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【徳川家総合】 徳川家康 公スレ その十一

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0001家臣団の話題も可です2010/11/03(水) 23:52:31ID:r0D0CjOG
人の一生は
重荷を負いて遠き道を行くが如し 急ぐべからず
不自由を常と思えば不足なし

人はただ 身の程を知れ 草の葉の
露も重きは 落つるものかな

※下賎の者(百姓)は過疎時のみ構って当て馬にしましょう!
0527人間七七四年2011/01/27(木) 05:51:11ID:YErJPXFt
>>519
ありがとう。
週末忙しいので要点だけ。
自分は小説はここ30年は読んでないから安心してください。
さらに逸話類も失笑もの希望的観測と判断できるぐらいの齢ではありますな。

心境推察という点を認めてもらえると語りやすくてうれしいのだけど
この両者はどういう育ちをして何を見て何を手にいれその時点で次に
何を欲していたか。
これにつきますね。

ご指摘の史料を解読する時も上記その他の根拠判断材料としてになります。

例えば一つだけ踏み込みますと「家康の都合まで考えて〜」というのは決して
無理な理屈ではないでしょう。
そのように判断なさること自体が不思議です。失礼。
まさに秀吉はそのことだけを考えて家康対策をしたのではないのでしょうか
母親を人質に送るリスクをとった如く。
このあたりを表象的と表現したわけです重ね重ね失礼。

さらにその後段「何をすれば感謝〜」というのも重要ですね。
これはおっしゃる通り秀吉が事実したことがそうだったのでしょう。
感謝というよりいかに自分の死後豊臣家に反抗させないか、ですかね。

恩とか奉公ではなく秀吉がまず優先させたのは
家康が自らの死後豊臣家自分の息子にいかに反抗させないかでしょう。
感謝とかそういう表象的ではなく天下人としての勤めということですね。
単に父親の欲目でもいいのですがそういった簡単なことだとは思います。
そちらの言われるような史料や根拠というより
普通に一般的にそして天下人として何を最優先させたかとした場合
明解に目的ははっきりしてると考えます。

秀吉も家康も臣下の礼の時点でのっぴきならない関係を作り出した。
これは大変な責任と命を負う問題です。
そしてまさに化かしあいと言うとなんですがそれがはじまったわけではないでしょうか。
天下人と潜在的天下人がいた場合どういったことになるか
それがまさにこの10年の関係だったとは思うのですよね。

家康が潜在的反乱者であるという前提がおかしいとおっしゃられるかもしれませんが
これは徳川改姓からして桶狭間からしてなにより信長の同盟者、秀吉との戦い
このあたりで自明ではないのでしょうかね。

逆にこのあたりに家康の根があることにどうして話題が向かないのか
不思議なぐらいです。

史料がないので判断がつかない、というそちらの立場とそこに根を求める
こちらとではなかなか話があわないでしょう。
でもぜひとも史料にこだわらず人間の行動判断と言う人間学の立場から
ぜひお考え頂きたいとは思います。
0528人間七七四年2011/01/27(木) 06:09:50ID:YErJPXFt
せっかくのなのでもう少し。

史料がないので判断不能という考え方これはこの30年に強調されたのではないでしょうかね。
つまりマークシートの出現です。
昔は小論文というのがあって正か誤かではなく如何に判断するかに
重きがおかれました。
つまり実証的判断より人文的判断というのですかね。

もちろん根拠の無い妄想もありますがそういうのはすぐに判断がつくものです。
知識より知恵と申しますがそういう時代に歴史を覚えた身からしますと
史料がないから判断できないというのはまさに0点、失礼
なんのために歴史を学んでいるのかと叱られたものです。

過去の先人に習い未来のために活用する、学問とはすべてそうでしょうが
特に歴史はそうであると誇ったものです。

すいません説教みたいでお恥ずかしいですし関係ないですね。
ただ根本的な歴史解釈の手法とその背景に踏み込まないとどうも話が進まない
または誤解を生む気がして。

秀吉と家康の話、最後はどうして家康が秀吉直系の血を絶やしたか
豊臣姓を廃したかにまで続きます。
このあたりまで語らないと両者の関係は判断できないですかね。
もちろん結果論ではなく家康がかの10年の間に古典を集めさせたですとか
二条と近衛の関係ですとか源と藤原を使い分けたとかずっとずっと前から
複雑な話ではありますが。

長々と本当に失礼。間違いや疑問はどんどん指摘お願いします。

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