戦国ちょっといい話24
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0967人間七七四年
2011/02/24(木) 10:30:12.95ID:+btdGJvw「身上之義〜まーくん、息子の就職を心配して口利きをしてもらう」
高知市の旧家で、伊達政宗から、徳川家家臣本多正純に宛てた長男秀宗の、今でいうところの就職斡旋依頼書(口利き依頼書?)みたいな書状が見つかったそうな。宇和島藩の成立と政宗の冬の陣参戦にも関係している書状らしく、
時代は大坂冬の陣の頃(慶長19年)1614年の11月10日付けで、徳川家康が大坂冬の陣に向かうため二条城に居たときに書かれた書状らしい。
内容としては、「うちの息子(秀宗)が秀吉の傍にいた経緯もあった上に、側室の子なので役職に就けなかったから、本多さん、両御所(家康と秀忠)様にお願いして何とかしてください。返す返すお願いします」
と念を押した内容だそうな。
徳川幕府の公式記録「徳川実紀」に書かれたものによると、この日に二条城で家康と会って翌日の軍議にも参加。この時に本多正純に根回ししたものと言われており、それから伊達親子は冬の陣に参加し、その功績から秀宗は宇和島藩を貰うことになる。
どの時代も自分の子供の就職を心配する親はいるもんなんですねぇ・・・。
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