天正10年(1582)、本能寺、二条城において織田信長・信忠親子を討ち取った
明智光秀は京の町衆の支持を得るため、彼らを集め屋地子(町屋敷地にかかる税金)の
免除を宣言、そして

「信長は殷の紂であったのだ!」

と訴えた。

これを聞いた京童たちは

『光秀は自分を周の武王に例えている。片腹痛いことだ』

と、心で思ったものの、地子が免除されることのうれしさに、光秀に向かって
萬歳と叫び彼の行為を祝い、賀した。

江戸時代、京において屋地子が無いのは、ひとえに明智光秀の恩である、と言われていたという。


京の、屋地子免除の由来についてのお話
(秀頼事記)