戦国ちょっといい話24
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0001人間七七四年
2010/12/25(土) 13:26:54ID:U0HLGF9L戦国ちょっといい話・悪い話まとめブログ
http://iiwarui.blog90.fc2.com/
書き込む際にネタがかぶっていないかなどの、参考にしてください
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戦国ちょっといい話23
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戦国ちょっと悪い話24
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鎌倉・室町 ちょっといい話・悪い話
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このスレの武将などに対する愛称等の、用語解説はこちら
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2161.html
逸話に対する過度の真贋論争、揚げ足取りなどは、無駄に荒れるもとになります。
そのような議論はこちらでお願いします
【真?】戦国逸話検証スレ【偽?】
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1196778610/
0376人間七七四年
2011/01/24(月) 02:02:44ID:sLtSswDN0377人間七七四年
2011/01/24(月) 06:52:37ID:+WQv9ex70379人間七七四年
2011/01/24(月) 15:12:16ID:83VtPZ/00380人間七七四年
2011/01/24(月) 19:17:23ID:B5U6n/d/0381人間七七四年
2011/01/24(月) 19:46:09ID:MlOaa5v7母方の祖母に「裏切り者の家系が自慢できるんかい!」と突っ込まれていたが。
そもそも秀秋って無嗣断絶により改易されたんじゃ…
(側室の子と言われる羽柴秀行の系統という説だったのか?)
0383人間七七四年
2011/01/24(月) 20:14:25ID:1DA6gtmI家系図見ても近所の人ととかばかりで貴種流離譚が入り込む余地がありません……
0385人間七七四年
2011/01/24(月) 21:14:39ID:bGFq3rOO先祖の宗家は、豊臣軍に本当にフルボッコされて討死
一部は徳川に拾ってもらって旗本になったけど
うちの直系先祖は、百姓になって今に至る
0386人間七七四年
2011/01/24(月) 21:19:04ID:5lSswm0m0387人間七七四年
2011/01/24(月) 21:32:00ID:SsySyJVP0388人間七七四年
2011/01/24(月) 21:33:09ID:sLtSswDN0389人間七七四年
2011/01/24(月) 22:23:23ID:YmW0Mqdb0390人間七七四年
2011/01/25(火) 00:01:09ID:1Avq+srx0391人間七七四年
2011/01/25(火) 02:21:25ID:CuVGgK0Yてなわけで弘前以西には親戚は一切住んでいないw
0392人間七七四年
2011/01/25(火) 12:09:45ID:osT5rHaVうちは江戸時代から苗字があるって程度の
稀に番付載ってた地方地主だ(´・ω・`)
0393人間七七四年
2011/01/25(火) 12:31:20ID:YTOngWiI0394人間七七四年
2011/01/25(火) 12:59:13ID:R4tPUzQl0395人間七七四年
2011/01/25(火) 13:09:17ID:md7ywBoVしかしあんまし続けるなら専用のスレ行った方が
0396人間七七四年
2011/01/25(火) 15:27:35ID:+3nNqy0O「狂おうでや」
と、家臣らを引きつれ喚声をあげながら馬を狂ったように乗り回したという。
これが「お狂いあそばす」信長のストレス解消法であた。
と同時にチャッカリ馬術の訓練にもなっているところはさすがだw
0397人間七七四年
2011/01/25(火) 19:40:22ID:aA7Ihvfx>家臣らを引きつれ喚声をあげながら馬を狂ったように乗り回した
やっている事は現代の珍走と大して変わらなさそうなのに
妙に格好良く見えるのはやはり格の違いというべきか。
0399人間七七四年
2011/01/25(火) 20:24:56ID:8T1F/COF政宗が家臣引き連れて馬を狂ったように乗り回してたらまた政宗だよ…だし
長可が家臣引き連れて馬を狂ったように乗り回してたらこのDQN次はどこ攻める気だよ!だわな
そして一条さんなら家臣がついてこず一人で馬を狂ったように…
0400人間七七四年
2011/01/25(火) 20:29:33ID:be7sKMEB0402人間七七四年
2011/01/25(火) 20:32:31ID:0pCPIw3z信玄が家臣引き連れて馬を狂ったように乗り回してたら家康はウンコもらすのか
0403人間七七四年
2011/01/25(火) 20:32:36ID:Ntp4zmAT0404人間七七四年
2011/01/25(火) 20:41:41ID:mwmCUkN7さんざん引きこもり言われてるけど、北条ってそれほどおとなしくなくね?
むしろ積極的に外征して局地戦での敗退がネタになってる
0405人間七七四年
2011/01/25(火) 20:46:16ID:66axgH2J0406人間七七四年
2011/01/25(火) 20:48:28ID:mwmCUkN7そーゆーつもりじゃなかったんだが、すまそ
0408人間七七四年
2011/01/26(水) 00:14:28ID:SpWhQzom因みに俺自身は社家
0409人間七七四年
2011/01/26(水) 02:08:20ID:Ac6YNEQv戦国時代の主要な合戦にはほぼ全て参加。
0410人間七七四年
2011/01/26(水) 02:21:27ID:qyIOF+62という物があった。理由はこうである
「あれは慶長元年(1596)の伏見の大地震の時のことであった。
太閤様は如何なされたかと、皆が安否を確かめるため走っていたが、わしより先に
足早に行く者があった。
わしはこの者に走り負けるのも口惜しいと思ったが、よく見るとそやつは帯を後ろで結んでいる。
そこで人込みのなかわしは、そやつの帯の端を取って解いた。
丁度門のうちに入ったときそやつの帯はほどけ、刀脇差も地に落ちた。
これを取り上げ帯を直している間にわしは、そやつを追い抜き先に駆け抜けたのだ。
こう言うこともあるので、我が家中のものは必ず、帯を前に結ぶように!」
以上、加藤嘉明家中が帯を前で結ぶ理由
0411人間七七四年
2011/01/26(水) 02:27:18ID:BfWdqplq追い越された、って話はないのかな
0412人間七七四年
2011/01/26(水) 02:31:20ID:BfWdqplq加藤嘉明「袴帯は前で結ぶものだ。決して後ろで結ぶな。」
と思ったら既出っぽい
0413人間七七四年
2011/01/26(水) 02:33:03ID:qyIOF+620414人間七七四年
2011/01/26(水) 02:52:53ID:/nsWbOJN地味だけど決して人畜無害系じゃないんだよなこの人
0415人間七七四年
2011/01/26(水) 03:47:27ID:Wgj3U5TN罪人だらけの島って、DQN多いの?
0417人間七七四年
2011/01/26(水) 08:22:56ID:u/iuNDjH親から子に受け継がれるとしたらDQNよりもインテリなんじゃねーの
0418人間七七四年
2011/01/26(水) 09:36:18ID:3RRCsBdx宇喜多八郎秀家さんのはるか以前には鎮西八郎為朝さんとかいたんだよね
0419人間七七四年
2011/01/26(水) 10:31:32ID:VJ8gyN+J0420人間七七四年
2011/01/26(水) 15:20:38ID:3kBGhh5W山本常朝
「あるとき、太閤様が大名衆を集めて生け花の会を開いたのだが、
直茂公の前にも花器と生花が用意されていた。
ところが直茂公には生け花の経験がなかった。
そこでどうしたかと言うと生花の束を鷲掴みにして、
そのまま剣山に突き刺して太閤様に差し出されたのだ。
それを御覧になった太閤様は、
「形は悪いが、心意気は見事である」
と、言われたとのことである
0421人間七七四年
2011/01/26(水) 15:52:22ID:7UrYXUCq> 「形は悪いが、心意気は見事である」
こう言うしか無かったんだろうなw
テストで「0点だけど全問きちんと答えているのがえらい」みたいな。
0422人間七七四年
2011/01/26(水) 16:17:13ID:Jif0yKC2つか、葉隠も結構めんどくさそうなイメージあるなぁ〜
0423420
2011/01/26(水) 17:00:43ID:3kBGhh5W本文で剣山と意訳しましたが、
この時代、今のような針のついた剣山ではなかったらしいです。
0424人間七七四年
2011/01/26(水) 18:25:23ID:JFxT9qfj少なくとも信長の下にいたときはやる暇なんかないよね
0425人間七七四年
2011/01/26(水) 19:02:20ID:6rsQ2ZgUだけど心意気は見事なのか。
よくわからんなあ
0426人間七七四年
2011/01/26(水) 19:07:29ID:qAr9Fg9L江戸時代だが、基本的に10両以上の窃盗と今の日本で言う刑法の重罪事案は全部死刑
島流しになるのは、ケチな窃盗や共犯者達、政治犯と思えばいい。
島についても、基本的に島の住民とは隔離されていた。
住民と接触出来たのは、老人の罪人や医師などのインテリ技術者。
宇喜多秀家は身分の高い武士(大納言)なので特例中の特例。
>>424
京都で奉行やっていた時じゃないか?
0427人間七七四年
2011/01/26(水) 19:58:20ID:ZUSyDy2o人によるだろうな
先日悪い話に出てた尾藤知宣ならとんでもないことになってたかもしれん
直茂の人物が良かったんだろうな
0428人間七七四年
2011/01/26(水) 20:05:21ID:WUtUPlqR0429人間七七四年
2011/01/26(水) 20:55:59ID:Odb2kL0Sそのせいか彼は捕虜200人を解放した。
そして自分が可愛がっていた小鳥も籠から放してやろうとした。
だがもう弱りきっていた純忠は、それを侍女に頼んだのである。
「すまぬが小鳥を放してやってくれんか・・・」
「かしこまりました」
ところが侍女の小鳥の扱いが雑だったようで
「ゴルァ!小鳥ちゃんをもっと大事に扱わぬかーっ!(゚Д゚#)」
純忠は激怒してしまったのである。
(はっ、いかん。怒ることはゼウス様の御意志に反するに違いない)
と我に返った純忠は
「怒ってすまなかった。しかし、小鳥はゼウス様が作られたのだ。
ゆえにわしは小鳥を可愛がっておる。ぜひ、お前もそうしてほしいのだ」
と言って侍女に立派な帯を与えた。死の前日のことだったという。
0430人間七七四年
2011/01/26(水) 21:18:25ID:3kBGhh5W0432人間七七四年
2011/01/27(木) 02:02:36ID:I9P1dmMHかさにかかって攻める徳川軍は、先へ先へと乱入する。
これに徳川軍の部隊長たちは「止まれ!止まれー!」と制しようとするが、その命令も耳に入らず
少しも止まらない。
この時家康
「軍勢にああいう勢いがついたときは、止めようとしても止まるもんじゃない。
まあそのままにしておけば、先で敵に合って止まるだろう。
我らはそうなった時すぐに対応できるよう、即刻備えを立てよ。」
と命じた。
案の定その軍勢は先で待ち受けた敵と遭遇したが、後方の備えが万全であったため
大きな問題にならなかったという。
おそらくこう言うのが戦場の呼吸というものだろう。そんな事をちょっと思わせるおはなし。
0434人間七七四年
2011/01/27(木) 09:51:30ID:aMdOUEmA葉隠自体が直茂や茂安と同世代の爺さんが
勝茂世代の人間から閑職に追いやられて、「あの頃はよかった」と漏らした愚痴を拾い集めた本だから
0436人間七七四年
2011/01/27(木) 16:47:36ID:GyfVzBbb0438人間七七四年
2011/01/27(木) 18:14:03ID:v/AJCwHqしていたという逸話をどっかで読んだことがあるんだけど本当なのかね?
0439人間七七四年
2011/01/27(木) 18:22:31ID:v/AJCwHqttp://www3.bunbun.ne.jp/hutongmi/054.htm
0440人間七七四年
2011/01/27(木) 18:23:32ID:oO99siU50441人間七七四年
2011/01/27(木) 19:19:22ID:Ui7vkMc20442人間七七四年
2011/01/27(木) 19:52:43ID:Q9lZeOBvリンク先読んだけどありきたりな葉隠論だな。
佐賀藩主に尽くすのが視野が狭いとする論だけど、
尊皇思想が登場する前の書物にそれを求めても・・・
現代日本人でもオバマの方針より身近な日本政府の政策に従って(あるいは反対)していくしかないのと一緒だ。
0443人間七七四年
2011/01/27(木) 21:49:01ID:qR1ODT22武士は早漏であることが一番良い!
と言う記述があると聞いたのだが本当?
0444人間七七四年
2011/01/27(木) 22:30:34ID:I9P1dmMH永井善左衛門の所に、板倉重宗が招かれた。
この時相客は石谷十蔵、横田甚右衛門(尹松)、大久保彦左衛門(忠教)、今村九郎兵衛、であった。
みなみな戦場生き残りの、老勇者たちである。
この頃今村は槍奉行、大久保彦左衛門は御旗奉行であった。
まず、今村が彦左衛門に食って掛かる
「わしは長久手でもどこの鑓場でも、人が十回かかるほどの働きをやって来たというのに
何のご褒美もなかったわ!彦左、おぬしはどれほど優れた働きをして、その様な結構なお役を
頂いたのだ!?」
これに彦左衛門
「わしは長篠で、鬼神のごとくと言われた岡部丹波を切り落とし、本多主水(彦左衛門の郎党)にその首を
取らせたわ!その他にもちくちくした事は数多あるが、まあ、甲州者などでは逃げたことが高名になるそうだ。」
これを聞いて黙っていられないのがその甲州者、そして高天神落城の際脱出した旧武田家家臣横田甚右衛門である。
「それがしが高天神城にこもったのは、『この籠城は運を開くことは出来ません』と勝頼様に申したのに
同心いたして頂けなかったゆえ、しからば一応勤め、どうしても駄目になれば敵を切り抜け、再び勝頼様に
お目見えいたしますと君臣約束した故である!!」
そう聞いても彦左衛門
「それは狭間潜(さまくぐり:城中から狭間(さま)を潜って逃げる者。転じて、逃亡者、臆病者)というものじゃ!」
「はっ!しかしあの時わしは三河者の頭の上を越えて行ったが、そのわしを指さす者すらおらんかったわ!」
「それはまあいい、ほかに何か無いのか?」
「ふん、そうだな、芦田小屋(芦田城)でも最も骨を折ったのはこのわしであった!」
この言葉に彦左衛門
「ほほう!芦田小屋から横田が逃げたという話は聞いていなかった!」
これには横田たまらず
「皆の衆あれを聞いたか!?三河衆は口が悪いから、人の武辺を言い貶す!全く意地の悪いことだ!
近藤石川といった連中に起請を書かせた上で言わせれば、ありのままに話すのだろうが。」
老勇者たちのいがみ合いヒートアップ。今にも発火せんばかりの空気の中、
ここで板倉重宗が割って入った
「いやはやいやはや!皆様はもはや老年でもあり、孫や子の事ばかりお話されると思っていたのですが、
武辺争いをなさるとは、近頃奇特なる事で、若き者の後学の為にも良いことです。
さあどうぞどうぞ、いくらでもやってください!さましく御重宝というべきものです!」
…と
この板倉重宗の言葉に気恥ずかしくなったか逆に白けたか、老勇者たち黙ってしまい、座敷の空気も
静まったそうである。
年寄りの冷や水ならぬ年寄りの武辺争い、と言うお話。
しかしまあこの人達、仲が悪いというより、そう言うコミニュケーションだたんでしょうねw
0445人間七七四年
2011/01/27(木) 22:32:52ID:JOKKPGzI死ぬか死なないか迷った時は死んどいた方が無難
ウッカリ死んだらただのアホだけど、死なないといけない時死に損ったら恥だよね
みたいなアレのこと?
0446人間七七四年
2011/01/27(木) 22:50:41ID:Q9lZeOBv乱世を生きた武人の気質なんだろうな
日露戦争時に薩長出身者が幕末の活躍を話してると、
桑名藩雷神隊だった立見尚文が、
「キミら、オレの隊からは逃げてたよね?」
みたいにチャチャ入れたりしてるしw
0447人間七七四年
2011/01/27(木) 23:44:54ID:cFLCpX3e黒鉄ヒロシが書いた漫画:葉隠に『早漏で候』っていうギャグがあった記憶はある
あと、病弱な奴はオナニーとか性交とか一切しなければ体が丈夫になっていくとか
母親が子供を庇い過ぎると子供がマザコンになって碌な人間に育たないとか
昔は自分から股に傷を作ってそれを武勇の証としたが、今はそんなことする奴はアホだと思われるとか
葉隠って話題が結構ループするんだよね
それもネタにされてた
0448人間七七四年
2011/01/28(金) 00:19:53ID:q9NGKeqw0449人間七七四年
2011/01/28(金) 01:06:37ID:swpyhMCdあの彦左がのほほんと孫の話なんてするわけがないくらいわかりそうなもんだが
0450人間七七四年
2011/01/28(金) 01:10:14ID:iRVaeWLn「あんたらもう孫がいるような歳なのに、そう言う子どもみたいな意地の張りあいしてて
それはどうなの?」
って底意で言っているんだよ。
0451人間七七四年
2011/01/28(金) 01:40:36ID:hii+OybT0452人間七七四年
2011/01/28(金) 03:58:35ID:MhR7EtTZさすがは板倉Jr.という話
0453人間七七四年
2011/01/28(金) 07:16:39ID:It5D2xgZ崩れかけたときに備え万全な家康旗本が現れて
Q太郎それを見て撤退だから話の筋は合っているのでは。
0454人間七七四年
2011/01/28(金) 08:15:47ID:7uEPuC2X男女の産み分け的には、
遅い方が世継ぎを作りやすいんだが、、、
0455人間七七四年
2011/01/28(金) 22:05:14ID:iRVaeWLn武勇優れた武士であったが
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-category-515.html
ここに書かれているよう、武士としても勿論、歌人としても名が高く、当時を代表する文化人としても知られていた。
さて、彼の主君永井尚政が山城国淀城主となった頃のこと、永井家よりの禁裏への使者として、昌俊が
遣わされた。
この時朝廷の公卿たち、昌俊が和歌の達人であるとの評判を聞いていたため
「喜六(昌俊)よ、一つ歌を詠んでくれないか?」
とせがんだ。これに昌俊
『吉野山 花待つ頃の朝な朝な 心にかかる峰の白雲』
この歌に公卿たちは感嘆し、当時の京で大変な評判となったそうだ。
さて、それから数年の後のことである
ある公卿が嵐山に遊んだ時、その山奥に小さな庵を見つけた。
このような山奥にと、公卿は珍しく思いその庵を訪ねると、庵主である僧に招き入れられた。
そこで公卿と僧は宮中の式礼について、和歌についての興味深い話など色々と面白く語り合った。
この僧が非常に学識深く風雅の道にも造詣が深い事かったため話は興に乗り、春のことであったため、
ふとこの公卿、かつて佐川田昌俊が詠んだあの、吉野山の歌を吟じた。
「さてさて面白い歌であろう?堂上にてもこれほどの歌を讀めるものはおらんよ。」
そういう公卿にこの僧
「それほど褒めるような歌ではありませんよ。この歌は昔、東下総守(東常縁)が詠んだ
『朝な朝な 雲たち添うる小倉山 峰吹く風は花の香ぞする』
という古歌によって詠んだものでしょう」
と言った。
さて、この公卿が帰ってきて親友にこの事を話すと、この友驚き
「それは他の者ではない!佐川田昌俊が隠遁して世をのがれ、そこに住んでいるのだろう!」
翌日公卿とその友はうち連れて再び嵐山に分け入り、かの庵室を訪ねたが、その庵は既に崩し捨てられ、
庵主はどこかへ行き去った跡だったという。
佐川田昌俊の有名な歌と、それにまつわる不思議なお話。
0456人間七七四年
2011/01/28(金) 22:08:37ID:hii+OybT0457人間七七四年
2011/01/28(金) 22:46:31ID:Alsf5Fmn京の都だし・・・
0458人間七七四年
2011/01/28(金) 23:02:48ID:UxDpwWfS0459人間七七四年
2011/01/28(金) 23:12:15ID:r5cdqpI7鹿島神宮の祠官卜部氏の子であるからリアルではモンクタイプの卜伝さん
ある時この卜伝、相当な使い手の武芸者に試合を挑まれたが
好かろう受けて立つ!と二つ返事。
さて自分の門人達に対戦相手の兵法者の情報を集めさせてそれらを聞き出した。
それによると、かの者は過去数度の木刀の試合に勝ったことがあるが
その時の状況は何れも通常の刀の持ち方とは逆の左手が上で右手が下の柄尻の方を持つ
左太刀という構えで、しかも勝を決めた時は必ず片手で敵を打つていたと言う。
「右兵法人の数度木刀の仕相に勝利有作法様子を聞くに、構えは左太刀、
扨勝利は右か左か必定片手にて利をする」
これを聞いた卜伝は何を思ったのかこの兵法者に
卜伝「おいィ?左太刀は普通の構えじゃない奇策だから勝っても卑怯すぐるでしょ?
天下に鳴り響いた卜伝と立ち会うのに左太刀はどちらかというと大反対だな」
と使いを送り、なおも「おい、やめろ馬鹿」「この仕相は早くも終了ですね」など
十度にも渡って使いを出したのだが相手の兵法者も卜伝からの使いが来るたびに
兵法者「左太刀の片手打ちをいやと思し召し賜わば、勝負する前から卜伝の負けにせられよ」と返事する。
むしろどちらの方が卑怯未練の振る舞いであろうか?と思われるが
そうまでしておきながら卜伝はこれで勝つる!と試合に挑む。
「そこにて卜伝仕相に仕る。卜伝勝利疑なし」
いざ立会いとなった時、相手の兵法者は額から一気に鼻唇まで切り裂かれて卜伝は勝利した・
この卜伝の戦いを甲陽軍鑑の結要本においては
「是全く一つ太刀の心静に名人の故也、相手も上手なれ共未名人にあらず、意地計也云々」と評す。
0460人間七七四年
2011/01/28(金) 23:31:53ID:NtjGRIFWと粘着する事で、逆に左太刀を使うよう、追い込んだって言う話でしたよね。
0461人間七七四年
2011/01/28(金) 23:37:35ID:zAyXf/3qいつぞやの日本シリーズとか
0462人間七七四年
2011/01/29(土) 05:49:12ID:jX5bYIY40463人間七七四年
2011/01/29(土) 09:25:42ID:hwuXeX/P打ったのはシュート、とコメントしてたのと同じ感じ?
0464人間七七四年
2011/01/29(土) 11:25:09ID:6MAAxpMBどっちかというと「俺はシュートが苦手だ、シュートは嫌だ」と言い続けて、絶対にシュートが来る状況を作った上で
そのシュートに山をはるってことじゃないかな?
絶対に来ると分かっていて準備していれば、少々ややこしい業でも対処できる、ってことで。
0465人間七七四年
2011/01/29(土) 11:43:15ID:OseatOna0466人間七七四年
2011/01/29(土) 11:43:21ID:rq8Z4UHq敵である武田家方面から「見附はやばい!見附は困る!」って声が聞こえてきて
家康「あれどう思う?」
酒井忠次「浜松より見附に我々がいた方が、武田にとって都合がいいってことです」
ってのがあったな。
0467人間七七四年
2011/01/29(土) 12:44:25ID:nNLLY4K8押すなよ?押すなよ?絶対に押すなよ?と言われると押したくなる
日本人には効果的な計略だったんでしょうねw
0468人間七七四年
2011/01/29(土) 13:08:02ID:X1hp5UO1宮本武蔵
「武士なのだから死ぬ覚悟は当り前。
死の覚悟は武士でなく、坊主、女、百姓においても、
義理、恥を知る者なら覚悟出来るものである。
武士の行う兵法の道は、何事においても勝つことを基とする。」
剣豪の考え方も興味深いね。
余談、塚原卜伝が宮本武蔵の打ち込みを鍋のフタで阻止したのは創作だとのこと
0469人間七七四年
2011/01/29(土) 13:17:23ID:Ks8Y3evL目処がつかなかったそうで。
武田が大井川越えでなく伊那から侵攻してきたことから考えても、天竜川流域と
浜名湖両方を睨む浜松の方が優れていたんだと思う。
下手をすれば吉田城を落とされるような最悪の事態もあったかも。
0470人間七七四年
2011/01/29(土) 14:39:46ID:E4U6xfhEちょっとオーストラリアの監督に「高さのサッカーは卑怯」「高さのサッカーはツマラナイ」ってメールしてくる
0471人間七七四年
2011/01/29(土) 14:59:09ID:4wCFdztF0472人間七七四年
2011/01/29(土) 16:12:21ID:klcJqwxdその辺が所詮無名の武芸者風情ってことか
0474人間七七四年
2011/01/29(土) 18:49:59ID:uQurS41E0475人間七七四年
2011/01/29(土) 19:10:46ID:941ndqfO家臣一同「あんな不便なところ行きたくねーよ」
信長「移転先はやっぱ小牧山にするわ」
家臣一同「小牧山ならまあいいか」
信長「ニヤリ」
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