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戦国ちょっといい話24

レス数が900を超えています。1000を超えると表示できなくなるよ。
0001人間七七四年2010/12/25(土) 13:26:54ID:U0HLGF9L
戦国のホロリとくるエピソードを挙げていこう

戦国ちょっといい話・悪い話まとめブログ
http://iiwarui.blog90.fc2.com/
書き込む際にネタがかぶっていないかなどの、参考にしてください

前スレ
戦国ちょっといい話23
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1288278217/

姉妹スレ
戦国ちょっと悪い話24
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1292026893/

鎌倉・室町 ちょっといい話・悪い話
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/history/1286650888/

このスレの武将などに対する愛称等の、用語解説はこちら
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2161.html

逸話に対する過度の真贋論争、揚げ足取りなどは、無駄に荒れるもとになります。
そのような議論はこちらでお願いします
【真?】戦国逸話検証スレ【偽?】
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1196778610/
0807人間七七四年2011/02/15(火) 21:52:55ID:kuNRN1C8
>>799バサラ(秀吉が数mのゴリラ)で思いついた
明清の秀吉伝説まとめ
ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-1322.html
明史日本伝
薩摩州の奴隷で、信長に木の下で出会ったので、「木下人」と名づけられ重用。
阿奇支(明智or安芸氏?)を信長の命令で討滅した折、信長が明智に殺されたのを知り、
部将行長らと共に勝ちに乗じて兵を還し、明智を誅す。その後、信長の三子を廃し、
関白を僭称し、信長の後継者となる。

ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-4202.html
関ヶ原軍記大成成立の頃の中国における伝説
秀吉は元々、呉か越のあたりに居た書生(中国人)。
科挙に受かることが出来ず将来に絶望し、中国を捨てて日本に渡り、
遂に日本人となってその天下を取った。

ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-4201.html
「笑府」
関白(秀吉)は、身のたけ数丈、腰の太さが百まわり
首の重さは数千斤の妖怪

追加
「水滸後伝」第三十回
関白は身の丈八尺、白象に乗ってシャム征服を図る。
髪をぐるぐる巻きにし、先の丸まった鉄棒を武器とする。

清・康熙年間成立の小説「野叟曝言」
関白木秀は、美男の明の使者二人をものにしようと、
酒に睡眠薬を入れ眠らせるが、一人は関白夫人・寛吉が奪い取る。
関白は眠っていてはもの足りぬと、残った一人(主人公)を覚醒させる。
驚いた主人公は刀で斬りかかるが、関白は椅子で受け止め、格闘。
主人公は敵せぬと自殺。もう一人も関白夫人を殺したのち自殺。

「斬蛟記」
関白平秀吉は西晋の神仙・許真君(許遜)に斬られた蛟の子が
日本で長じた物であり、一兵卒より身を起こし、旧関白を殺害し
六十六州を平らげる。
蒙仙師や黄石公などの仙人により、頭を落とされるがその死体は
長さ数千丈、蛇形にして魚鱗あり、という姿だった。

とっくに妖怪にされまくりだから、バサラなんてかわいいもんだ
0808人間七七四年2011/02/15(火) 22:14:47ID:HN6XwgEp
>>805-806
このスレに居るとやっぱそう思うよなw
0809人間七七四年2011/02/15(火) 22:37:51ID:uhSCI7/m
日本の偉人は在日認定とかさすがあの国の宗主国w
昔から全く進歩してないなw
0810人間七七四年2011/02/15(火) 22:40:38ID:LGKL1BQ4
>>805
あれ? 俺がいる。
0811人間七七四年2011/02/15(火) 22:42:49ID:1wZ1NPLp
>>805
思ったw
0812人間七七四年2011/02/15(火) 22:44:07ID:dQGmBJ0o
俺がいっぱいいるw
0813人間七七四年2011/02/15(火) 22:47:48ID:Isx4cWlZ
そう、我々が歌仙だ!

ガラシャ様見に行こうぜ!!
0814人間七七四年2011/02/15(火) 22:47:51ID:kuNRN1C8
少々訂正
水滸後伝「第三十回」→水滸後伝「第三十五回」
「いい話」には微妙かもしれないが、下二つを紹介していた
青木正児「江南春」拘肆野語・支那戯曲小説中の豊臣秀吉、に
「我が不世出の英雄豊臣秀吉の誇りを毀けること甚だしいものであるが、
それにしても外国の小説にまで描かれてその雷鳴を轟かしたことは
吾々の痛快を覚ゆるところである」(昭和二年)
と書いていたもんで
>>805のネタを遮ってスマン
0815人間七七四年2011/02/15(火) 22:56:04ID:bNhM9yTB
>>809
つ義経=チンギスハーン説
0816人間七七四年2011/02/15(火) 23:27:27ID:km5FBBAy
>>815
ヌルハチ=織田信長説とかもあったな。
0817人間七七四年2011/02/16(水) 00:48:22ID:5tCQd1A0
日本の武士が海外に渡って王の片腕になったり海賊になったりとかもあるね
よくある話よくある話
0818人間七七四年2011/02/16(水) 00:52:09ID:bGk4rd4H
>>799
許容出来るかボケ
信長も光秀で死ぬ間際に思い出すのが江ってどんだけ主人公
中心で世界が回ってんねん
0819人間七七四年2011/02/16(水) 01:25:57ID:iLbrX0+N
英雄=英雄と科挙落ちの出来損ないが日本あたりじゃ英雄だってのはわけが違うだろ
0820人間七七四年2011/02/16(水) 01:35:25ID:kyTwzR6c
中国の場合科挙に落第した知識階級の端くれが乱を起こしたり加わったりってのはよくあることだから
朝鮮役もその枠に入れられて考えられたんだろう。
0821人間七七四年2011/02/16(水) 01:41:17ID:lgARsKsc
>>809
>>819

>>807
> ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-4202.html
にちゃんと書いてある

> ところがこれ、実は倭寇の頭領であった王直の履歴そのままなのである。
> 同じく日本から大陸を攻めた人物として、いつしかそれぞれの話が重なってしまったのだろうか?
0822人間七七四年2011/02/16(水) 02:49:59ID:lM/fH4M+
>>815
そんな与太話は流布されてすぐに戦前の史学会で否定されてるしw
あんなトンチキ説を取り上げるのはインパクト与えたい三流メディアだけなんだけどな。
それを例に出すのはお前の程度も知れるから止めておけ。
0823人間七七四年2011/02/16(水) 03:44:45ID:l72QDUwY
>>822
いや、815は本気でそれを持ち出したわけじゃないと思うのだが・・・
さすがにこのスレにまで来る奴が義経=チンギス説を信じてる筈がなかろう。

根拠のないトンチキ認定はどこの国も少なからずやってるって事でしょ。
0824人間七七四年2011/02/16(水) 04:14:46ID:eLnB+5Pr
成功した人物の出自を、実はうちの民族出身!
だからうちの民族凄いんだぜ!と言い出すのと、
負けて悲劇的な最後を遂げた人物が
実は死なずに生き延びていて・・・ってのは
なんか同じように見えて違う感覚のような気がする。
トンチキ認定ってくくりは一緒だけど。
0825人間七七四年2011/02/16(水) 06:50:16ID:5YKPD8aC
>>822
それでも日本では20世紀になってから出てきた話だよ。
どこの国も一度は通る道だ。
半島では21世紀になってからもやってるみたいだけどね。
0826人間七七四年2011/02/16(水) 06:58:14ID:dB8VfThd
ヒトラーが実はドイツ人じゃない、ってのは?
0827人間七七四年2011/02/16(水) 07:09:48ID:hlLwehjX
オーストリア人だわな
0828人間七七四年2011/02/16(水) 08:23:33ID:VtrxOxNr
広義だと西ヨーロッパのほぼすべてがドイツになるからな
0829人間七七四年2011/02/16(水) 13:20:16ID:8h766z1V
>>822
どこかの国を一時併合した年を考えてみようかwww
0830人間七七四年2011/02/16(水) 20:35:19ID:xBRdKwiM
>>824
当時の明人が、秀吉の業績をそこまで凄いと思うだろうか。
読んでる我々は現代日本人だから、戦国日本を統一したのは不世出の偉業と思うけどさ。

どう考えても中華思想華やかなりし当時の明人の脳内だと、
「モラトリアムして自分探ししてたアホが、逆恨みしてとんでもないバイタリティ発揮して辺境の小国乗っ取って襲ってきた」
というシチュエーションだと思うんだが。
0831人間七七四年2011/02/16(水) 21:09:17ID:wkU1UowK
もしくは、「遠くの国で生まれ育っただけの人の話してもつまらないから
なんかうちの国と因縁ある設定にした方がドラマチック」とかな
0832人間七七四年2011/02/17(木) 00:12:54ID:cdRMPZ7p
話は変わるけど
なんで森忠政は兄の敵である家康に接近した訳?

TERU池田はラスボスが間を取り持って家康の娘婿になったから分かるんだけど。

上記の例とか、兄貴が蘭丸殺した人間を召し抱えたみたいに「武功は武功」・「戦国の世の常」的なものかな?
川中島増封は森家が無理にとってつけた事みたいだし。
0833人間七七四年2011/02/17(木) 00:22:01ID:94ILP934
ゴリ押しで豊臣の奉行公認で信濃にほぼ倍の石高で戻してもらって「家康殿のおかげ(キリッ」と言い放つ奴にそんなウェットな感情論は無いと思う。
0834人間七七四年2011/02/17(木) 00:27:30ID:bgIVk3f2
>>832
徳川と戦ったのはあくまで秀吉に与力したというだけで、お互いに敵対したかったわけではないし、
その意味で仇ではない。また痛い目にあったからこそその人の実力がわかるって部分もある。

戦国大名は狼の群れみたいなもんだ。噛み付かれて彼我の差を知って屈服するんだよ。
0835人間七七四年2011/02/17(木) 12:44:42ID:WE5R798n
>832
え、兄をぬっころしててくれたおかげで当主になれたのだから感謝するだろ。
0836人間七七四年2011/02/17(木) 12:55:19ID:HhkQrD2J
ふぅ危うく商人の嫁にされるところだったぜ、ですね。
0837人間七七四年2011/02/17(木) 13:21:45ID:UEfCrLOx
池田恒興を討ち取った永井直勝は1万石になれたけど
長可を討ち取った誰かはどうなったんだろう。
0838人間七七四年2011/02/17(木) 14:59:30ID:9l560cQ8
>>832
完璧超人立花宗茂は旧敵の小早川隆景を義理の親にしてるし
親父を殺した島津とは共に西軍で戦った仲間としてるんだから
立場が変わればそんなもんだろうといえば優等生の宗茂ゆえに逆に胡散臭く聞こえるが

戦国期トップレベルのDQNの弟と戦国期トップレベルの優等生が同じような思考をしているから
これが戦国時代の常識なのではと思った
0839人間七七四年2011/02/17(木) 15:40:52ID:HhkQrD2J
>>837
鉄砲だでなぁ
0840人間七七四年2011/02/17(木) 15:55:05ID:9GYbjDFc
戦場での命のやりとりだと仇とか遺恨はあまり残らないんじゃないのかな?
0841人間七七四年2011/02/17(木) 16:19:30ID:ApE85CDP
>>840
ビジネスですから
0842人間七七四年2011/02/17(木) 18:05:52ID:+hSGBrCV
死ぬ時にこそ生き様を見せつけるようでなくては。
名のある相手に討ち取られたのはむしろ喜ばしい事なんだろう
0843人間七七四年2011/02/17(木) 18:48:11ID:94ILP934
>>839
ついでに首も森家の人間に持ち去られたからなぁ・・・
0844人間七七四年2011/02/17(木) 19:07:52ID:zkuO4Yhw
>>822
意味を読み取れず本気でそこ突っ込むお前の程度はさらに低いよ。

ヲレの即興の作り話しに100以上の拍手したり大量のコメント残したりとここの奴らは プッ
これからもヲレの妄想逸話で猿を喜ばしてやるからね プッ
0845人間七七四年2011/02/17(木) 20:05:06ID:zlxEqfjF
名古屋城普請の清正。

名古屋城普請を命じられた清正は普請に熱心に取り組んだ。

清正はよく普請のそばで行われる市場に顔をだし、市場まる事買う事がよくあった。

そして大きな仕事の前はここで買った品(酒、食料、日常品など)を大盤振る舞いしたという。

清正の故郷も近い事もあり大勢の人が集まり、市民や他国の家臣も参加してこの宴会は毎回大騒ぎになっていた。


そして大工事当日は美少年5、6人に華美な小袖羽織を着せ、現場を見回った。
この少年達、余程見栄えがよかったのか

「およびなけれど万松寺の華を、折りて一枝欲しうござる」
(近くにある万松寺の美しい花になぞらえた美少年を褒める歌?)


この様な歌が流行り美少年を一目見たいと大勢の女性が加藤家の屋敷に集まった。

清正は彼女等を屋敷に入れ、少年達を披露し酒を振舞い楽しんでいたという。

藤原惺窩も現場で清正等一行の工事を見ていた。惺窩の従者は清正のあまりの放蕩振りに驚き

従者「全く肥後殿は何を考えているのか。このような事をしていては普請など上手くいく筈もなかろう」っと呟いた。

それを聞いた惺窩は

「それは全く見当違いな話だ。天下は徳川家というご時世だ。他の者が徳川家に睨まれまいと規則通りに仕事をするのに
肥後殿はあのように堂々とした振る舞いをしている。工務も決して遅れてはいまい。
それにな、ああやって現場で仲間を増やしておけばいざという時に役に立つものだ。
このような事が出来るのは今や肥後殿だけだろう。度量のある武士とは彼の様な者を言うのだ。
大御所様の御目に掛かるのもこれだけ観て十分わかる。」

っと清正の度量に感服したそうだ。

名古屋城築城後は
音にきこえしなごやの城を、踏みやならいた肥後の衆が
という歌が流行し名古屋での清正の名声は高まったという。

ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-1857.html

こういう事故が起こっても普段から必要経費(保険)をかけておけばなんとかなる!っという
清正の人心把握術のお話。
0846人間七七四年2011/02/17(木) 20:39:10ID:actGTBWO
>>837
>>839
>>843
でっちあげようとしてpgrになった逸話が前あったような…
0847人間七七四年2011/02/17(木) 20:45:03ID:urLfUhv7
>>845
実際名古屋城には清正が普請現場で激励してる石像があるな
0848人間七七四年2011/02/17(木) 21:02:06ID:XF4zCo0q
>>840
富田長繁「元敵には遺恨は残りませんな」
0849人間七七四年2011/02/17(木) 21:55:08ID:8TMNEi/X
まあ犬死にみたいな事にされた秀吉より家康のがましかと
0850人間七七四年2011/02/17(木) 21:59:54ID:94ILP934
>>846
そんなんあったっけ?
0851人間七七四年2011/02/17(木) 22:19:56ID:sbxiq9zv
徳川家康は家臣に重い役目を申し付けるとき、必ず先にその下で働く者たちの
意見を聞き、その人々が支持する者をその役職につけるようにした、という。

勿論これには理由がある。

「人の上に居る人間は惣じて、人の善し悪しが見えにくくなっているものなのだ。
何故ならどんな人間であっても、上の者の考えに合わせそれに迎合し、上の人間に
気に入ってもらおうとしてしまう。これは人情というものなのだ。

そのためその者の本心は非常に見えにくく、どんな賢明な君主であっても、
上からの視点ではその善悪を判断しずらくなってしまうのだ。

よって実際に下で働く者たちの意見を聞くことで、上からの視点では見えないものを
補うことができるし、また下の者たちも、自分たちの意見が汲み上げられた上役ということで、
その下知にもよく従うようになるのである。」

家康の人材の使い方の一端についてのおはなし。
0852人間七七四年2011/02/17(木) 22:41:01ID:G9k4U7kR
>>851
実際は現場に顔を出して
「お前達の替わりに番をしてるから遊んで来いよ」
と下の者にプレッシャーを与えるけどね
0853人間七七四年2011/02/17(木) 23:06:41ID:8SDk0+qZ
>>845
下で働くもんとしては、こういう大盤振る舞いやってくれる大将のが仕事も精が出るだろうなあ
0854人間七七四年2011/02/17(木) 23:28:52ID:wdf+id6r
>>851
戦略拠点を任せておいて「柱の傷〜」とか理解不能なイチャモンつけて怒るけどな
氏康歴史資料館でも作れば良かったのかと
0855人間七七四年2011/02/17(木) 23:33:01ID:4ZYnF/O8
理想の上司ですな。ジミ加藤さんはこういう事やりますかね?
0856人間七七四年2011/02/17(木) 23:33:40ID:0/P6lueW
>>851文句だらけの市松さんとは偉い違いだなw
0857人間七七四年2011/02/17(木) 23:35:41ID:wwDKOgz1
↑もそっと詳しく!


>ああやって現場で仲間を増やしておけばいざという時に役に立つものだ
どんな「いざ」だよw
0858人間七七四年2011/02/17(木) 23:41:34ID:yg5qQ8QK
>>845
男で美少年が好きでも白い目で見られない、昔は良かったなぁ
っていい話にしか思えぬ!
0859人間七七四年2011/02/17(木) 23:44:04ID:9Wfc3Vrx
>>854
お前それはいちゃもんでもなんでもないだろ
例え傷物の柱だって逸話つきの立派な文化遺産だぞ?
0860人間七七四年2011/02/17(木) 23:45:01ID:sbxiq9zv
>>858
むしろ武士の場合女にデレデレする方が白い目で見られた。
衆道は武張って男らしい趣味だと考えられてた。
0861人間七七四年2011/02/17(木) 23:52:25ID:yg5qQ8QK
>>860
バイにはたまらん時代だぜ…。
0862人間七七四年2011/02/18(金) 00:17:51ID:5GhEqUAa
>>855
地味加藤さん、松山築城では城下のおたたさん(魚を売り歩く女性)に協力を仰いだり
嫁さんが炊き出しに出たりと、なんだかアットホームなアプローチをしているね。
(ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3837.html参照)

築城予定地の勝山に棲んでいた八百八狸の頭・隠神刑部と、

「狸に危害を加えない代わり狸もお城を末長く守る」

と言う約定を結んだ、なんて伝説もあって、
これが二百年後のお家騒動を元にした講談『松山騒動八百八狸物語』
に繋がるのはまた別のお話。
0863人間七七四年2011/02/18(金) 00:25:37ID:aMuUUD2B
平成狸合戦もまた別のお話
0864人間七七四年2011/02/18(金) 00:28:07ID:5GhEqUAa
訂正・二百年後のお家騒動→百三十年後のお家騒動
   …二百年後は講談成立時期でした
0865人間七七四年2011/02/18(金) 09:45:51ID:o4FGuh/V
>>857
石が落ちても誰もしゃべらないってことだなw

しかも幕府の役人まで半ば見て見ぬふりだしw
0866人間七七四年2011/02/18(金) 17:48:24ID:koAYKGx9

鍋島勝茂が徳川家光に従って上京した時の話である。

勝茂が泊まっていた宿舎に、若年寄の永井尚政から書状が届いた。
それに対する返書を持たせ、相浦源左衛門を永井家の宿舎に送り出す。

が、あいにくと永井尚政は二条城に登城しており、宿舎を留守にしていた。
取次ぎの者からそれを聞くと、源左衛門はそのまま、二条城へと直行してしまう。

勿論、何のアポもなく二条城に入る事など出来はしない。
源左衛門はただただ、勝茂に言われた「永井殿に届けてくれ」という言葉のみを考
えており、その辺りの手続きは一切考慮していなかった。

門の前で衛兵に止められる。当然である。それどころか侵入を企てた怪しい奴、と
して拘束されかかってしまう。
「私は怪しい者ではありません!鍋島信濃守(勝茂)の使いとして参りました。永
井様にお目通りを致したいのです!」

当然、何のアポもなく城で執務中の幕臣に面会など出来はしない。
だが、「鍋島家の臣」と言われると、門番としても自らの一存で拘束してしまって
良いものか、少々不安になってくる。


そんな時に、門前での騒ぎを聞きつけ、一人の男が城から出てきた。
「どうした、何の騒ぎなのだ?」
「岡部様! これは良い所に。この男が鍋島家の使者を名乗り、ここを通せと言って
おるのですが……」
「なんだ、信濃殿のお使いとな。それなら私が手紙を預かろうではないか」

いかにも身分の高そうなその男は、気さくな感じでそう言うと、手紙を寄越せと手
を差し伸べる。
しかし……

0867人間七七四年2011/02/18(金) 17:49:16ID:koAYKGx9


「いえ、この手紙は主君に預けられた大事な手紙でございます!いかに身分の高い
御方であろうと、見も知らぬ御方に預ける事など出来ませぬ!」

源左衛門はその手をあっさりと拒絶。

「え……? 知らない? 私の事を……? お前、鍋島家の者で……永井家に使者に立
つ位には重用されてる者なんだよ……ね?」

呆然とした男。それもその筈、この身分の高そうな男、大垣城主・岡部長盛の嫡子、
岡部宣勝であった。
そして実は宣勝は鍋島勝茂の妻の弟。主君の義理の弟なのである。

義兄の家臣が困っている様子だったからと声を掛けてあげた宣勝、何故か自分が誰
なのか、勝茂との関係がどうなのか、社会的にどの程度信用出来る人間であるのか、
一生懸命に源左衛門に説明する羽目となってしまった。

漸く納得してくれた源左衛門から手紙を預かった宣勝は、手ずから城内の永井尚政
に手紙を届け、返書まで持ってきてくれるという良い人ぶり。
それどころかその日の晩、義兄の許を訪れた宣勝は、

「二条城での騒ぎを聞きましたかな? あの男、愚直に過ぎる所はありますが、中々
の器量ではないですか。私は気に入りましたな、是非、目をかけてやってくだされ」

と勝茂へのフォローまでしてやった。
将軍が滞在中の城で騒動を起こしてしまった源左衛門、もうこれは切腹しかない、
と思い詰めていたのだが、宣勝のフォローによって世間の評判はむしろ高くなった。
勝茂からもこの件へのお叱りは一切なかったと言う。


>>http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-4528.html
>>http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2624.html

というキッツイ逸話持ちのお姉ちゃんの弟さんのお話。
……お父さん、育て方間違えたんじゃない? 逆! 性格逆でお願い!!
0868人間七七四年2011/02/18(金) 18:01:30ID:KURTc/d/
性格がいいだけじゃなくて名君やね岡部宣勝
0869人間七七四年2011/02/18(金) 20:13:18ID:EOsgiZcA
勝茂相手だけじゃなく、誰彼かまわずああいう態度で接していたような気がしてくる。そんな鍋島家の家臣たち・・・
0870人間七七四年2011/02/18(金) 23:01:24ID:IosbNlWN
ああいうお姉ちゃんの下だから、こういう弟になったのかなあw
0871人間七七四年2011/02/18(金) 23:22:27ID:1wshhUje
勝茂の胃もきりきり痛んだことじゃろうて
0872人間七七四年2011/02/19(土) 01:33:19ID:Rc+iCtKp
加藤清正が尾張津島の親戚の家にいたの事である。突然、家に泥棒が押し入り、家の者を縛り上げてしまった。
ところが清正だけはとっさに鬼の面と短刀を手に取り、道具箱の中に隠れた。
盗品を村外れまで運んだ泥棒がその道具箱を開けると、鬼の面をかぶった清正が飛び出してきて、たちまち泥棒の一人を
切り捨てたため、残りの者達は
「鬼じゃ!鬼が出た!」
と驚きのあまり一目散に逃げてしまったという。
清正少年、泥棒を撃退したいい話。
0873人間七七四年2011/02/19(土) 01:50:30ID:NMqjuvxE
当時のお面って神事や儀式に使う神聖な道具ではないのか?
現代のお面とは感覚が全然違うような
0874人間七七四年2011/02/19(土) 02:30:57ID:Vzchav0y
姓は虎退治。名は清正!
0875人間七七四年2011/02/19(土) 02:40:20ID:x53vzWWY
清正「悪い子はいねが〜!」
泥棒「天狗じゃ、天狗の仕業じゃ!」
0876人間七七四年2011/02/19(土) 08:41:41ID:nkhfZZQR
始めから斬ればいいのに
0877人間七七四年2011/02/19(土) 09:49:16ID:Qu8k2yhJ
それじゃぁ逸話に成らない
0878人間七七四年2011/02/19(土) 11:35:31ID:66LlXUkg
>>873
神聖である、信仰しているということはむやみに畏れ遠ざけることじゃないし、子供は昔から怖いもの知らず。
また、鬼神の力を借りるという意思で被り、一種のトランス状態になって恐怖を克服するのはありうるよ。
トランス状態って要するにぶっちゃけ思い込みによる自己神格化な訳で、立ち向かう勇気は溢れると思う。
0879人間七七四年2011/02/19(土) 12:41:41ID:NMqjuvxE
>>878
なるほど〜!
本当にそういう意味で清正がお面被ったように思えてきたよ。
文字通り鬼になったわけだね。
女性が化粧すると気が強くなるのと一緒かな。
0880人間七七四年2011/02/19(土) 13:54:41ID:Zs+jCVpr
>>879
ウチのヨメはスッピンでも気が強い
0881人間七七四年2011/02/19(土) 14:58:14ID:3Cyaw363
(´・ω・`)

うん、>>880の前世は福島正則なんだよきっと・・・。
0882人間七七四年2011/02/19(土) 15:09:07ID:U0tR2LXG
>>880
そりゃぁ、山ノ神なんだから当然じゃね?
0883人間七七四年2011/02/19(土) 15:37:06ID:vAuCsby+
>>878
そういうことはあるだろうね。
鈴木大拙の「日本的霊性」にも念仏宗の信徒(若い娘)が、
お伊勢参りの道でヤマイヌの群れに囲まれたときに、
もうダメだと思って無心で南無阿弥陀仏を唱えたらヤマイヌが退散したという話があった。
無心の気迫が通じるみたいなことなのだろう
0884人間七七四年2011/02/19(土) 18:59:07ID:Yb3xM0DT
>>880
女性と妻もしくは母は違う生き物だと思うんだ
0885人間七七四年2011/02/19(土) 19:38:57ID:x53vzWWY
化粧とる前→女性
化粧とった→化け物
0886人間七七四年2011/02/19(土) 19:39:16ID:Ml1bUh2M
>>880
兄貴、金送ってくれ。
0887人間七七四年2011/02/19(土) 19:59:02.23ID:pjcD1Dyt
>>886
頼むから、高野山でおとなしくしててくれよ。
0888人間七七四年2011/02/19(土) 20:00:33.09ID:ecpPsbQH
九度山だろ
0889人間七七四年2011/02/19(土) 20:27:46.11ID:QwY8JaJd
>>878
仮面のように白粉を塗りたくってトランス状態で尾張に侵入したら第六天魔王に出会ったでござる
0890人間七七四年2011/02/19(土) 20:35:20.60ID:Rc+iCtKp
ある男が幼いころ、よその家に忍び込み果物を盗もうとしてその家で飼っていた犬に追い立てられた事があった。
だがその犬を男は返り討ちにして殺し、草履を無くした上に手足に血をつけて帰宅した。

その様子を見ていた母親から問い詰められると、男は犬を殺した事は認めたものの果物を盗もうとした事は認めようとはしなかった。
そんな男を母親は家の仏間に連れて行き、父親の位牌を前に

「父上はいつもそなたを見ている。嘘をつけば地獄に落ちる。」

と諭した。この言葉を聞き男は猛烈に反省し、信仰を深め、清廉潔白な人物に育ったと言う。
この男は後の加藤清正である。
0891人間七七四年2011/02/19(土) 21:03:52.80ID:qh1TmXW3
虎だけじゃなく犬も殺すんだな
0892人間七七四年2011/02/19(土) 21:11:01.15ID:Y549yEgw
清正が殺したもの

人間

朝鮮人
犬←new
0893人間七七四年2011/02/19(土) 22:20:43.40ID:ClsIMj26
>>清廉潔白な人物に育ったと言う。

>>清廉潔白な人物

>>清廉潔白
0894人間七七四年2011/02/19(土) 22:23:18.17ID:1PA64pC+
加藤清正鬼シリーズ

天正20年(文禄元年)(1592)、文禄の役、朝鮮に出兵した播磨・三木城主の中川秀政は10月24日、
現地での鷹狩の最中気がついたら敵兵に囲まれていた、と言ううっかりプレイで討死。
享年25歳であった。

さて、主君のあんまりな死に嘆き悲しんでいる中川家の家臣のところに加藤清正がやって来た。
そしてこの家臣に品物を手渡した。その品物を見て驚く家臣に清正

「これを与える。これで元気を出せ!」

「あ、あの、これは…?」

赤鬼の面であった

「この地で手に入れたものだが、おぬしに渡す!何時までもくよくよするのではないぞ!」

「は、はあ…」

家臣はよく解らない。何故赤鬼の面なのか?どうして赤鬼の面が自分を慰めることになるのか?
ただ単に清正が赤鬼の面が好きだというだけではないか?
様々な疑問をかかえ、ともかくもその家臣は赤鬼の面を持って帰国した。
が、だからと言ってこれをどうしたものかよく解らず、そのまま放置し、そのうちこの家臣も死んだ。
後継ぎなどにもその面についての言及はなく、完全に忘れ去られた。

時は流れ延宝3年(1675)、この家臣の子孫がたまたまこの面を見つけた、しかも清正の
寄進状と共に。こんなモノにもちゃんと寄進状を書いていたのですね清正公。
だが、やはり子孫もこれをどうしていいのか解らず、地元の月輪寺へと奉納した。

そのうちに月輪寺が赤鬼面と対になる黒鬼面を購入し、これを用いて鬼追いの祭礼を
行うようになった。これは「三木・大宮の鬼追式」として、現在も大宮八幡宮と月輪寺にて
神仏習合の祭礼として行われている。

清正寄進の面、なんだか色々あって祭礼となる。と言うお話。
0895人間七七四年2011/02/19(土) 22:27:54.54ID:awBWDt7y
マス大山もアドバイスしてたぞ
「熊と戦う前に、牛か、せめて犬と戦ってからにしろ」って
0896人間七七四年2011/02/19(土) 23:02:08.85ID:SeT607j4
地元に伝わる伝承を一つ



後藤又兵衛が生き延びていた、という話は又兵衛桜が有名ですが

愛媛県の松前町にも、又兵衛が逃げ延びてきたという話が伝わっています


大阪からなんとか脱出した又兵衛は、旧友の加藤嘉明を頼ってこの地を訪れました

徳川家からの捜索を逃れるため、名を弟の市郎右衛門と偽り、百姓となったそうです

百姓となった後は、地域の開拓に尽力し、寛永11年にその生涯を終えます

今でも後藤新田、後藤の堰などの事跡が残っています


http://shikoku-net.co.jp/ehime/kankou/iyogun/masakikankou.htm

↑参考にさせていただきました

又兵衛夫婦のものとされる墓の写真もありますよ


個人的に「旧友の加藤嘉明を頼って」という部分が気になります

又兵衛の主君と仲良かったから交流はあったと思いますが…

なんとなく相性悪そう
0897人間七七四年2011/02/19(土) 23:05:44.83ID:o1BraLN+
問題は大坂の陣の時にはすでに加藤嘉明は居城を
松前城から松山城に移していることだが
昔の居城近く、というならありか
0898人間七七四年2011/02/20(日) 00:11:34.18ID:zIpvnBRW
>>896
そこ伊予に旅行行った時行きましたわー。

そう遠くない同県伊予市の長泉寺にも後藤又兵衛の墓があって、
こっちは生存説ではなく、戦死した又兵衛の首を持って逃げた部下がここに葬ったという伝承が。

叔父の藤岡九兵衛(又兵衛幼少時代の保護者)が住職をしていた縁で、
大坂入城前に又兵衛が加藤嘉明との交誼を頼って、妻子を託したことが碑文に刻まれています。

程近い三谷に塙団右衛門の子説もある程仲の良かった雲居国師の生誕地があったり、
松前城跡には加藤家を出奔した団右衛門の事跡が看板に書かれたりしていて、
この大坂の両豪傑好きにはちょっとした穴場地域に感じました。


>>897
松山から松前もそう遠くないしね
松山築城の際に破却した松前城の建材を再利用した話もあるし
0899人間七七四年2011/02/20(日) 00:42:58.78ID:ojBUX0H1
現在のさいたま市に伝わるお話。武将ではないが投稿。

「寿能の蛍」
昔、池の辺りで笛を吹いている娘がいた。やがて娘の周りには蛍が集まり、その中のとびきり大きい蛍が娘を池の底へと連れさった。
やがて娘が目を覚ますと目の前に美しい上品な女がいた。

「実は私、昔この地を治めていた潮田家の能と申します。寿能城が落城した際に私は待女と共にこの池に入水したのですが竜神様にこの夏の期間だけ蛍となり一族に祈りを捧げる事ができるのです。どうか我が一族を供養してください」

この姫の気持ちに心をうたれた娘は供養塔を建てたと言う。
0900人間七七四年2011/02/20(日) 00:56:05.58ID:eG9/zR8H
なんかあっさりした話だから結構古い時代かと思ったら、
寿能城が落城したのって小田原征伐の時なのか
0901人間七七四年2011/02/20(日) 01:47:05.20ID:qcMhgtEk
>>890で似たような話を思い出した。

武田信昌のころ、甲斐に加賀美武光という武士がいた。

加賀美家は武田を初めて名乗った信義の弟である遠光以来の家である。
小笠原や南部などの名門を生んだが、それらと異なり他国へ雄飛しなかったためか、南北朝の頃には既に衰微していた。

この武光、虐められっ子だったのか、あるとき馬に乗って道を行くと、国人大井某の郎党に犬をけしかけられた。
突然のことに馬は竿立ちになり、武光は落馬した。そこへ多数の犬が襲いかかる。
武光は応戦するが、落馬した時に怪我でもしたのか、抵抗虚しく噛み殺されてしまった。

後日その弟が訴えを起こしたが既に証拠はなく、また誰もが大井某を恐れて証言しなかった。

逆に「武光は盗みに入って犬に食われた」という噂がまととしやかに流れ、
「いぬ(く)いなる おとにきこへし かかみのたけみつ」と彼を囃し立てる歌まで流行った。

「乾の方向に住む加賀美武光は、名刀を持っているという噂だったけれど、実は鏡のような竹光だったのだろう、犬に食われてしまったよ」。

これに激怒した竹光の弟は弔い合戦を挑むが、大井他の連合軍に敗れて死に、領地も奪われてしまった。
しかし武光の子は信虎に仕え、大井、栗原などの仇を取って領地を回復し、代々の信濃守を名乗ったということである。
子孫は後に家康に仕え、武蔵に移されるも、旗本加賀美家として800石あたりで存続した。めでたしめでたし。
0902人間七七四年2011/02/20(日) 01:50:01.88ID:qcMhgtEk
訂正
×これに激怒した竹光の弟は
○これに激怒した武光の弟は
0903人間七七四年2011/02/20(日) 05:58:02.23ID:I/FrWL2Z
>>878
面で思い出した逸話

享禄3年(1530年)、大内勢が東肥前へ侵攻してきた。
迎え撃つは、少弐氏被官の龍造寺家兼公。
神埼郡田手畷にて、両軍は攻防。

さしもの家兼公も、大内の大群には苦戦する。
その時、面をかぶった「赤熊」姿の軍勢が、大内の横腹を突いた!

大内勢を打ち破るきっかけとなった赤熊勢の親玉は、鍋島清久公。
これ以後、龍造寺家と鍋島家の親しき関係が始まった。

そして、これをきっかけに、佐賀の伝統芸能「面浮立」が始まったとも言う。
0904人間七七四年2011/02/20(日) 09:51:18.64ID:z2tHLap4
ガイシュツ
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3989.html
0905人間七七四年2011/02/20(日) 12:04:08.42ID:Sb8t4MgA
流れぶった切って申し訳ないんだが
戦国時代の双子に関する逸話ってないのかね?

歳の近い兄弟の話は聞いたことあるけど
こと双子となるとその存在すら聞いたことが無いもんで
0906人間七七四年2011/02/20(日) 12:07:00.18ID:1fl5kBdC
双子は畜生腹といって忌み嫌われていた
レス数が900を超えています。1000を超えると表示できなくなるよ。