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戦国ちょっといい話24

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0001人間七七四年2010/12/25(土) 13:26:54ID:U0HLGF9L
戦国のホロリとくるエピソードを挙げていこう

戦国ちょっといい話・悪い話まとめブログ
http://iiwarui.blog90.fc2.com/
書き込む際にネタがかぶっていないかなどの、参考にしてください

前スレ
戦国ちょっといい話23
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1288278217/

姉妹スレ
戦国ちょっと悪い話24
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1292026893/

鎌倉・室町 ちょっといい話・悪い話
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/history/1286650888/

このスレの武将などに対する愛称等の、用語解説はこちら
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2161.html

逸話に対する過度の真贋論争、揚げ足取りなどは、無駄に荒れるもとになります。
そのような議論はこちらでお願いします
【真?】戦国逸話検証スレ【偽?】
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1196778610/
0754人間七七四年2011/02/13(日) 18:25:54ID:2vFxlbxn
宇喜輪

宇喜多秀家が大坂の陣に際し八丈島から大坂まで泳いでわたった故事は余りにも有名であるが
実は八丈島で捕れた鯨の腸をつなぎ合わせた浮き袋を考案して
泳ぐ際の負担を軽くしていたことはほとんど知られていない

江戸中期、八丈島を飢饉が襲った際
試みにこの浮き袋をつくり江戸で売ったところ泳げない武士の間でたちまち大人気となり
その儲けで島民全員を糊して余りある米を買う事ができたと言う
そのとき島民が考案者である秀家に感謝を示す意味でこれを「宇喜輪」と名づけたことは
賢明な読者諸氏には既にお分かりのことであろう

なお八丈島宇喜多氏が「浮田」と改姓したのもこの頃であるが
これは宇喜輪の利益で軍備を整えた宇喜多の子孫が幕府に弓をひくのではないかと
危ぶむ幕閣の視線をそらすためであったという

さらに余談であるが、ドイツ起源の料理として今日著名な「ソーセージ」も宇喜輪に端を発する
遠州灘で宇喜輪を使って泳いでいる秀家にオランダ東インド会社の帆船が食料を売ったと言う記録があり
このときにオランダ人が腸をつなぎ合わせる料理の発想を得それをドイツ人が実用化したという
その証拠に「ソーセージ」を表す「腸詰」と言う単語は
オランダ人から体調を聞かれた秀家の「超つれえ」という日本語から来ているという話が
ドイツの限られたソーセージ・マイスターの間で口伝として残っている
0755人間七七四年2011/02/13(日) 18:33:21ID:pZRAq/J+
>>713
遅レスだが茂庭綱元の日記に、何かの祝い事のときに
政宗が紅白幕の模様の眼帯をしていたという記述があった
ということを本で読んだ覚えがある。アイパッチではなく
そういう柄の布を巻いていたかもしれない

0756人間七七四年2011/02/13(日) 18:45:50ID:DWwt4EEW
>>754
最後に民明書房が抜けてるぞ
0757人間七七四年2011/02/13(日) 19:00:25ID:zWWxnX9v
>>754
本当なのかどうか一瞬迷ったじゃねーかw
もうちょっとネタって分かりやすくしようよw
0758人間七七四年2011/02/13(日) 19:05:40ID:zQGldhXw
>>757
> 宇喜多秀家が大坂の陣に際し八丈島から大坂まで泳いでわたった故事は余りにも有名であるが

この一行目でさすがに解るだろw
0759人間七七四年2011/02/13(日) 22:02:15ID:iWpNnSfo
三連休で一生懸命考えたんだろうな
0760人間七七四年2011/02/13(日) 22:11:02ID:Tu25HnAN
>>757
0761人間七七四年2011/02/14(月) 01:15:23ID:puwfzaQQ
今年の大河ドラマ並みの逸話だな
0762人間七七四年2011/02/14(月) 01:18:57ID:rRCpTngr
織田のぶかね(変換できない)の知名度があがっただけよしとしようw
0763人間七七四年2011/02/14(月) 01:46:39ID:Zri1eYJe
>>748
本宮ひろ志が描いたジャンプの読み切り作品の「大飢饉」で土粥ってのがあったがそれなんかね?
0764人間七七四年2011/02/14(月) 02:31:31ID:gKCVeQYw
>>754ちょと面白かったぞw
0765人間七七四年2011/02/14(月) 06:57:58ID:a6DCbeqi
>>762
大坂の陣の直前に、突然死んで暗殺説もあるのに、これまでスルーされっぱなしだもんな
0766人間七七四年2011/02/14(月) 10:47:27ID:jQK1vxKn
武田氏を滅ぼした信長が、駿遠三遊覧で家康の接待を受けた時に家康とその重臣達にこんな話しをした。

信長「三河殿、古今の英雄と言われる人物は数多いるがあなたは誰が最も優れていると思うか」
家康「それは上様以外ござらりませぬ」
信長「余の事はおけ。小平次(酒井忠次)、そちはどうだ?」
忠次「安土様の破格の偉業には頼朝公も義満公も足元にも及びませぬ」

このように信長は居合わせた重臣一人一人に親しく問うたので皆感涙したという。

そして全員が信長こそが古今最も秀でた英雄と褒めちぎるなかただ一人、違う人物を挙げる男がいた。。。

信長「平八郎(本多忠勝)、そなたはどうだ?」
忠勝「それは我が殿、徳川家康公でございましょう。殿は仁篤く、臣下を慈しみ、戦に置いては勇猛、仮に上様がいなければ天下を統べるのは我が殿以外ござらん!」

これは歪曲して聴けば謀反とも取れる言いようであり、家康以下一同は仰天して腰を抜かし、中には今にも忠勝を切ろうとする者までいたが。。。

信長は嬉しそうに手を叩き上機嫌で忠勝を褒め囃し、天下統一成れば家康の陪臣として武蔵一国を宛がう約束をしたという。
信長の死により約束は反古になったが家中に面目を施した忠勝は死ぬまで息子達にこの話しを誇ったという。
0767人間七七四年2011/02/14(月) 10:57:14ID:6/+txjmT
東国無双カッコよすぎ
0768人間七七四年2011/02/14(月) 11:30:34ID:KfaXMPAt
発言と周りの反応から察するに徳川家臣団は信長の事嫌いだったんだろうなあ。
まあ自分の殿様が好き過ぎるんだろうけど。
0769人間七七四年2011/02/14(月) 11:33:21ID:gKCVeQYw
三河武士って相変わらずだな
0770人間七七四年2011/02/14(月) 11:42:46ID:o3jjrn0l
安土に随行してるのって酒井とか石川とか常識人が多いからな。
作左やタダーヨならどんなことをいっていたであろうか。
0771人間七七四年2011/02/14(月) 11:48:50ID:6/+txjmT
山と河に囲まれて田んぼが多くて奥地的な風土なんだよな三河って今でも。
豊田市周辺だけ見ると尾張と変わらないけど、
足助、飯田とかになると奥地な感じが今でもする。
あと、信長と秀吉は残ってる趣味言動が都会的だけど、三河武士は田舎者の臭いが強い。
良い意味でねw
0772人間七七四年2011/02/14(月) 11:49:59ID:sqTNEcos
もしかして「君と余だ」をやりたかったのか?信長は
0773人間七七四年2011/02/14(月) 12:07:31ID:Pkfpiuuo
おべっか使わずうちの殿じゃ!と言い切る奴探してたのは間違いなさそうだが。

作左たち連れてきた方が覚えよかったかもなw
0774人間七七四年2011/02/14(月) 12:30:24ID:LaaNxEpS
連れてきてたら家康涙目になっちゃう
0775人間七七四年2011/02/14(月) 12:40:54ID:LFHduT5a
雷に驚いて脱糞してみせる家康
0776人間七七四年2011/02/14(月) 12:50:07ID:bRq9Wt0z
戦国無双の忠勝の声で脳内再生されてしまう台詞だ。
0777人間七七四年2011/02/14(月) 13:42:44ID:6/+txjmT
社交辞令の中にひとり本音があるから爽やかさがあるんじゃね?
みんながみんな三河アゲしたら信長みるみる機嫌悪くなる気がするw
織田家臣も主君ないがしろにされて面子立たないし、
近江衆と尾張衆の喧嘩の再現になりそう
0778人間七七四年2011/02/14(月) 17:06:56ID:HJqyiNuZ
三国志演義を元にした創作としか思えんw
0779人間七七四年2011/02/14(月) 18:04:25ID:q5nxc30x
>>778
確かに信長が曹操、忠勝が関羽のやつなら見たことあるかもしれん
0780人間七七四年2011/02/14(月) 18:25:00ID:NYnHwWSu
三河脳筋忠義すぎだろ…
0781人間七七四年2011/02/14(月) 19:10:44ID:295YJYYp
めんどくさい三河武士の話のはずなのにカッコイイと感じるなんて
0782人間七七四年2011/02/14(月) 20:34:49ID:9Tyxn4Ct
誰か、俺の中のTERU成分が枯渇してるんだ。
TERUのいい話ないか。
一応一流の文化人だろ、TERU。それ系の話をくれ。
0783人間七七四年2011/02/14(月) 20:50:10ID:Ebs74tLK
>>770
温厚な信長様もさすがにブチギレかねん。
いなくて良かった御両名。
0784人間七七四年2011/02/14(月) 21:28:04ID:B/8gKS5Q
ノブはああ見えて空気読める奴だから作左あたりが暴言吐いても笑って見逃すと思うよ
対武田戦で家来でもない徳川家が果たした役割を考えれば悪口の一つや二つ言って叱るべきだし
0785人間七七四年2011/02/14(月) 21:42:50ID:Pkfpiuuo
いや、流石に悪口言った上ノブを叱ったら手討ち
0786人間七七四年2011/02/14(月) 22:05:41ID:a6DCbeqi
タダーヨならまだしも、彦左衛門がいたらどうなってたのよ?

後で、陰口をたたいてるだけ?まあ、そう言わないで
0787人間七七四年2011/02/14(月) 22:19:34ID:ErCRo6fT
>>785

         -‐―- 、
    /..::::::::::::::::::.丶  
 .  /..::::::::::::::::::::::::::: ヽ     
   i.::::::::::::」:::」:::」::」」i l
    ∞ / (●  (● ∞
   ‖|  ~"  ゝ~" |l 
   ‖八    З ./ |l <伯父上は間違ってごじゃる
   ‖ |ヽ\_ /ソ
0788人間七七四年2011/02/14(月) 22:23:36ID:l/vd/fek
森さんちなら何やっても大丈夫
0789人間七七四年2011/02/14(月) 22:26:50ID:nyeM28P7
あの大河、初に「森家は三兄弟、うちと一緒ですね!」などと言わせたので
必ず上と下の呪いがかかる。
0790人間七七四年2011/02/14(月) 22:40:08ID:iRa36T0V
見てないけど長可・蘭丸・忠政ってこと?
6人中半分端折っとるがな
0791人間七七四年2011/02/14(月) 22:41:25ID:nyeM28P7
>>790
もちろん信長小姓の乱丸・力丸・坊丸ですよw
0792人間七七四年2011/02/14(月) 22:41:52ID:a6DCbeqi
>>790
蘭丸・坊丸・力丸の三人、名前は出さなかったけど、6人兄弟で5人在命と答えてたんで、鬼武蔵や忠政がdisられたわけじゃない
0793人間七七四年2011/02/14(月) 22:57:13ID:pByIXCAz
大河ドラマみてないけど、森家の女は無視?
三法師の母親は森可成の娘じゃなかった?
0794人間七七四年2011/02/14(月) 22:59:41ID:a6DCbeqi
それを言ったら、浅井側も三姉妹じゃなくって、男兄弟がいるし・・・(出てこなかったけど)
0795人間七七四年2011/02/14(月) 23:04:38ID:+yj+V6GU
おまえら結構ファンタジー大河を見てるのな
0796人間七七四年2011/02/14(月) 23:05:17ID:thF9AuNQ
>>789
役者のせいでわかりにくいが初はまだ10歳くらいなので勘弁してくださいw

>>793
という説がある、という感じで確証はないはず。>三法師の母親は森可成の娘
0797人間七七四年2011/02/14(月) 23:07:57ID:a6DCbeqi
>>795
独眼竜政宗という超ファンタジー大河は最高視聴率を獲得したんですよ?どこに不思議があるというのです
0798人間七七四年2011/02/14(月) 23:31:47ID:ybOV8tnM
あれは俳優のレベルが高かったからな
まぁスレ違いだ
0799人間七七四年2011/02/15(火) 00:04:18ID:xyafO0yT
BASARAも無双も楽しんでる俺にとってあの程度のファンタジーは許容出来る
……あたかも史実のように語ってくる知人さえいなければなぁ
0800人間七七四年2011/02/15(火) 01:42:15ID:k/6hapsQ
例えファンタジーにせよ、独眼竜は完成度が高かったから十分楽しめたしアリだと思えた
だけどバサラ、てめーはダメだ
0801人間七七四年2011/02/15(火) 10:25:08ID:CZFhRDCk
語り継ぐ

「さんさいさま、さんさいさま!おうたをうたってくださいな。」
「おう、よしよし!さて、何の唄が良いかな?」

養女のお三にせがまれた三斎こと細川忠興は、快く求めに応じた。
「いつもの、さつまのうたがききたいです!」
「いいともいいとも。この唄はな、わしの古い友達に教えてもらった唄なのだよ・・・」



http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-4768.htmlの後、
細川忠興は上洛して来た島津家一行の中に、新納忠元の姿を認めた。

「忠元殿、いつぞやは。」
「これは忠興殿!・・・・・・そうでしたか、あの旗印は、幽斎殿のものではなく、忠興殿でしたか。
小牧の戦いで、徳川軍相手に水際立った殿軍ぶりを見せたという勇士に、無粋な物言いをしてしまいました。」

恐縮する忠元に、忠興は素直な感謝の気持ちを述べ、以後二人は互いに宴会等に招きあう昵懇の仲となった。



“♪鹿児島の館 快い館 お盃賜る 琉球で語ろ・・・”

琉球の使節が薩摩での歓待ぶりを本国でも語ろうという筋の隆達節は、ある席で忠元が唄ったものだという。
のちに忠興の孫・細川立孝の正室となったお三(源立院)は養父の面影を懐かしみ、この隆達節と
それにまつわる話を、家臣たちに語った。

お三の語りは家臣たちによって「細川家記」に収録され、忠興と忠元の交誼を現代に伝えている。
0802人間七七四年2011/02/15(火) 20:23:20ID:P0Ix4H4A
>>801
わかります
三斉様は大河出演の可能性が高くなって
今からアットホームなイメージアップをはかる気ですな
しかしながら浅井家と言えば森家の敵
例え娘だろうとあの方が黙って見過ごすとお思いか?
0803人間七七四年2011/02/15(火) 20:43:37ID:Wn3XMCki
徳川家康はある者を役職につけようと考えて、その人柄を若き日の土井利勝にたずねた。

「その者は私をあまり訪ねて来ませんので、人柄をよく存じません」
利勝がそう答えたことは、家康を怒らせた。

「お前のところに出入りする奴ばかり役職につけたら、おべっかばかりになって
家中に無能しかいなくなるじゃあないか。

お前のところに出入りしない者や、お前に対して不遜な奴でも有能な者を見抜いて推薦し、
出入りしている者であっても軽薄者は退けるよう、わしに進言するのがお前の役目なんだぞ」

利勝はこの言葉を胸にして家康の補佐役として成長した。
その成長ぶりを見て家康は
「利勝は同じ誤りを繰り返さず、真心を持って使える人物だ」と言った。
0804人間七七四年2011/02/15(火) 20:48:06ID:ldT9RDI+
あの偉人でも若いころはやっぱり未熟だった、お前らも頑張れよシリーズですね
0805人間七七四年2011/02/15(火) 21:28:15ID:A6/EccxD
小田原城 堀から戦国の弓
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/kanagawa/news/20110213-OYT8T00036.htm

これを見て
あの鈴木大学の弓
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-753.html
が見つかったのか!?
と思ったのは俺だけではあるまい
0806人間七七四年2011/02/15(火) 21:51:13ID:YgNxkLU0
>>805
よう俺
0807人間七七四年2011/02/15(火) 21:52:55ID:kuNRN1C8
>>799バサラ(秀吉が数mのゴリラ)で思いついた
明清の秀吉伝説まとめ
ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-1322.html
明史日本伝
薩摩州の奴隷で、信長に木の下で出会ったので、「木下人」と名づけられ重用。
阿奇支(明智or安芸氏?)を信長の命令で討滅した折、信長が明智に殺されたのを知り、
部将行長らと共に勝ちに乗じて兵を還し、明智を誅す。その後、信長の三子を廃し、
関白を僭称し、信長の後継者となる。

ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-4202.html
関ヶ原軍記大成成立の頃の中国における伝説
秀吉は元々、呉か越のあたりに居た書生(中国人)。
科挙に受かることが出来ず将来に絶望し、中国を捨てて日本に渡り、
遂に日本人となってその天下を取った。

ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-4201.html
「笑府」
関白(秀吉)は、身のたけ数丈、腰の太さが百まわり
首の重さは数千斤の妖怪

追加
「水滸後伝」第三十回
関白は身の丈八尺、白象に乗ってシャム征服を図る。
髪をぐるぐる巻きにし、先の丸まった鉄棒を武器とする。

清・康熙年間成立の小説「野叟曝言」
関白木秀は、美男の明の使者二人をものにしようと、
酒に睡眠薬を入れ眠らせるが、一人は関白夫人・寛吉が奪い取る。
関白は眠っていてはもの足りぬと、残った一人(主人公)を覚醒させる。
驚いた主人公は刀で斬りかかるが、関白は椅子で受け止め、格闘。
主人公は敵せぬと自殺。もう一人も関白夫人を殺したのち自殺。

「斬蛟記」
関白平秀吉は西晋の神仙・許真君(許遜)に斬られた蛟の子が
日本で長じた物であり、一兵卒より身を起こし、旧関白を殺害し
六十六州を平らげる。
蒙仙師や黄石公などの仙人により、頭を落とされるがその死体は
長さ数千丈、蛇形にして魚鱗あり、という姿だった。

とっくに妖怪にされまくりだから、バサラなんてかわいいもんだ
0808人間七七四年2011/02/15(火) 22:14:47ID:HN6XwgEp
>>805-806
このスレに居るとやっぱそう思うよなw
0809人間七七四年2011/02/15(火) 22:37:51ID:uhSCI7/m
日本の偉人は在日認定とかさすがあの国の宗主国w
昔から全く進歩してないなw
0810人間七七四年2011/02/15(火) 22:40:38ID:LGKL1BQ4
>>805
あれ? 俺がいる。
0811人間七七四年2011/02/15(火) 22:42:49ID:1wZ1NPLp
>>805
思ったw
0812人間七七四年2011/02/15(火) 22:44:07ID:dQGmBJ0o
俺がいっぱいいるw
0813人間七七四年2011/02/15(火) 22:47:48ID:Isx4cWlZ
そう、我々が歌仙だ!

ガラシャ様見に行こうぜ!!
0814人間七七四年2011/02/15(火) 22:47:51ID:kuNRN1C8
少々訂正
水滸後伝「第三十回」→水滸後伝「第三十五回」
「いい話」には微妙かもしれないが、下二つを紹介していた
青木正児「江南春」拘肆野語・支那戯曲小説中の豊臣秀吉、に
「我が不世出の英雄豊臣秀吉の誇りを毀けること甚だしいものであるが、
それにしても外国の小説にまで描かれてその雷鳴を轟かしたことは
吾々の痛快を覚ゆるところである」(昭和二年)
と書いていたもんで
>>805のネタを遮ってスマン
0815人間七七四年2011/02/15(火) 22:56:04ID:bNhM9yTB
>>809
つ義経=チンギスハーン説
0816人間七七四年2011/02/15(火) 23:27:27ID:km5FBBAy
>>815
ヌルハチ=織田信長説とかもあったな。
0817人間七七四年2011/02/16(水) 00:48:22ID:5tCQd1A0
日本の武士が海外に渡って王の片腕になったり海賊になったりとかもあるね
よくある話よくある話
0818人間七七四年2011/02/16(水) 00:52:09ID:bGk4rd4H
>>799
許容出来るかボケ
信長も光秀で死ぬ間際に思い出すのが江ってどんだけ主人公
中心で世界が回ってんねん
0819人間七七四年2011/02/16(水) 01:25:57ID:iLbrX0+N
英雄=英雄と科挙落ちの出来損ないが日本あたりじゃ英雄だってのはわけが違うだろ
0820人間七七四年2011/02/16(水) 01:35:25ID:kyTwzR6c
中国の場合科挙に落第した知識階級の端くれが乱を起こしたり加わったりってのはよくあることだから
朝鮮役もその枠に入れられて考えられたんだろう。
0821人間七七四年2011/02/16(水) 01:41:17ID:lgARsKsc
>>809
>>819

>>807
> ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-4202.html
にちゃんと書いてある

> ところがこれ、実は倭寇の頭領であった王直の履歴そのままなのである。
> 同じく日本から大陸を攻めた人物として、いつしかそれぞれの話が重なってしまったのだろうか?
0822人間七七四年2011/02/16(水) 02:49:59ID:lM/fH4M+
>>815
そんな与太話は流布されてすぐに戦前の史学会で否定されてるしw
あんなトンチキ説を取り上げるのはインパクト与えたい三流メディアだけなんだけどな。
それを例に出すのはお前の程度も知れるから止めておけ。
0823人間七七四年2011/02/16(水) 03:44:45ID:l72QDUwY
>>822
いや、815は本気でそれを持ち出したわけじゃないと思うのだが・・・
さすがにこのスレにまで来る奴が義経=チンギス説を信じてる筈がなかろう。

根拠のないトンチキ認定はどこの国も少なからずやってるって事でしょ。
0824人間七七四年2011/02/16(水) 04:14:46ID:eLnB+5Pr
成功した人物の出自を、実はうちの民族出身!
だからうちの民族凄いんだぜ!と言い出すのと、
負けて悲劇的な最後を遂げた人物が
実は死なずに生き延びていて・・・ってのは
なんか同じように見えて違う感覚のような気がする。
トンチキ認定ってくくりは一緒だけど。
0825人間七七四年2011/02/16(水) 06:50:16ID:5YKPD8aC
>>822
それでも日本では20世紀になってから出てきた話だよ。
どこの国も一度は通る道だ。
半島では21世紀になってからもやってるみたいだけどね。
0826人間七七四年2011/02/16(水) 06:58:14ID:dB8VfThd
ヒトラーが実はドイツ人じゃない、ってのは?
0827人間七七四年2011/02/16(水) 07:09:48ID:hlLwehjX
オーストリア人だわな
0828人間七七四年2011/02/16(水) 08:23:33ID:VtrxOxNr
広義だと西ヨーロッパのほぼすべてがドイツになるからな
0829人間七七四年2011/02/16(水) 13:20:16ID:8h766z1V
>>822
どこかの国を一時併合した年を考えてみようかwww
0830人間七七四年2011/02/16(水) 20:35:19ID:xBRdKwiM
>>824
当時の明人が、秀吉の業績をそこまで凄いと思うだろうか。
読んでる我々は現代日本人だから、戦国日本を統一したのは不世出の偉業と思うけどさ。

どう考えても中華思想華やかなりし当時の明人の脳内だと、
「モラトリアムして自分探ししてたアホが、逆恨みしてとんでもないバイタリティ発揮して辺境の小国乗っ取って襲ってきた」
というシチュエーションだと思うんだが。
0831人間七七四年2011/02/16(水) 21:09:17ID:wkU1UowK
もしくは、「遠くの国で生まれ育っただけの人の話してもつまらないから
なんかうちの国と因縁ある設定にした方がドラマチック」とかな
0832人間七七四年2011/02/17(木) 00:12:54ID:cdRMPZ7p
話は変わるけど
なんで森忠政は兄の敵である家康に接近した訳?

TERU池田はラスボスが間を取り持って家康の娘婿になったから分かるんだけど。

上記の例とか、兄貴が蘭丸殺した人間を召し抱えたみたいに「武功は武功」・「戦国の世の常」的なものかな?
川中島増封は森家が無理にとってつけた事みたいだし。
0833人間七七四年2011/02/17(木) 00:22:01ID:94ILP934
ゴリ押しで豊臣の奉行公認で信濃にほぼ倍の石高で戻してもらって「家康殿のおかげ(キリッ」と言い放つ奴にそんなウェットな感情論は無いと思う。
0834人間七七四年2011/02/17(木) 00:27:30ID:bgIVk3f2
>>832
徳川と戦ったのはあくまで秀吉に与力したというだけで、お互いに敵対したかったわけではないし、
その意味で仇ではない。また痛い目にあったからこそその人の実力がわかるって部分もある。

戦国大名は狼の群れみたいなもんだ。噛み付かれて彼我の差を知って屈服するんだよ。
0835人間七七四年2011/02/17(木) 12:44:42ID:WE5R798n
>832
え、兄をぬっころしててくれたおかげで当主になれたのだから感謝するだろ。
0836人間七七四年2011/02/17(木) 12:55:19ID:HhkQrD2J
ふぅ危うく商人の嫁にされるところだったぜ、ですね。
0837人間七七四年2011/02/17(木) 13:21:45ID:UEfCrLOx
池田恒興を討ち取った永井直勝は1万石になれたけど
長可を討ち取った誰かはどうなったんだろう。
0838人間七七四年2011/02/17(木) 14:59:30ID:9l560cQ8
>>832
完璧超人立花宗茂は旧敵の小早川隆景を義理の親にしてるし
親父を殺した島津とは共に西軍で戦った仲間としてるんだから
立場が変わればそんなもんだろうといえば優等生の宗茂ゆえに逆に胡散臭く聞こえるが

戦国期トップレベルのDQNの弟と戦国期トップレベルの優等生が同じような思考をしているから
これが戦国時代の常識なのではと思った
0839人間七七四年2011/02/17(木) 15:40:52ID:HhkQrD2J
>>837
鉄砲だでなぁ
0840人間七七四年2011/02/17(木) 15:55:05ID:9GYbjDFc
戦場での命のやりとりだと仇とか遺恨はあまり残らないんじゃないのかな?
0841人間七七四年2011/02/17(木) 16:19:30ID:ApE85CDP
>>840
ビジネスですから
0842人間七七四年2011/02/17(木) 18:05:52ID:+hSGBrCV
死ぬ時にこそ生き様を見せつけるようでなくては。
名のある相手に討ち取られたのはむしろ喜ばしい事なんだろう
0843人間七七四年2011/02/17(木) 18:48:11ID:94ILP934
>>839
ついでに首も森家の人間に持ち去られたからなぁ・・・
0844人間七七四年2011/02/17(木) 19:07:52ID:zkuO4Yhw
>>822
意味を読み取れず本気でそこ突っ込むお前の程度はさらに低いよ。

ヲレの即興の作り話しに100以上の拍手したり大量のコメント残したりとここの奴らは プッ
これからもヲレの妄想逸話で猿を喜ばしてやるからね プッ
0845人間七七四年2011/02/17(木) 20:05:06ID:zlxEqfjF
名古屋城普請の清正。

名古屋城普請を命じられた清正は普請に熱心に取り組んだ。

清正はよく普請のそばで行われる市場に顔をだし、市場まる事買う事がよくあった。

そして大きな仕事の前はここで買った品(酒、食料、日常品など)を大盤振る舞いしたという。

清正の故郷も近い事もあり大勢の人が集まり、市民や他国の家臣も参加してこの宴会は毎回大騒ぎになっていた。


そして大工事当日は美少年5、6人に華美な小袖羽織を着せ、現場を見回った。
この少年達、余程見栄えがよかったのか

「およびなけれど万松寺の華を、折りて一枝欲しうござる」
(近くにある万松寺の美しい花になぞらえた美少年を褒める歌?)


この様な歌が流行り美少年を一目見たいと大勢の女性が加藤家の屋敷に集まった。

清正は彼女等を屋敷に入れ、少年達を披露し酒を振舞い楽しんでいたという。

藤原惺窩も現場で清正等一行の工事を見ていた。惺窩の従者は清正のあまりの放蕩振りに驚き

従者「全く肥後殿は何を考えているのか。このような事をしていては普請など上手くいく筈もなかろう」っと呟いた。

それを聞いた惺窩は

「それは全く見当違いな話だ。天下は徳川家というご時世だ。他の者が徳川家に睨まれまいと規則通りに仕事をするのに
肥後殿はあのように堂々とした振る舞いをしている。工務も決して遅れてはいまい。
それにな、ああやって現場で仲間を増やしておけばいざという時に役に立つものだ。
このような事が出来るのは今や肥後殿だけだろう。度量のある武士とは彼の様な者を言うのだ。
大御所様の御目に掛かるのもこれだけ観て十分わかる。」

っと清正の度量に感服したそうだ。

名古屋城築城後は
音にきこえしなごやの城を、踏みやならいた肥後の衆が
という歌が流行し名古屋での清正の名声は高まったという。

ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-1857.html

こういう事故が起こっても普段から必要経費(保険)をかけておけばなんとかなる!っという
清正の人心把握術のお話。
0846人間七七四年2011/02/17(木) 20:39:10ID:actGTBWO
>>837
>>839
>>843
でっちあげようとしてpgrになった逸話が前あったような…
0847人間七七四年2011/02/17(木) 20:45:03ID:urLfUhv7
>>845
実際名古屋城には清正が普請現場で激励してる石像があるな
0848人間七七四年2011/02/17(木) 21:02:06ID:XF4zCo0q
>>840
富田長繁「元敵には遺恨は残りませんな」
0849人間七七四年2011/02/17(木) 21:55:08ID:8TMNEi/X
まあ犬死にみたいな事にされた秀吉より家康のがましかと
0850人間七七四年2011/02/17(木) 21:59:54ID:94ILP934
>>846
そんなんあったっけ?
0851人間七七四年2011/02/17(木) 22:19:56ID:sbxiq9zv
徳川家康は家臣に重い役目を申し付けるとき、必ず先にその下で働く者たちの
意見を聞き、その人々が支持する者をその役職につけるようにした、という。

勿論これには理由がある。

「人の上に居る人間は惣じて、人の善し悪しが見えにくくなっているものなのだ。
何故ならどんな人間であっても、上の者の考えに合わせそれに迎合し、上の人間に
気に入ってもらおうとしてしまう。これは人情というものなのだ。

そのためその者の本心は非常に見えにくく、どんな賢明な君主であっても、
上からの視点ではその善悪を判断しずらくなってしまうのだ。

よって実際に下で働く者たちの意見を聞くことで、上からの視点では見えないものを
補うことができるし、また下の者たちも、自分たちの意見が汲み上げられた上役ということで、
その下知にもよく従うようになるのである。」

家康の人材の使い方の一端についてのおはなし。
0852人間七七四年2011/02/17(木) 22:41:01ID:G9k4U7kR
>>851
実際は現場に顔を出して
「お前達の替わりに番をしてるから遊んで来いよ」
と下の者にプレッシャーを与えるけどね
0853人間七七四年2011/02/17(木) 23:06:41ID:8SDk0+qZ
>>845
下で働くもんとしては、こういう大盤振る舞いやってくれる大将のが仕事も精が出るだろうなあ
0854人間七七四年2011/02/17(木) 23:28:52ID:wdf+id6r
>>851
戦略拠点を任せておいて「柱の傷〜」とか理解不能なイチャモンつけて怒るけどな
氏康歴史資料館でも作れば良かったのかと
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