天正11年北条氏邦が氏政側近併和康忠に当てた書状
元上野武士の赤見入道について
「先年越国へ越し候時分、御忠信申し上げ候、大聖院殿御証文以下にも所持致し」
氏康の時代に越後への侵入があったことを示す書状。
永禄中期には赤見入道は信濃に亡命している。だから永禄初期と見るのが妥当。
越後はかなり危機的な状況にあった。
これを跳ね返して一気に小田原まで北条を押し込め、上野を緩衝地帯に作り変え、
以後、謙信存命中は一歩も北条を越後本土に立ち入らせていない。