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戦国ちょっといい話24

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0001人間七七四年2010/12/25(土) 13:26:54ID:U0HLGF9L
戦国のホロリとくるエピソードを挙げていこう

戦国ちょっといい話・悪い話まとめブログ
http://iiwarui.blog90.fc2.com/
書き込む際にネタがかぶっていないかなどの、参考にしてください

前スレ
戦国ちょっといい話23
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1288278217/

姉妹スレ
戦国ちょっと悪い話24
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1292026893/

鎌倉・室町 ちょっといい話・悪い話
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/history/1286650888/

このスレの武将などに対する愛称等の、用語解説はこちら
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2161.html

逸話に対する過度の真贋論争、揚げ足取りなどは、無駄に荒れるもとになります。
そのような議論はこちらでお願いします
【真?】戦国逸話検証スレ【偽?】
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1196778610/
0122人間七七四年2011/01/04(火) 23:20:38ID:1TsHjgBe
関ヶ原と幕末は何をしてたんだ…って感じだけどなw
逆に、そう家だからこそ100万石を保てたんだろうけど〜
0123人間七七四年2011/01/05(水) 00:46:00ID:TNPjoUr9
幕末の加賀藩だってこんな活躍してるんだぞ
・現在の東大赤門を建てる
・禁門の変で負ける
・アップルジャムをつくる
0124人間七七四年2011/01/05(水) 01:53:53ID:FeY8/ESH
>>121
母親を徳川の人質に送ったり、鼻毛伸ばしてバカ殿装ったりいろいろ苦労してます
0125人間七七四年2011/01/05(水) 07:56:17ID:ocM7vvGm
前田家の家訓は「絶対服従」だからな
0126人間七七四年2011/01/05(水) 08:18:57ID:OwE9n3On
前田家の家訓「一番よりもナンバー2」
0127人間七七四年2011/01/05(水) 08:45:11ID:U+fECar9
>>122
幕末は勤王派の跡継ぎと重臣を粛清して、佐幕派で藩内を統一したと思ったら、第二次長州征伐で幕軍が負けて、
勤王派に鞍替えしなきゃと大慌て。
藩内政治に右往左往している間にいろいろ乗り遅れた。
対外的には何もしてないけど、藩内は大流血してる。
0128人間七七四年2011/01/05(水) 12:29:38ID:7UfslUNG
猫だ、猫になるんだ!と自分自身に言い聞かせ続けたら豚になってたでござブー(´・ω・`)
0129人間七七四年2011/01/05(水) 13:38:01ID:FAdblp3Q
これはちょっといい話かな

【歴史/愛知】甚目寺観音の仁王像の中から福島正則の墨書発見
ttp://raicho.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1294141215/
0130人間七七四年2011/01/05(水) 16:10:44ID:r38ok/cY
>>129のリンク先で、01はどうのこうのカキコでコーヒー噴いてしまった…
0131人間七七四年2011/01/05(水) 16:44:06ID:4eMjUwDq

天正十年、本能寺の変を受けて関東の情勢も流動的になってくる。
特に上州では神流川合戦の直後、沼田城の真田氏が北条氏に仕掛けて撃退されると、
今まで真田氏に従っていた国人衆は一気に北条寄りか、日和見に傾いて行った。
>>http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-4987.html

表向きでは和睦を結んだり、北条に従うと言ってみたり、外交の駆け引きを続けて
いる真田昌幸ではあったが、徳川氏や佐竹氏の動きを睨みつつ、逆襲の機会を窺っ
ていた。
そして勿論、北条氏の側もそれを十分承知の上であった。


先の交戦から三ヶ月、今度は北条氏から攻撃を仕掛ける。
富永主膳、多目周防守等を大将として吾妻郡に侵入した北条軍約五千は、大戸真楽
斎&但馬守兄弟の守る手子丸城を落した。

手子丸城を落せば真田信幸の守る岩櫃城まですぐである。
「今すぐに進撃するべきだ」
「いや、一旦建て直し、手子丸の支配を万全にした方がいい」
そんなこんなで長引く軍議。北条軍のお約束だNE☆!
勿論、北条軍は五千、信幸率いる真田軍は八百。数が違う。信幸が取る策は篭城以
外にありえない、と言う余裕があったのだろう。


が、「東の目立たないお兄ちゃん」は「東のミスターパーフェクト」でもあった。
信幸は篭城では勝ち目がないと見るや、八百騎で手子丸城に攻め寄せてきたのであ
る。

まずは二百騎を裂いて城に攻め懸ける。北条軍が応戦に出てくると、すぐに川沿い
を下って退却。追撃にかかる約一千騎を城から引き剥がした。
そして百五十騎で城に攻撃を始めると同時に、裏手の寺に放火する。

寡兵の筈の真田軍が、あちらからも、こちらからも湧いて出てくる。
圧倒的多数の筈の北条軍に動揺が広まり始めた時、
「あ、あれこそが真田信幸!」
寄せ手の中に金の馬鎧をつけた武将を見つけた北条軍は、深く考えるゆとりもなく、
飛びついてしまう。


……ところがどっこい。
この金の馬鎧をつけた武将、唐澤玄蕃允と言う。ハッキリと言ってしまえば囮だ。
本物の信幸はどこに?
そう、主力中の主力、信幸直轄の兵三百と共に森の中に潜んでいた。
唐澤の姿しか見えていない富永&多目の主力部隊の、横腹からその精鋭部隊が伏兵
として襲い掛かる。
圧倒的多数の兵を持ちながら、散々に追い散らされた北条軍は、手子丸城に逃げ込
み、篭城を決め込む。
0132人間七七四年2011/01/05(水) 16:45:14ID:4eMjUwDq


この時点で味方が追い散らされ、自分達を城外に残したままで篭城を始めた事を知
った一千騎(先ほど深追いした連中)、城兵との合流や連携を諦め、厩橋城目指し
て退却を始める。
そしてまた、榛名山の方角に逃げていく味方の旗を見た城内では、我も我もと逃げ
出す兵が続出する有様であった。

この様子を見た信幸は、
「裏門から逃げて行く連中がいるな。よし、裏門を封鎖して落ち延びる連中を片端
から討ち取ってしまえ。後、敵は大手門の防衛ばかりに気を取られ、北の丸には誰
も居ないように見える。そこから侵入するのだ」

この命を受けた唐澤玄蕃允ら五十名は、岩伝いに北の丸に侵入すると、信幸の見た
通り、人っ子一人いない。
ちょうど腹が減った彼等は飯を食って腹ごしらえした後(大手門では只今絶賛戦闘
中)、周囲の建物に火を放ち始める。

富永&多目は城中から上がった火の手を見て、「裏切りだ」「国人衆が寝返った」
などと叫びながら逃げ延びて行った。
北の丸に侵入し五十人は、逃げ延びる敵に紛れ込み、それぞれが五人、三人と討ち
取る高名を挙げたという。
中でも一場茂右衛門は、城門の前で待ち構え、逃げてくる敵を一人で十七人も討ち
取る手柄を立て、信幸直属の馬廻りとして取り立てられたという。


思いの他「やる夫真田」を読んでる方が多いようなので、ご存知の話かも知れませ
んが、真田信幸のお兄ちゃん無双。もしくは鬼いちゃんモード発動。
本来なら、引っ張り出された一千騎でも、信幸の総勢より多いんですけどね。
首を斬るより、心を折っちゃったんですかね。

一応、出典は「やる夫」じゃなくて「加沢平左衛門覚書」です。
0133人間七七四年2011/01/05(水) 17:32:58ID:h2bLm+vj
こういうの見てると信幸兄さんに憧れちゃうな
0134人間七七四年2011/01/05(水) 17:54:58ID:Sj2FWFQg
::::::::        ┌─────────────── ┐
::::::::        | 信之がやってくれたようだな…   │
:::::   ┌───└───────────v───┬┘
:::::   |フフフ…奴は真田一族の中でも最弱 …   │
┌──└────────v──┬───────┘
| 小松姫ごときに尻に敷かれる │
| ようでは真田の面汚しよ…   │
└────v─────────┘
  |ミ,  /  `ヽ /!    ,.──、
  |彡/二Oニニ|ノ    /三三三!,       |!
  `,' \、、_,|/-ャ    ト `=j r=レ     /ミ !彡      ●
T 爪| / / ̄|/´__,ャ  |`三三‐/     |`=、|,='|    _(_
/人 ヽ ミ='/|`:::::::/イ__ ト`ー く__,-,  、 _!_ /   ( ゚ω゚ )
/  `ー─'" |_,.イ、 | |/、   Y  /| | | j / ミ`┴'彡\ '    `
     幸隆        昌幸       信繁     大助
0135人間七七四年2011/01/05(水) 18:00:08ID:v7LYiDk/
信繁の講談に隠れて目立たないけど、流石は真田家の嫡男だわ
0136人間七七四年2011/01/05(水) 18:23:17ID:gwaZ52X/
>それぞれが五人、三人と討ち取る高名を挙げたという。
>中でも一場茂右衛門は、城門の前で待ち構え、逃げてくる敵を一人で十七人も討ち取る手柄を立て

なんというボーナスステージw
0137人間七七四年2011/01/05(水) 19:31:39ID:FDGTaPWU
平八郎さんが入れ込むのも分かる気がする
0138人間七七四年2011/01/05(水) 19:51:11ID:7UfslUNG
六文銭って人間をバーサーカー化させる呪いでもかかってるんじゃねーの?

六文銭着用前
    /\___/\
   /''''''     ''''''::\
   |(へ),    、(へ)、.|  
   |   ,,ノ(、_, )ヽ、,, .:|  <もしも〜私が〜城を〜建てたな〜ら〜
   |   `-=ニ=- '  .:::::|
   \  `ニニ´  ._/
   (`ー‐--‐‐―/  ).|´
    |       |  ヽ|
    ゝ ノ     ヽ  ノ

              ↓
六文銭着用後
     /\___/ヽ
    /ノヽ       ヽ、
    / ⌒''ヽ,,,)ii(,,,r'''''' :::ヘ
    | ン(○),ン <、(○)<::|  |`ヽ、
    |  `⌒,,ノ(、_, )ヽ⌒´ ::l  |::::ヽl
.   ヽ ヽ il´トェェェイ`li r ;/  .|:::::i |
   /ヽ  !l |,r-r-| l!   /ヽ  |:::::l |  <サツガイせよ!サツガイせよ!
  /  |^|ヽ、 `ニニ´一/|^|`,r-|:「 ̄
  /   | .|           | .| ,U(ニ 、)ヽ
 /    | .|           | .|人(_(ニ、ノノ
0139人間七七四年2011/01/05(水) 20:45:25ID:PEfG71Ru
よりにもよって本能寺の変の時に京にいた2人の話

本能寺の変から3日経った頃、東福寺霊源院の裏手にある山から1人の男が降りてきて、長老にこう頼んだ。
「我々は本能寺の変で山に隠れた者ですが、三日何も食べておらず餓死寸前です。どうかお慈悲をもって食事を頂けませんでしょうか」
これを聞いた長老が快く食事を差し出すと、その男は自分の分を平らげた後、残りを手ぬぐいに包んで山に持って帰っていった。

その日の夕刻、今度は先程の1人に加えて4人が降りてきて、同様の説明をし匿って欲しいと恭順の証か5人とも刀と脇差を手拭いで括い、差し出した。
長老は5人を院の天井に隠して寺の他の連中にも知らせないようにしていた。
その後、彼らが東国に帰ってしばらくすると刈谷城主水野忠重の使者が来て、先頃は長老のお陰で急難を免れ恩儀は付きませぬと言った。
そうあの5人は水野忠重とその家臣だったのである。
その後、霊源院は水野家の菩提寺となり寺領50石を与えられたそうである。


そしてもう一人、京にいた男がいた。
その名は鳥居元忠、彼は家康と共に上洛していたのだが堺へ行く前に瘧を患い京の旅館に投宿をしていたのである。
本能寺の変を聞いたとき元忠は狂乱した。
自身が危うい事にではない、家康の側にいないことにである。
京では様々な噂が飛び交い家康の安否は全くの不明、ここに至り元忠は決心した。
「此の様な状況下では家康様も逃れられまい。自分は病に倒れ、主君側に居れぬは何とも悔しい。この期に及んでは死んで冥土のお供をせん」
…何と言うか流石に幼少よりの仲というか言うことがクリソツである。

しかし老臣の高須信次がこう言って押しとどめた。
「家康様は並の大将ではございません。それに切腹するのは家康様の是非が解るまで抑えるべきです。短慮はいけません」
その説得に元忠も切腹を思いとどまり、潜伏することになったが問題はその場所である。
これも高須が長年祈願をしていた愛宕山の長床坊を提案し、これが容れられた。
しかし、長年のよしみとは言え何があるか解らない。そこで高須のみを馬上とし、元忠含めた彼らは下郎の格好をして元忠の家臣として長床坊へと向かった。

結果として長床坊の者達は快く迎えてくれたので、元忠も直ぐに身分を明かしてそこで身を潜めていた。
その間、長床坊の者たちが堺などで情報収集をするさなか、家康が三河に生還したという飛脚が届き、元忠も急ぎ三河へと戻った。
戻った元忠を家康は大いに喜び、また元忠も高須に大いに感謝して彼に何時も佩用している刀を与えたそうである。


どっちもいい話なんだが、やっぱり京にはセーフハウス的なモノが必要なんだなと思ったり。
0140人間七七四年2011/01/05(水) 21:44:00ID:TlENGPMs
もしこの時元忠さんが死んじゃってたら…
0141人間七七四年2011/01/05(水) 22:37:16ID:2aaph1/H
>>140
伏見は作左かな?
0142人間七七四年2011/01/05(水) 22:50:54ID:H2lH6u2r
関ヶ原の前に作左は死んでるじゃないかな?
家康さんらより一世代上のイメージあるけど〜
0143人間七七四年2011/01/05(水) 23:04:55ID:7UfslUNG
京都は普通に一見さんお断りだしな普段から付き合いをよくしとかないと
「〜どうかお慈悲をもって食事を頂けませんでしょうか」
これを聞いた長老が快くぶぶ漬けを差し出すと〜ということになる
0144人間七七四年2011/01/05(水) 23:52:19ID:UwLpa3H8
平岩さんじゃないの
0145人間七七四年2011/01/06(木) 07:18:07ID:QYeMgOvr
>>144
親吉は駿府人質時代からの
同い年の親友だから、
家康が出さないんじゃ無いかな?
0146人間七七四年2011/01/06(木) 08:07:55ID:2fFFgccM
>>145
元忠のことは実は疎ましく思ってたんかい・・・最近出てきた、三成挙兵が寝耳に水で、伏見城が戦場になるなんて家康は思っていなかった説か
最初っから三成は挙兵すると思っていたかで、伏見城に残す意味合いがまったく変わっちゃうだろうしね

前者なら松平康元、後者なら大久保彦左衛門で・・・
0147人間七七四年2011/01/06(木) 08:57:31ID:LloT+Aod
>>146
彦左衛門ってそこで名が出るほどの大身ではないんじゃ。
0148人間七七四年2011/01/06(木) 13:15:13ID:8mb9beZL
もういい年だからこれで楽隠居させるつもりだったとかじゃね?
0149人間七七四年2011/01/06(木) 15:41:13ID:Eyqnb04f
伏見の切腹者って、何で放置されたの?
0150人間七七四年2011/01/06(木) 20:16:33ID:d9Gr09Yv
織田信長が近江、金ヶ森城を攻めた時のこと

城攻めの前夜、前田利家の家臣、村井又兵衛長頼が軍営地の小屋で寝ていると、その夢に山伏が出てきて、
又兵衛に語りかけた

『時もよし!絶対に左の道を行くのだぞ!』

又兵衛、驚き目を覚ますと

「さてはわしが日頃から愛宕山を信仰している故に、このようなお告げを頂いたのだな!」
と愛宕権現に感謝し水垢離を行い、すぐに具足を付け大喜びで主君前田利家の陣所へと駆けつけた

「又左衛門(利家)様ー!合戦の準備できましたよー!」

「何刻だと思っているんだバカヤロウ!」
出てきたのは寝入ったところを起こされ不機嫌この上ない前田利家。

「まだ一番鶏すら鳴いていないじゃないか!もう少しあとになってから来い!」
「ちぇ〜」

村井又兵衛、仕方なく小屋に帰り二度寝をはじめると、その夢にもまた山伏が出てきて
『良いな、左だぞ。左に付くのだぞ』
と語りかけた。愛宕権現、なかなかしつこい。

さて、夜明け前信長の本陣より一番貝が轟いた!合戦の始まりである!
織田軍の先陣は一斉に金ヶ森城に押し寄せた!その中に当然村井又兵衛も居る。
彼らが城下にたどり着くと道が左右に分かれていた。織田軍はみな右の道へと進んだ。又兵衛も
皆と一緒に進んだが途中で「いやいや、愛宕山のお告げがあったではないか!それに従うのだ!」
と、分かれ道のところまで取って返し左の道を進むと、空堀と柴折垣で防御されている場所に出た。

と、その柴折垣の側に、誰とも知れぬ4,5人の男達がいる。又兵衛が

「そこにいるお前たちは敵か、味方か!?」と問いかけるとその中の一人
「ここに居るのは柴田修理(勝家)の甥、佐久間玄蕃(盛政)という者だ!」

「わたしは前田又左衛門(利家)の家来、村井又兵衛です!」

「又左殿の家来か。前からその名を承ってはいたが、この合戦場で初めてお会いできるとは実に喜ばしい。
夜が明ければ共にこの柴折垣を切り、ここから侵入しようではないか。」

そうしているうちに後から、後備の味方も駆けつけてきた。そこで又兵衛は玄蕃と声を掛け合いながら
柴折垣を斬り倒し、両人共に即座に敵の首を取った。

さて、このとき前田利家は、信長の居る本陣にいた。

又兵衛が利家に首を見せるとその姿が信長の目に止まり

「兼ね兼ねからの事だが又兵衛、手柄を立ておったな!」
と、陣所に置いてあった吊し柿を手ずから又兵衛に下し、また「並々ならぬ働きの験だ」と
南蛮からの献上物も又兵衛に与えたそうだ。


ところで同時に首をとった佐久間玄蕃。

彼は信長の本陣から離れた場所にいた、柴田勝家に首を見せに行っていたため、その首を
信長のお目にかけたのはかなり遅くになってからだったという。


村井又兵衛長頼、夢のお告げで手柄を立てる、と言うお話。
0151人間七七四年2011/01/06(木) 23:37:14ID:iq9DhIn8
何年か前に地元紙に載ってた話。うろ覚えなので色々おかしいかもです。

時は天文の頃。尾張の国に初陣を迎えようとしている若武者がいた。
戦支度で忙しい中、城主の息子である若武者の姿が見当たらない。
はてどこへ行ったかと家中の者が探したところ、城の裏手で見つかった。
初々しい具足姿で泥だらけの両手を合わせ、一心に何かを祈っている様子だった。

「若、何をしておられるのです」
「ああお前か。すまぬな、すぐ行く」

若武者はその場を離れ、声をかけた家中の者と連れ立った。
その者は不思議に思い若武者のいた場所を振り返って見たが、
それこそ木立ちがあるばかりだ。

「何をあのように祈っておられたのです?」
「いや、大したことではない。気にするな」

このとき若武者は、城の裏手に一本の松を植えた。そして次の歌を詠んだ。

 『初陣に松一本を手植えして死なば墓場のしるしとやせん』

残念ながら、この戦については資料が残っていない。
相手は誰だったのか、規模はどのくらいだったのか、勝算は高かったのか低かったのか。
それらは推測するしかないが、彼の根城はそれほど大きなものではなく、
あるいは城を枕に討ち死にすることを考えていたのだろうか。

結果的に彼はこの戦では死なず、その後も幾度もの戦を潜り抜け手柄を上げ、
長じては天下布武を掲げる男の下、織田家の筆頭家老にまでなった。
主君を失った後、かつての同僚に敗れ越前は北ノ庄城で自害、その生涯を終えた。

松を植えた故郷から遠く離れてはいるが、やはり自らの居城が墓場となったのである。
彼の戦に臨む覚悟は、その初陣の頃から変わらなかった、と言えるかもしれない。


柴田権六勝家の生誕地、明徳寺に伝わる逸話でした。
0152人間七七四年2011/01/08(土) 00:53:28ID:1dFQn9tB
そういえば権六と市松と小六て何かキャラかぶってね?
0153人間七七四年2011/01/08(土) 00:54:57ID:A00qfwHb
別に
0154人間七七四年2011/01/08(土) 03:53:27ID:vmGhrQlv

天正十年六月、
>>http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-4987.html

天正十年九月、
>>http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-5016.html

天正十年十月、
>>http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-5019.html

まで書いたんだから、最後まで書かなきゃ落ち着かない。
と言う事で天正十年真田vs北条の最終章。


阿曽、鎌田の両城を落とし、後は片品川を渡ればそこは沼田城、という所まで漕ぎ
着けた北条軍。
真田軍に立て直す暇も与えずに五千の兵が進軍を始めたのは十月二十八日。

沼田からも千三百の兵を出したというから、まさしく総力戦であろう戦いが沼田城
外、田北原にて行われる。
が、この戦いは互いに兵力をすり減らすだけの消耗戦となってしまう。
敵兵二百を討ち取ったとは言え、味方も百五十が討たれたという報告を聞くと、矢
沢頼綱はあっさりと引き上げの下知を下す。

全軍が沼田城に籠もり、堅く守って敵を寄せ付けない。
三日三晩、攻めに攻め続けても尚、崩れる気配さえ見えない沼田城に、北条軍は一
旦阿曾城まで退いて建て直しと兵の休息を図る。

しかし、阿曾城は元々、沼田城から片品川を挟んだ対岸の河岸段丘上に築かれた城。
沼田を攻める為に渡河を試みる敵軍を背後から牽制する為の城なのだ。
当然、大軍を収容する為の設備などあろう筈もない。
五千の北条軍の殆どは阿曾城と片品川に挟まれた丘陵地帯に野営せざるを得なかっ
た。


「さて、頃は良し……と言った所か」
北条軍が包囲を解いたその晩、真田家随一の猛将が動き始める。
「皆、三日三晩も城に引き篭もって、さぞや退屈しただろう。今夜は思う存分暴れ
るがいい!」
頼綱自らが大将として、塚本肥前守、金子美濃守、渡辺左近丞と言った沼田の主力
メンバー計七百騎が、揃いの装束に身を包んで秘かに出撃する。


阿曽城外……この三日、夜通しで戦い続け、体力気力共に使い果たした兵士達が、
ぐっすりと眠りこけている。
当然見張りも立ててはいるが、兵力差による慢心と、野営続きによる疲労が彼等の
集中力を削いでいた。

「うむ、この分なら勝利は動かんな。……総勢、かかれぇいっ!!」
ドンッ!ドンッ!ドン……ッ!
真夜中の片品川に響く太鼓の音。
それを契機に一気に北条軍へと雪崩れかかる真田軍。
山国の晩秋の寒さの中、野営と戦闘による疲労に蝕まれた北条軍兵士達の反応は鈍
い。
彼方此方であるいは真田兵に討たれ、あるいは同士討ちを始め、あるいは片品川に
落ちて流されるという混乱状態に陥る。
0155人間七七四年2011/01/08(土) 03:55:22ID:vmGhrQlv

が、数に劣る真田軍は深追いはしなかった。
「落ち着け! 敵は少数だ! 備えを立て直して包み込めば簡単に殲滅出来る!!」
将官クラスの名のある者共は流石に反応も早い。
完全武装の姿を兵士に見せ、当たり前ではあるが簡潔で的確な指示を飛ばすと、徐
々に兵士達の動揺も収まってくる。
しかしその時には既に、真田の夜襲部隊は戦場を離脱し、闇の中に消えていた。

「ぬぅ、逃げられたか。……いや、待て!あそこだ!沼須方面に夜襲の軍が逃げて
行くのが見えるぞ!」
引き上げの時にはもう、姿を隠す必要はないという事だろうか、松明を掲げて退却
する兵士の一団を発見したのは猪俣能登守。
「追え!今からならまだ追いつける!奴等を殲滅して沼田城の連中に見せつけてや
るのだ!」


「釣れたのは猪か」
「懲りるって事を知らないんでしょうかねぇ」
「金子、猪俣も貴様に言われたくはないだろうよ」
闇の中に消えた真田軍の陣中、矢沢頼綱と金子美濃守がほくそ笑む。
そう、皆さんご想像の通り、松明を掲げた一団、これは矢沢頼綱の計略であった。
金子美濃守の手勢から五十人を裂いて、わざと明かりを灯して北条軍の目の前に姿
を見せたのである。

「皆、判っているな。合言葉は『天』『気』だ。揃いの服を着て、合言葉を口にす
る者は斬るな。合言葉を知らん奴は服が揃いだろうと斬り捨てて良し! ……かか
れぇっ!!」

逃げて行く真田軍と思しき一団を追跡して突出した猪俣勢。
その腹背に喰らい付いたのは沼田城の中でも精鋭中の精鋭、矢沢頼綱率いる五百の
兵であった。
先の夜襲には素早く対応し、すぐさま立て直した猪俣も、二度目の奇襲には狼狽え
るばかり。あっと言う間に散り散りになって逃げて行ったという。

しかし……
「こっちにも居るぞ!」
「私もちょっとは働かないとね!」
逃げ惑う猪俣勢の逃げ道には、更に渡辺左近丞&金子美濃守の手勢が立ち塞がる。
こうなれば最早殲滅戦である。
矢沢勢によって二百、渡辺&金子勢によって百人を討たれた猪俣は、身一つで命か
らがら逃げ延びて行ったという。


この夜の真田軍の死者は僅かに十人。負傷者が五十人という大勝利であった。
北条軍は猪俣勢の死者のみでも三百。ましてや猪俣は数日前にも三百を討たれる大
敗北を喫している。
二千居た猪俣勢の内、六百がこの沼田で命を落したのである。
北条氏邦にとっても、自分の目の前で副将格の猪俣の惨憺たる有様を見せつけられ
たのは大きかったのかも知れない。
十月二十九日には信州で徳川家と和睦を結び、天正壬午の乱も終結している。
ここが引き際と、氏邦は遂に沼田を諦めて北条全軍を厩橋城に撤退させたのである。
これ以降、北条氏は武力ではなく、徳川家を相手取っての政治交渉で沼田を落そう
と方針を転換させる事になる。


二千の内六百を討ち取られるって、それ壊滅ですよね?(^^;
そりゃ猪俣さん、沼田に拘るだろうし、真田を恨むよね。
つか、金子さんが働いてる!?
0156人間七七四年2011/01/08(土) 07:42:53ID:Jkxdo6Gr
えーと、金子美濃守って実は二人いた・・・んでしたっけ?w
0157人間七七四年2011/01/08(土) 07:43:28ID:QrYkurgm
>>152
戦国DQN候補でありながら、ヘタレてしまう市松さんと権六・小六を並べるとは無礼な…
そこに直れ!成敗してくれる
0158人間七七四年2011/01/08(土) 14:42:18ID:Vesf48T6
〜金子美濃守〜と言った沼田の主力メンバー云々…

ダウト!
0159人間七七四年2011/01/08(土) 16:34:03ID:1keFmAl2
ある時、黒田官兵衛は手塚という男に下屋敷普請の奉行に命じた。
この手塚という男、心根は正直で真面目なのだが、ある欠点があり中々出世に恵まれなかった。
それを知っていた官兵衛が、不憫に思い大事の奉行に起用したのである。

そんなある日、広間で官兵衛が近臣と碁を打っていると手塚がやってきた。何事か言うつもりが、
「……ぁ…………」
実は手塚は生まれつき「どもり」で、しかも極度のあがり症であった。
その為初手から殆ど声が出ず、顔を赤らめあたふたするばかり。
そんな様を見ていた小姓や近臣はなにがなにやらと首をかしげていると、碁盤を見ていた官兵衛が振り向きもせず
「材木が足りないなら、金に糸目はつけない。必要なだけ買うがいい」
すると、手塚は安心した様子で一礼をし、広間を去っていった。

周りの者に今のやり取りの事を問われた官兵衛が答えるに、
普請用の材木が足りないので、材木屋で買おうか山から伐らせるかを尋ねに来たのだそうだ。
それに対しての答えが「いくらでも買え」だとの事。

なぜ言いたいことが分かったのか?なぜああいう不便な者をお使いになる?と近臣が問うと、
「根気良く付き合っていたら、言いたい事、やりたい事は大体解るようになった。
確かに聞き取りにくいかもしれんが、仕事は長年真面目に務めてくれている。
だったら言いたい事を理解するよう努めるのは、上に居るわしの領分さ」
碁の相手は感嘆せざるをえなかったと言う。
0160人間七七四年2011/01/08(土) 16:38:52ID:FUWVX7Fy
何と言う理想の上司
0161人間七七四年2011/01/08(土) 17:57:07ID:yWVtF2tQ
凄すぎるw そらラスボスにも警戒されるわw
0162人間七七四年2011/01/08(土) 18:03:41ID:kXH96JVa
又兵衛「主君とはこうあるべき」

長政「いや無理、無理」
0163人間七七四年2011/01/08(土) 18:49:39ID:Vesf48T6
人使いのうまさは信玄にも伍するな…
0164人間七七四年2011/01/08(土) 18:55:55ID:A00qfwHb
信玄は嫌いな部下でも適材適所で使い
官兵衛は部下のよい所を見て愛してる感じ。
0165人間七七四年2011/01/08(土) 20:11:29ID:kZtwCh+2
官兵衛は凄すぎるw
この人心収攬術は絶頂期のころの秀吉のそばにいて学んだのかな
生来のたまものだとしたらまさに天才
0166人間七七四年2011/01/08(土) 22:35:29ID:WEKcnV6a
普通に人を大事にする組織なだけじゃないの?
0167人間七七四年2011/01/08(土) 22:44:13ID:ToPlwLO2
というか官兵衛さんは有岡城に1年間幽閉されたとき、寝返り説、死亡説も流れる中
家臣団が結束して黒田家を支え続けたので、家臣団に対して恩があるからな。
0168人間七七四年2011/01/08(土) 22:51:52ID:gMzS+4Sq
大岡忠光じゃあるまいし相手が

「あぅ、あぅ」しか言わないのに理解出来るとかないわwww
0169人間七七四年2011/01/08(土) 23:06:40ID:RrZkjW6b
実際には材木の在庫を把握してて、その内聞きに来るだろうと予想してたんじゃないの?
0170人間七七四年2011/01/08(土) 23:13:47ID:50AfToIE
父ちゃん健在だし家督継げる年齢の弟たち居るし
ありゃ帰ってきちゃったの?だったら嫌だなw
0171人間七七四年2011/01/08(土) 23:21:04ID:ianFumFU
予測出来る程に、きっちり計画立ててその通りに物事を進められる人材だったんやね
予想外のトラブルを持ち込まない。なら、普請仕事は天職じゃないか
0172人間七七四年2011/01/08(土) 23:48:08ID:GtrGXPIJ
>>165
例えば小一郎。
秀吉の異父弟だから下層の出なんだろうけど、他の戦国大名と伍して、
文武共に遜色無くこなしているよね。
加藤清正なんかの賤ヶ岳の七本槍だって、碌な出自じゃないし・・・
秀吉の周りってそう言うの多いyんだよね。
0173人間七七四年2011/01/09(日) 03:56:37ID:w1h1wjF6
>>154
全部網羅してるやる夫真田って、相当好き者が書いてるんだな・・・
真田系の逸話は悉く「やる夫で見た」になってるw
0174人間七七四年2011/01/09(日) 17:42:34ID:cbJPsRPN
おまいらNHK系のBShiで、18時から江やるの知ってる?

スレまで建てたのに盛上らないんだが、、、
0175人間七七四年2011/01/09(日) 17:55:37ID:+ThPPn5R
女性が主人公の大河ドラマに興味はないなあ、最近の大河って女性視聴者向けだしね
0176人間七七四年2011/01/09(日) 18:51:52ID:HQ81Hmqe
大人気の鬼武蔵は、弟を殺した人間を配下にしたり、
弟たちの葬儀の日に敵さんを攻めたりしてるけど、
弟(蘭坊力)たちと仲悪かったわけではないよね?

何か兄弟との温かいエピソードあったら教えていただきたい。
鬼武蔵のいい話もあんまり知らんし。
0177人間七七四年2011/01/09(日) 19:00:44ID:gxYtjNoa
「心のやさしい鬼の城です。どなたでもおいでください。おいしいお菓子がございます。名物茶器もございます。」
0178人間七七四年2011/01/09(日) 19:09:12ID:e8yZnfeh
>>174
見はするけど期待は全くしていない
0179人間七七四年2011/01/09(日) 19:13:44ID:+dI9g+dx
>>176
鬼武蔵は賤ヶ岳の前、岐阜城に人質に入っていた弟の忠政を、自身で岐阜城に潜入して助けだした。
その時忠政を布団でぐるぐる巻きにして高石垣の上からたたき落とした。

布団にくるまわせたあたりが鬼武蔵の優しさ。
0180人間七七四年2011/01/09(日) 19:21:49ID:iFb/aUaS
>>179
なんという荒々しい救出劇w
高石垣の上から叩き落される衝撃に耐えるには布団一枚では足りないだろうな
何枚かぶ厚く巻いたのだろうが、窒息の危険もあっただろうに…w
0181人間七七四年2011/01/09(日) 19:28:14ID:e8yZnfeh
殺そうとしてるだろ、それw
0182人間七七四年2011/01/09(日) 19:59:55ID:a81FPY1A
それがトラウマで性格が・・・
0183人間七七四年2011/01/09(日) 20:17:27ID:j7cUEDWr
「俺が死んでも忠政を跡継ぎにするな」もやさしさです。
0184人間七七四年2011/01/09(日) 21:55:40ID:jJ4xZMNM
>>183
ほかの逸話はともかく、このくだりだけは案外本当かもしれんね。自分の娘にしても、
武家にではなくて、医者あたりがいいんじゃないか、と言っているし。

0185人間七七四年2011/01/09(日) 22:00:37ID:f+qXzV9m
忠政の器量は取るに足らないからやめとけと純粋に森家を心配してたと思ってた。
0186人間七七四年2011/01/09(日) 22:05:06ID:+dI9g+dx
文禄の役、

文禄2年(1593)1月、李如松率いる明軍4万3千余が小西行長の守る平壌に進攻。
行長はこの攻勢に耐え切れず平壌の蜂起を決断、軍勢をまとめ夜半密かに城を出、後方の
漢城へと向かった、

さて、平壌から漢城の間には黒田長政、小早川隆景・秀包親子らによって繋ぎの城が構築されていた。
小西行長は撤退の際、彼らにも共に漢城まで引くように誘った。だが黒田長政、小早川秀包らは

「敵の旗色を見ることもなく城を開けて退くなど、後に恥辱を受けること逃れがたい行為である!
小西殿は自ら戦ったのだから、早く漢城に退いて士卒を休息されるといいだろう。
我々は自分の城を引き払い、筑前宰相殿(小早川隆景)の城に軍勢を集結させ、漢城から反撃の軍勢が
出てくるのを待って先手をつかまつり、大明の人々との戦いを決する!」

これを聞いた行長は
「この上は是非に及ばず」

と、彼らを置いて漢城へと撤退した。

小早川、黒田勢撤退せず。漢城で行長からのこの報告に驚いたのは、秀吉より派遣された三奉行、
石田三成、増田長盛、そして大谷吉継である。
彼らはすぐに小早川隆景のところに使者を遣わし、

『急いで城から引き上げ、漢城へ入ってください!』

と伝えた。ところが小早川隆景、これを聞くと

「この度の戦、この朝鮮に渡海した最初から、日本に帰国することなど無いと覚悟していた。
私もこのように歳を取り、死んでも惜しくはない身であれば、大明の人々と向かい合い、
一戦して討ち死にすることも、老後の良い思い出となるであろう。

私一人が討ち死にしたからと言って、味方の弱みになるわけでもない。ここを開城して引き上げるなど、
断じて無い!」

そう言い切って使者を返した。
この返事に三奉行は慌てふためいた。

「防衛戦となる大河(漢江か?)を越えた場所で敵の大軍と戦うなど上策ではない!
そのうえここは外国であり、人々の心も計りがたい。
だからといって小早川殿を打ち捨てることなど、出来るわけもない!
一体どうすればいいのか!?」

石田三成と増田長盛は必死に相談し合ったが、どうしても結論が出ない。その時、
それまで押し黙っていた大谷吉継が立ち上がり、言う

「私が直接小早川殿の所へ罷り向かって異見を申し上げ、小早川勢を引き上げさせる!」

言い捨てると三成、長盛の返事も聞かず座を立ち、すぐさま隆景のもとに向かった。
そして隆景に対面し、理を尽くして撤退が最善策であることを説明。これに隆景もその理に服し、
吉継と連れ立って漢城へと退却した。


大谷吉継、小早川隆景を説得す。と言うお話
0187人間七七四年2011/01/10(月) 00:51:23ID:QHfsguYg
>>159
感動した
0188人間七七四年2011/01/10(月) 00:56:27ID:QHfsguYg
>>174
とうの昔に知っているぞ、勿論みた どこに建てたんだよ
0189人間七七四年2011/01/10(月) 01:34:07ID:AIiitz31
>>186
「この度の戦、この朝鮮に渡海した最初から、日本に帰国することなど無いと覚悟していた。
私もこのように歳を取り、死んでも惜しくはない身であれば、大明の人々と向かい合い、
一戦して討ち死にすることも、老後の良い思い出となるであろう。

「討ち死にする」ことが「老後の思い出」になる、って辻褄が合わなくね?
あと、これ多分既出だよ。小早川隆景の方にまとめられてるはず。
0190人間七七四年2011/01/10(月) 01:38:00ID:3dAYOV2j
>>185
忠政は森家基準だと異質だな
時代にはマッチしたが
0191人間七七四年2011/01/10(月) 12:43:30ID:kHqp8P8V
>>170
それだけならまだしも奥さんが弟に再嫁して身籠ってた日にゃ・・・
0192人間七七四年2011/01/10(月) 19:30:29ID:DX0dILY/
>>189
自分のじゃなくて他人の老後なんじゃね。
皆が語り伝えてくれるんじゃないか的な。
0193人間七七四年2011/01/10(月) 21:22:44ID:gHbCxNl3
戦国乱世の時代もはるかに過ぎ、人々が元禄の泰平を謳歌していたころ。花のお江戸を遠く離れた薩摩でも、
若者たちが酒を酌み交わし、料理に舌鼓を打ち、大言壮語を楽しんでいた。

「いやぁその昔、高麗での戦の折、わしらのご先祖は、唐人を造作もなく切り伏せたそうな。首を取るにも、
河原で石を拾うより易かったというぞ。」
「本当か!わしもそのような時代に生まれて、存分に出世したかったのう!」

「・・・わしが子供のころ、昌厳どの(山田有栄)に聞いた話と、だいぶ違うの。」
剣客・歌人として知られる、柏原市右衛門(幽静)がつぶやいた。

「わしが同じような事を聞いたところ、昌厳どのは『誰からそんな臆病な事を聞いたのじゃ!?』と激怒し、
ご自身の体験を語って下さった・・・

================================================

泗川城下の海に、波がきらめき潮騒が轟いていた。

薩摩の人々が日ごろ慣れ親しんだ、鹿児島湾や日向灘のような海ではない。
何万という明軍の、見たこともない圧倒的な人の海に、刀槍の波がきらめき、怒号の潮騒が轟いているのだ。

二十歳を過ぎたばかりの山田有栄も、この光景を目にして青ざめるしかなかった。同僚には泡を吹く者までいる。
「も、もうだめじゃ。このまま波に飲まれ、砕け散るしかないのか・・・」



不意に、頬に痛みと熱を感じ、我に返った。目の前に呆れた顔をした島津忠恒が、馬の鞭を握り締めていた。
「 出 陣 。 」若武者どもを鞭で打ち、正気に返した忠恒は、静かに告げた。

「頃は良し!敵の「気」は衰えた、今こそ出るぞ!!」
『その時』を告げる島津義弘の檄に、ようやく気力を取り戻した薩摩隼人たちは、城を飛び出した。

================================================

・・・『嘘偽りを申し、まことの己を隠すのは、臆病者のする事ぞ。』 昌厳どのは、そう仰せになった。」

市右衛門の話を聞いた若者たちは感じ入り、以後軽々しい話をする事が無くなった。
0194人間七七四年2011/01/10(月) 21:49:54ID:BIr3m6dv
戦う前「も、もうだめじゃ」

戦ってみたら「まるでゴミのようだ」

って事だろ。
0195人間七七四年2011/01/10(月) 22:14:39ID:Gsg+2emo
そんな>>193の若者たちそのものな事を言わなくても…
0196人間七七四年2011/01/10(月) 22:47:22ID:QHfsguYg
>>194
そうなのか?
0197人間七七四年2011/01/11(火) 12:58:19ID:aHs1UwMd

>>173
やる夫真田で紹介されてないエピだな!? 承知した!!
二話連投でいくよ〜〜〜。


天正十二年正月、北条氏配下の白井長尾氏では、真田家に対しての夜襲を計画して
いた。
徳川家と和睦を結んで一年余り。沼田開城が和睦条件の一つだったにも係わらず、
未だに沼田城を明け渡そうとしない真田家に対する示威行動が目的だと思われる。

が、元々この攻撃の立案者は長尾家でも北条家でもなかった。
天正十年の戦争の際、真田家から寝返った上州国人衆、林太郎左衛門、吉野太郎右
衛門、井上金太夫の三人である。


三人曰く、
「沼田近くの戸鹿野郷には金持ちが多い。ここを夜討ちして、たんまりと金を頂こ
うじゃないか」
「戸鹿野は勇者と名高い高橋右馬允の領地だし、奴等に赤っ恥をかかせてやれるぜ」
との事で、家中の侍達を口説いて回った。

元々はこのように、家中の末端から出た、押し込み強盗のような計画だったのだが、
最終的に集まったのは実に百三十人と言うから、この時点では白井長尾氏を挙げて
の計画になっていたようである。


元真田家中で地理に詳しい三人を案内人として、百三十人の強盗団は闇に紛れて戸
鹿野郷に潜入する。
……彼等の渡った後、秘かに川にかかる橋を外してしまう人影の存在も知らずに。

0198人間七七四年2011/01/11(火) 12:59:12ID:aHs1UwMd


ひっそりと静まり返る戸鹿野郷。
流石に静か過ぎやしないかと不審に思う者が出始めた頃、建物の陰、木々の陰から
わらわらと現れる真田兵。
「待ち伏せ!?」
「計画が漏れていただと!?」
「見ろ!橋も外されているぞ!!」
混乱する白井勢百三十人……いや、百三十人の中でたった三人だけは平然とした顔
をしている。

「いや、漏れたって言うか、元々お前等を殺す為に計画した事だし」
「俺達、真田家に帰参する事にしたんだ。手土産になってくれない?」
「あ、村の外には高橋殿だけじゃなくて金子殿の手勢も控えてるから、逃げ道はな
いよ?」
そう言うのはこの計画の発起人、林、吉野、井上の三人であった。


そう、真田vs北条の戦いで、真田家に未来はないと見て、家名存続の為に北条家
に身を投じた三人であったが、真田家はこの難局を潜り抜けた。
こうなると真田家に帰参したいが、ただ帰りたいと言っても許してもらえないだろ
う。
沼田国人衆の中心人物である高橋右馬允、金子美濃守に秘かに相談したのである。

二人は真田昌幸に三名が帰参したがっている事、手土産の手柄を立てる為に計略を
考えている事を報告。
昌幸から「金子、高橋と相談して良い様に計らえ」との許可を貰う。
高橋右馬允は予め戸鹿野郷に帰って、迎撃の準備を整えていたのである。


周到に準備された迎撃によって、あっと言う間に強盗団は壊滅。
橋を外された川を渡りきった、水練の達人が数人逃げ切ったのみで、残る百二十人
余りは全て討ち取られたのだという。


真冬の夜中に、群馬の山あいで水泳なんて、そりゃ死ぬわ。討たれた方が楽に死ね
るかも知れんぞ。(^^;
ちなみにこの功で三人は真田家帰参を認められ、高橋さんは加増されたという事で
す。……え?金子さん?さて、どなたでしたかな?

0199人間七七四年2011/01/11(火) 13:03:11ID:aHs1UwMd


徳川家と真田家が戦った第一次上田合戦の際の話。
真田家の家臣に深井某という者がいた。
この深井某、一日に三度手柄を立て、その全ての手柄に感状を賜ったという程の武
勇の主として知られていた。


真田軍の仕掛けるゲリラ戦によって徳川軍が総崩れになった時の事。

「待てぇ〜〜いっ!」
逃げて行く敵の中に、立派な身なりの武士を見つけた深井、「良き敵を見つけた」
とばかりに追いすがる。
「待て待てぇ〜〜〜〜!!」
総崩れの徳川軍の中、一人踏み止まって戦う馬鹿などそうそう居ない。勿論逃げる。
追う深井。
逃げる、追う。逃げる、追う。どこまで逃げても、どこまでも追う。

しかし、遂には追いつき、深井はまた一つ、兜首を討ち取る事に成功した。
「まったく往生際の悪い奴だぜ、一体どこまで逃げるんだか。なぁ、皆もそう思わ
んか?」
深井は周囲にいる筈の味方を見回し、苦笑を浮かべて言った。

が、何か様子がおかしい。
「いやぁ、俺等としては、お前がどこまで追いかけてくるのか、そっちの方が気に
なるなぁ」


右を見る。左を見る。も一度右。
敵。敵。……やっぱり敵。

後ろを見る……川。

「あ、あれ……? ここ……どこ?」
「敵陣」

0200人間七七四年2011/01/11(火) 13:04:08ID:aHs1UwMd


そう、敵を追いかける事に夢中になった深井、川を渡って敵陣の奥深くまで単騎で
侵入してしまったのだ。
勿論、味方は川端で追撃を止めている。
制止する味方の声さえ、彼は聞いておらず、自分が川を渡った事すら、気付いてい
なかったのだ。
「うっそ、俺、ヤバくね?」
いつの間にやら、三百人の敵兵に取り囲まれてしまったのである。


「……なんでウチの連中はこうも調子に乗る奴ばかりなんだ」
その報告を聞いた真田昌幸は頭を抱えた。
「しかし、深井が手柄を立てたのは間違いない事。ねんごろに弔って、遺族には見
舞金を贈りましょう」
悲しめばいいのか、怒ればいいのか、苦笑まじりの表情で、信幸も言った。
それを見た家臣、言いづらそうに口を開く。
「そ、それが……非常に言い辛いのですが……」

この深井某、なんと生きていた。
三百人に囲まれた状況で、包囲を突破し、川を渡って味方の陣地に帰還したのであ
る。
「ど、どうやって……?」
さしもの昌幸、信幸も口を開けて呆れている。
「い、いえ……本人の話では、『一生懸命頑張った』と。対岸から見ていた者の話
では、『鬼神の様な暴れっぷりだった』との事ですが……」

そう、何の計略もなく、ただただ夢中で敵中突破してしまったのである。
しかも、帰ってきた時には、かすり傷一つ負っていなかったと言う。


「そ、そうか……天晴れな事だな……うん……」

深井某は昌幸からお褒めの言葉を受け、更には真田の名字まで賜った。
その後は真田但馬守と名乗ったと言う。


いや、これ、叱っても良い様な気がするよ?(笑)
でも、これを叱ったら矢沢さんも叱らなきゃいけないような気もするからなぁ。
流石の矢沢さんも三百倍の敵とは戦った事ないだろうけど。(^^;

0201人間七七四年2011/01/11(火) 13:07:01ID:3ZxI8Laz
これも陸戦型モンスターか
0202人間七七四年2011/01/11(火) 14:07:13ID:3SiQ0UzQ
そんなフリークスなのに名前が某ってかわいそう
0203人間七七四年2011/01/11(火) 15:05:51ID:aHs1UwMd
>>202
伝わっていないのではなく、私が読んだ『加沢平左衛門覚書』には、深井三●となっ
ており、どうやら原本の文字が潰れるか虫食いかで読めない状態だったようです。
そのため、名前不祥という事で「某」としたのは私の判断です。

試しにググッてみたら深井三弥という人が昌幸の配下にいたらしいので、この人がそ
うなのではないかと思われます。
でも、三弥の後も深井氏はそのまま続いてるみたいなんだよなぁ。真田氏を名乗らず
に。
三弥の長男が真田、次男が深井氏を継いだって事なのかなぁ?詳しくはちょっと判ら
ないです。
0204人間七七四年2011/01/11(火) 16:42:11ID:TD6o4a/K
『微妙公御発語』より
あるとき微妙公こと加賀藩主前田利常に、家臣が話をした。

家臣「わたくし東海道を旅しましたところ、近頃は旅籠というものができておりまして
宿を貸すだけでなく、食事も作ってくれるのです」

つまり旅館、このころ登場したんですね。

「しかるに、木賃宿をにて宿を借りるだけで自炊し、むすびを作って旅するは当家だけ」

家臣さん、「旅籠に泊まっていいでしょ? 経費で落としていいでしょ?」
と言ってるわけですね。
さてハナゲさんのお答え。

「武士であれば、自ら飯を炊き、腰兵糧するは当たり前。戦乱になれば旅籠などやっていけまいよ」

平時にあって乱を忘れず。基本的にはいい話です。
また、ほかの大名家が腰兵糧を作らなくなったことも伺えます。

しかしこの戦時態勢維持の考えが三百諸藩ことごとく困窮し没落する原因になるのですが
それはスレの趣旨と違うのでここまで。
0205人間七七四年2011/01/11(火) 16:52:59ID:49mysqFh
経費節約のためですか。
さすが前田家は賢いですな(棒
0206人間七七四年2011/01/11(火) 18:46:18ID:9099Crvt
>197
どっちかというと両方とも悪い話じゃないか。
0207人間七七四年2011/01/11(火) 19:16:03ID:dH8D7VQL
池田輝政の家臣が寝ている間に大事な刀と脇差を盗まれてしまった。
周囲の者たちはそのことで家臣を罵り、嘲笑った。

家臣「あ〜恥かいた。もうこの家出ていくか・・・」

嫌になった家臣は暇を願い出たのだが輝政は

輝政「あの佐藤忠信だって刀を盗まれた。寝入った時に刀を盗まれても
   何の恥にもならぬ。お前を悪く言う奴は処罰してやるから」

と言って家臣を大切にしたという。
0208人間七七四年2011/01/11(火) 19:27:35ID:xqN/tkYZ
源平時代での例えはよく知らないからわかりにくい。
たしか源義経の部下だよね。
0209人間七七四年2011/01/11(火) 19:33:54ID:49mysqFh
戦国武将たちがあこがれるスーパーヒーローだと思っとけば間違いない。
0210人間七七四年2011/01/11(火) 20:20:03ID:wfgEmEcm
俺たちが鬼武蔵にシビレるぅ!あこがれるぅ!ようにか
0211人間七七四年2011/01/11(火) 20:56:19ID:wZNSaqFG
江戸時代に入っても、鎌倉武士なんかは結構人気で、源平の武者で相撲番付「源平武者揃番付」なんかが作られたり
ttp://homepage1.nifty.com/heiankyo/heike/heike12.html
佐藤忠信は、下から二番目の右から5人目に入っていますね。それ以外でも、戦国武将のご先祖様がたくさん
0212人間七七四年2011/01/11(火) 20:58:20ID:Ojteo06g
>>199
それなんて戦国無双?
0213人間七七四年2011/01/11(火) 20:59:08ID:3mEYSU8s
佐藤忠信と聞くと狐のイメージしかない
0214人間七七四年2011/01/11(火) 21:06:40ID:4ed479ld
>>207
池田輝政の家臣が寝ている間に大事な刀と脇差を盗まれてしまった。
周囲の者たちはそのことで家臣を罵り、嘲笑った。

家臣「あ〜恥かいた。もうこの家出ていくか・・・」

嫌になった家臣は暇を願い出たのだが輝政は

輝政「天下を獲ったあの家康公なんて戦場でウンコ漏らしてるんだぞ
    しかもウンコ漏らしたの家臣にばれてる。刀を盗まれたのなんて何の恥にもならぬ」

と言って家臣を大切にしたという。
0215人間七七四年2011/01/11(火) 21:07:19ID:j+m/BESF
佐藤忠信と戦国武将とのエピといえばこれだね
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-1989.html
0216人間七七四年2011/01/11(火) 21:08:23ID:3mEYSU8s
>>214
父・兄の敵だったとは言え、舅に対してなんてことを
0217人間七七四年2011/01/11(火) 23:11:53ID:evobFoeO
ウンコだって証拠あんのかよ?
0218人間七七四年2011/01/11(火) 23:55:07ID:Fr4eHNEL
いや、輝政的にはこうだ

池田輝政の家臣が寝ている間に大事な刀と脇差を盗まれてしまった。
周囲の者たちはそのことで家臣を罵り、嘲笑った。

家臣「あ〜恥かいた。もうこの家出ていくか・・・」

嫌になった家臣は暇を願い出たのだが輝政は

輝政「この輝政なぞは夜の槍働きで伸し上がったのだ腰の物が無くとも
   何の恥にもならぬ。お前を悪く言う奴は処罰してやるから」

と言って家臣を大切にしたという。
0219人間七七四年2011/01/12(水) 01:01:20ID:tbpukY8c
さすが妻酷将軍器が違った
0220人間七七四年2011/01/12(水) 14:31:43ID:Ic1uIIUo
刀を盗まれた話で思い出した。


ある時、南部家の三戸城で南部晴政の刀が盗まれた。犯人は分からず、刀番は事の次第を晴政に説明すると共に、
自分を罰するよう願った。だが晴政はその申し出を不問にした。

「刀番と言っても朝から晩まで始終刀を守っているわけではあるまい、ならば罰するには及ばない。
 刀のある場所は城の奥だ、刀ひとつを盗む為にわざわざ奴僕がくるところじゃない。

 刀は武器だ。おおかた武に励み、剣を好む若侍が、馬鹿な心を出して盗んだのだろう。
 ならば、その刀をもってよく奉公してくれるだろう。武士の盗みにはそのようなこともあるものだ。
 これがもし、武士が金銭や米穀を盗んだというなら、法をもって処罰しよう。
 この事は沙汰すべきでない、放っておけ」
0221人間七七四年2011/01/12(水) 14:55:55ID:k2qbhP8u
その話が広まったしばらく後、南部勢苦戦の折晴政の身にも危険が迫っていた。
その時若侍が晴政の前に飛び出し、いつぞや刀を盗んだ石川五右衛門(仮)でござる、と名乗り出て奮戦。
主君の危機を救った、

とかの後日談つくと綺麗かつ逆に胡散臭くなるんだが…なさそうだな
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