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もし武田信玄が死なずに西上を続けていたら・・・

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0001人間七七四年2010/10/09(土) 20:30:22ID:Cn2qaf8H
当然、信長との対決になったであろうが、その後の歴史はどうなっていたのでしょうか?
0176人間七七四年2011/02/07(月) 17:33:54ID:av3q+ZDD
>>171
織田信長ほどではないよ
0177人間七七四年2011/02/07(月) 21:14:20ID:cypwK6M2
>>175
お断りします(;´^ω^`;)
0178人間七七四年2011/02/07(月) 22:08:45ID:u0zheQMz
部下に背かれながらも当時最大の大名になった信長と
越後近辺でアクセクしていたケンチンwww
0179人間七七四年2011/02/07(月) 22:20:23ID:4KPpWlNN
斉藤義興、六角義治、三好長治、当代屈指の無能ばかりだよね
義龍には歯が立たず、小勢力の北畠如きに苦戦
0180人間七七四年2011/02/08(火) 20:17:30ID:k5ANRkZQ
謙信と何度も川中島で戦った信玄
謙信が怖くてマントや虎の皮を送った信長
0181人間七七四年2011/02/08(火) 22:00:51ID:uqblVlnB
>>179
無知丸出し過ぎwww
0182人間七七四年2011/02/08(火) 22:48:45ID:b3nFJP4o
知識豊富を謳うクセに何も情報を示せないのが信長厨
0183人間七七四年2011/02/09(水) 00:02:28ID:XcI70Dyk
まーた、織田厨連呼

あなたが、だがとかsubとかいうキチガイさんですかね

お前は何信者なのよw
田舎大名の名前出すなよ(笑)
0184人間七七四年2011/02/09(水) 21:08:19ID:MwmdjJ/x
尾張美濃両国を併せたのと
同様なくらいな信濃の縦幅。
これで同じ石高だったら信長死亡確実だったよね。
0185人間七七四年2011/02/09(水) 22:13:56ID:Uok83MYD
>>184
尾張一国だけで50万石あるんだが
あの山猿ばかりの痩せた土地で、どうやってそれだけ石高を稼げるわけ?
アホと違うかお前
死ねよボケ!!!!
0186人間七七四年2011/02/09(水) 23:01:02ID:urGIUCO+
尾張一国は35万石ほどだよ
0187人間七七四年2011/02/09(水) 23:31:00ID:Q85mA4Hd
>>186
それはいつの時点ですか?
0188人間七七四年2011/02/10(木) 03:49:03ID:SXA+6knQ
確かに尾張は50万石を越えるが
信長が継いだのはなごや城周辺だけ
石高にして4万石程度
信玄は甲斐一国と信濃の一部と世界有数の金山をついでいる
合計して石高にして30万石以上

これじゃ開始の時点でどっちが有利か比べるまでもないわな
0189人間七七四年2011/02/10(木) 03:58:27ID:99MLEoyr
>>187
桶狭間の頃ですよ
0190人間七七四年2011/02/10(木) 08:59:02ID:OcjFezAM
>>188
伊勢湾海運から上がる莫大な関税は無視ですか?
どんだけアホなんだこいつ
知障か?
0191人間七七四年2011/02/10(木) 12:34:21ID:EzLCEdE5
当主になった時点でどちらが有利だったかという議論か?
もしそうなら俄然、信玄でしょ。甲斐1国を丸々持ってるんだから。
信長は尾張の一部(桶狭間時点でも半国)だし、しかも周囲は敵だらけ。
0192人間七七四年2011/02/10(木) 13:17:02ID:npaMnJSs
山猿しかいない都から遠く離れた土地ばっかり沢山持っていてもねえ
その点、信長は畿内から近かったからいち早く大量に鉄砲を入手できたし
0193人間七七四年2011/02/10(木) 13:43:47ID:+rnKOcM1
信長の周囲は別に敵だらけじゃないだろ。
しかも斎藤家とは婚姻関係だから道三が有力な後ろ盾になってたし。
そもそも甲斐は暴君信虎が威圧的に従わせてただけだから
有力家臣団から追放された為に晴信は傀儡スタートだぞ。
しかも貧困で自給自足できない甲斐で自国より巨大な石高の地へ攻めいらないと立ちいかない国内事情もあり不満を抑えるのに苦労してる。
0194人間七七四年2011/02/10(木) 17:23:59ID:YuBXyVLb
信虎が生まれる前から甲斐は内乱状態
→信虎がその原因である反抗的な一門衆や有力国人を粛清
→他国から国人や浪人を招いて人材と兵力補填→甲斐統一に成功
→板垣・甘利たち有力国人衆が病弱な晴信を担いで謀反する
この時代、長男でも病弱なら出家させるなどして健康な子供を次の当主にするのは当たり前だった
そもそも信虎と晴信の不和は後世の作り話

板垣が専横を振るう
・晴信の名代として出陣した板垣は、上杉憲政との戦に勝った後で武田家当主も同然の振る舞いをした
・村上攻めで前線を指揮した板垣は勝ちに酔って油断していた。信玄が派遣した伝令に注意されても無視

村上勢の奇襲で板垣・甘利たちが戦死
→晴信が初めて当主の実権を手に入れた
→晴信は板垣の子供たちを迫害して板垣家の力を奪い、自身の権威と権力を強化
→その後も度々国人衆を粛清して武田宗家の力を維持した
0195人間七七四年2011/02/10(木) 17:52:30ID:YuBXyVLb
武田家と織田家の同盟

駿河攻めに失敗して武田家が四面楚歌だった時期
→そこで美濃を制圧した織田家と同盟するが、遠山家の帰属先が問題になる
・遠山家は武田・斉藤両家に従っていた
信玄は大幅に譲歩して、遠山家が織田家にのみ従うことを認めた
他の同盟条件として武田・織田家の間に婚姻関係が結ばれたが、武田家が迎えた織田家の姫は人質ではない
この時代、他家に嫁いだ女性は嫁ぎ先に帰属する
・伊達家に嫁いだ義姫も、最上家(実家の兄)と伊達家(不仲?な息子)との争いではいつも息子に味方した
・ただし妻を離縁して妻の実家の影響力を排除するのはよくあることだった
・妻を迎えるというのは妻の実家の権力が浸透するということで、場合によっては屈服した証に相手の家から妻を迎えることもあった

武田家が駿河を制圧して地固めをした頃には、織田家との間に圧倒的な力の差ができていた
以後、信玄は未来の武田家を守るために織田家の力を削ごうとして、命懸けの戦いを続ける
・織田家との決戦が実現したとしても、武田家には織田家に取って代わるだけの地理・経済条件が揃っていなかった
・このため信玄は自家の戦力・財力をすり潰してでも織田家を衰退させて大名間のバランスを取ろうとしたという説がある
・信玄は織田家と敵対した後も使者の交流を頻繁に行っている。これは織田家の力を削いだ後、また同盟するつもりだったという説もある
0196人間七七四年2011/02/10(木) 18:07:51ID:+rnKOcM1
>>195
滅多にいない女傑鬼嫁の義姫と言う稀なケースを持ち出してまで
無理やり話を展開するとか痛すぎる…
0197人間七七四年2011/02/10(木) 18:29:06ID:YuBXyVLb
魔王信長の実像

・お喋り好きで世話好きの中年親父
公家も宣教師も「あいつはキンキン声でよく喋る」と書き残している
留守中に仕事サボって遊んでた使用人たちを「成敗」。成敗は意味の広い言葉で、この時の仕置は訓戒程度の処分
有名な寧々への手紙の他、兄弟姉妹・家臣やその妻・遺児や未亡人のために養子先や結婚を斡旋しまくった実績
大名としては当たり前だが、他家に比べても世話した件数が半端ではない
だが市姫とは本当は仲が悪かったのでは? という説もある

・右翼も真っ青の勤皇志士
不敬罪を問われて信長に粛清された京人多数
安土城を見たいと言った天皇の願いを強情に拒否。理由の一つは城から天皇が泊まる宿舎を見下ろしてしまうから
城に置いた石ころは城の守り神のようなもので、日本では珍しいことではなかった
また自分を将来祀らせる計画を立てていたが、これも日本では珍しいことではなかった
全てはガチガチの一神教徒だったフロイスと、キリスト教の価値観に染まった後世の日本人の思い込み
包囲網対策で忙しい時期に、天皇に馬揃え見たいと頼まれるとクソ忙しい家臣たちを無理やり集めて実行。天下布武は確実に遅れた
一族は神官出身。祖父の代から朝廷へ必要以上の献金を行う。対抗した今川義元は一時期財政を悪化させてしまうほど

・魔王どころか弱気なお人好し
大財閥・延暦寺が融資先の朝倉・浅井家を使って織田家を追い詰めた時、信長は近江の町全て献上して美濃に引き篭もるから許してと懇願した
(これに反対した光秀が比叡山焼き討ちを計画・実行して延暦寺の資本を乗っ取る)
松永久秀が謀反した時、茶器か領地削減で済ませるから織田家に戻ってこいと(圧倒的に織田家が有利な時も)懇願した
荒木村重が謀反した時、人質を返すから織田家に戻ってこいと(荒木を追い詰めた後も)懇願した
散々抵抗した延暦寺・法華宗・本願寺に対しても、過激派のみ処分して他はお咎めなし
秀吉の中国攻めの応援に行く信長の兵は、ほとんど明智勢だった。また史実で信長が光秀を冷遇したことは一度もない
家臣に領地を与えまくった結果、織田宗家の直轄領と自前の兵はほとんどなかった。中央集権どころか過剰な地方分権体制だった

・子煩悩な親バカ
息子が活躍すると褒めまくり、武田家など他家にも自慢しまくった
息子がピンチになると、すぐに駆けつけた
息子がいるから俺は死んでも平気と手紙に書いて出陣、敵の大軍に突撃。いつものことなので信長の親衛隊の殉職率は凄まじい
(息子は武田攻めで親と同じことをした)
朝廷からどの職が欲しいかと尋ねられると、「俺はもういいから、息子を征夷大将軍に!」と熱望した

ご覧の有様なので敵や家臣に侮られたこともあるが、信長に忠実に従う家臣も少なくなかった
桶狭間でも東美濃でも北伊勢でも近江でも攝津でも、援軍が来ないと知りながら玉砕した将兵多数
武田家は、こんな織田家と争う羽目になった
0198人間七七四年2011/02/10(木) 18:29:07ID:2QyGkSlu
>>193
要するに田舎者の武田なんちゃらがいましたっていうこと

小中学校の教科書的には、戦国時代には数々の大名がおり武田氏もいましたレベルw

そして、上杉とセットで川中島w
0199人間七七四年2011/02/10(木) 18:44:39ID:99MLEoyr
>>190
伊勢湾海運から上がる関税は0貫ですよw
商税を掛ける発想自体がまだ無い
0200人間七七四年2011/02/10(木) 18:51:23ID:YuBXyVLb
織田・斉藤の同盟

織田家と斉藤家の同盟は、美濃・尾張でそれぞれ立場が弱かった道三と信秀・信長が互いを守るための同盟だった
織田家との同盟により道三は(自身の謀反で潰れてしまった)交易路を復活させてこの利権を国人衆に配った
だが謀反と外交出兵の失敗で美濃を荒らしたことで、道三は利権を餌に味方につけた国人衆にも背かれて息子に粛清される
道三の立場は強いものではなく、織田・斉藤の同盟時代にも美濃・尾張の国境で地元民の衝突や利権争いが絶えなかった
遠山家は道三の時代に武田家への従属を強め、道三を倒した義龍も遠山家と武田家の関係を容認するしかなかった
この遠山家の動向が、武田・織田の同盟とその後の衝突の理由の一つになった
0201人間七七四年2011/02/10(木) 18:55:21ID:eKrp1pxG
あのう〜 歴史入門者の質問でぇ〜す
尾張に金山はあったんですか〜?
甲州にはあるようですが、尾張金で検索しても鯱(しゃちほこ)しか出ません〜
ttp://shin-koushukin-database.jp/
0202人間七七四年2011/02/10(木) 18:57:02ID:EzLCEdE5
桶狭間の時の信長の兵力って3千くらい?(信長公記とかだと)
自国内での防衛戦で3千ってことは、せいぜい10万石程度じゃないの?
0203人間七七四年2011/02/10(木) 19:01:32ID:2QyGkSlu
桶狭間の頃は信長初期よりかなり所領が増えてて10万石

初めは4万石くらい
0204人間七七四年2011/02/10(木) 21:20:30ID:99MLEoyr
>>202
信長公記の著者が誇張のために改竄しただけで、実際は5、6千いたんじゃないの
って解釈が最近の主流だろ
0205人間七七四年2011/02/10(木) 21:23:31ID:2QyGkSlu
それは丸根砦とか前線部隊(全滅)の数を入れたものでは?
0206人間七七四年2011/02/10(木) 21:40:34ID:99MLEoyr
>>205
入れたものだと何?
0207人間七七四年2011/02/10(木) 22:27:33ID:2QyGkSlu
桶狭間合戦に参加した数は千以上少ないかと

死んだ数とか引くと
0208人間七七四年2011/02/10(木) 22:42:57ID:+rnKOcM1
>>197
なにその信長良い人フィルターは誰の妄想解釈?
>>199
はいはいデタラメ。
>>200
誰が書いたアホ軍記小説だよw
>>202
信長公記は一次史料じゃないからアテにならない。
つかそもそもあなたが言う信長公記とはどの信長公記を指してるのか?
>>203
根拠ゼロだね。信長スタートを無理やり低く見積もっててバカじゃねーのw
0209人間七七四年2011/02/10(木) 22:46:19ID:99MLEoyr
>>208
じゃあ、関税や商税を徴収していた証明をしてみようか
100%不可能だけど
0210人間七七四年2011/02/10(木) 23:15:13ID:3MnXATQi
結論 西に上がって東から来る地球一周アースマラソンだな
0211人間七七四年2011/02/11(金) 00:01:24ID:QPCvLsU8
武田信玄の西上は関東遠征で想像できる。
主要な城は一つも落とせず小田原城には手も出せず、
鎌倉に向かう途中で遁走し、
三増峠で追撃する北条軍を破ったがそれだけ。

上洛を続けたら名古屋城は落とせず、岐阜城まで進出するだけで精一杯で手も出せず、
織田軍と回復しつつある徳川軍に包囲されないうちに遁走するしかない。
武田信玄は上洛なんか全然無理。
0212人間七七四年2011/02/11(金) 00:05:32ID:+H0qrNYh
家康は5ヵ月で遠江全土を征服され三河も半分程度しか残ってない
半年か精々持って1年、信長は手も出せず家康が武田に服属するのを見ているしかない
0213人間七七四年2011/02/11(金) 00:24:10ID:QPCvLsU8
>>1
Q:>信玄が死なずに西上を続けていたら

A:信玄は討ち取られていた
0214人間七七四年2011/02/11(金) 01:07:33ID:9UvfeKBP
>>195>>200
遠山氏の話も完全に妄想だよね?
そもそも道三は独裁権力でしかも発給文書の少なさから政治にはそれほど熱心ではなかったと言われてる。
ただ六角氏の楽市が伝播しており道三も採用していた。
また今川も学んで楽市を導入している。
一方で信秀は関税をかけまくっていたので、六角斉藤今川の楽市構想は邪魔なもんだった。
信長が楽市をやるのも美濃支配した際に既得権の楽市特権を容認したに過ぎない。
道三晩年になりはじめてその権力に陰りが生じ、旧土岐氏系重臣との合議を背景に義龍にクーデターされた(六角義治が観音寺騒動で重臣達により当主権を縮小されたように)
>>209
そもそも下記のように瀬戸内海〜堺の大内も、日本海側の上杉も津税を取ったり、
その権利を与えたり、運上金免除の特別区港湾楽市にする津を設けたりしてるのに
織田は無税でなんら規制を設けてないなんてバカな話は無い。
もしそうならばなぜそうなのか大きな疑問になるわけだが?
http://c.2ch.net/test/-/sengoku/1264483688/95
http://c.2ch.net/test/-/sengoku/1240453594/367
>>211
どんだけ妄想してんだよ織田厨ってw
0215人間七七四年2011/02/11(金) 01:17:38ID:LHVbWMiV
信長を罵ったところで、

信長=歴史的勝者
信玄=山梨にいた大名

で終了
0216人間七七四年2011/02/11(金) 01:57:47ID:+H0qrNYh
>>214
バカはオマエだw
個人の妄想がソースとか正気じゃないな

信長が熱田に税を課した形跡は一切発見されてない
0217人間七七四年2011/02/11(金) 02:02:05ID:9UvfeKBP
>>216
へぇ〜じゃあどうやって多額な金額を作り出して朝廷に献金したの?
あれほどの金額が捻出できたのはどうやったの?
なんで日本海側も堺〜瀬戸内海でやってたことが織田だけは例外的な社会現象になってたの?
0218人間七七四年2011/02/11(金) 02:34:06ID:Lpt6ZwQX
アスペルガーだが痛すぎw
0219人間七七四年2011/02/11(金) 02:39:32ID:+H0qrNYh
>>217
段銭が100文として15万人で3000貫、直轄領の収入が全体の1/10として2500貫

>日本海側も堺〜瀬戸内海でやってたこと
ソース出そうなw
日本の戦国時代において商税が取られていた事を肯定する学者は居ない
0220人間七七四年2011/02/11(金) 03:23:06ID:QPCvLsU8
>>219
矢銭とか普通に・・・
0221人間七七四年2011/02/11(金) 05:17:58ID:9UvfeKBP
>>219
なんだ?説明がまったくなく、どこから流用してきた数字かもわからん変な計算を書かれてもまったく意味わからん。
信長も信秀の政策を引き継ぎ熱田の商人を御用商人として特権を与えて優遇してる。
津料の存在を否定してるようだが津料の徴収は遅くとも1135年にはすでにあったとされてる。
そもそも中世社会においては特権の免許・免除の書状が存在が無ければ津料が取られていない証拠にはならない。
信長は知多半島の商人達にも熱田や守山や伊勢大湊の海上交通路の通行許可を出していて
通行には織田家の許可を表すものを船に付けていたはずで、
そこには当然に津料や運上金がかかるどころか海賊衆からの警護料や諸処への謝礼もしくは現物納付があったとされてる。
またそれらは港湾補修維持管理などの費用負担にも充てられていたと考えられている。
0222人間七七四年2011/02/11(金) 05:18:56ID:+H0qrNYh
矢銭はふつうじゃなく臨時徴収、しかも懲罰的な
0223人間七七四年2011/02/11(金) 05:27:07ID:+H0qrNYh
>>221
熱田全体にも特権を与えているが、それだけの話で何ら運上金のようなものを課した形跡は無い
兵庫関や上関は関料を取ってたが熱田から同じ様な文書や帳簿の類は出てない
信長が商人へ海上交通路の通行許可を出した事実は確認されてないし
通行に際して織田家の許可を表すものを船に付けていた等という事実も存在しない、妄想。
0224人間七七四年2011/02/11(金) 06:02:46ID:9UvfeKBP
>>223
ほう?では兵庫関や上関と同じような文書や帳簿とは
具体的に兵庫関や上関に関わるどの文書のことを指して同じようなと言っているのかね?
信秀以来、楽市を否定し一部の熱田商人に特権を与えて優遇してきていたが、
彼ら特権商人を無税にしてたなんて聞いたことが無いが織田家はボランティアをやってたのかね?
0225人間七七四年2011/02/11(金) 06:18:43ID:9UvfeKBP
天文21年に商人の大森氏に宛てて知多半島から守山への海上交通の保証をしてるよ。
智多郡併篠島商人当所守山往反事
知多半島や緒川や熱田の交通路通過の免許を与えてる。
0226人間七七四年2011/02/11(金) 06:21:07ID:+H0qrNYh
兵庫関入船納帳だよw

見苦しく言い逃れしてないで、さっさと熱田で関料取ってた事を伺わせる情報
もしくは、信長が熱田商人のみに与えたと主張する特権の内容を確認できる史料を持って来い
0227人間七七四年2011/02/11(金) 06:23:29ID:9UvfeKBP
>>222
矢銭が懲罰なんて話は聞いたことないが?
ひょっとして信長が堺に無理やり金を出させた話しか知らないの?
0228人間七七四年2011/02/11(金) 06:29:43ID:+H0qrNYh
>>225
大森さんって信長の家臣だよねw
その書状は単に、自領内を移動しても構わないことと
通過に際して伏意があっても喧嘩しないこと、の2つを保証しただけな
どこが特権なんだよw
0229人間七七四年2011/02/11(金) 06:32:19ID:+H0qrNYh
>>227
他に敵対する領主に属する村へ押し入って要求したりもあるねえ
妄想と知ったかで断定する、それがキチガイ信長厨
0230人間七七四年2011/02/11(金) 06:33:46ID:+H0qrNYh
信長厨の屑っぷりは異常
0231人間七七四年2011/02/11(金) 06:44:57ID:9UvfeKBP
おいおい慌てて書くなよ。
篠島商人ってちゃんと書いてあるだろ。
前提として海上交通許可が無きゃ成立しない話で移動すらできんだろ。

ん?ひょっとして1445年の一年しか発見されてない兵庫北関入船納帳のことを指してるのか?
あなたの言葉を借りると関税がかかったのは北関だけ1445年のみの例外的処置だと言うことになるが?
0232人間七七四年2011/02/11(金) 06:46:59ID:w29wKgyd
織田アンチ同士で対立とはこれは面白い
0233人間七七四年2011/02/11(金) 06:49:04ID:9UvfeKBP
でさ、まだ上関(堺)の史料の型ついては書いてもらってないけど?
0234人間七七四年2011/02/11(金) 06:58:48ID:+H0qrNYh
>>231
おいおい、マジで読めてないのか?w
家臣宛に書状で対象の商人を取り締まらないようにしろ
領内では織田家が対象と騒動を起こす事は許さない、ってだけのものだぞ
どこが特権なんだよw

兵庫関入船納帳が貴重なのは膨大な量の品目や関料が記録されてるから
関料徴収の形跡だけなら小浜でも上関、その他でも見つかってる
例外的処置だと言うことになるが?じゃねーよバーカ
0235人間七七四年2011/02/11(金) 07:00:10ID:+H0qrNYh
>>233
>上関(堺)
意味がまったく解らないんだけど、これはどういう意味?
0236人間七七四年2011/02/11(金) 13:00:37ID:9UvfeKBP
なんだ誤魔化すだけでこちらの質問にまったく回答できてないね。
しかもお前は独自解釈して意地でも認めない態度だからどうせ平行線だな。
大森氏は熱田の回船業者か、またはその一族で荒尾屋の屋号を持つ知多郡荒尾郷の商人頭に対して海上通行許可証だとされてるのが信長の家臣に取り締まれって命令だって言うんだからどうしようもない。
0237人間七七四年2011/02/11(金) 19:16:47ID:+H0qrNYh
いやいや、胡麻滓んじゃなく
ちゃんと >上関(堺) の意味を説明して欲しいんだけど、何度見ても理解出来ないもので

あと平行線じゃあなく、無知な餓えに中世日本語も理解出来ないオマエが
無謀な独自解釈をしちゃって、立ち往生してるだけな。
>熱田の回船業者か、またはその一族で荒尾屋の屋号を持つ知多郡荒尾郷の商人頭に対して
>海上通行許可証
続々新事実発見だなおいw劣拙でお粗末な独自解釈じゃなければだけどね
0238人間七七四年2011/02/11(金) 21:48:40ID:9UvfeKBP
お前が上関の史料もあると主張したからじゃあ出せと言ってる。
上関とは堺の関のことで大内家が堺での徴税権を持っていたとこ。
そういえば大内義弘は堺で死んだね。
義興の時代には村上水軍にその権利を預けた。
熱田の回船業者の荒尾屋の大森平左衛門かその一族では無いと否定してる学者がいるなら教えて欲しい。
0239人間七七四年2011/02/11(金) 23:24:52ID:+H0qrNYh
上関とは周防にある上関のことだよw
大内や傘下の海賊衆は下関や上関で関料を取ってた、ソースは「海賊達の中世」「人物叢書 大内義隆」

大森さんが貰ったのは特権でも何でもなく、単に自領通過の許可と安堵
海上通行権を信長が発行した事実は発見されてない、ここまでは認めたってことでいいかな?

そもそも熱田の回船業者の荒尾屋って誰だよw
0240人間七七四年2011/02/11(金) 23:48:05ID:9UvfeKBP
残念。上関は周防の上関だけでなく大内の堺での権益としての上関だよ。
山口県史にもちゃんと書いてある。
で、否定してる学者がいるの?
0241人間七七四年2011/02/12(土) 00:02:11ID:iERybjkC
お互い引けなくなってるのはわかるが、そろそろ止めろ
スレ主旨に戻れ
0242人間七七四年2011/02/12(土) 00:52:50ID:cZ3ZxWf7
>>240
残念なのはオマエの頭、上関は周防の上関
大内の堺での権益としての上関?意味不明、堺は堺
信長厨はまたありもしない出来事を捏造しちゃいましたw
0243人間七七四年2011/02/12(土) 00:58:02ID:6Nr3DM0/
いかにも地名から周防の上関を発想するだろうと想定してたが見事にひっかかったなw
でさ、否定してる学者がいるなら早く教えろよ。
0244人間七七四年2011/02/12(土) 02:06:33ID:cZ3ZxWf7
なに苦しい言い訳してんだか
早く、上関(堺)などという意味不明な世迷事を書いてしまいました‥と謝った方がいいと思うよ

否定する以前に認めてる学者が片手で余る数しかいない、鈴木レベル
0245人間七七四年2011/02/12(土) 02:13:55ID:cZ3ZxWf7
日本語読解能力に難が大有りかつ知識に乏しい信長厨のことだから
持ち前の妄想力を活かして山口県史を読んで壮大に誤読しちゃったんだろうねw
0246人間七七四年2011/02/12(土) 06:13:46ID:XKXlRgiN
織田厨の人は知識深いな
0247人間七七四年2011/02/12(土) 12:32:21ID:6Nr3DM0/
織田厨完全死亡
0248人間七七四年2011/02/12(土) 13:18:51ID:6Nr3DM0/
ちなみに>>245は真性織田厨。
熱田の経済力が信秀の勢力拡大に貢献したとする研究を否定してる学者なんていないのに
商業や流通に税をかける発想が
日本中の特異な例外でなぜか尾張にだけはまだ無かったから
信長のスタートは超不利だと言う妄想主張をしている。
0249人間七七四年2011/02/12(土) 13:29:24ID:6Nr3DM0/
大森が信長家臣だと決めつけてるようだが、
そもそも大森なるものが信長家臣だとする根拠はあるの?
0250人間七七四年2011/02/12(土) 13:58:54ID:ICIZ0omJ
スタートが云々以前に信玄はカス

信長、秀吉、家康が優秀
0251人間七七四年2011/02/12(土) 15:25:39ID:cZ3ZxWf7
>>248
戦国時代の日本に商税を取ってた事実は無いんだけどねw
座の免許のために運上金を取ることはあっても。尾張にだけ、どころか全国探しても無い
しかも熱田から運上金を徴収した事実はまだ見つかってない
>>249
それこそ、書状が発見されたあと学者が研究してるけど
皆々大森さんを信長の家臣認定してるよ
0252人間七七四年2011/02/12(土) 15:46:47ID:6Nr3DM0/
謙信が運上金収入得てたりするし。
朝倉領は関が多すぎて、おまけに橋を通る税まで取られて朝倉領を通過する負担が大きいとも書かれてるし。
そんなら早く大森が信長の家臣だって根拠を書いてくれよ?
0253人間七七四年2011/02/12(土) 16:45:40ID:cZ3ZxWf7
謙信が得てた運上金は座の免許に対する定額のもの
陸での関税は信長も取ってるが地形に制約される
何人もの学者が信長の家臣だと考えてるのだから、俺は妄想信長厨の下らん妄想より学者の意見を信じるよw
0254人間七七四年2011/02/12(土) 17:23:52ID:6Nr3DM0/
謙信は往古よりあった町人たちの諸役や地子を5年免除してるが別に座に対しての話じゃない。
また府内の橋には税を科して歩いて川を渡るのを禁止してる。
お前は>>209で関税を否定してたのに論破されたからまたまた前提を変えたな?
大森が織田家臣だと証明できないから逃げ始めたね。
0255人間七七四年2011/02/12(土) 17:48:01ID:Qse1a/bR
信玄てさ、病弱なのによく頑張ったよな
廃嫡されてもおかしくないくらい病弱だったのに担がれて親父追放する羽目になって
担いだ板垣マジDQNだったけど信玄必死に耐えて
板垣どもが同盟関係変えたせいで結果的に破壊魔謙信と戦う羽目になって
生き延びるために力つけようと今川攻め言ったら息子に反対されて(義信の意見も間違ってなかったけど)
結核末期だけど勝頼のために織田を叩こうとしたら、菅沼たちが名将すぎて尾張にも行けなくて
泣きながら死んだかもしれないと思うと切なくなる

まあ織田と年中戦争してた朝倉の出兵催促を渋っておきながら武田が戦う時は義景を馬鹿にしたり
、義景が留守の間に武田と親戚の本願寺が協定破りの布教したり
佐久の住民を虐待しまくったり凄まじいこともやってたけど
0256人間七七四年2011/02/12(土) 17:55:44ID:6Nr3DM0/
そもそも越後府内の謙信と本庄や色部らが経済的な実力でひけを取らなかったのはその港湾都市からの税だとしてる。
例えば色部の岩船潟に接続する岩船の町からの納入物は平林城下町より多く港湾都市の収益の大きさが越後統一を目指す謙信との対立を支える独自経済圏の成立を支えていたとしてる。
0257人間七七四年2011/02/12(土) 18:08:30ID:6Nr3DM0/
もともと運上金を否定してたのに論破されると座の免許に対する定額などといきなり前提を変更するし意味わからん。
じゃあ定額とはいくらなの?その証明は?
それに座の免許がない場所では税を取ってた証明になるよね?
例えば越中の放生津は楽市にしたが伏木浜は楽市にしてないから伏木浜は税を取ってたことになるよね。
そもそも免許がない直江津や柏崎以外の越後の港湾都市の大半は税を取ってたことになるよね?
0258人間七七四年2011/02/12(土) 18:31:27ID:cZ3ZxWf7
>>254
もはや意味不明だなw

諸役や地子を5年免除したのと、運上金は何の関係も無い
府内の橋で関料を取ったのと、熱田で信長が関税を取れなかったことも無関係
はい、じゃあ>>190で言った伊勢湾海運からの関税収入を推定出来る何かを挙げてみようか。不可能だけどw
大森が織田家臣としてるものには「織田信長文書の研究」「織田弾正家と尾張武士」がある
0259人間七七四年2011/02/12(土) 18:35:51ID:6Nr3DM0/
関税も商税も無い→瀬戸内海でも日本海でもあると言われると
そっちではあるが尾張にその発想は無かったと言い換える。
その論拠に兵庫での船の出入りに関する帳簿があるが、
関税の帳簿は存在しないし尾張には船舶の帳簿は存在しないから無いと言い出す。
それなら兵庫のは北関で一年間分しか現存してないから北関は一年のみ、南関では管理すらしてないって話になるねと言われると無視。
当たり前で税を取られてるから特権免除の免許が存在するわけで
これを持ってない人間は税を取られているわけだ言うと帳簿出せの一点張り。
おまけに大森が熱田の回船業者だと違うと言うから、じゃあそれを否定した学者を教えて?と言えばこちらを基地外呼ばわりする始末。
各地で税を取られてる話を指摘すると
今度もまた前提を変更して関税はあるし運上金もあると言い出す。
さらに大森が織田家臣とする根拠を教えて?と言うと誤魔化す。
もう何が言いたいのかわかりません。
0260人間七七四年2011/02/12(土) 18:38:11ID:6Nr3DM0/
>>258
で、大森が信長家臣とする根拠はどのように論述されてるの?
大森が信長家臣かどうか家臣団で調べてみたことあるけど見つからなかったから根拠を書いて欲しい。
0261人間七七四年2011/02/12(土) 18:45:44ID:cZ3ZxWf7
>>256
誰が?おまえが?w

>>257
>>190を思い出してみよう、次に>>221も読み返してみよう
信長厨は、伊勢湾海運からの関税、や、熱田での津料、更には驚愕すべき事に、海賊衆から警護料を上納させていた、と書いている
座の免許を与える代わりに毎年定められた運上金を納めさせてたのは常識、オマエ無知過ぎw
座が無い場所でも税は取れず、そもそも取るだけの吏僚がおらず、収入は無い
商売免許の見返りに上納させる運上金と商税は別物、まして熱田からは何も見つかってない
徴税してたなら帳簿が作成されてるだろうよw小港に大名が文吏を常駐させ細かく徴税したなんて事実は過分にして聞かんが
0262人間七七四年2011/02/12(土) 18:54:47ID:wxIaF0/Y
お前らって、似たもの同士な
リアルで会ってたら、友達になれたと思う
0263人間七七四年2011/02/12(土) 19:01:26ID:cZ3ZxWf7
>>259
はい、じゃあ商税が瀬戸内海・日本海地域で徴収されていた証明になるものを出してみようか。不可能だけど
そして瀬戸内で関料が取られていた事を教えてやったのは俺であって、オマエじゃないw

兵庫関入船納帳は関料の帳簿でもある、それに取っていたのは関税じゃあなく通行税・警固料

座の免許は境内や市場のような場所で商売を許可する免許だよwそんなことすら知らんのかww
通説を否定するなら、帳簿なり何なり資料を出すのは当然

はい、じゃあその各地で商税・関税を取られてる話とやらを証明する情報を出そうな。不可能だけど

関料・関銭というのは通行税で地形的なもの、関税があったなどという新説を唱えてるのはオマエだけ

森が織田家臣とする根拠に「織田信長文書の研究」「織田弾正家と尾張武士」を挙げたのに無視

信 長 厨 無 知 過 ぎ て お 話 に な ら な い
0264人間七七四年2011/02/12(土) 19:41:20ID:6Nr3DM0/
織田信長文書の研究って初版1969年とかなり古いものだよね。
1999年の織豊期研究創刊号の織田弾正患家と尾張武士において
下村博信が大森を熱田の回船業者の荒尾大森平左衛門としているよ。
この下村に対して反論してる学者っていたっけ?
0265人間七七四年2011/02/12(土) 19:51:52ID:6Nr3DM0/
つうかこちらは熱田などの座の特権を許して旧来の商人を御用商人として織田が保護するかわりに運上金を取ってたから
六角などの楽市を導入してなかったと言う論旨をしてきたのに
さきほどから突然に話の前提を180度ひっくり返してくるとかお前の頭ちょっとヤバいぞ?
しかも昨日あたりからこちらを織田厨とか主張しだすしほんと意味わからん。
0266人間七七四年2011/02/12(土) 19:58:52ID:6Nr3DM0/
しかも話が破綻したら
唐突に運上金と商税は別などと
無理やり前提を変更するわ
質問には一切答えないわ
もはや何が言いたいのか理解し難い。
0267人間七七四年2011/02/12(土) 20:02:40ID:aP0kGwya
互いにお前が織田厨信長厨と認定しあってて笑えるw
0268人間七七四年2011/02/12(土) 20:35:06ID:jpbp+sV1
晴信が死なんかったら?
勿論天下平定。そして今の日本も素晴らしい国になっていました。
0269人間七七四年2011/02/12(土) 20:37:26ID:cZ3ZxWf7
>>264
御用商人が被官化して家臣団に組み込まれるのはどの大名家でもよく見られること
そして、商人と武士を兼ねるのもよくあったこと
>>265
熱田の座は熱田神社の運営が取り仕切るもので信長は無関係だし関われてない
信長は熱田に特権を認めているが、それは座に関するものじゃあ全くない
>>266
質問には全部解答してやってるだろw
運上金と商税は別だし、そもそも熱田神社が信長に運上金を納めてた事を窺わせるモノは何も発見されてない
0270人間七七四年2011/02/12(土) 20:57:51ID:djG9MI+1
守山って今の守山区ですか?
0271人間七七四年2011/02/13(日) 00:39:16ID:MZkOsYed
仮に信玄の寿命があと5年ほど長かったとしても徳川を滅亡or服属させる
迄が限界で信長を倒して生きてるうちに天下を統一できたとはとても考え
られない。
理由はやはり経済基盤。本拠地が甲斐という時点で遠征軍を支えるだけの
財源にはどうしても限界がある。
本拠を駿府に移したら可能?この時代父祖伝来の拠点を捨てるなどリスクが
大きすぎる。信長がその先例を作ったから秀吉も家康も真似したけど、信玄
や謙信にそれが出来るとは思えますか?それをする『実力』はあっても実行
しようという『発想』は無かったと思います。
信長には『革新性』という枕言葉がよく使われますが、それってこの時代の
人たちが『そんなまさか』(=馬鹿じゃないのとも考えられていた)と思う
ことをたくさんやってのけたことをうまく表現するのに『革新性』という言葉
がぴったりくるからでしょう。
100年以上続いた戦国時代を終わらせるには信玄があまりにも『常識人』過ぎるから
無理だと思う。
0272人間七七四年2011/02/13(日) 00:44:19ID:gNNPGD3O
武士は傭兵じゃなく身分ってことを理解してますか?
0273人間七七四年2011/02/13(日) 01:06:02ID:QUkCQxSz
織田は信玄西上時、四方に敵を抱えて動けなかったけど、それでも信玄が
織田領土にまで侵入してくるなら、無理にでも軍を集めて決戦を挑むので
はないかと思います。
その場合、やはり信長が勝つのではないかと思います。おそらく武田軍よ
りも兵力で上回るからです。
信玄は合戦の経験上、ほとんどの戦で相手を上回る兵力で正攻法で戦って
おり、寡兵で戦うタイプではありません。
そもそも戦いになる前にあきらめて甲斐に引き上げる可能性も高いと思い
ます。無理な戦いはしない慎重な人ですし。
0274人間七七四年2011/02/13(日) 12:27:30ID:PmzqBTST
馬場信春、山県昌景に対抗できる信長家臣って誰よ?
冗談でも柴田勝家とか丹羽長秀とか言うなよな。
0275人間七七四年2011/02/13(日) 13:38:23ID:alXlietY
発想とか常識とかいってる頭悪い子がいまだにいるとは。。。
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