太閤・豊臣秀吉VS大納言・豊臣秀長
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0001人間七七四年
2010/10/08(金) 08:35:47ID:/OCIAe5Vさて、この両者の戦いの行く末はいかに。
冷遇されていた豊臣秀次は秀長派に付くことを過程して、勝手に語り合ってくれ。
俺的には秀次派の伊達政宗が家康と組んで秀長派に加わると思うんだが。
0002人間七七四年
2010/10/08(金) 13:28:19ID:8vyKdfLzイイハナシダー
0003人間七七四年
2010/10/10(日) 08:08:54ID:3gTt/Ygr0004人間七七四年
2010/10/10(日) 12:15:24ID:yHl5guJA0005人間七七四年
2010/10/10(日) 12:42:23ID:TTiQv/j7−終了−
0006人間七七四年
2010/10/10(日) 18:13:29ID:wqNvUTvm秀長様のためには命を投げ出しますぞ。
by藤堂高虎
0007人間七七四年
2010/10/11(月) 20:06:23ID:MTMbhsYB関ヶ原がなければガチガチの豊臣恩顧だしな
0008人間七七四年
2010/10/11(月) 21:48:41ID:tkvmCTnj0009人間七七四年
2010/10/11(月) 23:23:45ID:pZlSDBoAバカ勢ぞろいの一家だからな
0010人間七七四年
2010/10/12(火) 09:10:51ID:SH3Gwy280011人間七七四年
2010/10/12(火) 09:43:11ID:91GT7miN0012人間七七四年
2010/10/12(火) 19:18:41ID:yOiepRzhうん
0013人間七七四年
2010/10/13(水) 06:45:34ID:BS7Bs7NOうーん
0014人間七七四年
2010/10/13(水) 07:48:53ID:Do0BN64d0015人間七七四年
2010/10/13(水) 08:27:46ID:Jo3VJW3n秀長さんの後継いだ養子とか酷かったよね
0016人間七七四年
2010/10/13(水) 22:34:58ID:zJ6ISRfs翻したらそれはもう秀長やない
0017人間七七四年
2010/10/15(金) 09:15:14ID:ojoGlK2i秀長は兄貴の暴れっぷりを阻止するために戦うみたいな?
でも誰が秀長方につくのかな。外様は秀長支持が多い気がするけど。
0018人間七七四年
2010/10/15(金) 21:35:48ID:Z2Ay56ue追討例出す前に呼び出してばっさりやるんじゃないか
わざわざ戦起こさないだろう
秀長が謀反するならともかく
0019人間七七四年
2010/10/16(土) 07:32:23ID:iGTZ+k8y0020人間七七四年
2010/10/16(土) 09:07:34ID:weVc5MeNまぁ秀長存命中は秀吉もぼけてなかったしな。血縁上秀長も、長生きしてたら
ぼけていた可能性も。
0021人間七七四年
2010/10/16(土) 14:32:40ID:cluDwr8L戦国時代に逆戻り
0022人間七七四年
2010/10/16(土) 19:22:48ID:YnyGCTxm0023人間七七四年
2010/10/16(土) 20:33:18ID:carCOYEn0024人間七七四年
2010/10/17(日) 17:53:59ID:TeII1lMs0025人間七七四年
2010/10/17(日) 19:25:40ID:9+vdI9jO追討なんぞ出す必要はない、閉じ込めて切腹で終わり、
朝鮮出兵の総大将を秀長が努めて、その後謀反したという設定の方が面白い
0026人間七七四年
2010/10/18(月) 06:15:16ID:d3zaTl1H0027人間七七四年
2010/10/18(月) 07:33:48ID:wg1HdXaPどっちが勝とうが幼児の後継者がいない秀吉、そもそも実子がいなかった秀長
結果的に死後味方にするためにさらに勢力増大させてもらった家康に天下奪われてオシマイ
0029人間七七四年
2010/10/19(火) 01:45:03ID:54BRn0aP0030人間七七四年
2010/10/19(火) 08:30:03ID:rhrqBb2H謀叛したらもうそれは秀長じゃないだろう イメージによるが
秀吉がおかしくなったにせよ追討令なんか出さずとも呼び出して斬ればいいわけだし
まだ信虎が信繁を後継者にして信玄が離反して争うIFのが具体的ではある
0031人間七七四年
2010/10/19(火) 21:12:49ID:yWdqmRANそもそも長命のIFしている時点で実在の秀長ではないんだが。
片腕として兄を支えていながら、後年敵対することになった弟ってのは日本史上
結構いる。天下人クラスでも、頼朝義経や尊氏直義あたりは有名だが、秀長も
そうならなかったとはいいきれないしな。
0032人間七七四年
2010/10/19(火) 23:15:02ID:gAHzEE14つまり血筋で入れ替わりが利くからついてくる人間がいるわけだけど、
豊臣の場合どうなんだろう?
0033人間七七四年
2010/10/19(火) 23:16:27ID:54BRn0aPないんだよ。
0034人間七七四年
2010/10/19(火) 23:39:42ID:xCw/Vid50035人間七七四年
2010/10/20(水) 01:34:37ID:E1au4hzoスレの趣旨に賛同できないなら他のスレいけば?
0036人間七七四年
2010/10/20(水) 10:58:24ID:N119GgVr0037人間七七四年
2010/10/20(水) 15:56:04ID:RqflUtRR0038人間七七四年
2010/10/20(水) 16:35:37ID:17PTNjV1お前馬鹿か?死んだら?
0039人間七七四年
2010/10/20(水) 18:16:16ID:RqflUtRRつーかこの程度で何でもありなんて言ってたらどんなifも語れない
後、そんな喧嘩腰じゃ敵を作るだけだから止めた方が良い
0040人間七七四年
2010/10/20(水) 18:35:46ID:tck+ZFeO秀長が秀吉を殺したとかならともかく関白で家康やその他の大名従えてる秀吉からわざわざ離反して秀長につく奴なんかいないだろ
0041人間七七四年
2010/10/20(水) 19:03:13ID:RqflUtRRグダグダにはなりそうだ
0042人間七七四年
2010/10/20(水) 21:14:51ID:nExkqP41>朝鮮出兵で揉めた両者。ついに秀吉は秀長追討令を出す。
>冷遇されていた豊臣秀次は秀長派に付く
これだけじゃ語りようがない。スレを活性化したいなら、せめてもうちょっと方向性を示さないとな。
0043人間七七四年
2010/10/21(木) 00:28:58ID:U17Tq8hJ0044人間七七四年
2010/10/21(木) 06:25:28ID:DUT0k3Vi秀長につく大名は、伊達、大友、島津、ちょうそかべ、徳川が大手ではつくかな?
毛利は秀吉に恩があるし、秀秋もいるからなー。後は清洲、長浜系は秀吉か?
0045人間七七四年
2010/10/21(木) 08:27:37ID:/SNrppj7いくら恨みがあっても謀叛した奴について天下人に刃向かう奴なんかいないだろ
0046人間七七四年
2010/10/21(木) 08:42:20ID:l9M1TJefかつての上皇と天皇の対立みたいなものさ
0047人間七七四年
2010/10/21(木) 19:40:24ID:EhcBFk5Y0048人間七七四年
2010/10/21(木) 21:02:14ID:EhcBFk5Yちょうどいい年齢の秀次が後継者になるより、後継者なし、ないしは若年の秀頼が後継者の秀吉の方が都合いいに決まってる
つか豊臣が内部分裂した場合、最大の大名である家康を両陣営共引き込もうとするだろうし、その結果家康がさらに巨大化して、結局豊臣は滅ぼされるだろ
0049人間七七四年
2010/10/22(金) 08:54:04ID:exF49W4M石高的にはどうなのかね。
秀長の領地がには大和・紀伊・和泉で100万石
秀次が近江・伊勢・尾張で90万石
秀長派の外様は島津・大友・長宗我部
秀次派の外様は伊達・浅野・細川あたりか?
畿内は秀長と秀次が抑えてるから緒戦は秀長・秀次軍が有利かな?
0050人間七七四年
2010/10/22(金) 09:17:37ID:bgnIsnvW0051人間七七四年
2010/10/22(金) 18:39:49ID:Y2JZ//75ソイツにある程度対抗出来る実力と旗頭を持った奴が立つならそれに従おうって奴らも出てくるやろ
0052人間七七四年
2010/10/22(金) 19:52:50ID:Hh2lLGCw実際に割に合わない事に朝鮮にいって初めて気づいたんだろうし
0053人間七七四年
2010/10/22(金) 21:39:39ID:bgnIsnvW外征はむしろ武働きできるんだから皆喜んで行くんじゃね?領土も増えるし
失敗した今でこそ愚策に見えるが当時はかなり魅力的な事だったはず
そんなおかしい事なら諸大名全員で止めてるだろ 秀吉が出向こうとしたのを利家家康が止めてるみたいに
0054人間七七四年
2010/10/22(金) 23:24:42ID:3yqvFaNM0055人間七七四年
2010/10/23(土) 00:56:08ID:8Q0ChEKz0056人間七七四年
2010/10/23(土) 01:10:10ID:JRLiFWBj0057人間七七四年
2010/10/23(土) 03:53:32ID:U1TMMS6j0058人間七七四年
2010/10/23(土) 06:00:35ID:yRwS/m2x0059人間七七四年
2010/10/23(土) 06:50:23ID:Nz7YnSSc秀長がどういう状況で離反するのか一切不明だが、秀吉あっての秀長だし
秀次はなおさら。
まともな戦さにもなるまい。
0060人間七七四年
2010/10/23(土) 08:21:06ID:5y5qeWocまあゲームだけど。
ボケの秀吉につくか?でも前田利家もいるんでしょ?前田家は秀吉方につくと思うから秀長派は厳しいか?
家康も動いて3強の戦い?
0061人間七七四年
2010/10/23(土) 12:39:59ID:bpxs5QfC0062人間七七四年
2010/10/26(火) 23:41:46ID:n7pctXDY0063人間七七四年
2010/10/27(水) 08:30:11ID:ahC4/5gv0064人間七七四年
2010/10/27(水) 14:23:25ID:AxAqUFPu利家と景勝には裏切りの実績があるし、輝元はアレだし、秀家は若いし
0065人間七七四年
2010/10/28(木) 07:57:50ID:F3RQFM39でも秀吉の姉だっけ?が家康の側室に行ってるから家康に頼むかー。
あくまで秀頼の教育、監視だけを頼むならば中堅大名でもいいと思うんだけどね。
秀頼の代役として秀家とかが座ればよかったんじゃね?秀秋でも…無理か。
0066人間七七四年
2010/10/28(木) 08:21:14ID:0gpHurbN当時の家康は、少なくても秀吉が生きていた時までは忠臣だったと思うぞ。
0067人間七七四年
2010/10/28(木) 08:37:12ID:JOtGcZfC0068人間七七四年
2010/10/28(木) 12:51:44ID:9L1nnk31まあこれは秀吉に味方した訳だけど
家康は別に小牧時は秀吉の味方じゃないしむしろ信雄自身が裏切るまで秀吉の大軍相手に対決姿勢崩さなかったしな
0069人間七七四年
2010/10/29(金) 07:48:56ID:zfKZTWnLそうなると島津、大友の九州勢力は秀長について毛利を牽制か。
四国が鍵を握るね。
関東は家康が睨みを効かせてるしね。
0070人間七七四年
2010/10/29(金) 11:31:18ID:CRovKdME0071人間七七四年
2010/10/30(土) 00:03:07ID:zC8OEOf/歴史の影に隠れて報われない地味な賢弟ポジションだからこそ
判官贔屓的な支持を得られていた・・・のも過去の話。
今じゃ普通に評価されてんだし変に目立って角を立てなくても良いのに。
0072人間七七四年
2010/10/30(土) 02:54:37ID:RC19uxfK0073人間七七四年
2010/10/30(土) 11:39:45ID:LtSlI4Z/難儀な事よ
0074人間七七四年
2010/10/30(土) 21:59:17ID:SrXFblBO0075人間七七四年
2010/10/31(日) 09:14:24ID:ZzEvMP1Mそれを否定したらつまらん人間よ。
0076人間七七四年
2010/10/31(日) 11:51:27ID:xXgEWru20077人間七七四年
2010/10/31(日) 12:58:36ID:47T1dBNi思い込みだけで根拠のない、ただの妄想は楽しくないな。
0078人間七七四年
2010/10/31(日) 14:21:08ID:seYwL7O/0079人間七七四年
2010/10/31(日) 19:20:48ID:VP2ydFZ0秀長が勝ったとしてもそれが何一つ解消できる訳じゃない
むしろ内乱起これば後者が酷くなるだけ
関ヶ原がいい例だろ
0080人間七七四年
2010/11/01(月) 06:31:30ID:Gjg0V8RG0081人間七七四年
2010/11/01(月) 07:20:15ID:U8u2loVa0082人間七七四年
2010/11/02(火) 01:09:48ID:6ny8E5vH0083人間七七四年
2010/11/02(火) 08:34:46ID:oNGK4gfc秀長が主君になってもヘタレてるのしかないし
やっぱり秀長は兄を支える役が適材
0084人間七七四年
2011/01/21(金) 08:24:53ID:BJcQma4f秀長は戦上手ですぞ。
0085人間七七四年
2011/01/21(金) 09:02:27ID:UMzFKEetかの折、徳川家康に関東、織田信雄に東海地方への移封を命じたように、
遠方にして不毛の僻地、朝鮮半島への移封を命じるつもりだったのだ。
関東仕置の際、家康は移封に従ったが、信雄は逆らって改易されている。
家康が朝鮮転封の命に逆らえばその時点で改易または討伐の口実になる。
秀吉からすれば、自身の存命中に、禍根である徳川家を潰す好機である。
0086人間七七四年
2011/04/08(金) 07:56:47.52ID:zOqMQgrS0087人間七七四年
2011/04/08(金) 14:40:09.65ID:iMYndiQKわかります
0088人間七七四年
2011/04/12(火) 18:29:17.69ID:wacxSGoIまぁ、当時の秀吉は確かにボケてた。
0089人間七七四年
2011/06/13(月) 04:51:21.46ID:FV6qCLEO0090人間七七四年
2011/07/07(木) 16:29:18.92ID:mRFQXEl3出来ちゃった婚した尼さんとの間に娘が二人いたはず
0091人間七七四年
2011/07/13(水) 00:26:36.51ID:PBcu1U3G秀長「兄じゃ、向こうは降伏しないって」
秀吉「ふむ」
で終わりそう。
0092人間七七四年
2011/07/14(木) 18:06:26.67ID:IB9vLpC9双方が納得する案を出せてこそ優れた調整役
0093人間七七四年
2011/09/02(金) 03:10:36.55ID:6ZbuuvpO宣戦布告にも等しい行為
実は一触即発だったんじゃね?
秀次事件はその延長上にあったとか
0094人間七七四年
2011/11/03(木) 21:11:42.42ID:9Pw+CypZ頼朝の場合、義経は父義朝がどこぞの白拍子に産ませた弟に過ぎないが、
秀長は秀吉の数少ない身内で、藩塀そのものだろ。
0095人間七七四年
2011/11/03(木) 21:13:17.62ID:9Pw+CypZ尼を孕まして責任とって結婚したようだな。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%99%BA%E9%9B%B2%E9%99%A2
0096人間七七四年
2011/11/03(木) 21:20:00.83ID:9Pw+CypZ関係修復した模様。 ウィキの話だ癌
天正16年(1588年)、紀伊の雑賀において材木の管理をしていた代官・吉川平介が、秀長に売買を命じられた
熊野の材木2万本の代金を着服する事件が起きた。秀吉の耳に届き、吉川が処刑される。秀長自身も責任を問われ、
秀吉から翌年の年頭の挨拶を拒否された。
天正17年1月1日(1589年2月15日)、大坂城にて諸大名と共に、秀吉に新年祝賀の太刀進上を行う(『後編旧記雑録』)。
この後、秀長が大坂城を訪れたという記録はない。天正18年(1590年)1月頃から病が悪化、北条征伐(小田原の役)
には参加できなかった。10月頃に秀次が秀長の病気回復の
祈願のため談山神社に訪れており、両者の関係も良かったと思われる(談山神社文書)。
0097人間七七四年
2011/11/05(土) 20:53:54.71ID:G6iaqszA秀次は秀長の存在価値を重要視していたが
側近が成長してきている秀吉にとっては秀長は既に無価値だったのだろう
あったとしても弟としての情けとかその程度のもの
0098人間七七四年
2011/12/21(水) 07:14:04.07ID:1OkVJq9h0099人間七七四年
2011/12/24(土) 00:37:53.61ID:TZpJra8O最近過大評価されてる気がする。
0100人間七七四年
2012/01/01(日) 18:30:17.81ID:jHxafPrgしかし、この人物が長命していたら秀吉死後も豊臣家が安泰だったかとなると
そこまでの(家康と張り合えるほどの)人物とは思えない。
0101人間七七四年
2012/02/27(月) 08:07:34.43ID:uooHh4by秀頼の後見人は家康でなく秀長になってたのは間違いないだろう
そうなると、あくまで五大老の一人に過ぎず、制度を無視して他大名と勝手に婚儀結んだり改易や加増・転封なんて出来なかったんじゃない?
0102人間七七四年
2012/02/29(水) 21:24:33.71ID:D49f85Vf有力大名は、どっち派とかっていうより、どっちにも味方する振り
しながら、とりあえず混乱に乗じて隣の大名を攻めるなり調略するなり動く。
もう惣無事令なんて関係ない
で、戦国時代に逆戻り。
そうなるのは本人たちが一番よくわかってるから、
大事になる前に和睦。おしまい
0103人間七七四年
2012/03/01(木) 06:24:46.91ID:XRFSRHaP三成が好例だが、秀吉が上にドンと構えていてくれたから目立たなかった欠点が、秀吉を失うことに
よってあらわになるってケースは考えられる。
秀長は秀頼や淀よりは北政所寄りだろうし、結局豊臣家が割れることにはなりそうだ。
0104人間七七四年
2012/03/03(土) 10:58:10.78ID:WsNdkkVm確かに秀長あっての秀吉なのだが、秀長が更に生き続けても豊臣家は二つには割れない。
何故なら豊臣家は観応の擾乱時の足利家のように、権力が尊氏と直義で二元化していなかったからだ。
秀吉と秀長は一心同体で、秀吉の能力は秀長のそれを内包し水増しされていたと言っていい。
よって秀長に離反されて困るのは秀吉なので、秀吉は秀長の意に沿わない政策は絶対に実行できない。
秀長は文治派と武断派双方に顔が利き、内部調整は得意分野なので、両派の軋轢も巧みに回避し、豊臣家は隆盛するのみ。
0105人間七七四年
2012/03/03(土) 14:51:19.01ID:Oid7PLrG0106人間七七四年
2012/03/05(月) 12:16:56.03ID:iv15NjE3彼女は淀とはともかく秀よりの事はそれなりに可愛がっており
家康に味方したことも淀と表だって対立した事もない。
>>104 信者乙。
>>105 秀長には実子がいないのでまあ譲るでしょう。
>>101 秀頼の後見人は家康では無くて利家。
家康は伏見城で政務の代行。これは秀長が生きていてもおそらく変わらない。
0107人間七七四年
2012/03/07(水) 10:10:30.12ID:qtHFwD+9秀長長命なら、秀次抹殺も無ければ五大老制も無い筈なので、
秀吉の最晩年、史実の様に家康の存在感が増すなんて有り得ない。
豊臣家の身代は徳川を大きく上回っており、政権中枢は豊臣一門で独占可能。
0109人間七七四年
2012/03/07(水) 16:46:08.06ID:ANluYQws秀長が生きていようが死んでいようが秀頼は誕生したはずなので
どのみち秀次があのままで済むはずがない。もちろん秀長は秀保との関係上
秀次の擁護に回るだろうが晩年の秀吉クォリティーとそれまでのあの兄弟の
関係性を考えれば秀次は命は助かっても最低でも出家は避けられないだろう。
それに五大老制はともかく秀吉の死後秀長が天下の所持万端全てを
一人で牛耳る体制を秀吉が志向したかわからんし、仮に秀吉がそれを遺言したとして
強欲な大名連中がそれに従ったかもわからんし、秀長がそれを遂行できたかもわからん。
何より秀長の大納言昇任はわざわざ家康と同日に行われている事から考えても
普通に考えれば秀長と家康の二大老制だと思うぞ。
豊臣宗家が大阪で秀長家が大和では東日本の抑えが不安だし。
0110人間七七四年
2012/03/07(水) 17:29:56.21ID:r9s52OIc0111人間七七四年
2012/03/07(水) 19:50:12.31ID:rxmz2i4Uどうしても鶴松死後に秀次の出番はやってくるか。
0113人間七七四年
2012/03/08(木) 23:42:13.25ID:UC045lkB秀吉はその子を迷わず養子にしてただろう。
当然秀次に出る幕は無い。その養子がちゃんと自分の立場をわきまえた賢い人間なら秀次みたいな最期になる事も無かっただろう。
0114人間七七四年
2012/03/08(木) 23:56:39.16ID:CAxByioi0115人間七七四年
2012/03/09(金) 05:02:33.41ID:w10niBDz二重三重のifだなそれ。
早い段階でおねに子供が出来ていたら、という仮定とたいして変わらんのじゃないの。
0116人間七七四年
2012/03/09(金) 16:57:47.15ID:ukYCPuWx鶴松の事もあるし秀次の能力に関係なく動くに動けなかったんだと思うけど。
0117人間七七四年
2012/03/15(木) 02:26:41.42ID:IpHr0yok天正十九年以降も秀長健在なら、秀次が史実通り後継関白に補任している可能性事態怪しい。
何故なら秀次が秀長より上の官位に就くなんて絶対に有り得ないからだ。
それが可能なら秀吉最晩年時、豊臣一門の宇喜多秀家は徳川内府の上の官位を戴いている。
よって太閤秀吉による秀次誅殺の動機事態が無い。
仮に秀次が秀長存命中に、史実通り後継関白になったとしても、秀吉の身内誅殺を秀長が許す訳が無い。
秀長が上手く周旋するのは必定なので、秀次の失脚は100%無いし、秀吉は秀長の手前、秀次誅殺は絶対に不可能。
最晩年時の秀吉が家康を頼みとしたのは、豊臣一門が次々と消え、豊臣家事態がスカスカだったから。
五大老制を場当たり的に設けて政権の中枢に据えたのもその為。
秀長が秀吉を補佐して豊家の中枢で政務を執っていたなら、史実の様に外様が政権中枢に入り込む余地は無い。
秀長は前田利家以上に文治派も武断派も強圧的に押さえ込める権威と実力があるので、秀吉没後も秀長が長命を保てば、武断派の暴走も無い。
秀吉が家康をそんなに頼りにし信頼しているのなら、後北条滅亡後、関東に転封したりはしない。
0118人間七七四年
2012/03/15(木) 05:22:53.82ID:aFFXcnTi0119人間七七四年
2012/03/15(木) 16:47:06.10ID:w09SGjoN養子ではなく猶子に過ぎず何の血縁関係もない60万石の秀家の官位の差がそのまま秀吉の実弟で110万石の秀長と
秀吉の実の甥で筆頭養子で100万石越えの秀次の官位の差に当て嵌まるのか小一時間問い詰めたい。
次に秀長は確かに能力ある武将だった事は認めるが秀吉の副官に徹している。
足利直義なんかは大塔宮を独断で暗殺したり後醍醐天皇と戦わせることを
尊氏に決断させたり、尊氏が認知せず寺に入れた子供をわざわざ呼び戻して
自分の嫡男にしたり観応の擾乱前からなかなか精力的だけど
秀長が秀吉に我を押し通したことなんて四国征伐の援軍問題しかない。
仮に秀吉が秀次殺害を強行しようとすればそれをどうにかできるとは思えない。
まだ若いころの秀吉ならともかくあの耄碌した秀吉だぜ。無理に止めれば自分が粛清されるだけだ。
まあ秀次の高野山追放は免れないだろ。史実通り切腹まで行ったかはわからんがな。
次に上に書いたが秀吉が秀長と家康の大納言昇任をわざわざ同日にした意味を考えろ。
豊臣政権は織田政権ほど強力な中央集権国家ではないし、秀吉が百姓だったせいで
得宗家や室町幕府のように中央も地方も分家や一門で全て押さえてしまっていたりしたわけではない。
更に国内統一後すぐに唐入りしたせいで国内統治が未完成で江戸幕府のように
外様親藩に広範囲の自治権を認める代わりに中央政界での権力を無くすなんて
体制ができていたわけでもない。しかも唐入り失敗で豊臣政権に対する諸大名の不満を
秀吉死後の秀長が全て吸収して一人で国内を統治する事が本当にできるとでも?
0120人間七七四年
2012/03/15(木) 20:17:02.79ID:ot6lycrU変わらないのだから、壮年の後継者が秀長より上の官位に就くことのどこに不自然さが?
秀頼がいる状態での秀家が、なぜこの時の秀次に例えられるのか意味不明だが。
0121人間七七四年
2012/03/15(木) 21:43:56.62ID:2UbFyFUR0122人間七七四年
2012/03/16(金) 11:44:12.40ID:LuBt/ZXJ秀吉いなくなったら秀長には価値がない
秀吉と親類が争えるほど豊臣政権が磐石なら誰も苦労しないという話
有能無能はあまり関係がない
0123人間七七四年
2012/03/21(水) 19:39:07.13ID:hsjZaYmT秀吉最晩年における家康と秀家間の官位格差は、そのまま両者のキャリアと実力の差。
この「キャリアと実力の差」は、そのまま秀長と秀次にも適用される。
豊臣政権内において「キャリアと実力の差」を無視した官位序列は有り得ない。
簡単な理屈だ。
安定政権の豊臣家と、南朝の存在と内紛とで不安定極まりなかった当時の足利家を同列に論じる愚を知れ。
そもそも秀長が天正十九年以降も健在なら、秀次の関白補任は無いので、秀頼誕生でも豊臣家の家督問題は起こりえない。
秀吉の耄碌は、秀長という適切な助言ができる豊家の柱石を失い、膨張一辺倒の突出した独裁者になった為。
秀吉が秀長と家康の大納言昇任をわざわざ同日にした意味って何?
ご教授願おうか。
豊臣政権は織田政権に匹敵する強力な中央集権国家なんだが。
異議なるなら、そうでない根拠出せ。
室町幕府が「鎌倉府」を分家で押さえてたが、その「鎌倉府」自体が内乱の要因になってた史実も知らんときたもんだ。
国内統治が成ったからこそ大陸侵攻が可能になったんだがな。
内敵を抱えたままで、外征も糞も無いのは常識。
そんな基本も知らんときたもんだ。
豊臣政権で外様の存在感が増したのは、秀長の死や秀次誅殺等、豊臣一門が希薄化し、政権の安定の為には外様を引き立てるしかなかった為。
利家の大納言昇進も家康対策。
秀長健在なら、利家を分不相応に昇進させる必要とて無い。
秀長健在なら大陸侵攻自体実現したか怪しい限りだし、
仮に実現したとしても、あそこまで無様な大失敗に終わる筈も無い。
よって諸大名の不満自体が発生しない。
0124人間七七四年
2012/03/21(水) 19:57:32.70ID:hsjZaYmT武将として秀長に勝る素養が皆無の秀次が、秀長を飛び越して関白に補任されるのなら、
一体秀長の官職は何になるのか説明してもらおうか。
言っとくが、秀吉自身が太閤として最高権力を掌握してるのだから、弟の秀長の引退は有り得んぞ。
秀家は豊臣一門だが、宇喜多家当主という点で家康と同じ豊臣臣下の大名の一人。
独裁者の秀吉なら、一門という観点から秀家を家康以上に引き立てるのは可能。
だが秀吉はそうはしなかった。
この論理は、そのまんま秀長と秀次の上下関係にも当てはまる。
所詮小者には理解不能な人事の要諦。
0125人間七七四年
2012/03/21(水) 20:08:14.07ID:hsjZaYmT秀吉不在下で秀長に価値が無いなら、秀長による四国・九州征伐自体が無かった事になるな。
秀吉は自ら四国・九州征伐はやっていない史実も知らんときたもんだ。
有能じゃ無かったら、海千山千の大軍を恙無く指揮できんのだが。
まさにやってもいないし出来もしない政策を、さもやってるかこれからやるかのような嘘っぱちを真顔でほざく能無し糞ゴミ汚物民主党議員と同類。
人間、ここまで堕ちたらもう終わり。
0126人間七七四年
2012/03/21(水) 20:31:15.22ID:9qHqVVBe0127人間七七四年
2012/03/24(土) 06:01:44.86ID:8q3E5W3n0128人間七七四年
2012/03/26(月) 05:00:59.80ID:PXDigU9c秀吉逝去後の豊臣政権と同じ政情不安が起こる可能性は大。
が、家康の内部調整能力は秀吉より上なので、政権の禍根を残す愚は犯さない。
それどころか御三家創設により更に徳川一門の充実を図り、政権はより安定化。
秀吉(&秀長)に子種が無かったのが、豊臣家にとって致命的だった。
それを補う術が無かったとこが秀吉の限界。
家康の関東転封という焼け太りの愚は、秀長が病に倒れ、秀吉の傍に有能な助言者がいなかったから。
もし秀長が秀吉の傍らにいたなら、こんな馬鹿げた加増は無い。
ここでも秀吉の愚かさが垣間見える。
秀長が長命を保ってたなら、豊臣一門領は徳川幕領に匹敵していたので、
豊臣の天下は室町幕府のような政体として、ある程度は長続きしたであろう。
0129人間七七四年
2012/03/26(月) 16:12:48.67ID:/wq8vSXW0130人間七七四年
2012/03/26(月) 17:22:01.78ID:fOvQxZYP0131人間七七四年
2012/04/30(月) 03:27:13.89ID:oIYEYF1R0132人間七七四年
2012/06/24(日) 07:19:41.68ID:pibiP6+8出世でき、政権を一応束縛できていた訳じゃない。
秀長も秀長で藤堂やら関が原で東軍についた配下を見れば有能な武将がたくさん
いた。
さてさて秀次には?って事にならね?秀家もよく知らんが。
となると家康の対抗馬は秀長しかおらんって事になる。
秀次が関白になっても秀次は秀長の言うことを聞いただろうし、秀長が死にそうに
なったら必死で死なないでくれと祈祷した所からも秀次が秀長を頼ってたのは
十分分かること。
秀長、秀次、家康が手を組めば徳川政権なんかあっという間におわり。
0133人間七七四年
2012/06/24(日) 08:09:37.81ID:NLYeFQ/00134人間七七四年
2012/06/25(月) 04:40:21.40ID:eJNr7Jq1秀長は秀次を小牧長久手の失敗を挽回させようと花を持たせたりしてるよな
0135人間七七四年
2012/06/25(月) 19:52:16.03ID:ukcmJh1L0137人間七七四年
2012/06/26(火) 07:53:56.08ID:fOqd/Als0138人間七七四年
2012/07/30(月) 15:54:26.26ID:9FkMMJ9Pご興味のある方は、豊臣秀長小説「志」で検索してください。
ご感想など頂戴できれば幸いです。
0139人間七七四年
2012/07/31(火) 07:58:51.47ID:ESLe8kxHあと秀次があっー!んな事にならなければ駒姫がちゃんと側室として扱われて
最上さんも最終的には折れるだろうから秀次麾下に伊達(マブ)と最上(義父?)が
ついて東北から関東への睨みは十二分に利かせられるわな
0140人間七七四年
2012/08/01(水) 18:28:44.65ID:zETOuPuQ母ちゃんに
「おみゃーたち、ちょとそこへ座れ。ええ年こいて兄弟喧嘩するなんて、大タワケが!」
と小一時間説教されて終戦じゃなかろうか?
0141人間七七四年
2012/09/07(金) 07:23:09.59ID:53CGEP4D0142人間七七四年
2012/12/20(木) 01:26:55.83ID:GRn66Pbm0143人間七七四年
2012/12/20(木) 03:19:54.87ID:Pi8H6JI70144人間七七四年
2013/03/08(金) 11:27:48.03ID:IGuY00Bnって言ったら秀次に付くんじゃない?
0145人間七七四年
2013/05/27(月) 05:57:00.75ID:w6CgFrwD大和郡山と大阪城でしょ?どこで戦うのかい?
0146人間七七四年
2013/06/07(金) 14:35:28.31ID:tFKmSSNu秀次が関白になったら秀長の官職は必然的に関白より下になる。
左大臣か右大臣かは知らんが。
天皇の次に偉い関白が、格下の者からあれこれ指図されるなんて構図は、豊臣政権の序列と秩序の否定だ。
0147人間七七四年
2013/08/23(金) NY:AN:NY.ANID:eXci1OKyhttp://mirai660.net/castle/
0148人間七七四年
2013/09/14(土) 19:26:35.13ID:w+j4FQ1f0149人間七七四年
2013/09/15(日) 23:35:29.42ID:Hb/xvtuxキチガイヲタのマルチポスト
http://hissi.org/read.php/sengoku/20130914/dytqNEZRMWY.html
0150人間七七四年
2013/09/16(月) 14:31:06.84ID:KCy8uzes0151人間七七四年
2013/09/21(土) 09:31:05.78ID:4eNJOktq備中高松城の水攻めを羽柴秀吉に献策したのは黒田官兵衛とのこと。
大河ドラマにちなんで備中高松城の水攻め復元模型を製作した。
http://mirai660.net/castle/
0152人間七七四年
2014/10/24(金) 21:38:29.12ID:K+0G/+nF全国いろいろまわったが大和郡山城が一番の名城と思った。
堀と郭が現役だった当時、地方の城のなかでは最強の部類です。
豊臣家の分家である大和豊臣家が同じ石高くらいで続いていたら
徳川の天下は無かったかも。
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