川の密約を交わしていたんだろうな
0048人間七七四年
2011/01/19(水) 11:50:57ID:N4EeK6Fi0049人間七七四年
2011/01/19(水) 12:10:25ID:HsCU2rLs特に石田三成関係の資料なんかそれこそな
徳川といえば分家とはいえ石田の血も受け入れてるのに一方で墓をつくらせなかったり
裏では保護してるくせに表では極悪人扱い
本音と建て前は違うとはいえ、、、、
0050人間七七四年
2011/01/19(水) 12:29:02ID:N4EeK6Fi政治なんてそんなもんだよ
後、徳川は一般的言われているほど歴史の抹消はしていないよ
例えば通俗小説は駄目だけど、軍記といったものはOKだし
0052人間七七四年
2011/01/19(水) 14:11:34ID:71+fA0Xoそもそも家康を豊臣政権に招聘したのは他ならぬ豊臣自身なのだから
戦もしないで家康にみすみす天下を奪われるなんて武士にとって苦痛以外何者でもないならば
家康を招聘しなくてもやっていける体制を事前に作っておくのが最低限の義務でしょ
最低限の義務も放棄して面倒な政務はすべて家康に丸投げしてやばくなったら戦をしろなんて
こんなものは忠義でもなんでもない単なる我侭でしかない
それに政権を握ればなんだってできると言うけど、逆に三成ら西軍が家康をダシにして政権を握り好き勝手する可能性もある
秀頼の身柄を引き渡さなかったり軍資金を渡さないのは三成達に乗っ取られないための措置とも言える
三成が忠臣である証拠なんてないのだから挙兵すれば協力して当たり前という発想そのものがおかしい
0053人間七七四年
2011/01/19(水) 16:55:07ID:fo+Fxy//>逆に三成ら西軍が家康をダシにして政権を握り好き勝手する可能性もある
そりゃそうだが、子飼いの三成と外様の家康とどっちが疑わしいの?
特に家康は、既に豊臣を別にすれば天下一の実力者。なるべく力を削ぐ方向で考えるのが当然。
状況としては春秋時代の晋で実力者の四人(智氏・魏氏・韓氏・趙氏)が潰しあった時に似ている。
最大勢力の智氏は韓氏と魏氏に命令して三人で趙氏を攻めたが、ギリギリの処で趙氏の密使が
韓氏と魏氏に『次はあなた方が標的になる番です。』と説いて密約を結ぶ事に成功し、三人で智氏を
攻め滅ぼしてしまった。
説得出来なかった三成も悪いが『次は自分の番』と気が付かない方も悪い。
0054人間七七四年
2011/01/19(水) 18:01:45ID:10oLBX7L0055人間七七四年
2011/01/19(水) 18:51:13ID:OnPzYNmV0056人間七七四年
2011/01/19(水) 18:57:08ID:db2cl7AC0057人間七七四年
2011/01/19(水) 19:05:15ID:2d93ykMW0058人間七七四年
2011/01/19(水) 19:12:32ID:7CNDJzqn0059人間七七四年
2011/01/19(水) 19:51:50ID:10oLBX7L0060人間七七四年
2011/01/19(水) 20:22:13ID:HsCU2rLs俺が家康でもあそこは強引にでも天下をとりにいくな
むしろあれほどのチャンスを逃がすのはどれだけ馬鹿という感じ
中津10数万石の如水ですら一か八か天下取りにきてるのに
家康ほどの歴史オタクなら単なるNO,2がどれだけ危険な存在かわかっているはず
鎌倉時代の安達らにしても室町の大内、山名にしても幕府に因縁つけられて叩きつぶされてるし(山名などは勢力を半減されて相続したがな)
陰険な三成が専務なら徳川は現状維持ではいられないとおもうのは当然
ましてや息子は頼りないし
豊臣とは縁戚関係あるのでつぶされはしないまでもな
秀頼が成長すればアウトだしな
三成を心底恐れていたのは間違いないだろうな
早く彼を追放して政権を握りたかったのは頷ける
三成は有能だが小大名だったのは致命的だな
0061人間七七四年
2011/01/19(水) 20:38:52ID:10oLBX7Lそこまで三成への評価、高くないだろ
少なくとも関が原以前は
0062人間七七四年
2011/01/19(水) 20:40:20ID:49/RCGWR年齢から考えて(ずいぶんと長生きしますが)戦乱が起こった場合天下を統一できるか微妙ですし
自分が死んだあと、自身の家が滅ぼされる可能性だってあります。
豊臣政権での権力闘争の域は出るつもりはなかったのでは?
もっとも、関ヶ原が起こり、完璧な形で勝利したあとは別だと思いますが。
0063人間七七四年
2011/01/19(水) 21:07:34ID:HsCU2rLs事実かどうかは別として秀次一族粛清や利休切腹、朝鮮出兵に絡んでるといわれる人物ですよ
そんな人物が政権を握れば少なくとも徳川はただではいられないと思うのは当然
自分に対し遠慮してた秀吉とは違うからな
なんとしても彼を政権から追い出しておきたかったのは事実でしょ
過小評価も大概に設楽がどうなの
ていうかアンチスレに引っ越してください
0065人間七七四年
2011/01/19(水) 21:24:04ID:10oLBX7L「事実かどうかは別にして」ってオイw
家康はそんな噂で判断する小物じゃないと思うけど
警戒はしていただろうけど「心底恐れて」はいなかったんじゃない?
0066人間七七四年
2011/01/19(水) 21:29:12ID:49/RCGWR自分以外の五大老や奉行衆、加藤、黒田なども同じくらい恐れていたと思います
石田だけが特別とは考えられませんね。
0067人間七七四年
2011/01/19(水) 21:34:37ID:db2cl7AC0068人間七七四年
2011/01/19(水) 21:45:48ID:N4EeK6Fi0069人間七七四年
2011/01/19(水) 22:17:58ID:HsCU2rLsま信長様が生きてれば精神的苦痛で早死してたのは間違いないへたれ野郎ですからな
信長様も地獄で(あんなへたれが天下人だとーーーーと悔やんでいるだろうな)
0070人間七七四年
2011/01/19(水) 23:20:10ID:bLnMRmvc秀吉の後ろ盾がない三成の、いったい何を家康が恐れるの?
普通誰でもそうだが、自分より優れているものがない奴を、恐れる事なんてないw
0071人間七七四年
2011/01/19(水) 23:40:23ID:HsCU2rLs少なくとも頭脳では三成の方がかなり上だろう(笑)
個人的な能力という点では家康が三成に優ってるところて少ないと思うわな
自分より遥かに優ってる人間にひたすらこび、気がついたら関東250万石
ま家臣らから聞く耳もっていたのは晩年の秀吉や信長や三成とは違っていたけどな
0072人間七七四年
2011/01/19(水) 23:49:35ID:71+fA0Xo三成の自信に三成自身の能力が追いついていない
もう少し謙虚に自分を見つめていたら勝てたかもね
0073人間七七四年
2011/01/19(水) 23:52:13ID:lbpEHLsG小牧長久手で秀吉に力で潰すことをあきらめさせて、
死ぬまで官位だの領土だのを贈り続けて懐柔せざるを得なかった家康のどこが、
三成に勝ってるところが無いのか教えてくれないか?
関ヶ原で必勝の布陣を敷いたのに、味方をまとめきれずに負けた三成より家康が劣ってたら、
秀吉の目が黒いうちに取り潰されてたんじゃないか?
0074人間七七四年
2011/01/20(木) 00:06:43ID:LkPcVUMs0075人間七七四年
2011/01/20(木) 00:07:11ID:9EXUishp> 死ぬまで官位だの領土だのを贈り続けて懐柔せざるを得なかった
こんな事未だに本気で思ってる馬鹿が居るんだな。
0076人間七七四年
2011/01/20(木) 00:14:54ID:HBdw01AJ0077人間七七四年
2011/01/20(木) 00:45:36ID:9EXUishp元々上杉に与えられる予定だった旧北条領及び東国の取次は家康に。
与えられる官位も当然そういった立場や所領に応じて決まる。
何にもしていない前田も大納言だ。
これのどこに小牧・長久手の影響があるというのか?
それに臣従した直後から秀吉の使いとなって北条との交渉役になり、
秀吉軍の先鋒となって働いた家康の一体何を懐柔しようというのか?
0078人間七七四年
2011/01/20(木) 00:59:11ID:lTGFidPjそれに旧北条領及び東国の取次が元々上杉に与えられる予定というお前の妄想が本当だったら
家康が上杉以上に有能であると秀吉が判断したということだろ
自分の妄想を語るにしてももう少し基本的な知識くらい仕入れようぜ
0079人間七七四年
2011/01/20(木) 01:04:03ID:zE4vCtZ6>少なくとも頭脳では三成の方がかなり上だろう(笑)
根拠は?具体的な比較で頼む。
そもそも、家康に三成の能力は必要ない。
所詮、三成が秀でていた能力はトップの能力じゃない。吏僚の能力だよ。
そんなものは、本多親子当りにやらせとけばいいだけだ。
つまり、比較の次元が違うんだよ。
つか、論点は個人能力の比較ではなくて、家康が三成を恐れたかどうかだろ?
秀吉のバックアップがあるならいざ知らず、絶対に恐れてないと思うぞ。
なぜなら、負ける要素が全くないから。
0080人間七七四年
2011/01/20(木) 01:05:18ID:75CU+EHSパターン1 不毛の地、関東に封じ込め→北条残党蜂起→佐々の二の舞→改易、切腹(聚楽第で)
パターン2 関東の開発失敗→軍役掛けまくり→ますます貧乏→最貧国徳川誕生→内紛あれば→改易、切腹(聚楽第で)
↓
内紛なし→家康強制隠居(聚楽第軟禁)→養子秀康&無能秀忠で徳川家解体
まあ、これを狙っていたんじゃないの?
0082人間七七四年
2011/01/20(木) 01:12:40ID:HBdw01AJ0083人間七七四年
2011/01/20(木) 01:30:17ID:9EXUishpおいおい、上杉は実際に関東の取次を務めてるんだけど。
その後に家康が関東取次になったんで忘れられてるけどな。
関東領国については天徳寺宝衍から上杉の木戸範秀に対し
関白からの話だとして伝えている。
自分の知らない事を「妄想」だとか言い切るのは見事だが、
きちんと調べもせずにそんな事してたら
「僕無知な上に馬鹿です」って宣言してるようなもんだぞw
0084人間七七四年
2011/01/20(木) 11:58:02ID:lTGFidPj秀吉自身が家康を評価している以上は君がいくら理屈をこねても無駄だろう
0085人間七七四年
2011/01/20(木) 12:18:59ID:FH3wf641官僚に必要な能力と政治家に必要な能力は違うよな。官僚なら三成>家康だろうけど政治家としては三成<家康。
0086人間七七四年
2011/01/20(木) 14:57:58ID:LkPcVUMsしかしそれも秀次事件によって大きく変わる。
0087人間七七四年
2011/01/20(木) 23:47:42ID:hTrE+pcz自分が無知だって事は良く理解出来たのかな?
でね、俺が言ってるのは家康の立場や所領というのは
家康が自分の置かれている状況を良く理解した上で周囲の状況を利用し
外交交渉や戦争などによって勝ち得た物だという事。
「小牧・長久手で秀吉を苦戦させたから」だなんて下らない理由じゃない。
誰の能力が高いだとか下らない事はどうでも良い。
>>86
景勝や家康に与えられた取次という立場は豊臣政権に従わない国との
交渉役や周辺諸国との取次が主で、秀次事件以降に与えられた立場とは別に考えた方が良い。
豊臣奉行衆が行った取次・御指南もまたそれとは性格が異なる。
0088人間七七四年
2011/01/21(金) 09:39:36ID:FH0GpxVA秀吉の下で天下を取れる実力を蓄えた家康の能力は、三成より遥かに上
0089人間七七四年
2011/01/21(金) 19:43:23ID:Gu4wIfxL結局「外交」だとか「戦争」だとかいう単語にしか反応出来ず、
物事の本質を全く理解出来ない。悲しいな。
0090人間七七四年
2011/01/22(土) 03:01:54ID:Bn23KzBQ>外交交渉や戦争などによって勝ち得た物だという事。
>「小牧・長久手で秀吉を苦戦させたから」だなんて下らない理由じゃない。
小牧・長久手の戦いは戦争&外交だろw
「小牧・長久手で秀吉を苦戦させたから」その戦果を最大限利用して秀吉の妹や母を人質として引き出したり
色々な交渉を繰り広げて立場や所領を勝ち得た
お前の言う「外交交渉や戦争などによって勝ち得た」というのは
小牧・長久手じゃないなら何を指しているわけ?
0091人間七七四年
2011/01/22(土) 08:11:55ID:87RdPJ730092人間七七四年
2011/01/22(土) 12:30:09ID:Bn23KzBQそんな適正と正反対のことをする軍隊なんてあるわけない
0093人間七七四年
2011/01/22(土) 16:45:29ID:vxyNyXu8「自分は居候ですw」と自嘲したとか出来すぎな気もするけど、実際はどうだったんだろ?
0094人間七七四年
2011/01/22(土) 17:06:57ID:q6+23Z/C身内にとっては頼りになる大将だったんだろう
部下は、「殿がまた福島殿や加藤殿とケンカしちまって…大丈夫だろうか」
とハラハラしてたかもしれんなw
0095人間七七四年
2011/01/23(日) 09:28:47ID:xh53Axqu尽きてしまう感じだな〜。
大抵の話は逸話か小説ベースみたいだし、何より戦国大名じゃなく官僚大名っぽいもんな。
それはそれで否定しないけど、戦国板だしな・・・。
0096人間七七四年
2011/01/23(日) 11:02:49ID:zjuzdAai自分の録を全て家臣にあげちゃって、住むところがないから家臣の家に居候する人って
珍しいよね
そういう意味でも面白い人ですね、石田三成
0097人間七七四年
2011/01/23(日) 11:10:04ID:Vj/bkJ45まあ、旗頭として戦国時代を生き抜いてきた各地の戦国大名と違って秀吉に
功績を認められて領地を与えられた結果大名になったわけだから成り立ちが
違うのはしょうがないよね。どうしても秀吉ありきになっちゃう。
0098人間七七四年
2011/01/23(日) 11:32:09ID:t+Ju/8Ct通は鮭延秀綱のように、十人の家来全員に禄を全部分け与えてから、
毎日違う家に泊まって、葬式も墓も全部家来にお任せする。
0099人間七七四年
2011/01/23(日) 12:08:26ID:zHt+uw9yそれまでのレスを見れば十分分かるだろ。
つーか、何で前段の文無視してそこだけ切り取るんだよw理解力が無いなんてレベルじゃねーぞw
外交交渉や戦争が指すのは小牧長久手じゃなく対北条についての事だが、
そもそも重要なのは「外交交渉や戦争」っていう部分じゃなくてその前。
自分の置かれている状況を最大限利用して立ち回るという事。
秀吉の東征にあたり、最初にその矢面に立たされるのが家康だ。
そこで家康は北条と同盟を結び、徳川・北条・伊達という大連合を作る。
もちろん、連合によって秀吉に対抗する意思もあっただろうが、
この連合は秀吉との交渉のカードとして考えていた物だと思われる。
たとえ三家の連合であっても既に秀吉に対抗する事は難しい状況になってしまっている。
ただ、秀吉にしても大勢力の連合は厄介で力攻めは得策じゃない。
ここで家康が寝返れば北条との交渉役にも使え、一気に東国の仕置が進む。
家康としてもうまく立ち回れば好条件を引き出せる非常に大きなチャンスになる。
結果、それまで敵対していたのは嘘のように秀吉軍の先鋒として粉骨砕身し、
与えられた仕事をきっちりこなして大きな信頼を得る事が出来た訳だ。
0100人間七七四年
2011/01/23(日) 14:28:58ID:LIycNIPH家康は伊達とは同盟して連合など作っていない
そもそも家康上洛前の伊達など単なる東北の中堅大名にすぎず結びついて秀吉と対抗とか以前の問題
それに秀吉が家康と敵対している時の喫緊の課題は九州であって東国の仕置きは後回しの状況だよ
九州を平定するためには後顧の憂いとなる家康をおとなしくさせなければいけないから
秀吉は家康を懐柔せざるを得ず、家康もその状況を最大限に利用して大領を確保した
それまで敵対していたのが嘘のようにとか言ってるけど家康の上洛から北条攻めまで何年空いているか分かる?
お前の脳内では家康の上洛直後に北条攻めが始まって家康の態度が突然変わったことになっているのか?
と三成に関係ないことを書いてしまいました
0101人間七七四年
2011/01/23(日) 15:37:18ID:q1ptMnqW上洛直後から家康が態度を急変させたなんて一体どこに書いてあるんだ?
家康が上洛した直後には秀吉の事を「羽柴方」と呼んでおり、
この時点では北条との同盟を破棄しているわけではない。
その後、豊臣方は九州攻めを終え東国の仕置に磐石の態勢となり、
北条は伊達との同盟により対抗姿勢を整えるわけだが、
天正十六年五月の氏政・氏直宛家康書状によって家康は態度を明確にし、
北条との同盟関係を破棄する事になる。
結果、家康の強硬姿勢が功を奏し氏規上洛が実現するわけだ。
理解できたかな?
0102人間七七四年
2011/01/25(火) 11:03:15ID:hP0WglSfいくら徳川に媚びを売りたかったとはいえ
家康ですら三成の子供全員を助命してるのに呆れかえる
本来は自分自身が殺されても仕方ないのにな
総大将の癖に命とられなかったってある意味不思議
アメリカの南北戦争で負けた南軍の将軍は別に命とられたってわけじゃないけど日本の戦国時代ではあり得ない
0103人間七七四年
2011/01/25(火) 12:25:08ID:PWJt0Fje0105人間七七四年
2011/01/25(火) 14:05:38ID:hP0WglSfヘタれの毛利なら反乱は起こせないだろ
TERUを処刑しても毛利が残ればいいだけの事
本音はキッカーを処刑したかっただろうな
0106人間七七四年
2011/01/25(火) 14:46:11ID:PWJt0Fje0107人間七七四年
2011/01/26(水) 23:44:10ID:AAWj+Jddヘタレ毛利のくせに大大名として調子に乗ってしまった
0108人間七七四年
2011/01/27(木) 01:58:33ID:lUJqGG2Tあのタイミングでしか信長を殺せなかったと思う
ただ信長ほどの残虐な男なら天下統一するまでに誰かに暗殺されていたと思うがな
いずれにしても信長の死が3年遅れれば毛利は滅亡していたのは間違いない
元就が生きてればわからないがの
0109人間七七四年
2011/01/27(木) 07:41:43ID:0tAmPbHt例え秀吉撃退してもすぐに信長が大軍率いてくるから詰む
てか残虐だから暗殺されるなんて言ったら殆どの大名が当てはまるよ
延暦寺焼き討ちを光秀も嬉々としてやってたしな だから農民に、はこじつけか
三成スレなのにスレチだなすまん
0110人間七七四年
2011/01/27(木) 09:29:26ID:HPoGAkG+家康の警戒が厳重で断念したけど
0111人間七七四年
2011/01/27(木) 19:58:25ID:lUJqGG2T徳川サイドの物語では三成を悪人にしたいさかい計画したとあるがそういう史実はなかったというのが定説か
一応三成は暗殺を好まない男
蒲生の件かて病死だしな
0112人間七七四年
2011/01/28(金) 13:14:50ID:lViKDBRc0113人間七七四年
2011/01/28(金) 17:51:59ID:iRVaeWLn> そういう史実はなかったというのが定説
だからお前のいう定説はどこで言われている定説かハッキリしろ。
実際に三成による家康暗殺の噂が流れたのは確かだし、そう言う動きがあってもまるでおかしくはない。
三成の暗殺計画というのを完全に否定している研究者も居るには居るが、それが
定説になったなんて話は
聞いたことがない。
0114人間七七四年
2011/01/28(金) 20:46:15ID:JnpWEkiV0115人間七七四年
2011/01/28(金) 21:23:56ID:HAt8/+Vn0116人間七七四年
2011/01/28(金) 21:54:45ID:78MvL7zy0117人間七七四年
2011/01/28(金) 22:55:23ID:6jOXYkK40118人間七七四年
2011/01/29(土) 07:05:05ID:XP6lVG6kテルをヘタレと言うが、
秀頼やら淀やらそれらの側近が傍観者決め込んでいる自分の城ではない大坂城で、
根拠地の広島を殆どの軍勢率いてきた結果留守状態にしたまま、
テル坊に戦って根性見せれ!というのはちぃと酷ってもんだろう。
肝心の関ヶ原決戦では味方っていうか西軍は完敗してしまってるわけだし。
戦いを通じて家臣やら吉川やらを纏めきれなかったことや、
大坂城を出るにあたっての折衝処理の稚拙さは大いに問題あるけどな。
0119人間七七四年
2011/01/29(土) 09:56:24ID:D0Z3PJe1どの道詰んでた気がする 大阪城がら空きにするわけにもいかんしな
0120人間七七四年
2011/01/29(土) 12:12:44ID:zAw/WBHI秀吉に領地を没収され三成を代官にするなんて処置を受け、それを家康に取り消して貰ったわけだから
心置きなく西軍として戦うなんて不可能だろう
0121人間七七四年
2011/01/29(土) 12:16:23ID:BiZd5Sq10122人間七七四年
2011/01/29(土) 18:03:56ID:xWTAmgw/美しき生涯〜石田三成、永遠の愛と義〜
脚本・大石静
音楽・大島ミチル
演出・石田昌也
をやります。
みてね〜
0123人間七七四年
2011/01/29(土) 18:06:43ID:4WRrzxAt0124人間七七四年
2011/01/29(土) 21:25:01ID:0VSpX5ow家康がとか言うが将来味方につけるため恩を売っただけ
豊臣の将来を考えれば秀秋の格下げは当然の決断
秀秋はせいぜい6万石で十分だよ
0125人間七七四年
2011/01/29(土) 21:26:15ID:0VSpX5ow直江て結局なにしたんですか
家康に挑戦状を叩きつけただけだろ(笑)
0126人間七七四年
2011/01/29(土) 22:13:58ID:4WRrzxAt忠臣の藤田信吉を殺そうとしたり、酷い奴だよな
天下人ルート確定してた家康に対して
あんなの書けるのは尋常じゃないけど
0127人間七七四年
2011/01/29(土) 22:14:02ID:zAw/WBHI大国の主にふさわしくないなら小早川の養子になんかしなければいいじゃん
最初から6万石のところの養子にしておけばいいだけ
それに家康が将来味方につけるため恩を売るのは当然でしょ
恩を売りつけているのを黙って見過ごして関ヶ原で致命的な結果を招いた豊臣が間抜けなんだよ
豊臣の将来を考えて格下げしようとしたならそんな仕打ちを受けた秀秋が豊臣の敵に回るという前提で行動するのが常識だよね
0128人間七七四年
2011/01/29(土) 22:59:04ID:stMZn0Qrどうやって集めたんだ?
0131人間七七四年
2011/01/30(日) 02:15:17ID:nlVs/o0J藤田、、、、
それにしても直江大河はやりすぎだった
0132人間七七四年
2011/01/30(日) 12:28:35ID:j2oVYQ4iいやそれより前から色々驚いてたけどさ
上杉家臣の役割なんて\殿!/\殿!/\殿!/と騒ぐだけかさすが兼続、さすがお船と言うだけだったしな
0133人間七七四年
2011/01/30(日) 13:14:42ID:IqgR+xc/結局家康とは戦っていないんだし
前田みたいにして大大名として生き残ればいいじゃんと考えれば
藤田は上杉にとって忠臣だろうな
結局のところ上杉の対応は中途半端だった
0134人間七七四年
2011/01/30(日) 14:09:34ID:4UYM/Gqy出奔しているので忠臣とは言い難いだろう。ちなみに藤田出奔は4
月の直江状前とみられ、しかも上杉は6月までは上洛も検討してい
るので、徳川との対立が決定的になる前。
三成と上杉と言えば、間をつなぐのに岡左内も役立ったんだろうか
0135人間七七四年
2011/03/02(水) 07:35:30.52ID:eqETrauP0136人間七七四年
2011/03/02(水) 23:36:29.44ID:W2eUyulf真田三成はカッコよかった
0137人間七七四年
2011/03/03(木) 18:20:07.53ID:tvA1/r4g0139人間七七四年
2011/03/03(木) 19:33:59.37ID:UuSeMqeM0140人間七七四年
2011/03/03(木) 19:37:19.23ID:AmsspRQ80141人間七七四年
2011/03/03(木) 20:40:08.18ID:U5wVbUGQ割り切らないと悪役として魅力を出すのは難しいな。
三成を悪役にするとどうしてもスネオタイプの小物になる。
0142人間七七四年
2011/03/03(木) 21:10:50.64ID:AmsspRQ80143人間七七四年
2011/03/04(金) 06:03:28.26ID:8c48sjiT0144人間七七四年
2011/03/04(金) 06:17:05.03ID:nK+shpbR信長に援軍要請する使者を務めた際、信長と光秀の様子を見て
謀叛を予想し、その予想を伏せたまま撤退準備を事前に提案する
キレ者かつ男前な三成だった。
0147人間七七四年
2011/03/05(土) 00:38:56.43ID:wP/Qhen1そもそも秀吉のために泥をかぶるようなことを三成はしたのか
大名たちが不満を持った朝鮮の件は三成の秀吉への報告内容に対して不満があったからで
秀吉と大名たちの不和を謀っているよう見えて
とてもじゃないが泥をかぶってるように見えない
0148人間七七四年
2011/03/05(土) 00:58:15.73ID:T5cJhB4w勝った戦いだけ膨張させ負け戦は過小報告ばかりする連中にとって正直にありのまま報告する三成を嫌うのは当然かも
0149人間七七四年
2011/03/05(土) 10:38:30.27ID:kk7rpwjE戦略的には文禄の役後期以降は撤退しまくって沿岸部の引きこもっていただけ
だからなぁ。戦略面を重視して秀吉に報告したら、そりゃ諸大名に不利になる罠。
0150人間七七四年
2011/03/05(土) 14:36:15.97ID:JxvJNYUD本人にその気はなくても周りからはそう見えたんだから、三成の不徳のいたすところ、って奴だ。
0151人間七七四年
2011/03/05(土) 20:43:04.49ID:5BwrCrW+0152人間七七四年
2011/03/05(土) 21:50:07.34ID:CksrEN9l明智光秀のように主君討たなかったけどやってることは似たようなもんだし、それをいったら秀吉も同じ穴の狢だが
0153人間七七四年
2011/03/05(土) 22:08:41.26ID:rsJ80SQVいくら秀吉が権力者であっても遺言はあくまでプライベートなお願いごとというのが古今東西の常識だから
三成を含めた豊臣家の人間が口を揃えてあれは遺言ですと言っている以上は精々が努力目標程度でしかなくなる
遺言の意味を正しく理解していない豊臣家が悪い
0154人間七七四年
2011/03/05(土) 22:25:18.62ID:wP/Qhen1本人にその気がないなら身内贔屓なんてしないだろ
0155人間七七四年
2011/03/05(土) 22:26:45.85ID:CksrEN9lそんなもんなのね、一応臣下に入ったにも関わらず
まぁ個人的にはいくら幕府開いたとは言え主家を蔑ろにし滅ぼした大謀反人と思ってる
0156人間七七四年
2011/03/05(土) 22:31:45.62ID:5BwrCrW+謀反して建てた政権が長続きしちゃったからな
0157人間七七四年
2011/03/05(土) 22:40:04.01ID:pmsuMnT7普通に豊臣に問題がある、と思うわな。
0158人間七七四年
2011/03/05(土) 22:49:44.31ID:AaK5/D4U0159人間七七四年
2011/03/06(日) 00:07:45.85ID:UQYsbmwx0160人間七七四年
2011/03/06(日) 01:35:36.27ID:eJADozC4人質を取るんじゃなく差し出すなんて信用してないと無理
0163人間七七四年
2011/03/06(日) 10:01:42.76ID:NDVrfOBq国際連盟じゃないけど普通利害が異なるわけでほとんど決まらないで終わっちゃうでしょ。
だから江戸時代の老中みたく最終決定者(将軍)が別にいたり、他の人を駆逐して
合議制という名の独任制にならざるをえないと思うんだけど。
よく家康を専横した悪人、三成をそれを防ごうとした善人みたいな論理あるけど
結局は専横の座を巡る対立でしかないよねえ。まあ、関ヶ原で西軍が勝ったとしても
今度は西軍内部での主導権争いで余計カオスになる気もするけど。
秀吉的にはその最終決定者に秀頼をって思ってたのかもしれないけどまだ幼児だしねえ・・・・・・。
せめて秀頼が成人するまで摂政になる豊臣親族がいれば変わってたのかな?
0164人間七七四年
2011/03/06(日) 13:28:02.35ID:hm+lDPPP異国の地で命がけの殺し合いをやっているのだから勝った勝ったと過大に騒いで高揚しないと精神がもたないよ
お役所仕事の感覚を戦場に持ち込んで処理しようとする方がどうみても間違いだ
三成が戦下手とされるのは戦術が分からないといった技術的なものでなくそういう精神部分の理解不足が要因だろう
0165人間七七四年
2011/03/06(日) 13:39:49.64ID:7AETmkIaへ?何言ってんの?
秀頼に忠誠を誓う旨の血判誓詞と遺言は全く別なんだけど。
豊臣政権の基本法である御掟も破ってるしな。
0166人間七七四年
2011/03/06(日) 14:06:10.54ID:8VGqzMxQ法の拘束力云々を現代の感覚で語る事がナンセンス。
簡単に言えば、破りましたけど何か?
破った家康は、その重罪に見合う程に罰せられたのかね?
結局、まだまだ力の時代。
0167人間七七四年
2011/03/06(日) 14:12:09.89ID:7XA1TTOr何いってんの?豊臣家の御掟は家康による慶長16年の三ヵ条誓紙で上書きされておる。
憲法改正したようなもんだ。よって法的に全く正統。
0169人間七七四年
2011/03/06(日) 16:36:14.65ID:Nh+B1tPX秀頼に対する忠誠なんて秀吉が死んだらありませんって行動が示してる
0170人間七七四年
2011/03/07(月) 02:50:19.93ID:xF0k24F/わざわざ関ヶ原まで行って謀反人を成敗しただけ
家臣が主君を減封?謀反人を倒してあげたのだから豊臣が恩賞を差し出すのは当たり前でしょ
それでもギャーギャーうるさいので望みどおり大老を辞めてあげて豊臣は無関係の征夷大将軍になりました
ハッキリ言って何の問題もない
征夷大将軍については足利一族なら文句を言う権利はあるだろうが
0171人間七七四年
2011/03/07(月) 07:24:02.89ID:PbrIKmq3一行目から間違いと言うか誤認も甚だしい。
貴方いえ多分貴方は女性の方かな?
謀反とは主家に対して起こすもの。
その時点の上杉家は豊臣秀頼に忠誠を誓っており、徳川家に従属していません。
よって徳川家に対する行動は謀反に該当しません。
貴方/貴女の主張は文頭から文末に至るまで成立しません。
0172人間七七四年
2011/03/07(月) 07:36:41.81ID:mzFJRxys豊臣に対しては謀反じゃなく職務放棄しただけ
0173人間七七四年
2011/03/07(月) 07:47:32.33ID:MSs8NM/E0174人間七七四年
2011/03/07(月) 10:16:31.82ID:kHGgrm1i豊臣に忠誠誓ってるのならなんで領内の防備高めてるの?
なんでそれについての釈明求められたら開き直って喧嘩売ってるの?
当時の豊臣政権仕切ってた家康なんだから家康の指示≒豊臣政権の指示じゃないの?
それが気に食わないのならなんで畿内に帰ってこないの?
あくまで豊臣家に指示しか聞かないってのなら秀頼が成人するまで好き勝手させてもらうってこと?
状況としては社長が死んで株引き継いだのが幼少の子供だから次席の専務が
代表取締役になったのを常務が気に食わないってんで反抗したってことだよな?
それって立派に会社に対する反乱だよ。家康に釈明するのが嫌なら豊臣家にでも
釈明すればいいじゃん。でもそれすらしなかったんだから言い訳にならんよ。
0175人間七七四年
2011/03/07(月) 10:22:07.68ID:L8r1mHlb0176人間七七四年
2011/03/07(月) 12:07:58.49ID:5bHv5PWvやっぱりヒャッハーとしか思えないんだよな。
外様の実質降伏大名だし、秀吉死亡で重しがなくなったわけで。
三成のバクチを利用しようとしただけじゃない?。
それだと、関ヶ原後の速攻土下座の説明がつく。
伊達や島津(義久)も同じ類。
0177人間七七四年
2011/03/07(月) 18:58:36.24ID:tOmMtJoL>領内の防備高めてるの?
備えあれば憂い無し。越後から移ってきたばかりなんだからそれなりに準備しとかないと天下の笑い者だ。
0178人間七七四年
2011/03/07(月) 20:37:23.88ID:mzFJRxysあかんでしょ
政治での失策を軍事で取り戻すのは難しいんだし
0179人間七七四年
2011/03/07(月) 20:46:11.75ID:UNLUqm9g0180人間七七四年
2011/03/07(月) 21:08:52.89ID:8KgrtSKR0181人間七七四年
2011/03/07(月) 21:34:23.46ID:tOmMtJoL国替えで忙しいの判ってるんだから只の嫌がらせ。
0182人間七七四年
2011/03/07(月) 21:50:35.17ID:kHGgrm1iちゃんと説明せずに分かってもらえると思う方が間違ってる。
つーか忙しくて行けませんって言い訳になってないぞ。体よく断ってるだけじゃん。
0183人間七七四年
2011/03/07(月) 21:55:16.44ID:EKp7mmvU0184人間七七四年
2011/03/07(月) 22:02:56.88ID:UBmeeIVj0185人間七七四年
2011/03/07(月) 22:08:34.80ID:EKp7mmvU最初から目的を持って帰国進めて喧嘩売ったと見るのが自然、後の行動見ると天下取る程の者で悪人でない者はないな
0186人間七七四年
2011/03/07(月) 22:11:13.16ID:mzFJRxys0190人間七七四年
2011/03/08(火) 01:49:51.24ID:f/OsFQRc暴れまわったはいいが政治センスの無さで袋小路に入り込み
葬式には敵の襲撃を恐れて参列者が完全武装、って体たらくだったのが
長尾為景なわけでw
0191人間七七四年
2011/03/08(火) 03:26:06.34ID:mUdeU3Wp>その時点の上杉家は豊臣秀頼に忠誠を誓っており、徳川家に従属していません。
秀頼に対して謀反を企てていると言う理由で会津征伐は始まっているんですが?
だから家康は豊臣の名義で諸大名に出兵の命令を出しているし軍資金もきちんと豊臣から貰っています
この時点で徳川家に従属しているかどうかは関係ありません
徳川家に対してではなく豊臣家に対して上洛命令を無視したことが謀反に該当します
貴方/貴女は大河ドラマ等から知識を得ているのかな?もっと歴史を勉強した方がいいですよ
0192人間七七四年
2011/03/08(火) 13:30:20.49ID:ONRryVGN頭下げた以上、どんな理不尽な事言われようが、服さないと。
征伐されんのは当然。
0193人間七七四年
2011/04/04(月) 00:51:41.99ID:+00ShI/N大河の三成はどうなんですか?
0194人間七七四年
2011/04/04(月) 02:01:24.48ID:BBIoeRVM0195人間七七四年
2011/04/04(月) 02:19:17.87ID:C95R5nCH0196人間七七四年
2011/04/04(月) 04:23:21.44ID:BBIoeRVM理解出来ません。
0197人間七七四年
2011/04/07(木) 02:16:03.26ID:a4oqoL4P秀吉の命で蛤焼いて茶々の気を引こうとして軽蔑されてた…
0198人間七七四年
2011/04/07(木) 02:18:38.53ID:FJNq2wko自己レス。子役を使わなかったのは成長を見せるためだそうです。むしろ子役を使った方が、
大人になったんだな、と判りやすかったのにと思います。残念!
0199人間七七四年
2011/04/09(土) 20:43:49.73ID:LAp+Bte0幼児語しゃべってた成人がまともにしゃべるようになるだけなんじゃ…
0200人間七七四年
2011/04/11(月) 01:28:06.90ID:rL3ieW47大河三成はただの気のいい下男
あれで家康と対峙できるのかと思うくらい軟弱
0201人間七七四年
2011/04/11(月) 01:35:58.91ID:EIL712g9秀吉からの命令を押し付ける人間であるべきだ。
0202人間七七四年
2011/04/12(火) 11:22:13.02ID:lsqf5OYw個々の書き込みが面白そうで、気になってきたw
気のいい下男で蛤焼いちゃう三成、…見たいなw
0203人間七七四年
2011/04/12(火) 12:31:47.82ID:speQkXVF0204人間七七四年
2011/04/14(木) 14:23:08.03ID:IBC0OLpg0205人間七七四年
2011/04/14(木) 20:41:28.30ID:Hc1Veylu「殿以外に下げる頭は持たんわ!」って態度があからさま過ぎて恨みを買いまくるタイプだよね。
切れ者の能吏ってより、腕一本でのし上がった荒々しい武辺者に近いメンタリティ。
一人の人間としては爽やかで美しいけど、それゆえに天下の政を行う器ではない。
0206人間七七四年
2011/04/15(金) 23:18:19.74ID:2SzSkYnK身の程知らずにもほどがある!
0207人間七七四年
2011/04/16(土) 18:11:32.03ID:ClLm+Mm6かわいそうな人だよね。
三河武士団に所属していたら、ごく普通の三河武士として生涯を終えられたのに・・・・・・
おそらく本田正信より好かれたかもしれない。
小平太や彦左あたりからは、嫌味な野郎だが、腸腐れの弥八郎に比べたら、はるかにましな奴と評価されただろうね。
0209人間七七四年
2011/04/16(土) 20:56:47.64ID:eSm7QMKCもし、家康や信長と同年代だったとしても近江では出世出来ないだろ浅井家の家臣としては
生まれるべくして生まれ散るべくして散ったんじゃないかと
0210人間七七四年
2011/04/16(土) 21:40:22.26ID:kLkz2G3d別にかわいそうな人じゃないだろう
自分の行動で敵を作っているわけだし
三成は勝手な行動して自滅した単なる思い上がった人間だろう
それに襲撃された三成よりかは正信の方が評価されたと思うぞ
0211人間七七四年
2011/04/16(土) 21:59:14.46ID:ClLm+Mm6>>207の剛毅で情に厚い武人肌だけど、それゆえに矜持と美学と忠誠心が強過ぎて、
「殿以外に下げる頭は持たんわ!」って態度があからさま過ぎて恨みを買いまくるタイプ
のところだけ見れば、めんどくさい三河武士とかややこしい甲州武士にいるでしょ。
彦左衛門とか曲渕さんとか、三成キャラなら三河武士や甲州武士では、ごく普通にいそうでしょ。
勝手に敵作ってというより、ブラック太閤さんの弾除けを忠実にこなしてたせいで恨み買ったと思うが
0212人間七七四年
2011/04/16(土) 22:21:14.86ID:kZUW2qcuこれって俺は秀吉の次に偉いと言っているに等しいわけだから恨まれるに決まっている
少なくとも豊臣一族でもない三成に許される態度ではないのは確かだろう
0213人間七七四年
2011/04/16(土) 22:57:02.27ID:eSm7QMKCまぁ、秀吉の信任と寵愛にキレ過ぎたのが不運、欲が無いのが仇になった人は欲を満たしてやらないと付いてこない生き物だから
戦国時代を乗り切ってきた猛者達なら尚の事、三成に近かった武将達はイレギュラーだったというだけ
0214人間七七四年
2011/04/17(日) 01:04:24.29ID:mrsrprjf襲撃事件てまともな大人がするような事ではない
それを30こえた大人どもがやるなんて全く異常
被害者の三成が隠居で福島らは全くお咎めなしって採決はありえないな
やはり家康とつるんでたわけね
0215人間七七四年
2011/04/17(日) 01:59:41.88ID:GDnjzGSt家康の家来だったら、「また佐吉かよwしょうがねえ野郎だなw」で済んでそう。
作左や本多正重のような奴ですら許容されてた家だからな。
裏表の無さや武骨さがかわいげとして評価される家風だし。
作左や彦左あたりと顔合わせるたびにガミガミ罵り合いしてるんじゃなかろうか。
0216人間七七四年
2011/04/17(日) 02:18:36.99ID:GDnjzGSt>>212
忠勤や武功を誇るあまりに、プライドが極限まで膨れ上がってて、
主君以外にはどんなに身分や名声がある相手だろうと、絶対頭下げないような武士はそんなに珍しくないぞ?
そういう武士はだいたい「愛すべき馬鹿」として扱われて、重宝されるわりにあまり出世しないが。
プライドさえ満足させたら、知行も財産も名誉もいらんって人種だからな。
0217人間七七四年
2011/04/17(日) 07:26:39.69ID:mrsrprjf所詮成り上がり連中ばかりだからな
豊臣系は
加藤福島なんか秀吉の親戚でなければ盗賊とかになるしかなかった連中だし
0218人間七七四年
2011/04/17(日) 08:57:31.54ID:8ThiR3W4別に武士だから特別なわけでもない。
0219人間七七四年
2011/04/17(日) 09:11:04.99ID:SGH09vmXお前は武士を何も解っていない。武士というのは高度に専門的な軍事技術集団だ。
本質的に盗賊などとは全く次元を異にする。
0220人間七七四年
2011/04/17(日) 11:36:14.33ID:7rbPeFXc0221人間七七四年
2011/04/17(日) 11:55:51.88ID:SGH09vmX江戸期は行政立法官僚としての側面が強くなった。
武士はその発生から軍事技術集団だ。その辺の盗賊が武器を持っても武士にはなれん。
集団での戦闘技術、武器の扱い、軍隊集団の運用といったノウハウが無いからだ。
0222人間七七四年
2011/04/17(日) 11:59:17.32ID:0E+1AT1B0223人間七七四年
2011/04/17(日) 13:09:04.25ID:8ThiR3W4あのさ。
職能スキルの話をしてるわけないでしょ。普通はわかるぞ。
社会における立ち位置の話に決まってんだろw
武力を背景とした支配、弱者から詐取。
盗賊と本質的に何が違う?
0224人間七七四年
2011/04/17(日) 13:25:03.25ID:2rJZsgQD三成が剛毅で情に厚い武人肌の人間か?
豊臣家がよければ他の人間がどうなろうと
どうでもいいと思ってる人間じゃないか
ガラシャの件を見てるとそう思えてくる
あとめんどくさい三河武士とかややこしい甲州武士は
三成みたいに恨みを買いまくるタイプじゃないと思うが
三成が敵を作ったのは朝鮮出兵での件で
太閤さんの弾除けをしたせいじゃないと思うが
それもうまくやったとは思えんし
つーか悪いことは全部太閤のせいにして
とんだ忠義ずらした人間じゃね三成は
0225人間七七四年
2011/04/17(日) 13:26:10.33ID:KAH2gHRI盗賊の目的は文字通りただの略奪であって全く意味が違う。
合戦時に武家奉公人等によって行われる乱取りが
盗賊なんかと変わらないっていうのと混同してるのかな。
> 武力を背景とした支配、弱者から詐取。
こんな事言い出したら、江戸時代どころか現代だって当てはまる。
0226人間七七四年
2011/04/17(日) 15:22:43.29ID:+4JEYao9その豊臣家を徳川家に入れ替えれば、あら不思議w
めんどくさい三河武士にややこしい甲州武士、小難しい北条武士の出来上がり。
ガラシャの件を言えば、本多作佐なんか、もっとひどいぜ。
家康の「大政所は人質だから、万一の時は殺せ!ただーし俺の嫁の朝日姫は殺すな」
を完全無視して焼き殺しの準備するんだぜ。
どう見てもガイキチです。
0227人間七七四年
2011/04/17(日) 17:51:54.22ID:8ThiR3W4武家による支配の到達点?
でそれが、朝廷またはその代行者による(広義での)一元的な統治なの?
自分で意味わかってる?全くわかんないんだけどw
被支配者層からみれば、同じようなもん。
キミが述べてんのは、上から目線の理屈。
武士には生産性がないからね。現代とは違うよ。
武士の存在矛盾が、江戸期には既に表面化してるのは常識でしょ。
0228人間七七四年
2011/04/17(日) 17:54:34.68ID:Pg9iVvRb豊臣家としては三成の首を飛ばせば、後の政権運営に多大な影響が生じるが、
徳川家は十人ほどまとめて飛ばしてもまだまだ後が控えているという層の厚さの差
0229人間七七四年
2011/04/17(日) 19:54:59.35ID:+4JEYao9弥八郎>>>越えられない壁>>>彦左衛門>>>作左衛門>>>庄左衛門=三成=甚衛門>>>彦衛門
で、まあ中堅どころかな。
0230人間七七四年
2011/04/18(月) 05:58:01.53ID:eG6RqKvF確かに豊臣系大名の層の薄さは異常
野球で言えば高卒上がりの選手をことごとくレギュラーにしていばらせたんだよな。
0231人間七七四年
2011/04/18(月) 07:12:09.20ID:SPC9qLKQ当時、山野川の使用権等を巡る惣村同士の諍いは日常的であり、
これらの解決にはしばしば上位の領主層による助太刀が必要になった。
支配体系が一元化する事によって武力による解決ではなく、
裁判による平和的な解決が可能になった。
また、支配が安定すれば大掛かりな治水工事や街道整備、
町割といった事も行う事が可能になる訳だ。
恒久的な統治を目的とした場合、単純な「搾取」では容易には成り立たない。
当時の武家による支配も同様で民衆にも少なからずメリットがあった訳だ。
盗賊と同じなんてのは馬鹿馬鹿しいにも程がある。
0232人間七七四年
2011/04/18(月) 14:51:32.91ID:ldBOe7Paその司法力や行政力は、武士のスキルではなく、『支配者・為政者』のジョブでしょ。
『支配者・為政者』という箱に、坊主や公家、商人が入るケースだってある。
武士でなければならない理由はない。
キミは、その箱に武士が入ったケースを説明しただけ。
武士の本源的なスキルは戦闘力。これが収入の対価なら問題ない。
これに依らず、『支配』を根拠に収入を得、対価であるはずの戦闘力は、
被支配者への強制力と化している。
本質的に盗賊やヤクザと変わらんよ。
とは言え、武士を否定したいわけではないので、悪しからず。
0233人間七七四年
2011/04/18(月) 15:09:21.29ID:9Av3m8qOお前はそもそも『戦闘力』が何かを理解していない。
盗賊やヤクザのそれは「暴力」に過ぎん。
戦闘行動を企画立案し実行、完結させる事は技術そのもので
次元が全く異なる。
君は「暴力」の集合体が戦闘だと勘違いしている。
0234人間七七四年
2011/04/18(月) 15:52:01.67ID:4N3o/IRr0236人間七七四年
2011/04/29(金) 18:22:09.44ID:7gMx6XWV0237人間七七四年
2011/04/29(金) 19:29:22.59ID:ufeOKrNe0238人間七七四年
2011/05/07(土) 21:59:10.62ID:ggsEh1WJ時間は豊臣に味方している。時がたつほど、秀頼は成長し家康は老い先が短くなる
だからこそ、家康は急いでいた。強引にでも諸事を押しとおさねばならなかった。
時間がたてばたつほど、家康は反豊臣の姿勢を明確に打ち出さねばならなくなる。
さながら、城攻めの如し 時に追われて死ぬまでに大阪城を落とさねばならない家康と、
天下という鬼の首を以って、敵の時が切れるのを待つ豊臣 まるでかつての家康と信玄のように
しかし、三成は早々に挙兵した 三方ヶ原のごとく城から出て大軍に野戦を挑んだ
秀頼はまだ幼く、豊臣家臣同士の内部争いとすら定義できてしまう時期でだ
自分が挙兵すれば、徳川に懐柔された諸将のみならず、武断派まで敵に回るとわかっていがらに。
さらに、自分が負ければ豊臣は各個撃破がごとく、権力を殺がれ、衰退し滅亡するリスクを承知のうえでだ。
なぜか?三成が蟄居させられ政治の王道から外されたからである。
時が建つにつれ自身の影響力が薄くなるのを恐れ、来るべき家康との決戦の時に自分が中心にいないことを恐れたからである。
秀頼が大きくなり、豊臣の力をもって家康を打ち破れば、自分はただの家臣で終わらざるを得ないのだ。
つまり彼は忠臣ではない、主家が滅亡するリスクを負ってでも、自身が中心となれるうちに一か八かの大戦争を起こすことを望んだのだ
そして、大戦争に勝利した後自分が、山崎の後の秀吉のようになれる時機だからこそ挙兵したのだ
しかし、彼は敗れた 敗れるべくして敗れた
恐るべきは家康の老獪 本来自分が焦るべき立場にありながら、三成を蟄居させ自分よりもさらに焦らせる事によって
時間の不利を乗り切ったのだ
0239人間七七四年
2011/05/08(日) 02:38:49.55ID:HsWD5XK10240人間七七四年
2011/05/09(月) 09:15:22.48ID:+u2vJooB婚姻政策を進めて力をつけていく・・・
ついには親しい上杉を攻めようとしたのだから、
実直な三成の挙兵は当然と言える状況でしょう。
自身は6千程の兵しか動かせない現状で、九万もの兵を集めれたのは
ひとえに三成の人柄だったんだろうね
太閤様のご恩に報いるために必死だったんだよ・・・
佐和山城なんて19万石の城とは思えないほど質素だったらしいし
こんな人を貶すヤツの気がしれないわ
0241人間七七四年
2011/05/09(月) 13:29:34.93ID:U5hgefulが、『豊臣家』に対して忠であったかは甚だ疑問。
それを類推し得る逸話すらない。
単に、豊臣家を滅亡せしめた家康に抗った事のみが、忠臣の根拠になっている。
0242人間七七四年
2011/05/09(月) 15:07:19.70ID:WNMLfHq/いかほどの意味があるのか不明。豊臣家あっての豊臣政権でしょうに。
0243人間七七四年
2011/05/09(月) 18:27:37.66ID:fPOCZGFy単に日本を統治する政権というだけなら別に豊臣家は必須というわけでもない
0244人間七七四年
2011/05/09(月) 21:01:34.49ID:eRcpTNWs一世一代の大勝負としての関が原だろうが
結局負けたんだから、似たようなもんだろ
むしろ、後者に魅力を感じる
0245人間七七四年
2011/05/09(月) 21:23:57.04ID:U5hgeful区別>よく考えればわかる。
加藤・福島等のような、豊臣の血に対する逸話を教えてくれれば、見る事はなくなるな。
0246人間七七四年
2011/05/09(月) 23:14:28.56ID:WNMLfHq/いや別に秀頼様の御為じゃなくて、秀吉の残した豊臣政権を安泰させる為で何の不足があるって言うの?
0247245
2011/05/10(火) 01:06:35.70ID:D9Ktmtar『豊臣家』に対して忠臣ではないという事であれば、別に不足はない。
それを言いたいだけなのでね。
0248人間七七四年
2011/05/10(火) 02:42:40.07ID:uXQh+EO/単なる領土欲の固まりに過ぎない
江戸時代は徳川万歳という時代なので良くかかれることはあっても悪くかかれる事はないしね
0249人間七七四年
2011/05/10(火) 21:50:42.23ID:ATQMmuLL加藤、福島には領土欲があっただろう。朝鮮の役の恩賞が無いも同然だからな。
秀頼様、成人後の論功行賞なぞ、石田与党の連中しか恩恵にあずかれないと思っていただろうからな。
石田には権勢欲があっただろう。
佐和山に追放された後、時間が経てば経つほど石田の影響力は低下していく。そこで石田は、かっての
豊臣公儀における己が権勢を取り戻すために宇喜多と毛利という外様の軍閥と手を組んで、豊臣家の
最長老である豊臣家康(太閤の義弟、秀頼の嫁の祖父)を排除しようと舌のは明白である。
0250人間七七四年
2011/05/10(火) 22:05:59.69ID:uXQh+EO/いくら近年石田三成が評価されてるからって見苦しいよ
まじで、、、
0252人間七七四年
2011/05/10(火) 22:51:40.11ID:otaMICDwスマン、石田が近年どう評価されてるか教えてもらえないか?
ゲームや小説で、妄想キャラに変じてるとしか思えんので。
0253人間七七四年
2011/05/10(火) 23:20:58.27ID:ATQMmuLL客観的に考えて、関ヶ原時点の石田は、佐和山に蟄居した豊臣公儀に無関係の人ですぜ。
五奉行を辞職していたわけで、肩書きは元奉行。
豊臣公儀と朝廷から上杉討伐の大義名分を得た家康は、豊臣公儀の正規の代表者にして
筆頭大老、豊臣内大臣家康。
蜂起した石田には正当性のかけらもない。
豊臣公儀から見れば、何の権限もないのに、勝手に毛利を大阪城に迎え入れた大罪人だよ。
0254人間七七四年
2011/05/11(水) 02:00:53.11ID:moYSjSHoそんな大将の下で働く部下は、働き甲斐がないな。
0255人間七七四年
2011/05/11(水) 04:39:52.04ID:0UwdNDwP自分の利益を考えないで動く人だったから、三成の部下はどんなに関が原で
不利な状況になっても一人も徳川に寝返らず戦ったんだろw
三成に関する歴史はその殆どが江戸時代に捏造された可能性が高く
信憑性が無いから、今色々と見直されてるんだよ。
教科書の三成のイメージだったら、幸村や兼続の親友だなんて考えられんし
第一「大一大万大吉」なんて掲げる人が私欲で動くはずが無い
おしむらくは、他の豊臣恩顧が脆弱だったことだ
0256人間七七四年
2011/05/11(水) 04:48:50.80ID:MPlcLLhm三成の場合、「〜だったんだよ!」とマジギレ気味に語るより
「〜だったのかな?」と疑問符で考察する方がよい。
正直、わからないことの方が多いのだから。
0257人間七七四年
2011/05/11(水) 04:58:39.98ID:4bhjuXEj0258255
2011/05/11(水) 05:15:33.27ID:0UwdNDwPATQMmuLLのレスには「まあ正史を鵜呑みにするならね」って思ってるけど
でも、三成は調べれば調べるほど好きになりますね。
0259人間七七四年
2011/05/11(水) 05:25:12.26ID:uLpmr5OY憎き三成が滅亡すればざまみろとは思ったんだろうけどそれによって家康の天下とりが確定
秀吉の子飼いの自分たちはいつまでも厚遇されるのか疑問に思わなかったのかな
江戸城の大改修や福井、名古屋、駿府、彦根の天下普請のため散財させられるわ
俺たちってヤバいんじゃね
て感じなかったのかな?
秀吉の親戚でなければヤクザになってた連中だからな加藤や福島などは
このような人材を大名にとりたてなければならない秀吉陣営の人材不足さにはあきれる
0260人間七七四年
2011/05/11(水) 05:28:04.80ID:4bhjuXEj黒田とか、あと山内とかは分かってたと思うけど
0261人間七七四年
2011/05/11(水) 06:05:24.21ID:uLpmr5OYせっかく自分の親父が秀吉に天下取らせたらぐちゃぐちゃにしてあの世いき
戦国時代を自分の手で終わらせたかったとおもう
0262人間七七四年
2011/05/11(水) 06:40:06.69ID:GygmNvuZ何で幸村が親友になってんの
自分で捏造をしていて批判をしてるのか?
>>259
家康相手に勝てないと思ったから味方したんだろ加藤や福島たちは
事実負けたんだからむしろ三成たちの方が分かってなかったんじゃない
だいたい三成たちが挙兵しなければ家康があれほどの権力を有することもなかったのに
挙兵をした三成たちを褒め称えて、尻拭いをさせられた加藤や福島を愚弄しているなんて
頭がおかしいじゃない
0263人間七七四年
2011/05/11(水) 07:07:12.69ID:uLpmr5OYそもそも三成があの時点で挙兵しなかったら家康は確実に天下を取っていたよ
朝廷を買収して将軍に任命してもらったりとか
むしろ家康を政権に加えた秀吉がマヌケ
0264人間七七四年
2011/05/11(水) 07:08:56.86ID:uLpmr5OY0265人間七七四年
2011/05/11(水) 07:37:13.81ID:jku9svjtここまで、三成信者は100%推測のみなのがウケるw
この期に及んで三成を擁護する人間は単なる無知。
0266人間七七四年
2011/05/11(水) 07:58:25.92ID:SFnPbEeI後釜に近江に加えて加増する形とってればどうなってたか、秀吉も存命中なわけだし
0267人間七七四年
2011/05/11(水) 10:14:36.34ID:Fjg5FhPV0268人間七七四年
2011/05/11(水) 14:41:59.75ID:lOAe4aA2根拠なしでいいなら、三成よりも加藤・福島の方が家康に対する抑止力は上。
0269人間七七四年
2011/05/11(水) 18:38:08.11ID:uLpmr5OY全ては鼻つまみ共に大名にとりたてた秀吉の見る目のなさが招いた事
0270人間七七四年
2011/05/11(水) 18:41:49.58ID:uLpmr5OY親友かはどうかは別として幸村の父の嫁と三成の嫁は実の姉妹
幸村と三成の息子はいとこという関係
さらに三成の親友大谷とは義理の親子関係
親友も同然の関係では?
0272人間七七四年
2011/05/11(水) 18:56:58.45ID:EbsMd+Ks媚びを売ってた史実なんてないぞ。
大抵、元ネタは徳川実紀の脚色。
鼻つまみ者は三成じゃないのかな?w
0273人間七七四年
2011/05/11(水) 19:39:21.77ID:02stCq+Oきよまさのりさんの縁戚関係は媚媚の裏切り行為で獣にももとる忘恩なんですね
0275人間七七四年
2011/05/11(水) 20:30:12.67ID:0UwdNDwP戦国時代の交友関係を推し量れない以上、三成が幸村を幼い頃から知っていて
年齢が近い点、親友の吉継と血縁を結ばせた点から、両者は
非常に緊密であったことが類推される
0277人間七七四年
2011/05/11(水) 21:37:49.01ID:lOAe4aA20278人間七七四年
2011/05/11(水) 22:20:19.47ID:rrDD9UVDというか、「媚びを売る」の意味を知らないだけなのかね。
0280人間七七四年
2011/05/11(水) 23:27:41.59ID:rrDD9UVD名古屋城普請ネタって、「東照宮御実紀」と「台徳院殿御実紀」
の両方に記載されてるんだよね。
でもって面白いのは、それぞれの落ちが違うこと。
一般的なのは、正則が清正にたしなめられて顔を赤らめる方。
三成信者って、貶す相手も逸話ベースなの?w
0282人間七七四年
2011/05/12(木) 01:35:52.72ID:b0JzSY3j三成にとって都合のいい話は史実であり
都合の悪い話は、徳川によって創られた捏造なのです
所詮、歴史を人物の好き嫌いで見ている奴なんてそんなもんです
0283人間七七四年
2011/05/12(木) 01:40:15.11ID:M6KwCVxc横レスで悪いが、まず質問に答えろよ。
>三成信者って、貶す相手も逸話ベースなの?
草生やすのはそれからにしろ。恥ずかしい奴。
0284人間七七四年
2011/05/12(木) 01:42:21.03ID:TuYNHWH80285人間七七四年
2011/05/12(木) 01:59:05.46ID:6fq21PtU〜と思う、〜だろう、ばっかりで、説得力が全くない。
0286人間七七四年
2011/05/12(木) 02:03:16.88ID:TuYNHWH8仕方ない
0287人間七七四年
2011/05/12(木) 02:33:59.19ID:67TInmPcあとは江戸中期の文献なんて酷いものだ
つじつまが合わないものが多すぎる
0288人間七七四年
2011/05/12(木) 02:43:10.56ID:67TInmPc水攻めは三成の発案ではない
「忍之城之儀、御手筋を以て、大方相済に付けど、(中略)
然る処、諸勢水攻之用意候て押寄る儀これ無く」
これは抜粋だが、太閤様への報告文だと思われる
三成は水攻めには懐疑的だったのだろう
0289人間七七四年
2011/05/12(木) 02:51:53.45ID:6fq21PtU仕方ない、でOKな話になるの?
0290人間七七四年
2011/05/12(木) 03:04:49.21ID:TuYNHWH8今の中国では政権にとって都合の悪い事をかくと罰せられるからヨイショ的な事しか書けない(それと反日な)のと同じで徳川を正当化するため徳川万歳のほか石田を徹底的に貶める事に執着してたからな
そういう事実は認めようよ
しかしいくら貶めようとも石田の善政を受けてきた地元の領民は口伝えで石田の善政を伝えてきた(井伊はいかに石田が悪政の限りを尽くしてきたとねつ造してきたがな)ので事実はわかってきている
0291人間七七四年
2011/05/12(木) 03:07:32.74ID:67TInmPc特に時の権力者に逆らった物はそうなる運命
徳川幕府は200年も続いたのだから
嘘も百回言えばなんとやら・・・
0292人間七七四年
2011/05/12(木) 03:07:50.32ID:TuYNHWH8地元だからこそ真実が伝わってきている
今の中国と徳川には同じにおいがする
自力で天下とれたというわけでねーくせに天下取ったとたんにやりたい放題ねつ造し放題
うんざりする
0293人間七七四年
2011/05/12(木) 03:09:08.36ID:TuYNHWH8嘘を塗り固めれば真実になる
朝鮮人の18番ですな
0294人間七七四年
2011/05/12(木) 03:24:06.41ID:67TInmPc大御所様を悪者にしたら政権が揺らぎかねなかったろうし
そうして冶部様は徳川の人柱となったのでしたorz
とはいえ、いい逸話は沢山あるんだぜ
0295人間七七四年
2011/05/12(木) 06:30:25.06ID:TuYNHWH8ききんで危ないところへ三成から米を少ないながらわけ与えられた事を感謝しつかくまった事とかな
0296人間七七四年
2011/05/12(木) 06:57:54.88ID:67TInmPcせめてこのスレの住人には理解して貰いたいものだ
秀次の件や、おねね様との不和説もまっかな嘘ですぜ
0297人間七七四年
2011/05/12(木) 06:58:41.00ID:ZC+6OJIN正直あれは三成顕彰と言う名の壮大な嫌がらせにしか思えん。
あの井伊家ですら幕末には佐和山に慰霊碑を立てたと言うのに…。
0299人間七七四年
2011/05/12(木) 07:22:46.55ID:67TInmPc忍城攻めはむしろ太閤の意向(水攻め)で三成が選ばれ
三成はそれを汲もうと奔走したがあまりに壮大すぎて難儀した
それが江戸以降捏造のネタになり、
今日の戦下手と言うレッテルの要因になっている
0300人間七七四年
2011/05/12(木) 07:46:49.38ID:PnqxUCdrその適役が治部殿だったと、西軍に与したのは別としても東軍に与したのは結果として共犯だし何も言うまい
0301299
2011/05/12(木) 09:29:16.25ID:67TInmPc非は徳川にあるのは明白でも、本当に戦下手ならこの忍城戦に参加した武将は
天下分け目の大戦で泥舟には乗らないですぜ(真田昌幸も参加してた)
おそらくこの城攻めで三成の見識と誠実さに共感したのだと思えるのだが
0302人間七七四年
2011/05/12(木) 10:38:46.11ID:XAoUWc2Fそのときは西軍が勝ち馬に見えただけじゃないのか。
0303299
2011/05/12(木) 11:10:18.13ID:67TInmPcこの戦はおそらく、小田原城攻めと関連した秀吉なりの力の誇示ではないかと
思われる。
小田原城では周囲を絶大な兵力で囲み、一夜城を建城。
北条方は大いに驚嘆した。
これと同じく、忍城は水害対策の万全な城で「浮き城」とも呼ばれており
水攻めに最も不利な城で、これを水攻めするなど誰もが考えない城だった。
0304人間七七四年
2011/05/12(木) 17:38:36.72ID:TuYNHWH8嫌がらせにしては金をかけすぎているわ(笑)
固定資産税も大変
ていうか所有者が生きているかも確認してない
なにしろ少なくとも30年前からあるからな、、、、
0305人間七七四年
2011/05/12(木) 17:41:40.32ID:TuYNHWH8東軍に従った大名も西軍に従った大名もほとんどが成り行き
プロデューサーの家康と三成はともかく宇喜多や福島黒田藤堂などを除くほとんどの大名にとって迷惑な戦いだったな
0306299
2011/05/12(木) 18:45:56.05ID:67TInmPc一部隆起したところに建造された城の周りを、高い堤防で囲い水没させる
と、簡単に言えばこんな感じ。
だが、現実には堤防の総延長は28(備中高松城水攻めの4倍)キロにおよび、
高さも相当必要で、莫大な費用と時間が必要なものだった。
そしてほどなく、小田原で小田原で秀吉に帰順した城主・成田氏長の
勧告により、1ヶ月以上の篭城のあと開城したというおそまつな結果。
三成も諸将もこの構想には始めから懐疑的だったらしい
0307人間七七四年
2011/05/12(木) 20:50:28.18ID:9Mq3WLos0308人間七七四年
2011/05/12(木) 21:07:00.49ID:hn96z41K忍城攻めの手法が秀吉の意向である事と、三成が懐疑的であった事は、
何を読めばわかるのかな?
史料名を教えてくれないか?
0309人間七七四年
2011/05/12(木) 21:13:03.58ID:BiADIT48>忍城攻めの参加武将のほとんどが西軍側について三成と運命を共にしている
要するに忍城攻めで三成の才能のなさを見抜けない間抜けが集まってしまったため西軍は敗北したということだな
武断派や吉川・小早川は三成の才能のなさをきちんと見抜いていたので三成には付き合わないのは当然だろう
0310人間七七四年
2011/05/12(木) 21:54:53.72ID:fGC8ZPMBサラリーマンの場合
それを言う奴は出世コースからはじかれる
0311299
2011/05/12(木) 22:22:02.61ID:67TInmPc秋田書店他より発行された文章の一部を抜粋して、web上に著者が掲載した物です
文中に古文が使われていますが、それらの資料はでてませんね
>>288の他に「普請大形でき候はば、御使者を遣わされ、
手前に見させらるべく候の条」
「とかく水責仰せ付けらる事候間、其の段申し付くべく候也」
これは秀吉が三成に送った書簡ですね
秀吉が水攻めに拘っていたことが伺えます
0312人間七七四年
2011/05/12(木) 22:32:19.51ID:hn96z41K他意はないのだが、仮にそれらが一次史料として実在するのならば、
当然にしてそれが一般的な見解となるはず。
三成の『武』将としての評価を大きく左右する話なだけに、
事実を知りたいと思った次第。
0313人間七七四年
2011/05/12(木) 22:53:28.70ID:6fq21PtU一文だけ抜粋しても全く意味がない。
当該文章の前後次第では、解釈は大きく変わる。
最低でも、書簡の文章全体を読む必要がある。
事実認定されないのには、それなりの理由があるからだろ。
0314299
2011/05/12(木) 22:59:02.78ID:67TInmPc関八州古戦録・成田記等が通説となっていて、それが
「冶部殿戦下手」の要因になってるのです。
これらも、つまるところ著者の推論ですから。
ですが、多くの学者さんの指示を得ているとのことです。
0315人間七七四年
2011/05/12(木) 23:12:23.47ID:TuYNHWH8アンチは立ち入り禁止です
三成公の半分の脳みそもないくせにほざかないで(笑)
0316人間七七四年
2011/05/12(木) 23:13:39.02ID:TuYNHWH80317299
2011/05/12(木) 23:14:01.03ID:67TInmPc「忍城攻めのことについては、大体準備はできました。しかし諸将は水攻めと
決めてかかっているので、全く攻め寄せる気がありません」
>>311の上から「築堤が進んだら使者をだして自分の承認を受けるように」
「忍城はともかく水攻めにする。このことしっかり申しつける」
これらに前後の文が必要だろうか?古文て難しいねw
0318人間七七四年
2011/05/12(木) 23:14:34.79ID:aJ33olK30319人間七七四年
2011/05/12(木) 23:21:00.08ID:6fq21PtU少なくとも、ここで否定したいなら、自分で原文調べて証明すれば?
0320299
2011/05/12(木) 23:32:16.82ID:67TInmPc知ってもらいたいだけだから。
0322人間七七四年
2011/05/13(金) 05:09:13.49ID:SfLspR57大半=大敗
訂正
0323人間七七四年
2011/05/13(金) 07:40:29.46ID:cK+4O0f1他人の主張を、検証なく無批判に転載してる事を指摘しているだけ。
せめて、自信で調べてこいと言ってるわけだ。
思考能力が足りないのはどちらなのかは自明。
0324人間七七四年
2011/05/13(金) 08:19:31.64ID:u0LEPNxnアンチにも根拠なしや他人の受け売りものが多いようにみえるし
0325人間七七四年
2011/05/13(金) 08:32:26.57ID:R07/ha/S水野伍貴「佐和山引退後における石田三成の動向について」(『政治経済史学』530号、2010年12月22日発行)
0326人間七七四年
2011/05/13(金) 11:50:02.97ID:f9Qr8hLn『忍城水攻め』で検索したら、>>317が参照したものがスグ見つかったけど、
余りにも丸写しすぎないか?
自説の如く延々と主張してるいるが、丸々採用するなら、せめて検証すべきなのは同意だ。
0327人間七七四年
2011/05/13(金) 15:56:58.82ID://iZxCt70328人間七七四年
2011/05/13(金) 21:24:25.57ID:sjLhL08Mそれすら調べてないで批判してたならよっぽどマヌケなアンチだなww
>一般的な定説『三成は戦下手』を反証する以上、それなりに準備すべきでは?
資料が徳川幕府により滅却され、捏造された事実は全く無視で〜す〜かぁ?
それこそ三成の評価を貶める為だと考えないところがアンチが
低脳だと言われる所以なんだよねーw
どうせ家康スレの住人が荒らしに来てるのだろうけどww
0329人間七七四年
2011/05/13(金) 21:32:56.83ID:Cl+7cW9W支持している人間も傲慢なんて
似たような人間に好かれてるのかね三成は
>>327
戦上手とされる根拠もない
つ−か実際に城を落とせなかったわけだから
そういった事言われても仕方ないのでは
水攻めを考案したのが秀吉だろうと三成だろうと
実際に指揮したのは三成なのだからね
それと擁護している人間は悪い事は
他人のせいにするのはいい加減やめたら
0330人間七七四年
2011/05/13(金) 22:44:28.20ID:nG+DA4LW城攻めは苦手なんて
随分適当で勝手な評価ですね。
0331人間七七四年
2011/05/13(金) 22:47:05.60ID://Vho8Fn戦術レベルで戦が分かってないと諸将から思われてるし、
事実、経験不足による戦下手なのは否めないんじゃないの
碧蹄館の戦いの前の軍議でも、積極策を主張する小早川隆景に対して、
しつこく籠城策を主張する石田・大谷の両名に、温厚な隆景がついにキレて
「お前ら、おれを誰だと思ってるんだ?後詰めもないのに籠城なんて馬鹿か?
こういう場合は、戦の常として、打って出るしか方法がないんだよ!」と、
石田・大谷案を却下したと、毛利側の記録に残ってる
戦の結果は、ご存じのとおり
0332人間七七四年
2011/05/14(土) 00:04:13.29ID:qLJjm/5R0333人間七七四年
2011/05/14(土) 00:42:19.38ID:+JSMnq0y>資料が徳川幕府により滅却され、捏造された事実は全く無視で〜す〜かぁ?
にもかかわらず、聖人君子の三成を断言出来る不思議。
というか、家康にしてみれば三成程度は歯牙にもかけない存在だろ。
本多親子にも及ばない程度なのに、意識過剰過ぎるって。
天下を取るために役立った存在に過ぎないよ。
0334人間七七四年
2011/05/14(土) 00:50:36.40ID:VvOidC+dいや、あの・・図星だったのは小早川隆景で、隆景の戦術が的中して
この戦いは起死回生の大勝に終わり、石田・大谷の籠城案は愚策だった
という話なんですが・・
0335人間七七四年
2011/05/14(土) 01:10:44.75ID:go50jlu7歴史をもっと勉強しようねw
0336人間七七四年
2011/05/14(土) 01:18:03.22ID:ulz9IZdk0338人間七七四年
2011/05/14(土) 01:37:39.78ID:+JSMnq0y0339人間七七四年
2011/05/14(土) 02:15:22.92ID:go50jlu7だが家康は三成を小者だとは思ってなかったんでないかい?
処刑前の三成との語録が残ってるから調べるよろし
0340人間七七四年
2011/05/14(土) 02:28:41.83ID:+JSMnq0y大物ほど、そういう場面で相手を讃えるものさ。
それによって、自分の評価も上がるから。
そこで貶したところで、得るものは何もない。
0341人間七七四年
2011/05/14(土) 02:42:52.57ID:go50jlu7他の家康の勝ち戦では見かけたことはないのだが?
0342人間七七四年
2011/05/14(土) 02:44:06.26ID:go50jlu70343人間七七四年
2011/05/14(土) 08:12:12.47ID:1dvyvIu/0344人間七七四年
2011/05/14(土) 12:25:40.82ID:hRydXmnVつまり、貴殿は小物なんだな。
家康公にお仕えしていたら、「若者は弓矢の道を知らぬな」と嘆かれるであろうよ。
0345人間七七四年
2011/05/14(土) 12:48:19.78ID:itTSBSRQ0346人間七七四年
2011/05/14(土) 13:59:35.61ID:Smlk9xkU徳川家の家臣になるための五箇条は以下の通りです。
1,主人の言動に常に、突っ込みを入れる覚悟でご奉公すること
2,そろばん勘定して愛想笑いするような奴は、当家にはいりません
3,常に仲間に突っ込み(あら探しともいいます)もうとP励むこと
4,いざとなれば、やるだけやって、すぱっと腹を切りましょう。
5,仲間に嫌われてこそ一人前です。腸腐れとか腸くされとか・・・・
0347人間七七四年
2011/05/14(土) 17:12:20.52ID:go50jlu7ネチネチと・・・めんどくさいなぁ。
0348人間七七四年
2011/05/14(土) 17:20:52.40ID:MbmK/rhR忠義だの仁義だのと講釈する江戸時代は碌な時代じゃない、赤穂義士なんて最たる例だから処分された
でないと美談として語り継がれてないし、西軍として戦った武将に通じるがこっちは辱め貶められたままだ
0349人間七七四年
2011/05/14(土) 17:31:27.98ID:Smlk9xkU徳川家なら、そもそも石田三成のような家臣は嫌われないんだよ。
うるせーとかうぜーとか言われつつも、愛されるんだよ。
間違っても加藤や福島みたいなアホな連中は出ませんよ。
三成で襲われるレベルなら、作左や彦左や庄右衛門や甚右衛門なんか
生きていけません罠。
それと、徳川中期以降の御用学者はともかく、大御所様や光圀公は三成を
立派な侍で忠義者だと認めてるので、誤解しないようにね。
徳川側の俺も三成は立派な侍だと思ってるのは、言うまでもない
0350人間七七四年
2011/05/14(土) 17:57:09.15ID:Smlk9xkU1は主君に非があれば、自分の命を顧みず諫言できる人であれ(駒姫処刑中止の諫言)
2は己の利害ばかり考えて、媚びへつらう奴になるな(太閤死後、三成の反徳川こそ侍の亀鑑)
3は仲間が、お家の害になる馬鹿な違法行為をしたら見逃すな(豊臣清正の一件ね)
4は己が、お家のためになると信じてやった行為を悔いるな(もちろん関ヶ原挙兵のこと)
5は正しい行為をして、他人から嫌われてもひるむな(ここが三成の真骨頂でしょう)
三成の美質を誉めてるんですよ。
0351人間七七四年
2011/05/14(土) 18:05:39.99ID:itTSBSRQ家康側を装ってるだけなのがバレバレw
0352人間七七四年
2011/05/14(土) 19:49:56.16ID:TFgzJMb7まあなんでもいいけど、気持ち悪いからここには粘着しないで欲しい
0353人間七七四年
2011/05/14(土) 20:29:20.00ID:RaDBbh2eただ清正福島あたりは人間として許せない
後に事実上の改易は当然の報い
0354人間七七四年
2011/05/14(土) 20:52:19.19ID:Kw7ASIZW>1は主君に非があれば、自分の命を顧みず諫言できる人であれ(駒姫処刑中止の諫言)
まったく無視されて駒姫処刑されてるじゃん
主君に聞いてもらえる諫言じゃなければただの自己満足で意味がない
>2は己の利害ばかり考えて、媚びへつらう奴になるな(太閤死後、三成の反徳川こそ侍の亀鑑)
秀忠・江の婚姻を命じ、その後に秀頼・千姫の婚姻を頼むなどの秀吉は豊臣と徳川の合併を望んでいた
三成の暴走で徳川が独立した方が便利なほどの権力を握ったのであって秀吉の構想をぶっ潰した張本人だよ
>3は仲間が、お家の害になる馬鹿な違法行為をしたら見逃すな(豊臣清正の一件ね)
お家の害になる馬鹿な違法行為って小西と結託して偽講和したことでしょ
豊臣清正なんて何の害ももたらさないことより偽講和の方が遥かに悪質で被害が大きいことは明らかだからね
>4は己が、お家のためになると信じてやった行為を悔いるな(もちろん関ヶ原挙兵のこと)
三成個人が悔いようが悔いまいが結果として豊臣家は大被害を被ったんだから開き直られても迷惑だろ
>5は正しい行為をして、他人から嫌われてもひるむな(ここが三成の真骨頂でしょう)
三成個人がひるむかどうかなんて問題じゃないんだよ
分裂のきっかけになって豊臣家を傾けていることが問題なんだろ
総じてみると三成は自己満足で勝手に豊臣家のためと妄想して独断的な行動をする悪癖があるのは間違いない
そして秀吉が死ぬと豊臣家には三成をコントロールすることがもはや不可能になってしまった
家康云々よりもむしろ三成の自己満足の道具にされたことが豊臣家の最大の崩壊要因だろう
0355人間七七四年
2011/05/14(土) 20:55:47.07ID:m047qhSk>1は主君に非があれば、自分の命を顧みず諫言できる人であれ
秀次を助けようとして死んだ前野親子や木村重茲とかと比べて
自分の命を顧みず諫言したは言いがたいだろ
>2は己の利害ばかり考えて、媚びへつらう奴になるな
このままいけば自分の立場がなくなるから抵抗しただけ
仮に西軍が勝てば五奉行筆頭や50万石を三成に与えるべきだと思ってるんだろ
これのどこが己の利害を考えてないといえるのか
>3は仲間が、お家の害になる馬鹿な違法行為をしたら見逃すな
関ヶ原挙兵なんてお家の害になる馬鹿な違法行為じゃないか
実際に豊臣家から協力を得られてないしね
>4は己が、お家のためになると信じてやった行為を悔いるな
だったら加藤や福島に文句を言う筋合いはない
>5は正しい行為をして、他人から嫌われてもひるむな
自分にとって都合のいい行為をね
>三成の美質を誉めてるんですよ。
こんなのが美質ですか?
0356人間七七四年
2011/05/14(土) 22:11:56.17ID:1dvyvIu/0357人間七七四年
2011/05/14(土) 23:42:45.38ID:go50jlu7たとえ2chであっても不快に思う人はいるし、
第一労力の無駄でしょ?
否定意見であれば理解も出来るが、ただ貶してるだけだもんな
歴史と言うのは諸説あるから面白いのである
更に言えばここは石田三成を語るスレであって、自身の固定観念を
他者に押し付ける為のスレではない
0358人間七七四年
2011/05/15(日) 00:22:36.06ID:gg4+Wry3否定意見ばかりなんだが。
反論できないからと言って、『貶す』にすり替えるのはみっともない。
0359人間七七四年
2011/05/15(日) 02:13:06.11ID:1SAnCPwN0360人間七七四年
2011/05/15(日) 05:31:09.54ID:yRxB2GyB加藤は知らんが福島はもともと三河の出
少年時代に大人を殺して逃げてきた経歴の持ち主
戦国時代ならともかく今なら少年時代で人生終わってる男だ
それに比べて三成は父から英才教育を受け秀才だった
今で言えば同じ私立校でも金で入ったバカと超進学コースで主席の生徒くらいの差がある
0361人間七七四年
2011/05/15(日) 10:09:46.09ID:0HCPLWx+家康の次は、加藤・福島がターゲットですか。
三成自身を語れない所が笑えるね。
で。ロクに知りもしないで、適当な事言うのはやめようよ。
福島は、尾張出身なんですけど。
『福島氏世系之図』『福島家系図』『寛政重修諸家譜』といずれも尾張。
現在の愛知県海部郡美和町が該当。正則生誕の標柱もあるよ。
>少年時代に大人を殺して逃げてきた経歴
これも、武将としてのハクをつけるための逸話に過ぎない。
0362人間七七四年
2011/05/15(日) 11:28:22.53ID:1SAnCPwN三成は最初から秀吉に対して「秀吉様」。
そこでどうしても両者に溝が生まれる。
0363人間七七四年
2011/05/15(日) 16:16:44.52ID:nnXEVdRT加藤清正や福島正則も同じだが、家康に尽くした果ての末路の悲惨さときたら
0364人間七七四年
2011/05/15(日) 17:24:34.47ID:Hk12Y9QXそれは逆に下賤で脛に傷があっても取り立てられるほどに、
加藤や福島が優れた器量を持ってることを示してると思うんだがどうなんだろうね?
筋目の悪い人間でも、器量しだいで一国一城の主にのし上がれた時代ってことを忘れないでもらおうか。
あと、石田家が筋目のいい家だとか、三成が特筆するような良い教育を受けたエリートだってのも聞いたことが無いな。
逸話からうかがえる三成は、豊富な学問の知識を蓄えた秀才じゃなくて、
発想とひらめきで勝負する天才タイプなんだが。
0365人間七七四年
2011/05/15(日) 21:08:33.69ID:yRxB2GyBほかの者が言いにくい事もズバズバ言うし、こいつは使えると思ったんだろうな
0366人間七七四年
2011/05/15(日) 22:04:28.72ID:HEnxGSERその人は昔っから加藤福島を蛇蠍の如く嫌って貶している彦根近辺在住の三成キチ。
このスレでは有名人?だよ。
その人のレスのキーワードは「加藤福島(の馬鹿)」だ。
加藤等東軍に付いた武断派を憎むその人のレスは、時に感情的過ぎて滑稽なものでもあるが、
それは三成に盲信傾倒故のことでもあり、その人間性は特段悪い人でもない。
反論されても相手の揚げ足を取るでもなく、淡々と三成愛の自説をレスし続ける様は、
彼の三成愛が本物であることの一つの証明でもあり、2ちゃんではそれも許されるかもしれない。
0367人間七七四年
2011/05/15(日) 23:01:46.78ID:7pXjNGuo>家康に尽くした果ての末路の悲惨さ
徳川の世になっても、豊臣家に尽くした果ての末路だよ。
いくら有名人でも、これくらいは理解できるでしょ。
0368人間七七四年
2011/05/16(月) 00:21:36.09ID:CNcaJkeg豊臣家の忠臣のはずが、実は豊臣家滅亡の引き鉄を引いた張本人。
三成キチとしては、絶対に認められんわなw
0371人間七七四年
2011/05/16(月) 02:35:15.28ID:VK8O7hok上杉滅亡→大名を勝手に仕置き、三成のいない奉行軍団は家康になすすべなく
→毛利が秀頼さまに楯突いてるとして毛利征伐を企画→てるりん驚いて土下座外交
→毛利本領半分に→家康勝手に領土を仕置き→そのうち佐渡金山などのおいしいところを自ら管理→朝廷を動かして将軍に就任する→茶々激怒→豊臣征伐という流れになるだろう
三成が挙兵しなければ豊臣の天下は曲がりなりに続くという説は否定せざるをえない
実力ナンバー2が本気で天下をとりにきているのに家康が豊臣の天下のためにやってるなんてありえないだろ(笑)
0372人間七七四年
2011/05/16(月) 03:04:00.06ID:H6miXJpb関ヶ原で小早川秀秋が普通に東軍を攻撃していれば話は別だが、
それでも弱体した豊臣の天下は安定せず、第二の足利幕府の二の舞になるにすぎず。
もしくは秀頼は源氏将軍の頼家や実朝のように実権の無い名目上のトップに祭り上げられ、
三成が鎌倉幕府執権のような立場に座り、権力を一手に握る。
それに不満を抱く大身の外様大名が乱を起こし、日本は再び戦国時代に突入。
0373人間七七四年
2011/05/16(月) 07:05:12.89ID:DLcQNFWI>家康が豊臣の天下のためにやってるなんてありえないだろ
そんな事誰も言ってないし、豊臣の天下継続は諦めろって。
例え西軍が勝利しても同じ事。秀頼の傀儡化は確実で、親政は有り得ない。
0374人間七七四年
2011/05/16(月) 09:53:14.64ID:EzlWePR1東軍に付いた福島、黒田、山内等の豊臣恩顧の大名の取り扱いと恩賞で紛糾する可能性もあるが
0376人間七七四年
2011/05/16(月) 20:14:38.83ID:taBmGN+8旗幟を明らかにした以上は戦意を持って戦えよと
まして総大将がやる気なしってねぇ
0377人間七七四年
2011/05/16(月) 20:44:23.63ID:hsJFQuGs0378人間七七四年
2011/05/16(月) 21:35:53.91ID:VK8O7hok自分自身が豊臣政権を支えてきた自負があったのであのまま家康の傍若無人を見過ごせなかっただけ
とはいえ西が勝てば毛利という第2の家康が台頭してくるだろうし(さらに上杉もね)
0379人間七七四年
2011/05/16(月) 21:47:40.02ID:KK5avUyj0380人間七七四年
2011/05/16(月) 21:56:52.53ID:hsJFQuGs0381人間七七四年
2011/05/17(火) 00:43:40.89ID:EkBdQeIk関ヶ原の戦犯は大垣城の連中だろ
こいつらが独断で関ヶ原を戦場に選んだのだから
負けた責任はこいつらにある
つ−か相談せずに勝手に決めておいてそれでも自分の思いどうりに
動いてもらえると思ってるような甘い考えが負けた原因の一つだろう
だいたい自ら総大将に勧めておいてその一族にまったく
相談しようとせずに決戦をしようとするなんてすげー馬鹿だと思う
それに輝元はむしろやる気があった方で
そのせいで約定が果たされず領地を減らされている
あといい加減三成にとって都合のいい解釈で西軍を語るのはやめたら
0382人間七七四年
2011/05/17(火) 01:14:38.92ID:VVk1jqsUそもそも小早川に松尾山占拠された状態で一々大坂にお伺い立ててる暇なんぞある訳ない。
0383人間七七四年
2011/05/17(火) 01:51:35.43ID:8qZQK+VD豊臣家は徳川に買収されていた状態ですな
片桐といい増田といい
茶々にとっても徳川は身内だから本気で豊臣家のためにやってると思ってたみたいだし
が関ヶ原後の大阪開城であれ?もしかしてヤバいんじゃね
石田の言ってた通りになりかねん
て感じ
あんときなんで積極的に協力しなかったのかと悔やんだところで後の祭り
0384人間七七四年
2011/05/17(火) 12:16:34.81ID:NwGCvBuz叛乱を起こした西軍を大坂から追い出したということに過ぎないんだから
だいたい石田の言ってた通りになることくらい関ヶ原の前からみんな分かってたよ
そんなことは死ぬまで外征に固執したり後継者を粛清したり馬鹿な行為を繰り返した秀吉の自己責任の結果というだけだ
石田はそういう秀吉の自己責任を現場になすり付けてくるから嫌われたんだよ
しかも自分は何の責任もなく豊臣を守る正義のヒーローという態度を取っているから
加藤も福島も小早川も石田に対しては我慢の限界が来ていたわけ
関ヶ原は必然の結果であって悔やむことなど何もない
0385人間七七四年
2011/05/17(火) 12:27:21.72ID:9B1x35y30386人間七七四年
2011/05/17(火) 20:13:21.62ID:EkBdQeIk大阪にいる輝元じゃなくて
代理で来ている広家や秀元に相談したのかって話なんだけど
それに三成は関ヶ原に向かう途中に長束とエケイの所に行ったりしている
つまりこの事について謝罪する機会があったのにしなかったわけで
関ヶ原があんな結果になったのは当然とも言える
0387人間七七四年
2011/05/18(水) 03:24:01.64ID:2voArC2t関ヶ原での決戦に関しては事前に想定されていたと考えられる。
また、同日石田は安国寺・長束の陣所へ行っており、
その際には当然その旨も話し合っていると考えられる。
また、仮に事前の打ち合わせが無かったとして、
決戦前日に相談したとしても吉川はとっくに家康に内通し、
証人も提出している訳で、何かが変わったとは思えない。
そもそも輝元の代理は福原や安国寺であって吉川じゃないしね。
0388人間七七四年
2011/05/18(水) 06:41:10.31ID:9Rro7r8G彼のの口添えで吉川家を継いでいた
もちろん家康は後に天下を纂奪するため今から恩を売りつけたかったと言える
吉川自身すっかり家康様万歳と言う状態になっていた
さらに三成とは朝鮮成敗の時、
自分の戦功が思うように報告されてないのではと勝手に逆恨み(結局負け戦なのに恩賞を期待するって馬鹿なの?アホなの?知的障害なの?)、さらにほかの毛利一門には秀吉の遺品が与えられたのに自分はもらえなかった(三成一人が決められる事でないのにな)事を逆恨み
すでに御年40を超えている人間とは思えない糞情けない男ですな。
なぜ秀元ほどの男が結果的に彼の言いなりになったのか?と疑問に感じる
いずれにしても恐竜なみの脳みそしか持ち合わせてないとおもわれる
哀れ
0390人間七七四年
2011/05/18(水) 12:46:51.80ID:1WHM915K0391人間七七四年
2011/05/18(水) 19:31:55.19ID:67rGyKIJ関係ないレスですまん
0392人間七七四年
2011/05/18(水) 19:35:41.43ID:IEAAvk7B0393人間七七四年
2011/05/18(水) 20:03:56.11ID:tBF4igF/つうか、赤坂着陣まで家康の動向に気付いてなかった事実だけでも
三成の戦略は破綻すべきというかご都合主義の塊りみたいなもので、
とても実戦に臨んでいる前線指揮官のものとは思えない。
福島を味方に引き入れて清州城を最前線に・・・とか、
いくら結果を知っている後世の人間の結果論だといわれても
三成の非現実的、ご都合主義的戦略はお粗末としか言えないものだよ。
ただ、三成の、やる、と言ったことを実際にやって見せようとする心意気みたいなものは、
実際には口だけでやれない人がほとんどなのだから凄い男だとは思うがね。
0394人間七七四年
2011/05/18(水) 20:10:05.27ID:67rGyKIJ小説が原作の映画
大阪全停止。その鍵を握るのはトヨトミの末裔だったーー的な内容のやつ
スレ関係なくてごめんね
0395人間七七四年
2011/05/18(水) 21:15:22.25ID:ySpPVihA>吉川広家はもともと嫡男ではなく跡目を継ぐ権利はなかったが家康に気に入られ
>彼のの口添えで吉川家を継いでいた
>もちろん家康は後に天下を纂奪するため今から恩を売りつけたかったと言える
広家の吉川家継承に、徳川家康はまったく関係ない
当時の吉川家と秀吉間の外交ルートは、中国取次だった黒田孝高の担当で、
広家の吉川家継承でも黒田が尽力し、両家は私的にも非常に仲がよかった
関ヶ原で広家が黒田長政に東軍との仲介を頼んだのはそのため
0396人間七七四年
2011/05/18(水) 22:43:22.69ID:yHyezQdH問題なのは9月15日に戦うかどうか決まっていたのか
関ヶ原で戦う事を想定していてもいつ戦うか決まってなかったのなら
三成たちの勝手な行動は非難されるべきじゃないか
それに福原も吉川と協調してるんだけど
>>393
>やる、と言ったことを実際にやって見せようとする心意気
これだと小牧・長久手の戦いをやった信雄さんも凄い男になるけどいいのか
そもそもこういった心意気はみんなけっこう持っていたと思うぞ
0397人間七七四年
2011/05/18(水) 22:55:12.71ID:NJXJk6Q/どうもワザと書状を奪われたくさい書状あるよな。
>>393
福島を味方に付けて清洲城を最前線なんて書いてある書状なんてあったっけ?
0398人間七七四年
2011/05/19(木) 00:27:46.01ID:5nQRwR0H広家が吉川の跡目を継いだのは1587年
この時点から家康が天下を取るために毛利側の家臣の継承に口出しをして恩を売れるなら
三成なんかが勝てるわけないわなw
0399人間七七四年
2011/05/19(木) 00:31:40.36ID:OIW3CJ4R三成と信雄ではその時の相手との立ち位置や失うモノが違うから、
俺も別に信雄を凄い男だとは評価はしないな。
まあ俺の書き方が悪かったか・・・
心意気を持って、そう思ってるだけでなく、
実際に行動に移してそれなりの容にして見せたのはやっぱ凄いと思うわ。
事を起こした後の計画の稚拙さや、三成挙兵が豊臣家に与えた影響、評価は別としてな。
>>397
8月5,6日付の三成から真田昌幸宛の書状
正則を工作中であり成功すれば清州を拠点に三河を攻める云々
0400人間七七四年
2011/05/19(木) 00:56:13.84ID:tt6ZnBc7書状をわざと奪わせたなら。。。
0401人間七七四年
2011/05/19(木) 04:25:03.22ID:AIZaUrSR犬山加勢衆の謀反が期待できるとか書いてるのとか
輝元が出馬しないのは私としてはもっともなこととか書いてて非常に臭い。
0402人間七七四年
2011/05/19(木) 08:57:19.35ID:Vn8ORvPPそんなことは書いていない
「犬山の諸将が裏切ったのは人質を殺さないからだ」とある
他にも自軍の問題点を赤裸々に綴っている
0403人間七七四年
2011/05/19(木) 12:10:44.84ID:Gs5iOXODそんな三成だから、天下分け目の戦がしたかったんだよ
もちろん、勝算はあったんだろうが勝敗は二の次
0404人間七七四年
2011/05/19(木) 12:24:14.05ID:br7xm9W+裏切りや二股疑惑のある増田や片桐は監禁して豊臣家から莫大な資金を提供させれば西が圧勝していた可能性が高い
もちろんTERUが美濃まで出かければの話だがな
総大将が現場まで来ないってどういう事?
事件は会議室でおこってるんじゃないぞ
0405人間七七四年
2011/05/19(木) 12:29:31.25ID:dVjHLHI1関ヶ原を決戦場にさせようとする一方で背後の犬山で疑心暗鬼させ家康側に処分させようとしたのかもな。
守備兵力が少ない三成の佐和山城に毛利を入れるとかフェイクしてる可能性もあるし
0406人間七七四年
2011/05/19(木) 12:31:04.64ID:S1kSh/lIだから自分の名代として秀元を送ったわけで
0407人間七七四年
2011/05/19(木) 13:03:18.18ID:WpXvErRg0408人間七七四年
2011/05/19(木) 14:31:55.21ID:Vn8ORvPPどこをどう読んだらそういう内容になるか理解に苦しむ
佐和山への入城は小早川の対処としての要望だし
無理に三成に都合の良い読み方しても、矛盾するばかりなのだが
0409人間七七四年
2011/05/19(木) 17:12:49.24ID:AIZaUrSRこの後に当分御成敗あるまじき妻子人質を宮島へ移すと書いてる。
人質を殺さないからだと解釈すると上記の話の辻褄が合わない。
0411人間七七四年
2011/05/19(木) 21:19:42.44ID:xWZKXYqP0412人間七七四年
2011/05/19(木) 22:08:45.61ID:br7xm9W+豊臣家の筆頭家老片桐が家康派だからしゃれにならん
賤ガ岳七本槍軍団で平野以外全て糞ばっかりだな
家康が豊臣の天下を守ってくれるとマジで思っていたのかな?
0413人間七七四年
2011/05/19(木) 22:45:57.71ID:cEiHxpvV上杉はすんなりと討伐される。残る五大老は毛利と宇喜田だが、吉川が家康派である以上毛利は
どうとでもなる。最後に残る宇喜田は石高も比較的少ないし家中が分裂して大した力は無い。
上杉亡き後では福島や加藤も家康に反対しようがないだろう。
途中で家康の寿命が尽きれば話が別だが、基本的にはやるならあのタイミングしかなかったかな。
上杉討伐がすんなり行くと伊達領はもっと大きくなってたかもしれない。
0414人間七七四年
2011/05/19(木) 22:47:23.06ID:/JCIR3hC0415人間七七四年
2011/05/19(木) 23:04:48.04ID:br7xm9W+史実ははっきりしないが大河ドラマ葵では三成からの軍資金要求を片桐が断るシーンが出てきた
片桐も俺の地元出身だがそのシーンを見て腹がたった記憶がある
今の明巣党の売国政治家と同じ匂いがしたな
0416人間七七四年
2011/05/19(木) 23:07:47.38ID:br7xm9W+脳みそ足らずの馬鹿ばかり
強気な三成がいなければどうする事もできないんだな
0417人間七七四年
2011/05/19(木) 23:16:55.79ID:kDd6DMl6三成の決起は、豊臣家の存続を左右しただけの話。
三成の浅慮で豊臣は滅んだようなもの。
それがわからないバカに支持され続ける限り、
三成は今後も叩かれ続けるだろう。
0418人間七七四年
2011/05/19(木) 23:25:01.38ID:v6aysONq0419人間七七四年
2011/05/19(木) 23:31:39.40ID:cRheFs7Z君臣豊楽国家安康にケチ付けて戦吹っかけて、和議の条件まで無視する暴挙を見れば弁解の余地はない
家康厨と徳川に不都合な真実は綺麗に抜け落ちてるなw
0420人間七七四年
2011/05/19(木) 23:49:48.83ID:kDd6DMl6関ヶ原で負けた西軍約700万石を削っても、豊臣家を滅ぼすのに
関ヶ原から15年もかかってるんだよ?家康の寿命は関ヶ原から16年。
三成が決起しなければ、豊臣家を滅ぼす前に家康の寿命が尽きる。
0421人間七七四年
2011/05/19(木) 23:56:21.98ID:tt6ZnBc7アホ
前田、上杉・・というように有力大名に難癖付け屈服させていけば
関ヶ原で決戦させられるよりはるかに安全に実権握れるわ
敵なしになったら関ヶ原後と同じだ
幕府開いても豊臣に難癖付けて喧嘩売っても誰も対抗できない
0422人間七七四年
2011/05/20(金) 00:10:13.73ID:XuVYstUu関ヶ原後、家康に対抗出来る大名はゼロになったわけだ。
順々に有力大名を屈服させ、関ヶ原後と同じ状態になるのに何年かかるんだい?
また、有力大名が屈服しても、徳川家自体が強大化するわけではない。
関ヶ原に勝利した場合とは、諸大名間のパワーバランスが全く異なるよ。
0423人間七七四年
2011/05/20(金) 00:10:54.00ID:xP51QFRc事実、前田家には利家が死ぬとちょっかい出してるし、それで躱されると次は上杉だもんな
当時は解らないにしても今の時代から見ると豊臣家を対する確信的意図が見て取れるわな
歴史は結果から遡れば、起点がはっきりと見えてくるからなぁ
0424人間七七四年
2011/05/20(金) 00:14:33.82ID:XuVYstUu関ヶ原によって、徳川家は260万石から400万石に増加。
豊臣家は、230万石から60万石に減少。
0425人間七七四年
2011/05/20(金) 00:18:22.55ID:XuVYstUu天下に対する確信的意図とやらは理解出来る。
豊臣家を滅ぼす確信的意図は、何を根拠としてるんだい?
0428人間七七四年
2011/05/20(金) 00:26:24.39ID:XuVYstUu>>417->>420を良く読んで欲しいんだけど。
主題は、関ヶ原を遠因とした豊臣家の滅亡。
家康の政権奪取についてではないんですけど。
0429人間七七四年
2011/05/20(金) 00:28:12.18ID:yhBO4C3K上杉が素直に上洛すれば、家康の権力は強化されるが、その強化された権力で
他の大老や有力諸侯の領土を削ることは不可能だよ。
いきなり毛利は長門周防36万石に減俸とか上杉の領土を米沢30万石に減俸とか、
佐竹を常陸から減俸して秋田へ追い出すとか、宇喜多を八丈島に流すとか、屈服させた
前田80万石を丹羽程度の12万石に減俸とか、できるはずないでしょ。
石田の最大の罪は、関ヶ原の一日程度の闘いで敗北したことに尽きる。
応仁の乱みたいな乱戦に持ち込めば、家康の寿命が尽きたかもしれないな。
0431人間七七四年
2011/05/20(金) 00:34:55.30ID:3V1rM9RG逆に訊くけど、何で関ヶ原が無かったら豊臣を存続させると思うの?
平清盛だって源頼朝を殺しとけば良かったと後悔した筈だろ。
徳川幕府による平和が末永く続く事を願った家康がそんな危険分子を残す筈が無い。
0432人間七七四年
2011/05/20(金) 00:39:11.30ID:yhBO4C3K千姫が男子または女子を産めば問題ない。
男子なら、徳川の血筋の姫を娶せて、取り込むのも良し。女子なら養子で完全徳川化
豊臣を徳川の身内に取り込めれば、無駄に血を流すことなく政権委譲というか融合ができる。
0433人間七七四年
2011/05/20(金) 00:41:06.19ID:3V1rM9RG上杉は上洛しないから討伐される事になった時点での話だろう。上杉は袋叩きにしてお取り潰しだよ。
恩賞として上杉領と関ヶ原後と同様豊臣の領地から分配するからそうはならない。
0434人間七七四年
2011/05/20(金) 00:44:38.60ID:XuVYstUu可能性の問題。
『存続させる』ではない。『存続し得た』という事。
関ヶ原の勝利がなければ、徳川家があそこまで強大化する事はない。
政権の首長家を滅亡させるだけの権力を持つことなど出来ない。
0435人間七七四年
2011/05/20(金) 01:20:32.79ID:3V1rM9RG関ヶ原が無かったら権力を持てなかったなんて家康を甘く見過ぎだ。
そんな家康だったら秀吉が何とかしてたろう。
0436人間七七四年
2011/05/20(金) 01:52:31.23ID:XuVYstUu0437人間七七四年
2011/05/20(金) 07:03:49.34ID:5nI2Q5t0土下座してでも徳川に従っていればさすがに家康も滅ぼせなかったはず
孫娘もいるしね
豊臣滅亡まで三成のせいにされるのはおかど違い
0438人間七七四年
2011/05/20(金) 07:39:33.74ID:v3lVTxTh0439人間七七四年
2011/05/20(金) 07:50:31.79ID:AFeR0SITこれが小物でない証拠。
と、徳永真一郎氏は、著書の中で述べてる。
0440人間七七四年
2011/05/20(金) 08:30:37.13ID:w83gMCEQ0441人間七七四年
2011/05/20(金) 09:26:02.38ID:GrMKxbqT0442人間七七四年
2011/05/20(金) 10:15:01.35ID:2TkS+fqb徳川250万石
これで同じ兵数集めろってねぇ…
信用力=石高だろ
0443人間七七四年
2011/05/20(金) 12:20:52.92ID:P/kFSXJ9それをきちんと使いこなせなかった三成が悪い
そもそも家康の目的は三成個人の打倒ではなく政権交代なんだから
目的上では豊臣家と4大老・5奉行が敵になるわけで石高では家康の方が圧倒的に不利な状況だよ
石高の劣勢を挽回するために三成を利用して敵をバラバラにして
石田・宇喜多といった極一部の大名を打倒するだけで他の大大名の石高が無力化してしまうような奇跡的な状況が出来上がった
少ない石高で健闘したのは家康であって三成ではないよ
0444人間七七四年
2011/05/20(金) 12:42:02.09ID:9q8gxqAdかたや奉行風情
それでもバカ毛利が土壇場でビビらなければ勝てた状況を作った三成はバカにできない
0445人間七七四年
2011/05/20(金) 13:06:41.58ID:GrMKxbqT負けない状況を作れただけで、勝てはしないから。
この意味の違いをキチンと認識しないと。
0446人間七七四年
2011/05/20(金) 14:19:35.74ID:AFeR0SIT徳川陣営から寝返る武将も出てくるかもしれんし
伊達とか伊達とか伊達とか
0447人間七七四年
2011/05/20(金) 15:31:26.24ID:GrMKxbqT逆転を狙う状態を意味しない。
0448人間七七四年
2011/05/20(金) 18:20:44.26ID:n+Dn9jbV功罪、明暗、高低、清濁・・・と色々評価はわかれるよなぁ
家康と三成ってイメージを持ちやすいキャラだから三成スレも盛り上がって良い
0449人間七七四年
2011/05/20(金) 18:44:17.19ID:5nI2Q5t0豊臣滅亡のきっかけは茶々
秀次が後継者と決まっていたのにどこの馬の子を産んでめちゃくちゃにしてしまった挙げ句秀吉死後は家康を信頼する有り様
三成挙兵にかんし軍資金の提供もこばみ惨敗させたけどそういう状況を作ったのはまぎれもなく茶々
それにもかからわず関ヶ原以降も政権を戻してくれると信じ家康に土下座しない高慢ぶり
身を呈して頑張った三成らを平気で見捨てた茶々にいまさら誰が味方するのか
おめでたい人だな
0450人間七七四年
2011/05/20(金) 20:43:22.44ID:6BO4HYts前世の怨念かなにか?
0451人間七七四年
2011/05/20(金) 21:15:57.35ID:hDp3KTWjあれが勝てた状況かよ
松尾山の秀秋は西軍の将を追い出して布陣しているし
南宮山の毛利も不戦の協定を結んでるのに
勝てると思って戦ったからバカと言われてるんだろ
>>449
三成の行動を正当化するために茶々のせいにするなよ
だいたい挙兵に関して相談もされてないのに
何でそんなやつに軍資金を提供せないかん
0452人間七七四年
2011/05/20(金) 21:18:23.11ID:xP51QFRc高台院の実家の木下家が豊臣姓で残ってるし
0453人間七七四年
2011/05/20(金) 21:37:43.71ID:y26jcHuB↓↓↓
「我大軍を率い、天下分け目の軍(いくさ)しけることは、
天地破れざる間は隠れあらじ。ちとも心に恥じることなし」
0455人間七七四年
2011/05/20(金) 22:39:08.39ID:w83gMCEQ0456人間七七四年
2011/05/20(金) 22:57:55.95ID:n+Dn9jbV松尾山の秀秋や南宮山の毛利や吉川はまだいいとして、
同じ南宮山不戦組の長曾我部や安国寺や長束は不憫過ぎる。
どうせ滅ぶならあそこで戦っておけば、と現代人は思うw
吉川が邪魔をするかもしれんが・・・
0457人間七七四年
2011/05/20(金) 23:30:55.71ID:/70yiawJ0458人間七七四年
2011/05/21(土) 00:33:30.25ID:WjsTCjTj実際には万が一の保険を東西双方の大半の大名がやってたと思うよ。
だから内応交渉してたから東軍なんて主張は意味が無くて、公での旗翻で見るべきでしょ。
だいたい最初から小早川が東軍なら何で、あんな危険な位置に大谷が布陣していて
しかも早期に小早川排除に動かないのか不明だし
小早川の先鋒は西軍側の松野主馬なんだから、秀秋が東軍なら松野なんて連れて来ないし、さっさと排除してるでしょ。
実際に秀秋は傍観者を決め込み家康から派遣された奥平貞治から再三に渡る出陣依頼も拒否しまくりだったわけだし
東軍に参戦と決まり、松野が怒って出奔した後に小早川先鋒を指揮する人間がいなくて
結局、奥平が指揮を引き受けて下山するも後続が続かなくて大谷に苦戦した挙げ句に
奥平はのちに死ぬほどの致命傷を受けてるじゃん。
最終局面で赤座・脇坂・朽木・小川が裏切り大谷を攻めなければ奥平は討ち死にしてた。
小早川軍が当初から東軍なんて言えないでしょ。
>>西軍の伊藤を叩き出して松尾山に布陣
それって春日局のダンナの武功を捏造するために書かれた後世編纂の三次史料だよ?
吉継が秀秋を2回にも渡って会談して暗殺しようとするんだよ?
史学にはそんなもん堂々と載せてるやついないから。
三成も当日は小早川に山を見張って動かなくていいからって言ってるだけだし
三成から増田への12日書状で松尾には中国勢をいれ敵陣は20日のうちに破るって書いてるから
秀家か毛利か小早川が寡兵の伊藤に代わって防備するのは不思議な話じゃない。
つうかそもそも伊東は本当に松尾にいたのかどうかも怪しい。
>>関ヶ原に転進したのは14日夜〜15日
小早川は14日の太陽が照ってる時間には移動完了してるし
大谷や毛利や秀家に至ってはもっと前からいたし、はっきりした敵認定してるってんなら
大津城攻撃隊の一部を転用してでも早期に除くだろ。なんで放置してんの?
>>松野の戦場離脱は大谷が寄騎の裏切りをつかめてなかった
そう主張してないだろ・・・松野が先鋒してるんだから最初から小早川が東軍と決めていたわけじゃないと言ってるだろ。
みんなある程度はお家存続のために東西両軍に唾つけてるって再三にわたり言ってんだが?
それに三成も味方中の心中も計り難いと言ってるわけだが?小早川に三成は動かなくて良いって言ってたから事実動かなかったし、
様子見して戦況を眺めていたからだいぶ傍観してて小早川参戦は正午を回ってからだよ?
早朝の濃霧があけ始めて開戦してからかなり経過してるまで動いてない。
そもそも決戦なんて両軍とも考えてなかった。家康は豊臣恩顧に武功を立ててもらいたくはなく秀忠軍を待っていたんだし、
真田信之にも大垣城を水攻めにする予定だと言っているなど早期決戦を想定してなかったし
(戦後の武断派の大封により早期に豊臣滅亡が出来なくなったし、千姫を秀頼に嫁がせる約束も履行させられた)
三成も大垣〜関が原で最低でも20日以上は対陣をするつもりで関が原予定戦場の高地に土木造成をしていた。
もう少し待てば丹後田辺城攻略部隊や大津城攻略部隊の合流もできたし。
しかし中国勢を佐和山に派遣する前に急遽、自分の家族のいる佐和山城を家康が攻める可能性が生じ
危惧を抱いた三成が大垣城を出陣して決戦を勝手に始めたに過ぎない。
毛利秀元が吉川広家のバカの言うことを聞かずに東軍に突っ込んでいたら小早川の様子見は成立せず、西軍の圧勝だった。
0459人間七七四年
2011/05/21(土) 05:04:35.66ID:Wi5IS7/I伏見攻めこそしたもののその後は西軍の命令を適度に無視しつつ東軍とせっせと交渉して関ヶ原の時には奥平を受け入れてた訳だし
0460人間七七四年
2011/05/21(土) 05:13:52.44ID:0cZsYQ+F仮に大垣素通りで佐和山を攻めに行ったら小早川もホイホイ徳川に合流するかもしれないと判断したからかもしれない
それと関ヶ原まで行けば家康を包囲する事ができるとわかっていたからな
むしろ家康がはめられたと地団太踏んだと言える
当てにならない毛利勢や小早川を100%当てにしなければならなかったのは案外チキンな家康にとって判断は間違っていたと言える
仮に石田が負けてもいつでも逃げられるが家康は西が全軍襲ってくればひとたまりもないからな
よくドラマや小説で家康が勝つべくして勝ったみたいな演出だけど実際は?だったかもな
0461人間七七四年
2011/05/21(土) 05:37:28.49ID:IRacuP4C毛利が動かないからガキの秀秋が疑心暗鬼になっただけ。
明確な意志表示で反西軍をやった吉川に流された毛利にさらに流された秀秋。
0462人間七七四年
2011/05/21(土) 10:10:27.39ID:dxQcFjiVこれって前から思ってたけど総大将きどりで戦ってたんだな三成は
こんなんじゃ勝てるもんも勝てんわな
だれも三成のことなんて総大将と思ってないしな
>>458
>毛利秀元が吉川広家のバカの言うことを聞かずに東軍に突っ込んでいたら小早川の様子見は成立せず、西軍の圧勝だった。
毛利の内通は広家だけでなく重臣の福原や宍戸も加わっていて秀元の判断だけで動けないぞ
それに南宮山から関ヶ原の状態は見えなくさらに離れている松尾山からは
南宮山の状態がわからないのにどう判断できるんだ?
0463人間七七四年
2011/05/21(土) 10:31:18.04ID:Wi5IS7/I>>462
西軍は基本バラバラだからねえ
統一した意思が無いゆえに畿内制圧に時間をかけすぎて東軍の後手にまわってしまったり赤坂に現れるまで家康の動静を掴めて無かったりもうgbgbもいいとこ
0464人間七七四年
2011/05/21(土) 13:00:30.42ID:IRacuP4C単にあいつら東軍派閥の人だろ認識でしかない。
西軍派閥の人である伊予から来た大名格の安国寺だって立場上ひけをとるもんじゃない。
小早川には諜報の物見すらいなかったから誰が戦闘開始し誰が戦闘してないかがまったく把握できないのかね?
0465人間七七四年
2011/05/21(土) 13:03:15.29ID:jAzqXsga何が何だか解らなかったんでしょう
霧がなかったら、もっと早く西軍は崩れていたんじゃない
0466人間七七四年
2011/05/21(土) 15:25:31.57ID:k3jVngNr同意。どう転ぶか分からん戦いだった
0467人間七七四年
2011/05/21(土) 15:46:51.38ID:7hYWs9k5こいつらの城は、徳川が接収済み。徳川が敗北したら、のたれ死ぬしかない。
万が一、毛利が攻めてきたら、全員死兵と化すしかない立場の連中ばかり、こういった
人員配置の仕方から見ても、家康の用心深さがわかる。
0468人間七七四年
2011/05/21(土) 15:50:10.12ID:VDCcWx+Q0469人間七七四年
2011/05/21(土) 17:18:31.58ID:GKiUwreTだから、主戦派の秀元も広家に強く言えなかったとかなんとか
0470人間七七四年
2011/05/21(土) 17:39:39.74ID:WjsTCjTj安国寺恵瓊ともども広家の陣に銃撃を加えてやればよかったものを。
0471人間七七四年
2011/05/21(土) 18:06:12.49ID:Wi5IS7/I0472人間七七四年
2011/05/21(土) 18:11:32.23ID:7hYWs9k5はぁ?
そんなことしたら、長束殿、安国寺殿、長曽我部殿寝返り!とか誤解されて、一瞬で西軍が
瓦解するぞ。広家は秀元に、こう言うだけで良いのだから
「かねてよりの見込みどおり、寝返りが起きました。内一人は五奉行の長束、おそらく大阪の
増田も同心と思われます。更には安国寺の糞坊主と土佐のコウモリも寝返りました。早々に
陣払いをしましょう。殿は、不詳広元が引き受け申す。早々にお引きください」
0473人間七七四年
2011/05/21(土) 18:16:10.94ID:VDCcWx+Q0474人間七七四年
2011/05/21(土) 18:40:44.86ID:w3GAlXyg「つ〜ことは・・・うん??てか、ぶっちゃけ俺とお前はいったい、西と東のどっちやねん??」
て秀元混乱しそうな気もw
0475人間七七四年
2011/05/21(土) 19:59:46.57ID:IRacuP4C0476人間七七四年
2011/05/21(土) 20:21:27.51ID:F7500/zW0477人間七七四年
2011/05/21(土) 21:05:57.36ID:1thltKHf0478人間七七四年
2011/05/21(土) 22:14:02.01ID:z6jViZBy0480人間七七四年
2011/05/21(土) 23:30:08.38ID:F7500/zWそりゃもちろん小早川隆景の一存で毛利家中の意思統一ができるだろうけど、
隆景は秀吉よりも年上で関ヶ原時には67歳になる計算だから、かなり辛い仮定。
もちろん家康みたいに70歳になって大坂の陣に出陣するような武将も
おるけどさ…
0481人間七七四年
2011/05/22(日) 00:03:01.56ID:uc1uAEQhそれを言うたら本能寺の時点で毛利元就が生きてれば歴史は大きく変わっていたかも(笑)
0482人間七七四年
2011/05/22(日) 00:08:52.02ID:uc1uAEQh史実かどうかは知らないが天下政権を任されてる側の人間らしいコメントですな
きれい事はいらないって感じ
だが天下の大一番でその島津にキャスティングボードをにぎられるとはさすがに三成も予想できなかったかも
0483人間七七四年
2011/05/22(日) 00:30:54.61ID:AqlVluHQ0484人間七七四年
2011/05/22(日) 01:12:18.61ID:A1zNvvOx0485人間七七四年
2011/05/22(日) 04:53:40.55ID:uc1uAEQh島津は兵の数こそ少ないがとにかく強いから、、、、
0486人間七七四年
2011/05/22(日) 05:39:45.57ID:GtxX8I5W寝言は寝て言え。
0487人間七七四年
2011/05/22(日) 08:53:44.55ID:m0z9zxlc寝言とも言えないぞ。「立花の3千は、他家の1万に勝る」と言わしめた宗茂の
越えられない壁である実父、高橋紹運の籠もる岩屋城を瞬殺した島津最弱の将
島津忠長(泗川の戦いで100の兵で朝鮮勢10000の大軍を撃ち破れる程度です)
の100倍の戦闘力を誇る義弘が本気を出せば、家康の首をあげるのに早糞程度
の時間ですんだはず。
人扱いが下手な三成が島津を使いこなせなかったのが関ヶ原の敗因だなw
0488人間七七四年
2011/05/22(日) 08:59:19.81ID:tn6RUKxY大多数がすてがまりになってるが・・・・・・
0490人間七七四年
2011/05/22(日) 13:07:05.99ID:A1zNvvOx過大評価の高橋紹運のどこがすごいの?
あいつ島津がやってきたら開城交渉して拒否られたから死んだだけだぞ。
九州の捏造体質から来る戦況記述をまともに受けるなよw
朝鮮の話とかデタラメばっか書いてるのにおかしいとは思わないのか。
>>488
家臣の大半を瞬殺されてるし、ビビッて一番近くの大垣城に逃げると言う大バカした挙げ句に
その大垣城で謀反が起きて東軍化してさらに逃げるアホっぷり。
途中で島津に親が討たれてる宗茂に助けてもらう恥知らず。
>>489
井伊らの極々一部の散発的な兵だけだがw
彼ら全軍が攻めてきたら瞬殺されてたわな。
0491人間七七四年
2011/05/22(日) 14:04:59.46ID:zNFdl3B70493人間七七四年
2011/05/22(日) 17:38:21.84ID:GtxX8I5Wバカ言うなよ。
島津は石田隊と小西隊の背後に隠れていただろwww
まーた歴史群像の捏造を信じるバカが登場かwww
0494人間七七四年
2011/05/22(日) 19:31:37.68ID:LbOuGVMK徳川家に勝てる要素はない
0495人間七七四年
2011/05/22(日) 19:39:58.13ID:5MuVn/hZその「島津は石田隊と小西隊の背後に隠れていた」が
「歴史群像」で桐野作人が提唱していた内容なんだが
0496人間七七四年
2011/05/22(日) 19:55:46.62ID:A1zNvvOxそれで島津がガチで井伊や松平と戦ってたって言う一次史料で証明してくれないかね。
また石田の背後をとられないように島津が開戦からずっと石田陣の背後を守り通したとかむちゃくちゃ強引な妄想ネタを持ち出したりしないだろうな?
単に島津の背後に回って包囲すればいいだけの破綻ネタだし。
0497人間七七四年
2011/05/22(日) 20:07:42.33ID:5MuVn/hZ「関原始末記」
「下野殿井伊兵部一手ニ成テ宇喜多嶋津カ勢ト相戦下野深入高名シテ傷ヲ当ラル」
他にも「竹中本関原御合戦記」「東西記」に記述がある
0498人間七七四年
2011/05/22(日) 20:25:46.45ID:Jh4QVNKF島津が序盤から奮戦したという資料には成り得ないな
0499人間七七四年
2011/05/22(日) 20:33:31.41ID:5MuVn/hZ「井伊兵部直政葉松平下野守ヲ伴ヒ先登ヲ心掛ル福島脇備ヨリ敵陣ニ駆入薩摩ノ家頼
松浦三郎兵衛ト忠吉公ト太刀打ニ逮フ」
でここで忠吉は負傷している。追撃時の負傷は間違い。
0500人間七七四年
2011/05/22(日) 20:53:34.51ID:A1zNvvOx忠吉が末端薩摩武士と太刀打ちするとかウソだろw
0501人間七七四年
2011/05/22(日) 20:56:21.60ID:uc1uAEQh本軍は少数の真田にボコボコにされるは関ヶ原の本戦では
井伊がかろうじて活躍した(と言っても島津に敵中突破された挙げ句追走したら井伊直政が返り討ちにあい討ち取られるありさま、死亡さたのは数年後だが)
くらいで徳川軍の存在価値なし、そもそも岐阜城落城も徳川軍はなんもしてないし
朝鮮成敗はサボタージュしたので北条攻め以降は実戦の経験が遠ざかっていたとは言えあまりに情けない状態ですな
0502人間七七四年
2011/05/22(日) 21:02:57.70ID:5MuVn/hZ何度も経験済みなので、はいさようなら
0503人間七七四年
2011/05/22(日) 21:22:35.31ID:A1zNvvOxいやいや竹中軍記の竹中隊は黒田隊傘下にいて石田隊を攻めてるはずで
井伊隊&福島隊は宇喜多隊と戦ってるから
島津隊がもし井伊&忠吉と戦っていたとしてもその戦況なんて竹中は見てないだろ。
三成は使者をたて島津に加勢を願ってるが下馬しなかったから援軍しなかったと言うし
開戦冒頭に島津隊は押しまくられ敗退し石田隊の背後で陣を立て直していたなら理解できるが大活躍なんてしてないだろ。
0505人間七七四年
2011/05/22(日) 22:15:44.11ID:fdEpiQkt勇猛だの強いだのは関ヶ原に関してはない。
そもそも千五百(多くて三千)では目立った活躍をするのは難しいだろうし、
だから目立った退き口だけが後世広まったってのが真相だろう。
おそらく島津陣近辺での防戦に終始してたんじゃないの。
島津は不戦を貫いたなんて、西軍諸陣のど真ん中にいてさすがにそれはないだろう
という説まで伝わってるくらいだし・・
0506人間七七四年
2011/05/22(日) 23:46:29.05ID:GZILXnQ60507人間七七四年
2011/05/23(月) 00:08:45.19ID:SbNy8wXu豊臣相手にしろ徳川相手にしろ天下を牛耳る大物には手も足もでないというわけ
0508人間七七四年
2011/05/23(月) 01:31:00.32ID:aOp9nRa30509人間七七四年
2011/05/23(月) 02:08:37.75ID:PIFdrz62小西隊のさらに横にいた島津隊がなぜ攻撃を受けるの?
島津隊は小西隊の前面にいないと話が成立しませんよ。
島津隊と誤認していたが実は小西隊だったとしか考えられませんよ。
島津隊は戸川か稲葉に蹴散らされて速攻で石田隊の背後まで逃げたんじゃないの?
0511人間七七四年
2011/05/23(月) 10:35:12.74ID:iE8lhHGC0513人間七七四年
2011/05/23(月) 16:55:32.03ID:m3nzIaxK西軍で主に戦ってたのは宇喜多、大谷、石田、小西の約4万が東軍の黒田福島藤堂等の諸隊と戦って小早川が寝返るまで優勢だった
0514人間七七四年
2011/05/23(月) 17:31:07.91ID:0TXC0BxUどちらのほうが信頼性が高いかということか
でも戦史のほうは兵数だけでなく布陣経過の記述にも問題ありというのは
割と共通認識かと思ったけどそうでもないのね
0515人間七七四年
2011/05/23(月) 20:18:06.05ID:Evxa3HvC最初から最後まで東軍優勢でしょ。
そりゃ戦だから、一過的、局地的な状況はあるだろうけど。
小早川はトドメを刺しただけだな。
会戦に要した時間と、東軍戦死者数でわかる話。
0517人間七七四年
2011/05/23(月) 20:56:36.69ID:oyJVShP6本隊が最初から戦ってたのなら、乱戦が推定出来るのだが・・・。
0518人間七七四年
2011/05/23(月) 22:24:46.67ID:PtViAqy5もうちと長引けば別だろうけど。
西軍は堅陣を施していたが東軍に比べて睡眠不足で体力消耗してる。
東軍も横や後方の山の部隊を気にしながら、とりあえず前の敵と戦っておけという状況。
石田対黒田、宇喜多対福島、大谷対小早川・・
大合戦の割に見せ場が局地的で展開のダイナミックさに欠ける煮え切らない不思議な戦いです。
0519人間七七四年
2011/05/23(月) 22:33:51.77ID:1tflG9/h0520人間七七四年
2011/05/24(火) 01:44:37.74ID:2draH7Ph上杉→真田→毛利→島津…とつぶしてきたいし、
家康が死んだら秀忠がそれを受け継いで各個撃破続行。
三成が決起するならあのタイミングしかなかったのでは?
あと、豊臣政権は消滅しただろうけど、
徳川は豊臣氏そのものは残したかもよ。
織田政権は消滅したけど、
織田有楽は残ったような感じで、
徳川政権下の小大名の秀頼は残ったかも。
ただ遠方にトバされたとは思うけど。
0521人間七七四年
2011/05/24(火) 01:57:45.97ID:2draH7Phでも上手だったかというとちょっと違うような……。
0522人間七七四年
2011/05/24(火) 07:19:55.53ID:oAXT0aYo海の司令官〜小西行長を語り継ぐ
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1194989009/
【西軍】関ヶ原の戦い総合スレ16【東軍】
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1305124084/
0523人間七七四年
2011/05/24(火) 08:30:24.20ID:/pD3pyz7毛利は勢力が大きいから上杉のように潰すか前田のように土下座させる必要があるけど、
その時点での真田は反徳川ではないし勢力も小さいのでつぶす必要なし。島津も本当は
東軍に付く筈だったと言われてるから潰す必要は無い。
上杉を潰した恩賞に上杉領だけでは足りないから豊臣領から分け与えて、毛利に土下座
させれば家康の開幕に反対できる者は居ないだろう。
織田有楽は残ったけどそれは乙巳の変(大化の改新)で蘇我氏が滅んだ訳ではなく、クーデターに
参加した蘇我倉山田石川麻呂が右大臣になっているのと同じ事。秀頼とは訳が違う。
関ヶ原が無かった場合、豊臣恩顧の大名が多く残るので豊臣家を残す事の危険度は余計に高まる。
豊臣家が生き残る可能性は、関ヶ原と大阪夏の陣の間の何処かの時点で家康に土下座するシナリオしか無い。
0524人間七七四年
2011/05/24(火) 13:26:51.18ID:2draH7Phなるほど、勉強になりました。
感謝でござる!
実は歴史にハマりはじめたのは今年からなので、
勉強不足なのでござる……。
許されよ。
では豊臣家を潰す場合、
今度は豊臣恩顧の武将を一人ずつつぶしてけばいいわけ?
おそらく福島→加藤って順番かな?
あるいは豊臣を存続させる場合、
秀頼の出家、あるいは江戸勤番(言葉正しい?)させて、
人質にするのではダメなのだろうか?
0525人間七七四年
2011/05/24(火) 14:10:14.53ID:D44tavvy将軍就任した後は徳川幕府と豊臣関白で上手くやっていけばいいだけだから
大阪の陣みたく豊臣が浪人集めて武力反抗してこなけりゃ戦にもならないから
0526人間七七四年
2011/05/24(火) 14:30:59.81ID:ebhpUKhg今年からなの。何がきっかけだったのやら?
秀頼が夏の陣までに土下座してればそれなりの大名で存続出来た。大阪城は明け渡す代わりに
上方で二国という条件が出てたから。実際には外堀を埋められた時のようにもっと削られるだろうけど。
夏の陣が起きた後では秀頼は助命出来ない。その子供たちは出家か島流しで済ます事も出来るが、
家康は平和な世の中が長く続く事に執念を燃やしてるのであえて殺すであろう。それで汚名を被るだけの
覚悟はしている。
島原の乱の時に天草四郎は秀頼の御落胤と称して人を集めた。そういう事態を家康は非常に厭がった。
>では豊臣家を潰す場合、
>今度は豊臣恩顧の武将を一人ずつつぶしてけばいいわけ?
>おそらく福島→加藤って順番かな?
言いたい事がよく判らないけど、福島も加藤も江戸時代になってから潰されてるよ。不満分子を残しておく
のは危険だから。加賀百万石の前田の殿様は潰されないようにわざと鼻毛を伸ばして莫迦の振りをしたり
苦労してる。
ついでだから書いておくと関ヶ原の時の真田は上杉討伐の為に小山に参陣する所だった。西軍挙兵と
知って親子三人で相談して昌幸と信繁(幸村)は西軍に長男の信之は東軍に付いた。信之の嫁は本多
忠勝の娘なので徳川に親しい立場だったので。
0527人間七七四年
2011/05/24(火) 14:50:05.79ID:zOI32kem関ヶ原で武功を上げたのが豊臣恩顧大名だらけで家康にとっては誤算だった
だから彼らを加増するかわりに江戸から遠い西国へまとめて大坂城へのルート上の山陽道姫路城や山陰道篠山城のラインで監視させた。
家康は秀頼を殺したかったのは事実だろう。
それは信長死ぬや秀吉に乗っ取られた織田家、そして秀吉死ぬや征夷大将軍になった自分。
自分が死んだあとに秀頼を担いで天下を狙わんとする者が出るとも限らない。
そして豊臣恩顧有力大名が相次いで死んだので秀頼を殺せる状況になった。
豊臣方も家康が老衰して死ぬのを待っていた。
0528人間七七四年
2011/05/24(火) 15:44:47.57ID:ckIgITEe出来すぎな感があるが、事実は小説よりも奇なりっていうからな、その上で豊臣恩顧の大名でも豊臣家見殺しにした
ヘタレ福島正則は因果応報とも言うべきだろうが、加藤清正が死んだのが豊臣にとって最大の痛手だろうな
0529人間七七四年
2011/05/24(火) 16:02:15.48ID:2draH7Ph普通に司馬遼太郎はむかしから読んでたけど、
特にハマるってほどではなかったんですよ。
信長の野望とかは普通にやってたし、
光栄本とかは読破してました。
最近、マンガの「へうげもの」の石田三成が、
なんだか急に人間的に描かれるようになってて、
「あれ?コイツどんな奴だっけ?」って、
それで気になるようになったんですね。
それでどんどんハマってきて…。
やっぱ織田と豊臣は面白いなって。
今はルイス・フロイスの日本史を読んでます。
0530人間七七四年
2011/05/24(火) 17:03:22.37ID:OXxEQ/VX慶長16年浅野長政・堀尾吉晴・加藤清正ら死去
(3月二条城における家康と秀頼との会見)
慶長18年池田輝政・浅野幸長←この2人が死んで完璧に詰んだ。
慶長19年5月前田利長死去だからね。
(7月方広寺鐘銘事件)
もう豊臣方は家康との間を取り持って弁護してくれるやついない無理ゲー状態。
家康としても自分が生きている間は黒田長政や細川忠興も
裏切ることはないだろうが死んだ後はどうなるかわからんからね。
0531人間七七四年
2011/05/24(火) 17:52:50.60ID:phuAzq1Cその内、例えば司馬と山岡の家康みたいに相反した人物が描かれるのを見て、
自分の人物像を描こうと思ったら、ようこそマニアな世界へ
学術書で満足せず、「大日本史料」なんかを読み始めたら、おいでませ涅槃へ
0532人間七七四年
2011/05/24(火) 19:10:31.64ID:ckIgITEe結城秀康は家康が豊臣家を攻めるなら大阪城に入城して秀頼を守るとまで言い切ってたらしいな
石田正宗譲られるくらいだから不思議はない話だが
0533人間七七四年
2011/05/24(火) 19:32:21.56ID:OiJWpsIg0534人間七七四年
2011/05/24(火) 20:00:24.71ID:YtASJ2Vf家康天下取りへの流れは大体同意だが、そこに若干波が起こるとすれば
宇喜多・毛利の動きによるものだろうな。
仮に上杉討伐が無事行われるとして、前田・上杉とくれば
次は自分達だろうと警戒し身構えるのは当然のこと。
宇喜多はお家騒動で家中揺らいでたであろう状況でもあの関ヶ原の奮戦振りだし、
毛利もいくら当主が優柔不断の輝元とはいえ、関ヶ原の時のように他人の持ち城の大坂城でなく、
自分の本拠地広島城に健在なら、あそこまで弱腰の対応にはならないだろう。
もし本気で(ここが難しいところだろうが)二家が抵抗すれば
隣接する領地同士だし家康天下取り道に一波乱あってもおかしくはない。
そこにこのスレの主役の三成等が絡んでくるかは別として・・・
まあ、とはいっても家康のこと、その軍事力と政治力で最後は結局土下座させちまうんだろうけどね。
0535人間七七四年
2011/05/24(火) 20:38:30.37ID:jVzJlS5p毛利・宇喜多もすでに領地問題・家臣団問題と家康に介入されてるんだけど
むしろこれがあったから西軍決起したのかもしれん
あと輝元は優柔不断ではないだろ
総大将承諾も大坂退去もさっさと決断している
優柔不断ならこれらの事はできないだろう
輝元には輝元の考えがあり、三成には三成の考えがあって
そのずれが三成の立場から見れば優柔不断に見えるだけじゃない
0536人間七七四年
2011/05/24(火) 21:05:08.08ID:bwQfxwZ1ただ、福島正則の場合、一旦は赦免されたのにもかかわらず、その条件である城郭の破却を履行せず、
最終的に秀忠が改易を断行したという経緯だったはず。
加藤忠広にしても、光正の行動は大名の子息の行動としてはあまりにも軽率だし、よく幕府のだまし討ちの
ようにいわれる話だけど、むしろ福島家や加藤家の詰めの甘さばかりが目立つ感が強いな
0537人間七七四年
2011/05/24(火) 21:36:34.67ID:YtASJ2Vfそうだな。
決断の早さという面ではその通りだな。
俺は輝元の総大将にしては腰の据わらなさということが言いたかった。
関ヶ原に関しては、輝元がもう少し腰の据わった態度、言動でイニシアティブを発揮していれば、
吉川や秀元の挙動も変わっていたのではと思う。
隆景が死んで既に数年経っているしな。
0538人間七七四年
2011/05/24(火) 22:05:43.39ID:d5N09OUv家康が秀吉に従った時、人質として秀吉に送られた
秀吉から徹底的にかわいいがられる一方実父家康からは最初認知すらされなかったくらい父から嫌われていたからかなりの豊臣贔屓
なお三成との関係は極めて良く家康の息子という立場でなかったら三成に味方していたのは間違いない
なお有名な話だが佐和山に引退させられた時、加藤らから襲撃される危険性もあったため家康の命令で秀康の隊が佐和山まで警護したが三成と最後別れる時、愛刀の石田正宗を秀康にプレゼントし秀康は感激した
なお秀康と三成はこれ以降二度と会う事はなかった
さて秀康は石田処刑の報をどのような思いで聞いたであろう
なお秀康は関ヶ原以降も豊臣贔屓は変わらなかった
何かあることに秀頼をかばおうとする秀康に家康はウンザリしていたようで密かに豊臣滅亡前に毒殺されてしまうのであった(死亡については諸説紛々だが)
0539人間七七四年
2011/05/24(火) 22:09:46.67ID:cAi/WPdkテルは、大阪に入城して秀頼と淀殿を押さえた時点で、上杉征伐のため
家康に従軍した諸侯が、家康を見捨てて自分の元に駆けつけると思って
いたんだろう。それが伏見城の焼き討ちやガラシャ虐殺パーティ^とも言う
べき人質騒動で、上杉征伐軍の諸侯の反感を買いまくって、全ておじゃん!
ここら辺からテルの迷走が始まったような気がするね。
0540人間七七四年
2011/05/24(火) 22:55:37.27ID:fjpNAGuS敢えて福島をフォローすると。
その年の春・夏と2度の大洪水で広島城下は大災害に見舞われている。
夏の大洪水の際には、広島城は三の丸まで浸水。
崩れた石垣や櫓の修築を幕府は許さなかったわけで。
ちなみに福島は、修築の届けはキチンと幕府に提出している。
(修築に認可が必要になったのは家光の時から)
詰めが甘い、で片付く話かはわからんけど。
所領没収の命に対し、福島は一切の申し開きをしなかったわけで。
ではなぜ素直に破却をしなかったのかという矛盾には興味を覚えるけどね。
0541人間七七四年
2011/05/24(火) 23:55:51.36ID:2draH7Ph大日本史料ね。
ちょっと調べてみる。
俺が興味あるのは今は三成。
気になるのは三成と秀吉の主従関係がどんなものだったのか?
秀吉と信長の主従関係はなんとなくイメージできるじゃん(史実はさておき)、
だけど三成と秀吉の主従関係がピンとこないから、
三成がなんで秀吉と豊臣家にイレあげたのかが伝わらないんじゃないかな。
お茶・横柄者・500石で雇用して自分は居候、
あたりのエピソードだけでは、なんかボンヤリした感じなんだよね。
0542人間七七四年
2011/05/25(水) 00:18:31.74ID:fIs8keyv俺は入れあげたとは思ってない。取り立ててもらった恩義と、政権の中枢にある者としてそれを横取りしよう
と謀略を巡らす家康は筋が取ってないという思い、それで十分だと思う。
俺の思う三成像は昔のTBSドラマ「関ヶ原」の優秀な官僚で律義者。原作の司馬遼は読んでない。
>>534
吉川はともかく福原とかも、上杉が討伐されてしまえば次は毛利という道理が判らない重臣ばかりの様だから
結局何も出来ないで終わるだろう。
0543人間七七四年
2011/05/25(水) 00:20:18.75ID:rBzek26t豊臣家にイレあげていたのではなく、
豊臣政権での地位と権力に執着していただけだという事に。
0544人間七七四年
2011/05/25(水) 00:24:15.59ID:XH5cwK4Yわかりやした
アンチは消えな
0545人間七七四年
2011/05/25(水) 00:28:53.12ID:5NSVokksとはいえ「忠誠心」「恩義」ってだけでは、ちょいと味気なくない?
もちろん忠誠心と恩義と権力欲が入り混じっての三成挙兵だと思うけど、
それでもなんかスッキリしないんだよなあ…。
創作物でもいいから、ちゃんと説明して欲しいなり。
TBSドラマの三成って、大岡越前の俳優さんが演じたやつ?
原作の司馬のは読んだけど、なんかピンとこなかったなあ。
>>543
もちろん権力への執着と妄執はあったと思う。
だけど、それだけでvs家康に踏み切れるものかどうか…。
0546人間七七四年
2011/05/25(水) 00:58:33.61ID:fIs8keyv>TBSドラマの三成って、大岡越前の俳優さんが演じたやつ?
そう、加藤剛。大岡越前だけあって正義の人を好演していた。ドラマの三成は正義は必ず勝つと信じていて
知恵は働くけど理が勝ちすぎて、多くの人は利害で動くという事が理解出来ない独りよがりな所がある。それ
故に危うい所があって島左近や大谷はほっとけない。
実際に戦国時代を生きた三成は正義は必ず勝つとは思ってなかったろうけどね。
0547人間七七四年
2011/05/25(水) 01:00:08.27ID:rBzek26t豊臣家への忠誠心と恩義については、史実どころか逸話でも存在しない。
信者の妄想に過ぎない。故に説明は出来ない。
>もちろん権力への執着と妄執はあったと思う。
>だけど、それだけでvs家康に踏み切れるものかどうか…。
当時の力関係を考えれば、普通は踏み切らない。
かつての権力者による返り咲きの一発逆転狙いは、極めて普通の発想。
0548人間七七四年
2011/05/25(水) 01:26:57.51ID:5NSVokks>>実際に戦国時代を生きた三成は正義は必ず勝つとは思ってなかったろうけどね。
↑当然そうだよねえ。
関が原の時もいろんな大名を味方につけるべく、
「**国を与える」なんて約束の書状を三成は送ってるから、
当然ながら利害で人を動かそうとしてるわけだよね。
小説やドラマでは登場人物を単純化させざるをえないけど、
実際の三成はもうちょっと複雑だったと思うんだ。
だから、なんか気になる男なんだよなあ…。
三成のどこが好き?
>>547
三成は秀吉と豊臣家のこと大好きだよ!
でないと豪雨が降ったときに誰よりも早く城に出かけて、
破損箇所の報告をいち早く秀吉に届けたりしないよ。
他にも秀次の助命に動いたり、
朝鮮の役での撤退のためにがんばったり、
三成はがんばってるよお。
0549人間七七四年
2011/05/25(水) 06:35:28.23ID:XH5cwK4Y全てはアホな主君をもった悲劇ですな
徳川政権下でも佐和山19万石を維持しょうと思えばできたんだろうけど
0550人間七七四年
2011/05/25(水) 08:21:54.82ID:ZJ1xku1n秀吉がボケ過ぎて、秀長の死後は自分で政権基盤ぶちこわしていったからなぁ。
鶴松の死後、秀吉も死んでいれば…
0552人間七七四年
2011/05/25(水) 08:49:22.08ID:XH5cwK4Y加藤福島はサムライ大将に降格させてな
秀勝=駿府60万石
秀保=博多60万石
石田=近江などから60万石
くらいやっとけば安泰だった
家康は謀反の疑いをでっち上げて滅亡させればなお安泰
0553人間七七四年
2011/05/25(水) 08:51:02.80ID:XH5cwK4Y秀頼は生まれてくるべきではなかった、、、、
0554人間七七四年
2011/05/25(水) 09:28:45.10ID:INLd59pD秀吉が狂って秀頼の後見にするどころか一族皆殺しにしたせいで血縁のない奴らに後見を頼む羽目になってるし
0555人間七七四年
2011/05/25(水) 13:53:43.44ID:cyAevLkM元就並みに長生きしたから経験豊富で邪魔な奴らがみんな死んだ。
ぶっちゃけ信長を始めとして家康よりも能力があるやつらはけっこういた。
0556人間七七四年
2011/05/25(水) 14:29:41.87ID:xZ9xhlId嫌われっぷりは半端無いね
0557人間七七四年
2011/05/25(水) 14:56:18.14ID:XH5cwK4Y三成公の悪口を言えば自分は正しいと思ってるんだ、、
へー
0558人間七七四年
2011/05/25(水) 14:59:01.53ID:XH5cwK4Y浅井長政、武田勝頼とか家康より実力は上という武将は数えきれないくらいいたな
0559人間七七四年
2011/05/25(水) 15:08:55.86ID:XH5cwK4Y光輝の石田三成に対する描き方は異常
個人的恨みがあるのかという感じ(徳川家康、伊達政宗)
いくら主人公にとって敵とは言えステレオ的な描き方だからな
とくに伊達政宗みたいな自分が身体障害者というコンプレックスを晴らすため弟を惨殺するだけであきたらず彼が生きていたという痕跡すら残さずさらに芦名などを根こそぎ虐殺させるわ自分の父親も殺害
そのくせ秀吉家康にはごますりまくりそのくせどさくさにまぎれてあわよくば天下を密かに狙うも結局なんもできないチキンぶり
とても漫画の主人公に抜擢する日本では無い
三国志は最高傑作だっただけに残念
0560人間七七四年
2011/05/25(水) 15:09:54.62ID:XH5cwK4Y訂正
0561人間七七四年
2011/05/25(水) 16:45:16.18ID:T4zBUTx80563人間七七四年
2011/05/25(水) 18:00:14.86ID:XH5cwK4Yとにかくまだ29の若さで領民や家臣からも慕われた名将
17の若さで家臣達の後押しで家督を継ぎ信長からも一目置かれたのは事実
三方が原でウンコもらしたり数々のチキンぶりをさらし家臣達からも馬鹿にされまくった家康とは違い武勇に優れ数で大きく上回る六角軍を打ち破ったしな
じゃ何で家康が天下取って長政は滅亡したかと言えば家康はどんなに不満があっても信長には土下座しまくり
信長がめちゃくちゃこわいのでただ平身低頭
長政は信長とは相容れずついに対決してしまった
これだけの違い
家康と長政が同じ立場なら長政の方が数段上
ただそれだけではどうにもならないのが戦国時代だからな
0564人間七七四年
2011/05/25(水) 18:38:33.62ID:TQgOmskI家康個人の評価として信長に臣従してたことをマイナスみたいに言いやついるがどう考えてもプラスだろう
0565人間七七四年
2011/05/25(水) 19:12:13.08ID:ESRsFKogその理論だと、ヘボい家康に負けた三成はその上を行くへボさということになるわけでさ。
まあ、浅井長政と徳川家康を比べてる時点でどうしようもないなと思うわけだが。
0567人間七七四年
2011/05/25(水) 19:36:28.72ID:WkOrys1b美濃さえ攻略できなかったのが信長だからね。
だいたい金ヶ崎の戦いで松永久秀が朽木元綱を説得して
京へ逃走ルートを確保してくれなければ信長死んで浅井が勝ち組だったからな。
北畠大河内城攻めでも織田軍は敗北の連続の中で
阿坂城を担当した秀吉軍が苦戦する中で浅井勢が調略で落とし
北畠戦唯一の勝利を叩きだしてるし。
家康なんて火事場泥棒で領土を広げただけに過ぎん。
0568人間七七四年
2011/05/25(水) 19:44:51.07ID:ZJ1xku1n最大の有力同盟者ってことで、かなりの厚遇だったはず。
反信長包囲網は浅井朝倉同盟を主軸にしていたのだから、逆に言えば浅井が
従っていれば、信長は5年は早く畿内を制圧できていただろうし。
0569人間七七四年
2011/05/25(水) 19:56:42.27ID:uVfwZOnd>↑当然そうだよねえ。
でもな。どう見ても勝算の無い喧嘩売ってる上杉景勝直江兼続コンビとか地上に神の国を作ろうとした
大友宗麟とか理想家も居る事は居る。
>>559
むしろステレオタイプに描いてるのは主人公の敵としての役回りでそうしてるだけで、三成を嫌ってるとは
限らないと思うが。別にどうとも思ってないかもしれないけど。
それと政宗は確かにドキュンだけど、その事と漫画は別の話だ。
>>563
逆に言うと長政は辛抱が足らん。
0571人間七七四年
2011/05/25(水) 20:40:09.78ID:XH5cwK4Y漫画センゴクでは長政があえて信長を生かしたという展開だがあながち間違っているとは思えない
長政の武将としてのプライドからだまし討ちするとは思えない
あのお市が信長にお土産として両縛りの袋を贈ったが長政がその意味に気づかないとは思えない
知ってて逃したとしか思えない
家康なら信長を逃すと恐ろしいからなんとしてもあの場で殺しにかかるだろうけどな
0572人間七七四年
2011/05/25(水) 20:40:59.29ID:XH5cwK4Y0574人間七七四年
2011/05/25(水) 21:02:54.69ID:65As8qmlあんたが持ち上げたからだろうが
0575人間七七四年
2011/05/25(水) 21:06:59.53ID:XH5cwK4Yそうかもな
ただ長政は信仰心が厚い人物だから彼らを見殺しにできなかったかも
もし長政が味方したままだったら本能寺もさけられたかも知れない
0576人間七七四年
2011/05/25(水) 21:08:46.62ID:XH5cwK4Y0578人間七七四年
2011/05/25(水) 21:28:44.30ID:INLd59pD祖父が批判した信玄の父親強制隠居を実行した奴がか?
0579人間七七四年
2011/05/25(水) 21:35:02.53ID:cyAevLkM0580人間七七四年
2011/05/25(水) 21:42:54.23ID:XH5cwK4Y0581人間七七四年
2011/05/25(水) 22:20:08.05ID:zNQKfbUp0582人間七七四年
2011/05/25(水) 22:28:54.10ID:cd7JZtn8三成に敵対、否協力ならば
加藤・福島=バカ
毛利輝元=へタレ
家康・政宗=チキン
・・・
郷土愛からくる?三成、長政好きなのは理解出来るけども、
チキンだのへタレだの・・嫌いな武将の表現の仕方はもうちとなんとかならないか?w
それじゃ匿名掲示板とはいえ単なる子供の悪口と変わらんよw
0583人間七七四年
2011/05/25(水) 22:48:12.19ID:zNQKfbUp0584人間七七四年
2011/05/25(水) 22:48:59.67ID:XH5cwK4Yとくに伊達は過大評価されすぎ
秀吉はさっさとあの糞ガキを始末するべきだった
三成のいうことを聞いていれば
0585人間七七四年
2011/05/25(水) 22:51:57.77ID:XH5cwK4Y三成の父は信仰心の強い人物だから次男の三成を出家させるのは既定路線
観音寺で鷹狩をすれば可能性はあるかも知れないが
0586人間七七四年
2011/05/25(水) 22:53:46.60ID:XH5cwK4Y0587人間七七四年
2011/05/25(水) 23:08:21.80ID:INLd59pD沢庵和尚並になれただろうか
0588人間七七四年
2011/05/25(水) 23:10:41.32ID:zNQKfbUp0589人間七七四年
2011/05/25(水) 23:15:06.85ID:cyAevLkM0590人間七七四年
2011/05/26(木) 00:45:00.18ID:KQNWPGUJ史実に沿った論理的な三成信者の主張を聞きたい。
妄想と子供の悪口はもういいよ。
0591人間七七四年
2011/05/26(木) 00:45:10.11ID:5TlLPaDy加藤清正を馬鹿だと言い切るとは君は凄いな
世の中には、例えば旧帝国海軍の山口多聞や嫌われ者だが読売の渡辺恒雄のような
喧嘩が強い秀才もいるんだぜ
0593人間七七四年
2011/05/26(木) 15:15:11.19ID:OqyOAgFT0594人間七七四年
2011/05/26(木) 18:36:16.05ID:qvAi5xo6加藤も福島も目先の保身考えれば利口に立ち回ったし少しスパン伸ばせば馬鹿な選択した
ただあの連中の信義(ってものがあればだけど)に測ってみれば愚かな選択だったのは疑う余地のないところ
0595人間七七四年
2011/05/26(木) 20:13:35.33ID:DrfCROSr福島は結局ハズレくじ引いて自滅、天に唾すると後々何倍にもなって帰ってるな結果的には
0596人間七七四年
2011/05/26(木) 20:19:43.08ID:5kwdokim三成襲撃事件の報復をされるのは判り切っている
頭の良し悪しの問題ではない
0597人間七七四年
2011/05/26(木) 20:43:50.21ID:Q/+VAYpk忠臣という観点でも、現代に至るまで三成より遥かに上の評価。
三成信者の無駄な抵抗が哀れだなw
0598人間七七四年
2011/05/26(木) 22:06:00.43ID:qiiKr/xm0599人間七七四年
2011/05/26(木) 22:41:30.53ID:zfmXacZH関ヶ原で戦った福島は馬鹿だと思うが
0600人間七七四年
2011/05/26(木) 22:52:07.60ID:ypGeWIJiそんな評価の書籍を読んだ事がないな〜。
西軍空想小説ならあるのかな?w
妄想でしか戦国を語れないんだね。
0601人間七七四年
2011/05/26(木) 23:35:59.69ID:QGzabaET勝てると思って戦った三成
その結果家康が勝ったのだから三成の方が馬鹿だろう
だいたい家を潰したのが馬鹿なら三成もそうじゃないか
0602人間七七四年
2011/05/26(木) 23:38:20.41ID:OqyOAgFT名目的には豊臣の為に上洛要請に応じない謀反人上杉を家康が討ちに行ってる間他の大老を毛利と組んで
唆し大乱を引き起こした悪人とも言えるかもしれん 三成が忠臣であったという逸話はないし
0603人間七七四年
2011/05/26(木) 23:43:43.44ID:95Kwxks/妄想でなく、事実ね。
三成と同列で語る事自体有り得ない。
0604人間七七四年
2011/05/27(金) 00:14:54.65ID:nd65M6SMだからといって加藤が馬鹿だとはとても思えないな。
清正ってまさに万能じゃね?戦国時代での物差しなら特に。
肥後経営とか見ても統率力的なものも半端じゃなさそうだしな。
なんといっても肥後改易は清正の死後のだいぶ後だし、
清正が馬鹿だというよりも二代目、三代目が非があると言うべきこと。
二条城での秀頼随伴護衛の役目を終えたことで、
清正本人としては自分に出来る範囲で十分秀吉のご恩に報いたと
心安らかにして冥土に旅立ったと思うわ。
0606人間七七四年
2011/05/27(金) 11:41:48.16ID:4cjvaRRn秀吉ですら家康との対決は避け、融合方針だったわけだ。
婚姻施策はまさにそれ。
それと真逆の行動で失敗し、
家康への権力集中に拍車をかけた三成は、
果たして忠臣と言えるのだろうか?
加藤福島の方が、余程秀吉に忠実だ。
0607人間七七四年
2011/05/27(金) 12:56:02.91ID:blaWE/Zt不器用さで主家まで滅ぼしちゃ世話ないわ
まだ野心家の方が良かった
0608人間七七四年
2011/05/27(金) 12:56:08.73ID:hydu0wK1いやそれは前田が悪いんだよ。
徳川vs前田スレ見ろよ。
三成はその挽回をしようとしただけ。
そして勝てた戦いだったが
バカ毛利がブチ壊しただけ。
清正は肥後で小西攻めをして自領拡大に勤しんでいたが
関ヶ原をチャンスに黒田如水が九州をまとめ上げて家康を牽制できる勢力を作り上げようとした戦略に後から参加しただけマシ
福島は短慮にも小山会議前夜に家康や黒田長政に騙されたバカ
0609人間七七四年
2011/05/27(金) 13:30:49.44ID:hydu0wK1どうしても三成が無能だから負けたことにする行動理念はずっと変わらないんだなwww
0610人間七七四年
2011/05/27(金) 13:48:03.47ID:/iQK4Xtp三成が忠臣だった逸話は沢山あると思うけど…。
豪雨の後はいち早く城に出社して、被害報告書を作成したりとか。
三成が仕事熱心なだけで忠誠心とは違うって理屈はなりたつけど、
これとか忠臣ぶりを現すエピソードじゃないかなあ。
0611人間七七四年
2011/05/27(金) 17:38:26.23ID:eoVvuZjnもし徳川が滅びたとして毛利、上杉が好き勝手やるだけ、そうなっても忠臣と言
えるのか?
0612人間七七四年
2011/05/27(金) 17:44:45.09ID:ljSOP9yZもはや忠臣レベルではない。
豊臣の守護神として崇め奉られただろう。
0613人間七七四年
2011/05/27(金) 18:50:23.11ID:NPtiouIPどちらもあんまり政権奪取への執着が薄いような。
つうか毛利が権力握ったら
またばらばらに内紛起して自滅しそうだけどな。
0614人間七七四年
2011/05/27(金) 19:07:44.86ID:blaWE/Ztそれでまた大戦勃発したら三成ただのアホやん
0615人間七七四年
2011/05/27(金) 20:33:10.93ID:o2Fx/AYKここで言わんとする忠節は、豊臣の血に対するものだね。
子飼いという枠組みの中で、『秀吉・秀頼のため』。
職務に対する忠節は、ちと的外れかな。
0619人間七七四年
2011/05/27(金) 21:02:47.44ID:KIdbtkdN秀吉死後〜関ヶ原までの家康の行動が、秀吉の意志に則ってたなんて有り得ない。
豊家の存続だけなら遺言で、家康に政権譲渡すればいい。
単に権力闘争に敗れただけで、忠臣とも叛臣とも言えないだろ。
0620人間七七四年
2011/05/27(金) 21:08:49.43ID:Q1bcy5W0臨終に際して秀吉が諸大名に出させた誓紙とそれに署名血判して悉く背いた家康に結果として加担した東軍諸将は
共同謀議が成立する確信犯だろ
0621人間七七四年
2011/05/27(金) 21:10:42.58ID:xojLOXRK信頼したらダメな馬鹿というけどさ
秀吉が織田を簒奪することは許さんと真面目に抵抗した連中はほぼ全て秀吉によって消されているわけで
生き残った連中は力があれば簒奪してもいいんだと秀吉に尻尾を振った連中ばかりでしょ
信頼したらダメな馬鹿だから生きていられたわけよ(特に前田なんてそうだ)
その中でただ一人だけ秀吉の簒奪に反対して生き残ったのが家康なんだよ
だから当時の日本で信頼に値する有能な人間は皮肉なことに家康だけということ
秀吉が家康を大老筆頭に迎え入れたのも単なる大大名だからというだけでなく
簒奪に反対した実績を持つ人間が家康しかいないからという側面もある
その家康が豊臣を簒奪しようとしたら三成は信頼したらダメな馬鹿に頼るしかないわなw
0622人間七七四年
2011/05/27(金) 21:14:30.89ID:4cjvaRRnとりあえず、落ち着こうよ。
家康の行動が秀吉の意思に則ってた、なんて一言も言ってないよね。
三成の決起が、秀吉の方針とは真逆だ、と言ってるわけだ。
んで、寧ろ秀吉の意思に忠実なのは、加藤福島。
よく読まないと。難しい事は言ってないと思うけどなぁ。
話はそれからだね。
0623人間七七四年
2011/05/27(金) 22:32:16.06ID:6zM8cszM信頼したらダメな馬鹿の定義て三成の都合よく動いてくれない事か?
つーかさ何で三成基準で行動しなきゃいけないわけ
三成の考え=豊臣家の考えじゃないのに
こんな事を思われる筋合いもないし
人を都合のいいコマにしか見てないところがホントにクズだと思うわ
それに豊臣家が存続出来るなら三成なんていなくてもいいわけじゃない
0624人間七七四年
2011/05/27(金) 23:08:20.87ID:KIdbtkdN秀吉は政権放棄してまで家康と和平しろなどと遺言してない。
秀吉が自分の死後のざまを見て、加藤福島を褒め、三成を下げるとは思えない。
もし、秀吉がそう思ったのなら、人類史上、最もいかれた遺言人物だよ。
難しい、難しくない以前の問題で、そんな妄言を信じるぐらいなら、まだ、加藤福島は極悪非道、残酷非道な姦臣だって事を信じるよ。
三成が無私の忠臣だとは思わないが、そんな考えの奴は、こんなバカしかいないと思われたら迷惑だ。
0625人間七七四年
2011/05/27(金) 23:29:08.69ID:xojLOXRKそんなこといったら各地の大大名で話し合って政をしてねという遺言自体がいかれたものだ
それが実現可能なら戦国時代なんて到来するわけないだろ
烏合の衆の話し合いでは政が成り立たず武力で全てを屈服させることだけが統一国家を実現する手段なのは当時の常識だよ
秀吉の遺言はあまりにも非現実的すぎて守るとかいう次元の類ではない
三成の主張は現代に例えるなら憲法9条があるから日本政府は今すぐ全ての武力を放棄しろと大真面目に言っているようなレベル
字面を追ったらそうなるし文言を変えることはできないけど、現実的でないからなし崩し的に無視するしかないわけ
秀吉云々を抜きにすれば社会的には家康の方が遥かにまともで正しい行動をしているよ
だから加藤福島が味方するのも人として当然の行動だね
0626人間七七四年
2011/05/27(金) 23:31:54.82ID:9qbOmVAr勝手に毛利を大阪城に迎え入れて、人質と称して秀頼、淀殿を監視する人物を本丸に
毛利が送り込むのを黙認した三成を見た秀吉が、「さすがは佐吉、あっぱれ豊臣の大忠臣よな」
と褒め称えると思ってるようだな石田オタは!
0627622
2011/05/27(金) 23:46:16.88ID:zxcPN6rB>秀吉は政権放棄してまで家康と和平しろなどと遺言してない。
そりゃそうさ。政権が維持出来るならそれに越した事はない。
ただし、秀吉臨終での家康に対する様は、周知の通り。
一番の不安要素に対して、わが子の行く末を哀願したわけだ。
自分亡き後に、家康に勝てる奴がいない事がわかってるからさ。
そんなわけで、仮に死後のざまを見たならば、三成に激怒する事間違いなし。
>そんな妄言を信じるぐらいなら、まだ、加藤福島は極悪非道、残酷非道な姦臣だって事を信じるよ。
福島が豊臣家のために徳川に接近したいう世間認識は、史料でも残ってる。一次史料じゃないけどね。
でも、加藤福島が極悪非道、残虐非道な奸臣だと表記された史料はおそらくない。講談でもないだろう。
どちらが妄言かは明らかだね。だから、キミの表現はこう変えた方がいい。
そんな真実を認めるくらいなら、まだ、加藤福島は極悪非道、残酷非道な姦臣だって妄言を信じるよ
0628人間七七四年
2011/05/27(金) 23:47:31.96ID:5Doz5GRUそれもこれも家康が悪い、と三成は思った。
0629人間七七四年
2011/05/27(金) 23:53:49.54ID:/iQK4Xtpもちろんその通り。
俺も毛利や上杉が暴走するとは思ってる。
でも、そしたら今度は三成は毛利や上杉相手に戦ったんじゃないかな?
>>614
それは俺も納得してる。
そしたらまた毛利上杉と戦う気まんまんの三成がいて、
そんな三成を説教しながら大谷よっしーが助太刀するっしょ。
>>615
そこなんだけどさ、
俺的に三成は職務への忠節と豊臣家への忠節が、ないまぜになってたと思うんだ。
ここで三成バッシングしてる人は、たぶん三成は権力欲が高かっただけで、
豊臣への忠誠心は無かったって言いたいわけでしょ?
でもそれは人間だからいろんな欲望が交じり合って行動すると思うわけ。
職務への忠節(自分のキャリアや権力欲)が5割、
豊臣への忠節が3割、
単に家康が嫌いってのが2割、
そんな配分だったんじゃないかって思うわけ。
0630人間七七四年
2011/05/28(土) 00:01:54.38ID:L9frfqEPふむ、そう言う理解をする石田好きには好意を抱くよ。
豊臣家唯一の大忠臣とか、義将とか三成を倫理的な聖人扱いして、
加藤や福島を愚人、恩知らず、不義漢と貶めるような石田オタには
嫌悪感しか抱けないからな。
0631人間七七四年
2011/05/28(土) 00:13:08.67ID:gWuEBED3同意、能力も認めるし、多少横柄なところはあるもののエピソードからも人間性
は悪いとはいえない、ただ忠臣っていうのもなんだかな。
0632人間七七四年
2011/05/28(土) 01:11:40.88ID:tFFX9CXk真面目に言ってるなら心底あきれる。
人は自分の利のために動き、それを自己正当化する。
彼らの行動は豊家の存続に繋がらなかった。
秀吉死後の家康の行動を見て、誰一人として家康に野心ありと見抜けなかったとでも言うのか?
家康に味方することが、豊臣家を今の地位から引きずり落とすことになるって、分からなかったとでも思うのか?
三成以上に、清正、正則が忠臣なんて思わない。
三人が三人とも、豊家の滅亡を速めている。
なんでそんな奴らを秀吉が褒めなきゃいけないんだ?
三成に激怒するなら、他の二人にも激怒するだろ。
どんだけ秀吉は耄碌してんだよ。
清正、正則が忠臣なら、三成も同じぐらい忠臣だし、二人が忘恩の徒なら、光成だってそう。
どちらかが上なんて一概に言えるかよ。
0633人間七七四年
2011/05/28(土) 01:27:48.10ID:tFFX9CXk人として理解できることと、忠臣であることは一緒ではない。
三人は三人とも、自分の生き残る道を選んだだけ。
三人は豊家のために家康についたわけでも、対立したわけでもない。
そこに自己正当化するための忠義はあっても、無私の赤心なんて見いだせない。
0634人間七七四年
2011/05/28(土) 01:59:02.35ID:P6O5AcUu>秀吉死後の家康の行動を見て、誰一人として家康に野心ありと見抜けなかったとでも言うのか?
見抜くも何も、秀吉死後の最大実力者が家康だとわからん奴が当時いるのか?
加藤、福島、石田は、秀吉の織田氏への仕打ちを真近で見ている。
秀吉死後に何が起こるかは、全員予想出来る。
そこから先は、己の分をわきまえているか否かの違い。
キミの主張が観念じみてきて、何を言いたいのかよくわからないのだが。
残念だが、豊家の滅亡を早めたのは間違いなく三成。
理由は、過去レスでいいのがあるのでご参考(>>422、>>429)。
繰り返すが、加藤福島の行動は、秀吉生前の対家康方針に一致している。
激怒され対象は三成だけだ。
0635人間七七四年
2011/05/28(土) 02:28:23.77ID:5pRXtmzC>>豊臣家唯一の大忠臣とか、義将とか三成を倫理的な聖人扱いして、
>>加藤や福島を愚人、恩知らず、不義漢と貶めるような石田オタには
>>嫌悪感しか抱けないからな。
三成をキャラクター化したら忠臣とか義将とかになるじゃん。
倫理的な聖人にもなるしね。
三成を好きになってくれる入り口としてはアリなのかなって。
でも俺が好きなのは「人間三成」なので…、
そんな単純な生物ではなかったと思うんだ。
そこを知りたいんだよね。
加藤や福島に対して三成オタが手厳しいのは、
家康打倒は関が原のワンチャンスしか結果的になかったでしょ?
なのに加藤は関が原という現場を放棄して関係ないことしてるし、
福島にいたってはせっかくのワンチャンスを積極的に破壊してるじゃん。
だからバカ扱いしたくなるんでないかなあ。
個人的には加藤清正は感情移入できるけど、福島はちょっとキツいわ…。
三成嫌いなのはしょうがないけど、
それは横に置いといて大同団結しろといいたい。
0636人間七七四年
2011/05/28(土) 02:34:31.93ID:5pRXtmzCその横柄者(へうくわいもの)って、具体的にはどんな感じだったの?
普請現場での家康に対する態度の悪さの逸話はあるけど、
それは家康が嫌いってだけで横柄とは関係ないよね?
加藤清正と三成との確執も三成の横柄な性格とは関係が薄くない?
具体的にどう横柄だったのかが、ピンとこねえんだよなあ。
0637人間七七四年
2011/05/28(土) 02:35:17.05ID:o5U6IjPT0638人間七七四年
2011/05/28(土) 02:43:11.72ID:5pRXtmzC趣旨は非常によく理解できるのだけど、
適当に名目をこさえて各個撃破してくだけの話じゃん?
上杉→毛利→福島→加藤→島津みたいな流れで。
そんなに時間かからないと思うのだけど…。
それに家康が死んでも、秀忠がいるよね。
0639人間七七四年
2011/05/28(土) 03:43:13.94ID:B6jRQogp中立者を思わせる表現に騙されたけど、君もただの妄想三成信者だろ?
主張してる内容は、結局どれもほぼ一緒。
語尾を柔らかくして、トーンを下げてるだけ。
>>630>>631が気の毒だよ。
0640人間七七四年
2011/05/28(土) 05:47:37.76ID:+1hpAKnt一般的な見方でも加藤らの行動は誉められたものではない
0641人間七七四年
2011/05/28(土) 05:49:14.29ID:+1hpAKnt管はなりすまし朝鮮人だから日本のために引きづり落とすのが先決
0642人間七七四年
2011/05/28(土) 07:38:44.70ID:0zedqd9b各個撃破では、史実のように磐石な江戸幕府は生まれなかったろうね。
そもそも幕府を開けたかすら怪しい。
>>640
文化人でも誰でも、ニュートラルな見地からものを言ってると思ったら大間違いだよ。
その好例が>>637と>>641
0644人間七七四年
2011/05/28(土) 10:17:13.72ID:EPRw3N01ただ、他人に押しつけるなよ
0645人間七七四年
2011/05/28(土) 11:20:05.74ID:o5U6IjPT上にも書いたけど全部撃破する必要は無い。上杉を叩き潰して逆らうとどうなるか見せつけ、その恩賞と称して
豊臣領から分け与え、毛利に土下座させれば家康にもの申せる実力者はもう居ない。宇喜田では旗頭になれ
ない。幕府も開ける。秀頼が挙兵すれば少なからぬ大名が参加するだろうが、総大将が前線に出てこないよう
では志気が上がらない。
0646人間七七四年
2011/05/28(土) 12:36:22.13ID:0zedqd9bいや、だから、別にその方法で家康が天下を取れないとは言ってない。
取れたとしても史実よりははるかに脆弱な政権になったろうって言っただけ。
家康が死んだらすぐにひっくり返されるような、ね。
0647人間七七四年
2011/05/28(土) 12:39:55.06ID:MGkdbAlZそれでは、徳川家の石高が増加されないし、他の西軍諸大名の領地も変化なし。
徳川家が相対的に強化されなければ、盤石な体制は構築できない。
その最たる失敗例が秀吉。
関ヶ原後、徳川家は400万石になり、西軍大名の領地は700万石削られた。
当時の全国総石高が1800万石である事を考えれば、どれだけ大きいかわかる。
豊臣領と、上杉領だけでは遠く及ばない。(詫びた前田に減封なし)
0649人間七七四年
2011/05/28(土) 14:18:39.95ID:o5U6IjPT幕府を開いてしまえば後は豊臣に因縁つけて喧嘩吹っかけるだけの事。そのくらいの事も判らんの?
0650人間七七四年
2011/05/28(土) 14:20:30.24ID:o5U6IjPT>(詫びた前田に減封なし)
前田は最初だから厳封出来なかったけど、毛利はもう最後の方だから土下座しても大減封だ。
0651人間七七四年
2011/05/28(土) 14:45:16.60ID:MGkdbAlZ石田信者特有の妄想だな。
具体的な根拠は一切なし。
関ヶ原の勝利で、西軍の所領700万石は徳川親派にばら撒かれてるのは理解できる?
言わば、全国がほとんど徳川色。
この実力を背景に、開幕の手続きを進めて行ったわけだ。
関ヶ原なかりせば、潜在的に反徳川に成り得る勢力は大半が所領そのままに生き残る。
まず開幕ありきの議論はナンセンス。
>毛利はもう最後の方だから土下座しても大減封だ。
根拠が全くない。まして、毛利が因縁吹っ掛けられないように立ち回ってたらどうすんの?
0653人間七七四年
2011/05/28(土) 22:12:37.48ID:+1hpAKnt徳川が天下取るには前田を味方にする必要あり
前田なら利家死後も加藤らが一目置いているしな
0655人間七七四年
2011/05/28(土) 23:12:03.77ID:WJc1/q53前田利長の評価がいまいち低いのは何故だおる
0657人間七七四年
2011/05/28(土) 23:48:07.24ID:o5U6IjPTこれが家康の野心の現れでなくて何だと言うのかねぇ?
0658人間七七四年
2011/05/28(土) 23:56:19.11ID:ohv8dobf>三成嫌いなのはしょうがないけど、
三成個人が嫌いというより過去十年の豊臣のデタラメな政そのものが嫌いなんだろう
とはいえ秀吉本人に不満を表すわけにはいかないから悪政の象徴が側近として最も政に関与した三成になっただけだ
よく加藤と福島について三成個人が嫌いで家康に走ったように言われるけど失礼な話だよ
そもそも加藤や福島が家康を大老筆頭にしろと主張したわけではない
豊臣が自分で家康を大老筆頭にして、簒奪されそうだからやっぱり戦えなんてふざけているだろ
家康問題に限らず朝鮮出兵の方針やら後継体制やらも朝令暮改で路線変更されてきたのだから
こんなデタラメな政に加藤や福島でなくても不満を抱くのは不思議なことではない
その象徴である三成には二度と政治の表舞台に立たないでほしいと願うのは人として当然の願望だ
今だって東日本大震災で団結すべき時だけど管政権をみんなで支持しましょうなんてのは無理だろ?
いくら豊臣の危機だと叫ばれても三成は支持できないし、それは三成個人がどうこうの問題ではない
それで政権交代が起きても前政権が悪かったと諦めればいいだけ
すべては家康を大老筆頭にしなければいけないほどダメな政をした豊臣そのものに責任があるのだから
0659人間七七四年
2011/05/29(日) 00:18:44.47ID:9BoqdvYz0660人間七七四年
2011/05/29(日) 00:41:08.34ID:Yq75Z6TLイイ思いも継続出来たろうけどな。
その場合、二人に豊臣忠臣の評価を与えられる事はなかっただろうし、
三成がその立場にとって変っただろうな。
0661人間七七四年
2011/05/29(日) 07:11:55.00ID:a7hunTbv結局、それを容認した馬鹿利家
勝手に領国に帰った挙げ句に母を人質に出したアホ利長
上杉征伐して覇権を確立しようとした家康の暴走を阻止するために三成が挙兵
いまさら家康のバレバレの野心を豊臣への忠義と言いくるめられ小山で騙される池沼福島
最強ヘタレだった糞輝元
やたら長生きしやがって豊臣方にとって大誤算の家康の寿命
三成との対立構図を家康に利用された福島らは基本的に短慮
福島の自らが招いた末路のブザマさ
0662人間七七四年
2011/05/29(日) 11:04:15.65ID:sTxsWDer0663人間七七四年
2011/05/29(日) 12:23:59.38ID:1+0g1riy総大将がへたれと見抜けなかった無様さ
吉川広家が家康に内通しているのを見抜けなかった無様さ
小早川やる夫に寝返らることを見抜けなかった無様さ
小物脇坂安治にすら寝返られる無様さ
謀友増田にすら裏切られる無様さ
たかが伴天連のカルト信者ガラシャの雌豚が死んだくらいで人質作戦を放棄する無様さ
なによりも、豊臣家の政権を崩壊させ、一地方大名の地位に貶め、大坂の陣で
豊臣家が滅亡するきっかけを作った無様さ。
さすが豊臣家唯一の大忠臣にして至高の聖将、国士無双の義人”神将 石田三成”は
愚将”加藤清正”や迷将”福島正則”とは格が違う。
加藤や福島とは違うのだよ。
0664人間七七四年
2011/05/29(日) 12:34:23.29ID:yCoH1S1L0665人間七七四年
2011/05/29(日) 12:45:57.70ID:1+0g1riyすまん人質作戦は、へタレ輝の発案だったかw
三成は、後から尻馬に乗って、関ヶ原直前にも人質の一人や二人殺せやゴラッって
輝に発破かけてるんだったな。
まあ、実際の三成にとっては、自分の死=豊臣公儀の死だから、自分の死後の豊臣家の行く末なぞ
気にもかけなかっただろうがね。
0666人間七七四年
2011/05/29(日) 13:02:22.80ID:xVkWk5sa0667人間七七四年
2011/05/29(日) 13:20:09.78ID:yCoH1S1L0668人間七七四年
2011/05/29(日) 13:25:42.44ID:sTxsWDer石田信者は、アンチの指摘をことごとく疎明出来てないよね?
で、>>661のような無知なレスにループするお決まりパターンw
0669人間七七四年
2011/05/29(日) 14:47:56.78ID:a7hunTbv輝がヘタレなのを見抜けないとか見抜けるわけねーだろw
三成だって人の心はわからないから人質殺せって言ってるんだし
他人の心が見抜けるなら苦労しねーよ。
ほとんどの大名が二股かけてる状態であって関ヶ原が始まらないと不透明な情勢だっただけだし
小早川が寝返ったのは馬鹿毛利が下山して東軍を攻めないから疑心暗鬼になった末の話。
これで勝敗が決しただけで馬鹿毛利が下山し東軍を襲ってたら西軍が勝ってた。
毛利のせいで長宗我部軍など遊軍化し活躍できなかったりと
長宗我部からしてみればヘタレ毛利は許せなかっただろう。
つうかキチガイ毛利厨の三成が全て悪い論は責任転嫁でしかない。
0670人間七七四年
2011/05/29(日) 15:34:34.88ID:sTxsWDer他人と会話して、仕事ぶりを見てたら、使える奴かどうかは普通わかるぞ。
事実、キミのレスを読んだだけで、キミのレベルも十分わかる。
大体、『毛利が下山したら』ってw
毛利が消極姿勢になるように工作してたのは家康だ。仮定にならないってのw
0671人間七七四年
2011/05/29(日) 15:41:56.76ID:a7hunTbvしかも家康がなんかやったんじゃなくて
広家がやっただけだから。
広家が馬鹿なことをやったことに関しては毛利家中からそうとうな弾劾があったようで
広家がブザマな弁解書を提出していて
その原本は岩国城の博物館に晒されている。
0672人間七七四年
2011/05/29(日) 15:47:58.76ID:Wj7jtXba0673人間七七四年
2011/05/29(日) 16:05:23.50ID:sTxsWDerその広家は毛利家家老だろ?広家を工作してたのは誰なんだよ?
マジメにそんな事から言わなくてはいけないレベルなの?
0674人間七七四年
2011/05/29(日) 16:10:47.15ID:a7hunTbv誰だよ?
0675人間七七四年
2011/05/29(日) 16:16:42.13ID:1+0g1riy輝に決まってるだろ。総大将の許可なく秘密交渉ができるかっての。
家康→輝→広家と話ができてたから現場で家康→広家の交渉が可能になったんだよ。
0676人間七七四年
2011/05/29(日) 16:42:58.48ID:a7hunTbvはいはいデタラメ乙
そのバカバカしい捏造を毎回執拗に書き込んできてたのは毛利厨だ。
お前がやっぱり毛利厨なのがハッキリしたわw
0677人間七七四年
2011/05/29(日) 16:44:42.51ID:a7hunTbv0678人間七七四年
2011/05/29(日) 16:54:57.20ID:zG8d1vJe0679人間七七四年
2011/05/29(日) 18:17:09.61ID:pKiOd4mI三成たちが勝手に関ヶ原で戦う事を決めたのだから
責任は三成たちにあるのは明白だろう
だいたい責任転嫁て毛利たちは自分の知らないところで
勝手に作戦が決まっているのに
戦わなかったから馬鹿とかどっちが責任転嫁だ?
それに輝がへタレならそのへタレの力を借りなければ
挙兵出来なかった三成はさらにヘタレじゃないか
0680673
2011/05/29(日) 18:57:15.94ID:n+fp1ROF>>675とは別人で、且つ毛利厨でもないので悪しからず。
敢えて言うならアンチ三成かね。
広家の交渉相手ね。
直接交渉はさて置き、東軍の総大将である家康以外に誰がいるの?
だから東軍に利する行動を取ってるわけだろ。
それともあれか。目に見えない第三勢力でもいるのか?w
0681人間七七四年
2011/05/29(日) 19:12:23.86ID:Ejd+xQbj400年後も仲間割れしてるようじゃ、そりゃ負けるわなw
0682人間七七四年
2011/05/29(日) 19:13:27.05ID:Elc4088h>>679
勝手に三成たちが関が原で戦うと決めた←はいはいソースだしてね。
きっちり布陣までしておいて見苦しい言い訳だなw東電や原子力安全委員会か?お前はwww
それに輝がへタレならそのへタレの力を借りなければ
挙兵出来なかった三成はさらにヘタレじゃないか←お前は子供かwww意味わからんwww
>>680
総大将である家康以外に誰がいるの←最初に広家側でなく家康が直接交渉の申し出レターしたって?
ソースは?そんな話まったく聞いたことないし
毛利をかばう為ならどんな捏造歪曲デタラメも辞さない覚悟だけはすばらしいw褒めて遣わすwww
0683680
2011/05/29(日) 19:36:15.13ID:n+fp1ROF的外れな自演認定結構だけど、
>>670で既に交渉相手が家康だと言ってますがw
んで主題がズレてるよ。
もう一回、>>669>>670のやり取りを振りかえりなよ。
話はそれからだね。
0684人間七七四年
2011/05/29(日) 20:09:15.11ID:2iSOd4GX後で泣きながら首をハネられるな
0685人間七七四年
2011/05/29(日) 20:11:15.44ID:QMrKRHW70686人間七七四年
2011/05/29(日) 20:44:28.45ID:L40xiUD4・吉川(+吉川・毛利宗家の重臣数名)→黒田長政経由→徳川の順で、
吉川広家側から働きかけた。
このやり取りに輝元が関与したという裏付けはない。
・輝元がどの時点で内通について知らされたかは正確なところわからない。
関ヶ原での西軍敗北後、大阪城で吉川から知らされたのは確実。
しかし、それ以前の段階で、ほのめかされていたかどうかは不明。
7月15日に広家は益田元祥・熊谷元直・宍戸元続と東軍へ不戦の書状を
出すことを誓い、失敗した時の責任は自らがが全責任をおい、
毛利宗家には関係ないと言う書状を書き、確認している。
東軍内通が失敗した場合、吉川広家は自分が腹を切って輝元と毛利家を
かばうつもりだったわけで、それには輝元が知らない(という建前の)
方が都合がいい。
0687人間七七四年
2011/05/29(日) 21:56:40.53ID:a7hunTbv輝元が知らなかったのは明らかだし
知ってたなら西軍総大将を止めて大坂城から撤退してるし
輝元が事前に知っていて内諾を受けていたなら
戦後に家中からの批判に耐えられず広家が弁解の言い訳書状を出す意味がわからない。
しかも広家の内通の申し出も家康まで話が届いていたかすらわからず
ぶっちゃけ騙されてただけだし
0688人間七七四年
2011/05/29(日) 23:06:55.28ID:Dh+dKQq0>しかも広家の内通の申し出も家康まで話が届いていたかすらわからず
オマエ、広家が家康と交渉してた事認識してるじゃん。
>>669に戻って、
>馬鹿毛利が下山し東軍を襲ってたら西軍が勝ってた。
という仮定が、いかにアホなものかいう事が立証されたわけだ。
アホだね、アンタww
0689人間七七四年
2011/05/29(日) 23:24:33.27ID:n+fp1ROF0690人間七七四年
2011/05/29(日) 23:38:01.08ID:a7hunTbv広家が直接に家康と交渉できてたなんて認めてないし
馬鹿毛利が下山して東軍を襲ってたら勝てただろ。
どうやってそこから東軍勝利に持っていくのか説明してくれ
0691人間七七四年
2011/05/29(日) 23:50:44.93ID:WbkbLjIlタイトルも作者も忘れたが。
0692人間七七四年
2011/05/29(日) 23:58:59.03ID:Dh+dKQq0>広家が直接に家康と交渉できてたなんて認めてないし
え?
(>>687)
>しかも広家の内通の申し出も家康まで話が届いていたかすらわからず
まさかと思うが、直接間接の別とか些末な話をしようとしてないよね?
まさかね〜。中学生じゃないんだし〜。
>馬鹿毛利が下山して東軍を襲ってたら勝てただろ。
>どうやってそこから東軍勝利に持っていくのか説明してくれ
なんで西軍にだけIFを認めて、東軍は史実通りに動かなきゃいけないの?
家康が広家と気脈を通じていなきゃ、南宮山をスルーするわけねーだろww
こんなのゲーム厨でも理解出来るレベル。
0693人間七七四年
2011/05/30(月) 00:08:24.78ID:CFc5fK4H広家だって自軍の強さも分からない戦音痴じゃない
毛利の実力を誰よりも理解しているからこそ不戦によって勝てたかもしれないという妄想の余地を残してやったんだろう
下山すれば必ず勝てるのだったらあそこまで必死にたった一人で食い止める必要はない
毛利は広家によってプライドだけは守ってもらえたのだから感謝すべきだな
0694人間七七四年
2011/05/30(月) 00:11:41.68ID:u/8QGzDQ広家と交渉できていない場合、関ヶ原が決戦場になったかさえ怪しい。
仮に関ヶ原があったとしても、毛利との交渉が不成立なら、長曽我部
や島津に調略を行い、返り忠と引き替えにお構いなしの密約を結べば
良いだけのこと
0695人間七七四年
2011/05/30(月) 00:14:26.02ID:hh8LHeB/0697人間七七四年
2011/05/30(月) 00:32:01.14ID:AO8nojQA0698人間七七四年
2011/05/30(月) 00:32:18.78ID:tgkQHjjd石田家はそのまま残ったと記憶している
逆転の関ヶ原だったけ?
0699人間七七四年
2011/05/30(月) 02:39:50.10ID:WS7a77FF西軍総大将毛利を預かる秀元ではなく広家が内応の申し出をしたとしても
それを疑わないどころか盲信し当日あの位置に布陣したわけじゃない。
>>694 広家を盲信したと言う条件があったから関が原に家康はやってきたとかありえない。
島津か長宗我部と密約すれば良いとか都合良過ぎ。広家過大評価するにも程がある。
家康に盲信されるほど凄いならなんで輝元島津攻め先鋒・輝夫人を上屋敷に移す
秀忠を広島に送るから路次筋諸城に番手を入れ置くべし・毛利家中年寄衆は人質出せとか
パシリ奴隷で輝元出家&息子に家督を譲るハメになり萩に築城させられるんだよw
0700人間七七四年
2011/05/30(月) 07:19:29.47ID:TNxwn7sKでは、どういう理由で桃配山に布陣したのか教えて欲しい。
仮に、吉川の内応がなく、毛利が下山すれば、どう考えても袋のネズミ。
>>690の主張通り、西軍の勝利は確実。
貴殿の言うとおり、確かに家康はアホではない。布陣理由は何?
0701人間七七四年
2011/05/30(月) 07:25:29.25ID:C5qkB+Fmいざなれば殿に1万くらい残して中山道か東海道を江戸まで撤退するか、秀忠軍との合流考えてたと見るのが自然
そうなれば松平忠吉と井伊直政も離脱して都合6万〜7万は兵力維持できる
0702人間七七四年
2011/05/30(月) 09:11:07.67ID:otDL1ecq0704人間七七四年
2011/05/30(月) 11:29:00.05ID:wrjG+g3kホントの所のようで
0705人間七七四年
2011/05/30(月) 14:43:35.41ID:SRHS2XJf家康も大垣城を水攻めするつもりだった。
正直、家康は関ヶ原布陣状況をよく知らずに夜間行軍し
背後に当たる三成の居城佐和山城を突こうとしてたとしか思えない。
三成も佐和山を守る為に大垣城から誘き出された感が強い
家康は秀忠、三成は大津・丹後田辺攻略軍の集結を待っていて
両軍とも関ヶ原決戦は計算外
0706人間七七四年
2011/05/30(月) 15:27:56.83ID:nwLJYQsJ全然自然じゃないから。
広家と家康が通じていないという事は、南宮山の毛利以下、長宗我部・安国寺・長束等が
西軍としてキッチリ東軍背後に襲いかかるということだ。
キミの理屈では、家康は関ヶ原から離脱して秀忠と合流するって事か?
児戯にも等しい作戦だな。背後から襲われるのがわかってて、
桃配山に布陣する意味が分からない。最初から布陣しない方が、遥かに現実的。
メッケルスではないが、調略抜きであれば、家康は必敗の布陣。
0707人間七七四年
2011/05/30(月) 15:28:07.87ID:UcrsYaIh敗戦・崩壊したのも想定外だった。
南宮山の毛利・吉川は大垣を戦場として想定して陣地構築・
布陣していたわけで、関ヶ原での決戦を想定した配置ではない。
0709人間七七四年
2011/05/30(月) 15:48:44.88ID:nwLJYQsJあのね。
想定外であろうとなかろうと、家康と通じていないのなら
袋のネズミに入りこんだ家康の背後に襲いかかればいいわけよ。
なんでそうしなかったの、って話。
0710人間七七四年
2011/05/30(月) 16:02:17.46ID:SRHS2XJf家康にしてみれば最悪、豊臣武断派を殿にして放棄し
団結力が強い徳川譜代直参を率いる秀忠と合流をはかれば良いわけだし
豊臣同士で自滅してもらっても構わないだろうからな。
むしろ関ヶ原で武断派ばっかり活躍してしまい大加増の恩賞ばかりになっちまって
征夷大将軍になってもなお
豊臣恩顧大名の死去や大坂両陣を経ないと政権纂奪完成には至らなかった。
家康がやたら長く生きなければ秀頼の天下がやっきていたリスクがある道になったのが関ヶ原の家康側誤算。
0712人間七七四年
2011/05/30(月) 16:08:18.70ID:nwLJYQsJそんな話はしてないんだよ。
毛利下山がIFとして成立するか否か、って話。
レスすんなら少し読み返せ。
0713人間七七四年
2011/05/30(月) 16:10:11.18ID:SRHS2XJf気持ち悪い。お前が噂の毛利厨か
0714人間七七四年
2011/05/30(月) 16:19:17.43ID:nwLJYQsJそれこそ万が一。
ただし南宮山全軍を支え続ける事は出来ないし、攻撃をしかける事が出来ない程度の兵力。
0715人間七七四年
2011/05/30(月) 16:21:19.54ID:2+VRJml60716人間七七四年
2011/05/30(月) 16:27:47.17ID:SRHS2XJf家康が万が一の撤退路確保の時間稼ぎを考えていたのはわかるし
毛利を抑え役として武功を一切あげてない一豊が土佐一国の価値ある武功だと高く評価されてるな。
0717人間七七四年
2011/05/30(月) 16:30:25.49ID:wrjG+g3kむしろ体の良い左遷か島流しに近いぞ。
0718人間七七四年
2011/05/30(月) 16:35:53.87ID:SRHS2XJf丸々一国もらって家格も上がって嫌がるやつなんていねぇよ。
長宗我部の残党狩りの貴族の遊びも槍放題だし。
0719人間七七四年
2011/05/30(月) 17:11:44.98ID:64XQSjUo同感。
最も豊臣家を滅亡させそうな家康を、5大老筆頭にしたのは失策。
後になって考えればだけど、朝鮮を攻めた大軍団を、
むしろ家康に差し向けるべきだったよね。
まあ、やりたくても、やれなかったのだろうけど…。
けど西軍が勝ったら勝ったで、
毛利が三成の言うことをきいたかどうか…。
豊臣を潰すのが家康から毛利に変わっただけだったかもな。
0720人間七七四年
2011/05/30(月) 17:21:44.56ID:64XQSjUoけど関が原後に彼らがたどった運命を見ると、
けして先見の明があったようにみえないなあ。
●毛利
下山して東軍本体に突撃すればメッケルが言った通りの西軍圧勝。
家康抹殺の勢いにのって徳川主力の秀忠軍3万を、
立花などと合流して数の多さを活用して粉砕。
戦後、三成とモメるだろうが、それは後の話。
●福島
家康を武力で抹殺するたった一度のチャンスを放棄。
あろうことか家康側について大活躍。
後に家康に不遇にされ、加藤清正に愚痴るもたしなめられる。
●加藤清正
豊臣滅亡は回避できないという悲しい悟りをひらいていた?
三成には協力しなかったが、
自分の存命中はできる範囲内で豊臣に尽くした。
先見の明はあったろうけど、
いかんともしがたい運命を悟っていたのでは?
0721人間七七四年
2011/05/30(月) 17:34:47.89ID:UcrsYaIh南宮山の全部隊(3万5000程度)が下山→東軍と交戦しても、
南宮山の抑え(1万4000程度)+手つかずの家康の本隊3万程度なら
兵力差から考えて、普通に東軍が有利なのでは?
メッケルの西軍勝利の前提は、小早川と南宮山諸隊の両方が
全力で東軍と戦うという条件を満たさない限り、絵に描いた餅なわけで
0722人間七七四年
2011/05/30(月) 17:43:08.61ID:3S4BNHdO0723人間七七四年
2011/05/30(月) 17:49:37.49ID:otDL1ecq毛利吉川等1万5千程度 長曽我部2千900 長束1千
0724人間七七四年
2011/05/30(月) 18:27:01.26ID:64XQSjUoもちろん全力で戦うという史実ではありえない前提の上での話ね。
数の上で劣っているのは確かだけど、
高地からの攻撃だし(高地すぎるけどさ)、
家康の部隊は実勢経験の少ない旗本衆でしょ?
そしたら俺はメッケル説をとるなあ。
実際、毛利が全力で下山して勝負を挑んだ場合、
どっちが有利なのよ?
皆さんの意見ききたいけど。
0725人間七七四年
2011/05/30(月) 18:27:32.35ID:tgkQHjjd毛利と上杉に大幅加増はさけられないだろうな
やがて三成と直江が対立
夢の親友対決実現かも
戦国時代ってつらい時代だな
0726人間七七四年
2011/05/30(月) 18:36:03.34ID:64XQSjUo同感。
三成が勝っても、その後で武将をまとめきれなかったろう。
どのみち三成失脚だったのでは?
0727人間七七四年
2011/05/30(月) 18:53:14.59ID:fyWs4frX全国を統治する中央集権制により遠征軍事力を保持する方向
協力な指導力と監視力を大老によって支えられていた。
そして家康に力が集中しないように保険をかけていたがその枠組みを壊したのが前田
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1255967241/418-425
家康は各地の大名が目の上のたんこぶと思ってた蔵入地を与え
全国支配を放棄し、他家にほとんど介入しない分国制にしてしまった。
そのために鎖国することで不穏な動きを抑えようとした。
0729人間七七四年
2011/05/30(月) 19:20:58.00ID:tgkQHjjd0730人間七七四年
2011/05/30(月) 19:27:21.29ID:fyWs4frX毛利を大幅加増して九州に飛ばし、その跡を宇喜多に治めさせ、関東を上杉にくれてやっても構わない。
毛利を家康がそれほど脅威と思っていなかったということだろう。
そもそも1万5000といってもいきなりその大軍がやってきて包囲してくるのではないので
下山ルートの道を塞ぐように備えを置いて池田4500が防備し、浅野6500が後詰めすれば
狭い下山道では500対500くらいなもんでしかない。
さらに蜂須賀や山内や有馬がやってきて、家康の増援がくれば無問題。
それは秀秋勢が下山した際も苦戦して一度は押し返されたことからもわかる。
0732人間七七四年
2011/05/30(月) 19:57:42.62ID:CFc5fK4Hたとえ吉川が内通をしても吉川自身が他の全ての軍よりも前に布陣しなければそもそも進軍を止めることはできないだろ
家老格の吉川が自分より下っ端の連中を差し置いて最前線にいるのは本来なら不自然極まりないことなんだよ
吉川が真っ先に槍働きに出て他の武将と武功を競うような立場ではないのは明らかであり
ガチ戦闘になったら一番犠牲が出て危険な場所に最初から吉川がいるなんて通常の戦ならまずありえない
仮に吉川が最前線に布陣させてくれと言ってもたとえ内通を疑われなくとも止められて秀元の近くに置かれるのが普通
吉川が何の問題もなく一番先頭に行けた時点で秀元たちも内通を知ってたと見るべき
だからあの布陣図を基本とする限り毛利下山はIFとして成立しない
内通と進軍阻止は吉川一人の暴走で他の人間は知らないというのは後から吉川に責任を擦り付けたと考えるのが自然だろう
独立状態だった小早川はともかく毛利とべったりくっ付いていた吉川が内通して誰も気付かないとしたら間抜けすぎるよ
0733人間七七四年
2011/05/30(月) 20:18:09.52ID:tgkQHjjd数は多いけどね
チョン成敗はスルーしてるしな
北条征伐からすでに10年たってるので実戦経験が遠ざかってるのは痛手だな
だてに秀忠軍が真田にぼろ負けしてないしな
もし島津が家康の首にだけを狙って突撃してたら無様にめ家康首をはねられてただろうな
そんだけへたれな軍、それが徳川
戦とは常に戦っていないと弱くなるもの
0734人間七七四年
2011/05/30(月) 20:27:34.00ID:3S4BNHdO池田輝政もそうですね。
0735人間七七四年
2011/05/30(月) 21:06:30.36ID:udKq8vLm理由は吉川広家が家康と通じているからに尽きる。
通じているからこその桃配山布陣も不動。
単純な話だよ。
ほぼ間違いない共通認識として、
『関ヶ原で、全てが決するとは誰もが想定していなかった』
まさしくその通りで、この後にはまだ大坂城が控えている。
故に、関ヶ原の段階においては、東軍は間違いなく損耗を避ける。
南宮山諸勢に後ろから噛みつかれる可能性があれば、そんな布陣を敷くわけがない。
自分を家康の立場に置き換えてみなよ。そんな馬鹿な事するかい?
0736人間七七四年
2011/05/30(月) 21:13:37.46ID:SRHS2XJf完璧なまでに最初から最後まで願望妄想のデタラメ乙
>>735
家康は噛みつかれる可能性があるから浅野や池田や蜂須賀や有馬や山内や中村を配置してるわけだが。
噛みつかれる可能性が無ければ
そいつらを前線に引き上げるわ
0737人間七七四年
2011/05/30(月) 21:17:28.94ID:wrjG+g3k> 家康は各地の大名が目の上のたんこぶと思ってた蔵入地を与え
> 全国支配を放棄し、他家にほとんど介入しない分国制にしてしまった。
> そのために鎖国することで不穏な動きを抑えようとした。
鎖国がいつから始まったのか知ってるかお前?
0738人間七七四年
2011/05/30(月) 21:17:40.90ID:LDEymh2H>家老格の吉川が自分より下っ端の連中を差し置いて最前線にいるのは本来なら不自然極まりないことなんだよ
>吉川が真っ先に槍働きに出て他の武将と武功を競うような立場ではないのは明らかであり
>ガチ戦闘になったら一番犠牲が出て危険な場所に最初から吉川がいるなんて通常の戦ならまずありえない
先鋒=下っ端というのは根本的な間違い
当時の軍制では、先鋒の役割は非常に重要で、勝敗を決定する要因だから
基本的に一番戦が上手くて動員可能な兵数の多い武将が担当する
先鋒に認められた権限は大きく、戦況に応じて主君の命令を拒否すること
も実際あるわけで
で、この場合、最も戦上手で経験があり、毛利一門であり(両川は家老格ではない。
ずっと上)3000人の兵力がある吉川広家が先鋒を務めるのが当然であって、
南宮山の毛利隊で吉川以外に先鋒を任せられる人物は実質的にいないわけ
0739人間七七四年
2011/05/30(月) 21:25:14.89ID:SRHS2XJfしかし先陣が下っ端なんて言ったら軍令破って一番槍入れた井伊直政なんてどうなっちゃうんだw
0740人間七七四年
2011/05/30(月) 21:28:05.09ID:YJ1bxG0Eそんな、弱かったらしい、徳川隊の最強男・本多平八さんに、「敵が弱すぎた」って言われる西軍って一体…。
0741人間七七四年
2011/05/30(月) 21:30:12.97ID:udKq8vLmその面子でガチの毛利・長宗我部を止められるとは思えないけど、
百歩譲って混戦になったとしても、噛みつかれた時の損耗は甚大でしょ?
この後大坂城が控えている事を考えてみなよ。
史実の大坂の役のように、大名ゼロの浪人軍団じゃないんだよ?
0742人間七七四年
2011/05/30(月) 21:38:24.22ID:SRHS2XJfどんだけ毛利軍を過大評価するつもりだよ。
秀吉配下だった池田や浅野らや家康指揮下の後詰軍を次々に破る吉川広家軍の方が有り得ないわwww
0743人間七七四年
2011/05/30(月) 21:56:07.32ID:udKq8vLm兵数の差だよ。広家のみに絞られても困るんだが。
加えて、リーマン大名ではなく、地生え大名である点。
秀吉配下ならば強い、って方が説得力ないと思うが。
秀吉の統一は、兵力差にものを言わせたものだから。
配下大名の強弱は、また別問題。
0744人間七七四年
2011/05/30(月) 22:02:59.67ID:SRHS2XJf隆景&安国寺路線のもとに吉川家が軽視されてきた為に
安国寺主導の毛利宗家の方針に嫉妬し足を引っ張ろうとしただけ
戦後に毛利家中の蔑視に耐えきれずに言い訳の弁解した際に
両川として隆景と元春は常に反対の意見をわざと言ってきたのも毛利を守るためで
自分はその真似をしただけだと屁理屈を書いてるが、要するに冷遇されてきたための逆恨み。
黒田長政らはそれを逆手にとって広家を騙してただけで広家の内通自体も家康が知っていたかどうかさえも不明。
だいたい広家は2人の兄よりも評価が低かったから
劣等感と嫉妬の塊だったんだろう。
事実、豊臣政権で隆景や安国寺と違って冷遇されたと言っても間違いではない状況。
そもそも輝元や隆景は三成を個人的に嫌っていたようには見えず敵対する理由もない。
輝元も秀包も家康に味方する理由もない。
嫉妬していた広家にはその動機がある
0746人間七七四年
2011/05/30(月) 22:24:27.52ID:tgkQHjjd小さい男だな
俺がTERUなら打ち首にする
0747人間七七四年
2011/05/30(月) 22:26:45.34ID:udKq8vLmう〜んと、ゴメンね。
レスを追ってもらえばわかると思うんだけど、
南宮山の全部隊が東軍を背後から噛みつくのが前提なんだ。
その場合、東軍の被害は甚大となるでしょ。
大坂城を残す東軍としては、そんな事態は避けたい。
ただし、南宮山が動かなければ別、って事。
0749人間七七四年
2011/05/30(月) 22:32:23.24ID:8kK2Gglyあんた、吉川広家も大嫌いなのか
まあ三成惨敗の根源みたいな役割果たしたからな
ま、嫌いな武将が居てこそ、好きな武将が際立つってもんだわな
0751人間七七四年
2011/05/30(月) 22:54:05.25ID:YJ1bxG0E>>そもそも輝元や隆景は三成を個人的に嫌っていたようには見えず敵対する理由もない。
基本的な質問かもしれないけど、好き嫌い以前に毛利一族と三成ってどのくらい深交あったの?
毛利一族の取り次ぎは黒田のはずだから、あんまり付き合いなかったんでは?
0752人間七七四年
2011/05/30(月) 22:58:57.75ID:udKq8vLmでは実際に攻めなかったのはなぜ?
それで毛利本隊を足止め出来るならすれば良かった話だよね。
>>750
都合良い前提に変更って、どの辺が?
キミは小説家みたいだから妄想癖でもあるのかな?
0753人間七七四年
2011/05/30(月) 23:28:35.74ID:u/8QGzDQその伝で行けば
「立花ってけちくさい小物だよね。碧蹄館の戦いの後で
「この三成が、わざわざ戦功報告書を書いてやるんだから紙代くらいよこすのが人の道だろう」
って至極当たり前のことを言ったのに対して
「戦目付なら戦功報告書を書いて、太閤様に報告するのが仕事だろ。紙代くらい経費で落とせるだろ」
なんて、むちゃくちゃ理不尽なことを言い出すんだからな。
こんなけちくさい野郎、本来なら大友義統並に領地没収だろう。
0754人間七七四年
2011/05/30(月) 23:55:01.15ID:LDEymh2H慶長の役で取次だった黒田孝高が失脚して、後任が三成になった。
三成は安国寺と組んで、毛利宗家(輝元)による中央集権化を図ったので
その点では、輝元と利害は基本的に一致している。
割をくったのが毛利の譜代家臣と吉川家。
吉川広家は三成に「お前、秀元と領国替われよ!」という吉川家の独立性を
全面的に侵害する要求をされ、当然ながらブチ切れ。
ただし、輝元自身が家内の軋轢を嫌い、急激な中央集権化には乗り気でなかったのと
七将襲撃で今度は黒田が三成を失脚させたので実現しなかった。
取次に返り咲いた黒田長政は、吉川の領地替えを無効にして広家を救っている。
広家が三成を憎む理由はいろいろあるけど、おそらくこれが最大要因。
0755人間七七四年
2011/05/30(月) 23:57:24.46ID:nwLJYQsJ実際に攻めなかった理由は、広家が敵性部隊じゃないからさ。
つまり、家康の行軍・布陣はそれを踏まえてたってこった。
つか、このネタまだやってたの?w
0756人間七七四年
2011/05/31(火) 00:14:58.26ID:ePvWPjmeその如水を失脚させたのが三成だよね?
それで、超ファザコンの長政に恨まれたと認識してるけど、創作なのかな?
ただ、慶長3年の8月に秀吉が亡くなって、その年の12月には長政が井伊直政と起請文交わすという早業っぷり。
よっぽど黒田は豊臣政権に嫌気がさしてたとしか思えないんだよね。
黒田を繋ぎとめていたら西軍が勝ったかもしれないと個人的には思ってる。
0757人間七七四年
2011/05/31(火) 02:04:21.45ID:+rvOQ7hW自演してんじゃねーぞ基地外毛利厨。
そもそも>>752による返しが意味不明。
なぜ東軍が攻撃しないのかって言ってるが、
吉川が下山してくるなら当然に池田や浅野が攻撃してくるに決まってんだろアホか。
それなのに>>755の応答は家康が毛利が仲間だから攻撃しないよねって明らかにズレた返答してて自演バレバレなんだよ。
だとしたら池田や浅野が毛利牽制で布陣する必要性すら無いんだよアホが。
何だかんだで家康は毛利牽制に1万以上もの大軍を背後で毛利牽制に遊ばせてるんだからな。
さらに家康直轄軍の一部を割いて後詰めに派遣することもできるから
毛利なんて怖くもなんともねーんだよ。
なんせ毛利の先手が朝鮮出兵でも大した武功も無い広家だもんなw
はっきり言って山道封鎖役は池田・浅野だけでも充分だろ。
小早川秀包や立花宗茂が先手ならそれ相応な後詰めを手当てしなきゃならんかも知れんが。
0758人間七七四年
2011/05/31(火) 02:56:51.30ID:+VV0QsBe自演認定はご自由にどうぞ。で、とりあえず落ち着きなよ。
途中から何を言いたいのか全くわからないよ。
一応回答しとくね。
広家が東軍が通じていても、万一に備えて浅野等を配するのは至極当然でしょ。
何が起こるかわからないのに、完璧に信用して無防備な方が非現実的だよね。
別に毛利が貶されてもどうでもいいよ。
このスレに常駐してるわけだけど、ここは三成スレだよ?
まぁ、無駄な煽りを続けたいなら続けてくれてもいいけどね。
痛くも痒くもないからw
0759人間七七四年
2011/05/31(火) 03:12:13.06ID:+rvOQ7hW誤魔化して話をそらすなよ。
お前は>>752でなぜ東軍が毛利を攻めないんだ?と言ってるんだが。
それを俺は毛利が下山してくるなら当然に池田や浅野は毛利を攻めるに決まってるだろと言ったんだ。
そこまで書いても理解できないなら
小学生でも悟れるようにもう少しわかりやすく書いてやるよ。
下山してこないなら東軍の方から著しい不利を承知でわざわざ攻め登るわけねーだろ。
東軍が山を攻め登らないから内通してた証拠なんて主張はデタラメだって指摘してんだよ。
これで理解できたか?
0760人間七七四年
2011/05/31(火) 03:30:26.72ID:+rvOQ7hWだから>>755の下山してこない毛利を先制攻撃しない家康は広家の内通を信じていた証拠だと同意する回答は明らかにおかしいだろが。
わざわざ背後でも戦端を開いて前後挟撃される状況を自ら招くバカがどこにいるんだよw
それと家康が関ヶ原であのような毛利が下山したら敗北確定の布陣をしたのは広家の内応を家康が信じてたからだと主張していたのが毛利厨くん。
だからこちらは家康があえて広家を信じてその布陣をしたと言うなら1万以上を毛利への押さえに配置するのはおかしいと指摘している。
0761人間七七四年
2011/05/31(火) 03:40:27.01ID:qkm+4aWu枠組みを壊したのが前田ってどうゆうこと?
リンク先みても、俺、よくわかんなかった。
>>730
あくまで毛利が闘志旺盛だったと過程しての話だけどさ。
別に全軍が山頂に待機するわけじゃないじゃん。
もちろん本陣は山頂におくとして、
下山しやすいふもとに近いあたりにも布陣しとけば良いのでは?
とはいえそれでも戦力は家康が多いのか。
うーん……。
結構、ギリギリの勝負だったんだねえ…。
0762人間七七四年
2011/05/31(火) 03:45:57.36ID:+rvOQ7hW大坂攻めは下記のように秀忠が率いる徳川精鋭が合流するから大丈夫だし
>>701>>710
転封を繰り返して古くからの土地から切り離された職業兵士の豊臣系大名の兵力の方が
毛利の鈍くさい寄親寄子の一族郎党土着国人が支える封権制のぬるま湯わがまま兵力よりはるかに強い。
0763人間七七四年
2011/05/31(火) 04:03:37.97ID:+rvOQ7hW秀吉遺令を違約した家康を批判した奉行たちが頼った利家が
家康を糾弾したくせに、家康が引かないとわかると利家が急に親しいアピールして奉行たちから梯子を外したからじゃないか?
これで前田はアテにならないと家康にひよるやつらが出てきた。
しかも利家は家康に利長を頼むとか言い出すし。
それと前田と宇喜多は大坂常駐で秀頼を守り(前田は特に秀頼扶育義務付)
家康や毛利は秀頼を擁立して専横させないために大坂ではなく伏見にいることになってたし
しかも伏見長期在住で京の人心の懐柔支配ができないように毛利と徳川が代わりばんごに在京するように配慮されてたわけじゃん。
ついでに上杉が在国して佐竹とともに家康牽制配置。
それなのに利長が北陸に帰り遺命に背いたおかげで家康が大坂入城して前田に代わり大老筆頭として
扶育義務の大義名分をもって秀頼を擁立し専横するようになり上杉征伐を始めたからだろう。
秀吉は死ぬ時点で家康の台頭を抑える仕組みは作っていたし、家康があんなに長生きするとも思って無かっただろうし
まさか大坂城の堀まで埋められるなんて秀吉からしたら想定外過ぎる。
0764人間七七四年
2011/05/31(火) 04:14:10.15ID:qkm+4aWu秀吉は家康を牽制する枠組みは頑張ってつくったよね。
家康が天下とるのに随分と時間がかかったのはそのせいだけど…、
秀吉の亡霊と戦いつづけた家康も大変だったよな。
なんかリンク先のスレ見ても、このスレ見ても困惑するのは、
「家康=戦上手」って無根拠に語られてるのが気になるんだよね。
もちろん小牧長久手で秀吉に一泡吹かせたのは知ってるけど、
でもそんだけっていえばそんだけで……。
家康が戦上手ってことにされたのは、なんでなの?
0765人間七七四年
2011/05/31(火) 04:21:53.78ID:+rvOQ7hW麓だと安国寺3000とか脇から出陣しちゃうんじゃないか?
負けたら死刑確定な安国寺としては東軍と戦闘状態に入って「賽は投げられた!毛利は家康の敵になった」既成事実を作りたかっただろうし。
だけど広家が道を塞いでたって言うし。
隆景の独立と共に伊予で独立大名化に成功していた安国寺をむちゃくちゃ嫌ってた広家としては
「はいお前死んだ。絶対死んだw」と私怨の報復成就にほくそ笑んでただろうね。
秀吉が吉川の独立を認めていたら広家もへそ曲がりにならなかっただろうけど。
なんせ広家が家督を継いだ時点での山陰諸将は広家に忠誠を誓っていたのに、
その権威を豊臣政権から否定されたからね。
0766人間七七四年
2011/05/31(火) 04:34:00.59ID:qkm+4aWuそのわずか3000人が参戦しただけでも、
かなり現場の空気がかわってくるよね?
家康も三成もかなり危ない橋を渡ってたと思うんだよ。
どっちが勝ってもおかしくない戦だったと思うんだ。
俺が毛利のテルみてて不可解なのは、
大阪城に入った時点でもう後にひけなくなっていて、
家康と雌雄を決するしかないのに、そうしなかったことかなあ。
自分の領地は拡大したいけど、天下をとるつもりは希薄ってゆう、
ボンヤリとしたスタンスだった気がするんだよね。
そんなユルい考えが通る状況じゃなかったと思うんだ。
0767人間七七四年
2011/05/31(火) 05:57:35.87ID:qkm+4aWuルイス・フロイスの「日本史」に
「秀頼の父親が秀吉と信じている人は誰もいなかった」
…って、はっきり書いてあるじゃん。
現代人の戦国オタだって秀頼が本当に秀吉の子供か否か、
真っ先にうたがってかかるところなのに、
三成・利家・清正・福島正則、あるいは北政所は疑わなかったの?
もちろん信じたふりを皆でしたんだろうけど、
豊臣滅亡をもくろむ家康が秀吉と淀君のウソに乗る必要ないよね。
家康が率先してバラしたら、豊臣政権は完全崩壊。
なんで家康はそれやんなかったんだろう?
もちろん秀吉が側室を妊娠させたことは過去にもあるけど、
ぶっちゃけ怪しすぎる妊娠だよね……。
たとえ秀頼がマジな息子だったりしても、
誰も信じなかったら逆に意味ないけど……。
こんなはどう思ってるの?
0770人間七七四年
2011/05/31(火) 09:44:59.36ID:a/nNsgzk君は小学生向けの小説家だったんだね。夜遅くまでお疲れ様です。
でも、出来れば大人がわかる文章にしてもらえると助かります。
で、東軍がなぜ攻めないのか、というのは>>748を受けての話だよ。
広家が東軍と通じておらず、且つ広家の前進前に交戦すれば毛利が下山出来ないのであれば、どうして攻めないの?ってこと。
東軍先攻の前提を作ったのはこちらじゃないよ。よく読まないとね。
毛利が下山したら当然に攻められる、って話。
この仮定は広家が東軍と通じていないという条件とセットでいいのかな?
でなきゃ下山できないもんね。通じていないのなら、そりゃ交戦状態になるでしょ。
何を言いたいのかなぁ?
前後挟撃については語るに落ちる話。
それだけ不利な状況に陥る可能性があるのに、わざわざ布陣した家康と、
挟撃しなかった広家。ただのデキレースだって。これを否定する辺りがさすが小説家といったトコロかねw
0771人間七七四年
2011/05/31(火) 10:06:21.83ID:+rvOQ7hWアホか。
伏見城攻略や伊勢侵攻で西軍主力として行動してる吉川を盲信して布陣するバカがいるかよ。
吉川だって家康が負けそうになったら急いで池田や浅野に攻撃かけて
不信感いっぱいの三成や秀家に対して西軍顔してるわ。
長宗我部にチクられるだろうけどw
0772人間七七四年
2011/05/31(火) 10:18:02.07ID:a/nNsgzk万一に備えて浅野・山内等を配したと言ってるんだけど(>>758)。
0773776
2011/05/31(火) 14:02:35.50ID:Oe9+mrC6大いくさになったが、起点はこんなものだ
0774人間七七四年
2011/05/31(火) 14:19:40.01ID:+rvOQ7hW家康は浅野・池田一万以上を配置して下山した瞬間に山道入口で三方半方位フルボッコ可能な状態になってるけど。
0775人間七七四年
2011/05/31(火) 18:30:53.04ID:DTdIw20z毛利本隊はともかく、安国寺や長束は西軍として参戦しても、
吉川広家は黙認した可能性は高い
吉川本人が、後日「安国寺や長束は、本当に戦う気があれば、抜け駆けして
でも戦えばよかったんだよ。戦では抜け駆けも当然アリなんだから」と言ってる
吉川にとっては所領安堵のために「毛利不戦」が重要なので、安国寺や長束
その他はどうでもよかったみたい。というか安国寺は毛利としてカウントしていない
まあ、安国寺と長束が参戦しても、戦局が変わるとは思えないけど
0776人間七七四年
2011/05/31(火) 19:15:01.59ID:26+chkM7安国寺は毛利の外交僧の立場も兼任し続けていたから
毛利カウントされてるに決まってんだろ
そもそも輝元を西軍総大将にして大坂城に入れた主導者は安国寺じゃねぇか。
関係ないわけないわ。
道を塞いで下山できないようにしておいて
降りて闘えばよかったとかアホだろ。
なら道を塞がなければよかっただろ。
降りて攻撃に行かれたら困るから塞いだんだろうが。
黙認www毛利と関係ないwwwはいデタラメ乙
0777人間七七四年
2011/05/31(火) 20:03:11.60ID:fna6Vw3W家康が後の処罰においてカウントするかどうかは別問題でしょ
だいたい安国寺や長束が単独で戦って現場の雰囲気を変えるとかありえないから
降りて闘えばよかったとかは出来ないとわかっていての皮肉でしかないだろ
単独で簡単に道をふさげてしまう場所に布陣して親徳川を吉川を何の疑いもなく絶好のポジションに置くあたり
結局のところ南宮山には戦のイロハを理解している人間がいなかったのが最大の失敗要因だね
0778人間七七四年
2011/05/31(火) 20:06:23.84ID:DTdIw20z実際、南宮山の長束隊は偶発的な小競り合いで東軍と交戦してるんだけど・・
だから、安国寺も可能性としては参戦できた、というだけの話です
吉川自身も「抜け駆けをやろうと思えば可能だった」と言ってるわけで
というか、煽られるほどの無茶書いたか?
安国寺は西軍蜂起の首謀者であっても独立した大名なんだから、
当然、内通の際の「毛利不戦」の条件には含まれてない
戦後、安国寺はまず広家の陣にきて助けを乞うんだけど、
「こうなった以上、切腹する覚悟を決めたらどうだ」と言われ
吉川隊との同行を拒否され、仕方なく秀元隊に同行→
途中で離脱・逃亡してるわけで、毛利は広家・秀元ともに安国寺を
見放している
0779人間七七四年
2011/05/31(火) 20:53:56.53ID:ePvWPjme続きは関ヶ原スレとかでやってもらえたら…。
0780人間七七四年
2011/05/31(火) 20:59:00.70ID:a/nNsgzkキミさ、言ってる事がもう滅茶苦茶だよ。
>わざわざ背後でも戦端を開いて前後挟撃される状況を自ら招くバカがどこにいるんだよ(>>760)
広家は東軍属性なのに、下山した瞬間にフルボッコとか有り得ないでしょ。
仮に西軍属性鉄板とするならば、家康が南宮山をスルーした後、
毛利も含めて夜間中に下山するよ。
戦闘に参加するつもりなら当然だし、挟撃のチャンスを逃すわけない。
0781人間七七四年
2011/05/31(火) 20:59:19.86ID:+rvOQ7hW広家が邪魔して下山できないい秀元は椎野道季を派遣して詰問してるし
関ヶ原の勝敗がはっきりして毛利軍が戦地から逃亡した時に毛利軍は東軍から追撃を受けてる。
大坂城での秀元は小早川秀包らと徹底抗戦を進言したが
広家から「輝元の罪は問われない・毛利本領安堵の内諾を受けている」と言われた輝元が秀元の意見を却下した。
しかし輝元は大坂陣では広家に内緒で家臣を大坂城に派遣入城させていたように豊臣に心を寄せていたのがわかる。
ちなみに秀元が関ヶ原2年前に豊臣政権から独立大名として認められており(長府藩の前身)
冷遇されていた秀家はひたすら秀元相手にも反対意見ばかり吐いていた。
0782人間七七四年
2011/05/31(火) 21:08:16.56ID:+rvOQ7hW敵の大軍が集結してる真っ只中に夜間にむやみに下山する将はバカ
東軍は下山しない限りは自ら攻撃はかけず威圧に終始するが
下山を指を加えて眺めていたら自分らがやられましたw
なんてアホなことはやらない。
池田や浅野が自分らの役目を忘れるわけがない。
広家が内通していた黒田らは西軍と激戦中でそっちの事など知らんがな。
0783人間七七四年
2011/05/31(火) 21:19:11.64ID:c9HQuX400784人間七七四年
2011/05/31(火) 21:36:36.62ID:62eh05Tj小早川の方に気を取られすぎて、広家は眼中にない状態。
っていうか三成7から見れば広家は、虫けらかゴミ屑程度の存在。
その証拠に、太閤の遺品をもらえる大名のリストから意図的に省かれていた。
太閤の遺品分けがないと広家が怒鳴り込んできたので、渋々、最低ランクの
遺品を広家に、後で渡した。
0785人間七七四年
2011/05/31(火) 21:50:39.06ID:a/nNsgzk毛利が南宮山を下山したら、どこに出るのかわかってますか?
簡単に言えば、広家陣所だけど、そこはもう山の麓だからね。
一番近い池田陣所からでも1q近くあるよ。
大軍なんか集結してないから。
でもって、この場合は兵数からも毛利が威圧する立場。
キミの言う通り、攻め上る事は有り得ないし。(>>759)
0786人間七七四年
2011/05/31(火) 21:58:14.55ID:+rvOQ7hWはぁ?完全に屁理屈じゃん
1キロも何も下山が見えたら池田・浅野も前進してくるわ。
しかも大軍が展開できるほどの麓じゃないのは研究本見ればわかるはず。
つかお前いま考えただけだろ?
秀元らが下山できなかった理由すらひっくり返そうと必死だな。
つうか内応してたのを浅野や池田が承知してたら
何で毛利軍は追撃を受けちゃってるわけ?
0787人間七七四年
2011/05/31(火) 22:20:36.75ID:a/nNsgzk屁理屈?下山場所の特定をしただけだよ。
大軍が集結してるとか適当な事言ってるから、修正させてもらいました。
気に入らなかったら謝ろうか?研究本も何も、現地見ればわかる事だよ。
秀元が下山出来なかったのは、広家の内通によるもので、
ひっくり返すも何もないと思うんだけど。
追撃を受けたのは仕方ない。小早川と異なり、最終的な旗幟を鮮明にしたわけじゃないから。
個人的には、秀元は内応を知らなかったと思っているので。
0789人間七七四年
2011/05/31(火) 23:29:45.98ID:m3Itu6ri毛利への帰属意識が薄れて完全に吉川の人間になっちゃってるんだよね。
毛利家より吉川家が大事。
0791人間七七四年
2011/05/31(火) 23:59:18.46ID:zvj6THep陪臣ごときに遺品をやる必要あるのかな
存在の耐えられない軽さをほこるカス武将(大名ですらねーわい)なんかほっとけ
0792人間七七四年
2011/06/01(水) 00:00:46.98ID:aFn+830Q0793人間七七四年
2011/06/01(水) 00:03:08.64ID:N4B3sLW0敗戦の原因は全て秀秋にあると思って死んだんだろうな。
より大きな敗因として広家の吉川・毛利家内応があったことは
多分知らないまま六条河原に座ったのかと思うと不憫でならない。
まあ合戦中動かない南宮山を見ておかしいなとは思ったんだろうがね。
0794人間七七四年
2011/06/01(水) 00:15:51.32ID:VZyKva0M0795人間七七四年
2011/06/01(水) 00:21:54.39ID:oVjo+iwUそれ、最近、梅田や阪急宝塚線の車内で宣伝していて
ポスターからは淀君と三成の恋愛劇になっている予感が・・
0796人間七七四年
2011/06/01(水) 00:35:12.82ID:zuPgrCOdだいたいあそこ的なもんでいい加減だよ。完全に崩され造成されて真禅院や朝倉運動公園や不破高校の空地化してるし
実際、史料が記録する下山を防ぐような位置取りにもなってない。あれは参考にならないよ。
あんな遮蔽物も何にもない場所にリアルに陣取ってたら何にも知らない東軍の先鋒に最初に目を付けられ包囲され血祭りの餌食にされるだけ。
あの辺の平地はだいたい海抜40m。ちなみに真禅院のあたりで88m。ちょっと山側の麓裾までくると100m(観光客用に整備されてない)
朝倉山の周囲で250mだけど、これに連なる右麓の100mラインに広家はいたはず。じゃないと矛盾する。
毛利本隊は南宮山に布陣とあるから400〜300メートルライン上に布陣して広家の軍を見ていたはず。
>>788それは捏造だから>>458を読んで。 >>793毛利の内応はありえない。そもそも秀元が好戦派。
0797人間七七四年
2011/06/01(水) 00:43:13.00ID:oVjo+iwU大名だけでなく、豊臣の旗本や御伽衆、大名家の陪臣にも配ったのに
三成と険悪な黒田孝高と吉川広家の二人だけピンポイントで外しちゃ、
そりゃやっぱりまずいだろw
どう見ても嫌がらせにしか見えないんだから
0798人間七七四年
2011/06/01(水) 00:59:12.09ID:1P+PSd1Eあまりに高地に布陣した毛利を、武将達がいぶかしんでいると、
手紙に書いているからね。
毛利が寝返るのは想定していたはず。
ただ詳しい事情、吉川が内通とか具体的なところまでは…
どうだったんだろうか?
0799人間七七四年
2011/06/01(水) 01:05:48.17ID:zuPgrCOd元春の独立へ向けた動きは元就が死去するや顕著になり仲が悪かった兄の子の輝元を周防長門2ヵ国に押し込めて
大友と対峙させる一方で隆景と共に両川は東へと広域支配目指して領土を広げていくのである。
天正9年には湯原春綱へ元春が出した書状には「作州祝山数年被遂籠城、御忠義之段吉田ニ茂被感思召候、可被加似合之御褒美之由候、
当時依無明所、末次・黒田百貫之内五十貫地之事、従吉田可被成御扶持間之事、拙者令裁判進置候」
今回の奉公に輝元から加増すべきところだが、俺が勝手に加増してやる!と宗家を蔑ろにしているのがわかる。
毛利宗家は元春の無断決定による褒美を追認するだけの象徴的存在に落とされ、元春らは寺社に対しても独自支配を進めていく。
そして天正15年の広家の家督相続では山陰国衆15名が吉川氏に「任御下知 上様へ可抽馳走候」となり山陰国衆統制の完成である。
0800人間七七四年
2011/06/01(水) 01:13:20.65ID:N4B3sLW0うん、秀元が好戦派で怒って帰っていったのは知ってる。
広家の工作で結果的に毛利軍が内応、中立軍になったという意味ね。
つうか、現地に詳しい人のようで羨ましい。
俺もいつか関ヶ原行ってみたいのだがまだ実現出来てない・・・
たまに新幹線で通る時、必死に窓眺めてるw
0801人間七七四年
2011/06/01(水) 01:21:57.26ID:WUK7KjsD昔行った事があるので、その記憶でレスしました。
正しいかどうかは別として、いろいろ調べたみたいでお疲れ様。
いずれによ、大軍は集結していないから構わないけどね。
>あんな遮蔽物も何にもない場所にリアルに陣取ってたら何にも知らない東軍の先鋒に最初に目を付けられ包囲され血祭りの餌食にされるだけ。
それがまさに結論なんだけど。
遮蔽物はさておき、『毛利が下山する=広家が東軍と内応していない』という前提ならば、
まず南宮山を処理するんだって。
つまり、南宮山の西軍を背後に抱えたまま、桃配山に布陣する事は有り得ない、ってこと。
0802人間七七四年
2011/06/01(水) 01:26:54.52ID:gTrR6dJV0803人間七七四年
2011/06/01(水) 01:28:36.32ID:oVjo+iwU吉川無双状態というか
時々でいいから、三成のことも思いだしてあげてください><!
0804人間七七四年
2011/06/01(水) 02:50:40.81ID:05bKv18h毛利は明らかに家康から敵視されてたじゃん。
そもそも伏見城や伊賀上野城や安濃津城攻撃から四国攻め、大友再興軍支援で毛利は西軍として活動しまくってるし
戦後に清正は大津城攻撃した宗茂に「秀元が秀頼様のためにって誘ったからやむなく従ったんだろ」って言ってる。
関ヶ原で勝った家康は早速、秀秋に自筆感状を送ってるが
広家には黒田や福島が書状を送ってるだけ。
輝元も広家にいまだに井伊らにお目通りも出来ず証書も貰えないって不安がってるし
結局、待ちに待った返答井伊からの返答が、
輝元自身が島津への先陣やれや!人質出せや!だろう。
完全に黒田や福島に広家は騙されてんじゃん。
家康は毛利を西軍扱いして、桃配山に布陣してるんだって。
だいたい毛利勢の位置は戦場からかなり遠いし、迂回しないと戦場にも行けない完全に後ろ向き布陣だから
家康としては抑えに池田や浅野ら1万以上で睨んでおけば大して危険視する必要はない。
どうせ洞が峠を決め込んで様子見し勝てそうな方に付くんだろ。くらいにしか思ってない布陣場所。
0805人間七七四年
2011/06/01(水) 07:21:09.93ID:kEnW5Mb5時系列で、南宮山を通過した後に戦場が決定している
>抑えに池田や浅野ら1万以上
南宮山には2万5千以上の兵数が控えており、1万で大丈夫だという根拠薄弱
桃配山配置は戦術レベルで考えるべき
0806人間七七四年
2011/06/01(水) 14:48:21.35ID:05bKv18h南宮山を通過も何も、東軍は南宮山北端をかすめて左進するだけの話で
毛利が布陣してるのはさらに南方でありその中央部に近い戦場からだいぶ離れた場所で
しかも下山方向は戦場とは真逆でかなり離れている。
そのため関ヶ原戦場で三成が合図を送ってもわからない位置と指摘されてるほど。
池田、浅野だけで1万以上。さらに蜂須賀らが後詰めに控えてるし、前進指揮した家康が残地させた後陣もある。
さらに下山口で下山阻止したら数百対数百の戦いであって、いきなり関ヶ原戦場並みの万単位の大会戦が生じるわけじゃない。
毛利は秀吉と柴田が戦った時の前田のような傍観をしていただけ。
0807人間七七四年
2011/06/01(水) 14:50:45.23ID:U7amKVz30808人間七七四年
2011/06/01(水) 14:59:53.16ID:gTrR6dJV毛利の西軍属性は否定しない。(>>787)説明不要。
肝は広家の東軍属性。これが毛利の下山と戦闘参加を阻んだんだから。
最初からポイントはズラしていない。(>>735)
関ヶ原は、所要時間、戦死者数から東軍の圧勝だと思っているが、
南宮山の部隊が背後から強襲、挟撃し退路を断てば、
メッケルの逸話を挙げるまでもなく西軍の勝利は固い(と思う)。
ここで、浅野・池田約1万で、毛利・長宗我部等約3万を抑えられると言うのなら、
もう議論は成立しない。東軍はどこに布陣しようと、何をしようと負ける事はない。
トップは常にコスト(被害)を抑え、効果最大を狙うもの。最悪のシナリオは回避するのが当然の話。
家康の過去経歴を考えれば、尚更そんな楽観的な判断をするとは思えない。
0809人間七七四年
2011/06/01(水) 15:54:06.07ID:05bKv18hだからね、家康は豊臣恩顧には潰し合いで双方自滅してもらいたかったわけ。
家康は関東旗本らを率いる秀忠軍と合流したかったから関ヶ原は最終決戦の地とは考えてなかった。
しかし三成を除きたい一心の黒田や福島らが頑張り過ぎちゃって半日で勝負をつけちゃった。
おかげで豊臣恩顧どもに大幅加増するハメになり、千姫まで大坂城に人質を出して共存共栄しなきゃならなくなった。
二条城で家康と秀頼を会談させた清正や浅野や池田らが死んだことでやっと大坂陣を引き起こして(関ヶ原から14年)
家康は寿命ギリギリでやっと豊臣を滅ぼせた。
関ヶ原は家康にとっても誤算の連続だから。
0810人間七七四年
2011/06/01(水) 16:15:37.19ID:gTrR6dJV普段はあまりソースを求めないけど、話の肝みたいなんで。
0811人間七七四年
2011/06/01(水) 17:03:30.39ID:zuPgrCOdそうしないと武断派に利用されて秀頼を助けた人で終わっちゃうんだから。
そもそも大垣城を背後に抱えて突出してる家康にとって
いまさら戦場から離れた朝倉山の東方にいる吉川勢を恐れるとは思えない。
実際、蜂須賀・山内・中村・有馬らもすぐ増援に駆けつけれれるし
押し詰めた大垣城への備えとして曽根城や岡山陣所や長松城や福束城にも
東軍が詰めているから問題ない。
それに吉川勢を先に除こうとすれば結局、西軍にケツを噛まれるんだから変わらない。
0812人間七七四年
2011/06/01(水) 18:47:22.88ID:BGXzuNAQ0813人間七七四年
2011/06/01(水) 19:24:38.85ID:zuPgrCOd関が原当日に家康は広家を信じてたから関が原で大勝利した。
毛利大活躍!!!なんてまさに小説だよね。
輝元の許可の下の上で広家が動いていたのに
関が原後に井伊からあの仕打ち。
広家も真っ青になったが黒田や福島にすら反論できず従ってたし
井伊に対しても、今後とも当家へ御指南してください。なんでも言うことを聞きますと土下座してて
大坂城での戦勝と論功行賞にすら出席できずにビビり続けていた広家だもん。
0814人間七七四年
2011/06/01(水) 19:55:40.28ID:oxl7UUAc思わず「オレも東軍に内通すればよかったか!」と思う三成だった
0815人間七七四年
2011/06/01(水) 20:11:08.93ID:v57ZBGHG0816人間七七四年
2011/06/01(水) 20:29:10.04ID:05bKv18hその福島正則に騙されたのが吉川広家。
0817人間七七四年
2011/06/01(水) 20:44:26.03ID:c4n2LGph>>810だけど。とりあえず、落ち着きなよ。
いろいろ煽ってるけど、ポイントだけ。簡単に言うと、
挟撃される可能性のある桃配山布陣。なぜわざわざ死地に?
(前後挟撃される愚はキミも認めている(>>760))
A)広家の内応があったから。
B)恩顧武将に双方自滅してもらいたかったから。(>>809)
Aはスンナリ入るが、Bは意味が通じない。
Bには、因果の間にいくつもの推測が重なってるからだよ。
それを妄想と言います。
Aについては、メッケルの逸話よろしく一般的な通説として認識されている。
これを否定するのは全くOKな話。
でもその根拠には、一次史料なり、客観的に信憑性の高い事実に基づくべき。
>>811は余りにキミの主観が多すぎ、反証と呼ぶには荒唐無稽すぎる。
0818人間七七四年
2011/06/02(木) 01:16:12.98ID:iXyzJvQ5吉川コウジは広島出身ということで、強引に毛利につなげちゃえ!
0819石田御宅の助
2011/06/02(木) 01:19:22.04ID:Gy7OwD9gあの目がまじ最高に恐怖って感じでしたわ!
0820人間七七四年
2011/06/02(木) 01:19:26.32ID:DgB8V7oU吉川が内通を申し出てきたとして、それを馬鹿正直に信じて包囲される
形はとらないと思うし、Bは逆の言い方をすれば豊臣恩顧の大名に活躍さ
せる機会を与えることになる。結果はその通りで豊臣恩顧の大名たちを
加増しなくてはいけなくなった。AかBかという単純な話ではないと思う。
メッケルの話がやたらでるけど、本当なんだろうか。
0821人間七七四年
2011/06/02(木) 01:42:08.78ID:v19BC95y0822人間七七四年
2011/06/02(木) 02:14:20.36ID:jrhUHJt9浅野幸長 6500 (毛利と対陣) 池田輝政 4500 (毛利と対陣)
福島正則 6000 (宇喜多対陣)
黒田長政 5400 (石田と対陣) 細川忠興 5000 (石田と対陣)
これをみればむしろ家康は毛利に対してもったいないくらいのかなり有力な戦力を割いているのがわかる。
そもそも広家内通の話自体を家康が知っていたかも不明だし(知っていたら浅野・池田を上記のように
無駄使いしないで家康3万から兵を割いて毛利への備えにあてて置けばいいだけ)
>>804のように備前・美作・岡山を与えられた秀秋との待遇が違いすぎる。
0823人間七七四年
2011/06/02(木) 02:49:19.22ID:jrhUHJt9家康3万に秀忠4万が合流すれば、まだまだ勝負できるのが家康。
政権奪取に向けて邪魔者を排除してきた家康にとっては
当然、恩顧大名に加増などしたくないのが本音なのは明らかでそこにソースなんて必要ないだろう?
というかソースが出せる性質のものではないのはお前だって分かってて、わざと要求してんだろ。
黒田と清正の島津征伐を止めさせたのも恩顧大名の巨大化を止める為に他ならない。
関が原の11年後の二条城における浅野・池田・清正らの斡旋での家康と秀頼との会見なんて
関が原があっけなく終わってしまい疲弊どころか恩顧大名のみが武功をあげてしまい家康にとって負の誤算だった証拠。
0824人間七七四年
2011/06/02(木) 07:12:02.79ID:sWmV8PfI0825人間七七四年
2011/06/02(木) 07:41:27.89ID:pUmYeIQgただ家康は藤堂高虎は信用していたようで逆に伊予宇和島から伊賀伊勢に呼んであげてるが。
大坂冬の陣においてもはや数少なくなった生き残りの安芸福島正則や伊予加藤繁勝や筑前黒田長政や豊前細川忠興らは
家康から出陣を許されず江戸詰め処置にされたりしてる辺りは未だ豊臣恩顧危険人物として警戒してんだよな。
こいつら長生きしやがって関ヶ原で討ち死にしとけよ…って家康も思っただろうね。
0826人間七七四年
2011/06/02(木) 09:29:30.92ID:hXwe63Sh負けた西軍ですら関ヶ原で死んだのは大谷とその与力二人位な訳で
大坂のあれは万が一を考えた保険
あと単純に活躍されてもあげる領地がもう無いってのもある
0827石田出部のしょう御宅の助
2011/06/02(木) 17:03:29.27ID:Gy7OwD9g,ノ \
/ ,r‐へへく⌒'¬、 ヽ
{ノ へ.._、 ,,/~` 〉 } ,r=-、
/プ ̄`y'¨Y´ ̄ヽ―}j=く /,ミ=/
ノ /レ'>-〈_ュ`ー‐' リ,イ} 〃 /
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人__/ー┬ 个-、__,,.. ‐'´ 〃`ァーァー\,
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大一大万大デブ!漏れの旗印でごわす!
0828人間七七四年
2011/06/02(木) 18:12:48.16ID:pUmYeIQg討ち死にが増えるかどうかは戦闘内容による。
大谷陣が崩壊し小西陣の先陣が動揺し崩れ出した
先陣を下げて後陣と入れ替えて建て直そうとしたが
これを戦機とみた東軍が突撃かけてきて後退中の先陣をぐちゃぐちゃにしちまって小西隊が崩壊を始めて
それを見た友軍にも動揺が波及し次々自壊。
殿が踏みとどまるような組織的撤退が出来ず個人個人が勝手に離脱逃亡する軍崩壊だったから討ち死にが少なかっただけ。
殿が踏みとどまり全軍無事撤退を支援していたら殿の将に討ち死にが出てるはず。
さらに軍崩壊により個人個人の逃走ゆえに討ち死にせずに
小西や三成が生け捕りされ、秀家も行方不明になった。
万一の保険?意味わかりません。
与える領地がない?いえ、そんなことはありません徳川直轄領はたんまりありますから。
0829人間七七四年
2011/06/02(木) 18:41:39.39ID:gwpgTMO20830人間七七四年
2011/06/02(木) 19:36:41.64ID:hXwe63Sh万が一にでも寝返ったり領国で挙兵されないようにって事
僅かでも可能性があるなら備えていて損は無いわさ
実際、大坂方に保険をかけた連中はいたし
その徳川直轄領を削りたくないからこそだろ
直轄領を削り外様を肥えさせるなんて豊臣の二の舞じゃん
0831人間七七四年
2011/06/02(木) 20:40:40.66ID:U/rsh1YTとりあえず小説読みすぎww
恩顧を加増させたくない?アホかww
誰が活躍しようが、東軍勝利を最優先に考えるに決まってんじゃん。
それで恩顧が大幅加増されようが、後で取り潰せばいい話だろ。
秀吉の手法そのままだし、現実に恩顧は大量に改易・減封されてる。
0832丁ο児 ◆Kd2TSsZIFU11
2011/06/02(木) 21:41:34.56ID:sIFxKJPs利権に預かれなかった連中は東軍についたという見方もできる。
後は地理的な事情で、どちらかの軍に付かねばならなかったのもいるが。
0833人間七七四年
2011/06/02(木) 21:46:13.17ID:AwR4oY250834776
2011/06/02(木) 22:50:17.01ID:zshlolUG簡単に取り上げる事ができる、土地って褒美は人の領地であろうが後払いでいいし何時でも取り上げることができる
0835石田出部のしょう御宅の助
2011/06/02(木) 23:25:02.86ID:Gy7OwD9g,ノ \
/ ,r‐へへく⌒'¬、 ヽ
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やはり褒美は美少女フィギュアに限るでござる!ブフフフフ
0836人間七七四年
2011/06/03(金) 00:41:19.55ID:JaSaxZh+本人大マジメなのが滑稽だがw
0837人間七七四年
2011/06/03(金) 02:56:30.29ID:0oRIB0+s>>830 jrhUHJt9やpUmYeIQgはそう主張してる何が言いたい?
>>831>>834 恩顧改易は簡単にできん。家康死後しかも福島改易を危険視し利勝・正純ら秀忠に反対。
田中忠政・最上義俊・蒲生忠郷ら改易(加藤忠広は秀忠死去後)
>>836 毛利厨が垂れ流す>>813みたいなのは妄想
0838人間七七四年
2011/06/03(金) 03:12:55.96ID:1A1Skwxf話はつながってるじゃないの
0839人間七七四年
2011/06/03(金) 04:04:28.38ID:0oRIB0+s別に直轄領なんて圧倒的になってるし次点の前田でさえ100万石。
直轄領は削りたくないならそもそも相馬とか改易取り消ししなきゃよかったんだし。
丹羽長重や立花宗茂なども大名取り立てしなきゃよかったはず。
大坂冬の陣の時点でもう秀頼滅ぼす意思は確定してんだから大坂城を含む65万石も入ってくる予定なんだし
0840人間七七四年
2011/06/03(金) 04:47:01.33ID:qJb2LMDt徳川家康にとっては反対派をいっきに排除するための戦い。周到な戦前の準備と強固な地盤を考えるとこの一戦で敗れても十分再起を図れる。
対して三成にとっては大逆転を期す一大決戦。そもそも地盤がなく、加藤・福島といった武断派の反感を買っていることを知っている三成にとっては負けられない大勝負。
でも、本来は戦に突入する前の政略で家康の天下はほぼ確定していたと言っていい。
勝ってからじっくりと意に沿わない者を排除すればいいんでしょ。
福島氏だとか芦名、最上・・・みたいにね。
0841人間七七四年
2011/06/03(金) 06:09:30.37ID:0oRIB0+s秀忠待ちだったから関が原での決戦は誤算だった。
そのため恩顧大名の力が温存され、豊臣方は戦力を温存し
高齢の家康の死を待った。
家康は恩顧大名の改易も出来ず西国が潜在的な脅威であった。
しかし秀秋・秀康・浅野親子・清正・輝政・一豊・堀尾忠氏・生駒親正・田中吉政らが相次いで死んでくれた。
0842人間七七四年
2011/06/03(金) 07:33:56.53ID:mJVgROXC関ヶ原で三成が勝てる可能性は高かった。
ただ秀忠合流でもう一度決戦する必要があった。
A級戦犯
無責任丸投げバカ殿輝元
指導力が致命的なまでに欠如の秀元
正則よりさらに池沼の広家
0843人間七七四年
2011/06/03(金) 07:41:51.72ID:wjSSl8Di0844丁ο児 ◆Kd2TSsZIFU11
2011/06/03(金) 08:18:16.16ID:1+Jtqsbu>徳川家康にとっては反対派をいっきに排除するための戦い。
結果論ですよ。仮にそうだとしても、三成が八万の軍勢を集めた事に関しては
腰を抜かすほど誤算だったはず。
「炙り出して一気に叩く算段」は後付けだよね。
他の不平不満をもった諸大名をひれ伏させるために、見せしめに武門の誉れ高い上杉を叩こうと東上しただけだよ。
0845人間七七四年
2011/06/03(金) 08:22:48.21ID:2RScyS2y家康が、井伊直政・本多忠勝、正信にそれぞれ、決戦地はどこか問うたら、揃って「関ヶ原」と答えたって話があったから、家康も事前に関ヶ原の野戦を想定してたんじゃないかな。
秀忠を待たなかったのも、お気にの井伊直政が即時決戦を主張したみたいだし。
0847人間七七四年
2011/06/03(金) 08:49:39.37ID:CPfRD50sすぐに西上するよう命令を変更した。
決戦地が関ヶ原だと想定していたというのも後付けな感じがするな。
0849人間七七四年
2011/06/03(金) 08:51:49.03ID:mJVgROXC三人が揃っていたのは小山陣だけでしょ。
さすがに関ヶ原と答えたのは作り話だろ。
関ヶ原へ出たのは武断派の士気が高くて早漏突出したのを
三成が後方遮断と捉えたんじゃないかな?
0850人間七七四年
2011/06/03(金) 08:58:33.13ID:mJVgROXC毛利厨乙
他人の心なんて見抜けるわけねーだろ!
家康だって他人の心を見抜けてないから手紙出しまくりだろ。
>>848
関ヶ原解説各種本の兵数記述はほとんど日本戦史からの流用でしょ。
その根拠は小田原征伐における秀吉による島津への動員要求からの算定。
0853人間七七四年
2011/06/03(金) 09:19:43.06ID:mJVgROXC島津は小田原から余りに遠方たから秀吉が動員を緩くしてくれた。
次の朝鮮出兵での九州大名の動員はさらに厳しいもんだったが
逆に奥羽大名は九州に比べて動員数が甘くなってる(伊達は除く)
0854829
2011/06/03(金) 10:18:26.25ID:C8/m58Sv兵数の事なんか聞いてねーんだよ。
誤魔化しはみっともねーな。
>>828の小説的な戦闘描写のソースを聞いてんだよ。
0856人間七七四年
2011/06/03(金) 19:28:26.48ID:0oRIB0+s参謀本部は関が原戦場においては島津の会津上杉征伐で課された100石あたり3人で計算
朝鮮出兵において課された軍役は100石に5人。奥羽は200石に1人。
伊達は冷遇され政宗記「500の割り当てで2000余用意した」や貞山公治家記録「1500割り当てで3000の動員した」
>>854 日本戦史を読んだことないだろ・・・
0857人間七七四年
2011/06/03(金) 20:08:02.73ID:CVxMx27z参考にしたほうがいいように思う。
0858人間七七四年
2011/06/03(金) 21:16:16.15ID:cGqt93DT0859人間七七四年
2011/06/03(金) 21:21:13.06ID:dU214A81三成が勝てる可能性なんて10%くらいじゃね
いくら陣形が有利といわれても関ヶ原前日に秀秋は西軍の伊藤を追い出して松尾山を占拠してるし
南宮山の広家と福原は不戦の協定を結び人質も出していて鶴翼の翼の部分が機能できない
それによく西軍の方が兵が多いと言われているけど実際は東軍の方が多いと言われてるし
東軍の武将が西軍に寝返る可能性も無さそうだし
これで勝てる可能性が高いといえるのか?
そもそも輝元は九州・四国などの攻略に尽力しているのに
なんで無責任とか言われなきゃいかん
秀元も伏見城や伊勢方面の攻略に尽力しているのにな
結局三成に都合よく動いてくれなきゃみんな無能扱いか
ホントに何様のつもりなんだか
0860人間七七四年
2011/06/03(金) 22:04:46.65ID:mJVgROXCはいはいデタラメが前提になってる時点で愚駄文
秀秋が伊藤を追い出したなんて一次史料にまったくありません。
それどころか秀秋軍の先陣はガチガチの西軍派
三成の都合も何も西軍総大将として関ヶ原圧勝の栄誉を見事に投げ捨てて
大坂城を明け渡すために奉行を説得した挙げ句に
井伊にも面談できず証文も貰えず不安に苛まれてた輝元に
黒田らが輝元の責任問うわ。
輝元自身が先陣で島津征伐しろ
毛利家老衆もみんな人質出せや
輝元夫人を預かるからとか言われて
涙目で広家土下座www
0861人間七七四年
2011/06/03(金) 22:09:58.54ID:zov25yFF0862丁ο児 ◆Kd2TSsZIFU11
2011/06/03(金) 22:13:09.02ID:ZiKMsNXzなのに宇喜多隊の激闘だの、明石隊の激闘だの、大谷隊の激闘だの逸話が多い。
激闘ということばを使うならせめて数日は持ちこたえてこそ激闘だろ?
半日で壊滅してしまうのは「一方的虐殺」と表現した方がいい。
ではなぜ激闘として語り継がれるのか?
勝った側にしてみれば、相手を強敵に描けば描くほど、自分達の武功が際立つのである。
そりゃどの大名家だって家の記録に
「とにかく押していたら勝ちました」とは書けまい。
0863人間七七四年
2011/06/03(金) 22:17:10.35ID:SlRYL+asあのな、島津へ遠征しろっていう命令(後で取消)は
毛利にとって非常にメリットが大きい内容なんだけど
島津遠征の命令は毛利家の所領安堵と抱き合わせで提示されて
(そう、広家の内通によって一旦毛利は所領安堵されてるわけ)
西軍→東軍へ寝返って立花を攻めるよう命じられた鍋島と同じで、
西軍残党の島津を攻撃したら許してやるという意味なの
0864人間七七四年
2011/06/03(金) 22:20:38.05ID:SlRYL+asほとんどの論点は史料に基いてきちんと論じられてるのに
0865人間七七四年
2011/06/03(金) 22:21:29.39ID:mJVgROXCそもそも三成を必死に罵倒してた毛利厨君は己の行為はすぐ忘れるんだなw
三成は小領の奉行だが毛利は大老だろ。
担ぐもなにも序列で考えたら毛利がその気なら当然の位置だろ。
安国寺が必死に自薦してきたんじゃねぇか。
三成がもうりを頼るからバカとか意味不明。
上杉も宇喜多も小西も島津も長宗我部も小早川もみんな毛利を認めてるんだから三成だけのせいじゃないわ。
むしろ毛利が自壊してみんなの足を引っ張って盛大に他人を巻き込み自爆しただけじゃねぇか。
0866人間七七四年
2011/06/03(金) 22:26:51.55ID:mJVgROXC所領安堵なんてされてない。
関ヶ原後にすぐ家康自筆で安堵をもらったのは秀秋の方。
輝元は貰えず不安がってた。
そもそも広家内通を家康は知らない。
島津を征伐したら毛利安堵なんて抱き合わせ条件もない。
それどころか人質出せって言われてる。
鍋島と一緒とかデタラメ過ぎるわ
0867人間七七四年
2011/06/03(金) 23:54:18.65ID:qntyp6ejキミは相変わらず推測を重ねて妄想を垂れ流してるのか。
あれだけ恥をかいたのに懲りないね。
輝元は所領安堵されてるよ。
慶長5年9月19日付の起請文が残されてる。(>>860はデタラメ)
本多忠勝、井伊直政の連署血判付き。
宛先は、広家と福原広俊。取次は黒田。
これを受け、輝元は福島と黒田宛に大坂城を退去する回答をしている。
その内容は嬉々としたもので、輝元に不安は微塵もない。
ただし、この起請文に拘束力があるかは別問題。
例え家康の自筆であっても反故にする事は可能。
五大老五奉行制の決裁制度が崩壊しており、
既往の決裁制度を適用する必然性がないため。
>広家内通を家康は知らない。
これは有り得ない。西軍総大将の家老が内通している事を、
東軍総大将たる家康に報告しないという事があるわけない。
そもそも報告しない理由もないし、逆に報告しない事は罪に等しい。
作戦の立案に大きく係わるからだ。
もしこれを本気で言ってるとしたら、キミは組織を知らない人間。
0868人間七七四年
2011/06/04(土) 00:16:02.17ID:6VQYeML6上の人間が絶対に喜ぶであろうことを敢えて黙ってるのもおかしいしな。
取り次いでるのなら手柄にもなることだし。
それを信用するか否かは別として。
0869人間七七四年
2011/06/04(土) 00:18:29.04ID:XCmmMxWg0870人間七七四年
2011/06/04(土) 00:33:17.94ID:A7P4KJA30871人間七七四年
2011/06/04(土) 00:55:58.96ID:EgA6Im5Y>秀秋が伊藤を追い出したなんて一次史料にまったくありません。
じゃあ伊藤が追い出されなかったという一次史料なんてあるのか
みんなこの件では秀秋が伊藤を追い出したとしてるじゃない
どうか不勉強な自分に教えてくださいな
まあどうせ出せないと思うけどね
>>それどころか秀秋軍の先陣はガチガチの西軍派
それがどうかしたのか
秀秋自身が東軍かどうかなのに先陣が西軍派だから
秀秋は西軍ですって馬鹿なんじゃない
秀秋自身は家康に詫び状出したり本陣に東軍の目付けを入れたりしてんじゃん
だいたい関ヶ原圧勝の栄誉てなんだよ
西軍が関ヶ原で東軍に勝つ可能性はほんの少しはあったかもしれないが
関ヶ原圧勝なんて無理だろ
東軍が圧勝したのは寝返りの部隊と家康本隊が戦闘に参加したから出来たのに
その要素のない西軍にはどう考えても無理だよ
0872人間七七四年
2011/06/04(土) 04:38:30.54ID:adY3MOHIそれって春日局のダンナの稲葉正成の武功を捏造するために書かれた後世編纂の三次史料のお話だよ?
大谷吉継が秀秋を2回にも渡って会談して暗殺しようとするんだよ? もう読んでて笑っちゃうよwww
三成から増田への12日書状で松尾山には中国勢をいれるって書いてるから毛利や小早川が防備するのは不思議な話じゃない。
小早川の先鋒は西軍側の松野主馬で当初の秀秋は西軍側にいつつ傍観者を決め込んでた。
そして家康から派遣された奥平貞治から再三に渡る出陣依頼も拒否しまくりだったわけだし
東軍に参戦と決まり、松野が怒って出奔した後に小早川先鋒を指揮する人間がいなくて
0873人間七七四年
2011/06/04(土) 04:44:27.25ID:adY3MOHI致命傷を受けてるじゃん。最終局面で赤座・脇坂・朽木・小川が裏切り大谷を攻めなければ奥平は討ち死にしてた。
秀秋の家臣である稲葉正成は9/17付で家康から直接に「村越直吉の書状を見た。秀秋殿の忠節の儀御祝着候」と感状貰ってる。
同日付で直吉からも「明日上洛の際に万事に付き京都に於いて申し承りべく候」
そして9/24には家康が秀秋にも直書で「関が原での忠義を感悦至候」と褒めている。
一方の毛利と言えば9/25輝元→広家 いまだに井伊殿への御直面にての御頼み入りが相い調わない。この儀はおかしい
書面ばかりではわきまえ難い。直接もの申したい。しかとしたる者がお越しあるべきこれが肝要。
9月27日に家康が大坂城を毛利から受け取るやいなや井伊・本多・榊原→黒田・福島へ(この内容が10/2に黒田から広家に伝わる)
島津攻めに輝元自身が先陣やれ。広島へ秀忠を派遣するから道中の路地筋の諸城には番手を入れ置く
(東海道で山内一豊らが自城を明け渡したのと同様で実質召し上げ)10/10周防長門両国進置候と家康からやっと安堵状が出される。
広家が内通してるのを信じてたら>>822のような一級戦力の無駄配置はしないわな。
0874人間七七四年
2011/06/04(土) 06:50:44.21ID:AJLsLx8mしかも輝元も騙されているのを薄々感じ取りながらも大坂城を明け渡すバカぶり。
関ヶ原後の秀元に至っては輝元からあいつはまだ若僧だからって完全に失脚してるんだよなw
0876人間七七四年
2011/06/04(土) 08:29:13.94ID:XCmmMxWg0877人間七七四年
2011/06/04(土) 08:47:08.80ID:u7mG8z6H慶長記も小早川が謀反したから西軍が関ヶ原に移動したって書いてるな
小早川勢を中国衆と表現するのかも微妙なところだ
0879人間七七四年
2011/06/04(土) 11:01:00.50ID:hbaHmtFHまずこちらの指摘に対し、コメントすべきでは?
キミの言う、『所領安堵されていない』『輝元は不安』(>>866)はデタラメだよね。
これはスルーしちゃうのかい?まぁ、今回に始まった事じゃないけど。
>一方の毛利と言えば9/25輝元→広家 いまだに井伊殿への御直面にての御頼み入りが相い調わない。この儀はおかしい
>書面ばかりではわきまえ難い。直接もの申したい。しかとしたる者がお越しあるべきこれが肝要。
>9月27日に家康が大坂城を毛利から受け取るやいなや井伊・本多・榊原→黒田・福島へ(この内容が10/2に黒田から広家に伝わる)
>島津攻めに輝元自身が先陣やれ。広島へ秀忠を派遣するから道中の路地筋の諸城には番手を入れ置く
これは何が言いたいの?要旨を説明してくれるかな?
>広家が内通してるのを信じてたら>>822のような一級戦力の無駄配置はしないわな。
キミの言う無駄配置は、東軍内の戦力バランスを考えただけの話。
本来比較すべきは、西軍南宮山の勢力3万。
前後挟撃の可能性がある中で、1万では明らかに不足。
南宮山諸勢力をキッチリ西軍属性と考えるなら、戦力はもっと必要。
そもそも古今東西を問わず、包囲挟撃される戦闘は致命的で、絶対に避けるべき。
こんなのは常識の世界。真顔で否定するキミのレベルを疑う。
自ら包囲挟撃を選択し、勝利した戦いが戦史上であるかい?(調略なし、戦力差均衡を前提)。
0880人間七七四年
2011/06/04(土) 11:03:25.59ID:hbaHmtFH× 包囲挟撃を選択し
○ 包囲挟撃される戦いを選択し
0881人間七七四年
2011/06/04(土) 12:42:57.28ID:u7mG8z6H家康は黒田通じて吉川の内通は知っていたと思うけど、そこを妄信して
関ヶ原に進軍した訳ではないんじゃないかなぁ。
家康は会津征伐から反転する時に、毛利と政治的解決を図ろうと書状を出し
た形跡がある。そのときに吉川が窓口になったけど、吉川は西軍が優勢にな
ると交渉を断ったりしているし、そう簡単に信用はできないのでは。
0882人間七七四年
2011/06/04(土) 13:20:40.73ID:hbaHmtFHでも彼ならもっと一次史料に準拠する。
間違っても日本戦史をソースに使う事はない。
広家が東軍に通じていても、万一に備えて
浅野等を配するのは当然だと思う。
何が起こるかわからないのに、完璧に信用して
無防備にする方が非現実的。
南宮山3万に対して1万という半端な戦力は、
そのスタンスが見て取れると思う。
0883人間七七四年
2011/06/04(土) 13:44:43.33ID:LLq3znkLそう、君たち!
ここはオレのスレなのだよ!
次のスレからは関ヶ原スレに移動してくれるんだろうな!な?
三成
0884人間七七四年
2011/06/04(土) 14:45:19.76ID:AJLsLx8m不利になると必ずやるんだよな。
>>877
だからさ、一次史料にないと指摘してるだろwww
>>878
前段なんて言い出したら何とでも曲解し意味を言い換えられるだろw
輝元書状の内容として>>874で書いた話には秀秋もあんな調子だし、秀元は若輩だからもう広家に頼るしかないと言っていて
輝元は秀秋も毛利一門と認識してるわけだがw
>>879
秀秋と明らかに扱いが違っていて
輝元自体もむちゃくちゃ不安がって井伊に面談と言い出してるのに安堵なわけが無かろう。
そもそも自分でもそれに気付いて>>867で約束が守られるかは別などと予防線を貼り始めたじゃねぇかw
単に大坂城を無血で手に入れるための福島らの詐術であり
輝元に奉行どもを明け渡しの説得をさせただけ。
安堵状が出されたのは周防長門が家康から認められた時。
南宮山への手当てに浅野や池田だけじゃないし、蜂須賀や山内らもいるし
大垣城を警戒してる部隊もあるし
家康が無傷の直轄3万も保持している。
>>881
形跡ってなんだよw
>>882
こりゃ話にならんわけだ。
完全に関ヶ原に関してまで無知を曝したな…
日本戦史は当時集められる史料をすべて網羅しており、
当然一次史料の書状類もすべて掲載してあるわけだがw
0885人間七七四年
2011/06/04(土) 15:16:16.68ID:cVFcury7>前段なんて言い出したら何とでも曲解し意味を言い換えられるだろw
おなじ八条目の前の部分という意味
「連絡のための城には、毛利輝元の軍兵を入れておくようにすることが肝要である
これには子細あることであるから、御分別をなされて、伊勢を初め太田・駒野に城を構えるのがよかろうと思う
近江と美濃の境目にある松尾の城や各番所には中国衆を入れておくように御分別なさることがもっともである
いかほど確かな遠国衆でも、いまどきは所領に対する欲望が強いので、人の心は計り難い
分別すべきときである。」
小早川のことは七条目と一三条目に固有名詞はないが不穏な動きをする者として、書かれている
0886人間七七四年
2011/06/04(土) 16:06:15.84ID:hbaHmtFH>秀秋と明らかに扱いが違っていて
当り前の話。秀秋は、関ヶ原本線で西軍への旗幟を鮮明にしている。
輝元は、西軍総大将であり、未だ大坂城に在城している状況。
>輝元自体もむちゃくちゃ不安がって井伊に面談と言い出してるのに安堵なわけが無かろう。
所領安堵の起請文(9/19付)は現存しているのに、これを否定するのかい?
輝元は嬉々として大坂城(正確には西の丸)を退去する誓書も提出しているんだが。
そもそも、キミは時系列を完全に勘違いしている。(>>873)
輝元の大坂城退去は9/25だ。接収は、福島・池田・浅野・本多・井伊等。(家康の大坂入城は9/27)
輝元が所領安堵に不安を覚えたのはこの時だ。
ゆえに、所領安堵が貰えず不安だった(>>866)というのは完全に誤り。
>南宮山への手当てに浅野や池田だけじゃないし、蜂須賀や山内らもいるし
戦闘・戦術において禁忌とされる包囲挟撃が許される理由には全くなってないんだが。
>日本戦史は当時集められる史料をすべて網羅しており、
>当然一次史料の書状類もすべて掲載してあるわけだがw
では、関ヶ原の戦闘状況(>>828)について、
日本戦史が引用している一次史料を教えてくれ。
0887人間七七四年
2011/06/04(土) 16:42:13.52ID:/8P0S5s70888人間七七四年
2011/06/04(土) 16:50:01.16ID:cVFcury70889人間七七四年
2011/06/04(土) 18:08:42.47ID:owrhR9ffまんまと掛かっちゃうんだものなぁ。
0890人間七七四年
2011/06/04(土) 18:13:46.32ID:Q/igrM9/資料自体信用できるのかいや
0891人間七七四年
2011/06/04(土) 18:54:54.81ID:hbaHmtFH0894人間七七四年
2011/06/04(土) 20:52:09.10ID:Hiiwdl8o近江と美濃の松尾城のいずれの番所にも中国兵を入れ置いた分別は尤もです。
増田に三成は伊勢太田駒野に輝の兵を入れる分別が肝要と言っていて現在や先々について輝兵を入れる
事項について増田に提案するように言っている。松尾山には中国兵をすでに入れていて、増田に対して尤もと返答している。
ここであえて輝と中国兵で分けて言葉を使う意味を>>884のように吟味しような!
0896人間七七四年
2011/06/04(土) 20:57:30.82ID:Hiiwdl8o秀秋を家康は信じてないから家康は奥平貞治を秀秋陣中に派遣して説得工作開始してんだぞ。
お前の言の通りなら毛利が厚遇され、先鋒がガチ西軍側の松野主馬を配置した秀秋は冷遇されるだろ。
信用性ゼロのなんら意味のないゴミくず起請文でしょ。あなたが>>884が言うように後から予防線として
追加条件「起請文に拘束力があるかは別問題」を入れてるのは自分の間違いを認識してる証拠。
0897人間七七四年
2011/06/04(土) 21:03:55.47ID:Hiiwdl8o大坂城を明け渡す時になって黒田や福島の他に藤堂や浅野や池田まで署名して輝元と広家を騙している。
しかし輝元はどうしても井伊にあって言質を取りたいと広家に言っているのが25日。
9/27家康が大坂城に入城するや手の平を返し井伊→福島らに輝元処分を言い渡している。>>895 だから何なの?
0898人間七七四年
2011/06/04(土) 21:09:08.77ID:cVFcury7逃げようとしても無駄
一三条にも「近江から出動してきた衆(小早川のこと)に、(中略)、中国衆を五千人ばかり佐和山城に入れておくよう(後略)」
とあり、小早川と毛利勢は別に分けている
0899人間七七四年
2011/06/04(土) 21:10:35.62ID:Hiiwdl8oすぐ増援に駆けつけれれるし曽根城や岡山陣所や長松城や福束城からも東軍は増援できる。
そもそも下山口で下山阻止したら数百対数百の戦いでしかない。山の入り口を閉じられ袋のネズミになっていて
他から援軍が来ない限り包囲封鎖されており禁忌上の失策を犯してるのは毛利側。
日本戦史の史料膨大過ぎて調べられるかアホ。無理を承知で要求すんなキチガイ。自分で調べろ。
0900人間七七四年
2011/06/04(土) 21:25:00.15ID:Hiiwdl8oそれに近江から出動してきた衆が秀秋の軍なんて断定できないし
輝元が出馬しないなら中国兵を佐和山城に入れようといってるだけで
それも毛利兵を入れると書いてはいない。
0901人間七七四年
2011/06/04(土) 21:33:58.24ID:QDxKxCs9遡ってもらえばわかるけど、秀秋の話は全くしていないので。
悪しからず。
>信用性ゼロのなんら意味のないゴミくず起請文でしょ。
ゴミくずかどうかの判断はキミが下せる立場ではない。
いずれにせよ、重要なのは所領安堵を通知していたという点。
キミは、事実と違う事を言っている事は不動。
>所領安堵なんてされてない。(>>866)
>後から予防線として追加条件「起請文に拘束力があるかは別問題」を入れてるのは自分の間違いを認識してる証拠。
何の予防線?意味がわからないんだけど。
何の予防を張らなきゃいけないのか全く不明だが、所領安堵の通知を出している事実は変わらんよ。
>9/27家康が大坂城に入城するや手の平を返し
↓
>9月27日に家康が大坂城を毛利から受け取る(>>873)
文章改変してスットボケるとはwwww
有り得ない、有り得なさ過ぎるwwww
腹イテェェェェwwww
で、日本戦史が引用してる一次史料は?
0902人間七七四年
2011/06/04(土) 21:35:05.12ID:7zYIflKu論文書いて投稿したらいいんでないか
0903人間七七四年
2011/06/04(土) 21:42:58.66ID:cVFcury7宇喜多は完全に別個なんだが
どうせ資料を読んだこともないのに、適当なこと書き連ねているだけなんでしょうな
0904人間七七四年
2011/06/04(土) 21:43:45.66ID:QDxKxCs9>包囲を受けているのは毛利の方。
という妄想がベースになってるので、これ以上先に進まないんだがw
>日本戦史の史料膨大過ぎて調べられるかアホ
いや、関ヶ原のトコだけでいいんだが。
講談的戦闘描写(>>828)の元ネタを是非とも教えて欲しい。
0909人間七七四年
2011/06/04(土) 22:22:38.47ID:AJLsLx8m自分に都合が良いように中国衆を解釈する屁理屈で必死過ぎワロタw
輝元自身でさえ秀秋や秀元や広家を文書中に同等に評し記してるんだからみんな一区切りに中国勢だから。
だいたい毛利元康指揮下の小早川秀包や立花宗茂の軍も中国勢。
それ以上でもそれ以下でもない。
三成もあえて区別する時は名指しで輝元とか安国寺とかキッチリ書いてるから。
なにが通説だよwほんと毛利厨ってバカバカしいわ。
もう一度よーく>>884を読むように。
0910人間七七四年
2011/06/04(土) 22:45:53.41ID:vjceiQu90911人間七七四年
2011/06/04(土) 22:59:38.50ID:cVFcury70912人間七七四年
2011/06/04(土) 23:04:32.88ID:AJLsLx8m家康自筆の安堵状なんてドコにあんの?
もしあるなら何カ国安堵って書いてあんの?
えっ?えっ?まだ出て来ないの?
0913人間七七四年
2011/06/04(土) 23:09:52.03ID:QDxKxCs9>>867ご参照。
大坂城退去を条件に、本領安堵だよ。
家康の自筆である必要はない。
ホントにSubっぽいね〜。違うと思ったんだけどな〜。
0914人間七七四年
2011/06/04(土) 23:17:21.05ID:7zYIflKu0915人間七七四年
2011/06/04(土) 23:25:18.15ID:XCmmMxWg0917人間七七四年
2011/06/04(土) 23:52:21.16ID:QDxKxCs90918人間七七四年
2011/06/04(土) 23:54:03.69ID:AJLsLx8m過去レスで何でもかんでもすべて三成が悪い!と執拗に貶しまくってた事実は忘れたのかね。
0919人間七七四年
2011/06/04(土) 23:58:29.80ID:QDxKxCs9過去スレ遡ってみなよ。
キミの登場がどれだけ目立ったか、自覚出来てないんだろうな。
0920人間七七四年
2011/06/05(日) 00:06:46.55ID:sZDDnax7毛利厨ってあらゆる過去スレで捏造を繰り返した挙げ句に論破されまくって
次スレがまったく立てられずに逃亡しまくってる全敗王だけどねw
>>919
伝統的毛利厨の思考パターンそのままにレスしててとっくにモロバレしてたわけだがw
つうか輝元が大坂城に籠城スレでの粘着毛利厨と書いてる内容が完全一致www
0921人間七七四年
2011/06/05(日) 00:10:47.42ID:Zxe9dWWd0922人間七七四年
2011/06/05(日) 00:12:49.93ID:sZDDnax7あぁ毛利厨が嘘を書いて逃亡した件だな。
0923人間七七四年
2011/06/05(日) 00:14:10.19ID:Zxe9dWWd0924人間七七四年
2011/06/05(日) 00:17:59.61ID:sZDDnax7次スレ建てられない可哀想なやつだった。
つか三戦板に新たにあるから早く隆景の凄さを教えてくれよw
また一次史料がまったく出てこない隆景がボロ糞に負けてるゾw
0925人間七七四年
2011/06/05(日) 00:21:08.11ID:Zxe9dWWdどっちが負けたかは、自分が一番わかってるだろww
何せ、一次史料を出せず、ウソを認め、負けを認めたんだからなww
ミジメ、ミジメナ奴ダナ〜wwww
0926人間七七四年
2011/06/05(日) 00:25:52.23ID:sZDDnax7土下座したのは毛利厨だろw
だいたい毛利関連スレはすべて論破され死亡確定してるしwww
つうか煽られて浅はかにも毛利厨の本性をついに現したなwww
0927人間七七四年
2011/06/05(日) 00:27:05.09ID:Zxe9dWWd0928人間七七四年
2011/06/05(日) 00:31:17.85ID:Q6CZ0yLa0929人間七七四年
2011/06/05(日) 00:32:15.10ID:sZDDnax7自信満々に大ウソ書いて
家系図まで出されて論破され
逃亡した毛利厨w
おい早くあの時の反論してみろよw
0930919
2011/06/05(日) 00:32:43.46ID:UDcdS4aMSub確定みたいだし、スレ違いだし。
三成に戻りましょう。
0931人間七七四年
2011/06/05(日) 00:37:31.57ID:Zxe9dWWdいやいやそんな話じゃね〜ぞwww
さすがSub。あちこちで恥かいてるだけあって、記憶力ゼロwww
論破なんてされた覚えはありませ〜〜〜んwwww
オマエが一次史料を出せず、ウソを認め、敗北宣言したのは確かだがなww
なんなら、貼ってやろうかww
で、俺は勝ち逃げ主義なんでね。負け犬には付き合わないのwww
0932人間七七四年
2011/06/05(日) 00:38:56.99ID:sZDDnax7何度となく歴史歪曲するなと指摘しても執拗に関ヶ原の敗北のA級戦犯の座を三成に押し付けて定着させたくて仕方がないようだな。
0933人間七七四年
2011/06/05(日) 00:40:52.26ID:Zxe9dWWdあ〜、勝者は気持良いね〜。楽しかったwww
0934人間七七四年
2011/06/05(日) 00:41:47.05ID:sZDDnax7お前ガチガチのバカだな。
1000スレ自演埋め逃げしたら勝者だと言うのならお前の勝ちかもなwww
俺の反論はひたすら見なかったことにすればなwww
0935人間七七四年
2011/06/05(日) 00:44:03.42ID:Zxe9dWWd全〜〜〜〜〜然悔しくありませんが、何か?www
0936人間七七四年
2011/06/05(日) 00:47:39.80ID:Zxe9dWWdオマエが埋め逃げしたんじゃね〜〜の??
ワラエルwwwww
0937人間七七四年
2011/06/05(日) 00:54:40.51ID:o54OV5vZ結局、隆景の功績がまったく出せずに逃走だもんな。次スレ立てられないとか毛利厨って戦国板の中で最弱厨だな。
ウケたと言えばもう可哀想すぎて、あえて指摘しないであげたのが下記の自信満々のレス
>>785によると古代氏族系図集成によると松野家そのものは西美濃の出だし父松野平八からして秀吉配下で丹波三百石。
父死亡後に遺領を継承し羽柴秀俊の与力になり秀俊の小早川入りに従っていると
古代氏族系図集成は系譜史料の集大成のようなものでかなりの優れものな資料。
もちろんこの書に載っている系譜が完全に正しいというわけではないが江戸時代以前の系譜を確認するには
まずこの書を調べてみるのが早い。本だろうがwebだろうが、古代氏族系譜集成によれば○○家は・・・
という記述があればまずその系譜に間違いはないと考えるのが普通。それくらいの準一級資料。
0938人間七七四年
2011/06/05(日) 01:00:40.38ID:o54OV5vZではここに古代氏族系図集成の該当箇所を転記しておこう。 松野連 呉王夫差公子慶父忌後裔
牛慈→長堤(筑紫国夜須郡松峡野住)→大野→広石→津万呂(ここで松野連姓)→
(かなり長く面倒だから24代の名前は記入しない)→久親→種眞→(三代略)→主馬/仕小早川隆景※3
慶父忌以後、牛慈以前の系図は「百家系図稿」に卑弥呼や倭王を経る系図を参考史料に掲げている。
※3金吾中納言小早川秀秋の重臣に松野主馬首正重がおり、1万石を領していたが、関ヶ原役時に主人を諫めると言われる。
これしか書かれてないのに「松野家そのものは西美濃の出だし〜秀俊の小早川入りに従っている」
の文章の証明をしてることになってるんだから、もうチョンもビックリの捏造王ぶりだよw
しかもこの書は平安時代までをメインにしてるもんなのも知らないんだからw
>>系譜に間違いはないと考えるのが普通←もうね複数系図まで掲げてるのも知らずに何言ってんだかっていう。
0939人間七七四年
2011/06/05(日) 01:03:32.61ID:Zxe9dWWd勝者の余裕ってやつで大目に見てやるよ。
これからも頑張ってくれたまえww
0940人間七七四年
2011/06/05(日) 01:07:53.15ID:o54OV5vZここで注目なのは主馬が隆景に仕えていたと記していること。主馬の親どころか三代不明なこと。
またその主馬と松野主馬首正重が同一人物だと認めてはいない。あくまで参考として言及してるに過ぎない。
まったく関係なし、嗣子断絶回避のため養子として入り継いだなどいろいろな考え方もある。
いきなり同一人物と考えるのはまったくおかしい。
まぁおれとしては、三原へ行く隆景と別れて秀秋についていった村上景親 清水景治 日野景幸らが
隆景から景の名までもらっているほど信任されているってことだよ。
古代氏族系図集成を見たこともないアホ毛利厨がシッタカ大ウソを恥ずかしくもなくやってました。
要約するとデタラメなWIKIの内容を丸パクりしてそのソースになぜか自信満々に古代氏族系図集成の名前を出し
見事にデタラメがバレると言う戦国板史上最大の低脳アホバカぶりです。
0941人間七七四年
2011/06/05(日) 01:13:22.01ID:o54OV5vZ0942人間七七四年
2011/06/05(日) 01:21:38.40ID:Zxe9dWWdこれで反論しなかったら、逃亡認定するの?
なるほど、キミの勝利宣言はこういうカラクリだったわけだ。
コワイコワイな〜www
何度でも言いますけど、勝ち逃げ主義なんですよ、ボクwwww
キミみたいに、敗北の軌跡を残す程マヌケじゃないんでね〜。
0944人間七七四年
2011/06/05(日) 01:35:18.15ID:Zxe9dWWdこれに、自演と負け惜しみも加えてくれる?
今日は良い夢がみれそうです。オヤスミナサイ〜。
0946人間七七四年
2011/06/05(日) 07:37:15.61ID:KOOfZATFスレ違いを散々やって遂には無意味なののしり合い。
subが一人でやってるのかほかにもアホがいるのかしらんが、
いい加減にしろ
0947人間七七四年
2011/06/05(日) 08:44:08.82ID:rSkKBVF20948人間七七四年
2011/06/05(日) 10:33:06.34ID:vjFiyRpn延々と続いてた広家ネタも終了したし
0949丁ο児 ◆Kd2TSsZIFU11
2011/06/05(日) 11:32:27.48ID:qkU9wE7Q息子の受験騒動はみそぎは済んだはずではないか。
シャークハンター必殺隊の実績を考えたら真田幸村あたりが、はまり役だろうに。
0950人間七七四年
2011/06/05(日) 15:46:35.15ID:d2Hrc1kK0951人間七七四年
2011/06/06(月) 08:14:45.72ID:hcZLeZXhはまりすぎ(笑)
自分で役を選べる役者は業界の一握り
仕方ない
0952丁ο児 ◆Kd2TSsZIFU11
2011/06/10(金) 20:28:06.91ID:bbfsZ2FV南宮山の陣取り位置から言って、広家が東軍に攻めかかっても、間に合わないだろ。
0953人間七七四年
2011/06/10(金) 21:48:19.75ID:XwUCVmcO迷っていた小早川も腹を決めるから
勝敗は決するよ。
0954人間七七四年
2011/06/10(金) 22:31:17.05ID:8lbvU9V90955人間七七四年
2011/06/10(金) 22:45:03.74ID:c426UtbMここは三成スレ
0956人間七七四年
2011/06/10(金) 22:46:54.79ID:VwtMOtlN0957人間七七四年
2011/06/10(金) 23:19:45.54ID:8rATJ6lB下じゃ激しくドンパチやってる訳で音が混じっちまうわさ
0960人間七七四年
2011/06/11(土) 00:54:16.84ID:kDdXpRCXそちらのスレでもで迷惑をおかけしているようなので出張してきました。
こちらのスレで預からせて頂きます。。
毛利輝元が大阪城に立て篭もった!!
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1208970502/l50
こちらでも自説が論破されると6キロしか離れていない場所を
15キロも離れてるなどとウソばかりついている困ったヤツです。。
0961人間七七四年
2011/06/11(土) 09:39:20.98ID:FIKGJKLJ0962人間七七四年
2011/06/11(土) 11:16:36.91ID:wlPFhLn3再録
「五本関原日記曰諸方合戦最中ニ黒装束ノ武者御前ニ参リ筑前中納言ノ旗
色何レトモ知レ申サスト申シ上ル問鉄砲打セヨトノ御意ナリ仍テ鉄砲打カケ
候」
「井伊家慶長記曰福島井伊向云々合戦始時節如何直政答云筑前中納言内通之義有
彼躰見軍始可只今予軍士熊谷内匠三浦十左衛門両秀秋陣遣暫相待可ト
又藤堂佐渡高虎来テ正則如問前如答フ高虎テタテアリト云テ吾陣帰鉄砲之者二十人
計召具秀秋陣向放タシム但玉ヲ入不然雖秀秋陣少モ騒不一向敵陣ヲ見ヲロス外無他
高虎来云秀秋心底疑処無云々」
「聿修録曰諸部既接戦筑前候観望山下未公(高虎)大銃発之脅乃始兵発」
他、
「五本関原日記」とほぼ同じなのが「濃州関原合戦答書」「一本関原軍記」「慶長記畧捗」
「五本関原日記」に「井伊家慶長記」「聿修録」を組み合わせ、藤堂隊が家康の命による
問鉄砲を撃ったとしているのが「東西記」「別本慶長軍記」「本朝武林(稲葉)傅」
「黒田家譜」では福島の鉄砲隊二十人『のみ』を松尾山に撃たせよと使番に命じている
ほぼ同じ内容が「関原物語」「関原記考」
「落穂集」は使番として久保島孫兵衛、鉄砲隊は家康組下の布施孫兵衛とし
後は上記の内容をごった煮したもの
以上「朝野旧聞褒藁」より
以上より
小早川陣への銃撃は二度あったと推定される
一回目は藤堂高虎による牽制の為の銃撃
二回目は徳川家康の命によって福島正則から分派された
鉄砲隊(家康使番久保島が同行した可能性あり)による内応
催促の銃撃
家康本隊からの鉄砲隊分派は無かった可能性が高い
0964人間七七四年
2011/06/12(日) 20:29:23.17ID:C6O6Tx350965人間七七四年
2011/06/13(月) 23:05:31.74ID:9PXFI7vNいまさら主役にしてまでやることなんて何もないだろ
0966人間七七四年
2011/06/14(火) 02:23:43.77ID:2fE3gf4x英傑なんて呼ぶなよ、汚らわしい
0967人間七七四年
2011/06/14(火) 10:26:26.41ID:DSH4XO/a三成が自爆テロを起こしてプレゼントしてくれたから貰っただけだ
0969人間七七四年
2011/06/14(火) 12:34:20.93ID:Rv/SD9hq0971人間七七四年
2011/06/14(火) 20:00:05.12ID:DSH4XO/aそれを言うなら家康が専横できたのは秀吉と側近の三成による政が悪くて政権基盤がボロボロになったからじゃね?
秀吉と三成がきちんとした政をしていれば問題ないのだから豊臣にも責任はあるな
0972人間七七四年
2011/06/14(火) 20:32:57.04ID:ChYfshbA前田利家が死ぬまで大人しくしてただろうが、邪魔のものが消えてあっこれ天下奪えるかも?って
可能性が出てから動き出してるだけに相当な玉だ、やったこと見てもな
0973人間七七四年
2011/06/14(火) 22:26:04.19ID:GQ3SREJx利家は対抗馬にはなれても抑止力にはなれなかった
0974人間七七四年
2011/06/14(火) 23:09:47.46ID:Rv/SD9hq0975人間七七四年
2011/06/15(水) 12:56:58.40ID:xX7dlsCJ0976人間七七四年
2011/06/24(金) 00:55:23.42ID:mgnweUsw家康の侍医の慶長年中板坂ト斎記も事実を改竄してて信憑性がないからね。
慶長元年5月に4歳の秀頼が上洛した際の記述が山科言科日記とまったく違うこと書いてるし。
秀頼上洛で伏見から家康も塗輿で付き従い上洛って言う事実を
京都の宿所から東福寺の門前まで家康と年家が仲良く大声で話ながら馬で迎えに出たと改竄してる。
他にも利家死去すぐの武断派7将の三成襲撃クーデターのメンバーを2人変更改竄してたり。
>>867
>>輝元は所領安堵されてるよ。慶長5年9月19日付の起請文
はぁ?何言ってんだ?デタラメばっか。
条件付き仮起請文は関が原前日の9/14に井伊と本多から貰ってんだぞ。
広家のもらった安堵状には戦で抜きん出た忠義を示した場合のみ
ちゃんとした家康自筆の正式な安堵状を出すと書かれており拘束力がまったくないもの。
戦でまったく東軍のために働かず、佐和山城攻めにも参加してない毛利が
どんな根拠があって本領安堵になると言えるのかっていう中途半端なシロモノ。
だから広家を信じられなくなってきた不安感に苛まれた輝元は
家康から自筆の安堵状を貰うか井伊らに直接会って言質を取りたがってるんじゃないか。
ちなみに光成氏によれば10/2付広家宛の長政文書・10/3付広家宛の長政文書・10/3付正則・長政宛の広家文書は
広家が言い訳するために作った偽書状だから、そもそも広家が加増予定の1〜2ヶ国を毛利に譲った話はデタラメ。
広家は輝元を騙しているわけだ。そして山本洋氏によれば岩国藩は香川景継を使って
世の中の軍記類に吉川の主張を盛り込む活動を隠密裏にやって捏造したそうだ。
0977人間七七四年
2011/06/24(金) 08:24:47.83ID:qzBaKJ3y慶長記は日記に色々と書き加えた形式だから、回想部分故の誤りも多いが、
それを改ざんというのは如何なものかと
それを言ったら、当代記や信長公記も改ざんしたとなるし
0978人間七七四年
2011/06/24(金) 08:55:12.29ID:qzBaKJ3y七将も義演准后日記ではメンバーが追加されている
日記は書いた個人が正しいと「認識した」ことが書いてあるのであって
真実が常に書かれているわけではない、これは書状にも言えること
0979人間七七四年
2011/06/24(金) 09:39:17.97ID:kItyo8g5征夷大将軍徳川家のために後年に一気に書き上げた代物だよ。
だから記述が徳川史観になってる。
前田研究の大家たる岩沢氏も常日頃から家康と昵懇な山科の家族が見誤るわけが無く
家康と利家が馬上で仲良く話ながら秀頼を迎えに出たとする卜斎の記事は虚構だろうと断言してる。
0980人間七七四年
2011/06/24(金) 09:59:39.27ID:qzBaKJ3y違うよ、上巻から中巻までは日記に文章を追加する形式
もし後年書き上げたなら、こういう書き方ではなく、もっと整った形式になる
後、家康中心なのはそりゃ卜斎は家康の侍医なんだから、むしろ当然当たり前、信長公記も同じ
岩沢氏の指摘した部分は日記形式でない下巻の部分なので、確かに問題はあると思う
0981人間七七四年
2011/06/24(金) 10:46:28.77ID:kItyo8g5上巻は書き置きからの写し書きだよ。
明らかに事実を書いたんじゃなくフィルターを通して書いてる。
信長公記もあれは安土城天主が完成した辺りになってからやっと年日付が正確になってくる代物で、
それ以前は参考程度にしか参照できない。
山科などの日記類は一次史料だが、上記は二次史料以下。
特に信長に関する良質な史料がほとんど無いから信長公記を流用せざる負えないだけで
信長公記を角川が出版するときに第一級史料と喧伝したから誤解されてるだけ。
そもそも信長公記は亜流などを含めると80種類以上あるんだから
どれを流用するかで内容も変わるし筆者の太田牛一は売文家で当時から有名だったから信憑性はさらに疑問なわけだが。
0982人間七七四年
2011/06/24(金) 10:52:39.36ID:kItyo8g5まったく重要視されてない。
秀吉も家康もロクに信長に言及したりしないわで
信長の資料が極端に無いから信長公記に需要があっただけの話。
0983人間七七四年
2011/06/24(金) 10:57:53.65ID:qzBaKJ3y0984人間七七四年
2011/06/24(金) 14:41:46.16ID:QUTvKBicその講話も秀吉を騙し、そして、秀吉の立場を明以下にしての講話だからな
清正公様からしたら秀吉を明より下の位にした糞ゴミ無能石田を八つ裂きにしたかっただろう
0985人間七七四年
2011/06/24(金) 14:49:13.46ID:QUTvKBic神様にまで祭り上げられた清正公様の評価。
人が抱く人間の義は永久に変わらないにしても、この差はデカイね。
0987人間七七四年
2011/06/24(金) 22:05:58.19ID:IXG6uR+G0988人間七七四年
2011/06/24(金) 22:59:11.80ID:RdtYPUyT0989人間七七四年
2011/06/24(金) 23:01:48.70ID:b5b3nGpn0990人間七七四年
2011/06/25(土) 00:45:16.14ID:+wPy8F180991人間七七四年
2011/06/25(土) 06:43:19.50ID:v4WWQVOy朝鮮征伐で政治的軋轢の矢面に立たされて、秀次謀反とか秀秋減封とかの責任を被されて、
政治的にいろいろまずくなっているところで、太閤死亡。
家康への対決姿勢を打ち出して、暗殺計画とか練ってる所で7将襲撃。
城内で反撃計画立ててるところで、家康裁定で強制引退。
で、関ヶ原へ、と。
最近の有力説を盛りこんで、歴史を忠実に再現しました!って切り口でいけば新鮮味も出る
と思う。もう、関ヶ原の合戦シーンなんてサラッと流して、全編政治ドラマでもいいと思う。
三成の配役は賢そうな若造がいいな、やはり。ここで下手に人格者っぽい役者さんを当てると
三成が嫌われるのが分かりにくくなる。
0992人間七七四年
2011/06/25(土) 08:29:35.52ID:T7cyHbB50993人間七七四年
2011/06/25(土) 10:42:01.05ID:53038llk0994人間七七四年
2011/06/25(土) 13:31:00.74ID:2KNgV/l+まぁ三成から増田への書状を読む限り大垣城の伊藤が頼りないから
人質取ると書いてるだけで松尾山に伊藤勢が布陣していたとするネタ自体が信憑性ゼロだからね。
それに西軍総大将として輝元も雑説をいろいろ収集してるみたいだけど
そもそも広家など自分の配下こそいかがわしいわけでw
しかもあくまで噂レベルであって、戦場ではよくある情報戦による風説レベルの話だし
当然、東西どちらが勝つか分からない以上、御家存続をかけて両天秤するのは当たり前。
それは三成も「人の気持ちはわからないもの」と言ってることからもわかる。
0995人間七七四年
2011/06/25(土) 14:50:21.79ID:T7cyHbB5関ヶ原までの秀秋の動きで確かな史料が存在しないし
戦後は徳川史観で権現様の神算鬼謀すげぇーとか
吉川岩国藩の香川景継が吉川家の意向を受けて関ヶ原軍記大成などいろいろ軍記に
吉川家の主張を盛り込む活動を隠密裏に行っていたと山本裕氏が指摘してるからねぇ。
0996人間七七四年
2011/06/26(日) 09:53:52.97ID:XZMKwyXqぜんぜん残ってないし秀秋自身もあまり文書を書かなかったのか他大名のところにも秀秋文書がぜんぜんない。
例えば、隆景遺領問題により秀秋越前50万石&加賀35万石転封の時に、
三原は毛利領になり筑前は代官三成管理(のち浅野も追加)となる。
それに伴い旧隆景家臣が分裂してるのか毛利・秀秋の両者で引き取ることになるけど、この処理問題が長引く。
なぜかと言えば秀就が生まれたことによる秀元分封問題もリンクしていたから。
さらに1/10に秀頼が大坂城へ入城すると1/19に利家ら大老奉行らが
去年11月から多数派工作を開始した家康が遺令を破り婚姻やってるのに怒って詰問使を出して険悪化してる。
これは1/20に和解の方向性が示され2/12の起承文で家康の譲歩でケリをつけてる。
その一方で輝元は秀元に過大要求され秀元分封問題に揺れていて、毛利本領が大幅に削られるため
旧隆景家臣引き取りを財政圧迫と嫌がり、そこに三成が助け船を出して、
筑前三成代官領でも旧隆景家臣を引き取るよって言ってくれていて1/23には三成と増田の支援もあり秀元と決着していた。
結局、慶長4年2月5日付け五大老連署では越前加賀転封の取り消しが行われているんだが
小早川執政の山口宗永は(隆景が財政や検地の能力が無いために豊臣政権から秀秋と共に指南として送り込まれた人物)
越前加賀転封取り消しに関わらず加賀大聖寺城に居続けてる。
閏3/3利家死去し七将クーデター発生と共の毛利上杉+5奉行連携で家康と対処したが
家康が伏見と大坂を占有してしまう状況になってしまい、大坂奪回を諦めて三成1人の責として家康と和睦。
輝元は三成に涙して、その決定に胸糞悪いと元康らに憤懣をぶつけてる。
毛利の敗北をもって優位に立った家康は輝元を兄弟と呼び、輝元は家康を親と呼ばせるや
秀元と連携して秀元への分封が少ないとして毛利家中への介入を開始する。
どうも利家死去で利長と義兄弟の秀家も動かなくなってたらしい。8月に利長帰国そして慶長5年に入ると宇喜多騒動・・・
0997人間七七四年
2011/06/26(日) 14:38:05.48ID:rZOzvN2m参内時の記述は「慶長記」と「義演日記」は一致してるね
後、「義演日記」には秀頼上洛時には家康以下五人は塗輿とあるが、
後で実際は家康のみ車と訂正しているので、当時の記録でも混乱している
0998人間七七四年
2011/06/26(日) 14:49:30.55ID:8ARmyXIG平和な三成スレになりますように
ノーモア・関ヶ原
0999人間七七四年
2011/06/26(日) 14:54:10.54ID:985muy5S慶長記は利家と仲良く会話しながら馬でやってきたとデタラメ吐いてる事実は変わらない。
それは加賀藩との関係に配慮したから
1000人間七七四年
2011/06/26(日) 14:58:45.45ID:8ARmyXIG10011001
Over 1000Threadー┬――─‐ァ
/ ̄ ̄ ̄ ̄,l,
_/ ,、r'" _」
. | ̄ ̄ ̄ ̄ ,、r:''゙ヽ、
/`'''''''''''''''''''" ヽ::::::::::ヽ
/ 秀家 ゙ヽ:::::::::', ごくろう。このスレはみごと統一された。
゙|゙゙゙''' ‐‐''""' ';:::;r==,、 さすればおぬしらには次スレの攻略を命ずる。
. |エi> ,' イiエ> レ'゙,r .,l }
i. / Y./ノ さあ泳いでゆけ、現代のもののふたちよ!
l { .、 /
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