大内氏は献金の功で官位を賜り、僭称があたりまえであった家臣まで正式な官位を持っていたと聞きます。

おもな正式叙任者
大蔵大輔・・吉見正頼
下野守・・内藤興盛
豊後守・・杉興運
伯耆守・・杉重矩
近江守・・相良武任
尾張守・・陶晴賢
中務大丞・・弘中隆兼
左衛門少尉・・冷泉隆豊

しかし、良く考えてみれば下野守は宇都宮家の世襲であり
宇都宮尚綱も叙任されていたはず。
〜守は僭称が多く同時代に何人もいましたが
正式の官位も複数叙任されていたのでしょうか?
それとも大内側が金の力で宇都宮から官位を奪ったのでしょうか?