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戦国ちょっといい話24

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0001人間七七四年2010/12/25(土) 13:26:54ID:U0HLGF9L
戦国のホロリとくるエピソードを挙げていこう

戦国ちょっといい話・悪い話まとめブログ
http://iiwarui.blog90.fc2.com/
書き込む際にネタがかぶっていないかなどの、参考にしてください

前スレ
戦国ちょっといい話23
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1288278217/

姉妹スレ
戦国ちょっと悪い話24
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1292026893/

鎌倉・室町 ちょっといい話・悪い話
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/history/1286650888/

このスレの武将などに対する愛称等の、用語解説はこちら
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2161.html

逸話に対する過度の真贋論争、揚げ足取りなどは、無駄に荒れるもとになります。
そのような議論はこちらでお願いします
【真?】戦国逸話検証スレ【偽?】
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1196778610/
03182992011/01/20(木) 14:27:24ID:+O6WGFJQ
>>317
あ〜うん……無双無双としつこいかな、とは自分でも思ってました。
『加沢平次左衛門覚書』を読んで、投下出来そうな逸話はこれが最後かな、と思った
ので、間を空けずに投下しちゃいましたが。
やはり書いた本人が感じてたくらいだから、皆それは感じてたか。

申し訳ありませんでした。とりあえずこれで私の手持ちの真田関連ネタは終了ですの
でご安心を。
0319人間七七四年2011/01/20(木) 14:39:33ID:l/lm738M
>>318
いやいや、おもしろかったです。乙でした。
0320人間七七四年2011/01/20(木) 14:41:10ID:/jDHX1KO
>>318
0321人間七七四年2011/01/20(木) 14:44:41ID:Zepgz4bb
>>318
胸焼けどころかとても面白かったよ
乙でした
0322人間七七四年2011/01/20(木) 15:17:25ID:xnTztkBy
真田が北条大嫌いなのがとてもよくわかる逸話でよかったよ
0323人間七七四年2011/01/20(木) 15:39:08ID:nDaZk2mr
>>318
や、逸話は面白かったですよ
ノリでツッコミ入れたがるのはここの住民の性分というか・・・いやスマンカッタ
0324人間七七四年2011/01/20(木) 22:48:32ID:VpwVoTCF
黒田長政の家臣、吉田又助は秀吉の九州攻めにおいて、父・六郎太夫に連れられて初陣した。

又助が耳川を渡河した時、隠れていた薩摩武士が矢を放ってきた。驚いた又助が向かって行こうとしたところ、
六郎太夫がその前に立ちはだかり、薩摩武士に叫んだ。

「おーい、味方じゃ!間違えるな!!」

しばらくポカーンとしていた薩摩武士だったが、やがて気を取り直すと、弓を構えた。
「うつけが。とんだ勘違いをしておるわ!どれ、そのまま的になってくれい。」

「・・・なワケねーだろ!!」

父と目で語り合い、六郎太夫がトボけて薩摩武士を引き付けている間、密かに回りこんだ又助は、横から薩摩武士に
斬りかかった。だが、未熟な又助の一刀は敵に弓で受け止められ、弓を斬り折られながらも薩摩武士は太刀を抜き放ち、
逆に又助へ向け、強烈な突きを見舞った。

無情にも膝上を貫かれた又助は倒れ伏したが、油断した薩摩武士が近づいて来るところを下から斬りつけ、その左足を
切り落とした。(や・・・やった!それにしても、これが戦か。疲れた、もう動けん・・・)


「何をしておる!?敵は、まだ息がある。早う起きて止めを刺さぬか!!」
動かない又助を見た六郎太夫は、倒れた薩摩武士の近くまで又助を引きずり寄せ、一喝した。
父の叱咤を受けた又助は、最後の気力を振り絞って薩摩武士の首を取ると、今度こそ動けなくなった。

「よーし!初陣の身で良くやった。さあ、引き上げじゃ!!」力を使い果たした息子を、父は馬に担ぎ上げて
乗せてやり、本陣までの道すがら、いつまでもいつまでも褒めてやった・・・



・・・又助が「親父にはかなわん。」と思ったのは、父が追いかけて来た薩摩武士に対し、振り向くと同時に放った槍で
一人の喉を貫き、引き抜きざまに横に振るってもう一人を馬から叩き落し、一喝して残る武者どもを追い払った後、
悠々と喉を貫いた武者の首を取った時である。
0325人間七七四年2011/01/20(木) 22:57:14ID:Pu7u3tWS
スゲーなぁ 殺人マシーンだなぁ
0326人間七七四年2011/01/20(木) 22:58:00ID:/jDHX1KO
肉食系おやじつえー
0327人間七七四年2011/01/20(木) 23:01:20ID:lBsB1Qy3
これが戦国系ほのぼの逸話
0328人間七七四年2011/01/20(木) 23:52:05ID:oTfw6vIv
無名レベルでこれだろ?
忠勝とか鬼武蔵とか才三とか有名レベルはどうなるんだ…
0329人間七七四年2011/01/21(金) 00:31:34ID:K9+ECi2O
三河一向一揆での話である。
永祿6年(1563)11月25日、土呂と針崎の一揆勢は上和田へと押し出した。
これに岡崎の徳川家康は自ら出陣、両軍は激突したが、しばらくして一揆勢は敗勢となり
妙国寺の方面への逃げ出した。

これは一揆勢の罠であった。

彼らはわざと逃げ出し追い来た徳川勢を、針崎の森に置いた伏兵をもって討つ、
という作戦であったのだ。いわゆる捨て奸(すてがまり)である。

さて、この撤退する一揆軍の殿を務めていたのが、本多九郎三郎という侍であった。
これを徳川軍の大久保忠世が見つける。忠世と本多九郎三郎は、古くからの友人であった。
忠世、本多を追いかける。本多も忠世の姿を認めると引き返し、「勝負!」
互いに打ち戦った。しかし勝負がつかず

「寄れや!組もう!」
「心得た!」

互いに武器を投げ捨て、組み合いを始めた。
上に下にと揉み合っていたが、本多のほうが力優っていたか、忠世はついに組み伏せられた。
大久保忠世、絶体絶命!…と、忠世、本多に向かってこう言い放った

「いかに本多殿!忠義に背き、一揆に与するのみならず、昨日や今日までの朋友の
よしみを忘れ、私の首をとって、一体誰の見参に入れようというのか!?」

本多九郎三郎、これを聞くと

「確かになあ…。お前のような友人を討ち取っても、感状を得るような事ではないのだ…。」

と忠世を引き起こした。すると二人、

「くくく…」
「あっはっはっはっは!」

互いに大いにうち笑い、そしてまた、左右に別れた。


ちなみに一揆勢の捨て奸だが、家康がいち早く、一揆勢の逃げ方がおかしいと気づき
「追い打ち無用!深入りするべからず!」
と命令を出したためその計略も虚しくなり、妙国寺から土呂、針崎へと引き上げたそうである。
そんな、三河一向一揆でのヒトコマ。
0330人間七七四年2011/01/21(金) 00:42:33ID:xMtPNWWs
三河一向一揆が腰砕けになったのって、三河武士は一向門徒である以前に三河武士であったというただそれだけの理由だよな
0331人間七七四年2011/01/21(金) 00:43:37ID:89GZHsF0
三川武士は一向宗以上にめんどくさい戒律があるからな
0332人間七七四年2011/01/21(金) 00:55:17ID:snAnfnoR
大久保なんて名前を見ただけで面(ry
0333人間七七四年2011/01/21(金) 03:23:17ID:8lGyJpFP
確かに大久保一族は皆三河武士濃度高いよな
0334人間七七四年2011/01/22(土) 04:45:58ID:in1GdwYp
立花宗茂の晩年の話

島原の乱の後の事だが、柳河藩に宗茂が目をかけていた安東助四郎
という若者がいた。助四郎は病弱だったが、聡明で好学心が高かった
ため、宗茂は江戸に呼んで、勉学に励ませていた。しかし、それを
心好く思わない者達がいて、助四郎に色々と言って来ることがあり、
それを苦にした助四郎は、病気と称して柳河に帰ってしまった。
そのことを知った宗茂は、実情を調べた上で助四郎に手紙を送った。

「病はいかがか。容態はどうかと心配している。だがこちらで聞いた
ところ、帰国した理由はそればかりではあるまい。お前の勉学は私と
忠茂が認めたもので、我らはお前のことを少しも疑ってはいない。
お前に何かと申した者達はこちらで吟味する。どうか、やる気を取り
戻してほしい。お前が確かな人物であることは見届けている。」

これを受けた助四郎は発奮し、以前以上に勉学に励んだという。
後に、助四郎は省庵と名乗り、関西の巨儒と謳われる大儒学者と
なったそうな。
0335人間七七四年2011/01/22(土) 12:23:55ID:8bWr5mnx
一向一揆に参加した本多衆は、大久保忠世の仲介で徳川家に復帰するんだよね
もちろん正信さんもこの中に入ってる
このときは仲良かったんだけどなあ
0336人間七七四年2011/01/22(土) 13:38:53ID:JHn6gVjb
現代社会と同じだね
会社が小さい頃は力が弱いから生き残るために社員が一丸となって頑張るけど、
会社が大きくなって余裕が出てくると社員が増えたり派閥が出来たりして軋轢が生じ始める
0337人間七七四年2011/01/22(土) 18:56:03ID:+1uszqax
>>334
相変わらず宗茂はかっこいいな
0338人間七七四年2011/01/22(土) 19:15:50ID:3P3v2+hp
どちらかと言うと努力した助四郎の良い話だけどな
見る目が合って気遣いも出来る宗茂はやっぱ良い男とも思うけど
0339人間七七四年2011/01/22(土) 22:46:05ID:FdqAM1xJ
道雪以来君臣一体の手本みたいな立花家も
戦の世から離れてくると善からぬ家臣が増えてくるんだなあ
0340人間七七四年2011/01/22(土) 22:52:47ID:rh7IN3pi
渡辺半蔵、服部半蔵といえば、徳川家の両半蔵として天下に名の知られた勇者である。

渡辺半蔵は一番槍11度、名のある者の首を取ること9度、
片や服部半蔵は一番槍2度、名のある者の首を取ること11度、
互いに堂々たる戦歴である。

ところがそんな渡辺半蔵だが、彼は合戦の前敵と対峙すると、鎧が音を立てるほどガタガタと
震えていたというのだ。であるのに合戦が始まると、そんな事など無かったかのように剛強に
暴れ回る。人々はそれが、あたかも別の人間であるかのように見えたと言う。

渡辺半蔵は震えた、と言うお話。
0341人間七七四年2011/01/22(土) 22:59:15ID:0hbGveok
演習では「意外とたいしたことない」とか言われちゃうけど戦場では凄い本多忠勝といい槍半蔵といい三河武士は実戦に強いねぇ・・・
0342人間七七四年2011/01/22(土) 23:01:17ID:3P3v2+hp
武者震い?
0343人間七七四年2011/01/22(土) 23:19:54ID:rh7IN3pi
>>340
あ、原文の読み方間違えてた。
二行目と三行目、「名のある者の首」じゃなくて「一番首」だわ、すまん。
0344人間七七四年2011/01/22(土) 23:33:59ID:ayW90HaS
戦は恐ろしいもの、その恐ろしいものの恐ろしさと対峙した上で武功を立てる
って考えるとすごい話だと思うなあ、下手に戦を恐れないよりも格好いいと思う
0345人間七七四年2011/01/22(土) 23:50:28ID:lCMCvMyq
>>342
庵原之政「がするのう!!」」
0346人間七七四年2011/01/23(日) 12:47:50ID:op4mvnvt
>>334
 相変わらずの完璧超人ぶり。
 この時代は、まだまだ十時摂津さんも国許で頑張ってたはずだから
良からぬ連中は、徹底的に根性焼きされただろうな。
 
0347人間七七四年2011/01/23(日) 13:18:22ID:hsGbcIcJ
でも宗茂って道雪と違って厳しい逸話がないぶん人を厳しく罰したりしたイメージがない
せいぜい呼び出してこんこんと諭すくらいのイメージ
0348人間七七四年2011/01/23(日) 13:46:08ID:lN1N9TQC
なんか家の家紋調べてたら、三河大久保の流れらしいことがわかった。
自分の祖先がめんどくさい人種だったとは。
0349人間七七四年2011/01/23(日) 14:13:34ID:aOu9fMRz
家紋って適当に付けられるから名字以上に当てになんないよ
0350人間七七四年2011/01/23(日) 16:23:43ID:WFSG8bia
>>347
効果がありゃそれで十分凄いじゃないか
0351人間七七四年2011/01/23(日) 16:58:13ID:AIMOXUU/
宗茂が完璧人間過ぎだろ
悪い話ねーんじゃねえのか
0352人間七七四年2011/01/23(日) 17:12:47ID:JKkFBA+p
>>351
悪い話というか、妻との関係で苦労したり、牢人して江戸に出たとき、資金が尽きて
家臣たちが仕方なく食事に雑炊出したら、「こんな変わった料理だして気を使わないで、
俺は普通の飯でいいよ」と斜め上の方向に解釈したり、人柄がまっすぐなことは確かだが
完璧人間とはちょっと違うとおもうぞ?>宗茂
0353人間七七四年2011/01/23(日) 17:25:31ID:aOu9fMRz
ある意味変人
0354人間七七四年2011/01/23(日) 17:34:38ID:WFSG8bia
天然だよね
0355人間七七四年2011/01/23(日) 17:40:56ID:hsGbcIcJ
ァ千代とはなんでうまくいかなかったんだろ
セックスレスか?
0356人間七七四年2011/01/23(日) 17:44:37ID:AIMOXUU/
>>355
人の感情がわかんなかったのかもな
戦国時代にそんな事で離婚しねえか
0357人間七七四年2011/01/23(日) 17:46:58ID:/Cap/O0M
男盛りの時に朝鮮行ってたからでしょ
0358人間七七四年2011/01/23(日) 17:58:19ID:WFSG8bia
>>355
男心は読めても、女心には疎かったんだろ
0359人間七七四年2011/01/23(日) 18:09:55ID:op4mvnvt
>>355
 ァ千代が男前過ぎるからだろ。
 同じ男前でも小松殿のような浜松城婚活大合コン大会のような女らしい話がないからな。
 秀吉の名護屋城大名妻NTR大会に参加を求められた時、何を勘違いしたか、完全武装
の次女数十人を引き連れて行ったほどだし、美女だけど全然女らしくない。
 さぶ要素のない宗茂にとっては魅力ない妻だったんじゃないかな?
0360人間七七四年2011/01/23(日) 18:20:45ID:aOu9fMRz
簡単にいえば一家に当主が2人居る状態、
どちらも引かないなら上手く行く訳が無い。
0361人間七七四年2011/01/23(日) 18:25:37ID:f0dW5k5/
>>359
小松殿と違ってァ千代ちゃんは家督継いでたわけだしな
0362人間七七四年2011/01/23(日) 18:38:24ID:qkDqgqcR
宗茂の父親も、奥さんについてドライな思考で結婚したんだっけ?
0363人間七七四年2011/01/23(日) 18:53:41ID:/FSBi6v5
>>359
ァ千代は家光とならうまいこといきそうだな
なんとなくだが
0364人間七七四年2011/01/23(日) 22:56:28ID:pniTSCXp
>>363
家光はバイじゃねーだろw
0365人間七七四年2011/01/23(日) 23:19:48ID:aOu9fMRz
ァ千代と秀忠ならあるいは
0366人間七七四年2011/01/23(日) 23:24:37ID:op4mvnvt
ァ千代のポイント
ファザコン、男勝り、女主人
このタイプが惚れるのは、真田の兄ちゃん60歳ヴァージョン以降くらいかもしれない。
父親の道雪さんが59歳の時の子供だからな。
0367人間七七四年2011/01/23(日) 23:28:51ID:0nVvLwHF
惚れるっていうか、家督を継いでるんだからヒモをあてがってやればいいのでは
0368人間七七四年2011/01/23(日) 23:38:53ID:qyhr38my
戦国でそれをやると家が保てないという。
0369人間七七四年2011/01/24(月) 00:08:24ID:YmW0Mqdb
まあいかに人格者といっても西国無双だからな
マスヲさん扱いするのは無理があるだろう
0370人間七七四年2011/01/24(月) 00:47:40ID:RwMeCe73
豊臣秀吉が初めて城の外に出たとき河口で牛を見て、これを大いに恐れ怖がったという。

それから間もなく、徳川家康の御前でこの話が出た。
話題が話題だけに、おそらくは若年とは言え武士として如何なものかと、幾分の嘲笑や
侮蔑が混じっていただろう。
が、家康の反応は意外なものだった

「どんなものでも見たことの無いものを始めて見れば、驚くものだろ?
秀頼公が牛を見て驚いたと言うが、それは当然のことだ。
わしだってもし初めて見たら、牛なんてものは特に恐ろしいと感じるだろう。」

初めて見た牛を恐れるのは恥でも問題でもない、としたのだ。

家臣が秀頼を侮ることをたしなめたか、あるいは家康らしい合理主義で語っただけか、
家康、秀頼の恐怖を当然とする、と言うお話。
0371人間七七四年2011/01/24(月) 01:00:26ID:fQOhp6RU
考えてみりゃ、当時の本州・四国・九州で一番でかい生き物って牛か?
びびるのは無理ない。
0372人間七七四年2011/01/24(月) 01:03:33ID:OFsSwK6z
おい一行目w
秀吉って城の中生まれだったかな…って疑問に思っちまったじゃないかw
0373人間七七四年2011/01/24(月) 01:06:34ID:RwMeCe73
>>372
うわー、なんという!?

>>370
1行目、「豊臣秀頼」で。巣で間違えたーorz
0374人間七七四年2011/01/24(月) 01:08:56ID:irpUoVAk
後に秀頼公は牛よりでかくなって家康公を大いに恐れ怖がらせましたとさ…。
TO BE 大阪の役
0375人間七七四年2011/01/24(月) 01:37:25ID:Cj4CPmZR
伊達に母父浅井長政ではないとw
0376人間七七四年2011/01/24(月) 02:02:44ID:sLtSswDN
伊達が母で父が浅井とな?
0377人間七七四年2011/01/24(月) 06:52:37ID:+WQv9ex7
孫娘の婿をバカにされて、不快にならないはずもないかも
03783482011/01/24(月) 12:11:55ID:cPN2hmLs
>>349
(´・ω・`)夢くらい見させてくれよ
0379人間七七四年2011/01/24(月) 15:12:16ID:83VtPZ/0
(´・ω・`)しらんがな
0380人間七七四年2011/01/24(月) 19:17:23ID:B5U6n/d/
因みに家は新潟で若狭源氏で武田姓で桔梗紋です。
0381人間七七四年2011/01/24(月) 19:46:09ID:MlOaa5v7
うちは太田姓で桔梗紋。おそらく美濃源氏。
0382 [―{}@{}@{}-] 人間七七四年2011/01/24(月) 19:56:08ID:GE04qOvr
父方の祖母は、(眉唾だが)小早川秀秋の流れを汲むと自称していた。
母方の祖母に「裏切り者の家系が自慢できるんかい!」と突っ込まれていたが。
そもそも秀秋って無嗣断絶により改易されたんじゃ…
(側室の子と言われる羽柴秀行の系統という説だったのか?)
0383人間七七四年2011/01/24(月) 20:14:25ID:1DA6gtmI
辿れる限りでは室町時代からの由緒正しい農民です
家系図見ても近所の人ととかばかりで貴種流離譚が入り込む余地がありません……
0384人間七七四年2011/01/24(月) 20:17:19ID:kcxPhvn9
>>334
宗茂から分家の内意書を与えられたらしいね
こいつへ文句があるのなら俺に言えってことかな?
0385人間七七四年2011/01/24(月) 21:14:39ID:bGFq3rOO
真田にフルボッコされてる後北条の家臣の末裔です
先祖の宗家は、豊臣軍に本当にフルボッコされて討死
一部は徳川に拾ってもらって旗本になったけど
うちの直系先祖は、百姓になって今に至る
0386人間七七四年2011/01/24(月) 21:19:04ID:5lSswm0m
三河出身で実家が本多姓ですが、家紋とか家系とかの話は別に聞いたことないです
0387人間七七四年2011/01/24(月) 21:32:00ID:SsySyJVP
お前らのことはどうでもいい
0388人間七七四年2011/01/24(月) 21:33:09ID:sLtSswDN
戦国どうでもいい話
0389人間七七四年2011/01/24(月) 22:23:23ID:YmW0Mqdb
戦国三弾正の一人と同じ姓だが繋がりはよくわからん
0390人間七七四年2011/01/25(火) 00:01:09ID:1Avq+srx
そういや八丈島出身の浮田って名字の人いたなあ
0391人間七七四年2011/01/25(火) 02:21:25ID:CuVGgK0Y
うちの先祖は南部家家老職だったようだ。

てなわけで弘前以西には親戚は一切住んでいないw
0392人間七七四年2011/01/25(火) 12:09:45ID:osT5rHaV
おまいら凄いな。

うちは江戸時代から苗字があるって程度の
稀に番付載ってた地方地主だ(´・ω・`)
0393人間七七四年2011/01/25(火) 12:31:20ID:YTOngWiI
すぐカスが調子に乗りやがる
0394人間七七四年2011/01/25(火) 12:59:13ID:R4tPUzQl
うちの先祖は高天神城に勤めてただけしかわからんぞ(キリッ
0395人間七七四年2011/01/25(火) 13:09:17ID:md7ywBoV
ま、ルーツに興味持つってオーソドックスな入り方の一つだしな。

しかしあんまし続けるなら専用のスレ行った方が
0396人間七七四年2011/01/25(火) 15:27:35ID:+3nNqy0O
織田信長は気分が晴れないとき、
「狂おうでや」
と、家臣らを引きつれ喚声をあげながら馬を狂ったように乗り回したという。
これが「お狂いあそばす」信長のストレス解消法であた。
と同時にチャッカリ馬術の訓練にもなっているところはさすがだw
0397人間七七四年2011/01/25(火) 19:40:22ID:aA7Ihvfx
380です。素朴な疑問ですが四菱の筈の若狭武田で桔梗紋で異な処はないんでしょうか?突っ込み待のつもりが普通にネタ振りになって凄い違和感。
0398 [―{}@{}@{}-] 人間七七四年2011/01/25(火) 20:12:38ID:WKMavWIg
>>396
>家臣らを引きつれ喚声をあげながら馬を狂ったように乗り回した
やっている事は現代の珍走と大して変わらなさそうなのに
妙に格好良く見えるのはやはり格の違いというべきか。
0399人間七七四年2011/01/25(火) 20:24:56ID:8T1F/COF
信長が家臣引き連れて馬を狂ったように乗り回してたら格好良く感じるし
政宗が家臣引き連れて馬を狂ったように乗り回してたらまた政宗だよ…だし
長可が家臣引き連れて馬を狂ったように乗り回してたらこのDQN次はどこ攻める気だよ!だわな

そして一条さんなら家臣がついてこず一人で馬を狂ったように…
0400人間七七四年2011/01/25(火) 20:29:33ID:be7sKMEB
別にかっこよくもなんともないが ただのDQNとしか
0401人間七七四年2011/01/25(火) 20:31:21ID:+3nNqy0O
>>398
尾張@連合
みたいなw
0402人間七七四年2011/01/25(火) 20:32:31ID:0pCPIw3z
謙信が家臣引き連れて馬を狂ったように乗り回してたら北条は引きこもりになるし
信玄が家臣引き連れて馬を狂ったように乗り回してたら家康はウンコもらすのか
0403人間七七四年2011/01/25(火) 20:32:36ID:Ntp4zmAT
畠山が女引き連れて馬上に狂ったように乗り回させたらエロい
0404人間七七四年2011/01/25(火) 20:41:41ID:mwmCUkN7
今さらだが
さんざん引きこもり言われてるけど、北条ってそれほどおとなしくなくね?
むしろ積極的に外征して局地戦での敗退がネタになってる
0405人間七七四年2011/01/25(火) 20:46:16ID:66axgH2J
北条スレ行って
0406人間七七四年2011/01/25(火) 20:48:28ID:mwmCUkN7
厨扱いされたw
そーゆーつもりじゃなかったんだが、すまそ
0407人間七七四年2011/01/25(火) 22:42:54ID:IK10wxrO
>>390
八丈島の「浮田」さんは総員「泳いで参った大納言様」の子孫だから。
宗家が宇喜多
分家が浮田
0408人間七七四年2011/01/26(水) 00:14:28ID:SpWhQzom
祖母の実家が八丈島の浮田な俺が来ました
因みに俺自身は社家
0409人間七七四年2011/01/26(水) 02:08:20ID:Ac6YNEQv
家系図の初代調べて4年間、かなり破天荒で面白かったので何度か投稿している自分が通りますよ。
戦国時代の主要な合戦にはほぼ全て参加。
0410人間七七四年2011/01/26(水) 02:21:27ID:qyIOF+62
加藤嘉明が自分の家臣たちに常々言うことに、「帯は後ろで結んではならない、必ず前に結べ!」
という物があった。理由はこうである

「あれは慶長元年(1596)の伏見の大地震の時のことであった。
太閤様は如何なされたかと、皆が安否を確かめるため走っていたが、わしより先に
足早に行く者があった。

わしはこの者に走り負けるのも口惜しいと思ったが、よく見るとそやつは帯を後ろで結んでいる。
そこで人込みのなかわしは、そやつの帯の端を取って解いた。

丁度門のうちに入ったときそやつの帯はほどけ、刀脇差も地に落ちた。
これを取り上げ帯を直している間にわしは、そやつを追い抜き先に駆け抜けたのだ。

こう言うこともあるので、我が家中のものは必ず、帯を前に結ぶように!」

以上、加藤嘉明家中が帯を前で結ぶ理由
0411人間七七四年2011/01/26(水) 02:27:18ID:BfWdqplq
実はその後、後から来た地味じゃない方の加藤さんに帯をほどかされて
追い越された、って話はないのかな
0412人間七七四年2011/01/26(水) 02:31:20ID:BfWdqplq
ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3238.html
加藤嘉明「袴帯は前で結ぶものだ。決して後ろで結ぶな。」

と思ったら既出っぽい
0413人間七七四年2011/01/26(水) 02:33:03ID:qyIOF+62
ああ…確認してなかった、スマンorz
0414人間七七四年2011/01/26(水) 02:52:53ID:/nsWbOJN
せこいなあ地味加藤
地味だけど決して人畜無害系じゃないんだよなこの人
0415人間七七四年2011/01/26(水) 03:47:27ID:Wgj3U5TN
>祖母の実家が八丈島の浮田な俺が来ました
罪人だらけの島って、DQN多いの?
0416人間七七四年2011/01/26(水) 07:57:39ID:JFxT9qfj
>>415
自分で行って確かめてこいよ引きこもり
知らない場所を悪く言うもんじゃない
0417人間七七四年2011/01/26(水) 08:22:56ID:u/iuNDjH
島流しにされるような奴は結構な割合で政治犯だろ
親から子に受け継がれるとしたらDQNよりもインテリなんじゃねーの
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