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戦国ちょっといい話24

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0001人間七七四年2010/12/25(土) 13:26:54ID:U0HLGF9L
戦国のホロリとくるエピソードを挙げていこう

戦国ちょっといい話・悪い話まとめブログ
http://iiwarui.blog90.fc2.com/
書き込む際にネタがかぶっていないかなどの、参考にしてください

前スレ
戦国ちょっといい話23
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鎌倉・室町 ちょっといい話・悪い話
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/history/1286650888/

このスレの武将などに対する愛称等の、用語解説はこちら
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2161.html

逸話に対する過度の真贋論争、揚げ足取りなどは、無駄に荒れるもとになります。
そのような議論はこちらでお願いします
【真?】戦国逸話検証スレ【偽?】
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1196778610/
0399人間七七四年2011/01/25(火) 20:24:56ID:8T1F/COF
信長が家臣引き連れて馬を狂ったように乗り回してたら格好良く感じるし
政宗が家臣引き連れて馬を狂ったように乗り回してたらまた政宗だよ…だし
長可が家臣引き連れて馬を狂ったように乗り回してたらこのDQN次はどこ攻める気だよ!だわな

そして一条さんなら家臣がついてこず一人で馬を狂ったように…
0400人間七七四年2011/01/25(火) 20:29:33ID:be7sKMEB
別にかっこよくもなんともないが ただのDQNとしか
0401人間七七四年2011/01/25(火) 20:31:21ID:+3nNqy0O
>>398
尾張@連合
みたいなw
0402人間七七四年2011/01/25(火) 20:32:31ID:0pCPIw3z
謙信が家臣引き連れて馬を狂ったように乗り回してたら北条は引きこもりになるし
信玄が家臣引き連れて馬を狂ったように乗り回してたら家康はウンコもらすのか
0403人間七七四年2011/01/25(火) 20:32:36ID:Ntp4zmAT
畠山が女引き連れて馬上に狂ったように乗り回させたらエロい
0404人間七七四年2011/01/25(火) 20:41:41ID:mwmCUkN7
今さらだが
さんざん引きこもり言われてるけど、北条ってそれほどおとなしくなくね?
むしろ積極的に外征して局地戦での敗退がネタになってる
0405人間七七四年2011/01/25(火) 20:46:16ID:66axgH2J
北条スレ行って
0406人間七七四年2011/01/25(火) 20:48:28ID:mwmCUkN7
厨扱いされたw
そーゆーつもりじゃなかったんだが、すまそ
0407人間七七四年2011/01/25(火) 22:42:54ID:IK10wxrO
>>390
八丈島の「浮田」さんは総員「泳いで参った大納言様」の子孫だから。
宗家が宇喜多
分家が浮田
0408人間七七四年2011/01/26(水) 00:14:28ID:SpWhQzom
祖母の実家が八丈島の浮田な俺が来ました
因みに俺自身は社家
0409人間七七四年2011/01/26(水) 02:08:20ID:Ac6YNEQv
家系図の初代調べて4年間、かなり破天荒で面白かったので何度か投稿している自分が通りますよ。
戦国時代の主要な合戦にはほぼ全て参加。
0410人間七七四年2011/01/26(水) 02:21:27ID:qyIOF+62
加藤嘉明が自分の家臣たちに常々言うことに、「帯は後ろで結んではならない、必ず前に結べ!」
という物があった。理由はこうである

「あれは慶長元年(1596)の伏見の大地震の時のことであった。
太閤様は如何なされたかと、皆が安否を確かめるため走っていたが、わしより先に
足早に行く者があった。

わしはこの者に走り負けるのも口惜しいと思ったが、よく見るとそやつは帯を後ろで結んでいる。
そこで人込みのなかわしは、そやつの帯の端を取って解いた。

丁度門のうちに入ったときそやつの帯はほどけ、刀脇差も地に落ちた。
これを取り上げ帯を直している間にわしは、そやつを追い抜き先に駆け抜けたのだ。

こう言うこともあるので、我が家中のものは必ず、帯を前に結ぶように!」

以上、加藤嘉明家中が帯を前で結ぶ理由
0411人間七七四年2011/01/26(水) 02:27:18ID:BfWdqplq
実はその後、後から来た地味じゃない方の加藤さんに帯をほどかされて
追い越された、って話はないのかな
0412人間七七四年2011/01/26(水) 02:31:20ID:BfWdqplq
ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3238.html
加藤嘉明「袴帯は前で結ぶものだ。決して後ろで結ぶな。」

と思ったら既出っぽい
0413人間七七四年2011/01/26(水) 02:33:03ID:qyIOF+62
ああ…確認してなかった、スマンorz
0414人間七七四年2011/01/26(水) 02:52:53ID:/nsWbOJN
せこいなあ地味加藤
地味だけど決して人畜無害系じゃないんだよなこの人
0415人間七七四年2011/01/26(水) 03:47:27ID:Wgj3U5TN
>祖母の実家が八丈島の浮田な俺が来ました
罪人だらけの島って、DQN多いの?
0416人間七七四年2011/01/26(水) 07:57:39ID:JFxT9qfj
>>415
自分で行って確かめてこいよ引きこもり
知らない場所を悪く言うもんじゃない
0417人間七七四年2011/01/26(水) 08:22:56ID:u/iuNDjH
島流しにされるような奴は結構な割合で政治犯だろ
親から子に受け継がれるとしたらDQNよりもインテリなんじゃねーの
0418人間七七四年2011/01/26(水) 09:36:18ID:3RRCsBdx
孤島には流された英雄たちがいてすごそう
宇喜多八郎秀家さんのはるか以前には鎮西八郎為朝さんとかいたんだよね
0419人間七七四年2011/01/26(水) 10:31:32ID:VJ8gyN+J
衆道ネタかと思ったじゃないか!
0420人間七七四年2011/01/26(水) 15:20:38ID:3kBGhh5W
葉隠から生け花の話

山本常朝
「あるとき、太閤様が大名衆を集めて生け花の会を開いたのだが、
直茂公の前にも花器と生花が用意されていた。
ところが直茂公には生け花の経験がなかった。
そこでどうしたかと言うと生花の束を鷲掴みにして、
そのまま剣山に突き刺して太閤様に差し出されたのだ。
それを御覧になった太閤様は、
「形は悪いが、心意気は見事である」
と、言われたとのことである
0421人間七七四年2011/01/26(水) 15:52:22ID:7UrYXUCq
>>420
> 「形は悪いが、心意気は見事である」

こう言うしか無かったんだろうなw
テストで「0点だけど全問きちんと答えているのがえらい」みたいな。
0422人間七七四年2011/01/26(水) 16:17:13ID:Jif0yKC2
直茂さんが、めんどくさい人たちじゃなくてよかったなぁ〜
つか、葉隠も結構めんどくさそうなイメージあるなぁ〜
04234202011/01/26(水) 17:00:43ID:3kBGhh5W
補足

本文で剣山と意訳しましたが、
この時代、今のような針のついた剣山ではなかったらしいです。
0424人間七七四年2011/01/26(水) 18:25:23ID:JFxT9qfj
秀吉はいつ頃生け花なんかやったんだろう
少なくとも信長の下にいたときはやる暇なんかないよね
0425人間七七四年2011/01/26(水) 19:02:20ID:6rsQ2ZgU
鍋島には知恵と勇気はあるが大気がない

だけど心意気は見事なのか。
よくわからんなあ
0426人間七七四年2011/01/26(水) 19:07:29ID:qAr9Fg9L
>>415
江戸時代だが、基本的に10両以上の窃盗と今の日本で言う刑法の重罪事案は全部死刑
島流しになるのは、ケチな窃盗や共犯者達、政治犯と思えばいい。
島についても、基本的に島の住民とは隔離されていた。
住民と接触出来たのは、老人の罪人や医師などのインテリ技術者。
宇喜多秀家は身分の高い武士(大納言)なので特例中の特例。

>>424
京都で奉行やっていた時じゃないか?
0427人間七七四年2011/01/26(水) 19:58:20ID:ZUSyDy2o
>>421
人によるだろうな
先日悪い話に出てた尾藤知宣ならとんでもないことになってたかもしれん
直茂の人物が良かったんだろうな
0428人間七七四年2011/01/26(水) 20:05:21ID:WUtUPlqR
なんで親父は何をやっても評価されて、息子は何をやっても駄目だし食らうんだろう・・・鍋島家
0429人間七七四年2011/01/26(水) 20:55:59ID:Odb2kL0S
病に伏せる大村純忠は自分の死が近いことを感じていた。
そのせいか彼は捕虜200人を解放した。
そして自分が可愛がっていた小鳥も籠から放してやろうとした。

だがもう弱りきっていた純忠は、それを侍女に頼んだのである。
「すまぬが小鳥を放してやってくれんか・・・」
「かしこまりました」

ところが侍女の小鳥の扱いが雑だったようで
「ゴルァ!小鳥ちゃんをもっと大事に扱わぬかーっ!(゚Д゚#)」
純忠は激怒してしまったのである。

(はっ、いかん。怒ることはゼウス様の御意志に反するに違いない)
と我に返った純忠は
「怒ってすまなかった。しかし、小鳥はゼウス様が作られたのだ。
ゆえにわしは小鳥を可愛がっておる。ぜひ、お前もそうしてほしいのだ」
と言って侍女に立派な帯を与えた。死の前日のことだったという。
0430人間七七四年2011/01/26(水) 21:18:25ID:3kBGhh5W
立派なクリスチャンだな
0431人間七七四年2011/01/27(木) 00:57:28ID:eUCKijbu
>>421
漫画の持込みで褒めるところが無い時に「最後まで描きあげたのは偉いですよ」と似たようなもんだなw
0432人間七七四年2011/01/27(木) 02:02:36ID:I9P1dmMH
小牧長久手の時のこと

かさにかかって攻める徳川軍は、先へ先へと乱入する。
これに徳川軍の部隊長たちは「止まれ!止まれー!」と制しようとするが、その命令も耳に入らず
少しも止まらない。

この時家康

「軍勢にああいう勢いがついたときは、止めようとしても止まるもんじゃない。
まあそのままにしておけば、先で敵に合って止まるだろう。
我らはそうなった時すぐに対応できるよう、即刻備えを立てよ。」

と命じた。
案の定その軍勢は先で待ち受けた敵と遭遇したが、後方の備えが万全であったため
大きな問題にならなかったという。

おそらくこう言うのが戦場の呼吸というものだろう。そんな事をちょっと思わせるおはなし。
0433人間七七四年2011/01/27(木) 05:20:08ID:YHbHGYoa
>>432
名人久太郎にそれで痛い目に合わされてたと思うんだが
0434人間七七四年2011/01/27(木) 09:51:30ID:aMdOUEmA
>>428
葉隠自体が直茂や茂安と同世代の爺さんが
勝茂世代の人間から閑職に追いやられて、「あの頃はよかった」と漏らした愚痴を拾い集めた本だから
0435人間七七四年2011/01/27(木) 11:22:46ID:AdE/I6zM
>>433
それ家康本体の到着前だわ
0436人間七七四年2011/01/27(木) 16:47:36ID:GyfVzBbb
先鋒倒して調子乗って家康に攻めかかったら今度は堀が敗退してたなw
0437人間七七四年2011/01/27(木) 17:54:58ID:z5PU0W9c
>>434
三河物語ならぬ肥前物語ですか
0438人間七七四年2011/01/27(木) 18:14:03ID:v/AJCwHq
「葉隠」に関しては、大隈重信(元は佐賀藩士)が「あんなもの読むな」とか酷評
していたという逸話をどっかで読んだことがあるんだけど本当なのかね?
0439人間七七四年2011/01/27(木) 18:22:31ID:v/AJCwHq
ごめん、ぐぐったらそんな感じのがあった。
ttp://www3.bunbun.ne.jp/hutongmi/054.htm
0440人間七七四年2011/01/27(木) 18:23:32ID:oO99siU5
藩校退学になった人ですもんw
0441人間七七四年2011/01/27(木) 19:19:22ID:Ui7vkMc2
大隈重信は佐賀藩(というか、鍋島閑叟)の若い秀才への猛勉強の強制且つ酷使が大嫌いだった人だから仕方ない
0442人間七七四年2011/01/27(木) 19:52:43ID:Q9lZeOBv
>>439
リンク先読んだけどありきたりな葉隠論だな。
佐賀藩主に尽くすのが視野が狭いとする論だけど、
尊皇思想が登場する前の書物にそれを求めても・・・
現代日本人でもオバマの方針より身近な日本政府の政策に従って(あるいは反対)していくしかないのと一緒だ。
0443人間七七四年2011/01/27(木) 21:49:01ID:qR1ODT22
うろ覚えなのだが、葉隠に

武士は早漏であることが一番良い!

と言う記述があると聞いたのだが本当?
0444人間七七四年2011/01/27(木) 22:30:34ID:I9P1dmMH
大坂の陣も終わり、世も太平となった頃の事、
永井善左衛門の所に、板倉重宗が招かれた。

この時相客は石谷十蔵、横田甚右衛門(尹松)、大久保彦左衛門(忠教)、今村九郎兵衛、であった。
みなみな戦場生き残りの、老勇者たちである。

この頃今村は槍奉行、大久保彦左衛門は御旗奉行であった。
まず、今村が彦左衛門に食って掛かる

「わしは長久手でもどこの鑓場でも、人が十回かかるほどの働きをやって来たというのに
何のご褒美もなかったわ!彦左、おぬしはどれほど優れた働きをして、その様な結構なお役を
頂いたのだ!?」

これに彦左衛門
「わしは長篠で、鬼神のごとくと言われた岡部丹波を切り落とし、本多主水(彦左衛門の郎党)にその首を
取らせたわ!その他にもちくちくした事は数多あるが、まあ、甲州者などでは逃げたことが高名になるそうだ。」

これを聞いて黙っていられないのがその甲州者、そして高天神落城の際脱出した旧武田家家臣横田甚右衛門である。

「それがしが高天神城にこもったのは、『この籠城は運を開くことは出来ません』と勝頼様に申したのに
同心いたして頂けなかったゆえ、しからば一応勤め、どうしても駄目になれば敵を切り抜け、再び勝頼様に
お目見えいたしますと君臣約束した故である!!」

そう聞いても彦左衛門
「それは狭間潜(さまくぐり:城中から狭間(さま)を潜って逃げる者。転じて、逃亡者、臆病者)というものじゃ!」

「はっ!しかしあの時わしは三河者の頭の上を越えて行ったが、そのわしを指さす者すらおらんかったわ!」

「それはまあいい、ほかに何か無いのか?」

「ふん、そうだな、芦田小屋(芦田城)でも最も骨を折ったのはこのわしであった!」

この言葉に彦左衛門
「ほほう!芦田小屋から横田が逃げたという話は聞いていなかった!」

これには横田たまらず
「皆の衆あれを聞いたか!?三河衆は口が悪いから、人の武辺を言い貶す!全く意地の悪いことだ!
近藤石川といった連中に起請を書かせた上で言わせれば、ありのままに話すのだろうが。」

老勇者たちのいがみ合いヒートアップ。今にも発火せんばかりの空気の中、
ここで板倉重宗が割って入った

「いやはやいやはや!皆様はもはや老年でもあり、孫や子の事ばかりお話されると思っていたのですが、
武辺争いをなさるとは、近頃奇特なる事で、若き者の後学の為にも良いことです。
さあどうぞどうぞ、いくらでもやってください!さましく御重宝というべきものです!」

…と

この板倉重宗の言葉に気恥ずかしくなったか逆に白けたか、老勇者たち黙ってしまい、座敷の空気も
静まったそうである。

年寄りの冷や水ならぬ年寄りの武辺争い、と言うお話。
しかしまあこの人達、仲が悪いというより、そう言うコミニュケーションだたんでしょうねw
0445人間七七四年2011/01/27(木) 22:32:52ID:JOKKPGzI
>>443
死ぬか死なないか迷った時は死んどいた方が無難
ウッカリ死んだらただのアホだけど、死なないといけない時死に損ったら恥だよね
みたいなアレのこと?
0446人間七七四年2011/01/27(木) 22:50:41ID:Q9lZeOBv
>>444
乱世を生きた武人の気質なんだろうな
日露戦争時に薩長出身者が幕末の活躍を話してると、
桑名藩雷神隊だった立見尚文が、
「キミら、オレの隊からは逃げてたよね?」
みたいにチャチャ入れたりしてるしw
0447人間七七四年2011/01/27(木) 23:44:54ID:cFLCpX3e
>>443
黒鉄ヒロシが書いた漫画:葉隠に『早漏で候』っていうギャグがあった記憶はある
あと、病弱な奴はオナニーとか性交とか一切しなければ体が丈夫になっていくとか
母親が子供を庇い過ぎると子供がマザコンになって碌な人間に育たないとか
昔は自分から股に傷を作ってそれを武勇の証としたが、今はそんなことする奴はアホだと思われるとか

葉隠って話題が結構ループするんだよね
それもネタにされてた
0448人間七七四年2011/01/28(金) 00:19:53ID:q9NGKeqw
年寄りの話しはループしがちだからね。
0449人間七七四年2011/01/28(金) 01:06:37ID:swpyhMCd
しかし重宗もどうかしてるな
あの彦左がのほほんと孫の話なんてするわけがないくらいわかりそうなもんだが
0450人間七七四年2011/01/28(金) 01:10:14ID:iRVaeWLn
だからあてつけというかしらばっくれというか、そういう事なんだよと思うよw>重宗
「あんたらもう孫がいるような歳なのに、そう言う子どもみたいな意地の張りあいしてて
それはどうなの?」
って底意で言っているんだよ。
0451人間七七四年2011/01/28(金) 01:40:36ID:hii+OybT
戦場往来の爺ちゃんたちは我が強すぎるねえw
0452人間七七四年2011/01/28(金) 03:58:35ID:MhR7EtTZ
どうにも収まりのつかない口喧嘩を全員誉め上げてて収める、
さすがは板倉Jr.という話
0453人間七七四年2011/01/28(金) 07:16:39ID:It5D2xgZ
止まらなかった部隊がQ太郎に痛い目に遭わされて
崩れかけたときに備え万全な家康旗本が現れて
Q太郎それを見て撤退だから話の筋は合っているのでは。
0454人間七七四年2011/01/28(金) 08:15:47ID:7uEPuC2X
>>443
男女の産み分け的には、
遅い方が世継ぎを作りやすいんだが、、、
0455人間七七四年2011/01/28(金) 22:05:14ID:iRVaeWLn
佐川田昌俊という人は下野に生まれ、上杉景勝に仕え、やがて関ヶ原の後永井直勝に仕えた
武勇優れた武士であったが
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-category-515.html
ここに書かれているよう、武士としても勿論、歌人としても名が高く、当時を代表する文化人としても知られていた。

さて、彼の主君永井尚政が山城国淀城主となった頃のこと、永井家よりの禁裏への使者として、昌俊が
遣わされた。
この時朝廷の公卿たち、昌俊が和歌の達人であるとの評判を聞いていたため

「喜六(昌俊)よ、一つ歌を詠んでくれないか?」

とせがんだ。これに昌俊

『吉野山 花待つ頃の朝な朝な 心にかかる峰の白雲』

この歌に公卿たちは感嘆し、当時の京で大変な評判となったそうだ。


さて、それから数年の後のことである


ある公卿が嵐山に遊んだ時、その山奥に小さな庵を見つけた。
このような山奥にと、公卿は珍しく思いその庵を訪ねると、庵主である僧に招き入れられた。
そこで公卿と僧は宮中の式礼について、和歌についての興味深い話など色々と面白く語り合った。

この僧が非常に学識深く風雅の道にも造詣が深い事かったため話は興に乗り、春のことであったため、
ふとこの公卿、かつて佐川田昌俊が詠んだあの、吉野山の歌を吟じた。

「さてさて面白い歌であろう?堂上にてもこれほどの歌を讀めるものはおらんよ。」

そういう公卿にこの僧

「それほど褒めるような歌ではありませんよ。この歌は昔、東下総守(東常縁)が詠んだ

『朝な朝な 雲たち添うる小倉山 峰吹く風は花の香ぞする』

という古歌によって詠んだものでしょう」

と言った。


さて、この公卿が帰ってきて親友にこの事を話すと、この友驚き
「それは他の者ではない!佐川田昌俊が隠遁して世をのがれ、そこに住んでいるのだろう!」

翌日公卿とその友はうち連れて再び嵐山に分け入り、かの庵室を訪ねたが、その庵は既に崩し捨てられ、
庵主はどこかへ行き去った跡だったという。

佐川田昌俊の有名な歌と、それにまつわる不思議なお話。
0456人間七七四年2011/01/28(金) 22:08:37ID:hii+OybT
言葉のなまりで分かるだろ、とか突っ込んじゃだめ?
0457人間七七四年2011/01/28(金) 22:46:31ID:Alsf5Fmn
なまりだけで個人を特定出来るものなのかとも思う
京の都だし・・・
0458人間七七四年2011/01/28(金) 23:02:48ID:UxDpwWfS
ケンミンSHOWのマスターみたいな人かw
0459人間七七四年2011/01/28(金) 23:12:15ID:r5cdqpI7
一級剣豪塚原卜伝と恥知らずな左太刀の兵法者

鹿島神宮の祠官卜部氏の子であるからリアルではモンクタイプの卜伝さん
ある時この卜伝、相当な使い手の武芸者に試合を挑まれたが
好かろう受けて立つ!と二つ返事。
さて自分の門人達に対戦相手の兵法者の情報を集めさせてそれらを聞き出した。
それによると、かの者は過去数度の木刀の試合に勝ったことがあるが
その時の状況は何れも通常の刀の持ち方とは逆の左手が上で右手が下の柄尻の方を持つ
左太刀という構えで、しかも勝を決めた時は必ず片手で敵を打つていたと言う。

 「右兵法人の数度木刀の仕相に勝利有作法様子を聞くに、構えは左太刀、
  扨勝利は右か左か必定片手にて利をする」

これを聞いた卜伝は何を思ったのかこの兵法者に
卜伝「おいィ?左太刀は普通の構えじゃない奇策だから勝っても卑怯すぐるでしょ?
天下に鳴り響いた卜伝と立ち会うのに左太刀はどちらかというと大反対だな」
と使いを送り、なおも「おい、やめろ馬鹿」「この仕相は早くも終了ですね」など
十度にも渡って使いを出したのだが相手の兵法者も卜伝からの使いが来るたびに
兵法者「左太刀の片手打ちをいやと思し召し賜わば、勝負する前から卜伝の負けにせられよ」と返事する。
むしろどちらの方が卑怯未練の振る舞いであろうか?と思われるが
そうまでしておきながら卜伝はこれで勝つる!と試合に挑む。
 
「そこにて卜伝仕相に仕る。卜伝勝利疑なし」

いざ立会いとなった時、相手の兵法者は額から一気に鼻唇まで切り裂かれて卜伝は勝利した・
この卜伝の戦いを甲陽軍鑑の結要本においては
「是全く一つ太刀の心静に名人の故也、相手も上手なれ共未名人にあらず、意地計也云々」と評す。
0460人間七七四年2011/01/28(金) 23:31:53ID:NtjGRIFW
確かこれって、左か右か判らない相手の構えを、「左太刀は卑怯!」「左太刀はヤメロ!」
と粘着する事で、逆に左太刀を使うよう、追い込んだって言う話でしたよね。
0461人間七七四年2011/01/28(金) 23:37:35ID:zAyXf/3q
こういった話は現代にも通じるものがありそうですね
いつぞやの日本シリーズとか
0462人間七七四年2011/01/29(土) 05:49:12ID:jX5bYIY4
森と野村の化かし合いか
0463人間七七四年2011/01/29(土) 09:25:42ID:hwuXeX/P
田淵が苦手なシュートを投げさせないために
打ったのはシュート、とコメントしてたのと同じ感じ?
0464人間七七四年2011/01/29(土) 11:25:09ID:6MAAxpMB
>>463
どっちかというと「俺はシュートが苦手だ、シュートは嫌だ」と言い続けて、絶対にシュートが来る状況を作った上で
そのシュートに山をはるってことじゃないかな?
絶対に来ると分かっていて準備していれば、少々ややこしい業でも対処できる、ってことで。
0465人間七七四年2011/01/29(土) 11:43:15ID:OseatOna
戦う前から呑まれていたということじゃ(キリッ
0466人間七七四年2011/01/29(土) 11:43:21ID:rq8Z4UHq
そっくり話で、徳川家中で浜松から見附に本拠地を移そうかという話が出たとき、
敵である武田家方面から「見附はやばい!見附は困る!」って声が聞こえてきて

家康「あれどう思う?」
酒井忠次「浜松より見附に我々がいた方が、武田にとって都合がいいってことです」

ってのがあったな。
0467人間七七四年2011/01/29(土) 12:44:25ID:nNLLY4K8
意地計と言うのが相手を意地っ張りにする計略と言う意味ですから
押すなよ?押すなよ?絶対に押すなよ?と言われると押したくなる
日本人には効果的な計略だったんでしょうねw
0468人間七七四年2011/01/29(土) 13:08:02ID:X1hp5UO1
>>459
宮本武蔵
「武士なのだから死ぬ覚悟は当り前。
死の覚悟は武士でなく、坊主、女、百姓においても、
義理、恥を知る者なら覚悟出来るものである。
武士の行う兵法の道は、何事においても勝つことを基とする。」


剣豪の考え方も興味深いね。
余談、塚原卜伝が宮本武蔵の打ち込みを鍋のフタで阻止したのは創作だとのこと
0469人間七七四年2011/01/29(土) 13:17:23ID:Ks8Y3evL
見附は遠江国府や国分寺があった要所だけど、軍事拠点としては水確保の
目処がつかなかったそうで。
武田が大井川越えでなく伊那から侵攻してきたことから考えても、天竜川流域と
浜名湖両方を睨む浜松の方が優れていたんだと思う。
下手をすれば吉田城を落とされるような最悪の事態もあったかも。
0470人間七七四年2011/01/29(土) 14:39:46ID:E4U6xfhE
>>459
ちょっとオーストラリアの監督に「高さのサッカーは卑怯」「高さのサッカーはツマラナイ」ってメールしてくる
0471人間七七四年2011/01/29(土) 14:59:09ID:4wCFdztF
元就も「厳島取るなよ!絶対取るなよ!」言って上手くやったな
0472人間七七四年2011/01/29(土) 16:12:21ID:klcJqwxd
でも謙信が「信玄は卑怯」「北条は籠城ばかりでつまらない」って言っても誰も相手にしなかったけど
その辺が所詮無名の武芸者風情ってことか
0473人間七七四年2011/01/29(土) 16:53:48ID:rq8Z4UHq
>>472
信玄「あいつ強いけど馬鹿だからなあ」
0474人間七七四年2011/01/29(土) 18:49:59ID:uQurS41E
王将で王手
0475人間七七四年2011/01/29(土) 19:10:46ID:941ndqfO
信長「今度、拠点を清洲から二ノ宮山に移転するから引越しの準備をしておけよ」

家臣一同「あんな不便なところ行きたくねーよ」

信長「移転先はやっぱ小牧山にするわ」

家臣一同「小牧山ならまあいいか」




信長「ニヤリ」
0476人間七七四年2011/01/29(土) 19:11:47ID:X1hp5UO1
>>472
謙信が言うと駆け引きじゃなく本音な気がするから不思議だw
センゴク謙信のイメージでw
0477人間七七四年2011/01/29(土) 19:13:21ID:PCU6yu/d
最初に相手が承服しないであろう条件をあえて出して反対意見が出た所で妥協案(実は本命)を出すってのは交渉事の基本らしいな。
0478人間七七四年2011/01/29(土) 19:15:03ID:MBdnPsdH
>>473
氏康「そのうち飽きて帰るさ、いつものこと」
0479人間七七四年2011/01/29(土) 19:35:14ID:uJihSEWc
TERU 「承認されないだろうと萩に城を築くと申請したらあっさり承認されてしましました。」
0480人間七七四年2011/01/29(土) 19:44:08ID:O5L1PCxF
>>473
その上、無礼な奴ときてる!
0481人間七七四年2011/01/29(土) 19:50:03ID:+P6ClNBt
>>477
コーデル・ハル「次の段階の交渉のために無茶ぶりしたらいきなり戦争になりました」
0482人間七七四年2011/01/29(土) 21:34:50ID:a0GsyjBm
一瞬だれのことかわからなかった…
0483人間七七四年2011/01/29(土) 22:01:00ID:EHBJkmTW
>>466
ようするに饅頭怖いでしょ?w
0484人間七七四年2011/01/29(土) 23:37:42ID:4wCFdztF
>>479
>>481
交渉相手の気質も把握しとかないと
誰でもセオリーどおりには行かないって話しだね
0485人間七七四年2011/01/29(土) 23:47:08ID:UfnaI5oX
>>481
>>482
誰のこと?
0486人間七七四年2011/01/29(土) 23:50:00ID:1fNd4jkf
春先に発売される新型ノートPC
http://plusd.itmedia.co.jp/pcuser/articles/1101/25/news056.html
0487人間七七四年2011/01/29(土) 23:51:12ID:hMx5wnvo
>>476
つか謙信は何考えてたんだかさっぱりわからん
菅令の名を名分にして関東支配を目論んでるのかと思ってたが、それにしちゃ行動がおかしい点が多い
わざわざ敵方の人間を養子にして内乱の火種作ったりしてるし、
第一、征服すべき関東の敵の家人を養子にしたらせっかく管令なったのに意味がない。わからん
0488人間七七四年2011/01/30(日) 00:01:08ID:JVfJIQob
>>485
それ書き込んでる間にググりゃいいだろ
ハルノート知らんの?
0489人間七七四年2011/01/30(日) 00:02:14ID:apT+Uz4B
謙信の話をすると頭おかしい信者とアンチがわんさか沸いてきて荒れるからやめて
0490人間七七四年2011/01/30(日) 00:03:05ID:iVxyLjqZ
>>487
考えるな感じろ
0491人間七七四年2011/01/30(日) 00:14:10ID:X0dbjm7V
>>490
不識庵を名乗る御仁だからな。
だって「不識」だぜ。
考えるより感じる武将なのだろう
0492人間七七四年2011/01/30(日) 00:30:22ID:6NI8u9rP
毘沙門天じゃなくて化身である俺のことを直接崇めろ!とか言ってるし、
謙信はガチで自分のこと毘沙門天の化身だと思ってた節があるしなぁ。サイコすぎる
なのに戦は超絶強いから始末に負えん。こんな変人に絡まれてボコられまくった信玄には同情を禁じえない
いっそ謙信が天庵様なみの能力だったら越信・関東は平和だったろうに
0493人間七七四年2011/01/30(日) 00:49:56ID:9Fh1EzjG
三国峠を超えて関東に攻め込む天庵の雄姿…見たかったなあ…
まあ沼田城あたりでUターンだろうけどw
0494人間七七四年2011/01/30(日) 01:01:56ID:gy/vP7ah
>>493
つかそれ以前に無能すぎて兄から家督を奪取できるとは思えんが
0495人間七七四年2011/01/30(日) 02:51:13ID:sLS/3Hgm
>>494
あの不思議な人望で奪いとるのさー
0496人間七七四年2011/01/30(日) 08:43:56ID:4zFWptO1
この不思議な人望へようこそ
君は  TOUGHBOY TOUGHBOY
時はまさに戦国〜
小田城で僕らは出会った
0497人間七七四年2011/01/30(日) 10:28:44ID:8WAwhxcX
>>487
空を飛びたかったんだよ(宗教的な意味で)……。
0498人間七七四年2011/01/30(日) 11:25:10ID:hEiJebmB
>>492
しかも商才があるから尚のこと厄介
あんだけ四方八方に遠征してそれでも大量の金を残してたっていうんだから
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