戦国ちょっと悪い話24
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0004人間七七四年
2010/12/12(日) 18:28:21ID:FKxORDkxhttp://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-4950.html
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文禄の役、上のようなことがなんだかんだあった挙句忠州までやってきた
先鋒の加藤清正と小西行長、この忠州から朝鮮の首都漢城へは二つの道があった。
小西行長は言う
「ここから都に向かう二本の道は、それぞれ漢城の東大門口、南大門口へと繋がっている。
南大門口は東大門口よりも10里近い。だが南大門口はその間に大河が流れている。
さて、我ら両人どちらの道を行くか、お互い遺恨の起こらないよう、籤によって
決めようではないか?」
と、籤を差し出す。ところが清正、籤になど見向きもせず
「それがしが南大門口へまいる!」
と、勝手に決めつけた。これには行長も「何と言う我侭なやり方であろうか!」と怒る。
しかし清正、却って行長をあざ笑い
「天草において一揆に攻め立てられ、わしに救援を求めたことを忘れたのか!?」
と、さらに行長に言葉を浴びせた。
ちなみに天草の一揆とは天正17(1589)の小西領天草における天草五人衆の蜂起、いわゆる
天正天草合戦の事である。このとき小西行長は加藤清正に救援を依頼したとされる。
これに小西行長は激怒した。
「今ここでの事と、天草の事は関係ないだろう!」
そう言って刀に手をかけた。清正これを見て大笑する
「小西がおかしなことをしておるわ!その気勢をどうして天草の時に出さなかったのか!?」
もはや売り言葉に買い言葉である。お互い声高に罵声を浴びせ、今にも
斬り合いにならんとした。その時である
「おやめなされ!」
加藤清正に同道してきた、鍋島直茂が二人の間に入った。
「扨も扨も、日本軍の先鋒たるお二人がこのような事では、日本国、および秀吉公の
御外聞を失うではありませんか!
そのうえ御両人がここで討ち果てられれば、秀吉公によるこの度の大陸出兵という構想は、
全く崩壊してしまいます!」
この直茂の言葉に冷静さを取り戻した加藤小西の二人、「尤もである」と喧嘩を止め、
南大門口を加藤清正、東大門口を小西行長の担当と決定した。
が、小西行長は清正の言葉が許せず、家臣の木戸作右衛門、日比左近右衛門に命じ、
その夜密かに、清正の軍勢が率いてきた船のともづなを切り、残らず流してしまったそうだ。
後々朝鮮役全体に影響を与える、朝鮮における清正行長の最初の衝突についてのお話。
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