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戦国ちょっといい話24

レス数が900を超えています。1000を超えると表示できなくなるよ。
0001人間七七四年2010/12/25(土) 13:26:54ID:U0HLGF9L
戦国のホロリとくるエピソードを挙げていこう

戦国ちょっといい話・悪い話まとめブログ
http://iiwarui.blog90.fc2.com/
書き込む際にネタがかぶっていないかなどの、参考にしてください

前スレ
戦国ちょっといい話23
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1288278217/

姉妹スレ
戦国ちょっと悪い話24
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1292026893/

鎌倉・室町 ちょっといい話・悪い話
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/history/1286650888/

このスレの武将などに対する愛称等の、用語解説はこちら
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2161.html

逸話に対する過度の真贋論争、揚げ足取りなどは、無駄に荒れるもとになります。
そのような議論はこちらでお願いします
【真?】戦国逸話検証スレ【偽?】
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1196778610/
0833人間七七四年2011/02/17(木) 00:22:01ID:94ILP934
ゴリ押しで豊臣の奉行公認で信濃にほぼ倍の石高で戻してもらって「家康殿のおかげ(キリッ」と言い放つ奴にそんなウェットな感情論は無いと思う。
0834人間七七四年2011/02/17(木) 00:27:30ID:bgIVk3f2
>>832
徳川と戦ったのはあくまで秀吉に与力したというだけで、お互いに敵対したかったわけではないし、
その意味で仇ではない。また痛い目にあったからこそその人の実力がわかるって部分もある。

戦国大名は狼の群れみたいなもんだ。噛み付かれて彼我の差を知って屈服するんだよ。
0835人間七七四年2011/02/17(木) 12:44:42ID:WE5R798n
>832
え、兄をぬっころしててくれたおかげで当主になれたのだから感謝するだろ。
0836人間七七四年2011/02/17(木) 12:55:19ID:HhkQrD2J
ふぅ危うく商人の嫁にされるところだったぜ、ですね。
0837人間七七四年2011/02/17(木) 13:21:45ID:UEfCrLOx
池田恒興を討ち取った永井直勝は1万石になれたけど
長可を討ち取った誰かはどうなったんだろう。
0838人間七七四年2011/02/17(木) 14:59:30ID:9l560cQ8
>>832
完璧超人立花宗茂は旧敵の小早川隆景を義理の親にしてるし
親父を殺した島津とは共に西軍で戦った仲間としてるんだから
立場が変わればそんなもんだろうといえば優等生の宗茂ゆえに逆に胡散臭く聞こえるが

戦国期トップレベルのDQNの弟と戦国期トップレベルの優等生が同じような思考をしているから
これが戦国時代の常識なのではと思った
0839人間七七四年2011/02/17(木) 15:40:52ID:HhkQrD2J
>>837
鉄砲だでなぁ
0840人間七七四年2011/02/17(木) 15:55:05ID:9GYbjDFc
戦場での命のやりとりだと仇とか遺恨はあまり残らないんじゃないのかな?
0841人間七七四年2011/02/17(木) 16:19:30ID:ApE85CDP
>>840
ビジネスですから
0842人間七七四年2011/02/17(木) 18:05:52ID:+hSGBrCV
死ぬ時にこそ生き様を見せつけるようでなくては。
名のある相手に討ち取られたのはむしろ喜ばしい事なんだろう
0843人間七七四年2011/02/17(木) 18:48:11ID:94ILP934
>>839
ついでに首も森家の人間に持ち去られたからなぁ・・・
0844人間七七四年2011/02/17(木) 19:07:52ID:zkuO4Yhw
>>822
意味を読み取れず本気でそこ突っ込むお前の程度はさらに低いよ。

ヲレの即興の作り話しに100以上の拍手したり大量のコメント残したりとここの奴らは プッ
これからもヲレの妄想逸話で猿を喜ばしてやるからね プッ
0845人間七七四年2011/02/17(木) 20:05:06ID:zlxEqfjF
名古屋城普請の清正。

名古屋城普請を命じられた清正は普請に熱心に取り組んだ。

清正はよく普請のそばで行われる市場に顔をだし、市場まる事買う事がよくあった。

そして大きな仕事の前はここで買った品(酒、食料、日常品など)を大盤振る舞いしたという。

清正の故郷も近い事もあり大勢の人が集まり、市民や他国の家臣も参加してこの宴会は毎回大騒ぎになっていた。


そして大工事当日は美少年5、6人に華美な小袖羽織を着せ、現場を見回った。
この少年達、余程見栄えがよかったのか

「およびなけれど万松寺の華を、折りて一枝欲しうござる」
(近くにある万松寺の美しい花になぞらえた美少年を褒める歌?)


この様な歌が流行り美少年を一目見たいと大勢の女性が加藤家の屋敷に集まった。

清正は彼女等を屋敷に入れ、少年達を披露し酒を振舞い楽しんでいたという。

藤原惺窩も現場で清正等一行の工事を見ていた。惺窩の従者は清正のあまりの放蕩振りに驚き

従者「全く肥後殿は何を考えているのか。このような事をしていては普請など上手くいく筈もなかろう」っと呟いた。

それを聞いた惺窩は

「それは全く見当違いな話だ。天下は徳川家というご時世だ。他の者が徳川家に睨まれまいと規則通りに仕事をするのに
肥後殿はあのように堂々とした振る舞いをしている。工務も決して遅れてはいまい。
それにな、ああやって現場で仲間を増やしておけばいざという時に役に立つものだ。
このような事が出来るのは今や肥後殿だけだろう。度量のある武士とは彼の様な者を言うのだ。
大御所様の御目に掛かるのもこれだけ観て十分わかる。」

っと清正の度量に感服したそうだ。

名古屋城築城後は
音にきこえしなごやの城を、踏みやならいた肥後の衆が
という歌が流行し名古屋での清正の名声は高まったという。

ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-1857.html

こういう事故が起こっても普段から必要経費(保険)をかけておけばなんとかなる!っという
清正の人心把握術のお話。
0846人間七七四年2011/02/17(木) 20:39:10ID:actGTBWO
>>837
>>839
>>843
でっちあげようとしてpgrになった逸話が前あったような…
0847人間七七四年2011/02/17(木) 20:45:03ID:urLfUhv7
>>845
実際名古屋城には清正が普請現場で激励してる石像があるな
0848人間七七四年2011/02/17(木) 21:02:06ID:XF4zCo0q
>>840
富田長繁「元敵には遺恨は残りませんな」
0849人間七七四年2011/02/17(木) 21:55:08ID:8TMNEi/X
まあ犬死にみたいな事にされた秀吉より家康のがましかと
0850人間七七四年2011/02/17(木) 21:59:54ID:94ILP934
>>846
そんなんあったっけ?
0851人間七七四年2011/02/17(木) 22:19:56ID:sbxiq9zv
徳川家康は家臣に重い役目を申し付けるとき、必ず先にその下で働く者たちの
意見を聞き、その人々が支持する者をその役職につけるようにした、という。

勿論これには理由がある。

「人の上に居る人間は惣じて、人の善し悪しが見えにくくなっているものなのだ。
何故ならどんな人間であっても、上の者の考えに合わせそれに迎合し、上の人間に
気に入ってもらおうとしてしまう。これは人情というものなのだ。

そのためその者の本心は非常に見えにくく、どんな賢明な君主であっても、
上からの視点ではその善悪を判断しずらくなってしまうのだ。

よって実際に下で働く者たちの意見を聞くことで、上からの視点では見えないものを
補うことができるし、また下の者たちも、自分たちの意見が汲み上げられた上役ということで、
その下知にもよく従うようになるのである。」

家康の人材の使い方の一端についてのおはなし。
0852人間七七四年2011/02/17(木) 22:41:01ID:G9k4U7kR
>>851
実際は現場に顔を出して
「お前達の替わりに番をしてるから遊んで来いよ」
と下の者にプレッシャーを与えるけどね
0853人間七七四年2011/02/17(木) 23:06:41ID:8SDk0+qZ
>>845
下で働くもんとしては、こういう大盤振る舞いやってくれる大将のが仕事も精が出るだろうなあ
0854人間七七四年2011/02/17(木) 23:28:52ID:wdf+id6r
>>851
戦略拠点を任せておいて「柱の傷〜」とか理解不能なイチャモンつけて怒るけどな
氏康歴史資料館でも作れば良かったのかと
0855人間七七四年2011/02/17(木) 23:33:01ID:4ZYnF/O8
理想の上司ですな。ジミ加藤さんはこういう事やりますかね?
0856人間七七四年2011/02/17(木) 23:33:40ID:0/P6lueW
>>851文句だらけの市松さんとは偉い違いだなw
0857人間七七四年2011/02/17(木) 23:35:41ID:wwDKOgz1
↑もそっと詳しく!


>ああやって現場で仲間を増やしておけばいざという時に役に立つものだ
どんな「いざ」だよw
0858人間七七四年2011/02/17(木) 23:41:34ID:yg5qQ8QK
>>845
男で美少年が好きでも白い目で見られない、昔は良かったなぁ
っていい話にしか思えぬ!
0859人間七七四年2011/02/17(木) 23:44:04ID:9Wfc3Vrx
>>854
お前それはいちゃもんでもなんでもないだろ
例え傷物の柱だって逸話つきの立派な文化遺産だぞ?
0860人間七七四年2011/02/17(木) 23:45:01ID:sbxiq9zv
>>858
むしろ武士の場合女にデレデレする方が白い目で見られた。
衆道は武張って男らしい趣味だと考えられてた。
0861人間七七四年2011/02/17(木) 23:52:25ID:yg5qQ8QK
>>860
バイにはたまらん時代だぜ…。
0862人間七七四年2011/02/18(金) 00:17:51ID:5GhEqUAa
>>855
地味加藤さん、松山築城では城下のおたたさん(魚を売り歩く女性)に協力を仰いだり
嫁さんが炊き出しに出たりと、なんだかアットホームなアプローチをしているね。
(ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3837.html参照)

築城予定地の勝山に棲んでいた八百八狸の頭・隠神刑部と、

「狸に危害を加えない代わり狸もお城を末長く守る」

と言う約定を結んだ、なんて伝説もあって、
これが二百年後のお家騒動を元にした講談『松山騒動八百八狸物語』
に繋がるのはまた別のお話。
0863人間七七四年2011/02/18(金) 00:25:37ID:aMuUUD2B
平成狸合戦もまた別のお話
0864人間七七四年2011/02/18(金) 00:28:07ID:5GhEqUAa
訂正・二百年後のお家騒動→百三十年後のお家騒動
   …二百年後は講談成立時期でした
0865人間七七四年2011/02/18(金) 09:45:51ID:o4FGuh/V
>>857
石が落ちても誰もしゃべらないってことだなw

しかも幕府の役人まで半ば見て見ぬふりだしw
0866人間七七四年2011/02/18(金) 17:48:24ID:koAYKGx9

鍋島勝茂が徳川家光に従って上京した時の話である。

勝茂が泊まっていた宿舎に、若年寄の永井尚政から書状が届いた。
それに対する返書を持たせ、相浦源左衛門を永井家の宿舎に送り出す。

が、あいにくと永井尚政は二条城に登城しており、宿舎を留守にしていた。
取次ぎの者からそれを聞くと、源左衛門はそのまま、二条城へと直行してしまう。

勿論、何のアポもなく二条城に入る事など出来はしない。
源左衛門はただただ、勝茂に言われた「永井殿に届けてくれ」という言葉のみを考
えており、その辺りの手続きは一切考慮していなかった。

門の前で衛兵に止められる。当然である。それどころか侵入を企てた怪しい奴、と
して拘束されかかってしまう。
「私は怪しい者ではありません!鍋島信濃守(勝茂)の使いとして参りました。永
井様にお目通りを致したいのです!」

当然、何のアポもなく城で執務中の幕臣に面会など出来はしない。
だが、「鍋島家の臣」と言われると、門番としても自らの一存で拘束してしまって
良いものか、少々不安になってくる。


そんな時に、門前での騒ぎを聞きつけ、一人の男が城から出てきた。
「どうした、何の騒ぎなのだ?」
「岡部様! これは良い所に。この男が鍋島家の使者を名乗り、ここを通せと言って
おるのですが……」
「なんだ、信濃殿のお使いとな。それなら私が手紙を預かろうではないか」

いかにも身分の高そうなその男は、気さくな感じでそう言うと、手紙を寄越せと手
を差し伸べる。
しかし……

0867人間七七四年2011/02/18(金) 17:49:16ID:koAYKGx9


「いえ、この手紙は主君に預けられた大事な手紙でございます!いかに身分の高い
御方であろうと、見も知らぬ御方に預ける事など出来ませぬ!」

源左衛門はその手をあっさりと拒絶。

「え……? 知らない? 私の事を……? お前、鍋島家の者で……永井家に使者に立
つ位には重用されてる者なんだよ……ね?」

呆然とした男。それもその筈、この身分の高そうな男、大垣城主・岡部長盛の嫡子、
岡部宣勝であった。
そして実は宣勝は鍋島勝茂の妻の弟。主君の義理の弟なのである。

義兄の家臣が困っている様子だったからと声を掛けてあげた宣勝、何故か自分が誰
なのか、勝茂との関係がどうなのか、社会的にどの程度信用出来る人間であるのか、
一生懸命に源左衛門に説明する羽目となってしまった。

漸く納得してくれた源左衛門から手紙を預かった宣勝は、手ずから城内の永井尚政
に手紙を届け、返書まで持ってきてくれるという良い人ぶり。
それどころかその日の晩、義兄の許を訪れた宣勝は、

「二条城での騒ぎを聞きましたかな? あの男、愚直に過ぎる所はありますが、中々
の器量ではないですか。私は気に入りましたな、是非、目をかけてやってくだされ」

と勝茂へのフォローまでしてやった。
将軍が滞在中の城で騒動を起こしてしまった源左衛門、もうこれは切腹しかない、
と思い詰めていたのだが、宣勝のフォローによって世間の評判はむしろ高くなった。
勝茂からもこの件へのお叱りは一切なかったと言う。


>>http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-4528.html
>>http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2624.html

というキッツイ逸話持ちのお姉ちゃんの弟さんのお話。
……お父さん、育て方間違えたんじゃない? 逆! 性格逆でお願い!!
0868人間七七四年2011/02/18(金) 18:01:30ID:KURTc/d/
性格がいいだけじゃなくて名君やね岡部宣勝
0869人間七七四年2011/02/18(金) 20:13:18ID:EOsgiZcA
勝茂相手だけじゃなく、誰彼かまわずああいう態度で接していたような気がしてくる。そんな鍋島家の家臣たち・・・
0870人間七七四年2011/02/18(金) 23:01:24ID:IosbNlWN
ああいうお姉ちゃんの下だから、こういう弟になったのかなあw
0871人間七七四年2011/02/18(金) 23:22:27ID:1wshhUje
勝茂の胃もきりきり痛んだことじゃろうて
0872人間七七四年2011/02/19(土) 01:33:19ID:Rc+iCtKp
加藤清正が尾張津島の親戚の家にいたの事である。突然、家に泥棒が押し入り、家の者を縛り上げてしまった。
ところが清正だけはとっさに鬼の面と短刀を手に取り、道具箱の中に隠れた。
盗品を村外れまで運んだ泥棒がその道具箱を開けると、鬼の面をかぶった清正が飛び出してきて、たちまち泥棒の一人を
切り捨てたため、残りの者達は
「鬼じゃ!鬼が出た!」
と驚きのあまり一目散に逃げてしまったという。
清正少年、泥棒を撃退したいい話。
0873人間七七四年2011/02/19(土) 01:50:30ID:NMqjuvxE
当時のお面って神事や儀式に使う神聖な道具ではないのか?
現代のお面とは感覚が全然違うような
0874人間七七四年2011/02/19(土) 02:30:57ID:Vzchav0y
姓は虎退治。名は清正!
0875人間七七四年2011/02/19(土) 02:40:20ID:x53vzWWY
清正「悪い子はいねが〜!」
泥棒「天狗じゃ、天狗の仕業じゃ!」
0876人間七七四年2011/02/19(土) 08:41:41ID:nkhfZZQR
始めから斬ればいいのに
0877人間七七四年2011/02/19(土) 09:49:16ID:Qu8k2yhJ
それじゃぁ逸話に成らない
0878人間七七四年2011/02/19(土) 11:35:31ID:66LlXUkg
>>873
神聖である、信仰しているということはむやみに畏れ遠ざけることじゃないし、子供は昔から怖いもの知らず。
また、鬼神の力を借りるという意思で被り、一種のトランス状態になって恐怖を克服するのはありうるよ。
トランス状態って要するにぶっちゃけ思い込みによる自己神格化な訳で、立ち向かう勇気は溢れると思う。
0879人間七七四年2011/02/19(土) 12:41:41ID:NMqjuvxE
>>878
なるほど〜!
本当にそういう意味で清正がお面被ったように思えてきたよ。
文字通り鬼になったわけだね。
女性が化粧すると気が強くなるのと一緒かな。
0880人間七七四年2011/02/19(土) 13:54:41ID:Zs+jCVpr
>>879
ウチのヨメはスッピンでも気が強い
0881人間七七四年2011/02/19(土) 14:58:14ID:3Cyaw363
(´・ω・`)

うん、>>880の前世は福島正則なんだよきっと・・・。
0882人間七七四年2011/02/19(土) 15:09:07ID:U0tR2LXG
>>880
そりゃぁ、山ノ神なんだから当然じゃね?
0883人間七七四年2011/02/19(土) 15:37:06ID:vAuCsby+
>>878
そういうことはあるだろうね。
鈴木大拙の「日本的霊性」にも念仏宗の信徒(若い娘)が、
お伊勢参りの道でヤマイヌの群れに囲まれたときに、
もうダメだと思って無心で南無阿弥陀仏を唱えたらヤマイヌが退散したという話があった。
無心の気迫が通じるみたいなことなのだろう
0884人間七七四年2011/02/19(土) 18:59:07ID:Yb3xM0DT
>>880
女性と妻もしくは母は違う生き物だと思うんだ
0885人間七七四年2011/02/19(土) 19:38:57ID:x53vzWWY
化粧とる前→女性
化粧とった→化け物
0886人間七七四年2011/02/19(土) 19:39:16ID:Ml1bUh2M
>>880
兄貴、金送ってくれ。
0887人間七七四年2011/02/19(土) 19:59:02.23ID:pjcD1Dyt
>>886
頼むから、高野山でおとなしくしててくれよ。
0888人間七七四年2011/02/19(土) 20:00:33.09ID:ecpPsbQH
九度山だろ
0889人間七七四年2011/02/19(土) 20:27:46.11ID:QwY8JaJd
>>878
仮面のように白粉を塗りたくってトランス状態で尾張に侵入したら第六天魔王に出会ったでござる
0890人間七七四年2011/02/19(土) 20:35:20.60ID:Rc+iCtKp
ある男が幼いころ、よその家に忍び込み果物を盗もうとしてその家で飼っていた犬に追い立てられた事があった。
だがその犬を男は返り討ちにして殺し、草履を無くした上に手足に血をつけて帰宅した。

その様子を見ていた母親から問い詰められると、男は犬を殺した事は認めたものの果物を盗もうとした事は認めようとはしなかった。
そんな男を母親は家の仏間に連れて行き、父親の位牌を前に

「父上はいつもそなたを見ている。嘘をつけば地獄に落ちる。」

と諭した。この言葉を聞き男は猛烈に反省し、信仰を深め、清廉潔白な人物に育ったと言う。
この男は後の加藤清正である。
0891人間七七四年2011/02/19(土) 21:03:52.80ID:qh1TmXW3
虎だけじゃなく犬も殺すんだな
0892人間七七四年2011/02/19(土) 21:11:01.15ID:Y549yEgw
清正が殺したもの

人間

朝鮮人
犬←new
0893人間七七四年2011/02/19(土) 22:20:43.40ID:ClsIMj26
>>清廉潔白な人物に育ったと言う。

>>清廉潔白な人物

>>清廉潔白
0894人間七七四年2011/02/19(土) 22:23:18.17ID:1PA64pC+
加藤清正鬼シリーズ

天正20年(文禄元年)(1592)、文禄の役、朝鮮に出兵した播磨・三木城主の中川秀政は10月24日、
現地での鷹狩の最中気がついたら敵兵に囲まれていた、と言ううっかりプレイで討死。
享年25歳であった。

さて、主君のあんまりな死に嘆き悲しんでいる中川家の家臣のところに加藤清正がやって来た。
そしてこの家臣に品物を手渡した。その品物を見て驚く家臣に清正

「これを与える。これで元気を出せ!」

「あ、あの、これは…?」

赤鬼の面であった

「この地で手に入れたものだが、おぬしに渡す!何時までもくよくよするのではないぞ!」

「は、はあ…」

家臣はよく解らない。何故赤鬼の面なのか?どうして赤鬼の面が自分を慰めることになるのか?
ただ単に清正が赤鬼の面が好きだというだけではないか?
様々な疑問をかかえ、ともかくもその家臣は赤鬼の面を持って帰国した。
が、だからと言ってこれをどうしたものかよく解らず、そのまま放置し、そのうちこの家臣も死んだ。
後継ぎなどにもその面についての言及はなく、完全に忘れ去られた。

時は流れ延宝3年(1675)、この家臣の子孫がたまたまこの面を見つけた、しかも清正の
寄進状と共に。こんなモノにもちゃんと寄進状を書いていたのですね清正公。
だが、やはり子孫もこれをどうしていいのか解らず、地元の月輪寺へと奉納した。

そのうちに月輪寺が赤鬼面と対になる黒鬼面を購入し、これを用いて鬼追いの祭礼を
行うようになった。これは「三木・大宮の鬼追式」として、現在も大宮八幡宮と月輪寺にて
神仏習合の祭礼として行われている。

清正寄進の面、なんだか色々あって祭礼となる。と言うお話。
0895人間七七四年2011/02/19(土) 22:27:54.54ID:awBWDt7y
マス大山もアドバイスしてたぞ
「熊と戦う前に、牛か、せめて犬と戦ってからにしろ」って
0896人間七七四年2011/02/19(土) 23:02:08.85ID:SeT607j4
地元に伝わる伝承を一つ



後藤又兵衛が生き延びていた、という話は又兵衛桜が有名ですが

愛媛県の松前町にも、又兵衛が逃げ延びてきたという話が伝わっています


大阪からなんとか脱出した又兵衛は、旧友の加藤嘉明を頼ってこの地を訪れました

徳川家からの捜索を逃れるため、名を弟の市郎右衛門と偽り、百姓となったそうです

百姓となった後は、地域の開拓に尽力し、寛永11年にその生涯を終えます

今でも後藤新田、後藤の堰などの事跡が残っています


http://shikoku-net.co.jp/ehime/kankou/iyogun/masakikankou.htm

↑参考にさせていただきました

又兵衛夫婦のものとされる墓の写真もありますよ


個人的に「旧友の加藤嘉明を頼って」という部分が気になります

又兵衛の主君と仲良かったから交流はあったと思いますが…

なんとなく相性悪そう
0897人間七七四年2011/02/19(土) 23:05:44.83ID:o1BraLN+
問題は大坂の陣の時にはすでに加藤嘉明は居城を
松前城から松山城に移していることだが
昔の居城近く、というならありか
0898人間七七四年2011/02/20(日) 00:11:34.18ID:zIpvnBRW
>>896
そこ伊予に旅行行った時行きましたわー。

そう遠くない同県伊予市の長泉寺にも後藤又兵衛の墓があって、
こっちは生存説ではなく、戦死した又兵衛の首を持って逃げた部下がここに葬ったという伝承が。

叔父の藤岡九兵衛(又兵衛幼少時代の保護者)が住職をしていた縁で、
大坂入城前に又兵衛が加藤嘉明との交誼を頼って、妻子を託したことが碑文に刻まれています。

程近い三谷に塙団右衛門の子説もある程仲の良かった雲居国師の生誕地があったり、
松前城跡には加藤家を出奔した団右衛門の事跡が看板に書かれたりしていて、
この大坂の両豪傑好きにはちょっとした穴場地域に感じました。


>>897
松山から松前もそう遠くないしね
松山築城の際に破却した松前城の建材を再利用した話もあるし
0899人間七七四年2011/02/20(日) 00:42:58.78ID:ojBUX0H1
現在のさいたま市に伝わるお話。武将ではないが投稿。

「寿能の蛍」
昔、池の辺りで笛を吹いている娘がいた。やがて娘の周りには蛍が集まり、その中のとびきり大きい蛍が娘を池の底へと連れさった。
やがて娘が目を覚ますと目の前に美しい上品な女がいた。

「実は私、昔この地を治めていた潮田家の能と申します。寿能城が落城した際に私は待女と共にこの池に入水したのですが竜神様にこの夏の期間だけ蛍となり一族に祈りを捧げる事ができるのです。どうか我が一族を供養してください」

この姫の気持ちに心をうたれた娘は供養塔を建てたと言う。
0900人間七七四年2011/02/20(日) 00:56:05.58ID:eG9/zR8H
なんかあっさりした話だから結構古い時代かと思ったら、
寿能城が落城したのって小田原征伐の時なのか
0901人間七七四年2011/02/20(日) 01:47:05.20ID:qcMhgtEk
>>890で似たような話を思い出した。

武田信昌のころ、甲斐に加賀美武光という武士がいた。

加賀美家は武田を初めて名乗った信義の弟である遠光以来の家である。
小笠原や南部などの名門を生んだが、それらと異なり他国へ雄飛しなかったためか、南北朝の頃には既に衰微していた。

この武光、虐められっ子だったのか、あるとき馬に乗って道を行くと、国人大井某の郎党に犬をけしかけられた。
突然のことに馬は竿立ちになり、武光は落馬した。そこへ多数の犬が襲いかかる。
武光は応戦するが、落馬した時に怪我でもしたのか、抵抗虚しく噛み殺されてしまった。

後日その弟が訴えを起こしたが既に証拠はなく、また誰もが大井某を恐れて証言しなかった。

逆に「武光は盗みに入って犬に食われた」という噂がまととしやかに流れ、
「いぬ(く)いなる おとにきこへし かかみのたけみつ」と彼を囃し立てる歌まで流行った。

「乾の方向に住む加賀美武光は、名刀を持っているという噂だったけれど、実は鏡のような竹光だったのだろう、犬に食われてしまったよ」。

これに激怒した竹光の弟は弔い合戦を挑むが、大井他の連合軍に敗れて死に、領地も奪われてしまった。
しかし武光の子は信虎に仕え、大井、栗原などの仇を取って領地を回復し、代々の信濃守を名乗ったということである。
子孫は後に家康に仕え、武蔵に移されるも、旗本加賀美家として800石あたりで存続した。めでたしめでたし。
0902人間七七四年2011/02/20(日) 01:50:01.88ID:qcMhgtEk
訂正
×これに激怒した竹光の弟は
○これに激怒した武光の弟は
0903人間七七四年2011/02/20(日) 05:58:02.23ID:I/FrWL2Z
>>878
面で思い出した逸話

享禄3年(1530年)、大内勢が東肥前へ侵攻してきた。
迎え撃つは、少弐氏被官の龍造寺家兼公。
神埼郡田手畷にて、両軍は攻防。

さしもの家兼公も、大内の大群には苦戦する。
その時、面をかぶった「赤熊」姿の軍勢が、大内の横腹を突いた!

大内勢を打ち破るきっかけとなった赤熊勢の親玉は、鍋島清久公。
これ以後、龍造寺家と鍋島家の親しき関係が始まった。

そして、これをきっかけに、佐賀の伝統芸能「面浮立」が始まったとも言う。
0904人間七七四年2011/02/20(日) 09:51:18.64ID:z2tHLap4
ガイシュツ
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3989.html
0905人間七七四年2011/02/20(日) 12:04:08.42ID:Sb8t4MgA
流れぶった切って申し訳ないんだが
戦国時代の双子に関する逸話ってないのかね?

歳の近い兄弟の話は聞いたことあるけど
こと双子となるとその存在すら聞いたことが無いもんで
0906人間七七四年2011/02/20(日) 12:07:00.18ID:1fl5kBdC
双子は畜生腹といって忌み嫌われていた
0907人間七七四年2011/02/20(日) 12:07:20.00ID:kGgISsUy
>>901
これってイジメ云々じゃなくて、普通に狙ってやった暗殺でねえの?
信昌のころの甲斐なんて、普通に世紀末だろ。

甲斐犬(かいけん)は日本固有種の中では最も凶暴で、オオカミの血が混じってる。
というか犬の血が混じったオオカミ。無茶苦茶獰猛だし、訓練すれば集団行動も出来る。
0908人間七七四年2011/02/20(日) 12:45:18.54ID:zoiJyjU4
>>905
結城秀康と永見貞愛とか
0909人間七七四年2011/02/20(日) 12:48:45.84ID:4Y4Kng4I
>>905
結城秀康が嫌われた理由に双子って話があったような

0910人間七七四年2011/02/20(日) 13:55:45.75ID:f9vTY7Jn
昔は畜生腹をネタにした時代劇(テレビドラマ)も幾つかあったと思ったんだけど、色々とうるさいんだろうな。
月曜夜八時の枠の「江戸を斬る」のTなんかがそうだったかな。
0911人間七七四年2011/02/20(日) 14:43:16.85ID:Y/kZI0Uh
>>907
甲斐犬こええ
甲斐の国はまるでロンダルキアみたいだな犬でさえ強いw
0912人間七七四年2011/02/20(日) 16:05:30.51ID:3we+YkSQ
>>911
では、代わってもう少し解説させてもらおうか。

甲斐犬はオオカミのハーフと一般に言われるが、ニホンオオカミよりはタイリクオオカミに近い。
甲斐犬と呼ばれるようになったのは割と最近で、それまでは甲斐虎と呼ばれていた。
文献上の初出は奈良時代、東北などに導入されてクマ狩りなどに使われていたという。

かつては山岳地帯でよく野犬が見られたそうだが、あまり群れでの行動はしないという。

甲斐の人間と違うのは、主人だけにはなつくことだろうか。
ただし家庭で飼っても主人は基本的に一人(夫婦の力関係によっては母親の場合もww)にのみしかなつかず、
その主人の命令ならば下位の人間の言うことも聞くが、とにかく非常に飼育が面倒だそうである。

戦後品種改良が進み、「一吠えされたので犬がいることは分かったが、次の瞬間には地面に引き倒されていた」
というような、典型的な甲斐犬の個体は少なくなっているという。が、筆者は散歩していた主従にやられたことがある。
0913人間七七四年2011/02/20(日) 16:15:34.68ID:3we+YkSQ
以下引用。

オオカミとしての傾向
 ものすごく敏捷、身軽、よじのぼる。 
 人を噛む。馴れない。訓練は無理。
 遠吠えをする。ワンと吠えない。

イヌとしての傾向
 尾を振る(食事の時)、人にも接する。
 帰家性がある。

用途は、家庭犬・番犬・猟犬。臭い、毛抜けは気にならないので
室内でも飼える。用便をかねて散歩が必要。暑さ寒さにも強い。
性格は、一人の飼い主にしかなつかない忠犬。きつい面もある
ので他人や他犬とフレンドリーになるようなしつけが大切。
頭脳明晰で訓練はOK.。
野性味のある体型から想像できるように、いったん野に放せば
敏捷性に優れ、その跳ぶ姿は疾風のごとくで、この甲斐犬ほど
山野に似合う犬はいない。

確かに甲斐犬は二君に交えない武士道を地でいく忠犬だし、日本刀に例えられるほど頭脳明晰だ。
しかしながら甲斐犬には3kイメージ−きつい、怖い、咬みつくといったマイナーな面があるのも事実だ。
とくに猟場において他人を咬んだり、友猟犬とけんかするので、「友人を無くす犬種」だと言われている。
柴犬と比較して甲斐犬の飼育登録数が極端に少ないのは、この辺が原因かもしれない。
甲斐犬愛好家のみなさんが、あまりにも酔いしれて「この性格こそ甲斐犬の本質なり」、
「これでこそ甲斐犬なり」と申されても、あばたもえくぼでは世間には通用しないだろう。
0914人間七七四年2011/02/20(日) 16:16:09.95ID:kHIbRhgP
>>912
武田信玄は犬だったのか!!
0915人間七七四年2011/02/20(日) 16:24:41.07ID:7MUt+Xv+
大月の岩殿山城に登る途中の民家で甲斐犬っぽい犬がいたな
0916人間七七四年2011/02/20(日) 16:25:34.33ID:FwNe6wyD
>>914
それ言うなら信虎だろ!!!

ねえなんで甲斐の人たちって、人も犬もこんなに鬼武蔵ライクなの?
0917人間七七四年2011/02/20(日) 16:31:07.66ID:P9eXwdkG
甲斐犬が一体現れた!


おお914よ 死んでしまうとは情けない…
0918人間七七四年2011/02/20(日) 16:49:37.31ID:tTFXFs/9
               --":::::::::ヽ                 鬼
             ,::´::::::::::::::::::、::::`,               小
で            {:::::::::::::r ''"__ _、::}     甲  痛     島
も           ',:::::"::/   rqrq|/       斐   っ     
ち            !,::、ゝ    J.|        犬   :     弥
ょ             j:,|    -=,|        に   :     太
っ            "j        /.        噛    .く     郎
と            ,┴─`─='.        ま    ね
用         ,, -": : : : : : : 0 : : └-. 、   れ    |
あ       ,‐" : : : : : : : : : : : : : : : : : : : ``i. た   全
る       /: : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : :|: : :| け   .然
し       /: : : : :i : : : : : : : : : 0: : : : : : :|: :| ど   痛
越     /./: : : : :|: : : : : : : : : : : : : : : : | : | 痛   く
後    ,' /: : : : : :,: : : : : : : : : : : : : : : : : : :|: : :|. く   ね
帰     , i: : : : : : / : : : : : : : : : 0: : : : : : : :|: : :| ね   え
る    ; |: : : : : / : : : : : : : : : : : : : : : : : : | : : | え
わ    ; | : : 三i : : : : : : : : : : : : : : : : : : : | : : | わ
      ', , : : : : ,: : : : : : : : : : : 0: : : : : : : :| : : |
        |: : : : :ハ : : : : : : : : : : : : : : : : : : ', : : l
       i : : : : : ,: : : : : : : : : : : : : : : : :/: 〉: :/
      ',: : : : : :, : : : : : : : : : 0: : : : : :/: } :/
       ハ: : : _:_〉: : : : : : : : : : : : : : : :/ヾ
        ィ  ヽ,: : : : : : : : : : : : : /: : : l
         ;|   l: : : : : : : :ハ__/ : : : : '
           l i, i, iヲー──‐': : : : : : : : イ
         ー ^: : : : : : : : ,、: : : : : : : |
          |: : :√ヽ: : : ハ : : : : : : |
          |: :/`\ゞ^,: :i. ', : : : : : :|
          |N \丶, V   i: : : : : : :|
          | {’X`丶, |   .|: : : : : : |
          |ゞ、   zN   |: : : : : : |
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-594.html
0919人間七七四年2011/02/20(日) 16:55:54.22ID:FwNe6wyD
ワロタw
0920人間七七四年2011/02/20(日) 18:22:56.29ID:lM2a2qKk
>>914
なにそのジャンプマンガ?
0921人間七七四年2011/02/20(日) 19:20:49.32ID:64Nbr+Xb
戦国時代、他国に恐れられた甲斐の武田軍団
その影に軍用犬として甲斐犬が使われていた事は
あまり知られていない。
甲州流軍学によると武田軍の軍法とは、
まず甲州犬を敵陣に放ち敵を混乱させ、次に小山田勢による投石で
敵の足をとめ、最後に騎馬軍団による突撃で止めを刺すというものだった。

このように先鋒として活躍した甲州犬であるが、警護犬としても優秀で
第四次川中島の合戦で上杉謙信が単騎武田の本陣に斬り込んだ時、武田信玄
の傍らにいた信玄の愛犬「竹虎」が主人の命を救った事は有名である



民明書房刊『戦国時代のトップブリーダー』より
0922人間七七四年2011/02/20(日) 19:41:03.64ID:9NLJ9Rqt
三楽斎がアップを始めました
0923人間七七四年2011/02/20(日) 20:26:52.45ID:Nolio+8m
甲斐犬は、無愛想に見えるけど他のどんな犬よりも主人に尽くすし、
馬鹿に見えるけど実際軍用犬に使われたくらいで頭だっていいんだぜ。
まあ知力体力ともに傑出するも、気性の問題で採用されなかったんだけどな。

http://www.geocities.jp/atommirai/aso/fuji.html

人だろうと犬だろうとやたら周りに噛み付く(しかも離さない)のは、
ご主人様だーいすきなヤンデレメイドみたいなもんで。

本当はいい子なんだぜ。うん、性根は悪い子じゃないんです。山梨県民と違って。
さて犬の話題はこれくらいにしておこうか。
0924人間七七四年2011/02/20(日) 21:59:48.89ID:kY5YI97A
>>921
高橋よしひろ先生に漫画化してもらうか
0925人間七七四年2011/02/20(日) 22:05:09.72ID:hcoJILWV
ある時松平清康が、「是」と言う文字を握りしめる、と言う夢をみた。

不思議に思いこれを占ってもらったところ、「大変な吉夢だ!」と言う。
その理由はこうだ

「『是』と言う文字を分解すると『日の下の人』となります。これを握るというのは
日の下の人をすべ掌握するということ、すなわち天下を握るということです。
松平の家より必ず、天下を握る人が出てくることでしょう!」

清康はこれに大いに喜んだ。後、彼の孫である徳川家康が天下人となること、
誰もが知るところである。

清康の見た「是」の夢、と言うお話。
0926人間七七四年2011/02/20(日) 22:05:47.61ID:DnFIAaCI
>>924
既にそのジャンルは開拓済みです
http://blog.livedoor.jp/textsite/archives/50378957.html
0927人間七七四年2011/02/20(日) 22:24:27.39ID:kY5YI97A
>>926
リアルタイムで読んでたよw
犬に脳外科手術モドキをほどこすんだよね
若い頃の猿とか出てたな
0928人間七七四年2011/02/20(日) 22:38:28.78ID:5RreTH0D
>>921
>民明書房刊
これがなければ信じてたぜw
0929人間七七四年2011/02/21(月) 00:14:25.42ID:8geZNmXQ
>>925
松平の家よりってw
普通夢見た本人がどうこうするだろw



>>921
ねーよw
0930人間七七四年2011/02/21(月) 01:18:19.80ID:w0xBGyAf
勝利賽子・戦吉兆占針盤・大鐘音の他にもまだあったとは

武田信玄・・・敵に回したらこれほど恐ろしい男はおるまい。
0931人間七七四年2011/02/21(月) 01:30:06.05ID:8YxABTNe


>>http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-4068.html
の逸話で知られるように、北条家において「大道寺の九つ提灯」と言ったら武勇の
誉れ、名誉の象徴となる旗指物であった。
それにあやかって、北条家中では提灯を旗指物にする者も多かったのだという。

松田康郷の与力であった山下民部左衛門もその当時、やはり「九つ提灯」にあやか
って「六つ提灯」を旗指物としていた。

しかし天正十三年、北条氏政が皆川氏征伐の為に下野国に出征した際の話である。
同じく北条家中の三好孫太郎が、民部左衛門の旗指物を眼にして声を掛ける。

「アンタが指してる六つ提灯、これには何か謂れがあるのかい?例えば親から継い
だとか……」
「いえ、その様な事はありません。私の好みであり、勇者たらんという決意の現れ
です」

「そうか。だがな、提灯の指物はそんな軽い物じゃねえんだ。俺が初めて手柄を上
げたのは天文の頃だが、それ以来、氏康公に直接声を掛けて褒めていただけるよう
な手柄を七度上げた。そのたびに提灯を一つずつ増やして行き、今はホレ、この通
りだ」

孫太郎が自らの背中を示すと、そこには「七つ提灯」の旗指物があった。

「まぁ、それは俺の勝手な思い入れさ。大した武功もねぇ内から六つの提灯を背負
うなんざ、普通は気後れしちまうもんだが、それを平然としてるのは肝が太い、理
想が高いと褒めるべきかもな」
「…………」


民部左衛門は数日後の戦場にて、大石八郎という大力の侍を討ち取った際、八郎の
首を取るや否や、自らの旗指物から提灯を五つ引きちぎると、「一つ提灯」を背負
って自陣へと帰還したのだという。

0932人間七七四年2011/02/21(月) 01:35:44.67ID:IxFnV1Fh
小田原提灯の由来も北条さんのトコなんかね?
レス数が900を超えています。1000を超えると表示できなくなるよ。