【義の名宰相?】直江兼続 6【愛のバカ家老?】
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0552人間七七四年
2008/06/14(土) 02:35:39ID:Sk7lfZn8そんで関が原で家康に内通した毛利両川の吉川・小早川が西軍の大敗北を決定させ、
さらに騙されてるのも知らずに輝元も喜んで大阪城を家康に明け渡す始末。
完全に家康に良いように操られてるだろ・・・
さらに小早川隆景が残した小早川秀包・立花宗茂ら朝鮮出兵の最強義兄弟コンビを
関が原本戦に投入せず大津攻略に派遣する無駄使いといい。
そんで両川の大活躍で毛利本家は滅亡・・・吉川が必死に自分への恩賞に換えて毛利を存続させてくれお願いしますで土下座。
大坂の陣では輝元らが佐野道可を密かに豊臣方に派遣したのがバレて吉川広家は隠居。その後に広家の岩国城は破却されちゃうし。
有能とか勇猛?毛利の重臣っていったって大してすごくねーじゃん福原広俊・宍戸元続・益田元祥・熊谷元直とかさ
(広家は彼らと会議した結果を受けて、大阪城で西軍派と激論したけど説き伏せられず決戦方針に決まったのに自己中丸出し)
直江の政治力はかなりあると証明できる話は結構あるよ。
秀吉曰く「天下の政治が任せられる人物は数人しかいない。その一人が兼続だ!」と高く評価。
秀吉の遺命により天下の陪臣クラスでは唯一、兼続だけが太刀一振りを貰ってる。
長谷堂の撤退戦指揮は旧日本陸軍参謀本部の日本戦史にも特筆されて絶賛されてる。
家康に信用されている本多正信との交流から10万石分の役儀を免除してもらってる。
前田慶次郎は直江が誘い「禄高は問わないから仕えたい」とやってきた。見事に長谷堂で活躍した。
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