戦国〜江戸初期の合戦の戦死者数の考察すれ
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0001人間七七四年
2008/04/27(日) 16:37:48ID:pRZCcKxB各合戦で実際にどのぐらいの人が死んだのだろう・・
等々いろいろはなしましょう。
0002人間七七四年
2008/04/27(日) 16:42:19ID:pRZCcKxB本当でしょうか?
何でも1隊の将にまで首級がかけられた日本史上唯一の戦いで(ここがまた
意味不明なんだが。だれか教えてくだされ)、豊臣方の1万5千の首級が
上がったとかいう話だが・・
0003人間七七四年
2008/04/27(日) 17:33:55ID:b9y4D5Ye0004人間七七四年
2008/04/27(日) 21:10:27ID:pRZCcKxBだな。
0005人間七七四年
2008/04/27(日) 21:25:42ID:/01X5T+F0007人間七七四年
2008/04/27(日) 21:29:35ID:pRZCcKxB武田が壊滅的な被害を受けた戦いなんだし、執拗な追撃を受けて、
甲斐に戻ったときには数騎しか残ってなかったとかいうし。
武田軍の退路には死体が連なったらしいよ。
0008人間七七四年
2008/04/27(日) 21:32:57ID:pRZCcKxBまあ、18000は怪しいとは思うが、そういうふうによく聞くよ。
それより大阪の陣の件はどうなの?
0010人間七七四年
2008/04/27(日) 21:42:55ID:9nphbl6z実際に一万二千人も死んでたら
その後織田方に流れる国人衆まで残らず死んでることになるぞ
0011人間七七四年
2008/04/27(日) 21:54:23ID:A+g+TH+Z天王寺・岡山合戦の豊臣方15000は首帳からの計算
無論、適当にそこらの町民とか場合によっては味方の戦死者の首で
水増しされている可能性はある
調べたければ大日本史料を参照の事
0012人間七七四年
2008/04/27(日) 21:56:59ID:uLmaYztR関が原の合戦で何百万だか死んだとか書いてるやつ。
それは極端だが、死者数一万越えも無茶苦茶だな。
どんなに死者数が多い合戦でも1000を越えるのはレアケースだろうな。
0013人間七七四年
2008/04/27(日) 22:06:18ID:9nphbl6z一発で100人が吹っ飛ぶような武器はないんだし。
名のある武将相手ならともかく、雑兵同士の銭湯なんて
槍で相手をぶん殴って継戦能力を失わせるのが第一義であって
いちいち息の根を止める余裕なんて無いし。
早い話、相手に「こりゃダメだ」と思わせて総崩れを起こさせれば万々歳なんだよな
0014人間七七四年
2008/04/27(日) 22:53:22ID:D4L7WuO00015人間七七四年
2008/04/28(月) 15:49:15ID:gWLrokDx3割死んだら残りの7割は逃げるだろうね
0016人間七七四年
2008/04/28(月) 22:05:52ID:Sup95loQ大日本史料を参照と言っても、ネットで調べられるものではないですよね?
もしその本をもっているなら、教えて欲しいです<(_ _)>
長篠の戦いの死者はなぜか18000人って書いてあるものが多いんだよな・・
そのほうが話が面白いからかなあ。
0017人間七七四年
2008/04/29(火) 04:46:07ID:A62tTeHb損耗率は
3割→全滅
5割→壊滅
10割→殲滅=玉砕
0019人間七七四年
2008/04/29(火) 06:30:49ID:TR0nU7ZBhttp://www.hi.u-tokyo.ac.jp/index-j.html
こちらのデーターベースで無料で閲覧できます。
さぁ、ガンバ!!
0020人間七七四年
2008/04/29(火) 11:12:27ID:oDcZEqva19のデータベースで調べろ。
0021人間七七四年
2008/04/29(火) 21:09:38ID:A62tTeHb一般用語での「全て滅される」じゃなくて軍事用法での全滅“判定”
組織全体の3割も消滅したらその組織は機能不全になるからな
定員満たしててもキツイのに、定員満たしてないから皆一杯一杯でやってたのに3割いなくなられたら組織としては死に体だろ
サッカーで同等〜格上の相手と試合をしました。善戦しましたが、惜しくも負けてしまいました。
その結果、4人が疲労や怪我でリタイアしました。
相手より疲れてる上に7人しかいなくなっちゃいましたが、再試合して下さい。
勝ち負けの前に、試合になりますか?
試合にならないのと同じで戦闘にすらならないから、後方に下げて再編成
0022人間七七四年
2008/04/29(火) 21:11:56ID:1/PUKq4X0023人間七七四年
2008/04/29(火) 21:36:55ID:UopKRMty0024人間七七四年
2008/04/29(火) 23:01:20ID:j3iy9Xe/勝てば勝ったで自軍の武勇を誇るべく敵を大軍扱いするし…
逆に敵の油断を誘おうと過少の動員を流布させたり。
この辺の誇張が一切ない数字検証は面白いかもね
楚漢戦争の兵数は、史記にある数字の十分の一らしいけど、どうなのかな
垓下の戦いに至る最終決戦で韓信率いる漢軍が10万人、項羽の楚軍が6万人くらいだろう、と。
0025人間七七四年
2008/04/29(火) 23:11:15ID:Gsd6Msf+そんなもんなんだ?
0026人間七七四年
2008/04/30(水) 06:34:53ID:3Nj26D/Oって思わないのか?
兵士160万の人口に対する割合が中世欧州並の1%だとすると漢楚の帳簿上(流民、難民を無視)での人口は1億6千万人
3%だと人口5300万人
無理して10%徴兵だと人口1600万だが、諸葛亮下の蜀並に国がズタボロになる上に物資は現地調達(田植えをしに出兵するってレベルな)
人口が阿呆みたいに増えたのは近代以降
0027人間七七四年
2008/04/30(水) 14:31:53ID:hP2ZLaZTという命令を自領全域に出していた(資料が残っている)
あんな戦国末期でさえ数を多く見せるための農民徴収が行われていたのだから、
戦闘要員の武士なんて2割ほどじゃないかという説もある。
実際の死者の割合は10対1で農民だった。
0028人間七七四年
2008/04/30(水) 21:13:19ID:3Nj26D/O家康の領地は人口5万程度の過疎地だったのか
政治的なバイアスが係った数字を思考を停止させてそのまま出さないでよ
そういった数字に価値はなく、そこから何を読みとるかが大切なんじゃないのか?
0029人間七七四年
2008/04/30(水) 21:21:02ID:zgaSHDQc大阪の陣関係はヒットしないのだが・・
てか、大阪冬の陣・夏の陣の戦死者はどのぐらいなんだろう。
10万という説もあるのだが、怪しい気がするし。
0031人間七七四年
2008/05/05(月) 13:47:47ID:igb6ekAgいわゆる古文ってやつか。
解読してわかったとしても数時間かかりそう・・
しかも解読した結果書いてなかったら悲惨。
学問的な意味で知りたいのではなく、基本的に趣味的な興味で
知りたいんだよね。だからとてもそこまでする気にはなれない。
もし分かってる人がいたら、教えて下さい。
0032人間七七四年
2008/05/05(月) 15:56:10ID:q1Z+pjnFおいおい、聡明な書き込みしておいて、
講談みたいな古臭い説書くなよ。
合戦であんまり人が死なないというほうが新しい説。
ていうか一万五千の軍勢で一万二千の損害って・・・
「12000」が死者じゃなくて負傷者でもありえない。
003332
2008/05/05(月) 16:00:14ID:q1Z+pjnF0034人間七七四年
2008/05/05(月) 21:12:52ID:1h0hcArh0035人間七七四年
2008/05/15(木) 21:29:10ID:670H41mXもっと語ろうよ。
0036人間七七四年
2008/05/16(金) 04:58:53ID:pcPosJ4O0037人間七七四年
2008/05/17(土) 14:59:04ID:WmOC+Hwq0038人間七七四年
2008/05/17(土) 15:15:54ID:E6Cp0YNC0039人間七七四年
2008/05/17(土) 21:43:29ID:6a08PIu5タイムマシンでもあればいいんだがなw
0040人間七七四年
2008/05/17(土) 22:01:13ID:U4fYKC680041人間七七四年
2008/05/17(土) 23:41:51ID:P+wIgjEd規模を考えると家康の犬達は三国人が主張する南京の旧軍より凄い活躍をしたんだな
新ジャンル:大坂大虐殺
0042人間七七四年
2008/05/18(日) 00:01:07ID:5PGagpa4独ソ戦って戦争があってだな
0043人間七七四年
2008/05/18(日) 01:13:01ID:YOngZ5jhNHKで日露戦争の旅順の要塞203高地への攻撃をドキメントしてたが、すさま
じい状況だった。
遮蔽物も何もない丘を銃を片手に登っていく、当然敵は砲弾や機関銃で撃ち
まくってくる。っで何キロ(3Km?)も丘を上ると今度は何メートル(10m近
かったはず)もあるコンクリートの塹壕のがあり、その中に降りて(落ちる
って表現の方が正しいような…)いく。当然コンクリートの塹壕には小窓が
あって機関銃が狙ってる、入口などない。そこを目掛けて銃だけ持って突撃
して行く訳だ、もうね与謝野晶子でなくても「君死にたもうことなかれ」っ
て思っちゃうよ。これで死んだのが確か1万人くらいだろ?
0044人間七七四年
2008/05/18(日) 02:10:04ID:WbutC3Qk産み、奉天会戦の勝利の遠因となったと聞くな。
0045人間七七四年
2008/05/18(日) 02:59:23ID:vpQBCfKA実際は6万死傷で黒木一軍や奥二軍とそう大差ない
しかし死傷6割は壊滅といってもいいぐらいだな
といっても一度の戦闘でそれだけの被害が出たわけではないが
0046人間七七四年
2008/05/18(日) 10:07:28ID:eEcaN8Vj幕政の責任である
0047人間七七四年
2008/05/19(月) 01:17:08ID:OL+tQCDS多い訳ないと思うがな、18万の徳川軍に囲まれて逃げられるものなのかな?
0048人間七七四年
2008/05/19(月) 02:13:17ID:8VAj0qUE一番損害を出した軍勢は1500人→80人と激減した島津勢だろうな。
0049人間七七四年
2008/05/19(月) 06:56:27ID:9wSmZeAs0050人間七七四年
2008/05/19(月) 09:03:14ID:/InhHH8Q0051人間七七四年
2008/05/20(火) 21:31:06ID:zih8cdJGでしょうか?
批判ってのは、そこを否定しないとダメだよね。
批判してる人の言い分はもっともらしく聞こえるが、議論になってないんだよね。
0052人間七七四年
2008/05/20(火) 22:38:37ID:m7Sa/EeYとな?
0053人間七七四年
2008/05/21(水) 02:24:29ID:D/aIN85L0054人間七七四年
2008/05/21(水) 06:49:19ID:7+jERo+q5千の兵を率いて3千の敵と10回闘うだけで延べ8万人の動員
多分3傑関連の戦闘だけでクリア出来るだろ
0055人間七七四年
2008/05/21(水) 16:51:19ID:q321z9Dq大阪夏の陣の豊臣方は戦死しなくても落武者刈りが徹底していて
ほとんど殺されたんでないのか?家康が「彼らが生き残るの戦の原因になる」と
皆殺しを指示したんでなかった?
戦後旧日本軍の将兵もそのように皆殺しにしてくれればよかった
マッカーサー元帥は
0056人間七七四年
2008/05/21(水) 19:25:24ID:7+jERo+qってことか
官から民に優秀な人材が返ってきたからこその経済発展すら理解出来ない無教養な愚民の戯言だな
0057人間七七四年
2008/05/21(水) 19:31:52ID:wFWNQ0DJ0058人間七七四年
2008/05/22(木) 00:16:27ID:OqdKnuzA島原の乱に加勢していた大阪残党は?
島原こそ大阪方最後の抵抗って説もあるよな
0059人間七七四年
2008/05/22(木) 01:45:03ID:WMTCSk3N0060人間七七四年
2008/05/22(木) 02:02:15ID:OqdKnuzA当然全軍の三割近くは後方支援に当たっていると推察される訳だが
0061人間七七四年
2008/05/22(木) 10:13:17ID:sSWiXKMB0062人間七七四年
2008/05/22(木) 16:40:38ID:icmoslbA皆殺しにできなかったから島原の乱が大きくなったんですね
権現様の言われたことは正しかったんですね
0063人間七七四年
2008/05/22(木) 17:25:09ID:2l6LZeVH0064人間七七四年
2008/05/22(木) 17:41:36ID:OqdKnuzA0065人間七七四年
2008/05/22(木) 19:43:48ID:2l6LZeVH0066人間七七四年
2008/05/22(木) 20:02:07ID:UEExrYlP0067人間七七四年
2008/05/22(木) 20:32:35ID:OqdKnuzA後方支援が30として戦闘部隊は70。
そのうち予備戦力として半数を控えさせたら前線部隊は35
緒戦で五割が死傷、そのうち大目に見て二割が戦死、五割が戦闘不能として約23が戦闘可。
予備の半数を投入してそのうち三割が死傷、そのうち二割戦死として戦死者合計大体5か。
損傷五パーセントは結構痛いな。戦闘不能も合せて完全損失が一割近い。
仮定がおかしいな。
0069人間七七四年
2008/05/23(金) 05:04:49ID:k1eZVh8p0070人間七七四年
2008/05/23(金) 12:53:28ID:1woSlCitでも実際は数人〜十数人で廻してるスレだろ
かぶりを無視して適当に総数の一割が戦死だろなんて主張に何の意味があるんだ
>>69
それは「戦災者」であって「戦死者」ではない
0071人間七七四年
2008/05/23(金) 13:35:51ID:0NaW1wkNで死んだ例など、相当数があると思うよ。
0072人間七七四年
2008/05/23(金) 13:58:29ID:pWCvPSew0073人間七七四年
2008/05/23(金) 18:37:52ID:ksNoDcJN0074人間七七四年
2008/05/23(金) 19:51:13ID:E2UG41Zr0075人間七七四年
2008/05/24(土) 01:06:12ID:+vOVmFwl0076人間七七四年
2008/05/24(土) 02:00:51ID:INSxYbIC0077人間七七四年
2008/05/24(土) 02:41:59ID:utUm3I0tこの当時の総人口ってどれ位だろう?
国力に直結する若い働き手をそんなに浪費出来たとは思えんのだが。
0078人間七七四年
2008/05/24(土) 20:27:26ID:W3aTRpEg数万vs数万の戦いで死者何千人とかおかしい
そんなに死ぬ前に生き残ってる雑兵が逃げ出すはず
0079人間七七四年
2008/05/24(土) 22:06:11ID:A5IsroYK全滅するまでやることは珍しいんでない(三方が原や大阪の陣のようなのは例外)
また前線での敵前逃亡の現行犯以外は脱走や逃亡でも処刑されたりはしなかった
のが普通でないの?
0080人間七七四年
2008/05/25(日) 05:39:01ID:/4Ta0YFo後退→再編制して効率的に大量殺人を行います。
0081人間七七四年
2008/05/25(日) 06:30:47ID:TiLDWUVl0082人間七七四年
2008/05/25(日) 06:58:30ID:qK7EQi4gくらいだから1割死んでたらその2倍は怪我してると思われ
そいつらを背負って帰る人が2割いて残り6割だとしてもその
内1割は戦意喪失で5割だとまともな作戦出来ないんじゃない?w
0083人間七七四年
2008/05/25(日) 19:41:16ID:n8nwiyAU平均的な合戦の死者数って
0084人間七七四年
2008/05/25(日) 21:59:45ID:LqUySWKQ10〜25%は戦死してるだろうな
0085人間七七四年
2008/05/25(日) 23:24:16ID:Qv/WWMPT戦国期の戦争は毎回戦闘部隊壊滅(戦死1割、負傷2割)or戦闘部隊全滅+後方支援部隊にも甚大な被害(戦死2割5分、負傷5割)が出るような修羅場だったと言いたいわけだな
暑さで蛆でも湧いたのか?
只の経済活動にロマン求めすぎ
0086人間七七四年
2008/05/25(日) 23:25:14ID:Qv/WWMPT0087人間七七四年
2008/05/26(月) 00:24:51ID:gDSn1ibA>>84はべつにたいしたソースなんてないだろうが
それに反論する側が、机上の空論で統治機能崩壊とか言っててもなあw
0088人間七七四年
2008/05/26(月) 00:35:07ID:RoMUSSQS万石につき二百五十人が動員の定数として、
一人の兵士は40石の負担となわけで。当然外征ならさらに大きな負担になる
それだけの支えを必要な存在がそうバタバタ倒れたら統治機能崩壊するだろう
0090人間七七四年
2008/05/26(月) 01:41:23ID:pS16NpY5更に鎧兜を着用してる武将足軽がその中の一〜二割程度で。
250人だったら、25人死傷で武将とかは2〜3人が死傷。
適当に考えたんだけど、こんなもんじゃない?
0091人間七七四年
2008/05/26(月) 01:54:07ID:RoMUSSQS課長辺りが一年に2〜3人死ぬ会社って駄目だと思わないか?
0092人間七七四年
2008/05/26(月) 01:56:56ID:6Yg3gNMm強力な武器が登場して、補給がまあまあ適切に行われる近代でさえ、
戦争のたびに部隊の10〜25%も死なれちゃたまらんわけだよ。
ましてや基本弓と鉄砲と槍で戦って兵士が生産も同時に行っていて、
予備の部隊なんかもなくて使える連中のほとんどを連れて行った中世で
いくさのたびに10%も死んだらどうなると思ってるんだ。
まさにソースだのなんだの以前の問題。
中世の場合は「死傷率」でも似たようなもんだ。
働けなくなる怪我をしたら死んだも同じことだからな。
とりあえず軍板の常見問題でも読んでこい。
0093人間七七四年
2008/05/26(月) 02:11:42ID:pS16NpY5課長でも部長でも何でも良いけど、必ず年に何人か死ぬってのは異常だな。
確実にその会社は呪われてると思うよ。
>>92
ていうか、何割程度なら正しいのか言えば済む話じゃないの?
俺がこれから軍板行って勉強するより、そっちの方が早いだろ。
0094人間七七四年
2008/05/26(月) 02:50:32ID:8uhndh8m総崩れで本隊が追撃受けたとか、本隊同士の遭遇戦で混戦に至ったとか
完全包囲されたとか、玉砕覚悟の篭城戦とか、後詰決戦とかなら、
率は上がるが、まぁ特殊な例
少数の先鋒だけ戦って先鋒が負けたら本隊も撤収するとか、にらみ合いだけとか、
焼き討ちだけして帰って来るとかが大部分なので平均はかなり低い
そのときの状況でいくらでも変わるから平均には意味ないだろうけど
関ヶ原本戦で死傷率5%弱くらいだったかな、死者はさらに4分の1
日本は基本的に陣取り合戦だからあまり人死なん、
戦国時代なんてどんどん人口増えてるし
0095人間七七四年
2008/05/26(月) 04:05:20ID:EQ1NyLi7戦争の殆どは只の小競り合い
ソースは古今東西の戦史
所謂軍事に於いての根本的な常識
大多数の戦闘行為は数厘〜五分の被害で終決する
その積み重ねで稀に決戦に移行する
総力戦のような被害が大きい非経済的な決戦なんて滅多に起こらん
頻繁に起ったら確実に財政が崩壊する=統治機構の崩壊
0096人間七七四年
2008/05/26(月) 09:50:02ID:sl9WyQ43実際の戦争は戦略的な目標を達成するためにやっていたわけで、
人殺しを目的としていくさをしていたわけじゃないからな。
基本は前線の構築(大体ここでもう勝敗は決まってる)から始まって、
講和(戦闘した場合の被害と政治的に得るものと失うものを見積もって)へ
どのようにしてもってくか、というのが重要視されたろうな。
講和に至らないときに、こちらよりも相手側の被害を多くすることを
前提に戦闘が行われると見ていい。
そいで戦闘が行われた場合、割合じゃなく絶対数で100個も首が取れれば
「勝利」へ持っていけると思われる。双方の軍全体の兵数にも因らないわけじゃないが。
300取れば大勝利、500取れば篭城戦じゃないなら壊走するんじゃないか。
というのは、大体どの大名でも「首級二百、三百を取った」みたいな書状を
友好的な人々に送っていることが多いので、そのくらいが「勝利」と
認識されるくらいのラインだったと思う。逆に負けた場合には50人くらいでも
「悉く敗北」なんて表現が使われたりするので、当時の感覚がわかると思う。
もちろん書状なんてのは基本宣伝も兼ねているので、勝利は誇張して、
敗北は過小に数字を出しているのも間違いないけどな。
この点ひどいのは秀吉で、秀吉の書に「五千討ち取った」とか書いてあっても、
一切信用できなかったりする。次の月には「七千討ち取った」という書状を
同じ人物に送っていたりとか、かなり宣伝臭い数字になっている。
0097人間七七四年
2008/05/26(月) 18:17:46ID:EQ1NyLi7それ以上でも以下でもない
経済活動を省みない戦争なんて存在しない
財政的に許容出来ない戦争も存在しない
1番金がかかる兵士が戦闘の度に1〜3割も死んでたなんて珍説は初めてみた
0098人間七七四年
2008/05/26(月) 19:56:26ID:McayF9sg0099人間七七四年
2008/05/27(火) 03:07:32ID:xA6vJt1x0100人間七七四年
2008/05/27(火) 05:42:51ID:9DW/w+ZLこれじゃ結論がでないぞ?
0101人間七七四年
2008/05/27(火) 06:08:49ID:V1DlZdL90102人間七七四年
2008/05/27(火) 06:14:18ID:9DW/w+ZLどこどこに○万、千の死者が出たと書いてあった程度のことでもいいからさ。
0103人間七七四年
2008/05/27(火) 06:20:34ID:nlKAAqJC四百人って何かで読んだな
0104人間七七四年
2008/05/27(火) 06:33:11ID:IPSBSxG9関が原の頃になっても兵力国力共に回復していなかったらしいけど
まあ極論か
0105人間七七四年
2008/05/27(火) 07:14:10ID:V1DlZdL90106人間七七四年
2008/05/27(火) 09:31:44ID:KmFAxfpt0107人間七七四年
2008/05/27(火) 10:12:30ID:xA6vJt1x0108人間七七四年
2008/05/27(火) 19:52:22ID:V1DlZdL9死傷者でも多い
0109人間七七四年
2008/05/27(火) 20:20:02ID:bmHoKx/m実際に戦闘に加わらなかった毛利とか抜かせば戦死率5%くらいか。
太田和泉守記とかにあるようにかなりの激戦だったんだろうな。
0110人間七七四年
2008/05/28(水) 00:36:03ID:ffDpMyz4全体の合計は各隊の小計を全部足して出さなきゃ出ようがないんだから小計を提示しろよ
0111人間七七四年
2008/05/28(水) 00:44:10ID:onl5ArEP0112人間七七四年
2008/05/28(水) 01:42:43ID:ffDpMyz40113人間七七四年
2008/05/28(水) 01:44:41ID:ffDpMyz40114人間七七四年
2008/05/28(水) 12:07:46ID:1er9pf7Aどういう合戦でたくさんの死傷者がでるのだろう。
各合戦で実際にどのぐらいの人が死んだのだろう・・
等々いろいろはなしましょう。
2 :人間七七四年:2008/04/27(日) 16:42:19 ID:pRZCcKxB
大阪の陣では両軍あわせて10万の人が死んだという話を聞いたのだが、
本当でしょうか?
何でも1隊の将にまで首級がかけられた日本史上唯一の戦いで(ここがまた
意味不明なんだが。だれか教えてくだされ)、豊臣方の1万5千の首級が
上がったとかいう話だが・・
4 :人間七七四年:2008/04/27(日) 21:10:27 ID:pRZCcKxB
↑長篠は織田・徳川軍6000人、武田軍12000人って説が強いみたい
だな。
6 :人間七七四年:2008/04/27(日) 21:28:56 ID:b9y4D5Ye
>>4
そんな死んでるわけ無かろう
7 :人間七七四年:2008/04/27(日) 21:29:35 ID:pRZCcKxB
いや、当然でしょ。
武田が壊滅的な被害を受けた戦いなんだし、執拗な追撃を受けて、
甲斐に戻ったときには数騎しか残ってなかったとかいうし。
武田軍の退路には死体が連なったらしいよ。
8 :人間七七四年:2008/04/27(日) 21:32:57 ID:pRZCcKxB
>>6
まあ、18000は怪しいとは思うが、そういうふうによく聞くよ。
それより大阪の陣の件はどうなの?
0115人間七七四年
2008/05/28(水) 20:20:49ID:ild+G5B3八尾・若江の戦いは両軍1300
道明寺の戦いは両軍390
0116人間七七四年
2008/05/28(水) 20:44:06ID:BVBPIbj30117人間七七四年
2008/05/28(水) 22:43:50ID:tbPEiZYW0118人間七七四年
2008/05/29(木) 22:38:01ID:/JNkI8jmこの傷の部分が大事
普通腕に包帯まくくらいの怪我したらもうそれだでお荷物的
存在になってしまう(経済でも軍事でも).しかも当時の
医療水準考えれば5割死傷とかになったら壊滅しそうだ
後の5割で軍事も農耕もしろってか?w
版図が半分になりゃ大丈夫かもwww
0119人間七七四年
2008/05/30(金) 03:57:08ID:V7vEnFS60120人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/05/31(土) 19:45:56ID:iExTuGn00121人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/05/31(土) 21:08:54ID:alXVo1ZQ書物でもネットでも何でも少し調べればその間違いに気づく。
(たいした違いはない。)
もっとも、三国志演義なんかと比較しているのなら話しは別だけどw
0122人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/01(日) 16:04:51ID:YAWqG/eU雑兵は犯罪者集団で領主もそういう略奪によって財物を自領に得ること
を主目的として戦をした
0123人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/01(日) 16:20:47ID:vgYpgNKq殆どの戦いにちゃんと戦略目標があるわけだが。
大体戦争するのに膨大な額の金がかかるの知ってるよね?
0124人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/01(日) 16:22:27ID:VtpwoFN/0125人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/03(火) 01:59:09ID:A/Hvforw町でもないかぎり大して金にならないんだから中途半端な戦争じゃ家臣が納得
しないよ、一度軍隊をだしたらそれなりの戦死者出したと思うよ。
0126人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/03(火) 04:42:52ID:29ZjD8Dqやっぱり鉄砲が大量に使用されはじめてからの戦では、
死傷者の数は違ってくると思う・・・妄想だがねwww
0127人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/03(火) 06:13:19ID:HRJZNE220128人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/03(火) 21:02:31ID:Eq/sHeHlイキナリこういうこと言いだす奴ってなんなの?資料でもあるのか?
それとも最近の研究では〜とか言うつもりなのか?
0129人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/03(火) 21:50:24ID:YU27FuuU0130人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/03(火) 23:39:31ID:rVk0EdUU少し考えたり調べればわかるだろ
0131人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/04(水) 00:23:33ID:tewU1II50132人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/04(水) 12:36:50ID:odgW4q5i風林火山見る限り、略奪狼藉が主目的と思える合戦が圧倒的に多いが。
歴史に名を残すような合戦以外は。「乱取り」が目当てでない?
0133人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/04(水) 13:15:41ID:tewU1II5コストを補う為の戦利品であり、民間からの戦利品を得る為に動員するのは算数すら出来ない池沼
末端の個人は儲かるが、確実に経営は破綻する
野盗の親分気分で国なんか経営してたら一ヶ月で潰れるから
略奪は飽くまで、動員コストの穴埋めとしての“ついで”
ソースはNHKの大河ってふざけてます?
0134人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/04(水) 13:42:03ID:vTPW34zH日本にはまったく当てはまらない、
あくまでも力の顕示(別の言い方をすれば嫌がらせ)が目的で略奪狼藉はその手段でしかない
またそれから上がる収益も高が知れてる
0135人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/04(水) 19:39:00ID:odgW4q5iチンギスハン以外のモンゴルの戦争はそういうもの。
占領地から略奪し終えた撤退。チンギスハンはそれをせずに
占領統治したから帝国作れた。
0136人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/04(水) 21:19:53ID:Bievkntmなんで西洋で鉄砲が広まったか知ってる?
弓より威力は低いがコストがかからないからだよ。
有効射程が大体百メートルでほぼ水平に小さな金属を飛ばす種子島と
四百メートル近く放物線軌道に矢を飛ばせる弓では面制圧能力に大きな差があるし。
0137人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/04(水) 21:38:32ID:vTPW34zH取り合えず威力の違いと製造工程数調べてから書き込むように
0138人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/04(水) 22:25:14ID:0/D3QHA9お前ねえ・・・
まあいいやこれの相手すると駄レスで埋まってしまう
0139人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/04(水) 23:13:21ID:tewU1II5締めに高が知れてるって自分で言っときながら変な論理展開してんな
高が知れてる収入だけで運営出来る程度の野盗の類くらいだろ
>>135
ほぼ自給自足な蒙古ですら野盗よろしくな略奪だけでは国を運営出来ない証左にすぎん
0140人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/05(木) 00:03:21ID:WSfn5yYcハンニバルとか知らんのかね?
0141人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/05(木) 01:51:05ID:pa5Q+Ld70142人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/05(木) 08:57:41ID:WSfn5yYc0143人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/06(金) 20:56:49ID:GQuIEV//どこかのスレで「織田信長がいなかったら誰が天下を取ったか」
というのがあったが、そこで衆目の一致していたことは「裏日本や東北のような
冬に雪に閉ざされるところ(の大名が天下を取ることは)はなかっただろうということ。
雪国の場合は略奪目的(領主は領土を雑兵は乱取りで食い物などを)
というのが多かったんでないか?
0144人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/06(金) 22:51:05ID:5oGOcyFS応仁の乱以前と比べても増加率は大きくなっているのです
端的に言えば食べ物が有れば有るだけ人口が増える時代でして、余剰作物ってのはそんなに無いわけです。
ですから略奪や狼藉が日常茶飯事だったりするとこんなに人口が増えるわけありません。
たとえば上杉謙信などは連年関東に出兵したけれども8000の兵+人夫の食料の大部分を
略奪に頼るとしたら、進攻地の人口は進攻兵力数と同じくらい減ってしまうと考えられますが
上野などは無人の荒野になりましたか?そんな事はありませんね
本当に略奪や狼藉が日常茶飯事だったドイツの30年戦争を見てみるとドイツの人口は半減してます
陸続きですので他国に避難した人々も居たとは思いますが
周辺の国も作物が大量に余ってるわけではないので大部分は本当に死んでしまったのでしょう
>>122というのはこういうものを言うのではないでしょうか
また略奪される側も非力な専業農民や町人というわけでもなく
略奪する側と大して変わらない武装農民な訳でして(ここ重要)
相当なパワーを傾けなければ略奪一つするにも難しいわけです
そんな事に力を割り振ってたら戦争に負けてしまいます
日付から計算した行軍進路なども、大体は街道沿いに直線的に戦略目標に向かっておりますので
ヨーロッパに良くみられる食料を求めてあっちこっちにふらふらな
半略奪目的な行軍経路とは明確に違います、大略奪やってる暇ないですね
確かに略奪行為や放火は数多くありましたが、あくまでも力を見せ付ける手段の一つであり
兵士の臨時ボーナスであり、兵糧の補助収入であるとは考えられますが
それが主目的だったと言うのはちょっとおつむが足りないと思います。
0145人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/06(金) 22:53:23ID:5oGOcyFSあっても侍階級だけで、雑兵や人夫を含んだ数は推測するしかありませんが
足軽雑兵なんかも馬鹿に出来ない存在で敵前逃亡はもとより
陣中で失火や暴動なんかされては戦う前に負けてしまうので
農民といえどもそれなりの身なりや最低限の教養を持った人物しか従軍できなかったわけで
過失があれば彼らを派遣した村落にペナルティが課せられます
流民や半犯罪者みたいのは基本的に戦場にすら出れませんので
余剰人口が戦いに当てられたという事も無いわけです
ですから足軽といえば農業面でも中核を担った人物達であり、
そんな彼らが一回の戦で一割とか死傷されると社会自体が立ち行かないわけで
どんどん発展していった戦国時代の村落という事実を踏まえると戦死者はかなり少ないと推測できます
もちろん例外というか本当に激戦だった戦いもありますが
まぁ基本的に陣取り合戦で負けさえ認めれば次の日から仲間という少年ジャンプ連載的な戦闘形式で
一部の例外を除き、殲滅する気で戦うなどという事もほとんど無く、
力さえ見せ付けれれば人死には少ないほうが良いという合理的で現実的な社会でしたと言えるかも知れません
あくまでも欧州や近代の戦争に比べてですが
0146人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/07(土) 00:03:51ID:j0554yX60147人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/07(土) 06:53:56ID:hpP3ua0n日本史専攻の低学歴乙
0148人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/07(土) 08:57:56ID:fhIkkjEe顔赤いで
0149人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/08(日) 01:35:13ID:BP9bZWWG歴史と噛み合わないからレクター博士のことだと思われ
0150人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/08(日) 23:56:08ID:7XSFNuiMいつも気になるのんだけど、戦国時代の人口が増加したっているのは
ほんとうなのか!
応仁の大乱前の日本の人口がいくらいたかのソースとかあるのか!
1600年ごろの人口も昔は1800万人(1800万石に相対する)
となっていたが最近の研究では1250万〜1500万くらいらしいし
(ソース:1250万は速見説、1500万は鬼頭説)アンガス・マンソン
によると1500年ころの人口が1500万人いたとのことなら人口は横並び
か減少ぎみといえる。
0151人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/09(月) 00:50:21ID:NPPJD78i色々自分で調べてみると面白いですよ、もしかしたら新説を発表できるかもしれませんし
0152人間七七四年
2008/06/09(月) 06:20:06ID:Or2L0SPE>根拠地からの支援なくなって離散した軍隊
スレチだけど、これって誰かの新説? それとも>>147>>149とかただの自演??
0153人間七七四年
2008/06/09(月) 09:21:34ID:Pqc85IBW0154人間七七四年
2008/06/09(月) 11:38:37ID:mMXrSbDn実際に人口が増加したのか、或いは減少したのかは不明。
だが太閤検地と100年以上後の吉宗の調査で、
その間に人口が倍以上に増えた事は分かっている。
0155人間七七四年
2008/06/09(月) 13:39:56ID:Pqc85IBW0156人間七七四年
2008/06/09(月) 13:43:41ID:2kbJSVJQ「いま、ホームレスの人もよく見かけますけど、もし東京でも、北海道でも、沖縄でも、全国、ホームレスの人が
もーう外で寝るのは飽きたたまにゃあ、うちの中で寝たい、風呂にも入りたいって言って、
各市町村なり区役所なりに行けば、どの人も全部住宅を世話する。洋服も世話する。…(略)
しかし、きちっとした生活はヤダ。やっぱり野原で寝たいという人を止めるわけにはいかない」
聴衆からは笑い声。
(FLASH6月10日号)
0157人間七七四年
2008/06/09(月) 22:33:19ID:KKtUuKRPそして食糧生産能力が人口維持能力。
この増加率と維持能力のバランスが崩れると食糧や土地を巡っての争いが活発化する。
というのが基本形かも知れない。
乱暴な言い方をすれば、人口が増えたから戦国時代になったとも言える。
・・・なんてねw
0158人間七七四年
2008/06/09(月) 23:37:37ID:NPPJD78i人口が停滞する→戦乱が起こりなぜか人口増加→平和になってさらに大幅増加
→また人口が停滞する→戦乱が(ry→ 以後ループと、言われています
少子化対策に(ry
0159人間七七四年
2008/06/10(火) 00:01:59ID:VRNaB0Fb祟り神になった>>1さんを成仏させるにはどうしたらいいのかのう…
引っ込みがつかなくなったんだろうけど
とりあえず長篠も関ヶ原も大阪の陣も100万人死んだことにすればいいのか
0160人間七七四年
2008/06/10(火) 00:14:21ID:fCeeys5nお前こそ増えてる証拠だせ!
>>158 お前も自分の言っていることわかっているのか
人口が停滞するとなぜ戦乱がおこるんだよ!
飢饉などで人口が崩落でもしない限り戦乱はおきないよ!
だいたい戦乱で人口が増えるメカニズムを説明しろ!
>>144 お前も戦国時代に人口が2倍に増えただって!
じゃあ平和な時代(室町以前)はどれくらい増えたんだよ!
日本人は鼠算で人口がふえたのかよ!
0161人間七七四年
2008/06/10(火) 19:23:35ID:Ku5a9k9r普通に富国強兵じゃん、少しは自分の頭で考えたら?
0162人間七七四年
2008/06/10(火) 20:02:14ID:WDKrD3uG0163人間七七四年
2008/06/10(火) 20:37:35ID:xo3uv7MJ0164人間七七四年
2008/06/10(火) 20:48:18ID:y7UBlu3i別に戦争で人口が増えるという事を言っているのではありませんよっ・・・と。
0165人間七七四年
2008/06/11(水) 00:14:53ID:dlgMmwGS戦争しながら国を富ますなんてことは一部の有力
大名くらいだ!
0167人間七七四年
2008/06/11(水) 01:04:25ID:Qx0ed3bY0168人間七七四年
2008/06/11(水) 01:05:25ID:dlgMmwGSこそお前がだせよ!
話はそれからだ!
おれは一般論(もし戦国時代に富国強兵策をとれるとしたら
一部の有力大名くらいだろう!)からいっているだけだ!
0169人間七七四年
2008/06/11(水) 01:09:06ID:Qx0ed3bY0171人間七七四年
2008/06/11(水) 05:23:55ID:WIvDNUNN俺も戦国期に石高が増えるってのはイメージしずらいがな。
検地でいままで把握できなかった分の田畑を把握できるように
なっただけじゃないの?戦国以前は荘園やら国衙領やらいろいろあるし。
荘園なんて何重もの支配構造だから余計に把握しにくかったろう。
0172人間七七四年
2008/06/11(水) 11:34:10ID:jIEgFo+a0173人間七七四年
2008/06/11(水) 20:02:22ID:Jce/Rtic富国強兵のソース:孫子兵法
0174人間七七四年
2008/06/11(水) 21:41:43ID:Jce/Rticなんてのは中世はおろか、洋の東西問わずに古代からやってる初歩的な国家戦略
自称一般論君は頭悪いの?
0175人間七七四年
2008/06/12(木) 01:59:08ID:LoY91sxiおまえ真正か?
0176人間七七四年
2008/06/12(木) 03:00:30ID:wUO763UJお前は何か勘違いしてないか?
国に経済力をつけて軍事力を増強しようってのが富国強兵だぞ。
0177人間七七四年
2008/06/12(木) 05:56:59ID:AizwhZrF富国強兵は結果じゃなくて過程
富国強兵をしようとしない君子の方が稀
本気で頭悪かったのか
0178人間七七四年
2008/06/12(木) 22:48:03ID:rxalVddd上で164も言っているけど、国を富まして儲けた金で
軍事力を上げるという政策であり、他国を侵略して領土
(経済力)と領民(軍事力)の両方を一度に手に入れよう
とするのとは違うわけさ。
戦国大名で富国強兵を行っていたのは、上杉謙信と織田信長
くらいだろう!
それよりも応仁の乱前の人口のソースをだせ!
0179人間七七四年
2008/06/13(金) 00:06:38ID:We27wg0Rゲームみたいに頑張って二、三年内政すれば収入が何倍になるとか有り得んのです。
死んだ爺さんも言ってたが、戦争というは具体的に食えないとか、そのコミュニティ内では解決不可能な閉塞感が高まった結果として起きるんであって、本当に豊かだったらなかなか起きないんだよ。
金持ち喧嘩せずって言うだろ(笑)富国強兵というのはスローガンであって、現実は違うもの。特に戦国時代なんかは、より豊かになるために戦争をする必要があったんだと思う。
もちろん口減らしの意味もある。敵だけじゃなく味方も死ぬからね。残酷な話だけど。
爺さんが言ってたよ。「戦争なんて無いほうがいい。痛いし苦しいし、死にたくないし。でもな、内緒の話だけどあんな生きてる実感を得られるもんもないんだ。食えない奴らのお祭りみたいなもんだよ。今の日本人だってしれっとすましてるけど食えなくなりゃ必ずやる」
0180人間七七四年
2008/06/13(金) 00:37:10ID:H4/mFwXd0181人間七七四年
2008/06/13(金) 01:39:51ID:We27wg0Rただ、そんな簡単なもんじゃないよ。とは思うけどね。
一つの土地にもいろんな権益が絡んでて、君主と言えど簡単にはいじるわけにいかないんだよ。中央集権的に、はい、今年はこれこれの施策で政府がいくら儲けますってことに簡単にならない。
余計に儲ければ儲けたでたかる奴らが出てくるのが世の中でね。
一応改革者として通ってる信長だってそんなしがらみの整理にえらい苦労してる。
そりゃ信玄だってせっせと金山掘りますよ(笑)あんな開墾の難しい盆地帯の土豪連合国の殿様じゃ、一山当てて儲けるか、せいぜい河川工事で収入安定を図るとかしかないもん。それでも殿様本人の懐(事実上の政府歳入)に入るのなんてたかが知れとる。
そしたらもう戦争しかないわけ。でもまた領土増やせば増やしたで、それにくっついてる既得権層は安堵安堵。そのまま保証しなけりゃ治まりませんて話。つまりどこまでも自転車操業。とても富国強兵なんて立派なもんじゃありませんわな。
前に他レスでやってたけど、福島正則の広島五十万石。でも直轄地は五万石だったって話(笑)そこから五公五民だとしたら…(汗)支配関係がかなり整理された江戸時代だってそんなもんなんです。
0182うどん
2008/06/13(金) 10:23:57ID:hZZ7eskY生産高が飛躍的に向上して 支配階級や非支配階級ともに
豊かになったと聞いている。
その結果、長期戦や大規模動員が可能になった。
だいたい、余剰生産力がなければ 戦争なんかできないよなぁ。
0183人間七七四年
2008/06/13(金) 13:05:09ID:hPGqkUtO豊かな時代(富裕層)はセックス以外に楽しいことがいっぱいあるから子供が増えにくくなる。
それだけの話さ。
0184人間七七四年
2008/06/14(土) 09:31:58ID:zhgWNDeM0185人間七七四年
2008/06/14(土) 10:58:24ID:wFVTJN8l夫婦も多そうだ。
女性の育児休暇の制度も会社によって様々みたいだしね。
何かスレ違いだなスマソ。
0186人間七七四年
2008/06/14(土) 18:49:47ID:/Q/beV5C一万も死んだらもう国内の支持がもたない。国人衆が勝者側に寝返り出して大名家は終わり。
武田や朝倉ほどの名門でも村八分にされたらあっと言う間だった。
戦国時代の戦争って、もちろん戦争だから殺し合いなんだけど、地域対抗の祝祭的な側面がある。
大名は祭祀王であり、良い祭(勝ち戦)を演出できる者は信玄のように神格化されるほどだが、いくらその血を引いていても勝頼ように大事な祭に失敗するとあっという間に惨めな最期を迎えることになる。
0187人間七七四年
2008/06/14(土) 19:17:23ID:idcJja/u0188人間七七四年
2008/06/18(水) 16:14:39ID:egM0SjJ70189人間七七四年
2008/06/18(水) 17:36:42ID:ZXez6TPXスペイン風邪での病没者数>>>ww1での戦死者数
0190人間七七四年
2008/06/18(水) 20:55:01ID:egM0SjJ70191人間七七四年
2008/06/18(水) 21:23:22ID:0116Axf50192人間七七四年
2008/06/18(水) 21:26:09ID:ZXez6TPX何で戦役という期間内での市民含めた全体の死者数出すわけ
スペイン風邪の例見ても解るように、戦死者数より篦棒多くなるのなんか小学生でも解るだろ
戦争より社会的混乱の方が人って死ぬんだよ
戦死っていう限定条件すら理解出来ないの?
まで書かなきゃ理解出来ませんか
0193人間七七四年
2008/06/18(水) 23:44:23ID:DArLXzTz応仁の乱(1467年)前の人口及び天下統一(1590年)
後の人口!
0194人間七七四年
2008/06/18(水) 23:45:32ID:DArLXzTz応仁の乱(1467年)前の人口及び天下統一(1590年)
後の人口!
0195人間七七四年
2008/06/18(水) 23:47:20ID:DArLXzTz応仁の乱(1467年)前の人口及び天下統一(1590年)
後の人口!
0196人間七七四年
2008/06/18(水) 23:48:06ID:DArLXzTz応仁の乱(1467年)前の人口及び天下統一(1590年)
後の人口!
0197人間七七四年
2008/06/18(水) 23:49:00ID:DArLXzTz応仁の乱(1467年)前の人口及び天下統一(1590年)
後の人口!
0198人間七七四年
2008/06/18(水) 23:49:26ID:DArLXzTz応仁の乱(1467年)前の人口及び天下統一(1590年)
後の人口!
0199人間七七四年
2008/06/19(木) 01:27:27ID:v3ts01gM0200人間七七四年
2008/06/19(木) 02:35:58ID:sDFuy5MJ千人を動員するって大変なことなんだぞ。
なのに毎回千人死んでいたって・・・。
両軍合わせてだとしても酷い仮定。
0201人間七七四年
2008/06/19(木) 08:56:51ID:XfP/8aL60202人間七七四年
2008/06/19(木) 09:07:44ID:uR1cPZMY0203人間七七四年
2008/06/19(木) 09:27:34ID:v3ts01gM0204人間七七四年
2008/06/19(木) 09:29:02ID:uR1cPZMY0205人間七七四年
2008/06/19(木) 10:47:07ID:YyrSz3ek「島津忠長・山田有信・上井覚兼らと寄せ集め連中込みの島津軍 vs 高橋紹運軍」の
岩屋城攻防戦だが、これだと30000以上と763あたりが力攻めの消耗戦やってるね。
秀吉軍が九州上陸するまえに決着するためだったけど……
2週間くらいで決着付き、島津軍が勝ったんだが、凄まじいまでの死者が出たらしいね…
高橋軍は誰一人降伏することなく戦死or自刃。島津軍は3000以上の死者、負傷者も確か1500
近く……高橋軍は全滅だから、両軍あわすと5000〜6000の死傷者が出てるんだよね……
しかも2週間声が戦の掛け声が響きっぱなし……(((( ;゚Д゚)))) 俺絶対漏らしてる……
この戦い終わった後の島津軍……大変だったろうな……
0206(´ω`)
2008/06/19(木) 18:21:22ID:5JGUASH1名前出してるなら、近世突入以前の人口データも知ってるはずだろう?
初めに出しておけば、荒らしも出なかったのに。
吉田推計=明治四十年の米収量5000石と人口5000万、
天保期の全国石高3000石と人口3000万が見合っていることから、
日本人は一年に一石消費すると予想。文禄検地での全国石高
約1800万から、近世突入前後の人口は約1800万人と予想。
そのあと速水融が吉田推計は多すぎるとして、1622年の小倉藩の人畜改帳から
人口石高比を導き出し、一石あたり0.28〜0.44人養えるとして、また文禄検地から
ある程度時間を経ていることから慶長文禄の全国石高約1800を
二割増しした数字から518万〜814万という人口を予想。
しかしこの速水の数字が正しいとすると、1721年までに毎年1%という近代並の
年平均人口増加率が百数十年続くことになってしまい(1721年の人口は幕府の
調査から2605万という精度の高い数字がある)、これは全くありえないので、
鬼頭は年平均人口増加率から勘案して豊臣期の人口は1500万前後が
モデレートな値であるとした。速水の別のデータに因れば1200万という
数字もあるが、これでも年平均人口増加率が0.78%という高水準になって
しまうので、ここは鬼頭の数字がやはり適度であると思われる。
豊臣期以前の中世の人口は因るべき適切なデータがないので、
まず平安時代のデータを示すと、彌永貞三が「拾芥抄」に記載された
田積に基づいて、1150年頃は684万とした。「拾芥抄」は鎌倉末期の
事典だが、彌永はせいぜい平安末期の惣検と考察していて、
それ以前の「倭名鈔」から導き出した数字からも妥当な値であると見ていい。
0207(´ω`)
2008/06/19(木) 18:23:24ID:5JGUASH1人口が増加したことになる。つまり800万/450で、一年あたり17777人
平均して増えていることになる。年平均人口増加率を見ると、
1150年では0.25%、1600年では0.12%付近となる。
無論450年の間毎年17777人増えるというのは単純すぎるので、
実際には平安時代に近い年代ではより増加数が少なく、
近世に近いほうでは増加人口が多くなる。
室町時代の二毛作の全国的普及や灌漑施設の発達を考えると、
1721年までの人口大増加の波は、室町時代には既に助走を始めていたようだ。
なお江戸時代の1721年以降は、それまでと違って著しく増加率が下がっていて、
明治時代に入るまで人口はほぼ横ばいとなっている(1864年には2684万)。
縄文時代から弥生時代の年平均人口増加率は0.2%、弥生から奈良時代は
0.4%となっていて、人口の増加の大きさは、平和戦争というのはそれほど
影響を与えない見て間違いない。これらのデータを参照した「人口から読む
日本の歴史」からは、人口規制要因は概ね社会的要因(社会制度や
世帯構造の変化、開発技術)と自然的要因(特に気候)から成ることが読み取れる。
んで中世の戦争でどれくらいの人が死んだかだが、年に平均で17777人
程度しか増加しない社会で(一国あたり平均で300人弱増えていることになる)、
一度のいくさで数千人規模で死んでいたら、社会が成り立たないのは言うまでもない。
仮に日本全国六十余州でいくさで一年に100人づつ死ぬとすると、
日本全国で6000人強余分に死んでいることになる。
1000人づつ死ぬと6万人で、これだと三年強人口が増えないのと同じことになる。
無論いくさはたいてい一国か二国で争われるから、いくさで何千人も死ぬと、
その国は数年から数十年分増加すべき人口を失っていることになる。
ちなみに人口の約半分は女。多分地球上ではどこでもいつでもそうだったはずだ。
0208人間七七四年
2008/06/19(木) 23:28:42ID:ColgZVYr0209人間七七四年
2008/06/20(金) 01:35:28ID:XG9R/Qhr0210人間七七四年
2008/06/20(金) 02:25:32ID:44UpEMkE>安土桃山時代(1600年頃)、約700万人
とんだ先のこの数字、どっからひっぱってきたんだろ?
労働人口はだいたい全人口の55-60%、そのうち85%を農民とすると357万人、
太閤検地での全国1800万石なので、実質一人あたり5石の生産力、
江戸時代では1反で平均収量2石だったので、
当時は女でも一人2反半(約25アール)の田んぼを耕してたことになりますね。
…これが本当なら、安土桃山時代の農村は「聖マッスル」の世界ですな……
0211人間七七四年
2008/06/20(金) 04:38:44ID:Daand6wx戦国時代は明応の政変から義昭追放までの室町期だけだから中世
安土桃山からが近世
近世突入前の人口データどこ?
0212人間七七四年
2008/06/20(金) 09:25:33ID:EN8DR5Wj少なくとも人口調査という点から言えば織田政権は中世に入れたほうがいい。
文禄検地は中世終了後すぐ行われてるんだから、中世の数字とほぼ同じだろ。
0213人間七七四年
2008/06/20(金) 09:34:46ID:XG9R/Qhr0214人間七七四年
2008/06/20(金) 20:45:22ID:Daand6wx0215人間七七四年
2008/06/21(土) 00:12:43ID:cSPZ9Z/D0216人間七七四年
2008/06/21(土) 00:19:50ID:qaHFK3TJ鈴木晋也もこの際、目を瞑ろう。
参考文献に花の慶次て・・・。
0217人間七七四年
2008/06/21(土) 00:20:11ID:cSPZ9Z/D0218人間七七四年
2008/06/21(土) 00:21:58ID:cSPZ9Z/D0219人間七七四年
2008/06/22(日) 12:58:12ID:kJBp7fvP0220人間七七四年
2008/06/22(日) 21:35:52ID:SNp3Hkthたった三年で人口が増えたって言える程増えるとでも思ってんの?
0221人間七七四年
2008/06/23(月) 00:46:02ID:tCoQ6BVa0222人間七七四年
2008/06/23(月) 19:43:24ID:tCoQ6BVa0223人間七七四年
2008/06/23(月) 22:55:26ID:/kh5Q/ey0224人間七七四年
2008/06/23(月) 23:19:21ID:/kh5Q/eyやっぱり、戦国時代は人口が減ったんだね!
0225人間七七四年
2008/06/24(火) 20:35:31ID:8j1gvnxZ0226人間七七四年
2008/06/25(水) 20:05:12ID:yw+Qj4AZ0227人間七七四年
2008/06/26(木) 12:47:45ID:hMCyMqFmこれ以上ちゃんとした意見が出てきそうになさげだから本筋に戻って他の話題でもいいよ。
0228人間七七四年
2008/06/26(木) 15:34:16ID:40Qzgh640229人間七七四年
2008/06/26(木) 22:24:02ID:CQsMFlI0http://live23.2ch.net/test/read.cgi/livenhk/1214390975/
0230人間七七四年
2008/06/27(金) 09:34:14ID:kdgQMBcZ0231人間七七四年
2008/06/28(土) 10:23:47ID:eEAB/YlE0232人間七七四年
2008/06/28(土) 11:31:05ID:3ONcxjVv本格的な野戦になった夏の陣なんか数で押し切った乱戦みたいな印象だよな。諸大名の先陣・軍功争いが起きてるし、指揮系統も秀忠・家康の間で二元化してうまく機能してない。
0233人間七七四年
2008/06/28(土) 17:28:43ID:L1qR8WyI中小規模の野戦を積み上げていった感じだな。
もっとも大坂方も同程度だけどね。
0234人間七七四年
2008/06/29(日) 02:37:23ID:+/7ZlCeL0235人間七七四年
2008/06/29(日) 13:08:59ID:TOg0K6gS戦功挙げればチャラどころか褒賞もあるわけだから、同士討ちでさえ起きてる。
ただ大坂は大名レベルではそれほどモチベーション高かったとは思えないんだよな。結局勝っても加増の望みが少ない戦いだから。死傷者どのくらいなんだろ?関ヶ原から16年も過ぎて合戦を知らない世代が主力になって、逆に死者数や乱暴狼藉は増えたのかもしれないね。
夏の陣で家康の本陣が真田隊に追いまくられた話もどこまでホントか知らないけど、もう一波乱狙う外様連中あたりは知ってて通過を黙認した可能性は大いにありうる話。
0236人間七七四年
2008/06/29(日) 23:29:42ID:Q30x/gt0データもあるけどまずは参考までに。
米年報「ワールド・ミリタリー・アンド・ソーシャル・エクスペンディチャーアズ」
によれば世界の推定戦死者数。(兵士数)
16世紀、167万6400人。
17世紀、476万7500人。
18世紀、581万4700人。
19世紀、356万80人。
20世紀、3030万7455人。
0237人間七七四年
2008/06/30(月) 00:11:23ID:/1Ek4CFEttp://www.unfpa.or.jp/p_graph.html
当時の人口から考えて多すぎると思うな。
0238人間七七四年
2008/06/30(月) 03:43:30ID:m3r41plk0239人間七七四年
2008/06/30(月) 03:47:49ID:4Uxj3jCn0240うどん
2008/06/30(月) 12:43:55ID:uw36tKHv戦場で(負け戦で)逃げてしまって 故郷に戻れない
人も沢山入っているんじゃないかな。
そういう人間が 都市に流入して 産業発達の動力に・・・・
(あるいは 傭兵に)
って 感じじゃないかな。
だから 実際の戦死者数より 多く書かれてるような気がする。
0241人間七七四年
2008/07/01(火) 10:09:30ID:F/GtEAXB0242人間七七四年
2008/07/01(火) 19:42:43ID:inj7EjY/プレヴュザの海戦
レパントの海戦
リヴォニア戦争
アルマダの海戦
0243人間七七四年
2008/07/02(水) 15:31:42ID:FdzT4eY5藤堂高虎が先陣で出陣した和泉で乱取りしたら、
家康本人から「そこは後で領地としてくばるんだから荒らしちゃダメ」と、釘差されてるよ。
庶民に向けての本格的な乱取りは、あんまり無かったんじゃないかなぁ。
0244人間七七四年
2008/07/07(月) 14:13:09ID:13svls6J0245人間七七四年
2008/07/07(月) 14:36:13ID:On9Q9ZxDいくらでもと言っても千人戦死を一万人と記述する事は有り得ないが
あくまで常識的な範囲内で多目に誇張したり、少なめに記述したりと
0246人間七七四年
2008/07/07(月) 19:28:22ID:VJLWsssR0247人間七七四年
2008/07/08(火) 01:54:34ID:9i9PVetuだいたいの正規軍同士の戦争はこの法則が当て嵌まる
0248人間七七四年
2008/07/12(土) 09:37:02ID:JdvYazgf0249人間七七四年
2008/07/12(土) 13:27:38ID:zW1ZqAIqお前は脳筋か?頭には戦しかないのかよ。合戦だけで激減する人口って・・・
その時期のヨーロッパはあれがあるだろうが。
0250人間七七四年
2008/07/12(土) 14:28:15ID:1dT7dDIm一般論で言うならWW以前の世界で人口が減るのは災害と疫病
減った事になるのが不安定な社会による国民の難民・流民化
どうしても軍事を絡めたいなら最低でも「銃・病原菌・鉄」くらいは読め
0252人間七七四年
2008/07/15(火) 00:36:42ID:R3ZgM2Kc0253人間七七四年
2008/07/15(火) 02:15:09ID:cAaiDgL10255人間七七四年
2008/07/17(木) 20:04:28ID:TBmW4Vqx大阪の陣は特別(他にこういった類はは一向一揆鎮圧と比叡山焼き討ちくらい)。
それは「大阪方皆殺し指令」があったから。大阪方落武者狩指令が出ているから
(首を取るために)民間人も殺害ということになる(また大阪方の落武者匿ったのを
摘発するためもある)。
戦国の世でもこういうケースはめったにない(乱取りはあっても首取りのための
虐殺)。 普通なら武将以外の落武者狩を勝者が徹底的にやることはない
(やるのは農民)
0256人間七七四年
2008/07/17(木) 21:56:52ID:kuph5HXy0257人間七七四年
2008/07/17(木) 22:58:01ID:mHOZGmNA浪人と結び付いた時点で融和の道は閉ざされた。
それから戦国の記憶が薄れて来た時代でもあるからね。喧嘩を知らない若い奴らが大勢入って実戦になったらどうなるか?ってことだわな。
最近長篠の調べたら、散々やられた武田側の死者が一万を超えたというのは大袈裟で、武田で千人ほど、織田徳川側で数百人って推計もあるらしい。昔の人は喧嘩のやり方を知ってたのさね(笑)
0258人間七七四年
2008/07/18(金) 02:12:17ID:A3iNn5yi7年間も三方を敵にまわして転戦できなかっただろうしなあ。
姉川合戦も死傷者が多いけど浅井・朝倉はまだ余力あったしねえ。
0259人間七七四年
2008/07/18(金) 02:22:00ID:90rqsrOD0260人間七七四年
2008/07/18(金) 21:01:05ID:bjJ4ZJz4(大将の首目的、占領目的あるいは撤退させるのが目的の戦や合戦と比べて)
皆殺し作戦だと敵も味方も民間人も戦死者は大激増する(相手がほとんど無防備の
民間人なら一方的に近いがそれでも多少はやられるだろう)。
0261人間七七四年
2008/07/18(金) 21:16:25ID:YuDNMQIE0262人間七七四年
2008/07/18(金) 21:19:42ID:bjJ4ZJz4死体の数(穴掘って埋めるときの記憶など)の伝聞でないの?
0263人間七七四年
2008/07/19(土) 01:24:19ID:lEt64O4H武田については長篠以降すぐに動員を掛けたりしてそれなりの軍勢集めた記録があるんだよ。
一万を超える戦死者が出たら当然同程度以上の戦傷者が出ているわけで、穴山をはじめ一門衆がいち早く戦線離脱している武田側では残り全軍が死傷してもそんな数字にならないし。そもそもそんな事態は現実的ではないとのこと。
やはり、戦国時代の戦死者数というのはそういう状況証拠から類推するしかないよね。
0264人間七七四年
2008/07/31(木) 14:05:53ID:42AnXubK0265人間七七四年
2008/08/24(日) 09:31:46ID:+KMI6ERn大きな穴に入れて埋めたもの。それがあのへんにはたくさんある。
0266人間七七四年
2008/08/26(火) 21:58:24ID:StkKCuZv0267人間七七四年
2008/08/27(水) 00:32:56ID:l8M1ZLKp0268人間七七四年
2008/10/23(木) 12:20:37ID:AzsDmM6R0269人間七七四年
2008/11/21(金) 23:30:18ID:F1BCfHVX0270人間七七四年
2008/11/23(日) 00:20:11ID:tjSjorRz誰が数えるんだ?
0271人間七七四年
2009/01/01(木) 17:10:08ID:88SZlrEQ重傷者のその後って大変だろうな
どうにか無事に故郷に帰れても片足片腕の大傷じゃ働けなかっただろうし…
0272人間七七四年
2009/01/01(木) 17:18:33ID:O47v0Uf10273人間七七四年
2009/01/29(木) 01:30:39ID:60BBuoqO0274人間七七四年
2009/01/29(木) 10:43:42ID:eT1zgVDY■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています