【義の名宰相?】直江兼続 6【愛のバカ家老?】
レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。
0001人間七七四年
2008/05/19(月) 19:43:14ID:RiXLKr8t0898人間七七四年
2008/07/10(木) 14:44:06ID:QufCJQmOおだてられて自分を武将だとか文化人だとか思い込んで行動しているのが痛い
0899人間七七四年
2008/07/10(木) 16:17:10ID:Wfu7LiaCSOHOさんはなぜ長文なのか
SOHOさんはなぜ句読点を使えないのか
SOHOさんはなぜ勝利宣言をするのか
SOHOさんはなぜ伊達や織田厨認定できるのか
SOHOさんはなぜ自演だとわかるのか
0900人間七七四年
2008/07/10(木) 17:39:33ID:pO1YtQBM長文の方が遥かにマシだろ。
ところで直江がホモだと言う根拠出せよ。
ついでに当時、直江が文化人・武将ではないとする根拠出せよ。
楽しみに待ってるから。
0901人間七七四年
2008/07/10(木) 18:06:16ID:yoMN6+p4自分に対して中傷文書いてくるやつがひとりで
多数に見えるように自演してるって本当に思ってるんだろうか?
もしマジでそう感じているなら病気だよな。
何年も引きこもっている時点で病気なんだろうけど。
0902人間七七四年
2008/07/10(木) 19:21:56ID:77UFUT+R衆道なんてこの時期ほとんどの武将がやってたんじゃないのか?直江だけやってないって証拠も無いと思うけど。
一応軍を率いた経験もあるし、文化事業だけは評価できるから武将であり文化人ってのは間違いないわな。
名武将、名宰相等の評価が妥当とは思えないけど。
0903人間七七四年
2008/07/11(金) 01:02:19ID:hBjTXQZr衆道なんて別に話題にするほどのもんでもないじゃないか…。
後藤又兵衛と秀吉は絶対違うってレス内容だったらわかるが
0904人間七七四年
2008/07/11(金) 02:13:57ID:JqRd51qr自身が主将としての戦勝を示せ。あったら武将として認めてやる。
文学的な価値を認められた著作創作を示せ。例えば直江と関係あるところでは
謙信や政宗の詩は「漢詩名作選」に詩人として認められて載ってる
これは漢文を重視してる高校で授業で使うような本だ
それ位のものをな。あったら文化人として認めてやる
0905人間七七四年
2008/07/11(金) 03:10:28ID:9YEPgmUQ伊達を褒めてるやつが、大敗してすでに逃げ去ってるなw
どちらのスレも直江批判してるアホが、リンクを紹介してくれたクセにフルボッコされてんのwww
松川の戦いは本当にあったのか? その4
http://c.2ch.net/test/-/warhis/1198253856/i
来年一年間伊達政宗は後ろ姿しか放送されません
http://c.2ch.net/test/-/nhkdrama/1210550761/i
0907人間七七四年
2008/07/11(金) 16:47:14ID:bfxsCWij藤原惺窩からの評価や、『直江版』は?
0908人間七七四年
2008/07/11(金) 17:09:53ID:nm+y5XnB家康が大坂城に入り、西軍に加担した諸大名の処分が議題となった時、
「直江兼続はこの乱の張本人なので誅殺すべきだ」という意見が大勢を占めた。
ところが家康は、「直江に限らず毛利、島津をはじめ諸大名の老臣たちは、三成に頼まれて大阪方に加担して
兵を挙げるように主人に勤めている。それゆえ今直江を誅殺すれば、次は自分じゃないかと危惧を抱き、
それぞれの分国に立てこもって兵を挙げ、再び大乱を招くだろう。それゆえ直江を許して安心させるのが得策じゃ。
早々に上洛するように申し伝えよ。」と言ったという。
0909人間七七四年
2008/07/11(金) 18:46:59ID:s27X11q20910人間七七四年
2008/07/11(金) 18:57:53ID:kTlkSs76まるでその場にいたかのような文章だけど
家康の考え方は適切だろうね。
もう天下は取ったも同然だし、この状態で
下手に有力大名に暴れられて、また戦国時代に
逆戻りよりはね。
結局、直江がいたから、お家とり潰しではなくて
すんだのではなく、徳川の懸命な配慮のおかげで
助かった、ってのが正解だろうね。
>>905
相変わらずアンチ直江=伊達信者って考えなんだなw
SOHOさんだってわかりやすくていいけどさ。
最近、わざわざID変えて書き込んでいるけど、この際
SOHOコテでやったほうが受け入れられるんじゃないかと
思うよ。
0911人間七七四年
2008/07/11(金) 18:58:18ID:hIJhPnEwだから政宗が気になるわけだが、意趣返しが挨拶の無視など、
やることがガキ臭い。w
0912人間七七四年
2008/07/11(金) 19:15:20ID:kTlkSs76そうやって伊達を持ち上げる、それに対して
野戦で伊達が大勝した事実なんてねーよって
いつものお得意な伊達叩きの自演パターンに見えるのは気のせい?
0913人間七七四年
2008/07/11(金) 19:33:05ID:9YEPgmUQ>>908
その話はまったく聞いた事ない。何に載ってる話だ?
0916人間七七四年
2008/07/11(金) 19:56:37ID:9YEPgmUQ安部版名将言行録・・・大丈夫かその本・・・
0917人間七七四年
2008/07/11(金) 19:58:50ID:nm+y5XnB解釈はともかく(つーか立花京子の影響を受けたぶっちゃけ電波だが)、エピソードまで作ってるわけじゃない。
0918人間七七四年
2008/07/11(金) 20:35:00ID:pN3wmRgSしかも下記の出来事と大きく矛盾する。
三成と直江が共謀した証拠はなく、むしろ三成が便乗したと言われてる。そのために三成挙兵タイミングは最悪を極めた。
家康の上杉征伐自体を家康が勝手に辞めちゃって敵前逃亡状態で、しかも上杉は追撃をしてないために挟撃策説は成りたたず、余計に三成や西軍と事前に共謀してないと言われている(使者の往来はあった)
西軍総大将として輝元は書状も出してる為に罪に問われた毛利が助かったのは、吉川の家康への功績を引き替えにしたもの。
島津だって関ヶ原後の上洛要求に警戒してたし、島津の安堵が出たのは2年も経ってからだし。佐竹が許されたのもほぼ同時期。
0919人間七七四年
2008/07/11(金) 20:35:45ID:5yWnK1Slそういうたぐいの本のこと?
0920人間七七四年
2008/07/11(金) 21:04:18ID:2Z+gNj1Gそれをしなかったから無能と言われても仕方ないな
0921人間七七四年
2008/07/11(金) 22:58:39ID:hBjTXQZrたぶん江戸時代に編纂されたものに選抜されたやつじゃないかな(ウロ覚え。
歌人天皇の後水尾天皇の集外三十六歌仙にも入ってるが…それは和歌だしな。
0922人間七七四年
2008/07/12(土) 00:33:59ID:oIqYSqZd三成と直江が共謀してないってほうが、直江の評価下がる
んじゃないか?
当時、上杉単独で徳川とやりあって勝てる可能性は低かったんじゃないかな。
直江状は無いって話だけど、徳川に敵対国として付け入られる落ち度が
景勝、兼続コンビにあったってことでしょ?
それならまだ、共謀策で徳川に喧嘩売ったってほうが賢く感じるけど
0923人間七七四年
2008/07/12(土) 00:36:39ID:gj7YFE3A角川春樹は上杉贔屓だからな。
彼は薬物依存で狂って、脱税、横領をやらかして刑務所に入った。
そういえば直江好きの「二流の人」坂口安吾も狂って薬物依存になって
叫びながら夜中の町を歩いたりして、結局死んだ。
なぜか上杉-直江好きは狂う奴が多いな。おまいらも気をつけろよ
0924奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM
2008/07/12(土) 00:48:18ID:VqK7Pljv0926人間七七四年
2008/07/12(土) 01:19:58ID:jJHU8oxi今川義元は松平から竹千代を人質として獲ったが、扱いは厚遇だった。
織田信長も蒲生からとった人質を多いに気に入って、いろいろと優遇している。
0927人間七七四年
2008/07/12(土) 02:22:44ID:+vig+MEV実際、景勝&兼続コンビは死亡フラグを何度となく突破してきた強豪なわけだが。
それに神指城の築城に協力してくれた佐竹との共同作戦を考えていたので勝てる可能性はあった(佐竹が動かなくなったのは、三成の挙兵で家康を横撃するシナリオが破綻したから)
0928人間七七四年
2008/07/12(土) 07:42:55ID:3SrcD8dF0929人間七七四年
2008/07/12(土) 09:25:12ID:RzPGTKwh過去に何度も出てきているが兼続と三成は連絡を取り合っていた。
東軍が上杉攻めに北上して来ている時に待ち受ける準備をしていた兼続が清野経由で景勝に宛てた書状が米沢上杉博物館に現存している。
内容は会津に三成の使者が書状を持って来ている事を知り、その書状への返答は自分がするからといったもの。
この時、佐竹の使者が兼続の元を訪れていた事も記載されている。
ただし会津と上方とで挟み撃ちをする作戦だったかは不明。
>上杉単独で徳川とやりあって勝てる可能性は低かったんじゃないかな。
そりゃそうでしょ。
上杉方は地元で地の利があるという奴もいるが上杉家は会津に移って間もない。
上方にいた時間の長い景勝や兼続にいたってはほとんど未知の土地。
地の利はあって無い様なもの。
軍勢にしても急遽集めた烏合の衆で統率面では不安を抱える。
佐竹にしても家中が内部分裂していたのはわかっていただろうから全幅の信頼は置けない。
勝てる手段は短期決戦で家康の首をあげるしか術がない。
この時の上杉家は玉砕を覚悟していたのは間違いない。
0930人間七七四年
2008/07/12(土) 12:20:28ID:LPhHo5fe伊達も白石城譲渡し、引き抜いた甘粕が徳川の第一目標たる白河城へ向かっていた(その後、譲渡と引き替えに和睦した伊達が違背し侵攻したが瞬殺され、湯原城譲渡を諦め逆に白石城返還和睦を言い出す)
黒川口も越後で一揆を起こされて堀が動けなくなり、その後、丹羽により前田も動けなくなる。
佐竹も不穏な動きをし出して、家康はかなり警戒していた。
史実では4路ともに侵攻は停滞していた。
5路目に当たる徳川軍の先鋒であった秀忠らを、備えを固めた白河城で籠城迎撃しつつ須賀川あたりで、地の利に詳しい佐竹や岩城らが徳川の背後を遮断してしまえばいいだけ(葦名自体が義宣の弟の義広が継いでいたくらい)
会津は四方を標高が高い山野で守られ、守り易い。この地の利は天然の地形によるもの。地形を調べ地勢図があれば良いだけ。
転封間もないから地の利が生かせないと言う事はない。
兵の士気も他国への侵略戦なら新規兵は確かに弱いかも知れないが、充分な装備と補給があれば、新兵でも頑強に抵抗し防衛戦には問題がないのは幾多の戦史が証明している。
佐竹のまとまりの悪さが露呈するのは家康が江戸へ戻ってからの方針からで(義重が東義久を江戸へ派兵したりし始める)、
この時期の佐竹は当初計画通りに事態が推移しており問題がまったく起きてない。
上方で変が起きるであろう事は想像できる状況だったし、家康を足止めさせておけば、上杉の勝率は五分五分の50%はあったはず。
0931人間七七四年
2008/07/12(土) 12:55:31ID:K1oWk6Pp0932人間七七四年
2008/07/12(土) 14:07:07ID:oIqYSqZdあの家康嫌いの真田昌幸まで討伐軍に参陣していたのを
考えると、当時の人間には、とても上杉勢に勝ち目があるとは
思えなかったんだろ。
討伐軍に参加しなければ、もしかすると次は我が身かもしれない
ってことで、渋々参加って感じだったんだろうね。
それで、まだ勝算があると感じた三成挙兵を知ると、速効、上杉討伐軍
から離脱したと。
神指城がどうこうってもこの前書いていたが、小田原の件を見れば
どんなに難攻不落の城でも、大量物量で囲んで、補給できなくすれば
終わりだろ。
三成と共謀しているなら、きっちり城にこもって徳川軍を引き付けて
おき、三成軍の体勢が万全に整うまで時間を稼ぐ、西群討伐
に引き返す家康を、後方から攻めるくらいやるならまだわかるけど、
徳川軍が中途半端な位置で三成挙兵、引き返す家康を上杉勢はそのまま
お見送りではなー。
景勝,兼続コンビは、アンチ徳川宣言したわりには口だけ君に感じる。
アンチ徳川としての意地は真田昌幸のほうが見せてくれた感じがするよな。
結局、あの時点で徳川に牙むいたのは景勝,兼続コンビの完全な失策で
上杉家存亡の危機を招いてしまった。
潰されなかったのは天下人になって余裕の家康の慈悲だろうな。
0933人間七七四年
2008/07/12(土) 15:04:58ID:+vig+MEV家康嫌いの真田昌幸まで討伐軍に参陣
アンチ徳川としての意地は真田昌幸のほうが見せてくれた
言ってることが平気で矛盾する低脳ぶりにワロタw
0934人間七七四年
2008/07/12(土) 15:29:59ID:+vig+MEV真田信之と本多忠勝の娘との婚姻関係があるのを
直江批判してる人間は、まるで知らないと見えるw
0935人間七七四年
2008/07/12(土) 16:27:41ID:RzPGTKwh真田は東西どちらが勝っても家が生き残れる作戦に出ただけだ。
家を残す事を優先的に考えれば当然の選択だ。
同じ手法は前田家も取っている。
0937人間七七四年
2008/07/12(土) 17:27:10ID:TtszYPrr「決戦関ヶ原―武将たちの闘い―」って本には
家康が一番苦渋したのは、江戸で景勝の動向を探ってる時で
江戸に留まっていた家康は完全に受身だった
戦略が定まらず、その思考は彷徨っていたようにしか見えない
って内容が書かれてたよ
それだけに、景勝はもう少し家康を牽制すべきだったと
まぁでも・・・・景勝は一定期間、家康を江戸に縛り付け
それまで三成らは有利に事を進められた訳だし
景勝は最低限の役割は果たしたと思うけど
決戦せず膠着状態にするなり、立花宗茂らの到着を待つなり、夜襲案を採用するなり
三成らには有効な選択肢が幾つも生じていた
それは家康本軍の西進が遅れた結果、生じた成果なのだから
ある程度、景勝の功績は認めるべきだと思う
三成が判断を誤り、さらに自軍を把握していなかったが為、最悪の選択をしてしまった訳だけど
島津の機嫌まで損ねてしまってるし
0938人間七七四年
2008/07/12(土) 17:41:05ID:iKrK589Q> 「決戦関ヶ原―武将たちの闘い―」
決戦関ヶ原―武将たちの闘い―
徳島城博物館開館10周年を記念して開催された特別展の展示図録。全国の武将が東西に分かれて争った、
天下分け目の決戦「関ヶ原の戦い」。阿波の大名・蜂須賀家では、この最大の危機をどのように乗り切ったのか?
重要文化財である「関ヶ原合戦図屏風」や徳川家康所用「南蛮胴具足」、「本多忠勝画像」をはじめとする数々の
名品とともに、蜂須賀家の動向に関する新たな知見も交えながら、それぞれの武将たちの「闘い」のドラマに
焦点をあてて紹介していく。内容は「?T関ヶ原への道程」「?U関ヶ原の戦い」「?V武将たちの闘い」「?W蜂須賀家の
関ヶ原の戦い」「?X関ヶ原の戦いと女性たち」、さらに総説「決戦関ヶ原―武将たちの闘い―(根津寿夫)」ほか、
充実した資料解説、史料編もあわせて収載。
ttp://www.city.tokushima.tokushima.jp/johaku/zuroku/index.html
図録の解説を元に話を展開されても…
0939人間七七四年
2008/07/12(土) 18:08:38ID:+vig+MEV小田原城まで持ち出してるけどね、比較するのがバカバカしい。
小田原城と違ってね、当時の会津は蒲生氏郷の手による大規模改修・・・織豊系築城と支城網化でガチガチに防衛力がUPしてんの。
会津若松だけでなく、防衛力に不安があった城。
例えば猪苗代・長沼・鴨山・二本松・守山・梁川などで織豊系石垣が発見されてる。
そうそう政宗が侵攻した際に梁川城がまったく落ちなかったね。
蒲生は石垣が足らんかったから久川城などでは
尾根を巨大な土塁に見立てつつも、すべての虎口は枡形の緻密な防衛方式を採用し、いかにも織豊系らしさがでている。
さらに上杉討伐の時に上杉側は白河城を大補修してる。
信長が評価した氏郷が対伊達対徳川防衛の戦略思想から築城増強した城郭群は、はっきり言ってそう易々とはいかないよ。
0940人間七七四年
2008/07/12(土) 19:15:37ID:2s00BhIc神指城のこと言われてムキになっている所を見ると、SOHOさんかw
小田原城は正確には落ちてないだろ。
包囲して水、食料断って降服させる秀吉お得意の戦法で
白旗開城だろ。
上杉も、同じことされたら終わりってことでは?
政宗が攻めて落ちなかったって、伊達軍と、3万以上の徳川連合とを
比較するもおかしいだろ。
都合の良い時だけ、伊達を利用するのもどうかと思うしなw
堅牢な城をアピールするには「優秀な政宗さん」でも落とせなかった
ってしないと城のすごさは伝わらないぞ。
いつもは「無能な政宗さん」なんだろ?
まーどっちにしろ、西軍は負けたって事実は変わらないし、
徳川側に付かなかったのは上杉勢の判断ミスだろ。
今まで先祖が築いた領地を減らしてしまったんだからマイナスだろ。
褒めようがないじゃん
0941人間七七四年
2008/07/12(土) 19:25:06ID:2s00BhIc>家康本軍の西進が遅れた
家康本軍って、先行して少数で戻った家康の後に付く予定だった
秀忠の大軍のこと?
もし秀忠軍の遅れだったら大雨と真田でしょ。
0942人間七七四年
2008/07/12(土) 20:11:02ID:LPhHo5fe本多・井伊・福島・池田らの後に続く家康本隊のことだろ。
>>940
伊達2万も徳川3万も、そんなに変わらないだろ。
小田原みたいな箱根くらいしか要害がない大平野と、相模湾の水上交通路からの大量輸送が可能な守るに難い地と福島県はまるで違うけどな。
冬になったら包囲を解いて徳川勢は佐竹の追撃を受けながら必死に逃走だなw
0943人間七七四年
2008/07/12(土) 20:51:37ID:y5SlO20Q冬になったら佐竹の追撃、って佐竹はロシア軍みたいに寒さに強いのかよ。そもそも佐竹だって関東侍じゃないか。
無能な政宗さんに席巻されたような中通りが、いくら蒲生時代に補強したといっても鉄壁だとは思えんな。
冬になったらどっちも冬営に入って対峙するだけで後詰するほどの余裕はなかろ。
0945人間七七四年
2008/07/12(土) 21:12:26ID:y5SlO20Qみんなの大好きな直江さんが、狸親父や無能な政宗さんたちに包囲されたまま雪の牢獄で飢えて死ぬわけだw
0946人間七七四年
2008/07/12(土) 21:39:47ID:wLhBUj4H「直江好き=伊達嫌い最上嫌い」
って思われるのが一番嫌なんだな。
逆もそうなんだけど。
両者好きな人間には迷惑な話さー。
0947人間七七四年
2008/07/12(土) 21:55:45ID:KXn1LZE60948人間七七四年
2008/07/12(土) 22:38:48ID:2s00BhIcこのスレではアンチ直江は何とか厨にされるんだよな。
0949人間七七四年
2008/07/12(土) 23:06:31ID:wLhBUj4H罵倒し合うスレとほのぼのスレで分けてwwwww
0950人間七七四年
2008/07/12(土) 23:17:02ID:fUM0U+Pg>>949
結局はどっちも罵倒スレになると思うぜww
住み分けられるとは思えない。
0951人間七七四年
2008/07/12(土) 23:23:17ID:5ycTPOAw【名宰相】直江兼続と苦難を乗り越えるスレ【名武将】
直江兼続って無能じゃね?
とかにしないと荒れるぜwww
結局どっちも荒れそうだけど
0952人間七七四年
2008/07/12(土) 23:39:32ID:7FGZrqDO0953人間七七四年
2008/07/12(土) 23:56:26ID:wLhBUj4H思うと…orz イヤジャ
結局どっちも荒れるならやはり統合ですかねぇ。
住人も結局かぶるんだろうし。
0954人間七七四年
2008/07/13(日) 00:13:15ID:vDTM/7dHつかわざわざ他武将話引っ張ってきて
罵倒して煽って滅茶苦茶にしてんの
極々一部じゃ…
みんなそうだったら正直悲しいのだが
自分は関東以北の大名たちは大抵好きなのだよ
0955人間七七四年
2008/07/13(日) 00:17:47ID:WXNCBPzm40歳以上の転職とやらが成功することを祈るのみw
0956人間七七四年
2008/07/13(日) 03:13:50ID:6nV6QK+9装備・軍制の面でも旧幕府軍は新政府軍に大きく劣っていた。
関が原と明治の会津戦争を比較するのは低脳過ぎる。
もうちょっと考えてからレスしようね。
0957人間七七四年
2008/07/13(日) 03:35:17ID:ri1rpP1M巡回ご苦労様です
0958人間七七四年
2008/07/13(日) 18:28:01ID:WXNCBPzm:>>945は水止められたら悲惨っていうのに対して
戊辰戦争の籠城戦がどうこう言っているのでは?
ガチンコ勝負でどっちが有利とかは書かれていないと思うんだが
もう少しスレの流れと文読んで考えてからレスしろよ。
0959人間七七四年
2008/07/13(日) 21:04:53ID:HcvN8e28> もう少しスレの流れと文読んで考えてからレスしろよ。
そんなこと直江愛に溢れる信者の方にできようはずがない。
0960人間七七四年
2008/07/13(日) 21:10:04ID:FhO0B9dL少しは工夫しろ。
0961人間七七四年
2008/07/13(日) 22:24:33ID:vDTM/7dH0962人間七七四年
2008/07/13(日) 22:41:28ID:gaPDLxxo0963人間七七四年
2008/07/13(日) 23:30:10ID:WXNCBPzm自演、自演言うんだ?
SOHOみたいなキチガイと普通の信者を一緒にするのは
失礼かもしれないが、このスレちょっとおかしいヤツ大杉
0964人間七七四年
2008/07/13(日) 23:56:59ID:vDTM/7dH毒気にあてられてるのもあるとおも
0965人間七七四年
2008/07/14(月) 02:18:09ID:Gjqnj6gVマジレスすると、会津若松城の水止めをどうやって、やる気なのか・・・ちゃんと考えて書いてるんですかねぇ。。
猪苗代湖を囲む山々の南西端の会津布引山が水源となり、豊富な水量が流れる湯川が城の東西へ分かれて流れ天然の外堀になり、阿賀川と合流する城ですが。。
しかも会津若松郭内外城下絵図などでは川だけでなく、三の丸まで水色で描かれ、半湿原地帯を想像できる要害城で飲料水を止めて水攻め?
そもそも築城場所からして、豊富な水量を有する地域での盆地なため、その水量を利用して城を水没させる方式での水攻めを警戒し、
河川地域から20mほど高い高地を選定し築城させているのが会津若松城ですがね。つまり飲料水を止める行為は難しく、逆に水攻めした方が有効な土地柄なので完全に真逆なことを主張してることになります。
また、若年の佐竹義広が血気に走り、猪苗代湖に注ぐ日橋川を渡河して布陣して伊達軍と戦う愚を冒しましたが、徳川軍が会津盆地に侵入しようとしても、まず日橋川を掘に布陣されたらまず苦戦必死です。
砲撃や西欧式軍隊など技術的に大幅進化した明治期でさえ、板垣の土佐に薩摩軍を加えてさえ、一兵の侵入すら許さず持ちこたえ続けた城です。
降伏理由は列藩同盟諸藩の降伏が相次いだ為に孤立してしまったためです。
また会津盆地の周囲は標高1000mを越える山々に守られています。
米沢→上山(山形盆地入り口)までの短いわずか15キロ弱の高地でさえ600m前後です。
これは御館の乱における北条軍が越後侵入した時に越えた南魚沼郡における標高と同レベルです。北条軍は確保した城の防衛を無視して冬にはさっさと撤退してますね。
この時の景勝には追撃余力はありませんでしたが、
徳川が退陣するなら、相当な追撃を受けながらの撤退でしょうし、
佐竹が退路を封ずるなら、朝倉攻めにおける浅井の裏切りに相当する大ダメージとなるでしょう。
0966人間七七四年
2008/07/14(月) 02:38:24ID:/lZsmqiW佐竹は内部分裂しているから即上杉と見るのは早計だろ。
また東軍に加わらないとして、備えを残さず会津へ進軍するとでも?
0967人間七七四年
2008/07/14(月) 03:04:50ID:Gjqnj6gV佐竹に関しては>>930
そもそも会津進入自体が難しいと思うけどね。
まぁ日橋川で防衛しつつ佐竹が背後を閉じるってのは、
佐竹義重が政宗の会津侵攻における義広との挟撃策ドクトリンの再現なんだな。
前回では義広が渡河してしまったこと・敗退後に各城の降伏が相次いだことで義重の作戦は失敗した。
義重は日橋川を掘に対陣してくれることを想定しての、必勝策だった。
また政宗の侵攻が早いとしても、1日1城を落城させても半月以上はかかるので、なおも挟撃はできると踏んでいた。
今回は蒲生氏郷が対徳川・対伊達用を想定して織豊築城された、本格籠城に耐える改装をした城郭群の有機的結合を果たした支城網が会津盆地への侵入を拒んでいる。
そもそも徳川が備えをするって言うなら具体的に書いてくれないかな?何を言いたいのか分からない。
0968人間七七四年
2008/07/14(月) 06:29:31ID:qxKSgql+三成や宇喜多のバカが挙兵タイミングを考えたら良かったのにね。
秀家の暴発って感じだから、三成が悪いわけでもないのかも知れないけど。
0969人間七七四年
2008/07/14(月) 07:06:16ID:ovK394DJ>徳川が退陣するなら、相当な追撃を受けながらの撤退でしょうし、
日本語でお願いします><
0970人間七七四年
2008/07/14(月) 07:45:00ID:g4W4oX7o0971人間七七四年
2008/07/14(月) 09:53:55ID:6awfvRt+鉄砲の部隊編成や戦術、製造などだけでなく、技術向上のため、自分の配下を京都の名人のところに
留学させたりしてる。
勿論この時代、鉄砲を重要視していなかった大名は皆無だろうけど、そのなかでも、特に記録に残っちゃうくらい
兼続は、ある種の、度を越した鉄砲マニアと、世間では認識されてたんだろうね。
0974人間七七四年
2008/07/16(水) 13:48:17ID:XwZx2b7m米沢の砲術隊は全国からお呼びがかかり種子島で鉄砲を撃っています。
白布温泉には直江が鉄砲鍛冶職人呼び寄せていた記念碑が建っています。
0975人間七七四年
2008/07/16(水) 15:17:56ID:w4efQkbF江戸期にがんばっても遅くね?
0976人間七七四年
2008/07/16(水) 16:30:37ID:HqdjEhsFしかも伊達側から返還和睦まで持ち出されてる。
長谷堂は負けではなく単なる撤退戦。しかも最上の武将を打ち取り吉光も被弾。
0977人間七七四年
2008/07/16(水) 16:31:22ID:HqdjEhsF討ち取り義光も
0978人間七七四年
2008/07/16(水) 17:27:07ID:BjUDZpS2だれ?
0979人間七七四年
2008/07/16(水) 18:39:43ID:1OLAi02E義光は連歌好きで、気に入った重臣達とよく連歌会を開いてる
中でも江口光清と堀喜吽は
この義光が催す連歌会に数十回も参加しており
よほど義光に気に入られ、信頼されていたと考えられている
しかし江口光清は畑谷城で討ち取られ
堀喜吽に到っては、上杉軍の水原親憲率いる鉄砲隊から義光を庇い、
射殺されてしまった
義光自身も兜の篠垂を吹き飛ばされ、ほうほうの体で追撃を諦めるしかなかった
股肱の臣を二人も討ち取られた上杉軍の襲撃は
義光にとって、自身の命も危うかった事も有って、痛恨事だった
0980人間七七四年
2008/07/16(水) 18:54:23ID:Yag2KGdS実際、甘粕は景勝に徹底的に冷遇されている。
刈田郡の喪失の結果、福島方面が圧迫され、直江は援軍もなく
最上に苦戦した挙げ句遁走することになった。
0981人間七七四年
2008/07/16(水) 20:10:17ID:gldC4Eog長谷堂城の戦いは兼続率いる
上杉軍本隊 1万8千VS志村光安以下1千で上杉は上泉泰綱を討ち取られてるし
上杉方良いとこなし
0982人間七七四年
2008/07/16(水) 22:00:02ID:BjUDZpS2ちょっとまて。
長谷堂の撤退戦で討ち取られた武将の事を聞いたのに畑谷城将が出てくるんだ?
というかお前さ
http://hobby11.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1194225046/
491 :人間七七四年:2008/07/13(日) 06:34:07 ID:0MjONDYn
義光は連歌好きで、気に入った重臣達とよく連歌会を開いてる
中でも江口光清と堀喜吽は
この義光が催す連歌会に数十回も参加しており
よほど関係が深かったと思われている
しかし江口は畑谷城で討ち取られ
堀に到っては、上杉軍の鉄砲隊から義光を庇い蜂の巣にされる有様
義光自身も兜の篠垂を吹き飛ばされ、ほうほうの体で追撃を諦めるしかなかった
股肱の臣を二人も討ち取られた合戦は
義光自身の命も危うかった事も有って、痛恨事だった
人の書き込み一字一句使いまわして恥ずかしくないのか?
0983人間七七四年
2008/07/16(水) 22:09:19ID:NJi2Ggh+>義光自身の命も危うかった事も有って、痛恨事だった
こんなの当たり前だろ
自分の領土を圧倒的多数の軍隊が蹂躙した侵攻戦だぞ?
痛恨じゃないわけないだろ?
そんな当たり前のことを繰り返して直江の偉大さが際だつとでも思ってるのか?
0984人間七七四年
2008/07/16(水) 22:39:17ID:DW35kIJd0985人間七七四年
2008/07/16(水) 23:58:03ID:I1NFBZVu27万石程度の領主なら前線に出るのは士気を上げるのに有効じゃないか?
0986人間七七四年
2008/07/17(木) 00:20:18ID:RUkq6Cvb一方で直江が敵前に立って撤退を指揮したとか褒めるんだろ?
実際は前田や水原が敵をくいとめて、その隙に逃げたのが関の山なのに
0988人間七七四年
2008/07/17(木) 15:56:21ID:Bi6jEzJz0989人間七七四年
2008/07/17(木) 16:48:05ID:Y5R4PnBk【義と愛の名宰相?】直江兼続7【?バカ家老の愛と義】
http://hobby11.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1216280779/
0990人間七七四年
2008/07/17(木) 17:15:32ID:RApQ/wgL敗報を聞いて、即座に撤退路を補修を命じた手腕はすばらしい。
ただ撤退戦はやはり殿軍を率いた武将こそ評価されるべきかと。
金ヶ崎で即座に決断して将兵の損耗を避け、撤退路と撤退先を誤らなかった信長の戦略眼は褒められるべきだろうが、
撤退戦の功績自体は実際に殿として撤退戦を成功させた秀吉を始め、光秀・家康のもの。
同様に撤退の下地を即座に作って主力の温存に成功した直江は褒められるべきだけど、
撤退戦は殿軍をこなした水原や慶次の手柄。
そこまで直江の功績としちゃうのはどうかと思う。
0992人間七七四年
2008/07/18(金) 02:52:32ID:SqMBGsD7つか戦国史上の名撤退戦って他になにがあるだろ。
北条は佐竹の猛追で大敗してしまい、鬼義重とか坂東太郎と呼ばれるようになり、名を成さしめてしまいましたが。
また手取川の撤退戦では柴田が大敗し上杉の威名が挙がりましたね。
0993人間七七四年
2008/07/18(金) 08:01:10ID:IVj9yNaS武田信玄死去に際する武田の撤退、羽柴秀吉の中国大返しみたいなのが本当の名撤退じゃないかな。
0994人間七七四年
2008/07/18(金) 08:06:25ID:MiS2od+j0995人間七七四年
2008/07/18(金) 12:07:19ID:fVnfU1N30996人間七七四年
2008/07/18(金) 13:44:24ID:IVj9yNaS最上や伊達に一報が入る前に、いち早く関ヶ原の勝敗をつかんで、大軍を生かした有利な撤退につなげることだったと思う。
完全な追撃戦に移された時点で、大将としては采配ミスだろう。
でも、もし最上義光が討死していたら、それなりに名は上がっただろうな。戦後処理的な意味では悪化した可能性すらあるがw
レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。