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武田最大の裏切り者って誰だろうか

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0001人間七七四年2009/05/26(火) 07:10:20ID:DRc0B8H7
俺は小笠原信嶺だと思う
0109 忍法帖【Lv=23,xxxPT】 2011/09/19(月) 12:40:19.23ID:nY6xbSZ+
チン玄公しかおるまい
0110人間七七四年2011/09/19(月) 13:31:46.37ID:xdSYq6pW
>>85
高坂昌元や内藤昌月は忠臣扱いでおk?
0111人間七七四年2011/09/19(月) 13:37:09.21ID:xdSYq6pW
保科正俊、保科正直も忠臣と言えそう?
0112 忍法帖【Lv=2,xxxP】 2011/09/20(火) 00:27:39.42ID:1FoModur
デデデンデンデンデンデン ポウッ
0113人間七七四年2011/09/20(火) 11:50:34.41ID:e80WhcAu
将軍義昭も都人も武田軍の上洛と信長の滅亡を信じて疑わなかったのに
みなの期待を裏切って陣没した信玄公だろ
01142011/09/21(水) 06:55:18.42ID:J/dWWioE
>>103
昌幸が簡単に勝頼差し出すとは思えないんだけどな
関ヶ原でも圧倒的に不利な西軍につく奴だし
織田相手にも戦ったと思うけどね
0115人間七七四年2011/09/21(水) 07:04:38.88ID:GoM3+RbD
関ヶ原が1日で終わると誰も思ってなかったし
大将の毛利があこまで名前負けのチキンとは誰も思ってなかったからな
毛利両川が東軍で毛利本隊が戦闘力に入らないなんて後世じゃないとわからんよ
0116人間七七四年2011/09/21(水) 07:39:12.02ID:cO/iIDeX
そもそもあの段階では東軍不利だといってもいいしなあ
近畿圏を西軍に抑えられてた訳だし
そんな状況ですら信幸を保険として東軍に付かせてた訳なんだから
0117人間七七四年2011/09/21(水) 07:58:26.96ID:JM2oV5Ba
>>116
アホかお前
それこそ親子同士で斬り合いになるほどの激論を交わしたらしいぞ
ボケてるのか
0118人間七七四年2011/09/21(水) 08:22:42.66ID:cO/iIDeX
その斬り合った程の関係の息子に助命してもらった上に仕送りまでしてもらってたのか
信幸いい奴過ぎるだろう
そもそも家臣とかの事全く考えずにあんな状況の勝頼を無条件でたすけようってのは人の主としてはクズだろ
0119人間七七四年2011/09/21(水) 08:26:15.28ID:i2GYyZLy
弱小大名が二手に分かれるのは常套手段なわけだが?
0120人間七七四年2011/09/21(水) 08:30:50.41ID:cO/iIDeX
だからそういう常識な判断が出来る人なのに勝頼に対してだけそんな奇妙な判断する筈がないだろ
そもそも真田はそこまで武田と長い関係じゃないんだから
むしろそこらへんが勝頼が真田にいかなかった理由かもしれんし
0121人間七七四年2011/09/21(水) 09:22:06.63ID:tbbmVwQ+
信玄が圧倒的に多くてワロタ
まぁゆるぎない事実だから仕方ないな
0122人間七七四年2011/09/21(水) 18:30:56.08ID:fIwh5U0i
勝頼政権崩壊については木曽の裏切りが全部悪い〜〜とか書いてた本を読んだことがある
0123人間七七四年2011/09/21(水) 20:26:45.82ID:7rs8OChP
>>120
だが、村上義清を相手に二度の大敗をして重臣を失い
完全に信濃攻めが頓挫していた武田家を、
一躍、甲斐の虎(二代目)に仕立て上げたのが真田家だしなぁ。
昌幸だって幼い頃から信玄の近習として仕え、
信玄に我が眼と評された程の人物だし、勝頼が頼っても不思議はない。

まぁ、信玄の従兄弟で文武にも優れた重臣筆頭(独立領主説も)の小山田信茂には及ばないけどね。
0124人間七七四年2011/09/21(水) 21:29:36.69ID:esE7b6kD
昌幸が勝頼を裏切ることはないと思う。

勝頼が昌幸のもとへ行き、昌幸が戦うとして、織田はどうするだろうか?

>>111
保科は信忠軍が高遠城に迫った時、織田に寝返ろうとしていたみたいだよ。
信長公記に「保科はここ(高遠城)で、城に火を放って織田方に転じようとし、この計画を小笠原信嶺のもとへ夜中に知らせてきたが、これを信忠に知らせる時間もなかった」
って書いてある。
0125人間七七四年2011/09/21(水) 23:26:42.59ID:pfQolBQb
>>120
あの時期に勝頼が岩櫃まで行くのは困難だから却下。って判断だろ。
0126人間七七四年2011/09/21(水) 23:43:32.10ID:esE7b6kD
思ったんだが、武田を裏切らないで武田滅亡後に徳川に仕えた武田旧臣が木曽義昌を見た時はどういう気持ちになったんだろう?
井伊直政が秀吉の家来となった石川数正を見たときと似たような気持ちだろうか?
0127人間七七四年2011/09/21(水) 23:45:19.91ID:JM2oV5Ba
>>126
その時二人はどんな会話したとかの史料はないの?
0128人間七七四年2011/09/22(木) 00:15:40.43ID:DlNWIy+R
井伊と石川の話については、

秀吉が井伊を茶会に招待した。
そこには石川がいた。
そこで井伊は「主君に背いて殿下(秀吉)に従う臆病者との同席は断る」と言った。
0129人間七七四年2011/09/22(木) 01:17:40.01ID:uyn6mXBk
>>124
その説は根拠が無いし、保科勢は二の丸で戦っているから、どうもおかしい。
脱出の経緯には、森長可に騙されたとかいう説や、捕縛された後逃げたという説もある。
0130人間七七四年2011/09/22(木) 01:51:53.57ID:DlNWIy+R
>>129
信長公記に書いてあるんだよ
0131人間七七四年2011/09/22(木) 01:55:16.37ID:MEsH7y0z
下手な釣り餌だな
0132人間七七四年2011/09/22(木) 14:21:56.32ID:tbT490k3
真田が武田に頼られて裏切らなかったら織田に攻められて終わる気がするんだが
01332011/09/22(木) 23:13:43.66ID:w1TrhyP0
織田に攻められて終わりかもな
でも上田城に籠って粘ると思うよ
上田城を攻め落とすのは難しいぞ、史実でもな
その間に上杉に援軍頼むと、、
0134人間七七四年2011/09/22(木) 23:17:13.86ID:DlNWIy+R
個人的には織田の攻撃を耐えれると思う。
結局は滝川あたりに包囲させて信長は引き上げるんじゃないか?
0135人間七七四年2011/09/23(金) 00:18:42.88ID:cKYeyYG6
上田城築城が1583年で武田攻めは1582年な訳だが…
確かに無い城は攻め落とすのは難しいってか不可能だな
岩櫃城だろ
0136人間七七四年2011/09/23(金) 00:23:06.68ID:jDdvruuz
箕輪城とかもある。
0137人間七七四年2011/09/23(金) 14:11:13.40ID:FHjM22p9
孤立無援で戦力差は圧倒的であり、前途になんの希望のないままでいつまでも持たせる事ができるならそいつは天下を取れてるよ
0138人間七七四年2011/09/23(金) 14:12:46.59ID:FHjM22p9
つかそんな芸当出来るなら関ヶ原終わった後もずっと籠城してれば良かったのになあ
真田はアホ過ぎる
0139人間七七四年2011/09/23(金) 20:15:34.76ID:rUkFOmgV
>>138
領土は息子にやるから隠居・謹慎しろってなら悪い条件では無かろう
0140人間七七四年2011/09/24(土) 03:10:40.91ID:0X6Mh89G
援軍期待できない状況で籠城しても…上杉は滅亡寸前で援軍なんか送る余裕ないぞ
真田より力のあった後北条ですら最期は開城してるわけだし
結局戦争なんて最終的には経済力で決まるわけだし真田に上田城があってもそのうち落ちると思う
0141人間七七四年2011/09/24(土) 04:19:11.06ID:OLDpoZQn
岩櫃に引っ込めば、もう眼中にナシで、とりあえず生きながらえる可能性はあるが……
信長に滅ぼされても、生き残ってる大名は結構いることから見ても、執拗に追ったりしない感じだし。
ただ、信濃の要地の上田に籠もったら、確実に落とすまで引き返すことはないから、岩櫃のがマシ。
0142人間七七四年2011/09/24(土) 11:28:58.22ID:I58Oi6rg
天才戦術家の昌幸が2千〜3千で徳川と戦ったような
0143人間七七四年2011/09/24(土) 11:35:40.66ID:I58Oi6rg
142カキコミスです。 
天才戦術家の昌幸は、たった2,3千の兵で何倍もの徳川を2度も破ってるし、
昌幸なら2,3か月なら十分持ちこたえると思う。
2,3か月経ったら、「本能寺の変」で信長はこの世から消えますよ。
まぁ、武田が滅びなかったら信長は家康とのんびり京・堺でのんびり
遊ばないけどさ。
0144人間七七四年2011/09/24(土) 11:45:05.25ID:OLDpoZQn
上州まで逃げてしまえば、信長は京に戻る可能性は大いにある。
まがいなりにも、上杉が健在な状態で、実際に戻っているわけだし。
甲信を完全に掌握した時点で、目的は完遂されたと思われ。
0145人間七七四年2011/09/24(土) 12:08:23.38ID:/rLuv8DD
>>128
ただ石川数正が秀吉に従ったのは餌に釣られたというより
信康と築山殿の一件が大きいと思うけどね。
あの事件は実際の所は家康と信康のお家騒動だったわけで、信康の
後見人であった数正には色々思う事があったんじゃない。
0146人間七七四年2011/09/24(土) 12:25:18.96ID:eU/KF7Kk
>>128
秀吉の面前でそんな事言って、何の沙汰もなかったのか?
0147人間七七四年2011/09/24(土) 12:26:29.63ID:XbQUqvPp
>>143
信長が本格的に出陣したとか、光秀が中国地方に先に行ったりするとか。
0148人間七七四年2011/09/24(土) 13:38:43.91ID:mVv6nFfS
>>147
信長が出陣する前に信忠が決めちゃった感じだから猶更無理だと思うんね
しかも織田と均衡取れるような家ってあの当時ないし、勝頼の助命嘆願して降伏って道しかないんじゃないか?
0149人間七七四年2011/09/24(土) 16:33:23.78ID:0X6Mh89G
真田がゲリラ戦とか得意で厄介なのはわかるけど徳川や北条の時は背後に上杉ちらつかせたりして全力でぶつかれないようにしてるってのも大きいと思う、それも戦略ではあるけど
対して織田の場合だと真田だけに全力注げるわけだし信忠撃破しても信長本隊くるし、勝頼の首取るまでは帰らないと思う
さらに決着があらかた付いた後の降伏は許さない気がするからどっちみち詰みじゃないか
0150人間七七四年2011/09/24(土) 18:55:18.68ID:shE5RLG6
そもそも籠城してる時点で撃退は出来ても撃破は無理だから
0151人間七七四年2011/09/24(土) 18:57:31.45ID:shE5RLG6
更に言えば城内で内応者が出て来ないとも限らん
つか前途に何の希望ない籠城なんかに何時まで付き合う程真田家臣団も能天気じゃあるまい
01522011/09/24(土) 20:54:17.79ID:dBnyV3yA
武田が亡びなかったら本能寺の変は無かった

そう考えると勝頼の呪いが炸裂したのかな、本能寺の変は

宿敵武田を滅ぼした後に自分が亡びるとは信長も思ってなかったろうな

皮肉だな
0153人間七七四年2011/09/24(土) 23:07:06.76ID:ibNP0gUh
武田って信長公にとってそんなに大きい存在だったかな
信長公の敵は世界だもの 武田など眼中になし
0154人間七七四年2011/09/24(土) 23:41:45.13ID:0X6Mh89G
徳川政権下で武田や真田を強く描いておけばそれに苦戦するなら仕方ないってなっただけ

岐阜、尾張持ってる時点で国力は既に武田以上
0155人間七七四年2011/09/26(月) 02:44:24.43ID:aT34R/Vl
まがいなりって
先に日本語を学べよ
0156人間七七四年2011/09/26(月) 04:44:21.19ID:Az1C082g
小田原市に志村って苗字の多い地区があるんだが、そこの志村一族は伝承では武田の家臣だったんだそうな。

実際に志村氏館の遺跡も残っているから、それなりの氏族だったみたいだ。

この一族も武田を見捨てて逃れてきたんだろうけど、
敵だった北条領、しかも小田原に逃れてきたあたり、この時代は意外と敵に寛容な部分もあったのかね。

ちょいとスレチですまん。

0157人間七七四年2011/09/26(月) 08:13:32.02ID:TDwDPNlL
志村って、元々秩父党だかの出身じゃなかったっけか?
そういう意味では、ツテがあたのかもね。
そういえば、小山田もそうだっけか?
0158人間七七四年2011/09/26(月) 10:30:44.25ID:DSVrFoRA
「勝頼を岩櫃へ」というのは後世の真田家の史料でしょ。
実際には、真田昌幸は武田滅亡以前から、北条家と誼を通じていたみたいだし。

武田だって、甲斐を離れて上州へという選択はあの時点では無理だったと思うけど。
(まさか、あんなにあっけなく滅亡とは当事者だって考えなかったと思うし)
0159人間七七四年2011/09/26(月) 10:39:30.80ID:DSVrFoRA
裏切りモノって言い方はあれだけど、武田滅亡の要因を作ったのは、穴山と木曽だろうね。
0160人間七七四年2011/09/26(月) 13:03:13.39ID:Az1C082g
>>157
小山田は北条の軍役帳には「他国衆」として扱われているそうな。
実際に北条軍として行動することはなかったにせよ、北条と何らかの独自外交はしていたはず。


志村氏の場合、徳川に庇護された後に家康の関東移封に従って小田原へ来た可能性があるけど、
もし志村氏が秩父衆出身ならば、小山田氏と同じように武田滅亡前から関東と独自に通じていた可能性もあるよね。

0161人間七七四年2011/09/27(火) 22:21:51.93ID:1rbn5kQC
北条のは、武田の小山田弥三郎と同一か不明じゃなかったっけ。
0162人間七七四年2011/10/10(月) 14:33:01.71ID:JOXVgv5/
新府城で、結局裏切る小山田が、自分の城の方に来るのをわざわざ力説までしたのはなんでだろう?
まあ真田昌幸選んでもどうせ、勝頼の首が差し出される羽目になったかもしれんが。
真田にとって、勝頼を岩櫃城に招くメリットは良くわからないけど。(それどころか、追撃受けて詰みそうな)

>>158
素人でよくわからないんだけど、当の真田昌幸はあの時期に甲斐から上野まで、脱出に
成功したんだよね。北条の圧力もあって、山道通るしかなさそうだけど、できないことではなかったのかも。

それと勝頼なんだけど、新府から逃げる途中にもどんどん部下が逃げ出したらしいけど、
肝心の勝頼自身も、そんな感じで逃げおおせる、とかはできなかったんだろうか?
0163人間七七四年2011/10/10(月) 16:08:23.99ID:RxjvehtR

えっ?武田最大の裏切り者?

武田信玄だろ
当主である父を裏切りし

三国同盟+婚姻も今川が弱ったからって裏切り

息子が謀反しそうかも?ってんで息子も殺し
0164人間七七四年2011/10/10(月) 17:09:57.22ID:IEF4ThYd
>>162
小山田の本心はわからんなあ
最初から裏切る気満々だったっていう説もあれば、小山田自身が家臣・領民に裏切られたって説もあるし
岩櫃周辺の上野民にしてみれば勝頼を迎えるのは迷惑千万であり、岩櫃に行ったところでちゃんと籠城できたのやら
0165人間七七四年2011/10/10(月) 17:19:12.60ID:3sVAUIFR
北条氏政って御館の乱の失敗をぜんぶ勝頼に押し付けてね?
勝頼が織田にやられたら次は自分がやられる番だってわからなかったのかな?
アホだぜ・・・
0166人間七七四年2011/10/10(月) 17:29:16.20ID:BYxC/vE2
やり方もえぐいし小山田でしょやはり
0167人間七七四年2011/10/10(月) 20:59:17.91ID:QJaUwwPM
>>165
アホだから秀吉と戦うなんていう馬鹿げた事をしたんだろ
0168人間七七四年2011/10/10(月) 21:08:56.43ID:mDvj4DhI
穴山信君
0169人間七七四年2011/10/10(月) 22:05:04.63ID:YWTd4h40
土屋惣蔵
0170人間七七四年2011/10/11(火) 00:08:57.81ID:/alJ8Zjh
小山田と朝倉景鏡の扱いの違いって何?
朝倉の時は背後が危うかったから手短に許したけど、武田の時は覇権を確立してたから?
0171人間七七四年2011/10/11(火) 06:25:03.83ID:LXI8hXGl
>>165織田にはへりくだってる
0172人間七七四年2011/10/11(火) 17:53:05.37ID:NA+ldLbB
>>165
でも越後が景虎領になったら、即織田とガチバトルだぜ
越後と上野さえ開けとけば、織田が東北にスルーしてくれる望みはあるけど
0173人間七七四年2011/10/12(水) 00:06:36.76ID:Pd8xDldB
穴山も小山田も自治を認められた在地領主だし
武田家の協力者ではあっても家臣という自覚があったか疑問
その場合は裏切ったとは言い切れないと思う
木曽も微妙な立ち位置だから

あえて裏切り者と言うなら信廉?ちょっと裏切り者というには可哀そうだが
0174人間七七四年2011/10/12(水) 01:11:20.53ID:4L8hxO9a
自治認められててもあまり関係無いんじゃないか
例えば織田劣勢だったとして家康が信長呼んでおいて裏切ったとしたら
律儀者の評判も地に落ちるでしょ
0175人間七七四年2011/10/13(木) 21:39:29.69ID:F21FPoXg
>>174同意
実際同盟関係かもしれんけど織田からしたら武田一味
これが北条が武田を滅ぼしたとかならまた変わるんだろうけど
0176人間七七四年2011/10/14(金) 17:51:38.84ID:+EJEYTky
もし姉川の合戦で徳川勢がさっさと退却して大敗北してたら避難は免れんだろう
穴山が長篠でやったことも同じ
0177人間七七四年2011/10/14(金) 17:52:22.24ID:+EJEYTky
訂正 避難→非難
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