【徳川家総合】 徳川家康 公スレ その十一
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0898人間七七四年
2011/02/12(土) 13:29:42ID:o2GpmI/Q横レスですけど秀吉の権力システムとしての完成度という話なら未熟だったとしか
言いようがないかと。これは別に秀吉を貶めているわけではなくあまりにも時間が
なかった為で。
そもそも官僚システムというのは長い年月を掛けて構築するものです。
徳川幕府も初期の頃はころころと職制が変わったりしてますしね。
例えるのならベンチャー企業の成長みたいなものかと。
初期の頃は個人の力量に大きく左右され担当も明確に決まってないことが多いです。
所謂五奉行もある程度個々で得意分野はありますけど仕事の内容は被ってることが
多いですよね。で、企業(政権)の規模がある程度固定され必要な仕事が決まってくるにつれ
担当箇所というのが明確になってくるかと。こうして仕事を細分化し特定の人を
それにあてるようになったのが官僚制じゃないかと。
そう考えた時秀吉の天下統一は1590年、しかし1592年には朝鮮出兵が始まってるんですよね。
準備も含めたら1591年早々からです。つまりまだまだ膨張する気満々なわけで
これじゃ職制も定まりようがないかと。
同様に織田政権も未熟だったと言われますよね。これも常に拡張を続けていたわけで
仕方がない事だったのかと。
そう考えると家康から年月が経ち家光の頃に整備されたってのは妥当な話なんじゃないかなあと。
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