果たして今川幕府創立は可能だったか?
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0001人間七七四年
2010/12/14(火) 08:53:34ID:3iHTE7Hj上洛し、天下を手中にすることが可能だったでしょうか?徹底検証
しましょう。
0116人間七七四年
2011/09/07(水) 18:30:39.95ID:CX/HUBsd尾張を手に入れても本拠を前進させないと破たんする
武田みたいに甲府くんだりから遠征繰り返してたらな
0117人間七七四年
2011/09/07(水) 18:45:42.15ID:36ZpWsaF義仲も頼朝も尊氏も大内も破綻してないけど?
そもそも岐阜くんだりから、何度も遠征繰り返してたのは信長。
0118人間七七四年
2011/09/07(水) 19:23:00.53ID:2J71Hsvp戦国以前は短期間で兵を動員する方法が確立しておらず
一度、大軍を作ってしまえば無敵の快進撃になったらしい
城で篭城って言うより、砦に集合して出撃する戦い方だし
0119人間七七四年
2011/09/07(水) 19:40:03.31ID:CX/HUBsd京を抑えながらも退去した大内を成功例に挙げる意図は?
武田・北条が大内の尼子に絶対にならない保証もないのに
あと長征してて負けたら死亡必死だよ 義仲やら新田やら顕家やら 尊氏みたいに縁もゆかりもない西国落ちして盛り返すのは奇跡
0120人間七七四年
2011/09/07(水) 20:07:12.94ID:36ZpWsaF本拠地移転の方が有利なのは良いとして、
義元が本拠地移転に難色を示す理由とは?
つまり、今でこそ今川と言えば駿府かもしれないけれど、
当時そこまでの意識はあったのだろうか?
0121人間七七四年
2011/09/07(水) 21:08:57.76ID:zCI4DcHr0122人間七七四年
2011/09/07(水) 22:08:15.22ID:JiGtNZZL負けたから能無しでと誇張されてるだけでしょ
参謀がすごかったとしても取り入れる度量と
家督争いは征してるからね
ここ一番の運は無かったわけだが。
0123人間七七四年
2011/09/08(木) 03:02:04.99ID:Yuc5M0Fd首とられるのは不運すぎるな。
0124人間七七四年
2011/09/08(木) 06:25:02.38ID:yHvoEMLx0125人間七七四年
2011/09/08(木) 10:58:00.99ID:XA2gbvMQ国力を総動員してでも尾張を取りにいった義元を軟弱とは思えない。
それに、下克上の時代において国内を強固にまとめ、武田や北条から
国を守り続ける事が出来たのは、義元の器量によるところが大と思う。
桶狭間は、義元の命令に頼りっきりだった今川家臣団と、義元を殺すには
どうすりゃいいかと自分で考え、動いた信長馬廻り衆の起動力の差が出た
結果ではないかな。
0126人間七七四年
2011/09/08(木) 12:42:49.51ID:ga+rOBNiでもない。
0127人間七七四年
2011/09/08(木) 13:44:56.72ID:yHvoEMLxもはや時代が彼のような行動を許さなかったのだろう。
風雲児織田信長の踏み台にならざるをえなかったのだ。
0128人間七七四年
2011/09/08(木) 21:49:06.56ID:cn5hVTMn後づけの資料には義元を討ち取ったとあるが、桶狭間で負けたのは事実だが今川義元が討ち取られた。て事は織田家が言ってるだけで今川家は最初認めてない。
義元が桶狭間で負け今川家を出奔した事で今川臣団は誤解して偽の首級を持ち帰ったしな(織田家はなかなか渡さなかったが、端っから討ち取ってないので首なんて有るわけない。偽首準備の時間稼ぎ)
徳川家の当時の資料や江戸時代の資料には、桶狭間での今川家の敗北には触れてるが義元戦死には一切触れてない。
最後まで天海の素性は謎のままだが、江戸初期には義元=天海説が徳川家臣団に囁かれ続けてたしさ(水戸日記・尾張郷土史)
まぁ、義元的には桶狭間で死んだ事にして生まれ変わった環境で生きてけたしそこそこ幸せだったんじゃないかな
0129人間七七四年
2011/09/08(木) 21:56:52.59ID:TcXki3uE0130人間七七四年
2011/09/08(木) 22:02:13.23ID:PemeSRJ/0131人間七七四年
2011/09/08(木) 22:24:28.68ID:yGRb1B80一般的にそれなりの理由さえなさそうだし。
「麻呂、一足先に京にいくでおじゃる。
皆の衆は各国蹴散らしながら追いかけてくるのじゃ」
〜桶狭間で敗戦〜
「拙僧は浮世を離れた修行の身、過去は一切捨て申した でおじゃる。」
こんな感じか?w
0132人間七七四年
2011/09/08(木) 23:52:17.59ID:cn5hVTMn出奔理由がとても曖昧でした。
尾張郷土史の話では『日々に鬱み』と簡潔…
水戸日記は出奔理由には触れず
この出奔理由以外は信憑性激高なんだが、出奔理由が無い・薄いせいで、義元=天海説が支持されません…
0133人間七七四年
2011/09/09(金) 01:53:01.50ID:Pn9yG+XQ0134人間七七四年
2011/09/09(金) 20:38:42.07ID:GnLIj1biそもそも氏真から逃げる為の尾張出兵だったかもしれん
0135人間七七四年
2011/09/10(土) 14:33:27.13ID:OCuCvl0v0136人間七七四年
2011/09/11(日) 14:05:11.86ID:3Q2jyITa0137人間七七四年
2011/09/11(日) 14:34:14.99ID:lOT3ONqp脳なしとは言われにくいと思う
だって勝った方は脳なしなんぞに勝ったところで自慢にも何にもならないし。
自分をよく見せるには負けた奴は悪いやつと落としたほうが見栄えはいい。
織田の史料で今川を馬鹿だとか無能だとか書いてあるものはない。
0138人間七七四年
2011/09/11(日) 14:37:56.41ID:lOT3ONqp江戸時代に書かれた軍記物に書かれているものだけ
0139人間七七四年
2011/09/11(日) 15:04:15.06ID:q9d7gjtJ0140人間七七四年
2011/09/11(日) 19:07:07.94ID:yJ44FN970141人間七七四年
2011/09/11(日) 23:52:01.22ID:nDue0aL50142人間七七四年
2011/09/12(月) 00:02:01.85ID:lOT3ONqp0143人間七七四年
2011/09/12(月) 12:02:04.36ID:ESNWaSch腕前はあったわけだよな?
0144人間七七四年
2011/09/12(月) 14:49:25.30ID:f9VwTrXp義元公が本気出してたら織田の小倅や生臭坊主やナルシストには完勝できるよ
義元公には旗本八万騎がついてるからな
0145人間七七四年
2011/09/12(月) 22:02:10.10ID:qD/InezY0146人間七七四年
2011/09/12(月) 22:48:26.80ID:1vQb09io・・・でも、無理。
0147人間七七四年
2011/09/12(月) 22:48:43.47ID:WoeXjWJl0148人間七七四年
2011/09/13(火) 04:09:03.07ID:RlOcJsvp足利>>>>斯波>>(越えられない壁)>>その他
だし。斯波は足利幕府成立前後では斯波ではなく足利名乗ってたし
元々政治に参加しなくてもよい将軍に次ぐ貴主であるのを義詮や義満が一段落として管領に突っ込んだって経緯があるわけで
徳川幕府でいうなら斯波のみが御三家相当で、他は御三卿にも満たないだろうよ
だから今川が足利に改姓して将軍になるってのは無いでしょ。それやるぐらいなら今川幕府作った方が反感は少ない
足利幕府っていう体制を残すなら管領ルートだね
0149人間七七四年
2011/09/13(火) 08:21:20.75ID:ltswKjNZ当時の織田家さえも屈伏させられなかった人間に後のifは不可能。
実は、アンサイクロ〜に書いてた通り、上洛の目的は今川焼きをみんなに食べてもらいたかっただけだと思う。
軍を引き連れたのは見栄を張りたかっただけ。
厨な信長が過剰反応しただけじゃ?
0150人間七七四年
2011/09/13(火) 08:53:57.51ID:U0ol2sTCただみんなに美味しい今川焼きを食べて欲しかっただけの義元公を不意打ちで殺すなんて
0151人間七七四年
2011/09/13(火) 10:09:13.93ID:wjh4IEtw0154人間七七四年
2011/09/13(火) 12:00:27.46ID:sm1D4Nyo丸根と鷲津の砦を落とした今川軍は
城の前に捕らえた百人程の捕虜を横並びに並べると後ろから襲い掛かる。
今川兵壱「てこづらせおって!食らえっ!!」
織田兵壱「ぎゃあああっ!しっ尻が裂けるうっ!?」
今川兵弐「ふんっ!ふんふんっ!!」
織田兵弐「痛いっ!痛いーっ!!うっ動かないで・・・っ!!」
総大将の今川義元も敵城主佐久間盛重の尻に夢中になっていた。
義元「田舎武士の汚い尻もたまに味わう分にはいいものじゃ、ふんっ!ふんふんっ!!」
盛重「うあっ!ズンズンくるうっ!?」
だが・・・
織田軍「わあああああっ!!」
そこへ信長率いる織田軍3千人が玉砕覚悟で攻めかかってきた。
義元「おわっ!敵じゃ、早く下穿きをはかねば・・・・」
そのまま戦っていれば今川軍の数の優位は揺るぐことはなかったが、
しかし身なりや礼節を重んじる彼らはフルチンで戦うことをよしとしなかった。
織田兵参「参るぞ!覚悟!!」
今川兵壱「ちょっとまて、今竿を綺麗にして服を着るからな」
織田兵参「何を抜かしやがる!とりゃーっ!!」
今川兵壱「ぎゃああああっ!!」
かくて今川軍は大混乱。
義元「おのれ!下穿きをはいている最中に襲い掛かるとは卑怯千万!!」
新助「御大将に一番槍!食らえ!!」
義元「うぎゃああああっ!槍が尿道に刺さったっ!!!」
今川軍はほとんど抵抗らしい抵抗も見せぬまま大将を討ち取られ壊滅した
0155人間七七四年
2011/09/13(火) 19:28:00.50ID:4NC6wRZ2>>148氏の指摘している通り、
大判焼きを今川焼きと称したから反感を受けて織田勢の猛攻を受けたのかも知れん。
0156人間七七四年
2011/09/13(火) 20:04:15.67ID:0Wd4yUNt超無能人斯波義銀の子供は守護代の奉行の出の(=信長)の無能の3男(=信雄)に
秀吉の策略にはまり暗殺されるという有様。同族最上に至っては早くも1617年に
お家取り潰しw。高水寺斯波氏もある程度の家格は何とか維持していたとは言え,
秀吉の時代にはいない有様。
足利一族は無能すぎる。吉良しかり斯波しかり。
0157人間七七四年
2011/09/13(火) 20:16:46.01ID:ltswKjNZそりゃ今川含めて上方武者の末裔だしさ(ρ°∩°)
どうせ、俺達上方もんは戦は向いてませんよだ(≧ヘ≦)
0158人間七七四年
2011/09/13(火) 20:24:47.43ID:ZRlc/94m0159人間七七四年
2011/09/13(火) 20:37:10.06ID:ltswKjNZ京都なんか大阪と一緒にされたら恥かくくらいで、敦賀と連んで4師団から飛び出すし。
っていうか河内源氏の頭領が平家が憎いよ〜って泣きながら、
板東平氏の嬢ちゃんに泣きついて出来たのが鎌倉幕府で、
その名門が足利・新田だろ?
0160人間七七四年
2011/09/13(火) 22:52:49.95ID:eJu80GeF深いところに行き着いてるな
誰か結論言ってくれ
義元公は男色だったのか?
0161人間七七四年
2011/09/14(水) 22:31:53.85ID:hxz2CM7qだいたいあたりまえの事は書かない、よって普通に男色だった思う。
よっぽど男色狂いとか女狂いはそれなりに記述が残ってるでしょ?
0162人間七七四年
2011/09/14(水) 23:02:38.82ID:8oArfRfEまさかせっさいとせっせいと毎日、、
0163人間七七四年
2011/09/14(水) 23:10:39.60ID:hxz2CM7qそれに小姓がいくらでもいるっしょ
0164人間七七四年
2011/09/15(木) 18:14:58.00ID:fm4mmKVl全国時代って終わってるね
自分が10代前半の時に50前後のオッサンにシャブられたり掘られたり、逆にシャブらなあかんかったりしたら…
手首切りたくなるわ
0166人間七七四年
2011/09/15(木) 20:44:29.51ID:Lfwt6/LZ0167人間七七四年
2011/09/16(金) 07:09:49.40ID:oTS0Trwmいまでいうゲイとは違う
0168人間七七四年
2011/09/16(金) 20:42:37.82ID:/Y/dj3mE0169人間七七四年
2011/09/16(金) 21:15:16.37ID:UU8GMduC武家なんて男子相続が自然だけど、娘しかいない家なんて普通にあると思うんだ。
そういう家の中には、あっさり女の子を男装さしちゃえって思う家だってあるだろ?
そういう子と付き合ったのが男色扱いなんじゃね?
で出来たら、適当に、誰かの子供ってことにして、養子にとる。
で然るべきタイミングで自分は適当なところで死んだことにして女に戻る。
そんな話の方が、どいつもこいつもバイなんてより理解しやすいんだが?
0170人間七七四年
2011/09/16(金) 21:24:48.71ID:eiUvxb80すると信長か利家のどちらかは女ってことに。
0172人間七七四年
2011/09/16(金) 21:36:37.98ID:eiUvxb80子供の母親はほとんど全員不明、
正妻の墓も不明、
愛妾の醜聞も無い。
勘が冴え、
普段は博愛ながら、
愛憎の激しさは人の三倍。
信長が女の可能性はかなり高いと思う。
0173人間七七四年
2011/09/16(金) 22:27:13.70ID:i5xykUE2信雄・信孝兄弟の生まれはどう解釈する?
0176人間七七四年
2011/09/17(土) 01:15:42.59ID:MgqqsxKT妾たくさんいた秀吉や家康筆頭に吐いて捨てる程女好きの武将や世間山話はあるんだが
いないとは言わないが今も昔もリアルゲイは少数派でしょ。
上のレスの真逆で、みんな女好きだからそこそこの女狂いだと話残らず、突き抜けての女好きぐらいで後世に残る。
逆にリアルゲイは少数派だから有名武将がそうだとしたら話が後世に残った。みたいな。
ことわざでも、英雄色を好むってあるぐらいだし。
この色は男色とか無しな。歴史の偉人は皆さん女大好き人間。ってのを皮肉った言葉だから
0177人間七七四年
2011/09/17(土) 04:07:20.37ID:OEap1Yne信用できないとか、人間よりワンランク下がる生物として見てた気がする
対等に愛し合えるのは男同士だけだったんだろう
0178人間七七四年
2011/09/17(土) 06:26:57.14ID:0Gcvui3T生理に出産に伴い汚物を撒き散らす動物だからね。
0179人間七七四年
2011/09/17(土) 10:50:32.01ID:pVhxKH9L神社の巫女ってのは普通にいるし。
尼寺ってのも尼僧ってのもいる。
女を忌避した原因は、
月に一回、合計1週間弱(人によりゃもっと軽い)異常に能力が低下する。
女一人で2〜5(普通の良いとこの奥さんの出産数のイメージ)人出産するから、次世代確保のための保護。
じゃね?
原始時代なら股間から血を垂れ流すから、
肉食獣に狙われて迷惑するってのもありそうだがな。
0180人間七七四年
2011/09/17(土) 14:12:59.06ID:ou94vQdq風呂で背中を流すとか、風呂上がりに雑談しながらマッサージとか程度じゃね?
性交までしていたとは思えないんだよ。けつの穴なんてウンコついて汚いじゃん。
女の売春は最古の職業といわれるけど、
男の娼婦なんて一般的じゃないしな。
いつの時代も、女より男が好きなんて男は少数派だったと思うんだけど。
0181人間七七四年
2011/09/17(土) 16:11:56.32ID:lrugYGOM>武家なんて男子相続が自然だけど、娘しかいない家なんて普通にあると思うんだ。
>そういう家の中には、あっさり女の子を男装さしちゃえって思う家だってあるだろ?
直虎→美少年→彦にゃん
ここは歴代女性っぽいな
0182人間七七四年
2011/09/18(日) 21:29:13.57ID:2wfYVsSy男色って言うけど、
当時は少年をはべらせるんだぞ。
森乱丸21歳、森坊丸15才、森力丸14才とか。
0183人間七七四年
2011/09/18(日) 22:45:19.85ID:n1YPahOmねぇよwwwww
何のために婿入りという制度があると思ってんだ。
0184人間七七四年
2011/09/20(火) 03:27:02.53ID:f3I4qZ9J不純異性交遊どころの話ちゃうし
0185人間七七四年
2011/09/20(火) 23:45:30.21ID:WaSM5EkJ先進国ほどゲイが増加してるんだけど、
何故かと言うとSex and the Cityみたいな男アサリに、
男達が疲弊してどうしても男に癒しを求めてしまうんだと。
女が終わってるのか、男が終わったのか、都会が終わってるのか、、
0186人間七七四年
2011/09/21(水) 14:10:28.62ID:vZGBWOZV0187人間七七四年
2011/09/22(木) 14:42:49.09ID:MtwWjERW巷説の類の美少年蘭丸じゃないので信長の寵堂ではなく
単に本人の才能+忠臣の遺児なんで信頼できるから側近にしていたというのが
有力説だけど
信長がネコだったとしたら別の意味で寵愛されてた可能性はあるなw
0188人間七七四年
2011/09/22(木) 22:08:08.10ID:XVEOBHPZでも身代ごっそり他人にとられちゃうのは嫌だい!って家もなくもないかもしれんよ。
それこそ謙信女性説なんてのもあるしさ。
0189人間七七四年
2011/09/23(金) 12:32:43.92ID:O9j89llN0190人間七七四年
2011/09/27(火) 04:28:09.53ID:LUEd6Tnv突き抜けるぅぅぅぅう
掘る掘る掘る掘る掘る掘る掘る掘る掘る掘る掘るぅ
0191人間七七四年
2011/09/30(金) 00:52:12.05ID:he56C8nQそんなことを言っているのかな?
しかし前田利家が信長とやってたという文書も
小早川隆景が大内義隆とやっていたという文書も非常に名誉で自慢げに書かれているんだけどな。
加賀藩の記録によると諸将の前で前田利家が信長と若い頃やってたといわれる利家は光栄と感激のあまり涙を流し、
諸将は羨望の眼差しで見たということだ。
確かに男色に関する捏造とか嘘はあっただろう。
でも、そういうのはむしろ「本人の名誉」のための捏造なんだろう。
「○○公はこんな凄いお方と男色関係にあったんだぞ!!」という。
0192人間七七四年
2011/09/30(金) 20:01:14.80ID:O55PCmGg0193人間七七四年
2011/10/01(土) 10:30:02.34ID:uVw6enT70194人間七七四年
2011/10/01(土) 22:10:27.02ID:Ktu4LQdj股佐左衞門の槍伝説は、捏造かよ!!!
0195人間七七四年
2011/10/09(日) 22:02:29.33ID:DmupMR3/別に両立しない話ではないから。
槍の股佐は突く方と突かれる方の話。
0196人間七七四年
2011/11/13(日) 12:00:31.79ID:cp4SE/+O0197人間七七四年
2011/11/13(日) 16:29:23.10ID:S7SIpIG8http://2nd.geocities.jp/jmpx759/0204/45/296.html
その多くにあったのが、徳川幕府の日付であった。
0198人間七七四年
2011/11/14(月) 01:08:39.06ID:yTgKSqdf0200人間七七四年
2012/05/18(金) 08:10:30.50ID:rm/Iv2Ly0201人間七七四年
2012/05/19(土) 21:17:45.63ID:/bKgeNda0202人間七七四年
2012/05/21(月) 04:51:27.87ID:zmydP2K4ほかに候補がいっぱいいたんじゃねーか?
0203人間七七四年
2012/05/29(火) 02:41:59.68ID:ENRLr787高祖父の今川範政に倣って征夷副将軍に就任して終わりだろ
まぁそれも義元一代限りで氏真になると近畿撤退してそうだが
0204人間七七四年
2012/05/29(火) 05:05:45.70ID:TBRog6XLこんな坊主1人おっただけで幕府が開けるとかありえねえよ
0205人間七七四年
2012/05/29(火) 10:39:14.28ID:u1U9vAQL王の師匠の荒川みたいに。
0206人間七七四年
2012/05/29(火) 21:32:26.30ID:VsDPMkm0今川義元の右腕として手腕を発揮し、今川氏の発展に大きく寄与したことから、
「もし雪斎が1560年の桶狭間の戦いまで存命していたならば、義元が織田信長に討たれるようなことは決してなかった」
「今川氏の衰退は雪斎の死によって始まった」等と評する文献も少なくない。
0207人間七七四年
2012/05/31(木) 08:19:40.79ID:40yaHXQGいるのと同じだ。。
基本的には、雪斎のおかげだではなく、雪斎を使い切れた義元の才能だろ。
どんな才能があるものでも、自分が当主でもない限り、才能をはっきする機会を
貰えなければ、一生鳴かず飛ばずだ。
0208人間七七四年
2012/06/10(日) 11:39:36.39ID:seezTXja> 王の師匠の荒川みたいに。
野球ファン以外にはわからんたとえだww
0209人間七七四年
2012/06/25(月) 14:56:28.53ID:rlWpxDmt悪左府と清盛の弟って男色関係だったらしい。
日本って古来より凄かったんだな。
0210人間七七四年
2012/06/25(月) 22:28:11.57ID:1AVdTk7U0211人間七七四年
2012/06/27(水) 22:39:41.05ID:+1w/nba8息子の死後跡を継いだ養子の伏見宮家の後花園に最後までこだわっていた自分(後光厳流)の嫡流としての存在を否定されてしまったこと
0212人間七七四年
2012/09/27(木) 20:37:09.66ID:rrSaO7W50213人間七七四年
2012/10/01(月) 18:14:10.14ID:4lOA8hke政元くんが、一人でかなりがんばって室町幕府をぶっ壊したのは間違いない。
0214人間七七四年
2012/10/01(月) 23:14:05.44ID:PE5uIKi8木曽しかり、本拠地までの経路全ての地盤を固めないと上洛なんてただの修学旅行だと思う。
0215人間七七四年
2012/10/01(月) 23:19:45.26ID:V+0m5QUf坂井大膳に任せてれば、美濃斎藤は靡くかね
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