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戦国ちょっといい話24

レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。
0001人間七七四年2010/12/25(土) 13:26:54ID:U0HLGF9L
戦国のホロリとくるエピソードを挙げていこう

戦国ちょっといい話・悪い話まとめブログ
http://iiwarui.blog90.fc2.com/
書き込む際にネタがかぶっていないかなどの、参考にしてください

前スレ
戦国ちょっといい話23
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1288278217/

姉妹スレ
戦国ちょっと悪い話24
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1292026893/

鎌倉・室町 ちょっといい話・悪い話
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/history/1286650888/

このスレの武将などに対する愛称等の、用語解説はこちら
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2161.html

逸話に対する過度の真贋論争、揚げ足取りなどは、無駄に荒れるもとになります。
そのような議論はこちらでお願いします
【真?】戦国逸話検証スレ【偽?】
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1196778610/
0887人間七七四年2011/02/19(土) 19:59:02.23ID:pjcD1Dyt
>>886
頼むから、高野山でおとなしくしててくれよ。
0888人間七七四年2011/02/19(土) 20:00:33.09ID:ecpPsbQH
九度山だろ
0889人間七七四年2011/02/19(土) 20:27:46.11ID:QwY8JaJd
>>878
仮面のように白粉を塗りたくってトランス状態で尾張に侵入したら第六天魔王に出会ったでござる
0890人間七七四年2011/02/19(土) 20:35:20.60ID:Rc+iCtKp
ある男が幼いころ、よその家に忍び込み果物を盗もうとしてその家で飼っていた犬に追い立てられた事があった。
だがその犬を男は返り討ちにして殺し、草履を無くした上に手足に血をつけて帰宅した。

その様子を見ていた母親から問い詰められると、男は犬を殺した事は認めたものの果物を盗もうとした事は認めようとはしなかった。
そんな男を母親は家の仏間に連れて行き、父親の位牌を前に

「父上はいつもそなたを見ている。嘘をつけば地獄に落ちる。」

と諭した。この言葉を聞き男は猛烈に反省し、信仰を深め、清廉潔白な人物に育ったと言う。
この男は後の加藤清正である。
0891人間七七四年2011/02/19(土) 21:03:52.80ID:qh1TmXW3
虎だけじゃなく犬も殺すんだな
0892人間七七四年2011/02/19(土) 21:11:01.15ID:Y549yEgw
清正が殺したもの

人間

朝鮮人
犬←new
0893人間七七四年2011/02/19(土) 22:20:43.40ID:ClsIMj26
>>清廉潔白な人物に育ったと言う。

>>清廉潔白な人物

>>清廉潔白
0894人間七七四年2011/02/19(土) 22:23:18.17ID:1PA64pC+
加藤清正鬼シリーズ

天正20年(文禄元年)(1592)、文禄の役、朝鮮に出兵した播磨・三木城主の中川秀政は10月24日、
現地での鷹狩の最中気がついたら敵兵に囲まれていた、と言ううっかりプレイで討死。
享年25歳であった。

さて、主君のあんまりな死に嘆き悲しんでいる中川家の家臣のところに加藤清正がやって来た。
そしてこの家臣に品物を手渡した。その品物を見て驚く家臣に清正

「これを与える。これで元気を出せ!」

「あ、あの、これは…?」

赤鬼の面であった

「この地で手に入れたものだが、おぬしに渡す!何時までもくよくよするのではないぞ!」

「は、はあ…」

家臣はよく解らない。何故赤鬼の面なのか?どうして赤鬼の面が自分を慰めることになるのか?
ただ単に清正が赤鬼の面が好きだというだけではないか?
様々な疑問をかかえ、ともかくもその家臣は赤鬼の面を持って帰国した。
が、だからと言ってこれをどうしたものかよく解らず、そのまま放置し、そのうちこの家臣も死んだ。
後継ぎなどにもその面についての言及はなく、完全に忘れ去られた。

時は流れ延宝3年(1675)、この家臣の子孫がたまたまこの面を見つけた、しかも清正の
寄進状と共に。こんなモノにもちゃんと寄進状を書いていたのですね清正公。
だが、やはり子孫もこれをどうしていいのか解らず、地元の月輪寺へと奉納した。

そのうちに月輪寺が赤鬼面と対になる黒鬼面を購入し、これを用いて鬼追いの祭礼を
行うようになった。これは「三木・大宮の鬼追式」として、現在も大宮八幡宮と月輪寺にて
神仏習合の祭礼として行われている。

清正寄進の面、なんだか色々あって祭礼となる。と言うお話。
0895人間七七四年2011/02/19(土) 22:27:54.54ID:awBWDt7y
マス大山もアドバイスしてたぞ
「熊と戦う前に、牛か、せめて犬と戦ってからにしろ」って
0896人間七七四年2011/02/19(土) 23:02:08.85ID:SeT607j4
地元に伝わる伝承を一つ



後藤又兵衛が生き延びていた、という話は又兵衛桜が有名ですが

愛媛県の松前町にも、又兵衛が逃げ延びてきたという話が伝わっています


大阪からなんとか脱出した又兵衛は、旧友の加藤嘉明を頼ってこの地を訪れました

徳川家からの捜索を逃れるため、名を弟の市郎右衛門と偽り、百姓となったそうです

百姓となった後は、地域の開拓に尽力し、寛永11年にその生涯を終えます

今でも後藤新田、後藤の堰などの事跡が残っています


http://shikoku-net.co.jp/ehime/kankou/iyogun/masakikankou.htm

↑参考にさせていただきました

又兵衛夫婦のものとされる墓の写真もありますよ


個人的に「旧友の加藤嘉明を頼って」という部分が気になります

又兵衛の主君と仲良かったから交流はあったと思いますが…

なんとなく相性悪そう
0897人間七七四年2011/02/19(土) 23:05:44.83ID:o1BraLN+
問題は大坂の陣の時にはすでに加藤嘉明は居城を
松前城から松山城に移していることだが
昔の居城近く、というならありか
0898人間七七四年2011/02/20(日) 00:11:34.18ID:zIpvnBRW
>>896
そこ伊予に旅行行った時行きましたわー。

そう遠くない同県伊予市の長泉寺にも後藤又兵衛の墓があって、
こっちは生存説ではなく、戦死した又兵衛の首を持って逃げた部下がここに葬ったという伝承が。

叔父の藤岡九兵衛(又兵衛幼少時代の保護者)が住職をしていた縁で、
大坂入城前に又兵衛が加藤嘉明との交誼を頼って、妻子を託したことが碑文に刻まれています。

程近い三谷に塙団右衛門の子説もある程仲の良かった雲居国師の生誕地があったり、
松前城跡には加藤家を出奔した団右衛門の事跡が看板に書かれたりしていて、
この大坂の両豪傑好きにはちょっとした穴場地域に感じました。


>>897
松山から松前もそう遠くないしね
松山築城の際に破却した松前城の建材を再利用した話もあるし
0899人間七七四年2011/02/20(日) 00:42:58.78ID:ojBUX0H1
現在のさいたま市に伝わるお話。武将ではないが投稿。

「寿能の蛍」
昔、池の辺りで笛を吹いている娘がいた。やがて娘の周りには蛍が集まり、その中のとびきり大きい蛍が娘を池の底へと連れさった。
やがて娘が目を覚ますと目の前に美しい上品な女がいた。

「実は私、昔この地を治めていた潮田家の能と申します。寿能城が落城した際に私は待女と共にこの池に入水したのですが竜神様にこの夏の期間だけ蛍となり一族に祈りを捧げる事ができるのです。どうか我が一族を供養してください」

この姫の気持ちに心をうたれた娘は供養塔を建てたと言う。
0900人間七七四年2011/02/20(日) 00:56:05.58ID:eG9/zR8H
なんかあっさりした話だから結構古い時代かと思ったら、
寿能城が落城したのって小田原征伐の時なのか
0901人間七七四年2011/02/20(日) 01:47:05.20ID:qcMhgtEk
>>890で似たような話を思い出した。

武田信昌のころ、甲斐に加賀美武光という武士がいた。

加賀美家は武田を初めて名乗った信義の弟である遠光以来の家である。
小笠原や南部などの名門を生んだが、それらと異なり他国へ雄飛しなかったためか、南北朝の頃には既に衰微していた。

この武光、虐められっ子だったのか、あるとき馬に乗って道を行くと、国人大井某の郎党に犬をけしかけられた。
突然のことに馬は竿立ちになり、武光は落馬した。そこへ多数の犬が襲いかかる。
武光は応戦するが、落馬した時に怪我でもしたのか、抵抗虚しく噛み殺されてしまった。

後日その弟が訴えを起こしたが既に証拠はなく、また誰もが大井某を恐れて証言しなかった。

逆に「武光は盗みに入って犬に食われた」という噂がまととしやかに流れ、
「いぬ(く)いなる おとにきこへし かかみのたけみつ」と彼を囃し立てる歌まで流行った。

「乾の方向に住む加賀美武光は、名刀を持っているという噂だったけれど、実は鏡のような竹光だったのだろう、犬に食われてしまったよ」。

これに激怒した竹光の弟は弔い合戦を挑むが、大井他の連合軍に敗れて死に、領地も奪われてしまった。
しかし武光の子は信虎に仕え、大井、栗原などの仇を取って領地を回復し、代々の信濃守を名乗ったということである。
子孫は後に家康に仕え、武蔵に移されるも、旗本加賀美家として800石あたりで存続した。めでたしめでたし。
0902人間七七四年2011/02/20(日) 01:50:01.88ID:qcMhgtEk
訂正
×これに激怒した竹光の弟は
○これに激怒した武光の弟は
0903人間七七四年2011/02/20(日) 05:58:02.23ID:I/FrWL2Z
>>878
面で思い出した逸話

享禄3年(1530年)、大内勢が東肥前へ侵攻してきた。
迎え撃つは、少弐氏被官の龍造寺家兼公。
神埼郡田手畷にて、両軍は攻防。

さしもの家兼公も、大内の大群には苦戦する。
その時、面をかぶった「赤熊」姿の軍勢が、大内の横腹を突いた!

大内勢を打ち破るきっかけとなった赤熊勢の親玉は、鍋島清久公。
これ以後、龍造寺家と鍋島家の親しき関係が始まった。

そして、これをきっかけに、佐賀の伝統芸能「面浮立」が始まったとも言う。
0904人間七七四年2011/02/20(日) 09:51:18.64ID:z2tHLap4
ガイシュツ
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3989.html
0905人間七七四年2011/02/20(日) 12:04:08.42ID:Sb8t4MgA
流れぶった切って申し訳ないんだが
戦国時代の双子に関する逸話ってないのかね?

歳の近い兄弟の話は聞いたことあるけど
こと双子となるとその存在すら聞いたことが無いもんで
0906人間七七四年2011/02/20(日) 12:07:00.18ID:1fl5kBdC
双子は畜生腹といって忌み嫌われていた
0907人間七七四年2011/02/20(日) 12:07:20.00ID:kGgISsUy
>>901
これってイジメ云々じゃなくて、普通に狙ってやった暗殺でねえの?
信昌のころの甲斐なんて、普通に世紀末だろ。

甲斐犬(かいけん)は日本固有種の中では最も凶暴で、オオカミの血が混じってる。
というか犬の血が混じったオオカミ。無茶苦茶獰猛だし、訓練すれば集団行動も出来る。
0908人間七七四年2011/02/20(日) 12:45:18.54ID:zoiJyjU4
>>905
結城秀康と永見貞愛とか
0909人間七七四年2011/02/20(日) 12:48:45.84ID:4Y4Kng4I
>>905
結城秀康が嫌われた理由に双子って話があったような

0910人間七七四年2011/02/20(日) 13:55:45.75ID:f9vTY7Jn
昔は畜生腹をネタにした時代劇(テレビドラマ)も幾つかあったと思ったんだけど、色々とうるさいんだろうな。
月曜夜八時の枠の「江戸を斬る」のTなんかがそうだったかな。
0911人間七七四年2011/02/20(日) 14:43:16.85ID:Y/kZI0Uh
>>907
甲斐犬こええ
甲斐の国はまるでロンダルキアみたいだな犬でさえ強いw
0912人間七七四年2011/02/20(日) 16:05:30.51ID:3we+YkSQ
>>911
では、代わってもう少し解説させてもらおうか。

甲斐犬はオオカミのハーフと一般に言われるが、ニホンオオカミよりはタイリクオオカミに近い。
甲斐犬と呼ばれるようになったのは割と最近で、それまでは甲斐虎と呼ばれていた。
文献上の初出は奈良時代、東北などに導入されてクマ狩りなどに使われていたという。

かつては山岳地帯でよく野犬が見られたそうだが、あまり群れでの行動はしないという。

甲斐の人間と違うのは、主人だけにはなつくことだろうか。
ただし家庭で飼っても主人は基本的に一人(夫婦の力関係によっては母親の場合もww)にのみしかなつかず、
その主人の命令ならば下位の人間の言うことも聞くが、とにかく非常に飼育が面倒だそうである。

戦後品種改良が進み、「一吠えされたので犬がいることは分かったが、次の瞬間には地面に引き倒されていた」
というような、典型的な甲斐犬の個体は少なくなっているという。が、筆者は散歩していた主従にやられたことがある。
0913人間七七四年2011/02/20(日) 16:15:34.68ID:3we+YkSQ
以下引用。

オオカミとしての傾向
 ものすごく敏捷、身軽、よじのぼる。 
 人を噛む。馴れない。訓練は無理。
 遠吠えをする。ワンと吠えない。

イヌとしての傾向
 尾を振る(食事の時)、人にも接する。
 帰家性がある。

用途は、家庭犬・番犬・猟犬。臭い、毛抜けは気にならないので
室内でも飼える。用便をかねて散歩が必要。暑さ寒さにも強い。
性格は、一人の飼い主にしかなつかない忠犬。きつい面もある
ので他人や他犬とフレンドリーになるようなしつけが大切。
頭脳明晰で訓練はOK.。
野性味のある体型から想像できるように、いったん野に放せば
敏捷性に優れ、その跳ぶ姿は疾風のごとくで、この甲斐犬ほど
山野に似合う犬はいない。

確かに甲斐犬は二君に交えない武士道を地でいく忠犬だし、日本刀に例えられるほど頭脳明晰だ。
しかしながら甲斐犬には3kイメージ−きつい、怖い、咬みつくといったマイナーな面があるのも事実だ。
とくに猟場において他人を咬んだり、友猟犬とけんかするので、「友人を無くす犬種」だと言われている。
柴犬と比較して甲斐犬の飼育登録数が極端に少ないのは、この辺が原因かもしれない。
甲斐犬愛好家のみなさんが、あまりにも酔いしれて「この性格こそ甲斐犬の本質なり」、
「これでこそ甲斐犬なり」と申されても、あばたもえくぼでは世間には通用しないだろう。
0914人間七七四年2011/02/20(日) 16:16:09.95ID:kHIbRhgP
>>912
武田信玄は犬だったのか!!
0915人間七七四年2011/02/20(日) 16:24:41.07ID:7MUt+Xv+
大月の岩殿山城に登る途中の民家で甲斐犬っぽい犬がいたな
0916人間七七四年2011/02/20(日) 16:25:34.33ID:FwNe6wyD
>>914
それ言うなら信虎だろ!!!

ねえなんで甲斐の人たちって、人も犬もこんなに鬼武蔵ライクなの?
0917人間七七四年2011/02/20(日) 16:31:07.66ID:P9eXwdkG
甲斐犬が一体現れた!


おお914よ 死んでしまうとは情けない…
0918人間七七四年2011/02/20(日) 16:49:37.31ID:tTFXFs/9
               --":::::::::ヽ                 鬼
             ,::´::::::::::::::::::、::::`,               小
で            {:::::::::::::r ''"__ _、::}     甲  痛     島
も           ',:::::"::/   rqrq|/       斐   っ     
ち            !,::、ゝ    J.|        犬   :     弥
ょ             j:,|    -=,|        に   :     太
っ            "j        /.        噛    .く     郎
と            ,┴─`─='.        ま    ね
用         ,, -": : : : : : : 0 : : └-. 、   れ    |
あ       ,‐" : : : : : : : : : : : : : : : : : : : ``i. た   全
る       /: : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : :|: : :| け   .然
し       /: : : : :i : : : : : : : : : 0: : : : : : :|: :| ど   痛
越     /./: : : : :|: : : : : : : : : : : : : : : : | : | 痛   く
後    ,' /: : : : : :,: : : : : : : : : : : : : : : : : : :|: : :|. く   ね
帰     , i: : : : : : / : : : : : : : : : 0: : : : : : : :|: : :| ね   え
る    ; |: : : : : / : : : : : : : : : : : : : : : : : : | : : | え
わ    ; | : : 三i : : : : : : : : : : : : : : : : : : : | : : | わ
      ', , : : : : ,: : : : : : : : : : : 0: : : : : : : :| : : |
        |: : : : :ハ : : : : : : : : : : : : : : : : : : ', : : l
       i : : : : : ,: : : : : : : : : : : : : : : : :/: 〉: :/
      ',: : : : : :, : : : : : : : : : 0: : : : : :/: } :/
       ハ: : : _:_〉: : : : : : : : : : : : : : : :/ヾ
        ィ  ヽ,: : : : : : : : : : : : : /: : : l
         ;|   l: : : : : : : :ハ__/ : : : : '
           l i, i, iヲー──‐': : : : : : : : イ
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          | {’X`丶, |   .|: : : : : : |
          |ゞ、   zN   |: : : : : : |
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-594.html
0919人間七七四年2011/02/20(日) 16:55:54.22ID:FwNe6wyD
ワロタw
0920人間七七四年2011/02/20(日) 18:22:56.29ID:lM2a2qKk
>>914
なにそのジャンプマンガ?
0921人間七七四年2011/02/20(日) 19:20:49.32ID:64Nbr+Xb
戦国時代、他国に恐れられた甲斐の武田軍団
その影に軍用犬として甲斐犬が使われていた事は
あまり知られていない。
甲州流軍学によると武田軍の軍法とは、
まず甲州犬を敵陣に放ち敵を混乱させ、次に小山田勢による投石で
敵の足をとめ、最後に騎馬軍団による突撃で止めを刺すというものだった。

このように先鋒として活躍した甲州犬であるが、警護犬としても優秀で
第四次川中島の合戦で上杉謙信が単騎武田の本陣に斬り込んだ時、武田信玄
の傍らにいた信玄の愛犬「竹虎」が主人の命を救った事は有名である



民明書房刊『戦国時代のトップブリーダー』より
0922人間七七四年2011/02/20(日) 19:41:03.64ID:9NLJ9Rqt
三楽斎がアップを始めました
0923人間七七四年2011/02/20(日) 20:26:52.45ID:Nolio+8m
甲斐犬は、無愛想に見えるけど他のどんな犬よりも主人に尽くすし、
馬鹿に見えるけど実際軍用犬に使われたくらいで頭だっていいんだぜ。
まあ知力体力ともに傑出するも、気性の問題で採用されなかったんだけどな。

http://www.geocities.jp/atommirai/aso/fuji.html

人だろうと犬だろうとやたら周りに噛み付く(しかも離さない)のは、
ご主人様だーいすきなヤンデレメイドみたいなもんで。

本当はいい子なんだぜ。うん、性根は悪い子じゃないんです。山梨県民と違って。
さて犬の話題はこれくらいにしておこうか。
0924人間七七四年2011/02/20(日) 21:59:48.89ID:kY5YI97A
>>921
高橋よしひろ先生に漫画化してもらうか
0925人間七七四年2011/02/20(日) 22:05:09.72ID:hcoJILWV
ある時松平清康が、「是」と言う文字を握りしめる、と言う夢をみた。

不思議に思いこれを占ってもらったところ、「大変な吉夢だ!」と言う。
その理由はこうだ

「『是』と言う文字を分解すると『日の下の人』となります。これを握るというのは
日の下の人をすべ掌握するということ、すなわち天下を握るということです。
松平の家より必ず、天下を握る人が出てくることでしょう!」

清康はこれに大いに喜んだ。後、彼の孫である徳川家康が天下人となること、
誰もが知るところである。

清康の見た「是」の夢、と言うお話。
0926人間七七四年2011/02/20(日) 22:05:47.61ID:DnFIAaCI
>>924
既にそのジャンルは開拓済みです
http://blog.livedoor.jp/textsite/archives/50378957.html
0927人間七七四年2011/02/20(日) 22:24:27.39ID:kY5YI97A
>>926
リアルタイムで読んでたよw
犬に脳外科手術モドキをほどこすんだよね
若い頃の猿とか出てたな
0928人間七七四年2011/02/20(日) 22:38:28.78ID:5RreTH0D
>>921
>民明書房刊
これがなければ信じてたぜw
0929人間七七四年2011/02/21(月) 00:14:25.42ID:8geZNmXQ
>>925
松平の家よりってw
普通夢見た本人がどうこうするだろw



>>921
ねーよw
0930人間七七四年2011/02/21(月) 01:18:19.80ID:w0xBGyAf
勝利賽子・戦吉兆占針盤・大鐘音の他にもまだあったとは

武田信玄・・・敵に回したらこれほど恐ろしい男はおるまい。
0931人間七七四年2011/02/21(月) 01:30:06.05ID:8YxABTNe


>>http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-4068.html
の逸話で知られるように、北条家において「大道寺の九つ提灯」と言ったら武勇の
誉れ、名誉の象徴となる旗指物であった。
それにあやかって、北条家中では提灯を旗指物にする者も多かったのだという。

松田康郷の与力であった山下民部左衛門もその当時、やはり「九つ提灯」にあやか
って「六つ提灯」を旗指物としていた。

しかし天正十三年、北条氏政が皆川氏征伐の為に下野国に出征した際の話である。
同じく北条家中の三好孫太郎が、民部左衛門の旗指物を眼にして声を掛ける。

「アンタが指してる六つ提灯、これには何か謂れがあるのかい?例えば親から継い
だとか……」
「いえ、その様な事はありません。私の好みであり、勇者たらんという決意の現れ
です」

「そうか。だがな、提灯の指物はそんな軽い物じゃねえんだ。俺が初めて手柄を上
げたのは天文の頃だが、それ以来、氏康公に直接声を掛けて褒めていただけるよう
な手柄を七度上げた。そのたびに提灯を一つずつ増やして行き、今はホレ、この通
りだ」

孫太郎が自らの背中を示すと、そこには「七つ提灯」の旗指物があった。

「まぁ、それは俺の勝手な思い入れさ。大した武功もねぇ内から六つの提灯を背負
うなんざ、普通は気後れしちまうもんだが、それを平然としてるのは肝が太い、理
想が高いと褒めるべきかもな」
「…………」


民部左衛門は数日後の戦場にて、大石八郎という大力の侍を討ち取った際、八郎の
首を取るや否や、自らの旗指物から提灯を五つ引きちぎると、「一つ提灯」を背負
って自陣へと帰還したのだという。

0932人間七七四年2011/02/21(月) 01:35:44.67ID:IxFnV1Fh
小田原提灯の由来も北条さんのトコなんかね?
0933人間七七四年2011/02/21(月) 01:41:57.00ID:8m2BbT/E
>>932
小田原提灯【オダワラヂョウチン】
おだわら‐ぢょうちん 〔をだはらヂヤウチン〕 【小田原▽提▽灯】

円筒形で、不用のときは畳んで袂(たもと)または懐中に入れて携帯のできる提灯。
天文年間(1532〜1555)小田原の甚左衛門の創製という。懐(ふところ)提灯。
http://kotobank.jp/word/%E5%B0%8F%E7%94%B0%E5%8E%9F%E6%8F%90%E7%81%AF

天文年間だから氏綱末期、氏康初期くらいだな
0934人間七七四年2011/02/21(月) 16:31:42.08ID:7uzgP5wZ
>>906,908,909,910
こんなに早くレスポンスがあるとは予想外、ありがとう!
秀康の双子だったかも、か
永見貞愛が長生きしてたらどうなってたんだろ?
とにかく興味深い話も聞けたしサンクス!
0935人間七七四年2011/02/21(月) 22:27:09.76ID:M8Izn4y+
時代は下るが
桃太郎侍と松平備前守も双子だからな。
0936人間七七四年2011/02/21(月) 23:40:08.30ID:hTDmhYiJ
上杉達也と上杉和也も双子だからな。
ちなみにネーミングの由来は謙信だったりする。
朝倉・長尾・松平もいたな・・・・・・
0937人間七七四年2011/02/22(火) 00:29:16.34ID:09Bhuv3v
ブリッツとマキバコも双子だからな。
ちなみにみどり牧場の関係者はみんな武田だったりする。
本多・服部・滝川・毛利もいたな・・・・・・
0938人間七七四年2011/02/22(火) 00:35:08.30ID:V6SQDpBL
あの漫画って戦国絡みが大半だったような
0939人間七七四年2011/02/22(火) 00:37:53.15ID:rKRc8A0I
真田繁信って騎手もいたな
0940人間七七四年2011/02/22(火) 00:38:59.72ID:3V9agx/b
テルがちょっと可哀想な子供なんだよなw
0941人間七七四年2011/02/22(火) 01:17:13.00ID:DLDxfB7c
>>931
残念ながら既出かも。
ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-767.html
0942人間七七四年2011/02/22(火) 03:19:49.16ID:KdGcoVKG
>>941
ををぅ……なんたることか。
まとめサイトに反映されないから、どうしたのかと思っていたんですが。

くそぉ、これで三度目だぜ。
毎回、確認はしているつもりなんだけどなぁ。
御眼汚しどころか、ホントにゴミになってしまって申し訳ない。いや、マジで。
0943人間七七四年2011/02/22(火) 03:42:00.49ID:QUoufZ3H
>>942
ドンマイ。俺も何度かやってるw
君の文章好きなので次楽しみにしてるよ。
0944人間七七四年2011/02/22(火) 08:43:33.97ID:8ygyoD2d
>>942-943
三斎「三度目とな。歌仙兼定を持って参れ」
0945人間七七四年2011/02/22(火) 13:07:02.93ID:42FAuTqy
きっと真田信繁と幸村も双子だったんだろうな
二人の逸話がごっちゃになって後世に真田幸村の逸話として残ったに違いない
0946人間七七四年2011/02/22(火) 17:57:19.37ID:SAcMY4k+
>>944
殿、斬りすぎて人数オーバーしてもその銘なのですか?
0947人間七七四年2011/02/22(火) 18:16:01.62ID:519b1JRZ
百人一首兼貞とか果ては万葉集兼貞とかになるのか?
0948人間七七四年2011/02/22(火) 18:58:19.73ID:lZBNHHnr
武田家に『奥近習六人衆』と呼ばれる男たちがいた。甘利左衛門、土屋右衛門、三枝勘解由、長坂源五郎、
そして曽根内匠と武藤喜兵衛のことである。
いずれも次代の武田家を担うと見込まれた男たちであり、特に内匠と喜兵衛は今川領侵攻戦において
物見・先鋒として衆目を驚かす活躍を見せ、信玄に「内匠と喜兵衛は、わが両の眼」とまで言わしめた。

将来を期待された六人だったが、その後それぞれ劇的な人生を歩んだ。

甘利左衛門は、要衝・上野箕輪城を任され出世頭となったが、落馬事故がもとで早くに世を去った。
土屋右衛門と三枝勘解由は、長篠の露と消えた。
長坂源五郎は、義信事件に連座して死んだとも、父・釣閑斎とともに勝頼の馬前で果てたともいう。

残る二人、駿河興国寺城を守っていた曽根内匠は、武田崩れの際に徳川家康の軍門に下り、
兄たちを長篠で失った武藤喜兵衛は、真田安房守昌幸と名乗り、実家の名跡を継いだ。


天正13年(1585)8月、押し寄せる徳川軍を上田城で迎え撃った昌幸は、辛くもこれを撃退した。

徳川軍には武田旧臣も多く参加しており、昌幸が去って行くその背中を櫓上から見つめていると、嫡男・信幸が
報告にやって来た。日ごろ冷静沈着な信幸も、思わぬ大勝に興奮しながら語った。

「いや〜しかし、何とか勝ちましたな!それにしても、武田の旧臣どもの腰の抜けた様ときたら。
『信玄の両眼』などと言われし曽根内匠も、今日は槍を引きずって逃げて行きましたぞ!」

「たわけ。
わしから見れば、内匠の逃げっぷりは、お前たちの追撃の仕方よりも上手であったわい。
(内匠が逃ふりハ、おぬしらが追よりハ増して見えし。)
立場が逆なら、お前たちなんぞとっくに内匠に討たれておるわ。」

昌幸の言葉により熟練の士としての評判を保った内匠は、のちに蒲生氏郷の懇請により蒲生家に仕え、
会津若松城の縄張り等にも参画し、奥州にもその名を轟かせたという、比興者の友情?の話。
0949人間七七四年2011/02/22(火) 20:13:37.16ID:DAvt/LVK
元亀元年の信玄による駿河花沢城攻め
三枝勘解由、曽根内匠、武藤喜兵衛の三人が共に城門に詰め寄り
一番槍は三枝勘解由だったが二番槍は曽根内匠と武藤喜兵衛だったそうな。
0950人間七七四年2011/02/22(火) 21:27:09.39ID:WqW1caRX
いまさらここで言う程のことではないかもしれないが
武田で近習と言えばやっぱりそういう関係があったのかなと思ってしまう
0951人間七七四年2011/02/22(火) 22:25:19.19ID:vtrdKpLz
ウホッ
0952人間七七四年2011/02/22(火) 22:36:07.66ID:8ygyoD2d
        ,、r‐''''''''''''''''ー 、
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0953人間七七四年2011/02/22(火) 22:36:50.30ID:lUl7ZWDf
つるマン大好き畠山さんちぃーっす
0954人間七七四年2011/02/22(火) 22:40:58.04ID:0oPze45R
よし畠山をいまだに使ってるホモ野郎はいないな
0955人間七七四年2011/02/23(水) 00:00:51.81ID:pGVFFn9O
河内の畠山家で家督問題があった時、つるマン先生が候補に上がったけど、無能だから結局スルーされた
0956人間七七四年2011/02/23(水) 01:23:22.26ID:d687VlU/
これって本当に畠山義続なのか?
0957人間七七四年2011/02/23(水) 10:32:42.01ID:ewRy8FQy
>>914
武田信犬
0958人間七七四年2011/02/23(水) 19:21:22.18ID:vdPdQ0B1
>>956
あくまで推定で、断言する段階じゃない。
0959人間七七四年2011/02/23(水) 19:25:12.44ID:Wn8666Dd
有名な足利尊氏の肖像画はどう見ても足利尊氏では無いね
0960人間七七四年2011/02/23(水) 19:55:58.84ID:sHX13SSe
織田信長は織田信成にソックリだね
0961人間七七四年2011/02/23(水) 22:14:49.01ID:j2+rYow3
デアルカ
0962人間七七四年2011/02/23(水) 23:51:00.81ID:yQRn7W8T
>>907

甲斐犬のどこが獰猛なんだ?
いまも横であくびしながらテレビ見とるぞ・・・。


0963人間七七四年2011/02/24(木) 00:07:20.10ID:nrv3cI8P
写真うpしろ
0964人間七七四年2011/02/24(木) 00:07:27.54ID:LjbneSLB
>>962
飼い主(甲斐主)には大人しくしとこうってことだよ。言わせんな、恥ずかしい。
0965人間七七四年2011/02/24(木) 00:34:05.94ID:wxJzJ4N0
誰かあるか。>>964に座布団を持て
0966人間七七四年2011/02/24(木) 00:47:48.95ID:1DCjvkL+
森長可「しゃあねーな…」
0967人間七七四年2011/02/24(木) 10:30:12.95ID:+btdGJvw
読売新聞に載ってたやつなので転載になるが・・・。

「身上之義〜まーくん、息子の就職を心配して口利きをしてもらう」
高知市の旧家で、伊達政宗から、徳川家家臣本多正純に宛てた長男秀宗の、今でいうところの就職斡旋依頼書(口利き依頼書?)みたいな書状が見つかったそうな。宇和島藩の成立と政宗の冬の陣参戦にも関係している書状らしく、
時代は大坂冬の陣の頃(慶長19年)1614年の11月10日付けで、徳川家康が大坂冬の陣に向かうため二条城に居たときに書かれた書状らしい。

内容としては、「うちの息子(秀宗)が秀吉の傍にいた経緯もあった上に、側室の子なので役職に就けなかったから、本多さん、両御所(家康と秀忠)様にお願いして何とかしてください。返す返すお願いします」

と念を押した内容だそうな。
徳川幕府の公式記録「徳川実紀」に書かれたものによると、この日に二条城で家康と会って翌日の軍議にも参加。この時に本多正純に根回ししたものと言われており、それから伊達親子は冬の陣に参加し、その功績から秀宗は宇和島藩を貰うことになる。

どの時代も自分の子供の就職を心配する親はいるもんなんですねぇ・・・。
0968人間七七四年2011/02/24(木) 12:31:34.06ID:piSKvOMi
そしてまーくんに甘やかされ過ぎた末っ子が伊達騒動をおこすっと
0969人間七七四年2011/02/24(木) 21:12:22.89ID:LjbneSLB
>>965
座布団より>>962のわんわんおの画像をいただければ頭をひねった甲斐が(ry
あ、森さま、直家公より握り飯を頂戴しておりますがおひとついかがでしょうかw
0970人間七七四年2011/02/25(金) 01:14:41.59ID:qCs374Pj
山内一豊も、弟の処遇を家康に頼んで(自分の家臣にすればいいのに)、旗本→武州指扇城主にしてもらってる。
栄えた当主の務め的なところもあるんだろう
0971人間七七四年2011/02/25(金) 04:04:33.53ID:RIOyyr4j
個人的に忠宗より秀宗の方が政宗の息子らしい感じはするけどな

秀宗が家継いだらどうなったかな
たいして変わらんか
0972人間七七四年2011/02/25(金) 06:02:41.15ID:U252Cr3w
>>967
>どの時代も自分の子供の就職を心配する親はいるもんなんですねぇ・・・。

そこまでやったのにその息子は後に和霊騒動起こして政宗公を激怒させると・・・・・・。
親の心子知らずとはよく言った話ですわな。
0973人間七七四年2011/02/25(金) 06:36:47.29ID:TDAkbb7u
まあ政宗なりに秀宗に負い目を感じていたのも確かなんだよ。
和霊騒動後に率直に話し合って和解もしたわけだし。
殺された山家公頼一族はお気の毒様だけどね!

忠宗は輝宗的な優等生だな。政宗が頭の上がらない男とはそういうタイプ
のようであり、あるいは故父を意識して教育したのかも知れない。
0974人間七七四年2011/02/25(金) 06:37:50.30ID:BPp6Ojwe
甲斐犬、山中湖近くの忍野八海ってとこにいるのを見た。
まだ子犬だったが、そんなに猛々しい犬だったのか。
やけにおどおどしていて、全然強そうに見えなかったな。
0975人間七七四年2011/02/25(金) 13:48:54.48ID:uKX1E9Oe
>>974
最近は日本犬でも大人しさを優先して繁殖させてるから
むかしは凶暴だった犬種でもだいぶ飼いやすくなったよ。
0976人間七七四年2011/02/25(金) 18:04:09.52ID:Ln8LUYq6
そのわんこ凶暴につき
0977人間七七四年2011/02/25(金) 21:04:55.14ID:RIId7T2o
葉っぱの船に偶然乗ったハッチ、爺、カメムシの雌、テントウムシの子供の男女、肉食のアリ、死体喰いのエンマ虫。

海に出た。いきなり漂流映画始まった。救命艇の上での密室劇。やばい。渋い。ポセイドンアドベンチャー的な

ハッチ開始5分で二回キチガイって言った。ていうか全部で5回くらい言った。

ハッチ漂流船での食人展開来た。さすが虫けら、倫理のカケラもないな。最高だ。狂ってるな。

地震で自分の卵を亡くして気が狂ったカメムシの母親が拾ってきたさなぎを赤ん坊と間違えてキチガイ可愛がりをしてる。

クロアリのオジサンがその蛹を食おうとしている。カメムシをかばうハッチ。

ハッチを殴ってカメムシをキチガイと呼ぶ大人。もうだめだ。



てんとう虫の子供兄妹が漂流船でジャンケン遊び。ハッチが仲間入りしようとしたら妹が

「私たちは共食いをするの。じゃんけんで負けた方が食べられるのよ。問題ないでしょ」と明るく答えた。

なにこの地獄アニメ。バトルロワイヤルよりヒでえ。

兄妹が仲良くて幸せだった頃の回想シーンやめろ。なぜ虫が人の言葉を使うんだ。

本能で動いてる虫のくせに悩むから、余計きつい。ハッチが空腹で幻覚見てる。

恵みの雨がきたら、嵐はじまた。地獄だ。

食べないでとっておいた蛹から蝶が生まれた。即座に飛んでどっか行った。

爺虫「エンマ虫さん私の死骸をあげますから、子供たちを食べないでください」→爺死。

エンマ虫「蝶が生まれるのを見たらなんか、爺を食う気にならねえ」

蟻「俺も食べたかった蛹から蝶が生まれた時、ちょっと良かったって思った」

→全員疲労状態マックスで殺し合いすらできない餓死寸前。

助けた紋白蝶が渡りの仲間の大群を連れてきて漂流船を運んでくれた。デウスエクスマキナか。

いや、伏線やってたか。辛うじて救いかな

昆虫物語 みなしごハッチ 60話実況 漂流共食地獄 - 【逆襲の】玖足手帖【シャア】
ttp://d.hatena.ne.jp/nuryouguda/20110209/1297244828
0978人間七七四年2011/02/25(金) 21:17:38.11ID:MqUlyjYr
>>973
親父よりはお袋さんに似たのかな >忠宗
あれだけ自由な父親じゃ色々困らされただろうに
ケンカしたり嫌ってたりした形跡を見たことがない
0979人間七七四年2011/02/25(金) 21:54:27.56ID:25roWutc
細川忠利「・・・」
0980人間七七四年2011/02/25(金) 23:58:16.70ID:CDs81fSk
葉隠はこうでなくっちゃ!

山本常朝
「敵に首を打ち落とされても、そこからさらに一働きは出来るものだぞ。
新田義貞の最期(矢が眉間にあたり、自ら首を切り深泥に隠して後死す)がその証拠だ。
心が不甲斐ないから、一矢報いぬままだというのに倒れてしまうんだ。
最近では大野道賢の目覚ましい働き(大阪夏の陣後、堺の町を焼いた罪により火あぶりにされたが、
火あぶりにかけられながらも身じろぎせず、
焼死したところを確認する検使が火の始末を始めたところ、
焼死体に見えた道賢が飛び掛かり脇差を抜き取り、
一突きに殺した途端、たちまち灰になって崩れ倒れた。)を見るがいい。
これは、何かしてやろうと一筋に思いこんだ結果であろう。
武勇のためには、怨霊にも悪鬼にもなってやるぞ!と、
人並みはずれたふてぶてしさを心に持てば、


首が落ちても死ぬはずはない!!
0981人間七七四年2011/02/25(金) 23:59:59.53ID:UXi8VYEa
ちょっと待て
これはいい話なのか?
0982人間七七四年2011/02/26(土) 00:00:51.16ID:WrN7CRq/
ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-4615.html
大野道犬斎治胤の執念
新田義貞の話は無いが、既出っぽい
0983人間七七四年2011/02/26(土) 00:08:46.22ID:Sq51FbAX
>>981
たしかに微妙ですが、心意気の面でw

>>982
鍋島武士から見た大野道賢。関連した逸話ということでお許しください
0984人間七七四年2011/02/26(土) 00:30:25.41ID:y+WGegrb
こっちもそろそろ新スレだね。立ててみる
0985人間七七四年2011/02/26(土) 00:32:39.96ID:y+WGegrb
だめだった。どなたか頼みます

↓スレタイ

戦国ちょっといい話25


↓テンプレ

戦国のホロリとくるエピソードを挙げていこう

戦国ちょっといい話・悪い話まとめブログ
http://iiwarui.blog90.fc2.com/
書き込む際にネタがかぶっていないかなどの、参考にしてください

前スレ
戦国ちょっといい話24
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1293251214/

姉妹スレ
戦国ちょっと悪い話25
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1298639461/

鎌倉・室町 ちょっといい話・悪い話
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/history/1286650888/

このスレの武将などに対する愛称等の、用語解説はこちら
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2161.html

逸話に対する過度の真贋論争、揚げ足取りなどは、無駄に荒れるもとになります。
そのような議論はこちらでお願いします
【真?】戦国逸話検証スレ【偽?】
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1196778610/
0986人間七七四年2011/02/26(土) 00:48:40.82ID:H+4rDOmp
あいよ
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1298648878/
レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。