【義の名宰相?】直江兼続 6【愛のバカ家老?】
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0491人間七七四年
2008/06/12(木) 05:47:46ID:ezpK3Rj3>福島の戦いで勝ったのだから福島をよこせと家康と交渉したりはしなかったのですか?
無論行われている。慶長5年関ヶ原前後にかけて、徳川家と伊達家では様々な書簡が取り交わさ
れてるから、「家わけ古文書」(東大史料編纂室)をあたってみるとよいだろう。
慶長5年10月6日の戦いの後、10月19日付け書簡で、今井宗薫を通して、徳川家康に戦後の上杉
領の仕置きを早速提言している。(家康宛11ヶ条の提言として有名な書簡・今井宗薫兼久宛覚書)
その8条に、
一 会津ニ、御手前之衆置度事、
とあるが、これは、一端、徳川軍を会津に進駐させ、徳川と伊達で上杉領を共同統治することを提言したものだ。
(戦後の北海道を米ソで分割統治を狙ったスターリンを彷彿させるがw)無論本音は、仙台城の位置関係からも
伊達が上杉領を乗っ取ることで間違いないが、巧妙な「提言」ではある。
これに対して、家康は来年を期して上杉を征伐するので、それまでは自重するようにといった書状を送っている。
結局、直江が徳川に降伏したため、会津は伊達領と化すことはなかった。
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