毛利輝元が大阪城に立て篭もった!!
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0518人間七七四年
2011/01/29(土) 13:07:29ID:g1voT+Xbこのうち淡路水軍と塩飽水軍はほぼ豊臣水軍に組み込まれているのでスレの流れからして大阪城が
落ちていない状況下で東軍に寝返りはちょっと考え難い。
三島村上水軍のうち能島と因島は村上武吉直属のようなものでこれが寝返るようなら毛利は終わってる。
来島村上は朝鮮戦役でかなりの船を無くしており再建途上。
毛利水軍は毛利本家直属でこれが寝返るようならこれまた毛利は終わってる。
伊勢、志摩、紀伊の水軍を合わせて仮に1将の元にまとめえたとしても、毛利水軍単体にすら規模で劣り
地の利もなく加えて豊臣水軍も敵側にあり大阪湾周辺にすら根拠地を取れない状況で瀬戸内海を
西進は正直無茶だと思う。
もともと東軍は各大名の自前補給と清洲城の備蓄で関が原までならなんとか補ってきた。
なぜ自前補給になったかというと徳川家には隣国出兵の経験しかなくいわゆる遠征の補給を差配できる将も
組織もなかったから。
しかし改めて山陽道を西進となると各大名の自前補給というわけにはいかない。
石田、増田、小西、長束といった大規模補給計画に慣れた将のうち関が原後に生きていた増田がもし寝返った
からといって補給の差配などを任せられるものではない。
戦後を考えても徳川家が差配するしかない。
とは言え、東軍諸大名の軍勢の進撃そのものはできると思うよ。
ただその軍勢が主だった攻撃目標を備前岡山、安芸三原、安芸広島とした遠征途上で消費し続ける兵糧・
消耗品の補給の維持に関してとても大きな疑問があるだけ。
現地調達には限度があるし、天下を静謐にすべく動いている前提の東軍(西軍もだが)の趣旨からして
大規模で組織立った現地調達はは出来ないでしょ。
となると後方から運ぶしかないわけだけどそうなれば515で書いたような状況になるわけで、しかし当時は
他に移送手段がない。
つまり進撃の全てが順調に推移した場合を除き、途上に連なっている宇喜多毛利のどこかの城で進撃が
一度でも停滞した場合にどうしようもなくなる。
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