秀吉と家康はどちらが悪者か? その3
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0001人間七七四年
2008/04/19(土) 18:02:41ID:2pp9M0YGhttp://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1155014854/
秀吉と家康はどちらが悪者か? その2
http://hobby11.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1171970930/
0002人間七七四年
2008/04/19(土) 18:08:34ID:fRZyHH/w0003人間七七四年
2008/04/19(土) 18:10:52ID:8i8Cg6p+秀吉はただ残虐なだけ
0004人間七七四年
2008/04/19(土) 18:18:04ID:smEkZ2rz>切腹は免れないでしょ。
なるほど、田沼意次の息子田沼意知は武力を用いて城内で暗殺されてますが
佐野政言はクーデターをたくらんでたと こういうわけですね
0006人間七七四年
2008/04/19(土) 18:40:53ID:4GcNlxi+0007人間七七四年
2008/04/19(土) 18:42:24ID:OOrYdjlt0008人間七七四年
2008/04/19(土) 18:42:55ID:e1koSTu6失敗だから引くようにとは面子が邪魔していえんかったのかな?
その割には秀頼についてはやたら御執心だったようだけど
0009人間七七四年
2008/04/19(土) 18:46:56ID:OOrYdjlt綱吉のように遺言で「絶対に朝鮮から撤退するな」というような事を言わなかっただけマシだよね。
0010人間七七四年
2008/04/20(日) 03:41:11ID:JkNRXxNY0011人間七七四年
2008/04/21(月) 15:55:17ID:2tzoTTK5結論から
ひでよしもいえやすも主君の天下を簒奪したと言える
信長は義昭から天下の儀について委託を受けた
これは将軍に属する天下静謐の権限の委譲と考えられる
これが血縁により継承されると見るならば、秀信にも継承されたと考えられる
秀吉もこの天下静謐の権限は獲得している
というか、従一位太政大臣関白という地位で天皇を意志のままに操る事が出来るから、事実上獲得したという事になる
北条を天下の逆徒と呼んでいたことからも、天下静謐の権限を保持している
秀信の天下静謐の儀が血によって継承されるとみたから、秀頼もこの権限を継承したと考えられる
以上から、秀吉も家康も主君から天下静謐の権限を奪取したとなる
天下=天下静謐の権限と捉えるならば、両者ともに主君から簒奪したという事になる
0012人間七七四年
2008/04/21(月) 20:11:27ID:IpieurzE三職推任があったけど
0013人間七七四年
2008/04/21(月) 20:33:06ID:2tzoTTK5織田信長は右大臣は辞して、おそらく散位で正二位
ここは公卿補任で確認するの忘れたが
天下静謐の権限は、従一位関白太政大臣の秀吉でも別の権限として認識されている
唯一将軍職だけが、その権限として保有している(勿論天皇は除く)
だから殆ど実力を失った義昭から、「天下の儀、信長に任せ置かる」ことができたということになる
0014人間七七四年
2008/04/21(月) 23:29:03ID:IpieurzE0015人間七七四年
2008/04/22(火) 01:07:21ID:4l7vsfFjそのように推測は出来るが、それを示唆する史料が見つけられなかった
朝廷から毛利に対して太刀を与えたとか、毛利が諸大名にむけて、俺は幕府から天下を任されたという文書があれば考慮の余地があるんだが
武田討伐が終わった段階で、北条と織田が交渉を持った
このしばらく後、氏政は願文で上様の采配で上野が北条のものになりますようにといってる(詳細は違ったかも)
大名権力である北条が、その上位の存在として上様と呼称している存在、即ち公儀が存在したという事になる
言うまでも無く上様とは信長の事で、つまり天下を取り仕切る権限を信長が保持していたということ
ちなみに家康も信長をして上様と呼んでいる
だから、義昭追放後も信長がこの権限を保持していたとみるべき
0016人間七七四年
2008/04/22(火) 01:25:51ID:nnrCmLrZだから、主家に対してそう言っているというだけで、天下云々は関係ない。
つーか、天下静謐の権限って何だよw
「争いごとが無いように、日本全国に号令できる立場」なら分かるが。
信長の「誠に天下のために大慶〜」みたいなのは周囲に対するアピールで
秀吉の「惣無事」令のような実質的な権力とは違う。
0017人間七七四年
2008/04/22(火) 15:16:57ID:4l7vsfFj領土確定の権限をもつのも、将軍なんだ
その将軍が領土分けの権限の源泉としていたのが天下静謐執行の権限
つまり、朝廷の敵を討ち、治安を維持し、年貢を徴収する権限であり、天下を手中にしていることの証
北条が織田の裁定に従うというのは、信長にその権限が存在すると言うのを認めたということ
そもそも北条規模の大名が上様と呼ぶ存在をただ「主家」とだけ表現する事に違和感覚えなかったのか?
そこに主従関係が存在しているということは、大名よりも上位の存在として織田が存在していたという事
将軍のほかに大名から、それも北条クラスのものから上様と呼ばれる存在がいたのか?
秀吉の惣無事もこの権限に根ざすものなんだよ
ところで実質的な権力って何?
例えを用いずに説明して
0018人間七七四年
2008/04/24(木) 13:42:09ID:RdbPNvb00019人間七七四年
2008/04/24(木) 20:17:10ID:bvBMai0b0020人間七七四年
2008/04/24(木) 21:56:05ID:chr4YTPr0021人間七七四年
2008/05/07(水) 01:12:07ID:iJdgAYbN善と悪なんてあるわきゃねー、あるのは利益の対立だけ。
0022人間七七四年
2008/05/10(土) 13:59:41ID:0iXM8Pbjただ戦国時代と現代の悪事の感覚は、全然違うから、
「悪者」という意味では皆分からないんじゃないかなあ?
0023人間七七四年
2008/06/15(日) 01:09:49ID:unRNilBr誰だって手にしようと思う。
自分の生命や財産が脅かされれば「善悪」もへったくれもない。
当然戦国時代にだって善も悪もあるわな。
ただ、そんなものより優先される物があるだけの話だ。
善悪より優先される物が多いのは戦国時代より寧ろ現代だろ。
0024人間七七四年
2008/08/14(木) 23:04:34ID:p+wsRkPd0026人間七七四年
2009/03/29(日) 10:45:29ID:w28qt1EO0027人間七七四年
2009/03/31(火) 19:44:55ID:Ha5EAnju0028人間七七四年
2009/03/31(火) 21:14:53ID:K9zeznMI0029人間七七四年
2009/04/03(金) 10:24:16ID:6vX0kb7I。|. | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|
| |。 |゚ y | 鳴 | ───────┐
゚| | |io i| | か | | | | | | | | 朝|
。| ゚i| 。i|,,ノ |i. | ぬ | | | | | | | | 日|
.i|゚ .||゚ /ii 。 ゚|i_/゚' | .鳴 .な| | | | | | | | 伝|
`ヽoー|i;|y-ノ | .い. .ら | | | | | | | | 聞|
,;:i´i;ノ | た |________|
('';ii'' | と. || |.|
ノii;;| ,,. | ホ 書. .|| / ̄ ̄ ヽ, |.|
ii\ ∧_∧ii;+ :::iii|| . | .ト こ || / ', |.|
iiiイ+(-@∀@)() i;::|| . | .ト う. |..| {0} /¨`ヽ {0}, !.!
;;:iiii+ii(つ□ つ┃+:: || . | ギ |..|.l ヽ._.ノ ', |.|
iiiイ+ ,,と_)__)、 旦~ . | ス |リ `ー'′ ',|.|
⊂ニニニニニ⊃| ̄ ̄| . |_____|..| |.|
0030まさお
2009/04/04(土) 17:11:01ID:EH4UgAuO戦死者13万〜14万(中国語、英語Wiki)
実の息子かわいさに養子を殺し、しかもその妻妾子供(普通は幼い女の子位は
助けるもんだ)皆殺し。
淀城 名護屋城 伏見城 石垣山城 方広寺大仏 朝鮮半島に作らせた13個
所の御座城・・・趣味としか思えない大土木工事。
上記の政策を支えるのに必要な重税(いわゆる2公1民)・・・。
・・・暴君だもんな。
0031人間七七四年
2009/06/19(金) 13:37:21ID:AX5j0HmQ家康は悪くない。
0032仙台藩百姓
2009/06/19(金) 15:20:17ID:y4onw+Pr0033人間七七四年
2009/06/19(金) 16:07:03ID:MuMpF5S/0034人間七七四年
2009/06/27(土) 13:14:46ID:MZ0zhMvD家康ならいちゃもん付けて潰してた。
0035nomu
2009/06/27(土) 16:06:35ID:OAj/7G8u信長が残虐になったのって岐阜で天下布武
を宣言してからなんだよね!
すなわち天下布武のために自分は冷酷なることを
宣言したようなものだ!
でも関白就任ぐらいからの秀吉って典型的なエゴイスト
であり偽善者にしか見えない!
0036人間七七四年
2009/07/03(金) 15:46:26ID:ptUSdRrr家康の場合、足軽や徒歩に恩賞をやるのが惜しいので、褒美代わりに好きにやらせたただのケチ。
0037人間七七四年
2009/09/06(日) 21:23:18ID:7iOrukzL豊臣恩顧の武将をいいように使っておいて、用が済めばポイだがね。
それに気付かぬ福島らは糞タワケ!
0038人間七七四年
2009/09/06(日) 21:27:59ID:yFOFkNiH秀忠や家光の所業を全て家康の責任にすることにも無理がある
0039人間七七四年
2009/09/06(日) 21:36:32ID:7iOrukzL家康あっての秀忠や家光だがね。筋書きはできとりゃーすよ。
0040人間七七四年
2009/09/07(月) 03:55:18ID:mDL/TvZ20041人間七七四年
2009/09/07(月) 12:56:48ID:xaGI9+loヘタクソすぎ
0042人間七七四年
2009/09/07(月) 19:50:51ID:sGiZj6cY悪さの及ぶ範囲が狭い(忙しいし下っ端見ない)
秀吉はやる事なくなると上から下まで疑心暗鬼の害を及ぼしてしまう
小人閑居してなんとやら
秀吉にはどんどん仕事させないと駄目
0044奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM
2009/09/08(火) 07:51:00ID:DnXGnFcR0045人間七七四年
2009/09/16(水) 11:47:30ID:Cr+zteKJでも、朝鮮出兵や後継ぎの件など、秀吉の晩年の所業に関しては、当時の感覚からしても悪だったのではないかと思う。
NHKの天地人では家康が悪人のように描かれているが、上杉方から見れば仕方ないか。
0046仙台藩百姓
2009/09/16(水) 12:55:44ID:E6nfFCuQ0047人間七七四年
2009/09/16(水) 15:46:41ID:cHpVSAiR0048人間七七四年
2009/09/18(金) 19:50:54ID:eVDZmmcE全くもって口だけ番長ですなw
まぁ言うだけタダだし
0049人間七七四年
2009/10/01(木) 03:02:33ID:d5/m98tI・遺命に背き勝手に大阪城に入城
・北政所を西の丸から追い出して豊臣の金で自分用の天守閣を造った
(泥棒行為、乗っ取り宣言)
・制度を無視し勝手に蜂須賀、福島、伊達らと婚儀を結ぶ
・またも制度を無視し、堀尾、森、田丸、宗らを勝手に加増、転封
・家康暗殺計画をでっち上げ、前田、浅野、大野、土方らを処分
・合戦の途中に小早川を寝返らせる
・吉川、輝元を騙して毛利本家大減封
・豊臣家の財産である蔵入地を勝手に恩賞として諸大名に与えた
(泥棒行為、露骨な人気取り)
・清正、長政、幸長、輝政、堀尾を毒殺疑惑
・加藤、福島を難癖つけて改易、大減封
・難癖つけて主家に対して大乱を起こす
・和議で騙して大阪城を丸裸にする
・大阪で一般人を巻き込み虐殺
・主家を滅亡させる
・豊臣を倒した後、秀吉を祀った豊国神社から豊国大明神の神号を奪い領地を没収
(死んだ太閤をとことん冒涜)
・朝廷の勅命を無視
・朝廷の政治関与、影響力を徹底的に排除
・天皇の廃立を行う(後陽成天皇→後水尾天皇)
・秀忠の五女・和子を入内させることで朝廷を支配しようとする
・無実の罪で大久保長安の墓を掘り起こし、斬首、晒し首
(日本史上、墓を掘り起こすなどという暴挙を行ったのは家康が最初で最後)
・この事件により長安の七人の男児や腹心らは皆殺し
0051人間七七四年
2009/10/03(土) 11:27:05ID:BOYe8oR5歴史上最低なクズだな 家康は
0052人間七七四年
2009/10/03(土) 13:07:39ID:FmCzC9jh「極悪ダァ〜」
0053人間七七四年
2009/10/04(日) 16:02:14ID:oefR0NXa0054人間七七四年
2009/10/05(月) 21:10:51ID:HlU9Vu01力で負けるから従っただけの豊臣に対して
主家って言われると違和感がある。
0055人間七七四年
2009/10/05(月) 21:46:07ID:kJGOadpN嘘とか騙し裏切りに満ち溢れているからね
ただ豊臣恩顧の臣が寝返っちゃったのも秀吉の悪行が影響しているとは思う
0056仙台藩百姓
2009/10/05(月) 23:09:43ID:qdGtzxX0従う気がなかったと言うなら小牧長久手の後、どちらか滅びるまでやりあえばよかったのだお( ^ω^)
0057人間七七四年
2009/10/05(月) 23:18:44ID:/OVum6GF他の大名家の取り潰しと子作りだけだぜ
子供つくりまくって一族に知行与えて天下収めたわけ
サル山のボスみたいだよな
自分の遺伝子ばらまいて
一族で収めてしまえば反乱は起きないと考えたんだろうよ
賢いといえば賢いんだろうけど
なんの近代性もない天下の収め方、
本人はやりまくって気持ちよかったんじゃないのか
日本を独り占めしてよ
くだらねぇ天下だと思うけど、朝鮮に撃って出た秀吉の方が軍国主義だけど
子作り天下よりマシだと思うなぁ
0058人間七七四年
2009/10/06(火) 00:49:26ID:qZ6ni3Rnでも家康はべつに秀吉の家臣になったわけじゃないからな
建前上、下の地位に就いただけ
全然違うね
0059人間七七四年
2009/10/06(火) 00:58:27ID:y5SKyhYL0061人間七七四年
2009/10/06(火) 07:29:22ID:QHvl1nIE一回約束したんだから自分が死んだ後も
子孫代々無条件に仕えてくれってのは甘くないか。
家臣にしたんなら、反乱できない体制とかも一緒に作らなきゃダメだろ
0062人間七七四年
2009/10/06(火) 07:56:01ID:qjt1jPP8あの時代の主従関係なめてんの?
0063人間七七四年
2009/10/06(火) 09:18:56ID:D+bTJaHiだから裏切りもやむなしといえる十分な理由があるかどうかだろ
0064人間七七四年
2009/10/06(火) 11:22:41ID:31GqpGxe家康もジリジリなぶり殺しにすれば簡単に潰せた筈
0065人間七七四年
2009/10/06(火) 13:07:18ID:ftfWZ4hX信長なら最後に徳川を滅ぼすか、家康を殺して三河一国安堵する。
・・・太閤立志伝に毒された俺。
0066人間七七四年
2009/10/06(火) 14:40:15ID:1XnUk11B家康はチョンコロ討伐を引き継がずに馴れ合った。
拉致被害者や満州引揚時に略奪殺傷された人たち、パチンコで破産者は
家康に人生踏みにじられたも同然。
家康は日本は秀頼にまかせて
関ヶ原なんぞに目もくれずチョンコロシナ人と戦い共倒れすれば
拉致やら竹島・尖閣諸島問題もなかった。
0068人間七七四年
2009/10/06(火) 18:43:34ID:TARR0K0v0069人間七七四年
2009/10/06(火) 23:57:45ID:Fr07iknMまるで子供の考えだ
0070人間七七四年
2009/10/07(水) 00:32:30ID:qbM8HIsR権力だけで他の大名の娘とかやらを妾(側室)にし
趣味悪すぎな金の茶室を立てたりして、結局は信長様の姪っ子にしか子供(秀頼)を生ませられなかった
(それさえ自分のコか怪しい)
主君信長様の美しい妹に横恋慕しつつ『猿のくせに』とアッサリ振られる
主君信長様を裏切ったのは光秀でなく
本当は秀吉とさえ噂にあるほど
たかが農民の出のくせに成り上がりな
エテ公の豊臣秀吉の方が悪いだろ。どう考えても
家康はもともと武家のコ
家柄が違う
豊臣秀吉はいかにも関西人のいやらしさが出ている人生だから大嫌い
0071人間七七四年
2009/10/07(水) 00:42:56ID:qbM8HIsR私は逆の意見
秀吉がチョンやコロを刺激して朝鮮出兵なんかするから
いまだに中国、半島人は日本に敵意をもつ あいつらは根に持つし残虐だから
豊臣秀吉の侵略ゆるすまじが先祖からのDNAの根本に
あって拉致だの食品テロだのおこしやがる
豊臣秀吉が侵略などせず、徳川家康の様に腹にはなくても
にわかに友好関係を結んでいたら
あいつらはバカだからアッサリ日本万歳で今ごろは中国も半島も日本だったかもしれない。
浅はかなんだよ
豊臣秀吉は
0072人間七七四年
2009/10/07(水) 01:07:23ID:ULTgtCan秀吉がジリジリ他大名取り潰したことは殆どねーもん
家康は反乱の目のある奴は全部潰したよな
忠吉まで潰しおった
家康と秀吉の人望は全然違うだろう
秀吉が生きてる間は家康は絶対勝てなかったと思う
0073人間七七四年
2009/10/07(水) 01:15:43ID:NHrmd6a2> 秀吉がジリジリ他大名取り潰したことは殆どねーもん
> 家康は反乱の目のある奴は全部潰したよな
> 忠吉まで潰しおった
そういうことしないとまた戦国時代になるがな
0074人間七七四年
2009/10/07(水) 01:20:58ID:ULTgtCanでも秀吉が方向時の鐘の事件みたいに
ジリジリ難癖つけて大名潰すとからしくないんだわ
あの人人間が好きな人だから、陰険なことは全然似合わない
0075人間七七四年
2009/10/07(水) 01:34:32ID:yyIzm8Vg0076人間七七四年
2009/10/07(水) 02:41:59ID:n7V7X2HG0077人間七七四年
2009/10/07(水) 02:58:05ID:LvS71B8q腋臭甘かったし、優しさもなかった。
0078人間七七四年
2009/10/07(水) 03:25:40ID:pxoPHsw9豊臣なんかに政権任せると
対外戦争に明け暮れる日本の17世紀になっちまうの丸わかり
きっと在韓日本人として差別される日本人を多数輩出する結果に陥るだろう
家康はもっと評価されるべきだ
0080人間七七四年
2009/10/07(水) 04:37:22ID:n7V7X2HGというか、やっていなければ武士が大量失業して内乱の嵐経由で
戦国時代へ逆戻りすることに。
武士自体が“戦争なんかもういやだ”と思って官僚化しない限り、
現実の江戸時代のような無戦争時代(島原の乱とかを除く)なんか望めない。
0081人間七七四年
2009/10/07(水) 05:36:44ID:rg+uKQSL関ヶ原での中央突破の大脱走見てビビッてしまい、戦後島津に手出しできなかった腑抜けだからな
0082人間七七四年
2009/10/07(水) 05:45:57ID:4e2rR2L+秀吉のダメダメぶりを物語っている。
所詮、一発屋。
0083人間七七四年
2009/10/07(水) 06:39:11ID:KR2Wz/q4武家なのに関白になって天皇を敬い京に政庁を造り形式上は古式に則った政をしようとする秀吉を天皇がひいきにしたのは当然
豊臣政権なら何百年もたってから公武合体なんてしちめんどうくさいことしなくてもはじめから良好な関係だし
はじめから挙国一致体制で日本の発展に邁進できた
日本が世界から何百年も遅れる原因を作ったのは家康
0084人間七七四年
2009/10/07(水) 08:39:10ID:MOFkNaDn日本が植民地支配に乗り出しアジア支配して真っ先に産業革命を興したかもしれない
0085人間七七四年
2009/10/07(水) 10:50:17ID:7BLteVcJ何か日本にとってペイするものある?
それより秀吉をすっ飛ばして家康が天下とったなら
中国との貿易を維持できて、鎖国せずに済んだかもしれない
0087人間七七四年
2009/10/07(水) 11:29:21ID:7BLteVcJそしてそこに頭を突っ込むことはポルトガル、スペイン、オランダ、イギリスの
勢力争いに巻き込まれることになる
そうなると浪人輸出ではおさまらず、正規軍を派遣する必要があるし、
東南アジア諸国からそれまで以上に恨みを買いそうだし
何が凄いグダグダな展開になりそうな気がする
0088人間七七四年
2009/10/07(水) 14:30:57ID:1FyG6GMX鎖国は付き合う相手選んでます、勝手な付き合いは駄目ですよと言う状態なだけでそれ以上のもんではないし
日本の貿易相手なんか中華と朝鮮くらいのものなんだからそれなら鎖国しててもそんなには変わらん
ゴアまで直接行ってバンバンやりますったってできないわけですから
0089人間七七四年
2009/10/07(水) 16:32:56ID:84R/ycjyま、家康は朱印船貿易バンバンしてたから見当違いもはなはだしいけどw
0090人間七七四年
2009/10/07(水) 20:29:43ID:KR2Wz/q40091人間七七四年
2009/10/07(水) 21:05:17ID:s4dXLEYs0094人間七七四年
2009/10/07(水) 22:39:49ID:KR2Wz/q4それも広義の「悪」とは言えるだろう
しかし失敗したからといって必ずしも「悪者」だとは言いきれえない。
どれだけ大志を抱いていたかで判断すべき
それだと家康は明らかに小悪党w
0095人間七七四年
2009/10/07(水) 22:42:46ID:710EFWqV0097人間七七四年
2009/10/07(水) 23:35:24ID:uYw4UwWE0098人間七七四年
2009/10/08(木) 00:54:03ID:kzF8hQJv300年どころか現代まで通じる国家観を持つ家康を比べること自体間違ってるな
0099人間七七四年
2009/10/08(木) 01:21:26ID:Nwxd4yoGそもそも江戸時代を暗黒っていうやついるけど、何処が暗黒なの?ww
江戸時代こそ修正点は多々あるが日本史上美しい時代だと思うが。
0100人間七七四年
2009/10/08(木) 07:44:09ID:jhDOiiZ40101人間七七四年
2009/10/08(木) 09:22:46ID:AswJkpKp0102人間七七四年
2009/10/08(木) 09:25:34ID:OZFJGvrmおまえはカムイ伝でも読んどけ
0104人間七七四年
2009/10/08(木) 13:59:02ID:VweJCeqZ幕府を倒した明治以降の歴史観と戦後のマルクス史観が合わさってできたものみたいだね
0105人間七七四年
2009/10/08(木) 14:38:33ID:Nwxd4yoG御意
今の時代なんて明治政府の末裔だし。
それに江戸時代が暗黒時代なら戦国時代以前なんて超暗黒時代だろ
0106人間七七四年
2009/10/08(木) 17:52:07ID:OZFJGvrm明治の急激な変革をみれば、世界に立ち遅れたことがいかに現代日本の多くのマイナスファクター
を産み出す結果となったかがわかるはず。
>戦国時代以前なんて超暗黒時代だろ
歴史の流れが理解できない人はこんな理屈を吐くのね。
0107人間七七四年
2009/10/08(木) 19:27:27ID:AswJkpKp0108人間七七四年
2009/10/08(木) 23:09:32ID:rkxML3Nx些細な事でも苛立ったり、おかしくなっちゃうよね。
晩年の秀吉のように。
家康が優れているのは将軍職を秀忠に譲って、
院政を行った事だね、
もし家康が老いによって暴走しても歯止めがかかりように
形式的に二元政治にしているよね。
0109人間七七四年
2009/10/09(金) 02:04:11ID:ZYmScziI賤が岳でライバルをやっつけ、信長一族も世に出る芽を摘んでしまって
自分が天下一になった。家康に読み替えても同じ。秀吉時代は忠実な家臣になっていた
家康が秀吉の死後関ヶ原で三成を殺しその後一族をゆるやると葬った。
二人のやったことは同じこと。どちらがより善人であったこともなし
どちらがより暗愚だったわけでもない。自分が名実ともに天下一になる機会を
じっと伺いチャンスが来たらつかみその後は邪魔するものを叩き潰す。
2世を完璧なロボットにしているのも跡継ぎといえども勝手に天下人となっては
困るから意思持つ子供は殺している。秀吉は秀次を家康は輝忠を。
信長・秀吉・家康みんな悪者だのん。信長は坊主を秀吉は農民を家康は武士を
都合よく無力化した。
0110人間七七四年
2009/10/09(金) 04:38:25ID:Ld0rPMgBマジで言ってるのか狂ってるのか
0111人間七七四年
2009/10/09(金) 06:39:11ID:PJsYu9ltそれぞれ相応しい時代と場所があって、弱肉強食の戦国時代ともなれば悪党に徹せる者のほうが強い場合が多い
ただそれだけの事
0113人間七七四年
2009/10/09(金) 08:25:17ID:1urb4ezM戦国時代には日本(うさぎ)と西欧(カメ)との差はそれほどなかったのが昼寝(江戸時代)してる間に大きな差がついてしまった
江戸時代は暗黒じゃない?
歌舞伎や浮世絵が発展しました?
昼寝してる間にいい夢でも見たんだろ?w
できたとたん昼寝始めるような政権作ったのが家康
誰にも安眠じゃまされないように悪知恵働かせて何重にも仕掛けしてねw
0114人間七七四年
2009/10/09(金) 08:41:11ID:EXbNFmz6一般人的な幸せ度は
敗戦<<非戦<<戦争に勝つ だろ
0115人間七七四年
2009/10/09(金) 09:05:20ID:g14NYBLvそういう西欧と同じ事をすれば、西欧と同じ立場になれるという
考えに問題があるという事
それに昼寝とは何か
江戸時代というのは国内を開発しつくした時代なんだが
0116人間七七四年
2009/10/09(金) 10:09:40ID:oIfY6fpm0117人間七七四年
2009/10/09(金) 10:33:44ID:g14NYBLv0118人間七七四年
2009/10/09(金) 10:58:03ID:1urb4ezM大井川にまともな橋の一本もかけれないで国内開発しつくしたって言ってて恥ずかしくないのか
0119人間七七四年
2009/10/09(金) 12:14:29ID:43pvVnd60120人間七七四年
2009/10/09(金) 12:35:01ID:g14NYBLv元禄の大開発も知らん奴か
http://www.amazon.co.jp/dp/4422201433/
これでも見て勉強おし
0121人間七七四年
2009/10/09(金) 12:45:15ID:EXbNFmz6開発しつくしたと言うのはないわ
東京近郊の三郷ですらバブル前までは畑はおろか湿地帯だし
基本的に戦後の話になるわな
0122人間七七四年
2009/10/09(金) 12:50:43ID:g14NYBLv治水的技術的観点から湿地帯のままの場所もそりゃありますわな
確かに開発しつくしたは言い過ぎだったかもしれないけど
0123人間七七四年
2009/10/09(金) 14:27:45ID:vX7+S822そもそも西洋より日本の方が上っていう時点が大きな間違い。
当時の西洋の開発力はハンパじゃないw
西洋より日本の方が上なら日本が世界で一番先に産業革命をやってたから。
開発力が西洋より劣ってるから、どっちみち日本は西洋に勝てないから。
0124人間七七四年
2009/10/09(金) 19:13:26ID:7z3UNXD00125人間七七四年
2009/10/10(土) 10:43:54ID:gOVV061o徳川幕府の抑圧された鎖国政策(徳川マンセー厨は海禁て呼ぶんだっけ?w)の下でそんなもの起きるわけないだろ
結論:秀吉→朝鮮を侵略しようとした朝鮮人に対する悪人
家康→戦国時代の日本人の活力をうまく生かせれば四百年も前に西欧と互する国づくりもできたのに、超後ろむき超引きこもり政策のせいで日本を後進国に落としめた、日本人に対する極悪人
0126人間七七四年
2009/10/10(土) 10:46:48ID:KYgIh0520127人間七七四年
2009/10/10(土) 10:50:20ID:fTDBEWNV日本の火縄銃と、その元になったマスケット銃の実物比較を見たことあるが、
正直西洋人には敵わないを思わざる得なかった。竹トンボとラジコンヘリ位の差があったよ。
そもそも船にしたってそうだしな。
0128人間七七四年
2009/10/10(土) 10:57:59ID:+iqqjUTN「元になった」ってことは渡来以前のブツだよね?
0129人間七七四年
2009/10/10(土) 15:11:43ID:3ezT9zxCでも種子島は最後まで種子島であったのにね、向うじゃあんな大人の鉄砲に化けてる。
チクショー展示会の説明バカヤロー!!
0130人間七七四年
2009/10/10(土) 19:09:44ID:Wb7Cxz2B戦争が無いのに武器が大幅に発展するわけ無いだろ
とういうか江戸時代は武器使用・所持が大幅に制限されてた
0133人間七七四年
2009/10/11(日) 01:56:45ID:g0zoXcDq西洋→開発力の天才
日本→西洋より劣る
日本が西洋より開発力があれば、鎖国してようが西洋より早く産業革命をしてただろw
だから西洋には絶対勝てませんwwだから鎖国して正解です!
それと確かに日本の戦国時代と幕末の人材は、すばらしいどころか世界でも最高峰だったと思うよ。信長の鉄砲三段なんて西洋でも思いつかなかったらしいしね。
ただそいつらだって一緒生きてるわけでもないしw西洋と戦争する前にみんな死んじょうよ
0135人間七七四年
2009/10/11(日) 07:11:16ID:1BTSO7Lj競争せずにはいられないんだよ。
日本にはライセンス製造者しかいなかった。なんでかっていうと日本には科学が可能なだけの
資源がないんだよ。あるものだけで生きていきましょう。それしか無いと思いましょう。
0136人間七七四年
2009/10/13(火) 00:04:48ID:LZAY9Evn秀吉もそうだね・・・・
あぁ信長も・・・
あの頃はそういう時代だったのね。
0137人間七七四年
2009/10/13(火) 08:56:13ID:+uEvA0QH鎖国しなけりゃ必要が生じたかというと必ずしもそうではないし、
自由貿易やってたら逆に(植民地化とか込みで)致命的な問題が起こっていたかもわからん。
変わるということは必要に駆られて変わるので意図的に変わるものではない。だからいいこと悪いこと
様々なんで、良いとこだけとか悪いことだけということは無い。
明治新政府は急進的な変革のヒズミの原因を「旧弊」に求めていくわけだが、今から見れば
明らかに明治政府がおかしい部分も多い。でも変わんなきゃいかんから変わった。そんだけ。
必要なけりゃ変わらないのが一番良いんで、江戸期はそこそこ良い時代でおk。
0138人間七七四年
2009/10/14(水) 22:55:38ID:ljoL9Bx1まだやってたんですね。もうどうでもいいけど、
やっぱり秀吉の方が残虐でっせ。だんなw
0139人間七七四年
2009/10/19(月) 09:51:52ID:bdIgrXX9禿の朝鮮なんてどうせ島津とか毛利のような嫌韓どもに利用されただけじゃないか
禿といるとストレス感じてしょうがないよ
狸はストレス感じさせない
0140人間七七四年
2009/10/19(月) 23:19:27ID:VJE9Q8S+戦国時代当時日本がヨーロッパと互角とか終わってんな。
そりゃ一部の国と比べれば勝ってる事もあるんだろうが、ヨーロッパ大陸と
互角とかコーエー本の「鉄砲の数はヨーロッパ大陸と同数だった」みたいな
のを真に受けて育ったんだろうな可哀そうに…。
0141人間七七四年
2009/10/21(水) 16:37:38ID:t1il6dkh秀吉に比べ、家康は遙か彼方に劣る無能で知恵足らずは確かだな。
同じ政権簒奪でも人気書物太閤記になってしまう秀吉の手際良さに比べ
ながーい暗黒の徳川幕府を挟んでもゴロツキチンピラまがい評価の家康www
0142人間七七四年
2009/10/21(水) 20:28:33ID:98ByRu6t日本にも勝てないけどね。
産業革命までは国力は人口にほぼ比例するから。
0143人間七七四年
2009/10/21(水) 21:03:51ID:IG5kg9PT化学が進化したから産業革命もやってきたんじゃないかな。
日本は金銀を人工的に作り出す必要ないからね。
エコ先進国江戸日本は自給自足の高度リサイクル社会として進化してたからねぇ。
西洋の重商主義消費社会とは対極。
神との契約と言う概念から「ビジネス契約社会」が生まれたと言うし。
日本人には相互扶助と約束はあっても、そもそも契約なんてもんはなかった。
0145人間七七四年
2009/10/22(木) 13:45:02ID:EzSCeeQX>>143が何を言いたいのかわからないが、
互いに誓紙を交わしたものを、どちらか一方が守らなかった場合、
しかるべきところに訴えて裁決をゆだねる、というのは何時の時代でもあったよ。
0146人間七七四年
2009/10/22(木) 15:08:41ID:U+xcwqkhまあ日本に契約が無いというのはおかしいけど。
カソリック教会は日本のあらゆる宗教に比べて強大な権力持ってるな。
日本で神道や仏教に従わないのと西洋で教会のいうこと聞かないのでは全然違う。
その辺のことを言いたかったのかも知れん。
エコ先進国というのも最近エコがもてはやされてるだけで江戸じゃそうするのが都合が
よかっただけだろうし。変な持ち上げ方しないで、江戸時代はそれなりに合理的だった
くらいでいいんじゃないかね。明治以降は非合理的なことやりすぎてるしね。
そういう意味では秀吉より家康のほうが合理的だったと思うね。
0147人間七七四年
2009/10/22(木) 15:26:03ID:eQGbfcrL家康はただケチなだけだろ。
0148人間七七四年
2009/10/22(木) 15:44:22ID:U+xcwqkh浄土真宗のさらに一部の本願寺派なんてタリバンみたいなもんでしょ。
カソリック教会とは比べ物にならないな。奴らはほんと洒落にならない。
0149人間七七四年
2009/10/22(木) 16:09:06ID:69hMsp+Qそうでいう意味で契約の観念は日本では発達しにくかった
人間と人間の決め事は当事者の事情で容易に破棄されるから
0150人間七七四年
2009/10/22(木) 17:44:40ID:/2EjebT0信用取引ではなく毎回契約書でがんじがらめにして保険をかけておくってことだな。
0151人間七七四年
2009/10/23(金) 09:19:15ID:shhB2zqW狂った一向宗徒のが怖くね。極楽浄土逝きってほとんど自殺志願者の特攻だし。
タリバンだってジハードって自爆テロるし。
0152人間七七四年
2009/10/23(金) 13:00:01ID:wVAGNBk+0153人間七七四年
2009/10/23(金) 15:32:14ID:ou0/aErO0154人間七七四年
2009/10/24(土) 09:20:21ID:k3G7ZgT/家康は秀吉の墓さえ壊した悪党
0155人間七七四年
2009/10/24(土) 09:50:26ID:IyYDo8TE家康はこれまで公家や僧の占有事項であった学問を一般に開放しているけど
0156人間七七四年
2009/10/24(土) 10:07:30ID:L30RTeu70157人間七七四年
2009/10/24(土) 17:08:51ID:k3G7ZgT/0158人間七七四年
2009/10/31(土) 03:28:17ID:5Jzzbh+t天下の律儀者のはずが突然、騙し、裏切り、謀略の限りを尽くして天下を主家から奪い取るし
大久保事件では墓暴き斬首晒し首までやる異常さ。
こんな中国の皇帝みたいなやつは日本史上、家康しかいないんだが。
そういう面が好きというのならいいんだが
家康信者ってのはなぜか家康が善人でなければ気がすまないし
秀吉のが悪人で無能だと思ってないと家康信者として自我が崩壊するんだよな。
どのスレでも家康をちょっと否定するようなレスを書くと
かなりの確率で「秀吉のが…」と返ってくるww
0159人間七七四年
2009/10/31(土) 07:32:03ID:AI8oV5DA仏になった死者に対する冒涜は日本人は忌み嫌うタブー。
0160人間七七四年
2009/10/31(土) 09:19:34ID:sNBagiMb0161人間七七四年
2009/11/01(日) 02:47:04ID:V/4bS2Rgそれなりには遇してる。信雄も転封拒否が原因だし。
やはり家康は豊臣を滅ぼしただけでなく墓や神仏を壊したのが大きなマイナス。
秀吉死後にしても無理にしなくても自然とNO2ということで権力は来ただろうし、
幕府開いてからの情勢もどう考えても秀頼が徳川幕府に勝てる要素はほぼないし
時間経ってから改易なり、でもできたはず。
結局家康は小心者だったからなんでも自分の思い通りにしておかないと
気がすまなかったというのが本質では。
小さいことはケチなことから大きなことは天皇への干渉など見ても。
別件だけど正直家康の能力にしても戦闘は過大評価だと思う(政治智謀はもっと上でもいいが)
格上には全く勝てず、そいつらが退場して格下から勝っているだけだしな。
信長にせよ秀吉にせよ、他にのしがったのをみても自軍より上の存在を倒して上がってきてるし。
0162人間七七四年
2009/11/01(日) 23:34:29ID:RmsgJdA00163人間七七四年
2009/11/01(日) 23:41:13ID:0IjVxVTc司馬先生ですか?
0164人間七七四年
2009/11/02(月) 00:15:55ID:57o1lcnK0165人間七七四年
2009/11/02(月) 02:51:32ID:wuGakYOJ秀次が謀反しようとした可能性は充分にあり得る。
0166人間七七四年
2009/11/02(月) 18:51:10ID:WOkIFdMf普通に謀反に対処して処罰しただけだとすれば秀吉は悪魔すぎるだろ
0167人間七七四年
2009/11/02(月) 19:32:51ID:wuGakYOJ謀反の罪で長男殺してる大名だっているしな。
0168人間七七四年
2009/11/02(月) 21:34:49ID:x+dRKh7Y0169人間七七四年
2009/11/03(火) 01:58:59ID:7JaxkOWp鐘に刻まれた文字の配列が気に入らないrと難癖つけた挙句に
攻め殺した非道の人間もいるらしい。
甥の一家を虐殺したとかいう悪魔とやらすら
主君の子を殺したことはあるが主君の血脈を絶たない配慮があって何家か残したが
とある非道の輩は皆殺し&尼で完全に血脈を絶ち、墓すら破却したらしい。
0170人間七七四年
2009/11/03(火) 06:41:48ID:Dq/sHEaf人として終わってるよ。
家康の難癖なんて可愛いもんだ。
0171人間七七四年
2009/11/03(火) 08:29:31ID:P4CRvnD+海外にいた日本人が家族のいる日本に帰ることすら拒否。
さらに江戸幕府官僚は太政官時代を経て今の制度でも国民を欺き私腹を肥やす精神をもって生き残り続け、いまや日本最大のガン細胞。
0172人間七七四年
2009/11/03(火) 09:33:42ID:I+NeIxu6若い頃からなんも変わってないよね
0173人間七七四年
2009/11/03(火) 20:55:15ID:rEitzPuo日陰で騒ぐことしかできないお前らより両雄のがよっぽど立派
そもそもその悪行とやらを行う程の残虐性がなきゃ天下なんか統一できるわけないだろ
0174人間七七四年
2009/11/04(水) 00:38:54ID:wl8BTqmw至って正論
0175人間七七四年
2009/11/04(水) 16:07:18ID:B2SV2Sqjそれが秀吉の限界だな
戦国はそれでやっていけるとして、長期の政権を維持するには何より民心を安心させる必要がある
家康は和戦両面の顔を持っていて、多くの人を殺してしまったというので晩年は日課念仏を欠かさなかったという
こういう人の下でしか民心は安心しないし政権は安定しない
0176人間七七四年
2009/11/05(木) 01:10:50ID:MaCUgCiK自分が生きているうちに何とか天下統一をしたかったから
大急ぎで天下統一をしたけど、その実態は内部に危険を孕んだ
ハリボテのようなものだったんだろうな
0177人間七七四年
2009/11/05(木) 01:19:32ID:nWqhrmJzというか、そういう民衆の人気取りさせたら家康よりも余程上手かった
0178人間七七四年
2009/11/05(木) 02:17:59ID:Hb+7JzmZ主家を欺くためにここまでするかって…
0179人間七七四年
2009/11/05(木) 02:57:17ID:VncSeGxe天下しか築けなかったんだから、その後を実力有るものが継いで天下を治めないと仕方ないでしょ?
0180人間七七四年
2009/11/05(木) 03:07:56ID:Hb+7JzmZ0181人間七七四年
2009/11/05(木) 03:13:06ID:Hb+7JzmZ家康擁護は殺した方より殺された方が悪いというのと同じ。
0182人間七七四年
2009/11/05(木) 03:18:18ID:VncSeGxe最も実力あるのなら滅ぼされないのでは?
>>181
豊臣側から見ればそうしてもらえればありがたいだろうが戦国の実力社会で
果たしてその言い分は通用するのかな?
0183人間七七四年
2009/11/05(木) 03:42:09ID:Hb+7JzmZ戦国の実力社会wwでは殺した方より殺された方が悪いでOK?
0184人間七七四年
2009/11/05(木) 03:48:55ID:VncSeGxe結局そういうことになるんじゃないのかな?実力が無い者が、実力あるものに逆らえば滅ぼされる
家康は豊臣家の家臣だから主家に逆らってけしからんと言っても
そんな理屈を振りかざしたところで味方してくれる大名はいない
0185人間七七四年
2009/11/05(木) 04:43:18ID:Hb+7JzmZ0186人間七七四年
2009/11/05(木) 08:12:24ID:pQHqt1+3巻き添え喰って里見とか改易されたり、土井利勝の専横や島原の乱の民衆反乱と改易頻発と牢人増加に伴う不穏さから由利の乱といった感じで家光期まで混乱しまくってただろ。
秀吉の死後の文治派と武断派の対立なんて、どの地方政権大名にもある話。
息子関連だって秀康は諸大名に評判良かったし、忠輝は政宗が外戚で混乱要因があった。
関ヶ原前の宇喜多の混乱から毛利が吉川の行動で自爆するなどは徳川の重臣取り込みの謀略でもある。
要するに、徳川政権の対立や欠陥を利用してひっくり返せる力量と才覚がある大名がすでに存在してなかっただけ。
0187人間七七四年
2009/11/05(木) 09:15:00ID:6I7LkMbY家康の臨終の言葉はぞっとする
「これでざっと済んだな」
0190人間七七四年
2009/11/05(木) 12:38:21ID:YcwtKQS/戦争出来るだけの
最低の国連条項の条件を満たしてから攻撃してる
0192人間七七四年
2009/11/05(木) 12:48:52ID:Hb+7JzmZ味方の少ない秀次が悪い。戦国の実力社会だから当たり前。
家康厨はこれでOK?
こんな幼稚な見方をする秀吉ファンはいないがなw
0193人間七七四年
2009/11/05(木) 12:57:24ID:F3gzHIbi0194人間七七四年
2009/11/05(木) 13:08:40ID:Hx7Nbbpwイラク知らんの?その時国連でどういう議決だったか知ってる?
>>191
戦争ってそういうもんだよ。善悪では語れないし、勝ったアメリカを裁ける者はいない
敗れた日本とナチスは悪にされてる
そういう現実を無視してる方が幼稚にみえる
0195人間七七四年
2009/11/05(木) 13:27:25ID:Hb+7JzmZそれは勝った側の都合でしかないわけだが。
思考停止で「勝った方は全て正しい。負けた方が全て悪い。」と言うのが歴史のおべんきょおですか?
それにイラク?ああ、難癖つけて強引に攻め込んだアメリカと家康、なんか似てますねw
0196人間七七四年
2009/11/05(木) 13:31:29ID:Hx7Nbbpw勝った側の都合で歴史が造られると思わないかい?
徳川幕府は豊臣を滅ぼした後自分等の思い通りに国を作っていったし
第二次世界大戦後もアメリカ中心の世界だった
0197人間七七四年
2009/11/05(木) 13:46:59ID:Hb+7JzmZで?そんなことはその辺の厨房でも分かってる。
君は勝ちさえすれば虐殺しようがレイプしようが何してもいいと?
で、虐殺された方、レイプされた方が悪いと。負けたんだからね。
0199人間七七四年
2009/11/05(木) 16:26:25ID:BMFq9m4g0200人間七七四年
2009/11/05(木) 18:09:28ID:lU1LJG7E0201人間七七四年
2009/11/05(木) 18:31:40ID:5SYk0aQp現実みないで平和活動するおばちゃんにしかみえない
0202人間七七四年
2009/11/05(木) 20:31:25ID:6bBHKePQ0205人間七七四年
2009/11/06(金) 02:10:41ID:s2Iyiu8A0206人間七七四年
2009/11/06(金) 14:08:44ID:OoxxNc3H家康はガキでも思いつくようなやり方しかできなかった
そういう才能は家康にはなかった
0208人間七七四年
2009/11/06(金) 16:56:33ID:OoxxNc3H秀吉のやり方はもっと舞台装置が整っていて手が込んでいるからその種の人には無理だろ
0209人間七七四年
2009/11/06(金) 18:18:46ID:Yf+hlWso0211人間七七四年
2009/11/06(金) 19:05:01ID:OoxxNc3H三法師を前面に立てて織田家の実権を握っていく手際もなかなかのもの
0212人間七七四年
2009/11/07(土) 05:49:22ID:5A9zv11h秀吉が小物でも大物で極悪な家康のほうが悪だろw
0213人間七七四年
2009/11/07(土) 11:58:02ID:x3MQTQL10214人間七七四年
2009/11/07(土) 19:46:06ID:msvXwSMy真摯に歴史を学べば善悪の発想は出てこない
0216人間七七四年
2009/11/16(月) 22:08:57ID:pKgtRB+I豊臣家への義を説いた福島正則の顔面に蹴りを入れた家康のほうが悪。
0217人間七七四年
2009/11/17(火) 08:50:42ID:C7oliXZF家康はただの陰険なクズ野郎。
さすが後世にたぬき爺と呼ばれて蔑まれただけはある
0218人間七七四年
2009/12/08(火) 21:04:29ID:Sq2605tP0219人間七七四年
2009/12/08(火) 21:06:25ID:Sq2605tP大晦日にデスマッチやってくれw
0220奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM
2009/12/08(火) 22:47:26ID:19NgzRvX0221人間七七四年
2010/01/22(金) 13:23:30ID:35bL2hWk撫で切り的に考えて
0222人間七七四年
2010/03/03(水) 23:24:17ID:Ux/JyXXU互いがいたから、互いに偉大になれた。「伝説的ライバル関係」といえば!
http://sentaku.org/social/1000017335/
0223人間七七四年
2010/03/04(木) 02:35:17ID:MDiW3yiJ0224人間七七四年
2010/03/04(木) 18:56:47ID:dxtm40u0絶えず軍を起こし戦乱を求め、高い税をかけ、気分で民を虐殺し、理由なく廃嫡して自ら家を絶やす
こんな暴君は中国でもたまにしか出ないぞwww
0225人間七七四年
2010/03/04(木) 19:08:31ID:XSJ441QV日光東照宮に相殿されてることもあって、あまり江戸時代には貶められたわけでもないみたいだけど
0226人間七七四年
2010/03/04(木) 19:54:25ID:1heNAgN+0227人間七七四年
2010/03/05(金) 06:24:37ID:f53JIl790228月孔雀
2010/03/05(金) 09:22:01ID:blYJ6f2u0229人間七七四年
2010/03/05(金) 11:11:33ID:T4ob1ZQr0230人間七七四年
2010/03/05(金) 13:05:26ID:jkkgVW4g0231人間七七四年
2010/03/08(月) 21:55:22ID:/jDb8egw国内戦争を終わらせ、大阪を作り、京都博多を大開発。
江戸を選定し、商業と貨幣経済を発達させる。
キリシタンと奴隷貿易を禁止して植民地化を防ぐ。
朝廷の権威を復活させて尊王思想の元をつくり、茶道を流行らせる。
これだけのことを十年で成し遂げた英雄は日本にただ一人。
0232人間五十年
2010/03/09(火) 05:46:36ID:ggC4fVe0って言ってる奴は了見が狭い
って言うか勉強しろ
0233人間七七四年
2010/03/09(火) 06:25:58ID:wvsf+Luc尊王思想がどんなのか知らんが、朝廷権威が存在するってのは自然天皇を尊ぶ空気は存在したってことだし
0235人間七七四年
2010/03/09(火) 15:28:19ID:v6Texdqr室町時代に軽視された天皇が諸大名の権力拡大にあわせて
徐々に権威回復したのが戦国時代であり、
それがピークに達したのが豊臣政権の頃なわけで
特に1588年の聚楽第行幸は、その壮麗さと関白秀吉が
朝廷の権威を楯に諸大名を屈服させた政治的意図で特に有名
逆に家康以降の江戸時代は天皇の権威は下落する一方だった
日本史の基本ですからよろしく
0236人間七七四年
2010/03/09(火) 19:11:45ID:wvsf+Luc人の発言はよく理解して欲しいな
それを、朝廷の権威の復活を秀吉一人の成果に帰結させるのがどうかといっているんだが
>>233をよく読め
お前の言ってることと異口同音なんだぞ
それは別として、朝廷の権威に頼らざるをえなかったってのは秀吉の限界の表れでもあると思うがどうよ
自前で創出できなかったということな
0237人間七七四年
2010/03/09(火) 21:14:53ID:CIRv2Nd/朝廷の権威を低くしておくわけにはいかないさ。
0238人間七七四年
2010/03/10(水) 01:27:23ID:8IUOK8BPのに!秀吉嫌いだけど足軽から天下統一したんだからぶっちぎりで一番だと思う。
秀吉が信長討ったって話しになること自体秀吉の評価上げてるしね。
0240人間七七四年
2010/04/16(金) 10:35:13ID:cFJWoyQyん?それって家康のことだよね?
秀吉は国内戦争終わらせたら対外戦争やり始めて国内をこれ以上なく疲弊させましたが何か?
京大阪も賑やかなのは中心市街地だけでちょっと外れたら酷い有様でしたが何か?www
村一個消滅するくらいの逃散をそこら中で発生させてやむなく逃散禁止令出したり
もぬけの殻になった村に陰陽師集めて農業させるとか馬鹿極まりないことやって案の定失敗したり
町民が秀吉を皮肉った落書を掲げたら付近一帯女子供まで撫で斬りしたり
結局すべて治まって、治安も経済も流通も安定し
民衆が安心して暮らせる世になったのは江戸時代になってからでしたよね
家康が入ってからの関八州の安定度見れば一目瞭然でどちらが治世の才があるかがわかる
おっと、朝鮮出兵に行かなかったからとかいう理由はナシな!
朝鮮出兵は秀吉の意志なんだから当たり前だけどさwww
0241人間七七四年
2010/05/22(土) 19:07:43ID:dMjKH13W逃散が原因だなんて誰が言ったんだ?
あと、江戸幕府の政策や法令も基本的に豊臣政権からの流れの物だしな。
0242人間七七四年
2010/08/08(日) 21:27:14ID:HVlPeVPg家康の大久保長安事件も陰湿だけど、
秀次事件の異常さは常軌を逸している。
0243人間七七四年
2011/01/01(土) 03:43:08ID:3hBLo1Ti0244人間七七四年
2011/01/16(日) 23:22:35ID:KpSNPW0H0245人間七七四年
2011/01/21(金) 09:48:31ID:UMzFKEet家康はヘタレなので朝鮮征伐に挑戦しなかった
家康のほうがはるかに悪者
0247人間七七四年
2011/01/21(金) 11:36:37ID:UMzFKEetそのまま太閤殿下の恩恵をもって三・一独立運動も抑え込むべき
0248人間七七四年
2011/01/22(土) 01:48:37ID:YEEtuGQh0249人間七七四年
2011/01/27(木) 03:24:52ID:RuAv67pa実際に被害にあったのは誰?
立花ぎん千代と山内一豊の正室、細川ガラシャが未遂されたっていうのは聞いたことあるけど
0251人間七七四年
2011/02/06(日) 15:59:25ID:0IXMBYPj0252人間七七四年
2011/02/08(火) 16:37:58ID:Iq978DILさすがに太閤ほどの地位にいる権力者が
配下の妻に手を出すほど女に困ってないだろ。
0253人間七七四年
2011/02/09(水) 00:13:26ID:JBEHXfiYただでさえ出自が卑しいんだし
0254人間七七四年
2011/02/09(水) 00:25:12ID:O+9aT4i80255人間七七四年
2011/02/09(水) 14:51:26ID:MwmdjJ/x0256人間七七四年
2011/02/10(木) 23:36:30ID:CxVL60DQ太閤立志伝って感じ。
0257人間七七四年
2011/02/10(木) 23:40:07ID:5rSlrkRv0258人間七七四年
2011/02/12(土) 11:54:17ID:ZzE82Skr0259人間七七四年
2011/02/15(火) 22:51:09ID:/jbI5Mpj石田三成の先祖の墓を埋めたり、秀吉の墓を暴いて粗末な墓に作り変える時に
棺を縄でくくりつけて運んだとか。
神君家康公とか言われているが、見方を変えると稀代の謀反人だろ
こんなの誰が好きになるんだよ。
0260人間七七四年
2011/02/15(火) 23:07:08ID:hFroAdRn0261人間七七四年
2011/02/15(火) 23:18:14ID:f8qG2TYH0262人間七七四年
2011/02/15(火) 23:25:31ID:lK1IqT+s微妙なところだが、妻子・家来だけでなく普通に考えて秀次と
接点が皆無な駒姫まで処刑したことを知って秀吉の方が断然悪だなと感じた。
プロ野球関係者に例えると、重度の精神病になった1001とナベツネ
くらいの差がある。
0263人間七七四年
2011/02/15(火) 23:57:54ID:/jbI5Mpj0264人間七七四年
2011/02/16(水) 00:01:01ID:8aajRwh20265人間七七四年
2011/02/16(水) 04:21:29ID:VtrxOxNr伊達スレか上杉スレへ帰ってね
0267人間七七四年
2011/02/16(水) 08:38:14ID:8aajRwh20268人間七七四年
2011/02/16(水) 08:43:26ID:e0SLCrRf0269人間七七四年
2011/02/16(水) 12:57:55ID:MqEwdDb5信長も秀吉も家康もやってるのに、悪も糞もあるか
0270人間七七四年
2011/02/16(水) 18:27:27ID:VtrxOxNr0271人間七七四年
2011/02/16(水) 18:41:05ID:VgRD6+wx0272人間七七四年
2011/02/16(水) 22:27:59ID:NbMxoExb少なくとも大坂の陣の時点ではすでに。
0273人間七七四年
2011/02/16(水) 23:56:43ID:J+k5AHRO今で言えば、立派な契約違反。
0274人間七七四年
2011/02/17(木) 00:22:02ID:oOYoBtyu0275人間七七四年
2011/02/17(木) 07:39:47ID:Ivqfyzltだが、謀反人のそしりは免れんよ。
日光東照宮にいく機会があっても、文化財的な価値は別だが
神社としての価値は認める事はない。おれみたいな考えの奴は少なからず
いるはずだぞ。
気分的には家康の墓標には小便ぶっかけてやりたいがな。
0276人間七七四年
2011/02/17(木) 08:47:11ID:YoCciGtw0278人間七七四年
2011/02/17(木) 09:25:26ID:Ivqfyzltそれは関係ないよ。
家康は出奔したわけでもないし。
まして征夷大将軍程度では敵対するものを朝敵と罵る事もできずw
関白なら、逆らうものは自動的に朝敵になるがな。天皇の代理人だから。
0279人間七七四年
2011/02/17(木) 09:30:53ID:oOYoBtyu0280人間七七四年
2011/02/17(木) 09:35:31ID:6FGcqaaU征夷大将軍の職に就く事と、誓詞の効力とは関係ないよ。
家康をはじめ諸大名が豊臣公儀にだした誓詞はあくまで関白家あるいは太政大臣
としての豊家にだしたものだから、征夷大将軍ではその位を上回る事はできん。
誓詞はあくまで主従関係が切れる、ようは追放されるか出奔するかしないと
効力が切れる事はない。
0282人間七七四年
2011/02/17(木) 09:38:52ID:9Y4kI7xUどう考えても秀吉の方が悪。
家康は信長の遺児を守ろうとした。
0285人間七七四年
2011/02/17(木) 12:56:02ID:d5OqpEhn京洛の混乱をいち早く治めた秀吉の功績は非常に大きい。
家康は安定した政権を己が欲望のために抗争を煽り無駄な戦乱を生みだしただけ。
0286人間七七四年
2011/02/17(木) 15:09:18ID:oOYoBtyu0287人間七七四年
2011/02/17(木) 15:39:18ID:d5OqpEhn0288人間七七四年
2011/02/19(土) 02:38:52ID:ekvElb2d0289人間七七四年
2011/03/09(水) 00:53:18.73ID:AimmRofu「民衆は豊臣家に飽き飽きしていた」って言わせている。
天下は廻り物、生き残った方が勝ち。
0290人間七七四年
2011/03/09(水) 14:05:59.60ID:v5G0hY8s別の家臣に家まで纂奪された
愚主の信長よりマシだよなあ。
0291人間七七四年
2011/03/13(日) 14:34:02.25ID:2xX/4aBL主家簒奪に対しては信長も宗家を簒奪しているし戦国時代なので
善悪で語るものではないけど、信長の息子や側室、孫まで殺して
信雄や信包は改易、織田家血筋の側室を何人も迎えて、信長の息子
には羽柴姓を与えたり等々。
残っているエピソードを見ると秀吉は決して恩知らずなわけでもない
と思うが、最大の恩恵を受けた信長に対する死後の仕打ちはハンパ
なくヒドイのは余程使えづらいというか恨みがあったのだろうか。
0292人間七七四年
2011/03/13(日) 19:13:44.04ID:J1wh+jhzこれはたんに、敵対したからなんだが。
敵将及びその一族を殺めたという、戦さのならいに従ったまで。
0293人間七七四年
2011/03/20(日) 23:29:22.27ID:JV7eo99B天皇に取って代わろうとした信長を殺した
英雄、明智光秀を貶めて歴史の闇に葬ったんだから…。
0294人間七七四年
2011/03/27(日) 05:23:44.90ID:rr95PNX20295人間七七四年
2011/03/27(日) 09:39:23.55ID:4Z/NBlCE勝家は秀吉と比較されて忠臣扱いされてるけど内心はどうだったか
もし光秀のような立場にいれば…
0296人間七七四年
2011/03/27(日) 13:29:58.89ID:krstTaR/光秀や秀吉のように憎悪というか悪感情を抱く人もいれば
利家や忠興のように死ぬまで崇拝する人もいる。
中間地点の無いお人だ。
0297人間七七四年
2011/03/27(日) 14:45:52.22ID:v1jpJABg尾張支配の過程でノブは何人主君筋を誅したり追放したりしたと思ってんだw
能力が無い上司が居たとしても、そいつは大なり小なりの軍事力を持っているから、
能力がある人間は、禅譲という絶対発生しない(暗君ほど立場に固執するから)権力移譲を小鳥の様に待つのではなく、
さっさと殺して始末をつける事で、人事と統治権行使の迅速な刷新性を確保するという一連の行動を、
当時の一つのシステムと考えるべき。
よって権力の取得過程の事件では無く、統治行動で起こした事件の程度で判別するのがいいと思う。
0298人間七七四年
2011/03/27(日) 17:47:36.58ID:1tga8hPE0299人間七七四年
2011/03/27(日) 23:25:31.43ID:0CYklcVe秀吉の豊臣家も家康に潰されてるし、戦国の習いさ
0300人間七七四年
2011/03/28(月) 00:57:29.23ID:hlNkeneo>秀吉の忠誠は織田家ではなく信長個人にあったと言う事で
そうかあ〜?
信長死後の彼を悼んでいるとはとても思えない織田家親族への仕打ち。
天下人になってからは信長の悪口結構言ってるからなあ。
0301人間七七四年
2011/03/28(月) 08:00:56.32ID:MaE0fokH宿敵の信玄を師匠とあおぐ始末
0302人間七七四年
2011/03/28(月) 08:42:32.11ID:yW0Hwf6Zそれによって秀吉の権力の正当性が失われている
だから秀吉は後に困ったわけだ
0303人間七七四年
2011/03/28(月) 09:00:31.39ID:uhsPc0AI0304人間七七四年
2011/03/28(月) 10:09:42.19ID:H+Nnk1Egそう悪い関係ではなかったかと>信長と家康
何年か正月に信長は吉良に鷹狩に出向き、それを家康は清洲まで迎え、
一緒に鷹狩をした後に、今度は岡崎に寄っている
0305人間七七四年
2011/03/28(月) 15:54:11.33ID:uhsPc0AI0306人間七七四年
2011/03/31(木) 20:44:29.76ID:gky8kd540307人間七七四年
2011/03/31(木) 23:16:30.52ID:n1o+HV/R0308人間七七四年
2011/04/01(金) 23:30:55.97ID:UdI8utpi家康の秀吉死後の豊臣家に対する仕打ち
どっちもアレだ
0309人間七七四年
2011/04/03(日) 01:39:31.23ID:lpiAd4fK0310人間七七四年
2011/04/05(火) 07:13:00.04ID:60O2hgOz0311人間七七四年
2011/04/06(水) 06:55:51.85ID:Z72VtlDD0312人間七七四年
2011/04/06(水) 07:35:26.41ID:s18EjQHa孫娘の助命嘆願を無視してその婿を殺す
どう考えても家康の方が酷いけど
0313人間七七四年
2011/04/06(水) 09:49:45.05ID:zk1aC/CT良く血のつながった甥にあそこまで出来るもんだ
0314人間七七四年
2011/04/06(水) 12:13:17.34ID:YnNFdRSu0316人間七七四年
2011/04/06(水) 18:06:40.72ID:FXz41NO10317人間七七四年
2011/04/06(水) 23:48:52.99ID:0FrDwr2k0318人間七七四年
2011/04/07(木) 00:08:08.75ID:PnlDkGV10319人間七七四年
2011/04/07(木) 00:31:26.28ID:92nIHpdh戦国武将では家康くらいだね
真相定かならぬ義信事件(おそらく義信の自害)と違って
信康切腹は明確に家康主導のものだし
0320人間七七四年
2011/04/07(木) 07:41:08.94ID:6XYy/QYG実の親父も追放した男だし
0321人間七七四年
2011/04/07(木) 08:53:27.35ID:84poj/YX親父追放は家臣たちに担がれてなったものらしい
そのせいか独裁色が強かった親父よりも発言力が弱くなって家臣に無理を要求することが出来なくなった
義信事件は自身に身の覚えがあるからなぁ・・・先手を取ったんだろうね
0322人間七七四年
2011/04/07(木) 09:41:05.41ID:pFGhmd3y秀次は族滅
0323人間七七四年
2011/04/07(木) 12:13:15.43ID:6XYy/QYG妻子まで殺すのもそれ程珍しくはないけど、後で秀次が住んでいた聚楽第もぶっ壊す始末
仮にも肉親相手にここまで惨いのは秀次事件くらいだろう
信長も2度謀反した弟を切腹させているが、その遺児は助命して厚遇している
0324人間七七四年
2011/04/07(木) 21:34:11.87ID:VGGo+OwH0325人間七七四年
2011/04/07(木) 21:36:29.35ID:pFGhmd3y0326人間七七四年
2011/04/07(木) 21:52:42.65ID:6XYy/QYG0327人間七七四年
2011/04/09(土) 01:53:13.58ID:sAHyZ3dB秀次は同父姉の息子で秀吉にとっては実の甥だよな
可愛がっていた時期もあるだろうにそういう思い出も
全部捨ててあそこまで非道な仕打ちが出来るのが凄い
家康も信長も肉親に手をかけているけど基本最低ラインで留めている
2人は殿さんで帝王学もちゃんと受けてるけど秀吉はそうじゃないから
どこか下品というか抑えとなる規範がないというか。
>>326
あまりにも成り上がり過ぎてそのひずみが晩年に来たという感じ
0328人間七七四年
2011/04/09(土) 10:05:53.14ID:Cf54nIPU一方で肉親を殺して云々言っておいて、
家康や信長は最低ラインだとかダブスタにも程があるw
0329人間七七四年
2011/04/09(土) 12:04:13.94ID:IapR0/Mv反乱したら一族だからこそきつめの処罰が必要ともいえるし
秀次を追い込んだ理由なんだっけ
0330人間七七四年
2011/04/09(土) 12:22:46.96ID:7InG2/fR0331人間七七四年
2011/04/09(土) 13:16:07.99ID:Tug5M9ir信長がいなければ、どっちも歴史に残らない小者で人生終わった猿とデブ。
偽善と運が99%で天下人に成り上がった稀有な幸運の池野めだかとマツコ・デラックス。
0332人間七七四年
2011/04/09(土) 13:44:17.42ID:Tug5M9ir赤の他人の子に跡を継がせようとした秀吉は相当なマヌケ
豊臣家から政権奪おうと狙ってるデブに後事を託すボケぶりだから、朝鮮の陣で醜態演じるのも当然か
0333人間七七四年
2011/04/09(土) 20:36:50.22ID:UyETQ/N8むしろ秀吉という戦国一の天才が天下統一してくれなかったら
家臣に殺され犬死にした戦狂い信長なんて三好長慶以下の評価になってたから秀吉に感謝すべき。
0334maedamisaki
2011/04/09(土) 21:18:20.42ID:WyoYNlKu歴史の流れとその時代の食、栄養状態考えなくては駄目だと思う、極限状態になれば考え方もかわるのも
戦国時代は、どうっだたのでしょう?
0335人間七七四年
2011/04/09(土) 22:01:57.53ID:zRV9wOgT0336人間七七四年
2011/04/11(月) 00:59:27.82ID:OKdzpoH5家康は主君・秀吉の子供をみんな殺してしまった
秀吉はあまり殺さなかった
0337人間七七四年
2011/04/11(月) 01:14:45.43ID:JCTzm0Y/0338人間七七四年
2011/04/11(月) 20:29:40.41ID:FKPVjcux秀頼が生まれるまでの秀吉と秀次は、
『河合氏聞書』や天正十九年十二月二十日の訓戒状で見られるように
ダメな甥とそれを導く厳しい叔父そのものの関係
年の離れた息子への強烈な愛情が甥への思いやりを
吹っ飛ばしたというのが実際のところだろう
好悪何れにしても感情の量が大きく、
肉親に対する愛情で判断を曇らせた秀吉(これは信長もそうだが)と、
自分のために息子を殺害した家康とは全く性格が違うんじゃないかな
あと信長や家康が帝王学を学んだ、って本気で言ってるの?
信長は若年の頃から古典教養クソ食らえの体育会系だし、
今川の人質だった家康がそもそも帝王学なんて学ぶはずがない
『吾妻鑑』や『貞観政要』を有難がったのは大人になってからの話
0339人間七七四年
2011/04/14(木) 00:23:15.98ID:F7pYh/IW0340人間七七四年
2011/04/14(木) 00:32:29.74ID:D800JYNN0341人間七七四年
2011/04/14(木) 08:06:11.19ID:5NZKsn0j正妻嫡男殺害(信康事件)と非道な行為を行ってきた家康はまさに悪のエリート
0342人間七七四年
2011/04/15(金) 19:55:18.72ID:OFMk4dbR本当は 木地師等の技術者ネットワークからでてきた人材。
治世に利用する為農民出身と偽り、実際に行ったことは農民への苛斂誅求
だった。 刀狩=武装解除(一揆予防) 太閤検地(大増税)
人口の80パーセント以上いる農民を敵に廻してたのでは もともと豊臣
政権が長続きする可能性など無かった。
0343人間七七四年
2011/04/15(金) 20:22:14.33ID:OFEprq7S信長も家康も大名たる者の振る舞いを子供の頃から教えこまれてたわけじゃん、これってある意味帝王学だと思う。
地下人の子だった秀吉にはそこの部分での冷酷さが足りない。だから政権内の不安材料を処理できなかった。
家康なんか冷酷にバッタバッタ処理したもんね。
家康が元服前の子供の時に、鷹狩りの練習で百舌鳥を腕に据えてた時、小姓に上がる挨拶に来た鳥居元忠に「お前ちょっと据えてみろ」って元忠に百舌鳥を据えさしたけど、緊張した元忠が上手くできないんで家康が怒って元忠を縁側から蹴り落としたじゃん。
やっぱ大名は普通とは違うと思う。
0344人間七七四年
2011/04/16(土) 15:43:55.34ID:HettoC4b豊臣秀吉
我が子に家督を継がせるため
甥とその妻子を殺した(女子は一部助命)
徳川家康
本来家督を譲るべき実の嫡男とその母である正室を殺害
主君の子で孫娘の夫を殺害
孫娘の養子を殺害
家康のほうが群を抜いている
いくら戦国時代でも我が子を殺したのは家康と信玄だけ
0345人間七七四年
2011/04/16(土) 17:11:26.00ID:ih9DiPmg基本従順だけどちょっと焦らしてきたりする
0347人間七七四年
2011/04/16(土) 22:58:29.78ID:zm7DIEzm『河合氏聞書』と言うとわかりづらいかもだけど、
要するに小牧長久手で敗北した秀次に出した有名な訓戒状のことです
秀次の心構えを厳しく譴責する反面、
「今後秀吉の甥として恥ずかしくない活躍をせよ」と励ますような内容
0348人間七七四年
2011/04/17(日) 14:12:22.25ID:8n1JvVA1250万石の大封に政権主軸に据えて、結果論になるが秀吉自身が家康を化け物にした。
秀吉もそうだけど家康も信長の天下統一事業に早期から協力しその様を間近で見ている。
だから他の毛利とか上杉とは違った世界観というか野心を培われた部分はあるのにね。
0349人間七七四年
2011/04/17(日) 15:15:08.71ID:+4JEYao9信長との同盟を、いかなる危機に陥っても破棄しなかった審議の実績
信雄を奉じての元祖義将伝説(信雄和睦と同時に矛を収める)
政略結婚した40過ぎの自分の妹とセックルした妹婿としての誠実さ
配下になったら絶対服従のパシリになる従順さ(関東移封)
最優秀の次男を人質として差出し、ぼんくらの三男を後継者にする絶対服従振り
これだけの実績がある上にぼんくら三男と愛妾の妹がケコーンしてる。
どう見ても身内です。ありがとうございました。
これで家康を信頼しないような秀吉じゃ、天下取りは無理だろう。
0350人間七七四年
2011/04/17(日) 19:50:40.16ID:aHaNBsA4秀吉妹との結婚は家康にとっても悪くない話だと思うが
(40過ぎとはいえ家康より年下)
家康次男は家康の胤でなかったのでこれを豊臣に押し付けたのは家康の意志だし
まあ、家康は臣下になってからは秀吉に従順に仕えたので
秀吉としても攻める理由がなかったということだろうな。
しかし、秀吉の死の直後、前田利家や石田三成が家康に対して軍事行動を起こしているので
(このときは矛を収めたが)人のいい秀吉はともかく、
秀吉の重臣たちがすでに秀吉存命中から家康を危険人物だと認識していたのは事実だろう。
0351人間七七四年
2011/04/17(日) 20:16:13.02ID:+4JEYao9二男は、俺の子じゃないと言い張っていたが、長男が、疑惑の二男に対面して
「えぇぇぇぇ!親父に生き写しじゃん。何考えてんだ?親父は」
で、対面して
「俺の子は、信康たんみたいにイケメンなんだよ。信康たんは、おれに生き写しだろうが、なあ?」
家臣「・・・・・・(どう見ても奥方様の子です。ありがとうございました)」
作左衛門「オギ丸様は、殿のご幼少のころに生き写しですな」
長男「親父、俺は気にしてないから」
「・・・・(な、なんで、このブサメンが俺に生き写しなんだよ)」
どう見ても秀康は、家康の息子です。
0352人間七七四年
2011/04/17(日) 21:21:00.56ID:8n1JvVA1秀吉は天下取りのチャンスを前にした時の人の心を見誤ったという事でしょうかね。
彼自身本能寺の変後に天下取りのチャンスを目の前にし織田家や信長への恩も忘れて
簒奪した事を考えれば、日本で誰よりも家康の境遇が理解出来たとは思うのですが。
0353人間七七四年
2011/04/17(日) 21:31:45.41ID:aHaNBsA4秀吉は信長の仇討をする、葬儀をする、といったことで信長への恩義は果たしたんじゃないか
信長とその嫡男信忠は死んでおり残っていたのは本来織田家の家督を継ぐはずのない庶子だけだった
その点家康は間違いなく豊臣の跡取りであった秀頼を討ちとっている
秀頼だけでなくその男子を殺し女子は尼寺に入れて豊臣を根絶やしにした
秀吉の天下取りの過程で織田一門の命を奪っていないことを考えれば
(信孝一人は切腹しているが兄信雄の命令だった)
秀吉がやったことと家康がやったことが全く同じだとは到底思えないが
0354人間七七四年
2011/04/18(月) 00:46:47.50ID:loA50VQk結果論になるけど豊臣は一代限りだけど、家康は250年続く体制を作ったし。
秀吉にその厳しさがあれば家康に政権を奪われていなかっただろう。
それに秀吉が信長から受けた恩と家康が秀吉から受けた恩では質が違う。
家康は元々大名だし移封前の土地も命がけで切り取ったもの。
でも秀吉は低い身分から大名にまで取り立ててもらった。信長抜きにして秀吉
の天下人はあり得んかった。
織田一族に対する処遇をみてもとても恩を受けた主家に対するものとは思えない。
まあ主家簒奪の中身は質の違いはあれどどっちもどっちだろう。
0355人間七七四年
2011/04/18(月) 00:56:23.26ID:uZhfq8C2まあそれも一面の事実だろうが、その簒奪された被害者である筈の
秀信自身は秀吉のことをあんまり恨んでなかったみたいだしね
余程人間が出来てたのか知らんが、秀吉死後に西軍に属してるくらいだし
秀信が恨みに思ってるとしたら戦後彼を改易し高野山に追放した家康の方じゃないかな
結局織田家の嫡流を滅ぼしたのは光秀でも秀吉でもなく家康だったわけだ
0356人間七七四年
2011/04/18(月) 01:04:25.25ID:uZhfq8C2家康自身が秀吉から受けた恩を過小評価、
そして信長から受けた恩を完全に無視する傾向があるね
0357人間七七四年
2011/04/18(月) 01:22:04.88ID:loA50VQk良く言えば秀吉は秀信を可愛がっていた。悪く言えば洗脳してたという事かな。
確か三法師の生みの母親の一族は秀吉によって皆殺しにされたんじゃなかったっけ?
秀信の周りの人間は厳選したメンバーで秀吉に恨みをもたせないような配慮がされていたと思う。
秀信の改易は仕方無い。明確に戦っているのだし、幾ら信長の嫡孫とは言え特別扱いは出来んと思う。
あのボンクラ信雄の待遇みたら若死にしなければ再度小大名として取り立てて貰えたと思う。
0358人間七七四年
2011/04/18(月) 01:46:19.19ID:uZhfq8C2秀信の母親の素性は今なお諸説有ってはっきりしていない
>秀信の改易は仕方無い
>若死にしなければ再度小大名として取り立てて貰えたと思う
関ヶ原で西軍として戦っても一部の西軍首脳を除いて減封で済んでいるのが殆ど
それを改易して信長と遺恨のある高野山に放逐したのは悪い意味での特別扱い
そもそもその高野山からも追放されたのを見殺しにしてる時点で明確に家康の意思が感じられる
0359人間七七四年
2011/04/18(月) 01:54:50.95ID:4N3o/IRr糞ビッチ淀と無能秀頼が小癪にも俺に呪いをかけたせいで、家康たんを迎えに行くのが大分遅れてしまった
元凶・秀吉、絶対許さない
0360人間七七四年
2011/04/18(月) 02:45:20.57ID:loA50VQk0361人間七七四年
2011/04/18(月) 11:58:53.28ID:rWv80eDf信孝殺害に関しては名目的な釈明を挙げるのに、家康の秀頼殺害に関しては挙げないのな
お前が全く同じだと到底思えないのは、メガネが曇ってるからだよ多分
>>355
ストックホルム症候群で調べるといい
あと認知的不協和
この場合加害者はむしろ同情すらされる場合もあるが、それで罪そのものに対する評価は変わるまい
全く無意味な指摘だ
>>358
藤野保によれば
除封大名数87家約四百万石
減封大名数3家約二百万石
減封の内訳は東北上杉、関東佐竹、中国毛利の
うち西軍首脳にあたるのは毛利ぐらいかな
最新の研究ではどうなってるかは知らないが
お前と俺の日本語の意味に対する感覚には大きな齟齬があるみたいだ
0362人間七七四年
2011/04/18(月) 20:35:14.03ID:SPC9qLKQ主君とその子を殺してんだから、比べるなら光秀。
0363人間七七四年
2011/04/18(月) 21:48:42.17ID:vtw19t/B0364人間七七四年
2011/04/19(火) 16:50:03.07ID:msIptB0C秀吉は主君織田信長のために仇討をし、
正一位太政大臣の位を朝廷から信長に贈らせ、菩提寺を建てて篤く葬った。
家康が主君豊臣秀吉のためにしたことは、
秀吉の墓豊国廟を破壊し、秀吉が朝廷から受けていた豊国大明神の神号を廃止し、
秀吉を祀る豊国社を廃社とし、秀吉のの嫡子と嫡子の子を殺害することだった。
明らかに家康は謀反人だわな。
0365人間七七四年
2011/04/19(火) 17:33:00.46ID:TuD0S3fAこの一文で総て正当化される
0366人間七七四年
2011/04/19(火) 19:03:15.97ID:4aRWG0B+0367人間七七四年
2011/04/19(火) 19:03:30.16ID:lOy5QATc秀吉は主君織田信長のために仇討をし、
正一位太政大臣の位を朝廷から信長に贈らせ、菩提寺を建てて篤く葬った。
これらは全部秀吉が信長後継者になる為のパフォーマンスでしょ。道具、道具。
心の伴ったものでない事はその後の織田家に対するヒドイ対応を見たら明らか。
どっちもどっち、偽善臭さが無いだけ家康がマシ程度の差。
0368人間七七四年
2011/04/19(火) 20:06:40.93ID:GMtFVNXyあ、太い筋って俺のデカマラの事じゃないよ〜
確かにそっちも通ってるケドね
0369人間七七四年
2011/04/19(火) 20:09:31.05ID:GMtFVNXy家康たん優しいから、長い猶予期間置いて自重をそれとなく促してたのに
勘違い糞ビッチ淀が調子こいて自滅したというだけの話だよう
0370人間七七四年
2011/04/20(水) 18:45:27.72ID:ZGGWeeL9遅くなってごめんささい。
>有名な訓戒状
山鹿素行の『武家事紀』にも所収されている奴ですね。
ちなみに『河合氏聞書』は何処で見れるのでしょうか?スレチだとは思うのですが教えていただけないでしょうか?
0371人間七七四年
2011/04/20(水) 20:28:10.21ID:yztOpfbv主君のために墓を建てた秀吉と主君の墓をブチ壊した家康が同列とか
主君の子を大名に取り立てた秀吉と主君の子を殺し主君の家を断絶させた家康が同列とか
家康ヲタって必死だけど矛盾が多すぎ。
秀吉は揺るぎなき天下人になっても信長の墓をブチ壊したり
信長の菩提寺ブチ壊したりしてないんですけど?
0373人間七七四年
2011/04/20(水) 21:20:11.01ID:q7tL4j08今川家はむしろ厚遇してるから、主家だったという一点でああいうことされてるわけじゃない
秀吉にとっての謀反人、秀次の扱いは当時の感覚から見ればすこし異常みたいだ
高野山に追放の上は、命までは奪わない不文律があるみたいだが、結局処分してる
だから謀反人には相当辛い処罰で望むものなんだろう
確か、秀次事件の時は最上の年端もいかない幼女まで処分しようとしてるんだっけ?
0376人間七七四年
2011/04/21(木) 01:57:48.18ID:tqnRlHFm豊臣だって元は織田家家臣なんだしさ。
0378人間七七四年
2011/04/21(木) 09:03:50.47ID:Qwg4uod20379人間七七四年
2011/04/21(木) 09:09:49.86ID:feFzM7oP0380人間七七四年
2011/04/22(金) 12:01:31.34ID:Ol4tR4gl万が一、戦になってもハンデが減ることになるし(w
0381人間七七四年
2011/04/22(金) 21:44:57.81ID:II9AP16B仮道征明という無用の師を起こし、二公一民という重税を課し、無用の高楼を各所に築き、諸大名に蔵入地を預けて
内政干渉するという、殷の紂王ばりの虐政を行った豊臣家を征伐した家康は、諸大名から見れば周の武王みたいな
存在だ。だから紂王秀吉の息子秀頼が蜂起しても、薄徳の豊臣公儀に味方する諸大名が一人も出なかったのは、
当然だな。あの売国奴”伊達正宗”ですら豊臣滅ぼすべしだからな。
0382人間七七四年
2011/04/22(金) 21:48:36.79ID:g6BLowJ5お前のレスで分ったことがひとつだけある
お前が何かを懸命に主張したがっているということだ
0383人間七七四年
2011/04/23(土) 02:58:07.25ID:3DDbiBKZ家康からしたら秀吉の二の舞にはなりたくないから豊臣家を潰したかった
ただこれだけのこと
0385人間七七四年
2011/04/23(土) 08:30:12.76ID:N1EMN67Z0387人間七七四年
2011/04/23(土) 18:01:35.93ID:53QlSFa40388人間七七四年
2011/04/23(土) 22:34:25.94ID:3qOK9CNh状況としては完全に崩壊してしまっている。
当然幼い秀信に何かを選択できる余地は無い。
対して秀頼は秀吉在世時に諸大名から誓詞を取った、正式な後継者だ。
豊臣家は問題無く存在しており、それまで家臣だった筈の人間から
自分に従えと言われても、そうそう聞き入れられるような問題じゃない。
秀信と似たような状況だとするなら国松だが、臣従も糞も打ち首にされたしな。
0389人間七七四年
2011/05/07(土) 13:15:31.16ID:5gNMlOme元々は秀吉が家康を厚遇して五大老筆頭なんぞにしたのが失敗
小牧で叩き潰しておくべきだったのさ
0390人間七七四年
2011/05/14(土) 14:24:51.33ID:R0ec5FAs秀吉は信長を反面教師にしていたから剛ではなく柔をもって懐柔したかったんだろうなあ。
そしたら家康に天下取りの野心と機会を与えてしまった。
0391人間七七四年
2011/05/14(土) 14:53:32.74ID:h5BkY44l0392人間七七四年
2011/05/25(水) 14:04:21.70ID:xZ9xhlId秀次事件の胸糞悪さは異常
0393人間七七四年
2011/05/25(水) 21:25:50.50ID:qm4wjNDI0394人間七七四年
2011/05/26(木) 00:24:13.87ID:sUzxbMJX0395人間七七四年
2011/05/26(木) 02:30:38.27ID:84DJSX1l0396人間七七四年
2011/05/26(木) 05:03:00.37ID:PwF28LKm0397人間七七四年
2011/05/26(木) 08:02:27.58ID:5/G/nEyQ残りの半数も捕らえられ都田川の堤で全員が惨殺された。
0399人間七七四年
2011/05/27(金) 00:28:52.36ID:Gfu5Ha8k0400人間七七四年
2011/05/27(金) 20:31:43.10ID:OB7WZbiB0401人間七七四年
2011/05/27(金) 20:40:23.21ID:HsPixO630402人間七七四年
2011/05/27(金) 20:43:44.65ID:PtQYjzGW0403人間七七四年
2011/05/27(金) 20:44:14.91ID:OB7WZbiB0404人間七七四年
2011/05/27(金) 23:20:54.52ID:Tw6roU7Pまあだからと良って家康さんが善人とは言わんが
0405人間七七四年
2011/05/28(土) 01:23:49.59ID:DeRn8aqc後年林羅山のような側近の者相手に人質時代の生活を語ったりはしてたようだが
0406人間七七四年
2011/05/28(土) 13:31:58.46ID:cb9riwac桶狭間を通る時は黙祷していたという話もどっかで読んだ。
基本家康は律儀だとは思うよ。ただ超現実主義な戦国大名だけど。
0407人間七七四年
2011/05/28(土) 14:23:49.26ID:r2jiUYqg0408人間七七四年
2011/05/31(火) 22:51:13.83ID:0JGbg4QK秀吉は半島に攻めこんだ件が酷すぎる。
日本史上類を見ないほどの無益な侵略戦争で、無駄に将兵を死なせ、得られたものは何一つとしてない。
お前の主導した戦が、日本史上で一番「はかがいかぬ戦」だよ。
0409人間七七四年
2011/05/31(火) 22:59:28.97ID:c9HQuX400410人間七七四年
2011/05/31(火) 23:00:32.37ID:0ioDxcSy今川時代が暗黒史だったならありえないわな。
義元の娘を嫁に貰ったり、一門格の扱いだったわけだし。
義元が桶狭間で死んでなくても、最後に天下取るのは家康だったかもな。
0411人間七七四年
2011/05/31(火) 23:00:33.87ID:nv1YzwKW0412人間七七四年
2011/05/31(火) 23:04:04.96ID:nv1YzwKW0413人間七七四年
2011/05/31(火) 23:16:22.63ID:c9HQuX400414人間七七四年
2011/05/31(火) 23:21:56.99ID:m3Itu6ri0416人間七七四年
2011/06/01(水) 07:54:48.29ID:0oBS8no50417人間七七四年
2011/06/01(水) 10:52:31.73ID:hsLEnK4N秀吉が天下とった後どうなったんだろう?
やっぱ粛清されたのかな?
0418人間七七四年
2011/06/01(水) 23:42:25.50ID:U7OGyTGE殺せなくて本気で悔しがった。
0419人間七七四年
2011/06/02(木) 21:47:20.10ID:pTikrMpO0420人間七七四年
2011/06/02(木) 22:19:04.94ID:LZ+oLJdjたまたま近所に乱暴な子がいたとかのレベルで
0421人間七七四年
2011/06/02(木) 22:28:17.12ID:LZ+oLJdj遅ればせながら、参考に。
あくまで逸話収集スレのまとめなので、本当かどうかは分からないよ
0422人間七七四年
2011/06/03(金) 08:15:20.18ID:Y04L3/6Q0423人間七七四年
2011/06/03(金) 09:13:25.84ID:Rf76wMMu0424丁ο児 ◆Kd2TSsZIFU11
2011/06/03(金) 18:56:01.50ID:1+Jtqsbu独断と偏見で言わせてもらえば
家康。
ケチくさいから。
君たちの身の回りにもいるだろ。
度ケチな恋人、度ケチな伴侶、度ケチな先輩、度ケチな上司、度ケチな親戚、度ケチな義父母。
家康はそれだ。
0425人間七七四年
2011/06/03(金) 20:07:21.19ID:cGqt93DT0426人間七七四年
2011/06/03(金) 20:39:20.83ID:zov25yFF0427人間七七四年
2011/06/04(土) 21:50:02.12ID:VJYTgtiC史上最悪の暴君だな。読んでて気分が悪くなった。
秀吉のイメージって、
慈悲深く殺生を好まず、人当たりが良くて人気者で機転が利き
それを嫉む一部の先輩にいじめられても
持ち前の明るさで乗り越えていく、そんな感じじゃね?
大河の影響が大きいと思うが。
真実とあまりにもかけ離れてる。
0428人間七七四年
2011/06/04(土) 21:58:38.95ID:cVFcury7その手のイメージは「絵本太閤記」が殆どだからね
あれは今で言うところの戦国ラノベみたいなものだ
0430人間七七四年
2011/06/04(土) 22:12:42.00ID:s1iJWTd4ほとんどがまともな根拠も無い逸話を「真実」だとか言う馬鹿も同じなんだけどなw
0431人間七七四年
2011/06/04(土) 22:13:51.17ID:s1iJWTd40432人間七七四年
2011/06/04(土) 22:47:33.93ID:k1MOyzy3家康は既存の政権を格下相手にクーデターで簒奪しただけの人。
どっちも信長と比べれば遥かに小者。
0433人間七七四年
2011/06/04(土) 22:54:40.88ID:jFufeiou信長は既存の政権を格下相手にクーデターで簒奪しただけの人。
どっちも信長と比べれば遥かに大物。
0434人間七七四年
2011/06/04(土) 22:55:04.64ID:hfJrP5LY,ノ \
/ ,r‐へへく⌒'¬、 ヽ
{ノ へ.._、 ,,/~` 〉 } ,r=-、
/プ ̄`y'¨Y´ ̄ヽ―}j=く /,ミ=/
ノ /レ'>-〈_ュ`ー‐' リ,イ} 〃 /
/ _勺 イ;;∵r;==、、∴'∵; シ 〃 /
,/ └' ノ \ こ¨` ノ{ー--、,〃__/
人__/ー┬ 个-、__,,.. ‐'´ 〃`ァーァー\,
. / |/ |::::::|、 〃 /:::::/ ヽ
/ | |::::::|\、_________/' /:::::/〃
漏れが一番悪者でござる。ブフフフフ
0435人間七七四年
2011/06/05(日) 08:50:17.94ID:sXU17ccR「この物語はフィクションです。実在した人物とは
一切関係ありません」
とか入れないとダメだなw
0436人間七七四年
2011/06/05(日) 14:07:12.70ID:HgH/yQNh普通の人間ならドラマや小説がフィクションという事は言われなくてもわかる
0438人間七七四年
2011/06/06(月) 23:50:58.70ID:rnWUPcqj重税、無意味な建築道楽、秀頼可愛さのあまり、後継体制を自ら破壊し五大軍閥による
合議制を遺制とした秀吉
重税、対西国大名、対豊臣対策など意味のある天下普請建築、息子ですら後継体制の
障害と見るや情け容赦なく排除した家康
どっちもどっちだが、対外戦争継続中に死んだ秀吉と260年の太平をもたらした豊臣討滅
を完遂した家康
真の大悪人は、後世、極悪と呼ばれることを覚悟して、豊臣を滅ぼした家康だろう。
秀吉は、我が子可愛さに狂った小悪党に過ぎない。
0439人間七七四年
2011/06/07(火) 00:39:02.09ID:ZFJ0Odk2あれって無意味な建築道楽だったんですか?
徳川が豊臣を封じ込めるために建築したとされる
彦根城や姫路城は大坂の陣のときに何か役に立ったの?
0440人間七七四年
2011/06/07(火) 06:46:16.38ID:2SVpXTjqhttp://s1.shard.jp/rabbit1/0203/37/252.html
その死亡日には、三百三十五年戦争との接点がでてきた。
0441人間七七四年
2011/06/07(火) 07:01:08.71ID:PCaGRQtn徳川政権→地方分権と言うかただの丸投げ。百姓を搾取するだけの穀潰し武士階級成立。250年停滞への道
0443人間七七四年
2011/06/07(火) 07:59:05.09ID:XpIJVT6J0445人間七七四年
2011/06/07(火) 13:29:03.93ID:c6kQRR0Q0447人間七七四年
2011/06/08(水) 07:57:50.28ID:4Mh9hNAO秀吉だったら大事になる前に始末つけるかトップだけスマートに殺す
0448人間七七四年
2011/06/08(水) 08:09:40.06ID:6efEWw+40449人間七七四年
2011/06/08(水) 09:00:49.64ID:x42Wrctiリストラするなら幕府は同時に雇用創出努力をしなければ混乱するだけ。
景気対策と失業者対策をした民政本位の黒字経営秀吉政権では考えられない。
0452月孔雀
2011/06/16(木) 10:59:10.78ID:167x4Agm0453人間七七四年
2011/06/16(木) 11:14:09.41ID:gQ0A4NyY家康は簒奪
根本的に違うことにいい加減気づいてください。
0455人間七七四年
2011/06/16(木) 11:59:26.59ID:oAGCrWzz0456人間七七四年
2011/06/16(木) 13:03:19.10ID:gQ0A4NyY次の方どうぞ〜
0457月孔雀
2011/06/16(木) 13:35:16.98ID:167x4Agm0458人間七七四年
2011/06/16(木) 14:50:45.22ID:l/7wHX+L「日本のまつろわぬ民(新人物往来社刊)」によると、日光は、もともと秀吉のルーツで
ある小野猿丸氏の霊地だとか。
家康は、その日光を占領し、自身を神として祭らせた。
また、代々の社職である小野氏も日光から追放されてしまう。
日光の見猿、聞か猿、言わ猿は、秀吉封じの呪詛だとか。
家康(徳川氏)には、死霊まで抑え込む呪的な恐さがある。
0459人間七七四年
2011/06/16(木) 15:08:04.75ID:gQ0A4NyY0460人間七七四年
2011/06/16(木) 15:17:03.92ID:SJ1Paedb0461人間七七四年
2011/06/16(木) 16:36:43.59ID:gQ0A4NyYこれに対し、秀吉は一勢力である織田家内のクーデターという突発事故によって、事実上分解した旧織田勢力の再編を行った。
主家の跡継ぎを定めて残し、四方は以前に増して敵だらけの中、
生き残りをかけて天下統一事業を貫徹させた。
すなわち天下は秀吉によって初めて統一された統治組織である。
全くと言ってよい程にプロセスが違うのである。
当たり前の事を一々言わせるなよ。
0462人間七七四年
2011/06/16(木) 16:42:39.15ID:36nXQ1Siまだこんなとこにいるのかw
0463人間七七四年
2011/06/16(木) 16:45:35.40ID:oAGCrWzz百姓上がりの豊臣の天下なんぞ
秀頼の代になって脆くも崩れ去るだけのプロセスがあったわけ
当たり前の事を一々言わせるなよ
0464人間七七四年
2011/06/16(木) 16:50:21.10ID:gQ0A4NyY武田妄想隔離スレの精神破綻の方々が
勝手に出歩いて
落書きをしてはいけませんよ。
0465人間七七四年
2011/06/16(木) 18:39:35.39ID:RmCa8zYV強いて言えば自分を取り立てた主君の嫡男を差し置いて天下を奪った秀吉か
外様の家康はたとえ主君と言え秀吉に忠義を尽くそうなんて気は毛頭なかったろうからな
0466人間七七四年
2011/06/16(木) 20:54:53.88ID:gP9993zL秀次切腹後、関白摂政が存在しない期間だった
政治ってのは、朝廷に認められた政権が天皇に変わって政治を行う
この長い空白の期間、将軍もいない、天皇の代わりの関白摂政もいない
つまり、実質、常務クラスの石田三成が政権を担っていた
豊臣政権が成り立っていたのは、豊臣家が関白として政治をおこなっていたから
秀次が切腹して秀吉が生きていようが、無政府状態だったという見方が正しい
こういう状態だから家康が天下を取りに逝っても文句はいえない
別に上杉前田毛利黒田が天下を狙ってもいいわけw
関ヶ原の情勢は幕末の薩長土肥に似ている
幕末、大政奉還が実現する、これは公議政体論を進めるためによるもので
中身は徳川が関白・元首になって天皇制を目指したモノ
これは豊臣政権とよく似ている
そして、これを良しとしない、薩長が徳川打倒に動いたのが戊辰戦争
この戊辰戦争が関ヶ原と類似している
結局、秀次切腹で関白を空にしたツケと、三成の政治能力のせい
どの道、このな前衛的な政治形態は長続きしない
0467人間七七四年
2011/06/16(木) 21:06:08.14ID:/WXHoEj80468人間七七四年
2011/06/16(木) 21:18:51.22ID:Fls1Xu+o0469人間七七四年
2011/06/16(木) 21:31:04.75ID:i5SXxPyNどっちも残虐行為はやったが、秀吉は見せしめの他、趣味でやった感がある。
>>354
まあ主家簒奪の中身は質の違いはあれどどっちもどっちだろう。
>>367
どっちもどっち、偽善臭さが無いだけ家康がマシ程度の差。
>>392
どっちも悪人だが秀吉の方が残酷だな
>>465
どっちもどっち
強いて言えば自分を取り立てた主君の嫡男を差し置いて天下を奪った秀吉か
---------------------------------------------------------------------------
家康信者の中立的な第三者っぽく見せかけた書き込み、今日も乙です
書き込みの内容見れば客観的に見れてないのは明らかなのに、なぜ糞レスし続けるのか
0470人間七七四年
2011/06/16(木) 21:55:35.21ID:2ZnKFB7h自分の趣味で人を殺すの楽しむ秀吉は、アフリカの独裁者クラスの小悪党
天下静謐の大義名分を掲げて、大阪の役で大虐殺やらかした家康は、スターリンや毛沢東クラスの極悪人
レベルが違うよ。レベルが!
0471人間七七四年
2011/06/16(木) 22:00:37.56ID:oAGCrWzz0472人間七七四年
2011/06/16(木) 22:03:25.48ID:DwtGRoJy0473人間七七四年
2011/06/16(木) 22:03:58.65ID:Fls1Xu+o0474人間七七四年
2011/06/16(木) 22:13:01.43ID:i5SXxPyN0475人間七七四年
2011/06/16(木) 22:21:49.74ID:oAGCrWzz以上
0476人間七七四年
2011/06/16(木) 22:46:50.26ID:3OYb1Y9w家康も結局秀頼殺したし
秀吉の失敗はむしろ家康を生かしといた方で
0477人間七七四年
2011/06/16(木) 23:01:47.62ID:2ZnKFB7hそこよ、そこ。秀吉が小悪党って言われるのは
我が子可愛さに、邪魔になった甥を殺せても、組織のNo2で自分に面従腹背してる大物を
殺せない腑抜け。極悪人なら評判の良いNo2は、真っ先に処分するんだが、小悪党秀吉
には、そんな度胸はないんだな。
所詮、評判の良い優秀な長男とその母親を自分の手で殺した家康の極悪ぶりとは比べようもない
小悪党太閤様だなw
0478人間七七四年
2011/06/17(金) 00:09:48.14ID:6k1wYvd7たしかにな。秀吉が統一した日本にまた戦争を起こしたのは家康。
影武者徳川家康じゃ「戦のない国を作りたいんだ」とかほざいて関ヶ原起こしたけど、
わざわざ戦争起こしてるのはお前だろと突っ込んだわ。
家康が豊臣の大老として目を光らせておけば戦は起こらないんだからさ。
0480人間七七四年
2011/06/17(金) 02:12:09.59ID:WjnExlJJ0481人間七七四年
2011/06/17(金) 04:16:41.04ID:KU7weBl60482人間七七四年
2011/06/18(土) 09:41:39.12ID:lYU5dIvI未曾有の規模の対外戦争の最中に無責任にリタイアして、後始末を残った者に
やらせたくせに。
0483人間七七四年
2011/06/18(土) 09:57:46.00ID:gHHukPWS武田軍に惨敗した敗走中脱糞したり、
大坂の陣で真田に後一歩にまで追い詰められ腹を切るとわめいて醜態さらすロリコン豚。
死に際、面従腹背のデブに他人の種でできた愛息の行く末を懇願してる間抜けすぎる猿。
衆寡敵せずを瞬時に悟って、いささかも狼狽せず潔く自刃した信長。
レベルが違うよ。レベルが!
0484月孔雀
2011/06/18(土) 10:04:22.89ID:73eSCF6b信長がかっこいい?
0485人間七七四年
2011/06/18(土) 10:17:05.76ID:R/h8h4Hk部下としては良いが、上司にはしたくない、秀吉
部下も上司もご勘弁な、信長
0486人間七七四年
2011/06/21(火) 16:23:27.98ID:xA9ylxtT信長社長は最高だな。
自分が、マネージメントが評価される支社長や部長クラスになったら最悪な上司だがな。
0487人間七七四年
2011/06/21(火) 17:52:14.41ID:YmQYXQQ90488人間七七四年
2011/06/21(火) 22:40:44.84ID:7UtFPyonいやいや秀次と家康を殺そうとするでは全く違う。
秀次はあくまで秀吉の甥だから関白になれた。
つまり、秀次の権力の基盤は秀吉しかない。
だから秀吉が気に入らなくなれば簡単に殺せる。
逆に家康は秀吉政権下でNO2なのは家康自身のもつ武力と名声による。
家康を殺そうとすれば、その武力と名声による反撃を考えなければならない。
だから秀吉は殺したくても殺せなせなかった。
0489人間七七四年
2011/06/21(火) 23:20:19.31ID:g6/wsZn+0490人間七七四年
2011/06/26(日) 09:12:39.65ID:kf0svk0Lこれはそうなんだが、関白という職に就任した以上、その職が持つ権能が発生するから
秀次の才覚次第では十分反撃喰らってたぞ。そこまでの男でなかったからあっさり始末できたけど。
0491人間七七四年
2011/07/03(日) 04:00:04.78ID:87jtxUDs家康が豊臣政権下でNo.2になれたのは、
秀吉が小牧長久手で家康に局地戦で敗戦したコンプレックス故。
だから小田原開城後、家康を関東に追いやったわけだが、
もし家康が信雄のようにこの転封に難色示してたら、失脚間違いなし。
権力絶頂の当時の秀吉に逆らえない現実を悟っていた家康とそうでない信雄の差。
家康に「反撃」の余地などない。
要は秀吉が格下の臣下を始末する口実があったかなかったかの違いだけ。
秀吉がその気なら、家康を充分に殺せた。
が、敏い家康がその口実を秀吉に与えなかっただけの事。
0492人間七七四年
2011/07/03(日) 07:04:39.34ID:pAbAUpZJだから、殺そうと思っても口実がなかったから殺せなかったってことだろ。
口実もないのに強引に殺そうとしたら、それこそ反撃喰らうと。
家康単体の反撃というのもあるが、無理を通そうとすることによる反動を喰らってたろう。
0493人間七七四年
2011/07/03(日) 08:37:37.33ID:Sa5uPA3+0494人間七七四年
2011/07/03(日) 09:44:45.38ID:mbVyxk7H0495人間七七四年
2011/07/03(日) 10:29:59.58ID:WjDyyI8I小田原攻めで活躍したから旧北条領を与えられた。
その流れで東国取次となり、必然的に「坂東の儀は家康」となった訳だ。
そうでなければ早期に秀吉に従って、北関東の取次をしていた上杉が
順当に東国の取次になってただろうな。
あと、秀吉が家康を殺せただの殺せないだのって話もあまりに馬鹿げてる。
いつ秀吉が家康を殺したがった?
秀吉の最大の目的は外征なのに、なんで国内の戦力を消耗させにゃならん。
もっと早く秀頼が生まれて、国内の安定統治に力を入れていたら
有力外様大名の解体は行ってたかも知れんがね。
0496人間七七四年
2011/07/03(日) 15:01:24.13ID:gflPJ8Ym家康は律儀なフリをしてたしな。
まあ家康もすぐ死ぬだろとも思ってただろうし
家康が先に死んでたら豊臣政権は意外と長く続いてたかもな。
0497人間七七四年
2011/07/03(日) 15:58:16.63ID:0wIUjt2q続かないだろ。
家康が先に死んで、徳川家100万石くらいに減封したとしても、秀吉死後の内乱は防げない。
最低、秀頼が18くらいになるまで生きてないと。
しかしそんなに生きたら朝鮮がどうなってたやら。
0498人間七七四年
2011/07/03(日) 17:51:34.94ID:Kg7NNgGf内乱が起こったとしても、家康ほど短期間で手際よく天下分け目の大戦さに持っていけるかどうか。
もっと規模の小さい、局地的な内乱が続く展開になりそうだが、それは鎌倉幕府や足利幕府でも創業者の死後に起こった現象。
そこを乗り越えれば長期政権もありえない話じゃない。家康がいなくなるというのはやはり大きい。
0499人間七七四年
2011/07/04(月) 01:49:29.95ID:oO/l1hzhオレは史実の家康の行動を非難することはしない
昔、家康は好きだったんだが、今は過去に比べてMAXの20%くらいにしか好きじゃない
最近は正直、二流の人物だなぁと思うようになってきた
0500人間七七四年
2011/07/04(月) 01:58:30.32ID:oO/l1hzh信長の偉大さをそもそも理解していなかったなら三流・・・それが徳川家康
0501人間七七四年
2011/07/04(月) 02:05:10.31ID:oO/l1hzh家康本人には、自分が積極的に天下平定事業に参画しなかったことへの
相当な後ろめたさがあったことは想像に難くない
0502人間七七四年
2011/07/04(月) 13:00:03.33ID:211nzc6m0503人間七七四年
2011/07/05(火) 22:45:27.96ID:MNLVmMtDそのまま主家を乗っ取って天下を取った秀吉
息子を頼むと秀吉に懇願されていたにも関わらず、容赦なく秀頼を殺して、
豊臣家を滅ぼした家康
大差無いな
0504人間七七四年
2011/07/06(水) 20:32:42.30ID:he9bzzBeキミは10代か?このくらいの心情の機微は説明しなくても分かるもんだ
ましてや家康は自尊心の強い男なんだぞ
0505丁ο児 ◆Kd2TSsZIFU11
2011/07/06(水) 21:40:56.77ID:/1KhqPTj0506人間七七四年
2011/07/07(木) 06:40:17.27ID:jGaiYNzr家康は250年の平和を築いた。
0507人間七七四年
2011/07/07(木) 07:38:56.18ID:iWoauWQYむしろ明攻撃用にわざわざ温存していた家康をさっさと投入して弱体化させれば良かった。
富の収奪する重商主義的海外進出は時代の先取りだっただけに家康のやり方は糞。
0508人間七七四年
2011/07/07(木) 09:36:19.40ID:JkyI6uMR0509人間七七四年
2011/07/07(木) 09:47:44.69ID:iWoauWQY0510人間七七四年
2011/07/07(木) 10:39:34.70ID:JkyI6uMR未開の地なら兎も角、文明が安定している国を手に入れるなど面倒でしかない
0511人間七七四年
2011/07/07(木) 11:31:30.76ID:ILwCUxWn現地住民はそこを支配搾取する者から開放してくれるなら
喜んで協力してくれてる。
それほど統治が難しいものでもない。
0512人間七七四年
2011/07/07(木) 11:43:44.59ID:JkyI6uMR入れるだけで拒否反応が起きる
昨日と違うことをされるだけで、人は嫌がるものです
0513人間七七四年
2011/07/07(木) 12:25:26.20ID:UjRN2JN3それなのに何でも飲み込む歴代中華諸王朝が直接統治を試みようとすらしなかった地だからな
0514人間七七四年
2011/07/07(木) 12:34:47.51ID:ILwCUxWnあんなの明軍が来なかったらどうとでもなっただろ。
それに朝鮮出兵における負担で言ったら
日本より明財政の方が致命的だったし
秀吉が死んでなかったら明が負担に耐えられなくなってた。
0515人間七七四年
2011/07/07(木) 12:43:48.55ID:JkyI6uMR0516人間七七四年
2011/07/07(木) 13:07:28.63ID:ILwCUxWn財政基盤を強化し、積極的な財政支出を通じてバブル桃山文化を享受していたから
大坂の財政は微動だにしてない。
それは関が原後に直轄地を削られても、諸寺社への財政支出を無問題でやりまくって、なおも大坂陣で財力をばら撒いていることからもわかる。
0517人間七七四年
2011/07/07(木) 13:17:47.60ID:jHm/JoRf0518人間七七四年
2011/07/07(木) 14:01:37.71ID:iWoauWQY技術の人的資源や石垣技術や文献資産や茶器など
運び込んで日本は損など生じて無いぞ。
むしろ辺鄙な名護屋の地が一大消費地として栄えまくって
各地の商人どもや船舶輸送業者たちは地方から名護屋への搬入を受け持って儲けてるし。
0519人間七七四年
2011/07/07(木) 15:33:32.40ID:JkyI6uMR0520人間七七四年
2011/07/07(木) 16:50:31.44ID:ILwCUxWn文禄元年3月に秀次によって出された六十六ヶ国へ人掃と言う全国戸籍調査において全身分階層の隔てなく把握され
徴税負担が把握され、それに応じた大名の豊臣政権への公役負担が課されたからで
それにより誤魔化しや有耶無耶にされて
確保されてきた隠富の存在が許されず
豊臣政権が完全に全国支配を確立させることによる
負担増への反発からであり、別に朝鮮出兵が無かったとしても
施策として行われているはずだから。
そもそも秀次は朝鮮出兵にまったく関わってないし。
それと朝鮮出兵では戦で苦労などしてないから戦死はあまり無く大半が病死だから。
0521人間七七四年
2011/07/07(木) 17:14:51.97ID:JkyI6uMR病死が戦死を上回るのは遠征では普通の話だが
0523人間七七四年
2011/07/07(木) 18:50:37.40ID:tS5Y/M6Q確かに諸大名が豊臣から離れ、徳川と結びつくきっかけを作ってやったので
日本にとっては大きなプラスとなる戦争だった
0524人間七七四年
2011/07/07(木) 20:14:46.04ID:iWoauWQY結局、朝鮮に遠征やらない場合には
代わりに諸大名は築城などの労役をさせられるんだから負担は変わらない。
事実、遠征に行かない組は畿内で労役させられてるし。
奥羽仕置の遠征も、九州や小田原への遠征でも病死が多かったなんて聞かないが何を根拠に言ってんだ?
しかも朝鮮の場合は地の利のない異国への渡海作戦であり、
通常の遠征とは別だし、たびたび明の大軍の包囲を受けながらだし。
>>522
無知なやつほどwikiに書いてない話にはついていけないから
お前のように中傷を開始するよな。
>>523
全く認識不足。
関白秀次が自刃したことから幼君の孤立を恐れ
それを推戴し支えるべく五大老制に移行せざるおえなくなった為
秀吉が自分の死後に家康が豊臣政権内で政治を主導できる権限を与えてしまい
家康に自派の徒党を作る隙を与えたのが原因。
0526人間七七四年
2011/07/07(木) 21:06:52.77ID:JkyI6uMR国内労役なら、だ動員人員も少ないし、武器は必要ないし、戦死者もでない
兵站(というべきかどうかは微妙だが)の負担も少ない
冬営なんかする年単位の遠征、日清戦争とか
0527人間七七四年
2011/07/07(木) 21:53:39.82ID:iWoauWQYさらに築城やら伏見や大坂や名護屋での大名交際費などとんでもないことになってるわけだが。
むしろ朝鮮出兵はラッキーな話でもあり装備の一定水準維持のため出兵用装備を京で調達するように命じられた時に
秀吉により購入費用捻出用に領地を上方で貰ったりしてる。
秀吉の嫌がらせなのか伊達は貰ってないから自費調達しているが。
0528人間七七四年
2011/07/07(木) 21:58:04.66ID:JkyI6uMR渡海大名はそれ以上に汲々していたのだが、秀吉のその程度の援助など雀の涙ほどの価値もない
家康は最上に渡海しなかったことを嬉しそうに語っている(伊達家文書)
0529人間七七四年
2011/07/07(木) 22:09:55.61ID:iWoauWQY政宗なども出来る限り中止になるように期待したりしてる。
しかし負担がキツいからと言う理由ではない。
西国大名は瀬戸内海や博多での通商を通じて身近に接しているので、
朝鮮への出兵を東の者ほど抵抗感が無い。
それどころか陶磁器職人らをとらえるのに必死になってるし
それどころか清正らは積極的に北上しどんどん日本から離れていってる。
0530人間七七四年
2011/07/07(木) 22:25:17.43ID:4AGIH/Jqこのスレは、神君家康公が、豊国大明神秀吉公より、いかに極悪であったか語るところだぜ。
所詮、頭の呆けた猿太閤の残虐行為なぞ、小悪党の所業に過ぎない。
悪の華として天皇の権威を踏み潰し、耶蘇伴天連のカルト信者を処刑し、挙句の果てに
豊臣公儀の後継者として日本全土の正当な主権者たる豊臣秀頼公を虐殺した家康の行為こそ
悪の権化にして極悪人の所業だな。
0532人間七七四年
2011/07/08(金) 22:46:03.27ID:se59Wx/o0533人間七七四年
2011/07/09(土) 07:14:03.41ID:HSy5TWpg秀吉が家康を殺したかったのは、小牧長久手の開戦で立証済み。
それができないと悟ったから外交で懐柔したわけだ。
秀吉は家康を外征の戦力として全く考えていない。
何故なら徳川は一兵たりとも渡海していないからだ。
よって豊臣軍の大陸侵攻戦力の消耗はゼロ。
秀頼より先に生まれた鶴松がすくすく育っていたとしても、
秀吉の方針は国内の安定統治より外征。
よって有力外様大名の解体なんぞ無い。
ボケ杉。
0534人間七七四年
2011/07/09(土) 07:34:31.99ID:HSy5TWpg家康が秀吉死後主導権取れたのは、250万石という巨封と五大老筆頭という地位故だ。
家康が先に死んで徳川家100万石くらいに減封となったなら、上記前提はなく、
他に豊臣の天下を簒奪しようとする輩はいない。
浅はか。
0535人間七七四年
2011/07/09(土) 09:58:31.47ID:+7s7ls330536人間七七四年
2011/07/09(土) 11:21:32.43ID:HSy5TWpg0538人間七七四年
2011/07/09(土) 11:33:25.08ID:HSy5TWpg0539人間七七四年
2011/07/09(土) 11:35:20.12ID:J84E88+rゲームとは違うのだから、
家康を間単に殺せるはずがない。
家康を滅ぼした後の処理が大変だと予測していたからこそ
秀吉は懐柔という手法を選んだ。
家康を成敗→忠義に篤い三河武士の蜂起
→東海地方の混乱に乗じて他大名が連携して独立戦争
→戦国時代へ逆戻り
合戦は軍事力だけじゃないよ。
人間の心理とかも絡んでいる。
0540人間七七四年
2011/07/09(土) 11:40:54.68ID:HSy5TWpgというか無理。
だから卑屈な土下座外交で上洛させた訳だ。
こんなの、小学生でも知っている。
0541人間七七四年
2011/07/09(土) 11:44:19.20ID:J84E88+r家康のみを殺す機会なら何度かあったよ。
三河武将のブチキレを警戒して
手を下さなかったのが秀吉の判断。
0542人間七七四年
2011/07/09(土) 11:48:18.05ID:HSy5TWpg秀吉の基本方針は信長のような完全殲滅主義ではなくて、吸収合併主義。
せめてもうちょっと勉強してから書き込もうよ。
0543人間七七四年
2011/07/09(土) 11:52:03.84ID:J84E88+r世継ぎの脅威となる人物は排除するのが定石。
野心の強い大名を、秀吉が疎ましく思っていたのは事実では?
0544人間七七四年
2011/07/09(土) 11:56:35.37ID:HSy5TWpg死ぬ間際、家康に秀頼の後事を懇願したんだが。
つまり家康と他の外様大名を同じに見ていたわけだ。
家康だけは心底が全く違うのにな。
0545人間七七四年
2011/07/09(土) 12:03:43.95ID:J84E88+rあなたのほうこそ、家康は腹黒い狸オヤジだったという
偽りの虚像を盲信しているように見えます。
野望のために耐え忍び続けたドラマとかの影響で語ってませんか?
武田の家臣団を吸収した大大名が、
従順に臣従しているとは考えないでしょう。
秀吉が寄せる信頼ゆえの保身ではなく、
家康が持つ実力ゆえの抑止力が働いて
手出しが出来なかったと考えます。
0546人間七七四年
2011/07/09(土) 12:14:31.91ID:HSy5TWpg議論の余地も無い。
秀吉が死ぬのをじっと待っていた家康。
旧武田家臣団を吸収しても、小田原落城後関東への転封を拒絶すれば、
家康は織田信雄と同様改易されるだけ。
当時の秀吉は小牧長久手当時より更に強大化し、
もはや家康はどう足掻いても秀吉には逆らえない立場。
自分と秀吉の戦力差を客観視できたから、家康は素直に命令に応じたわけだ。
そもそも秀吉が家康の実力を恐れていたなら、関東転封を命令したりはしない。
もし異議を唱えたなら、これ幸いと封土取り上げて終わり。
0547人間七七四年
2011/07/09(土) 12:21:53.79ID:rUY4vBdbしかもお互い一方通行に言い合ってるだけ
0548月孔雀
2011/07/09(土) 14:04:05.15ID:+xjQDJpE0549人間七七四年
2011/07/09(土) 14:38:20.25ID:6QB1oBed摂津以西の重要性をいまいち理解できていなかったのが家康
これは本人の資質云々以前に縁があまりなかったから
尾張以西の秀吉、摂津以東の家康の仕置きに比べると一応形にはなってはいるものの
なんだかいい加減に済ませている
0550人間七七四年
2011/07/09(土) 14:46:29.25ID:J84E88+r暴飲暴食だった秀吉の晩年はブタ。
質素に自制していた長寿の家康は、
太っているわけでもなく、健康体でしたよ。
デブの家康を想像してる人は、
ドラマの影響だけで語っている。
0551人間七七四年
2011/07/09(土) 16:16:18.64ID:6it5i6Xg基本ビビりで豊臣福島加藤島津の反乱が怖くて関東に引きこもってたのが家康w
0552人間七七四年
2011/07/09(土) 16:32:42.23ID:Jdhkttns傘下外様大名を合理的理由なく殺すと
政権が瓦解するぞ
秀吉を明の皇帝並の独裁権者と勘違いしてないよね
0553月孔雀
2011/07/09(土) 19:04:25.13ID:+xjQDJpE0554月孔雀
2011/07/09(土) 19:41:15.66ID:+xjQDJpE0555月孔雀
2011/07/09(土) 19:55:13.31ID:+xjQDJpE0556人間七七四年
2011/07/09(土) 20:17:10.94ID:QK/IoKcF0557月孔雀
2011/07/09(土) 20:19:23.67ID:+xjQDJpE0560丁ο児 ◆Kd2TSsZIFU11
2011/07/09(土) 23:57:48.00ID:POjmohu90561人間七七四年
2011/07/10(日) 05:51:20.03ID:Um26Yq3Q先に毒見する役目の部下が居たんだよね?
毒殺は難しいでしょう。
天井から杯に糸でも垂らすしかない。w
0562月孔雀
2011/07/10(日) 08:14:24.17ID:syVJwf5I0563人間七七四年
2011/07/10(日) 11:54:42.86ID:H7LMTew/家康始め有力大名の力を削ぐ理由は全く無い。
その必要性が生じたのは秀頼誕生・秀次事件からだが、
この頃の秀吉にはもう余命いくばくも無い。
こんな状態で家康始め有力大名の力を削ぐ為に無理をしたら、
秀吉死後どんな状況になるかは誰にでも予想がつく。
たとえ不安定であっても秀頼が成人するまでは何とか
二頭体制にバランスを保って貰うように願う他無かった。
まぁ、二頭体制を維持する為に若い秀忠と利長に
早いとこ実権を移させる努力はするべきだったと思うが。
0564人間七七四年
2011/07/10(日) 16:25:36.70ID:y9s5DPc8な、こたーない。
佐竹が南方三十三人衆を殺したみたいに、毛利、徳川、上杉、島津、伊達、最上の
当主と後継者と重臣を伏見城にでも招いて、一気に殺せば問題ない。
毛利領の接収には、宇喜田、藤堂、生駒、加藤(地味)を向かわせ
島津の処分は、加藤、小西、黒田、立花らに任せる。
前田は、上杉領の接収を堀や堀尾とともに当たらせれれば大丈夫。
徳川の処分は、東海道諸侯と甲斐の浅野に委ねる。なに、軽いもんさ。相手は脳筋
馬鹿の徳川武士団だ。ちょろいちょろい。
伊達は佐竹、南部で挟み撃ちでゲッツ
最上は秋田、小野寺と津軽の連合軍で潰せる。
0565人間七七四年
2011/07/10(日) 20:28:01.55ID:Um26Yq3Q混乱に乗じて一向一揆が吹き荒れたら?
浄土真宗は大人しくなっただけで、
滅亡したわけじゃないからさ。
ちなみに、加藤清正は、
自身が帰依する日蓮宗への改宗に応じない
民衆を虐殺したらしいね。
宗教戦争は生死の損得を考えない激戦になるから恐いよ。
0566人間七七四年
2011/07/10(日) 20:30:14.99ID:Um26Yq3Q毒見役が簡単に寝返ると思うか?
思慮が浅いぞ。w
0568人間七七四年
2011/07/11(月) 06:24:59.63ID:T+f6t6WF0569人間七七四年
2011/07/11(月) 07:23:30.66ID:hY0Oqq+m確かにな〜
しかし、それやったら日本史最大の汚点確定だろ?
やるなら一人一人少しずつ時間をかけて…
しかしいかんせん豊臣には時間がなさすぎる
家康から家光まで徐々に邪魔者を消せた徳川がやっぱり勝ち組
0570人間七七四年
2011/07/11(月) 20:54:46.04ID:q93bbnNZ殺したい人間だけ呼ぶのか、それとも全部呼ぶのか?
前者ならさすがに感づく人がいるだろう
後者なら混乱してとても収拾がつかない
0571人間七七四年
2011/07/12(火) 08:42:58.75ID:i/IYVuuN家康ら東日本の軍勢は明侵略用に温存させてただけ。
朝鮮攻略には西日本の軍勢だけで充分だと秀吉は思っていた。
家康を秀吉が排除しないのも大陸侵攻の力強い配下と思ってるからで
佐々成政なども朝鮮渡海のために肥後一国を与えて期待していた。
秀吉がわざと佐々に統治を失敗させた話は捏造。
律儀と思われた家康なのに秀吉が死ぬや
すぐに約定破りを開始しまくってるあたり
やはり家康は狸だろう。
0572人間七七四年
2011/07/14(木) 00:58:01.40ID:ylNsOga1東日本の軍勢は明侵略用に温存させてたなら、伊達の渡海と矛盾。
朝鮮攻略には西日本の軍勢だけでは不充分だと秀吉は思っていたからこそ、
伊達をはるばる九州くんだりまで呼びつけて渡海させたんだろうが。
秀吉が家康を大陸侵攻の力強い配下と思ってたなら、文禄の役で早々に渡海させている。
四国征伐や九州征伐の実質的司令官だった実弟秀長のようにな。
が、結局家康は慶長の役でも渡海せず。
当たり前だ。
国内で巨封有する家康を、更に巨大化させる愚くらい秀吉は承知。
大陸侵攻は豊臣の領土を更に広げ、徳川の領土を相対的に小さくするため。
よって家康の渡海は有り得ない。
秀吉が佐々成政を大陸侵攻の戦力として考えていた形跡は皆無。
佐々なんぞ当てにしなくても、駒は腐るほどいる。
家康さえ当てにしていなかった秀吉が、佐々なんぞを当てにする筈がない。
秀吉がわざと佐々に統治を失敗させた話は史実。
もっと勉強しような。
0573人間七七四年
2011/07/14(木) 03:01:45.79ID:M3fNvjp/お前は何を言ってるんだ?妄想は大概にしろ。
最初の文禄の和睦の時に朝鮮に渡らずに済んだ家康は義光に
「我々は運よく渡海せずに済んだ。
こうしてまた国元で鷹狩ができようとは夢か現か」などと言っており
戦況が進展した場合は家康も渡海する予定だったのは明白。
伊達の渡海は倭城の造営だけで戦力として渡海したわけではない。
伊達をはるばる九州まで呼びつけも何も南部とか安東とか全国の大名を呼んでるわけだが。
秀吉は佐々に検地は当分やるなと命じていたのに
佐々が検地を強行したから一揆が蜂起してしまったのであって
その責任を佐々が取らされただけだアホが。
0574人間七七四年
2011/07/14(木) 09:48:39.70ID:O/X5vYMq0576人間七七四年
2011/07/14(木) 11:51:11.43ID:pJ77q0Va>>もっと勉強しような。
今日のお前が言うなスレはここですね。
0577人間七七四年
2011/07/14(木) 15:13:55.56ID:R/XGHchM0578人間七七四年
2011/07/14(木) 16:56:29.75ID:Nw+qXjwp秀吉の目の届かないところで家康と豊臣恩顧の大名が結びつくのを嫌ったんだろ
事実、関ヶ原では豊臣恩顧が家康にしっかり取り込まれている
0579人間七七四年
2011/07/14(木) 18:24:58.56ID:pJ77q0Va0580人間七七四年
2011/07/14(木) 18:53:17.90ID:Nw+qXjwp「秀吉の目の届かないところで」
0581人間七七四年
2011/07/14(木) 19:27:32.61ID:IB9vLpC90582人間七七四年
2011/07/15(金) 10:46:01.07ID:p4CRvtZ3逆に家康の深謀遠慮が目立つというか。
ま、結果論ではあるんだが。
0583人間七七四年
2011/07/15(金) 11:03:33.33ID:kURujalb陰りと解釈するのは違うだろ。
全国統制するためには止む負えない。
家康みたいに全国統制を諦めて大名を政権に取り込む一方で
他大名の家中に干渉しまくりその家中内に豊臣公認ナンバー2を育成したり
蔵入地を設定するのを放棄したりして中央集権化を目指さないで
地方分権を容認するなら別だが。
0584人間七七四年
2011/07/15(金) 11:11:27.32ID:kURujalb実際、秀吉は朝鮮出陣組に対して
「関東・北国・奥羽の大名は在京して普請をやってる最中だが
それに較べたらお前達の朝鮮在陣はものの数ではない」と言っているように
朝鮮出兵組よりも日本に残ってる大名の方がはるかに重い負担を強いられている。
伏見城築城に至っては25万人の人夫を諸大名から負担させて
しかも工事をせかされ、不満の配下を死刑にしたり追放したりと
各大名は酷い強制力で家中統制して譜請を実行してる。
豊臣政権の監督の厳しさはハンパない。
0585人間七七四年
2011/07/15(金) 11:15:52.36ID:kURujalb陰りと解釈するのは違うだろ。
全国統制するためには止む負えない。
秀吉みたいに大名を政権内に取り込み全国への徹底統制力を
保持する一方で他大名の家中に干渉しまくり
その家中内に豊臣公認ナンバー2を育成したり
蔵入地を設定するのを
家康のように放棄したりして中央集権化を目指さないで
地方分権を容認するなら別だが。
0587人間七七四年
2011/07/15(金) 13:07:37.83ID:kURujalb豊臣政権が各地の大名らの身分保障をしてくれて
しかも刀狩りが行われ下克上の時代は終わり領地の奪い合いがなくなったのだから。
検地による公正な税納を受け入れられない者達の不満も過渡期ならではの現象でしかない。
0588人間七七四年
2011/07/15(金) 13:15:36.76ID:yN9ukKkH0589人間七七四年
2011/07/16(土) 09:38:38.03ID:1mhhLTId蔵入地は各地でも特に良好な土地に設定される事が多く
それ自体が豊臣の権威を見せつけてる象徴だしね。
また秀吉は各地に鷹巣を設定し鷹の管理までやってし
秀吉が宇都宮から会津へ向かう時に政宗に期限を決めて旧道を大きく広げた規格で整備をせかしている。
秀吉政権はほぼ全国を実際に見て周り
その地の取り次ぎ役を設定し検地をやらせるなど強大な執行力を備えたもの。
0590人間七七四年
2011/07/16(土) 10:15:23.83ID:PKRWTa5w0591人間七七四年
2011/07/16(土) 10:55:03.03ID:whnG6D2q地方領主の不快感なんて気にするわけないだろ。
末端まで把握支配する検地すら嫌がるのが蒙昧な地方領主だ。
島津なんて検地すら失敗して
改革がぜんぜんできない後進地だったからな。
大名家配下でも治外法権を持ち独自の城下町を形成している
半自立国人達を土地から切り離し大名家の官僚化による
支配統制力強化への改革だからね。
江戸時代中期から藩財政が行き詰り日本自体が停滞するのは
豊臣型の改革により大名権力の確立による海外大規模派兵力と
国家の後押しによる財を求めての海外大規模商業都市への殖民をやらなかったから。
豊臣政権は欧州の王権による絶対主義(常備軍・官僚制度)と
重商主義政策の萌芽が見て取れ
「富とは金であり国力の増大とはそれらの蓄積である」を強力に推し進め、改革に失敗する大名を厳しく指導していた。
0592人間七七四年
2011/07/16(土) 11:30:29.26ID:PKRWTa5w失敗したものが正しいと言われてもね
0593人間七七四年
2011/07/16(土) 14:46:01.96ID:1mhhLTId指導していた
秀吉の死去により
中止されただけ
0594人間七七四年
2011/07/16(土) 15:41:04.40ID:PKRWTa5wつまり秀吉以外はやる気がなかったという事ですな
だから秀吉は特別だったと言いたいのでしょうが、単に間違っていただけ
0595人間七七四年
2011/07/16(土) 15:55:02.11ID:q06OVCpV挙兵しなかったことがすべてを語っているな。
蔵入地を廃止してくれた徳川を潰すことになんのメリットもないからな。今更、豊臣公儀を
再興して、締め付けのきつい蔵入地制の復活を望むのは、福島や加藤清正くらいしかいない
だろう。
0596人間七七四年
2011/07/16(土) 17:50:33.65ID:b+OJCsXz0597人間七七四年
2011/07/16(土) 19:28:38.12ID:OXFWNH8O秀吉が中国とか朝鮮のように陸続きの場所に生まれていたらあのやり方で良かった
日本のような島国は外に目を向けるより独自の文化を深化させる方向で正解だった
0599人間七七四年
2011/07/16(土) 22:42:30.37ID:q06OVCpV豊臣家による集権体制完成までの過渡期的支配体制(第二段階)のことだよ。
第一段階 国人排除の結果、大名が直接、農民を把握できるようになって大名の権力が強化
第二段階 その結果として、国人層との結びつきがない大名権力が誕生
第三段階 国人層との結びつきのない大名は、豊臣公儀の言うがままに転封される存在に
第四段階 大名個人の死去時、後継者の能力不足や家中内紛を理由に除封や減封、廃絶など実施
第五段階 除封や廃絶した大名領に蔵入り地を設置、豊臣公儀の官吏を派遣
第六段階 第四段階を繰り返して、大名を小領主化し、頃合を見て処分、全国を豊臣官僚が支配する
0601人間七七四年
2011/07/16(土) 23:57:11.51ID:D5Q821nz太閤検地は後進地においては地元密着型目指してるって評価(藤野保)あるけど、それと矛盾しないか?
0602人間七七四年
2011/07/18(月) 20:19:07.15ID:247PXhTP秀吉晩年はキチガイ
こんな日教組と在日チョンの影響を受けたスイーツが戦国板にも増えてきたなあ。
0603人間七七四年
2011/07/18(月) 20:27:11.62ID:WhRiLgAHこないだ井沢元彦氏の本を読んでても出てきた 秀吉が天下統一を果たした直後のような
状況では、軍事エネルギーがすさまじく充満していて、どうしても外国へあふれでるって話
歴史的によくあることで、一度ひどい敗戦をしないと落ち着かないらしい
全部秀吉のせいになってるけど実は相手はどこでもいいから戦争やらせろってやつが
国中にあふれててどうしようもなかったかも知れないぞ
0604人間七七四年
2011/07/18(月) 21:34:24.36ID:5kIDmCSs家康が将来の禍根を断つため豊臣を滅ぼしたのも同様
0605人間七七四年
2011/07/18(月) 21:46:23.77ID:OyDLWphw明と交易できていたら鎖国は無かったとも考えられる
0606人間七七四年
2011/07/18(月) 22:04:00.11ID:yAKsUnpn0607人間七七四年
2011/07/18(月) 22:12:27.85ID:OyDLWphw0608人間七七四年
2011/07/18(月) 22:43:37.26ID:yAKsUnpn0609人間七七四年
2011/07/18(月) 22:47:49.01ID:OyDLWphw0610人間七七四年
2011/07/18(月) 23:03:31.78ID:yAKsUnpn0611人間七七四年
2011/07/18(月) 23:50:33.05ID:6+wMM26y人間の則天の精神に適うわけないやん。論じるお前ら小物やん。
0613人間七七四年
2011/07/19(火) 00:07:32.71ID:ADmvQyI0実際そうなんだけどね。こんなのお遊びだよ。
0614人間七七四年
2011/07/19(火) 00:23:15.81ID:lot6Vr+hそれ以前からまったくできてない。
倭寇対策をキッチリやらんと認めないとか無茶な要求してたし。
そもそも明の民が倭寇なんだし。
大友も明との貿易を拒絶されてるし。
0616人間七七四年
2011/07/19(火) 01:40:46.63ID:lot6Vr+h強力な中央集権国家による組織的海外殖民と貿易港の占拠。
特産品の輸出と輸入による貿易利潤独占を政府が後押しし
重商主義への道を行くのは世界史の流れでは正しい道だったわけだが。
そして地方分権のような江戸幕府は不正解の道を選んだに過ぎない。
また海外出兵を可能にすべく大名権力の確立に豊臣政権は助けていて
大名サイドからは歓迎されている面もあった。
一方で島津なんかは国人の抵抗にあって検地すら満足にできず
三成や細川幽斎から御指南されているが失望されてるなど
ドンくさい後進落ちこぼれ大名もいた。
義弘や伊集院は中央との交流で改革の必要性を実感し
領国の遅れた精神性にずいぶん恥ずかしい思いをしていた。
>>597
むしろ島国の日本は逼塞して行き詰るより
富を求めて海外殖民して利潤を求める市場が必要だった。
ポルトガルやスペインももはや東に大きく領地を広げることが
不可能だったので海外へ富を求めたわけだし日本と同じ島国の英国もそうだ。
上記の道を捨てたことで江戸時代は停滞と飢饉と内向きの国民性しか生まれなかった。
いろいろの持っていた先進国であったイスラム圏や中国圏は海外進出せずとも手に入れられた
一つの完結した世界圏だったがために海外進出に積極的でなく遅れてしまった。
日本が極東の持たざる小国であったから西洋の侵略が遅れて
時間的猶予を与えられていなければ、今頃、日本国があったかどうかも疑わしい。
0617人間七七四年
2011/07/19(火) 08:13:07.12ID:Sj600Njf0618人間七七四年
2011/07/19(火) 08:49:02.89ID:HIjFUOOg世界的に正しいかどうかと、政権維持に正しいかどうかはまた別問題
それはそれとして、お前がいう大名権力って具体的にナンなの?
文脈から見て豊臣は集権を志向している、でも大名権力を確立させるという
大名権力確立させたら、それ地方分権志向じゃないか?
よくわからん
市場狭隘説ってのはあるけど、そもそも日本の生産性がその狭隘な市場の枠に収まりきらないという前提は正しいのか?
0619人間七七四年
2011/07/19(火) 09:25:00.98ID:FzGcpgJz輸入超過なのは間違いない
それまでの一番の輸出物が人間だったしね
0620人間七七四年
2011/07/19(火) 09:51:35.82ID:tTJ7LRbT国交まではいかないにしても、貿易黙認程度は取り付けられるように
家康も苦労していたんだが
後、明が滅ぶのは寛永年間なんだけどね
0621人間七七四年
2011/07/19(火) 11:07:13.41ID:aBggM2ID日英同盟でやっとイギリスに認められた。
インドやアメリカを領有とまでは言わないが
半島なり東南アジアなりを所有してれば
対ロシア帝国や対米や対中の国防であんなに苦労することは無かったな。
軍事的に当事は最強レベルの安土桃山時代日本なら東南アジアでも欧州勢をある程度排除でき続けるのは可能で
ゴムやボーキサイトや原油など資源獲得に苦労せずに済んだし
そこから三角貿易に発展しただろうし
戦前は朝鮮からの米の輸入は日本国内需要の面でメリットがあったからね。
アホの小早川隆景が半島西南部支配に大失敗しなきゃ穀倉地帯を手に入れてたわけだし。
0622人間七七四年
2011/07/19(火) 11:55:35.89ID:tTJ7LRbT0623人間七七四年
2011/07/19(火) 12:14:02.08ID:aBggM2IDちょっと脅されたくらいで動揺する日本の外交が苦手な体質も引きこもったせい。
0624人間七七四年
2011/07/19(火) 12:38:41.46ID:tTJ7LRbT0625人間七七四年
2011/07/19(火) 14:15:30.18ID:Sj600Njf0626人間七七四年
2011/07/19(火) 15:33:48.37ID:tTJ7LRbT0627人間七七四年
2011/07/19(火) 19:57:18.44ID:yGcib+4Z>正しい道
全然正しくない
国と国はお互い監視の目を光らせているような関係だから、
ある国が突出的なことを行えば他の国はそれを叩くのが普通
海外進出が容認されているように見えるのは世界史上でもごく一部分で、
力のバランスが大きく崩れていないとそういう現象は起こらない
>>617
今後地球では爆発的な人口増加と資源の浪費による経済成長は不可能になる
日本の江戸時代はそうした定常的な社会のモデルケースとなりうる
つまり世界で一番進んでいたということだ
0628人間七七四年
2011/07/19(火) 20:23:43.78ID:aBggM2ID海外植民や重商主義は資本主義発展モデルだよ。
これらの段階的発展と成熟を経て産業革命が生まれ
第一次産業国と第二次産業国の差が表面化する。
それを否定することは資本主義経済の否定に他ならない。
いまの世界史的俯瞰で言えば後進地域であった西洋による世界分割の道を切り開いた正しい道と言える。
江戸時代のやり方に学ぶ点はあるかも知れないが、その一部を取り上げて不確定要素だらけの未来の理想を語り
江戸時代を最先進と断ずるのはおかしい。
幕府の石高制防衛と独占商人の米価格高値誘導、外部からの食糧調達不能で
あんな定期的に人為的飢餓が生じて餓死者を大量に出すような江戸時代を理想のように語るのはムリだわ。
0629人間七七四年
2011/07/21(木) 08:53:30.33ID:jPFUmL/j飢饉はなくても人は死ぬし、大体各藩の残した数字も多めとか少なめとか
そんなに明確じゃないような。
徳川の統治システムが、まず自分たちのお家最優先にあった以上は
無事260年も続いたことを評価すべきで、部分的に?死んだ人がいても
それ以上に長期にたくさんの人が生存したことも同時に考慮しないと
いけないだろう。
理想とは思わないが、部分のマイナス点を過剰に解釈するのも
同じような誤謬ではあるとは思う。
0630人間七七四年
2011/07/21(木) 09:36:48.10ID:xW0z1xrG0631人間七七四年
2011/07/21(木) 11:33:37.00ID:Mm3UU4FCと特定の視野からの評価を批判する一方、
そのすぐ上のセンテンスでその批判に該当するような評価してるんだから推してしるべき
0632人間七七四年
2011/07/21(木) 11:49:08.23ID:BGkgbtWo大量餓死してんの事実だろ。
お前アホなの?餓死を否定してる文献なんて見たことないわ。
その新説の出典はなに?
0633人間七七四年
2011/07/21(木) 12:00:47.04ID:1i5rpapQ1.人間同士殺しあう
2.飢餓で死ぬ
3.生まれてきた子供を間引きする
4.人為的に堕胎する
5.避妊する
6.セックスしない
上が野蛮で、下に行くほど高等と考えられる
江戸時代は1.の段階を卒業し、2.以降に進んだことを意味する
0636人間七七四年
2011/07/21(木) 15:21:00.78ID:jPFUmL/j食料生産に限度はあるけど、日本は魚もとれるから
供給もそれなりになんとかなってとは思う。
こういうと、魚だけで生きていけるか、と言われそうだが
あくまで工夫してなんとかなった、ということだからね。
餓死するぐらいなら干物たくさん作ったりそれなりになんとかはしたろう。
餓死なんだが、お上がこわくて少なめに申告、とか、実際は今の中国
みたいに戸籍?にない人もいたからもっと多かったろう、とか勝手に増やしてる
学者もいたようだが、窮状を訴えるために多めに申告した、という説もある。
東北震災も政府のせいにしてるように、飢饉での餓死をすべて幕藩体制に
持っていくのもどうか、という話。
江戸詰め家老が他の藩から災害を聞いて、あわてて自領に馬をとばして
確認、いろいろ指図手配したなんて記録もある。
現在の被災後の状況はかなり当時と似ているので、歴史に興味があるならぜひ
そういう視点から今後日本の政治ーエネルギー事情を考えてほしいところではある。
0637人間七七四年
2011/07/21(木) 18:29:34.89ID:Qz8PsMVg秀吉時代になって徹底検地による平等化、城郭・城下町・河川治水などで生産力が大幅向上し外征する余力が生まれた。
そして海外から技術や富を奪うことで文化・技術の人的物的交流が生まれ経済成長が促進された。
しかし江戸時代になり鎖国の国是とともに限定的交流に制限されたために食料の海外輸入もできず
商人の米価コントロールにより、民も武士も困窮する義持時代に逆戻りすることになる。
家格とリンクする石高制は畑まで田に変える過剰な米作至上主義に暴走し
作れば作るほど米価が低下する悪循環となり
武士の実収入は目減りし、経済規模の大縮小を生み
無能藩や既得権益者による改革反対の動きがリストラを拒絶し
藩財政が悪化するばかりで商人への借財のあまり
商人が藩政まで動かすまでになり、民が苦しむばかりになる。
そして藩札の暴刷や藩札の換金制無視というアホ政策で
さらに藩はおかしくなっていった。
しかも海外からの食料輸入もしくは
海外商人の食料売買による国内商人との競争や
海外遠征による富の奪取の選択肢がないため
硬直化した社会は世界から遅れ取り残され
世界から取り残された完結した世界は幕閣の危機感の無さを生み
政争に明け暮れただけであった。
これが徳川幕府の最悪な時代。
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1164706052/129-132
0638人間七七四年
2011/07/21(木) 18:40:46.02ID:Mm3UU4FC藤野保の本読んだら?
0639人間七七四年
2011/07/21(木) 18:48:48.01ID:vHCnjWK70640人間七七四年
2011/07/21(木) 21:06:54.36ID:16h1D+VPどんな船使ってやれば大陸から運び込める前提だ?
言っとくが朝鮮半島も満州も農業生産低すぎるから、
中国南方から運ばないとだめだぞ?
明治以降の機帆船が一般化した後と比べちゃだめだよ?
0641人間七七四年
2011/07/21(木) 21:48:15.12ID:BGkgbtWo生きるために定期的に中国沿岸部に略奪しに行ってたのは宣教師の記述から事実なんだが。
0642人間七七四年
2011/07/22(金) 00:17:55.12ID:LO3n5Nsz0643人間七七四年
2011/07/22(金) 01:56:39.06ID:42kW20puそもそもロクに農業技術が進化しなかった戦前でも
朝鮮から日本は大量に米を輸入して国内需要に回されてる。
純粋に資本主義の原理により
日本内地での高値売却が目的に大量に半島から米が移動した為に半島では食料難に陥った。
経済格差によって半島では購買力が不足し安値売却を嫌がった朝鮮商人による商行為だが
韓国では日帝の悪政による民衆搾取の一つだと糾弾してる。
0644人間七七四年
2011/07/22(金) 09:07:03.90ID:nKoNKVU3それと、ビビって手を出さなかったのは秀吉の方、という言い方もできるな。
0645人間七七四年
2011/07/22(金) 09:32:17.49ID:1Oc6xBSD徳川は悪じゃないのかなー?
0646人間七七四年
2011/07/22(金) 09:38:39.09ID:gLlcyjg10647人間七七四年
2011/07/22(金) 09:52:33.75ID:1Oc6xBSDまあ日本政府が公式見解を出してなければ各個人で善悪決めて心の中で
思っているしかないなー
0649人間七七四年
2011/07/22(金) 11:45:32.04ID:42kW20pu対米戦争は反薩長閥の東北人脈が
彼らを追い落とすために
外交軍事を政争の具にして対立抗争した結果引き起こした愚行なんだが…
0650人間七七四年
2011/07/22(金) 12:07:21.53ID:9PiLNETg東南アジア貿易から南蛮人の道案内までやってた倭寇が
五島列島や平戸など今の長崎県に拠点を配置していたのに
中国から輸入ができないとかデタラメすぎ。
>>644
百歩譲って秀吉がビビっていたとしてもそれは小牧長久手の時の話
(実際は島津が九州で拡大していたので大友らが秀吉に救援を依頼しまくっていた)
豊臣政権が樹立された時期の秀吉が家康にビビっていたわけがなかろう。
>>647
義弘などは三成や細川らに家中統制や検地の仕方を習って島津を改革し
国人達の影響力を排除し島津家の専制と税収向上を狙ってたもんな。
島津の旧来のやり方では中央政権と違って遅れていて富国強兵は難しいって実感してたから。
だから義弘は親豊臣なんだよね。関が原の時も家康が敵視してたのは
石田・大谷・宇喜多・島津・小西の5人で書状などでも名指しされてたぐらいだったし。
0651人間七七四年
2011/07/22(金) 12:43:05.42ID:yNq3fD4Eじゃあ、その前の大正デモクラシーで良いや
>>650
その小牧・長久手のトラウマは死ぬまで解消されなかった
秀吉の家康への厚遇はそれが一因と言える
0652人間七七四年
2011/07/22(金) 13:37:25.10ID:omn19xPi本気で家康を豊臣政権の重鎮として当てにしていたように見える
0653人間七七四年
2011/07/22(金) 14:28:04.98ID:42kW20puアンチ秀吉のチョンがあまりにバカ過ぎてワロタw
0654人間七七四年
2011/07/22(金) 15:37:51.67ID:xvWHcgUE秀吉が好きですっていっていた方が何かと便利
関東の人は特に好き嫌いはなさそう
0656人間七七四年
2011/07/22(金) 16:22:34.70ID:9PiLNETgなぜならそのアンチぶりがほとんど言い掛かりに近い内容の工作ばかりだったり
売国左翼っぷりの思考回路で毎回毎回嫌悪感が生まれるから。
0657人間七七四年
2011/07/22(金) 20:01:32.50ID:N2jeoKc50658人間七七四年
2011/07/22(金) 21:09:27.88ID:dFOa1FWAデタラメはお前だ。記録の残ってる江戸時代の交易品見てみろ。
どこに主食になるような物の取引の記録が残ってる?
>>637のアホは国外との商取引で食料品価格に影響が出るレベルの
取引が可能だ、って主張してるんだぞ?
これがデタラメじゃなくて何だ。
0659人間七七四年
2011/07/22(金) 21:35:15.90ID:UA/QA3QE米作至上主義あたりでいやになったのに
でも口調は悪い
これがツンデレか
0660人間七七四年
2011/07/22(金) 21:52:18.09ID:42kW20puそもそも江戸時代は鎖国で食料輸入できないと書いてあるのに
江戸時代の交易品を見ろとは…お前はなにを言ってるんだ?
輸入制限下なのだから贅沢品や貴重品に類する物は輸入してもわざわざ食べ物なんて優先的輸入をするかよ。
輸入で米価値を揺るがしては武士への給与とも言うべき石高制と御用商人の米相場を安定保持できんだろ。
日本内だけでほぼ完結された小世界に引きこもっての自給自足市場なんて破綻するわな。
つか日本人じゃなく在日の方ですか?
豊臣政権における海外からの人と技術と富の収奪と原材料の安値調達と遠距離物資大量移動(遠距離であればあるほど珍品化し高値で売れる)が資本蓄積を生み出し
それが生産国での大規模農業と工業国での原材料の加工と言う手工業の大規模組織化を促すことで資本主義が発達する。
0661人間七七四年
2011/07/22(金) 22:35:13.15ID:yNq3fD4Eぜひ、その例をお教えください
0662人間七七四年
2011/07/22(金) 23:19:04.00ID:ey+6MQlO鎖国? 戦前に教育を受けた方ですか?
江戸時代の交易は金銀の流出を防ぐことと、キリスト教の侵入を防ぐための制限以外、
貿易品目に制限はかかってませんが?
日本と他国の間の長距離貿易で普通の食料品を輸出入して利益が出るんなら、
やってるよ。
当時の船舶の輸送量と航海術から考えて、安価な主食類の輸送なんてやってられない
から誰もやらないだけだろ。
0663人間七七四年
2011/07/23(土) 04:03:58.28ID:POIsctBM秀吉は信長を多いに反面教師としてたから「柔」でもって懐柔しようと思ってた
んじゃないかな。ただそれをやり過ぎた。
>>652
そうかも。後世の人間は歴史を知ってるから秀吉の家康の厚遇に「何で?」
と思うが、秀吉存命中の家康は律儀で誠実で極めて有能な家臣だからね。
しかもあの信長と20年の同盟者という実績は正しく律儀そのものだろう。
0664人間七七四年
2011/07/23(土) 12:28:18.43ID:/k/nIeX5思うよ。小牧の話だけどね。
秀吉絶頂期には、ビビった、というと異論はあるだろうけど、一目おいていた
という言い方ならいろんな事実から間違いはないだろう。
絶頂期の秀吉ー家康の関係はなかなかむつかしいんだが
秀吉から見ると最強の味方ではあるが油断はできない、だから全てにおいて
厚遇というか神経使いまくり、ってとこだと思う。
ビビってたんじゃなくて、トップの最重要な関係だろうしね。
ただ、家康からみて「心から臣従していた」というのにはそれなりの疑問は残る。
狸っていうぐらいだから、ずっと最初っから秀吉なんか信用してなかったかもしれない。
政治家として秀吉が一枚も二枚も上だったから仕方なく江戸にとばされて良好な関係を
気ずいてはいたが、秀次事件ー出兵、という事件が無くてもチャンスを狙ってた、というかね。
もちろん結果論ではあるが、小牧で実力で勝ってる、というのは両者の関係を考える上で
基本で忘れてはならないもの、ではあるだろう。
0665人間七七四年
2011/07/23(土) 12:40:56.71ID:VYIuYy9P当時、関東からは宇都宮はじめ北関東諸将から対北条の救援依頼が、
九州からは大友から対島津の救援依頼が来ており、早急に対応しなければならなかった。
秀吉は九州攻めの為、紀州勢、四国勢、北国勢を下すと共に、北条と同盟を組む家康を抑え
東の脅威を取り除く必要があった。無理をして臣従させる必要があったのはその為。
徳川は臣従後も北条に対して秀吉の事を「羽柴方」と呼び、あくまで北条寄りの姿勢を示していたが、
征西後は一変し、秀吉の命令に従えないのなら娘を返せと秀吉の使者としての立場を
明確にして北条との同盟を反故にしている。
これは西側の脅威が無くなった事で北条や伊達との同盟があっても秀吉には敵わないと
判断したからであり、時勢を見る目が確かな家康の見事な行動だったと言える。
その後も北条との交渉や小田原攻めで大きく活躍して旧北条領を拝領する。
その結果、「東国の取次」としての役目が上杉から徳川に移るようになり、
豊臣政権内での立場を大きく向上させる結果となる。
家康が得た立場は自らの立場を利用した立ち回りやその後の行動によって勝ち得た物であり、
時系列を追って見て行けば至極当然の結果だ。
「小牧・長久手のトラウマ」だなんてファンタジーじゃない。
0666人間七七四年
2011/07/23(土) 16:13:15.53ID:4FFg2axr>狸っていうぐらいだから、ずっと最初っから秀吉なんか信用してなかったかもしれない。
狸なら、秀吉が磐石の体制築けば当然のようにそれに従っていただろうな
ところが秀吉死後は自分が支えなければ政権がもたないことが分かったので、積極的に支えようとはしなかっただけ
自分のほうがより良い政権築けるという自負は当然あっただろうし
0667人間七七四年
2011/07/23(土) 17:19:07.01ID:7WOLK9+1へぇ〜貿易品目に制限がないから儲かるなら誰でもやってるってw
ならわざわざこそこそ抜け荷をやるアホはなんだったんだろうねぇ。
金銀流出の抑制とはすなわち輸入の総量規制と価格統制が目的なわけだがwww
そして誰でも輸入ができないのは平戸・長崎と指定され幕府が管理している条件と
老中の書いた奉書と朱印状の両方を携行しないと認められない事実ではっきりしてんだがw
そして自由貿易なら飢餓状態なら当然に大商人による輸入だってできたわけだ。
そもそもウィリアム・アダムスによって大船建造の技術が日本にもたらされていたし
実際にメキシコまで行ったりしてるし、政宗が建造した遣欧船も家康に指示されて
アダムスの指揮の下に正宗が大金をムリヤリ負担させられ作られたもの。
しかし一方で大船建造の禁を出したから民間の大商人どころか藩まで大船を作れなくなった。
そんな港指定や奉書所持や禁がなければ大商人の大船団が東南アジアで
幕府の重商主義政策によって闊歩してただろう。
アユタヤ日本人町や朝鮮貿易港の統治などを通じて華僑以上の存在になっていたはず。
0669人間七七四年
2011/07/23(土) 19:08:36.47ID:7WOLK9+1そうだよね。
老中の書いた奉書と朱印状の両方を携行しないと中国との貿易もできんからね。
総量規制の価格統制に品質の高い貴重品の生糸の輸入制限までかけたからね。
国内の品質の低い国内生糸業者を守る意図もあったし。
0670人間七七四年
2011/07/23(土) 19:59:59.48ID:9EVG/aHwそれ以前に、日本は中国の港から締め出し食らっているんだが
特に朝鮮役以降は
後、糸割符はポルトガル人の生糸独占と高値による金銀流出を避けるためなんだが
勿論、幕府による貿易独占もあるが
この程度のことは東インド会社と大して変わらん
0671人間七七四年
2011/07/23(土) 20:15:44.34ID:nN3LquzLただ柵封の伝統から家康が臣下にならないなら表向きでは無理な態度でいたが
明側の妥協案としては民間レベルを口実にして許してる。
それは認めない場合に日本側がまた軍事的な力ずくに討って出るのを恐れたから。
その状況にありながら幕府側が朱印だけでなく
老中の奉書も必要と言い出して大幅な規制に走った。
もっとも秀吉が生きてたら最低でも南朝鮮の貿易港を占領して
豊臣政権主導の日本商人街を設定し植民地経営を開始してるだろうが。
陶器技術の独占や朝鮮南西部の穀倉地帯からの輸入、
さらに大船建造による制海権確立による生糸貿易独占と生糸加工産業育成など。
0672人間七七四年
2011/07/23(土) 21:02:19.44ID:9e2xnJtH朝鮮戦役時の秀吉が、全盛期のチート状態だった時なら可能な策に過ぎないな。
現実は、そこまでの見通しもなく、戦を始めてるわけだ。
文禄の時は、自分が渡海して総指揮をするつもりだったから、現地軍の総指揮官
を決めていなかったせいで、各大名軍の統制が取れず、点と線の確保しかできず
義兵の蜂起を許している。確固たる方針があるのなら、南朝鮮の港湾部を確保し
て朝鮮水軍の拠点を潰し、その周辺を植民地化するなりしなければならないが
現実が、あれだからな。
0673人間七七四年
2011/07/23(土) 21:04:08.73ID:9EVG/aHw後、金銀流出をどうお考えで
ついでに言うとその頃の日本は大開発の時代なんですが
また、生糸や綿の国産化は金銀流出を懸念したためなんですが
また、南朝鮮維持するのにどれだけの兵と金が必要かご理解していますか
0674人間七七四年
2011/07/23(土) 21:04:21.87ID:yXO/EUC8へいへい。
んで、なんで長崎で取引を許されてる人は、主食の輸入をしないの?
あと、開港の制限と輸出入品目の制限は別問題だろ。
現代日本だって建前上は指定した港湾以外は開港してない。
(不開港も「特許」とらせて外国船入らせてるけどね)
0675人間七七四年
2011/07/23(土) 21:08:22.27ID:nN3LquzL冬季の北朝鮮の越冬の厳しさから
戦略を変更し
南朝鮮確保策として海に面した倭城の築城をさらに促進しているし
余力として家康や利家らの戦力もあり
秀吉存命なら南朝鮮の確保は可能だった。
むしろ明にも根本的解決を強制する能力はなかった。
0677人間七七四年
2011/07/23(土) 21:27:20.61ID:9e2xnJtH南朝鮮の確保なんぞ、全盛期の秀吉なら文禄の時点で実行してる罠。
文禄の失敗を踏まえて慶長の役に臨んでも成果は期待できない状態。
朝鮮による清野作戦と義兵によるゲリラ活動、前役を上回る明軍の投入
7年たっても構造が改善できていない日本水軍の軍船とか、マイナス要素
が多すぎて、南朝鮮の確保が可能か疑問だな。
0678人間七七四年
2011/07/23(土) 22:18:22.40ID:POIsctBMがするのは何でだろう?死んだから可能性として妄想を膨らませている
わけでもないんだが。
やはり派遣されるだろうメンツのせいかな。秀吉は絶対派遣されただろうし
信長が生きてれば秀吉は絶対呆けないし、明智や柴田や滝川もいるんだよね。
0679人間七七四年
2011/07/23(土) 23:49:10.49ID:nN3LquzL日本との民間貿易で大量の銀を手に入れていた明は深刻な銀不足が進行し
銀に代わる紙幣は歓迎されず北辺防衛への銀による軍費にも困ってたわけだが。
明にとっても琉球をクッションに日本と交易をしていたが
末期には直接貿易も黙認しており李旦や鄭芝龍などが日本と貿易しており
この期間に日本側の朱印状所有者は明人11人
外国人12人でありポルトガル商人が独占してたわけじゃない。
清が米禁をしたのも海外への米の流出から福建での米価が急上昇したからで食糧の貿易需要も存在しているのがわかる。
0681人間七七四年
2011/07/24(日) 01:46:31.25ID:Xd8Y+4g3糸割符を始めた当初は銀採掘に陰りもなく流出の懸念などしてない。
幕府認可の天領特定商人だけしか生糸が輸入できないようにしただけ。
50年後の貨物市法が適正価格化への是正と銀の流出調整が目的だ。
1592年に秀吉が海賊禁止令を出して倭寇の撲滅に乗り出すと
明は1593年の月港再開港で海禁政策の見直しをしている。
1598年に秀吉が死んで朝鮮出兵が終わり落ち着いてくると
非公式の日本人商人が東シナ海で中国商人と取引するようになり
次第に明も国防費の捻出の観点から容認していた。
明は名目的に認めてない立場ながら公式ルートとしての朱印船貿易では大商人以外でも
島津・松浦・有馬・細川・鍋島・加藤・亀井・五島・竹中・松倉なども行っている。
そのため16世紀の後半に中国に流入した銀は2100トンから2300トン(そのうち日本銀1200トンから1300トン)、
17世紀前半については5000トン程度(そのうち日本銀2400トン)と日本銀が半分以上を占めていたそうだ。
そのため明にとって日本商人経由での銀の輸入は死活問題であった。
0682人間七七四年
2011/07/24(日) 03:25:03.17ID:ErAiqbgD>>時勢を見る目が確かな家康の見事な行動だったと言える。
これは思うね。
家康は信長と同盟を結んでいた時、自分が苦境に立たされても、信長が苦境に立たされても
同盟遵守していたけど、それは律儀だからというよりも信長という人間をよく観察して
時勢をちゃんと読んでいたんだろうなと思う。
0683人間七七四年
2011/07/24(日) 08:14:08.21ID:/+7F9zDBもちろん同意なんだが、家康のそういった時勢を判断する大元は
両者のみならず全体と相対的な関係にあったということでしょう。
家康が秀吉にはかなわないと思ったように、秀吉もまた家康にはかなわないと
思ったろうし、両者がその後軍事度衝突をおこさなかったのはやはり大元は
小牧あたりにさかのぼり、その影響がある、というのをちょっとは覚えておいたほうが
いいかなって。
それが100%というのではなくてね。
0684人間七七四年
2011/07/24(日) 08:21:00.12ID:/+7F9zDB秀吉死後にわかって、というのはどうだろう。
死後すぐに行動に移してるでしょう。
だから、秀次ー出兵あたりから「チャンス?」なんて思ってたろうというのは
共通理解でいいとは思うけどね。
それより秀吉こそ最後の方はボケたとして、家康が死後もずっと豊臣家に臣従してくれる
と信じていたんだろか。
あの先を読める秀吉ほどの人物が、最大のミスを最強の相手に最悪の時点でして
しまったのだろうか。
最後からさかのぼって、秀次事件あたりでも「家康を信じて」いたんだろか。
もちろん推測にしかならないのだけど、家康のタヌキぶりはまたあの秀吉すら
たぶらかしたとするならすごいもんだとは思う。
0685人間七七四年
2011/07/24(日) 09:00:53.08ID:StAaU1U3あのね、人にレスするんなら内容を理解してからにしようよ。
家康が敵わないと思ったっていうのは周囲の状況や戦力という現実的な状況判断から。
「こいつは戦が強い」だなんていうファンタジーじゃないの。
0686人間七七四年
2011/07/24(日) 09:12:11.25ID:IQIPu3sC紀伊・北陸・四国と、どんどん征服して
差は開いていくばかりだからね
0687人間七七四年
2011/07/24(日) 09:31:59.58ID:QbMwcOia秀吉は都合の悪い事実はあえて見ないようにして、自分で物語を作っていく癖があった
秀頼が本当に自分の子供なのかとか、朝鮮出兵の現状とか
自分の死後のことなんてどんなストーリーでも書けるだろ
0692人間七七四年
2011/07/24(日) 16:37:04.06ID:/+7F9zDBあれ、別に「こいつは戦が強い」だなんて言ってないけど。
他の人のレスと間違えられたかな。
両者の長い関係の大元は小牧あたりから始まる、ということを言いたかった
だけだよ。
0693人間七七四年
2011/07/24(日) 16:46:19.44ID:/+7F9zDB末期はそうだろうね。
で、もう少し前とかずっと前はどうだったんだろう、ってね。
692に続くけど、小牧のあたりではどうだったんだろうって。
もちろん周囲の状況や戦力という現実的な状況判断から
総合的にどう家康をとらえていたのだろうってね。
秀吉や家康のすごさというのは、そういう政治家的な状況判断も
あるけど、やはり最後は「手に手をとり」になっちゃったし
直接対決をした両者がそれ以前やそれ以後も長期に渡り
「面識があった」というのは結構珍しい例だとも思うのだよね。
文章がおかしくて悪いが。
0694人間七七四年
2011/07/24(日) 18:06:36.60ID:ErAiqbgDまあ家康は一応あの信長と長きに渡り同盟を結んでいたからね。なんせ20年!!!
それだけでも秀吉にとってはポイントは高いだろう。
信長の折り紙つきの有能さに加えて律儀者としての実績は十分。
小牧・長久手って一般的には織田家VS秀吉と言われているけど
織田家家臣はほとんど秀吉側についた中で、家康は色んな思惑
があったろうとは思うけど一応建前上は織田家を守るという
スタンスだったから秀吉は家康に対して余計律義者という印象を
持ったのかなあというのは個人的な感想。
0695人間七七四年
2011/07/24(日) 18:35:54.80ID:/+7F9zDB話それて悪いが、織徳同盟はなかった、みたいなのも
最近はよく見かけるね。正式に調印したわけじゃない、とか。
自分はそういのはちょっとヒネた見方でやっぱり両者は上下とか
強弱は別として同盟ー協力関係にあったとは思うけど。
それと20年どころかある意味、現在でも継続してる、なんてのもあるね。
あの時代の同盟なんて無条件破棄が普通だけど信長の死まで
続いていたわけだしね。
ほんで、秀吉が家康をどう思ったろう、というのは面白いから
もう少し語っておくれ。
建前上は両者いろいろあるわけだが秀吉が家康を屈服させるための手練手管
というのはすごいものがあるものね。
それと信長亡き後の織田家に対する両者のスタンスというのも
面白いところだわな。
秀吉には織田家簒奪の意思はなかった、みたいな徳川史観の反動みたいなのが
最近は主流みたいだしね。
0696人間七七四年
2011/07/24(日) 18:44:48.80ID:vMgwHOzWただし、臣従するにはそれなりの立場を必要とする
高い買い物だが、それに十分見合うものと周囲に認知させているな
0698人間七七四年
2011/07/24(日) 21:10:22.29ID:ErAiqbgD>>秀吉には織田家簒奪の意思はなかった、みたいな徳川史観の反動みたいなのが
最近は主流みたいだしね。
え〜!!!秀吉に織田家簒奪の意思がなかったというの最近の主流????
史実を見る限りとてもそうは思えんのだけど。。。。。
よく家康は律儀者の仮面を被り続けていたと言われるが、基本本当に律儀だったと思うよ(仮に計算高さが根幹にあったにせよ)。
律儀だった事が政権奪取にとても役に立ったけど。
単に被り続けているだけなら秀吉もあそこまで信頼しないと思う。
彼が変貌したのは関が原直前からで、天下を前にすればほとんどの人間が
変わるというか変わるざるおえないと思う。
秀吉自身が本能寺の変後に天下を前にして人が変わったのだから、その当時の日本で
唯1人天下を目前にした人間の心境の変化をわかっていたはずなのにそれを家康に
あてはめなかったのは秀吉の甘さなのかなと思う。
0699人間七七四年
2011/07/24(日) 23:34:16.18ID:O2xucUZa家康が秀吉に対して敵わないと思ったって言ってるのは、
周囲の状況が小牧・長久手の頃と全く違ってしまったという事だ。
小牧・長久手の頃は包囲網を形成すれば対抗手段はあったが、
九州征伐後はどうやっても対抗出来ないと踏んだって話。
飽く迄状況判断の話をしてる訳であって、
> 家康が秀吉にはかなわないと思ったように、秀吉もまた家康にはかなわないと
> 思ったろうし
こんな馬鹿げた事を言ってる事自体、人のレスを完全に理解していない。
その出鱈目な句読点と「ほんで」とかいう言い回しは
たまに家康秀吉関連のスレに出没する馬鹿だと思うけど
相変わらず絶望的に理解力がないのな。
理解できないなら「同意なんだが」とかレスすんなよ。
0700人間七七四年
2011/07/25(月) 17:41:03.20ID:RSyl0CUMもし秀吉が家康を危険みたいに思ってたのなら当然対処するよね。
江戸への移転とかがその一環の一つというのは長期的にかなり
うまい方法だとは思うのだけど、出兵とかのゴタゴタや
自分の寿命が迫った時に家康に対する対策というか危機管理みたいなのを
あまりしたような行動は見られない。
このあたりは少し不思議なんだよね。
家康がいつから秀吉死後の行動を計画してたかは検討しないと
いけないがほとんど謀反みたいなようなものだし
秀吉がボケてきて自分は壮健、しかも豊臣は内部でモメてる
となった時に初めてチャンスと捉えたか
それともじっと小牧直後あたりから情勢を伺ってたか
秀吉はその間どう思ってたか、個人の思いとかに矮小化して
判断してはいけないが面白いところとは思う。
0701人間七七四年
2011/07/25(月) 18:36:56.45ID:C3B5B1rE撃退できそうな配置なんだよな
0702人間七七四年
2011/07/26(火) 01:31:41.29ID:czbT2fMV>このあたりは少し不思議なんだよね。
ボケてきたのもあるし、晩年の秀吉は自分が信じたいように信じるようにも見える。
元々信長を反面教師にしていた面もあるから出来れば「柔」路線で行きたかった
んじゃないのかな。信長の死に様を見ているからある意味それが縛りとなって
部分があるのかも。
>秀吉がボケてきて自分は壮健、しかも豊臣は内部でモメてる
となった時に初めてチャンスと捉えたか
多分そうじゃないかな。あくまでもチャンスが巡ってきたからだと思う。
チャンスがなければ一生有能で律儀な家臣なままで終わっていたんじゃないか。
以前の書き込みとダブルような内容になるが、秀吉もそうだけど家康も早くから
信長の天下統一事業に関わっていて天下に対する認識というか姿勢は他の毛利や
上杉とは違っていたと思う。彼らよりもずっと天下は身近にあったものだから。
0703人間七七四年
2011/07/26(火) 04:00:35.14ID:GTB0JmDl状況が変わったら対応も変わるものだしね
0704人間七七四年
2011/07/26(火) 12:23:18.61ID:hG9GZFBNチャンスが巡ってきた、というのはもちろんそうだろうけど
秀吉死後に仕掛けたことも結構強引ではあるよね。
数時間で勝ったから関ヶ原は楽勝みたいにも思えるけど戦なんて
やってみないとわからないし勝因や自信はあったろうけど
やっぱり結果で見るほど約束された勝利ではないというか。
だから豊臣の内部ゴタゴタがあったからそこで初めて
チャンスを現実化させようとしたというのもそうだろうし
もう少し前から信長等の天下統一事業の影響で
自分から積極的にチャンスをつかもうとしたというのもあるかもしれない。
ずっと天下を狙っていたというと陰謀史観みたいだしゲームみたいで
イヤなんだが家康の場合は状況や実力から少なくとも小牧以降
のドタバタで秀吉さえいなかったらとかそんなように思ってたかも
しれない。
豊臣家のゴタゴタ見れば誰だって行動するだろ、みたいな意見をよく見かけるけど
ちょっと結果論っぽくてやっぱり家康自身の意思みたいなのを重視したいとこはあるんだよね。
リスクを犯して仕掛けるか五大老のままでお家を大事に考えるか。
いくら壮健とはいっても50だしチャンスが目の前にあったとはいえ
よく決断したというか実行したかというか。
幕府開いたあたりで死んでたら3代で終わってたかもしれなくて
そうするとその他大勢武将みたいに扱われてたかもしれない。これはまた別の話
なんだけどね。
0705人間七七四年
2011/07/26(火) 12:32:04.04ID:5SGh+V750706人間七七四年
2011/07/26(火) 22:43:26.66ID:tYuEOmTP君子豹変というやつかな
0707人間七七四年
2011/07/26(火) 23:13:54.48ID:5SGh+V750708人間七七四年
2011/07/27(水) 01:21:47.84ID:zDMBV6+Hあの年齢、あれだけの地位にありながら博打が打てるのは凄いと思う。
単に天下取りの野望だけではなく、明確にこの国をどうしたいという
ビジョンがあったから賭けに出れたのかもしれない。
小牧以降は家康がどう思っていたのかはよくわからないけど、少なくとも
成人した秀次がいたらかなり政権奪取は難しかったのではないかと思う。
それが秀次事件が起きて秀吉は長くなく跡継ぎが幼少で「これならいける」
と踏んだのかも。
そもそも秀吉自身が三法師を傀儡にして織田家簒奪というお手本を示しているし。
もし小牧辺りで仮に家康が勝って天下統一しても江戸幕府と同様の政権が
出来たかわからないし、それが250年も続くものだったかはわかんないんだよね。
豊臣政権を経たから江戸幕府が出来たのだとしたら歴史は必然の流れなんだなと思う。
>>幕府開いたあたりで死んでたら3代で終わってたかもしれなくて
そうだよね。
しかも大阪の陣の約一年後になくなるなんて出来過ぎていている。
それ以上長生きしても今度は秀忠との間(というかその取り巻き)と
軋轢が起きたかもしれんし。
0709人間七七四年
2011/07/27(水) 04:25:04.41ID:Vfa8AH6C秀吉が家康を大陸侵攻の戦力として考えていなかった証明は、
文禄の役のみならず慶長の役でも渡海させなかった史実で明白。
戦況の進展も糞もない。
よって家康が最上に渡海せずに済んだ云々の余談も、単なる脳内妄想。
お前は何を言ってるんだ?妄想は大概にしろ。
伊達の倭城の造営は、朝鮮の地で為すべき任務の一環にすぎず、
築城に特化した渡海など、当時の軍事の常識として有り得ない。
お前は何を言ってるんだ?妄想は大概にしろ。
全国的検地は秀吉の政策の根幹。
なのに肥後の佐々に対しては、己が推し進める政策と逆行する命令。
つまり佐々陥れの策略であると小学生でも分かる。
史料云々以前の常識だ。
なのに佐々の検地強行による一揆の責任をとらされただけだとサ。
アホ杉。
つまらん歴史捏造の創作力だけは一丁前だが、小学生レベルの思考力さえ無いのは痛いな。
0710人間七七四年
2011/07/27(水) 05:00:33.69ID:Vfa8AH6C東軍に着いた豊臣恩顧諸将は朝鮮の戦陣。
家康はずっと国内。
秀吉の目の届かないところで結びつくも糞もないんだが。
頭大丈夫か。
豊臣恩顧諸将が家康に取り込まれた経緯さえ知らん無知。
知ったかぶりして恥を晒してる己の醜態さえ分かってないブザマさは、痛すぎるな。
0711人間七七四年
2011/07/27(水) 12:07:23.33ID:1F4uHtCH秀吉は菊池や阿蘇の旧臣の国人たちを警戒して
統治実績が出て人心が落ち着くまで数年間の検地を禁止したのに
5月に島津が降伏したばかりなのに
7月に早くも佐々が検地をしたので
肥後に国人達は検地を数年やらないと言う話と違う!と挙兵してんだが。
12月には佐々政元曰わく「和仁城中の国衆を撫で切り」するなど隈部氏など有力国人の数々が滅亡。
翌年1月以降、浅野や生駒や加藤や小西や蜂須賀や福島らがやってきて残党狩りが始まる。
佐々は国人一揆を誘発した罪を問われて切腹。
なお琢磨群の相良氏は一揆を警戒して検地を見送っている。
もし最初から秀吉が佐々を罠にハメてるなら浅野らの動きが鈍すぎるし
そもそも秀吉が一揆を煽った証拠もない。
伊達の朝鮮出兵も倭城築城のためだったのは、同じ目的で渡海しか上杉を見ればわかる話だし
そもそも家康だけでなく秀次も南部らを率いて渡海予定だったから家康だけ例外は有り得ない。
0712人間七七四年
2011/07/27(水) 13:10:21.18ID:wjw2pt53自分はこの国という視点よりやはりお家存続というのが
家康最大の目標だったとは思う。
だったらなぜ博打打って大戦に持ち込んだかというのはあるけど
あの状況ではトップを狙うのが一番長期的にも効果的と判断したんじゃないか。
そういう意味なら国というビジョンも範疇に入るとは思うけどね。
江戸幕府は豊臣の中央集権システムをかなり引き継いでいるけど
単に模倣というよりはよいとこ利用の発展形とするべきだろう。
朝廷への態度の違いからも家康はその時点での最大の効果を狙って対処する
応用能力が優れてたと思うのでどの時点で死んでもそれなりの
今後のお家存続作戦を考えていてある程度は機能したかも。
豊臣家を崩壊させてから死んだというのはできすぎなんだが
これが最後で最大の家康の目標だったというのはあるだろね。
オカルトで悪いが豊臣老臣が死んだあとに大阪の陣が起きてるのも
なんかアヤしいとは思ってる。
そうそうタイミングがよいことばっかり起きるものではないし
歴史というのはある程度「誰かが起こした」というのもあるんじゃないかってね。
家康を最後はオカルトでしめくくってはバチがあたるか。
0713人間七七四年
2011/07/27(水) 14:19:10.29ID:1F4uHtCH死にそうな利家相手でも勝算が立たなかったのは明白
0714人間七七四年
2011/07/27(水) 14:20:46.30ID:+9HmjCP2おまえ何でそんなに家康が気になるの?
0715人間七七四年
2011/07/27(水) 14:21:57.87ID:+9HmjCP20716人間七七四年
2011/07/27(水) 16:36:08.27ID:ti07AVoX家康は和議になって安堵しただろうな。
家康は織田軍まで統括してるわけでもないから
簡単に調略されて孤立させられてるくらいだし
織田と徳川が共同軍事行動してたら
柴田のように織田に傍観されて徳川が餌食にされてただけだろ。
伊勢を主戦場に考えていた家康だが
伊勢戦線は軽く秀吉にボコられてるし
0718人間七七四年
2011/07/27(水) 19:12:52.48ID:JaGagAUN>知ったかぶりして恥を晒してる己の醜態さえ分かってないブザマさは、痛すぎるな。
自己紹介乙すぎる
0719人間七七四年
2011/07/27(水) 21:52:32.45ID:zDMBV6+H>オカルトで悪いが豊臣老臣が死んだあとに大阪の陣が起きてるのも
なんかアヤしいとは思ってる。
そうそうタイミングがよいことばっかり起きるものではないし
歴史というのはある程度「誰かが起こした」というのもあるんじゃないかってね。
私個人は秀吉が言っていた「天下が天下人を選ぶ」、秀吉の後の天下人は家康
だったという事かなと思っている。
だから秀吉が天下人となる過程を見るとまるで彼を天下人にのし上げるかの如く
チャンスが巡ってきたように家康にもツキが廻ってきた(勿論彼らの実力があって
は言うまでもないけど)。
最終的な勝利者は家康だけど、天下泰平の世はやはり信長、秀吉、家康の合作
だと思う。
あの乱世の戦国時代に1人の英雄が天下統一して泰平の世を築くのは無理なので
三大英傑がそれぞれ役割を分担したんじゃないのかなと。
家康が三河一国から天下統一は難しいと思うし、信長が250年の長い泰平の世を
築けたとは思えない。
運命論者っぽくなってしまうけど三大英傑の歴史鑑みるとどうしても天の意思
とかそういうものを感じざる終えない部分がある。
色々論議出来て楽しかった。ありがとう。
0720人間七七四年
2011/07/27(水) 22:06:13.18ID:wjw2pt53こちらこそ。
ほぼ同時期にすぐそばで日本近世の祖が3人も生まれた。
そうとは知らずに彼ら自身が幼少時に接近遭遇もしている。
このあたりは不思議だし面白いものだとは思う。
0721人間七七四年
2011/07/27(水) 22:13:38.17ID:pFdr3V1E尾張・三河は西国・東国の境目にして両者の情報が伝わりやすい場所
よって両者の利点をうまく取り入れることが出きれば、その力は強大となる
0722人間七七四年
2011/07/28(木) 00:42:45.76ID:4JUOH6vWライバルがみんな先に死んだから良かったものの
そうでなければ律儀者のまま死んでただけの爺
0723人間七七四年
2011/07/28(木) 00:48:45.46ID:HAdnCuZm0724人間七七四年
2011/07/28(木) 05:02:24.25ID:aAPYmi+W戦国時代的に考えて
0725人間七七四年
2011/07/28(木) 08:31:41.87ID:YUooU+nU0726人間七七四年
2011/07/28(木) 10:06:51.81ID:HC8Hku3J検地さえできないのに「統治実績」も糞もないんだが。
検地は豊臣政権の統治の根幹。
それをせずに何を「統治」するんだって話だ。
ボケ杉。
圧倒的軍事力の位攻めで島津を降伏せしめた秀吉が、肥後の国人如きを警戒する筈が無い。
何故肥後の国人を他国より警戒せなならんのか説明してみ。
一揆は秀吉の扇動ではなく、佐々を意図的に追い詰めて必然的に勃発するよう仕向けた謀略。
こんなの秀吉にとって朝飯前。
豊臣軍の渡海目的は朝鮮制圧。
渡海軍は必要な軍事行動なら何でもやる。
何か一つの役割に特化させて軍事行動を制約させるなど愚の骨頂。
加藤清正や小西行長の事例をトレースしてみ。
彼らは必要なら何でもやってる。
秀吉は外征に注力するため関白を甥の秀次に譲った。
関白秀次の役割は内政のみ。渡海など有り得ない。
法螺話も度が過ぎる。
0727人間七七四年
2011/07/28(木) 11:04:26.03ID:kuQGljFr信長や秀吉は戦乱の真っ只中。
家康は統一され国内が安定した状況なのに
己の欲望のために徒党を組んで戦乱を引き起こした老獪な老人だろ。
>>726
お前の妄想ストーリーは飽きた。
そもそも秀吉が渡海したくて仕方が無く
それを止めるために家康や利家が代わりに自分らが渡海するから止めてくれと訴えていて
実際に文禄2年春には利家・氏郷らも晋州城包囲のために渡海予定だったが
5月に和睦のために明使がやってきたり夏に入ると拾が生まれて大坂に帰ったりで渡海の話が無くなっただけ。
利家すら渡海予定だったんだが。
0728人間七七四年
2011/07/28(木) 11:12:22.92ID:HAdnCuZmあんな突っつけば直ぐに崩壊する様な豊臣政権を安定した状況と言われても
天下は取る奴が悪いのではない、取られる奴が悪いのさ
0729人間七七四年
2011/07/28(木) 11:17:33.27ID:aAPYmi+W0730人間七七四年
2011/07/28(木) 11:21:48.74ID:Cho5B3Rzさらに幼君となると
0731人間七七四年
2011/07/28(木) 11:29:13.24ID:kuQGljFr豊臣政権は検地をやらずに放任していたほど不徹底。
なぜなら一揆によって朝鮮出兵計画に支障が出るのを嫌がっていたからと
海外派遣中は各大名領が軍事的空白になるので調査が可能になり豊臣政権による各大名の掌握率があがるから。
秀吉は木村にも国人の蜂起を危惧し検地をやらないように命じられており
政宗が引き起こした大崎葛西の乱の鎮圧後にその地に秀吉が家康に命じて検地をさせた時に
貫文高から石高に移行し政宗を減転封させただけ。
朝鮮出兵とともに文禄元年3月には秀次によって六十六ヶ国人掃令が出され
全国戸口調査が開始され
5月には政宗分国中の帳として5月には身分階層別に人口を把握し三成が調査報告を出している。
そしてそれをテコに政宗の安芸への国替風説が流れ政宗が絶望してる。
前田や秀次渡海が中止された理由の一つに九戸・藤嶋一揆残党への対治命令がある。
結局、文禄2年春の増援には政宗らしか渡らず朝鮮南岸で石垣譜請しただけでロクに仕事も無かった。
0732人間七七四年
2011/07/28(木) 11:34:54.14ID:Xd30Sjhvまあそんな義理はないし、自分が天下を掌握したほうがはるかに効率的
0733人間七七四年
2011/07/28(木) 18:08:57.55ID:HC8Hku3J論旨は秀吉が家康を渡海させる意志の有無であり、秀吉自身の渡海の有無ではない。
苦し紛れに、論旨のすり替えをカマしてくる姑息。
家康や利家が「己の渡海を条件に」秀吉の渡海を押し止めた史実は無い。
慶長の役でも利家は渡海していないのだから、そもそも利家に渡海予定など無い。
お前の妄想ストーリーは飽きた。
0734人間七七四年
2011/07/28(木) 18:32:53.10ID:HC8Hku3J豊臣政権の年貢は二公一民の農民いじめの重税で、しかも農民からは刀狩令で武器を収奪。
加えて外征で更に年貢負担は重くなり、農民は塗炭の苦しみ。
なのに外征中、一揆は一度も起きず。
こんな基礎知識もないらしい。
秀吉は前田利家や関白秀次を外征させるつもりなど始めから無い。
0736人間七七四年
2011/07/28(木) 19:03:23.28ID:4JUOH6vW来年正月の2月頃に3万を率いて兵庫より乗船し秀次が朝鮮へ渡海する命令がある。
南部信直→織笠但馬守に年不詳9/20で秀次公来年高麗国へ出陣。暦明け候はば上洛と記され
南部も前田騎下として秀次とともに朝鮮へ行く予定だった。
どうやら何らかのこともあって秀次&前田&南部の朝鮮渡海は中止となったようだ。
文禄4年7月秀次自害と同じ頃、津軽が浅利を支援し戦闘開始されており
安東は進退に窮していると知らせがあり、また最上の小野寺侵略の岩崎合戦が開始される。
伊達と最上が秀次と共謀の罪があるとされたので、世上暗澹なこともあり信直は娘が
安東実季の弟に嫁ぐ予定だったが安東から連絡もないし延期した方がいいとしている。
このことから当時の奥羽がかなりの混乱下にあり秀次との謀反連動の疑いが強い。
秀次謀反の時 秀吉の使者に対して政宗が土下座して涙ながらに
「もはや天命を尽きた。もう諦めた。」と言ったと報告している。」
政宗コト天道尽果、此事最前ニ言上セズ、運ノ極ミナリト申シ、落涙マデニテ、御請ハ申シ上ゲザル由」
絶望の余り落涙しての政宗三度目の命乞い土下座をしている。
0737人間七七四年
2011/07/29(金) 02:59:19.76ID:aygEbbXS0738人間七七四年
2011/07/29(金) 03:16:00.35ID:p1iQyvCa戦前の竹越与三郎って言う学者の妄想。
いまだに時代遅れの腐れ教科書には出てくるが根拠はまったく無い。
今どき論文においてそんなもん持ち出すアホはいない。
0739人間七七四年
2011/07/29(金) 10:03:28.18ID:flg1dk3o0740人間七七四年
2011/07/29(金) 12:11:49.18ID:tuewufVe民主党のマニュフェスト信じるより無理
0741人間七七四年
2011/07/29(金) 12:41:27.78ID:k7z3xGKa0742人間七七四年
2011/07/29(金) 13:00:58.78ID:yFFf7G4hどっちゃがひでぇかとすると
秀吉は織田配下だったけど家康の豊臣臣従は
いわゆる取り立ててもらったとか恩とかそういうのが薄い。
どっちかというと殺しあったライバル関係でもあった。
とこのあたりの議論はよく見かけるが
なんか秀吉の方がヒドイやつってとこだな。
0743人間七七四年
2011/07/29(金) 13:06:04.55ID:p1iQyvCa織田秀信を美濃国主にした秀吉とはまったく違う。
0747人間七七四年
2011/07/29(金) 13:57:02.14ID:flg1dk3oそれを安定というなら、まあそうなんだろう
0748人間七七四年
2011/07/29(金) 14:14:55.84ID:uCmKayYdそんなんが起こってる時点で安定とは程遠い
0749人間七七四年
2011/07/29(金) 23:24:31.37ID:TLyR0KRSいやでもさ、250万石という外様に与えるにはアホみたいな領土と五大老筆頭という地位は紛れも無く
秀吉が家康に与えたもの。これ等の持たせ過ぎな気がしなくもない権力無くして政権奪取は無理だし。
恩は十分あると思う。
仮に信長が本能寺で死なず織田政権があったとしても、家康にここまでの権力は持たせないだろう。
0750人間七七四年
2011/07/30(土) 00:22:38.92ID:XGMbJShQ最近在日スレがやたらageられててキモいわ〜
何が何でも無理やり家康マンセーw
家康のドコにそんな魅力があるんだっつーの
0751人間七七四年
2011/07/30(土) 00:23:26.67ID:goY8ntGf二公一民といっても、土地の私有が認められ、収益を上げれば上げるほど手元にも残るので、農民の意欲が上がったとも。
市場原理の走りで画期的なことと経済史的に評価する向きもある。
働く意欲を高め税収もあげられると。
それまでは農奴制・共産制みたいなもので全部いったん領主に取られ、そこから最低限の食料が与えられるだけだった。
0752人間七七四年
2011/07/30(土) 01:46:22.26ID:srufTg42朝鮮人が秀吉嫌いなのは近親憎悪的要素が濃厚
0753人間七七四年
2011/07/30(土) 02:05:52.67ID:K/LiwiGz以前から普通にやってた事なんだけど。
0754人間七七四年
2011/07/30(土) 02:56:42.81ID:o93UvWmB働く意欲を高め税収増となるのは、信長の楽市楽座の自由市場経済だ。
秀吉の苛烈な年貢取立ては、全くの真逆。
古今東西、重税下で勤労意欲が上がった事例など、どこを探しても無い。
相当ラリッてるな。
秀吉は一区画の面積を従来より縮小させるという姑息な手段まで講じて増税。
とんでもない重税下では民の勤労意欲がUPする余地は皆無。
ただ独裁者秀吉が恐ろしいから、黙って耐えてただけ。
こんな一歩的な収奪が市場原理でも何でもないのは、常人なら誰でも知っている。
税収がUPしたのは、秀吉がとんでもない重税を課したからにすぎず、
生産性が向上したりGDPが上向いた訳でも何でもない。
経済オンチの秀吉は所詮略奪を是とした信玄レベルの田舎大名。
こんな悪政を経済史的に評価する向きもあるとは笑わせる。
誰だ、そいつは。名前出してみ。
また知ったかぶりして恥を晒しただけか。
人間として、死んでもここまで堕ちたくはないな。
0755人間七七四年
2011/07/30(土) 03:20:36.89ID:2qoPJVKFなんだけど、与えたもの、という言い方もどうなんだろう。
家康からみたら、恩、なんてとんでもない、
そっちゃの弱気なんだろ、と思う。
前にファンタジー論があったけど、秀吉が武力で家康を滅ぼさなかった
のも史実。
この両者に「恩義」とか「忠義」とかいう結果論的史実を
考慮するのはちとどうかと思うな。
0756人間七七四年
2011/07/30(土) 05:36:19.39ID:vQI6mzXd譜代や連枝でもない限り家に忠節を持つ奴なんかいないよ
0757人間七七四年
2011/07/30(土) 08:03:02.57ID:14/UwdGW0758人間七七四年
2011/07/30(土) 08:36:11.97ID:tmMJeQDa家康を買いかぶりすぎだぜ。
あのおっちゃんは、秀次処刑まで、政権中枢に参画していない
田舎の大大名にすぎない。っていうか秀吉にとっては義弟で、
息子の秀忠は、自分の愛人茶々の妹の夫って完全身内なだけ
の親父だぜ。
秀吉死後の付け焼き刃な行動から見て、野心に火がついたのは
五大老筆頭になってからだろうぜ。
0759人間七七四年
2011/07/30(土) 09:15:42.45ID:wvQLW9zd前者は本貫地を手放し、小田原合戦で相応の働きをしているので等価交換
後者はどちらかというと秀吉から求められたもんだからなぁ
0761人間七七四年
2011/07/30(土) 09:58:51.96ID:aKKvPbZi秀吉の検地を評価してるのは
長野ひろこ、北島正元、藤野保、脇田修
みんな零細農民を取り立ててと評価してる
特に脇田は長浜時代の統治から、農商分離志向をみて高く評価している
そこまでボロかすに評価してる人間とは具体的にどなた?
若しくはお前がそう言う考えにいたった根拠とは?
>>758
恩の一言で片付ける方がよっぽど買いかぶりだと思うが
そもそも恩を感じているのに野心に火がついたというのは、
その程度の恩しかなかった、あるいは恩以上に家康を束縛していたものがあったと思うのが自然じゃないか?
0762758
2011/07/30(土) 11:40:16.21ID:TQ65Xxfj恩とは一言も書いてないが、大丈夫か?
俺の言いたいのは、秀次政権が健在なら
家康は、天下取りなんて考えもしないだろう。五大老なんて軍閥政権に参画させられたから、野心に火がついたんじゃないかってこと。
0763人間七七四年
2011/07/30(土) 12:19:45.74ID:aKKvPbZi>>756と同じと思ってた悪い
結局それも>>757の挙げるパワーポリティクスの考えの範疇だろ?
手が出せないから、手を出さない
秀次体制が磐石なら手を出さないだろうが、秀頼のように不安定なら?
0764人間七七四年
2011/07/30(土) 16:21:33.46ID:tmMJeQDa成人である関白秀次に率いられた豊臣秀次公儀が、五大軍閥の寄り合い所帯である豊臣秀頼公儀より
不安定になる要因なんてあるか?
朝鮮問題は、三成などの奉行たちを秀吉死後に引退させれば、武功派(仮の呼び名だ。福島、加藤、黒田
蜂須賀他)の不満は解消できるだろう。明、朝鮮との講和問題は、史実通りに宗と小西に丸投げして全責任
を転嫁すればなんとかなるだろう。
後は、不要な建築や賦役を行わずに民力休養に努めれば良いだけ。まあ、不満派の代表格、福島、加藤を
政権に参加させて懐柔すれば、猶よし。
家康が野心起こすこともないだろう。
0765人間七七四年
2011/07/30(土) 18:18:55.22ID:aKKvPbZi秀次体制が磐石かどうかは話の核じゃないから
少なくとも俺にそのつもりは無い
つまるところは>>757ということ
秀吉か秀次か秀頼かは問題ではない
0766人間七七四年
2011/07/30(土) 20:04:36.51ID:QUMGmdBo>成人である関白秀次に率いられた豊臣秀次公儀が、五大軍閥の寄り合い所帯である豊臣秀頼公儀より
>不安定になる要因なんてあるか?
それは秀頼が生まれなかった場合だろう
秀頼が生まれていたらどういう立場に置かれるにせよ不安定要素が激増する
0767785
2011/07/30(土) 20:19:56.38ID:tmMJeQDa私のスタンスは、勝てるうちに勝たないと潰されるから、家康は天下取りに行った。
秀吉に対する家康の従属ぶりは、忠節というより、身内意識じゃないかな。
自分は天下人の義弟、息子も天下人の愛人つながりで義理の弟(茶々視点で見れば)
息子の武田信吉は、おねさんの血縁者が嫁さん、どう見ても豊臣ファミリーの一員で
外様の毛利や上杉、宇喜多、前田より秀吉に近いと思ってたんじゃないかな?
宇喜多は、猶子だけど、嫁さんは前田の豪さんだから、秀吉の実の妹を嫁にした俺より
格下と考えてたと思う。
0768人間七七四年
2011/07/31(日) 14:05:53.72ID:SJiYqzQu0771人間七七四年
2011/07/31(日) 18:05:46.20ID:o9iD1zna東京ドーム3杯分らしいぞ
0772人間七七四年
2011/08/01(月) 04:39:05.24ID:1gV7Cfwo今はこういうのが普通なのか?
秀頼はあの秀吉の直系だぞ。
その他すべての付帯条件なんてすべて関係ない。
家康が最後に無理気味につぶしにいったのも、秀吉直の男系の血を
絶やすため、それしかないだろう。
もしかして違う解釈はマジで今でも語られてるのか?
767はいい線言ってるけどまだあまくないか?
秀吉に家康が従属した、というのはあくまで現状把握だけでしょう。
お家存続、の視点で、安定してない豊臣家はかなり不安定でしょう、秀次と
出兵で。
だったら、家康はかなり狙ってたかもしれない。1590でね。
このあたりはむつかしいのだけどね。
0773人間七七四年
2011/08/01(月) 05:24:45.17ID:fMK+/Tvv0775人間七七四年
2011/08/01(月) 11:59:57.02ID:lR30jVJo0776人間七七四年
2011/08/01(月) 12:51:46.86ID:dtgReVxuしかし豊臣の身内になっていた老人家康があんなに長生きしてしまったのは完全に想定外過ぎた。
秀吉は先を見据え過ぎていて
秀忠・利長・輝元・景勝・秀家の五大老による秀頼政権後見を期待していたはず。
そして朝鮮に派兵されていた武断派と三成や大谷ら奉行があれほど関係を悪化させていたのも知らなかった。
知っていたら秀吉は死去寸前に武断派粛正をやっていたかも知れない。
もしくは三成や大谷らに30万石くらいの加増はして豊臣の藩塀にしていただろう。
0777人間七七四年
2011/08/01(月) 17:45:53.96ID:9PDIQ657まず、浮気して産んだ子を秀吉に自分の子と暗示をかけ、
(秀吉自身そう信じたがっていたので簡単にかかった)
すでに存在していた後継者を抹殺させた
秀吉死後は、豊臣が徳川に従うことを頑なに拒否し続け、
家康に律義者の仮面を脱ぎ捨てて豊臣を潰すことを決意させた
淀は豊臣の天下を終わらせ徳川の天下に変えるという困難な仕事を行ったが、
女として母としての本能に従った(より快楽を得られる道を選んだ)だけなので、
理性で考えていない分、強力に行うことができたという訳
0778人間七七四年
2011/08/01(月) 18:51:44.56ID:8xpkqbkV0780人間七七四年
2011/08/02(火) 02:27:18.30ID:aK2eVJjfまぁ家康が実は元就並みの長寿だったのは誤算だろうな。
長生きすればそれだけチャンスが巡ってくると言えるからな。
関が原時点で下記の年齢だしな。
輝元の無能さがあまりに際立つ。
毛利輝元 47才
前田利長 38才
上杉景勝 44才
宇喜多秀家 28才
徳川秀忠 21才
石田三成 40才
0781人間七七四年
2011/08/02(火) 11:38:38.04ID:aK2eVJjf>>信長の楽市楽座の自由市場経済
信長は座の保護や御用商人厚遇をしたりして自由市場貿易を否定してるわけだがw
お前は時代遅れの左翼日教組御用達の歴史教科書をマニュアルにしてるだろw
0782人間七七四年
2011/08/02(火) 11:40:54.37ID:vJfuVgwx大きさであったんだろう。
本能寺野心論もそうだけど思いつきでないとすると
次は家康臣従時代にその野心がどんなもんだったかは
たまに話題になるみたいだし。
恩に感じて心から心中してまったく野心なんてなかった
というのも極端だとは思うが。
0783人間七七四年
2011/08/02(火) 13:23:56.52ID:oPTRB3bB秀吉死後に家康は遺令破りを開始し始めて反応を見て様子見していたが
婚姻について利家に激怒され家康は譲歩してる。
その後、利家がいよいよ死ぬ寸前になってきたらまた強気になってる。
利家も最末期になり家康邸に行って息子を頼むとか言っちゃって弱気になり
それを知った秀家も焦って家康に前田と一緒に宇喜多も徳川と協力して豊臣を盛り立てたいと言い出し始めた。
(利家の娘の豪姫と婚姻してた秀家は利家が家康と戦う決意をしてるなら自分が先鋒を引き受けると申し出て利家を喜ばせていた為に、はしごを外された格好になった)
0784人間七七四年
2011/08/02(火) 23:42:30.31ID:qTf60EG0年貢の二重徴収は廃絶されたが、農民が重い年貢に苦しんだのに変わりない。
妄想語るな。
0785人間七七四年
2011/08/02(火) 23:49:59.60ID:qTf60EG0ま、確かに脳内妄想の中では、岐阜城下や安土城下での楽市楽座の自由市場は存在せんわな。
脳内妄想のやり過ぎで劣化したオツムでは、何故信長が一部座を容認存続させたのか、経済的見地から推察するなど、
マツコ・デラックスに2時間台でフルマラソン完走させるより無謀な試みだ。
0786人間七七四年
2011/08/02(火) 23:58:42.41ID:JW6nvwOQは?妄想?
加地子が下層階級にとって大きな負担になってた事すら知らなかった馬鹿が何言ってるの?
もうちょっと勉強してから書き込めよ、キチガイ。
0787人間七七四年
2011/08/03(水) 00:33:04.95ID:DZw4xjWH六角や斎藤がすでに楽市を許可していた場所の既得権を信長は追認せざる負えなかっただけでほとんど例外的処置。
それ以外の地で楽市の許可なんてのは
安土城と城下町の新造で商人を招致しないと町が成立しないから安土城下も楽市にしただけ。
0789人間七七四年
2011/08/06(土) 04:06:24.54ID:QNaP4S6u堺の会合衆を軍事力で威圧して屈服させ、その会合衆を処刑までした信長が、
何故一部座を保護したのか説明してみ。
論理的にな。
御用商人って今井宗久のことか。
宗久は会合衆と異なり親信長。厚遇されるのは当たり前。
お前は時代遅れの左翼日教組御用達の歴史教科書をマニュアルにしてるだろw
>>786
土地や農民の一職支配は、とっくの昔に信長が実施済み。
これにより下人が解放され、土地の支配領有を否定された国人領主は織田家から俸給を貰うサラリーマン武将に。
だから安藤守就も簡単に放逐。
信長の善政でせっかく農民負担が軽減したにも関わらず、
成り上がりの田舎者秀吉は、二公一民というとんでもない重税を賦課。
この悪政が下層階級にとって大きな負担になってた事すら知らなかった馬鹿が何言ってるの?
もうちょっと勉強してから書き込めよ、キチガイ。
>>787
楽市を実施するには、特権商人の独占と寺社の巨大利権を否定せねばならない。
当然彼らとの軍事衝突は必至。
いつ六角や斉藤が治外法権の寺社と軍事衝突したんだろうな。
そもそも六角や斉藤に巨大寺社勢力相手に戦できる軍事力もないし、そんな度胸もない。
六角や斉藤の楽市なんぞ存在しないのに、信長は追認せざる負えなかったも糞もないんだが。
楽市を許可して商人を招致しないと町が成立しないなら、
座が支配する大きな市の寺社の門前町も成立しないことになるな。
もうちょっと勉強してから書き込めよ、キチガイ。
>>788
とりあえずお前が主張する六角や斉藤がやったと言う、
楽市と楽座の定義をまず説明してみろよ。
0790人間七七四年
2011/08/06(土) 09:11:48.45ID:8EW34pzy0791人間七七四年
2011/08/06(土) 09:48:44.03ID:NHyp/EFG天魔王信長なんぞ、関係ないんだよ。
天魔王の前に引き据えられれば、太閤秀吉は、半獣人エテ吉に過ぎないし
大権現家康も荒山が暴き出したチョン康ていう朝鮮人モドキ何だよ。
このスレでは
半獣人エテ吉と朝鮮人モドキ”チョン康”のどっちが悪人かって罵りあうスレ
なんだから、神聖なる真大和民族”天魔王信長公”の名前なんぞ持ち出すな
御名が汚れるわ。馬鹿者どもが!
0792人間七七四年
2011/08/06(土) 11:25:58.04ID:JzPmSMGVお前さ、以前から自分の脳内設定で書いてるだけで内容が完全に妄想で笑えるんだけど。
お前の書いてることって史料的根拠ない話ばかりだよな
0795人間七七四年
2011/08/06(土) 21:56:39.52ID:NHyp/EFGこのスレは、真人間の信長公の事績を語るスレではありません。OK
このスレは、太閤秀吉と大御所家康のどちらが極悪人かを競うスレです。OK
このスレでは、太閤秀吉の残虐行為や性格の悪さを示す逸話などを書きましょうOK
同じく、糞漏らし狸こと大御所家康の数限りない残虐行為や性格の悪さを示す逸話を書きましょうOK
と言っているのだよ。OK
0796人間七七四年
2011/08/07(日) 03:25:18.36ID:6qDIYWP7金を恐喝したのは堺だけじゃないし
軍資金要求が目的で堺の座の解体したわけでもない。
御用特権商人に座を作らせているのが信長。
主張してる内容がデタラメ。サラリーマン武将なんかになってないが頭は大丈夫か?
信長政権は常に軍資金に逼迫し横領を繰り返し
しまいには京すら焼き討ちして上京で略奪大会まで開催したほど
しかも信長のムチャな軍役要求が原因で松永久秀は期日までの近江集合を拒否るほどで民の生活は荒廃。
相次いで惣村と言う最小単位レベルで信長に反抗しまくりと言う有り得ない展開。
いい加減、何でもかんでも信長が発案とかバカバカしい考え捨てろよ。
追認された楽市は特権商人と利権が衝突しないようにしてるどころか、
それを管理する者が特権商人であり、楽市から座になってしまい
新規の商人が参加できなくなるなど弊害すらあったのが織田のやり方。
寺社に参拝などで人が集まるから、その人々を相手にするために門前町が形成される。
新規で何もないところに町を造営する際はその真逆。
利のないところに商人を招くために楽市をやり、彼らの居住スペースの町割りもやる。
商工業が発達せず従って働く場も無いのでは人も集まらずで町の発展もない
0797人間七七四年
2011/08/07(日) 11:44:41.31ID:fqnIc3Yzおいおい、織田と豊臣の一職支配が同じだなんて思ってるんじゃないだろうな?
両者の違いなんて中学生でも知ってるレベルの話だぞw
0798人間七七四年
2011/08/07(日) 14:37:12.63ID:aPqCz0Lr0800人間七七四年
2011/08/08(月) 01:19:59.78ID:w1DFo/6P>>楽市を実施するには、特権商人の独占と寺社の巨大利権を否定せねばならない。
信長が楽市の実施のために上記のことをやったとするソースは?
0801人間七七四年
2011/08/08(月) 20:34:14.35ID:2vyYYTEy倒幕した明治政府による捏造です。
狸親父の肥満体もまた同様。
(節制による長寿の家康は健康体)
前政権の江戸幕府を貶めるために
故意に歴史を歪めて国民へ教育しました。
その誤った知識は、明治以降から平成に至る現在まで続いています。
0802人間七七四年
2011/08/08(月) 20:38:40.04ID:ZUp+tr4E屈強な三河兵がさっさと朝倉勢を駆逐し、織田軍の窮地を救った
みたいな捏造された徳川史観を信じてるカスまだおおいよね
0803人間七七四年
2011/08/09(火) 01:24:36.36ID:u++EjfFp直接対決的に考えると
甲斐>三河
信濃、上野>三河
関東<三河
小牧長久手の池田勝入の手勢あたりは美濃兵って事でいいのかな
あと信秀時代だと尾張も三河もそう大差無いように思える。
島津の強さはまぁ色々逸話があるから、精強っていう話もわかるけど
家康自身が国力の差や周囲の状況もあるけど信長、秀吉に比べて
三河兵を率いて勝った戦ってのがそれほど多くないのよね。
気持ちよく勝ったのって天正壬午や小牧長久手位じゃないかな
そのころには武川衆を筆頭とした武田遺臣を吸収して甲信の兵とごっちゃになってるかもだけど。
0804人間七七四年
2011/08/09(火) 09:05:41.07ID:DCFD4lIo結構、負けた後はグダグダになる所が多いが、負けつつも勢力を維持し続けた
のが評価されているのだと思う
0805人間七七四年
2011/08/09(火) 09:27:54.67ID:CfixjwMiいつもの二人だろうから仲良くてうらやまいいわ。
0806人間七七四年
2011/08/09(火) 09:36:36.91ID:XA6gV2Pt0807人間七七四年
2011/08/09(火) 18:57:49.65ID:OulGVtX+織田信秀を圧倒してる。
0808人間七七四年
2011/08/10(水) 00:24:03.08ID:GyQ8JdqM0809人間七七四年
2011/08/10(水) 08:01:22.50ID:sFpC2rI30810人間七七四年
2011/08/10(水) 09:10:00.65ID:w7MquBf00813人間七七四年
2011/08/18(木) 09:47:35.55ID:NbwgiJ+h機を失わない速決的な行軍と決戦をする迅速さは秀吉に似てる。
岡崎城が落ちたのも別に信秀が悪いわけじゃないし。
0815人間七七四年
2011/10/01(土) 00:09:32.42ID:jck1Dpy3いやもちろん朝鮮出兵で無駄に疲弊してる状況下ではあるんだけど、いわゆる庶民が
武でも政でもなく一芸で大手を振って歩けた みたいな
0816人間七七四年
2011/10/02(日) 09:53:59.77ID:puUUNT7y完全に西洋から遅れるキッカケ
0817人間七七四年
2011/10/02(日) 13:27:35.00ID:jJXvuh5t今の韓国が日本の姿になってたろう。
0818人間七七四年
2011/10/02(日) 13:29:36.00ID:XVFOSclIなんで朝鮮なんだよ
0819人間七七四年
2011/10/02(日) 15:15:11.99ID:51esCWXX領地拡張大好きな大名連中と争ってたら、200年後の世界情勢より50年後の安定になるわな
当時の大名達がどうしても今の日本人と結び付かない
0820人間七七四年
2011/10/02(日) 18:31:19.07ID:C9Oq+awY宣教師も日本の傭兵を利用して他国占領ができると本国に報告してるくらいだからね。
そんな国力と金山・銀山の財力まであった国を
鎖国で世界から遅れた国にした徳川の罪は大きいね。
大船建造を諸大名に奨励して世界に武威を示していたら
今頃は太平洋の島々も日本領だったね。
0821人間七七四年
2011/10/06(木) 01:43:09.31ID:n32fRRfCもし何か成果が得られていたら、いくら徳川でもみすみすそれを見捨てるようなことはしないだろ
0822人間七七四年
2011/10/07(金) 18:09:40.79ID:r0motI9+路線変更しちゃっただけだろ。
挫折とは言わん。
0823人間七七四年
2011/10/08(土) 09:22:42.08ID:eF003/Xi大本営発表並みの戦況歪曲
0824人間七七四年
2011/10/10(月) 12:15:09.34ID:2G4EbYLxもし、石田光成が勝っていたら戦国時代がいつまで続いたんだろう?
0825人間七七四年
2011/10/10(月) 12:26:21.36ID:bYAgK63N戦国時代そのものは豊臣の時代でほぼ終わってたイメージがあるんだが?
ちょうど平家が関白を掌握して政治が安定したように。
西軍が万が一勝ってたら、何年か後に戦国時代再突入じゃね?
島津が黙って豊臣政権を見過ごす筈もないし、朝廷だっていつまでも関白を馬の骨に握られるを由とはいえ出来ないだろうし
0826人間七七四年
2011/10/10(月) 13:10:01.16ID:E42Kiivr絶対に朝鮮大勝利にしないと納得しない基地外
0827人間七七四年
2011/10/10(月) 15:34:52.51ID:9292VdDU政策転換しただけで
挫折とかw
さすが在日くん。
0828人間七七四年
2011/10/10(月) 23:12:12.61ID:6FKbS8LT付いたよな、岐阜城主として。と言うことは秀吉に
恩義を感じてた。
秀頼の後見人の家康は秀頼を・・・
どっちが悪人か分かるよな
0829人間七七四年
2011/10/10(月) 23:14:58.43ID:oD51HtmO0830人間七七四年
2011/10/10(月) 23:15:45.14ID:lDArhJp80831人間七七四年
2011/10/11(火) 08:25:13.76ID:kn4eL+We0832人間七七四年
2011/10/11(火) 15:50:19.82ID:g+lJQCEG0833人間七七四年
2011/10/11(火) 16:11:43.60ID:gjBmZS0y家康は天下人になる前は好きだったんだがなぁ
天下人になってからの行動はどれも好かん、信長、秀吉にいいようにやられてたから、
天下人になって、欲求不満が一気に爆発したのかな
0834人間七七四年
2011/10/11(火) 16:15:20.15ID:HrRDQDqK信長に悪印象を植え付け自己正当化をはからなかった。
しかし徳川は秀吉を中傷して自らを正当化せざるおえなかったのは
己の行為に後ろめたい気持ちがあるから。
0835人間七七四年
2011/10/11(火) 16:16:17.02ID:gjBmZS0yとりあえず主力は、旧武田の赤備えや兵隊だってのは確かだろう
三河兵は俺もよーわからん
なんで精強?なのかも、松平家の当主は家臣に殺され続けてるってのに
三河兵は頑固で君主が帰ってきても、連絡が無いため入れないとかの話があるけど、どっちがほんとの三河武士なんだろうね?
0836人間七七四年
2011/10/11(火) 16:18:37.47ID:eBZMdPkuそうかな?
家康が武田に潰されなかったのは信長のおかげでは。
0837人間七七四年
2011/10/13(木) 21:52:56.44ID:oJQG5JVAでも秀吉の方が好きなのでフォローすると、
トップになってから色々悪行的なことをしたのは、
血統も基盤もない成り上がりだからって背景もありそう。
忠誠心で他大名が自分の下についてるとは思えないから、
ムダに力を誇示したり、大名に金使わせて疲弊させたり。
0838人間七七四年
2011/10/14(金) 00:36:27.18ID:pB8o3+PF0839人間七七四年
2011/10/15(土) 16:10:14.57ID:7M+dvioj見苦しすぎるわ秀吉厨
豊臣の都合の悪いことは皆徳川の捏造扱いしてあの葛を正当化とか屑の極みだな
秀吉は利休や秀次や罪の無い秀次一族虐殺した暴虐だろ
0840人間七七四年
2011/10/15(土) 20:10:51.03ID:DxeJ7cPu0841人間七七四年
2011/10/15(土) 23:45:25.93ID:gJdlhPvQ同意だな 己の才覚と人間的魅力でのし上がったけど日本を治めるには
出自のバックボーンが弱すぎた 突然変異 戦国を終わらせたのが戦国を体現した人だったと思う
その後家康が普通の日本に軌道修正していったのもまた自然の成り行きだとも思った
0842人間七七四年
2011/10/16(日) 10:24:13.55ID:tD1wHVfy大河ドラマの洗脳に騙されてるな
0843人間七七四年
2011/10/16(日) 10:53:09.95ID:2JCAkX0u人たらしで戦国を駆け抜けた秀吉だからこそ
自分の死後に親類が少ない豊臣家を転覆させ得る手段をいくつも思いついたろうし
恨まれる思い当たりも数多いだろうし
織田を乗っ取り、血筋にも自信がないだけに、没落した子孫が大事にされるイメージもわかないだろうし
感情の制御が衰えた晩年に、自分の寿命の短さを実感した時に、軽くわけわかんなくなるだろうな
0844人間七七四年
2011/10/16(日) 11:16:34.42ID:tD1wHVfy妄想乙
0845人間七七四年
2011/10/16(日) 12:23:41.02ID:1jl+/a2qhttp://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1158404852/912
0846人間七七四年
2011/10/16(日) 13:40:26.90ID:k9MW+ANR有力大名についても、統一日本の総合力にプラスになると判断すれば残し、代替りして当主を無能と判断すれば取り潰して有能な者を大名に取り立てた。
それは自らの親族についても徹底しており、秀長や秀次の死去に際して領地を豊臣直轄領に戻さず家臣に分配している。
皆の前で、次の天下人は誰と思うか?と問うたように天下は持ち回りと考えていたが、さすがに秀頼が産まれてやや迷いが生じたが本当に秀頼を天下人にしたいのなら、赤子のまま強引に関白にしていたのではないか?
5大老5奉行制は現代の内閣と各省庁トップにもなぞらえることが可能な非常に近代的な制度。
まずは自分の独裁的な強権で古い封建制度を破壊し、能力優先の新しい政権を目指したが、自分の寿命の制約もあり、やや中途半端な状態で5大老に政権を渡したのが運のつき。
後継者としてその能力を高く買っていた家康に完全にひっくり返されて前近代的な封建社会に逆戻り。
日本の近代化は250年も遅れることに…
さて秀吉と家康、どっちが悪者?
0847人間七七四年
2011/10/16(日) 14:12:46.41ID:r01OYYR90848人間七七四年
2011/10/16(日) 14:38:54.83ID:NfWO8LE+0849人間七七四年
2011/10/16(日) 14:48:40.56ID:qlJjihg3秀吉ってそんなに悪い事してねぇやん
晩年期でも、身内の不祥事を起こす甥を殺して、朝鮮出兵したぐらいやん
朝鮮出兵は悪い事じゃないけどな、チョンを殺す事は問題なかろう
0851人間七七四年
2011/10/16(日) 15:09:26.27ID:8uhSOcOC0852人間七七四年
2011/10/16(日) 15:21:22.02ID:w0FAVwQiどこにでもわくネトウヨか?
外征して元が取れなければ、それは悪政。
無意味に人を殺せば悪行。
真実の姿なんざ、その時代に生きた者しか知り得ないが
歴史に伝わる話じゃ秀吉が最悪。
まあ、悪行も多少は可愛げがあればそれなりに家なんか続くもの。(織田しかり武田しかり北条、今川)
位、人臣を極めた秀吉の家が表舞台から消えたのは相当なことをした結果だろうってのは
普通の知恵が有れば、想像に難くない
0853人間七七四年
2011/10/16(日) 15:24:07.48ID:k2cOSLo9>歴史に伝わる話じゃ
>歴史に伝わる話じゃ
0854人間七七四年
2011/10/16(日) 15:58:41.43ID:8uhSOcOCは?ネトウヨ?どこの世界で歴史上の外征=悪行だなんて言ってんだ?頭大丈夫か?
国内での他国侵略も外征も同じ事の筈なのに唐入りだけ特別視するとか意味不明。
侵略戦争で人を殺せば悪行だなんて言ったら戦国時代全否定だなw
だったらお前なんでここに来てんの?
0855人間七七四年
2011/10/16(日) 16:04:01.72ID:HwRoCTNt0856人間七七四年
2011/10/16(日) 16:06:25.67ID:k2cOSLo9三河兵が姉川で劣勢だった織田軍を救う程大活躍!とか
征夷大将軍は源氏しかなれないから血統の劣る秀吉より上!
みたいないわゆる徳川史観しかしらないんだろ
0857人間七七四年
2011/10/16(日) 16:07:37.07ID:r01OYYR90858人間七七四年
2011/10/16(日) 16:16:22.38ID:k2cOSLo9まあ当時の常識や考え方、価値観とかあるから善悪じゃ語れないものがあるんだけど
0859人間七七四年
2011/10/16(日) 17:29:39.85ID:HwRoCTNt島津が放火略奪した博多復興に巨額予算を秀吉は投資したから
いまの九州がある。
家康は地方に全く興味ない
0860人間七七四年
2011/10/16(日) 17:41:08.36ID:k2cOSLo90861人間七七四年
2011/10/16(日) 23:37:14.98ID:Ey7eVxuhウザイのはお前なんだよ秀吉厨
秀吉は甥や世話になった利休を死なせ罪の無い秀次の妻子や駒姫を虐殺した養護の余地の無い暴虐
こんな最低な屑行為を正当化する秀吉厨は死ぬべき
それを在日(笑)だとか逆ギレして見苦しすぎ
0862人間七七四年
2011/10/16(日) 23:46:54.17ID:k2cOSLo90863人間七七四年
2011/10/16(日) 23:57:43.38ID:Ey7eVxuh被害規模が違いすぎるわ
0864人間七七四年
2011/10/17(月) 00:13:34.00ID:DUNOsL+40865人間七七四年
2011/10/17(月) 00:47:21.92ID:gzAPBt31で、信康事件を持ち出されるとこれも全く反論出来ない。
せっかくレスするんなら何かしら反論できる材料用意してからにすれば良いのに。
0866人間七七四年
2011/10/17(月) 00:49:01.13ID:DUNOsL+4あれも結構ひどいよね
0867人間七七四年
2011/10/17(月) 07:03:47.78ID:WGAOw6Jl0868人間七七四年
2011/10/17(月) 07:43:34.36ID:Nmve91nfまぁ戦国時代だから当たり前っちゃ当たり前。
0869人間七七四年
2011/10/17(月) 07:47:51.32ID:QE/O0hbm違うだろ秀吉厨、逆だろ
秀吉厨は秀次事件の事を持ち出されると全く反論できないから信康の名前出すんだろ
バカ丸出しな印象操作すんじゃねえよ
0870人間七七四年
2011/10/17(月) 08:18:27.25ID:WGAOw6Jl0872人間七七四年
2011/10/17(月) 09:43:17.79ID:n0dRWfzW0873人間七七四年
2011/10/17(月) 09:57:44.83ID:tlXuAhmeおそらく秀吉も意外と腹黒かったのかもな。
0874人間七七四年
2011/10/17(月) 11:28:35.06ID:MCpolQAQ0875人間七七四年
2011/10/17(月) 14:53:58.76ID:MlD7xqcF秀吉は信長の葬儀を盛大にやったしな
家康は秀吉の葬儀をさせないばかりか、墓までぶち壊したしな
一応家臣なわけだし、あれはありえねぇわ、秀頼の墓をぶち壊しとかなら解るがなぁ
0876人間七七四年
2011/10/17(月) 16:19:32.76ID:tlXuAhme家康は性悪でも家臣には恵まれて慕われてはいたよな。
0877人間七七四年
2011/10/17(月) 16:27:25.33ID:ZUYs4MMG他大名にはガンガン金を貸しまくるタイプなんで
内心では家臣も家康を慕ってないだろ
0878人間七七四年
2011/10/17(月) 18:57:59.28ID:tlXuAhme織田家臣団は単純に信長が恐いからただ従ってただけだってわかるけど。
それでよく謀反がなかったよな。
本多正信の一時的な出奔や石川数正が秀吉に引き抜かれたぐらいだし。
数正に関してはスパイ目的だって説があるけど。
0879人間七七四年
2011/10/17(月) 19:05:03.75ID:MlD7xqcF大久保家、本多家の末路を考えるとな
0880人間七七四年
2011/10/17(月) 19:40:42.63ID:SSbJsGfaその死を利用しての火事場泥棒が得意なだけだからな。
保護者信長に今川と武田を退治してもらって
遠江と駿河をもらったし
そうそう特に甲斐と信濃が簡単に手に入ったのは大きいな。
これで一気に超大国化だもんな。
そんで関東転封とか人生イージーモードすぎw
0881人間七七四年
2011/10/17(月) 20:10:06.51ID:bF7bL2aW0882人間七七四年
2011/10/17(月) 20:33:10.07ID:DUNOsL+4天正壬午の例もあるし全部が全部火事場泥棒ってわけじゃない
(真田昌幸といった勢力の助力なんかもあったけど)
それでも秀吉の戦歴に比べると、どうも
東海道一の弓取り
野戦の達人
ってのはどうなのかなあとも思う
まぁ東海道云々は駿遠三抑えてるから自動的に言われるようなものかもしれんけど
0883人間七七四年
2011/10/17(月) 21:45:13.96ID:it9945Yy織田家臣団も徳川家臣団も謀反はかなり多かった
信長は尾張時代からしばしば家臣に裏切られ最終的には生命を落としてるし、
家康も三河一向一揆では家臣が半数離脱、
更に武田や羽柴との抗争で多くの武将に背かれた
逆に豊臣家では謀反は極めて稀
秀吉が直接配下の者に背かれたってのは、
織田家臣時代の与力だった別所長治離反くらい
0884人間七七四年
2011/10/17(月) 23:16:54.61ID:ofT4qb9h浦上と同格だった別所を
信長が浦上配下にしたことが
別所離反の理由だから
あれは空気が読めない信長が悪い
0885人間七七四年
2011/10/18(火) 00:51:29.18ID:o5VJIfuK『播磨別所記』では「秀吉が播磨で好き勝手に振舞った」
『別所長治記』では「信忠か信雄が大将として派遣される予定が格下の秀吉だった」
両者をまとめると軽輩として侮った秀吉の与力に付けられた
別所の信長への逆恨み、ということになるね
だから秀吉個人の責任じゃない、と言うことも出来るんだが、
離反は離反だからきちんとカウントした
そうじゃないと「三河一向一揆は宗教戦争だから離反に含めない」だとか
「石川数正は家康公認の豊臣家へのスパイ」だとか
どっかの小説家みたいな無茶苦茶な擁護もありになってしまうからね
取り敢えず秀吉は家臣統制で比較すると、
信長は勿論家康よりも遥かに上だったと思う
0886人間七七四年
2011/10/18(火) 01:58:43.20ID:1Gz2nv95晩年の素行があまりに酷いから秀吉も何とも言えないんだよね。
0887人間七七四年
2011/10/18(火) 02:22:37.23ID:QVSagWTS豊臣家への最大の謀反が大阪の陣になるのかなあ。。。。(謀反と呼ぶべきものか
わからないけど)
>>886
ボケたからでしょ。
0888人間七七四年
2011/10/18(火) 02:51:57.31ID:1Gz2nv95本当に認知症なだけなのかな?
認知症以前に統一後は色々熾烈化してるしな。
現代なら若年性痴ほう症も良いところだよ。
本当ならいつから痴ほう症になって何が原因でそうなったのかも知りたいね。
0889人間七七四年
2011/10/18(火) 07:45:01.68ID:yyXQ/cJY別に酷くない。
0890人間七七四年
2011/10/18(火) 08:50:28.03ID:YMCvw1YG幼君を補佐する叔父や親族が家乗っ取るのはよくあることだったからね
>>889
まーな、織田時代から開幕皆殺しとかやってるもんね秀吉
0891人間七七四年
2011/10/18(火) 11:52:29.00ID:Qr1uVJaz秀次の死
0892人間七七四年
2011/10/18(火) 13:32:58.58ID:ox6xKPq8チョンに対する言い訳として考案されただけだろ。
日教組のでっち上げ
0893人間七七四年
2011/10/18(火) 13:48:42.56ID:7/Ah3BwHその頃は息子は死んでるし
たとえ秀吉が朝鮮落としたとしても、後を継ぐものも居なく、甥の馬鹿に与える事になるだけだったのに
目的がイマイチ、まだ若ければわからんでもないが後は死ぬだけの歳になってなんでだろうか
一番警戒してた家康の粗を探したり、変なイチャモン付けて無理やり粗を出させたり
謀略によって切り崩しを図って少しでも家康の領土削ってりゃ良かったのに
0894人間七七四年
2011/10/18(火) 15:23:57.73ID:IFyBvoFu勝つことのみ知りて負けを知らざれば、害その身にいたる、てか
0895人間七七四年
2011/10/18(火) 16:17:33.31ID:LFUvIry9結局、秀吉の政策による国力の拡大が海外進出を後押ししてんだよ。
世界史的な視点で言えば
宣教師や南蛮商人を通じて
日本侵略の不可能を悟らせ
博多などの商業資本の海外進出を促進してる。
半島南部の港湾支配ができるだけでも大きい。
家康には世界史的なマクロ視点が欠如し
絶対王政と重商主義の流れから完全に遅れた。
秀吉は南蛮船を売れと要求したり(コピーに必要)
海外進出のため制海権に関わる巨大水軍を建設する可能性はあった。
0896人間七七四年
2011/10/18(火) 20:26:53.35ID:1Gz2nv950897人間七七四年
2011/10/18(火) 21:15:57.73ID:QVSagWTS野人から天下人へと上り詰めたその落差の「ひずみ」とも言えるかもしれない。
尋常な成り上がりではないからどこかにそのしわ寄せがくるんだと思う。
そのしわ寄せが秀吉の精神性だったのかもしれないが。
後、統一までは目標があったけどそれ以後は明確なビジョンがあったと思えないし、
本人だって本能寺の変以前に自分が天下人になるなんて想像もしてなかっただろうし、
だから天下人として一通り楽しんだらどうしていいのかわからなかたのかも。
0898人間七七四年
2011/10/18(火) 21:46:48.80ID:NRWSxFvIそもそも佐々や長曽我部や島津を助けてやったのは唐入りに利用するビジョンがあったからだし。
だから佐々を九州に加増転封したし、
島津が焦土にした博多も島津を降伏させたら
さっそく大規模復興を急がせた。
奥羽仕置きがいい加減だったのも
唐入りを早く実行したかったから。
0899人間七七四年
2011/10/18(火) 21:58:59.63ID:QVSagWTS0900人間七七四年
2011/10/18(火) 22:00:42.90ID:nP7NDCbh0901人間七七四年
2011/10/18(火) 22:07:12.14ID:DMyF8qQB結局交易(=朝貢)拒絶されて。琉球、朝鮮経由もそれぞれ難色を示してきたんで
んじゃ攻めちゃえ的な流れだったとか
イスパニアvsイングランドで西欧情勢も怪しくなってきた頃だしねぇ
キリスト教を敵視するってことは西欧列強とドンパチの可能性もあるし
その際輸入に頼ってる硝石止められたらあぼん
0902人間七七四年
2011/10/19(水) 04:22:48.94ID:n0LYD1N9その間徳川はぬくぬくとしていられたわけだ
同じくぬくぬくとしてた前田は縁故採用の極みだからかいざと言う時にまったく働かなかったし
0903人間七七四年
2011/10/19(水) 09:00:11.86ID:upAbrO4W近代人並みに頭が良かったのかもね。
日本の耕作可能地域の絶対的狭さと、
資源(鉄だってロクスッポ無い・戦争やりすぎて人間もいない)の少なさと、
貿易がもたらす利潤のでかさ
これを、まとめて解決するための大陸進出だったのかも。
で現代人並みに頭の良い家康は、失敗に懲りて引きこもった
0904人間七七四年
2011/10/19(水) 09:29:18.03ID:Px6UWOhNどちらが悪者と言うよりかは器の違い。
家康が偉大な凡人と言われる所以。
欧米列強と対等に伍するため、朝鮮や中国に進出することを考え始めた明治政府は秀吉の先見性に改めて驚いたと言う。
産業革命により欧米はさらに強大になっていたという違いはあるが、秀吉時代のアジア情勢も似たようなもん。
衰えの見え始めた明は極めて制限された形の貿易しかおこなわず、朝鮮はその言いなり。
ヨーロッパ人は領土的野心を見せ始めており、事実この後、台湾やフィリピンはヨーロッパ人の手に落ちている。
中国や朝鮮がこんな状況だったら、直接支配することで中国の産品も直接管理して南蛮貿易のディーラーした方がヨーロッパ人に美味しいところを全部持ってかれずにすむと考えたのだろう。
秀吉が唐入りを目指したのは、あくまでアジアはアジア人が主体となってヨーロッパ人に伍するため。
徳川幕府が300年の太平をむさぼれたのも秀吉が世界に日本の武力を示してくれておいたおかげ。
0905人間七七四年
2011/10/19(水) 10:01:35.70ID:2LjZXxNL明どころか、ちんけな朝鮮半島さえ支配できない秀吉が先見性だとよ。
病院行って来い。
0906人間七七四年
2011/10/19(水) 10:20:08.06ID:0xb46DuS各地に配置された豊臣大名による最新式土木技術、
先進農業技術で
災害防止わや視野に城下町の建設と石高向上の開発、
余分な城の破却と城下町への集住と産業育成が始まり、
余力が外部への伸張せざるおえない国威があった。
東北から九州にきた田舎大名は
アズマの果てから来たが、名護屋では田舎者イジメするから早く帰りたいなどと嘆いているが、
もともと大陸沿岸部で海賊やってた島津を筆頭に
半島や東シナ海を遠いと感じないどころか、
貿易の旨味をよく知ってる大名ばっか。
陶器の略奪どころか陶器職人まで拉致るくらい。
高価な唐物はステータスになっていて茶器ブームの延長でもあった。
また世界地図の到来で日本人の海外への興味と認識力が飛躍的にアップし、
日本を侵略されないためには(すでに長崎が宣教師に献上されていた)
外縁部に勢力圏を作る積極防衛を実行できる国力と国威があった。
すでにメキシコまで海外植民地化され
現地住民が奴隷化されているのを知っていて危機感がない方がおかしい。
0907人間七七四年
2011/10/19(水) 10:35:33.03ID:2LjZXxNL無知丸出し。
0908人間七七四年
2011/10/19(水) 11:03:26.66ID:QXNWetnh現代がそうなのかな?
0909人間七七四年
2011/10/19(水) 12:24:36.28ID:9/A9cjLu出鱈目書くなよ秀吉厨
秀吉は信長の孫利用し三男を死なせて織田を乗っ取り
利休や秀次や秀次の妻子達を虐殺した屑だろ
これだから気持ち悪いんだよ秀吉厨は
主君の遺産を食い散らかし罪のない人達を酷たらしく虐殺しておいて胸糞悪い
秀次や駒姫達秀次一族とその遺族に末代まで祟られても文句言えないレベルの不祥事やらかしておいて
墓壊したくらいでぎゃあぎゃあ喚くな屑
0910人間七七四年
2011/10/19(水) 12:49:17.17ID:iO4LSr0M幼児の後見人として織田家を乗っ取り、織田家を壊滅状態にしたけど
今度はほぼそれと同様な事を家康にやられるんだもんなあ。
0911人間七七四年
2011/10/19(水) 12:57:20.49ID:i+quDGQQ0912人間七七四年
2011/10/19(水) 13:00:28.07ID:0xb46DuS晒しage!
0913人間七七四年
2011/10/19(水) 13:09:09.15ID:i+quDGQQ秀吉を少しでも悪くいえば在日とか、どんな宗教やってんだ?
0914人間七七四年
2011/10/19(水) 14:28:48.57ID:iO4LSr0M確か伊達政宗が誰かに送った手紙に出来れば淀君と秀頼様を引き離した
方が良い(うら覚えだからよく憶えていないが)ような事が書かれていたけど
それが実現出来てれば少なくとも滅亡はなかったかも。
0915人間七七四年
2011/10/19(水) 15:05:38.32ID:2LjZXxNL父親と祖父を亡くした秀信は秀吉に乗っ取られ、祖父が健在だった一宮は祖父の謀略のお陰で天皇に即位
0916人間七七四年
2011/10/19(水) 15:19:30.23ID:4mAqE0Wgわしは昔から秀吉さんのファンだぎゃー。
天下の豊臣家から政権を奪い滅ぼした家康は許し難い。
0917人間七七四年
2011/10/19(水) 16:56:06.19ID:7VUtNWm3淀を積極的に評価すれば、律儀さを売り物にしていた家康に豊臣は滅ぼすしかないと決意させ、
世の乱れとなる原因を除去させたことだな
0918人間七七四年
2011/10/19(水) 20:45:34.70ID:iO4LSr0M浅井の滅亡、織田家没落、を見てきたせいなのかな。
0919人間七七四年
2011/10/19(水) 21:57:28.36ID:Px6UWOhN0920人間七七四年
2011/10/19(水) 22:17:10.49ID:Bm3qCdxe0921人間七七四年
2011/10/20(木) 00:09:05.21ID:gZ1nfyTL大阪冬の陣の講和条件で淀君が江戸で人質になるってのが大阪側から出されてるし関係無さそう
状況を正しく認識出来てなかったかプライドが邪魔したか今一度豊臣の天下を夢見ちゃったかどちらにせよ滅ぼされると思ったか
0922人間七七四年
2011/10/20(木) 00:13:58.17ID:j15KjqgHその子供嫌って冷遇した上に人質に出しちゃうような鬼畜
0923人間七七四年
2011/10/20(木) 00:35:23.92ID:gZ1nfyTL女中とか出自が良く分らんのとかばっかり手を出すし地味なんだよ
淀に手を出すってのは無さそうって意味
0924人間七七四年
2011/10/20(木) 02:36:06.57ID:kIYqAKklサイコ野郎の秀吉なんざ残忍極まりないわ
力攻めで根切りかます織田のがはるかに優しい
人殺しを楽しんでるフシが気に食わない
0925人間七七四年
2011/10/20(木) 07:44:58.61ID:UoCVtZTj0926人間七七四年
2011/10/20(木) 07:59:44.72ID:G5zxedZK有力者がいなくなった途端に盗っ人する家康。
三河は信長が義元を討ち与えたもの。
遠江は信玄に与えられ
駿河は信長から与えた。
甲斐、信濃は信長が死んだ時に盗む。
これで超大国。
秀吉が鎌倉幕府や室町の鎌倉府と言う、
東国御家人統轄の拠点をあたえて
東国取り次ぎにしてくれ、
250万石への転封により土地に土着してきた家臣団を土地から切り離して官僚化を促して
家臣支配も強化してくれた。
家康はなんら努力なく、
人生イージーモードだった。
0927人間七七四年
2011/10/20(木) 08:01:26.17ID:JNj/nBCpどう考えても、水攻め、兵糧攻めの方が犠牲少ないだろうがw
野戦の方が犠牲多いわw
0928人間七七四年
2011/10/20(木) 11:11:36.16ID:nW1aLcXL0929人間七七四年
2011/10/20(木) 11:26:07.00ID:nW1aLcXL秀吉は普通人から悪人に移行途中なので下手すぎた
0930人間七七四年
2011/10/20(木) 12:27:57.30ID:JNj/nBCp家康が野戦で戦ったのって、三方が原の戦いでフルボッコ、小牧長久手の戦いで勝利
この二戦ぐらいだろ、他は本願寺の変にてパニ喰ってる時に、織田家の領地である旧武田領を空き巣で奪い
旧武田の赤備えを加えただけだろう
0931人間七七四年
2011/10/20(木) 12:34:58.18ID:nW1aLcXL脱糞ヘタレの間違いだろ
0932人間七七四年
2011/10/20(木) 13:07:38.17ID:YZH3JtFv0933人間七七四年
2011/10/20(木) 13:33:52.45ID:G5zxedZK家康には余力兵力がないから
伊勢から尾張に進行されたら死亡確定だから
和睦に応じただけ。
0934人間七七四年
2011/10/20(木) 13:47:24.80ID:+4A52dYLあそこで力で勝つ事の出来ない意味を理解していたのか
戦終わらせる事しか出来なかった秀吉は数で圧倒していたのに情けねえ
0935人間七七四年
2011/10/20(木) 13:59:53.36ID:Ig8xi3C5今の人は知らんが、昔の人にはあった
信長公記 巻五
「家康の弓の手柄は今に始まったことではなかった。」
http://home.att.ne.jp/sky/kakiti/shincho8.html
0936人間七七四年
2011/10/20(木) 17:04:07.49ID:CcYwNV4A秀吉は武将コレクターだからね。
家康も必ず配下に加えたいと思っていたんだろ。
すでに朝鮮出兵も構想してたから
大友とかを気にしてたし。
0937人間七七四年
2011/10/20(木) 19:49:02.74ID:MTH7mQoZ同意だな。
家康が悪人とまでは言い切らないけど本当は信長、秀吉以上のドライで冷徹な人
だったと思う。
あの信長と長期同盟を組めたのも根っこの部分では似通っていたんじゃないかと
思う。
0938人間七七四年
2011/10/20(木) 19:51:20.70ID:j15KjqgH総兵力は秀吉の方が上回っていたが
池田勝入のような織田家では秀吉の先輩だったり同輩だったような連中がいて
一枚岩じゃないから強権を発動できない状態で
雑賀衆、根来衆が大坂周辺で焼き討ちとしまくってて切羽詰まってたし
九州じゃ島津が無双してて大友からの救援要請きまくりな上に
西は長宗我部、東は家康、北条、北は佐々という信長包囲網すらヌルい状態
0940人間七七四年
2011/10/20(木) 20:58:18.01ID:j15KjqgH首から下を生めて竹鋸で引かせるのとどうちがうの
0941人間七七四年
2011/10/20(木) 21:11:00.74ID:IPLHB1wq0942人間七七四年
2011/10/20(木) 23:10:40.16ID:hrTroGFK家康も大坂大虐殺やってるし。
>>938
ムリやり誇張しまくってバカなの?
伊勢も越中も陥落寸前の家康側が圧倒的に不利で、
しかも秀吉は景勝に新発田攻め中止と家康攻めを上杉に命じていて
完全に家康が積んでたわけだが。
九州も四国も制海権を持つ毛利軍がいるから安心なわけだし。
0943人間七七四年
2011/10/20(木) 23:13:24.34ID:mMZANxyy語りですら呼び捨てで呼んでるのに家康のことは美化しててしかも家康様付けって。
太閤さんを貶してるのか?
0944人間七七四年
2011/10/20(木) 23:32:12.71ID:gZ1nfyTL姉川の戦いで殿務めたり毎回信長配下の時に嫌な戦場に向かわされてたけど奮闘してたってところじゃない。
信長配下武将としてはすげー優秀だよ。
あとは小牧長久手の勝利だろうね。人数差から考えるとあの勝利は印象深かったんじゃないかなぁ
ただ小さな戦闘の勝利の詰め重ねも脱糞一回で文字通りヘタレのイメージになるんだよなw
0946人間七七四年
2011/10/20(木) 23:34:29.92ID:gZ1nfyTL0948人間七七四年
2011/10/20(木) 23:40:11.77ID:j15KjqgH誇張?
>伊勢も越中も陥落寸前の家康側が圧倒的に不利で、
信雄の伊勢方面には言及してない 方針変更した秀吉に即落とされてるし
越中が陥落寸前?
信雄、家康連合軍蜂起が3月で講和が11月
9月に末森城の合戦があって、それ以降越中に篭ってるけど
実際上杉が家康攻めをできたかかなり怪しい
>九州も四国も制海権を持つ毛利軍がいるから安心なわけだし。
実際家康に同調した長宗我部を警戒するため大坂に秀吉自身が帰還してるしな
九州は、島津が秀吉の領地を侵犯してくるとか、九州統一されたら手が出なくなるとかそんなんじゃなく、
大友から救援求められてるのにそれに応えられず滅亡でもされたら
天下人たる秀吉の面目が潰れるという政治的な意図の方が大きいわけで
毛利がいれば大友は安泰だというならそれはもうね
0949人間七七四年
2011/10/21(金) 02:16:18.00ID:o7/BNFwZ信濃から戻った上杉は天正12年10月23日に春日山城を出陣して、
26日には佐々の越中宮崎城を攻略したりしてる。
前田は末森で佐々2000を討ち取り、
秀吉が専守防衛指示していたのを無視して、
荒山、勝山を攻め、
さらに鳥取、倶利伽羅を攻め、
砺波郡蓮沼を攻め、
氷見郡阿尾の菊池の勧誘をしてるが、
もはや佐々には反撃すらできなかった。
大友がヤバくなったのは天正14年。
秀吉はいきなり武力行使ではなく、
毎回必ず和睦斡旋をやる。
事実、天正13年には九州国割を島津に提案してる。
天正12年の段階なら龍造寺隆信が死んだ後に、
大友では筑後奪回作戦が発動し、
道雪が活躍し天正13年には柳川まで進出している。
紀州勢力なんて岸和田城の中村一氏ひとりに大敗を繰り返してたので、まったく脅威になってない。
0950人間七七四年
2011/10/21(金) 02:22:48.69ID:o7/BNFwZ家康は豊臣大坂城を
完全に地上から消し去り
徹底的に証拠隠滅してるからなー。
秀忠が再建した時は地下の遺構すら破壊。
どんだけ執拗なんだよ。
0952人間七七四年
2011/10/21(金) 09:55:56.50ID:1hIQiFjh街まで跡形なく破壊して偏執狂のように豊臣臭を完璧に消滅させた。
小牧長久手後に秀吉が大坂に帰ったのは、
家康が清洲城に逃げて引きこもったから。
いくら秀吉が挑発しても家康は出て来なかった。
秀吉はそこで桑名の信雄と清洲の家康を圧迫させるために滝川を使った。
蟹江城は彼らの居城からむちゃくちゃ近かったので焦って出て来たほど、
最前線を肉薄させてみせたのが滝川。
滝川が徳川、織田全力包囲され失敗したが、
蒲生氏郷隊が伊賀と南伊勢を占領してしまい織田が人質を出して秀吉と和睦。
家康はたしかに局地戦において勝ったかも知れないが、
大局では手も足も出ないまま
柔らかい脇腹である南方戦線での秀吉の攻勢を防ぐ策はなく
のちの結城秀康を人質に出して和睦することになる。
長曾我部はそもそも淡路島どころか小豆島すら攻撃できる能力もないので完全にザコ。
長曾我部を脅威とみて秀吉が大坂に帰ったとかデタラメ過ぎる。
0953人間七七四年
2011/10/22(土) 02:10:12.21ID:5zL1DszH>街まで跡形なく破壊して偏執狂のように豊臣臭を完璧に消滅させた。
それが政治だから仕方無いとは思う。
豊臣は徳川の敵として滅亡させた以上徹底してその残骸を無くすのは
当然だと思う。
秀吉自身が織田家簒奪して事実上織田家を崩壊させたんだし、それと似た
ような事を家康にやられても文句は言えないだろう。
0954人間七七四年
2011/10/22(土) 08:14:41.23ID:sExjz2iN0955人間七七四年
2011/10/22(土) 09:27:09.15ID:bXFb96j3信長嫡流を野垂れ死にさせ
織田惣領家を断絶。
やる事が復讐じみていて
いちいちエグいのが徳川。
まるで大陸や半島並みの民度。
0956人間七七四年
2011/10/22(土) 10:14:01.71ID:psT4nlV7死ね消えろ秀吉厨
お前の被害妄想はひたすら気持ち悪いんだよ
秀吉なんて信長の三男や重臣の柴田や妹のお市の方死なせて孫を利用し織田家を乗っ取り壊滅状態に追いやり
千利休排斥や秀次事件やサン=フェリペ号事件等で罪のない人達を虐殺した暴君だろ
こんな葛行為の数々をやらかしておいて自分が同じことされたら逆ギレとかどれだけ被害妄想激しいんだよ
0957人間七七四年
2011/10/22(土) 16:26:35.26ID:gjXdhGpj秀吉厨のジレンマは秀吉の悪行はOK、家康の悪行はNGというダブルスタンダードをどう克服するか
在日とか半島とかぬきで納得のいく説明してくれよ
0958人間七七四年
2011/10/22(土) 16:39:40.82ID:tpT+WFLqこっちはほんとの同盟なのに、火事場泥棒に大忙しで援軍一つ送らないから降伏したのに「信雄はバカだから勝手に和睦した」と話しをすり替えるw
秀吉時代の完全服従パシリ状態がみんなの記憶ありまくりで捏造できないとわかると、豊臣大阪城跡形なくなるまで破壊して、豊臣時代はなかったことに…
秀吉は織田時代も回想したりして大物らしく振る舞ってるのに家康にはそれはなし。そうまでしてパシリ時代を隠すところが小物臭くてぷんぷんw
0959人間七七四年
2011/10/22(土) 16:45:55.16ID:lMTZN3Jc0960人間七七四年
2011/10/22(土) 18:42:33.16ID:NpP8savVってか、ここにアンチ秀吉はいても家康厨っていないよね。
詳しく知らないけど、とりあえず秀吉批判しとけって馬鹿だけ。
0961人間七七四年
2011/10/22(土) 18:49:46.87ID:1SzFqULo家康厨=腹黒常識人
2chなんかにそうそう家康厨なんかいない
0962人間七七四年
2011/10/22(土) 19:11:39.70ID:NpP8savV0963人間七七四年
2011/10/22(土) 19:35:29.65ID:tpT+WFLq天下かすめ取っただけだけど、とりあえずは最終勝者なんで何厨が相手でも罵り合を優位に進められるって理由で勝ち馬に乗りたいだけのちょっと頭の弱い人達の集まり。
一人になって孤立するのが怖い、誰かと群れていたい、でもって群れると浮浪者狩りとか弱いものいじめしちゃったりするような人達かな〜って印象。
あれ?まんま家康の性格かもw
特にif系のスレでは十分な考察、根拠もなしに最後は史実だけを理由に、「結局は徳川の天下になる」「結局は史実どおりにしかならない」「これが史実なんだからこっちが正しい」みたいなことしか言えない脳のアルツハイマー化がかなり進行してるみたいなツマンネーやつらw
0964人間七七四年
2011/10/22(土) 20:17:04.56ID:8Q4zD1gS実は信長の息子や娘&婿をかなり厚遇してんだよね。
信孝だって死刑にしたのは信雄だし、
その信雄だって家康すら転封を呑んだのに、
唯一、転封を拒否する空気の読めない反抗をしたからで、
それでも名護屋陣の時に復権させてあげたし、
将軍義昭も厚遇してやってる。
しかし家康はそういう配慮がまっない。
0965人間七七四年
2011/10/22(土) 20:24:59.78ID:NpP8savVそれまで一応同盟という立場だった両者の関係が明確に位置付けられる
って事に対して抵抗があったんだろう。
0966人間七七四年
2011/10/22(土) 20:34:28.37ID:lMTZN3Jc0967人間七七四年
2011/10/22(土) 20:47:37.13ID:NpP8savV0968人間七七四年
2011/10/22(土) 20:50:01.82ID:lMTZN3Jc儀礼上のことか?
0969人間七七四年
2011/10/22(土) 20:52:10.66ID:sExjz2iN0970人間七七四年
2011/10/22(土) 21:01:13.29ID:daDtu+Jk加増を拒否しても怒られるのが秀吉クオリティ
0971人間七七四年
2011/10/22(土) 21:01:59.50ID:n0V/rNep0972人間七七四年
2011/10/22(土) 21:07:09.10ID:NpP8savV裏を返せば主君の意思によって土地を召し上げられる事もあり得るという事も受け入れるという事。
豊臣政権ではこの転封・移封や加地子得分権の撤廃や身分統制令など
支配体系の一元化による中央政権による支配力の強化を志向している点が多く見られる。
0973人間七七四年
2011/10/22(土) 21:22:29.27ID:lMTZN3Jcってなところか?
0974人間七七四年
2011/10/22(土) 23:38:02.27ID:psT4nlV7出鱈目吐くなよ発狂秀吉厨
実際は馬鹿の秀吉厨が秀吉に都合の悪い不祥事棚上げして
秀吉に都合の悪いこと言う奴に言い返せないからチョン(笑)とかバカ丸出しのレッテル張りをするアルツハイマーの痴呆障害者ww
0975人間七七四年
2011/10/22(土) 23:53:21.38ID:NpP8savVん?だったら>>960に挙げた事については具体的にどう思ってるんだ?
お前のレスはただ煽ってるだけで、反論らしい事は一切書いてないんだよ。
燃料投下するにしても知識がまるで無いと話しにならんよ。
0976人間七七四年
2011/10/23(日) 10:38:14.79ID:7bQ/wnp3あれはフィリピンやチリやメキシコを軍事占領したスペインによる商船に偽装しての
日本近海測量をやってるとポルトガル人からのチクりが原因。
秀吉が海外へ軍事行動してるのも、
西欧の植民地化&現地住民奴隷化から日本を守るための武威を見せ付けるため。
0977人間七七四年
2011/10/23(日) 14:11:54.60ID:ZAssG72Aわかりにくいのは信康公くらいで。
秀吉が秀次でやったことより地味だろ。
全く秀吉厨は気持ち悪い。
秀吉は大阪の誇りニダって叫んでるのが目に浮かぶ
0978人間七七四年
2011/10/23(日) 14:55:05.15ID:1nHeEtMvは?堀川城は開城後捕らえられた村人が女子供に拘わらず河原で惨殺されたんだけど。
大賀弥四郎も「内通を疑われた」って言われただけで、実際に反乱した訳じゃない。
これで妻子は磔、本人は鋸引きだ。
これはOKで秀吉のは悪行だとか、それこそダブスタだな。ってか無知なだけか。
そもそもお前はアンチ秀吉なだけで、家康の事自体ろくに知らないんだもんなw
0979人間七七四年
2011/10/23(日) 15:32:05.57ID:tUTqzOGN元はといえば信康と築山殿の切腹を家康に命じたのは信長で
家康は秀次事件で罪の無い妻子達を虐殺した秀吉と違い孫(信康の子供)まで殺していない
>>976>>977
必死なのはどっちだよ発狂犯罪者予備軍秀吉厨wwww
そんなバカ丸出しな出鱈目書くんじゃねえよww
秀吉の海外軍事行動は海外軍事行動は西欧の植民地化&現地住民奴隷化から日本を守るための武威を見せつけるためとか秀吉厨の妄言だろww
実際は領土分担問題や失業の危険で不満を持った武断派武将対策や
征服欲にかられたのと寿命に焦ったからだろww
発狂老害ゴミクズ秀吉を擁護できないからコリアン(笑)とかバカ丸出しのレッテル張りしかできないww
さらに言えば秀吉は秀次事件や利休排斥以外でも毛利の見せしめのために罪の無い女子供200人を虐殺したんだすけどww
ダブスタなのはどっちだよww
秀吉の事棚に上げるのに必死で
素直に言えよ
家康の虐殺は汚い虐殺秀吉の虐殺は綺麗な虐殺って
本音はこっちだろww
0980人間七七四年
2011/10/23(日) 15:40:20.55ID:/Hpu7vLj毛利への見せしめって何の話だ?
>>845を見れば秀次が朝鮮出兵反対をダシに
奥羽で徒党を組んで秀吉と敵対し始めていたのがわかるな。
0981人間七七四年
2011/10/23(日) 15:48:16.09ID:1nHeEtMvだからさぁ、>>960で挙げたような一族の権力闘争や家臣の粛清、
大量虐殺行為については認めるんだよね?
この時代その程度の事は多くの武将が行ってるわけで、
それを殊更に「悪行だ!」とか喚きたててるのが恥ずかしいって事は理解出来たかな?
0982人間七七四年
2011/10/23(日) 15:54:55.48ID:1XBBpm6s0983人間七七四年
2011/10/23(日) 15:59:11.28ID:/Hpu7vLj0984人間七七四年
2011/10/23(日) 16:51:01.97ID:+w4xxJYyはい、この程度
0985人間七七四年
2011/10/23(日) 18:01:25.40ID:tUTqzOGN見苦しいんだよ秀吉厨
一族の粛清が珍しくなかったあの時代でも秀次事件は世間からも異常に扱われていたんだよ
当時一族粛清が珍しくなくても女子供10数人が虐殺されまだ罪はおろか側室にすらなっていない駒姫まで斬殺され
秀次と交流があっただけで毛利や細川や伊達や最上達のような無実の罪で殺されかけた人や殺された人も何人も居てあの時代でも異常だったとされていた
それを理解できないで他の大名の一族粛清を持ち出して「この程度の事他の大名もやっているニダ!」とか逆ギレで喚いて馬鹿すぎ
恥ずかしいことしているのはどっちだよ馬鹿の分際で高尚ぶって気持ち悪い
信康のことだって揚げ足とったつもりだろうがお前の言っていることも信長の命令だった説同様あくまでも説の一つに過ぎず不明確な点が多いのにそれをドヤ顔して痛すぎ
それに罪の無い駒姫や言いがかり同然な理由で毛利や細川や最上達を無実の罪で殺そうとした秀吉と違い家康は信康の孫や信康と親しかった人を殺すなんてキチガイ染みたことまでしていない
本当に秀吉厨は真性の屑だな
0986人間七七四年
2011/10/23(日) 18:26:44.29ID:uY12O8IV朝鮮出兵中なのに
秀次権威を背景に
堂々と秀吉の無事令をシカトして
小野寺侵略の岩崎合戦を最上がやったからだろ。
それに秀吉も駒姫助命を受け入れて許したが
使者が到着する寸前に斬られてしまって間に合わなかっただけ。
そもそも駒姫は大崎夫人の子かどうか一次史料で証明できないシロモノで
実際は誰の子か不明で、しかも伊達や南部の記録には
義光自らが駒を側室にして欲しいと秀次におべっかを使ったと
記され、伊達成実に至っては、大名にあるまじき情けなさと記す。
悲劇話として、あからさまに話しを脚色してある。
0987人間七七四年
2011/10/23(日) 19:26:57.89ID:+w4xxJYy見てて痛々しい
0988人間七七四年
2011/10/23(日) 20:55:58.50ID:tUTqzOGNID:+w4xxJYyの馬鹿はレスするたびに無知と頭の悪さと人間性の下劣さを曝して
見ていて笑うのを通り越して痛々しくなる
秀吉厨って本当に救いようがないな
>>986
うわぁ、痛すぎ秀吉厨…
屑だとは思っていたがここまでとは思わなかった
秀吉は間に合わなかっただけ(笑)とかほざいているが結局遺体を最上達に引き渡さず畜生塚に捨てて埋めて最上を殺そうとしただろ
挙げ句の果て伊達や南部達敵の記録なんかを持ち出すとか…
敵対した相手の記録が100%アテになるとでも?
秀吉の擁護できない不祥事を正当化をするためなら理不尽に殺された人間やその遺族すらも貶めるとか本当に屑だな
0989人間七七四年
2011/10/23(日) 21:02:36.28ID:RxZup7HB秀次が徒党を組んで
秀吉と政治的対立をしていたのは
間違いないのに、
秀次側徒党は無実前提で語る著しい偏向ぶりw
0991人間七七四年
2011/10/23(日) 22:55:47.90ID:ev6PE+9q民主主義のみの字も無くて最高権力者が白と言えば白黒と言えば黒。
それに逆らう奴は打ち首はりつけ上等。
法律もへったくれもなく罪人=権力者の気に入らん奴。
欲しい領地があったら兵隊送って「今日からここ俺んだから。」
それで油断して寝首かかれたたら今度は自分らの一族が罪人。
力が全てでなんの道理も無いよな。
どいつもこいつもメンタルがRPGの悪のボスみたいなのばっかだわ。
レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。