果たして今川幕府創立は可能だったか?
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0001人間七七四年
2010/12/14(火) 08:53:34ID:3iHTE7Hj上洛し、天下を手中にすることが可能だったでしょうか?徹底検証
しましょう。
0805人間七七四年
2015/03/16(月) 16:22:54.03ID:qL43uorr> 元々地位の高い人がわざわざ地位の低い人用の職を望むと思う?
同じ足利氏支流でも、家格は確かに連枝(吉良氏、その支流の今川氏)と
三管領家(畠山・細川・斯波氏)では、連枝のほうが上だ。
だが、血筋として尊いことと、今川氏が管領や執事より「地位が上」かどうかは別だ。
足利尊氏に従って転戦した駿河今川氏の初代当主今川範国も、執事の下の
評定衆のそのまた補佐役の引付頭人。
駿河今川氏の三代目今川泰範も、管領細川頼之の下で侍所頭人を務め、その叔父
今川貞世は、頼之の引立てで九州探題となり、頼之が死去して斯波氏が管領になると、
失脚して渋川満頼に地位を奪われた。
そして、歴代の今川氏は、守護大名として管領の命令に従って戦ってきた。
つまり、足利氏の遺伝子保管所として尊ばれても、血筋を残すための存在ゆえに
実権を持つ管領・執事等の高い地位に付けず、三管領家の下風にあったのが吉良・今川。
徳川家における御三家・御三卿の立場だ。
信長の傀儡だった尾張守護・斯波義銀は、吉良義昭と対面した時、席次を争ったと
いわれる。
三管領家からは、血筋は尊いけどただの守護大名家と下に見られていたためだ。
義元が実権を握るには
○ あえて管領職につく
○ 管領じゃないけど将軍でもない副将軍になる
○ 大内氏、三好氏のように、守護大名・戦国大名のまま実権を握る
はあるけど、足利氏の遺伝子保管所の立場に反って拘束されるため、
× 足利氏を滅ぼして将軍になる
はない。
つまり、将軍になるには、秀吉が関白になるために使った近衛前久の猶子となった
やり方しかない。
今川義元または今川氏真が、足利義輝または義昭の養子・猶子となって
「足利義元または足利氏真」として、『足利将軍』となることだ。
もし、今川姓に戻すとしても、まずは足利将軍になり実権を握ってからだ。
0806人間七七四年
2015/03/16(月) 17:10:34.01ID:r98f+wOe0807人間七七四年
2015/03/16(月) 21:15:01.37ID:QF4P0ecbただ、簒奪との批判を回避するためには猶子か養子になった方が利口かもしれない。
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