戦国ちょっといい話24
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0001人間七七四年
2010/12/25(土) 13:26:54ID:U0HLGF9L戦国ちょっといい話・悪い話まとめブログ
http://iiwarui.blog90.fc2.com/
書き込む際にネタがかぶっていないかなどの、参考にしてください
前スレ
戦国ちょっといい話23
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1288278217/
姉妹スレ
戦国ちょっと悪い話24
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1292026893/
鎌倉・室町 ちょっといい話・悪い話
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/history/1286650888/
このスレの武将などに対する愛称等の、用語解説はこちら
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2161.html
逸話に対する過度の真贋論争、揚げ足取りなどは、無駄に荒れるもとになります。
そのような議論はこちらでお願いします
【真?】戦国逸話検証スレ【偽?】
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1196778610/
0786人間七七四年
2011/02/14(月) 22:05:41ID:a6DCbeqi後で、陰口をたたいてるだけ?まあ、そう言わないで
0787人間七七四年
2011/02/14(月) 22:19:34ID:ErCRo6fT-‐―- 、
/..::::::::::::::::::.丶
. /..::::::::::::::::::::::::::: ヽ
i.::::::::::::」:::」:::」::」」i l
∞ / (● (● ∞
‖| ~" ゝ~" |l
‖八 З ./ |l <伯父上は間違ってごじゃる
‖ |ヽ\_ /ソ
0788人間七七四年
2011/02/14(月) 22:23:36ID:l/vd/fek0789人間七七四年
2011/02/14(月) 22:26:50ID:nyeM28P7必ず上と下の呪いがかかる。
0790人間七七四年
2011/02/14(月) 22:40:08ID:iRa36T0V6人中半分端折っとるがな
0792人間七七四年
2011/02/14(月) 22:41:52ID:a6DCbeqi蘭丸・坊丸・力丸の三人、名前は出さなかったけど、6人兄弟で5人在命と答えてたんで、鬼武蔵や忠政がdisられたわけじゃない
0793人間七七四年
2011/02/14(月) 22:57:13ID:pByIXCAz三法師の母親は森可成の娘じゃなかった?
0794人間七七四年
2011/02/14(月) 22:59:41ID:a6DCbeqi0795人間七七四年
2011/02/14(月) 23:04:38ID:+yj+V6GU0796人間七七四年
2011/02/14(月) 23:05:17ID:thF9AuNQ役者のせいでわかりにくいが初はまだ10歳くらいなので勘弁してくださいw
>>793
という説がある、という感じで確証はないはず。>三法師の母親は森可成の娘
0798人間七七四年
2011/02/14(月) 23:31:47ID:ybOV8tnMまぁスレ違いだ
0799人間七七四年
2011/02/15(火) 00:04:18ID:xyafO0yT……あたかも史実のように語ってくる知人さえいなければなぁ
0800人間七七四年
2011/02/15(火) 01:42:15ID:k/6hapsQだけどバサラ、てめーはダメだ
0801人間七七四年
2011/02/15(火) 10:25:08ID:CZFhRDCk「さんさいさま、さんさいさま!おうたをうたってくださいな。」
「おう、よしよし!さて、何の唄が良いかな?」
養女のお三にせがまれた三斎こと細川忠興は、快く求めに応じた。
「いつもの、さつまのうたがききたいです!」
「いいともいいとも。この唄はな、わしの古い友達に教えてもらった唄なのだよ・・・」
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-4768.htmlの後、
細川忠興は上洛して来た島津家一行の中に、新納忠元の姿を認めた。
「忠元殿、いつぞやは。」
「これは忠興殿!・・・・・・そうでしたか、あの旗印は、幽斎殿のものではなく、忠興殿でしたか。
小牧の戦いで、徳川軍相手に水際立った殿軍ぶりを見せたという勇士に、無粋な物言いをしてしまいました。」
恐縮する忠元に、忠興は素直な感謝の気持ちを述べ、以後二人は互いに宴会等に招きあう昵懇の仲となった。
“♪鹿児島の館 快い館 お盃賜る 琉球で語ろ・・・”
琉球の使節が薩摩での歓待ぶりを本国でも語ろうという筋の隆達節は、ある席で忠元が唄ったものだという。
のちに忠興の孫・細川立孝の正室となったお三(源立院)は養父の面影を懐かしみ、この隆達節と
それにまつわる話を、家臣たちに語った。
お三の語りは家臣たちによって「細川家記」に収録され、忠興と忠元の交誼を現代に伝えている。
0802人間七七四年
2011/02/15(火) 20:23:20ID:P0Ix4H4Aわかります
三斉様は大河出演の可能性が高くなって
今からアットホームなイメージアップをはかる気ですな
しかしながら浅井家と言えば森家の敵
例え娘だろうとあの方が黙って見過ごすとお思いか?
0803人間七七四年
2011/02/15(火) 20:43:37ID:Wn3XMCki「その者は私をあまり訪ねて来ませんので、人柄をよく存じません」
利勝がそう答えたことは、家康を怒らせた。
「お前のところに出入りする奴ばかり役職につけたら、おべっかばかりになって
家中に無能しかいなくなるじゃあないか。
お前のところに出入りしない者や、お前に対して不遜な奴でも有能な者を見抜いて推薦し、
出入りしている者であっても軽薄者は退けるよう、わしに進言するのがお前の役目なんだぞ」
利勝はこの言葉を胸にして家康の補佐役として成長した。
その成長ぶりを見て家康は
「利勝は同じ誤りを繰り返さず、真心を持って使える人物だ」と言った。
0804人間七七四年
2011/02/15(火) 20:48:06ID:ldT9RDI+0805人間七七四年
2011/02/15(火) 21:28:15ID:A6/EccxDhttp://www.yomiuri.co.jp/e-japan/kanagawa/news/20110213-OYT8T00036.htm
これを見て
あの鈴木大学の弓
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-753.html
が見つかったのか!?
と思ったのは俺だけではあるまい
0807人間七七四年
2011/02/15(火) 21:52:55ID:kuNRN1C8明清の秀吉伝説まとめ
ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-1322.html
明史日本伝
薩摩州の奴隷で、信長に木の下で出会ったので、「木下人」と名づけられ重用。
阿奇支(明智or安芸氏?)を信長の命令で討滅した折、信長が明智に殺されたのを知り、
部将行長らと共に勝ちに乗じて兵を還し、明智を誅す。その後、信長の三子を廃し、
関白を僭称し、信長の後継者となる。
ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-4202.html
関ヶ原軍記大成成立の頃の中国における伝説
秀吉は元々、呉か越のあたりに居た書生(中国人)。
科挙に受かることが出来ず将来に絶望し、中国を捨てて日本に渡り、
遂に日本人となってその天下を取った。
ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-4201.html
「笑府」
関白(秀吉)は、身のたけ数丈、腰の太さが百まわり
首の重さは数千斤の妖怪
追加
「水滸後伝」第三十回
関白は身の丈八尺、白象に乗ってシャム征服を図る。
髪をぐるぐる巻きにし、先の丸まった鉄棒を武器とする。
清・康熙年間成立の小説「野叟曝言」
関白木秀は、美男の明の使者二人をものにしようと、
酒に睡眠薬を入れ眠らせるが、一人は関白夫人・寛吉が奪い取る。
関白は眠っていてはもの足りぬと、残った一人(主人公)を覚醒させる。
驚いた主人公は刀で斬りかかるが、関白は椅子で受け止め、格闘。
主人公は敵せぬと自殺。もう一人も関白夫人を殺したのち自殺。
「斬蛟記」
関白平秀吉は西晋の神仙・許真君(許遜)に斬られた蛟の子が
日本で長じた物であり、一兵卒より身を起こし、旧関白を殺害し
六十六州を平らげる。
蒙仙師や黄石公などの仙人により、頭を落とされるがその死体は
長さ数千丈、蛇形にして魚鱗あり、という姿だった。
とっくに妖怪にされまくりだから、バサラなんてかわいいもんだ
0809人間七七四年
2011/02/15(火) 22:37:51ID:uhSCI7/m昔から全く進歩してないなw
0812人間七七四年
2011/02/15(火) 22:44:07ID:dQGmBJ0o0813人間七七四年
2011/02/15(火) 22:47:48ID:Isx4cWlZガラシャ様見に行こうぜ!!
0814人間七七四年
2011/02/15(火) 22:47:51ID:kuNRN1C8水滸後伝「第三十回」→水滸後伝「第三十五回」
「いい話」には微妙かもしれないが、下二つを紹介していた
青木正児「江南春」拘肆野語・支那戯曲小説中の豊臣秀吉、に
「我が不世出の英雄豊臣秀吉の誇りを毀けること甚だしいものであるが、
それにしても外国の小説にまで描かれてその雷鳴を轟かしたことは
吾々の痛快を覚ゆるところである」(昭和二年)
と書いていたもんで
>>805のネタを遮ってスマン
0817人間七七四年
2011/02/16(水) 00:48:22ID:5tCQd1A0よくある話よくある話
0819人間七七四年
2011/02/16(水) 01:25:57ID:iLbrX0+N0820人間七七四年
2011/02/16(水) 01:35:25ID:kyTwzR6c朝鮮役もその枠に入れられて考えられたんだろう。
0821人間七七四年
2011/02/16(水) 01:41:17ID:lgARsKsc>>819
>>807
> ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-4202.html
にちゃんと書いてある
> ところがこれ、実は倭寇の頭領であった王直の履歴そのままなのである。
> 同じく日本から大陸を攻めた人物として、いつしかそれぞれの話が重なってしまったのだろうか?
0822人間七七四年
2011/02/16(水) 02:49:59ID:lM/fH4M+そんな与太話は流布されてすぐに戦前の史学会で否定されてるしw
あんなトンチキ説を取り上げるのはインパクト与えたい三流メディアだけなんだけどな。
それを例に出すのはお前の程度も知れるから止めておけ。
0823人間七七四年
2011/02/16(水) 03:44:45ID:l72QDUwYいや、815は本気でそれを持ち出したわけじゃないと思うのだが・・・
さすがにこのスレにまで来る奴が義経=チンギス説を信じてる筈がなかろう。
根拠のないトンチキ認定はどこの国も少なからずやってるって事でしょ。
0824人間七七四年
2011/02/16(水) 04:14:46ID:eLnB+5Prだからうちの民族凄いんだぜ!と言い出すのと、
負けて悲劇的な最後を遂げた人物が
実は死なずに生き延びていて・・・ってのは
なんか同じように見えて違う感覚のような気がする。
トンチキ認定ってくくりは一緒だけど。
0825人間七七四年
2011/02/16(水) 06:50:16ID:5YKPD8aCそれでも日本では20世紀になってから出てきた話だよ。
どこの国も一度は通る道だ。
半島では21世紀になってからもやってるみたいだけどね。
0826人間七七四年
2011/02/16(水) 06:58:14ID:dB8VfThd0827人間七七四年
2011/02/16(水) 07:09:48ID:hlLwehjX0828人間七七四年
2011/02/16(水) 08:23:33ID:VtrxOxNr0830人間七七四年
2011/02/16(水) 20:35:19ID:xBRdKwiM当時の明人が、秀吉の業績をそこまで凄いと思うだろうか。
読んでる我々は現代日本人だから、戦国日本を統一したのは不世出の偉業と思うけどさ。
どう考えても中華思想華やかなりし当時の明人の脳内だと、
「モラトリアムして自分探ししてたアホが、逆恨みしてとんでもないバイタリティ発揮して辺境の小国乗っ取って襲ってきた」
というシチュエーションだと思うんだが。
0831人間七七四年
2011/02/16(水) 21:09:17ID:wkU1UowKなんかうちの国と因縁ある設定にした方がドラマチック」とかな
0832人間七七四年
2011/02/17(木) 00:12:54ID:cdRMPZ7pなんで森忠政は兄の敵である家康に接近した訳?
TERU池田はラスボスが間を取り持って家康の娘婿になったから分かるんだけど。
上記の例とか、兄貴が蘭丸殺した人間を召し抱えたみたいに「武功は武功」・「戦国の世の常」的なものかな?
川中島増封は森家が無理にとってつけた事みたいだし。
0833人間七七四年
2011/02/17(木) 00:22:01ID:94ILP9340834人間七七四年
2011/02/17(木) 00:27:30ID:bgIVk3f2徳川と戦ったのはあくまで秀吉に与力したというだけで、お互いに敵対したかったわけではないし、
その意味で仇ではない。また痛い目にあったからこそその人の実力がわかるって部分もある。
戦国大名は狼の群れみたいなもんだ。噛み付かれて彼我の差を知って屈服するんだよ。
0835人間七七四年
2011/02/17(木) 12:44:42ID:WE5R798nえ、兄をぬっころしててくれたおかげで当主になれたのだから感謝するだろ。
0836人間七七四年
2011/02/17(木) 12:55:19ID:HhkQrD2J0837人間七七四年
2011/02/17(木) 13:21:45ID:UEfCrLOx長可を討ち取った誰かはどうなったんだろう。
0838人間七七四年
2011/02/17(木) 14:59:30ID:9l560cQ8完璧超人立花宗茂は旧敵の小早川隆景を義理の親にしてるし
親父を殺した島津とは共に西軍で戦った仲間としてるんだから
立場が変わればそんなもんだろうといえば優等生の宗茂ゆえに逆に胡散臭く聞こえるが
戦国期トップレベルのDQNの弟と戦国期トップレベルの優等生が同じような思考をしているから
これが戦国時代の常識なのではと思った
0840人間七七四年
2011/02/17(木) 15:55:05ID:9GYbjDFc0842人間七七四年
2011/02/17(木) 18:05:52ID:+hSGBrCV名のある相手に討ち取られたのはむしろ喜ばしい事なんだろう
0844人間七七四年
2011/02/17(木) 19:07:52ID:zkuO4Yhw意味を読み取れず本気でそこ突っ込むお前の程度はさらに低いよ。
ヲレの即興の作り話しに100以上の拍手したり大量のコメント残したりとここの奴らは プッ
これからもヲレの妄想逸話で猿を喜ばしてやるからね プッ
0845人間七七四年
2011/02/17(木) 20:05:06ID:zlxEqfjF名古屋城普請を命じられた清正は普請に熱心に取り組んだ。
清正はよく普請のそばで行われる市場に顔をだし、市場まる事買う事がよくあった。
そして大きな仕事の前はここで買った品(酒、食料、日常品など)を大盤振る舞いしたという。
清正の故郷も近い事もあり大勢の人が集まり、市民や他国の家臣も参加してこの宴会は毎回大騒ぎになっていた。
そして大工事当日は美少年5、6人に華美な小袖羽織を着せ、現場を見回った。
この少年達、余程見栄えがよかったのか
「およびなけれど万松寺の華を、折りて一枝欲しうござる」
(近くにある万松寺の美しい花になぞらえた美少年を褒める歌?)
この様な歌が流行り美少年を一目見たいと大勢の女性が加藤家の屋敷に集まった。
清正は彼女等を屋敷に入れ、少年達を披露し酒を振舞い楽しんでいたという。
藤原惺窩も現場で清正等一行の工事を見ていた。惺窩の従者は清正のあまりの放蕩振りに驚き
従者「全く肥後殿は何を考えているのか。このような事をしていては普請など上手くいく筈もなかろう」っと呟いた。
それを聞いた惺窩は
「それは全く見当違いな話だ。天下は徳川家というご時世だ。他の者が徳川家に睨まれまいと規則通りに仕事をするのに
肥後殿はあのように堂々とした振る舞いをしている。工務も決して遅れてはいまい。
それにな、ああやって現場で仲間を増やしておけばいざという時に役に立つものだ。
このような事が出来るのは今や肥後殿だけだろう。度量のある武士とは彼の様な者を言うのだ。
大御所様の御目に掛かるのもこれだけ観て十分わかる。」
っと清正の度量に感服したそうだ。
名古屋城築城後は
音にきこえしなごやの城を、踏みやならいた肥後の衆が
という歌が流行し名古屋での清正の名声は高まったという。
ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-1857.html
こういう事故が起こっても普段から必要経費(保険)をかけておけばなんとかなる!っという
清正の人心把握術のお話。
0849人間七七四年
2011/02/17(木) 21:55:08ID:8TMNEi/X0851人間七七四年
2011/02/17(木) 22:19:56ID:sbxiq9zv意見を聞き、その人々が支持する者をその役職につけるようにした、という。
勿論これには理由がある。
「人の上に居る人間は惣じて、人の善し悪しが見えにくくなっているものなのだ。
何故ならどんな人間であっても、上の者の考えに合わせそれに迎合し、上の人間に
気に入ってもらおうとしてしまう。これは人情というものなのだ。
そのためその者の本心は非常に見えにくく、どんな賢明な君主であっても、
上からの視点ではその善悪を判断しずらくなってしまうのだ。
よって実際に下で働く者たちの意見を聞くことで、上からの視点では見えないものを
補うことができるし、また下の者たちも、自分たちの意見が汲み上げられた上役ということで、
その下知にもよく従うようになるのである。」
家康の人材の使い方の一端についてのおはなし。
0852人間七七四年
2011/02/17(木) 22:41:01ID:G9k4U7kR実際は現場に顔を出して
「お前達の替わりに番をしてるから遊んで来いよ」
と下の者にプレッシャーを与えるけどね
0854人間七七四年
2011/02/17(木) 23:28:52ID:wdf+id6r戦略拠点を任せておいて「柱の傷〜」とか理解不能なイチャモンつけて怒るけどな
氏康歴史資料館でも作れば良かったのかと
0855人間七七四年
2011/02/17(木) 23:33:01ID:4ZYnF/O80856人間七七四年
2011/02/17(木) 23:33:40ID:0/P6lueW0857人間七七四年
2011/02/17(木) 23:35:41ID:wwDKOgz1>ああやって現場で仲間を増やしておけばいざという時に役に立つものだ
どんな「いざ」だよw
0860人間七七四年
2011/02/17(木) 23:45:01ID:sbxiq9zvむしろ武士の場合女にデレデレする方が白い目で見られた。
衆道は武張って男らしい趣味だと考えられてた。
0862人間七七四年
2011/02/18(金) 00:17:51ID:5GhEqUAa地味加藤さん、松山築城では城下のおたたさん(魚を売り歩く女性)に協力を仰いだり
嫁さんが炊き出しに出たりと、なんだかアットホームなアプローチをしているね。
(ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3837.html参照)
築城予定地の勝山に棲んでいた八百八狸の頭・隠神刑部と、
「狸に危害を加えない代わり狸もお城を末長く守る」
と言う約定を結んだ、なんて伝説もあって、
これが二百年後のお家騒動を元にした講談『松山騒動八百八狸物語』
に繋がるのはまた別のお話。
0863人間七七四年
2011/02/18(金) 00:25:37ID:aMuUUD2B0864人間七七四年
2011/02/18(金) 00:28:07ID:5GhEqUAa…二百年後は講談成立時期でした
0865人間七七四年
2011/02/18(金) 09:45:51ID:o4FGuh/V石が落ちても誰もしゃべらないってことだなw
しかも幕府の役人まで半ば見て見ぬふりだしw
0866人間七七四年
2011/02/18(金) 17:48:24ID:koAYKGx9鍋島勝茂が徳川家光に従って上京した時の話である。
勝茂が泊まっていた宿舎に、若年寄の永井尚政から書状が届いた。
それに対する返書を持たせ、相浦源左衛門を永井家の宿舎に送り出す。
が、あいにくと永井尚政は二条城に登城しており、宿舎を留守にしていた。
取次ぎの者からそれを聞くと、源左衛門はそのまま、二条城へと直行してしまう。
勿論、何のアポもなく二条城に入る事など出来はしない。
源左衛門はただただ、勝茂に言われた「永井殿に届けてくれ」という言葉のみを考
えており、その辺りの手続きは一切考慮していなかった。
門の前で衛兵に止められる。当然である。それどころか侵入を企てた怪しい奴、と
して拘束されかかってしまう。
「私は怪しい者ではありません!鍋島信濃守(勝茂)の使いとして参りました。永
井様にお目通りを致したいのです!」
当然、何のアポもなく城で執務中の幕臣に面会など出来はしない。
だが、「鍋島家の臣」と言われると、門番としても自らの一存で拘束してしまって
良いものか、少々不安になってくる。
そんな時に、門前での騒ぎを聞きつけ、一人の男が城から出てきた。
「どうした、何の騒ぎなのだ?」
「岡部様! これは良い所に。この男が鍋島家の使者を名乗り、ここを通せと言って
おるのですが……」
「なんだ、信濃殿のお使いとな。それなら私が手紙を預かろうではないか」
いかにも身分の高そうなその男は、気さくな感じでそう言うと、手紙を寄越せと手
を差し伸べる。
しかし……
0867人間七七四年
2011/02/18(金) 17:49:16ID:koAYKGx9「いえ、この手紙は主君に預けられた大事な手紙でございます!いかに身分の高い
御方であろうと、見も知らぬ御方に預ける事など出来ませぬ!」
源左衛門はその手をあっさりと拒絶。
「え……? 知らない? 私の事を……? お前、鍋島家の者で……永井家に使者に立
つ位には重用されてる者なんだよ……ね?」
呆然とした男。それもその筈、この身分の高そうな男、大垣城主・岡部長盛の嫡子、
岡部宣勝であった。
そして実は宣勝は鍋島勝茂の妻の弟。主君の義理の弟なのである。
義兄の家臣が困っている様子だったからと声を掛けてあげた宣勝、何故か自分が誰
なのか、勝茂との関係がどうなのか、社会的にどの程度信用出来る人間であるのか、
一生懸命に源左衛門に説明する羽目となってしまった。
漸く納得してくれた源左衛門から手紙を預かった宣勝は、手ずから城内の永井尚政
に手紙を届け、返書まで持ってきてくれるという良い人ぶり。
それどころかその日の晩、義兄の許を訪れた宣勝は、
「二条城での騒ぎを聞きましたかな? あの男、愚直に過ぎる所はありますが、中々
の器量ではないですか。私は気に入りましたな、是非、目をかけてやってくだされ」
と勝茂へのフォローまでしてやった。
将軍が滞在中の城で騒動を起こしてしまった源左衛門、もうこれは切腹しかない、
と思い詰めていたのだが、宣勝のフォローによって世間の評判はむしろ高くなった。
勝茂からもこの件へのお叱りは一切なかったと言う。
>>http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-4528.html
>>http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2624.html
というキッツイ逸話持ちのお姉ちゃんの弟さんのお話。
……お父さん、育て方間違えたんじゃない? 逆! 性格逆でお願い!!
0868人間七七四年
2011/02/18(金) 18:01:30ID:KURTc/d/0869人間七七四年
2011/02/18(金) 20:13:18ID:EOsgiZcA0870人間七七四年
2011/02/18(金) 23:01:24ID:IosbNlWN0871人間七七四年
2011/02/18(金) 23:22:27ID:1wshhUje0872人間七七四年
2011/02/19(土) 01:33:19ID:Rc+iCtKpところが清正だけはとっさに鬼の面と短刀を手に取り、道具箱の中に隠れた。
盗品を村外れまで運んだ泥棒がその道具箱を開けると、鬼の面をかぶった清正が飛び出してきて、たちまち泥棒の一人を
切り捨てたため、残りの者達は
「鬼じゃ!鬼が出た!」
と驚きのあまり一目散に逃げてしまったという。
清正少年、泥棒を撃退したいい話。
0873人間七七四年
2011/02/19(土) 01:50:30ID:NMqjuvxE現代のお面とは感覚が全然違うような
0874人間七七四年
2011/02/19(土) 02:30:57ID:Vzchav0y0875人間七七四年
2011/02/19(土) 02:40:20ID:x53vzWWY泥棒「天狗じゃ、天狗の仕業じゃ!」
0876人間七七四年
2011/02/19(土) 08:41:41ID:nkhfZZQR0877人間七七四年
2011/02/19(土) 09:49:16ID:Qu8k2yhJ0878人間七七四年
2011/02/19(土) 11:35:31ID:66LlXUkg神聖である、信仰しているということはむやみに畏れ遠ざけることじゃないし、子供は昔から怖いもの知らず。
また、鬼神の力を借りるという意思で被り、一種のトランス状態になって恐怖を克服するのはありうるよ。
トランス状態って要するにぶっちゃけ思い込みによる自己神格化な訳で、立ち向かう勇気は溢れると思う。
0879人間七七四年
2011/02/19(土) 12:41:41ID:NMqjuvxEなるほど〜!
本当にそういう意味で清正がお面被ったように思えてきたよ。
文字通り鬼になったわけだね。
女性が化粧すると気が強くなるのと一緒かな。
0881人間七七四年
2011/02/19(土) 14:58:14ID:3Cyaw363うん、>>880の前世は福島正則なんだよきっと・・・。
0883人間七七四年
2011/02/19(土) 15:37:06ID:vAuCsby+そういうことはあるだろうね。
鈴木大拙の「日本的霊性」にも念仏宗の信徒(若い娘)が、
お伊勢参りの道でヤマイヌの群れに囲まれたときに、
もうダメだと思って無心で南無阿弥陀仏を唱えたらヤマイヌが退散したという話があった。
無心の気迫が通じるみたいなことなのだろう
0885人間七七四年
2011/02/19(土) 19:38:57ID:x53vzWWY化粧とった→化け物
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