兼続の同時代の評価見ると、「異常なまでの鉄砲好き」ってのがイメージとして強いようね。
鉄砲の部隊編成や戦術、製造などだけでなく、技術向上のため、自分の配下を京都の名人のところに
留学させたりしてる。
勿論この時代、鉄砲を重要視していなかった大名は皆無だろうけど、そのなかでも、特に記録に残っちゃうくらい
兼続は、ある種の、度を越した鉄砲マニアと、世間では認識されてたんだろうね。