最上家の家督相続の悪い話

世間一般では最上家の家督は
家を思う忠臣・氏家定直の言により
最上義守から義光に譲られたことになっている。

しかし近年の山形新聞や見つかった史料からは
義守は隠居してからも度々義光を廃し、家督を奪おうと画策した形跡が見受けられる。

伊達輝宗書状「中野(義守)殿、嫡義(光)殿を廃し、山形に還らんとす」
(隠居した最上義守さんが、義光から家督取り戻すから兵貸してくれってうるさくて困る)

義守「家督は譲ったけど、お義にはワシの方が好かれてるもんね」
義光「父上と言えども冗談ではすまされませんぞ、私の方が好かれています!」
義守「ワシの方が好かれてる!!」
義光「私の方が好かれてます!!!」

一説では義姫は家督相続で言い争う義守と義光に刀を抜いて脅して相続を決めさせたーという伝承もあるものの、大崎合戦で輿で戦場に乗りつけるなどの行動を見るに、あながち伝承とも思えなくなってきた・・・