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【義の名宰相?】直江兼続 6【愛のバカ家老?】

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0001人間七七四年2008/05/19(月) 19:43:14ID:RiXLKr8t
結局どっちなんでしょう?
0724人間七七四年2008/06/27(金) 22:08:11ID:huf7tsLi
>>707
>@他の有能家臣を追い出したり
>A家政を左右すると知っているであろうに、秀吉や家康に懐柔されたり
>B敗戦や失策の責任を取らなかったり
>Cお家の要職を自分の与党で寡占したり
>D戦略的に無意味な虐殺をしたり(畑谷城ね)
>E主君の景勝を超えて偉そうにしていたり
>F本来自分のものでない直江家を断絶させたり

>あと上記の点について曖昧すぎてわからないから具体的に書いてね。
>1、有能な家臣って誰のこと?どういうふうな能力が認められるから有能なのかね。
>そもそも誰と比べて優秀なの?比較基準は?
→新発田は直江を打ち負かしている明らかに有能。藤田や安田は新発田の乱で武功を立てているよ。
直江の武功を聞かない合戦においてもね

>2、懐柔って具体的には?家康に懐柔されて上杉家に損害を与えて
>自分が私腹を肥やしたりしたの?その点を具体的に。
→秀吉におだてられて豊家の奉行を兼任したり、破格の俸給・官位を受けている
筆頭家老がそうなったら、他も右にならえするよね。その後の上杉の豊臣寄り反徳川に当然影響するわ
また徳川に専用屋敷をもらって、その後上杉は徳川盲従方針になっているよね

>3、最終決済者が景勝なのに、なぜ直江のせいになるの?
→当然景勝は最高責任者だけど、筆頭家老も当然責任あるよね
>それに責任を取って処罰する立場の家康と面談して決裁がでてるよ。
>二十に裁くのかね?家康に無断で直江を処断したら家中の混乱を口実に改易にならないの?
→意味不明。続きはまた今度
0725人間七七四年2008/06/28(土) 02:14:58ID:3JT04jyO
>>723
>>724
石橋山の戦いで敗北した頼朝の帷幄の者(北条時政ら)は責任とるべき。
その後もヌケヌケと出世するのは同義的におかしい。
足利尊氏は弟に降伏までしてるのに道義的におかしい。
信長も志賀の陣で事実上の敗北してるのに柴田や秀吉らが責任取らないのはおかしい。
本能寺で主君が死んだのに柴田が責任取らないのは道義的におかしい。
家康は三方が原で大敗したのに本多・・・政宗敗北したのに片倉が責任・・・
毛利の責任とって吉川広家・・・
幕府が滅亡したのに勝や榎本・・・
太平洋戦争で負けたのに選挙で政治家を選んだ日本国民が責任とって自殺しないのは同義的に
こういう論理なんですね。わかります。
別に主君に咎められたわけでもないし、家中から批判や突き上げくらって
虐殺して地位を安泰にしたわけでもない。
武功?狩猟をする時、獲物を仕留めるのは犬だが犬の綱を解いて指図するのは人の仕事。
経綸の才と匹夫の勇なら国家にもっとも必要なのはどちらだろうか?
小国の宰相が大国に外交戦することの辛苦も分からず何を言ってるんだろうか?
兼続より優秀で才覚あるなら古人言う
賢人と言うものは錐を嚢中(袋の中)に入れておくようなもので、
すぐに袋を破って先を出してくるものです。のように頭角を現すのではないか?
上手くもないのにノウノウと詩を書いたり、しゃあしゃあと絵を描いたり←このへんなんかは
ただ悪し様に悪口言い立ててるだけであなたの視点が曲解に満ちており
中立性のない悪意を露呈してるのが容易に察せられる。
0726人間七七四年2008/06/28(土) 02:17:26ID:3JT04jyO
新発田兄弟の功績→勝頼へ大金をばら撒き和睦を整える・加地秀綱を急襲して降伏させる。
景虎派だった新発田長敦と堀江宗親を内応させた安田顕元の切腹の理由が
論功の不平等と言うが、死去した新発田長敦のことではなく
景虎敗死の決定的な状況を作った鮫ヶ尾城の堀江宗親の領地没収のことではないか?
堀江宗親は御館の乱で1万の軍で駆けつけたと言われ、景虎の相模への脱出の手引きをしたと言う。
それだけに景勝の怨みも強く景虎派壊滅寸前での寝返りは武田を裏切った小山田のようなもの。
新発田重家の同族の加地秀綱の助命&領地安堵をしてあげた。結果、新発田重家の乱では与党。

長敦の妹婿で越中国湯山城の城代長沢光国の小姓から謙信に抜擢され三条の町奉行長沢義風
三条城城主の神余親綱の破滅は山吉景長が三条城内の旧臣に内応を誘い反乱が起きて殺害されたので別に功績はない。

山吉景長が兄の死去による遺領と家の名跡の安堵の例(家中筆頭の軍役数だった山吉豊守の死去)
上杉家のしきたりによれば15歳までは領地没収(元服後に改めて登用)の決まりであったが、
山吉家の長年の貢献などが考慮され、領地半減の上に三条城から木場城へ移るという処置だった。
三条城は神余親綱破滅ののちに甘粕長重が城代となり成人した山吉氏に戻ったわけでもない。

新発田の場合は兄弟間の相続で成人でもあったので新発田本家の相続と
五十公野の跡目に妹婿の長沢義風が大抜擢され相続の世話をした。また同族の加地氏を与力に付けた?
三条の奉行だった長沢義風の三条の水利権を持っていたが取り上げられた?
三条城まで新発田に渡したら揚北衆最大の勢力になり脅威になると思われ。
三条城や栃尾城の攻略メインは景虎討伐後に攻略へ増援した上田衆であり
新発田の言う忠なき者共大所を賜る(上田衆で三条城を得た甘粕長重らを指している?)
また新発田重家の乱を鎮圧後の本庄や色部らもそれほどの恩賞はもらっていない。
信長に煽られた新発田重家は欲深いだけではなかろうか?
そもそも領地の安堵する為の軍役で謙信時代も多くの労役をしてきながら大体は感状をもらって終了が多い。
0727人間七七四年2008/06/28(土) 02:23:40ID:3JT04jyO
天正12年 4月上旬景勝が家康の調略を牽制すべく信濃出馬。8/2にまた景勝が信濃へ。
     8/18上杉軍が葦名の赤谷城の小田切三河守の援助を受ける新発田側を撃破し八幡砦&浦村城を落城させる。
     10月18歳で政宗家督を相続し大内定綱が政宗に就任祝いで正月まで米沢に(政宗正室田村氏ハンター大内をどう手懐けるか当主の力量の見せ所)
     10/6蘆名盛隆が家臣の謀反で死去→葦名家督は蘆名亀王丸に。
     政宗は葦名・岩城と田村の講和を仲介していたが盛隆の死を知り援軍が出せないチャンスを狙い、
     葦名騎下の桧原地方の土豪であった穴澤一族が芝居酒宴をする日を狙い卑怯な奇襲で非武装だった無抵抗な穴沢一族皆殺し。
     10/26景勝が越中で佐々の宮崎城を攻略。
天正13年 1月政宗の当主としての行動を見て力量を量っていた大内定綱が帰り離反。
     1〜2月佐々が越中の上杉諸城を攻撃。4/13上杉軍が真田氏の上田尼ヶ淵城を攻撃。
     5/10政宗は葦名へ奇襲するも騙し討ちされた葦名の怒りを買い関柴の戦いで大敗。
     7月景勝が秀吉の佐々討伐で越中出馬。8/27政宗、小手森城の小城で苦戦の腹いせに女子供どころか犬まで撫で切り大虐殺。
     8/28上杉の援軍を得て真田昌幸が徳川軍を上田城にて撃破。
     8/29佐々成政降伏し上杉主従が秀吉と会談(織田&柴田&佐々と続いてきた新発田援助新潟湊ルート崩壊)
     10/8政宗が輝宗を暗殺し二本松攻めを強行。
     11/17輝宗の憂慮が当たり人取橋で佐竹・葦名の猛攻。鬼庭良直を討ち取られ追い詰められ二本松城攻め失敗し撤退。
天正14年 5/20上杉主従が上洛し6/14大坂城で秀吉と会見。7/6に越後着。
     11/20上杉軍により新発田側の新潟城・沼垂落城(新発田側の阿賀野川・信濃川の巨大湿原地帯の要害制圧と水利通商権を奪い取る)
     11/21日蘆名亀王丸没。
金上盛備・・・政茂の代に葦名氏の執政となって以来、葦名氏の筆頭家臣(富田・平田・佐瀬・松本ら葦名四天皇のさらに上の地位)
       政茂の弟政基は越後国の赤谷に城を築いて小田切氏となり両家で通商を支配し越後情勢に影響を与えた。
       会津にとって必需品たる越後から塩・海産物などを独占し、会津からの特産物を送り出す通商路を押さえ繁栄した。
       金上を本拠として津川城で越後口の固め「御館の乱」では景虎方についた盛氏の命で越後に乱入し安田城を攻略した。
       新発田の乱では織田(新潟湊経由)と共に首謀者となり全力で新発田を支え赤谷城は葦名軍兵があふれ、
       疲弊するごとに新発田城兵の入れ替えを繰り返していたが赤谷城の救援に失敗。
       葦名の外交も一任されていて信長との会見では主家の三浦介就任と自らは従五位下遠江守になっている。また滝川一益との手紙も残っている。
       ただ自分の領地から遠い中通りにあまり関心がないために、葦名の援助は越後の新発田に振り向けられてしまい
       伊達の南下阻止にかなり非協力的だった。
0728人間七七四年2008/06/28(土) 02:24:45ID:3JT04jyO
天正15年 佐竹客将の太田三楽斎の説得により金上盛備が盛隆正室・平田・富田ら伊達派を排除し蘆名義広13歳を擁立(政宗の弟の小次郎擁立に再度失敗)
     4月秀吉の20万の軍勢を率いた九州征伐が終了。 5/13景勝が新発田側の水原城を落城させ6下旬に春日山へ帰る。
     7/23上杉軍が新発田城下へ侵攻。8月景勝が再度新発田討伐に。
     芦名氏は新発田へ援軍と兵糧を送ったが8/29山内村近郊で上杉軍に大破され崩壊し生きて帰れたのが半数もいなかった。
     葦名軍の金上盛備が後詰を出して上杉軍と一ノ渡戸で闘ったが敗れ9/7加治城落城。
     9/14葦名の小田切三河守の赤谷城も孤立落城し10/24五十公野城落城10/25新発田滅亡。
     12月関東・奥羽に惣無事令(奥羽・関東の諸将は軍備を緩めて上洛準備し秀吉との外交戦略へ移行)
天正16年 秀吉が刀狩令を発令。
     2/2政宗は惣無事令を無視し大崎家内紛の鎮圧という名目で侵攻し伯父の義光の激怒を買い大崎合戦で大敗(政宗の母義姫が和睦斡旋)
     4/20上杉主従上洛し5/8聚楽第で秀吉と会談5/26に天皇より従三位・参議・中将に昇叙され越後中納言と呼ばれる。
     7/4政宗が惣無事令を無視し再び南下し郡山合戦で再び佐竹&葦名連合軍に伊東肥前守重信を討ち取られ大敗。
天正17年(1589)2月に葦名の豊臣大名化により秀吉の命で景勝と芦名義広の和議が成立することになる。和議成立により三成が義広の上洛を促している。
それで弱体化しまくった葦名支援で上杉軍が派遣されると伊達軍はビックリして退却し相馬方面へ。
会津から伊達軍がいなくなったので上杉は退却し、去年末からの
惣無事令違反の本庄の最上の庄内を奪った件の協議に移る。
大宝寺千勝丸が景勝と面会してから上洛する一方で
直江の卓越した外交戦略が成功し、秀吉が最上の訴えを却下し
千勝丸は豊臣姓と従5位下・出羽守に任じられた。
これには義光をショックだったろう。
6/12に上杉軍は佐渡征伐で景勝自ら渡海。6/24に秀吉へ佐渡平定報告書が書かれ
7/16には秀吉から佐渡の仕置の書が送られた。
7月中は佐渡各地に朱印状が出され8/1の直江に佐渡支配が任された。
この上杉という強敵がいない時期を狙い伊達は葦名をコソドロしている。
9/28に秀吉が上杉に佐竹と一緒に伊達攻略の準備する書を出す。
9/29佐渡攻略を祝いの漢倭連句の会を開いた。
10月には秀吉の命により景勝は木戸元斎を目付けとして
八十里越から南会津へ爆進し水窪に砦を建設し横田城を修築すると伊達軍は遁走し
景勝本隊も会津侵略の為に三条までやってきていたが
10/10に秀吉が小田原征伐の準備として100石6人の軍役を命じてきたので会津から撤収することになった。
0729人間七七四年2008/06/28(土) 02:35:51ID:3JT04jyO
いろいろと他スレからコピペさせてもらったが
直江の大戦略にブレはなく着実に実績をあげているようにみえる。
また豊臣政権を利用して協力を依頼していた揚北衆などを被官化させるのに利用し
その安定を背景に庄内・佐渡まで領国化に成功している。金山開発で多大な利益がでてるね。
官位なども非常に高くなるペースも速く公武にバランスがよい。
これらの上杉への貢献は他者の追随を許さない卓越した外交戦略だと思うけどね。
新発田や藤田、安田にこれ以上に巧みな綱渡りはできないと思うよ。
0730人間七七四年2008/06/28(土) 03:11:01ID:e/lquYTA
「思うよ」

あ、そう。
0731人間七七四年2008/06/28(土) 05:01:36ID:agWYrW1m
まー新発田は勇将だが直江ほど能力あるとは思えんな。
局地戦で勝った=優秀とは言えんな。
人望ないから本庄など大半の揚北衆の支持が得られなかったし。
織田&柴田&佐々や徳川や真田、葦名の脅威を取り除いて周囲を固める外交戦略を完成させたら簡単に平定されたしな。
新発田は所詮、政戦略で他者に利用されたに過ぎない。
経済や治水、農政やら行政組織運用も含めて直江は実績あるし内政や占領地の仕置きで失策もしてない。こういう裏方的な能力は戦国時代には必要なかったかも知れないが全国政権下での治世では必要不可欠な人材だな。
0732人間七七四年2008/06/28(土) 05:24:02ID:agWYrW1m
>>723
だいたい上杉家が15万石になるのと直江はまったく関係ないだろキモイ…保科との姻戚関係で継子なく断絶が救われて15万石だから良かった良かったの話だろが。
戦国の関東甲信越出身大名で何とか治乱興亡を幕末まで生き延びた主な大名が上杉と佐竹だった事を考えれば
武田・北条・里見らよりうまく立ち回ったとさえ言える。
0733人間七七四年2008/06/28(土) 09:30:22ID:LxhqT1v9

直江SOHO炸裂!ww
0734人間七七四年2008/06/28(土) 10:36:42ID:e/lquYTA
だから句読点を打てってw
0735人間七七四年2008/06/28(土) 11:15:18ID:FQLHR/j8
きっと直江SOHOは、
句読点が使えない+あまりの長文、で社内で使えなくて
会社をクビ→やむなくSOHO
0736人間七七四年2008/06/28(土) 11:20:25ID:e/lquYTA
北条は、氏規の家系が大名家として明治維新まで存続してるつーのw
0737人間七七四年2008/06/28(土) 12:19:14ID:agWYrW1m
河内に飛ばされ、
たかが狭山1万石で
城さえ持てず陣屋に住んだ北条が
わざわざ「主な」と書いた大名とはもはや言えんだろ…
つか少しはまともな反論してみろよw
0738人間七七四年2008/06/28(土) 14:43:06ID:e/lquYTA
>>737
そんな、お前の勝手な基準で「主な大名」の範囲決められたって、誰も知らないって話だwww
脳内設定する前に、漠然とした言葉でなく、きっちり基準を書いて示せ。

あと、変な改行するんじゃなくて、いい加減に句読点覚えろwwww
0739人間七七四年2008/06/28(土) 14:52:31ID:e/lquYTA
あと、信濃の小笠原宗家は15万石だ。これでも「主な」じゃないわけ?
まともな反論期待しているぜwww
0740人間七七四年2008/06/28(土) 16:03:09ID:agWYrW1m
信濃小笠原って…
一度滅亡してんだろよ。
しかも信濃15万石じゃねーよ。
播磨からさらに徳川家光に九州に飛ばされた小倉藩の時に15万石だ誤魔化してんじゃねーよアホ。
しかも家康に人質を出しながら石川数正と一緒に秀吉の元に出奔し
秀吉の仲介で家康の孫娘との婚姻をしてもらったおかげで
秀吉に改易された後に家康に拾ってもらって古河3万石まで凋落したろうが。
しょーもない屁理屈を言って粘着ばっかしてないで、
たまには本筋で反論できねーのかw
0741人間七七四年2008/06/28(土) 16:21:18ID:e/lquYTA
「関東甲信越出身大名」「幕末まで生き延びた主な大名」
なんか間違ってるか?
頼むから、お前の勝手な脳内設定を後出ししないでくれ。誰もわからないからさw
ほんっっとに、お前っていつまでたっても、後出しと罵倒で誤魔化そうとするよな。
0742人間七七四年2008/06/28(土) 17:08:55ID:3JT04jyO
>>741
屁理屈はどう考えてもオマエ。
実質、小笠原滅亡(武田・豊臣)2回もあったじゃねーか。
オマエが無理やり必死に持ち出してきただけだろ。

1550年には信濃小笠原氏は完全滅亡して、
当主の小笠原貞慶は、村上義清・上杉謙信・三好長慶・足利義輝と流浪を続け、
織田信長が上洛して三好氏が没落したため、
再び上杉謙信・蘆名盛氏と流浪して死去したくらいで、もはや大名じゃねーし。
滅亡33年後に3男が家康家臣の石川隷下で復活したと思ったら2年後には早くも
家康裏切って石川に付いて豊臣に行ったと思ったら改易されてるしw
0743人間七七四年2008/06/28(土) 17:12:46ID:3JT04jyO
いい加減、意地張るなよ。
北条がダメなら無理やり小笠原を持ち出してきて、
執拗に強弁するガキみたいな粘着だなw
0744人間七七四年2008/06/28(土) 17:31:10ID:L1qR8WyI
北条厨的には狭山藩は戦国北条ではない、ということにしていただきたい。
出来れば触れないで欲しい。
理由は察してくれ。
0745人間七七四年2008/06/28(土) 17:59:21ID:fkGTeRXY
>>708
本多政重の具足と直江兼続の具足が似てるって、直江の具足(梵字の前立のやつね)は確か
最上陣の時に着用したやつだというから、政重所用のほうが作られたのは後ではないか?

>>723
実像とかけ離れたマンセーも迷惑だが、こういう関係ない部分についてや、
こじつけてまでどうこういうのはどうかなと思うんだよね。正直うざったい。

北条についてはやはり「主な大名」とはいえないだろ。日本史の教科書などで
寛文年間の大名の配置図が載ってるけど、あれにでている程度だろう。
小笠原氏については、結果的に復活を遂げたけど、戦国大名としての生き残り
というよりも、徳川譜代として考えたほうがいいと思う。

>>744
まあ察するけど、結果的に北条氏の遺品のなかには狭山家が伝えたものも多いしね。
「狭山と北条氏」という展示が昔大阪であったし。
0746人間七七四年2008/06/28(土) 18:47:21ID:n5xHtTjm
譜代の30万石と外様の30万石は全然違うよ。外様じゃ国政に参加できない。
0747人間七七四年2008/06/28(土) 19:09:57ID:7yHNqgyE
お前らくだらない争いばっかしてないでこれ見て和め


兼続のキャラクター決定 名前は「かねたん」に・米沢
http://yamagata-np.jp/news/200806/28/kj_2008062800429.php

大河ドラマ「天地人」米沢市推進協議会は27日、米沢藩ゆかりの武将・直江兼続が主人公となる
2009年放送のNHK大河ドラマに向けて公募していた兼続のマスコットキャラクターのデザインとネーミングを発表した。

「忠義」を連想させるイヌを擬人化したデザインで、名前は「かねたん」に決まった。
採用されたのは、大阪市在住のイラストレーター岡野亜記さんの作品。
生涯にわたって上杉景勝を支えた兼続を主君に忠誠を尽くすイメージがあるイヌで表現した。
また、兼続が「美男子」だったと伝わることから、りりしいまゆ毛を描き、
兼続の代名詞ともいえる「愛」の前立てが付いた兜(かぶと)をかぶった武者姿とした。

勇壮な戦国武者のイメージを保ちながらも、全国的な「ゆるキャラ」(緩いキャラクターの略)ブームに乗り、
多くの人が親しみやすく、愛らしさを感じるデザイン、ネーミングとした。

公募には全国から438点の応募があり、三次にわたる審査で岡野さんの作品に決まった。
岡野さんは、市推進協議会を通じ「たくさんの人に知ってもらって、いっぱい愛してもらえる『かねたん』になってくれたらうれしい」とコメントした。
市推進協議会では、市役所やJR米沢駅にキャラクターの看板を設置するとともに、各種印刷物などにも使用し、
大河ドラマ「天地人」の盛り上げに役立てる。


かねたん
http://yamagata-np.jp/news/200806/28/img_2008062800266.jpg
0748人間七七四年2008/06/28(土) 19:40:07ID:agWYrW1m
>>746
だからなに?
小笠原氏は30万石じゃないけど…。
0749人間七七四年2008/06/28(土) 23:57:54ID:rLgzgXrp
話ぶったぎって悪いが慶次は大河にでんのか?
0750人間七七四年2008/06/29(日) 00:00:24ID:KNZvB1x3
出さない理由は無かろう
0751人間七七四年2008/06/29(日) 01:35:23ID:kSJQgyPJ
出すなら前田利太か利益でちゃんと爺で出なきゃ嫌
いい加減捏造慶次郎は飽きた
0752人間七七四年2008/06/29(日) 01:39:14ID:KNZvB1x3
出るのは若者の前田慶次郎だし
真田信繁も幸村と言う名前で出てくるし。
0753人間七七四年2008/06/29(日) 10:01:26ID:sQqGpL/C
>>724
道義面では、直江の大阪の陣での豊臣攻撃、これに勝る非道はないだろ
ただ出るだけならともかく、頑張っている様子もあるし
この前に隠棲してしまうとか、幾らでも不出場ってのもあったはずなのにな
SOHOおまいはこの非道をどう思うよ
0754人間七七四年2008/06/29(日) 12:13:20ID:v2luzxZf
>>753
何言ってるのかよくわからん。
お前は救いようのないアホだな。
もしかして江戸期の朱子学の二君に仕えずみたいなもんを持ち出してるのかw
明が滅亡して、異民族の清に支配された漢民族の作り出した幻想を、
幕府安定統治に利用した教育であり、
戦国時代の道徳とまったく関係ないが。
一所懸命…武家社会では土地を安堵してくれるのが主君であり、
たとえ血がつながってなくとも、
養子をもらい家を守り絶やさない事で先祖を祀るのが重要。
上杉は滅亡せずに残り、
名門上杉の滅亡を回避し、先祖の菩提は現在に至るまで篤く崇拝され忠孝を全うしている。充分に義務を果たしている。
0755人間七七四年2008/06/29(日) 12:33:35ID:KNZvB1x3
>>753-754

これってやっぱり自作自演なの?
0756人間七七四年2008/06/29(日) 20:47:33ID:Kc3TSAo4
>>752
やっぱ若者慶次郎なのか…。
幸村に関してはもう江戸期から信繁より定着しちゃってるからなぁ…
0757人間七七四年2008/06/29(日) 20:51:22ID:w0yvBhaN
>>747
ひこにゃんのパクリをしないとマスコットも作れない民度が
兼続が作りあげた米沢クオリティ。
米沢からは、人格者や能力がある人間は生まれない。
こういう卑しい無能力者しか生まれない、育たない教育風土。
0758人間七七四年2008/06/29(日) 20:55:54ID:KNZvB1x3
>>757
これはどうなる

いしだみつにゃん
ttp://pds.exblog.jp/pds/1/200711%2F12%2F09%2Ff0017409%5F2039930%2Ejpg
しまさこにゃん
ttp://image.blog.livedoor.jp/totitaka2006/imgs/d/d/dd7474f6.jpg
0759人間七七四年2008/06/29(日) 21:08:45ID:v2luzxZf
>>757
お前まじキモイ
恨み辛みの犯罪者予備軍基地害め。
中傷悪口は、そろそろ止めたらどうだ?
0760人間七七四年2008/06/29(日) 21:13:36ID:5vF0NP8y
>>754
>一所懸命…武家社会では土地を安堵してくれるのが主君であり、
>たとえ血がつながってなくとも、
>養子をもらい家を守り絶やさない事で先祖を祀るのが重要。

これだと、せっかく養子として入ったのに直江家を断絶させ
主君以外の天下人に土地や官位をもらって働いた直江加熱具はいったいどうなるの?
0761人間七七四年2008/06/29(日) 21:29:21ID:v2luzxZf
>>760
>>707>>725
ところで、幕職ならまだしも官位をもらうと不忠なんて意味不明な学説はどの学者が唱えてるんだ?
かなりの武将が該当してしまうんだが…詳しく説明してもらおうか?
0762人間七七四年2008/06/29(日) 22:11:30ID:Kc3TSAo4
>>757
可愛いじゃん。まぁひこにゃんには及ばないかもしれんが。

0763人間七七四年2008/06/29(日) 23:58:59ID:XYhPtHJb
>>757
直江を批判してる人間の本質が見えたな。。
陰湿かつ逆恨み的な犯行だったか。
>>753>>760
そもそも岩国藩でさえ不忠と言われないのに
なぜ直江の人格まで批判されるんだ?
岩国藩こそ幕府の待遇は諸侯並みで
慶応4年に至って正式に諸侯に列してる。
だが不忠とは呼ばれてないどころか幕末に本家を救ってる。
なぜ直江は批判されるべき一方で、岩国は後世に道義面で批判されないんだ?
おかしいじゃないか。その辺の違いを比較して、ご教授願う。
0764人間七七四年2008/06/30(月) 00:25:13ID:db8tcTHF
みんな誰かの所為で直江が日々嫌いになってるからだよw
0765人間七七四年2008/06/30(月) 00:46:07ID:4tQcBil3
>>764
出たなキチガイ
早く溜まりに溜まった
多くの質問に、マトモに答えてみせろよw
0766人間七七四年2008/06/30(月) 00:49:12ID:YSxdx837
直江は好きなんだけど…何かここ怖いんだよね…
0767人間七七四年2008/06/30(月) 01:03:17ID:D1Dj0we6
質問です
「四季農戒書」を読んだけど、中身が結構はっちゃけているけど、これって
本当に直江さんが書いたん?
0768人間七七四年2008/06/30(月) 04:17:57ID:4tQcBil3
>>767
参考
ttp://209.85.175.104/search?q=cache:2k7-Yfsu0woJ:mytown.asahi.com/niigata/news.php%3Fk_id%3D16000350804170001+%E5%9B%9B%E5%AD%A3%E8%BE%B2%E6%88%92%E6%9B%B8&hl=ja&ct=clnk&cd=6&gl=jp
0769人間七七四年2008/06/30(月) 13:13:08ID:QyoJCWOO
>>768
>文体などから、兼続が口頭で語り、婿養子の本多政重が記述したものと渡辺さんは推測する。

なんとも言えないな
0770人間七七四年2008/06/30(月) 14:19:15ID:xaFJlrvW
でも越後魚沼地方の方言が見られるって指摘は面白いね
0771人間七七四年2008/06/30(月) 16:28:01ID:9oZ/3IFr
>>761
山城守任官に際して色部や荻田修理なども叙任されていたはず。
叙任自体が豊臣政権の性質だろ(官位による序列)。それについていえば、徳川の
本多や榊原なども叙任されているし、それをもって忠不忠を語ること自体
ナンセンスだろう。

>>766
昔からわりと荒れ気味だったんだが、最近は特にひどい。
レッテルの張り合いに終始している。
0772人間七七四年2008/06/30(月) 20:05:10ID:nwwQ7bf/
分を超えた高叙任は懐柔に決まっているだろ
それによって外様の上杉が豊臣近づきすぎる結果になっている
叙任だけでない、秀吉に領土をもらったり、上杉家以外の役職を兼任してしまうなど
不忠に決まってんだろ
それが結果として上杉の親豊臣反徳川につながっている
直江の大罪だろ
0773人間七七四年2008/06/30(月) 20:31:30ID:yk0qKf5P
>>771
結局大河のおかげで、レッテルを張り合う2ちゃん式の議論しか知らない厨房が流れ込んできているせいだろうね。
0774人間七七四年2008/06/30(月) 23:02:36ID:72vGRK+o
>>772
分を超えた←どういう基準で超えたと決める?細かい説明比較を求める。
秀吉に領土もらった?なんの事だ?「米沢は直江にあげたようなもんじゃ」って秀吉が言ったくらいしか知らんが?
お前の論理なら大老職筆頭にあった徳川こそが不忠の逆族なんじゃないのか?
そしたら上杉のやった事は、賞賛に値するんじゃないか?そのあたりの明確な差異基準の説明を求める。
あなたは今までの書き込み経緯を無視し、猫の目のようにしょっちゅう、我田引水かつ身勝手に道徳観や比較を自分に都合よく曲げてるように見えるので、
比較や道徳の他大名との統一比較基準一覧を書き出してくれ。
0775人間七七四年2008/06/30(月) 23:52:18ID:jNvzoMPI
でもさ、三成などアンチ徳川の連中と交友したり
直江こそが上杉が徳川と対決する方向に持っていった張本人であることは間違いないでしょ
それで戦後責任を取らないっていう姿勢はいかがなものかと
0776人間七七四年2008/07/01(火) 00:49:34ID:MHRDVwOs
>>775
徳川の戦う方向に向かった時点では、勝てる可能性が充分にあったのだから、大老としての責務として
別に敵対する方向へむかったことにおかしい部分はないが。
官位があがることも直江家の家格があがるようなもんで、直江家に対して孝にして皇家に対し忠だろう。
武家として、家康が征夷大将軍に任官した以上は、これに仕えるのも当然の忠。
また家禄が1/3になるち聞いて、直江を見限って去るものもほとんどいなかったんだから家中では、
よくぞ徳川相手に挙兵したと上杉の意地を見せたと肯定的な意識だったんだろう。
前田慶次なんかも他家に仕官せずに直江を慕って、禄はいくらでも良いからと米沢へ行ったと言うし。
0777人間七七四年2008/07/01(火) 08:55:01ID:PqnYoI26
>>775
ある意味 生き残って米沢で上杉大家臣団を養うことこそ
景勝が与えた責任の取り方でしょう。
0778人間七七四年2008/07/01(火) 10:21:17ID:/r5O6AUq
>>776
直江に付いていったかどうかは不明のはずだが
普通に考えれば景勝か上杉家のはず
0779人間七七四年2008/07/01(火) 13:01:26ID:lym/e5Mo
>>778
慶次は兼続蔵書などの編纂に協力するなど、文武両道な兼続の知遇を得ていたと言われる。
そういう経緯もあり互いに認めあってる為に米沢に付いて行ってるのだろう。
会社でも社長より、直接の上司の方が人間関係に直接影響を与えるだろう。
社長に取り次ぐ際に讒言するような上司や失政ばかりの宰相を信任する当主を見限り他家に出奔するなんて事は普通にある。
宰相としての兼続が信頼されているからこそ、家臣団が付いていったのだろう。
最上義光もそうだが、兼続も連歌などの才覚もあり京の文人に激賞された知勇兼備の将だから内外に人望あったからね。
一方の景勝は…笑顔すら見せない人だからね。
0780人間七七四年2008/07/01(火) 13:10:27ID:/r5O6AUq
慶次と景勝のエピソードは知ってるけど、慶次と兼続のエピソードは知らんな
兼続は秀吉や慶次みたいな爺さんたちには受けが良かったのかね
0781人間七七四年2008/07/01(火) 13:36:36ID:lym/e5Mo
>>780
景勝と慶次?それって講談話だろ…
0782人間七七四年2008/07/01(火) 13:53:12ID:/r5O6AUq
講談だっけ?勘違いか
0783人間七七四年2008/07/01(火) 19:51:55ID:SnPkHy3R
>>776
その流れでいくと、もし徳川に代わって誰かが天下を取って将軍になれば
徳川を攻撃してそいつにゴマすっただろうな。
ちょうど豊臣攻撃を陣頭指揮したように

そんなのが忠とは思わんな。それが米沢の倫理のクオリティか。
主家の上杉だけに仕えるのが本物の忠だろ
0784人間七七四年2008/07/01(火) 20:50:10ID:j9bdqrgy
主家の為に振りたくも無いもない尻尾を振る、これもまた忠義。

まあ義将とかは聞いてあきれるけどな。
0785人間七七四年2008/07/01(火) 21:54:08ID:N8W2R+b7
>>779
語尾が「だろう」だらけだね
いつものことだけど
0786人間七七四年2008/07/02(水) 02:54:26ID:u6t01X23
>>757
米沢からは、人格者や能力がある人間は生まれない。
こういう卑しい無能力者しか生まれない、育たない教育風土
>>783
米沢の倫理
個人的な怨みが米沢市に持っている自演粘着ストーカーの方ですね。気持ち悪いです。
0787人間七七四年2008/07/02(水) 05:32:55ID:qds+Pf6m
>>784
戦国時代に義将と呼ばれた誰と比べて、お前は兼続を義将とは呆れるって言ってるんだ?
客観基準を列記し、比較対象とされる義将をあげてみてくれないか?
0788人間七七四年2008/07/02(水) 09:50:04ID:9H4fJ14t
>>787
戦国を生き抜いた人間に義将なんておるわけなかろうが。
みんな残酷で嘘つきで人でなしだったからこそ、あの地獄のような時代を生き延びることが出来たのだ。
0789人間七七四年2008/07/02(水) 12:20:32ID:qds+Pf6m
ならば直江は充分に義将と呼べる行動をしてるじゃないか。
これは江戸期から現在に至るまで世間が認めてる事だ。
対象者も基準も挙げられず恣意的な曲解で義将とは呆れると言い切るヤツの歪んだ考えの方がよっぽど呆れるな。
0790人間七七四年2008/07/02(水) 13:02:25ID:WsN3KEox
>>789
義将と呼べる行動について詳しく
こういうのは減点法じゃなくて加点法だと思うんだ。
0791人間七七四年2008/07/02(水) 13:20:14ID:ByVBp97A
>>789
世間は講談はすきでも史実が好きとは限らない。
人気があるのは三国志演義であって、三国志ではないのと一緒。
0792人間七七四年2008/07/02(水) 13:22:39ID:DGwfCHqo
大谷、石田、真田は義将といっていいだろうな
直江も大阪城にこもって戦うべきだろ
現実は、米沢特製の鉄砲を大阪城に向けて撃っているわけだ
0793人間七七四年2008/07/02(水) 13:25:22ID:qds+Pf6m
へぇ
直江の講談なんて大してないがな。それほど有名人じゃねーし。
限定でも加点でもどちらでもいいけど、
対象相手や比較基準くらいは明示してもらわないと、
悪意の恣意的誘導が可能になるから具体例を列挙してね。
0794人間七七四年2008/07/02(水) 13:42:15ID:qds+Pf6m
>>792
視野が狭いね。
何が何でも直江は死んで、上杉滅亡させろって言うDQNさが笑えるw
そんなの太平洋戦争での東条英機みたいに責任放棄して自決しようとしたと後世に批判されるだけで現実逃避だろ。
笹川がプリズンで「勝手に死のうとしてんじゃねーよ!逃げるな。裁判で日本の為にアメリカと戦い責任とれ。」と言われるだけ。
お前バカだろ。
自らの小さなロマンに酔わずに、主家の存亡の危機に宰相として名門上杉の存続をはかるために自分を犠牲にして死を覚悟して死地に赴き、家康と対面し主君を守る事こそ忠義だろう。
大老職にある時は職責に忠実に、大老職を失えば主家の存続をはかるのは当たり前。
石田や大谷と名門上杉では話が違う。上杉は豊臣の子飼いでも重代の恩顧もない。
真田に至っては東西に分裂させて、生き残りをはかってる。
0795人間七七四年2008/07/02(水) 14:28:21ID:p4Rsa/O7
>>794
命をかけて主君を守るのが義将ってのは同意。

直江の場合上杉、豊臣に二重に知行を貰ってるから(そもそもこの時点で不義理)豊臣の臣と言う見方もできる。
そもそも上杉家滅亡の危機を作った張本人なのに謝罪したことだけ評価してもねぇ。
0796人間七七四年2008/07/02(水) 14:54:27ID:qds+Pf6m
>>795
二重に知行?よくわからんが何の話?
豊臣から直江への知行宛てがいの書でも発見されたの?世紀の発見だね。ほんとなら詳しく説明してもらいたい。
>>788
君はすごい猜疑心を持ってて、人格に歪みが出てるよ。
そんな人格なら国人一揆や家臣の内通や謀反で、すぐ死ぬだろうね。
0797人間七七四年2008/07/02(水) 15:29:28ID:9H4fJ14t
なんか知らんがID:qds+Pf6mの人格なら、天下統一も出来るらしい。
0798人間七七四年2008/07/02(水) 15:37:58ID:qds+Pf6m
>>797
その結果に至る判断材料や具体例と言った思考過程の説明しないで結果だけ書くのでは恣意的で他人を説得できないよ。
しょーじき、何言ってんのか理解不能だよ。
0799人間七七四年2008/07/02(水) 17:11:21ID:WVMPoVXn
                           _,====ミミミヽ、
                         ,,==≡ミヽミヾミミミ、ヾ、
                       _=≡≡三ミミミ ミミヾ、ソ)),,》  .
                     彡彡二二三≡ミ-_ ミミ|ノノj )||ヽ, )、
                 __,,,,,,,,,/彡二二二    ,- __ミ|/ノ ノノノノ) ||
                -=二ミミミミ----==--'彡 ∠ミミ_ソノノノノ ノ
                  //>=''"二二=-'"_/   ノ''''')λ彡/
        ,,/ ̄''l       彡/-'''"" ̄-=彡彡/ ,,-''",,,,,,,ノ .彡''"
       (,  ,--(      彡 ,,-- ===彡彡彡"_,-_   ヽ Υ
       ヾ-( r'''''\    //=二二''''''彡ソ ̄ ∠__\ .\ソ  .|
         \;;;;  \   Ζ彡≡彡-'''',r-、>   l_"t。ミ\ノ,,r-v   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
           \;;;;  \  彡""彡彡-//ヽ" ''''''"" ̄'''""(エア/  /
            \;;  \'''''')彡ヽ// | (tv   /|  , r_>'|  <一体 ID:qds+Pf6mは誰と戦っているんだ
             \;;;  \'"  \ ,,"''-,,ノ,r-", /  r'''-, .j   \
               \;;;  \ /,,>--'''二"''' r-|   二'" /  __  \______
                \;;r'""彡_l:::::::::::::::::::::: /./_   " / ̄ ̄"===-,
                  )''//rl_--::::::::::::::::/:/ヽ"'=--":
0800人間七七四年2008/07/02(水) 17:11:22ID:ByVBp97A
ところでqds+Of6mは会社か学校には行かない人なの?
0801人間七七四年2008/07/02(水) 17:11:53ID:WVMPoVXn
>>800
SOHOだから家から出ないでいい人なんです
0802人間七七四年2008/07/02(水) 17:42:36ID:u6t01X23
直江批判してるやつって論破されると
いつも直江と関係ない話で中傷するパターンを
繰り返してるよな。
くだらんし、つまらねーヤツだよな。
明らかに同一人物の自演だろw
0803人間七七四年2008/07/02(水) 18:29:27ID:9xMeYvov
アホが1匹いると思ったらもう1匹湧いてきやがったwww
0804人間七七四年2008/07/02(水) 19:25:36ID:u6t01X23
まぁ直江が勝手に自らの美学のために、
責任取って自決して
代りに誰かが宰相になって家康の元に
赴いたとしたら、家康は責任を取らせる相手として
景勝の切腹を要求したろうね。
他の者にあんだけうまく徳川の折衝ができたとは思えない。
文武に秀でて京洛の文人との人間関係など、
いろんなところからの働きかけができる顔の広さっを持つのは、
上杉家においては彼くらいしかいないだろう。
0805人間七七四年2008/07/02(水) 19:59:40ID:4iY0yYhs
>>804
領土が100万石弱へって1/4になった。
直接戦ってない西軍組でNo.1の減封量、有数の減封率。
この折衝のどこが上手なんだ?

直接戦ってないのに切腹命じられた殿様あったっけ?
0806人間七七四年2008/07/02(水) 20:28:56ID:AabRQcCt
>>804
ずっと会津にいた直江は知人に手紙を書きまくったんだろう。
でもね、交渉事は今も昔も相手の顔を見てする物。
本庄繁長や伏見留守居役の千坂の力量のほうが大きかったのでは?
0807人間七七四年2008/07/02(水) 21:44:30ID:+Zd7IyOh
>>804
また「だろう」かw
SOHOの妄想だの推測だのifしか直江の偉大さってないわけ?
0808人間七七四年2008/07/02(水) 22:01:14ID:MH6Zkas6
毛利170万石強→29万石
よりマシやろ
0809人間七七四年2008/07/02(水) 22:03:58ID:MH6Zkas6
>>805
南海の覇王にして大坂の陣英雄
0810人間七七四年2008/07/02(水) 22:09:29ID:ByVBp97A
>>808
120万じゃなかったっけー、とか思って調べてみたら一族あわせて170万くらいなんだね。
知らなかった。
0811人間七七四年2008/07/02(水) 22:14:41ID:SvW0IMBx
上杉もそうだが毛利も悲惨だわな
0812人間七七四年2008/07/02(水) 22:19:26ID:9H4fJ14t
>>811
しかし毛利は江戸期の間中領土を保ち雄藩として飛躍し明治維新で勝ち組に。
0813人間七七四年2008/07/02(水) 23:49:28ID:vSs0bN3d
次スレはアンチとマンセー、それぞれ分けてスレ立てたほうが
いいんじゃない?
どっちも相手の意見に耳かさないんじゃ討論にならないし。
0814人間七七四年2008/07/02(水) 23:54:20ID:ByVBp97A
分離しても、
アンチスレには信者が、マンセースレにはアンチがそれぞれやってきて、
結局はこのスレが二つできるだけだと思うぜ。
0815人間七七四年2008/07/03(木) 00:07:33ID:SgoCz1G8
スレ数増やすだけか。
そーだよな、SOHOさんは間違いなく両方にでてくるだろうな・・・。
ここって直江っていうより直江SOHOとアンチSOHOの対立だけのスレに
なっている感じなんだよな
0816人間七七四年2008/07/03(木) 00:14:41ID:N8gzvgAi
>>795
上杉と豊臣の双方から恩恵を受ける不義理。
直江の不忠はそれにつきるね
直江としては、家中での自身の権限を強化するために、秀吉との結びつきを強めていったのかな
0817人間七七四年2008/07/03(木) 00:24:10ID:+SfKgRIp
いっそ直江SOHOスレたてようか?
0818人間七七四年2008/07/03(木) 14:15:14ID:5FJWizhA
スレタイこんな感じかな?
【短文にまとめろ】直江SOHOは一体何者か【句読点覚えろ】
0819人間七七四年2008/07/03(木) 14:31:44ID:XvCvXKY7
少なくともSOHOとか喚いてるアホは同一人物なのは間違いない。
つか直江批判してるやつは悪口中傷してるだけで、レスが低脳過ぎて読む価値すらないのは客観的事実。
しかも質問には一切答えないで一方的に駄レスで自演。
0820人間七七四年2008/07/03(木) 15:25:06ID:VD3a/dzi
どっちにせよ、批判ですらない単なる叩きと、SOHOとか抜かすやつや
なんとか厨とか決め付けてレッテルのはり合いするような手合い全般は
はっきり言って迷惑。
0821人間七七四年2008/07/03(木) 16:39:25ID:tS+c/6dG
さて805レスから
また糞レスばかりで
レスの質が急降下したわけだが。
はっきり言って読むに耐えん幼稚さだ。
0822人間七七四年2008/07/03(木) 17:19:57ID:e3E6Kepw
読まなきゃいいんじゃね?
0823人間七七四年2008/07/03(木) 19:24:29ID:mQtI1REI
直江SOHOは、上杉が伊達に福島で大敗した事実が余程悔しいらしい。
ちなみに『東国太平記』は、直江の逸話と伊達へのコンプレックスが満載
されており、非常に興味深い書物だ。
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