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戦国ちょっといい話24

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0001人間七七四年2010/12/25(土) 13:26:54ID:U0HLGF9L
戦国のホロリとくるエピソードを挙げていこう

戦国ちょっといい話・悪い話まとめブログ
http://iiwarui.blog90.fc2.com/
書き込む際にネタがかぶっていないかなどの、参考にしてください

前スレ
戦国ちょっといい話23
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1288278217/

姉妹スレ
戦国ちょっと悪い話24
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鎌倉・室町 ちょっといい話・悪い話
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/history/1286650888/

このスレの武将などに対する愛称等の、用語解説はこちら
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2161.html

逸話に対する過度の真贋論争、揚げ足取りなどは、無駄に荒れるもとになります。
そのような議論はこちらでお願いします
【真?】戦国逸話検証スレ【偽?】
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1196778610/
0704人間七七四年2011/02/11(金) 19:31:15ID:s2pesM7h
>>700
地味加藤家では出奔した奴は必ず殺すみたいなルールがあったの
だろうか・・・
0705人間七七四年2011/02/11(金) 19:47:00ID:PxnisQlv
>>704
いや、そういう例は一切無い。
団衛門はむしろ刺客に来てもらいたくて宣伝してたっぽいw
0706人間七七四年2011/02/11(金) 19:47:37ID:d+M3oqIu
>>704
某所のネタによると、実際に追手が来たと言う話が全く残ってないから、かえって困るとか言ってたが・・・実際のところ来たのか?追手は
0707人間七七四年2011/02/11(金) 21:22:04ID:5dmgYj+0
悪いスレ>>762は自分ではありません

「甲陽軍鑑」より、
小幡景憲の父、小幡昌盛が勝頼に暇乞いをする場面

巳の年(1580年・天正8年)霜月よりわずらい、
腫満なれども籠にのり、今年の御いとまごいを申し

この腫満(腹水貯留)の記述から、小幡昌盛は当時甲斐国の
地方病であった、日本住血吸虫症に罹患していたと言われるが、
(ミヤイリガイを中間宿主とし、人間にかかると肝臓やある時には脳を侵し
ひどい時には死に至らしめることもある)
寄生虫である日本住血吸虫の生活環の解明、予防の徹底(生足で水に浸からない、生水を飲まない)、
コンクリート用水路によるミヤイリガイの減少により1978年以降日本では発生していない。

日本人が発見、生活環を解明したから「日本」住血吸虫症とついているだけなのに、
某国では第二次世界大戦中に日本軍が散布した、とのデマが流れていたり、
環境団体がコンクリートの用水路をやめろ!と自然に戻して、ミヤイリガイが
復活しかねない状態にあるから悪いスレ向きかもしれないが
0708人間七七四年2011/02/11(金) 21:29:53ID:NOW9/yKx
そういや瘧も日本ではもう発生していないんだよね。
腫物もだけど戦国時代とは病気も違うんだな。
0709人間七七四年2011/02/11(金) 21:41:50ID:/Qw0ZPAK
だが癌は今も昔も…変わらないものもある
0710人間七七四年2011/02/11(金) 21:45:17ID:W3iPKyTK
マラリアは海外からお持ち帰りする人がたまにいるね
昔は何が怖いかって虫歯なったら地獄だよなあ
0711人間七七四年2011/02/11(金) 21:55:06ID:fiXTdMrX
日本住血吸虫の被害とその撲滅運動は涙なしでは語れない
0712人間七七四年2011/02/11(金) 21:58:16ID:2KEhCzqB
病院にグロい写真貼ってあるヤツだっけ?
0713人間七七四年2011/02/11(金) 22:43:15ID:P8qXXbgT
スレチだったらスマソ。

政宗って本当に眼帯つけてたのかな?
愛姫が残した像は眼帯ついてないよね。
というのも前に読んだ本に「花柄の眼帯をしてた」って書いてあったんだ。
当時はそんなに歴史に興味がなかったから、軽く読み飛ばしちゃって今はすげー後悔してる。
ソースも結構しっかりした本だったんだけど、思い出せない。
ここの住人の方ならなにか知ってるかなと思ったんだ。
0714人間七七四年2011/02/11(金) 23:11:48ID:NtwOkyVk
大河独眼竜政宗やってた時に関連本で政宗が
眼帯付けてた記録はないと明言されてたよ。
役者さんには見栄えを良くするために付けさせてるんだって。
0715人間七七四年2011/02/11(金) 23:26:10ID:ecS0N8jH
独眼竜は面白かったなー。国分盛氏の無能っぷりにはイライラさせられたけどw
0716人間七七四年2011/02/11(金) 23:33:54ID:8LJS5kHw
風林火山で山本勘助がアワビの眼帯してたので吹いたw
0717人間七七四年2011/02/11(金) 23:38:15ID:LJ29ZiFe
眼帯が無いと言うことは、結構顔の見目が悪くなるな
それでも政宗に寄り添った愛姫は本物だと思う
0718人間七七四年2011/02/11(金) 23:58:19ID:VcdevW/g
別に恋愛結婚じゃないし
0719人間七七四年2011/02/12(土) 04:31:31ID:y7e1pxX9
天正8年、秀吉は但馬を屈服すべく秀長を守護に命じた。
藤堂高虎も秀長に従い、但馬国に入った。
強兵を率いて一揆制圧の戦いを続けていたある晩、高虎は自ら敵方の砦付近まで偵察に行った。
砦の柵の前に迫った時だった。
柵の中から敵の見回り兵が、高虎めがけて槍を突き刺した。

「(痛ぇっ!)」
槍は高虎の太腿を貫通した。

「(こういうときは・・・と)」
高虎は慌てず騒がず、槍が刺し抜かれる瞬間、槍の穂先を袖口でしごいて自分の血のりを拭き取った。

「妙だな、確かに手ごたえはあったのだが・・・。朽ちた丸太でも突いたかな。」
敵兵は穂先を眺めながら去って行った。

ことなきを得た高虎は、ただちに大声で叫んで砦の中に押し入り、敵を斬りまくった。
そして、
「仇討ちじゃ!」と伝えて帰ったのであった。

その後、秀長は但馬を平定、高虎も褒美をたくさん(三千石)もらったそうな。
おまけに翌年、但馬では嫁さんまでもらって、
以来(子ができずに側室をもらうまで)嫁さんひとすじ、幸せに暮らしたということじゃ。
0720人間七七四年2011/02/12(土) 04:38:34ID:Zop/G4a3
太腿貫通しているのに人を殺せるのが凄いな
俺だったら泣きべそかいて逃げるわ
0721人間七七四年2011/02/12(土) 08:16:38ID:Y2IvTVcM
>>713
あれだな。
佐竹義隆が「目から何か飛び出てて非常に醜い親父だった」と書いてるし
眼帯なしだったと考えればしっくりくるな
0722人間七七四年2011/02/12(土) 08:17:33ID:Y2IvTVcM
>>719
いたなあそういう忍者w
0723人間七七四年2011/02/12(土) 10:38:04ID:fIJbKaII
「おんな太閤記」だったかな?政宗は嫌みな小悪党キャラ。
眼帯なし、片目のまぶたが張り付いているだけで変な奴っぽかった。
0724人間七七四年2011/02/12(土) 10:54:37ID:gOclPejo
徳川家康でも、眼帯なかったような気がする
0725人間七七四年2011/02/12(土) 11:33:23ID:7a8vl+AX
>>719
こいつ絶対ニンジャだろ・・・
0726人間七七四年2011/02/12(土) 12:35:40ID:4kz2Ny9v
藤堂流偵察術
0727人間七七四年2011/02/12(土) 12:42:27ID:bOHGdVJ8
>>725
なんか小学生の時目を刺されて同じようなことをして窮地を脱した
忍者の話を読んだ気がするんだけど、なんだっけ?
0728人間七七四年2011/02/12(土) 14:43:00ID:ej3qNQ0K
>>727
俺の記憶では、暗殺に行った先で天井裏に潜んでいた所、
気配を気取ったターゲットに額を刺されたが同じような処置をして騙す事に成功、
見事暗殺してのけたが、それ以来額が窪んだままになったので
窪額だかその逆だかの異名を取る事になった忍者だったような
0729人間七七四年2011/02/12(土) 14:46:47ID:hUGI8Do/
>>727
学研まんがの忍者の巻だな

大塔宮の話とかもあったな
0730人間七七四年2011/02/12(土) 14:59:15ID:X+dLOQHI
>槍の穂先を袖口でしごいて〜てのも
汁の二度掛けとか兵法講義で小便に立つ話のような
テンプレ的な話だったのかな。壮絶な覚悟とかを示す。
0731人間七七四年2011/02/12(土) 15:13:41ID:TIVEbThU
あの学研の漫画意外と知られてるのなw俺も小学生のころ読んだわ
0732人間七七四年2011/02/12(土) 17:30:27ID:LCQvKY1V
でもなんであの学研まんが忍術と手品の二本立てだったのかは謎
0733人間七七四年2011/02/12(土) 18:05:30ID:qu/FzoBs
最後には町が手品の町みたいに終わってたな、あの漫画
そういやあの漫画には信玄が忍者を見破る逸話もあったな
0734人間七七四年2011/02/12(土) 22:04:06ID:fyl04PqE
ひとつ疑問が。
「仇討ちじゃ」って、どこにかかるんだ?太腿?
それとも「仕返しじゃ」くらいの意味?
0735人間七七四年2011/02/12(土) 23:31:14ID:nt0wFdxz
>>734
そりゃあ怪我の仇だろうな
0736人間七七四年2011/02/12(土) 23:31:45ID:QT7+EzUp
ジミーさんが前の方に出てたんで便乗して。これの別バージョンになるんかな?
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-4299.html

加藤嘉明が賤ヶ岳七本槍として名を馳せる何年か前のこと。
同輩の男が嘉明の相馬眼が優れていると聞き及んで訪ねてきた。

「HEY! ジミー、馬を買おうと思ってたんだが君の相馬眼が優れていると聞いて
やって来たよ、どうか馬喰のとこに一緒に行って見繕ってくれないかい?」

自分の相馬眼を褒められて悪い気がしない嘉明は承諾して一緒に馬喰のところまで
行って馬を見繕ってやることにした。そこである一頭の馬に目が留まった。

その馬を見た嘉明は「ちょっと癖の悪そうな馬だし本質的にはマイラーだと思うが
春のクラシックまでならなんとかなりそう」と思ったかは定かではないが
明らかに癖の悪い馬ではあるがそこ以外は申し分の無い馬であると男に薦めた。

すると男は「ジミー、確かに良さそうな馬だけどあの癖の悪い部分を再調教して
癖が無くなったら買うからって馬喰にちょっと掛け合ってくるわ」と言ってあまり乗り気ではない様子。

その態度にイラッとした嘉明は「いやいや、あの癖の悪さも含めてのいい馬で癖が無くなるように
調教したらいい部分もなくなっちゃうから今買うべきだ」と言って今が買い時だと強調したが
男は何やかんやと理由をつけて買おうとしない。

そこで切れた嘉明は「いい馬がいるのに癖があるからって理由で見逃すんじゃなく、
癖馬でも乗りこなそうという気概がないと殿のためにいい奉公なんか出来ないぜ、
あと俺はジミーじゃねぇ」と怒ってしまった。

後にそのことが信長の耳に入り「嘉明の言う事がもっともである」と言って嘉明を賞賛したとさ。
0737人間七七四年2011/02/12(土) 23:50:18ID:9dJHA8T1
大坂の陣の折の話である。

徳川家康は大阪城に近づくと、率いてきた軍勢に、一斉に鎧の着用を命じた。
と、ここで金地院崇伝ともう一人の僧、そしてやはり頭をまるめている儒学者の林羅山が
家康のもとにやってきた。

甲冑を着込んで。

どう考えても戦闘に参加しないこの坊主頭の方々が、命令を守り人並みに甲冑を着込んだ姿に、
家康は周りの者達に、苦笑いしながらこんな言葉をかけた

「我らが手にも三人の法師武者があるわ」

これは幸若舞「堀河夜討」(源頼朝が京の義經を謀殺しようと土佐坊昌俊を派遣した事件)の
一節、「我らが手に三人の法師武者がある」から取ったものである。

この言葉に家康の陣の者たち、大いに笑いに包まれたという。
幸若舞は当時の流行歌のようなものなので、その歌詞は常識の範疇なんですね。

大坂の陣開戦前の、ちょっとコミカルなひとこま。
0738人間七七四年2011/02/13(日) 00:08:43ID:S+HF8EsR
>一人の僧

天海だったかな?
0739人間七七四年2011/02/13(日) 00:12:07ID:prNQyHLp
加藤の光泰さんは、なんていわれてるんだっけ?
0740人間七七四年2011/02/13(日) 00:25:55ID:zQGldhXw
>>739
空気加藤
0741人間七七四年2011/02/13(日) 00:32:35ID:GOTpJhPV
甲府24万石の大名だったというのに・・・
0742人間七七四年2011/02/13(日) 00:33:40ID:vdBJgzcm
>>737
>>738
大坂城の博物館に伝天海着用の甲冑があるらしいけど、その時のかねえ
関ヶ原合戦図屏風にも鎧姿の“南光坊”が描いてある物があるとか
0743人間七七四年2011/02/13(日) 00:40:10ID:bkRgrFXX
山崎の恨みはらさいでか!
0744人間七七四年2011/02/13(日) 00:56:01ID:iR8VTLZV
>>742
顕如所用と伝わる兜もあるな
0745人間七七四年2011/02/13(日) 01:27:33ID:vdBJgzcm
地味加藤さんのエピソード


“沈勇の士”と言われた加藤嘉明は、必要なこと以外喋らない沈黙の男でもあった。
豊臣政権で大名に列してからもそんな調子で、ある時心配した片桐且元が言った。

「おぬしは諸将の間で寡黙すぎると噂されているが大丈夫か?」

「生まれつきだから仕方が無い。そんなことより我が武辺についての噂はどうだ?」

「おぬしの武辺にケチをつける者はおらんよ」

「ならばよし。他に何を言われようとかまわぬ」


折角の忠告に聞く耳を持たない加藤さんだけに、ちょっと悪い話の方に投下しようか迷ったけど、
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3520.html
と合わせて、武辺へのこだわりや片桐さんとの仲が微笑ましかったのでこっちに。
0746人間七七四年2011/02/13(日) 04:21:45ID:k6MLXP8v
>>742
関ヶ原の屏風の南光坊は後世の後付けだったはず
正直、家康は天海を近従させるほど仲が良いイメージが無い
そして>>737の3人の坊さんは絶対事前に家康と打ち合わせしてる
0747人間七七四年2011/02/13(日) 08:18:33ID:zQGldhXw
イメージで言われても困るがな
0748人間七七四年2011/02/13(日) 11:37:19ID:DWwt4EEW
>>739
加藤光泰は文禄の役の時
迫る明の大軍に対して
兵糧の不足を理由に漢城からの撤退を主張する三成に

(`・ω・´)光泰「米がなければ砂を食えばいいんだよ!」

三成「砂なんて食べられるわけがないでしょう常識的に考えて」

(`・ω・´)光泰「食えるもん!おれ食えるもん!砂の食い方も知らないのかよバーカ!バーカ!」


という超理論をブチ上げた逸話しか知らないなあ。

そしてなぜか光泰のこの砂食いスピリッツに感化された諸将によって
明の大軍を迎え撃つことが決定してしまった
後の碧蹄館の戦いである。
0749人間七七四年2011/02/13(日) 11:42:30ID:cULL00l1
土食文化ってのは世界各地にあるらしいし日本でも「壁を舐めて飢えをしのぐ」なんて言うけれど
砂はいけるのか?
0750人間七七四年2011/02/13(日) 12:01:01ID:GOTpJhPV
砂なんか食ってるから血を吹いて死ぬんだよ
0751人間七七四年2011/02/13(日) 12:56:06ID:pFxqVH2W
>>748
ああ・・・宗茂の見せ場作ってくれたってことか
いい話だな
0752人間七七四年2011/02/13(日) 13:44:29ID:7D4/stwk
>>748
馬を売ってた地味加藤さんをスカウトしたのも、第三の加藤さんじゃなかったっけ?
0753人間七七四年2011/02/13(日) 14:39:03ID:6xDFA7sH
>>737
権現様の円熟味と戦前の緊張感が和らいだ情景が目に浮かぶ逸話だな
0754人間七七四年2011/02/13(日) 18:25:54ID:2vFxlbxn
宇喜輪

宇喜多秀家が大坂の陣に際し八丈島から大坂まで泳いでわたった故事は余りにも有名であるが
実は八丈島で捕れた鯨の腸をつなぎ合わせた浮き袋を考案して
泳ぐ際の負担を軽くしていたことはほとんど知られていない

江戸中期、八丈島を飢饉が襲った際
試みにこの浮き袋をつくり江戸で売ったところ泳げない武士の間でたちまち大人気となり
その儲けで島民全員を糊して余りある米を買う事ができたと言う
そのとき島民が考案者である秀家に感謝を示す意味でこれを「宇喜輪」と名づけたことは
賢明な読者諸氏には既にお分かりのことであろう

なお八丈島宇喜多氏が「浮田」と改姓したのもこの頃であるが
これは宇喜輪の利益で軍備を整えた宇喜多の子孫が幕府に弓をひくのではないかと
危ぶむ幕閣の視線をそらすためであったという

さらに余談であるが、ドイツ起源の料理として今日著名な「ソーセージ」も宇喜輪に端を発する
遠州灘で宇喜輪を使って泳いでいる秀家にオランダ東インド会社の帆船が食料を売ったと言う記録があり
このときにオランダ人が腸をつなぎ合わせる料理の発想を得それをドイツ人が実用化したという
その証拠に「ソーセージ」を表す「腸詰」と言う単語は
オランダ人から体調を聞かれた秀家の「超つれえ」という日本語から来ているという話が
ドイツの限られたソーセージ・マイスターの間で口伝として残っている
0755人間七七四年2011/02/13(日) 18:33:21ID:pZRAq/J+
>>713
遅レスだが茂庭綱元の日記に、何かの祝い事のときに
政宗が紅白幕の模様の眼帯をしていたという記述があった
ということを本で読んだ覚えがある。アイパッチではなく
そういう柄の布を巻いていたかもしれない

0756人間七七四年2011/02/13(日) 18:45:50ID:DWwt4EEW
>>754
最後に民明書房が抜けてるぞ
0757人間七七四年2011/02/13(日) 19:00:25ID:zWWxnX9v
>>754
本当なのかどうか一瞬迷ったじゃねーかw
もうちょっとネタって分かりやすくしようよw
0758人間七七四年2011/02/13(日) 19:05:40ID:zQGldhXw
>>757
> 宇喜多秀家が大坂の陣に際し八丈島から大坂まで泳いでわたった故事は余りにも有名であるが

この一行目でさすがに解るだろw
0759人間七七四年2011/02/13(日) 22:02:15ID:iWpNnSfo
三連休で一生懸命考えたんだろうな
0760人間七七四年2011/02/13(日) 22:11:02ID:Tu25HnAN
>>757
0761人間七七四年2011/02/14(月) 01:15:23ID:puwfzaQQ
今年の大河ドラマ並みの逸話だな
0762人間七七四年2011/02/14(月) 01:18:57ID:rRCpTngr
織田のぶかね(変換できない)の知名度があがっただけよしとしようw
0763人間七七四年2011/02/14(月) 01:46:39ID:Zri1eYJe
>>748
本宮ひろ志が描いたジャンプの読み切り作品の「大飢饉」で土粥ってのがあったがそれなんかね?
0764人間七七四年2011/02/14(月) 02:31:31ID:gKCVeQYw
>>754ちょと面白かったぞw
0765人間七七四年2011/02/14(月) 06:57:58ID:a6DCbeqi
>>762
大坂の陣の直前に、突然死んで暗殺説もあるのに、これまでスルーされっぱなしだもんな
0766人間七七四年2011/02/14(月) 10:47:27ID:jQK1vxKn
武田氏を滅ぼした信長が、駿遠三遊覧で家康の接待を受けた時に家康とその重臣達にこんな話しをした。

信長「三河殿、古今の英雄と言われる人物は数多いるがあなたは誰が最も優れていると思うか」
家康「それは上様以外ござらりませぬ」
信長「余の事はおけ。小平次(酒井忠次)、そちはどうだ?」
忠次「安土様の破格の偉業には頼朝公も義満公も足元にも及びませぬ」

このように信長は居合わせた重臣一人一人に親しく問うたので皆感涙したという。

そして全員が信長こそが古今最も秀でた英雄と褒めちぎるなかただ一人、違う人物を挙げる男がいた。。。

信長「平八郎(本多忠勝)、そなたはどうだ?」
忠勝「それは我が殿、徳川家康公でございましょう。殿は仁篤く、臣下を慈しみ、戦に置いては勇猛、仮に上様がいなければ天下を統べるのは我が殿以外ござらん!」

これは歪曲して聴けば謀反とも取れる言いようであり、家康以下一同は仰天して腰を抜かし、中には今にも忠勝を切ろうとする者までいたが。。。

信長は嬉しそうに手を叩き上機嫌で忠勝を褒め囃し、天下統一成れば家康の陪臣として武蔵一国を宛がう約束をしたという。
信長の死により約束は反古になったが家中に面目を施した忠勝は死ぬまで息子達にこの話しを誇ったという。
0767人間七七四年2011/02/14(月) 10:57:14ID:6/+txjmT
東国無双カッコよすぎ
0768人間七七四年2011/02/14(月) 11:30:34ID:KfaXMPAt
発言と周りの反応から察するに徳川家臣団は信長の事嫌いだったんだろうなあ。
まあ自分の殿様が好き過ぎるんだろうけど。
0769人間七七四年2011/02/14(月) 11:33:21ID:gKCVeQYw
三河武士って相変わらずだな
0770人間七七四年2011/02/14(月) 11:42:46ID:o3jjrn0l
安土に随行してるのって酒井とか石川とか常識人が多いからな。
作左やタダーヨならどんなことをいっていたであろうか。
0771人間七七四年2011/02/14(月) 11:48:50ID:6/+txjmT
山と河に囲まれて田んぼが多くて奥地的な風土なんだよな三河って今でも。
豊田市周辺だけ見ると尾張と変わらないけど、
足助、飯田とかになると奥地な感じが今でもする。
あと、信長と秀吉は残ってる趣味言動が都会的だけど、三河武士は田舎者の臭いが強い。
良い意味でねw
0772人間七七四年2011/02/14(月) 11:49:59ID:sqTNEcos
もしかして「君と余だ」をやりたかったのか?信長は
0773人間七七四年2011/02/14(月) 12:07:31ID:Pkfpiuuo
おべっか使わずうちの殿じゃ!と言い切る奴探してたのは間違いなさそうだが。

作左たち連れてきた方が覚えよかったかもなw
0774人間七七四年2011/02/14(月) 12:30:24ID:LaaNxEpS
連れてきてたら家康涙目になっちゃう
0775人間七七四年2011/02/14(月) 12:40:54ID:LFHduT5a
雷に驚いて脱糞してみせる家康
0776人間七七四年2011/02/14(月) 12:50:07ID:bRq9Wt0z
戦国無双の忠勝の声で脳内再生されてしまう台詞だ。
0777人間七七四年2011/02/14(月) 13:42:44ID:6/+txjmT
社交辞令の中にひとり本音があるから爽やかさがあるんじゃね?
みんながみんな三河アゲしたら信長みるみる機嫌悪くなる気がするw
織田家臣も主君ないがしろにされて面子立たないし、
近江衆と尾張衆の喧嘩の再現になりそう
0778人間七七四年2011/02/14(月) 17:06:56ID:HJqyiNuZ
三国志演義を元にした創作としか思えんw
0779人間七七四年2011/02/14(月) 18:04:25ID:q5nxc30x
>>778
確かに信長が曹操、忠勝が関羽のやつなら見たことあるかもしれん
0780人間七七四年2011/02/14(月) 18:25:00ID:NYnHwWSu
三河脳筋忠義すぎだろ…
0781人間七七四年2011/02/14(月) 19:10:44ID:295YJYYp
めんどくさい三河武士の話のはずなのにカッコイイと感じるなんて
0782人間七七四年2011/02/14(月) 20:34:49ID:9Tyxn4Ct
誰か、俺の中のTERU成分が枯渇してるんだ。
TERUのいい話ないか。
一応一流の文化人だろ、TERU。それ系の話をくれ。
0783人間七七四年2011/02/14(月) 20:50:10ID:Ebs74tLK
>>770
温厚な信長様もさすがにブチギレかねん。
いなくて良かった御両名。
0784人間七七四年2011/02/14(月) 21:28:04ID:B/8gKS5Q
ノブはああ見えて空気読める奴だから作左あたりが暴言吐いても笑って見逃すと思うよ
対武田戦で家来でもない徳川家が果たした役割を考えれば悪口の一つや二つ言って叱るべきだし
0785人間七七四年2011/02/14(月) 21:42:50ID:Pkfpiuuo
いや、流石に悪口言った上ノブを叱ったら手討ち
0786人間七七四年2011/02/14(月) 22:05:41ID:a6DCbeqi
タダーヨならまだしも、彦左衛門がいたらどうなってたのよ?

後で、陰口をたたいてるだけ?まあ、そう言わないで
0787人間七七四年2011/02/14(月) 22:19:34ID:ErCRo6fT
>>785

         -‐―- 、
    /..::::::::::::::::::.丶  
 .  /..::::::::::::::::::::::::::: ヽ     
   i.::::::::::::」:::」:::」::」」i l
    ∞ / (●  (● ∞
   ‖|  ~"  ゝ~" |l 
   ‖八    З ./ |l <伯父上は間違ってごじゃる
   ‖ |ヽ\_ /ソ
0788人間七七四年2011/02/14(月) 22:23:36ID:l/vd/fek
森さんちなら何やっても大丈夫
0789人間七七四年2011/02/14(月) 22:26:50ID:nyeM28P7
あの大河、初に「森家は三兄弟、うちと一緒ですね!」などと言わせたので
必ず上と下の呪いがかかる。
0790人間七七四年2011/02/14(月) 22:40:08ID:iRa36T0V
見てないけど長可・蘭丸・忠政ってこと?
6人中半分端折っとるがな
0791人間七七四年2011/02/14(月) 22:41:25ID:nyeM28P7
>>790
もちろん信長小姓の乱丸・力丸・坊丸ですよw
0792人間七七四年2011/02/14(月) 22:41:52ID:a6DCbeqi
>>790
蘭丸・坊丸・力丸の三人、名前は出さなかったけど、6人兄弟で5人在命と答えてたんで、鬼武蔵や忠政がdisられたわけじゃない
0793人間七七四年2011/02/14(月) 22:57:13ID:pByIXCAz
大河ドラマみてないけど、森家の女は無視?
三法師の母親は森可成の娘じゃなかった?
0794人間七七四年2011/02/14(月) 22:59:41ID:a6DCbeqi
それを言ったら、浅井側も三姉妹じゃなくって、男兄弟がいるし・・・(出てこなかったけど)
0795人間七七四年2011/02/14(月) 23:04:38ID:+yj+V6GU
おまえら結構ファンタジー大河を見てるのな
0796人間七七四年2011/02/14(月) 23:05:17ID:thF9AuNQ
>>789
役者のせいでわかりにくいが初はまだ10歳くらいなので勘弁してくださいw

>>793
という説がある、という感じで確証はないはず。>三法師の母親は森可成の娘
0797人間七七四年2011/02/14(月) 23:07:57ID:a6DCbeqi
>>795
独眼竜政宗という超ファンタジー大河は最高視聴率を獲得したんですよ?どこに不思議があるというのです
0798人間七七四年2011/02/14(月) 23:31:47ID:ybOV8tnM
あれは俳優のレベルが高かったからな
まぁスレ違いだ
0799人間七七四年2011/02/15(火) 00:04:18ID:xyafO0yT
BASARAも無双も楽しんでる俺にとってあの程度のファンタジーは許容出来る
……あたかも史実のように語ってくる知人さえいなければなぁ
0800人間七七四年2011/02/15(火) 01:42:15ID:k/6hapsQ
例えファンタジーにせよ、独眼竜は完成度が高かったから十分楽しめたしアリだと思えた
だけどバサラ、てめーはダメだ
0801人間七七四年2011/02/15(火) 10:25:08ID:CZFhRDCk
語り継ぐ

「さんさいさま、さんさいさま!おうたをうたってくださいな。」
「おう、よしよし!さて、何の唄が良いかな?」

養女のお三にせがまれた三斎こと細川忠興は、快く求めに応じた。
「いつもの、さつまのうたがききたいです!」
「いいともいいとも。この唄はな、わしの古い友達に教えてもらった唄なのだよ・・・」



http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-4768.htmlの後、
細川忠興は上洛して来た島津家一行の中に、新納忠元の姿を認めた。

「忠元殿、いつぞやは。」
「これは忠興殿!・・・・・・そうでしたか、あの旗印は、幽斎殿のものではなく、忠興殿でしたか。
小牧の戦いで、徳川軍相手に水際立った殿軍ぶりを見せたという勇士に、無粋な物言いをしてしまいました。」

恐縮する忠元に、忠興は素直な感謝の気持ちを述べ、以後二人は互いに宴会等に招きあう昵懇の仲となった。



“♪鹿児島の館 快い館 お盃賜る 琉球で語ろ・・・”

琉球の使節が薩摩での歓待ぶりを本国でも語ろうという筋の隆達節は、ある席で忠元が唄ったものだという。
のちに忠興の孫・細川立孝の正室となったお三(源立院)は養父の面影を懐かしみ、この隆達節と
それにまつわる話を、家臣たちに語った。

お三の語りは家臣たちによって「細川家記」に収録され、忠興と忠元の交誼を現代に伝えている。
0802人間七七四年2011/02/15(火) 20:23:20ID:P0Ix4H4A
>>801
わかります
三斉様は大河出演の可能性が高くなって
今からアットホームなイメージアップをはかる気ですな
しかしながら浅井家と言えば森家の敵
例え娘だろうとあの方が黙って見過ごすとお思いか?
0803人間七七四年2011/02/15(火) 20:43:37ID:Wn3XMCki
徳川家康はある者を役職につけようと考えて、その人柄を若き日の土井利勝にたずねた。

「その者は私をあまり訪ねて来ませんので、人柄をよく存じません」
利勝がそう答えたことは、家康を怒らせた。

「お前のところに出入りする奴ばかり役職につけたら、おべっかばかりになって
家中に無能しかいなくなるじゃあないか。

お前のところに出入りしない者や、お前に対して不遜な奴でも有能な者を見抜いて推薦し、
出入りしている者であっても軽薄者は退けるよう、わしに進言するのがお前の役目なんだぞ」

利勝はこの言葉を胸にして家康の補佐役として成長した。
その成長ぶりを見て家康は
「利勝は同じ誤りを繰り返さず、真心を持って使える人物だ」と言った。
0804人間七七四年2011/02/15(火) 20:48:06ID:ldT9RDI+
あの偉人でも若いころはやっぱり未熟だった、お前らも頑張れよシリーズですね
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