戦国ちょっといい話24
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0001人間七七四年
2010/12/25(土) 13:26:54ID:U0HLGF9L戦国ちょっといい話・悪い話まとめブログ
http://iiwarui.blog90.fc2.com/
書き込む際にネタがかぶっていないかなどの、参考にしてください
前スレ
戦国ちょっといい話23
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1288278217/
姉妹スレ
戦国ちょっと悪い話24
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鎌倉・室町 ちょっといい話・悪い話
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このスレの武将などに対する愛称等の、用語解説はこちら
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2161.html
逸話に対する過度の真贋論争、揚げ足取りなどは、無駄に荒れるもとになります。
そのような議論はこちらでお願いします
【真?】戦国逸話検証スレ【偽?】
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1196778610/
0606人間七七四年
2011/02/05(土) 20:44:24ID:rZl4ESM8> 小早川隆景は悪く言われることがあまりないね。
宇喜多直家「小早川隆景って奴は全然信用できんね」
小早川隆景「俺もお前を全く信用できんね」
0607人間七七四年
2011/02/05(土) 20:49:22ID:kcb+0ipP0608人間七七四年
2011/02/05(土) 21:01:46ID:mSJNP5TH良い悪いは置いといて、謀略家は徹底した善人は苦手だよな。
謀略は人の欲につけこむものだから
0612人間七七四年
2011/02/06(日) 11:11:39ID:yeraT44+「全ての人に好かれる者は必ずしも可ではない。。
皆に憎まれる者も可ではない。
善人に好かれ、悪人には憎まれる者こそ良き人物と言える」
とあるけど、隆景さん当てはまってるよ
0615人間七七四年
2011/02/06(日) 18:22:42ID:OUHiBTAb0617人間七七四年
2011/02/06(日) 18:34:17ID:0TEiG2zq「父上。忠恒、ただ今参りました。私が来たからには、もうご安心ください。」
「ああ…頼む……」
(うーん、元気が無いな。この地で兄者を亡くしたのが、まだ堪えておるのか……そうだ!)
同月4日、忠恒は義弘を遊覧に誘い、晩も忠恒の陣屋で食事をとるよう勧めた。
「ぜひお越しください。少々、変わった趣向を用意しましたので。」
「変わった趣向じゃと?…おお、これは!」
忠恒の陣屋には、日本のそれと遜色ない立派な蹴鞠の庭が造られており、その庭で忠恒と近習たちが、
京滞在中鍛えた蹴鞠の腕前を、義弘の前で披露した。
「あっはっはっはっ!見よ見よ、忠恒め、いつの間にこれ程に腕を上げたのじゃ!」
(良かった!お元気になられたようだ…)
好評だったのか、忠恒は同月9日にも義弘のほか島津豊久・忠長等の見守る中、蹴鞠を行なっている。
…ので、名護屋で送迎船待ってた約40日のうち、晴れたら蹴鞠って遊んでたのは、黙っといてあげて下さい。
それにしても、自分の主人のことを「いつも蹴鞠ってやがる。(御鞠如常)」とか書いたり、
「今日は何も無かったです。(何たる儀無之候)」とか書いた次の行で「晩に盗人、成敗被成候。」
とか言ってる、元ネタ書いた面高連長坊はマジ大物だと思います。
0618人間七七四年
2011/02/06(日) 18:36:28ID:7nQWEAC40619人間七七四年
2011/02/06(日) 18:38:34ID:OUHiBTAb書状で注意を受けた、て書いてたのに
その後義弘が蹴鞠好きになった、ということか
0620人間七七四年
2011/02/06(日) 18:48:35ID:yctrOdOk日頃は口うるさく注意してたとしても
実際に息子が自分のところに来てくれて
上達したギターの腕前を披露してくれたら
嬉しくて泣いちゃうかもしれないだろ?
そういうことだ
0622人間七七四年
2011/02/06(日) 18:53:32ID:CTv09xKa0623人間七七四年
2011/02/06(日) 19:10:23ID:ATDiyX5d義弘も楽しんだふりをしてやったんだろう
大将が沈んでると兵に影響するしそういう心遣いも大将の心得だよ
0624人間七七四年
2011/02/06(日) 19:14:15ID:yU6tyuIK0625人間七七四年
2011/02/06(日) 19:19:49ID:GYLw/rhX0628人間七七四年
2011/02/07(月) 02:00:06ID:yKJ6OsOL0629人間七七四年
2011/02/07(月) 02:06:33ID:LWy4hYOE長政怒って取っ組み合い→
黒田官兵衛苦笑い
0630人間七七四年
2011/02/07(月) 03:20:36ID:3SXgXmWZ北条 vs 小弓公方+里見で行われた第一次国府台合戦の時の話。
北条方の武士・伊山助四郎と江川兵衛大夫という二人が先駆けを行い、公方方の武
士と戦った。
助四郎、兵衛大夫ともに相手を討ち取りはしたのだが、やはり相手も軍の先頭を駆
ける勇者である。助四郎は重い傷を負ってしまう。
それを見た兵衛大夫は、
「助四郎、無理をするな。その傷ではこれ以上進む事は出来ぬだろう……というか、
取った首を抱えて歩く事すら難しいのではないか?鼻のみを削ぎ、鎧の上帯に挟ん
で帰ると良い」
「馬鹿言うな!お前は俺に、この手柄をふいにしろと言うのか!?」
この頃、北条家の軍法では、鼻を持ってきても手柄とは認められなかった。
雑兵の鼻を削いで兜首と偽ったり、酷い時には味方の戦死者の鼻を削ぐ者まで居た
からである。
手柄と認められない所か、そのような卑怯な真似をする人間だと見做される恐れが
あったのだ。
「安心しろ、首実検の際には俺がちゃんと証言してやる。もしもお前が帰り道で死
んじまっても、俺は間違いなく、お前の手柄を報告してやるとも」
そう言いながら、兵衛大夫は自分の討ち取った相手の鼻を削ぎ始める。
「おい、仮に俺が鼻を持って行ったとしても、お前まで付き合う事はないだろう。
お前はちゃんと首を持って行けよ!」
「俺はこれから、もう一度敵陣に突っ込んでくる。そん時に取った首をぶら下げて
たら邪魔で仕方ねぇだろう?だから俺も鼻を削いで行くんだよ。もしもの時は俺の
手柄をお前が証言してくれよ。もしも検使がお前の手柄を認めないって言うなら、
俺がこれから取ってくる首をお前にくれてやるさ」
そう言い残し、兵衛大夫は再び敵陣へと走り去った。
暫くの後、兵衛大夫が一つの首と一つの鼻を持って本陣へと帰ってきた。
彼は首実検の場に直行し、助四郎とのやりとりを証言。そして二人の取ってきた鼻
を手柄と認めてくれるよう、検使の山中修理亮に迫った。
「何を興奮している。認めるも何も、ホレ、これを見てみろ」
と、味方の手柄を全て記した首帳を兵衛大夫の前に示した。
そこには
『伊山助四郎 首一つ』
『江川兵衛大夫 前後首二つ』
と既に記されてあった。
「助四郎が重傷を負いながらも帰ってきて、お前とのやりとりを全て説明してくれ
たよ。それを横で聞いておられた氏綱様が、『兵衛大夫が帰ってくるのを待つ事は
ない。首二つの手柄と記してやれ』と仰られたのだ」
官僚組織が発達し、法治国家として他国をリードしていた北条家。
法の適用は意外に柔軟だったようです。
0631人間七七四年
2011/02/07(月) 03:31:41ID:c4EXQvxV助四郎と兵衛大夫は床を共にし、
交わりを交わしたとされています。
0632人間七七四年
2011/02/07(月) 19:00:31ID:0c1F5dkvある城攻めにおいて、大谷吉継の部隊が仕寄り(城攻めのための足場)を構築していたときのこと。
この妨害のために城方から大いに攻撃を受けた。
吉継はそんな中でも前線で指揮をしており、これを心配した家臣のある者が、このように申し上げた
「ここは矢弾がたくさん来る場所です。どうか後方に退いてください。」
吉継はそれを聞くと、その場で立ち上がりこの者に言った
「運命の矢は、いつも一本だけだ」 (運の矢は一本のものよと被申候由)
そして、決して後方に下がろうとはしなかったと言う。
なんとなく大谷吉継の死生観が見えてくるようなお話。
0633人間七七四年
2011/02/07(月) 22:56:41ID:bQxQ1j6d___
/ \
. / _ノ ヽ、_\
/ (● ) (● ) \ え・・・いきなりそんなこと言われても・・・////
| //////(__人__)/// |
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| ,― 、,―、 |
\  ̄ ̄ (⌒⌒)  ̄/
 ̄ ̄\\//
0634人間七七四年
2011/02/07(月) 22:58:16ID:y0jDoS8c0635人間七七四年
2011/02/08(火) 01:16:32ID:38LElsq70636人間七七四年
2011/02/08(火) 01:53:27ID:DFM4gp7H> 数日後、
>
> 助四郎と兵衛大夫は床を共にし、
>
> 交わりを交わしたとされています。
それで助兵衛ってオチかい?
0637人間七七四年
2011/02/08(火) 02:01:45ID:VYjO1Xrx0638人間七七四年
2011/02/08(火) 02:17:22ID:Uobkgw+M出来た言葉な。
0640人間七七四年
2011/02/08(火) 14:18:12ID:8aXi7oFG戦闘継続が困難なくらいの深手を負ってるのに数日後にはもう床を共にするってタフだなーと
しょうもない所で感心してしまった
0641人間七七四年
2011/02/08(火) 15:35:55ID:uNF3fNQA0642630
2011/02/08(火) 15:53:02ID:d07GTLhv出典の『小田原北条記』にもそのような話は出ていません。
631氏のネタだと思います。
念のため。
0643人間七七四年
2011/02/08(火) 16:50:31ID:Zo8rXred0645人間七七四年
2011/02/08(火) 19:56:51ID:VeeRXdho【殿中】
_
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☆ //_|_|_
∧,,∧ ☆ ヽ/',/ 0∧,,∧∧,,∧ っ ∧,,∧
(;´・ω) \ i !从 //(ω;` ) '・ω・) っ (ω・`;)
/´ 7っ lニlヽニニ0「(^ly(^l^7っ' _) c< y/ ^7っ ☆ ,、_n
ノlハヾヽ /_(;'-ω)7っ ソ バヽ( ( く ソ ノ < \ , - 、_)lノ/7っ
<ノ l_」」 ιヾミ<^)《^) 〈_ノノヽ_>」ヽ_> <_ノノ 、_> <_と[_l l彡'´
0649人間七七四年
2011/02/09(水) 00:09:46ID:S201hNb9曽根内匠助昌世と言えば。武田信玄に仕え信玄から直接軍学や築城術を学んだとされ、
後蒲生氏郷のもとで会津若松の縄張り、町割りを行うなど、この時代でも特に有能な武士として
有名な人物であった。
さて、その曽根内匠は晩年、先代の伊達政宗のもとに寄宿した。
そこで政宗は嫡男の越前守(当時)忠宗なども呼び、曽根内匠の武辺話を聞かせた。
さて曽根の武辺話が始まってしばらくすると、忠宗が座を立った。
政宗はこれを見て
「どうして座を立つのだ?」
「はい、小便に行きたくて…」
これを聞いて政宗は激怒し
「よいか!武士と申すものは微変話を聞いているときは、我を忘れ、気づかぬうちに
小便を漏らす、という程のものなのだ!
どうしても小便がしたければ、その場で垂れ流せ!!!」
と、忠宗を叱りつけたという。
…とまあ、竹中さんのところとどっちが先だったんでしょうね。このお話。
0650人間七七四年
2011/02/09(水) 00:11:45ID:HueWbSDM・・・まさかそのせいで
0652人間七七四年
2011/02/09(水) 00:20:07ID:XcI70Dyk軍議や戦の際に厠へ行かなくて済むような道具を発明することを思い付いた
しかし、自らの手では出来なかった為に、陸前国伊具郡の洋学者を訪ね、四年の月日の後に開発されたのが、
御陸奥(おむつ、昔はその使用法から御絞めと言った)
伊達家代々に伝わる地場産業となったのである
0653人間七七四年
2011/02/09(水) 00:35:17ID:WgbcqCYYガイシュツ
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3046.html
そんでもってどっちの逸話が先かもリンク先を参照
0656人間七七四年
2011/02/09(水) 01:48:21ID:L4veG7Jl政宗はこれを見て
「どうして座を立つのだ?」
「はい、小便に行きたくて…」
これを聞いて政宗は激怒し
「よいか!武士と申すものは微変話を聞いているときは、我を忘れ、気づかぬうちに
小便を漏らす、という程のものなのだ!
どうしても小便がしたければ、その場で垂れ流せ!!!」
と、忠宗を叱りつけ.今度は自分が便所に行った
0657人間七七四年
2011/02/09(水) 02:22:09ID:iyA39aJE忠宗「父上!それでは父上自身が先に言われた武士の道に背くではありませんか!」
政宗「わしは良いのだ。陸奥守だからな。」
忠宗「陸奥守?」
政宗「武士の陸奥(みちのく)」
お後がよろしいようで
テケテンテンテン
0658人間七七四年
2011/02/09(水) 03:29:23ID:tGGMcSml武士なんだから先に済ませとけって怒るんだろうな
0659人間七七四年
2011/02/09(水) 06:52:39ID:tlWfV6CZ0660人間七七四年
2011/02/09(水) 13:31:17ID:qDMD4819ラスボスの島津戦殿の話とかだとどうやっても詰んでるのかよ、って感じだけど
0661人間七七四年
2011/02/09(水) 21:35:17ID:X0NF08BA0662人間七七四年
2011/02/09(水) 21:41:15ID:S201hNb9本能寺の時信忠を助け二条城にこもり、二人の息子と共に討ち死にした事とか
0663人間七七四年
2011/02/09(水) 23:02:45ID:PtLbnNJ3それに比べて裏臭いは
0664人間七七四年
2011/02/09(水) 23:06:25ID:67eoQl3m0665人間七七四年
2011/02/10(木) 01:34:56ID:FSLgCDEzまとめ見たら村井さんがまだないようなんで
塀の修復
京都所司代時代、御所の塀の修復をすることを命じた貞勝は、
織田家による京の復興をイメージさせるためか、
作業をする人夫たちを班に分けて、それを競わせたうえで、
塀の上で踊りなどをさせ、大変な騒ぎとなったそうな。
天皇や貴族も見に来たそうな。(信長公記)
確か秀吉にも太閤記あたりでこんな逸話があった気がしますが、創作かな。
0666人間七七四年
2011/02/10(木) 03:15:08ID:PUTUHoC2話がそれとフロイスしか見たこと無いんだけど
信長の筆頭文官みたいな地位の人がそれだけって寂しいつうか妙つうかそんなもんなのか・・
0667人間七七四年
2011/02/10(木) 03:34:19ID:U6fv33hH0669人間七七四年
2011/02/10(木) 10:32:58ID:FSLgCDEzkwsk
まとめで見たところないしそもそも村井さんのカテゴリーすらないorz
0670人間七七四年
2011/02/10(木) 11:43:42ID:rR1KY+ULこれは村井さんが、
美人局にあってアワアワしちゃう話なのか、
美人局をしかけて誰かをアワアワさせちゃう話なのか、
美人局にあったアワアワしてる人を裁く話なのか、
興味があります!
0671人間七七四年
2011/02/10(木) 11:53:44ID:dQRhk+ML秀政がその弟の多賀秀種の措置宜しきを得ぬとしてこれを詰責した。
これを口惜しきと考えた秀種は翌朝致仕して北庄を去ってしまった。。
秀政は弟の致仕を聞くと途中不便なこともあるだろうと餞に黄金十枚を送り、人をやって届けさせた。
その後秀政は黄金を包んでいた紙を一枚一枚のして箱に納めながらこう言った。
「およそ財というものは用いるべき時は黄金十枚でも惜しむべきでない。
無用の時はこの紙十枚といえども無駄にしてはならない。私を鄙吝と思うな。」
0672人間七七四年
2011/02/10(木) 12:14:52ID:OUukF1Mcせめて関が原くらいまで生きてれば
0673人間七七四年
2011/02/10(木) 12:15:59ID:ShdENNEz0674人間七七四年
2011/02/10(木) 12:17:54ID:rp56qvlX爆弾正「その通り!」
岡左内「その通り!」
又左「その通り!」
0675人間七七四年
2011/02/10(木) 12:27:36ID:Kewfg9ND同じ織田の丹羽長秀や滝川一益も逸話の面だと影が薄いよね。
この二人は四天王なのに
0676人間七七四年
2011/02/10(木) 12:36:19ID:iI8ZBVn40679人間七七四年
2011/02/10(木) 14:27:56ID:9mbnNtWa休復「琉球とか言う国が調子こいてるみたいだね
許しが貰えるなら俺が凝らしめにいって薩摩の臣にしてやろうか?
分かってるって、島津も徳川から沙汰を待つ身でそんな余裕が無い事なんて
だからよォ、俺達だけでヤってやんヨ!」
そう言うと休復は密かに船を借り自らの家臣と颯爽と琉球へ向かうのであった
・
・
その後
船は大風で破損し琉球にたどり着く事なく休復は薩摩にトンボ帰りする
休復「あぁ、なんて俺は不運なんだ何もかもが空しい!!」
こうして休復は琉球征伐を諦めました
めでたしめでたし
『西藩野史』から
因みに休復とは宇喜多秀家が使った偽名
0680人間七七四年
2011/02/10(木) 14:35:12ID:T7cOEd3F泳いで行け。
0681人間七七四年
2011/02/10(木) 15:58:33ID:GnXdaISt0682人間七七四年
2011/02/10(木) 16:42:08ID:hzgxJ0oS相模の北条氏と安房の里見氏が、海を挟んでにらみ合いをしていた頃の事。
安房水軍はしばしば相模の海岸に押し寄せ、北条氏を悩ませていた。
北条氏側も海岸沿いに番所を連ね、警戒を厳しくするくらいしか取る手がなかった
のである。
そんな感じでピリピリしたムードの中、小雨の降るある日。
小田原近くの入江に、小船が四、五艘ばかり陸地を目指して漕ぎ寄って来るのが発
見された。
「里見軍が来たぞっ!」
「房州水軍だ、逃げろっ!!」
町人達はうろたえ騒ぎ、逃げ出す。
しかし一方では、
「おお、あれが敵の軍船か」
「思ったより小さくね?」
と、浜に押し寄せて見物を始める者達もいた。
この騒動に、近くの番所から出動した高山大膳は群集を掻き分けて波打ち際へと進
み出ると声を上げる。
「おのれ憎き里見の勢め!今すぐ船を漕ぎ寄せ、尋常に勝負いたせ!!」
しかし……
シーーーーーーーーーーーン……
相手はまったくの無反応。
尚も相手の臆病をなじり、勝負を挑む大膳であったが、小船からは何の反応も返っ
てこない。
この辺りで漸く、野次馬達も、そして大膳自身も、何かがおかしいと気付き始めた。
「……あの船って」
「フツーの釣り船……じゃねぇの?」
0683人間七七四年
2011/02/10(木) 16:43:14ID:hzgxJ0oSそう、軍船にしてはやたら小さな船だと思ったら、実はこれ、ただの釣り船だった
のだ。
最近のピリピリムードに当てられた町人達が船に過剰反応し、野次馬が集まり、騒
動に釣られるように番所から侍が出動し……何が何やら判らない内に大騒動になっ
てしまったため、釣り船の方もキョトンとしたまま、何の反応も返せなかったので
ある。
(ど、どーしよう……ここまで来て「間違いでした。あれは釣り船です」じゃ収め
られないよなぁ、オレの面目的に……)
真相が判ったとて、大膳にとっては振り上げた拳の下ろす場所が見つかった訳では
ない。
どうして良いものか、気まずい沈黙が海岸に漂ったその時、
「そなたら如き、高山様の手を煩わせるまでもない!この一本唐傘を見よ!我こそ
は誓願寺の住職、庭林なるぞ!そなたらの相手は我こそがふさわしい!いざ、参れ!!」
雨の降る海岸、一本の傘を手にした僧侶が大膳の脇に進み出ると、そう声を上げた。
「二本傘」の旗指物を背負った大膳の劣化版を気取って見せたのである。
「確かに敵の侍じゃないなら、高山様より坊さんの出番だよなぁ」
海岸に集まった群衆は、あるいは爆笑、あるいは苦笑しながら、日常生活へと帰っ
て行き、高山大膳も面目を潰す事無く、この話は笑い話として語られるようになっ
た。
この話を聞いた北条氏政は、
「面白い坊主だ。こういう奴が仏法の問答も、面白く、わかりやすく聞かせてくれ
るんだろうな」
とのコメントを残し、庭林は小田原城下で大いに名を上げたのであった。
0684人間七七四年
2011/02/10(木) 18:59:59ID:BkXJQeM50685人間七七四年
2011/02/10(木) 20:20:57ID:YSnkna1A0686人間七七四年
2011/02/10(木) 20:58:09ID:U6fv33hH0687人間七七四年
2011/02/10(木) 21:21:58ID:l4w04jXn0688人間七七四年
2011/02/10(木) 23:02:46ID:iRqenFOl『お手紙いただきました。大変嬉しく思っています。
昨日出した手紙にも書いたのですが、わたしはこちらで普請の指導をしているため忙しく、
あなたに手紙を出すことが出来ませんでした。
やがて歳末の頃になれば、そちらに伺うことが出来るでしょう。
その時には、あなたの唇にキスをしましょう、それまで誰にも、その唇を触らせてはいけませんよ?
私はここで、側に居る時以上にあなたの事を想っています。』
以上、豊臣秀吉より息子秀頼への手紙。
有名な書状だけど、ほとんどラブレターですなw
0691人間七七四年
2011/02/11(金) 00:53:21ID:LHVbWMiV0692人間七七四年
2011/02/11(金) 01:09:38ID:RDu5Lret妙心寺で出家して“鉄牛”と名乗っていた時のこと。
京の色町・六条柳町の左近という遊女から『久しぶりに是非とも団様にお会いしたい』と熱烈なラブレターが届いた。
この左近、柳町遊郭でも際だって美しかったが、まだ武士だった団右衛門が口説いた時には罵倒を加えたような女だった。
まあそんなことは昔のこととて、団右衛門がほいほい会いに行って酒を酌み交わすと、
用件は出来てしまった隠し子を託したいと言うことである。
(出家の身の団右衛門に預けるという事は、妙心寺に入れる口添えをしてくれということだろう)
「ははあん、そんなことか」と思いながらも、頼まれごとに二つ返事で快諾する団右衛門。
喜んだ左近は以前彼を振った時とは別人のように媚びて、お礼とばかりにしなだれかかり同衾を誘った。
しかし団右衛門、猛然と衾を蹴って立ち上がり、
「酔っぱらって忘れたのか? 俺は僧だぜ。同衾なんざご免だね」
とその手を振り払って帰ってしまった。
出家した後も飲酒や帯刀を止めなかった彼も、女犯に関してはストイックだったのか。
それとも見返りを目当てにするような男と思われることに我慢がならなかったのか。
兎に角、塙団右衛門、据え膳を引っくり返したというお話。
0693人間七七四年
2011/02/11(金) 01:35:04ID:NOW9/yKx0694人間七七四年
2011/02/11(金) 01:59:27ID:RDu5Lret失礼、筆が滑ってそのまま帰ったと書きましたが、
原文では同衾拒否の言葉とともに立ち上がったところで終わっています。
その後普通に面倒を見たんじゃないでしょうか。(そうじゃないといい話でもなんでもないですな)
0695人間七七四年
2011/02/11(金) 02:05:57ID:ecS0N8jH源平の公達たちとはまた違った武者ぶりがいいね
0697人間七七四年
2011/02/11(金) 08:24:17ID:79FkKFXsそしてそんな男にはこんな頼みごとはしないだろう
0698人間七七四年
2011/02/11(金) 09:12:50ID:d+M3oqIu0700人間七七四年
2011/02/11(金) 13:29:51ID:cgPGSa4k> 奉公構えを食らうような人って、やっぱ気難しいんだろうね
全部がそうとは言わんが、団右衛門さんは出奔した後、加藤嘉明の刺客が来たとき
自分の居場所を間違わないよう、家の前にでっかい表札を出しておくような人。
0701人間七七四年
2011/02/11(金) 13:39:51ID:am1RwmeE三河の人と同人種ってことかw
0702人間七七四年
2011/02/11(金) 13:40:47ID:/Qw0ZPAK0703人間七七四年
2011/02/11(金) 14:43:39ID:gKoolOEl親父が家康の臣だったけど三河一向一揆で一揆側に加担したから出奔。
で尾張について秀吉に仕えた。
めんどくさいのは生まれつきってことです。
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