戦国ちょっと悪い話24
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0001人間七七四年
2010/12/11(土) 09:21:33ID:oSVIUoMx戦国ちょっといい話・悪い話まとめブログ
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逸話に対する過度の真贋論争、揚げ足取りなどは、無駄に荒れるもとになります。
そのような議論はこちらでお願いします
【真?】戦国逸話検証スレ【偽?】
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0849人間七七四年
2011/02/16(水) 22:32:32ID:1l3htzIG届けた者は「これは聚楽より届けたものです。浅野弾正(長政)殿へも急いで書状を届けねばならないので、
後から戻ってきてご返事を賜ります」と、すぐに帰ってしまった。
番所の者たちが持ってきた書状を三成が見ると、文箱の上には『石田治部殿まいる』と書かれているだけで、
差出人の名前はどこにもない。不思議に思って中を見ると、そこには幼い者のような筆跡でこうあった
『近々太閤(秀吉)様が聚楽へ御成になるということで、様々な準備が行われています。
中でも北山にて行われる鹿狩りの為ということで、諸国より弓鉄砲の優れたものを選りすぐり、
数万にも及ぶほど召し上げられておりますが、これは全く狩りのためのものではなく、関白(秀次)様の
御謀反の為のものであるように見受けられます。
この事は対面して申し上げたいのですが、返り忠の者と言われるのも口惜しく、またこれを申し上げなければ
重恩を被った主君に弓を引く事になります。其の様な事から我が名を隠しました。』
怪文書である。
三成は驚き急いで秀吉の御前に参りこの事を申し上げた。これを聞いた秀吉は
「関白がわしに一体何の遺恨があるというのか?それは関白に疎まれた者が、その腹いせに行ったことではないか?」
と、本気で受け取ろうとはしなかった。だが三成これに
「いや、私にも色々と存じあわせていることがあります。先ずは関白様の家老である田中兵部(吉政)を召し寄せ、
彼を騙して様子を見てみたいと思います。」
秀吉は「くれぐれも隠密に」と、これを許した。
さてこの頃、田中吉政は摂津国河内の堤普請の奉行をしていたが、三成の緊急の呼び出しにより、
夜通しで三成の宿所へと駆けつけた。三成は奥座敷の方に招き入れ、彼ら二人のほか誰もおかず差し向かいになり、
そこで話し始めた
「田中殿?御辺は生死の境にたっておられる。この三成こそが、お命を助けることが出来る。」
これに吉政は大いに驚き
「これはいかに!?夢にも思わぬことをおっしゃる!一体何事が起こったのか話していただきたい!」
「さればだ田中殿、御辺が三成ほどの親友を持たなかったら今度の大事を、どうやっても逃れることが
出来ないところであったぞ?拙者がそなたの首を継いでさし上げようというのだ。」
この不遜な言葉に吉政は怒った
「何を申すか石田殿!?今日本の侍の中に、この田中のことを御前において悪し様に言うような者が居るとは
思えない!たとえ讒言されたとしても、お上(秀吉)が用いることはないと信じている!
石田殿!そなたは最近出頭いたし、御前近くまれ参られているとは言え、人に向かって首を継いでやる、命を
助けてやる、などと言い出す謂れがあるか!?よろしい、只今すぐに御前にまいろう!
御辺も無用なことをして私を助けるくらいなら、罪があるというのなら我が首をここで討て!」
こう言って膝を治し刀の柄に手をかけ、思いつめた気配で三成を睨む。
ここで三成、小声で
0850続き
2011/02/16(水) 22:33:17ID:1l3htzIGしかしここはお心を静めて聞いていただきたい。
関白様が御謀反を計画されていることが明らかとなった。
太閤殿下は『中村(一氏)は病気で出仕しておらず、これを知らないということもありうるだろう。だが田中兵部が
知らないということは絶対にありえない!頼むまじきは人の心だ!急ぎ召しだし腹を切らせよ!』と仰せられた。
だが私はその時『お言葉ではありますが、関白様はこれほど不覚なることを思い立つような心理状態で、
中村や田中にそれを打ち明けておりましょうか?私がかねがね伺っていることに、その両人は関白様に
度々ご異見申し上げるため、出仕しても関白様がご機嫌を悪くされ、御前から遠ざけられているとの事です。』
と、そなたに変わって申し上げると、『それはそうかも知れないが、さりとてこれ程の事を準備しているのなら、
何につけても不審なことが現れるべきなのに、それも言わないとはいかなることか!?』『その儀でございますが、
田中兵部は内々に私に申してくるようにしているのですが、今までは関白様にそのような野心があろうとは
全く存じなかったために見逃していたのです。知った上は今まで以上に、関白様の御振舞で聊かでも怪しいことは
すべて報告させましょう』
…と、このように申し上げたのだ」
吉政これを聞いて
「こ、これは考えもつかないことであった。一大事というからには私がなにか讒言を受けたものとばかり…。
そういう事ならば私は関白様から外様者のように扱われているので、そんな大事を知らせられるわけもないのだが、
太閤殿下が私を憎く思われるのも無理は無い。しかし全く存ぜぬ旨は、御前に出ても申し抜く。
…この上は石田殿の言うとおり、関白様の周辺を伺い見ることといたそう。」
ここに、田中吉政は三成、そして秀吉のスパイとなった。そして確かなことは何も確認できなかったが、
とにかく秀次の身の回りのことで少しでも怪しいと感じたものを、毎日三成へと知らせた。
そして三成もまた、この書状を持って秀吉に
「御謀反もはや、疑い無く候。田中兵部は昨日はこう申してまいりました。今日はこのように申してきました。」
と、これもまた毎日のように言上。遂に秀吉は決断する。
「ならば、急ぎ踏み潰すべし」
秀次事件直前、石田三成が田中吉政を取り込んだ事について残る逸話である。
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