果たして今川幕府創立は可能だったか?
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0001人間七七四年
2010/12/14(火) 08:53:34ID:3iHTE7Hj上洛し、天下を手中にすることが可能だったでしょうか?徹底検証
しましょう。
0004人間七七四年
2010/12/14(火) 10:39:38ID:lRmsP4AN0005人間七七四年
2010/12/14(火) 10:59:48ID:HQvV3uMD0006人間七七四年
2010/12/14(火) 12:05:55ID:jQZ64CQC0007人間七七四年
2010/12/14(火) 12:20:09ID:4Uqsny6B愚鈍な人物じゃないって説もかなりあるし
0008人間七七四年
2010/12/14(火) 12:33:11ID:lRmsP4AN0009人間七七四年
2010/12/14(火) 12:35:57ID:4LTca98nせめて、後北条くらい倒さないと、征夷大将軍にはなれないじゃないかな。
氏真は、時代が味方してくれなかったというか、見放されたと言うか。
義元があんな死に方じゃなかったら、どうだったんだろう。
家康は、忠臣のままで終わりそう。
0010人間七七四年
2010/12/14(火) 15:22:17ID:6V9r9sf/0011人間七七四年
2010/12/14(火) 15:26:03ID:4Uqsny6B合戦で死んだわけでもないし
0012人間七七四年
2010/12/14(火) 15:27:53ID:B2pkdTYy有能な側近がいるかによるだろうな。
徳川秀忠だってあんなもんだろ。
0013人間七七四年
2010/12/14(火) 17:00:08ID:pyIG3HjMもっともそこまでたどり着ければだが
0014人間七七四年
2010/12/15(水) 08:25:07ID:RNXrG/ZK強固な支配体制、或いはちゃんと家臣化していればだったら、ああも簡単に
寝返る人間もいなかったかもね。
そう言う意味では、>>13の言う通り、足利性になったとしても、統一まで
はいったかどうか。
「義元が」って言う今川幕府ならあるいは・・・どうだろうか。
0015人間七七四年
2010/12/15(水) 08:39:18ID:giFjsz9s転覆。秀頼が氏真になるだけ。
>>3 寿命云々に関して、大上段にふりかざしていえば、当時の時代の流れをど
こまで把握していたかと関係あると思う。この時代の流れを把握できない人間
は古今東西、力量はあっても必ず肝心なところで病気になるか、事故に
あう、あれいは乗ってきた船が転覆したりする。まあだから桶狭間で死んだの
だということになれば、このスレは終わってしまうわけだが……
0016人間七七四年
2010/12/15(水) 10:50:04ID:4rYNnYnPなんでもかんでも天下を取れば幕府を作ると思ってないか。
義元が京都に上ってもせいぜいが足利将軍家を助けて
室町幕府内に制限された政権を握る程度だよ。
自ら将軍になろうなんて思わないだろう。管領程度か。
大内義興よりは権力握るかもしれないが、
三好か管領細川程度の立場になるだけだろうな。
0017人間七七四年
2010/12/15(水) 11:05:56ID:4rYNnYnP人生50年の時代にあんまり余生もないんだがな。
しかも桶狭間は京に上るための戦いではないというのがほぼ明らかになっている。
尾張を固めて京に上るとして最低でも45歳くらいになってる。
タイムリミットも少ない中、たいしたことができるとは思えない。
三好、松永を排除として足利将軍家と今川家の勢力拡大くらいが関の山。
どう考えても大内義興か尼子経久程度の権勢を持った大名が東海にできる程度だろ。
氏真が見直し論もあるとはいえ、せいぜいが「今川家を維持する」がやっとで、
それ以上のことはできまい。
家康ならできるだろうけど、今川家という名門を相手に家康がのっとるのは無理。
家康は豊臣という出自の低い家が相手だから乗っ取れただけ。
0018人間七七四年
2010/12/15(水) 12:14:09ID:jMETiFhJ0019人間七七四年
2010/12/15(水) 12:42:01ID:RNXrG/ZKだが、義元が手に入れた管領と権勢を、氏真が堅持し、次代に繋げたとしたら
どうだろう。
どっちにしても、幕府は開けなかった可能性が高いけどね。
家康については同意見。
我々は結果を知っているから言える部分が多いが、当時は忠義者で通っていた
人物だし、今川家の筆頭過労程度で終わっていた可能性が高いと思う。
しかし、家康と言う人間は、期を見るのに長けた人物だよなぁ。
0020人間七七四年
2010/12/15(水) 18:41:14ID:giFjsz9s0021人間七七四年
2010/12/16(木) 20:51:08ID:conAGIOp0022人間七七四年
2010/12/16(木) 21:06:31ID:5nlpEXvn今川の力は衰え、松平の独立にも繋がるかも
0023人間七七四年
2010/12/17(金) 02:41:15ID:HtoaQJjF0025人間七七四年
2010/12/17(金) 16:23:18ID:mHiR1KoB義元父子は政に情熱をなくし、やがて駿府は小京都と称されるようになり
そして一族にあたる重臣某の(ry
0026人間七七四年
2010/12/17(金) 16:42:07ID:VAgyEU6I0027人間七七四年
2010/12/20(月) 07:37:16ID:vQUDL0WD結局、信長が義元に代わってオールスターが揃いそうだね
0028人間七七四年
2010/12/29(水) 01:01:14ID:VCTe9594そうなると甲斐では義信がスムーズに家督を継ぐことにも繋がる。
0029人間七七四年
2010/12/29(水) 02:36:20ID:eKSrZz2u武田GOODENDだな
0030人間七七四年
2010/12/29(水) 08:10:52ID:f7SO0xFK0031人間七七四年
2010/12/30(木) 01:03:31ID:B+JMFHoT0032人間七七四年
2010/12/30(木) 07:36:21ID:VZ9rgNY60033人間七七四年
2010/12/30(木) 13:50:12ID:1J8lbsx9か否か?
0034人間七七四年
2010/12/30(木) 14:23:33ID:6xV2vof3義元や氏康よりは劣るだろうけど、氏政氏真とは渡り合えそう
0035人間七七四年
2010/12/30(木) 21:14:09ID:Diek0liL血縁結んじゃって義元が上洛するほどデカい勢力になったのなら取り込まれるだろうなぁ
その分戦争なくなるからいいかもわからんが
0036人間七七四年
2010/12/30(木) 22:38:39ID:Vk69JKt20037人間七七四年
2010/12/30(木) 23:38:01ID:vBmWBx/Yあの頃だって義元政治手腕抜群だし、部将達も合戦は強いし、そう無理でもないだろ
0038人間七七四年
2010/12/31(金) 00:26:15ID:XhUpeSJF戦国が長引くだけだろーな
氏康がなぜか桶狭間を知っていて一気に駿河・遠江を制覇
なんてほうが、戦国に片がつくかも?関東の幕府で・・・
0039人間七七四年
2010/12/31(金) 09:20:03ID:kcveiBm+私見だが、もしこのワンミスがなかったら、天下に一番近かった人だろう
0040人間七七四年
2010/12/31(金) 11:42:53ID:QBS00Xk+0041人間七七四年
2011/01/01(土) 22:22:03ID:UCxpbQMyて言うか古の光栄が低評価したばっかりにここまで祟られるとは義元さんも思わなかっただろうて
0042人間七七四年
2011/01/06(木) 08:25:44ID:bU/5nR7f光栄もやっと評価を見直したと言うところか。
我が家は、歴史好きな兄弟なんだけど、義元は政治家として、かなり評価が
高い。
0044人間七七四年
2011/01/06(木) 16:53:50ID:Qv3syVxK0045人間七七四年
2011/01/07(金) 13:50:41ID:qeJxi6Dxなんかヤダな・・ だがありそうでもある
0046人間七七四年
2011/01/23(日) 03:47:54ID:SPLjHt87室町将軍家・鎌倉公方家・吉良家の男系が断絶しない限り
足利宗家の地位は回ってこなかったわけだな・・・
0047人間七七四年
2011/03/07(月) 00:16:45.92ID:0uVNNNA4とはいえ討ち死等を除けば、大名の生化学上の寿命はそこまで短くもない
41ならまだ若い部類だ
早雲や元就の様に50を過ぎてから急激に躍進する人物も多い
0048人間七七四年
2011/08/04(木) 03:44:23.80ID:FKuFDjkf義元だって運さえあれば可能。
・上洛途中の大名が若死。(領土2倍に)
・上洛途中の大大名がたまたま御家騒動で没落。(領土3倍に)
・上洛後、超強敵が次々と若死。
これだけで十分か。
0049人間七七四年
2011/08/04(木) 08:09:26.67ID:xzsvIVNDそう思っている時点で、その説はダメだなw
0050人間七七四年
2011/08/04(木) 18:34:38.70ID:OuPkJPwo桶狭間の時ですでに40過ぎ、上洛して機内を平定して幕府を開いて、尚且つ安定させるには時間が足りないな
0052人間七七四年
2011/08/04(木) 21:48:57.53ID:FKuFDjkfとはいえ討ち死等を除けば、大名の生化学上の寿命はそこまで短くもない
41ならまだ若い部類だ
早雲や元就の様に50を過ぎてから急激に躍進する人物も多い
0053人間七七四年
2011/08/05(金) 18:25:10.11ID:ZI3IzXVM0054人間七七四年
2011/08/08(月) 02:56:34.85ID:Uhab2HRf0055人間七七四年
2011/08/08(月) 05:13:00.06ID:lllR+H0Z0056人間七七四年
2011/08/08(月) 09:40:20.19ID:19097ZRT0057人間七七四年
2011/08/08(月) 11:10:13.59ID:9uf3aSni0058人間七七四年
2011/08/08(月) 15:15:45.02ID:mRuPZpwuでも、器がでかすぎて大丈夫だよ〜とか酒盛りしてたら・・・
省略されましたこれ以上読むにはせっさいせっさいと
0059人間七七四年
2011/08/26(金) 21:49:43.40ID:+9MzM2puすぐ死ぬから問題ない。
0060人間七七四年
2011/08/27(土) 20:15:05.50ID:bqaeYpBy織田家の跡取りが13歳、
斎藤が観音寺騒動で弱体化、
武田、北条が相次いで若死。
ここまでお膳立てされれば開幕なんて余裕。
0061人間七七四年
2011/08/27(土) 22:06:31.69ID:j+TJ0csi0062人間七七四年
2011/08/27(土) 22:15:09.98ID:k2ZecQv30063人間七七四年
2011/08/27(土) 23:19:35.30ID:bqaeYpBy0064人間七七四年
2011/08/27(土) 23:20:37.23ID:bqaeYpBy0065人間七七四年
2011/08/28(日) 11:55:55.15ID:IyigLSeF> 「人間(じんかん)五十年」は、人の世の意。
> 「化天」は、六欲天の第五位の世化楽天で、一昼夜は人間界の800年にあたり、化天住人の定命は8,000歳とされる。
> 「下天」は、六欲天の最下位の世で、一昼夜は人間界の50年に当たり、住人の定命は500歳とされる。
> 信長は16世紀の人物なので、「人間」を「人の世」の意味で使っていた。
> 「人間五十年、下天の内をくらぶれば、夢幻の如くなり」の正しい意味は、「人の世の50年の歳月は、下天の一日にしかあたらない」である。
0066人間七七四年
2011/08/29(月) 20:21:24.27ID:8Q0lpphd「50歳までに500年分楽しんじゃおうぜ!」
↓
「若いうちに色々と冒険してみよう」
みたいな感じかな
J−POPの歌詞みたいなもんだね
0067人間七七四年
2011/08/29(月) 20:59:47.58ID:FAKD6Cb0駿府・三河を所有する大大名がたった一人の部下のせいで衰退したりする家臣システム
じゃ尾張を制圧出来てたとしても無理だったんじゃない?
それに、比較的人民が裏切りにくい農耕系のはず。尾張、美濃特有の商人気質に耐えられたかどうか・・・
0068人間七七四年
2011/08/29(月) 21:16:38.80ID:RBhyHA6y今川氏真はけっこう持った方だと思うけど。
忠臣多かったし。
でもまあ人間、代えのきかない人は居るもんだ。
十河一存、香宗我部親泰、豊臣秀長、、
0069人間七七四年
2011/08/29(月) 21:49:54.41ID:wz1SKLfm0070人間七七四年
2011/08/29(月) 22:51:29.41ID:FAKD6Cb0反故とか色々、守勢に回ったわけで・・・
でも、確かに、替えが効かない系の人って昔は多いのかな。
家臣団の人数と言うか今と違って自分の領国の民が文字すら読めない・書けナイだったし
替えが効かないじゃなくて替えがいない?
0071人間七七四年
2011/08/29(月) 22:53:38.50ID:FAKD6Cb0反故とか色々、守勢に回ったわけで・・・
でも、確かに、替えが効かない系の人って昔は多いのかな。
家臣団の人数と言うか今と違って自分の領国の民が文字すら読めない・書けナイだったし
替えが効かないじゃなくて替えがいない?
0072人間七七四年
2011/08/30(火) 05:22:02.19ID:T0zwslk5フッフッフ、キラーン
0073人間七七四年
2011/08/30(火) 08:58:22.96ID:Py7O0w/f0074人間七七四年
2011/08/30(火) 11:46:26.42ID:HXqRcZkmあったとしても苗字を足利に戻すから、後足利幕府だろう。
0075人間七七四年
2011/08/30(火) 11:55:45.59ID:a2Z4uT0C信長でさえ義昭を呼び戻し室町幕府を仕切り直ししようとしてたっぽいし
案外、征夷大将軍ってのは聖域だったんだろう、当時の感覚からすると。
義元やら信玄やらが幕府を潰すとは思えない
0076人間七七四年
2011/08/30(火) 14:51:05.11ID:dplT2ivj上杉憲政が関東管領と上杉姓土産に庇護を求めたのは長尾より先に佐竹(←先祖が途中から上杉)に打診したらしいからな
やっぱ親戚の世話になりたいだろ
0078人間七七四年
2011/08/30(火) 21:07:36.36ID:HaDlT5wy0079人間七七四年
2011/08/31(水) 02:44:28.92ID:zUlDrhWf0080人間七七四年
2011/08/31(水) 08:47:07.56ID:lnPYwMq0源希望の後裔に養子に入った。
今川は副将軍か吉良義尚のような将軍代行か、それだろ。
義昭の子供が将軍にならなければ、将軍もありだっかかも。
0081人間七七四年
2011/08/31(水) 13:43:13.48ID:JZNdIghy徳川御三家の二番目の紀州家は将軍家の跡継ぎ不在によって将軍の座を
射止めたけど
0082人間七七四年
2011/08/31(水) 18:41:07.69ID:BDURY57t幕府創設まで行けたんじゃないの?
0083人間七七四年
2011/08/31(水) 23:10:44.50ID:eHXduZuj三浦なんてのが取り仕切りだしたらあっという間に傾きそうだし・・・
0084人間七七四年
2011/08/31(水) 23:43:32.80ID:ip0fu8CS0085人間七七四年
2011/09/01(木) 01:59:14.47ID:YDkSPVnw0086人間七七四年
2011/09/01(木) 04:03:17.82ID:0tqpEF/Dどっちにしろ長慶死ぬの待たずに上洛作戦展開しても近畿の大和か山崎で三好家と大激突してぼろ負けしてんじゃね?
上洛の名分がなんであれ足利の親戚が大軍率いて京を目指す。ってなったら当時最強の三好家・長慶&ブラザーズが今川を上回る7万近い戦力で後のない死ぬ気の覚悟でぶつかると思うんだが。
結果今川家敗北濃厚かと
京周りで当時三好家本拠の芥川城を狙うとしたら、秀吉光秀合戦の場所となった京大坂間の要所で、さらに芥川城から半日の場所の山崎で三好家は迎撃するんじゃない?
ここは西から東に突破するのは難しく三好家本城とも半日の距離で士気も違う。
伊勢周りだと信貴山城が邪魔になり攻めるなら三好家の後ろ巻き、スルーなら挟撃。
後ろ巻き期待できる籠城戦で有力家老の松永が降伏する事は期待薄。
伊勢周りのが可能性は低いと思うがこの場合斎藤家の南下が今川家の崩壊の引き金かと
0087人間七七四年
2011/09/01(木) 04:52:27.80ID:hBPl2RX20088人間七七四年
2011/09/01(木) 08:05:43.10ID:SD+lDfeU北条武田と同盟結んで東海から尾張まで抑えてる今川が?
こっから信長と同じように進めてけばそれだけで織田より有利なのに
0089人間七七四年
2011/09/01(木) 13:41:01.03ID:+ymCYX/w尾張がターゲットになってたのは間違いないけど、そこからさらに西に行くと
えらい細長い領土にならないかなあ それとも本拠地を西のどこかへ移していく
つもりだったのか・・・ あるいはそのうち三国同盟を破棄するつもりだったのか・・・
西の京の都は遠いし関東でやっていくには北条、武田らがえらい邪魔になる・・・
0090人間七七四年
2011/09/01(木) 13:46:56.25ID:0tqpEF/D河内・摂津・和泉・大和・讃岐・阿波の六カ国と淡路・丹波の大半・播磨や山城の一部を支配下に置いて1562時点で三好家だけで6万超える軍勢を動員してる、当時最強の天下人だったしね。
三好長慶の名声は東西に轟いていて、正味の話、長慶存命中は今川家だけじゃなくどこが上洛作戦展開しても勝てないでしょ。
義昭を担いで朝倉家が上洛しなかったのも当主がポンツクってより、長慶の後光にビビってのことだしね。
まぁ長慶死後、家督争いで一族・重臣入り乱れての混乱の隙を突けた信長は強い運の持ち主かと。
長慶死後なら今川家でも三好家に勝てるでしょうな
0091人間七七四年
2011/09/01(木) 22:26:46.95ID:AiHYDHFB0092人間七七四年
2011/09/02(金) 13:00:59.85ID:9XLbJWe5桶狭間から2年以内に三好とぶつかるんならやばいね
実休が死んだ後なら長慶いても今川のほうが
0093人間七七四年
2011/09/02(金) 23:21:49.55ID:9iCEckHS六角は反三好だよね。今川互角に戦えそうじゃね?
0094人間七七四年
2011/09/03(土) 12:19:24.53ID:APsTrRyG0095人間七七四年
2011/09/03(土) 12:36:28.42ID:GemYUzuBそれが、六角さんの崩壊の引金は三好と組んで織田(浅井)と対抗しようとした所
それ以前にも六角義治が三好に接触して六角家臣から反発うけた事があった。
三好之虎が死んだとしても阿波には篠原長房がいる
まあ今川が上洛する事でのキーワードは三好よりも足利がどう動くかで変わるだろうね。
足利次第で三好や他の大名の動きがどうなるか
0096人間七七四年
2011/09/03(土) 22:43:56.62ID:OlhRBHGD0097人間七七四年
2011/09/04(日) 01:36:43.13ID:KCkkzzkK特に今川と揉めなきゃいけない理由はないよ
0098人間七七四年
2011/09/04(日) 10:22:05.28ID:PE8R+g330099人間七七四年
2011/09/04(日) 11:28:58.60ID:cuj0Kchk0100人間七七四年
2011/09/05(月) 19:26:20.09ID:uOFR2jpY知名度、実績からいって今川圧倒的じゃね?
0101人間七七四年
2011/09/05(月) 22:19:54.40ID:ELhZf0Jh0102人間七七四年
2011/09/06(火) 00:43:12.47ID:S+HxKLpA蹴鞠の才能があったんだから、手先足先は器用って事だし、手先器用な人でトロい奴はまぁいないし頭の回転は早そう。
頭の回転が早いって事は器用応用が効くって事で、かなりの政治的な器の持ち主かと。
ひょっとしたらバカ殿扱いされてんのは影武者で、戦の世を嫌って道楽の道を究める為に侍を辞めてたかもしれんが…
0103人間七七四年
2011/09/06(火) 04:50:58.49ID:2oVa/3MWただし根拠ははっきりしないのだが
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