果たして今川幕府創立は可能だったか?
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0001人間七七四年
2010/12/14(火) 08:53:34ID:3iHTE7Hj上洛し、天下を手中にすることが可能だったでしょうか?徹底検証
しましょう。
0580人間七七四年
2015/02/17(火) 00:52:11.38ID:CUo6BiZl勉強になりました
0581人間七七四年
2015/02/17(火) 01:02:36.08ID:fw71Yf4G井伊・酒井・稲葉・堀田・柳沢だっけか
春日局の大勝利だな
0582人間七七四年
2015/02/17(火) 01:45:47.60ID:Di/jO/sH言われてるけど、今川家臣時代の家康って
西三河の領主にすぎない
東三河には、今川家の代官支配のもとに、戸田氏を
駆逐して東三河の旗頭になった牧野保成がいた
西三河で今川家の支配下にある元康と同じ立場だよね
義元が死んでから、元康は東三河に侵攻し、保成を
滅ぼして三河を統一した
元康個人の能力はさておき、今川家での松平氏の
領主としての力を過大評価しちゃいけない
0583人間七七四年
2015/02/17(火) 15:47:30.87ID:JYG7bmYT0585人間七七四年
2015/02/17(火) 19:17:02.96ID:lqe+ODMQ岡崎任せてた息子を家中が割れて自分の手で殺すハメになったし
あんまり本人もいい思い出なかったんだろう
0587人間七七四年
2015/02/17(火) 23:13:56.88ID:Di/jO/sH0588人間七七四年
2015/02/18(水) 01:49:29.24ID:M2u43EvG反乱の旗印になりえる元康君ですもの。
特に在地豪族の大久保、鳥居あたりが黙っちゃいないと思うけどね。
0589人間七七四年
2015/02/18(水) 13:37:26.49ID:tN2zWD3B他にも一応今川家臣団に義元から字をもらった奴は居るけどそんなに多くは無い
0591人間七七四年
2015/02/18(水) 18:43:37.15ID:dIlxTMqc0592人間七七四年
2015/02/18(水) 18:52:31.78ID:NpOkHZDQ立地で選ぶなら名古屋でもよかった。
どっちも息子の城だし(名古屋が義直、駿府が(頼宣)
名古屋の方が京・大阪に近く西に睨みを利かせるにはいい
それでも駿府を選んだのはやっぱそれだけ思い入れの差だと思う
0593人間七七四年
2015/02/18(水) 22:14:54.25ID:AWSK5rnYよっぽど今川家で優遇されて楽しかったんだろう。
0594人間七七四年
2015/02/19(木) 00:00:24.80ID:zJMVTyS9鳥居氏は「忠」か「重」が通字
元忠の先祖と子孫を見ても、4代前に重元ってヒトがいるだけだ
たかだか、人質の近習に偏諱を与えるなんて考えにくい
だが、元忠は元服前から元康に近侍して駿府にいたわけで、
元服時に勝手にお館様の通字を名乗るなんて恐れ多いことは
しないはず
であれば、1字拝領した可能性は低いながらもゼロではない
0595人間七七四年
2015/02/19(木) 00:21:17.04ID:YlLdajsX0597人間七七四年
2015/02/19(木) 07:31:12.11ID:qkWlm233やっぱり子供・青春時代を過ごした土地だから特別な思い入れがあったんだろうな>駿府
0598人間七七四年
2015/02/19(木) 07:49:57.77ID:zJMVTyS9でも「元→忠」なんだよね
そこがポイント
鳥居氏自身の通字である「忠」や「重」が2字目に使われる例が、
鳥居氏の先祖・子孫に見当たらない
忠氏、忠茂、忠勝、忠俊、忠吉、忠景、忠次、忠明、忠吉、忠政・・etc.
必ず1字目に使う家系
それが、元忠だけ2字目
だとすると、「元」は鳥居氏より高貴な目上の人からもらった偏諱の
可能性が高い
元忠には彦右衛門尉以外の名前は知られていないから、元服の際に
今川義元が烏帽子親を務めた可能性がある
義元が元忠を気に入って面倒をみたとは思えないので、元康が
元服する時に「じゃあ、お前も」といっしょに元服させてもらったのかも?
元康の側近にそうすることで今川家への帰属意識を高め、元康の心が
今川家から離れかけた時、「今川のお館様に従うべきだ」と元康を
諌めることを期待して偏諱を与えたのかもしれない
0600人間七七四年
2015/02/19(木) 10:10:48.80ID:uq9NKbpmから一字貰ったんじゃね?
元康が家康に改名したのに敵対しようとする今川の名前持ってるとかナシでしょう。
諱はコロコロ変えるのが結構ある時代に変更なく最後までこのままってのはつまり「それをかえるなんてとんでもない」ってことなんじゃないの?
0601人間七七四年
2015/02/19(木) 14:30:08.60ID:GFRXlKDC名前なんて結構どうでもいいんだろ
0603人間七七四年
2015/02/19(木) 14:46:06.98ID:YlLdajsXなるほどね。一緒に元服してついでに貰ったと。んで何か意図があって元忠を特別扱いした。それはありそうな気がするな。
>>600
確かに諱を変えるのは良くある事だけど、逆に貴人から貰った諱は変えるもんじゃないという考え方もあったと聞いた事がある。秀忠はずっと秀忠だったし。そのへんは本人の考え方次第なんじゃなかろうか。
0605人間七七四年
2015/02/19(木) 22:44:49.54ID:bq+AacOz0606人間七七四年
2015/02/19(木) 23:05:48.52ID:xz3R6Bqt元忠は元康の家臣、つまり陪臣であり、陪臣に基本与えることはない。
勿論、義元本人に許可もらって名乗ってるなら話は別。
ついでに、義元から本気で貰ってたとしたら陪臣なのに主君の元康と肩並べる、もしくは超える寵を得てたことになるから、元康の面子丸潰れよ?
パッと思い浮かんだ所だと
織田信長の「長」を貰った丹羽長秀、んで、その丹羽長秀の「長」貰った羽柴秀長(貰った当時は「長秀」と名乗り)とか。
0607人間七七四年
2015/02/19(木) 23:47:25.60ID:zJMVTyS9丹羽長秀が”長”の諱を家臣に与えた例が無い
また偏諱されたものを、さらに誰かに与える例は、その字を自家の通字にした場合を
除いてほとんどない
さらに、羽柴長秀の長は信長からもらったものというのが最近の定説だ
0608人間七七四年
2015/02/19(木) 23:49:56.78ID:bq+AacOz0609人間七七四年
2015/02/19(木) 23:59:09.83ID:zJMVTyS9「将軍から拝領したありがたいものを家臣にも分け与える」ってやつだ
0610人間七七四年
2015/02/20(金) 00:16:30.46ID:pzFuu8qa家康の偏諱の例が康ばっかりであることと、若い元信/元康がほぼ同年代
(ちょい年上)の元忠にだけ、近習の中から抜擢して諱を与えるのは不自然
0611人間七七四年
2015/02/20(金) 01:08:02.55ID:WIF+nYx4それとも清康から取った?
0612人間七七四年
2015/02/20(金) 01:50:45.35ID:M/YQNF1A結局の所、鳥居元忠の諱は分からずじまいか。
分かるのは
・鳥居家の通字である「忠」より先に来てるので、家格的に上の人から貰った。
・他の兄弟は「忠○」とかになってるので元忠だけが唯一「元」の字を貰った要因の何か(功績)を挙げている。
・「元」の字をもらえる候補はパッと思い着く限りでは主君である松平元信/元康か?更に上位の今川義元か?
・ただ、今川義元の場合に名前を与える大義名分が思いつかない。
・かといって与えた偏諱が「康」が主な松平元信/元康が元忠だけに「元」の字を与える理由が薄い。
モチロン、何らかの思惑があってどちらかが与えた可能性もあるけど・・・。
それが何かって話だよな・・・。
0613人間七七四年
2015/02/20(金) 17:17:52.31ID:QcRMFTDr0614人間七七四年
2015/02/20(金) 19:35:30.80ID:oTV4i2Oo0615人間七七四年
2015/02/20(金) 23:37:32.94ID:vUQsNp5+三河一国ぐらいもらって
0616人間七七四年
2015/02/21(土) 01:03:02.31ID:ppuPP8q20617人間七七四年
2015/02/21(土) 11:29:29.69ID:ROn0Vbb80618人間七七四年
2015/02/21(土) 13:45:54.83ID:V0jzXSFA0619人間七七四年
2015/02/21(土) 13:54:22.02ID:a0lKDIDP大名(守護大名)にはなれない
実権を持った守護代(戦国大名)だろう
尼子氏や山名氏のように、表向きの守護大名職は今川で独占するはず
>>615
義元が天下を獲るとなると、駿河・遠江・三河・尾張・伊勢は確定で、
あとは美濃と近江に関しては奪って直轄地にするか、対等同盟または
従属的同盟
自分の支配地、それも本領(駿河・遠江)と占領地を分断するような
中間地点・三河に、元康を置いとくかな?
伊勢か美濃あたりに移して最前線を任せ、三河は直轄地化を
進めるんじゃないかな
0620人間七七四年
2015/02/21(土) 14:04:00.71ID:a0lKDIDP0621人間七七四年
2015/02/21(土) 14:22:36.26ID:omJ1TQ8X0622人間七七四年
2015/02/21(土) 21:36:03.65ID:fnjoz/cf国替えじゃないの?
0623人間七七四年
2015/02/21(土) 22:04:51.08ID:omJ1TQ8X0624人間七七四年
2015/02/21(土) 22:16:35.96ID:fnjoz/cf0626人間七七四年
2015/02/21(土) 23:07:32.46ID:a0lKDIDPそれはないわ
吉良氏は今川氏の本家
吉良氏は、足利義氏の長男・長氏が三河国幡豆郡吉良荘(愛知県西尾市)を領して
吉良氏を名乗ったことに始まる
さらに、吉良長氏の次男・国氏が、吉良氏の所領から三河幡豆郡今川荘(西尾市
今川町)を分与されて本貫としたのが、今川氏の始まり
つまり、三河は本家・吉良氏にとっても今川氏にとっても発祥の地
松平氏は三河と言っても、しょせんは西三河の筆頭国人に過ぎない
吉良氏を押しのけてまで、自分たちの発祥の地を松平氏に与えるわけがない
0627人間七七四年
2015/02/22(日) 01:05:28.14ID:dGkCtGoJ0628人間七七四年
2015/02/22(日) 01:12:24.34ID:xCv2hW5u0629人間七七四年
2015/02/22(日) 01:24:42.52ID:dGkCtGoJ0630人間七七四年
2015/02/22(日) 01:30:40.76ID:tEEHK0mj0631人間七七四年
2015/02/22(日) 04:17:50.05ID:cc6tScYI松平が伊勢や近江、丹波辺りに封じられたらどうなったか、興味あるな。
0632人間七七四年
2015/02/22(日) 09:28:33.18ID:tEEHK0mj今川家中での吉良家の扱いはその程度だから、今川幕府が成立しても厚遇は期待できない。
今川将軍の本家筋の吉良なんてのは煙たいだけだから、敬して遠ざけられ、高家とか喜連川みたいな扱いが妥当。
しかし、家康の駿府人質時代の人脈はけっこうあるな。これがあったから吉良は高家で遇されたんだろうし、北条氏規と子孫の処遇も然り。
0633人間七七四年
2015/02/22(日) 13:53:26.58ID:G6Ie6spG0634人間七七四年
2015/02/22(日) 14:54:05.44ID:S1IthuNaでも、その他大勢のマイナー大名に比べ、信長の奇襲に散った義元と蹴鞠王子・氏真のおかげで
ある意味メジャーなのが救い(?)
西尾市 今川氏発祥の記念碑
ttp://shizuoka.u-ch.org/photo/imagawa/photo-imagawaroots-003.jpg
ttp://blogs.c.yimg.jp/res/blog-f2-86/so28ba/folder/584930/24/17783824/img_11?1384931349
ttp://blogs.c.yimg.jp/res/blog-f2-86/so28ba/folder/584930/24/17783824/img_12?1384931349
0635人間七七四年
2015/02/22(日) 15:38:36.30ID:G6Ie6spGある意味怪我の功名www
0636人間七七四年
2015/02/22(日) 21:25:02.23ID:r1h4Qqnv家康って当時としては人脈を大事にする人だからね
0638人間七七四年
2015/02/23(月) 00:32:43.00ID:hi1PpmsT0639人間七七四年
2015/02/23(月) 11:52:03.14ID:fG/8HDss義元はモロに前者っぽいが。
0640人間七七四年
2015/02/23(月) 14:16:24.55ID:twzo17Ij中間管理職的な人間が必要なんだけど・・・。
出ないと拡大に対して人手足りない。
あとは、義元の尾張侵攻の結果
・どういう結果で尾張侵攻が「成功/失敗」するか
「信長負け/討死・信長負け/降伏し今川配下に・信長負け/美濃に逃走」
「今川、包囲するも織田が籠城でgdgd」「長期戦の様相で兵糧が問題で今川一時撤退」
「桶狭間失敗、信長返り討ち」「今川勝利も色々やり過ぎた所為で領民の反感買って統治大変」
とか、妄想含めれば色々出そうだけど?
0641人間七七四年
2015/02/23(月) 17:43:33.37ID:L8CYQeAw松平こそ不穏な地域の前線に加増転封でいいと思うけどな
今川の天下になったとしても外様に対する抑えは必要だし
0643人間七七四年
2015/02/23(月) 22:33:42.90ID:ipF0s6MJやっぱ京都じゃないのか?
0644人間七七四年
2015/02/23(月) 23:45:25.36ID:twzo17Ij領土確定がしてない、しかもこのスレで言う今川幕府が
「今川義元が初代将軍の起点とする、今川家の幕府」であるなら尚更の事。
1565年に永禄の変で足利義輝が殺される、で足利義昭が東方面に来るだろ?
で、これを今川がどうするかによる訳よ。
無視するなら京都に行く大義名分が無い。→今川幕府もくそも無い。
有効利用するなら義昭を御輿にすることになるから征夷大将軍には義昭がなる。
そうなると足利幕府の再興であって今川はあくまで足利の家臣、という扱い。
織田政権時に義昭が京都を追放されることによって足利幕府が実質崩壊。でも義昭は征夷大将軍のまま。
豊臣政権時に義昭が征夷大将軍職を辞することで征夷大将軍の職が空く。
最終領土確定して無い状態なのに幕府開くとか夢見過ぎでしょ。
0645人間七七四年
2015/02/24(火) 01:37:13.05ID:9HjF8ocX>そうなると足利幕府の再興であって今川はあくまで足利の家臣、という扱い。
これが一番有り得るかな
0647人間七七四年
2015/02/24(火) 11:46:01.19ID:GNWcNWLy氏真を養子にすることは承知するだろうか?
0648人間七七四年
2015/02/24(火) 11:57:28.93ID:ThWnHLAC0649人間七七四年
2015/02/24(火) 16:08:44.37ID:phbh5/w5それ徳川政権による豊臣政権の否定から入ってるから根拠無いよ。
秀吉はそれ以前に関白になってる訳だからわざわざ将軍職がいる訳でもないし。
「今川の幕府」としていくなら足利に今川が嫁出して後見、
最終的には緩やかにお家乗っ取りか執権北条氏の様に「飾り=足利 実質=今川」としていくかは
それrぞれの判断だけど。
今川による尾張制圧以降は信長の様な拡大をしていく訳だけど、
美濃が抜けるか(信長が生きており、美濃に逃走されてると斎藤に尾張に攻められる名分ができちゃう)
あわよくば美濃を取っても近江(恐らく今川は浅井朝倉を敵に回し、六角・京極と手を結ぶことになる)
を抜けて今日に行けるかは疑問。
0650人間七七四年
2015/02/24(火) 16:11:58.15ID:ZPTN3zBHこのスレって桶狭間勝利→上洛が前提じゃないの?
そりゃまあ逃亡成功で織田と引き分けだけとか、そもそも勝っても上洛が目的じゃなかったとか意見はあるだろうけど
0651人間七七四年
2015/02/24(火) 16:17:00.63ID:LAlnednN0652人間七七四年
2015/02/24(火) 16:17:10.77ID:ZPTN3zBH鎌倉北条の執権政治みたいにできるのか、大内のように領内不安で帰国する羽目になるのか
鎌倉幕府の前例を考えたら宮将軍って手もあるな 史実でも江戸幕府が検討したくらいだし
0653人間七七四年
2015/02/24(火) 16:21:32.66ID:ZPTN3zBH長尾景虎が幕府に従っちゃったら武田はどうするのだろ
逆に今川幕府を認めなかったら格好の討伐名目になるけど
0655人間七七四年
2015/02/24(火) 20:17:47.22ID:tXhE2h4g信長が降伏という線もあるな
その場合信長は当然国替えだろうが
0656人間七七四年
2015/02/24(火) 21:19:12.70ID:UrYSXU9v副店長、佐藤伸弦が暴行事件を起こしていました。
0657人間七七四年
2015/02/24(火) 22:39:47.27ID:phbh5/w5上洛するってことは尾張制圧後、慰撫工作無しで?
足元固まって無いのにどうやって?
三河だって制圧して色々形にするのに相当年数かかったのに、
次に尾張ってどれだけ時間食うんだという事です罠。
武田はなぁ・・・史実ですら今川に牙剥いた+約定破りの常習犯な武田を
どうやって封じ込めるかがキモですな。
今川としては武田を援助せざるを得ないから尾張制圧後上洛なしで、
武田と上杉で両方すり減りするまでそこそこ援助する方が無難な気がする。
実際津島〜駿河の海運握ることになるから実入りよくなるでしょ?
0658人間七七四年
2015/02/25(水) 00:07:10.31ID:nDClcy6Uかなり上洛志向強かった気がする。
尾張制圧したら京都行っちゃうんじゃない?
そして義昭と対立して将軍交代。
0660人間七七四年
2015/02/25(水) 00:25:40.03ID:gDWRS84l> 恐らく今川は浅井朝倉を敵に回し、六角・京極と手を結ぶことになる
違うでしょ
当時の斎藤義龍は、北近江侵攻を企てて六角承禎と同盟していた
今川が美濃に攻め込むなら、同盟を組む相手は信長と同じく浅井長政になる
そして、浅井長政と同盟を組むなら、必然的に山城への道は北近江・水路
ルートではなく、南近江の陸路ルートを使うことになるので、六角と戦うことになる
でも、別に通り道の大名を全て滅ぼす必要は無く、友好的な同盟、または
従属的な同盟を結ぶことも可能だろう
大内義興だって、本領の周防・長門・石見・安芸・筑前・豊前と山城の間にある
諸大名を滅ぼして上洛したわけじゃない
尾張・美濃・伊勢しか所有していなかった信長と違って、今川は名門だし、
駿河・遠江・三河・尾張・伊勢の5か国という圧倒的なバックボーンがある
(伊勢は小豪族ばっかりなので、尾張を獲れば必然的に獲れる)
六角承禎も、信長相手と違って勝てる見込みが全くないので、敢えて事を
構えるよりは、同盟を結ぶ可能性が高い
義元は、信長と違って養子に出せる子・親族が少ないので、松平元康や
北条氏規の場合のように、同盟相手から人質を求めるだろう
六角承禎には、観音寺騒動を起こして家督を失った義治と、暫定当主の
次男・義定がいるので、どちらかを人質に出して、今川に従うんじゃないかな
0661人間七七四年
2015/02/25(水) 00:43:44.43ID:1fLI6V+1んじゃあ斎藤or六角を後援するって名目で2家と同盟して浅井朝倉とケンカするってのは無し?
そもそも今川が土岐さん拾って来て美濃攻めの名分にしたらどうするのよ?
元美濃守護の土岐頼芸に承禎さんの姉妹が嫁いでるんですが。
0662人間七七四年
2015/02/25(水) 00:54:14.74ID:JqIEAd7V織田家は滅亡か
0663人間七七四年
2015/02/25(水) 01:13:55.21ID:gDWRS84l信長は
1555 尾張下4郡の守護代・織田信友から清洲城を奪う
1557 弟の織田信行を謀殺
1559 尾張上4郡の守護代・織田信賢を追放し、尾張統一
1560 桶狭間の戦い
1561 斎藤義龍、死去
1564 信長、浅井長政と同盟
斎藤龍興、竹中重治・安藤守就に稲葉山城を奪われる
1565 足利義輝が殺害される
1567 北伊勢に侵攻するとともに、斎藤龍興を美濃から追い出す
1568 足利義昭を奉じて上洛
という道のり
信長が尾張一国の支配者になったのは、桶狭間前年の1559年に過ぎず、それまでは
斯波守護家、清洲織田大和守家、岩倉織田伊勢守家、織田弾正忠家、佐久間氏、
水野氏、山口氏、久松氏などが尾張に割拠していた
だから、今川義元が1560年5月に桶狭間に勝利した場合、信長の統一尾張に慣れて
いない=忠誠心をもっていない尾張の国人たちは、今川氏の支配に抵抗することなく
たやすく平定されるだろう
であれば、1561年時点で尾張しか持っていなかった信長と違い、駿・遠・三・尾の
今川氏の美濃攻略と上洛スピードは数年早かったはずだ
1564年の竹中半兵衛の稲葉山奪取に見られるように、1561年の義龍死去以降、
斎藤氏の弱体化は顕著なので、1564年ぐらいには美濃を占領できた可能性が高い
・・・であれば、今川氏の上洛は足利義輝が生前中に実現したかもしれない
そうなった場合に、義元は義輝を圧迫して征夷大将軍を目指したのか、管領と
駿・遠・三・尾・美・伊の6ケ国守護、それに義輝に継ぐ従四位参議の位をもらって
貴族趣味を満足させるに留まったのだろうか?
0664人間七七四年
2015/02/25(水) 01:18:01.02ID:gDWRS84l別に可能性が高い話をしただけ
しょせんイフだから、君が言うように「斎藤・六角と組んで浅井・朝倉と戦う」もあれば、
「浅井も六角も両方滅ぼす」なんて殲滅ルートも可能性はあるでしょう
でも、「遠交近攻」の常道から考えて、尾張の隣国の美濃・斎藤または南近江・六角と
組んで、わざわざその2者の向こうの北近江の浅井と戦うなんて、戦略的に可能性が
低すぎるよ
信長の「浅井と組んで、斎藤・六角と戦う」という侵攻ルートは、別に信長独特の発想
じゃなくて、尾張から西を見た場合に至極常識的な戦略だと思う
0665人間七七四年
2015/02/25(水) 02:23:33.75ID:1fLI6V+1というか、義元は上洛して何する予定なの?
自分には理解不能なんだけど。
三好を追い払って近畿制覇とか?
0667人間七七四年
2015/02/25(水) 12:39:13.22ID:hnT6pVet0668人間七七四年
2015/02/25(水) 17:29:00.84ID:ps12diPA信長だって数年かけて美濃固めてから上洛ってわけじゃないからなあ
押せ押せの時は外征したほうが固まる場合もあるし
0669人間七七四年
2015/02/25(水) 18:36:00.09ID:+VWeSb5C六角が邪魔したから頓挫したけど。
0670人間七七四年
2015/02/25(水) 22:50:57.29ID:nDClcy6U今川家が尾張を併呑した時点で斎藤家に残された道は服属か滅亡しかないと思う。
0671人間七七四年
2015/02/26(木) 08:09:22.39ID:6v1+TwC4伊勢は、せいぜい北畠氏が最大規模でしかない小豪族ばかり。
尾張しかない成り上がりの信長ですら切り崩せたのだから、駿河・遠江・
三河・尾張4か国の大軍を率いる名門今川の前には簡単に調略されて
いくだろうね。
尾張を獲ってしまえば、美濃・近江・伊勢・伊賀・甲賀には、国持ち規模の
戦国大名は義龍しかいない。
さらに斎藤と戦うなら、浅井氏は味方になるだろう。
各国の国人衆は、積み木崩しのように今川に傾く。
あからさまに在地領主から領地を奪う侵略ではなく、室町幕府救済を
御旗にした上洛のための調略活動であれば、誰もそれほど強く抵抗しない。
信長でさえ、美濃を獲ってから上洛までに1年しかかかっていない。
むしろ、信長がそうであったように、同盟または従属した浅井・北畠らを
どう処遇するかが難題。
一度支配した地域で叛乱を起こさないように、うまく今川支配権を浸透させて
いかなくちゃならない。
そして、後に起きる三河や長島の一向一揆のほうが、今川にとって強敵だろう。
もっとも、三河一揆のほうは今川直轄軍を投入することで、松平元康の
西三河における権限を弱める良いきっかけに使えるかもしれない。
0673人間七七四年
2015/02/26(木) 18:36:01.94ID:NVehQMTi中には本願寺と対立してる勢力もあったし。
0674人間七七四年
2015/02/26(木) 20:34:37.54ID:6v1+TwC4>>673が言うとおり、三河一向一揆は、本願寺と信長が対立する7年も前だよ。
寺社宗教勢力と共存した守護大名と違って、戦国大名が領国に対する支配権を
確立するうえで通る道筋だ。
0675人間七七四年
2015/02/26(木) 21:06:25.21ID:gDUMAg81もし上洛に成功してその後天下統一を目指して動いたら、加賀一向一揆にも手をつけないとならないし、あの時代に天下統一に動いたら一向一揆と対立するのは必然のようなものなんじゃなかろうか。
0676人間七七四年
2015/02/27(金) 00:47:08.59ID:/Y4lmdK+むしろ織田なんかに比べて名門だから室町幕府再興を目指したきがする。
0677人間七七四年
2015/02/27(金) 17:29:35.18ID:CSicQgvK0678人間七七四年
2015/02/27(金) 17:55:30.06ID:kMH/SdhY0679人間七七四年
2015/02/27(金) 18:05:57.00ID:mif+WC/h■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています