山本尚治【ヤマモトナオハル】
京都の土豪。
元々、三好方に協力していたようだが
(その前は細川晴元に協力しているので、ここは京都という地の難しさでしょうか・・・)
父・俊尚の時には足利義昭・織田信長に味方をするようになる。
義昭と信長の不和のとばっちりで、父・俊尚が自害に追い込まれ、一時身を隠す。
浅井・朝倉攻めに参加し、帰参を許され、その後の比叡山攻めに参加している。
義昭が信長に反旗を翻すと静原城に立て籠もり、明智光秀軍の猛攻に3か月以上持ちこたえる。
(一乗寺山城にこもったという説もあります)
光秀の調略により降伏、以後、光秀に従うようになる。
(信長公記では調略によって生害、頚は北伊勢東別所まで送られたとあります)
本能事の変後も光秀に味方し、山崎の合戦にて戦死。