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【義の名宰相?】直江兼続 6【愛のバカ家老?】

レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。
0001人間七七四年2008/05/19(月) 19:43:14ID:RiXLKr8t
結局どっちなんでしょう?
0869人間七七四年2008/07/08(火) 20:07:24ID:nngb3Lxp
>>861
ドラマや映画、小説の類で一番過小評価されてるのは謙信だと思う
天文年間の北条謀反
大熊離反
出奔事件
成田打擲
柿崎誅殺
内政無視
などなど、史実とかけ離れた評価が定着してる、実際は
北条は天文年間に信玄に通じた謀反など起こしておらず実態は不明、
毛利家内部の抗争とも考えられてる
大熊は長尾派重臣と対立し、命を狙われ箕冠城から脱出した
その直前までは謙信の御裁定を支持してる
出奔事件は間違いなく家臣団を纏める芝居、景虎が天室光育に宛てた書状内容からも明らか
天室光育は豪族間の土地争いを収めてきた優秀な使僧
成田打擲もデタラメ、つーか、成田氏が馬上の礼を許されていたなんて史料は皆無
平安末〜鎌倉〜室町の記録でも見当たらない
この関東管領就任式の直後、成田は人質を厩橋へ送っている
柿崎は誅殺なんかされてない、その息子晴家も連座せず、謙信が纏めた軍役帳に登場
柿崎景家の死は、その菩提寺に天正二年病死と伝わってる
その墓は天室光育の墓と並んで立っている
内政無視なんてとんでもない話で、謙信ほど国を富ませた武将は居ない
その卓越した内政手腕をもって、大赤字だった越後を謙信一代で豊かにしている
府中大橋修理、街道を切り拓き(後の国道)、伝馬宿送制を確立&整備し、
摂津天王寺に越後青苧座も確立、神余親綱を京都雑掌役として越後青苧座の管理を任せた
これによって船頭前だけで年間四万貫もの収益を上げた
蔵田五郎佐衛門という商人に城代、府中、港湾を任せ
之に謙信自らも膨大な制札を下し、蔵田に指示を下して、城下町や港を掌握している
天正越座小判も鋳造し、北陸全体に引き渡らせた
青苧、蝋、塩、紙、木材を流通させ、流通経済に秀で、結果200万石を築き上げた大大名、それが
上杉謙信
0870人間七七四年2008/07/08(火) 23:06:08ID:kXaWSpGY
探すのに苦労してみつかなかったから、妄想を垂れ流して相手をけなして、
勝利宣言ですね よくわかります
0871人間七七四年2008/07/09(水) 00:18:18ID:QsC+cFts
>>869
伊達よりかは関連性ある武将かもしれないが
謙信スレでやってくれ。
0872奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM 2008/07/09(水) 00:22:22ID:rvTEsDDO
むしろ実綱をもっとこのスレで取り上げてくれてもいいと思う。
0873人間七七四年2008/07/09(水) 01:08:06ID:QsC+cFts
「花の慶次」読んだことないんだけど
愛の人を狙ってるこのゴッツイのは誰なのw
ttp://jun.2chan.net/31/src/1215527356887.jpg
0874人間七七四年2008/07/09(水) 02:02:34ID:B89FYe36
読む価値がない低レベルなレスが続くな。直江批判してるやつってバカ過ぎだな。
アンチするなら伊達アンチくらいのレベルでやれよな。。
0875人間七七四年2008/07/09(水) 02:05:07ID:Ec7FMYQ5
読む価値が無いなら読まなきゃいいのに
0876人間七七四年2008/07/09(水) 07:14:17ID:WrbSXfgO
アンチ伊達どころか、一時期のアンチ元就のやつらよりはるかに劣るよ。
彼らには知識があったし、論理的だった。
ここのアンチは知識がまるでなく考え方が致命的に幼稚。
まぁそもそも上杉や長尾を批判するやつらって基本的に知識がない悪口中傷レベルなタイプが多いからね。
0877人間七七四年2008/07/09(水) 08:42:17ID:mDe8E14q
>>861
過大評価も程度の問題だ。謙信、信玄、政宗、信長どれも
戦勝があり自身で領土を切り取り、領内の殖産興業に業績がある
50のものを100に過大評価してもいいだろって
直江は自力での戦勝がなく、内政もごく一部の文化事業だけが業績で
他は何処の藩でもやるようなことばかり。藩に大衰退をもたらしてる
マイナス50を100にしてはいかんだろ
0878人間七七四年2008/07/09(水) 09:22:11ID:65QopITC
>>873
本間一族の誰だっけ?
0879人間七七四年2008/07/09(水) 10:05:27ID:6/mA0eQF
>>877
>藩に大衰退をもたらしてる

あほですか?
景勝の命を受けて動いて何故兼続ひとりの責任になるんだよ。
どうせ何があっても兼続を貶したいだけなんだろ?
例えば関ヶ原後に家康に頭を垂れず最後まで抵抗して滅んだとしても家中を纏めきれず家を滅ぼしたA級戦犯だとかいうんだろ?
結果論でしか物事を語れない幼稚な見識だ。
0880人間七七四年2008/07/09(水) 11:31:10ID:f9Alp+v2
さらに付け加えれば内政についての業績を
「ほかの藩でもやってる」みたいな切り方をしているのは
「歴史を知りません」と言っているようなものなんだよな。

それを言うと江戸期の藩政改革についても、地域性の差こそあれ基本路線は
大体近いものだし。
(専売品の育成、人材登用、緊縮財政etc)
0881人間七七四年2008/07/09(水) 12:49:38ID:h1f+bOur
>>868
織田信長が他大名達を押し退け一番過大評価されてると思ってるのは
俺だけじゃないはず。

とりあえず“織田厨”ですね?
信長最強を唱えるやつは消えて下さいw
0882人間七七四年2008/07/09(水) 14:46:23ID:65QopITC
>>879
つまり無能だったのは景勝であると。
ノリノリで最上に攻め込んで落とせなかったのは無能ではないと言うんですね?
まぁ最上を落とせなかったおかげで関ヶ原後に首がつながるんですが
0883人間七七四年2008/07/09(水) 15:25:57ID:6/mA0eQF
>>882
責任云々となると景勝と兼続をはじめとした上層部になるだろう。
だがな、リアルタイムでは東西どちらが勝ってもおかしくない状況下だ。
たまたま付いた側が負けた、それだけの事だ。
負けた=無能なんて考え方は結果論でしか議論できない愚かな人間の思考だ。
0884人間七七四年2008/07/09(水) 16:19:37ID:WrbSXfgO
山城での籠城戦が腰を据えての長期に及んだり、間に調略を挟んでの数次に渡る反復攻撃を繰り返して、やっと楽城する事はよくある。
2週間で落城しない事が別段、恥ずべき事には思えない。
籠城戦では守将の能力次第で、数ヶ月の長期に及び限りなく不落に近い防衛力を見せることは歴史上にはよくある。
士気が高い郷土・祖国防衛戦における死兵の玉砕戦は相手に大量出血を強いるケースが非常に多い。
最上は上杉と違い転封していない土着の国人共同体なので外敵に対しては強烈に敵愾心が強かったと言える。
逆に転封間もない上杉は旧葦名・旧伊達・旧蒲生兵とコロコロと支配者が替わりまくった為に、求心力は劣悪で指揮・人心掌握で問題点が多かったろう。
また長期包囲は秀吉も得意としてる有力なる戦術のひとつで、長期に渡り、攻めあぐねるから無能と言うのも間違い。
むしろ現代に至るまで補給継戦包囲能力が優れてる軍隊は負けない軍であり、政戦略的優位の証明でもある。
0885人間七七四年2008/07/09(水) 17:51:30ID:65QopITC
>>883
と言うか西軍敗戦の遠因を作ったってのは言い逃れできないんじゃない?
引き返した徳川勢を追撃しないまでも足止めくらいしてくれていれば若干は事態は好転したはず。
最上なんか攻めるのは愚策じゃないのかね。

>>884
ではどれくらいあれば落城したのか。長谷堂では終始最上優勢だったのに。
冬になればどうせ引き返さなきゃいけないからせいぜい1〜2ヶ月しか時間はありませんが。
攻めなくていい城を攻めて時間を浪費したのも直江。無駄な撫で斬り、刈田狼藉を行って敵愾心を刺激したのも直江。
結果だけではなく過程においてもこの時の上杉軍は生彩を欠いています。
あと転封先の関東から天下を取った家康は物凄い武将になってしまいますが・・・
0886人間七七四年2008/07/09(水) 18:19:32ID:VUAyqzJB
>>877
概ね同意

>>879
オール結果論で評価するのは問題だが、結果論重視になるのは当然だろう

>>881
信長が「天才」であるかの如く過大評価されているのは残念だが、
信長ほど1代で大勢力を築けた大名は他にいない
信長は創造の天才ではなく、
各地の大名が行っていた施策の集大成を行った大秀才が信長じゃないかな

>>883
誰も負けたから無能とは言ってないけど、
結局関ヶ原の前後の行動はどれもこれも失敗したんだから
有能という評価に疑問符がつくのは当然だろ

0887人間七七四年2008/07/09(水) 18:51:54ID:h1f+bOur
>>886
無知織田厨乙〜
0888人間七七四年2008/07/09(水) 19:01:44ID:B89FYe36
>>885>>886
マジこいつうぜぇ。
過去何度となく論破されて、反論すらできずに、黙殺スルーしてて
少し経つとそっくり同じこと書いてきやがる。猿かオマエは?
しかも質問には一切回答しないし。
妄想で中傷してるだけで根拠もないことばかりで貶めてるだけ。
なんなのこのキチガイ?何十回おなじ事を執拗に繰り返すわけ?
どうせやるなら、貶すのではなくて、新しい違う話題を根拠ありで書くか、過去の質問に丁寧に回答してからやろうよ?
それでな、アンチ伊達くらいのレベルになろうよ。

0889人間七七四年2008/07/09(水) 19:25:27ID:QsC+cFts
伊達厨認定の次は織田厨認定か・・・。
相変わらずの認定好きだな。

>>888
>アンチ伊達くらいのレベルに
昨日辺りからアンチ伊達のレベルになろうとか見るけど
アンチ伊達の基地外ってsohoのことだろ?
それとも伊達スレにいるアンチの人たちを指しているの?
SOHOのことだったら妄想長文のどこがレベル高いんだよ。
ただグダグダと理屈っぽくそれらしい長文書いているだけだろ。

それとも>>888はsohoさん御自身で自分の歴史論が
レベル高いとか思ってるのかな?
0890人間七七四年2008/07/09(水) 19:27:22ID:7CyMyOiZ
>>889
馬鹿の相手すると喜ぶだけだぞ。無視しとけ。
0891人間七七四年2008/07/09(水) 21:33:15ID:kOWOk+us
もう結果はどうなっても、次スレはアンチスレと分離してほしい
アンチスレでは擁護マンセーはスレ違いにできる
0892人間七七四年2008/07/09(水) 21:58:54ID:rV84uSi4
スレ分けしてもかまってちゃんがちょっかい出しそう。
0893人間七七四年2008/07/10(木) 03:28:06ID:NOdesQQF
まぁ実際、直江を貶すヤツは、矛盾点などの数々の質問や論拠の補足を求めてもことごとく無視してるアホなのは事実w
そろそろ自演でひたすらその点をごまかし続けて、逃げ回るのもやめたらどうだ?質問が溜まりに溜まってるぞw
0894人間七七四年2008/07/10(木) 09:56:03ID:PN0BxpN0
また唐突な勝利宣言か…
0895人間七七四年2008/07/10(木) 10:11:41ID:zfLbAn8v
質問ってなんだよwww
0896人間七七四年2008/07/10(木) 13:07:41ID:pO1YtQBM
早く質問に答えろよw
まぁ根拠のない妄想悪口中傷レベル&無知過ぎて答えられないだろうけどな。
どうせまた逃げるだけw
0897人間七七四年2008/07/10(木) 13:11:09ID:zfLbAn8v
>>896
とりあえずその質問(笑)とやらを箇条書きにして列挙してくれたまえ
0898人間七七四年2008/07/10(木) 14:44:06ID:QufCJQmO
結局、直江はただのモラルが甘いホモの文治官僚に過ぎなかった
おだてられて自分を武将だとか文化人だとか思い込んで行動しているのが痛い
0899人間七七四年2008/07/10(木) 16:17:10ID:Wfu7LiaC
>>897
SOHOさんはなぜ長文なのか
SOHOさんはなぜ句読点を使えないのか
SOHOさんはなぜ勝利宣言をするのか
SOHOさんはなぜ伊達や織田厨認定できるのか
SOHOさんはなぜ自演だとわかるのか
0900人間七七四年2008/07/10(木) 17:39:33ID:pO1YtQBM
理由も証左も根拠も、何も書かないで中傷駄文しか書かない直江貶しより、
長文の方が遥かにマシだろ。
ところで直江がホモだと言う根拠出せよ。
ついでに当時、直江が文化人・武将ではないとする根拠出せよ。
楽しみに待ってるから。
0901人間七七四年2008/07/10(木) 18:06:16ID:yoMN6+p4
>>899
自分に対して中傷文書いてくるやつがひとりで
多数に見えるように自演してるって本当に思ってるんだろうか?
もしマジでそう感じているなら病気だよな。
何年も引きこもっている時点で病気なんだろうけど。
0902人間七七四年2008/07/10(木) 19:21:56ID:77UFUT+R
>>900
衆道なんてこの時期ほとんどの武将がやってたんじゃないのか?直江だけやってないって証拠も無いと思うけど。
一応軍を率いた経験もあるし、文化事業だけは評価できるから武将であり文化人ってのは間違いないわな。

名武将、名宰相等の評価が妥当とは思えないけど。
0903人間七七四年2008/07/11(金) 01:02:19ID:hBjTXQZr
ホモってかバイの方が近いとは思うがまぁいいや。
衆道なんて別に話題にするほどのもんでもないじゃないか…。
後藤又兵衛と秀吉は絶対違うってレス内容だったらわかるが
0904人間七七四年2008/07/11(金) 02:13:57ID:JqRd51qr
>>900
自身が主将としての戦勝を示せ。あったら武将として認めてやる。

文学的な価値を認められた著作創作を示せ。例えば直江と関係あるところでは
謙信や政宗の詩は「漢詩名作選」に詩人として認められて載ってる
これは漢文を重視してる高校で授業で使うような本だ
それ位のものをな。あったら文化人として認めてやる
0905人間七七四年2008/07/11(金) 03:10:28ID:9YEPgmUQ
こことそっくりな批判内容を書いて、複数のスレで重複して直江批判しては、
伊達を褒めてるやつが、大敗してすでに逃げ去ってるなw
どちらのスレも直江批判してるアホが、リンクを紹介してくれたクセにフルボッコされてんのwww
松川の戦いは本当にあったのか? その4
http://c.2ch.net/test/-/warhis/1198253856/i
来年一年間伊達政宗は後ろ姿しか放送されません
http://c.2ch.net/test/-/nhkdrama/1210550761/i
0906人間七七四年2008/07/11(金) 15:03:43ID:pN3wmRgS
>>905
あまりのフルボッコぶりにワロタw
0907人間七七四年2008/07/11(金) 16:47:14ID:bfxsCWij
>>904
藤原惺窩からの評価や、『直江版』は?
0908人間七七四年2008/07/11(金) 17:09:53ID:nm+y5XnB
関ヶ原の決戦が終わった後の話

家康が大坂城に入り、西軍に加担した諸大名の処分が議題となった時、
「直江兼続はこの乱の張本人なので誅殺すべきだ」という意見が大勢を占めた。

ところが家康は、「直江に限らず毛利、島津をはじめ諸大名の老臣たちは、三成に頼まれて大阪方に加担して
兵を挙げるように主人に勤めている。それゆえ今直江を誅殺すれば、次は自分じゃないかと危惧を抱き、
それぞれの分国に立てこもって兵を挙げ、再び大乱を招くだろう。それゆえ直江を許して安心させるのが得策じゃ。
早々に上洛するように申し伝えよ。」と言ったという。
0909人間七七四年2008/07/11(金) 18:46:59ID:s27X11q2
天下人は大きいのお
0910人間七七四年2008/07/11(金) 18:57:53ID:kTlkSs76
>>908
まるでその場にいたかのような文章だけど
家康の考え方は適切だろうね。
もう天下は取ったも同然だし、この状態で
下手に有力大名に暴れられて、また戦国時代に
逆戻りよりはね。

結局、直江がいたから、お家とり潰しではなくて
すんだのではなく、徳川の懸命な配慮のおかげで
助かった、ってのが正解だろうね。

>>905
相変わらずアンチ直江=伊達信者って考えなんだなw
SOHOさんだってわかりやすくていいけどさ。
最近、わざわざID変えて書き込んでいるけど、この際
SOHOコテでやったほうが受け入れられるんじゃないかと
思うよ。
0911人間七七四年2008/07/11(金) 18:58:18ID:hIJhPnEw
まあ、野戦で伊達に大敗したのが悔しいのだろうね w
だから政宗が気になるわけだが、意趣返しが挨拶の無視など、
やることがガキ臭い。w
0912人間七七四年2008/07/11(金) 19:15:20ID:kTlkSs76
>>911
そうやって伊達を持ち上げる、それに対して
野戦で伊達が大勝した事実なんてねーよって
いつものお得意な伊達叩きの自演パターンに見えるのは気のせい?
0913人間七七四年2008/07/11(金) 19:33:05ID:9YEPgmUQ
なんでも良いが漢詩名作選ってなんだ?聞いたことないが。誰が歴史上の選者なんだ?
>>908
その話はまったく聞いた事ない。何に載ってる話だ?
0914人間七七四年2008/07/11(金) 19:35:49ID:9YEPgmUQ
>>907
幕府儒学者林羅山も直江を絶賛してるよね。
0915人間七七四年2008/07/11(金) 19:44:20ID:nm+y5XnB
>>913
原典は知らんが、安部龍太郎の「名将の法則」って本に載ってる。
0916人間七七四年2008/07/11(金) 19:56:37ID:9YEPgmUQ
独自の歴史解釈を大胆に展開・・・
安部版名将言行録・・・大丈夫かその本・・・
0917人間七七四年2008/07/11(金) 19:58:50ID:nm+y5XnB
>>916
解釈はともかく(つーか立花京子の影響を受けたぶっちゃけ電波だが)、エピソードまで作ってるわけじゃない。
0918人間七七四年2008/07/11(金) 20:35:00ID:pN3wmRgS
それ講談話じゃね? 史実だとすると、なんせ関ヶ原にまつわる謎の一つに思いっきり解答が出てる話になっちゃうのだがw
しかも下記の出来事と大きく矛盾する。
三成と直江が共謀した証拠はなく、むしろ三成が便乗したと言われてる。そのために三成挙兵タイミングは最悪を極めた。
家康の上杉征伐自体を家康が勝手に辞めちゃって敵前逃亡状態で、しかも上杉は追撃をしてないために挟撃策説は成りたたず、余計に三成や西軍と事前に共謀してないと言われている(使者の往来はあった)
西軍総大将として輝元は書状も出してる為に罪に問われた毛利が助かったのは、吉川の家康への功績を引き替えにしたもの。
島津だって関ヶ原後の上洛要求に警戒してたし、島津の安堵が出たのは2年も経ってからだし。佐竹が許されたのもほぼ同時期。
0919人間七七四年2008/07/11(金) 20:35:45ID:5yWnK1Sl
角川で出している漢詩名作選には織女惜別が載っていたけど。
そういうたぐいの本のこと?
0920人間七七四年2008/07/11(金) 21:04:18ID:2Z+gNj1G
もっとしっかり三成や毛利、宇喜田と連携を取って必勝をきすべきだった。
それをしなかったから無能と言われても仕方ないな
0921人間七七四年2008/07/11(金) 22:58:39ID:hBjTXQZr
>>919
たぶん江戸時代に編纂されたものに選抜されたやつじゃないかな(ウロ覚え。
歌人天皇の後水尾天皇の集外三十六歌仙にも入ってるが…それは和歌だしな。

0922人間七七四年2008/07/12(土) 00:33:59ID:oIqYSqZd
>>918
三成と直江が共謀してないってほうが、直江の評価下がる
んじゃないか?
当時、上杉単独で徳川とやりあって勝てる可能性は低かったんじゃないかな。
直江状は無いって話だけど、徳川に敵対国として付け入られる落ち度が
景勝、兼続コンビにあったってことでしょ?

それならまだ、共謀策で徳川に喧嘩売ったってほうが賢く感じるけど
0923人間七七四年2008/07/12(土) 00:36:39ID:gj7YFE3A
>>919
角川春樹は上杉贔屓だからな。
彼は薬物依存で狂って、脱税、横領をやらかして刑務所に入った。

そういえば直江好きの「二流の人」坂口安吾も狂って薬物依存になって
叫びながら夜中の町を歩いたりして、結局死んだ。

なぜか上杉-直江好きは狂う奴が多いな。おまいらも気をつけろよ
0924奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM 2008/07/12(土) 00:48:18ID:VqK7Pljv
狂気の魅力ってヤツなんだろうか。
0925人間七七四年2008/07/12(土) 00:52:59ID:oIqYSqZd
>>923
すでに相当イッちゃってるやつが、このスレにもいるけどねw
0926人間七七四年2008/07/12(土) 01:19:58ID:jJHU8oxi
「人質に対する当時の作法」と「個人的な感情」は別じゃないの?
今川義元は松平から竹千代を人質として獲ったが、扱いは厚遇だった。
織田信長も蒲生からとった人質を多いに気に入って、いろいろと優遇している。
0927人間七七四年2008/07/12(土) 02:22:44ID:+vig+MEV
>>922
実際、景勝&兼続コンビは死亡フラグを何度となく突破してきた強豪なわけだが。
それに神指城の築城に協力してくれた佐竹との共同作戦を考えていたので勝てる可能性はあった(佐竹が動かなくなったのは、三成の挙兵で家康を横撃するシナリオが破綻したから)
0928人間七七四年2008/07/12(土) 07:42:55ID:3SrcD8dF
最上に惨敗しているようじゃな。
0929人間七七四年2008/07/12(土) 09:25:12ID:RzPGTKwh
>>922
過去に何度も出てきているが兼続と三成は連絡を取り合っていた。
東軍が上杉攻めに北上して来ている時に待ち受ける準備をしていた兼続が清野経由で景勝に宛てた書状が米沢上杉博物館に現存している。
内容は会津に三成の使者が書状を持って来ている事を知り、その書状への返答は自分がするからといったもの。
この時、佐竹の使者が兼続の元を訪れていた事も記載されている。
ただし会津と上方とで挟み撃ちをする作戦だったかは不明。

>上杉単独で徳川とやりあって勝てる可能性は低かったんじゃないかな。

そりゃそうでしょ。
上杉方は地元で地の利があるという奴もいるが上杉家は会津に移って間もない。
上方にいた時間の長い景勝や兼続にいたってはほとんど未知の土地。
地の利はあって無い様なもの。
軍勢にしても急遽集めた烏合の衆で統率面では不安を抱える。
佐竹にしても家中が内部分裂していたのはわかっていただろうから全幅の信頼は置けない。
勝てる手段は短期決戦で家康の首をあげるしか術がない。
この時の上杉家は玉砕を覚悟していたのは間違いない。


0930人間七七四年2008/07/12(土) 12:20:28ID:LPhHo5fe
史実で見ればわかるが、米沢口では最上らがビビッて侵攻せず。
伊達も白石城譲渡し、引き抜いた甘粕が徳川の第一目標たる白河城へ向かっていた(その後、譲渡と引き替えに和睦した伊達が違背し侵攻したが瞬殺され、湯原城譲渡を諦め逆に白石城返還和睦を言い出す)
黒川口も越後で一揆を起こされて堀が動けなくなり、その後、丹羽により前田も動けなくなる。
佐竹も不穏な動きをし出して、家康はかなり警戒していた。
史実では4路ともに侵攻は停滞していた。
5路目に当たる徳川軍の先鋒であった秀忠らを、備えを固めた白河城で籠城迎撃しつつ須賀川あたりで、地の利に詳しい佐竹や岩城らが徳川の背後を遮断してしまえばいいだけ(葦名自体が義宣の弟の義広が継いでいたくらい)
会津は四方を標高が高い山野で守られ、守り易い。この地の利は天然の地形によるもの。地形を調べ地勢図があれば良いだけ。
転封間もないから地の利が生かせないと言う事はない。
兵の士気も他国への侵略戦なら新規兵は確かに弱いかも知れないが、充分な装備と補給があれば、新兵でも頑強に抵抗し防衛戦には問題がないのは幾多の戦史が証明している。
佐竹のまとまりの悪さが露呈するのは家康が江戸へ戻ってからの方針からで(義重が東義久を江戸へ派兵したりし始める)、
この時期の佐竹は当初計画通りに事態が推移しており問題がまったく起きてない。
上方で変が起きるであろう事は想像できる状況だったし、家康を足止めさせておけば、上杉の勝率は五分五分の50%はあったはず。
0931人間七七四年2008/07/12(土) 12:55:31ID:K1oWk6Pp
そうだね史実だねw
0932人間七七四年2008/07/12(土) 14:07:07ID:oIqYSqZd
>>930
あの家康嫌いの真田昌幸まで討伐軍に参陣していたのを
考えると、当時の人間には、とても上杉勢に勝ち目があるとは
思えなかったんだろ。
討伐軍に参加しなければ、もしかすると次は我が身かもしれない
ってことで、渋々参加って感じだったんだろうね。
それで、まだ勝算があると感じた三成挙兵を知ると、速効、上杉討伐軍
から離脱したと。

神指城がどうこうってもこの前書いていたが、小田原の件を見れば
どんなに難攻不落の城でも、大量物量で囲んで、補給できなくすれば
終わりだろ。
三成と共謀しているなら、きっちり城にこもって徳川軍を引き付けて
おき、三成軍の体勢が万全に整うまで時間を稼ぐ、西群討伐
に引き返す家康を、後方から攻めるくらいやるならまだわかるけど、
徳川軍が中途半端な位置で三成挙兵、引き返す家康を上杉勢はそのまま
お見送りではなー。
景勝,兼続コンビは、アンチ徳川宣言したわりには口だけ君に感じる。
アンチ徳川としての意地は真田昌幸のほうが見せてくれた感じがするよな。

結局、あの時点で徳川に牙むいたのは景勝,兼続コンビの完全な失策で
上杉家存亡の危機を招いてしまった。
潰されなかったのは天下人になって余裕の家康の慈悲だろうな。
0933人間七七四年2008/07/12(土) 15:04:58ID:+vig+MEV
>>932
家康嫌いの真田昌幸まで討伐軍に参陣
アンチ徳川としての意地は真田昌幸のほうが見せてくれた

言ってることが平気で矛盾する低脳ぶりにワロタw

0934人間七七四年2008/07/12(土) 15:29:59ID:+vig+MEV
それと
真田信之と本多忠勝の娘との婚姻関係があるのを
直江批判してる人間は、まるで知らないと見えるw
0935人間七七四年2008/07/12(土) 16:27:41ID:RzPGTKwh
>>932
真田は東西どちらが勝っても家が生き残れる作戦に出ただけだ。
家を残す事を優先的に考えれば当然の選択だ。
同じ手法は前田家も取っている。
0936人間七七四年2008/07/12(土) 17:12:00ID:+vig+MEV
>>935
赤っ恥かいたからって
必死こいて焦りすぎて
sageのsが抜けてるよw
0937人間七七四年2008/07/12(土) 17:27:10ID:TtszYPrr
>>932
「決戦関ヶ原―武将たちの闘い―」って本には
家康が一番苦渋したのは、江戸で景勝の動向を探ってる時で
江戸に留まっていた家康は完全に受身だった
戦略が定まらず、その思考は彷徨っていたようにしか見えない
って内容が書かれてたよ
それだけに、景勝はもう少し家康を牽制すべきだったと

まぁでも・・・・景勝は一定期間、家康を江戸に縛り付け
それまで三成らは有利に事を進められた訳だし
景勝は最低限の役割は果たしたと思うけど
決戦せず膠着状態にするなり、立花宗茂らの到着を待つなり、夜襲案を採用するなり
三成らには有効な選択肢が幾つも生じていた
それは家康本軍の西進が遅れた結果、生じた成果なのだから
ある程度、景勝の功績は認めるべきだと思う

三成が判断を誤り、さらに自軍を把握していなかったが為、最悪の選択をしてしまった訳だけど
島津の機嫌まで損ねてしまってるし
0938人間七七四年2008/07/12(土) 17:41:05ID:iKrK589Q
>>937
> 「決戦関ヶ原―武将たちの闘い―」


決戦関ヶ原―武将たちの闘い―

徳島城博物館開館10周年を記念して開催された特別展の展示図録。全国の武将が東西に分かれて争った、
天下分け目の決戦「関ヶ原の戦い」。阿波の大名・蜂須賀家では、この最大の危機をどのように乗り切ったのか?
重要文化財である「関ヶ原合戦図屏風」や徳川家康所用「南蛮胴具足」、「本多忠勝画像」をはじめとする数々の
名品とともに、蜂須賀家の動向に関する新たな知見も交えながら、それぞれの武将たちの「闘い」のドラマに
焦点をあてて紹介していく。内容は「?T関ヶ原への道程」「?U関ヶ原の戦い」「?V武将たちの闘い」「?W蜂須賀家の
関ヶ原の戦い」「?X関ヶ原の戦いと女性たち」、さらに総説「決戦関ヶ原―武将たちの闘い―(根津寿夫)」ほか、
充実した資料解説、史料編もあわせて収載。
ttp://www.city.tokushima.tokushima.jp/johaku/zuroku/index.html

図録の解説を元に話を展開されても…
0939人間七七四年2008/07/12(土) 18:08:38ID:+vig+MEV
それとね、上杉征伐で勝ち目がないとか言うだけでなく
小田原城まで持ち出してるけどね、比較するのがバカバカしい。
小田原城と違ってね、当時の会津は蒲生氏郷の手による大規模改修・・・織豊系築城と支城網化でガチガチに防衛力がUPしてんの。
会津若松だけでなく、防衛力に不安があった城。
例えば猪苗代・長沼・鴨山・二本松・守山・梁川などで織豊系石垣が発見されてる。
そうそう政宗が侵攻した際に梁川城がまったく落ちなかったね。
蒲生は石垣が足らんかったから久川城などでは
尾根を巨大な土塁に見立てつつも、すべての虎口は枡形の緻密な防衛方式を採用し、いかにも織豊系らしさがでている。
さらに上杉討伐の時に上杉側は白河城を大補修してる。
信長が評価した氏郷が対伊達対徳川防衛の戦略思想から築城増強した城郭群は、はっきり言ってそう易々とはいかないよ。
0940人間七七四年2008/07/12(土) 19:15:37ID:2s00BhIc
>>939
神指城のこと言われてムキになっている所を見ると、SOHOさんかw
小田原城は正確には落ちてないだろ。
包囲して水、食料断って降服させる秀吉お得意の戦法で
白旗開城だろ。
上杉も、同じことされたら終わりってことでは?
政宗が攻めて落ちなかったって、伊達軍と、3万以上の徳川連合とを
比較するもおかしいだろ。
都合の良い時だけ、伊達を利用するのもどうかと思うしなw
堅牢な城をアピールするには「優秀な政宗さん」でも落とせなかった
ってしないと城のすごさは伝わらないぞ。
いつもは「無能な政宗さん」なんだろ?

まーどっちにしろ、西軍は負けたって事実は変わらないし、
徳川側に付かなかったのは上杉勢の判断ミスだろ。
今まで先祖が築いた領地を減らしてしまったんだからマイナスだろ。
褒めようがないじゃん
0941人間七七四年2008/07/12(土) 19:25:06ID:2s00BhIc
>>937
>家康本軍の西進が遅れた

家康本軍って、先行して少数で戻った家康の後に付く予定だった
秀忠の大軍のこと?
もし秀忠軍の遅れだったら大雨と真田でしょ。
0942人間七七四年2008/07/12(土) 20:11:02ID:LPhHo5fe
違うだろ。文脈で考えればわかるだろう。
本多・井伊・福島・池田らの後に続く家康本隊のことだろ。
>>940
伊達2万も徳川3万も、そんなに変わらないだろ。
小田原みたいな箱根くらいしか要害がない大平野と、相模湾の水上交通路からの大量輸送が可能な守るに難い地と福島県はまるで違うけどな。
冬になったら包囲を解いて徳川勢は佐竹の追撃を受けながら必死に逃走だなw
0943人間七七四年2008/07/12(土) 20:51:37ID:y5SlO20Q
>>942
冬になったら佐竹の追撃、って佐竹はロシア軍みたいに寒さに強いのかよ。そもそも佐竹だって関東侍じゃないか。
無能な政宗さんに席巻されたような中通りが、いくら蒲生時代に補強したといっても鉄壁だとは思えんな。
冬になったらどっちも冬営に入って対峙するだけで後詰するほどの余裕はなかろ。
0944人間七七四年2008/07/12(土) 21:01:06ID:2s00BhIc
>>942
冬になるまで包囲されていたら餓死してるんじゃないかなー
食い物より、水止められたら終わりだからね。
0945人間七七四年2008/07/12(土) 21:12:26ID:y5SlO20Q
史実の戊辰戦争の籠城戦よりももっと悲惨なことになりそうだな。
みんなの大好きな直江さんが、狸親父や無能な政宗さんたちに包囲されたまま雪の牢獄で飢えて死ぬわけだw
0946人間七七四年2008/07/12(土) 21:39:47ID:wLhBUj4H
ここのぞいてて思うんだけど、
「直江好き=伊達嫌い最上嫌い」
って思われるのが一番嫌なんだな。
逆もそうなんだけど。
両者好きな人間には迷惑な話さー。



0947人間七七四年2008/07/12(土) 21:55:45ID:KXn1LZE6
直江厨「伊達厨&上杉厨プギャーwww論破完了www」の無限ループだから仕方ない
0948人間七七四年2008/07/12(土) 22:38:48ID:2s00BhIc
最近は織田厨認定とかも言ってたな。

このスレではアンチ直江は何とか厨にされるんだよな。
0949人間七七四年2008/07/12(土) 23:06:31ID:wLhBUj4H
次スレはマンセースレアンチスレじゃなくて
罵倒し合うスレとほのぼのスレで分けてwwwww
0950人間七七四年2008/07/12(土) 23:17:02ID:fUM0U+Pg
このくらいのスピードなら次スレは980でいいよな?

>>949
結局はどっちも罵倒スレになると思うぜww
住み分けられるとは思えない。
0951人間七七四年2008/07/12(土) 23:23:17ID:5ycTPOAw
>>949
【名宰相】直江兼続と苦難を乗り越えるスレ【名武将】
直江兼続って無能じゃね?

とかにしないと荒れるぜwww
結局どっちも荒れそうだけど
0952人間七七四年2008/07/12(土) 23:39:32ID:7FGZrqDO
このスレのすごいところは、華麗にスルーを知らないやつばっかりってことだな
0953人間七七四年2008/07/12(土) 23:56:26ID:wLhBUj4H
ゲームやら大河で人も多くなるだろうし、これからもっと荒れると
思うと…orz イヤジャ

結局どっちも荒れるならやはり統合ですかねぇ。
住人も結局かぶるんだろうし。
0954人間七七四年2008/07/13(日) 00:13:15ID:vDTM/7dH
>>946
つかわざわざ他武将話引っ張ってきて
罵倒して煽って滅茶苦茶にしてんの
極々一部じゃ…
みんなそうだったら正直悲しいのだが
自分は関東以北の大名たちは大抵好きなのだよ
0955人間七七四年2008/07/13(日) 00:17:47ID:WXNCBPzm
「彼」がいるかぎりスレ分けなんて無駄だよ。
40歳以上の転職とやらが成功することを祈るのみw
0956人間七七四年2008/07/13(日) 03:13:50ID:6nV6QK+9
>>945
装備・軍制の面でも旧幕府軍は新政府軍に大きく劣っていた。
関が原と明治の会津戦争を比較するのは低脳過ぎる。
もうちょっと考えてからレスしようね。
0957人間七七四年2008/07/13(日) 03:35:17ID:ri1rpP1M
>>956
巡回ご苦労様です
0958人間七七四年2008/07/13(日) 18:28:01ID:WXNCBPzm
>>956
:>>945は水止められたら悲惨っていうのに対して
戊辰戦争の籠城戦がどうこう言っているのでは?
ガチンコ勝負でどっちが有利とかは書かれていないと思うんだが
もう少しスレの流れと文読んで考えてからレスしろよ。
0959人間七七四年2008/07/13(日) 21:04:53ID:HcvN8e28
>>958
> もう少しスレの流れと文読んで考えてからレスしろよ。

そんなこと直江愛に溢れる信者の方にできようはずがない。
0960人間七七四年2008/07/13(日) 21:10:04ID:FhO0B9dL
アンチ直江の自演はマジ秋田
少しは工夫しろ。
0961人間七七四年2008/07/13(日) 22:24:33ID:vDTM/7dH
工夫はしなくていいから仲良くしろw
0962人間七七四年2008/07/13(日) 22:41:28ID:gaPDLxxo
彼には幻覚が見えているらしい
0963人間七七四年2008/07/13(日) 23:30:10ID:WXNCBPzm
信者は何でアンチ発言が続くと
自演、自演言うんだ?

SOHOみたいなキチガイと普通の信者を一緒にするのは
失礼かもしれないが、このスレちょっとおかしいヤツ大杉
0964人間七七四年2008/07/13(日) 23:56:59ID:vDTM/7dH
まぁ…そのうち治るんジャマイカ。
毒気にあてられてるのもあるとおも
0965人間七七四年2008/07/14(月) 02:18:09ID:Gjqnj6gV
>>958
マジレスすると、会津若松城の水止めをどうやって、やる気なのか・・・ちゃんと考えて書いてるんですかねぇ。。
猪苗代湖を囲む山々の南西端の会津布引山が水源となり、豊富な水量が流れる湯川が城の東西へ分かれて流れ天然の外堀になり、阿賀川と合流する城ですが。。
しかも会津若松郭内外城下絵図などでは川だけでなく、三の丸まで水色で描かれ、半湿原地帯を想像できる要害城で飲料水を止めて水攻め?
そもそも築城場所からして、豊富な水量を有する地域での盆地なため、その水量を利用して城を水没させる方式での水攻めを警戒し、
河川地域から20mほど高い高地を選定し築城させているのが会津若松城ですがね。つまり飲料水を止める行為は難しく、逆に水攻めした方が有効な土地柄なので完全に真逆なことを主張してることになります。
また、若年の佐竹義広が血気に走り、猪苗代湖に注ぐ日橋川を渡河して布陣して伊達軍と戦う愚を冒しましたが、徳川軍が会津盆地に侵入しようとしても、まず日橋川を掘に布陣されたらまず苦戦必死です。
砲撃や西欧式軍隊など技術的に大幅進化した明治期でさえ、板垣の土佐に薩摩軍を加えてさえ、一兵の侵入すら許さず持ちこたえ続けた城です。
降伏理由は列藩同盟諸藩の降伏が相次いだ為に孤立してしまったためです。
また会津盆地の周囲は標高1000mを越える山々に守られています。
米沢→上山(山形盆地入り口)までの短いわずか15キロ弱の高地でさえ600m前後です。
これは御館の乱における北条軍が越後侵入した時に越えた南魚沼郡における標高と同レベルです。北条軍は確保した城の防衛を無視して冬にはさっさと撤退してますね。
この時の景勝には追撃余力はありませんでしたが、
徳川が退陣するなら、相当な追撃を受けながらの撤退でしょうし、
佐竹が退路を封ずるなら、朝倉攻めにおける浅井の裏切りに相当する大ダメージとなるでしょう。
0966人間七七四年2008/07/14(月) 02:38:24ID:/lZsmqiW
>佐竹が退路を封ずるなら、
佐竹は内部分裂しているから即上杉と見るのは早計だろ。
また東軍に加わらないとして、備えを残さず会津へ進軍するとでも?
0967人間七七四年2008/07/14(月) 03:04:50ID:Gjqnj6gV
>>966
佐竹に関しては>>930

そもそも会津進入自体が難しいと思うけどね。
まぁ日橋川で防衛しつつ佐竹が背後を閉じるってのは、
佐竹義重が政宗の会津侵攻における義広との挟撃策ドクトリンの再現なんだな。
前回では義広が渡河してしまったこと・敗退後に各城の降伏が相次いだことで義重の作戦は失敗した。
義重は日橋川を掘に対陣してくれることを想定しての、必勝策だった。
また政宗の侵攻が早いとしても、1日1城を落城させても半月以上はかかるので、なおも挟撃はできると踏んでいた。
今回は蒲生氏郷が対徳川・対伊達用を想定して織豊築城された、本格籠城に耐える改装をした城郭群の有機的結合を果たした支城網が会津盆地への侵入を拒んでいる。

そもそも徳川が備えをするって言うなら具体的に書いてくれないかな?何を言いたいのか分からない。

0968人間七七四年2008/07/14(月) 06:29:31ID:qxKSgql+
>>967
三成や宇喜多のバカが挙兵タイミングを考えたら良かったのにね。
秀家の暴発って感じだから、三成が悪いわけでもないのかも知れないけど。
レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。