トップページsengoku
1001コメント432KB

戦国ちょっといい話24

■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
0001人間七七四年2010/12/25(土) 13:26:54ID:U0HLGF9L
戦国のホロリとくるエピソードを挙げていこう

戦国ちょっといい話・悪い話まとめブログ
http://iiwarui.blog90.fc2.com/
書き込む際にネタがかぶっていないかなどの、参考にしてください

前スレ
戦国ちょっといい話23
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1288278217/

姉妹スレ
戦国ちょっと悪い話24
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1292026893/

鎌倉・室町 ちょっといい話・悪い話
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/history/1286650888/

このスレの武将などに対する愛称等の、用語解説はこちら
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2161.html

逸話に対する過度の真贋論争、揚げ足取りなどは、無駄に荒れるもとになります。
そのような議論はこちらでお願いします
【真?】戦国逸話検証スレ【偽?】
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1196778610/
0002人間七七四年2010/12/25(土) 14:46:30ID:IY4bTvyd
>>1
0003人間七七四年2010/12/25(土) 20:53:46ID:wyoCucGR
乙(おつ、きのと)は、十干の2番目である。
陰陽五行説では木性の陰に割り当てられており、
ここから日本では「きのと」(木の弟)ともいう。
乙の字は、ジグザグな形を形取ったもので、
そこから、種から出た芽が地上に出ようとして曲がりくねった状態の ...
0004人間七七四年2010/12/25(土) 21:57:12ID:j5FO2d/P
>>1
0005人間七七四年2010/12/26(日) 01:15:17ID:vhtMt2S4
>>1 大儀であった どれでも好きな茶を選ぶが良いぞ

  ∧ ∧                               (ハハ)
 ( ´・ω・)                             (ヮl` ) 
 ( つ旦O                            O旦⊂ヽ
 と__)__) 旦   旦   旦   旦   旦   旦    (_(_つ
      濃茶  薄茶 玉露  煎茶  番茶  出涸し 日当山一のちゃのみ

                            ;; コポ
       旦   旦   旦    旦    旦 コポ 旦       旦    旦    旦
       生茶  雑巾汁 烏龍茶 ほうじ茶 ウラン  お〜いお茶  髭茶 八女茶 狭山茶


       旦   旦   旦     旦    旦   旦    旦   旦
       緑青 静岡茶 宇治茶 鹿児島茶 紅茶 福寿草 白湯  ミユキのお手製太陽バクバク茶
0006人間七七四年2010/12/26(日) 20:55:23ID:KYLi/btY
>>1
スレ立て乙。
0007人間七七四年2010/12/27(月) 19:44:13ID:FNU0RgcN
ある日、真田家江戸屋敷に詰めていた重臣の祢津志摩守幸直は、主君の真田信之に呼び出された。

「おぅ志摩よ。国許の宮下藤右衛門が、大坂の弟に通じ、玉薬を横流ししておった。成敗したいが、あやつも聞こえし
強者だ。ここは、お前に討手を頼みたい。」
「せっかくの仰せですが、その儀は倅にお申し付けくだされ。」
「?三十郎にか?」
「はい。倅・三十郎、十七歳になりますが、鼠の首も取ったことがございません。ここは是非とも大事の場を踏ませ、
器量をご確認ください。」
「よかろう。三十郎を呼べ!」信之の前にまかり出た祢津三十郎は、上意討ちの命を謹んで受けた。


しばらくして後、上田から江戸にやって来た宮下藤右衛門は、さっそく信之のもとに報告に現れた。

「藤右衛門、大儀である。上田表は無事か?城中に変わった事はないか?」
「はい。国許に異常はございませぬ。」
「そうか!実は、お前について不審な噂を聞いてな。まあ、今日は休んで良い。三十郎、付き添ってやれ。」
「……はっ。」

藤右衛門に続き立ち上がった三十郎は、父の方へチラチラと視線を送ったが、幸直はにらみ返すばかりだった。
そのまま藤右衛門が廊下へ出た時、三十郎は動いた。

「上意である!藤右衛門、覚悟!!」
「小僧がっ!!」
藤右衛門が脇差に手をかけた瞬間、三十郎は飛び違いざまに斬りつけた。なおも逃げようとする藤右衛門に、三十郎は
返す刀で二の太刀を与え、崩れ落ちるその身体を押さえつけ、首を取った。

見事に上意討ちを果たした三十郎だったが、家中全体の評価は低かった。
「三十郎め、藤右衛門を斬った手並みは見事だが、親父殿の顔色をうかがい、にらまれてもなお、しばし動けなんだ。
肝が成っておらぬわ。今時の若い者はダメじゃのぅ。」

評価が変わったのは、この二人の会話の後である。
「志摩よ。三十郎、なかなかやるではないか。」

「はっ、有難き仰せ。それにしても、あの際に三十郎は『もう斬っても良いか?』と眼で訴えて来ましたので、
私も『殿の御前で万一の事あってはならぬ。部屋を出てからにせよ。』と目線を送りました。あやつはそれに応え、
殿の御座所を出た所で、仕掛けました。親の欲目ながら、場を外さぬ出来る男に育ってくれました…」
0008人間七七四年2010/12/28(火) 10:04:35ID:ymEyzo9q
24が二つ
0009人間七七四年2010/12/28(火) 20:17:57ID:Tq63vMWB
関ヶ原の折のことである。
上州沼田城には城主真田信之の正室小松がいた。
その小松から家中の妻子に対してこのようなことを言った。
「出陣の留守は誰もが心細いものである。城に来て心を共に慰めなさい。」
家中の者たちはありがたい事だと皆沼田城に集まり、一人も残さず城中に入れ集められた。

さて小松はただ単に互いに慰めあうために妻子を留め置いたわけではなかった。
親を子が攻めるという事態においても
夫に付き従う臣下が心変わりを起こさぬよう、その妻子を人質にするためだったのだ。

この話が世に伝わると「誠に夫人には稀な謀略である」と評判になった。
0010人間七七四年2010/12/28(火) 20:25:50ID:1HTm7sbT
ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-464.html
真田信之の妻、小松殿と関ヶ原と沼田の人々・いい話

既出っぽい?
0011人間七七四年2010/12/29(水) 19:18:31ID:qArgZ48m
前田利長と細川忠興が、知人を連れて愛宕山へ参詣した。参詣の帰り、仁王門の障壁画を見ていた利長が忠興に言った。

「どうじゃ越中!障壁画はこのように小振りで、細工が細かいものが見栄えが良かろう。」
「肥前よ、それは違う。障壁画というものは、大型で迫力あるものの方が良いぞ。」

二人は口論になり、麓に下りても未だ言い争っていた。
「いや、小さい方が良い!」
「何を言う、大きい方だ!」
「いやはや、楽しそうなお話ですなあ。」

「!ハ、ハハ…これはこれは……」
「申し訳ない、宗匠……」

ここで二人は同行の知人、すなわち千利休のことを思い出した。
「そ、そうだ宗匠!今の我らの話、どうか宗匠にもご批評いただきたい!」

「さて。お武家の話を、私などが批評するも僭越でございますが…お武家の話に例えれば、
馬の大きさや体格の大小で、勇士かどうかが決まるのでしょうか?」
「……ご意見、至極ごもっともにござる………」

のちに利長は側近との雑談で、
「わしは戦場など少しも怖くは無かったが、太閤殿下の御前に出ること、大徳寺の春屋和尚の前で座禅を組むこと、
そして利休宗匠の前で茶を点てること、この三つだけは怖かった。」と語った。
0012人間七七四年2010/12/29(水) 19:27:36ID:Dc4tBuOv
市松がびびるくらいだからな
しかし、千利休長身説が本当だった場合、この逸話の印象が変わるような
0013人間七七四年2010/12/29(水) 19:44:46ID:wHwZo8xY
○○に恐れられた男 利休
0014人間七七四年2010/12/29(水) 19:54:58ID:h23ODXU5
利休というと切腹前の最後の茶会は、徳川家康ただひとりを客とした、って話が
強烈に印象に残ってるな。
0015人間七七四年2010/12/29(水) 19:59:08ID:+3t3Yv4c
>>14
その逸話、聞きたいです
0016人間七七四年2010/12/29(水) 20:11:23ID:h23ODXU5
>>15
いや逸話というかそのまま。
記録上、千利休が行った最後の茶会は、利休切腹の年の天正19年(1591)、
徳川家康一人を客として招いたもの(利休百回記)、ってだけの話。
どんな茶会だったか何が話されたか、一切不明。

ちなみにこの茶会のために利休が自分で作った竹茶杓「泪(なみだ)」が、後で古田織部に
形見として渡された。
0017人間七七四年2010/12/29(水) 20:12:38ID:FWKg+blQ
徳川家康と千利休って、接点がないようで割りと会ってたらしいね

家康が利休にうすーい味噌汁ご馳走して、
利休に「何このお湯?w お椀の底が見えるんだけどwww」なんて言われた話も残ってるし
0018人間七七四年2010/12/29(水) 20:20:45ID:h23ODXU5
ちなみにテレ東の歴史ミステリーとかいう番組が、そのへんの
家康と利休の関係を超解釈して

「利休は実は家康のスパイで秀吉暗殺を狙っていたんだよ!!!」

「Ω ΩΩ< な、なんだってー!?」

という話をやってたw
0019人間七七四年2010/12/29(水) 20:46:22ID:Dc4tBuOv
>>17
お約束だが、権現様手製の焼き味噌じゃなくてよかったじゃないか
0020人間七七四年2010/12/29(水) 20:52:21ID:+3t3Yv4c
>>16
ありがとうございます
なるほど、茶会の記録が残っているけど、
なにが話されたかは残っていないと。
で、テレビ番組に勘ぐられたわけだw
0021人間七七四年2010/12/29(水) 21:53:54ID:/N/4LqDH
秀吉死後の天下取りに役立ちそうな事とかは普通に言ってそうな気はするね、想像でしかないが
0022人間七七四年2010/12/29(水) 22:27:48ID:FWKg+blQ
>>19
それなのだが、記録がなくて分からないのだ
普通の味噌なのか、それとも家康お尻製の焼味噌だったのか
0023人間七七四年2010/12/29(水) 22:59:42ID:BmYoqnoO
     ..,,iii,,,  iiiiiiiiiiiiiiiiiiiil   .iiiiiiiiiiiiiiiii     .lllllllllllllllllllll
    .,,iilllll!!゙゛  .゙゙゙゙゙゙lllllllll!!゙   .゙゙゙゙゙゙゙lllllll  iiiiii   ´゙_,liilllll!!゙゙
  .,,iillllll!!゙’  ._,,,iiillllllllllliiiiiiiiiiii. .,,,,iiiillllliiii,,,lllll! ,,iiiilllllllllliiiiiiiiiiiiiiii
  !llllllii,,、   lll!!!!!llllllll!!!!!!!!!! ,iillll!!llllll!!!!!!lllllllll!゙!!!!!!lllllll!!!゙゙゙゙゙゙゙゙’
  .゙゙!!llllllii,,_    .llllll゙゛     llllll,,,illll!゙._,,iillll!゙″  lllllll,____,,,
    .゙゙!!llllllii.  .゙!!llllllllllllllll  ゙!!!!!!!゙.゙!lllll!!゙’    .゙!!!!llllllllllll!
      .゙!゙゛      ̄ ̄´
                ,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,、   ,iiiiii‐                         ,lllllll,,,,,,,,,,,,,,
                l!!!!!!!!!!!!!!!!!l   ,,llllllllllllllllllllll! lllllllllllllllllllllllllll  ._,,, ,iiiii. ,i,,,、 .,,illlll!!!!!!!llllllll
               iiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiii _,iilllll!゙ ̄ ̄llllll′ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ゙llllli、.lllllli .llllll ,,iilllll!!’  .,illlll゙
               !!!!!゙゙゙゙゙lllllll゙゙゙゙゙゙゙゙゙゙!ll!!゙’   .,illlll゙           ゙!゙゙’. ̄.,llllll゙ .゙!!!゙゛   .,illlll!゙
               ,lllllll          _,iilllll!゙゛ iiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiii   .__,,iiilllll!′   ._,,,iiilllll!゙゛
             ,,iiillllll!゙     iiiiiillllllll!!゙゛  .!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!゙  .゙!lllll!!!゙゙    '!llllllll!!!゙’
                ゙゙!!゙゙゛      ゙゙!゙゙″                          ”゛

0024人間七七四年2010/12/29(水) 23:55:45ID:xJM7hTA2
まさかこのスレでそんなAAを見るとは
0025人間七七四年2010/12/30(木) 21:25:24ID:qYHr6L2Z
秀吉の小田原攻めに従い、伊豆韮山城の包囲に参加した森忠政の軍が竹束など備えていると、誰が言い出したのか、
「間もなく城から討って出るので、みな本陣へ退いて、戦うべし。」
との噂が流れた。噂を聞いた森家の兵たちは、われ先にと竹束の備えを捨てて退いていった。

「情けなや。先代がご覧になれば、何と言われるか・・・」
味方の体たらくにタメ息をついた森家の家老・各務兵庫助元正は、長刀を杖にして五十路を迎える身を引きずり、
みずから前線に立つべく足を運んだ。

「ん?あれは弥平次か?」
無人と思われた竹束の備えの中に数十人の兵がおり、一人の侍が檄を飛ばしていた。鉄砲頭の若尾弥平次であった。

「下知なくば、ここを去ってはならぬ!下知に従わぬ者は、後で罪に問う!」
檄にも関わらず何人か退いた雑兵もいたが、弥平次の意気は衰えない。
「よいか、城方が来たら時分を見てわしが合図するゆえ、一斉に撃て。その後、わしが一番槍を入れてくれるわ。」
「おーい・・・」
槍をしごき、手に唾して気合を入れる弥平次に、どこからかやって来た同僚の右京が声をかけた。

「何とは無しに、みな退いてしもうた。わしも退こうと思ったが、あまりの心許なさに戻ってみれば弥平次、
おぬしが居るではないか。どうするつもりだ?」
「どうするも何も、他人はどうあれ、わしは『退け』との命を聞いておらん。ましてや、殿より先陣や鉄砲など
預かる身が、事の実否も確かめずに退くわけにはいかぬわい。お前も槍持つ身なら、腹を決めい。」

「その言葉、もっともじゃ。」右京は弥平次の近くに来ると、その横に自分の槍を置いてしゃがみこんだ。
「おい、何じゃそれは!敵が来れば、その槍でわしを転ばし、己が一番槍せんとの心得かっ!!」
「そ、そんなつもりはないっ!」一喝された右京は、あわてて槍を引き上げた。

「うむ、それで良い。戦場では味方といえども気が立っており、些細な事で災難に会いかねん。注意せい。」
「いやあ、すまんすまん。それにしても弥平次、おぬしは本当に動じぬのう。」
「先陣においては『天狗の雑説』と言って、噂によって聞き崩れ・裏崩れを起こす場合がある。
およそ前線を預かる身は、物事を静かに聞き届け、進退すべきものだ。覚えておけい。」

「さても聞こえし弥平次の言葉よ。」
後ろで黙って様子を見ていた元正は、目を細めて微笑み、本陣に帰っていった。

若尾弥平次、十八歳で森長可より感状を授かったのをきっかけに、頭角を現した男だという。
0026人間七七四年2010/12/30(木) 21:43:39ID:RNPfTcUl
弥平次は凄いベテランっぽいけど若尾氏は本能寺後の東濃征伐の時の降将なのでまだ20代中盤ぐらいのはずw
0027人間七七四年2010/12/30(木) 21:44:21ID:mmcAw9aP
Coolですな
0028人間七七四年2010/12/30(木) 21:55:57ID:uFPUDKh4
なんとかしてよかがみえもんの話かと思った
0029人間七七四年2010/12/30(木) 23:42:18ID:8747H0z5
> 「情けなや。先代がご覧になれば、何と言われるか・・・」

gkbrgkbr
0030人間七七四年2010/12/30(木) 23:48:48ID:KUCkbdHA
長可の頃の森家は、まさに殺しの軍団だったのにね。
忠政の代以降は土木工事の業者さんみたい。
0031人間七七四年2010/12/31(金) 00:10:45ID:Zv33iGvp
かがみんが若造を一喝するお話かと思ったら若手の成長に目を細めるお話だったのか
0032人間七七四年2010/12/31(金) 00:31:23ID:nAo6VTIM
つーか忠政は

「一揆とか弱い連中を一方的に殺戮するならともかく、こっちにも犠牲が出るような
戦をするのは嫌でござる!」

って人だからなあw
鬼武蔵が「忠政には家督を継がさせないように」って言ったのは、たしかに
人物をよく見てるわ。
0033人間七七四年2010/12/31(金) 00:38:06ID:Zh6AHeUt
>「一揆とか弱い連中を一方的に殺戮するならともかく、こっちにも犠牲が出るような戦をするのは嫌でござる!」

優秀な戦国大名じゃん。
「良き敵見つけたり」なんて発想をする馬鹿が出てくるのは講談の中だけだよ。
0034人間七七四年2010/12/31(金) 00:38:16ID:11ix+aVI
親を見てそだったからそんな性格になったような気もする>忠政
0035人間七七四年2010/12/31(金) 00:43:08ID:lrHtuvjp
子は親の鏡 と 反面教師 で先生が勝ったのね^^
0036人間七七四年2010/12/31(金) 00:44:22ID:6EP/7tf3
>>32
秀吉「ですよねー。籠城攻め最高。」
0037人間七七四年2010/12/31(金) 00:55:33ID:7+0yu5Jb
子じゃなくて弟
0038人間七七四年2010/12/31(金) 01:00:03ID:Zv33iGvp
忠政は生年的に親父の顔は全く覚えてないから参考にするのは兄しか無いなw
0039人間七七四年2010/12/31(金) 01:46:50ID:8WCSoI7c
>>33
>「良き敵見つけたり」なんて発想をする馬鹿が出てくるのは講談の中だけだよ。

義弘がまさにそうじゃね?まぁふるぼっこされたけど
0040人間七七四年2010/12/31(金) 06:24:13ID:11ix+aVI
忠政の親兄弟
親→圧倒的不利な状況で戦って討死
長兄→一番乗りしたけど深入りしすぎて討死
三兄→主君守って討死
四兄→同上
五兄→同上
次兄(親代わり)→アレ

そら慎重にもなるわ
0041人間七七四年2010/12/31(金) 13:00:13ID:7MPrldpW
忠政は森家を次代に伝えたのが最大の功績だろうな
5代目で津山藩は召し上げられちゃうけど
0042人間七七四年2010/12/31(金) 13:12:05ID:b9p6U2b9
祟り話が出るような改易理由だよな。
忠政からすると孫世代か?
でも家としてはその後も大名として存続しているから。
0043人間七七四年2010/12/31(金) 16:57:13ID:O3ShwE8j
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-4631.htmlの後、
徳川家康の勘気は解かれ、榊原康政を始めとする上田合戦への参加者は、謹慎状態から開放された。
康政のもとには、友人の本多忠勝と井伊直政が訪れ、祝いの酒宴が開かれることになった。

「しかし、このたび康政殿が、身も省みず大殿を諌め、御父子の仲を修復したる事、徳川家のため…いや、
天下のためのお働き。いかなる勲功にも勝りますぞ!」
「ふふん、そうか?」
“幼にして沈静”と言われたさすがの康政も、年下ながら自分より所領の多い直政に持ち上げられ、気を良くした。

「だがのぅ小平太よ。直政の言う事もっともだが、わしには一つ心得ぬことがある。怒らずに聞いてくれい。」
「なんじゃ、平八?わしとお前の仲じゃ、遠慮なく言ってみろ。」

康政にうながされた忠勝は、神妙な顔をして、話を続けた。
「うむ。こう言っては何だが、われら三人、『徳川にその人あり』と天下にその名を知られる身よ。」
「…まあな。」
「そのお前が、佐渡(本多正信)の後ろに控えておったのが心得ぬ。お前ほどの男が、先頭切って上田城に
バーッと乗り込み、ガーッと崩せば、関が原の陣に間に合い、大殿に怒られずに済んだのではないか?」

「……………」
「い…いや忠勝殿、それはですな……」

それ以前に、康政や正信は上田城なんぞ放っておいて、さっさと中山道を進みたかったのである。
だが、秀忠や若手が血気に逸ってそれを許さず、康政らはせいぜい真田にスキを見せないようにしたり、
深入りをしないよう戒めるしかなかったのである。そういう立場なのである。

ついでに言えば、康政・忠勝ともにこの時52歳。上野館林10万石と上総大多喜10万石の大名格であり、
そろそろ孫の一人や二人生まれている立場である。いい大人なのである。

「…でも、忠勝殿はこれでいいんですよね。あははは……」
「そうだよな、平八は変わっちゃダメだよな!ハッハッハッハッハッハッ!」
「?おう、そうだろうとも!ガハハハハハハハハ!!」

三人一同に打ち笑い、その夜は和やかに宴の時を過ごしたという。
0044人間七七四年2010/12/31(金) 17:12:03ID:u2v4eWAV
『徳川にその人あり』と天下にその名を知られる三馬鹿トリオに見えてくるから不思議!
0045人間七七四年2010/12/31(金) 17:13:38ID:IOseUWVO
うわっははははははははは
0046人間七七四年2010/12/31(金) 18:07:53ID:lrHtuvjp
ヤバイ、全然面倒臭くないwww
0047人間七七四年2010/12/31(金) 18:43:22ID:11ix+aVI
つか若手が血気盛んになったのって武功あげたいからなんだから康政があげたら余計こじれるような…
0048人間七七四年2010/12/31(金) 20:49:38ID:skdbaA+B
そうなんだよなあって三人で笑ってうやむやにするパターンもあるな
0049人間七七四年2011/01/01(土) 08:53:14ID:/83kieUQ
「あのぅ殿、まだ元旦の膳を召し上がりませぬか?」
近習の粟屋弥次郎らが呼びかけても、毛利元就は答えようとせず、初日の出に向かって瞑想するのみであった。

再三に渡る弥次郎の呼びかけに、やっと目を開いた元就は、近習たちに問いかけた。
「お前たちは、元旦を祝う理由を知っておるか?」「いえ・・・」


「では教えてやる。巷では理由も知らず日の出を拝み、昆布・栗を食い屠蘇など呑んで、やれ無病息災だ子孫繁栄だと
言って浮かれ、元旦という日を深く考えてもおるまい。
志ある者は違う。元旦は元三とも言い、年の始め、月始め、日の始めなれば、まずは早起きして一年の計を練るのだ。

“一年の計は早春の一月にあり、一月の計は一日にあり、一日の計は早朝にあり”。

例えば昨年を振り返るに、東国は豊作、西国は水害多く実り少なかった。
ならば、今年我らが考えるは、内は倹約に努め、民の貧しきを考えた法度を案ずること。
外は東からの兵火に応じる、あるいは東に攻める際、敵の兵糧豊かなるを予想し、長き陣にならぬよう勤めること。


どうだ?これだけ取っても、元旦だからと寝坊して、いきなり祝いの膳など取って浮かれる暇はあるまい。
一年の計を定めてから、ゆっくり食事を取れば良いのだ。さあ、太刀をよこせ。」

言われた近習たちは元就の部屋を見回したが、それらしき物は見当たらない。しかし、元就の話を熱心に聴いていた
粟屋弥次郎ただ一人は、ふと気づいて立ち上がり大広間に向かうと、正月飾りとともに備えられた具足から
太刀を取って戻った。
「殿、これでございますな?太刀も元旦にあり、と言ったところですかな?」

「うむ!弥次郎は、さっそく思う所あったようだな。」そう答えて、元就は今年始めての笑顔を見せた。
0050人間七七四年2011/01/01(土) 09:40:47ID:VNcuJ8RX
>>49
こういうのもあったよ。
ttp://www.asahi-net.or.jp/~jt7t-imfk/taiandir/x050.htm
0051人間七七四年2011/01/01(土) 09:47:16ID:bpdDUF0U
>>50
これはひどいw

素直に>>49説教臭いけどいい話だなって書こうとしたのに
0052人間七七四年2011/01/01(土) 10:38:21ID:0awbQdw4
>>50
なぜだろう、どうしても橋之助ボイスで脳内再生されてしまう……
0053人間七七四年2011/01/01(土) 10:49:09ID:/fLmp0PH
>>50
男はいつまで経っても子供なのだなw
おなごにはかなわんか
0054人間七七四年2011/01/01(土) 11:12:15ID:+amXjPnW
和んだ
0055人間七七四年2011/01/01(土) 11:22:35ID:WXIpDj9Z
元旦って年始の挨拶や何やらで、戦国大名にとってはめちゃくちゃ忙しい一日だよね
0056人間七七四年2011/01/01(土) 14:18:24ID:wcg46Jt7
うっかり年始の挨拶を忘れたばかりに謀反を疑われて討たれた人が1人くらいはいると思う。
0057人間七七四年2011/01/01(土) 16:24:00ID:e0UmrO+A
>>56

戦国時代には、お正月の宴会のゴタゴタで家が実質潰れたこともw

屁と恨み
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3035.html
0058人間七七四年2011/01/01(土) 17:15:50ID:mTC5PiA7
あけましておめでとうございます
0059人間七七四年2011/01/01(土) 19:27:11ID:aPin/+Z4
あけましておめでとうございます
アエラの12月号付録の武将の書状カレンダーが
めちゃめちゃ嬉しい2011年です。


昨年、ずんだcityの文学館にいった折
伊達家の正月料理の再現があったので興味深く激写してきた。
写真の腕はアレなので気にしてはいけない・・・

http://www.death-note.biz/up/n/14982.jpg
http://www.death-note.biz/up/n/14983.jpg
http://www.death-note.biz/up/n/14984.jpg
http://www.death-note.biz/up/n/14985.jpg
http://www.death-note.biz/up/n/14986.jpg
http://www.death-note.biz/up/n/14987.jpg
http://www.death-note.biz/up/n/14988.jpg
http://www.death-note.biz/up/n/14989.jpg
http://www.death-note.biz/up/n/14990.jpg

時代は明記してたかどうか失念したが、雑煮に入ってるものが
以前こちらで紹介されていた政宗の頃のものとほぼ同じだったので
あまり時代は変わらないと思う。
いい話って訳でもないが季節ネタってことで。
0060人間七七四年2011/01/01(土) 19:37:01ID:gcZjNpZM
>>50
「ぶたないで」ww

>>59
実際見ると随分と豪勢だな
食ってみたいが当時の味つけは現代人の舌にはあわないのかな
0061人間七七四年2011/01/01(土) 19:46:02ID:WXIpDj9Z
懐石が一般的になる前の日本料理は、飯も汁も冷え切ってるからあまり美味しくはないんだよな。
見た目は豪華だけど
0062人間七七四年2011/01/01(土) 21:01:57ID:R2O4GMX3
元旦に家康は秀頼に挨拶に行かなかった
0063人間七七四年2011/01/01(土) 23:14:02ID:cI2cLIwC
さて、半兵衛と官兵衛のドラマ、どこまで2人を良い人物に描いているか楽しみじゃて
0064人間七七四年2011/01/01(土) 23:37:26ID:R2O4GMX3
やっぱり竹中は綺麗なイメージ
当然、黒田はドロドロなイメージでお願いしたい
0065人間七七四年2011/01/02(日) 01:01:49ID:/985WbCZ
織田信長の黒母衣衆に、伊藤清蔵という者がいた。

ある合戦でのこと。清蔵が陣屋で寝ていると、信長が突然の出撃命令を出した。
ぐっすり寝ていた清蔵は出陣の貝の音を聞くと大いに慌て、寝床から飛び起きると
そのまま戦場に走った!到着した!「やれやれ、間に合った」その時、気がついた!

伊藤清蔵はついうっかり寝ていたときのままの姿、すなわちフンドシ一丁だけで戦場へと駆けつけてしまったのだ。
ふんどし以外、何も身につけていない、裸である、当然、武器も何も手にしていない。これには
清蔵本人も気がついたときは大いに驚いたが、その戦場にある敵や味方はもっと度肝を抜かれた。

「な、なんだあいつは、武器も持たず裸で戦う気か!?頭がおかしいんじゃないか!?」

敵味方から一斉に奇異の目で見られる清蔵。その視線に耐えられなくなった彼は

「うわああああああああああああああああああああああああああ!!!!!」

ヤケになった。
彼はフンドシ一丁の姿で、素手で、敵に向かって突進した。

武器も持たない裸の男が襲ってくる。敵もその、この世のものとは思えぬ光景に少々気圧された。
そのうえ伊藤清蔵は元々、信長の黒母衣衆に選ばれるほどの猛者である。強い。

最初の不幸な遭遇者をぶん殴って槍を奪うと、その槍でバッタバッタっと敵をなぎ倒す。
裸体のバーサーカーと化した清蔵に敵も気を飲まれ次々と犠牲となる。
気がつけば戦場には敵の死骸が累々と残され、その先にはふんどし一丁の殺人鬼、といった
地獄絵図が出来上がっていた。

この清蔵の活躍に、信長も「天晴!」と自ら声をかけ大いに褒めたたえたそうである。

そんな、伊藤清蔵さん、裸で大活躍と言うお話。
0066人間七七四年2011/01/02(日) 01:38:14ID:6PF5j4B6
いい話ではあるんだがその光景は果てしなくシュールとしか言いようがないw
0067人間七七四年2011/01/02(日) 02:00:22ID:uZ4+fJ5M
この戦が終わったあとの清蔵さんのコメントが聞きたいw
0068人間七七四年2011/01/02(日) 02:09:49ID:4OQCBe5m
何故かグルグルパンチで敵中に突っ込んでいく姿を想像したw
0069人間七七四年2011/01/02(日) 02:55:25ID:yGEjdknU
清蔵「無我夢中でヤった。あとは覚えてない」
0070人間七七四年2011/01/02(日) 05:43:21ID:POD9LQfW
まあ、そんな感じだろうなぁw
0071人間七七四年2011/01/02(日) 06:25:22ID:5Row+Qpg
クソワロタ
0072人間七七四年2011/01/02(日) 08:35:53ID:GlwnJVbh
死ななかったのかよwww
0073人間七七四年2011/01/02(日) 09:18:20ID:JwsF0j5y
戦場では気合が重要だというのがよくわかるなw
つうかフンドシ一丁の男に殺された敵兵士たちの無念は想像するに余りあるw
0074人間七七四年2011/01/02(日) 09:24:46ID:RqF8HveI
編笠被ったままだったり小谷攻めでは不幸な事故で丸腰のまま城内に突撃したり……
長久さんはまともな装備をしない方が活躍するキャラなのか?
0075人間七七四年2011/01/02(日) 09:45:46ID:RjQttS5F
>>65-74
刀や槍さえ当たらなければ、逆に重い鎧を着けてるより裸の方が身軽で強いんじゃないか?
0076人間七七四年2011/01/02(日) 10:02:06ID:qnJyffRv
>>65
立花さん家では戦の最中水浴びしてて素っ裸で敵を討ち取ったとかいう人がいたような気がした
0077人間七七四年2011/01/02(日) 10:03:51ID:3c+m0KrM
傷だらけの直政が重装備だったのに対して無傷の忠勝は軽装だったらしいし
避ける技量さえあれば強いかもな
0078人間七七四年2011/01/02(日) 10:19:41ID:IWaFAeVh
>>65
勝頼が裸で城攻めを…という話は鎧を着けずにという事らしいが
これはガチで褌一丁なのかw
0079人間七七四年2011/01/02(日) 10:36:50ID:Ps+00b1o
>>75
当たらなければどうという事はない!ですかw
0080人間七七四年2011/01/02(日) 11:11:02ID:+MTiclYJ
>>77
忠勝は東国無双だからな
よほど命が惜しくない者じゃない限り、近寄ろうともしないだろう

それに対して、直政は家康ですら夢中になるくらいの超絶美男子
敵も味方も「ウホッ、井伊男!」とタックルをかましてくることは想像に難くない
重装備にせざるを得ないのも、傷だらけなのもやむなし、といったところだろう
0081人間七七四年2011/01/02(日) 11:26:05ID:iHSzXeX5
後ろの傷も無数に
0082人間七七四年2011/01/02(日) 11:47:36ID:cnHyAFPt
>>65
裸のほうが強くなってそう
WIZの忍者みたいw
0083人間七七四年2011/01/02(日) 12:03:57ID:Ps+00b1o
アーマークラスが…って、んなアホなw
0084人間七七四年2011/01/02(日) 12:23:25ID:GlwnJVbh
鎧を二枚重ねで着るという常識はずれの重装備で一つの傷も負わなかった武将がいるよ。

なんでも鉄砲の使い手らしい。
0085人間七七四年2011/01/02(日) 12:39:16ID:epnRnGCQ
謙信「毘沙門天の加護があれば、矢になど当たるわけがない」
秀吉「日輪の子のわしが銃弾に当たるわけない」

鬼武蔵「そうだな。名将が銃弾に当たるわけ無いよな」
セジウィック将軍「だいたい、あいつら象にさえ弾を外す腕だしな」
0086人間七七四年2011/01/02(日) 15:32:51ID:4ngxtFfm
小学生の時、集団登校の集合場所に
パジャマで駆けつけたのを思い出した
0087人間七七四年2011/01/02(日) 15:54:27ID:9wHJdKru
日曜の午後に惰眠をむさぼっていたらカーチャンに
「何してんの遅刻だよ!」と叫ばれ
ランドセル背負って町を激走した奴なら知っている
0088人間七七四年2011/01/02(日) 18:22:53ID:9GcPxagR
なんか正月っぽいネタが欲しいです
0089人間七七四年2011/01/02(日) 18:25:56ID:TbFwwuNA
>>65
魔界村のアーサーの原型だなw
0090人間七七四年2011/01/02(日) 18:36:01ID:xYD9XC/0
>>88
逸話ではないが大晦日にやっていた「大戦国鍋TV」という番組で、
お正月に城を落とされた部将として、よりにもよって天庵様が「天才的な戦下手」として
紹介されてた。多分いい悪いスレの影響w
http://www.tvk-yokohama.com/sengokunabe-tv/corner/daisengokunabe/index.html
0091人間七七四年2011/01/02(日) 18:39:52ID:cnHyAFPt
>>88
非有&恵瓊「呼んだ?」

0092人間七七四年2011/01/02(日) 18:52:22ID:0wClpZpJ
>>91
ねえ、もしかして、ひょっとすると、
それって、昔、正月になると先代の林家三平がやってた、

和尚がtwo???



このネタのどこが面白いかと言いますと・・・
0093人間七七四年2011/01/02(日) 20:34:25ID:9GcPxagR
>>90
天庵様ついに地上波か・・・胸が熱くなるな
0094人間七七四年2011/01/02(日) 21:38:32ID:P9A1z8e0
>>65
初笑いがこれとか (ノ∀`)
しかし実のとこコメントに困ったんじゃないか、信長もw
0095人間七七四年2011/01/02(日) 22:46:54ID:a7bxF7TD
伊藤さんは嫁の贅沢のせいでガチハングリー精神で活躍してる人
0096人間七七四年2011/01/03(月) 16:05:11ID:IneLxYYj
司馬の短編にでてきた人か?
ヲチは忘れたけどw
0097人間七七四年2011/01/03(月) 16:23:35ID:YjbfaFUK
前田利家は新たに近習として出仕した者に対しては必ず、このようなことを話したそうだ

「わしが信長公にご奉公に出たのは14の時だった。この時初めて50貫を頂いた。
それからご加増していただいて150貫となった。
森部合戦の後更にご加増していただき、また兄である蔵人殿の跡目を継ぐこととなり、
合計で1450貫となった。

その後越前府中3万3千3百石を下され、能登一国を下され、
さらにその後秀吉公から加賀の石川郡、河北郡を下され、さらに越中も我らが手により
切り取りにした。

このようにわしは若い頃から色々と骨を折り、主君から引き上げていただき、今かように大きくなった。
其方も希望を富士の山ほどに大きく持って、奉公するのだぞ。」

前田利家流新入社員への心得(?)というような逸話である。
0098人間七七四年2011/01/03(月) 17:22:25ID:R05pmEYo
>>96
主人公過労死で嫁と二号は面白おかしく暮らしましたとさってオチだったかと
0099人間七七四年2011/01/03(月) 18:38:32ID:IVtnMDmk
利家の場合は全て自慢だからな
0100人間七七四年2011/01/03(月) 18:39:11ID:CMhZf/Gu
正月早々嫌な話を…
0101人間七七四年2011/01/03(月) 21:39:53ID:TyTIM82V
最近は利家アンチまで湧くようになってんな
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています