【同時代】欧州、オスマン、中国、日本の兵たち【比較】
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0033人間七七四年
2010/10/31(日) 20:17:33ID:4XeqcfHb・日本の陸軍は碧蹄館の戦いでこそ明軍を相手に
兵力差もあり勝利を収めたが、主戦論者の小早
川隆景からして追撃を主張する立花宗茂の意見を
押しとどめて漢陽城防衛を主張したように明軍
の実力を恐れていた。そこまでして防衛しようと
したが、明軍の方が一枚上手で食料庫を焼かれ
結局撤退した。
・慶長の役においても日本側は14万人以上の兵力
を投入して一時は漢陽城を奪還しそうな状況に
なりながらも、明軍の本格的な来襲後は朝鮮半
島南岸に撤退して倭城を築城して 明軍の来襲に備えた。
・倭城守備の日本側と攻め寄せる明・朝鮮側で何
度かの戦いがあり日本側が勝利を収めるが、そのまま
北上するでもなくまた倭城に立て篭もっていた。
・結局、秀吉が死ぬまで漢陽城を攻めなかったことからも
野戦で明軍と戦うことを恐れていたのだろう。
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