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戦国ちょっといい話24

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0001人間七七四年2010/12/25(土) 13:26:54ID:U0HLGF9L
戦国のホロリとくるエピソードを挙げていこう

戦国ちょっといい話・悪い話まとめブログ
http://iiwarui.blog90.fc2.com/
書き込む際にネタがかぶっていないかなどの、参考にしてください

前スレ
戦国ちょっといい話23
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1288278217/

姉妹スレ
戦国ちょっと悪い話24
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1292026893/

鎌倉・室町 ちょっといい話・悪い話
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/history/1286650888/

このスレの武将などに対する愛称等の、用語解説はこちら
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2161.html

逸話に対する過度の真贋論争、揚げ足取りなどは、無駄に荒れるもとになります。
そのような議論はこちらでお願いします
【真?】戦国逸話検証スレ【偽?】
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1196778610/
0464人間七七四年2011/01/29(土) 11:25:09ID:6MAAxpMB
>>463
どっちかというと「俺はシュートが苦手だ、シュートは嫌だ」と言い続けて、絶対にシュートが来る状況を作った上で
そのシュートに山をはるってことじゃないかな?
絶対に来ると分かっていて準備していれば、少々ややこしい業でも対処できる、ってことで。
0465人間七七四年2011/01/29(土) 11:43:15ID:OseatOna
戦う前から呑まれていたということじゃ(キリッ
0466人間七七四年2011/01/29(土) 11:43:21ID:rq8Z4UHq
そっくり話で、徳川家中で浜松から見附に本拠地を移そうかという話が出たとき、
敵である武田家方面から「見附はやばい!見附は困る!」って声が聞こえてきて

家康「あれどう思う?」
酒井忠次「浜松より見附に我々がいた方が、武田にとって都合がいいってことです」

ってのがあったな。
0467人間七七四年2011/01/29(土) 12:44:25ID:nNLLY4K8
意地計と言うのが相手を意地っ張りにする計略と言う意味ですから
押すなよ?押すなよ?絶対に押すなよ?と言われると押したくなる
日本人には効果的な計略だったんでしょうねw
0468人間七七四年2011/01/29(土) 13:08:02ID:X1hp5UO1
>>459
宮本武蔵
「武士なのだから死ぬ覚悟は当り前。
死の覚悟は武士でなく、坊主、女、百姓においても、
義理、恥を知る者なら覚悟出来るものである。
武士の行う兵法の道は、何事においても勝つことを基とする。」


剣豪の考え方も興味深いね。
余談、塚原卜伝が宮本武蔵の打ち込みを鍋のフタで阻止したのは創作だとのこと
0469人間七七四年2011/01/29(土) 13:17:23ID:Ks8Y3evL
見附は遠江国府や国分寺があった要所だけど、軍事拠点としては水確保の
目処がつかなかったそうで。
武田が大井川越えでなく伊那から侵攻してきたことから考えても、天竜川流域と
浜名湖両方を睨む浜松の方が優れていたんだと思う。
下手をすれば吉田城を落とされるような最悪の事態もあったかも。
0470人間七七四年2011/01/29(土) 14:39:46ID:E4U6xfhE
>>459
ちょっとオーストラリアの監督に「高さのサッカーは卑怯」「高さのサッカーはツマラナイ」ってメールしてくる
0471人間七七四年2011/01/29(土) 14:59:09ID:4wCFdztF
元就も「厳島取るなよ!絶対取るなよ!」言って上手くやったな
0472人間七七四年2011/01/29(土) 16:12:21ID:klcJqwxd
でも謙信が「信玄は卑怯」「北条は籠城ばかりでつまらない」って言っても誰も相手にしなかったけど
その辺が所詮無名の武芸者風情ってことか
0473人間七七四年2011/01/29(土) 16:53:48ID:rq8Z4UHq
>>472
信玄「あいつ強いけど馬鹿だからなあ」
0474人間七七四年2011/01/29(土) 18:49:59ID:uQurS41E
王将で王手
0475人間七七四年2011/01/29(土) 19:10:46ID:941ndqfO
信長「今度、拠点を清洲から二ノ宮山に移転するから引越しの準備をしておけよ」

家臣一同「あんな不便なところ行きたくねーよ」

信長「移転先はやっぱ小牧山にするわ」

家臣一同「小牧山ならまあいいか」




信長「ニヤリ」
0476人間七七四年2011/01/29(土) 19:11:47ID:X1hp5UO1
>>472
謙信が言うと駆け引きじゃなく本音な気がするから不思議だw
センゴク謙信のイメージでw
0477人間七七四年2011/01/29(土) 19:13:21ID:PCU6yu/d
最初に相手が承服しないであろう条件をあえて出して反対意見が出た所で妥協案(実は本命)を出すってのは交渉事の基本らしいな。
0478人間七七四年2011/01/29(土) 19:15:03ID:MBdnPsdH
>>473
氏康「そのうち飽きて帰るさ、いつものこと」
0479人間七七四年2011/01/29(土) 19:35:14ID:uJihSEWc
TERU 「承認されないだろうと萩に城を築くと申請したらあっさり承認されてしましました。」
0480人間七七四年2011/01/29(土) 19:44:08ID:O5L1PCxF
>>473
その上、無礼な奴ときてる!
0481人間七七四年2011/01/29(土) 19:50:03ID:+P6ClNBt
>>477
コーデル・ハル「次の段階の交渉のために無茶ぶりしたらいきなり戦争になりました」
0482人間七七四年2011/01/29(土) 21:34:50ID:a0GsyjBm
一瞬だれのことかわからなかった…
0483人間七七四年2011/01/29(土) 22:01:00ID:EHBJkmTW
>>466
ようするに饅頭怖いでしょ?w
0484人間七七四年2011/01/29(土) 23:37:42ID:4wCFdztF
>>479
>>481
交渉相手の気質も把握しとかないと
誰でもセオリーどおりには行かないって話しだね
0485人間七七四年2011/01/29(土) 23:47:08ID:UfnaI5oX
>>481
>>482
誰のこと?
0486人間七七四年2011/01/29(土) 23:50:00ID:1fNd4jkf
春先に発売される新型ノートPC
http://plusd.itmedia.co.jp/pcuser/articles/1101/25/news056.html
0487人間七七四年2011/01/29(土) 23:51:12ID:hMx5wnvo
>>476
つか謙信は何考えてたんだかさっぱりわからん
菅令の名を名分にして関東支配を目論んでるのかと思ってたが、それにしちゃ行動がおかしい点が多い
わざわざ敵方の人間を養子にして内乱の火種作ったりしてるし、
第一、征服すべき関東の敵の家人を養子にしたらせっかく管令なったのに意味がない。わからん
0488人間七七四年2011/01/30(日) 00:01:08ID:JVfJIQob
>>485
それ書き込んでる間にググりゃいいだろ
ハルノート知らんの?
0489人間七七四年2011/01/30(日) 00:02:14ID:apT+Uz4B
謙信の話をすると頭おかしい信者とアンチがわんさか沸いてきて荒れるからやめて
0490人間七七四年2011/01/30(日) 00:03:05ID:iVxyLjqZ
>>487
考えるな感じろ
0491人間七七四年2011/01/30(日) 00:14:10ID:X0dbjm7V
>>490
不識庵を名乗る御仁だからな。
だって「不識」だぜ。
考えるより感じる武将なのだろう
0492人間七七四年2011/01/30(日) 00:30:22ID:6NI8u9rP
毘沙門天じゃなくて化身である俺のことを直接崇めろ!とか言ってるし、
謙信はガチで自分のこと毘沙門天の化身だと思ってた節があるしなぁ。サイコすぎる
なのに戦は超絶強いから始末に負えん。こんな変人に絡まれてボコられまくった信玄には同情を禁じえない
いっそ謙信が天庵様なみの能力だったら越信・関東は平和だったろうに
0493人間七七四年2011/01/30(日) 00:49:56ID:9Fh1EzjG
三国峠を超えて関東に攻め込む天庵の雄姿…見たかったなあ…
まあ沼田城あたりでUターンだろうけどw
0494人間七七四年2011/01/30(日) 01:01:56ID:gy/vP7ah
>>493
つかそれ以前に無能すぎて兄から家督を奪取できるとは思えんが
0495人間七七四年2011/01/30(日) 02:51:13ID:sLS/3Hgm
>>494
あの不思議な人望で奪いとるのさー
0496人間七七四年2011/01/30(日) 08:43:56ID:4zFWptO1
この不思議な人望へようこそ
君は  TOUGHBOY TOUGHBOY
時はまさに戦国〜
小田城で僕らは出会った
0497人間七七四年2011/01/30(日) 10:28:44ID:8WAwhxcX
>>487
空を飛びたかったんだよ(宗教的な意味で)……。
0498人間七七四年2011/01/30(日) 11:25:10ID:hEiJebmB
>>492
しかも商才があるから尚のこと厄介
あんだけ四方八方に遠征してそれでも大量の金を残してたっていうんだから
0499人間七七四年2011/01/30(日) 11:31:40ID:eRqCtBNi
佐渡の金山はまだ本格的には採掘してないってか、まだ統治してないっけか?
詳しくないからいい加減なことはいわないでおこう・・・
0500人間七七四年2011/01/30(日) 12:27:13ID:0D/7hF+i
佐渡制圧は景勝の時代じゃなかったっけか。
0501人間七七四年2011/01/30(日) 12:39:32ID:3OYch8ng
花の慶次ではそうだったが、ホントのとこはどうなんだろう

>>498
関羽みたいに商売の神様になってもおかしくないよなあw
0502人間七七四年2011/01/30(日) 12:40:59ID:4Emvb3Sd
1589年なのでホントの所も景勝時代
0503人間七七四年2011/01/30(日) 12:46:03ID:WIRJXJzA
花の慶次でそんな話があったな。
0504人間七七四年2011/01/30(日) 12:56:03ID:X0dbjm7V
>>492
思い込みが強さの理由のひとつかと。
南無阿弥陀仏の一向宗の強さと同じ理由で
0505人間七七四年2011/01/30(日) 15:25:32ID:NvEgYGjA
>>497
つ タケコプター
0506人間七七四年2011/01/30(日) 16:19:18ID:6thTGywp
日本海側の交易で潤ってたらしいな
金融政策に関してだけは、金山掘って、掘りつくしたら、衰退してく
武田よりも評価していいと思うのだが・・・
0507人間七七四年2011/01/30(日) 16:35:48ID:6NI8u9rP
おいおい、日本有数の穀倉地で海に面した越後と山しかないド田舎の甲斐だぞ?
元々の経済地盤にとんでもない開きがあるってことを考えてくれよ
むしろ武田家はあんな貧弱な土地でよく頑張った方だと思う
0508人間七七四年2011/01/30(日) 16:41:25ID:a2lZTA/3
武田さんちは、金が取れてお金持ちかと思ったんだけど違うの?
0509人間七七四年2011/01/30(日) 17:05:01ID:Z/Ti5yN4
勝頼の頃には金が取れなくなったからお金持ちじゃなくなった
0510人間七七四年2011/01/30(日) 17:18:49ID:a2lZTA/3
ん?徳川になってからは金取れてたよね、甲斐の国。
もしかして長安さん何かやったの?
0511人間七七四年2011/01/30(日) 17:33:02ID:BrtZivF/
>>510
長安さんは枯れたとされた金銀の鉱山に、天正19年(1591)ごろ日本に伝わったとされる、
新しい精錬法である『南蛮絞り』をつかって復活させた。
0512人間七七四年2011/01/30(日) 17:39:39ID:BrtZivF/
ちなみに南蛮絞りについて
http://www.sumitomo.gr.jp/history/word/index05.html

現在の住友グループ成立の源流もこの技術から
0513人間七七四年2011/01/30(日) 18:40:02ID:3OYch8ng
横穴掘りのアマルガム製法だっけか、「捨て童子松平忠輝」で覚えた
0514人間七七四年2011/01/30(日) 21:13:06ID:THbnWOtE
越後が豊かな穀倉地帯になったのって江戸時代からじゃないの?
0515人間七七四年2011/01/30(日) 21:15:14ID:NvEgYGjA
>>507
その頃はコシヒカリや農林なんとかはなかったから、寒い越後で米なんかとんでもない!
とかなんか読んだ気がするんだけど実際はどうなんだろうね。
0516人間七七四年2011/01/30(日) 21:23:16ID:C57A0UIv
寒い越後を豊かな穀倉地帯にした重農主義と、農民たちのいい話ってことで落着
0517人間七七四年2011/01/30(日) 21:25:02ID:fxVtuhGE
>>514
そう、戦国時代だと農業的には40万石の中流国
0518人間七七四年2011/01/30(日) 21:46:46ID:0D/7hF+i
特産物と日本海貿易で勝ち組なのは変わらんけどね。
0519人間七七四年2011/01/30(日) 21:54:27ID:zbygqi2D
当時の越後人は、川と潟の湿地帯のごく一部を細々と耕作して暮らしてた。
雪は物凄いし到底勝ち組じゃない。
0520人間七七四年2011/01/30(日) 22:08:19ID:KMMz36Y7
日本の7割は山地だし、甲斐・信濃だけが特別貧しいって訳じゃないな
0521人間七七四年2011/01/30(日) 22:13:18ID:m3rTyT3a
山地には山地の利点もあるんだけど、やっぱ往来は不便だな。
0522人間七七四年2011/01/30(日) 22:17:47ID:BrtZivF/
>>520
信濃は当時穀倉地帯だったはず
0523人間七七四年2011/01/30(日) 22:59:58ID:fxVtuhGE
穀倉地帯は言いすぎ
寒冷地で日照が少ないところも多いが
水が豊富で耕作に適した山辺が多く、他地方と比べて貧しいとまではいえない
くらいにしとけ
0524人間七七四年2011/01/30(日) 23:38:10ID:JAyDqGvd
徳川家康は五大老の一人で自身に次ぐ存在だった前田利家が病死すると、同じ五大老だった上杉景勝に謀反の疑いをかけ、
討伐の為に会津に向けて出陣した。しかし、駿府に到着してからは鷹狩に明け暮れて一向に動こうとはしなかった。
見かねた本多忠勝は
「こんな調子では畿内で反乱が起きますぞ。」

と忠告すると、家康は忠勝の口を手で塞ぎ、
「黙れ。こうしているのは、ワシをうつけと思わせて反乱を起こさせ、それを打ち破る為だ。
 さすれば天下は我が物となり、お前も一国の大名だ。」

と一喝した。結果、思惑通りに石田三成が挙兵。関が原にてこれに勝利した事で家康は天下を手中にしたのだった。
以上、家康の狙い通りに天下を取ったお話。
0525人間七七四年2011/01/30(日) 23:45:46ID:LlLWY3Lk
行きは駿府に一泊しかしてないし、
帰りは忠勝先発隊にいたんだけどね
0526人間七七四年2011/01/30(日) 23:48:11ID:KMMz36Y7
>>524
>お前も一国の大名だ


完全にダウト
そもそも譜代には誰にも一国与えてないだろw
0527人間七七四年2011/01/31(月) 00:44:10ID:jTmn98yv
まあ逸話だし。家康のやるやる詐欺はいつものことだし
0528人間七七四年2011/01/31(月) 01:41:34ID:kd3pubkB

鍋島勝茂が自宅に客を招き、食事を振舞う機会があった。
その客は、兼ねてから噂に聞いていた事を直接、勝茂にぶつけてみる。

「鍋島殿は鶴料理を食べただけで、白い鶴か黒い鶴か、見抜く事が出来ると伺って
おりますが、それは本当の事なのですか?」
「ええ、仰る通り。繊細な味の違いを比べれば、見分ける事など簡単に出来ますよ」
「おお、それは面白い。それでは只今振舞われたこの料理、これは白鶴ですか?そ
れとも黒鶴なのでしょうか?」
「うむ、この料理は……鶴に似てはいるが鶴ではない。ズバリ真鴨ですな!!」

興に乗った亭主と客。どこまで本気なのか、ポンポンと軽口が飛び出してくる。

「ほう、それでは答え合わせと参りましょうか。給仕方の者をお呼びいただけます
かな?」
「承知しました。……おい、吉左衛門を呼んで参れ」

実は襖の裏に控えてこのやり取りを聞いていた福地吉左衛門、慌てて台所へと取っ
て返した。


「……中々参りませんな」
「今日はそんなに忙しいとも思えぬのですが……おい、吉左衛門はまだか?」

「おまらせいらしましらぁ〜〜〜〜」

漸く御前に出てきた福地吉左衛門、フラフラと怪しい足取りで、呂律は完全に回っ
ていない。
明らかに泥酔していた。

「なっ、何をやっておるのだ!?」
「きょーのおりょおりわぁ〜〜、つる? しろ……かも? くろ…かも、ま……かも?
アハハハハハッハッ!!」

ベロンベロンに酔った吉左衛門はまともに会話が成立しそうにない。


先程、勝茂と客のやりとりを聞いた吉左衛門、慌てて台所に行き、大急ぎで酒を大
量に飲み干したのである。
家臣の醜態を取り繕い、客にひたすら謝り倒す勝茂。
そしてその陰でうやむやになってしまった「白鶴か、黒鶴か」という問い。


佐賀武士に取っては主君に恥をかかせる事が一番いけないのである。
家臣の恥なら家臣が腹を切れば済む事なのだ。
勝茂が答えを外しても、酒の席での笑い話じゃないか、などとは考えない。
つまり、吉左衛門にとっては「答え合わせ」をさせない、という事が最優先事項だ
ったのである。

三河武士とは違う方向に面倒臭いシグルイの人々。
「家臣が客の前で粗相するのは主君の恥にはならんのか?」
とか
「じゃぁ家族や家臣からの駄目出しはちょっと控えてあげようよ」
とか言ってはいけないのである。多分。
0529人間七七四年2011/01/31(月) 02:42:40ID:LYBF9Oms
塚原卜伝、後継者を選ぶ

この世に生を受けてより三十九度の合戦に挑み、真剣での立会いを行うこと十九度
木刀においては立ち会うこと数知れず、斬って捨てた者の数二百十二人と言われ
その間刀槍にての傷はなく僅かに六度の矢傷を被るのみと言う
戦国乱世を剣一本で渡ったこの男にもその生涯に幕が下りようとしていた。
己の死期を悟った卜伝は、家督を立てようと養子三人を試すことにした
何れも実子のいない卜伝に剣の腕を見込まれて養子になった者達であった。
さて卜伝は自室の入り口の暖簾の上に木枕を仕掛け、部屋に入ろうと暖簾を捲くると
木枕が落ちてくるように仕掛けておいてまず長男を呼び出した。
長男は部屋の前で立ち止まり「見越之術」を用いてこの木枕を取り除き
何事もなかったように部屋に入り座った。
 (以見越之術見付之、取其木枕而入座也)
卜伝はまた木枕を先程のように仕掛けて次男を呼び出した
次男は部屋に入ろうとしたが木枕が落ちてきたのを察すると飛び退いてこれ(木枕)を避け
己の刀に手を掛けたが、木枕であることを確認すると気を静めて座った。
 (二男開弈時木枕落、飛去懸手於刀、慎而入座也)
そして卜伝は三度同じように仕掛けを施し三男を呼び出した
三男は暖簾を潜ろうとするなり落ちてくる木枕を、地に付く前に刀で斬り、それから座った。
 (開暖簾之時木枕落、忽技刀斬之於中而入座也)
卜伝は二男と三男の二人に怒りながらも諭した
「お前達木枕ごときに驚いてどうする?常在戦場の心で先々の事を見越していないからだ
彦四郎(長男)のみが不測の事態に心を動かさず
これ(見越之術)を知るところであったので彼に家督を譲る」

孫子の勝兵先勝而後求戰に通ずる教えである。
0530人間七七四年2011/01/31(月) 05:16:21ID:iAxPTM0c
3人が比較されるというと、なんらかのオチを期待してしまったが、何も無かったw
0531人間七七四年2011/01/31(月) 05:47:10ID:X2FDwo3J
見越之術って透視能力なのか?
0532人間七七四年2011/01/31(月) 05:56:01ID:KdOYAL5W
宮本武蔵を筆頭に剣豪と呼ばれてる奴らは総じて胡散臭い

上泉信綱くらいしか信用できん

0533人間七七四年2011/01/31(月) 10:27:15ID:sakEqEon
よりによって一番神格化された怪しいやつを信用すんなよw
0534人間七七四年2011/01/31(月) 11:31:11ID:BqR74IDU
松山主水「信用出来るのは俺の二階堂平法だけだな」
0535人間七七四年2011/01/31(月) 13:26:55ID:41D0So/4
>>532
宮本武蔵はいろいろ言われるが、
五輪書と絵画を見るとハッタリの剣豪とは思えない迫力があると思ふ
0536人間七七四年2011/01/31(月) 13:56:13ID:jTmn98yv
剣豪の逸話って誇大になりがちだから、何もかもでたらめだと決め付ける奴が多い
でも武蔵が細川家に厚遇されたり、合戦に参加したのは紛れもない事実
少なくとも、あの当時武蔵の有名が轟いてたのは間違いないだろう
0537人間七七四年2011/01/31(月) 14:00:45ID:LnXnczcC
>>528
珍しく叱られない話だが、家臣の機転の利かせ方が明後日に行ってるなあ
0538人間七七四年2011/01/31(月) 18:56:39ID:sakEqEon
>>536
厚遇ねw
忠興と忠利の数千通の往復書簡の中に
ただの一度も宮本武蔵に比定できる名前は出てこないけどねw
0539人間七七四年2011/01/31(月) 19:01:35ID:X2FDwo3J
松山主水はべた誉めされてるのになw
0540人間七七四年2011/01/31(月) 19:11:20ID:+PknxsYn
柳生十兵衛「宮本武蔵殿などほとんど創作でござるよ」
0541人間七七四年2011/01/31(月) 19:25:19ID:rg3GBomV
>>540
何という懐の深さ…これが柳生の無刀の構えか…。
0542人間七七四年2011/01/31(月) 19:32:24ID:J5Hp/DzU
江戸時代みたいに平和な時代だと剣豪はもてはやされるかもしれないが
戦国時代の戦場だと無名の農民にも討ち取られる可能性が・・・
そもそも刀自体あんま出番ないし

そういえば武蔵は島原の乱に勇んで参加したけど、石落とされて負傷リタイア
だったな
0543人間七七四年2011/01/31(月) 19:57:05ID:o56Yi92Y
剣豪と言っても、
ピンからキリまでだからな。
義輝や具教は除くにしても、
上泉や柳生、真壁、富田あたりは、
剣豪以外で実績を残していたりするし。
0544人間七七四年2011/01/31(月) 20:40:59ID:kLBARefx
丸目「仲間に入れてください」
0545人間七七四年2011/01/31(月) 21:00:22ID:ZfiD3iZx
憲法色で名を残した吉岡は異色だよね。
0546人間七七四年2011/01/31(月) 21:03:41ID:41D0So/4
>>538
まあでも、宮本武蔵は各地に足跡残ってて、
何処に行ってもそれなりの持て成しを受けているのも事実だからなあ
0547人間七七四年2011/01/31(月) 21:30:58ID:Y0KDc7St
>>544
お前ちょっと畑耕しただけだろ
0548人間七七四年2011/01/31(月) 21:52:08ID:LRVg2V3F
東郷先生の事も思い出してあげてください
0549人間七七四年2011/01/31(月) 22:22:25ID:g8fMUI+h
>>488
なるほど、ハル・ノートのハルさんなのね。
てっきり戦国武将のニックネームかと……
0550人間七七四年2011/01/31(月) 22:23:46ID:qgvI2/ag
東郷さん後年は鎖で刀を封印したんだよな
示現流は刀を抜くだけで人が死ぬからダメ絶対
抜かずして勝つのが至高の勝利とか言って
弟子にも免許ついでに同じ事を強要してるし
剣客としてそれはいい話なんだろうか?
0551人間七七四年2011/01/31(月) 22:26:19ID:dGA99R2S
中島敦の「名人伝」みたいだ
0552人間七七四年2011/01/31(月) 22:31:44ID:g8fMUI+h
そんな刀を持ち歩いて、意味があるのかなあ?
0553人間七七四年2011/01/31(月) 22:36:04ID:41D0So/4
東郷さんから始まった示現流は幕末に至ってまで結果出したから良いんじゃね?
猿叫とかロマンがあるしw
0554人間七七四年2011/01/31(月) 22:38:09ID:aPF+rYWt
まあ、示現流の猛攻なら鞘でも充分危険な気がするがw
0555人間七七四年2011/01/31(月) 22:52:49ID:LYBF9Oms
>>530 オチと言うか続きはあります

塚原卜伝の遺言!(>>529の続き)

卜伝「さて彦四郎に家督を譲ると申したが、ただ極意の一の太刀だけは
   唯授一人として既に人に伝えてあるからお前に教えられないが
   お前が別の者から習うというのは一向に構わない。
   因みに私が伝えたのは伊勢国司の北畠殿だ、あの方の元に赴いて教えてもらうがよい。」

そう伝えると稀代の剣豪は畢命し、それを見届けた彦四郎はこの言葉を受けて思った!

彦四郎「嫡子として迎えられ家督までを受け継いだのに
    卜伝の代名詞である一の太刀を受け継いでいないなんて世間に知られたら・・・
    それよりも天下の兵法者卜伝の子として人に一の太刀を習うのは快からず。」

然しながら彼の足は悠々閑々と勢州へ向かっていた。国司北畠具教卿の元へ参じた彼は具教卿にこう申し出た

彦四郎「どうも塚原家を継いだ彦四郎秀幹です。
    うちの父が廻国修行の際にそちらにお世話になってお礼方々一の太刀を伝授したそうですが
    どうです?あの父のことですから本当の一の太刀を教えているかどうか判りませんよ?
    そこでお互いの一の太刀を見せ合い確かめてみましょう。」

具教卿「そういわれるとそうですな、名案です。」

彦四郎「まず先輩からどうぞ、どうぞ。」

具教卿「では、これが私が授かった一の太刀です!続いて彦四郎殿もどぞ。」

彦四郎「あ、いや、その必要には及ばず、私が授かった一の太刀と寸分違いません
    いや〜良かった良かった。」

こうして彦四郎は見事一の太刀を体得したのであった。
0556人間七七四年2011/01/31(月) 23:25:59ID:lF4Ucjyr
>>542
首切り茂吉のコピペを思い出した。
0557人間七七四年2011/01/31(月) 23:27:49ID:zxPvfyzP
講談士や小説家に、人々の歴史認識を塗り替えようという気はなかったろうけど、
結果そうなったのは逸話扱いしてもいい気がする。ここで扱う気はないが。

吉川英治、司馬遼太郎、子母沢寛、立川文庫とか
0558人間七七四年2011/01/31(月) 23:31:37ID:9JlihqWt
心技体を磨いてくと、人を切るってことの意味とかになっちゃうからなぁ〜
0559人間七七四年2011/01/31(月) 23:34:09ID:Wx78/k/9
剣豪の北畠や足利も忘れないであげてください。
0560人間七七四年2011/01/31(月) 23:57:46ID:daQSSwl+
今日は愛妻の日だったそうなので夫婦の話。

伊達政宗正室愛姫は1653年1月24日逝去した。享年86歳の大往生である。
時代はすでに承応、四代将軍家綱の世となっており、最後の戦国大名とも呼ばれた男の正妻の死は、
戦の世がまた遠くなったことを告げるものでもあったろう。
亡くなる数日前から体調を崩し床に臥していた愛姫は22日には危篤となっていたのだが、
夫の月命日の24日に死にたいと気力で長らえたのだと伊達家の記録は語る。
戦国を生き抜いた女性は強かった。

仙台市博物館には、孫の綱宗が愛姫の遺品として伝えた一通の手紙が今も大切に保管されている。
姫愛用の硯箱にしまわれていた宛名もなく文面も不明瞭なこの手紙は、政宗5歳の時の手習いの書なのだという。
この80年も前の書付がいつごろどういった経緯で愛姫の手に渡ったのかは不明だが、
夫の幼い筆跡を常に傍らに置き、時折取り出してはいとおしげに眺めたであろう老いた夫人の姿を思うと、
なんとも暖かい気持ちになる。
激動の時代、60年近い歳月を連れ添った夫婦の絆は特別なものがあったのだろうと思わされる手紙の話。

安西先生・・・奥さんがほしいです・・・(´・ω・`)
0561人間七七四年2011/02/01(火) 00:24:00ID:POV5hbPU
普通、故人を偲ぶ品って結婚指輪とか家族で撮った写真とか、
自分と関係が深かったり本人が直接身につけてた物とかじゃね?
故人が自分の顔も知らなかった頃の字の練習帳を大事にするってなんかピンとこないんだよな
夫婦の機微ってわかりそうでわからんのう
0562人間七七四年2011/02/01(火) 00:35:56ID:EQ8OY2Cl
>>543
そりゃそうでしょみんな武将(領主)だもん
このへんの人らは剣豪じゃなくても名が残るでしょうよ

当時の連歌師みたいに芸で高名になってと言うと何人いるか…
0563人間七七四年2011/02/01(火) 00:51:12ID:uBmv4cIt
>>561
その辺はもう政宗と愛姫だけにわかる世界だからな…

推測だが政宗も手習いの書を大事にしてたんじゃないか。
普通5歳の時のものなんてなくなっちゃうだろう。
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