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果たして今川幕府創立は可能だったか?

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0001人間七七四年2010/12/14(火) 08:53:34ID:3iHTE7Hj
もちろん義元が桶狭間で死ななかった場合のIFです。果たして無事
上洛し、天下を手中にすることが可能だったでしょうか?徹底検証
しましょう。
0074人間七七四年2011/08/30(火) 11:46:26.42ID:HXqRcZkm
今川は足利幕府の補佐を考えているだろうから、今川幕府は無いな。
あったとしても苗字を足利に戻すから、後足利幕府だろう。
0075人間七七四年2011/08/30(火) 11:55:45.59ID:a2Z4uT0C
よくて大内義興どまりだよ。仮に上洛しても。
信長でさえ義昭を呼び戻し室町幕府を仕切り直ししようとしてたっぽいし
案外、征夷大将軍ってのは聖域だったんだろう、当時の感覚からすると。
義元やら信玄やらが幕府を潰すとは思えない
0076人間七七四年2011/08/30(火) 14:51:05.11ID:dplT2ivj
義元が生きて織田を潰したら、足利義昭は義元を頼ってくるのかな?
0077 忍法帖【Lv=3,xxxP】 2011/08/30(火) 20:55:18.33ID:sIJHfbtr
可能性は高いんじゃないか?
上杉憲政が関東管領と上杉姓土産に庇護を求めたのは長尾より先に佐竹(←先祖が途中から上杉)に打診したらしいからな
やっぱ親戚の世話になりたいだろ
0078人間七七四年2011/08/30(火) 21:07:36.36ID:HaDlT5wy
そもそも織田潰しは、義輝の要請という論もあるよ。
0079人間七七四年2011/08/31(水) 02:44:28.92ID:zUlDrhWf
なんでそんな早い時期から織田家が警戒されてんのよw
0080人間七七四年2011/08/31(水) 08:47:07.56ID:lnPYwMq0
>>73
源希望の後裔に養子に入った。

今川は副将軍か吉良義尚のような将軍代行か、それだろ。
義昭の子供が将軍にならなければ、将軍もありだっかかも。
0081人間七七四年2011/08/31(水) 13:43:13.48ID:JZNdIghy
今川家って、江戸時代で言えば徳川御三家の二番目ぐらいなのかなあ
徳川御三家の二番目の紀州家は将軍家の跡継ぎ不在によって将軍の座を
射止めたけど
0082人間七七四年2011/08/31(水) 18:41:07.69ID:BDURY57t
武田信玄が今川に臣従して、義元のいうとおりに動く合戦屋になれば、
幕府創設まで行けたんじゃないの?
0083人間七七四年2011/08/31(水) 23:10:44.50ID:eHXduZuj
義元と寿桂尼が死んだ後の政略をどうするかが問題だなぁ
三浦なんてのが取り仕切りだしたらあっという間に傾きそうだし・・・
0084人間七七四年2011/08/31(水) 23:43:32.80ID:ip0fu8CS
今川義元が討ち取られた報を聞いた信玄や氏康の驚き方はハンパじゃなかっただろうな〜
0085人間七七四年2011/09/01(木) 01:59:14.47ID:YDkSPVnw
イマガーやきっておいしいね
0086人間七七四年2011/09/01(木) 04:03:17.82ID:0tqpEF/D
義元が死なずに尾張を平定したら次は美濃方面?それとも伊勢周りか?
どっちにしろ長慶死ぬの待たずに上洛作戦展開しても近畿の大和か山崎で三好家と大激突してぼろ負けしてんじゃね?

上洛の名分がなんであれ足利の親戚が大軍率いて京を目指す。ってなったら当時最強の三好家・長慶&ブラザーズが今川を上回る7万近い戦力で後のない死ぬ気の覚悟でぶつかると思うんだが。
結果今川家敗北濃厚かと

京周りで当時三好家本拠の芥川城を狙うとしたら、秀吉光秀合戦の場所となった京大坂間の要所で、さらに芥川城から半日の場所の山崎で三好家は迎撃するんじゃない?
ここは西から東に突破するのは難しく三好家本城とも半日の距離で士気も違う。
伊勢周りだと信貴山城が邪魔になり攻めるなら三好家の後ろ巻き、スルーなら挟撃。
後ろ巻き期待できる籠城戦で有力家老の松永が降伏する事は期待薄。
伊勢周りのが可能性は低いと思うがこの場合斎藤家の南下が今川家の崩壊の引き金かと
0087人間七七四年2011/09/01(木) 04:52:27.80ID:hBPl2RX2
斎藤は武田に抑えてもらいましょう
0088人間七七四年2011/09/01(木) 08:05:43.10ID:SD+lDfeU
史実で織田に敗れた三好に負けんの?
北条武田と同盟結んで東海から尾張まで抑えてる今川が?
こっから信長と同じように進めてけばそれだけで織田より有利なのに
0089人間七七四年2011/09/01(木) 13:41:01.03ID:+ymCYX/w
てか義元公ってどの方向に勢力を伸ばしていくつもりだったのかな
尾張がターゲットになってたのは間違いないけど、そこからさらに西に行くと
えらい細長い領土にならないかなあ それとも本拠地を西のどこかへ移していく
つもりだったのか・・・ あるいはそのうち三国同盟を破棄するつもりだったのか・・・
西の京の都は遠いし関東でやっていくには北条、武田らがえらい邪魔になる・・・
0090人間七七四年2011/09/01(木) 13:46:56.25ID:0tqpEF/D
>>88 長慶存命中ならボロ負けするでしょうな。
河内・摂津・和泉・大和・讃岐・阿波の六カ国と淡路・丹波の大半・播磨や山城の一部を支配下に置いて1562時点で三好家だけで6万超える軍勢を動員してる、当時最強の天下人だったしね。
三好長慶の名声は東西に轟いていて、正味の話、長慶存命中は今川家だけじゃなくどこが上洛作戦展開しても勝てないでしょ。
義昭を担いで朝倉家が上洛しなかったのも当主がポンツクってより、長慶の後光にビビってのことだしね。

まぁ長慶死後、家督争いで一族・重臣入り乱れての混乱の隙を突けた信長は強い運の持ち主かと。
長慶死後なら今川家でも三好家に勝てるでしょうな
0091人間七七四年2011/09/01(木) 22:26:46.95ID:AiHYDHFB
あとから来た織田信長の知名度のせいで堺ですら無名に近い三好長慶。
0092人間七七四年2011/09/02(金) 13:00:59.85ID:9XLbJWe5
桶狭間が1560で実休戦死が1562
桶狭間から2年以内に三好とぶつかるんならやばいね
実休が死んだ後なら長慶いても今川のほうが
0093人間七七四年2011/09/02(金) 23:21:49.55ID:9iCEckHS
一存死亡1561。
六角は反三好だよね。今川互角に戦えそうじゃね?
0094人間七七四年2011/09/03(土) 12:19:24.53ID:APsTrRyG
幕府はダメっぽいな
0095人間七七四年2011/09/03(土) 12:36:28.42ID:GemYUzuB
>>93
それが、六角さんの崩壊の引金は三好と組んで織田(浅井)と対抗しようとした所
それ以前にも六角義治が三好に接触して六角家臣から反発うけた事があった。

三好之虎が死んだとしても阿波には篠原長房がいる
まあ今川が上洛する事でのキーワードは三好よりも足利がどう動くかで変わるだろうね。
足利次第で三好や他の大名の動きがどうなるか
0096人間七七四年2011/09/03(土) 22:43:56.62ID:OlhRBHGD
武田北条はどうするの?
0097人間七七四年2011/09/04(日) 01:36:43.13ID:KCkkzzkK
武田は信濃から飛騨、越中、越後で北条は関東でしょ
特に今川と揉めなきゃいけない理由はないよ
0098人間七七四年2011/09/04(日) 10:22:05.28ID:PE8R+g33
今川に幕府はないかな。武田・浅井・朝倉との連立政権?
0099人間七七四年2011/09/04(日) 11:28:58.60ID:cuj0Kchk
どう転んでも、武田あたりに消滅させられたろうな。まぁ、雪斎が存命なら・・・・、ゴメンやっぱ無理
0100人間七七四年2011/09/05(月) 19:26:20.09ID:uOFR2jpY
武田って13代目の時、今川に負けて甲斐から追い出されてるじゃん。
知名度、実績からいって今川圧倒的じゃね?
0101人間七七四年2011/09/05(月) 22:19:54.40ID:ELhZf0Jh
義元自身はなんとかなるとしても、跡継ぎが和製阿斗じゃねぇ。
0102人間七七四年2011/09/06(火) 00:43:12.47ID:S+HxKLpA
わかんねぇぜ
蹴鞠の才能があったんだから、手先足先は器用って事だし、手先器用な人でトロい奴はまぁいないし頭の回転は早そう。
頭の回転が早いって事は器用応用が効くって事で、かなりの政治的な器の持ち主かと。


ひょっとしたらバカ殿扱いされてんのは影武者で、戦の世を嫌って道楽の道を究める為に侍を辞めてたかもしれんが…
0103人間七七四年2011/09/06(火) 04:50:58.49ID:2oVa/3MW
江戸時代には「今川流」なる剣術流派があって、流祖は今川義真という今川氏の人物だそうだが、一説によれば義真は氏真と同一人物らしい

ただし根拠ははっきりしないのだが
0104人間七七四年2011/09/06(火) 05:29:00.73ID:0fO3IgQU
氏真は普通の人なんじゃね?
状況が状況だったから相当政治力や戦略に
優れた人じゃないと生き残れなかったでしょ。
武芸と世渡りが上手な普通の人。
うまい状況なら普通に運営できたろ。
0105人間七七四年2011/09/06(火) 06:34:08.73ID:rkkkUZ31
あれを切り抜けられない程度の能力でもあるわけだ
普通な人に天下は取れんだろうし、とっても瓦解する
0106人間七七四年2011/09/06(火) 13:39:17.99ID:M/DCQy7Y
少なくとも足利義昭レベルではあったんじゃないかと
(もちろん馬鹿という意味ではない)
0107 忍法帖【Lv=7,xxxP】 2011/09/06(火) 14:16:58.10ID:i4XcFLXY
素晴らしい世界に為ってそう!?♪。
0108人間七七四年2011/09/07(水) 04:43:24.04ID:ZZ9W47N1
>>105
しかし二代目にそこまでの能力がいるのかね?
仮に関が原で家康が死んでたら秀忠は暗愚の代名詞になったとおもうんだよ。
でもうまく幕府を運営したわけで。
氏真がうまくまわしてく力があったかはわからないけど
そういう部分があったとしてもあの状況では生き残れなかったとおもうんだよね。
0109人間七七四年2011/09/07(水) 09:40:35.46ID:9brBZR7O
そもそも1560年上洛の途についた義元に、明確な乱世統一ヴィジョンがあったのかが不明。
0110人間七七四年2011/09/07(水) 11:37:56.16ID:0L7uSmX2
そもそも義元は上洛の途など行っていない
桶狭間は単に親の代から続く今川・織田の勢力争いにすぎない
織田陣営の諸城の武将が今川に寝返ったばかりで、
状況的に好機とみた義元が一撃を食らわそうと進出しただけ

仮に信長を討ってもその先に、美濃の斎藤、近江の浅井、六角と、どう見ても上洛は無理
上洛についての事前の京への根回しもまってくしていない
0111人間七七四年2011/09/07(水) 11:53:07.27ID:4R6ElhQT
>>108
二代目と考えると納得できないかもしれないけど、支配機構・体制の確立期の統率者としてみたら、普通の人では支えきれないと思わないか?
勿論それだけの体制を義元が構築できるなら普通の人でも問題ないが、実際問題徳川でも数代にわたって整備していったわけだから
0112人間七七四年2011/09/07(水) 16:15:16.11ID:nIPzfXcy
氏真が某武将のように雷に打たれて覚醒したら大丈夫でしょ

氏真無双突入で東は関東から西は近畿を支配下に、残りは真・氏真モード突入で楽勝でしょ
0113人間七七四年2011/09/07(水) 17:09:43.01ID:zwKr/HVc
義元が上洛したところで、足利将軍を補佐する管領・副将軍ポジに就くくらいだろ
自ら幕府開こうとするとは思えん
0114人間七七四年2011/09/07(水) 17:25:20.07ID:nIPzfXcy
冷めたこと言うなよ


ここは可能性を追求する場所だぜ

因みに雷に打たれて覚醒する可能性は

雷に打たれて全身の細胞が癌化=約10×15乗×17=α

全身癌化した細胞が通常の生存可能=約10×40乗×16=β

不死身の覚醒氏真無双モードの可能性は、α×β=約10×8000乗×2

一等2億円を地球の誕生から今まで毎年当て続けた確率より薄い確率…

コレを引いた氏真が幕府を開けない訳がない
まぁ、可能性的には限り無く0だが、0ではない訳で…
0115人間七七四年2011/09/07(水) 18:26:50.87ID:36ZpWsaF
>>110
尾張を手に入れた時点で敵無しだろ。
0116人間七七四年2011/09/07(水) 18:30:39.95ID:CX/HUBsd
>>115
尾張を手に入れても本拠を前進させないと破たんする
武田みたいに甲府くんだりから遠征繰り返してたらな
0117人間七七四年2011/09/07(水) 18:45:42.15ID:36ZpWsaF
>>116
義仲も頼朝も尊氏も大内も破綻してないけど?
そもそも岐阜くんだりから、何度も遠征繰り返してたのは信長。
0118人間七七四年2011/09/07(水) 19:23:00.53ID:2J71Hsvp
>>117
戦国以前は短期間で兵を動員する方法が確立しておらず
一度、大軍を作ってしまえば無敵の快進撃になったらしい
城で篭城って言うより、砦に集合して出撃する戦い方だし
0119人間七七四年2011/09/07(水) 19:40:03.31ID:CX/HUBsd
>>117
京を抑えながらも退去した大内を成功例に挙げる意図は?
武田・北条が大内の尼子に絶対にならない保証もないのに
あと長征してて負けたら死亡必死だよ 義仲やら新田やら顕家やら 尊氏みたいに縁もゆかりもない西国落ちして盛り返すのは奇跡
0120人間七七四年2011/09/07(水) 20:07:12.94ID:36ZpWsaF
奇跡多すぎて面白いw

本拠地移転の方が有利なのは良いとして、
義元が本拠地移転に難色を示す理由とは?

つまり、今でこそ今川と言えば駿府かもしれないけれど、
当時そこまでの意識はあったのだろうか?
0121人間七七四年2011/09/07(水) 21:08:57.76ID:zCI4DcHr
足軽に討ち取られるのは、公家の真似事してた軟弱豚義元にふさわしい最期
0122人間七七四年2011/09/07(水) 22:08:15.22ID:JiGtNZZL
歴史ってのは勝者が書く訳で。
負けたから能無しでと誇張されてるだけでしょ
参謀がすごかったとしても取り入れる度量と
家督争いは征してるからね
ここ一番の運は無かったわけだが。
0123人間七七四年2011/09/08(木) 03:02:04.99ID:Yuc5M0Fd
負けるのは実力的な部分もあるが
首とられるのは不運すぎるな。
0124人間七七四年2011/09/08(木) 06:25:02.38ID:yHvoEMLx
大将が戦場でクビとられるって恥ずかしすぎる。滅多に無い。
0125人間七七四年2011/09/08(木) 10:58:00.99ID:XA2gbvMQ
本当の臆病者や退嬰主義の人間は、なかなか自分の城から出ようとはしない。
国力を総動員してでも尾張を取りにいった義元を軟弱とは思えない。
それに、下克上の時代において国内を強固にまとめ、武田や北条から
国を守り続ける事が出来たのは、義元の器量によるところが大と思う。
桶狭間は、義元の命令に頼りっきりだった今川家臣団と、義元を殺すには
どうすりゃいいかと自分で考え、動いた信長馬廻り衆の起動力の差が出た
結果ではないかな。
0126人間七七四年2011/09/08(木) 12:42:49.51ID:ga+rOBNi
それもあるかもしれないけど、単純に「時の運」が信長に味方した気がしない
でもない。
0127人間七七四年2011/09/08(木) 13:44:56.72ID:yHvoEMLx
義元は旧権力を維持しようとした。
もはや時代が彼のような行動を許さなかったのだろう。
風雲児織田信長の踏み台にならざるをえなかったのだ。
0128人間七七四年2011/09/08(木) 21:49:06.56ID:cn5hVTMn
実際は義元は死なずに天海となって家康のオブザーバーになったけどね。

後づけの資料には義元を討ち取ったとあるが、桶狭間で負けたのは事実だが今川義元が討ち取られた。て事は織田家が言ってるだけで今川家は最初認めてない。
義元が桶狭間で負け今川家を出奔した事で今川臣団は誤解して偽の首級を持ち帰ったしな(織田家はなかなか渡さなかったが、端っから討ち取ってないので首なんて有るわけない。偽首準備の時間稼ぎ)

徳川家の当時の資料や江戸時代の資料には、桶狭間での今川家の敗北には触れてるが義元戦死には一切触れてない。
最後まで天海の素性は謎のままだが、江戸初期には義元=天海説が徳川家臣団に囁かれ続けてたしさ(水戸日記・尾張郷土史)

まぁ、義元的には桶狭間で死んだ事にして生まれ変わった環境で生きてけたしそこそこ幸せだったんじゃないかな
0129人間七七四年2011/09/08(木) 21:56:52.59ID:TcXki3uE
化粧落としてるから普段見慣れてるはずの家臣も判別付かないしな
0130人間七七四年2011/09/08(木) 22:02:13.23ID:PemeSRJ/
その場合、義元はなんで今川を出奔したことになってるの?
0131人間七七四年2011/09/08(木) 22:24:28.68ID:yGRb1B80
たしかに出奔の理由は気になるな
一般的にそれなりの理由さえなさそうだし。

「麻呂、一足先に京にいくでおじゃる。
皆の衆は各国蹴散らしながら追いかけてくるのじゃ」
〜桶狭間で敗戦〜
「拙僧は浮世を離れた修行の身、過去は一切捨て申した  でおじゃる。」
こんな感じか?w
0132人間七七四年2011/09/08(木) 23:52:17.59ID:cn5hVTMn
>>130-131

出奔理由がとても曖昧でした。
尾張郷土史の話では『日々に鬱み』と簡潔…
水戸日記は出奔理由には触れず

この出奔理由以外は信憑性激高なんだが、出奔理由が無い・薄いせいで、義元=天海説が支持されません…
0133人間七七四年2011/09/09(金) 01:53:01.50ID:Pn9yG+XQ
まだ続いてたか・・・ifでも無理だろ
0134人間七七四年2011/09/09(金) 20:38:42.07ID:GnLIj1bi
氏真に暗殺されそうになったとか
そもそも氏真から逃げる為の尾張出兵だったかもしれん
0135人間七七四年2011/09/10(土) 14:33:27.13ID:OCuCvl0v
小田原に逃げるだろ。
0136人間七七四年2011/09/11(日) 14:05:11.86ID:3Q2jyITa
静岡人必死やね。今川義元なんつーのは織田信長に足蹴にされたザコなんだよ。
0137人間七七四年2011/09/11(日) 14:34:14.99ID:lOT3ONqp
負けた奴は悪いやつと言われはするだろうが
脳なしとは言われにくいと思う

だって勝った方は脳なしなんぞに勝ったところで自慢にも何にもならないし。
自分をよく見せるには負けた奴は悪いやつと落としたほうが見栄えはいい。

織田の史料で今川を馬鹿だとか無能だとか書いてあるものはない。
0138人間七七四年2011/09/11(日) 14:37:56.41ID:lOT3ONqp
義元が公家みたいだとか、陣中で酒飲んでたという話は
江戸時代に書かれた軍記物に書かれているものだけ
0139人間七七四年2011/09/11(日) 15:04:15.06ID:q9d7gjtJ
信長公は今川が鉄砲を使ってるのを見て痺れて憧れて鉄砲打ちになったそうな
0140人間七七四年2011/09/11(日) 19:07:07.94ID:yJ44FN97
義元は肥満体で乗馬が下手糞だったらしい
0141人間七七四年2011/09/11(日) 23:52:01.22ID:nDue0aL5
普通体型の俺だが乗馬は無理だ
0142人間七七四年2011/09/12(月) 00:02:01.85ID:lOT3ONqp
陶とか
0143人間七七四年2011/09/12(月) 12:02:04.36ID:ESNWaSch
服部小平太に鑓で狙われたときに刀で膝を切り払って戦闘不能にするくらいの
腕前はあったわけだよな?
0144人間七七四年2011/09/12(月) 14:49:25.30ID:f9VwTrXp
小平太?誰それ?

義元公が本気出してたら織田の小倅や生臭坊主やナルシストには完勝できるよ

義元公には旗本八万騎がついてるからな
0145人間七七四年2011/09/12(月) 22:02:10.10ID:qD/InezY
公家かぶれのピザが調子こいて遠征したら失敗したというのが桶狭間合戦の真実。
0146人間七七四年2011/09/12(月) 22:48:26.80ID:1vQb09io
さめてるな~、もしもだよも・し・も!
・・・でも、無理。
0147人間七七四年2011/09/12(月) 22:48:43.47ID:WoeXjWJl
どういう意味?
0148人間七七四年2011/09/13(火) 04:09:03.07ID:RlOcJsvp
了俊が一生懸命捏造と宣伝して回ったけど、足利一族の家格って

足利>>>>斯波>>(越えられない壁)>>その他

だし。斯波は足利幕府成立前後では斯波ではなく足利名乗ってたし
元々政治に参加しなくてもよい将軍に次ぐ貴主であるのを義詮や義満が一段落として管領に突っ込んだって経緯があるわけで
徳川幕府でいうなら斯波のみが御三家相当で、他は御三卿にも満たないだろうよ
だから今川が足利に改姓して将軍になるってのは無いでしょ。それやるぐらいなら今川幕府作った方が反感は少ない
足利幕府っていう体制を残すなら管領ルートだね
0149人間七七四年2011/09/13(火) 08:21:20.75ID:ltswKjNZ
ifを連発すれば何でも有りだが
当時の織田家さえも屈伏させられなかった人間に後のifは不可能。


実は、アンサイクロ〜に書いてた通り、上洛の目的は今川焼きをみんなに食べてもらいたかっただけだと思う。
軍を引き連れたのは見栄を張りたかっただけ。
厨な信長が過剰反応しただけじゃ?
0150人間七七四年2011/09/13(火) 08:53:57.51ID:U0ol2sTC
だとしたら信長最低だな
ただみんなに美味しい今川焼きを食べて欲しかっただけの義元公を不意打ちで殺すなんて
0151人間七七四年2011/09/13(火) 10:09:13.93ID:wjh4IEtw
今川焼きは江戸時代以降の食べ物だろ。
0152人間七七四年2011/09/13(火) 10:44:03.79ID:ltswKjNZ
>>151
細けぇ(-_-#)
0153人間七七四年2011/09/13(火) 11:50:59.94ID:T8E8dV58
>>151
ツマンネ
0154人間七七四年2011/09/13(火) 12:00:27.46ID:sm1D4Nyo
今川義元の最後 桶狭間の戦いはなかったver

丸根と鷲津の砦を落とした今川軍は
城の前に捕らえた百人程の捕虜を横並びに並べると後ろから襲い掛かる。
今川兵壱「てこづらせおって!食らえっ!!」
織田兵壱「ぎゃあああっ!しっ尻が裂けるうっ!?」
今川兵弐「ふんっ!ふんふんっ!!」
織田兵弐「痛いっ!痛いーっ!!うっ動かないで・・・っ!!」
総大将の今川義元も敵城主佐久間盛重の尻に夢中になっていた。
義元「田舎武士の汚い尻もたまに味わう分にはいいものじゃ、ふんっ!ふんふんっ!!」
盛重「うあっ!ズンズンくるうっ!?」

だが・・・

織田軍「わあああああっ!!」
そこへ信長率いる織田軍3千人が玉砕覚悟で攻めかかってきた。
義元「おわっ!敵じゃ、早く下穿きをはかねば・・・・」
そのまま戦っていれば今川軍の数の優位は揺るぐことはなかったが、
しかし身なりや礼節を重んじる彼らはフルチンで戦うことをよしとしなかった。
織田兵参「参るぞ!覚悟!!」
今川兵壱「ちょっとまて、今竿を綺麗にして服を着るからな」
織田兵参「何を抜かしやがる!とりゃーっ!!」
今川兵壱「ぎゃああああっ!!」
かくて今川軍は大混乱。
義元「おのれ!下穿きをはいている最中に襲い掛かるとは卑怯千万!!」
新助「御大将に一番槍!食らえ!!」
義元「うぎゃああああっ!槍が尿道に刺さったっ!!!」
今川軍はほとんど抵抗らしい抵抗も見せぬまま大将を討ち取られ壊滅した
0155人間七七四年2011/09/13(火) 19:28:00.50ID:4NC6wRZ2
>>150
>>148氏の指摘している通り、
大判焼きを今川焼きと称したから反感を受けて織田勢の猛攻を受けたのかも知れん。
0156人間七七四年2011/09/13(火) 20:04:15.67ID:0Wd4yUNt
そんなに斯波が凄いなら末期は悲惨の一言。
超無能人斯波義銀の子供は守護代の奉行の出の(=信長)の無能の3男(=信雄)に
秀吉の策略にはまり暗殺されるという有様。同族最上に至っては早くも1617年に
お家取り潰しw。高水寺斯波氏もある程度の家格は何とか維持していたとは言え,
秀吉の時代にはいない有様。

足利一族は無能すぎる。吉良しかり斯波しかり。
0157人間七七四年2011/09/13(火) 20:16:46.01ID:ltswKjNZ
>>156
そりゃ今川含めて上方武者の末裔だしさ(ρ°∩°)

どうせ、俺達上方もんは戦は向いてませんよだ(≧ヘ≦)
0158人間七七四年2011/09/13(火) 20:24:47.43ID:ZRlc/94m
第8連隊の戦績に敗北はないぞ?
0159人間七七四年2011/09/13(火) 20:37:10.06ID:ltswKjNZ
9連隊も8連隊も弱すぎだから昭和期に編成変えたんじゃね?
京都なんか大阪と一緒にされたら恥かくくらいで、敦賀と連んで4師団から飛び出すし。

っていうか河内源氏の頭領が平家が憎いよ〜って泣きながら、
板東平氏の嬢ちゃんに泣きついて出来たのが鎌倉幕府で、
その名門が足利・新田だろ?
0160人間七七四年2011/09/13(火) 22:52:49.95ID:eJu80GeF
義元公の話で新田義貞が出てくるとは…
深いところに行き着いてるな


誰か結論言ってくれ
義元公は男色だったのか?
0161人間七七四年2011/09/14(水) 22:31:53.85ID:hxz2CM7q
戦国時代で男色じゃないほうが珍しいんじゃね?
だいたいあたりまえの事は書かない、よって普通に男色だった思う。
よっぽど男色狂いとか女狂いはそれなりに記述が残ってるでしょ?
0162人間七七四年2011/09/14(水) 23:02:38.82ID:8oArfRfE
寺出身だからそれなりの嗜みはあるはず。
まさかせっさいとせっせいと毎日、、
0163人間七七四年2011/09/14(水) 23:10:39.60ID:hxz2CM7q
寺出身ならなおさらじゃね?
それに小姓がいくらでもいるっしょ
0164人間七七四年2011/09/15(木) 18:14:58.00ID:fm4mmKVl
ハードゲイ…
全国時代って終わってるね

自分が10代前半の時に50前後のオッサンにシャブられたり掘られたり、逆にシャブらなあかんかったりしたら…

手首切りたくなるわ
0165人間七七四年2011/09/15(木) 18:38:56.24ID:581CB58k
>>164
男同士の方がやっぱり気持ちいいみたいよ
精神的に繋がれるし
0166人間七七四年2011/09/15(木) 20:44:29.51ID:Lfwt6/LZ
久々覗いたけど話の流れが変わっとる!
0167人間七七四年2011/09/16(金) 07:09:49.40ID:oTS0Trwm
当時の日本は、男色も女色もいける両刀の風習・風土があっただけで、
いまでいうゲイとは違う
0168人間七七四年2011/09/16(金) 20:42:37.82ID:/Y/dj3mE
今の感覚で男色を批判するなよ・・・
0169人間七七四年2011/09/16(金) 21:15:16.37ID:UU8GMduC
そう素直に男色って信じて良いんだろうか?
武家なんて男子相続が自然だけど、娘しかいない家なんて普通にあると思うんだ。
そういう家の中には、あっさり女の子を男装さしちゃえって思う家だってあるだろ?
そういう子と付き合ったのが男色扱いなんじゃね?
で出来たら、適当に、誰かの子供ってことにして、養子にとる。
で然るべきタイミングで自分は適当なところで死んだことにして女に戻る。

そんな話の方が、どいつもこいつもバイなんてより理解しやすいんだが?
0170人間七七四年2011/09/16(金) 21:24:48.71ID:eiUvxb80
なるほど。
すると信長か利家のどちらかは女ってことに。
0171人間七七四年2011/09/16(金) 21:35:56.26ID:UU8GMduC
>>170
信長公の狂乱ぷりは女そのものかと
後、この板の有名人の方の森公と磔公も、律儀さからして女かと
0172人間七七四年2011/09/16(金) 21:36:37.98ID:eiUvxb80
いつも戦場から一人離脱し、
子供の母親はほとんど全員不明、
正妻の墓も不明、
愛妾の醜聞も無い。
勘が冴え、
普段は博愛ながら、
愛憎の激しさは人の三倍。
信長が女の可能性はかなり高いと思う。
0173人間七七四年2011/09/16(金) 22:27:13.70ID:i5xykUE2
それなら子供は信長が産んだことになるのか
信雄・信孝兄弟の生まれはどう解釈する?
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