戦国ちょっといい話24
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0001人間七七四年
2010/12/25(土) 13:26:54ID:U0HLGF9L戦国ちょっといい話・悪い話まとめブログ
http://iiwarui.blog90.fc2.com/
書き込む際にネタがかぶっていないかなどの、参考にしてください
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戦国ちょっといい話23
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1288278217/
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鎌倉・室町 ちょっといい話・悪い話
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このスレの武将などに対する愛称等の、用語解説はこちら
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2161.html
逸話に対する過度の真贋論争、揚げ足取りなどは、無駄に荒れるもとになります。
そのような議論はこちらでお願いします
【真?】戦国逸話検証スレ【偽?】
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1196778610/
0318299
2011/01/20(木) 14:27:24ID:+O6WGFJQあ〜うん……無双無双としつこいかな、とは自分でも思ってました。
『加沢平次左衛門覚書』を読んで、投下出来そうな逸話はこれが最後かな、と思った
ので、間を空けずに投下しちゃいましたが。
やはり書いた本人が感じてたくらいだから、皆それは感じてたか。
申し訳ありませんでした。とりあえずこれで私の手持ちの真田関連ネタは終了ですの
でご安心を。
0319人間七七四年
2011/01/20(木) 14:39:33ID:l/lm738Mいやいや、おもしろかったです。乙でした。
0322人間七七四年
2011/01/20(木) 15:17:25ID:xnTztkBy0323人間七七四年
2011/01/20(木) 15:39:08ID:nDaZk2mrや、逸話は面白かったですよ
ノリでツッコミ入れたがるのはここの住民の性分というか・・・いやスマンカッタ
0324人間七七四年
2011/01/20(木) 22:48:32ID:VpwVoTCF又助が耳川を渡河した時、隠れていた薩摩武士が矢を放ってきた。驚いた又助が向かって行こうとしたところ、
六郎太夫がその前に立ちはだかり、薩摩武士に叫んだ。
「おーい、味方じゃ!間違えるな!!」
しばらくポカーンとしていた薩摩武士だったが、やがて気を取り直すと、弓を構えた。
「うつけが。とんだ勘違いをしておるわ!どれ、そのまま的になってくれい。」
「・・・なワケねーだろ!!」
父と目で語り合い、六郎太夫がトボけて薩摩武士を引き付けている間、密かに回りこんだ又助は、横から薩摩武士に
斬りかかった。だが、未熟な又助の一刀は敵に弓で受け止められ、弓を斬り折られながらも薩摩武士は太刀を抜き放ち、
逆に又助へ向け、強烈な突きを見舞った。
無情にも膝上を貫かれた又助は倒れ伏したが、油断した薩摩武士が近づいて来るところを下から斬りつけ、その左足を
切り落とした。(や・・・やった!それにしても、これが戦か。疲れた、もう動けん・・・)
「何をしておる!?敵は、まだ息がある。早う起きて止めを刺さぬか!!」
動かない又助を見た六郎太夫は、倒れた薩摩武士の近くまで又助を引きずり寄せ、一喝した。
父の叱咤を受けた又助は、最後の気力を振り絞って薩摩武士の首を取ると、今度こそ動けなくなった。
「よーし!初陣の身で良くやった。さあ、引き上げじゃ!!」力を使い果たした息子を、父は馬に担ぎ上げて
乗せてやり、本陣までの道すがら、いつまでもいつまでも褒めてやった・・・
・・・又助が「親父にはかなわん。」と思ったのは、父が追いかけて来た薩摩武士に対し、振り向くと同時に放った槍で
一人の喉を貫き、引き抜きざまに横に振るってもう一人を馬から叩き落し、一喝して残る武者どもを追い払った後、
悠々と喉を貫いた武者の首を取った時である。
0325人間七七四年
2011/01/20(木) 22:57:14ID:Pu7u3tWS0326人間七七四年
2011/01/20(木) 22:58:00ID:/jDHX1KO0327人間七七四年
2011/01/20(木) 23:01:20ID:lBsB1Qy30328人間七七四年
2011/01/20(木) 23:52:05ID:oTfw6vIv忠勝とか鬼武蔵とか才三とか有名レベルはどうなるんだ…
0329人間七七四年
2011/01/21(金) 00:31:34ID:K9+ECi2O永祿6年(1563)11月25日、土呂と針崎の一揆勢は上和田へと押し出した。
これに岡崎の徳川家康は自ら出陣、両軍は激突したが、しばらくして一揆勢は敗勢となり
妙国寺の方面への逃げ出した。
これは一揆勢の罠であった。
彼らはわざと逃げ出し追い来た徳川勢を、針崎の森に置いた伏兵をもって討つ、
という作戦であったのだ。いわゆる捨て奸(すてがまり)である。
さて、この撤退する一揆軍の殿を務めていたのが、本多九郎三郎という侍であった。
これを徳川軍の大久保忠世が見つける。忠世と本多九郎三郎は、古くからの友人であった。
忠世、本多を追いかける。本多も忠世の姿を認めると引き返し、「勝負!」
互いに打ち戦った。しかし勝負がつかず
「寄れや!組もう!」
「心得た!」
互いに武器を投げ捨て、組み合いを始めた。
上に下にと揉み合っていたが、本多のほうが力優っていたか、忠世はついに組み伏せられた。
大久保忠世、絶体絶命!…と、忠世、本多に向かってこう言い放った
「いかに本多殿!忠義に背き、一揆に与するのみならず、昨日や今日までの朋友の
よしみを忘れ、私の首をとって、一体誰の見参に入れようというのか!?」
本多九郎三郎、これを聞くと
「確かになあ…。お前のような友人を討ち取っても、感状を得るような事ではないのだ…。」
と忠世を引き起こした。すると二人、
「くくく…」
「あっはっはっはっは!」
互いに大いにうち笑い、そしてまた、左右に別れた。
ちなみに一揆勢の捨て奸だが、家康がいち早く、一揆勢の逃げ方がおかしいと気づき
「追い打ち無用!深入りするべからず!」
と命令を出したためその計略も虚しくなり、妙国寺から土呂、針崎へと引き上げたそうである。
そんな、三河一向一揆でのヒトコマ。
0330人間七七四年
2011/01/21(金) 00:42:33ID:xMtPNWWs0331人間七七四年
2011/01/21(金) 00:43:37ID:89GZHsF00332人間七七四年
2011/01/21(金) 00:55:17ID:snAnfnoR0333人間七七四年
2011/01/21(金) 03:23:17ID:8lGyJpFP0334人間七七四年
2011/01/22(土) 04:45:58ID:in1GdwYp島原の乱の後の事だが、柳河藩に宗茂が目をかけていた安東助四郎
という若者がいた。助四郎は病弱だったが、聡明で好学心が高かった
ため、宗茂は江戸に呼んで、勉学に励ませていた。しかし、それを
心好く思わない者達がいて、助四郎に色々と言って来ることがあり、
それを苦にした助四郎は、病気と称して柳河に帰ってしまった。
そのことを知った宗茂は、実情を調べた上で助四郎に手紙を送った。
「病はいかがか。容態はどうかと心配している。だがこちらで聞いた
ところ、帰国した理由はそればかりではあるまい。お前の勉学は私と
忠茂が認めたもので、我らはお前のことを少しも疑ってはいない。
お前に何かと申した者達はこちらで吟味する。どうか、やる気を取り
戻してほしい。お前が確かな人物であることは見届けている。」
これを受けた助四郎は発奮し、以前以上に勉学に励んだという。
後に、助四郎は省庵と名乗り、関西の巨儒と謳われる大儒学者と
なったそうな。
0335人間七七四年
2011/01/22(土) 12:23:55ID:8bWr5mnxもちろん正信さんもこの中に入ってる
このときは仲良かったんだけどなあ
0336人間七七四年
2011/01/22(土) 13:38:53ID:JHn6gVjb会社が小さい頃は力が弱いから生き残るために社員が一丸となって頑張るけど、
会社が大きくなって余裕が出てくると社員が増えたり派閥が出来たりして軋轢が生じ始める
0338人間七七四年
2011/01/22(土) 19:15:50ID:3P3v2+hp見る目が合って気遣いも出来る宗茂はやっぱ良い男とも思うけど
0339人間七七四年
2011/01/22(土) 22:46:05ID:FdqAM1xJ戦の世から離れてくると善からぬ家臣が増えてくるんだなあ
0340人間七七四年
2011/01/22(土) 22:52:47ID:rh7IN3pi渡辺半蔵は一番槍11度、名のある者の首を取ること9度、
片や服部半蔵は一番槍2度、名のある者の首を取ること11度、
互いに堂々たる戦歴である。
ところがそんな渡辺半蔵だが、彼は合戦の前敵と対峙すると、鎧が音を立てるほどガタガタと
震えていたというのだ。であるのに合戦が始まると、そんな事など無かったかのように剛強に
暴れ回る。人々はそれが、あたかも別の人間であるかのように見えたと言う。
渡辺半蔵は震えた、と言うお話。
0341人間七七四年
2011/01/22(土) 22:59:15ID:0hbGveok0342人間七七四年
2011/01/22(土) 23:01:17ID:3P3v2+hp0344人間七七四年
2011/01/22(土) 23:33:59ID:ayW90HaSって考えるとすごい話だと思うなあ、下手に戦を恐れないよりも格好いいと思う
0346人間七七四年
2011/01/23(日) 12:47:50ID:op4mvnvt相変わらずの完璧超人ぶり。
この時代は、まだまだ十時摂津さんも国許で頑張ってたはずだから
良からぬ連中は、徹底的に根性焼きされただろうな。
0347人間七七四年
2011/01/23(日) 13:18:22ID:hsGbcIcJせいぜい呼び出してこんこんと諭すくらいのイメージ
0348人間七七四年
2011/01/23(日) 13:46:08ID:lN1N9TQC自分の祖先がめんどくさい人種だったとは。
0349人間七七四年
2011/01/23(日) 14:13:34ID:aOu9fMRz0351人間七七四年
2011/01/23(日) 16:58:13ID:AIMOXUU/悪い話ねーんじゃねえのか
0352人間七七四年
2011/01/23(日) 17:12:47ID:JKkFBA+p悪い話というか、妻との関係で苦労したり、牢人して江戸に出たとき、資金が尽きて
家臣たちが仕方なく食事に雑炊出したら、「こんな変わった料理だして気を使わないで、
俺は普通の飯でいいよ」と斜め上の方向に解釈したり、人柄がまっすぐなことは確かだが
完璧人間とはちょっと違うとおもうぞ?>宗茂
0353人間七七四年
2011/01/23(日) 17:25:31ID:aOu9fMRz0354人間七七四年
2011/01/23(日) 17:34:38ID:WFSG8bia0355人間七七四年
2011/01/23(日) 17:40:56ID:hsGbcIcJセックスレスか?
0357人間七七四年
2011/01/23(日) 17:46:58ID:/Cap/O0M0359人間七七四年
2011/01/23(日) 18:09:55ID:op4mvnvtァ千代が男前過ぎるからだろ。
同じ男前でも小松殿のような浜松城婚活大合コン大会のような女らしい話がないからな。
秀吉の名護屋城大名妻NTR大会に参加を求められた時、何を勘違いしたか、完全武装
の次女数十人を引き連れて行ったほどだし、美女だけど全然女らしくない。
さぶ要素のない宗茂にとっては魅力ない妻だったんじゃないかな?
0360人間七七四年
2011/01/23(日) 18:20:45ID:aOu9fMRzどちらも引かないなら上手く行く訳が無い。
0362人間七七四年
2011/01/23(日) 18:38:24ID:qkDqgqcR0365人間七七四年
2011/01/23(日) 23:19:48ID:aOu9fMRz0366人間七七四年
2011/01/23(日) 23:24:37ID:op4mvnvtファザコン、男勝り、女主人
このタイプが惚れるのは、真田の兄ちゃん60歳ヴァージョン以降くらいかもしれない。
父親の道雪さんが59歳の時の子供だからな。
0367人間七七四年
2011/01/23(日) 23:28:51ID:0nVvLwHF0368人間七七四年
2011/01/23(日) 23:38:53ID:qyhr38my0369人間七七四年
2011/01/24(月) 00:08:24ID:YmW0Mqdbマスヲさん扱いするのは無理があるだろう
0370人間七七四年
2011/01/24(月) 00:47:40ID:RwMeCe73それから間もなく、徳川家康の御前でこの話が出た。
話題が話題だけに、おそらくは若年とは言え武士として如何なものかと、幾分の嘲笑や
侮蔑が混じっていただろう。
が、家康の反応は意外なものだった
「どんなものでも見たことの無いものを始めて見れば、驚くものだろ?
秀頼公が牛を見て驚いたと言うが、それは当然のことだ。
わしだってもし初めて見たら、牛なんてものは特に恐ろしいと感じるだろう。」
初めて見た牛を恐れるのは恥でも問題でもない、としたのだ。
家臣が秀頼を侮ることをたしなめたか、あるいは家康らしい合理主義で語っただけか、
家康、秀頼の恐怖を当然とする、と言うお話。
0371人間七七四年
2011/01/24(月) 01:00:26ID:fQOhp6RUびびるのは無理ない。
0372人間七七四年
2011/01/24(月) 01:03:33ID:OFsSwK6z秀吉って城の中生まれだったかな…って疑問に思っちまったじゃないかw
0374人間七七四年
2011/01/24(月) 01:08:56ID:irpUoVAkTO BE 大阪の役
0375人間七七四年
2011/01/24(月) 01:37:25ID:Cj4CPmZR0376人間七七四年
2011/01/24(月) 02:02:44ID:sLtSswDN0377人間七七四年
2011/01/24(月) 06:52:37ID:+WQv9ex70379人間七七四年
2011/01/24(月) 15:12:16ID:83VtPZ/00380人間七七四年
2011/01/24(月) 19:17:23ID:B5U6n/d/0381人間七七四年
2011/01/24(月) 19:46:09ID:MlOaa5v7母方の祖母に「裏切り者の家系が自慢できるんかい!」と突っ込まれていたが。
そもそも秀秋って無嗣断絶により改易されたんじゃ…
(側室の子と言われる羽柴秀行の系統という説だったのか?)
0383人間七七四年
2011/01/24(月) 20:14:25ID:1DA6gtmI家系図見ても近所の人ととかばかりで貴種流離譚が入り込む余地がありません……
0385人間七七四年
2011/01/24(月) 21:14:39ID:bGFq3rOO先祖の宗家は、豊臣軍に本当にフルボッコされて討死
一部は徳川に拾ってもらって旗本になったけど
うちの直系先祖は、百姓になって今に至る
0386人間七七四年
2011/01/24(月) 21:19:04ID:5lSswm0m0387人間七七四年
2011/01/24(月) 21:32:00ID:SsySyJVP0388人間七七四年
2011/01/24(月) 21:33:09ID:sLtSswDN0389人間七七四年
2011/01/24(月) 22:23:23ID:YmW0Mqdb0390人間七七四年
2011/01/25(火) 00:01:09ID:1Avq+srx0391人間七七四年
2011/01/25(火) 02:21:25ID:CuVGgK0Yてなわけで弘前以西には親戚は一切住んでいないw
0392人間七七四年
2011/01/25(火) 12:09:45ID:osT5rHaVうちは江戸時代から苗字があるって程度の
稀に番付載ってた地方地主だ(´・ω・`)
0393人間七七四年
2011/01/25(火) 12:31:20ID:YTOngWiI0394人間七七四年
2011/01/25(火) 12:59:13ID:R4tPUzQl0395人間七七四年
2011/01/25(火) 13:09:17ID:md7ywBoVしかしあんまし続けるなら専用のスレ行った方が
0396人間七七四年
2011/01/25(火) 15:27:35ID:+3nNqy0O「狂おうでや」
と、家臣らを引きつれ喚声をあげながら馬を狂ったように乗り回したという。
これが「お狂いあそばす」信長のストレス解消法であた。
と同時にチャッカリ馬術の訓練にもなっているところはさすがだw
0397人間七七四年
2011/01/25(火) 19:40:22ID:aA7Ihvfx>家臣らを引きつれ喚声をあげながら馬を狂ったように乗り回した
やっている事は現代の珍走と大して変わらなさそうなのに
妙に格好良く見えるのはやはり格の違いというべきか。
0399人間七七四年
2011/01/25(火) 20:24:56ID:8T1F/COF政宗が家臣引き連れて馬を狂ったように乗り回してたらまた政宗だよ…だし
長可が家臣引き連れて馬を狂ったように乗り回してたらこのDQN次はどこ攻める気だよ!だわな
そして一条さんなら家臣がついてこず一人で馬を狂ったように…
0400人間七七四年
2011/01/25(火) 20:29:33ID:be7sKMEB0402人間七七四年
2011/01/25(火) 20:32:31ID:0pCPIw3z信玄が家臣引き連れて馬を狂ったように乗り回してたら家康はウンコもらすのか
0403人間七七四年
2011/01/25(火) 20:32:36ID:Ntp4zmAT0404人間七七四年
2011/01/25(火) 20:41:41ID:mwmCUkN7さんざん引きこもり言われてるけど、北条ってそれほどおとなしくなくね?
むしろ積極的に外征して局地戦での敗退がネタになってる
0405人間七七四年
2011/01/25(火) 20:46:16ID:66axgH2J0406人間七七四年
2011/01/25(火) 20:48:28ID:mwmCUkN7そーゆーつもりじゃなかったんだが、すまそ
0408人間七七四年
2011/01/26(水) 00:14:28ID:SpWhQzom因みに俺自身は社家
0409人間七七四年
2011/01/26(水) 02:08:20ID:Ac6YNEQv戦国時代の主要な合戦にはほぼ全て参加。
0410人間七七四年
2011/01/26(水) 02:21:27ID:qyIOF+62という物があった。理由はこうである
「あれは慶長元年(1596)の伏見の大地震の時のことであった。
太閤様は如何なされたかと、皆が安否を確かめるため走っていたが、わしより先に
足早に行く者があった。
わしはこの者に走り負けるのも口惜しいと思ったが、よく見るとそやつは帯を後ろで結んでいる。
そこで人込みのなかわしは、そやつの帯の端を取って解いた。
丁度門のうちに入ったときそやつの帯はほどけ、刀脇差も地に落ちた。
これを取り上げ帯を直している間にわしは、そやつを追い抜き先に駆け抜けたのだ。
こう言うこともあるので、我が家中のものは必ず、帯を前に結ぶように!」
以上、加藤嘉明家中が帯を前で結ぶ理由
0411人間七七四年
2011/01/26(水) 02:27:18ID:BfWdqplq追い越された、って話はないのかな
0412人間七七四年
2011/01/26(水) 02:31:20ID:BfWdqplq加藤嘉明「袴帯は前で結ぶものだ。決して後ろで結ぶな。」
と思ったら既出っぽい
0413人間七七四年
2011/01/26(水) 02:33:03ID:qyIOF+620414人間七七四年
2011/01/26(水) 02:52:53ID:/nsWbOJN地味だけど決して人畜無害系じゃないんだよなこの人
0415人間七七四年
2011/01/26(水) 03:47:27ID:Wgj3U5TN罪人だらけの島って、DQN多いの?
0417人間七七四年
2011/01/26(水) 08:22:56ID:u/iuNDjH親から子に受け継がれるとしたらDQNよりもインテリなんじゃねーの
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