自称された官位について
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0001人間七七四年
2008/05/18(日) 16:41:54ID:wH+rnB94その行為にどれほどの効果があったのか
特に全く関係ない領地の国司名を自称することに何の意味があったのか
0002人間七七四年
2008/05/18(日) 16:49:23ID:5PGagpa40003人間七七四年
2008/05/18(日) 17:04:58ID:udEW9RIu0004人間七七四年
2008/05/18(日) 20:49:22ID:2jmzkG6f0005人間七七四年
2008/05/18(日) 21:05:46ID:TJ+CaCtw島津に先こされた後
台州守
の亀井
0006池田朝鮮守大作
2008/05/18(日) 22:29:21ID:OJK9O8z80007人間七七四年
2008/05/18(日) 23:13:07ID:gsqxh9ii当時の武士間の流行で重々しさを出すために名乗ってたようです。
おもろいのは 安藤守就の伊賀伊賀守
0008人間七七四年
2008/05/18(日) 23:25:45ID:836Q3de/0009人間七七四年
2008/05/19(月) 12:05:25ID:H05fWaKsむなしくないのかな
0010人間七七四年
2008/05/19(月) 13:03:59ID:iNYf8hjD0011人間七七四年
2008/05/19(月) 13:16:51ID:m5Pk5AXEいや、これからだ
0012人間七七四年
2008/05/19(月) 20:26:26ID:ZpheMgs6いわく「稲葉因幡守がイナバ物置
イナバウアーで居ないいないばあ」
0013人間七七四年
2008/05/19(月) 20:27:34ID:ZpheMgs60014人間七七四年
2008/05/19(月) 20:32:58ID:u0de+FT50015人間七七四年
2008/05/19(月) 20:33:02ID:S8XYJNfEそういえば秀吉の前の筑前守はだれだろう
空位?
0016人間七七四年
2008/05/19(月) 20:41:26ID:ZpheMgs60017人間七七四年
2008/05/19(月) 20:48:18ID:ZpheMgs60018人間七七四年
2008/05/19(月) 20:57:19ID:u0de+FT50019人間七七四年
2008/05/19(月) 21:07:24ID:yq+rDlos保田備前守、柴田佐渡守、織田対馬守、前田肥前守、原隠岐守、金森出雲守、小川土佐守
山中山城守、毛屋主水、松平伯耆守、柴田伊賀守、徳永下総守、亀田大隈守、木下美作守
前野加賀守、大木土佐守、神保安芸守、三善石見守、有沢図書助、奥村伊予守、村井豊後守
太田丹波守、富田越後守、
これはもう・・・・どげんかせんといかん
0020人間七七四年
2008/05/19(月) 21:29:15ID:pUfCqTwP徳川清康の配下服部石見守保長は?従五位下。旧幕臣だから公認の官ぽい。
0022人間七七四年
2008/05/19(月) 22:25:15ID:yq+rDlosこの軍団は織田筆頭家老・佐々木源氏・信長死後大出世な香具師がいるので
正式と言って良いのか自称なのか検討つきませぬ
0023人間七七四年
2008/05/19(月) 22:25:56ID:yq+rDlos0024人間七七四年
2008/05/19(月) 22:39:40ID:ZpheMgs6ありがとう
一つ賢くなった
0025人間七七四年
2008/05/19(月) 22:44:07ID:H05fWaKs正式な官位は武蔵守
一浪人なのに公家にも朝廷にも大名にも顔ききまくりでsugeeeee
0026人間七七四年
2008/05/19(月) 23:30:25ID:S8XYJNfE実際に武蔵守なのになんで伊勢守なんて自称したんだろ。
無名のころは自称で、有名になってから任官されたんかな?
0027人間七七四年
2008/05/20(火) 00:40:51ID:CEHqyRiaそうだよ
上州大胡城主時代の名前が上泉伊勢守秀綱
その後武田、北条を経て各地をブラブラしつつ偉い人に稽古つけてたら晩年武蔵守を任官された
ていうかウィキに大体書いてある
怪しい出典とかあるから注意が必要だけど
0029人間七七四年
2008/05/20(火) 07:59:30ID:+NRDUj2Gググった。
高岡國定 に一致する情報は見つかりませんでした。
検索のヒント:
キーワードに誤字・脱字がないか確認します。
別のキーワードを試してみます。
もっと一般的なキーワードに変えてみます。
ウボァー(´Д`)
0032人間七七四年
2008/05/20(火) 09:16:50ID:+NRDUj2G諱は國定。筑前守。但馬國守護山名氏の臣。
城持大将なり。高岡國正の二男。
天正8年(1580)織田右府公但馬平均発向の時に、
羽柴美濃守がために城落ちて、筑前守の類族である
但馬國二方郡阿勢井(亀ヶ城)の城主鹽冶周防守高清に食客する。
この年、羽柴秀吉の軍と再び戦ふも多勢にして利を得ず、
更に因幡鳥取城の山名禅高侯へ頼るといへども、
同8月禅高侯早々に降参したるが故に之を潔しとせず、
更に遷りて吉川經家麾下に仕へ、因州雁金山城にて防戦のところ、
敵兵無勢にして刃が立たず、
翌9年(1581)10月頃同州丸山城に於いて討死註1)したるといふ。
……羽柴美濃守は小一郎だが、
81年とか、この頃の筑前守って秀吉じゃなかったっけ。
0033奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM
2008/05/21(水) 00:06:57ID:y+HESuyP0034人間七七四年
2008/05/23(金) 01:19:39ID:AAUnKk2U伊予松山で八百八狸を率い御家騒動に手を貸した頭領
戦国時代じゃないからスレチか
0035人間七七四年
2008/05/23(金) 05:36:58ID:QWgoSl2Z0036人間七七四年
2008/05/23(金) 08:28:37ID:XGSCYFAHその権威や箔づけが他にあったりする。
関東管領なんかはそう。
だから三郎景虎は関東管領の後継者と目されていたとする説もある。
0037人間七七四年
2008/05/23(金) 12:52:19ID:eLLxuOXJ0038人間七七四年
2008/05/23(金) 13:11:52ID:CD8qKvAr■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています