戦国ちょっといい話24
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0001人間七七四年
2010/12/25(土) 13:26:54ID:U0HLGF9L戦国ちょっといい話・悪い話まとめブログ
http://iiwarui.blog90.fc2.com/
書き込む際にネタがかぶっていないかなどの、参考にしてください
前スレ
戦国ちょっといい話23
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1288278217/
姉妹スレ
戦国ちょっと悪い話24
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1292026893/
鎌倉・室町 ちょっといい話・悪い話
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/history/1286650888/
このスレの武将などに対する愛称等の、用語解説はこちら
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2161.html
逸話に対する過度の真贋論争、揚げ足取りなどは、無駄に荒れるもとになります。
そのような議論はこちらでお願いします
【真?】戦国逸話検証スレ【偽?】
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1196778610/
0017人間七七四年
2010/12/29(水) 20:12:38ID:FWKg+blQ家康が利休にうすーい味噌汁ご馳走して、
利休に「何このお湯?w お椀の底が見えるんだけどwww」なんて言われた話も残ってるし
0018人間七七四年
2010/12/29(水) 20:20:45ID:h23ODXU5家康と利休の関係を超解釈して
「利休は実は家康のスパイで秀吉暗殺を狙っていたんだよ!!!」
「Ω ΩΩ< な、なんだってー!?」
という話をやってたw
0020人間七七四年
2010/12/29(水) 20:52:21ID:+3t3Yv4cありがとうございます
なるほど、茶会の記録が残っているけど、
なにが話されたかは残っていないと。
で、テレビ番組に勘ぐられたわけだw
0021人間七七四年
2010/12/29(水) 21:53:54ID:/N/4LqDH0023人間七七四年
2010/12/29(水) 22:59:42ID:BmYoqnoO.,,iilllll!!゙゛ .゙゙゙゙゙゙lllllllll!!゙ .゙゙゙゙゙゙゙lllllll iiiiii ´゙_,liilllll!!゙゙
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0024人間七七四年
2010/12/29(水) 23:55:45ID:xJM7hTA20025人間七七四年
2010/12/30(木) 21:25:24ID:qYHr6L2Z「間もなく城から討って出るので、みな本陣へ退いて、戦うべし。」
との噂が流れた。噂を聞いた森家の兵たちは、われ先にと竹束の備えを捨てて退いていった。
「情けなや。先代がご覧になれば、何と言われるか・・・」
味方の体たらくにタメ息をついた森家の家老・各務兵庫助元正は、長刀を杖にして五十路を迎える身を引きずり、
みずから前線に立つべく足を運んだ。
「ん?あれは弥平次か?」
無人と思われた竹束の備えの中に数十人の兵がおり、一人の侍が檄を飛ばしていた。鉄砲頭の若尾弥平次であった。
「下知なくば、ここを去ってはならぬ!下知に従わぬ者は、後で罪に問う!」
檄にも関わらず何人か退いた雑兵もいたが、弥平次の意気は衰えない。
「よいか、城方が来たら時分を見てわしが合図するゆえ、一斉に撃て。その後、わしが一番槍を入れてくれるわ。」
「おーい・・・」
槍をしごき、手に唾して気合を入れる弥平次に、どこからかやって来た同僚の右京が声をかけた。
「何とは無しに、みな退いてしもうた。わしも退こうと思ったが、あまりの心許なさに戻ってみれば弥平次、
おぬしが居るではないか。どうするつもりだ?」
「どうするも何も、他人はどうあれ、わしは『退け』との命を聞いておらん。ましてや、殿より先陣や鉄砲など
預かる身が、事の実否も確かめずに退くわけにはいかぬわい。お前も槍持つ身なら、腹を決めい。」
「その言葉、もっともじゃ。」右京は弥平次の近くに来ると、その横に自分の槍を置いてしゃがみこんだ。
「おい、何じゃそれは!敵が来れば、その槍でわしを転ばし、己が一番槍せんとの心得かっ!!」
「そ、そんなつもりはないっ!」一喝された右京は、あわてて槍を引き上げた。
「うむ、それで良い。戦場では味方といえども気が立っており、些細な事で災難に会いかねん。注意せい。」
「いやあ、すまんすまん。それにしても弥平次、おぬしは本当に動じぬのう。」
「先陣においては『天狗の雑説』と言って、噂によって聞き崩れ・裏崩れを起こす場合がある。
およそ前線を預かる身は、物事を静かに聞き届け、進退すべきものだ。覚えておけい。」
「さても聞こえし弥平次の言葉よ。」
後ろで黙って様子を見ていた元正は、目を細めて微笑み、本陣に帰っていった。
若尾弥平次、十八歳で森長可より感状を授かったのをきっかけに、頭角を現した男だという。
0026人間七七四年
2010/12/30(木) 21:43:39ID:RNPfTcUl0027人間七七四年
2010/12/30(木) 21:44:21ID:mmcAw9aP0028人間七七四年
2010/12/30(木) 21:55:57ID:uFPUDKh40029人間七七四年
2010/12/30(木) 23:42:18ID:8747H0z5gkbrgkbr
0030人間七七四年
2010/12/30(木) 23:48:48ID:KUCkbdHA忠政の代以降は土木工事の業者さんみたい。
0031人間七七四年
2010/12/31(金) 00:10:45ID:Zv33iGvp0032人間七七四年
2010/12/31(金) 00:31:23ID:nAo6VTIM「一揆とか弱い連中を一方的に殺戮するならともかく、こっちにも犠牲が出るような
戦をするのは嫌でござる!」
って人だからなあw
鬼武蔵が「忠政には家督を継がさせないように」って言ったのは、たしかに
人物をよく見てるわ。
0033人間七七四年
2010/12/31(金) 00:38:06ID:Zh6AHeUt優秀な戦国大名じゃん。
「良き敵見つけたり」なんて発想をする馬鹿が出てくるのは講談の中だけだよ。
0034人間七七四年
2010/12/31(金) 00:38:16ID:11ix+aVI0035人間七七四年
2010/12/31(金) 00:43:08ID:lrHtuvjp0037人間七七四年
2010/12/31(金) 00:55:33ID:7+0yu5Jb0038人間七七四年
2010/12/31(金) 01:00:03ID:Zv33iGvp0039人間七七四年
2010/12/31(金) 01:46:50ID:8WCSoI7c>「良き敵見つけたり」なんて発想をする馬鹿が出てくるのは講談の中だけだよ。
義弘がまさにそうじゃね?まぁふるぼっこされたけど
0040人間七七四年
2010/12/31(金) 06:24:13ID:11ix+aVI親→圧倒的不利な状況で戦って討死
長兄→一番乗りしたけど深入りしすぎて討死
三兄→主君守って討死
四兄→同上
五兄→同上
次兄(親代わり)→アレ
そら慎重にもなるわ
0041人間七七四年
2010/12/31(金) 13:00:13ID:7MPrldpW5代目で津山藩は召し上げられちゃうけど
0042人間七七四年
2010/12/31(金) 13:12:05ID:b9p6U2b9忠政からすると孫世代か?
でも家としてはその後も大名として存続しているから。
0043人間七七四年
2010/12/31(金) 16:57:13ID:O3ShwE8j徳川家康の勘気は解かれ、榊原康政を始めとする上田合戦への参加者は、謹慎状態から開放された。
康政のもとには、友人の本多忠勝と井伊直政が訪れ、祝いの酒宴が開かれることになった。
「しかし、このたび康政殿が、身も省みず大殿を諌め、御父子の仲を修復したる事、徳川家のため…いや、
天下のためのお働き。いかなる勲功にも勝りますぞ!」
「ふふん、そうか?」
“幼にして沈静”と言われたさすがの康政も、年下ながら自分より所領の多い直政に持ち上げられ、気を良くした。
「だがのぅ小平太よ。直政の言う事もっともだが、わしには一つ心得ぬことがある。怒らずに聞いてくれい。」
「なんじゃ、平八?わしとお前の仲じゃ、遠慮なく言ってみろ。」
康政にうながされた忠勝は、神妙な顔をして、話を続けた。
「うむ。こう言っては何だが、われら三人、『徳川にその人あり』と天下にその名を知られる身よ。」
「…まあな。」
「そのお前が、佐渡(本多正信)の後ろに控えておったのが心得ぬ。お前ほどの男が、先頭切って上田城に
バーッと乗り込み、ガーッと崩せば、関が原の陣に間に合い、大殿に怒られずに済んだのではないか?」
「……………」
「い…いや忠勝殿、それはですな……」
それ以前に、康政や正信は上田城なんぞ放っておいて、さっさと中山道を進みたかったのである。
だが、秀忠や若手が血気に逸ってそれを許さず、康政らはせいぜい真田にスキを見せないようにしたり、
深入りをしないよう戒めるしかなかったのである。そういう立場なのである。
ついでに言えば、康政・忠勝ともにこの時52歳。上野館林10万石と上総大多喜10万石の大名格であり、
そろそろ孫の一人や二人生まれている立場である。いい大人なのである。
「…でも、忠勝殿はこれでいいんですよね。あははは……」
「そうだよな、平八は変わっちゃダメだよな!ハッハッハッハッハッハッ!」
「?おう、そうだろうとも!ガハハハハハハハハ!!」
三人一同に打ち笑い、その夜は和やかに宴の時を過ごしたという。
0044人間七七四年
2010/12/31(金) 17:12:03ID:u2v4eWAV0045人間七七四年
2010/12/31(金) 17:13:38ID:IOseUWVO0046人間七七四年
2010/12/31(金) 18:07:53ID:lrHtuvjp0047人間七七四年
2010/12/31(金) 18:43:22ID:11ix+aVI0048人間七七四年
2010/12/31(金) 20:49:38ID:skdbaA+B0049人間七七四年
2011/01/01(土) 08:53:14ID:/83kieUQ近習の粟屋弥次郎らが呼びかけても、毛利元就は答えようとせず、初日の出に向かって瞑想するのみであった。
再三に渡る弥次郎の呼びかけに、やっと目を開いた元就は、近習たちに問いかけた。
「お前たちは、元旦を祝う理由を知っておるか?」「いえ・・・」
「では教えてやる。巷では理由も知らず日の出を拝み、昆布・栗を食い屠蘇など呑んで、やれ無病息災だ子孫繁栄だと
言って浮かれ、元旦という日を深く考えてもおるまい。
志ある者は違う。元旦は元三とも言い、年の始め、月始め、日の始めなれば、まずは早起きして一年の計を練るのだ。
“一年の計は早春の一月にあり、一月の計は一日にあり、一日の計は早朝にあり”。
例えば昨年を振り返るに、東国は豊作、西国は水害多く実り少なかった。
ならば、今年我らが考えるは、内は倹約に努め、民の貧しきを考えた法度を案ずること。
外は東からの兵火に応じる、あるいは東に攻める際、敵の兵糧豊かなるを予想し、長き陣にならぬよう勤めること。
どうだ?これだけ取っても、元旦だからと寝坊して、いきなり祝いの膳など取って浮かれる暇はあるまい。
一年の計を定めてから、ゆっくり食事を取れば良いのだ。さあ、太刀をよこせ。」
言われた近習たちは元就の部屋を見回したが、それらしき物は見当たらない。しかし、元就の話を熱心に聴いていた
粟屋弥次郎ただ一人は、ふと気づいて立ち上がり大広間に向かうと、正月飾りとともに備えられた具足から
太刀を取って戻った。
「殿、これでございますな?太刀も元旦にあり、と言ったところですかな?」
「うむ!弥次郎は、さっそく思う所あったようだな。」そう答えて、元就は今年始めての笑顔を見せた。
0050人間七七四年
2011/01/01(土) 09:40:47ID:VNcuJ8RXこういうのもあったよ。
ttp://www.asahi-net.or.jp/~jt7t-imfk/taiandir/x050.htm
0054人間七七四年
2011/01/01(土) 11:12:15ID:+amXjPnW0055人間七七四年
2011/01/01(土) 11:22:35ID:WXIpDj9Z0056人間七七四年
2011/01/01(土) 14:18:24ID:wcg46Jt70057人間七七四年
2011/01/01(土) 16:24:00ID:e0UmrO+A戦国時代には、お正月の宴会のゴタゴタで家が実質潰れたこともw
屁と恨み
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3035.html
0058人間七七四年
2011/01/01(土) 17:15:50ID:mTC5PiA70059人間七七四年
2011/01/01(土) 19:27:11ID:aPin/+Z4アエラの12月号付録の武将の書状カレンダーが
めちゃめちゃ嬉しい2011年です。
昨年、ずんだcityの文学館にいった折
伊達家の正月料理の再現があったので興味深く激写してきた。
写真の腕はアレなので気にしてはいけない・・・
http://www.death-note.biz/up/n/14982.jpg
http://www.death-note.biz/up/n/14983.jpg
http://www.death-note.biz/up/n/14984.jpg
http://www.death-note.biz/up/n/14985.jpg
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http://www.death-note.biz/up/n/14988.jpg
http://www.death-note.biz/up/n/14989.jpg
http://www.death-note.biz/up/n/14990.jpg
時代は明記してたかどうか失念したが、雑煮に入ってるものが
以前こちらで紹介されていた政宗の頃のものとほぼ同じだったので
あまり時代は変わらないと思う。
いい話って訳でもないが季節ネタってことで。
0060人間七七四年
2011/01/01(土) 19:37:01ID:gcZjNpZM「ぶたないで」ww
>>59
実際見ると随分と豪勢だな
食ってみたいが当時の味つけは現代人の舌にはあわないのかな
0061人間七七四年
2011/01/01(土) 19:46:02ID:WXIpDj9Z見た目は豪華だけど
0062人間七七四年
2011/01/01(土) 21:01:57ID:R2O4GMX30063人間七七四年
2011/01/01(土) 23:14:02ID:cI2cLIwC0064人間七七四年
2011/01/01(土) 23:37:26ID:R2O4GMX3当然、黒田はドロドロなイメージでお願いしたい
0065人間七七四年
2011/01/02(日) 01:01:49ID:/985WbCZある合戦でのこと。清蔵が陣屋で寝ていると、信長が突然の出撃命令を出した。
ぐっすり寝ていた清蔵は出陣の貝の音を聞くと大いに慌て、寝床から飛び起きると
そのまま戦場に走った!到着した!「やれやれ、間に合った」その時、気がついた!
伊藤清蔵はついうっかり寝ていたときのままの姿、すなわちフンドシ一丁だけで戦場へと駆けつけてしまったのだ。
ふんどし以外、何も身につけていない、裸である、当然、武器も何も手にしていない。これには
清蔵本人も気がついたときは大いに驚いたが、その戦場にある敵や味方はもっと度肝を抜かれた。
「な、なんだあいつは、武器も持たず裸で戦う気か!?頭がおかしいんじゃないか!?」
敵味方から一斉に奇異の目で見られる清蔵。その視線に耐えられなくなった彼は
「うわああああああああああああああああああああああああああ!!!!!」
ヤケになった。
彼はフンドシ一丁の姿で、素手で、敵に向かって突進した。
武器も持たない裸の男が襲ってくる。敵もその、この世のものとは思えぬ光景に少々気圧された。
そのうえ伊藤清蔵は元々、信長の黒母衣衆に選ばれるほどの猛者である。強い。
最初の不幸な遭遇者をぶん殴って槍を奪うと、その槍でバッタバッタっと敵をなぎ倒す。
裸体のバーサーカーと化した清蔵に敵も気を飲まれ次々と犠牲となる。
気がつけば戦場には敵の死骸が累々と残され、その先にはふんどし一丁の殺人鬼、といった
地獄絵図が出来上がっていた。
この清蔵の活躍に、信長も「天晴!」と自ら声をかけ大いに褒めたたえたそうである。
そんな、伊藤清蔵さん、裸で大活躍と言うお話。
0066人間七七四年
2011/01/02(日) 01:38:14ID:6PF5j4B60067人間七七四年
2011/01/02(日) 02:00:22ID:uZ4+fJ5M0068人間七七四年
2011/01/02(日) 02:09:49ID:4OQCBe5m0069人間七七四年
2011/01/02(日) 02:55:25ID:yGEjdknU0070人間七七四年
2011/01/02(日) 05:43:21ID:POD9LQfW0071人間七七四年
2011/01/02(日) 06:25:22ID:5Row+Qpg0072人間七七四年
2011/01/02(日) 08:35:53ID:GlwnJVbh0073人間七七四年
2011/01/02(日) 09:18:20ID:JwsF0j5yつうかフンドシ一丁の男に殺された敵兵士たちの無念は想像するに余りあるw
0074人間七七四年
2011/01/02(日) 09:24:46ID:RqF8HveI長久さんはまともな装備をしない方が活躍するキャラなのか?
0075人間七七四年
2011/01/02(日) 09:45:46ID:RjQttS5F刀や槍さえ当たらなければ、逆に重い鎧を着けてるより裸の方が身軽で強いんじゃないか?
0077人間七七四年
2011/01/02(日) 10:03:51ID:3c+m0KrM避ける技量さえあれば強いかもな
0080人間七七四年
2011/01/02(日) 11:11:02ID:+MTiclYJ忠勝は東国無双だからな
よほど命が惜しくない者じゃない限り、近寄ろうともしないだろう
それに対して、直政は家康ですら夢中になるくらいの超絶美男子
敵も味方も「ウホッ、井伊男!」とタックルをかましてくることは想像に難くない
重装備にせざるを得ないのも、傷だらけなのもやむなし、といったところだろう
0081人間七七四年
2011/01/02(日) 11:26:05ID:iHSzXeX50083人間七七四年
2011/01/02(日) 12:03:57ID:Ps+00b1o0084人間七七四年
2011/01/02(日) 12:23:25ID:GlwnJVbhなんでも鉄砲の使い手らしい。
0085人間七七四年
2011/01/02(日) 12:39:16ID:epnRnGCQ秀吉「日輪の子のわしが銃弾に当たるわけない」
鬼武蔵「そうだな。名将が銃弾に当たるわけ無いよな」
セジウィック将軍「だいたい、あいつら象にさえ弾を外す腕だしな」
0086人間七七四年
2011/01/02(日) 15:32:51ID:4ngxtFfmパジャマで駆けつけたのを思い出した
0087人間七七四年
2011/01/02(日) 15:54:27ID:9wHJdKru「何してんの遅刻だよ!」と叫ばれ
ランドセル背負って町を激走した奴なら知っている
0088人間七七四年
2011/01/02(日) 18:22:53ID:9GcPxagR0090人間七七四年
2011/01/02(日) 18:36:01ID:xYD9XC/0逸話ではないが大晦日にやっていた「大戦国鍋TV」という番組で、
お正月に城を落とされた部将として、よりにもよって天庵様が「天才的な戦下手」として
紹介されてた。多分いい悪いスレの影響w
http://www.tvk-yokohama.com/sengokunabe-tv/corner/daisengokunabe/index.html
0092人間七七四年
2011/01/02(日) 18:52:22ID:0wClpZpJねえ、もしかして、ひょっとすると、
それって、昔、正月になると先代の林家三平がやってた、
和尚がtwo???
このネタのどこが面白いかと言いますと・・・
0095人間七七四年
2011/01/02(日) 22:46:54ID:a7bxF7TD0096人間七七四年
2011/01/03(月) 16:05:11ID:IneLxYYjヲチは忘れたけどw
0097人間七七四年
2011/01/03(月) 16:23:35ID:YjbfaFUK「わしが信長公にご奉公に出たのは14の時だった。この時初めて50貫を頂いた。
それからご加増していただいて150貫となった。
森部合戦の後更にご加増していただき、また兄である蔵人殿の跡目を継ぐこととなり、
合計で1450貫となった。
その後越前府中3万3千3百石を下され、能登一国を下され、
さらにその後秀吉公から加賀の石川郡、河北郡を下され、さらに越中も我らが手により
切り取りにした。
このようにわしは若い頃から色々と骨を折り、主君から引き上げていただき、今かように大きくなった。
其方も希望を富士の山ほどに大きく持って、奉公するのだぞ。」
前田利家流新入社員への心得(?)というような逸話である。
0099人間七七四年
2011/01/03(月) 18:38:32ID:IVtnMDmk0100人間七七四年
2011/01/03(月) 18:39:11ID:CMhZf/Gu0101人間七七四年
2011/01/03(月) 21:39:53ID:TyTIM82V0102人間七七四年
2011/01/03(月) 23:28:45ID:SOr+bBPG0104人間七七四年
2011/01/04(火) 00:19:03ID:4i0NMg49怒りを抑えることを自らに課していた家康公だが、この時ばかりは怒り顕にして、
「武田勝頼に大将の器量なし。
勝頼は勇士を使う法をまるで知らない男だ。
鳥居のような豪の者には、敵であっても命を助け、その武勇に応えるべきである。
これは味方に忠義を教えることにもなる。
それを、主君のために命を賭けた忠義の士を磔にかけるなど、とんでもないことだ。
見ていろ。勝頼の運が尽きるときは、譜代の武士も代変わりして敵となることだろう。」
と言ったという。
0105人間七七四年
2011/01/04(火) 14:58:56ID:0wAMeUdu「わしが信長公に尻でご奉公したのは14の時だった。この時初めて50貫を頂いた。
それからご加増していただいて150貫となった。
でも信長公寵愛の小姓に嫉妬して斬り殺したら追放された。反省はしてない。
森部合戦の後更にご加増していただき、また兄である蔵人殿から強引に家督を奪い
合計で1450貫となった。
その後、出世のために一向門徒を殺しまくったら越前府中3万3千3百石を下され、
能登一国を下され、土壇場で上司の柴田勝家を裏切るというウルトラCで秀吉公から
加賀の石川郡、河北郡を下され、さらにの元同僚の佐々成政が孤立して弱ってたので
越中も我らが手により切り取りにした。
このようにわしは若い頃から色々と汚い手を使い、主君から引き上げていただき、
今かように大きくなった。
其方も希望を富士の山ほどに大きく持って、奉公するのだぞ。」
0106人間七七四年
2011/01/04(火) 15:10:06ID:JVJouXOv0107人間七七四年
2011/01/04(火) 15:27:29ID:nlmKLoph0109人間七七四年
2011/01/04(火) 16:40:48ID:yP2btYx9「わしが信長公に尻でご奉公したのは14の時だった(チラッ)。この時初めて50貫を頂いた(チラッ)。
0110人間七七四年
2011/01/04(火) 17:13:29ID:eezC2J2+名乗りをあげてたよな・・・
家康も少し警戒してたみたいだけど、経歴的に全然敵じゃないだろw
0111人間七七四年
2011/01/04(火) 17:18:25ID:nlmKLoph分裂状態の豊臣大名を糾合しうる唯一の人物ではあった。
0112人間七七四年
2011/01/04(火) 18:45:35ID:/jAvkES6あの時では確かに又佐くらいにしか出来なかったな
ただ、利長が遺志を継いでそれやってたら、家康に取り潰されてた恐れはある
0113人間七七四年
2011/01/04(火) 19:36:30ID:VR4k0w+i0115人間七七四年
2011/01/04(火) 20:01:53ID:rTQaRzwq豊臣政権内部に友達が多いから侮れない
0116人間七七四年
2011/01/04(火) 20:28:54ID:OBCOKX6Jあれ?最近どっかで聞いたような?
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