斎藤龍興と村上義清の評価がここまで違う理由
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
0001人間七七四年
2008/05/13(火) 20:54:59ID:Jt8C+kud領土を追われながらも粘り強く戦った勇将」であり、
斎藤龍興は「酒に溺れ手も無く美濃を失った暗愚な主君」
こんなところだと思う。
しかしこの二人にどれほどの違いがあるというのか?
0002人間七七四年
2008/05/13(火) 21:01:41ID:5RYOWj6Z0003人間七七四年
2008/05/13(火) 21:03:48ID:Jt8C+kud@美濃を八年で失う。
Aその後各地を転戦し最終的に朝倉に身を寄せ戦死。
B敵は織田信長。
義清
@信濃を五年で失う。
A越後に身を寄せ最終的に病死。
B敵は武田信玄。
何がプラスに働きマイナスに働いたのか。
0004人間七七四年
2008/05/13(火) 21:19:12ID:3EOLPV11龍興は祖父や父が頑張ったしそもそも領地が信長と対等クラス
義清は信玄相手に弱小ながら勇戦した印象がある
0005人間七七四年
2008/05/13(火) 21:24:38ID:87mAt5N4義清も龍興も調略でやられた印象。
0006人間七七四年
2008/05/13(火) 23:20:52ID:k3Y4xwuL0007人間七七四年
2008/05/13(火) 23:26:45ID:ULvP/qRf幸隆の弟だっけ?に内応されてるし
0008人間七七四年
2008/05/13(火) 23:48:40ID:6zdrWv+l信長にやっられから勝頼はザコ
信玄を苦しめたから村上は勇将
0009人間七七四年
2008/05/14(水) 00:02:57ID:8SNCvurV村上は二度も信玄を排除して打つ手なしだった挙げ句に真田の知謀に負けたストーリー性だろ。
0010人間七七四年
2008/05/14(水) 00:16:16ID:783k0cvb結局これだろうな
信玄様は凄い→その信玄様を退けた村上も凄い
謙信も似たようなもん
0011人間七七四年
2008/05/14(水) 00:52:10ID:OXmhZU9y龍興は最後まで反信長を貫いた気骨は認めるが
能力不足は否めない感じ
とはいえ相手が信長だから仕方ない部分もあるけど
0012人間七七四年
2008/05/14(水) 15:36:39ID:XSs/wt17言っちゃう恥ずかしいやつじゃん。
「あの」信玄を二回も…というけどそんなに箔がつくような相手か?
信長を相手にした龍興のほうがすげえだろ。龍興、六角、朝倉、三好勢、
みな評価が芳しくないが、信長の攻めが凄すぎただけじゃねえの?
信長がKO勝ちばかりするから相手が弱く無能に見えるだけでさ。
相手が信玄だったらどうだか。意味の無い仮定だけどな。
0013人間七七四年
2008/05/14(水) 23:47:35ID:saDyKw0V龍興は、じいちゃん・親父の遺産に助けられた感じがするね。
0014人間七七四年
2008/05/14(水) 23:55:56ID:7BTWI36fこれで信長の侵攻を防げと言っても厳しいだろ……
むしろ信長の侵攻を軍事的にはたびたび防いだのは賞賛に値する。
しかし美濃国人を次々と調略され6年後には城を追われることに……
0015人間七七四年
2008/05/15(木) 00:30:20ID:n4kHrC7Qそれよく言われるけど実際には違います。
美濃勢が信長の侵攻を撃退できたのって二回ほどで、あとはやられっぱなし。
0016人間七七四年
2008/05/15(木) 01:10:02ID:17Dwki8z0017人間七七四年
2008/05/15(木) 10:52:52ID:hfvk6Ex4脆弱な信長に勝っても自慢にならないしな
0018人間七七四年
2008/05/15(木) 11:05:50ID:9jr4u9t4それより尼子晴久をもっと見直してあげてくれ
0019人間七七四年
2008/05/15(木) 12:57:49ID:myU/GW16やられっ放しというのも正しくない。
勝ち:十四条合戦、堂洞砦
負け:鵜沼城、猿ばみ城、稲葉山城
分け:加賀美野
以上は信長公記に記述のあるものを抜粋した。
漏れてるもの信長公記には記述は無いが他に記録があるものもあるかもしれないがご容赦のほどを。
勝ち負けは最終的に目的を達せれたかどうかで判断した。
その分、攻め手の信長にちょっと厳しめかもしれない。
井口から兵を繰り出しての合戦に及んだ場合、斎藤勢が敗れたことは無いように思える。
0020人間七七四年
2008/05/18(日) 10:57:22ID:bRv/oY+j0021人間七七四年
2008/05/18(日) 11:05:13ID:F0b1pPDN年齢も年齢だしね。
0022人間七七四年
2008/05/18(日) 14:35:50ID:0g1QClOA信長の周りは屑ばかりということだろ
0023人間七七四年
2008/05/19(月) 01:32:32ID:bkKxH+DM0024人間七七四年
2008/05/19(月) 10:18:54ID:uUYmdNXS0025人間七七四年
2008/05/23(金) 13:19:13ID:JMUWdgxoしかも信玄に2カ所傷をつけたからかっこいい
0026人間七七四年
2008/05/23(金) 18:47:21ID:hdSnAc6P0027人間七七四年
2008/05/23(金) 21:57:24ID:rIRTNYxMこれが信玄の相手→龍興。信長の相手→義清。
だった場合
義清が2度でも3度でも信長を撃退しても(するだろうが)
今ほどの評価は貰えないということだな
浅井や波多野兄弟くらいの評価しか貰えなさそうwww
0028人間七七四年
2008/05/23(金) 22:18:50ID:1kHVtvrb一条兼定撃退と上杉謙信撃退では同じ撃退でも評価に天と地の差が出るのは当たり前だ
0029人間七七四年
2008/05/23(金) 22:32:59ID:rIRTNYxM斎藤龍興と村上義清の評価がここまで違う理由
↓
織田信長と武田信玄の評価がここまで違う理由
に、しといた方がいいな
0030人間七七四年
2008/05/23(金) 23:13:41ID:KZrMndTY0031人間七七四年
2008/05/23(金) 23:18:06ID:/3z6sjl70032人間七七四年
2008/05/24(土) 00:46:38ID:Nom5DSFJ信長と戦った相手ってほとんどが一般にアホ扱いされているよな
逆に浅井長政・明智光秀みたいに信長を裏切った奴は評価が高い
0033人間七七四年
2008/05/24(土) 02:04:37ID:DzOpnwj8それに対比される形で斎藤家を潰した馬鹿というイメージが加わり
評価が低いんじゃね
0034人間七七四年
2008/05/24(土) 02:07:19ID:kxtecs2A義元はアホというより運の問題だろうが
0035人間七七四年
2008/05/24(土) 02:50:23ID:EwTVjHy8そいつを磨く時間が与えられなかったと好意的に取ってみる
氏真や龍興のように、オヤジの急死で継いだ当主に
家をまとめる能力・カリスマ性を求める事がそもそも無理だ
0036人間七七四年
2008/05/24(土) 03:16:17ID:OFMPY+fg0037人間七七四年
2008/05/24(土) 03:32:25ID:EwTVjHy8家督継いだ時点では信長の状況も変わりなかったね
一枚岩でない親族や、不穏な動きを見せる重臣とか…信長でも家をまとめるのに苦労してるさ
運も必要だけど、苦しい雌伏の時代を上手く乗り切れるかどうかがその後の差に繋がった印象
氏真・龍興・義景に、第二の桶狭間を起こす力が無かったと言えばそれまでだけど
0038人間七七四年
2008/05/24(土) 03:39:11ID:utUm3I0t信長は父の遺産がいろんな意味で大きかったからなぁ。
0039人間七七四年
2008/05/24(土) 12:00:22ID:LtanKtIfただ、氏真は父親生前に家督譲られているから。
0040人間七七四年
2008/05/24(土) 12:14:31ID:QPpnjcPb今川や朝倉はとっくに勃興期から衰退期に移行していたと言う事
斎藤も当主の相次ぐ死と言う衰退期
村上は勃興期を迎えていた。
0041人間七七四年
2008/05/24(土) 13:25:01ID:uoH1uiTEよく趣旨がわからんレスだな。
> 織田は勃興期では信秀は湊を押さえて尾張経済を握り信長への継承も問題なく移行させた。
信長の場合、信秀の急死を受けてのもの。
一応、嫡子であるものの家柄的には尾張半国の三奉行の家柄に過ぎず、信秀の後継者だからといって尾張の第一人者としてすんなり支持されるわけが無い。
問題なく移行させたというのは言い過ぎ。
> 今川や朝倉はとっくに勃興期から衰退期に移行していたと言う事
何時の時点の話よ?
今川は絶頂期に当主が信長に桶狭間で討たれたため、衰退。
信玄はその衰退する今川家を見て駿河に侵攻してようやく併呑。
氏真が出来星だったら信玄は駿河を併呑できたであろうか?
朝倉は信長と対立するようになって国力を疲弊。
敵の多い信長を状況的に追い込んだことはあるものの最終的には当主の戦国大名としての資質と国力の違いもあり滅亡。
信長と対立する以前の朝倉家が衰退しつつあったとは聞いたことないが?
> 斎藤も当主の相次ぐ死と言う衰退期
斎藤の場合、道三から義龍への以降期はむしろ強化されたんじゃないか?
ただ道三ほどの強権はふるえなかったような気がするがその辺はオレの勉強不足。
義龍から龍興への以降はこれは衰退といって良いかもしれない。
当主は急死、後継は年若。隣国に強力な敵勢力。
義龍の急死は信長にとって非常に幸運だったね。仮に義龍が生きていても逆に信長を滅ぼせるとは思えないけど。
> 村上は勃興期を迎えていた。
それ以上に武田家が強国だったのでは?
0042人間七七四年
2008/05/24(土) 13:26:50ID:uoH1uiTE0043人間七七四年
2008/05/24(土) 16:59:06ID:cIRnXPQ0駿河 英主 今川氏親(北条早雲の姉の子で死没1526年)兄氏輝(〜1536年)の死後に家督争いに勝った
義元は補佐役太原雪斎(〜1555年)が死んだ後は迷走して歴史上でもレアなもっとも恥ずかしい大名の野戦での敗死。
越前 英主 朝倉孝景(〜1548年)
息子義景は補佐役朝倉宗滴(〜1555年)が死んだ後は迷走して最後は従兄弟に裏切られる。
南近江 英主 六角定頼(〜1552年)
息子義賢は最有力重臣で人望もあった後藤賢豊を惨殺し家臣から見放される(観音寺騒動)
美濃 英主 斎藤義龍(〜1561年)
13歳で家督を継いだ息子龍興は稲葉山城を家臣に乗っ取られたアホ。
跡を継いだ息子はみんな暗君だったと言える。
結果 主家の尾張守護代清洲織田家が衰退期に入り
清洲三奉行・織田家が商業都市津島や熱田を支配し隆盛拡大発展期に入り
円滑に家督を継いだ信長は実に運がいい男と言える。
しかも尾張57万石+美濃54万石=111万石でこの時点で頭一つ抜けた勢力になっていた。
甲斐22万石+信濃40万石=62万石と信玄は自分の領地の2倍の石高の地を併呑する奇跡を成し遂げている。
0044人間七七四年
2008/05/24(土) 17:27:10ID:fywVkyS/美濃の人間がたつおきのために戦う意義よりも
信濃の人間が村上と共に戦う意義のほうがはるかに強かったろうし。
土岐の孫ですといってもな・・・
そういう意味でたつおきはそんな中では十分に戦ったと思う。
今のゲームなどの能力は酷すぎる。
0045人間七七四年
2008/05/24(土) 19:26:04ID:HK6PIMuk0047人間七七四年
2008/05/24(土) 20:35:49ID:EwTVjHy8しゅんべん引っ掛けて、乗っ取りの原因作ったのは龍興だが、
義龍が健在ならそういう行為を許す環境はなかったろうね
0048人間七七四年
2008/05/24(土) 21:27:59ID:V0fgGxN4信玄相手でよかったな義清
0049人間七七四年
2008/05/24(土) 21:37:10ID:OFMPY+fg0050人間七七四年
2008/05/24(土) 23:06:18ID:cIRnXPQ00052人間七七四年
2008/05/24(土) 23:20:10ID:1iLoyBvt↓
武田勝頼
上杉景勝
北条氏政
徳川家康
毛利輝元
0054人間七七四年
2008/05/25(日) 00:32:00ID:d58r1SAv正攻法なら義清の圧勝でしょ
0056人間七七四年
2008/05/25(日) 01:02:21ID:FOH6l69W武田に真田がいたように織田には羽柴がいる
0057人間七七四年
2008/05/25(日) 01:03:26ID:T1u7u5C2信玄→数度負けても最後は調略で仕留める
信長→死ぬまで待とうホトトギス
0058人間七七四年
2008/05/25(日) 01:35:04ID:u3QiZm89義龍存命中、信長は尾張統一に邁進。
桶狭間で義元を討った翌年、義龍死亡。
別に死ぬまで待ってたわけではなく、本格的に美濃攻略に乗り出したところで義龍が死亡しただけ。
0059人間七七四年
2008/05/25(日) 03:07:04ID:i7zt7Exy滅ぼしたこともあり、晴信などひよっ子程度にしか見ていなかったのでは。
村上が勝つことも普通にあり得たのではないかと。
0060人間七七四年
2008/05/25(日) 03:19:06ID:T1u7u5C2ならば義清=道三と考えた方が妥当なのかも知れませんね
信玄→数度負けても最後は調略で仕留める
信長→娘を貰っただけで有頂天。蝮殿、親父殿と慕う
0061人間七七四年
2008/05/25(日) 07:09:02ID:S7LfxUBD0062人間七七四年
2008/05/25(日) 08:47:15ID:u3QiZm89別に国主でもなんでもないんだろ?
0063人間七七四年
2008/05/25(日) 09:01:31ID:KHOUqpzTこの両者が争うとなった場合、信濃衆は血のつながりも村上のほうが近く
晴信は信濃攻めで有名な虐殺をして憎い相手だ。そして
信濃の代表が家柄も良い村上なのだから、信濃衆は村上側に付いて必死で戦うのは当然。
しかし、斉藤はどうか。
義龍の能力を置いておくとしても、彼が美濃の代表者として
ふさわしかったのかどうか。
土岐源氏の末裔だとはっきりしてるなら、土豪も命をかけて戦うかもしれんが
油売りの子かなんだかよくわからない人間の子で、国人とは血のつながりもない。
そもそもこういう土地や因縁の差が大きいわけで
国力だけで考えても仕方が無い。
0064人間七七四年
2008/05/25(日) 09:35:29ID:XcbkUhOP0065人間七七四年
2008/05/25(日) 12:15:11ID:cgl7mVB90066人間七七四年
2008/05/25(日) 12:20:29ID:EfoH7hp8外交で何度も撃退し、辺境を蚕食されつつあったのを立てなおした『お家』
なわけで。
結局のところ、信長があまりにも鮮やかに倒してしまったが為に相対的に
雑魚に見えてるだけの話だろうね。
0067人間七七四年
2008/05/25(日) 12:28:40ID:cgl7mVB9浅井が美濃を侵略した時も
同盟してた六角に浅井侵略してもらい難を逃れたりしてるね。
ちなみに一乗谷の朝倉館の家臣団武家屋敷跡に浅井館が発掘され、浅井は単なる朝倉の被官でしかなかったそうな。
0068人間七七四年
2008/05/25(日) 12:40:05ID:ywM3k2pvその後は朝倉家臣になってたわけ?
朝廷の格付けでそうなってただけかね。
村上も、信濃守護の小笠原の家臣?と言うべきなのかな。
やっぱり、朝廷の格付けは置いといて、実際の勢力が大きかったら
万石以上の領土があれば、大名って言っていいんじゃないかな。
0069人間七七四年
2008/05/25(日) 13:08:47ID:T753isP3とても鮮やかに倒したようには見えないが。
義龍には普通にまけてるし竜興にも2回負けてる。
その竜興はクーデター起こされて城を追われたりしてる状況で
最後も重臣の離反でやられてるし。若くて経験も不足だしな。
0070人間七七四年
2008/05/25(日) 14:27:26ID:/4Ta0YFo0071人間七七四年
2008/05/25(日) 14:50:51ID:cgl7mVB90073人間七七四年
2008/05/25(日) 16:02:28ID:cgl7mVB9美濃との同盟のお膳立てまでしてくれた信長は違うだろw
信長の父は嫡子に優しすぎてワロタw
もう伊達輝宗が政宗に優しすぎなのと同レベル。
0074人間七七四年
2008/05/25(日) 17:01:55ID:XcbkUhOPなのが理解できない
0075人間七七四年
2008/05/25(日) 17:03:45ID:yxLHH+wX・岩倉織田と清洲織田が健在
・弟とその一味が反逆
・斉藤が敵になる
・松平、今川が攻勢
義龍の死後6年1561-67
・度重なる織田の侵攻
・浅井が敵になる
・城が奪取される
・幹部が内応
・開城
義元の死後10年 1560-70
・三河勢が離反
・遠近江勢が離反
・甲斐勢襲来
・開城
特に今川領は義元死後3年たたず半分以下に減ったとか
0076人間七七四年
2008/05/25(日) 17:49:34ID:3yonhvFk0077人間七七四年
2008/05/25(日) 18:08:09ID:JtO5aIZa政宗に滅ぼされた葦名が3代続けて相次いで早世し、養子を須賀川、佐竹からもらい続けるごとに葦名が弱体化し
最後は葦名義広14歳で滅亡してしまう自爆パターンと斉藤氏はよく似ていて同情せざるおえない。
0078人間七七四年
2008/05/25(日) 19:47:59ID:ZuF+lWCI竜興は若すぎて、美濃での出来事は評価に入らないんじゃないか。
六角や斉藤などとゲリラしていた部分を評価すべきであって。
戦闘能力は70〜75点くらいあげてもいいとおもうがな。
0079人間七七四年
2008/05/26(月) 00:08:57ID:FCVpj7uiまあ龍興はさっさと義龍が死んだから運がなかったな
0080人間七七四年
2008/05/26(月) 00:47:29ID:RoMUSSQS道三なら龍興の立場になっても何とかしそう。
0081人間七七四年
2008/05/26(月) 01:04:50ID:v1bgB2Ac0082人間七七四年
2008/05/26(月) 01:08:59ID:RoMUSSQS0085人間七七四年
2008/05/26(月) 07:36:14ID:x8IAztTA長良川の戦いはあるけど、これ義竜に負けたっていうのかね?まあ信長の敗戦には違いないが。
ところであと一戦っていつの何?
0087人間七七四年
2008/05/26(月) 15:41:47ID:AstcgFeo0088人間七七四年
2008/05/26(月) 16:28:24ID:MHM5c7zlその義龍も浅井長政に負けてるから
長政>>>>>義龍>>>>>信長>義元
0089人間七七四年
2008/05/26(月) 16:30:29ID:MHM5c7zl存命中には実際信長が手出しできなかったから強そうに見えるけどね
0090人間七七四年
2008/05/26(月) 17:32:23ID:pdhAPIuOそれで武田は大敗させたのは評価できるかな。もっとも、この戦で村上も大分ダメージ受けたけど
つかこの二人は境遇が全然違うし比べるのは間違ってるような
義清と比べるならまだ朝倉義景じゃね?
0091人間七七四年
2008/05/26(月) 21:27:10ID:M60zx9580092人間七七四年
2008/05/26(月) 22:04:04ID:5cv97bl0そうゆう意味で義清はデカイ存在だね。
0093人間七七四年
2008/05/26(月) 23:12:26ID:VRlc1BNG0094人間七七四年
2008/05/27(火) 06:32:45ID:1yyZeMXh0095人間七七四年
2008/05/27(火) 08:46:22ID:zRqMaimq信長間抜けワロタw
0096人間七七四年
2008/05/27(火) 10:22:30ID:jr64cjBV謀反起こされようと謝りさえされればよく許す
だが限度を越えた瞬間ぶち切れする
0097人間七七四年
2008/05/27(火) 13:03:52ID:G2n8qCyG0099人間七七四年
2008/05/27(火) 14:05:00ID:G2n8qCyG0100人間七七四年
2008/05/27(火) 22:48:35ID:zBpQk70U佐久間
丹羽
林
佐久間はけちだから
林は昔裏切ったから
安藤丹羽は滅亡寸前の武田への内通疑惑
0101人間七七四年
2008/05/28(水) 23:23:22ID:st0rIwZo0102人間七七四年
2008/05/28(水) 23:41:31ID:F/jTJXta0103人間七七四年
2008/05/31(土) 13:13:01ID:ftJ2BR8Z0104人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/08(日) 10:14:58ID:6y5hMPW/龍興→長野業盛
親父ほどではないけどやり手でいいんじゃね?
0105人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/08(日) 12:34:11ID:zefepBcR子どもなのにうざく立ち回って信長を尾張一国に釘付けに・・・
0106人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/08(日) 14:44:06ID:u7W9Ilxh甲斐信濃を領有する信玄の大軍にはどう考えても勝てないだろ。
最後も自刃で城もろとも火に包まれたわけだろ。
箕輪城の本丸行ったことあるけど碑が立ってたな。
0107人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/08(日) 15:21:20ID:v8PWT1X2確かにな、美濃の連中はどこか陰気な印象がある
偏見かも知らんが
0108人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/08(日) 16:57:42ID:O58cNGuv0109人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/08(日) 21:06:43ID:VRH7uRtz0110人間七七四年
2008/06/11(水) 20:19:10ID:P6bsxVzn龍興→朝倉義景(世間で暗愚ないめーじ)
義清→長尾景虎(世間で最強ないめーじ)
これが決定打
0111人間七七四年
2008/06/19(木) 04:57:01ID:b6ibm2/Xその武田信玄を少数で3度も破った義清とその軍勢って強いな
0112人間七七四年
2008/06/19(木) 12:59:24ID:K6s4pjjHこれ以来、信玄は慎重な男になった感がある。
0113人間七七四年
2008/06/20(金) 20:52:09ID:Daand6wx0114人間七七四年
2008/06/20(金) 23:40:53ID:fwNULUfx0115人間七七四年
2008/06/20(金) 23:58:54ID:wUQMuPNw0116人間七七四年
2008/06/21(土) 01:11:01ID:Xt5rNU77村上の場合、弱小ながら鮮やかに知恵を絞って退けた、という感じだが、
斉藤竜興の場合、相手と比べて国力があったから、長期戦を嫌がる信長が勝手に帰った、という印象。(まあこれは義竜の時も同じだが・・)
そして負け方も、家臣が心を離していったという印象。
(もちろんこれは世間のイメージに過ぎない。実際はどんどん押し込まれていく戦況+織田方の計略のせい)
ただ、この場合かんがえなくちゃいけないのは、竜興の年は極めて若かったということだ。
ここをもうちょっと考慮して、もうちよっと可哀想補正つけてもよさげだと思うんだが。
(じゃあ年若くして親父急死、いきなり自分より動員兵力の多い敵に囲まれまくったのに生き延びた信長とかはどうなるんだという話もあるだろうが、そこらへんは特例なので)
0117人間七七四年
2008/06/21(土) 01:22:25ID:i+sCtrmJしかも受け継いだ家は尾張最強で美濃の道三とも縁戚関係だったんだけどな。
0118人間七七四年
2008/06/21(土) 01:31:24ID:FeRiJy0A当主が幼少でも、家臣団が団結していれば対抗し続けられたろうが…
こういう時って、権力争いやらで家中が分裂するのが歴史の常だねw
0119人間七七四年
2008/06/21(土) 15:45:59ID:/xS0HuO8その家は信秀が死んだ途端親戚や弟たちが好き勝手に動きはじめて
実際信長の思い通りになったのは自分の直轄領だけ
林佐久間柴田らの重臣たちも思い通りにならないし、
蝮と仇名される道三は状勢次第ではいつ敵に回るかわからない
そんなこんなで家督相続時の信長が動かせた兵力は二千人足らず
一応家臣が一致団結してて美濃一国のほぼ全部、
一万人近い動員力があった龍興とはえらい違い
0120人間七七四年
2008/06/21(土) 19:09:15ID:JJUmJxXr道三とその父ちゃんが下克上の天才だっただけで、軍事的には外敵の侵略を退けるので手一杯。
外征はほとんどなし。斎藤氏が分裂したときだけ一致団結。国人連合に近い状態だったんじゃないかな。
0123人間七七四年
2008/06/23(月) 01:00:51ID:nJn8lYRX当主になったとしてずいぶん差があるように思えるのは気のせい?
高校卒業生ならある程度の判断力も備わってるだろうけど
中学一年生に大国の差配をしろといったって無理だよ。
0124人間七七四年
2008/06/26(木) 12:29:10ID:B6mfpBAmまあそのバックアップも道三が信長と対面して決めたことだけどな・・
場合によってはとっくに切られてたろ。
0125人間七七四年
2008/06/27(金) 02:24:25ID:d+dTXFas団結力も糞もねーだろ。単なる国人連合のお飾り。
0127人間七七四年
2008/06/28(土) 12:34:59ID:5/Yrr56+義龍が死んで幼い龍興になった事で体制が不安定になった
美濃の主導者になることを狙った安藤が
竹中を支援したという感じらしい。
竹中が17人で城を取った後で安藤の兵が入って稲葉山を固め
美濃を主導しようとしたものの、周りへの根回しが不十分だったため
寝耳に水だった周囲の豪族達が困惑して味方にならず
結局龍興に城を帰して実行犯の竹中を隠棲させて手打ちという流れだったそうだ。
0128人間七七四年
2008/07/15(火) 10:48:23ID:H+IOk3Dy1548年 上田原合戦
1550年 戸石城
1550年 小岩岳城
1953年の葛尾城自落後も、その後奪還してるから
それも含めると村上軍の武田軍に対する勝利は4回だな
0129人間七七四年
2008/07/15(火) 11:02:05ID:fKKBECMXタバコふかして村上勢の首眺めてたら泣きながら戻ってきた村上に不意を
突かれただけ 実際勝ち負けはなく痛みわけ
0130人間七七四年
2008/07/15(火) 12:48:54ID:UfMxFb3bじゃなく戦術的に後退した。
0131人間七七四年
2008/07/15(火) 17:55:41ID:d6BE0wpr0132人間七七四年
2008/07/15(火) 20:19:33ID:D2dHLXR8最後の村上の葛尾城奪還では城にいたのは於曽源八。
信玄はもとより武田の主力もいないよ。
そんで武田の主力が戻ってきたら一日で16の城が落ちて
村上は越後に逃亡したんだけど。
0133人間七七四年
2008/07/16(水) 22:35:32ID:/2giKOPE今時そんな戦記物信じてるとはw
村上の誘いに乗って深く突っ込みすぎて
囲まれてやられたというのが今の定説
首実検やってたとしたって対応できるだろうがw
0134人間七七四年
2008/07/16(水) 23:38:33ID:gf06JNd5板垣が油断して戦場のど真ん中で首実験するという非常識を見すこしていたなら
超能力並みの読みだな。
>>133
どこの誰による定説なのか言ってみな。
当時の文献や軍鑑にはそんなのなかったはずだが。
0135人間七七四年
2008/07/16(水) 23:45:18ID:gf06JNd5ついでだ。できないよ。板垣は首実験してる途中で襲われて
馬に乗ろうとした所を殺されてる。
軍が戦闘隊形を解いて大将が功名を見分するのが首実験なんだから
ここを襲われて対応できて当然みたいな言い方はおかしい。
0136人間七七四年
2008/07/17(木) 02:48:36ID:BTVygkr40137人間七七四年
2008/07/17(木) 04:52:00ID:AOTIaDY1くらいに馬鹿だよね
0139人間七七四年
2008/07/17(木) 10:45:50ID:v5Mq2YVP桶狭間直後の信長は尾張一国を統一したばかり
動員兵力はおよそ5000〜1万人未満だが、中はまだまとまっていない
美濃一国をほぼ平定してた斎藤家も同じくらいか、やや上といったところ
しかしこちらは義龍の時代にある程度地盤固めができていたので中の結束が固い
本格的に信濃侵攻を開始した時の武田家はとっくに甲斐一国をまとめており、
南信濃の支配にも手を付けていた段階で、最大動員兵力は1万人以上
対する村上義清は周辺の国人に強い影響力を持っていたとはいえ、
自身も国人領主のリーダーにしかすぎず、
戦国大名並の強権を発揮することはできず、
また勢力範囲も北信濃のみと武田に比べて圧倒的に弱小
動員兵力は5000あるかないかといったところか
これだけのハンデを背負って武田と互角以上に戦ったんだから
評価が高いのはある意味当然
0140人間七七四年
2008/07/17(木) 14:25:37ID:oz1v9dwr総力をあげて村上とやりあってはいないだろう 村上は自分の本拠まで
追い詰められた鼠状態だったから手強い
0141人間七七四年
2008/07/21(月) 20:40:14ID:jl/2mxPa0142人間七七四年
2008/07/22(火) 11:39:08ID:T/dxVWoq今川がらみで揉めたりすることもあったが、基本的には休戦状態、
上杉は北条によって滅亡寸前で信濃に関わる余裕無し。
村上は逆に高梨氏などの北信濃の豪族と抗争中。
また村上の本拠というが上田原も砥石も村上の本拠ではなく、
武田等と共同で海野氏追放して小県を手に入れたのは1541年のころ
信虎追放時に小県も上杉の影響下に入っていたと考えるなら、小県を領有したのは1547年以降?
どちらにしても村上の本拠と呼ぶのは難しい。
0143人間七七四年
2008/07/22(火) 22:14:01ID:KSQt3AHT上杉は小田井原に2万の兵をよこしてきたりしたけどな。
一戦で撃破され大敗しちゃったけど。
0144人間七七四年
2008/07/25(金) 17:58:12ID:CNTiENf+つ小田井原は1547年上田原は1548年
小田井原で上杉が本当に2万動員出来たかはともかく
この戦いの効果もあって武田が村上と戦う時期には上杉は信濃に関わる余裕無し
0145人間七七四年
2008/08/09(土) 00:39:49ID:JW+UcSiI0146人間七七四年
2008/09/21(日) 09:31:33ID:QAf5MW7F0147人間七七四年
2008/10/05(日) 21:53:20ID:n1ItaARp■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています